シェアン大司教の

護教

第Ⅱ篇 キリスト教護教


シドニー補佐大司教シェアン著

木内藤三郎譯


札幌教区長 長瀬野勇認可(札幌において 昭和21年9月15日)


光明社

[三上記:以下の文章は読みやすくするため漢字、仮名遣いを改めました]


教皇レオ13世以来、代々の教皇は機会あるごとに根本的な宗教教育の必要を繰り返し強調し勧告している。実によき宗教教育はいつの時代にも必要ではあったが、現代のように言論著作による反対者の種々の攻撃に答えねばならない時にあってはわけても必要なのである。それがためには、われわれが信ずべきこと、守るべきことの一般的な知識だけではなく、われわれの宗教の教える真理の証明をも確実に把握している必要がある。なかんずく、高等教育を受けた人々、現にうけつつある人々にとってこの種の教育は特に重要である。本書は、シドニー大司教、シェアン司教の著であるが同司教の好意ある許可のもとに木内神父の訳出したものである。教科のためにも個人研究のためにもよき参考書となると思う。言うまでもなく本書は個人研究の場合にも教科書として用いられる場合にも単に読み流すだけでなく、よく説明され、深く考察されてこそ始めてその真価が発揮され、信仰を堅固にし、愛徳を増し反対者の攻撃を却けるに大いに役立つものとなる。英語国民の間では非常に普及され愛用されている本書が幸いにもわが国において好意をもって迎えられ、天主の祝福を得て多くのよき果を結ぶよう私はひたすら願うものである。

昭和22年8月4日

札幌にて ヴェンセスラウス・キノルド


目次

緒言 護教学の目的、その証明法(p.1)
護教学の定義、教義の関係(p.1)
教会の神的権威の樹立(p.4)
第1項 神は不可思議な一致をもってカトリック教会が神の教会なることを証明する(p.7)
第2項 神はおのが教会に神的刻印をほどこす(p.10)
第3項 神は教会に強固なる永続性を賦与しておのが教会の神性を証し給う(p.15)
論旨の総合(p.20)

第I篇 自然護教学(p.25)
第I章 純理性によって知られる神の存在証明(p.25)
第1項 神の存在(p.25)
神の存在に関する詳論(p.36)
第2項 理性によって知られ得る神の性質について(p.74)
第3項 無神論(p.82)
第II章 純粋理性に認識せられる人間の霊魂(p.88)
A 霊魂の霊性について(p.88)
B 霊魂の不滅(p.100)
第III章 自然宗教と天啓の可能性について(p.103)
I 自然宗教とは何か、個人的並びに社会的義務について(p.103)
II 自然宗教の完全明瞭なる知識は事実上純理性によっては到達し得ない(p.107)
III 天啓の可能性(p.109)

第II篇 キリスト教護教(p.111)
キリスト教における天啓は神よりの啓示である(p.111)
第IV章 天啓の印しなる奇蹟と預言(p.114)
第V章 福音書、使徒行録、パウロの書簡に関する歴史的価値(p.126)
A 福音書の歴史的価値(p.129)
B 使徒行録とパウロの書簡の歴史的価値(p.138)
第VI章 イエズス・キリストは自ら神なりと主張している(p.142)
I 1 3福音はキリストが自ら神なりと主張している事実を確証している(p.142)
2 ヨハネ福音書に見られるキリスト自身の言葉(p.145)
II キリストの業績(p.147)
III 使徒並びに弟子たちの確信(p.149)
第VII章 真の神なるイエズス(p.149)
I イエズスの「われは神なり」との主張がまさに事実であることは奇蹟並びに預言によって確証される(p.150)
II キリストの復活は彼の神性の確証である(p.159)
III キリストは自身を神なりと主張しているが、キリストの人格、自然宗教の教師としての風格を省察すれば、その主張の真実であることが立証される(p.170)
附記I キリスト教の敏速な普及と殉教者たちの堅忍不抜な勇気から見たキリストの神性の証明(p.189)
附記II 生きた力としてのキリストとキリストの神性(p.195)

第III篇 カトリック護教(p.197)
序 キリスト教天啓に関する不謬の教師なるカトリック教会(p.197)
第VIII章 教会の創設(p.197)
A キリストの使命(p.199)
B 使徒の使命(p.201)
C 教会の創設(p.205)
第IX章 キリストの創設になる教会の特徴(p.208)
I 不易と使徒伝承(p.209)
II 唯一と普遍性、可視性と聖性(p.212)
III 不謬性(p.221)
第X章 キリストの教会の鑑定(p.223)
I 真の教会の具有すべき特徴(p.223)
II 偽キリスト教会(p.224)
III 真の教会の全特徴を有するカトリック教会(p.241)
IV 質疑応答(p.250)
第XI章 キリスト教会の統治と首位権について(p.254)
I 法王の首位権(p.257)
II 法王の不謬権(p.265)
III 質疑応答(p.271)
IV 教会と社会組織との関係(p.280)
結語(p.289)


p.111

第II編 キリスト教護教

キリスト教における天啓は神よりの啓示である

キリストの神性について

序言 キリスト教における天啓の性質

われわれは以下キリスト教が神より啓示されたものであること、従って、これこそ唯一の、真の宗教であることを見ようと思う。

神は人間に自然宗教的な真理、および戒律を啓示するに止めることもできたに相違ない。

人間はこれらの真理を信じ、戒律を遵奉することによって死後、甚大な幸福を享けることができたろう。あらゆる悲惨事と試練から解放され、被造物の裡に刻印された神を瞑想することによって、大いなる福楽を得るであろうと考えられる。とはいえ、この場合、至愛なる神は人類の目からあくまで隠れ給い、われわれとは別の世界にあって、われらの親しき友ではあり得ないであろう。しかるに事実はどうかと言え

p.112

ば、神はおのが啓示をもって、自然宗教の全内容を確証してくれたばかりではなく、かつて人間の心が思いも及ばなかった真理を表示し、神の特別加護がなければ、いかなる被造物にも窺知し得られない天への王道を開いてくれた。

神は、神を深く識ることの歓喜を、神のありのままを見奉る幸福、神と共に永遠に生きる幸福、そして一切の福楽に満たされる幸福をわれわれに約束し給うたのである。

人間の言語は所詮、神の賜--それは至善なる神御自身ではあるが--の価値を十分に語り得ないことを嘆ずる外はない。キリスト教の天啓には、神の寛容が、その慈愛と共に、輝いているのである。無量の慈愛は傷ついた人類の心を癒し、神の寛容は俗悪な人間をその懐に抱き、あくまで豊かに高め給うのである。それは、惨めな乞食を王宮に招き入れるにもまして、人間に与えられ得る最高無類の恩寵ではないか。かくしてわれらは神をわれらの父と呼び、いと高き者の子らとなり得て、限りなき幸福が与えられるのである。これら一切は天啓によって明示し給うた神の聖意なのである。

--キリストの神性に関する種々の証明--

キリストの神性を証明する方法は種々あり得るが次に示す二者のいずれかに従うのが普通である。

[その1] 新約聖書を歴史的記録書と見ての証明法。

p.113

a. ここでは新約聖書においてキリストはおのれを神自身なりと強調し、この主張の真実性が奇蹟によって立証されている史実を見る。

[註] これは原文に従って立証する方法である。聖書はキリストに関する真理全体を繰りひろげてくれる。カトリックの識者は、この問題に関する限り、決して曖昧であってはならない。

b. あるいは新約聖書は、キリストが神より派遣されたことを宣言し、その宣言の真実を奇蹟をもって立証している事実、また従って、彼の創始した宗教、教会が真実であることを必然的に証明せんとするのである。しかも彼の創始した宗教はキリストは神なりと主張する。ゆえにキリストは神性を有すると結論されることになる。

[註] この証明法は、キリストの神性並びに神の子としての性質に関するキリスト自身の主著を真なりと、はなはだ控えめに証明するのであるが、カトリック教会の神的権威に関しては十分な証明となる。同時に、キリストを神よりの使者とは認め難しと主張する反対論者をその根底に予想し彼らを論駁するのである。

[その2] 教会の神的権威よりの証明。

a. 教会は確かに神の大業である。それは教会の驚嘆すべき発展、普遍性、信仰、統治、典礼における唯一性、世紀を通じて攻撃迫害のただ中にあってしかも不易の存在を保ち、聖なる慈善事業における顕

p.114

著な業績を産んで行くたゆみなき歩みを思い合わせることによって、自然に立証される事柄である。

第IV章 天啓の印なる奇蹟と預言

要旨 天啓の印。天啓教義の性質。奇蹟と預言。奇蹟と預言との定義。

p.115

次の諸点に関する反対論者への応答

A、奇蹟に関する証拠は必然的に不十分である。
B、奇蹟は自然科学に抵触する。
C、奇蹟は必ずしも神的権能に帰す必要がない。

[註] 天啓の証明は単に一二の奇蹟のみによるのでも一二の預言のみによるのでもないことをまず注意して欲しい。

--天啓はいかにして知られ得るか--

神より啓示をうけ、神の名において全人類に語る使命をうけたと称する人々に会う。

その時、果たして彼が真実、神より派遣されたかを知るには、1、教義が神的権威に相応しいか否か、すなわち教義が曖昧であったり平凡であったりしないかどうかを調べ、2、奇蹟によってうらづけられているか否かを見ればよい。

--奇蹟と預言--

奇蹟とは、五官に触れ得る出来事で、しかも神の直接行為としてのみ説明し得る自然の力を超えた出来事をいう。

p. 116

奇蹟は、それに支持を与えるために行われた教義が神よりのものであることを明らかに証明する。それはその教義が真であることの神の積極的証拠である。神は虚偽を証明し、保証することはあり得ないのである。人格的神の存在を認める者は何者にまれ奇蹟の可能性を否定することはできない。

自然の法則を制定し給うた神は、欲するままにそれを変換することことも停止することも撤廃することもできるのである。

こう考えて来ると奇蹟に関してわれわれが決定しなければならない問題は、神が奇蹟を起こし得給うかどうかではなくて、実際に奇蹟が行われたか否かである。換言すれば、奇蹟の問題は、奇蹟事実に関する証拠の問題なのである。

ある特定の出来事を奇蹟と認めるには次の三つの点を考察する必要がある。

1、奇蹟、すなわち神の業と見られる出来事が現実にあったか否かがその一つで、それは必然的に証人の適性と真実性を糾明することに帰着するものである。果たして彼らは、彼らの主張することがらを実際に見たのか。彼らの言に信を置き得るや否やを見極めることである。

2、かかる事件は果たして自然の法則、あるいは自然的力を超越しているか否かというのが第二の点である。われわれは、言うまでもなく自然というものを完全に知りつくしてはいない。とは言え、ある事柄が自然の

p. 117

法則とその力を超えているか否かは極めて確実に認知し得るのである。

例えば、致命的な大きな損傷を瞬時に癒したり、死者を蘇らせることなどは自然の力ではできないことを知っている。であるから現実にかかる事件に逢った場合、これこそがおのが望み給うままに自然の法則とその権限を越えた神の業であることを容易に知ることができるのである。

3、その奇蹟は、ある教義の真理性を証拠だてるために行われたものか否か、というのが第三の点である。奇蹟を行う者が直接にあるいは間接に、おのれの言葉の真を立証するために奇蹟を行ったかどうか。あるいはその時の環境が、明らかに、奇蹟と教義との間に相互関係のあることを指摘していたかどうか。このことどもは再び証人の適性と、真実性の問題となる。

以上三つの標題のもとに奇蹟の奇蹟たるゆえんが立派に証明される。そしてその事件の奇蹟的性格に関しても、また教義の確証に関しても、確信を持つことができるようになるのである。

神的権威の決定的な証明として、奇蹟と密接な関係あるものに預言がある。では預言とは何かと言えば、ある事柄が起こるか否かが自由意志の行使にかかっている未来の出来事をその起こる以前に、言明することで、この自由意志は、神の自由意志であっても、人間の自由意志であっても一向構わない。しかも単なる推測や、人間的予知の可能性を超えた性質のものについてである。

p. 118

自由意志をもって、行うであろうこと、何を行おうとしているか、またその行為の特種な環境を悉く予知するのは神のみである。であるから、もし預言が的確に実行されたならば、それは奇蹟と等しく神的権威の証明となるであろう。

奇蹟は神の全能に起因し、預言は神の全知に起因するのである。

--質疑応答--

A、奇蹟に関する証拠は必然的に不十分である。

1、奇蹟が本当にあるということは一般の経験に抵触するが、かえって奇蹟が虚偽であるということは一般がこれを認める。それゆえ、奇蹟の証拠が虚偽であると言う方が、奇蹟が起こったということよりも、はるかに確かである。(ヒュームの反対論)

--応答--

a、奇蹟に要求される証拠が虚偽なりと、あたまから定めてしまうのは僭越きわまる。もしかかる証拠をまったく葬り去るとすれば、われわれは他人の語る一切に信を置くことができなくなり、歴史、あるいは過去の出来事を一切否定し去らねばならないというのっぴきならぬ窮地に追い込まれてしまう。

p. 119

b、経験とはわれわれ自身の見たこと、観察した事柄に関する知識である。

航空機が初めて出現した時に、仮にある人が自分でそれを見ないからという理由で、「かかる機械はまったくわれわれの経験の埒外にある。それゆえ、航空機が存在するということが虚偽であるという方が、存在するということより確かである」と言ったとする。彼は確かに普通の頭脳を持っているとは考えられまい。では、その不合理がどこにあるかと言えば、正当な目撃者をまったく無視しているばかりでなく、彼の経験を超えた、彼の見たことも聞いたこともない不思議な機械を発明し得る者がいつの時代にもあり得るという事実を認めていないところにある。

さて、この例を奇蹟の問題にそのまま当てはめてみよう。奇蹟に関する証拠の虚偽を一般的に主張する人々は、信頼し得べき目撃者とその証言を全的に無視していることと、自然の創造者なる神が望み給わば人間の貧弱な経験の埒外にある事柄をもなし得給うということを少しも斟酌していない。そこにその不合理性があるのではないか。

