ファチマの聖母マリア

平和の武器

The Fatima Crusader, Issue 72, Winter 2003より

P. ライテ神父、S. J.

ライテ神父、(P. Leite, S. J.)によって書かれた以下の論考はローマの司教区の印刷・出版許可を得たChrist to the Worldにおいて出版された。われわれ一人一人を脅かしている多くの差し迫った道徳的および物理的な危険を考えるならば、それは今日最も適切なことである。

ロザリオの傑出した訴えは次のように書いている聖アントニオ・マリア・クラレットによってよく表現されている:「東方の古代人たちは冠として編まれたバラのリースを優れた人々に捧げる習慣を持っていた。そして真のキリスト教徒たちは大きな信心をもって、彼らの愛する御母、祝せられたおとめにマリアのバラの冠を毎日捧げる称賛すべき習慣を持っている。そのようなものがフランス王聖ルイ、聖ヴァンサン・ド・ポール、聖カロロ・ボロメオ、偉大なボシュエ、フェヌロン、聖フランシスコ・サレジオ、聖フランシスコ・ザビエルそして他の人々の習慣であった。栄光に満ちた聖ドミニコがそれを毎日祈るように人々に教えた1208年以来ずっと、ロザリオに対する信心を持たなかった一人の聖人も、学問と徳のゆえに傑出したいかなる人も、規則遵守の修道会も、よく秩序を保った神学校もなかった。」(聖アントニオ・マリア・クラレットのEl Colegial Instruido, Barcelona, 1865, 1:25から引用)。

聖母はファチマで6度ロザリオを勧められた

聖母はファチマで6度御出現になった。これらの御出現の各々の間に聖母はわれわれがロザリオを唱えることなく過ごす日を許さないように要求なさった。3度聖母は、ロザリオを唱えることが平和を得るために必要とされる道であるということを示された:

「世界の平和と戦争の終結を手にするために毎日ロザリオを唱えなさい。」(1917年5月13日)

「世界の平和と戦争の終結を手にするために」聖母は、ロザリオの聖母に敬意を表して、毎日ロザリオを唱え続けるよう望まれた。なぜなら、聖母はただ聖母だけがあなたを救うことができると言われたからである。(1917年7月13日)

「誰も皆戦争の終結を手にするためにロザリオを唱え続けなければなりません。」(1917年9月13日)

それらの事実--新しいものと同様古いものも--ロザリオが真に平和の武器であるということを示している。

ロザリオはアルビジョワ派の異端を打ち破った

13世紀に恐ろしい危険がカトリック教会、特にフランス南部における教会に脅威を与えた。すなわち、アルビジョワ派の異端である。アルビジョワ派はムーア人たちよりももっと危険である、と教皇インノセント2世は宣言された。

教皇の要求で、北フランスのキリスト教徒たちは信仰の擁護のために十字軍を組織した。しかし事件は最初は彼らに味方しなかった。聖ドミニコはロザリオを普及させた。そして勝利は長く待たれる必要がなかった。トゥールーズ(Toulouse)近くのミュレ(Muret)の戦闘は1213年9月12日に行われた。そこでは2,000人のキリスト教徒の兵士たちがアルビジョワ派の軍隊の100,000人を打ち破った。

異端に対するこのめざましい勝利は誰に帰せられたのか?

十字軍兵士たちの軍隊の指揮官であったモンフォールのシモンはそれをロザリオの聖母に帰することを躊躇しなかった。このようにして、彼は勝利のまさにその場所にロザリオの聖母の名の下に一つの礼拝堂を建てたのである。

1937年9月29日に教皇ピオ11世はこう書かれた:「われわれは10月の月の間、聖なるロザリオがすべてのキリスト教徒たちによってますます大きな信心をもって唱えられるよう強く望む...キリスト教徒たちの国境からアルビジョワの恐るべき分派を勝利のうちに投げ捨てられた聖母がわれわれの時代の新しい努力、特に、一つ以上の理由のために、そして彼らの強情によって、あれらの古代の異端を精神へもたらしている共産主義者たちの努力を消散させるために呼び求められ、嘆願されますように。十字軍の時代に、一つの共通の嘆願が全ヨーロッパから、そのすべての人民の間に、上げられたように、また今日世界における、諸都市における、町々における、村々におけるすべての人々が、キリスト教文明および人間文明の破壊者たちが圧倒され、そして苦しめられ、混乱させられた諸国の上に真の平和が輝くように、力強い神の御母から、絶え間ない祈りによって、好意を求めそして得るために、一つの同じ努力によって望みのうちに結びつけられますように。」(回勅Ingravescentibus malis

