ファチマの聖母マリア

黒が白であるとき

The Fatima Crusader Issue 66, Winter 2001より

クリストファー・A. フェララ, Esq.

君は何を信じようとしているのか? 私か、それとも君自身の眼か?
--Groucho Marx in Duck Soup--

ジョージ・オーウェル(George Orwell)の1984年--全体主義的共産主義の諷喩 --においては、オセアニアの神話的社会はビッグ・ブラザーとして知られる偏在する神のごとき独裁者によって支配されている。主人公ウィンストン・スミス(彼を再プログラムするための体制の努力に反対して戦っている)はチョコレートの割当量がどのようにカットされたかということ、しかし、洗脳された市民は割当量が増やされたのだと告げられたということを思い起こす。人々は彼らの幸運に従順に喜び、ビッグ・ブラザーをその気前のよさゆえに賞讃した。

公会議後の教会における事態は同様にオーウェル的である。われわれは、単純にそうであることを無視する一方で、そうでないことを喜んで宣言することを期待されている。ローマ典礼が前例のない新しさの導入によって破壊されたけれども、われわれは「典礼の刷新」を喜ぶことを期待されている。エキュメニズムは、真の教会から、そして自然法からさえはるか遠くまで漂流しているプロテスタントと共に、一つの明白な失敗であるけれども、われわれはキリスト者たちの「増大する一致」を宣言することを期待されている。大多数のカトリック教徒がプロテスタントたち、ユダヤ教徒たちと同じように難なく中絶、避妊そして離婚を実践しているけれども、われわれは第2ヴァチカン公会議が産み出した生き生きとした信仰に驚嘆することを期待されている。カトリック教徒たちが世界中でイスラム原理主義者たちによって虐殺され、地域戦争があらゆる大陸で荒れ狂い、そして中絶ホロコーストが神のご覧になっている中でますます高く燃え上がっているけれども、われわれは「愛の文明」の到来を歓呼して迎えることを期待されている。

教会の人間的要素の多くはその活動において衰弱したものとなり、そのメッセージにおいて混乱したものとなった。しかしヴァチカン当局は教会がこれまで以上に精力旺盛であると宣言している。そのすばらしいニュースを祝うために聖年を持とう。しかし、みんなのための祝祭はあまり持たないようにしよう:若い人々のための聖年、娯楽の世界の聖年、ピザ作りの日さえある。群衆、音楽、一年中のための雷鳴のような拍手を持とう。チョコレートの割当量が増えたことを喜ぼう。

そして次にファチマのメッセージがある。1984年、まったく奇妙なことに、ファチマの聖母によって要求されたロシアの奉献があったと今や我々が告げられている一つの儀式がヴァチカンで行われた。よく聞き給え、教皇自身はこのことを言っておられない。まったく反対に、1984年の儀式の間そしてその後のどちらでも、教皇はその自発的な所見の中で、聖母がロシアの特殊的な奉献を今もなお待っておられるとはっきり述べておられる。1984年の儀式がロシアの奉献であったとわれわれに告げているのは、教皇ではなくて、事実上 de facto 教会を支配することを教皇が許しておられる教会当局者たちである。

ビッグ・ブラザー

 ミニ・教皇たちのこのグループ、このヴァチカン当局がわれわれ自身のビッグ・ブラザーである。注1)教皇がキリストの社会的王権そしてその祝せられた御母の女王権なしの世界平和と兄弟愛のますます後退していく蜃気楼を求めて地球を忙しく回っておられる間に、彼らは公会議後の教会のオセアニアにおいてあらゆることを支配している。

 2000年6月26日、第三の秘密に関するヴァチカン記者会見において、ビッグ・ブラザーは奉献について考えることを止めるようにわれわれに命令した:「[奉献を求める]いかなるそれ以上の議論あるいは要求も根拠がない」と秘密に関するヴァチカンの注釈においてモンシニョール・ベルトーネは宣言した。