2、自然科学の進歩と深い探索とはわれわれに自然の秘密を啓示し、これらは呪文、奇術、妖術、奇蹟、星占等何でも信じようとする軽信に致命的な鉄槌を下した。キリスト教の奇蹟は世界科学の幼年期に属するもので、人々が何もかも信じ込んでいた時代の遺物である。(合理主義者の見解)

p. 120

--応答--

a、現今においても、幾人かの有名な科学者が霊交術を固く信じているが、これとて妖術、呪文等と何ら異なるものではない。ゆえに軽信という人間心理は、合理主義者が主張するように決して過去のものではない。

b、これらの人々は、初代キリスト者がキリスト教の最主要な奇蹟、すなわちキリストの復活に対してさえはなはだ不信であった史実を見逃してはいないであろうか。これについては後述するつもりではあるが、初代キリスト者はキリストの復活をまったく信じようとはしなかったのである。彼らがキリストに帰依したのは、いわば彼らの不信が、のっぴきならない自明の証拠に屈服した結果なのである。キリスト教の胎動した時代は、機械化文明の面からすれば、正しく、現代とは比較できないほど劣っていたとはいえ、一般精神文化は最も栄え、発展していた時代であった。従ってキリスト教は、ギリシャ、ローマの強大な精神文化に心酔していた人々にも、また特に、その証拠となるものを穿鑿し、その価値を鋭く批判するを事としていた人々にも迎えられたのであった。

そして、彼らがキリスト教を迎えたのは、教義の中心をなすキリストの復活が否定し得ない事実なりと確認した結果に外ならないのである。

p. 121

B、奇蹟は自然科学に抵触する。

1、自然科学は自然が一定の法則に従って行動すると教える。しかるに奇蹟に関する教義は、その法則に従わないという。ゆえに奇蹟を信ずる以上、自然科学を放棄しなければならなくなる。

--応答--

われわれは決して自然の法則を否定してはいない。自然における一般法則、すなわち同一原因は同一環境において常に同一結果を産むという鉄則はあくまでもこれを認める。しかしながら注意すべきことは、神の大能が直接干渉した場合、すでに環境は同じではないということである。この場合新しい力が介入しているのである。だからと言って神の干渉がそういつもある訳ではないから、自然の法則一般がこれによって犯されると早合点してはならない。科学者の仕事は通常の(ノルマルな)場合についてのみ、結論することにあるのである。

[註] 人間も自然の力を妨げることができる。例えば石を持ち上げている時、結果として起こるべき重力の法則を妨げているのである。

2、自然界における神の干渉はエネルギー恒存の法則(Conservation of energy)を犯すことになる。例えば、奇蹟によって一言で山から木が伐り出され、公会堂ができあがったとする。そうすると以前に存在しなかったエネルギーの

p. 122

消耗によって、この結果が表れたと見ねばならなくなる。

--応答--

エネルギー恒存の法則はいうまでもなく、全宇宙に関して決定的に証明されたものではなく、ある独立せる一系内においてのみ証明されているに過ぎない。

ある一系内の全エネルギーが増加したことが観察されても、エネルギー恒存の法則が犯されると考える必要はない。

エネルギー恒存の法則によれば、この増加はある新しいエネルギーが入って来たからだということを認めるだけのことである。

奇蹟は単にエネルギーの再分配によるとも考えられるのではないか。科学者自身の立証するところによって見ても、宇宙には莫大なエネルギーの貯えがあることは確かである。もし神が新たにエネルギーを賦与することを望み給わなければ、エネルギーの創造者たる神は、既存の、エネルギーを引き出すこともあながち不可能事ではない。

われわれは奇蹟が自然の法則とは、無関係に起こった結果であることを認めるに、何ら躊躇しない。自然科学者は、自然の法則のみを考えているのであって、自然法則の外に存在する能力を考えないのである。

p. 123

C、奇蹟は必ずしも神的権能に帰す必要はない。

1、奇蹟は悪霊の仕業なりと言い得るではないか。

--応答--

悪霊は確かに奇蹟と見える不思議を行い得る。とはいえ悪霊といえども、被造物である限り、その存在も行動も、すべて神に依属している。神は不可避なる欺瞞の中に人間を陥し入れる行為を彼ら悪霊に許し給うことはない。悪霊の力とその行為は、彼らが媒介として用いる人間の悪徳、あるいは彼らの主張し要求することの悪質愚昧より、それが悪霊の仕業であることを見分けることができるのである。

2、奇蹟は催眠術的行為ではないか。

--応答--

催眠術が治療的効果をねらう場合、それは単に神経系統のある種の疾患にのみ効力がある。それは奇蹟の全般的解決には、明らかに不相応なものである。(第7章を見よ。)

3、われわれは自然力の一切を識りつくしてはいない。しからば、われわれが今奇蹟と言っている事柄も、将来、自然の隠れた力であったのだと了解される時が来るであろう。

--応答--

p. 124

なるほど、われわれは自然が持っている一切の力を識りつくしてはいない。しかし自然力が決して到達し得ない事柄があることはよく知っている。例えば、ある人の有する挙揚力がどれほどであるかは知らないが誰だって1トンのものを持ち上げ得ないことを知っている。

解り易い例を挙げるなら、自然の力のみでは死者の復活、腐敗脱落した四肢が一瞬にして強健な四肢に復活し得ないことは確言し得るではないか。

[註] 体組織ができあがるには遅々としてしかも細密な進展が続けられるものである。現代医学においては体組織成立の状態は詳細に知られている。それで傷、ないしは挫傷の瞬間的治癒は「自然の可能性を超えた出来事である」とされている。しからずんば、人間が血と汗でつくり上げた医学の殿堂が根本から無に帰すということになる。

自然力の神秘を盾にとって奇蹟に反対する人々は、この質疑の中に奇蹟を行った者が現代におけるいかなる科学者、有能者をもはるかに卓越した学識と能力を有していたと言わず語らずのうちに想定しているのではないか。

しからばかかる学識と能力を、例えば、現代から見て自然科学の教養のほとんどない人々、自然科学的に見てずいぶん低い時代に生きていたキリスト自身、あるいは使徒に、認めることになり、これこそ他のいずれにも劣らぬ奇蹟と言う外ないではないか。

p. 125

現代科学者は、未だ知られざる自然力の利用と効用とを研究し成功している。

しかしそれにしても、特種の機械ないしは設備なしにはまったくその自然力を利用できないのである。これに反して奇蹟を行った人々は多くの場合、単なる「言葉」あるいはちょっとした「身ぶり」の外には、一切の手段を用いず、驚嘆すべてき結果を産み出すのを常としていた。

--注意--

神がキリストを通じて為し給うた啓示は単に一つ二つの奇蹟あるいは預言に支持されているのではなく、夥多の奇蹟と預言によって証明されるものである。従ってこれらの総合は確かに不破の信念を植えつけずにはおかないということに特に留意しなければならない。

天啓それはメシアに関する預言、キリスト自身がその生存中に行った奇蹟、また奇蹟中の奇蹟たる彼の復活によって支持され証明されている。

一方かかる天啓はキリスト教の全世界における驚くべき弘布、その天啓の証人たる殉教者の輩出によって証明されまた、熾烈なる迫害のただ中にありながら、これを踏み越えつつその生気をさらに輝きあるものとした教会の内的生命の繁栄によって支持されている。

p. 126

第V章 福音書、使徒行録、パウロの書簡に関する歴史的価値

要旨 四福音書、使徒行録、およびパウロ書簡の「純正性」「真実性」本文の「完全性」という三つの点について十分説明されるならば、これらは歴史的な記録書と首肯されなければならない。

A、福音書

a、福音書の純正性とは福音書が事実著者とされている人によって書き下ろされたことを指し、それは外的証明によって歴史的に証明され、内容における内的証明によって確証される。
b、福音書の真実性は著者の経歴ないしは人となり品性から見て、そこに欺瞞の余地がないことを確かめることによって立証される。
c、福音書本文の完全性は、主として初代キリスト教徒等がこれら福音書に対して非常な尊敬の念を抱いていたことによって確証され得る

B、使徒行録および聖パウロの書簡における純正性、真実性、本文の完全性も同一証明法によって樹立され得る。

C、反対論者の見解とその批判。

注意。 新約聖書は二つの観点からこれを見ることができる。

p. 127

1、新約聖書は普通の歴史的文書として。
2、新約聖書は神をその主要著者とする神感書の叢書または全集として。
神感とは、神が著作者の霊魂に吹き込む特種の感動で、感覚には知覚されぬものである。(詳しくは後述にゆずる)それで、神感を得たという事実は、神御自身の立証によってのみ識り得るのである。
後章において詳細に述べるように、われわれが信じなければならぬ一切の真理を、神は不謬の権もて人類を教導すべく指摘した教会を通じて立証し給うのである。
かくして教会の不謬権により、神感書の存在と神感書はどんな書から成り立っているか知るにいたるのである。
本章において神感に関する問題は、しばらく措いて、新約聖書を人間的見地からのみ考察しそれが信頼し得る歴史書であることを立証するにとどめる。

--新約聖書述作の歴史的価値をいかにして証明するか--

四福音書註1)、使徒行録註2)、パウロの書簡註3)は、いずれもキリストの神性と彼の創設した教会の教権とを証明するにあたってぜひ依らねばならぬ新約聖書の一部であるが、福音書はこの証明に特に重要なものであるから、ここにやや詳細に論をおこして、たとえ神感に関する問題に触れずとも、また単に普通一般の文献と見ても、これを歴史的文書と見ざるを得ないゆえんを表示しよう。

p. 128

[註1] 四福音書とは、マテオ、マルコ、ルカ、ヨハネのそれを言うのである。マテオ、マルコ、ルカの三書は、その内容と叙述の配置とが酷似してために共観福音書と称せられている。各々の著者はキリストの人となりを一つの像としてわれわれの脳裡に印象づけ、決して三つのそれぞれ違ったものとして画き出してはいない。
マテオはマルコよりも前に、福音書を書いた。マルコは誕生後五十年から六十年までの間に書き、ルカはそれより幾分おくれて書いた。キリストは大体西暦三十年に世を去ったのであるから、三福音書はキリストに接し、彼を知っている人々の存命中に書かれたものである。
百年頃に書かれたヨハネ福音書は前の三福音書の補充的記事を誌している。その特色とするところはキリストの談話の記録と、キリストの神性に関する証明に秀でていることである。
福音書という語は「良きおとずれ」という意味であって、福音書が、救世主降誕というよき音信を伝えているゆえにかく称せられる。
福音書の著述者等は、ギリシャ語の標題を取って、エヴァンゲリスト(福音史家)と呼ばれている。

[註2] 使徒行録は、ルカがその福音書を完成して間もなく書いたものである。

[註3] 聖パウロの書簡は、五十年から六十七年までに書かれたものである。

ある著書が歴史的記録、あるいは過去の出来事の忠実なる記録なりと認め得るには次の諸条件を満た

p. 129

すものでなければならない。

A、この著書が純正であること、すなわち著者なりとされている人によって実際に書かれていること。

B、作者が信を置くに値する人物であること。すなわち、彼が史実に明るく、かつ、信実のある人物であることが明白であるべきこと。

C、その著書が原典のままであること、すなわち著者の手をはなれた時と同一に保たれていること。

A 福音書の歴史的価値

--福音書の純正性--

福音書はその作者と認められている福音史家の純正なる著述である。

[註] 福音書における著者の純正性、その真実性、本文の完全性はそれに反対する異論の不可能性、換言すれば「異なる作者の著述であり」「著者の真実性が疑わしい」「その本文は書き換えられている」という反対論の不合理を示すことによって大体は証明されていく。

p. 130

I

--外的証明--

最初二世紀間のキリスト教徒著述家たちも、当時福音書は広く知られ、かつ、こくめいに研究され、キリスト教の世界では、どこにおいても尊ばれていたという事実を明らかに証拠立てている。(詳しくは後述)

福音書が使徒たちの死後百年も経ていない時代、すなわち彼らの記憶がまだ生々しく人々の脳裡に深く印象づけられていた時に非常な尊敬を受けすべての教会で実際に朗読されたという事実は、福音書の純正性を決定的に証明するものであると結論してよいと思う。

福音書中に含まれているすべての真理を証明するため、その生涯を捧げた使徒たちにせよまたその後継者たちにせよ、果たして一連の偽造書を世に出すがごときことを敢えて為し得たであろうか。また、その偽造物を神感による神の言葉なりとして世を欺くがごとき行為に出ることをいさぎよしとしたであろうか。ユデア人改宗者たちが、福音書を猜疑の眼をもって穿鑿することもせず、心から帰依していた旧約聖書と、その権威において同等のものなりとし、やすやすと許容したのはなぜであろうか。またたくさんの異教徒が--彼らのほと

p. 131

んどは高い教育を受けていたが--人間性に対して、厳格過ぎると思われるほどの峻厳な要求をする宗教、かつ、信仰の証には自分の命さえ犠牲にすべしと迫るような宗教に、その根拠とする福音書の純正性をあらかじめ確かめもせずに、たやすく帰依することができたであろうか。また知識あり教養の高い異教徒や異論者が教会に反対せんがためにありとあらゆる反対論をデッチあげたではないか。そして何にもまして聖書は偽物だというような教会にとっては致命的な攻撃を少しでも怠ったことがあったろうか。

キリスト教徒になることがすなわち殉教者になることであった当時、一切のキリスト者が、これらの書を捏造することについて何の異議をも提出することなしに、虚偽と欺瞞とをもって福音史家の書とするために徒党をくむようなことがあり得たであろうか。そしてその偽教典を彼らの肉の肉である子々孫々に絶えざる尊敬を強い、人生の規範としてまた永遠の遺産として伝えるということがあり得たであろうか。以上の観察からわれわれは、福音書の純正性を認めるか、さもなくば荒唐無稽の不合理に甘んずるか、そのどちらかを取らなければならないことになる。

