公教要理

索引附

 以下に紹介するのは、昭和27(1952)年3月5日発行、昭和33(1958)年7月25日第6版、カトリック中央協議会編集、中央出版社発行の公教要理の全文です。上の写真に見るように、これはほぼ原寸大でページ数が242ページの小型本であり、紙質はそれほどよくありません。単に歴史的に意味があるだけではなくて、ごく一部の記述(例えば聖体拝領前の時間や大斎、小斎の規定についての記述)に現状と合わないものがありますが、基本的には今日にも通用するものと私には思われます。緒言の註にもありますように、この公教要理で学んだ者は大型活字(ここでは太字にしました)の部分を暗誦したものです。
 間違い、脱落部分もあると思いますが、訂正して行くつもりです。(1999年5月13日 ファチマの聖母マリア御出現82周年記念日)


緒言

 宗教は天主に対する人の道であります。従って、天主に対する人の義務は勿論、社会に対する義務、他人に対する義務、己に対する義務等を完全に教え、社会の秩序及び道徳の基礎をなしております。
 それ故、宗教を離れた社会秩序や道徳は、その根底を失ったものであって、実践的には甚だ不完全であると言わねばなりません。又、人は如何に五倫の道を完うしても、宗教を忽せにしては、人の道に欠けるところがあるのであります。
 尚、人は生れながら完全な幸福を求めておりますが、宗教によらなければ之を得ることが出来ません。何故ならば、完全な幸福は天主と一致することで、天主の特別な賜物であるからであります。
 このように、宗教は人の道を完うし、完全な幸福を得るために是非必要であります。然し、どんな宗教でもよいというわけではなく、唯真の宗教によってのみ、その目的を達することが出来ます。そして、天主は御一体、真理は一つ、人の真の道も一つでありますから、真の宗教は唯一つあるのみであります。その上、天主に対する人の道は、人が自由に決めることではありませんから、真の宗教は天主の啓示し給うたものでなければなりません。
 幸い、天主は人々に真の宗教をお示しになりました。即ち、人祖にその大本をお授けになり、預言者たちを通じて次第に之を明かにし、終にイエズス・キリストをもって之を完成し給うたのであります。そして、イエズス・キリストは、真の宗教を万国万代に伝え、万民に救霊を得させるために、公教会をお建てになりました。
 公教要理は、公教会に伝えられたイエズス・キリストの御教の大要を記したもので、人は誰でも、天主に対する人の道を完うするために、之を学ぶ必要があり、殊に信者はその子女に之を学ばせる義務があります。
 (註)本文中の大型活字は暗誦すべき部分、その中 * を附したものは教理の大切な箇所で、年齢、病気その他の理由により、教理を簡単に勉強しようとする人々でも、省略してはならぬ部分であります。
 小型活字は聖書の引用その他の説明で、直接暗誦の必要はありませんが、大切なこともあり、又参考になるところが多いので忽にしてはなりません。
 尚、聖書の出典については、次のような略号を用いています。

民数紀略

列、下

列王紀略、下

詩篇

伝道書

黙示録

出エジプト記

申命記

歴代史略、下

箴言

智書

使徒行録

目次

緒言

第一課

人の目的

第一部  信ずべきこと

第二課

信仰とその源

第三課

使徒信経

第四課

天主

第五課

三位一体

第六課

創造及び主宰

第七課

天使

第八課

第九課

原罪

第十課

旧約時代

第十一課

御託身

第十二課

イエズス・キリストの私生活

第十三課

公生活

第十四課

御苦難、御死去

第十五課

御復活

第十六課

御昇天

第十七課

聖霊の御降臨

第十八課

公教会

第十九課

公教会の使命

第二十課

公教会の特徴

第二十一課

公教会の宣教

第二十二課

諸聖人の通功、罪の赦

第二十三課

死と私審判

第二十四課

天国、地獄及び煉獄

第二十五課

肉身の復活、公審判

第二部 守るべきこと

第二十六課

愛の掟(一)

第二十七課

愛の掟(二)

第二十八課

天主の十戒

第二十九課

第一戒(一)

第三十課

第一戒(二)

第三十一課

第一戒(三)

第三十二課

第二戒

第三十三課

第三戒

第三十四課

第四戒(一)

第三十五課

第四戒(二)

第三十六課

第五戒

第三十七課

第六戒、第九戒

第三十八課

第七戒、第十戒

第三十九課

第八戒

第四十課

公教会の六つの掟

第四十一課

第一の掟

第四十二課

第二、第三の掟

第四十三課

第四、第五の掟

第四十四課

第六の掟

第四十五課

第四十六課

罪源

第四十七課

キリスト教的徳

第四十八課

対神徳

第四十九課

超自然的倫理徳

第五十課

完徳

第三部  聖寵を受ける方法

第五十一課

聖寵

第五十二課

第五十三課

主祷文、天使祝詞

第五十四課

秘蹟

第五十五課

洗礼

第五十六課

堅振

第五十七課

聖体

第五十八課

ミサ聖祭

第五十九課

聖体拝領

第六十課

改悛(一)(糺明)

第六十一課

改悛(二)(痛悔、遷善の決心)

第六十二課

改悛(三)(告白)

第六十三課

改悛(四)(償)

第六十四課

改悛(五)(贖宥)

第六十五課

終油

第六十六課

品級

第六十七課

婚姻

第六十八課

信者としての心得

附録

公教要理索引


公教要理

第一課 人の目的

1 人は何のために、この世に生れて来ましたか。

 人がこの世に生れて来たのは、天主を知り、天主を愛し、天主に仕えて、遂に天国の幸福を得るためであります。

 「人全世界をもうくとも、若し魂を失わば何の益かあらん」(マテオ16-26)

2 天主を知るには、どうしなければなりませんか。

 天主を知るには、天主が人に啓示し給うた教を信じなければなりません。

 人は自分の智慧だけで、幾らか天主を知ることができますが、一層深く知るためには、天主の啓示によらねばなりません。

3 天主を愛し、天主に仕えて、遂に天国の幸福を得るには、どうしなければなりませんか。

 天主を愛し、天主に仕えて、遂に天国の幸福を得るには、天主の掟を守らなければなりません。

 「天主に対する愛は、其掟を守るに在ればなり」(ヨハネ1書、5-3)
 「我に主よ主よと言う人皆天国に入るには非ず、天に在す我が父の御旨を行う人こそ天国に入るべきなれ」(マテオ 7:22)