 しかし、ちょっと待ってほしい。確かに、ビッグ・ブラザーは間違っている。シスター・ルチアが繰り返し繰り返し(少なくとも1946年から、ウィリアム・ウォルシュ(William Walsh)のOur Lady of Fatimaを通して、1982年にはL'Osservatore Romanoにおいてそして1984年以後でさえ雑誌Sol de Fatimaにおいて)聖母が、ロシアは奉献の行為において特殊的に言及されなければならない、そして世界の司教たちが教皇と共にその行為に参加しなければならないと告げられたということを知らせている、ということをわれわれは記憶していないのか? そして、神がロシアの奉献を要求なさるとき、ロシアが奉献の行為の中のどこかで言及されるべきであるということは完全に明らかではないのか? にもかかわらず、1984年の儀式においてはロシアの言及はなかったし、また司教たちは参加していなかったのである。

気にするな、とビッグ・ブラザーは言う。モンシニョール・ベルトーネによれば、シスター・ルチアは、彼女がそれと反対のことを言ったすべてにもかかわらず、今やロシアが16年前に奉献されたと言っている[らしい]。われわれはシスター・ルチアが、1984年におけるウィンストン・スミスと同じように、結局のところ2足す2が5であるということをついに分かるようになったと告げられるのである。

ビッグ・ブラザーは、シスター・ルチアに前に出て来させて、公衆に彼女の驚くべき心変わりを間違いないとはっきりさせることを許さなかった。そうはさせなかった。ビッグ・ブラザーは6月26日に、第三の秘密はその全体が公表された、それは過去に属する、そしてファチマの預言的警告についてそれ以上言い残されたことは何もないと宣言したのに、ある奇妙な理由で彼女はヴァチカンの許可なしに誰かに話すことを妨げる発言禁止命令の下に今も置かれている。生身のシスター・ルチアを示す代わりに、ビッグ・ブラザーは唯一の生き残りの証人として、彼女の証言の非常に奇妙な代用品に言及した:すなわち、それはシスター・ルチアが1989年11月8日--11年以上も前のことであるが--にある身元不明の受取人に宛てて書いたと言われる1通の手紙なのである。この手紙の中で、シスター・ルチアは「はい、それ[奉献]は1984年5月25日に、聖母がお求めになった通りになされました」と言った、とわれわれは告げられる。

私は私の全教会がその(ロシアの)奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認め、その結果教会が後にその信心を広め、この汚れなき御心への信心を私の聖心への信心の側に置くようになることを望んでいる。

しかしビッグ・ブラザーはなぜ6月26日の記者会見でこの手紙のコピーを用意しそこなったのか? そしてなぜ手紙の受取人は同定できなかったのか? おそらくそれは、同一の手紙--ネルカー氏(Mr. Noelcker)なる人物に宛てられた--が数年前カトリック報道機関において公表されたが、そのときそれが捏造された手紙であると即座に暴露されたためである。それが最初に公表されたとき(ビッグ・ブラザーの何人かの友人たちによって)、われわれはネルカー氏宛の1ページの手紙が、当時82歳の修道女が、彼女の分厚い回想録を含めてすべてのものを手書きで書いていたその生涯の後に突然切り替えたワープロでタイプされていると信じることを求められた。われわれは、それがパウロ6世教皇が1967年にファチマを訪問されたときに世界の奉献を挙行されたと主張しているのに、シスター・ルチア自身がこの手紙を書いたということを信じることを求められた。パウロ6世がいかなる奉献も--世界の奉献も、あるいは他の何物かの奉献も--決して行われなかったということを、ビッグ・ブラザーはわれわれが忘れるように要求する。しかしシスター・ルチア自身はこの不手際を決してすることはできなかった。なぜなら、彼女は教皇の訪問のために本人自らそこに居合わせていたからであり、その機会には世界の奉献はなかったということを誰よりもよく知っていたからである。

無視されたシスター・ルチア

われわれはまた、モンシニョール・ベルトーネも、ソダノ枢機卿(ヴァチカン国務省)も、ラッツィンガー枢機卿も、他のヴァチカンの代表者たちの誰かも、彼らが2000年5月13日のヤチンタとフランシスコの列福式のためにファチマにいたときに、なぜシスター・ルチアに1984年の儀式の十分さについて訊ねなかったのか、というような事柄について考えることを止めるように命令されている。わずか数日前に証言するために利用できる唯一の生きた証人がいるのに、ヴァチカンがシスター・ルチア自身決してしなかったであろう見逃すことのできない事実上の誤りを含んでいる11年も前の古いコンピュータで産み出された覚え書きにひたすら頼ることはむしろ異常なことではないか?