初代著述家の証言

1、福音史家の書いたものは法王クレメンス(95年)スミルナの聖ポリカルポ(150年)その他、使徒の弟子たちによって多く引用されている。ヘルマスの「牧者」(140-150の書)の中にも、ディオゲネトゥスへの

p. 132

書簡にも、95年頃かおそくとも130年頃までに書かれた「十二使徒の教え」(ディダケ)という重要な著書の中にも頻繁に引用されている。

2、サマリア生まれでローマで殉教したユスティヌスは誕生後130年頃に改宗した人であるが、彼は次のように言っている。「福音書は使徒とその弟子の筆になったもので、日曜日毎に行われる教徒の集会に朗読された」と。

小アジア、フィリジアのパピアヌスは、聖ヨハネの弟子であり、また助手であったが、誕生後130年頃書を著して、マルコ福音書のできた時の周囲の事情を説明し、さらにマテオの著作--おそらくはマテオ福音書のことであろうが--についてもいろいろ言及している。
タチアヌスはその著書(Dia tessaron)中に、四福音書のいかにもよく調和しているさまを述べているがこれは誕生後170年頃である。
福音書がアラビア語に翻訳され江湖にその姿を顕わして以来その純正性は、もはや議論の余地なきまでに明らかになった。
聖イレネウスは180年頃、次のように書いている。「ペトロとパウロがローマで宣教し、教会を建てている頃に、マテオはユデア人のためにヘブライ語で福音書を書いた。ペトロ、パウロ、マテオ等の死後、ペトロの弟子でありかつ、伴侶であったマルコは、ペトロから授けられた知識を一つの書にまとめて後世に伝えた。しかしてパウロの門弟であったルカも師パウロの教えを彼の福音書に納めた。さらにその後、キリストの直弟子で主の胸によ

p. 133

りかかったというヨハネは小アジア、エフェゾ滞在中に彼の福音書を公にした。」聖イレネウスの経歴は証明力という点で特種な重要性を帯びている。すなわち彼は小アジア生まれであったが、年少の頃、十二使徒の一人であり福音史家であったヨハネの門下生、ポリカルポの談話に全身耳にしてききほれたものであった。彼はリオンの司教となり、ローマにもしばらく住んでいた。それゆえ彼の証明は当時キリスト教が宣布されていた東西両教会の聖伝とキリスト教精神を代表しているものであろう。従ってその言は決定的な証明力をもっている。
アフリカのテルトゥリアヌスは誕生後200年頃、異端者マルシオンを駁して教権に訴えている。その中に、「われわれの有する福音書中のものは多く使徒時代からのものであるが云々」とある。彼は福音書が使徒、マテオ、ヨハネおよびその弟子であるマルコ、ルカの四人の手になったものであると言明している。
異端者、例えばバジリデス(西紀130年死)や、異教徒、例えばチェルスス(200年頃死)のごときも福音書の純正性に疑念を挿んではいない。
時を経るに従って、純正性の証明はますます多くなっている。福音書のようにその純正性の確実な史的確証を持っている古典はおそら他に一つもないであろう。シーザーが「ガリア戦記」の著者であることは周知の事実ではあるが、それにしてもその著作に関する叙述は、述作後100年を過ぎてから、やっとプルターク、スエトニウスの著書の中に見出されるに過ぎない。

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II

--内的証明--

本文をよく検討して見ると、著者はユダヤ人であり、また彼らの記述したことは、それぞれ著者と同時代のことか、あるいは非常に接近した時代の出来事であることが知られる。

著者がユデア人であることは福音書が当時ギリシャ語なまり(ヘレニスティクといわれた地方的ギリシャ語)で書かれたのであるが、その中には、ヘブライ語の語法の蹟を歴然と見ることができる。ギリシャ語の一般的な形式は第一世紀中、つまり当時ユデア人の間では文章用として用いられていたのである。しかしそれ以後は次第に変わって来ている。

著者はギリシャ文学やギリシャ哲学にはあまりくわしくないようだが、ユダヤ人の宗教、風習、慣例には、詳細にわたってよく通じている。

[註] マテオ福音書は最初ヘブライ語またはアラマイ語で書かれたが、いくばくもなくして、この当時のなまりギリシャ語に翻訳された。
著者はいずれもその記録している事件と同時代の人々であり、あるいは非常に接近した時代の人々であることが明白である。

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近代科学と研究は、福音史家がパレスチナの地形、政治、社会、宗教的状況について残した記録中に何かの誤謬を指摘せんとして失敗した。
これらの情勢、殊に極めて複雑なかつほんの一時的現象などは、パレスチナに住んでいない地方人や他国人または後年の著作家等によっては決して正確に描写され得なかったであろう。
例えば、ローマ人に対する反逆は(66年---70年)成功こそしなかったが、全地に戦禍を巻き起こし、エルサレムを蹂躙し神殿を地上から消滅してしまった。その結果、人口と政府とに異常な変化を来たした。それゆえ、キリストと時を同じうしない、あるいは同時代に密接な関係を持たぬ著作家ならば、その大災害の前の時期を取り扱うにあたってはきっと多くの錯誤を犯したことであろう。
福音書の叙述がいかにも躍如としているのは、著者が記録しているその事件に個人的な接触があったことを物語っているものである。
例えばあるところはローマ人の手によって治められ、またあるところではユデア人の最高宗教議会(サン・ヘドリム)はまだその権限を失っていず、公吏との衝突もまれではなかった。また税金はギリシャの貨幣で払われて商業用にはローマ貨幣が用いられ、神殿への喜捨はユダヤ貨幣が用いられていた。
言葉はヘブライ語とギリシャ語、そしてある場合にはラテン語が用いられていた。一般に公私の生活は、言語の多種多様と、権力の分散とでずいぶん複雑であった。

p. 136

--福音史家の信じ得べきこと--

彼らは事実を知っていて、それらを忠実に記録しているゆえに彼らは信頼に値する。

1、彼らは事実を知っていた。マテオとヨハネはキリストの伴侶であり、マルコとルカはキリストと同時代の人々と親密な交友を続けた人々である。

2、彼らは信頼に値する。

彼らの聖い生涯と福音書に書き誌した真理の証人としてうけた苦難の生活は、彼らの真実性をよく保証するものである。

世俗的見地からこれを見れば、キリストの聖性と神性とを証明する事業において、彼らはすべてを失いこそすれ、何ら得るところがなかったのである。

彼らが自分の記述に不忠実であろうとしても、それはできないことであった。なぜならば彼らはその述べた事件に遭遇した人々のために書いたのであるから。またそれゆえ何か一つの誤謬でも記録していたらならば、露顕せずにすまされなかったに違いない。

福音書中に時としてある個所においては彼らの叙述が一見つじつまの合わないようにも見られるところ

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があるが、よく研究するとそれは立派に調和していることが知られ、またそれがいかにも深い根拠をもっていることが解る。もし彼らが詐欺師かあるいは知識の受け売りならば矛盾はもちろん、矛盾と思われそうな記述はこれを削いたに違いない。

彼らはキリストの風貌を、決して自分勝手に創作してはいない。キリストの人格と容姿は高潔にして慈愛に溢れ、また悲劇的で、いわば、恍惚とした没我のそれであって、福音書の描写するようにまったく特異な輪郭をもっていた。それゆえキリストに関する容姿の叙述は福音史家のような人々の創作能力をはるかに越えたものであったのだ。また一方当時のユダヤ人--福音史家もユダヤ人であったが--は皆、メシアはダウィド王国を再建するために来ると確信していた。であるからキリストの教えをきくまではキリスト自身、十字架の酷刑をうけて生を終わろうとは何者も夢想だにしなかったのである。

--福音史家の完全性--

福音書はそのままの状態で現在に伝えられた。すなわち変化も附加もない。この本文の純粋さは次の諸点から確証される。

1、四福音書に対する教会の尊敬と偽福音書に対する断固たる排斥態度。

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2、福音書が教会の初代から公式礼拝において、非常な尊敬をもって読まれて来たという事実。

3、福音書が全世界のキリスト教界にあまねく普及していた事実。

4、あらゆる写本が本質的に一致していて、その中には第四世紀に源を発しているものがある。

[註] ペトロ、トマスおよびヤコボ等の手になったといういわゆる福音書は、使徒直後の時代には読まれていたが、教会はそれらを贋物として禁止した。
また、一般民衆がいかに福音書を評価していたかは聖アウグスティノが彼の同僚たるアフリカの一司教のもとに惹起した事件として記録していることからも窺い知られる。すなわち、ヨナスの預言の翻訳中、ヒエロニモが、へうたんという言葉のかわりにつたという言葉を使っているが、司教はこれを教会で朗読する時、それを聴く信徒がきっと怪しく思うであろうと心配して、ぜひ元のように変えなければならぬと感じた、云々と。。

B 使徒行録とパウロの書簡の歴史的価値

--使徒行録--

使徒行録の冒頭とルカ福音書とはこの二書の著者が同一なることを証明している。使徒行録から多く

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の文章を引用しているイレネウスは、ルカがパウロの伴侶であって、彼の仕事の記録者であったと言っている。聖書の目録を載せたムラトリウムの断片は「しかしすべての使徒の行動は、テオフィロのためにルカが書いた一冊の本におさめられている。彼はすべての目撃者であった云々」と記している。

同様の声明がテルトリアノ、アレキサンドリアのクレメンス、その他の著書に見られる。懐疑者ルナンですら、「使徒行録が第三福音書とその著者が同一であり、また一つの続編であることは疑念の余地がない」と言う。

ハルナックもこれと同意見である。本文の完全性と、著者の真実性とは福音書の場合とまったく同じであるから、ここに繰り返す必要はないと思う。

--パウロの書簡--

反対論者は、ロマ書、コリント書、ガラチア書、フィリッピ書、テサロニケ書、における純正性は等しくこれを認めるが、ヘブレオ書以外の使徒書は使徒の指導のもとに、あるいはその影響の下に書かれたに過ぎないと主張する。われわれは彼らが排斥したり疑っている使徒書の権威を明らかに示すのに少しも躊躇するものではないがここではそれが議論の目的ではないから後章にゆずることにする。

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--反対論者の見解とその批判--

ストラウス(1808-1874)は次のように言っている。「福音書は西紀200年頃に書かれたキリスト教神話であって、著者は理想のキリストを描き出しているのだ。それでわれわれは本当のキリストは皆目解らないのである」と。
今日、真面目な学徒はかような説をまったく認めていない。こういう珍説はある種の大衆小説と同じように、宗教教育を十分受けていない信徒を惑わす力があるものだということを注意しておけば十分であろう。
パウエル(1792-1860)の創立になった、チウビンゲン学派の後年の代表者が言うには「聖パウロこそ、キリスト教の真の創立者であろう。キリストの神性、秘蹟、可視的教会の教義を発明したのは聖パウロである」と。
ルアジー等のように近代主義的傾向を持つ学者は一般に同意見をもっているようである。

--応答--

聖パウロは自ら宣教した信仰のために苦しみ、その信仰のゆえに殉教している。彼はキリストの談話に耳を傾けた多くの人々がまだ沢山生きている間にこれらを書いたのである。

であるから、たとえ彼が師の教えをまげたり偽ったりしょうにも、できなかったであろう。発覚せずにすまされるはずがなかったのである。その上ここに特記すべきことは、もしキリストが神でないならば、彼は

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決してキリストを神化し得なかったであろう。そしてまた、当時のキリスト者もそれを認めるはずがなかった。なぜならば、初代キリスト教徒は皆、ユデア人で、彼らは冒涜に関しては、甚だしく鋭敏であったからである。

合理主義者の間でも最高の学者であり、聖書学高等批評家の最新鋭を代表するハルナック(1930)は、「共観福音書は西紀70年以前に書かれたものだ。また西紀80年から118年までに書かれたと見られるヨハネ福音書は、共観福音書におけるような、歴史的価値は認められないとしても、キリストが神の子たることを証明しようという目的を果たしている点では、共観福音書と同一価値がある」と言っている。

われわれが見るところでは、最も重要な三点をハルナックは証明している。

1、福音書の記録年代についてわれわれが主張するところは正しい。

2、共観福音書は歴史性を有している。

3、共観福音書はキリストを神の子なりと明言している。

ハルナックの結論は教会にとっては勝利である。新約聖書は仇敵でもあるかのように横暴に取り扱われかつ批判された。しかもその手からまったく無傷でそのままの姿を厳然と保っているのである。

第VI章 イエズス・キリストは自らを神なりと主張している

要旨 キリストが自ら神なりと主張した事実の証明。
I 1、三福音書に録された彼の講話から。
2、聖ヨハネ福音書に見られる彼自身の言葉から。
II キリストの業績
III 使徒および彼の弟子たちの確信。

I

1、三福音書は、キリストが自ら神なりと主張している事実を確認している。

--神の子なるイエズス--

イエズスが衆議所に出廷し給いし時、「大司祭再び問いて、汝は祝すべき神の子キリストなるか、と言いしかば、イエズスこれに曰いけるは、しかり、しかして汝ら人の子が全能にまします神の右に坐して空の雲に乗り

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来るを見んと。ここにおいて大司祭おのが衣服を裂きわれらは何ぞなお証人を求めんや。汝らは冒涜の言を聞けり。これをいかに思えるぞ、と言いしに一同イエズスの罪死に当たると定めた」のである。(マルコ 14:61-64)ここで問題になるのは「神の子」という言葉である。聖書の用法によれば、神の子は時として転義的に「神の友」あるいは「神の僕」という意味で用いられている。しかしこの場合、神の子が転義的に言われ、解されたものとすれば、衆議所は冒涜の言、すなわち神を辱めるものと判決することはなかったであろう。ユデア人は自分たちは「神の子」なりと誇っていた。それは、神に対する全的帰依を表す意味でわれは神の子なりという広義の表現なのである。しかるにイエズスの言葉は真の神の子、神と同性質を有する存在として理解されたゆえに、冒涜を形成したのであった。そしてこの冒涜のゆえにこそ、衆議所は彼を死刑に処断し、イエズスはこれを甘受した。