4 人は自分の力だけで、天主を知り、天主を愛し、天主に仕えて、遂に天国の幸福を得ることが出来ますか。

 人は天主の聖寵によらなければ、天主を知り、天主を愛し、天主に仕えて、遂に天国の幸福を得ることは出来ません。

 「我を離れては、汝等何事をも為す能わず」(ヨハネ 15-5)

5 公教要理は何を教えますか。

 公教要理は

 一、

天主とその御教とを知るために、信ずべきこと

 二、

天主を愛し、天主に仕えるために、守るべきこと

 三、

天主と一致し、天国の幸福を得るために、聖寵を受ける方法を教えます。

第一部  信ずべきこと

第二課 信仰とその源

6 人は何を信じなければなりませんか。

 人は、天主の啓示し給うたすべての事柄を、信じなければなりません。

 啓示とは、天主御自らが真理を人々に示し給うことであります。

7 なぜ、天主の啓示を誤りない真理と認めることが出来ますか。

 天主の啓示を誤りない真理と認める訳は、天主は偽ることも、誤ることも出来ない御方であるからであります。

 「天主は偽り給う能わず」(ヘブレオ 6-18)

8 天主の啓示し給うた事柄を、人々に教えるのは誰ですか。

 天主の啓示し給うた事柄を、人々に教えるのは、公教会であります。

 「汝等往きて万民に教えよ」(マテオ 28-19)

9 公教会が教える天主の啓示は、何に含まれていますか。

 公教会が教える天主の啓示は、聖書と聖伝との中に含まれています。

 聖書と聖伝とを信仰の二つの源と申します。そして之等は天主の特別の御助によって、誤りなく、教会に保存されております。

10 聖書とは何でありますか。

 聖書とは、聖霊の神感によって、天主の御言葉を書きしるした書物であります。

 聖霊の神感とは、天主の超自然の御助によって、一、聖書記者に筆をとる心を起させ、二,内容を示し、三,書く時に誤りがないように導くことであります。

11 聖書は幾部に大別されますか。

 聖書は、旧約聖書と新約聖書との二つに大別されます。

旧約聖書はイエズス・キリストの御降誕前、新約聖書は御降誕後の天主の啓示を記したものであります。

旧約聖書四十六部

 一、

モイゼの五書を含む二十一部の歴史書

 二、

七部の教訓書

 三、

十八部の預言書

新約聖書二十七部

 一、

イエズス・キリスト及び使徒達の言行事跡を記した四福音書及び使徒行録から成る五部の歴史書

 二、

聖パウロの十四部の書簡及び他の使徒達の七部の書簡からなる教訓書

 三、

公教会の将来及びその勝利を記した聖ヨハネの黙示録なる預言書

12 聖伝とは何でありますか。

 聖伝とは、聖書に書きのせられていないが、使徒の時代から、聖霊の御助によって、誤りなく伝えられた天主の御言葉であります。

 聖伝の伝えられた道は二つあります。一は公教会の公式の教導であって、信経叉は信仰宣言書、公会議叉は信仰道徳に関する教皇の公式の教書に含まれ、二は公教会の非公式の教導であって、教父の著書、祈祷書、典礼書、殉教録、古代キリスト教の美術,碑銘等に含まれています。

13 聖伝は聖書と同様に重んずべきものでありますか。

 聖伝は聖書と同様に重んずべきものであります。

 聖伝の中には、聖書に記されていない教理も多くあり、叉、聖書の中にも聖伝を重んずべきことが記されてあります。

 「或いは談話、或いは書簡によりて習いし伝を守れ」(テサロニケ後2-14)
 「数多の証人の前に、我より聞きしことを他人に教うるに足るべき忠実なる人々に託せ」(チモテオ後 2-2)

第三課 使徒信経

14 信ずべきことを簡単に書いたものがありますか。

 信ずべきことを簡単に書いたものは、イエズス・キリストの十二使徒から伝えられた使徒信経であります。

15 使徒信経はどうとなえますか。

 使徒信経は次のようにとなえます。

 一、

我は天地の創造主、全能の父なる天主を信じ、

 二、

叉その御独子(おんひとりご)、我等の主イエズス・キリスト

 三、

即ち聖霊によりて宿り、童貞マリアより生れ、

 四、

ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に附けられ、死して葬られ、

 五、

古聖所(こせいしょ)に降りて三日目に死者の中(うち)より蘇(よみがえ)り、

 六、

天に昇りて全能の父なる天主の右に坐し、

 七、

彼処(かしこ)より生ける人と死せる人とを審かん為に来り給う主を信じ奉る。

 八、

我は、聖霊、

 九、

聖なる公教会、諸聖人の通功、

 十、

罪の赦(ゆるし)

十一、

肉身の復活(よみがえり)

十二、

終なき生命を信じ奉る。アーメン。

第一条 我は天地の創造主、全能の父なる天主を信ず。

第四課 天主

16 何によって天主の存在を知ることができますか。

 天主の存在は、1,推理によっても、2,天啓によっても之を知ることができます。

 推理によれば、

 一、

天地万物は自ら存在するものではありませんから、之に存在を与えた自ら存在する者がなければなりません。

 二、

天地万物は運動していますから、この第一原因がなければなりません。

 三、

天地万物は相互に秩序を保っていますから、この秩序を保たせる者がなければなりません。

 四、

生物は生物によらなければ発生することが出来ませんから、これらの生物を派生させた生命の源が存在しなければなりません。

 五、

人には皆良心があり、その命令を勝手に無視することはできませんから、この良心の立法者がなければなりません。

 天啓によれば、
 天主は屡々その存在をお示しになりましたが(ヘブレオ1-1, 2)特にモイゼに現れ、「我は自ら在るものなり」(出3:14)と仰せられて、元来自ら存在し給う御方に在すことをお示しになりました。

17* 天主とは、どのような御方でありますか。

 天主とは天地万物をつくり、叉之を宰(つかさど)り給う限りなく完全な霊であります。

 天地万物の創造史(創 1)
 「御身の宰りはよろず代にたゆることなし」(詩 144-13)(ヨハ 4-24)