ああ、しかしビッグ・ブラザーはわれわれに「いかなるそれ以上の議論あるいは要求も根拠がない」と告げる--彼はそう告げなかったか? もしビッグ・ブラザーがロシアは汚れなき御心に奉献されたと言うならば、ロシアが言及されたことは決してないということ、あるいは司教たちが参加しなかったということは重要なことではない。ビッグ・ブラザーが問題であるところでは、言うことはそうすることなのである。

しかし別の問題がある:もしロシアが16年以上も前にマリアの汚れなき御心に奉献されていたのならば、その奉献の結果に関するファチマの聖母の御約束はどうなったのであろうか?

「あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。...最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えられるでしょう。」

「回心」とは何か?

ウェブスター辞典は「回心」を「宗教の決定的な採用に伴った一つの経験」と定義している。もしウェブスターでさえ回心を宗教の採用として認めているならば、ファチマの聖母がロシアの回心について話されたとき何か別のあるものを考えておられたと言うことはほとんどできない。一つの非道徳的な体制から他のそれへという単なる政治体制の変化は霊魂の救いを保証しないであろう。しかし新しい宗教の採用は保証するであろう。

ロシアはその回心の結果として何の宗教を採用するであろうか? カトリックの教皇とカトリックの司教たちのためのメッセージを携えてカトリックの子どもたちに御出現になったファチマの聖母はただカトリック宗教だけを意味されることができたであろう。聖母が正教会の宗教への回心を意味されたとは考えることはできないであろう:聖母が御出現になったときに正教会はすでにロシアにおいて広まっていた。そして正教会は、彼らが今そうしているようにそのとき、ファチマのメッセージのまさに核心である汚れなき御宿りの教義を拒否していた。

そこで、われわれカトリック教徒はロシアの回心によって聖母が何を意味されたかを確実に知っている。聖母はロシアがカトリック国になることを意味された。このことはロシア正教会が彼らの分離を撤回し、キリストの代理者[ローマ教皇]に従属しそして彼らの誤った教義上の教えを断念するということを意味するであろう。そのことは特に、ロシア正教会がそれなしには汚れなき御心の信心があの国に確立され得ない汚れなき御宿りのカトリック教義を奉ずるということを意味するであろう。

ところで、もしビッグ・ブラザーが、ロシアは16年以上も前にマリアの汚れなき御心に奉献されたとわれわれに告げるならば、そのときロシアは約束されたカトリシズムへの回心を確かに経験していなければならない。しかしながら、6月26日にビッグ・ブラザーはこの問いについては奇妙にも沈黙していた。第三の秘密に関するヴァチカンの注釈の中にはロシアの回心についての議論はなかった。おそらくこれはビッグ・ブラザーでさえ1984年以来のロシアにおいて見てきたものが宗教的回心であるとわれわれが信じることを期待できないからであろう。

回心しなかったロシア

われわれは真実を知っている。申し立てられた1984年の奉献以来、ロシアは霊的、道徳的、そして物質的崩壊を経験してきた。ロシア正教会総主教アレクシー2世でさえ、「共産主義崩壊」以来のロシア社会の霊的解体を公然と非難してきた。実際、ロシアは正教会宗教にさえ「回心」しなかった:19歳から29歳までのロシア人の94%は教会に行っていない。注2)ロシアにおけるカトリシズムの状態に関して言えば、ロシアカトリック教徒の総数は11万人--1億4500万の国家において--である。それは人口の1%の10分の1以下ということである。全ロシアには総計114人の司祭がいるが、彼らのうちのたった3人だけがロシアで養成され、叙階された。

1917年にファチマの聖母が御出現になったとき、当時のロシア人口は今日そうである人口の小部分であったにもかかわらず、現在の4倍も多いロシア・カトリック教徒がいた。