一日カイザリア近傍で、イエズス、「弟子たちに問いて、人々は人の子を誰なりと言うか、と曰いしかば、彼ら言う、ある人は洗者聖ヨハネなりと言い、ある人はエリアなりと言いある人はエレミヤもしくは預言者の一人なりと言うと。イエズス彼らに曰う。しかるに汝らはわれを誰なりと言うか、シモン・ペトロ答えて汝は活ける神の子キリストなりと言いしに、イエズス答えて曰う。汝は福なり、ヨナの子シモン、そは汝に示したるは血肉に非ずして天にましますわが父なれば」(マテオ 16:13-17)。この時までイエズスは

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明らかにおのれを神の子なりとは曰わなかった。それゆえシモンの宣言には特別な照らしが必要であって、ここにおいても同様転義的意味で言われたのではないことは明白である。転義的な用法からすれば、洗者聖ヨハネ、エリア、預言者群も等しく神の子であったし、シモンが転義的意味で宣言したものとすれば天父よりの啓示を必要としなかったはずである。

--神と等しきイエズス--

「一切の物はわれ父より賜りたり。父の外子の誰なるかを知る者なく、子および子が敢えて示したらん者の外に父の誰なるかを知る者なし。」(ルカ 10:22)キリストはその権力と知識とにおいて神と等しき者なりと主張している。

「人の子おのが威光をもって諸々の天使を従え来たらん時...かくて万民をその前に集め、彼らを別つことあたかも牧者が羊と牡山羊とを別つがごとく、羊を右に牡山羊を左に置かん。」(マテオ 25:31-32)

彼は全人類を裁くために再臨すべきことを宣言している。かくのごとき言葉をおのれについて語り得る者は神を措いてあろうはずがなく、神のみ万民の内心を読み各々に相当した正義の賞罰を与え得るのである。同じく審判の日に彼は言う。善人に向かっては、「汝らがわが最も小さき兄弟の一人に為したところは、ことごとにわれ

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に為ししなり」と。悪人に向かっては彼らが為し得る善事の怠慢は等しく彼に対する善の怠慢であると。このゆえに彼は善者を嘉し、悪人をその懐より投出し給う。すなわちおのれを神と同一なりとするのである。

--神の律法を制定するイエズス--

ファリザイ一派の輩がイエズスの弟子たちが安息日を犯したとイエズスに訴えた時、これに答えて、「そは人の子はまた安息日の主なり」(マテオ 12:8)といって安息日の誡は立法者たる神すなわち自分によって取消し得べきものであると述べている。

山上の垂訓中にも「殺すなかれ、殺す人は裁判せられるべしと古の人に言われしは、汝らの聞けるところである。されどわれ汝らに告ぐ、すべてその兄弟を怒る人は裁判される」(マテオ 5:21-22)とある。この談話を通じて「汝らの聞けるところなり--されど汝らに告ぐ」という対句をしばしば繰り返し、自分の宣言を強調している。これは、その昔シナイ山において律法を公布した天父と等しい権を有する立法者たる自己を宣言しているに他ならない。イエズスはそれらの律法を広め、また新しい解決をする権あり、という。なぜなら、彼は神であり、律法の主であるからだと主張しているのである。

2、ヨハネ福音書に見られるキリスト自身の言葉。

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ユデア人はキリストの、われは神なり、との宣言をそのまま理解した。イエズスはユデア人に向かってわれと父とは一なりと曰う。この言をきいて彼らは、汝人にてありながらおのれを神とするか、といって石をなげうたんとする(ヨハネ 10:30-33)。

ふたたび安息日に癒したるをゆえをもってイエズスを譴めたユデア人に答え給う。「わが父は今に至るまで働き給えばわれも働くなり」と。この言明のゆえに「ユデア人いよいよイエズスを殺さんと謀る」のである。それはただに安息日を冒すのみならず、神をわが父と称しておのれを神と等しき者としたからである。ここでイエズスは自分の言葉が誤解されていると思って弁解するどころか、さらに続けて言う「けだし、すべて父の為し給うことは子もまた同じくこれを為す...父が死人を起こして生かし給うがごとく、子もまたわが思う者を活かすなり。」

イエズスはその他の神的権能をも強調している。ユデア人が彼に、汝未だ50歳にも満たざるに、しかもアブラハムを見たのかと言うに答えて、「誠に実に汝らに告ぐ、われはアブラハムの生まるに先だちて存す」と。(ヨハネ 8:57-58)

また「父は審判を悉く子に賜いたり、これ人皆父を尊ぶごとく子をも尊ばんためなり。」(ヨハネ 5:22-23)

ニコデモとの談話中に、「神の子」と信ぜざる者はすでに審判せられたり。そは神の独り子の御名を信ぜざればなり」(ヨハネ 3:18)と述べている。

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イエズスはまた、自身を「生命に到る門」われらがその枝の一部なる「ぶどうの木なり」と言い、「道」なり、「真理」なり、「生命」なりと強調してやまない。

受難前、天父に祈願して言う。「父よ世界の存在にさきだちてわが汝と共に有せし光栄をもって、今汝と共にわれに光栄あらしめ給え--わがものは悉く汝のもの汝のものはわがものなり。」(ヨハネ 17:5:10)

このようにヨハネ福音書においても、他の共観福音書においても同種のテクストは枚挙に遑がない。

II

--キリストの業績--

イエズスは神の使者としてのみならず、神御自身として多数の奇蹟を行っている。「されどわれもしこれを為さば、敢えてわれを信ぜずとも、業(奇蹟)を信ぜよ、しからば父のわれにましまし、われの父にいることを悟りて信ずるに至らん。」(ヨハネ 10:38)

イエズスは人々に自己を神として拝することを要求している。

キリストが生まれつきの盲者を癒した時その盲者に尋ねて言う。「汝神の子を信ずるかと曰うに、彼答えて

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主よわがこれを信仰すべき者は誰ぞ。イエズス曰う。汝と語るものそれなり、と。彼は主よわれは信ずと言いて平伏してイエズスを拝礼した。」(ヨハネ 9:35-38)

イエズスは固有の権をもって罪を赦している。「中風者に向かい、子よ汝の罪赦さると曰いしかば、ある律法学士ら心に思いけるは、神独りの外誰か罪を赦すを得んやと、イエズス彼らのかく思えるを直ちにその心に知りて曰いけるは、何すれぞさる思いを心に懐ける。中風者に汝の罪赦さると言うと、起きて床を取りて歩めと言うといずれか易き。さて汝らをして人の子地において罪を赦すの権あることを知らしめん、とて中風者に向かい、われ汝に命ず、起きよ、床を取りておのが家に往け、と曰いしに、彼たちまち起きて床を取り、衆人の見る前を過ぎ行けり」(マルコ 2:5-12)と。

涙もてイエズスの御足を濡らし、おのが毛髪でこれを拭い御足に接吻したマグダレナに向かってイエズスは曰う。「汝の罪赦さる」。そして共に食卓についていた人々に向かって、「この女は多く愛したるがゆえに、多くの罪を赦さるるなり」と。(ルカ 7:48)

神に対する愛によってのみ罪は赦されるのである。それゆえ、イエズスは自分に対する愛は神に対する愛に等しいと宣言しているのである。換言すれば彼は神たることを強調していることはうたがいない。

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III

--使徒並びに弟子たちの確信--

イエズスの死後、彼の弟子たちは、それがユデア人たると異邦人たるとを問わず、師の神性を宣言していること、そしてそのために困苦をなめ、その証明のゆえに殉教している史実を何人も否定することはできない。

まさしくイエズスが自ら神の子たることを宣言した、という事実を、彼らが知りかつ確信していたことによってのみ説明し得られるではないか。

以上イエズスが神的権威を主張している事実を見た。彼は神より遣わされた人、神自身であることを主張している事実を見たわれわれは、次の章においてこの主張の真実性が奇蹟によってさらに決定的に立証されることを知るであろう。

第VII章 真の神なるイエズス

おのれを神なりとするイエズスの主張は奇蹟と預言によってその真理性が確証される。

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キリストの神性は以下三つの論題において証明される。
I A キリスト自らの奇蹟。
B キリストの預言。
C あらゆる預言がキリストにおいて成就している事実。
II キリストの復活。
III 自己を神なりと主張するキリストの人間、教師としての崇高完全なる人格。

I

--イエズスの「われは神なり」との主張がまさに事実であることは奇蹟並びに預言によって確証される。--

A

--キリストの奇蹟--

イエズスは地上生活中に多くの奇蹟を行った。一言をもって、病人、盲、唖、跛を全癒し、中風者を癒した。時には遠隔の地にある人に平癒の恵みを与え給うたことすら稀ではない。特記すべてきものに生まれつ

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きの盲人の全癒がある。(ヨハネ 9)

死者の蘇りにはヤイロの娘、ナイムの寡婦の子、およびラザルが語られている。

また、悪霊にとりつかれた者を平癒せしめたことによって、悪霊界におけるイエズスの権力も明らかにされている。彼の奇蹟は人間界に関するものばかりではなく、水を佳き酒に変え、五個のパンと二尾の魚をもって五千人余の人々を飽食せしめ、一言をもって暴風を静め、水面を歩み給うているごとく、物質界においても種々の奇蹟を行っている。

かかる奇蹟を(1)使徒群の妄想、あるいは(2)悪霊の所為、さては(3)催眠術作用ないしは動物磁気作用をもって自然に説明し終わせようと努力する人々もあるが、とうてい成功は望まれない。

--妄想説--

妄想と説明する人々は、奇蹟と言わるる事件はすべて簡単な自然的出来事であったものを、信じ易いキリストの弟子たちは、それを何か超自然の出来事のように妄想したに過ぎないと言う。

しかし、奇蹟は白昼公然と民衆の前で行われたので、その真実なることは悪意あるキリストの敵どもにさえ、うたがう余地を残さなかったのである。

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--悪霊説--

悪霊の所為なりとする人々の努力も、キリストのひととなりとその教義を一応研べることによって水泡に帰すであろう。崇高なるキリストがはたして悪霊の下僕たり得ようか。悪霊を放逐し給うたキリストは彼らの大敵ではあっても下僕ではあり得ないことは明瞭である。

--催眠術あるいは動物磁気説--

ある種の神経系統病ならば催眠術、動物磁気作用によって癒し得るかも知れない。しかし一瞬にして癒すことも、また遠隔の地にある者を癒すこともできない。キリストの平癒し給うたのは、その疾患のいかんを問わず、多くの場合病者の臨席を待つことなく癒し、また、病人の方では癒され得ることを知らずにいて立派に癒されている。ともあれ、催眠術作用では死者の蘇りはいかに説明すべきかを知らない。

キリストは自身、神よりの人である証拠に、かかる奇蹟を行ったのである。「わが為しつつある業そのものが父の我を遣わし給いしことを証するなり。」(ヨハネ 5:36)と曰う。それゆえ彼の教義は神の教義であり、おのれを神なりとする彼の教義は真実である。

B

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--キリストの預言--

キリストは人智によってはとうてい予知し得ない多くの事柄を預言している。

まず自己の将来に関しては、受難、復活、昇天があり、弟子たちの将来に関しては、ユダが師を売るべきこと、ペトロが師を否定すべきこと、彼の弟子たちが師を棄て去るべきこと等があり、彼の創設すべき教会の将来に関しては、教会がカラシ種のごとく強力な成長力を有し全人類を抱擁するであろうこと、しかも地獄の門もかれに勝つことがないこと等が数えられる。

これらの預言の成就はキリストの教えが神の教えであることを立証している。しかしてまたキリストの神であることも結論できるのである。

エルザレムの滅亡に関する彼の預言こそ、決して見逃してはならない特記すべき預言である。曰く、「けだし、日まさに来たらんとす。すなわちその敵ら塁を汝の周囲に築き、取り囲みつつ四方より迫り汝とその内にある子らとを地に打ち倒し、汝には一つの石をも石の上に遺さじ」(ルカ 19:43,44)「そは地上に大いなる難ありて怒りはこの民に臨むべければなり。かくて人々は剣の刃に斃れ捕虜となりて諸国に引かれ、エルザレムは異邦人に蹂躙されん。」(ルカ 21:23,24)

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これがキリストの預言であるが、いかに正確に成就したかはフラヴィウス・ヨゼフスの著作で、ローマ皇帝ティトスの命によって7巻にまとめられた「ユデア戦記」を見れば分かる。イエズスの預言が文字通り適中しているのに驚かざるを得ない。

[註] フラヴィウス・ヨゼフス(37-98)。彼はユデア人であった。彼は始めローマ人に対抗したが、捕虜となり、後に解放されてエルザレム滅亡の時はティトス皇帝の下に仕えていた。

ローマ遠征軍は占領した町々、特に神殿は壊滅させないで保存せしめるというのが通例であったので、エルザレム市の徹底的壊滅はユデア人のまったく予期していなかったところであった。

ローマ皇帝、背教者ユリアヌス(361-363年)はキリストの預言を目の敵としたらしく、エルザレムの神殿を再建し、ユデア独立国とユデア教を再興せしめて、キリストの預言をくつがえさんとした。

彼の命により離散していたユデア人は熱狂して馳せ参じたことは言うまでもない。そしてこの試みに熱中して取りかかった。皇帝附き護衛官の一人で異教徒著述家、アンミアヌスは歴史の中でも最も明らかな史実として次のごとくその成り行きを記録している。「ユリアヌスはこの大業を、以前ブリタニア副官たりしアルヴィウスに委任した。アルヴィウスは全精力を傾けてその任に当たり、エルザレムの総督がこれ

p. 155

を補佐した。しかるに、怖るべき火の巨塊が土台付近から吹き上げ始めた。しかし労働者が焦け死んで、ついに近づき得なくなるまで、その仕事は続けられた。この荒れ狂う火のために彼らの事業は中止のやむなきに至った」と。