18 霊とは何でありますか。

 霊とは五感に感じられないが、智慧と意志とを具えたものであります。

19* 天主には始めがありますか。

 天主には始もなく、終もなく、いつも存在し給う御方であります。之を天主の永遠ともうします。

 「御身はいまだ地と世界をつくり給わざりしとき、永遠より永遠に到るまで御身は天主なり」(詩 89-2)
 「永遠の天主」(創 1-33)

20* 天主は何処においでになりますか。

 天主は、天にも、地にも、何処にでもおいでになります。之を天主の遍在ともうします。

 「われ天にのぼるとも御身かしこに在し、われわがとこを陰府(よみ)にもうくとも、視よ御身かしこにいます。我あけぼのの翼をかりて海のはてに住むとも、かしこにても、尚御身の御手われをみちびく....」(詩 138:8-10)

21* 天主の御存じにならぬことがありますか。

 天主の御存じにならぬことは一つもありません。過去、現在、未来のこと、人の心の底までも知り給うのであります。之を天主の全知と申します。

 「悪人は天主がすべてを見給うと考えず....天主の目は太陽よりも千倍もあきらかにして人々のすべての道、人々の心の隅まで見給うを知らず」(集 23:27-28)

22* 天主のおできにならぬことがありますか。

 天主のおできにならぬことはありません。之を天主の全能と申します。

 「何事も天主には能わざる所あらじ」(ルカ 1:37)(詩 113-3)

 尚天主は万徳を具え給い、たとえば至って聖(イザヤ 6:3、黙 4:8)至って真(マテオ 24:35, 民 4:8)至って善(創 18:26、ヨハネ 3:16)至って美、至って義(ロマ 2:6)また罪人には至って大なる御憐み(エゼキエル 33:11、ルカ 15, 18)を有し給う御方であります。

第五課 三位一体

23* 天主は数多(あまた)ありますか。

 天主はただ御一体あるばかりであります。

24* 天主には幾つのペルソナ(位格)がありますか。

 天主には三つのペルソナ(位格)があります。第一位を聖父(ちち)、第二位を聖子(こ)、第三位を聖霊と申します。

 「ペルソナ(位格)とは智慧と自由意志とを具えた独立の完備した実体(もの)であります。「聖父と聖子と聖霊との御名によりて是に洗礼を施せ」(マテオ 28:19)

25 聖父とはどのようなペルソナ(位格)でありますか。

 聖父は他のペルソナ(位格)の源で、永遠に在し給う御方であります。

26 聖子とはどのようなペルソナ(位格)でありますか。

 聖子は聖父にて在す天主から、永遠に生まれ出で給う御方であります。

27 聖霊とはどのようなペルソナ(位格)でありますか。

 聖霊とは、聖父と聖子とより永遠に出で給う御方であります。

28* 聖父も聖子も聖霊も天主でありますか。

 聖父も聖子も聖霊も各々天主であります。

29 聖父と聖子と聖霊とが各々天主であるならば、三体の天主ではありませんか。

 聖父と聖子と聖霊とは三体の天主ではありません。三つの異なるペルソナ(位格)で在りますが、天主の性は唯一つでありますから、唯一体の天主であります。これを天主の三位一体と申上げます。

 「天に於て証するもの三あり、聖父と御言(みことば)と聖霊と是なり。而して此(この)三のものは一に帰し給う」(ヨハネ一書 5:7)

30* 三位の中(うち)には、後先、上下の差別がありますか。

 三位は同じく天主でありますから、後先、上下の差別はありません。

 天主の御業は総て三つのペルソナ(位格)に共通でありますが、創造の御業を特に聖父の御業とみなして、聖父を創造主と申上げ、救世の御業を聖子の御業とみなして、聖子を救主(すくいぬし)と申上げ、成聖の御業を聖霊の御業とみなして、聖霊を聖寵の与え主と申上げます。勿論(もちろん)、贖罪(あがない)の御業は人となり給うた御子のみの御業です。

31 三位一体のわけは之を悟ることができますか。

 三位一体のわけは、人間の智慧では悟ることができません。天主のお示(しめし)であるから、之を信ずるのであります。

32 悟り得なくとも、信ずべきことを何と申しますか。

 悟り得なくとも信ずべきことを、玄義(げんぎ)と申します。

33* 天主が御一体であって三位なる玄義を何と申しますか。

  天主が御一体であって三位なる玄義を、三位一体の玄義と申します。

 玄義には、三位一体の玄義の外に、御託身(ごたくしん)の玄義、救世の玄義などがあります。

第六課 創造及び主宰

34* なぜ天主を天地の創造主と申しますか。

 天主を天地の創造主と申しますのは、何もないところから天地万物をおつくりになったからであります。

 「はじめに、天主は天地をつくりたまえり....」(創 1:1)

35* 天主は、天地万物をおつくりになっただけでありますか。

 天主は、天地万物をおつくりになっただけではなく、常に之を保ち、またこれを宰(つかさど)り給うのであります。

 「天主の意志なくして、いかにして存続し得ん」(智 11:26)
 「天主は大なるものも小なるものもつくり、等しく之を計(はから)い給う」(智 6:8)

36 天主は人のことを特別におはからいになりますか。

 天主は人の生命(いのち)、健康、衣食住を始め、霊魂と肉身とに係(かかわ)るすべての事を特別におはからいになります。之を天主の摂理と申します。

 「五羽の雀は四銭にて売るにあらずや、然るに其(その)一羽も天主の御前に忘れらるることなし、汝等の髪の毛すら皆算(かぞ)えられたり、故に懼(おそ)るることなかれ、汝等は多くの雀に優れり」(ルカ 12:6-7)(マテオ 6:30-33)
 すべて、世の中の出来事は、盲目的な運命によらず、天主の摂理によって導かれるものであります。

37 それならば、人は天主に対してどのような心を持たねばなりませんか。

 人はつねに天主の御恵(おんめぐみ)を有難く思い、すべてにこえて天主を愛し、天主に信頼し、且(かつ)、よく仕えねばなりません。

38 天主は人のことを特別におはからいになるのに、なぜ禍(わざわい)をお除きになりませんか。

 天主が人の禍を除き給わぬわけは、禍は、一、試練となり、二、罪の償(つぐのい)となり、三、戒(いましめ)となり、四、後の世の幸福のもととなるからであります。

 一、試練となり....ヨブの試練(ヨブ 2:6-7)
 二、罪の償となり....「われら弟のことにつきて罪責(せめ)あるなり....さればこそかかる苦悶(くるしみ)われらに至れるなり」(創 42:21)
 三、戒となり....「主はそのいつくしみ給う人をこらし、すべて子として受け給う者をむちうち給えばなり」(箴 3:11-12, ヘブレオ 12:6)
 四、後の世の幸福のもととなる....「わがために人々汝等を詛(のろ)い、且迫害し且偽りて汝等に就きてあらゆる悪声を放たん時、汝等福(さいわい)なるかな、歓(よろこ)び躍(おど)れ、其(そ)は天に於ける汝等の報(むくい)甚だ多かるべければなり」(マテオ 5:11-12)