ロザリオを通してマリアはレパントの戦闘に勝利された

1571年に、イスラム教徒たちは先行の諸世代の間に西欧において、特にポルトガルとスペインにおいて、蒙った敗北に報復しようと努めた。彼らは近東から来てヨーロッパを攻撃することを望んだ。キリスト教世界は重大な脅威を受けていた。

教皇ピオ5世は特に危険を見た。彼はそれが単に敵対する国家の間の闘争ではなくて、西欧におけるカトリック信仰に対する脅威であると見た。このようにして、彼は信徒たちの霊的およびこの世的な動員のために働いた。特に、彼は1517年の10月の第一日曜日に、聖なるロザリオが、聖母からキリスト教徒たちのために必要とされた助けを嘆願するためにそれを唱えることによって、そして諸々の団体の行列によって、敬意を表されるように求められた。

同時にシャルル5世の息子、フィリップ2世の兄弟であるオーストリアのジョンによって率いられたキリスト教艦隊が近東に向けて出航した。戦士各自がロザリオを与えられること、そしてマリアの保護を得るためにロザリオを唱える約束をすることが教皇の望みであった。

10月7日、日曜日にキリスト教艦隊とトルコ艦隊はギリシャの海岸を離れたレパント湾において出会った。午後中続いた激しい戦闘はキリスト教徒たちによる輝かしい勝利をもって終わった。まさにその夕刻、聖ピオ5世はローマでこの成功の明白な知識を持たれた。その同じ午後、ロザリオの諸団体、特にローマにおける諸団体がロザリオを唱えながら町中を行列しながら行進したのであった。

この勝利はトルコの海軍力を終わらせ、キリスト教ヨーロッパを救った。聖ピオ5世はこの勝利を軍隊によりも多くロザリオに帰された。そして「キリスト信者の助け、われらのために祈り給え」という嘆願を聖マリアの連祷に加えるように命じられた。更に、彼は毎年、10月7日を「勝利の聖母」という称号の下に、その勝利に感謝して祝うよう祝日を定められた。

彼の後継者、グレゴリオ13世は毎年10月の月の第一日曜日にこの勝利を思い起こすために祝われるべく、聖なるロザリオの儀式を制定された。

1955年5月10日に、教皇ピオ12世はこう言われた:「『いと尊きロザリオの元后』という聖母に与えられた名前は何らの疑いもなく、異教徒たちに対して勝利した偉大な勝利を思い起こさせる。しかしそれはそれ以上に、悪と宗教的無知に対する信仰の征服を思い起こさせる」と。

モンシニョール・フランシスコ・レンデオリーロ(Monsignor Francisco Rendeoriro, O. P.)はこう書いた:「信徒が公的な大きな不幸の時に聖なるロザリオによってマリアに嘆願する習慣を持つようになったのは特にレパントの勝利以来のことである。」

ロザリオはオーストリアに対する恵みの道具であった

中央ヨーロッパにおいて唯一完全に自由である一つの小さな国がある:オーストリアである。第二次世界大戦の終わり、1945年にオーストリアがロシア人たちによって占領されていたということを思い出すならば、これは一つの尋常ではない事実である。1945年にはロシアの最高指導者の一人はこう宣言さえした:「われわれは占領した国を決して放棄することはない」と。

しかしオーストリアは解放された。なぜか? ロシア人たちは、オーストリアが小さな、軍備を持たない国であるとしても、戦争なしに、力の使用なしに、どのようにしてそれを放棄したのか?

その答はロザリオの力のうちに探されなければならない。オーストリアはおよそ1000万の住民を持っている。フィグル(Figl)首相を頂点に彼らのうちの100万人が毎日ロザリオを唱える約束をした。1955年5月13日、ファチマの最初の御出現の記念日にロシア人たちはオーストリアを離れることを決定した。

10年間御聖体だけによって養われていた偉大なドイツの聖痕をもった神秘家、テレーゼ・ノイマン(Therese Neuman)は死の直前にこう言った:「その解放に値したのは確かにオーストリアの人々の祈りとロザリオでした。」今日でさえロシア占領の10年後の思いがけない解放は驚くべきことである。

1972年9月に、一人のオーストリアの司教は[国土]回復のロザリオ25周年記念の機会に、その国の全司教団ならびに30,000人以上の人々の前で話しながら、こう宣言した:「ちょうどオーストリアがロザリオを熱心に唱えたことによって共産主義のくびきから解放されたように、世界が悪魔とその仲間の現在の攻撃から解放されるのは同じようにロザリオの武器によってであろう。」もしわれわれがロザリオを唱えるならば、聖母はわれわれに真の自由と平和をお与えになるであろう。

ロザリオを通じてマリアはブラジルを保護された

1964年にはブラジルは非常に危険な状態にあった。一人のジャーナリストはこう書いた:「ブラジルに対する共産主義の支配は今にも起こりそうに思われた。しかしながら、そのことはロザリオの力のおかげで起こらなかった。」