C

--キリストにおける預言の成就--

多くのユデア人は彼らの聖書、すなわち旧約聖書に見られるメシアに関するあらゆる預言がキリストにおいて完成されたことを知って、キリスト教に帰依したのであった。

われわれはここに旧約聖書が神感書であるか、純正な書物であるかを問題にはせず、ただ何者も否定し得ない一点だけを明らかにして論を進めてゆく。すなわちこれらの書物がキリスト誕生のずっと以前から存在していたという事実がそれである。

ユデア人の宗教は待望の宗教で、この宗教の中心教義は来たるべき救世主、メシアへの熾烈な希望を裡に秘めた待望にあった。しかして来たるべき救世主に関して預言されていた事柄は、悉くキリストにおいて正確に成就されたのである。

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メシアに関する預言の主要なるものを挙げてみよう。

彼はダヴィドの後裔であって、(イザヤ書 11-1,2)
ベトレヘムにその誕生をみる。(ミケアス 5:2)
彼は処女なる聖母より生まれ、(イザヤ書 7:14)
神の真子と謂われる。(詩編 2:7)
彼はナザレト人と称せられ、(イザヤ書 11:1)
その王国は栄える。(イザヤ書 9:7)
彼の王国は攻撃を受けるであろうが、永遠に滅びない。(詩編 2:1,4)
彼は一切の人間を裁き、義人には光栄の冠を与える。(イザヤ書 24:25)
しかし彼は悲しみの人であり、誹謗され、貧に甘んずる。(イザヤ書 8:10)
彼は銀貨30枚で売られ、銀貨は焼物師の畑を買うに用いられる。(ザカリア書 11:12,13)
彼は自ら望んで犠牲となり口を開かない羊が屠所に曳かれるごとく、毛刈り込み人の手中にある羊のごとく口を閉ざしている。(イザヤ書 58:7)
彼の四肢は貫かれ、その上衣は頒けられ、その衣は籤引きにされる。(詩編 21:17,19)

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光となり地の果てまで救いをもたらす。(イザヤ書 99:6)

天父は不滅の王国を建設し給う。(ダニエル書 2:44)なおその他にもメシア個人に関する直接の預言に加えて、ユデア教がその一般組織とその細目において、メシアの偉業の前表と、また彼の創設するであろう教会の教義と秘蹟に関する前表を裡に蔵していた事実もここに挙げ得る。ともあれ、これらの預言が全部一個人において完成されているという事実は、単なる偶然でも、また人間的工作によってもなし得るものではない。従ってここに神の大業を認めねばならなくなり、キリストは、約束された救世主であるという結論が自ずから明白になる訳である。そうすると、彼の教えが神的権威を持つことが知られ、おのれを神なりという教えは真理であると必然に肯定されなければならない。

[註] 預言にはキリストが永遠の王国(教会)を建設するであろうといい、また、全人類の審判のために再臨するであろうといっているが、これらはもちろん厳密な意味で、すでに成就されたとは言われない。この成就は、世の終りの時始めて成就すべきものである。しかしキリストは、自分が永遠の王国の建設者であり、全人類を審くべき者であるということを意味している限りにおいて、その預言もすでに成就されているのである。

しからばなぜ、全ユデアの民衆がかくも明白にキリストにおいて預言が成就したことを認めなかったのかという疑問が当然起こって来る。しかも、救世主降臨の期が熟すにつれてメシア待望の憧憬がますます熾烈になっ

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て来ている事実を想い合わせると、問題はさらに解きがたいかに見られる。

これは一応もっともな疑問ではあるが、一方的な見方に過ぎないことは次のごとき考察で明らかになると思う。

キリスト降生前後のユデア人は道徳的に甚だ頽廃していた事実を指摘しなければならない。フラビウス・ヨゼフスの言を借用すれば、ローマ軍が彼らを罰しなかったとしても、地震か洪水、さなくばソドマの猛火が彼ら不徳なる民を呑みつくしたに違いないとあるが、確かに彼らの不義、悪徳がキリストの福音に耳を傾けさせる大障害となったのである。

また、当時ユデア国の指導者階級はファリザイの徒、および律法学士等によって占められていた。ところがキリストは、彼らの虚傲と偽善とを容赦なくあばきその非を責めた。彼らはそのゆえにキリストに対する憎悪に浮き身をやつしていたので、キリストの言葉を公平に検討せず、遂に真理を認め得なかったのである。

これに加え、ファリザイの徒は聖書の偽解、異民族よりの圧迫、民族的過度の自負心が各々その一部の原因となって、来たるべきメシアをまったく世俗的君主なりと予想し、メシアは彼らを罪より救う者ではなく、ローマ帝国支配の束縛を打破して、遂にこの世の王国を築く偉大なる王であるという誤った観念を抱懐していた。霊界におけるメシアの勝利を、世俗的君主王国の勝利と履きちがえていたのが当時一般の通

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念であった。使徒たちでさえ、こういう民衆の信念から脱却することが非常に困難であったらしく、キリスト昇天の直前「主よイスラエルの国を回復し給うのはこの頃なるか」(使徒行録 1:6)と尋ねているのを見てもその一端が窺われる。

こういうわけでユデア民衆が救世主を認め得なかったのである。

II

--キリストの復活は彼の神性の確証である--

要旨 キリストは自己の神性を宣言し、その証明のゆえに死者の中より蘇るべきことを明言している。しかしてその言のごとく復活し給うたゆえに、キリストは神である。復活に関する目撃者、証人等の真実性は疑う余地がない。そして最後に復活に関する異論とその考察を加えよう。

--キリストは死者の中より蘇るべきことを明言している--

「死より復活すべし」というキリストの宣言。

ユデア人が彼の権威の証拠として、奇蹟を要求したときに答えて、「汝らこの神殿を毀て、われ三日の中に

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これを起こさん」(ヨハネ 2:19)と。福音史家は、この言を説明して、主はおのが体の神殿を指して曰うたのであると言っている。

キリストは後にさらに明瞭に、「奸悪なる現代は徴を求むれども預言者ヨナの徴の外は徴を与えられじ、すなわちヨナが三日三夜魚の腹にありしごとく人の子も三日三夜地の中にある」(マテオ 12:39-40)と言い、また、タボル山における変容の後、ペトロ、ヤコボ、ヨハネを戒めて、「人の子死人の中より蘇るまでは汝らが見しことを誰にも語るなかれ」(マテオ 17:9)と言っている。

エルザレムにおける受難前、彼はあからさまに言明して曰う、「今やわれらエルザレムに上る、しかして人の子は司祭長律法学士等に付されん、彼らはこれを死罪に処し、また異邦人に付して弄らしめかつ鞭うたしめかつ十字架に釘づけしめん、かくて三日目に蘇るべし」と。(マテオ 20:18-19)復活に関する彼の預言は一般に知れ渡っていた事柄で、その証拠に、彼の死後ユデア人がピラトに申言して、「君よわれら思出したり、かの偽預言者なお存命せし時、われ三日の後に復活せんと言いしなり」と言っている。

--キリストの死と埋葬--

四福音史家はキリストが十字架上に死去した事実を一様に物語っている。兵隊がすでに彼の死したるを認

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め、彼の脛を折らなかった。兵隊の一人が槍で彼の脇腹を貫いた。アリマテアのヨゼフが主の埋葬許可を願い出ると、ピラトは百夫長を召して、キリストの死の真偽を確かめて後許可を与えている。(マルコ 15:43-44)

十字架の至酷な加刑から考えて見ても、キリストの敵どもが彼の息の根を止めずに、中途半端でやめたとは考えられない。また、「彼のなお存命せし時」、「彼の死を確かめた後許可を与えた」云々はキリスト今は死者の中にありとの事実を言外に語っているのである。

--キリストの復活--

福音史家は三日目の朝にキリスト[の墓]が空なのを発見したと録している。キリストはマリア・マグダレナと他の婦人たちに現れ、使徒たちに現れて彼の傷痕を示し給うた。「わが手、わが足を見よ、すなわちわれ自身なり、撫で試みよ、幽霊は汝らがわれにおいて見るごとき骨肉ある者に非ず、と曰いて後共に語り共に食し給うた」(ルカ 24:39-43)。

エンマウスへの途上二人の弟子と共に歩みパンを割く様子より二人は主を認めた。(ルカ 24:35)

また、「彼は百人以上の兄弟に一度顕われ」しが最終にはパウロにも顕われ給うた。(1コリント 15:6-8)

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--目撃者と証人の真実性--

彼らは決して欺瞞されていたのではない。彼らには、虚偽の証明をしなければならない理由も障害もなかった。この証明の後に続く、彼らの労苦と受難、それに加えて宣教の好結果は彼らが信頼に値する人々であり、まことの目撃者であることを裏書きしている。彼らはまた、自分を欺瞞したのでもない。もしも彼らが自分を欺瞞していたとするなら、それは彼ら自身の作り話か、あるいは、キリストから騙されたかのいずれかでなければならない。しかるに彼ら自身の作り話、また彼らの強烈なまでの確信、キリストが復活後彼らと共にあった時間の長さ等から見てもとうてい考えられない。

またもしも、彼らがキリストから騙されたのだとするなら、われわれは彼が十字架上で死なないで、単に気絶しただけであり、高潔な、至聖なる彼が、その欺瞞を全世界に宣布させて、あたかも死より蘇ったかのごとくに見せかけたり、また神が欺瞞と冒涜の宣布事業を奇蹟的成功をもって祝福したという、考え得べからざることを想像しなければならなくなる。

反対論者の諸説とその考察

--欺瞞説--

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この説は復活を自然的に説明し去ろうとした極めて古くからの仮説であって、弟子たちの真摯性をあたまから否定してかかっている。すなわち、墓の番兵が眠りこけている間に、弟子たちがイエズスの遺骸を盗み去ったと言う。福音史家は、この説を流布するために番兵たちが買収されたと録している。この説はユデア人の間に相当広く行き渡っていた。(マテオ 28:11-15)

しかし、もしも番兵が眠っていたとすれば、その間に起こった事件の真相を知り得るばすがなく、「醒めて見ると墓が空だった」ということしかできないはずだ。そこで、もしやキリストの弟子たちがその間に遺骸を盗み去ったのではないかと憶測し得るかも知れない。結局これが単なる憶測に過ぎないか、その可能性があり得たかが問題となるであろう。

イエズス受難の当時、恐怖の余り、慄えていた臆病者の弟子たちが、遺骸を盗み出すというおおそれたこと、そしてまた世を欺くためにのみ、このような命がけの冒険を敢えて為し得たであろうか。また何のためのかかる欺瞞ぞ。キリストが復活しなかったことを実際に知っていたとすれば、キリストが彼らを欺いたことを知ったであろうし、したがってキリストは神に非ず、また何者にも非ずという確信を持ったであろう。では何のための宣教か。かかる欺ける復活の宣教から彼らの儲け得たものは何であったか。その報酬は周知のごとく、迫害であり、絶えざる労苦であり、さらに良心の呵責であったろう。

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他方、彼らがただ大司祭の許に走り、キリストが大詐欺師であると訴え出さえしたら、多額の報酬は期せずして彼らのふところに転げ込んだのである。

彼らにとってキリストの復活を口外しない方がどれほど得策であったことか。しかるにかかる環境も条件も実際には何らの価値もないかのごとく、彼らの口を突いて出たのは「復活せるキリスト」の宣言であった。そして何者も予期し得たであろう迫害と困苦の生涯へひたむきに進んで行ったのである。

ペンテコステの日彼らは何の武装もなくただひたすら復活せるキリストの宣言のために民衆の前面に立ち上がったのである。そしてその日に、エルザレムにおいてのみでも三千人の人々がペトロによって授洗され、キリストに帰依している。ペトロは言う、「神はこのイエズスを復活せしめ給えり、われらは皆その証人なり....その肉体は腐敗を見ざるなり」(使徒行録 2:32, 31)と語った。数日後ペトロは再びキリストに関して、彼が生命の主なること、神が彼を死者の中より蘇らせ給うたことを述べている。(使徒行録 3:15)復活は数週間前の出来事であったのだから、改宗者の誰もが、自らその証拠を仔細に調べることができたのである。パウロの言によると、「主はペトロに現れ、その後また十一人に現れ、次に五百人以上の兄弟に一度現れ」ているのであるから他に証人、目撃者がいくらでもあったに違いない。(1コリ 15:5-6)

かくして各階級、各種族を網羅した改宗者は日に続々と速やかにその数を加え、数年を出でずして百万

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をもって数えるに到った。使徒の信念と確信もさることながら、彼らもまた彼らの師と等しく信仰によって困苦と死とを獲得したのみであった。ゆえに彼らは皆使徒の真実性を絶対的に認めていたのである。

聖アウグスチノは、復活が事実でなかったとするならば、数人のガレリアの漁夫によって、かく信ぜしめられた世界の改宗ということは復活に勝る大いなる奇蹟でなければならないと言っている。

--昏睡説--

この説はキリストが実際に十字架上で死んだのではなく、ただ仮死の状態で葬られ、墓中で蘇生し、徐に石を除去し、弟子たちに復活したという印象を与えたのだと主張する。

しかし、キリストが実際に受けた精神的苦悶、鞭刑、茨冠、十字架の刑、特に脇腹に加えられた槍の貫通はいずれも致命的なもので、昏睡あるいは仮死をまったく不可能ならしめるものである。仮に昏睡が事実だったとしても、多量の流血によって、疲労困憊、瀕死の状態に置かれていたキリストがいかにして巨大な石を除去し得たであろうか。そしてまたかかる有様で死に勝ったという大芝居をうつことができ得たであろうか。全身血まみれ傷だらけの身体でエンマウスへと急ぐ若者と歩を共にし得たであろうか。閉ざされた扉を開かずに食堂へいかにして入り得たであろうか。また望むままに顕れたり姿を消したり、多数の弟子たちの眼

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前で昇天したと信じさせる演技をいかにして為し終わせ得たであろうか。

最後に自ら神の子なりという宣言の真実性を十字架の苦悶をもって証明した聖者が卑劣なる欺瞞者であったと想像することは許されない。いわんや、弟子たちに、世界の果てまでも、その虚偽を宣布せしむるような熾烈なる熱情に燃え立たしめ得たとはいかにしても考えられない。這般の理由を知ってか知らずか、ともあれ、合理主義者シュトラウスすら昏睡説を一考の余地なき架空の説なりと放棄している。