第七課 天使

39* 天主のつくり給うたものの中で、最も勝(すぐ)れたものは何でありますか。

 天主のつくり給うたものの中で、最も勝(すぐ)れたものは天使であります。

40* 天使とは何でありますか。

 天使とは人よりも智慧と能力(ちから)との優れた霊であります。

41 天使はどのようなありさまにつくられましたか。

 天使は、聖にして、幸福なありさまにつくられました。

42* 天使は皆このありさまを保ちましたか。

 天使のあるものは、天主に忠実であってそのありさまを保ち、あるものは天主に背いて、そのありさまを失いました。

43 天主に忠実であった善い天使は、どんな報いを受けましたか。

 天主に忠実であった善い天使は、いよいよ聖にせられて天国の幸福を得ました。

44 天主に背いた悪い天使は、どんな罰を受けましたか。

 天主に背いた悪い天使は、地獄の罰を受けました。此の悪い天使を悪魔と申します。

45* 善い天使は何をいたしますか。

 善い天使は、常に天主を仰ぎ、天主に仕え、また人間を守護いたします。

 「天使は悉(ことごと)く役者(えきしゃ)となるに霊にして、救霊のよつぎを受くべき人々の為に役者としてつかわさる」(ヘブレオ 1:14)(詩 90:11)(マテオ 18:10)

46 人ごとに守護の天使がありますか。

 人ごとに守護の天使があって、善を勧め、悪を避けさせます。

 「我天使をつかわして、汝に先だたせ、途(みち)にて汝を守らせ、汝をわが備えし処に導かしめん」(出 23:20-21)(トビア 3:25)

47 守護の天使に対して何をしなければなりませんか。

 守護の天使に対しては、之を敬い、愛し、その守護を仰ぎ、その勧(すすめ)に従わなければなりません。

48* 悪魔は何をいたしますか。

 悪魔は、天主を怨(うら)み、人を悪に誘(いざな)います。

 「汝等節制して警戒せよ、其(そ)は汝等の仇たる悪魔は吼(ほ)ゆる獅子のごとく食尽くすべきものを探しつつ行廻(ゆきめぐ)ればなり」(ペトロ前 5:8)(ルカ 22-31)

49 人は悪魔の誘惑を防ぐことができますか。

 人は自分の力では悪魔の誘惑を防事(ふせぐこと)ができません。然し天主の御助(おんたすけ)にすがれば、必ず之に勝つことができます。しかも、これは功(いさおし)となります。

 「汝等主に於て叉其の大能の勢力(ちから)に於て気力を得、悪魔の計略に勝つことを得んために、天主の武具を身に着けよ」(エフェゾ 6:10以下)(ヤコボ 4:7)

第八課 人

50* 人とは何でありますか。

 人とは、肉身と霊魂とを合わせたものであります。

 「天主は土壌(つち)の塵にて人を形造り生気をその鼻に吹きいれ給いき、かくて”人”は生けるものとなりぬ」(創 2:7)
 霊魂の存在は道理を推究(おしきわ)めても、之を知ることが出来ます。即ち人の有(も)っている智慧と自由意志との(はたらき)は、精神的な働でありますから、肉身の働をもって之を説明することができません。それ故、どうしてもその外(ほか)に、精神的な霊魂の存在することは明かであります。

51* 霊魂とは何でありますか。

 霊魂とは天主にかたどられた霊で、人の生命と精神的働との源であります。

 「われらの像(すがた)のごとくわれらに象(かたど)りて人を造らん」(創 1:26, 同 2:7)(智 2:23)

52 霊魂は、人の死によって肉身とともになくなるものでありますか。

 霊魂は始こそありますが、人の死によって、肉身とともになくなるものではありません。

 霊魂がなくならない理由は次の如くであります。

 一、

霊魂は複合体でないから、分解することがありません。

 二、

このように、不滅の性質に造られた霊魂を、天主が滅(ほろぼ)し給うのは、その叡知に背くことになります。

 三、

人の行(おこない)の善悪は、此の世では完全に報いられませんから、霊魂が不滅でないと、天主の正義に背くことになります。

 四、

人の生来の正しい希望である完全な幸福は、此の世では得られませんから、霊魂が不滅でないと、天主の全善に背くことになります。

53* 天主はどのようにして、最初の人をおつくりになりましたか。

 天主は土をもって人の身体(からだ)をつくり、之に霊魂を合せて、人祖をつくり給うたのであります。

 人間は進化によって、他の動物から生じたものではありません。なぜならば、人間の智慧の働を他の動物の感覚作用とくらべると、単に程度の上にとどまらず、そこに全く本質上の相違があるからであります。

54* 天主は何のために、人をおつくりになりましたか。

 天主が人をつくり給うたのは、第一に天主の御栄(みさかえ)のため、第二は人の幸福のためであります。

 人は智慧と自由意志とを持っていますから、之をよく用いて、天主を識り、天主を愛し、天主に仕えて、その御栄を表さねばなりません。このようにするならば、天国に於て永遠の生命を得ることが出来ます。

55* 人祖の名を何と申しますか。

 人祖の名は、男をアダム、女をエワと申します。

56* 人祖は天主から特別の御恵をうけましたか。

 人祖は、聖寵即ち天主の御寵愛を受け、それによって、終なき幸福を得られる身となったのであります。

 聖寵は人を天主の生命にあずからせて、その愛子(あいし)、天国の世嗣(よつぎ)とする特別な御恵であって、被造物に自然に具わっているものではありません。それ故、之を超自然の賜物と申します。

57* 人祖は聖寵の外に何か特殊の御恵を受けましたか。

 人祖は楽園に置かれて、大いなる幸福を得、智慧明(あきらか)に、心正しく、苦しむことも、死ぬこともない筈でありました。(創 1:2、集 17:1-2)