これは起こったことである。その国の公的な生活全体が当局によるマルキシズムの方向へと公然と向けられていた。そしてこのことは政治、経済および公教育においてもそうであった。それ以上悪いことは考えられなかった。マルキシズムの諸々の誤謬は聖職者階級の中にさえ導入されていた。若い聖職者たちのうちにはときどきイデオロギー的な性質の混乱がある。マルクス主義者たちにカトリック青年運動を支配させることを許した責任を持っていたのはこの混乱した聖職者であった。

そしてそれから私は考え始めた。私は適切に振る舞っているだろうか? 私は福音書が要求しているように、ロザリオが教えているように、行動しているだろうか? 私は主祷文において私が実際に言っていることについて考えているだろうか? と。

しかし人々は賢明であり続けた。彼らは反応し、ロザリオを唱え始めた。先ず第一に、単純なそして敬虔な女性たちが彼女たちだけで始めた。男たちと青年たちがそれに続いた。テレビは女たちが共産主義者たちに反対しているのを見ることができる番組を記録し示した。最後の瞬間にブラジルを救ったのはこのこと、すなわち、ロザリオを唱えたことであった。

1964年7月にブラジルのマリア団体の創立者ヴァレリオ・アルバートン(Valerio Alberton)神父は彼の国の解放のゆえにいとも祝せられたおとめに感謝するためにファチマに行った。

これは彼が言いそして書いたことである。

「私たちはロザリオの聖母のおかげで勝ちました。ちょうどよい時に私たちを救ったのはブラジルにおいて生きていたファチマのメッセージです...私の国における状況は非常に重大でした。人間活動のあらゆる局面が掘り崩されていました。重要な立場は悪名高い共産主義者たち、共産主義に賛成する人々の手に握られていました。組合はたいていは彼らによって支配されていました。」

「頻繁なストライキ--その多くは公然の政治的性質のものでした--はいたるところで混乱を引き起こしていました。諸々の大学がそれ自身影響を受けていました。私自身、1963年11月から1964年3月までブラジルの主要諸都市を旅行したとき状況の重大さに気がつきました。私はそこで大学の状況に接しました。3月の半ばに私は旅行を終え、次の結論に達しました:教会が大学を失ったということは事実である、と」

カトリックの諸学部への潜入は非常に重大であった。われわれの大学にさえ共産主義者の細胞グループがあった...カトリックの諸団体も例外ではなかった。

ただ一つの希望だけが残っていた:それはいと祝せられた乙女に対する信心である....

ファチマの精神に従った祈りと償いへの繰り返される呼びかけが信仰--山をも動かす信仰--を甦らせた。このようにして不可能なことが起こった:一滴の血を流すこともなく勝利した戦争の奇跡が起こったのだ。

反革命の首脳部は少なくとも3ヶ月の激しい闘争を予見した。しかし、人間的に言えば、説明不可能であった一つの力が全軍事組織を崩壊させた。数年間にわたって辛抱強くそして悪魔的に建設されてきた一つの組織がカードで作られた家のように崩壊したのだ。

恩寵の働きの証拠はそのようなものだったので、皆はこのことはいかなる人間的な説明も持ち得ないと確信させられた。反革命の軍事および民事の首脳たちはほとんど、この勝利を祝せられたおとめの特別の恩寵に帰すことにおいて一致していた。多くの人々はロザリオが決定的な武器であったと宣言した。

この危険な状況に直面して、カトリック諸団体は彼らの全努力を祝せられたおとめの奉仕に置いた。2,000のマリア会議に登録された20万人の男たちと青年たちが自由のための闘争における一つの真の平和を作り出す軍隊を形成した。

女たちは彼女らの勇気と聖母への信頼によって模範を与えた。彼女らは1964年のマルキスト革命の失敗に非常に貢献した。彼女らとその子どもたちは「神の御母、われらを新しい苦しみから守り、逃れさせてください...」という嘆願を記した数千枚のパンフレットを配布した。

女たちはロザリオを声高に唱え、歌を歌いながら通りを通った。1964年3月17日に、「神の助けによる平和を求める家庭の行進」が組織された。毎週、リオデジャネイロの枢機卿大司教は聖母の執り成しによって神の御憐れみを得るために、ファチマの精神に従って彼らに祈りと償いを要求して、カトリック教徒たちに警戒させた。

この大きな国には多くの問題が残っているということが真である一方で、1964年3月31日に武装闘争なしに、そして血が流されることなしに、自由と平和の時が鳴り響いたということもまた等しく真である。

2004/04/06 三上 茂 試訳

作成日:2004/04/06

最終更新日:2004/04/06

Arm of Peaceへ

マリア様のページへ

トップページへ

inserted by FC2 system