--幻想説--

これは現代においてもなお唱道されている説であって、彼らの主張によれば、死の磔刑に遭った弟子たちの神性が異常な興奮状態にあったため常日頃、至愛なる師が死を征服して再び来るものと盲信していたしまた、熱狂的に待望していた結果、かかる精神的異常な状態に陥り、一種の幻想に捉われて、師の蘇った幻を見たのだと言う。

なるほどありそうなことではあるが、それにしてもある一個人の精神状態について云々するばあいにはこの種の幻想もあながち不可能ではないかも知れない。しかし、全使徒および数百人もの弟子たちが同時にしかも

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長期間、幻想という同じ疾患に罹ったていたというのは詭弁以外の何物でもない。のみならず、使徒たちが主の復活を熱狂的に「待望」していたという主張はまったく架空事である。彼らは期待してさえいなかったのだ。イエズスがユデア人に捕らわれたと知るや、弟子たちは恐怖に捉われ一切が空に帰した、一切がおしまいだと信じて失望していたのであった。

彼らは復活に関する師の預言は確かに聞いていたが、師の死を如実に連想したことがなく従って復活などは夢にも思わなかったのである。例えばマグダレナと他の婦人たちが日曜日の早暁、香油を携えて墓へ急いだのは、死体にそれを塗るためであって、主の復活などは毛頭も期待していず、空な墓を発見した時、何よりも先に考えたことは、誰かが主を盗み去ったということであった。(ヨハネ 20:13)

キリストが彼女に話しかけた時すら、最初は園の番人と思ったのだ。哀哭している使徒たちに彼女が、主を見たと告げたのであったが、イエズスが活きてこの女に現れ給うたことを信じなかった。二人の弟子がエンマウス途上にて旅人の姿を借りて主が現れ給うた、と告げても、使徒たちはそれを信じようとしなかった。(マルコ 16:11-13)

使徒トマはイエズスが弟子たちに現れ給うた時不在であったが、他の弟子たちが主を見たと言うに対して「われはその手に釘の痕を見、その釘の処にわが指を入れ、その脇にわが手を入るるに非ざれば信ぜじ」と

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頑固に反抗したのである。(ヨハネ 20:25)

以上見たように、復活を証明する人々は復活という事実に関する限り、決して信じ易い人々ではなかったことが明らかになった。それでいずれにしても幻想説の根拠はすこぶる薄弱たらざるを得ない。

--チェルススの反論--

キリストは復活後なぜ公然と全民衆、すなわち彼の敵等にも現れなかったのか、という質疑を最初に提唱したのはチェルスス(200年死)であったが、後世ルナンその他によって再び取り上げられるに到った。

神は、賦与された自由意志をもって神に帰依することを望み給う。また原則として悪意ある者どもの意志を強制的に曲げるために特別な方法を用いない。神は信仰が合理的なりとの明らかな、充分な証明を与えるだけで満足する。ここでキリストの喩え話を聞こう。さる富豪が地獄よりアブラハムを呼ぶ、父よわれに五人の兄弟あり。彼らをこの苦悩の処に来らざるよう証明せしめよと。アブラハムこれを拒否して言う。モイゼと預言者とあれば彼らはこれに聴くべきなりと、もしモイゼと預言者等とに聴かざる彼らなれば、たとえ死者の中より復活すとも信ぜざるべし、と(ルカ 16:19-31)

ファリザイの徒は天よりの徴を求めたが拒否されている。(マルコ 8:11-13)

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キリストが十字架上に釘づけにされている時、通行人たちは「もし汝神の子ならば十字架より降りよ」(マテオ 27:40)と言ったに対して主はそれを取り上げ給わない。

しかし例外的に敵対者の一人に、キリストは破格の恩寵を与えている。それは迫害者サウロ、後の使徒パウロである。

仮にキリストが一切の人に顕れ給うたとしても、彼らはなお、信仰拒否の口実を見出したに違いない。彼はキリストではあるまい、悪霊かサタンの使いであろうと言うであろう。またその人々の子孫は、もしキリストが復活して一切の人々に顕れたならなぜ今われわれにも顕れないのか、なぜ彼はわれわれと共に地上に留まってはいないのかと不信の質問を繰り返すであろう。またもし彼が地上に留まって彼らと共にいたとしても、これら不信の徒輩は、キリストは代々欺瞞者のつづきであろうと思うに過ぎないであろう。

--結論--

われわれはキリストの味方側、反対者側の双方よりの論拠によって彼が死して葬られた事実を詳細に論述した。正直でしかも同時に頑迷であった証人たちの証言と、使徒たちの教説の収めた成功から、キリストが死より復活したことを証明した。

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キリストは自身を神なりと主張し、この主張の証明に死者の中より復活すべきことを明言し、その言のごとく蘇った。ゆえに彼の主張は真理である。

[註] キリストの復活を認める者は神の存在を否定することができない。キリストが復活したとすれば、復活せしめた神が存在せねばならない。それゆえ神の存在は、哲学的な推論によるまでもなく、復活という事実から立派に立証され得る。

III

--キリストは自身を神なりと主張しているが、キリストの人格、自然宗教の教師としての風格を省察すれば這般の主張が真実であることが立証される--

要旨 単に人間として見てもキリストはかつてこの世に生を享けた最も完全な人間で、同時に卓越した自然宗教の教師でもあった。
かかる事実はキリスト教の反対者といえども、少しくキリストの人格を調べた者ならば異論なく認めるところである。しかも完全なる人間キリストがあくことなく「われは神の子なり」と力説した。それゆえ、キリストは神の子である、と結論し

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なければならない。さもなくば、最も完全なる人間が狂人か、怖るべき涜聖者であるという矛盾に当面してしまう。

注意

われわれはここで福音書中に描き出されるキリストを検討するのであるが、この検討は、キリストの言うべからざる、魅力とその人格のけだかさの直観を、不完全ながらもわれわれに与えずにはおかないだろう。しかもそれはわれわれの全霊をあげてキリストの風貌を憧憬せしめずにはおかない。当面の問題は歴史的記録からキリストの全風貌を描き出すことにあるのだから、われわれの扱うことは、すべて過去に属することである。とは言え敬虔なる学徒のために「イエズスは昨日も今日も同一にましまして世々にもまたしかり」(ヘブレオ書 13:8)であって、主は地上に可視の姿で生活し給うた時とひとしく、今なお熾烈なる愛にふさわしき至愛の主なることを夢忘れはしないであろう。主はペトロ、ヨハネ、マグダレナを遇したごとくわれをも歓待し給うに違いない。聖主を友と呼び得る者は、人生の長い旅路において喜びにも悲しみにも、相談らいつつ生き抜くを得るであろう。これこそ聖心の燃ゆる願いなることを夢忘るまい。

--キリストの人間的個性--

出生地。超人的才能。雄弁と沈黙。

キリストはパレスチナの一番発達の遅れた地方、ガリレヤの小村ナザレトの育ちである。

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人々は驚いて「何らの善き者がナザレトから出ることができるのか」(ヨハネ 1:46)「彼はマリアの子で職工ではないか」(マルコ 6:3)「彼はかつて学んだこともないのにいかにして文字を知っているのか」(ヨハネ 7:5)と問いただしたものである。

ところが、この貧しい木匠が一度人々に働きかけるならば、どんな人間も、これにさからうことができない奇妙な力を持っていたのだ。

彼が人々を呼ぶと、人々はやって来る。家も両親も舟も網も財産も放り出して彼に従った。(マテオ 4:23)

また彼は不思議な弁舌の天分を持っていて、極めて短い御言葉で、人生の高遠な教義を説いた。彼の唇から語られるものはどれも平易な親しみ易い喩えであった。失くした銀貨を探す婦とか、古い袋を縫うこととか、失せた羊を探す牧者とかがそれである。

ある時には高遠な思想を純なうるわしい自然美につつんだりした。曰く、「サロモンですらその栄華の極みにおいて、この百合の一つほど装うてはいなかった」と。

善きサマリア人や放蕩息子の寓話のような譬え話で、理解力の乏しい聴衆の心に偉大な愛の教義を植えつけた。時には「来れすべて労苦して重荷を負える者、われ汝らを回復せしめん」(マテオ 11:28-30)

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というような言葉で人心の底を潤す情愛の深さに触れた。

弟子たちへの最後の談話を、彼は厳粛なしかも別離と死の悲痛をこめて、しかし、彼の事業が決して失敗したのではないという、将来を見透す卓絶した確信を吐露してやさしい言葉で語っている。(ヨハネ 14, 17)

人々が食を忘れて彼の講演を聴聞するために幾日もつき従ったということは決して驚くにあたらない。イエズスのすきを窺っていた敵どもでさえ「この人のごとく語った者は未だかつてない」(ヨハネ 7:46)と感嘆しているのである。

彼は雄弁という点で何者にもその追従をゆるさなかったばかりでなく、間髪を入れない議論の逆襲や巧みな返答をもって敵どもの罠を避け、彼らを狼狽させている。

彼は雄弁であると同時によく沈黙することができた。法廷での審問の時は、返答すべきことを誓わされて、これに堂々と返答したが、証人どもが偽証を並べている間はだまっていた。彼には喋る必要がなかった。案のじょう彼らの証拠が相互に矛盾していて一方が他を困惑させる結果になっているのである。

彼らの証言に価値を認め得なかったピラトはなお何かの返答を求めようとしたが、彼は一言も答えない。その結果総督はことの外感嘆したのであった。(ルカ 23:9)

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ペトロが彼をいなんだ時、彼は口では語らず、深い瞳で語った。それで充分だった。ペトロは師の心を悟っていたく泣いたのである。(ルカ 22:61-62)

キリストは抜群の勇気と純潔な人格の所有者であった。常に決然とした態度を持してはいたが決して強情ではなかった。ガリレヤ出の貧しい大工の身でありながら、当時の権勢を掌中に握っていた高慢なファリザイ派の輩をも恐れることを知らなかった。彼はファリザイ一派の偽善と強欲、その頑迷を真っ向から罵倒した。彼らの憤激が血を見るまではおさまらないことを知っていたがしかもなお、正義に対する痛憤から、痛烈な非難を浴びせかけ、彼らを打ち懲らすことを止めなかった。(マテオ 23)

再度ならず彼は死の危険にみまわれている。一度は吼り狂った群衆が彼を襲って断崖に連れ出して投げ落とさんとしたが最後の瞬間、死の束縛から巧みに脱れた。(ルカ 4:30)彼は敵方に捕らえられて縄目を受けた時も、苦しみを受けた時にも、一言の訴えもせず、言い訳もせず、教義の修正あるいは撤回もしなかった。

無慈悲な笞が彼の肉を引き裂いたときも、その聖い手足が十字架に釘打ちされた時も、助けを求める叫びを上げてはいない。苦悶したのは反対に加刑者であったかに見える。すなわちキリストが「汝ならの中誰かわれに罪あるを証せん。われ汝らに真理を説くも、われを信ぜざるは何ゆえぞ」と難詰した時、彼らは一言もな

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かったのである。敵どもの面前に立って、あらゆる視角から糾問されて、なお一つの欠点、一つの誤りでもあらば、指摘し証明せよと反問したのは、人類史上における唯一の人間ではなかろうか。

反逆者ユダが「われは義人の血を売って罪を犯した」(マテオ 24:14)と胸を打って告白している。

法廷において敵どもが彼に反対して全力を尽くしたが、ピラトもヘロデも彼にいかなる罪も発見できなかったのである。むきだしの、憎悪に燃えた悪意の目で見られたのだが、彼の高潔な人格にはいささかの汚点をも見出されなかったのである。

キリストは利己主義者でも拝金主義者でもなかった。

熱狂した民衆が彼を王にしようと謀った時彼はひそかに逃れた。(ヨハネ 6:15)彼は施与を受けずに暮らしてゆくことができるほどの金持ちではなかった。(ルカ 8:3)それで奇蹟でも行わない限り神殿に税を納めることすらできなかったのである。(マテオ 17:23-26)

キリストは生来持って生まれた才能をもってすれば、最も高い地位につくことも、いと易いことであったのに彼には「枕するところ」すらなかったのである。

彼は真理の教師として、むしろ、貧困のうちに宿る家もなく、逍遙することを喜んでいた。彼の態度は常に決然としていたが、それでいて強情ではなかった。財産家の若者を仲間に入れるために教義を曲

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げることをしなかった。(マルコ 10:23)彼は根本原理が立派に守られてゆく時は、いかに自分を屈げて行くべきかをよく知っていた。カナアンのある婦人が哀れな声をしぼって娘の全癒を切願した時、一度は知らぬふりをして、通り過ぎようとしたが、結局彼女の深い謙遜に触れるや、直ちにその娘を癒してやった。(マテオ 15:24)

キリストは温和で、高尚で、親切で、しかも謙譲で、深い愛を裡に蔵していた。彼はどんな人との交際をも避けなかった。税吏、罪人等と食事を共にしたといって、彼の敵どもが不平を鳴らしたほどである。(マテオ 11)当時ユデア人とサマリア人とは互いに絶交状態にあって、口をきくさえ快しとしなかったのに、彼はサマリアの婦人と井戸の傍で語り合った。(ヨハネ 4)

彼は彼の友人マルタ、マリア、ラザルの家で食を共にした。彼はヤコボとヨハネの野心を静かに訓戒した。(マテオ 20:20)ニコデモはファリザイ人ではあったが善意をもって訪れたので非常に親切に応対した。(ヨハネ 3)

キリストは一度ならず謙遜について彼の使徒たちを戒め、使徒たる者は現世の王のように人民に君臨すべきではなく、かえって下僕たるべきことを教えた。最も厳粛な最後の晩餐の時彼は自ら弟子たちの足を洗うことによって驚くべき謙遜の範を示した。(ヨハネ 13)3年間の奉仕生活は絶え間なき愛の流露に外なら