第九課 原罪

58* 人祖は聖寵を保ちましたか。

 人祖は悪魔の誘惑に従い、天主の誡(いましめ)に背いて聖寵を失いました。(創 3、ロマ 5:19)

59* 人祖は聖寵を失っただけでありますか。

 人祖は聖寵を失っただけでなく、その上、智慧はくらみ、心は乱れ、楽園から追出されて、苦しむことも、死ぬことも免れないようになりました。(創 3, 智 9:15-16, 集 40:1)

60* 人祖のこの罪は、人祖だけに留りましたか。

 人祖のこの罪は子孫にも伝わりました。それ故、人は生れながら、この罪とその結果とを受けて居るのであります。

 「然れば一人によりて罪此世に入り、叉罪によりて死の入りし如く、人皆罪を犯したる故に死総ての上に及べるなり」(ロマ 5:12)

61* 人祖から伝(つたわ)った罪を何と申しますか。

 人祖から伝(つたわ)った罪を原罪と申します。(ロマ 5:12-14、同 5:18-19)

 人は各自に罪を犯したのではありませんが、人祖の罪の結果として、聖寵を失ったままの状態で生れて来ます。この罪の状態を原罪と申します。従って、人は生れたままの状態では、天主の愛子、天主の世嗣(よつぎ)とは云われません。しかも心は悪に傾いて、たやすく罪を犯すように弱められています。

62 人は自分で罪を贖うことができますか。

 人は自分で罪を贖うことが出来ません。限なく尊い天主に背いた罪でありますから、之にふさわしく贖うことは、限りある人の力には及ばないのであります。

63* 天主は人をお見棄てになりましたか。

 天主は人を憐んで、救霊(たすかり)のために救主をつかわし給うことをお約束になりました。

 「汝とかの婦(おんな)との間に、また汝の裔(すえ)と婦の裔との間にわれは敵対(はむかい)をあらしめん。かれは、汝の頭(かしら)を打砕き、汝はかれの踵(くびす)を傷(いた)めん」(創 3:15)(マテオ 9:13、チモテオ前 1:15)

64* そのお約束の後、救主は間もなくおいでになりましたか。

 救主がおいでになるまでには長い間の準備がありました。その間を旧約時代と申します。

 教会は、旧約時代の善人が旱天に雨を望むように救主を待望んでいたことを記念し、御降誕祭前四週間を待降節として、信徒に御降誕祭の準備をさせます。

第十課 旧約時代

65 旧約時代の人には救霊の道がありましたか。

 旧約時代でも、天主の教を守り、約束された救主に依頼(よりたの)み、良心に従った生活をした人は、救霊を得ることが出来ました。

66 太古の人は、天主の教を守り、約束された救主に依頼んで、良心に従った生活をしましたか。

 太古の多くの人は、天主の教を守らず、約束された救主を忘れて、良心に背いた生活をいたしましたので、天主は洪水を以て人々を罰せられました。

67 洪水の時、生きながらえた者がありますか。

 洪水の時、ノエという善人の一族は、天主の御摂理により、之を免れて生きながらえました。

68 ノエの子孫はどうなりましたか。

 ノエの子孫の多くは、再び次第に悪に流れ、天主を忘れて、日、月、星、人、鳥、獣(けだもの)などまでも拝むようになりました。

69 その時、天主は真の教を保つために、どうなさいましたか。

 天主はアブラハムを選んで、イスラエル人の先祖となし、此の民によって、真の教と救主に対する希望とをお伝えになりました。

70 天主は、その後どのようにして、イスラエル人をお導きになりましたか。

 天主は、モイゼを選び、シナイ山に於て十戒を授けて真の人の道を明らかにし、祭式と律法とをお示しになりました。(出 3:1-10、出 19:31)

71 イスラエル人は、その後、自分の使命をよく果たしましたか。

 イスラエル人は、その後も屡々その使命を忘れ、天主に背きましたから、天主は、多くの預言者を遣わして之を戒め、叉、彼等を罰するために度々敵の手にお渡しになりました。

72 預言者とは何でありますか。

 預言者とは、天主の啓示によってその御意(みむね)を人々に告げ、叉、未来の出来事を知らせる者であります。旧約の預言には、特に救主に関ることが細かに述べられています。

 天主は、イスラエル人以外の人々にも、

 一、

原始的天啓を彼等の間に保たせ、

 二、

禍を下して彼等を戒め(ノエの洪水など)

 三、

特別な指導者をその中から出し(ヨブ、メルキセデク其の他の善人)或は他から遣わし(ヨナ、ダニエル等)

 四、

イスラエル人によって彼等の間に聖書を弘めさせなおどして(トビア 13:4)救主に対する準備をおさせになりました。

第二条、及び第三条、叉その御独子我等の主イエズス・キリスト、即ち、聖霊によりて宿り、童貞マリアより生れ、

第十一課 御託身(ごたくしん)

73* 天主が、救主として此の世に遣わし給うた御方は、どなたでありますか。

 天主が、救主として此の世に遣わし給うた御方は、イエズス・キリストであります。

74* イエズス・キリストとは、どのような御方でありますか。

 イエズス・キリストとは、人となり給うた天主の御独子、即ち三位の中の第二位であります。

75* 天主の御独子は、どのようにして、この世にお降りになりましたか。

 天主の御独子は、聖霊によって童貞マリアの御胎内に、霊魂と肉身とを受け、人となって、この世にお降りになりました。之を御託身の玄義と申します。

 御告の祈に「而して御言葉は肉(ひと)となり給えり」ととなえるのは、此の尊い玄義を思い出して、天主に感謝するためであります。

76 イエズスとはどういう意味でありますか。

 イエズスとは「救う者」という意味であります。

 「汝其名をイエズスと名づくべし、其は自(みずから)己(おの)が民を其罪より救うべければなり」(マテオ 1:21)

77 キリストとはどういう意味でありますか。

 キリストとは「聖油をそそがれた者」という意味であります。

 旧約時代の預言者、司祭、王たちは、聖油をそそがれて、キリスト(ヘブレア語ではメシア)と呼ばれました。イエズス・キリストは最も優れた預言者であり、大司祭であり、叉王でありますから、之は最もふさわしい名であります。