今ロシアでは一人の出産に対して二つの中絶がある。ロシア人口は1991年の申し立てられている「ソビエト連邦の崩壊」以来330万人の人々が減少した。2000年だけでもロシアは55万人以上の人々を失った。状況が非常に絶望的であるので、ロシア民族主義者のウラディーミル・ジリノフスキー(Vladimir Zhirinovsky)はより多くの赤ん坊をつくるために一夫多妻制を主唱している。アル中と暴力犯罪はロシアに世界最高の若死率を与えている。2000年の最初の7ヶ月のうちに2万人のロシア人がアルコール中毒で亡くなった--これは昨年の同時期を43%以上超える数字である--。ロシアにおける退職の計画は葬儀の予定から成り立っている。男性の平均寿命の予測値は59.9歳--最近10年間より3年下回っている--である。全国民はひどい貧困のうちに生活しており、人口の3分の1が1ヶ月当たり60ドル以下しか受け取っていない。

ロシアは回心しつつあるのではない。ロシアは死につつある。そのような証拠を前にして、ビッグ・ブラザーがロシアの回心について沈黙しているのは何ら不思議ではない。そのロシアの回心を彼はファチマのメッセージから書いたのである。しかしビッグ・ブラザーは彼が聞きたいことを彼に告げることによって彼を喜ばせることに熱心な多くの友人を持っている。ビッグ・ブラザーのこれらの友人−−ネルカー書簡や似たような諸々の偽造品を公表した同じ人々--は、ファチマの聖母はロシアの宗教的回心については全然語られたことはなく、ただ1989年以来われわれが見てきた「奇跡的な」政治的諸事件だけを語られたという考え方を広めている。そうだ、「回心」は共産主義から自由への、戦争のような行動から平和的な協力への変化を意味するのだ、と彼らは言う。ファチマの聖母はロシアにおける民主主義の先触れだったのであり、そしてこれは聖母の汚れなき御心の勝利を表している、と。

われわれはファチマのメッセージのこのばかげた解釈に内在している冒涜を考えないことにしよう。それは神の全能を今なお神に反対している人間的政治に奉仕させるものである。議論を進めるために、ファチマの聖母がソビエト連邦におけるほかならぬ政治的諸変化を預言するために地上に来られたと仮定してみよう。これはばかげている。しかし、われわれの議論のために、それが真であると仮定してみよう。この修正主義者のファチマ・メッセージでさえ経験的な証拠によって偽りであることが示される。

そしてその証拠はいっぱいある。例えば、リベラルなジャーナリスト、デイヴィッド・フラム(David Frum)はThe National Postにおいて書きながら、「ロシアにおいは、プーチンが入り--そして民主主義が出る」と宣言している。彼の論考はウラディーミル・プーチンの「1991年に崩壊したソビエト国家を支配した多かれ少なかれ同じ人々によって支配されたロシアにおける権威主義的国家の」体系的「再組織」を詳しく論じている。さて、グルーナー神父はそのことを数年来言って来た、そうではなかったか? フラムはプーチンがロシア唯一の独立メディアの支局の所有者をでっち上げた罪の廉で逮捕し、ロシア石油産業を再び奪い取る動議を提出し、前KGB高級幹部であり後年の首相であるイェフゲニー・プリマコフ(Yevgeny Primakov)に一つの高い段階の内閣の地位を与える一方で経済的紛争のために最近作られた独立の司法制度を徐々に廃止し始めた、と述べている。プリマコフは典型的なソビエト時代の悪党である。フラムはプーチンが「危険な人物--世界にとって危険な、長い間苦しみそしてもう一度失望させられる人々にとって危険な人物--と見なされるべきである」注4)と結論している。

もう一人のネオコン・リベラルであるウィリアム・サファイア(William Safire)は同じように率直である。そのNew York Timesの記事「KGBはロシアにおいて企業で采配を振るう裏方である」の中で、サファイアは独立メディアの重要人物グイジンスキー(Guisinsky)の逮捕とどのようにロシアのメディアが「自分たちがどこに行こうともウラディーミル・プーチンのKGBによって監視下に置かれていることを知っているか」を詳しく述べている。サファイア--私はあなたに思い起こさせるが彼はリベラルである--はどのようにプーチンのロシア大統領としての「選出」が実際はプーチン(もう一人のKGB人間)の当座の指名を許すために引退したエリツィン(Yeltsin)に対する承認の特赦によって達成された一つの予期せぬ出来事であり、プーチンはそれからクレムリンにおける権力の座から「立候補する」ことができたのである、と詳しく述べている。