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なかった。疾患に悩まされている者や、罪人が群がり集うてやって来た時、彼はいつに変わらぬ慈愛をもって彼らの霊と肉体の病気を癒してやった。実に彼の生涯は、罪と悲痛と疾患とを打ちほろぼす、日毎の勝利と歓喜であった。

彼は姦淫の罪を犯して、捕らえられた不幸な女を死から救ってやった。「汝らの中で罪なき者まず石を投げよ」と女の告訴人たちに言った時、イエズスが彼らの良心の底までも見通しているのを知って、彼らは恥じ入って密かに逃げた。

埋葬されようとしていた一人息子をその母なる寡婦に返してやり、また汚らわしいらい病者たちにもいとうことなく愛の手をさしのべて何ら恐れることを知らなかった。(マルコ 1:41)イエズス自身にとっても、ユデア人全体にとっても民族の家であった聖なる都を見下ろして激しく涙をそそいで言う、「エルザレムよエルザレムよ、預言者等を殺しかつ汝に遣わされたる人々に石を擲つ者よわれ牝鶏のそのひなをその翼の下に集むるごとく汝の子らを集めんとせしこと幾たびぞや、しかれども汝これを否めり」と。(マテオ 23:37)

われわれには想像もつかない愛の光が彼を包んでいたに違いない。そうでなければどうして母親たちが彼に見て貰おうとして、自分の子どもらを連れて集まったであろうか。イエズスはそれらの子どもらを追い払おうとする弟子たちを叱りつけてまで子どもらを抱きあげ祝福する。(マルコ 10:14-16)

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十字架の苦悶のただ中においてなお罪人に対する愛を放棄してはいない。苦悶に呻吟しながらも、一人あとに遺される聖母を想い、使徒ヨハネに聖母の愛子となるよう願っている。罪を後悔した盗賊を赦し祝福してやった。この盗人はほんの少し前まで彼を罵っていたのだ。イエズスは、彼を十字架に釘づけにした者どもの赦されんことを天父に懇願している。しかも御当人らはそう祈っている間もイエズスを嘲笑し、侮辱し罵り続けていた。

要約

イエズスはあらゆる善徳の典型であった。天父に対する限りない愛と服従のもとに、これまでのいかなる人間にも見られない謙遜、忍耐、温和、慈悲を兼ね、その上勇敢に何者をも怖れず自分の抱いている思想を発表し、唱道する教義のゆえに甘んじて死についた。

その反面あくまで柔和で親切であったが、それは利己心からではない。いかなる反対論も悪口もまた迫害も、人類の教導者として遣わされた者の品性を損なうような言葉やそぶりをひきだすことができなかった。彼の善良さは柔弱なものではなく、彼の熱心と真面目さには忍耐がともなっていた。また強固ではあったが、依怙地ではなかった。単なる思索家でも思想家でもなく、まったく行動の人であり業の人であった。

彼の瞳は常に天に注がれているように見えたが、使徒たちの弱さに対する同情に充ち、悩める人、悲しめ

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る人に対しては柔和に充ちていた。罪に対する激しい憎悪のかげには罪人に対する強烈なる愛を抱いていた。彼は時と場所とを問わず一切の人々の模範であり、われわれには到達し得べくもない最も崇高な人生の希望であり理想である。

合理主義者の証言

キリスト者であると否とにかかわらず、虚心に福音書を繙く者はすべて、キリストの品性と人格の高潔さを等しく認めずにはいられない。合理主義者であるレッキーも言っている。「世界に理想的人格(キリスト)を提供し得るのは、キリスト教に保留された大特権である。キリスト教は18世紀もの間、あらゆる変転を通じて熾烈な愛をもって人の心を動かし、時代、民族、性格、あらゆる環境において活動的であり、キリスト教的論理の実行が可能であることを示して来た。同時にキリストが単に善徳の最高の模範であったというばかりではなく、その善徳実践への最も強い刺激でもあった。その影響せるところ甚大にして、実にわずか3年間の実際生活の簡単な記録が哲学者たちの高尚な論文や倫理学者らの教訓よりも以上に人間を再生更新させ、温順にしたと言わずばなるまい」と。(欧州道徳史)

--自然宗教の偉大なる教師たるキリスト--

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人間として完全なキリストは自然宗教の教師としてもまた完全であった。

最初に教義内容を一瞥すれば、彼は愛、誠実、霊魂の最高価値の諸教義および完徳の理想等に関して特異であり、また比類なき律法、教義大系を述べていることが知られる。

彼はその教義に関しては常に断固とした確信を持ち、権威をもって臨んだ。彼はソクラテスその他の人々と違って、権威をもって教え、常に明瞭で自ら生きた手本となった。

愛の教義 当時のユデア人は悉く彼らの律法中いずれを最主要となすべきかについて激しく論じ合っていた。ある者は犠牲を捧げることが最高の律法であると主張し、他の者は安息日をその最たるものなりとした。これに反抗して、さらに割礼が最主要なる律法なりと強調してゆずらない人々もいた。キリストはこれらの意見はどれも取るに足らないものと一蹴して真正聖化の根本を明示した。イエズスは曰う、一切の律法は所詮「愛」すなわち、神への愛、隣人への愛に約まる(マルコ 12:30-32)と。その教義を最初に披瀝した山上の説教で彼は愛の律法をより広義に敷衍している。すなわち当時の常識をもってすれば「隣人」というのは同朋イスラエル人のことで、広義の意味においても交友ある異邦人を含む程度だった。ところが、イエズスの言う隣人には、善人も悪人も朋友も敵も一切の人々が含まれていた。人は皆兄弟であるから相互に愛し合わねばならない。われわれ人間はすべて、善人にも悪人にも等しく日光と雨とを

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降らし給う天父を共同の父といただいている。

天父は一切の人に愛の摂理をもって対し、牧者が迷える羊を探すように罪人を訪れ給う。天父はもはやシナイ山上に雷光につつまれ給う天父ではなく、今は愛と慈悲の光にましまし給う。

人は自分が他人から宥されることを欲するように他人をも宥し合わねばならぬ。自分自身が兄弟に拒否していることをどうして天父に求め得るであろう。キリストの愛の律法は畢竟、汝らの天父が一切の人間を愛し給うがゆえに天父を愛せよ、人間は至愛なる天父を共同の父にいただく兄弟なれば互いに相愛し寛容なれ。汝が愛され、宥されることを望むごとく、他人をも愛し宥せというのである。

イエズスは人類を神に近づけ、親密に結びつけるということによって、一切の教師たちからまさに峻別される。彼は人々を温かな人間的な愛をもって神に向かわしめ、かつまた隣人のうちに神の姿を見ることを教えている。(マテオ 5,6,7)

誠実の教義 イエズスは単に外面の神聖を重んじて内面の罪を軽視するファリザイ人のような聖人ぶりを装おうていたのではない。「愚かなる者どもよ、外部を造り給いしものはまた内部も造り給いしに非ずや」(ルカ 11:40)と。神は霊と肉の造り主であるから、その両方もて奉仕しなければならない。人は心の底から一切の憤怒と不純とを取り除き、霊肉を徹頭徹尾健全なものにしなければならないのである。

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霊魂の最高価値の教義 人間にとって霊魂は世の至宝であり何よりも尊いものである。友人も財産もそれを霊魂を失うことに較べたならばそも何であろうか。イエズスは曰う「人全世界を儲くとももしその生命を損なわば何の益かあらん、また人何をもってかその生命にかえんや」(マルコ 8:36)と。「そはおのが生命を救わんと欲する人はこれを失い、われおよび福音のために生命を失う人はこれを救うであろう」(マルコ 8:5)と。

キリスト以前にも這般の真理を感知した者がなかったのではない。しかしいずれも漠然とした観念に過ぎなかった。霊魂に関する真理を透徹したしかも確実な言葉で表現したのは実に彼をもって嚆矢とする。

完全なる道徳理想 清貧、貞潔、完全なる自己放棄がイエズスの理想とする徳の完成であった。「悉く汝の持てる物を売りてこれを貧者に施せ」(ルカ18:22)。「人もしわが後に来らんと欲せばおのれを棄て日々おのが十字架を取りてわれに従え」(ルカ 9:23)「福なるかな義のために迫害を忍ぶ人々」(マテオ 5:20)と。

注意

1、仮にキリストの神的派遣をしばらく措いて単に自然宗教の教師と見ても、これら教義の権威は毫も失われはしな

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い。しかしここで特に注意したいことは、なるほど彼の強調している主要な教義はいずれも明瞭ではあるが、あらゆる点で常に釈然としているということはできない。例えば彼の勧告している卓越した英雄的道徳的行為が一切の人に要求されているのか、あるいは特殊の環境におかれた者に限られているのか、はたまた個々の場合これらの教義がいかに運行さるべきか等はわれわれにとって必ずしも明白ではない。それゆえ、常にわれわれと共に生き、彼の名において語り、正しい解釈を与え得る権威ある不謬の声が必然的に要求されるのである。
2、ソクラテス(西紀前469-399年)は異教全盛の古い時代では最も高潔な人とて世の賞讃をうけていることは周知の事実である。しかし世界の大聖と見られているソクラテスも、事業、教義、人格等に関し、キリストのそれと比較し得べくもない。
ソクラテスは「外面だけの智恵」の敵であった。彼は善、神聖、正義その他の徳に関して正確な観念を追求することを当時に人々に慫慂している。
アテネ民主政府は一時の怒りに駆られて彼を死に到らしめたが、それは彼の唱導した教義のゆえではなく、同志の者どもの放埒や不逞のゆえであった。知的分野においては同時代にその比を見ないソクラテスも貞操観念にいたっては放埒な一般民衆と何ら選ぶところがなかった。彼はアテネの知識人とのみ交際していたが、これらの人々にすら質問させることをできるだけ避けている。一般民衆の神に関する思想の浄化に、大いに貢献したことは疑いない事実ではあるが、来世に関する観念は極端に曖昧であったし、四海同胞というごとき大乗的な思想は毛頭なかった。

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彼が高度に文明化された国に生まれ、アナクサゴラス、エウリピデスのごとき哲学、芸術の天才を同時代に有していたことは、彼の知的生涯がその環境に負うところが少なくなかったことを物語っているものと思ってよかろう。
これに反してキリストは歴史的に見ればソクラテスにおけるがごとき好条件には何ら恵まれてはおらず、ごく教養の低い農民や漁夫の間に成人し、成人してからも大同小異の人々と互して暮らしたのである。

合理主義者の証言 カントの言を借用すれば、「福音書は一般道徳原理、すなわち自然宗教を完全に教えた最初のものではないとしても、現今われわれの理知をもってすらそれを完全に理解し得ないものが含まれていることを認めない訳にはゆかぬ云々」と。

キリストを単なる人間以外の何者でもないと見ていたハルナックもキリストの驚嘆すべき倫理、道徳を表現し得る適当な言葉を見出すことができなかった。曰く「キリストの談話や寓話は簡にして要を得ている。しかもその深遠な内包はわれわれには完全に会得し得ないものがある。彼は古来からの英雄的な苦業師や熱狂的な預言者のごとくではなかったがその霊魂には常に平和と休息とを秘めていて他人に生命を与え得る人間であった。彼は母親が子どもを喩すように人々に語った云々」と。

キリストは彼の品性と教義においてかつてこの世に生を享けた何者にもその追随をゆるさないほどたちまさっていたという点で、すべてが双手を挙げて賛同しているのである。

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結論

以上われわれは、人間キリストの完全性を見、宗教教師としての卓越さを研べた。そのいずれにおいても比類ない完成を表示している人格者キリストがおのれを神なりと強調して止まない。そこで彼の主張が真正であり彼がまさしく神であることを承認しなければならなくなる。さもなければ、彼が怖るべき欺瞞者であるか、あるいは幻想の犠牲者であったというがごときまったく不合理な結論に直面してしまう。換言すれば、最も完全な人間が恥を知らない虚言者となり、神を涜す者、狂人と言わねばならなくなる。

実際これが合理主義者の辿りつく大きな不合理で、這般の事実を正当に理解するならば彼らの主張が全面的に崩壊することを悟らねばならない。

[註] 合理主義者に相対する場合、われわれはキリストを自然宗教の教師、すなわち人間本来の理性の光で到達し得べき倫理道徳の教師と見なすのであるが、ここに附記しておかねばならないことは、キリストは他に深くもっと高遠な教義--神の恩寵なしには知り得ない教義--を教示しているということである。かかる事実からしてもキリストが単なる人間ではないという犯し難い証拠が得られる。

キリストの個性

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キリストの比類なき智恵と善と潔白は、完徳の奇蹟であって、神の特異の干渉を考え合わさずには、まったく説明し得ないものである。これがまた彼の教義の真理性を証明する神の証左であろう。従ってかかる観点からもおのれを神なりという彼の主張が真実であるという確信が得られる。

ユデア教の神的起源性

キリストの神性はキリスト教の神的起源を樹立するに止まらず、キリスト教の前身を為すユデア教の神的起源をも確立する。キリストはユデア民族より出で、30年近くユデア教を遵奉し、その信仰を守っていた。

ユデア教が天与の宗教なりとされている点はこのゆえに誤りではない。そしてまた旧約聖書に含まれているキリスト教以前の天啓は悉く神的権威を有するものと認められなければならない。

キリストの神性は彼自身の証明と降生前すでに人類に与えられていた天啓一般と、ユデア民族に特別に与えられた啓示の神的権威を確証する。

キリストへの個人的帰依

以上われわれはキリストの言葉の真理性を神が種々の方法で確証し給うた事実を見て来た。

ゆえにキリストが自身を天父と等しいと強調した時にも、失われた者を求めるために世に来たったことを主張する

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時にもそれらの宣言には毫も虚偽がない。人に生命を与え、より豊にしようとのぞんでいると言った時にも常に真実を語ったのである。それゆえ、生命をより豊に与えられた人々はすべて真のぶどう樹たる彼の枝となり、彼自身が天父を愛することによって天父と一致しているごとくに、われわれもキリストを愛することによってキリストと一致せしめられるであろう。