78 なぜ、イエズス・キリストを天主の御独子と申上げますか。

 イエズス・キリストを天主の御独子と申上げるのは、イエズス・キリストのみが、本来神性を具え給う天主の御独子であるからであります。(ヨハネ 1:1,10:30、フィリッピ 2:6-8)

79 なぜ、イエズス・キリストを我等の主と申上げますか。

 イエズス・キリストを天主の御独子と申上げるのは、我等の天主であり、叉我等の救主であるからであります。

80* イエズス・キリストは真の人でありますか。

 イエズス・キリストは霊魂と肉身とをお具えになりますから、真の人であります。(ヨハネ 1:14、ルカ 1:31、2:7)

81* イエズス・キリストは真の人だけでありますか。

 イエズス・キリストは真の人だけではありません。天主の性をお具えになりますから、叉、真の天主であります。

82 イエズス・キリストは、天主の性と人の性との二つの性をお具えになるならば、天主と人との二つのペルソナ(位格)があるのではありませんか。

 イエズス・キリストは、天主の性と人の性との二つの性をお具えになりますが、天主の御独子のペルソナ(位格)があるだけであります。

83* イエズス・キリストの御父はどなたでありますか。

 イエズス・キリストの御父は、天主なる聖父であります。人としての父はありません。(ルカ 1:34-35)

84* イエズス・キリストの御母はどなたでありますか。

 イエズス・キリストの御母は、童貞聖マリアであります。そして、イエズス・キリストは天主でありますから、聖マリアを天主の聖母と申上げます。(ルカ 1:30-31)

85 天主は聖マリアを御子の母とするために、どのような御恵をお与えになりましたか。

 天主は聖マリアを御子の母とするために、原罪を免れさせ、聖寵に満ちたものとなさいました。(創 3:15、ルカ 1:28)

 聖マリアの無原罪の御宿りの祝日は十二月八日であります。叉聖マリアの被昇天の大祝日は八月十五日であります。

86* 聖マリアは終生童貞でありましたか。

 聖マリアは、イエズス・キリストの御降誕の時も、その前後も、常に童貞でありました。

87 聖マリアは婚姻なさいましたではありませんか。

 聖マリアは聖ヨゼフと婚姻なさいましたが、相共に童貞をお守りになりました。

 聖書に主の兄弟(マテオ 12:47、13:55)とあるのは、聖マリアの子供ではなく、イエズス・キリストの従兄弟に当る人々であります。イスラエル人は近い親類を屡々兄弟と呼ぶ習慣がありました。

88 なぜ、聖マリアは婚姻をなさいましたか。

 聖マリアが婚姻なさいましたのは、天主の御思召(おぼしめし)によるのであって、一、世の疑いを防ぎ、二、御子を養育し、三、困難の時に助を得るためであります。

89 それならば、聖ヨゼフはイエズス・キリストの何に当りますか。

 聖ヨゼフは、イエズス・キリストの養父であります。

 聖ヨゼフは公教会の守護の聖人であります。
 聖ヨゼフの祝日は、三月十九日で、その御守護の祝日は御復活後第三週の水曜日に当ります。
 イエズス、マリア、ヨゼフの御三方をナザレトの聖家族と申上げ、その祝日は一月六日後の主日であります。

90 天主の御独子は、何のために人となり給うたのでありますか。

 天主の御独子が人となり給うたのは、一、我等の罪を贖い、二、失われた聖寵を再び我等に与え、三、その教と模範とによって、天国への道を示し給うためであります。

 一、

我等の罪を贖い....「世の罪を除き給う者を」(ヨハネ 1:29)

 二、

失われた聖寵を再び我等に与え....「我の来れるは羊が生命を得、而も尚豊に得んが為なり」(ヨハネ 10:11)

 三、

その教と模範によって天国への道を示し....「我は道なり、真理なり、生命なり、我に従うものはくらやみを歩まず」(ヨハネ 14:6、8:12)

第十二課 イエズス・キリストの私生活

91 イエズス・キリストは何時(いつ)お生れになりましたか。

 イエズス・キリストは、今から凡そ(およそ)、一千九百五十年前にお生れになりました。これを西暦紀元と致します。(ルカ 2:1-7)

92* イエズス・キリストは何処(どこ)でお生れになりましたか。

 イエズス・キリストは、ユデア国のベトレヘムに於て、うまやの中でお生れになりました。

93 イエズス・キリストは、何のためにうまやの中でお生れになりましたか。

 イエズス・キリストがうまやの中でお生れになったのは、人々に、謙遜、清貧、堪忍の徳を教え給うためであります。

94 イエズス・キリストの御降誕の時に、召されて拝みに来たのは誰でありましたか。

 イエズス・キリストの御降誕の時に、召されて拝みに来たのは、ベトレヘムの近所の羊飼達でありました。(ルカ 2:15-16)

95 聖母は、御降誕の後四十日目に、何をなさいましたか。

 聖母は、御降誕の後四十日目に、エルザレムの神殿に於て潔(きよ)めの式を受け、御子イエズスを天主にお献げになりました。(ルカ 2:22-24)

 聖母マリアの御潔(おんきよめ)の祝日は二月二日であります。

96 その後、イエズス・キリストを拝みに来たものがありましたか。

 その後、イエズス・キリストを拝みに来たものは、東の国の賢人達でありました。(マテオ 2:1-12)

 之をイエズス・キリストの御公現(ごこうげん)と申します。御公現の祝日は一月六日であります。

97 東の国の賢人達が帰った後、イエズス・キリストはどうなさいましたか。

 イエズス・キリストは、ヘロデ王の迫害を避けるために、聖ヨゼフと聖マリアに連れられて、エジプトへお逃れになりました。(マテオ 2:14-15)

98 イエズス・キリストはエジプトから帰って、何処にお住いになりましたか。

 イエズス・キリストはエジプトから帰って、三十歳になられるまで、ガリレアのナザレトに住い、聖マリアと聖ヨゼフとに従っておいでになりました。(マテオ 2:23、ルカ 2:51)