似たような不安にさせる見出しの例は増やすことができる。

ロシア・メディアは生きるために戦う 注5)

ロシアのプーチン小政党に対する抑制のあらましを述べる 注6)

反抗する知事、ロシアが暗黒の日々に戻ると語る 注7)

合衆国の援助はロシアの兵器の資金源となっている 注8)

ロシア人はレーニンを「世紀の人」、スターリンをランナーとして取り上げる

グルーナー神父の使徒職がこれらのような話を公表すると、ビッグ・ブラザーの友人たちはグルーナー神父を「災厄を予言する人間」そして「ファチマ陰謀理論家」として嘲笑う。しかしロシアにおいて再びスターリンの国歌(プーチンによって回復された)の不愉快な旋律が聴かれるとき、賢明な人々にとってはそれはその音楽に耳を傾けるときである。リベラルなデイヴィッド・フラムでさえ認めることができる:「最善を望むのを止め、最悪のために準備する時である。」

それはカトリック教徒にとって、特にファチマの観点からロシアを理解する者にとってよい忠告である。ロシアは--宗教的に、道徳的に、政治的に--回心しつつあるのではない。反対に、ロシアはどの方面でも衰弱しつつある。ロシアの現在の状態を神の御母の介入に帰することはカトリック信仰を嘲ることであり、祝せられたおとめを侮辱することである。そこでカトリックの観点からは、ただ一つの結論だけが可能であると思われる:ファチマの聖母が要求なさったことは、モンシニョール・ベルトーネが何と言おうとも、まだなされていない。

ヴァチカン当局がリベラル新聞でさえ嘘であると見ることができる何かあることを信じるようわれわれに期待しているとき、われわれは非常に悪い場所に来てしまったのだ。ベルトーネ大司教は「[奉献を求める]それ以上のいかなる議論あるいは要求も根拠がない」と主張されるであろう。しかし、言うことはそのようにすることではない。たぶんオセアニアではそうかもしれない。しかし、聖なるカトリック教会ではそうではない。

脚注

(1) グルーナー神父とこの出版を非難することを喜んでいる悪意のあるそして頑固に盲目的な人々に対して、使徒職の見解について彼らが行うなおもう一つの意図的な不当な性格づけを拒否させてもらいたい:上述のテキストから明らかなように、私はビッグ・ブラザーによって教皇を意味しているのではなくて、むしろ教皇を取り囲み、教皇を「操っている」ヴァチカン当局を意味しているのである。教皇自身は当局によって促進されているファチマの改作に教皇ご自身の権威を委ねることを拒否された。実際、黙示録第12章において語られた「龍の尾」を避けるように教会に警告なさった2000年5月13日のファチマにおける教皇の説教はファチマの預言的警告が今なお大いに効力を持っているということの一つの驚くほどに明確な主張であった。龍の尾は天から諸々の星を掃き落としていると見られている。天の諸々の星とは、その文言の一般的なカトリックの解釈に従えば、奉献された霊魂(司祭たち、司教たちそして修道者)のことである。教皇は列福式のためにまさにご自分がファチマに現れることを妨害しようとしたと明らかに思われた当局を通り越して一つのメッセージを密かに持ち込もうとされたのだろうか? われわれはただあれこれ推測することができるだけである。
(2) “Russian Church Failing to Reach Youth” The Wanderer, January 11, 2000, p.9.
(3) The data cited in this paragraph were obtained from “Wanted: More Russian Babies To Rescue a Fast Dying Nation.” London Observer, December 31, 2000.
(4)National Post, June 17, 2000.
(5) Washington Post Service, June 28, 2000.
(6) DPA News Agency, December 27, 2000. プーチンはすべての反対党を、彼らが少なくとも1万人の党員とロシアの89の地域の少なくとも半分の地域に事務所を持たないかぎり、基本的に非合法化する法律を導入した--これは途方もなく負担の重い要求である。
(7) Reuters, December 24, 2000.
(8) Insight, January 9, 2000.
(9) “Lenin the Man of the Century,” December 27, 2000, News World Communications, Inc.

2004/01/25 三上 茂 試訳

作成日:2004/01/25

最終更新日:2005/03/19

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