御死去の前晩、十字架の影が、時とともにしのび寄って来るかに想われる夜、憂愁に沈んでいる使徒たちを側において、永遠の天父に祈願して彼の心を思うままに吐露している。「父よ時来れり、御子をして汝に光栄あらしめんため、御子に光栄あらしめ給え。そは父より賜わりし人々に永遠の生命を与えしめんとて....これに万民の上に権能を給いたればなり。そもそも永遠の生命は唯一の真の神にまします汝とその遣わし給えるイエズス・キリストとを知るにあり。....世は汝を知らざれどもわれは汝を知り、彼らもまた汝のわれを遣わし給いしことを知れり。われは御名を彼らに知らせたり、また知らせんとす。これわれを愛し給いたる愛の彼らにましましてわれも彼らにおらんためなり」と。(ヨハネ 17:1-3, 25-26)ゆえに、イエズスを知ることは、すなわち彼が神の子であることを知ることであり、全生命を打ち込むことなのである。しかもそれは単に知能の冷たい認識を意味するのではなく、真に彼を知ることはわれわれの全存在および全能力をもって彼を愛し、何の留保もなく最深の愛情をもって聖意を実行することなのである。従ってキリスト教に帰依するという

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ことはキリスト教の教義体系に心服することではなく、キリストの聖なる人格への帰依であり心服なのである。「ますます恩寵を増し、ますますわが主にしてかつ救い主にてましますイエズス・キリストを識り奉ることをつとめよ。願わくは今も永遠の日にも栄光彼にあれかし」(2ペトロ 3:18)とペトロは言う。

救世主の性格研究は必然的に、トーマスの言のごとく、真正の信心が独り意志のうちに存するという真の信心を研究者に与えるであろう。聖主の地上生活を詳細に研べることはこの意味において確かに賞揚すべきことである。しかしこれのみにて足れりとしてはならない。主は曰う「汝われを愛するならばわが戒めを守れ」と。彼に従わない者は彼を愛してはいないのだ。よろこんで従うことを知らない者はイエズスに対する愛において何ら進歩していないことを忘れてはならない。彼の愛のあるところにわれわれの愛を置き、イエズスの光栄を真実もて追求し得るたえに、聖心のさらに深い愛の奥義を知らしめ給え、とひたすら祈らねばならない。まことに殉教者たちこそはイエズスに対する信心のまたなき典型となってくれる。

われわれに早晩しのびよって来るひとときがある。一切の十字架を愛する者、あらゆる忠実なキリスト者が出会ったように、主はわれわれを主のために何らかの形で屈辱の十字架、苦難と死の十字架を担うことを望み給う時、その時こそ殉教者たちの思い出は偉大な支柱となってわれわれを支え鼓舞してくれるに違いない。

附記 I

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キリスト教の敏速な普及と殉教者たちの堅忍不抜の勇気から見た、キリストの神性の証明

タティトゥス(西紀55-120年)は皇帝ネロの行った最初の教会迫害(64-68年)で非常に多数のキリスト者が殺戮されたと言っている。それから50年後、小アジアのビトゥニアの総督プリニィはトラヤノ皇帝に「余は余の地方やポント地方に発見したキリスト教徒の数とその影響、並びにその強情には当惑し、かつ驚嘆している」と報告している。

西紀150年頃、殉教者ユスチノは「異邦人もギリシア人も幌馬車生活をいとなんでいる人々の中にも、さてはテントを張って放浪生活をしている者の中にもあらゆる種類の人々が十字架に磔けられたキリストの名において父なる宇宙の創造者に祈願と感謝を捧げている」と録している。

324年、コンスタンチノ大帝の改宗前後には、ローマ帝国支配下のキリスト者は12人に1人という割合に上昇し、その30年後の帝国記によれば当時異教徒は完全にその影を没したとある。

旧に代わるキリスト教という新しい信条の勝利はその数が示すがごとく社会的にあらゆる部門にゆきわたっていた。軽視されていた労働者階級から高位の官吏へ、比較的知識程度の低いユデア民衆から、教養を誇る哲学者群へと突き進んで行ったのである。

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かようにめざましい震天動地の精神革命はわれわれの知る限りにおいて、自然の経緯にその原因を求め得られない。

自然的観点に立つならば、キリスト教の創始者はガリレアの貧弱な一木匠であったし、主な使徒のうち、漁夫が4人で1人は下級税吏であった。ペトロとヨハネが初めてキリストの名によって奇蹟を行い、そのため衆議所に召喚された時、無学凡庸な彼らを予め知っていた会衆は、泰然として新しき福音を説くのに驚いたのであった。(使徒行録 4:13)同様の出来事が、その後もしばしば繰り返されている。反対者等は、「愚者なるキリスト者--人間の屑にも等しき、粗暴なる野人、金銭の儲け方も知らず、市政のことをも知らぬ輩がいかにして神を知り得よう。彼らは神を説かんとして鉄鉗、槌、鉄床を失くしたのだ」と言ったものであるが、この悪罵は自然人としての使徒が正面から甘受しなければならなかった真実の相であった。かくのごとき態度がキリスト教教師の性格であった。そしてまた、その性格のために、いかな権力も富も、ローマ帝国さえも敗北したのである。

使徒らによって説かれた教義内容は、名利に汲々たる人間に取り入れらるべくもなかった。この新教義は貪欲と虚傲、頑迷の底に沈んで高尚な神の観念などとうてい受け入れらるべくもない人々に、信仰と従順、兄弟愛と自己没却、死をも要求したのであった。一方、自然の権力、人間劣情の権化以外の何物でも

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ないと説いて、長い間神聖視されて来た神々の像を粉砕することを強要した。感情の上から離れ難い祖先の宗教、豪壮な寺院もその祭式も、また当時の公の娯楽である祭典も共に棄てよと命じ、その代わりに来世に眼を注ぎ、十字架の磔刑に遇った偽善者の前にぬかづき、人間感情からすれば実に好ましからざる賤しき人間どもの面白くもない仲間に入れというのである。また一面、当時における一般道徳の頽廃が、悪に対する嫌悪を産み、人々の心に何かしら革命的な道徳律を憧憬せしめた。キリスト教の敏速な普及をこういう観点から理論づけようとする考え方もあるが、道徳律を云々するならば当時すでにローマにはストア学派が出現していて、高度の道徳大系を宣布している。しかし実際には社会公衆の心を掴むにいたらなかった。それに、キリスト教道徳に対する感嘆は、キリスト教教義への完全な信仰とその戒律の実践よりもはるかに大きなものであった。また、ガリレアの職人が神の子なりという馬鹿げた、冒涜的な教義が新教義の中心であるという、この矛盾がいかにして世に受け入れられ得たか、またいかに心服されたかを、われわれは聖霊の助けなしには、理解できないであろう。

キリスト教の迅速な普及を、ローマ帝国領の交通の便、旅行の自由等から説明しようとする人々がある。とはいえ、これらの条件は他の宗教、例えばミトラ教、イシス教等にも等しく当てはまることであるが、それらの宗教は世界的浸透を見なかったではないか。

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ローマ帝国支配下における交通の便は、キリスト教布教者が地の果てまで教えを弘めるに役立ったことは言うまでもないが、その布教はローマ皇帝の剣をはるかに超えて延びて行った。厖大な帝国の権力が幼稚なキリスト教撲滅のために召集されたことが10回にわたっている。しかも10回ながらガリレアの職人が勝利者となっているのは、とまれ自然ではあるまい。キリスト教に対する迫害はその苛酷さと、期間、その数、これに加えて犠牲者の不屈は人類史上に比類ない物語を残した。皇帝の迫害行為は3世紀の間絶えることなく行われ、その峻烈な矛先は10回にわたって胎動キリスト教に向けられた。

幼児も老人も、熱血青年も、円熟した壮者も家庭の母や娘も、農民や奴隷までも、哲学者や孤独の痛悔者と共に、暗黒の権力を蔑視するゆえに極悪人と見なされた。彼らはいずれも前線で歩哨線を見守る勇士のように、拷問の道具をみつめた。しかし彼らの勇気が乱暴な兵士のそれではなかった。兵士はその勇気を訓練によって得る。彼らは戦場に赴く。しかし屠所に曳かれる羊のごとくにではない。また犠牲として殺される供物のごとくでもない。手には武器を持ち、攻撃には攻撃をもって報いる。また彼らは自分の位置をまもることが退却するよりも、安全であるという確信と、敗北の恥と人々の喝采を得る望みとに支えられている。それに反して、殉教者たちは、世俗的に見れば、その勇気によって得るところは何物もなく、悉くを失うのみである。彼らは--その中には多くの弱々しい少年もいる--甘んじて樹脂を身体に塗られ、点火さ

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れて生けるタイマツとなり、また煮えたぎる大釜に入れられ、円戯場で猛獣の餌食となった。彼らのこの秘めた偉大な力はただ一つの思想、すなわち彼らが精魂を傾けて愛する殺磔されたキリストにその源を発しているのだ。とは言えいかにしてこの思想が神の冥助なしにあらゆる階級特に教養の低い人々の心に根を下ろすことができたであろうか。またいかにしてこの思想が人間本来の気儘や罪悪から解脱するほど強力に成長し得たであろうか。最も酷い苦悶にさえ耐え得る力をどうして得たのであろう。かかる勇気は今日も続いている。こういう事実はそこに働く神の冥助を認めない限りとうてい説明できないであろう。

以上の論旨を要約すれば、キリスト教の迅速なあらゆる階級における世界的普及は確かに奇蹟であって、これを証明するに、次の事柄を挙げ得るであろう。

(1)宣教者たちは世俗的見地からすればいずれも無位無冠の人々であったこと。

(2)その主要教義が新奇で嫌悪されがちなものであったこと。加えて道徳律が非常に厳格で人間の弱点に媚びることをしない。

(3)ローマ皇帝権によって怖るべき重圧が加えられていた。

殉教者等の不屈の行動もまた奇蹟と見られる。

(1)キリスト教撲滅の迫害は3世紀にわたり、
(2)しかも幼少年をも加えたあらゆる階級の夥多の人々がこの迫害を甘んじて受けた。
(3)最も苛酷な拷問に対する彼らの不抜の態度。
(4)彼らが屈服したならば確かに与えられた報酬に直面していながら常に不動であったこと。
(5)死の激痛のうちですら、うるわしい超人的なキリスト者の美徳を顕現し、死と苦痛の甘受、天使的な愛、彼らの肉を裂く者どもの救霊を心から希求し、十字架上におけるキリストの心情さながらの底知れない謙遜を示し、自らの血で染めた手をもって彼らを祝福したのである。

以上は少しも誇張のない初代キリスト教史に明らかな相(スガタ)であるが、これこそ人類史上に比類ない出来事であってここに超自然の輝きをどうしても見逃すことができない。

迫害を受けた宗教団体は何もキリスト教の専売特許ではないが、他の宗教迫害はキリスト教に見られるごとく、執拗でも残酷でもなく、また甘んじて受けたものでもない。また殉教者等の示したようなキリスト教的美徳の強固にして永続的光輝には及ぶべくもない。

かくしてわれわれは初代キリスト教史に二つの偉大なる奇蹟を見た。一はキリスト教の奇跡的伝播であり他は殉教者等の不抜な忍耐である。

この事実よりしてキリスト教は真の宗教であり、創始者キリストは彼の主張するごとく神の子であり、神と

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等しき者なりという事実をこれまた否応なしに認めしめる二つの証拠を得るのである。

附記 II

活きた力としてのキリストとキリストの神性

ニウマンは獄舎におけるナポレオンの心境を描き出して言う。「余は、彼らの功績と覇を争いかつ、人心のうちに永久に生きんとする希望をもって、アレキサンダーとケーザルを模範とすることを常とする。とは言え所詮いかなる意味において、アレキサンダーが生き、ケーザルが生存しているかを考えて見ればそれは、やや彼らの名が有名であるというに止まるのではなかろうかと思う。彼らの名といえども、時には顕れては消える幽霊に過ぎないのではなかろうか。ある特殊な場合に引き合いに出され、あるいは偶然な連想で時に喧伝されるばかりである。彼らの家といえばそれは主に教室であり、少年用の文法教科書中に王座をしめているに過ぎぬ。

これに反して今なお世界に生き残っている一つの名がある。それは生前甚だもうろうとしていて、しかも極悪人のようにとり扱われた「かの人」の名である。ところが彼の死後1800年を経過した今日もなお人の心を掴むことを知っている。それのみではなく、世界を占有し、さまざまな国の中で種々の環境のもとに、文化

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を誇る民族にも、しからざる民族にも、教養の高い人々にも低い人々にも、その偉大な人は支配者となっている。数百万の魂は彼と語るを好み、彼の言葉に傾倒し、彼の出現を求めて止まないのだ。

数えきれないほどの豪壮な王宮が彼の光栄のために建設され、生涯の最屈辱的な像が、ほこらしやかに、都市に田舎に、露天にあるいは通路の一角に、山頂に立っている。そしてこの像は祖先伝来の居室や寝室を神聖化する。

それはまた模倣芸術の天才を鋭ぎ出す好主材でもあるのだ。

この像は一生涯、胸に着けられ、そして臨終の時には眼前に運ばれる。実際彼こそは単なる名声や虚構ではなく実在者なのである。彼は死しすでに現世にないとは言え、彼は現に生きている。生者、まさに生きているのだ。彼は、無数の事件の原動力として、また、後から後からと続く世代の原動力的思想として生きている。

彼は他の人々が一生をかけても果たし得なかったことをぞうさなく為し遂げた。彼が神でなくて何者であり得よう。自分自身の働きを掌中におさめている創造者自身でなくて何者であり得よう。彼が創造者であればこそ、われらの父であり神であればこそわれわれの心が本能的に彼の名を懐うのである」と。キリストが人心を支配する力は自然現象ではなく超自然的であり奇蹟である。これは確かにキリストの神性の立証である。

(以下続く)

作成日:2004年05月14日

最終更新日:2004年05月25日

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