99 イエズス・キリストが十二歳の時、どんなことがありましたか。

 イエズス・キリストが十二歳の時、聖マリアと聖ヨゼフに連れられて、エルザレムの神殿に詣でられました。其の時、学者達を相手に問答して、彼等を感嘆させられました。

100 イエズス・キリストは天主の御子でありながら、なぜ人たる聖マリアと聖ヨゼフとにお従いになりましたか。

 それは、人々に孝行の道をお教えになるためであります。

第十三課 公生活

101 イエズス・キリストは、三十歳の時に何をなさいましたか。

 イエズス・キリストは、三十歳の時に, 洗者(せんじゃ)聖ヨハネから洗礼を受け、荒野(あれの)に退いて、四十日の間断食をなさいました。(ルカ 3:24,同 3:21、同 4:1-2)

102 イエズス・キリストは断食の後に何をなさいましたか。

 イエズス・キリストは断食の後に、十二使徒を選び、彼等と共に、三年の間ユデアを巡って、福音をお宣(の)べになりました。(ルカ 6:12-16、マテオ 10:1-5)

 十二使徒の名は、ペトロ、アンデレア、ヤコボ、ヨハネ、フィリッポ、バルトロメオ、マテオ、トマ、アルフェオの子ヤコボとゼロテと云うシモン、タデオと謀反人となったイスカリオテのユダとであります。

103 福音とは何でありますか。

 福音とは、イエズス・キリストの御教、即ちイエズス・キリストが天主の御子及び世の救主に在すことを信じ、且つその御言葉を守って真の幸福に至る道であります。

104 何によってイエズス・キリストの救主に在すことがわかりますか。

 イエズス・キリストの救主に在すことは、一、イエズス・キリストについての旧約の預言が成就し、二、御自ら預言し給うた事柄も成就し、三、叉御自ら多くの奇蹟を行い給うたことによってわかります。

 預言とは、天主の啓示によってその御意(みむね)を告げ、叉自然的に知り得ない将来の出来事につき、天主の啓示によって、之を予告することであります。
 奇蹟とは、天主の全能によって、自然の法則に拘束されないで行われる不思議な出来事であります。

105 イエズス・キリストに就いての旧約の預言が成就したとは何でありますか。

 それは、イエズス・キリストの御降誕、御奇蹟、御受難、御復活、公教会などに関する数百年前からの預言が、悉く成就したことを云うのであります。

 御降誕(場所ミケヤ 5:2、時ダニエル 9:24以下)、御奇蹟(イザヤ 35:4-6、61:1-3)、御受難(イザヤ 53:2-1 2、詩 21:13-19、ザカリア 11:12-13)、御復活(ヨナ 2:1、詩 15:10)、公教会(イザヤ 9:2-6、マラキア 1:11,エレミヤ 3:15、詩 21:29-32)

106 イエズス・キリスト御自ら、預言し給うた事柄が成就したとは何でありますか。

 それはイエズス・キリスト御自ら、御受難、御死去、御復活、使徒等の将来などに就いて預言し給うた事柄が、一々成就したことをいうのであります。

 御苦難、御死去、御復活(マテオ 20:18-19、マルコ 10:33-34、ルカ 18:32)、使徒等の将来(マテオ 10:16-2 2、マルコ 13:9以下)

107 イエズス・キリストが、多くの奇蹟を行い給うたとは何でありますか。

 それはイエズス・キリストが、ただ一言葉で悪魔を追出し、癩病、唖(おし)、聾(つんぼ)、盲(めくら)等を癒し、死人をも蘇らせ給うたことを云うのであります。

 悪魔を追出し(マテオ 8:28-34)、癩病(マルコ 1:40-41)唖、聾(マルコ 7:32-35)盲を癒し(マテオ 9:27)死 人をも蘇らせ(ヨハネ 11:1-44、ルカ 7:11-17、8:49-56)

 預言の成就と奇蹟とは正確な歴史的事実であります。一、之等は公に行われ、目撃者及直弟子達によって聖書に記され、二、彼等は一生涯、艱難辛苦を重ね、終(つい)に殉教してその事実を証明いたしました。

 預言の成就と奇蹟との外(ほか)に、なおイエズス・キリストが真の救主に在すことは、一、その御徳がすぐれて高く、二、その御教が抜んでて完全なることによって、之を認めることが出来ます。
 イエズス・キリストの御徳がすぐれて高いことは、その御一生を通じて、すべての徳の完全なる模範をお示しになったことによって認められます。ことにイエズス御自身「誰か我に罪あることを証せん」(ヨハネ 8:46)と仰せになり、反対者までも之に対してすこしの非難すべき点を見出すことが出来なかったことによって、明らかであります。
 イエズス・キリストの御教が抜んでて完全なることは、一、天地万物の本源、人生の目的、及び之に達する方法を確実に示し、二、天主に対し、人に対し、己に対して守るべき義務を完全に教え、三、御自らの模範及び来世の賞罰に関する教訓をもって、修徳のために、最も有力な勧めを与え給うたことなどによって、之を知ることが出来ます。

108 何によって、イエズス・キリストが、真の天主に在すことがわかりますか。

  イエズス・キリストが真の天主に在すことは、一、聖父なる天主がこれを啓示し給い、二、イエズス・キリスト御自らこれを声明し、三、御復活その他の奇蹟を以てこれを証明し給うたことによってわかります。

 一、

聖父なる天主がこれを啓示し....「是ぞ我が心を安んぜる我愛子なる」(マテオ 3:17と17:5)

 二、

イエズス・キリスト御自ら之を声明し....「我と父とは一なり」(ヨハネ 10:30)「我を見る人は父を見るなり....我父に居り父我に在す」(ヨハネ 14:9-10)

 三、

御復活その他の奇蹟を以て之を証明し、御復活(マテオ 28、マルコ 16、ルカ 24、ヨハネ 20)「然て(さて)人の子地に於て罪を赦すの権あることを汝等に知らせんとて中風者に向い、起きよ、床を取りて己が家に往けと曰(のたま)いしかば、彼起きて家に往けり」(マテオ 9:6-7)

第四条 ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に附けられ、死して葬られ、

第十四課 御苦難、御死去

109 イエズス・キリストは、人を救うために何をなさいましたか。

 イエズス・キリストは、人を救うために、苦しみを受け、十字架に釘附けにされて、おなくなりになりました。(ルカ 23、マテオ 27)

110 イエズス・キリストの主な御苦しみは何でありますか。

 イエズス・キリストの主な御苦しみは、御悲しみのあまり血の汗を流し、裁判所に引かれ、鞭(むちう)たれ、辱められ、荊(いばら)の冠をかぶせられ、十字架をになってカルワリオという所へ登り、二人の盗賊の間で釘附けにされて、おなくなりになったことなどであります。(マテオ 26、27、マルコ 14、15、ルカ 22、23、ヨハネ 18、19)

111 イエズス・キリストは神性に於てお苦しみになり、おなくなりになりましたか。

 イエズス・キリストは神性に於ては、お苦しみになることも、おなくなりになることも出来ません。それは全く人性に於てであります。然しイエズス・キリストは天主の御子でありますから、その御苦しみの功徳は限りがありません。叉、その御業は、どのように小さくとも、限りない功徳となるのであります。

112 それならば、イエズス・キリストは、なぜそれ程までにお苦しみになりましたか。

  イエズス・キリストがそれ程までにお苦しみになったのは、聖父に対する従順と、我等に対する深い愛によってであります。また、一、罪が天主に背く大いなる悪であること、二、救霊が大切であること、三、我等も、また甘んじて苦しみを堪え忍ばねばならぬことなどを、教え給うためであります。

 「死、而も十字架の死に至るまで、従える者となり給えり」(フィリッピ 2:8)
 「誰も其友の為に生命を棄つるより大いなる愛を有てる者はあらず」(ヨハネ 5:13)

113 救主の御業の効果は何でありますか。

 救主の御業の効果は、一、天主たつ聖父の限りない御栄となり、二、人の罪に対して有りあまる贖(あがない)となり、三、罪によって失われた聖寵及び天国の幸福を取戻すことであります。

 一、

天主たる聖父の限りない御栄となり....(フィリッピ 2:6-11)

 二、

人の罪に対して有りあまる贖(あがない)となり....(ロマ 5:15)

 三、

罪によって失われた聖寵及び天国の幸福を取戻す....(ヘブレオ 9:1-5)

114 イエズス・キリストは何処で御受難になりましたか。

 イエズス・キリストはユデア国の都エルザレムで御受難になりました。(ルカ 23)

115 イエズス・キリストを死刑に定(き)めたのは、誰でありますか。

 イエズス・キリストを死刑に定(き)めたのは、ローマ皇帝からユデア国に遣わされた大官ポンシオ・ピラトであります。(ルカ 23:24以下)

116 イエズス・キリストがおなくなりになったのは、何曜日でありますか。

 イエズス・キリストがおなくなりになったのは、金曜日の午後三時頃であります。(ルカ 23:44-45)

117 イエズス・キリストがおなくなりになった時に、どのような不思議がありましたか。

 イエズス・キリストがおなくなりになった時に、太陽はにわかに暗み、神殿の幕は二つに破れ、地は震い、巌は裂け、墓は開け、死人は蘇るなどのことがありました。

118 キリスト信者の印は、何でありますか。

 キリスト信者の印は、十字架の印であります。

119 十字架の印は、どのようにいたしますか。

 十字架の印は『聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン』ととなえながら、右手を額に当て、これを胸まで下し、次にその手を、左の肩から右の肩へ引くのであります。

 十字架の印をする毎に、三位一体の玄義と救世の玄義とを思い起して天主に感謝し、叉、天主の御恵を願わねばなりません。

第五条 古聖所(こせいしょ)に降(くだ)りて三日目に死者の中(うち)より蘇り

第十五課 御復活

120 イエズス・キリストの御死去の後、御肉身と御霊魂とはどうなりましたか。

 イエズス・キリストの御死去の後、御肉身は岩の中に造った墓に葬られ、御霊魂は古聖所にお降りになりました。(ルカ 23:52-53)(ペトロ前 3:18-19)

121 古聖所とはどのような所でありますか。

 古聖所とは、世の始めからの善人の霊魂が留まっていた所であります。

 イエズス・キリストの御霊魂が古聖所にお降りになった理由は、善人の霊魂に救世の成就したことを告げて、彼等を慰め給うためでありました。

122* イエズス・キリストの御死去の後、三日目に何がありましたか。

 イエズス・キリストは、御死去の後三日目に、御自らの御能力(おんちから)によって、御自分の預言の通りに蘇り給うたのであります。之を救主の御復活と申します。(マテオ 28、マルコ6、ルカ 24、ヨハネ 20)

 イエズス・キリストの御復活の事実は

 一、

イエズス・キリストが御自ら屡々弟子達に現れ給うて之を証明し(ルカ 24:13-43、ヨハネ 21:1-14)

 二、

反対者も之を認め(マテオ 28:11-15)

 三、

弟子達は之を証明するために、生命を献げた事等を以ても明(あきらか)であります。尚聖パウロは「若(も)しキリスト復活し給わざりしならば、我等の宣教は空しく汝等の信仰も亦空しく、而も我等は天主の偽証人となるべし」(コリント前 15:14)といって之を確証いたしました。

123 イエズス・キリストは、なぜ、御復活なさいましたか。

 イエズス・キリストが御復活なさいましたのは、一、御自ら天主たることを確実に証明し、二、原罪の罰である死を滅ぼし、三、世の終に人の蘇るべきことを保証し給うためであります。

 一、

御自ら天主たることを証明し....自らの復活は、奇蹟中の奇蹟であって、ただ天主のみ、なし能うことであります。(ペトロ前 1:21、コリント前 15:21-29、同 15:12-14)

 二、

原罪の罰である死を滅ぼし、

 三、

世の終に人の蘇るべきことを保証する....イエズス・キリストは人類一般の頭でありますから、その御死去は世の終に於ける人々の復活の保証となります。(コリント前 15:20-22)

 イエズス・キリストの御復活体は、

 一、

苦しむことも死ぬこともなく(コリント前 15)

 二、

欲するままに速かに動き(ルカ 24:30-31)

 三、

如何なる物体をも自由に通りぬけ(ヨハネ 20:19)四、天主の光栄に充ちて(コリント前 15:35-50)おりました。

第六条、第七条、天に昇りて全能の聖父なる天主の右に坐し、彼所(かしこ)より生ける人と死せる人とを審かん為に来り給う主を信じ奉る。

第十六課 御昇天

124 イエズス・キリストは御復活の後に何をなさいましたか。

 イエズス・キリストは御復活の後、四十日の間、度々使徒達に現れて御復活を証明し、また、公教会に関する事柄を告げ、御教(みおしえ)を万民に伝えることをお命じになりました。(ヨハネ 20、21)

125* イエズス・キリストは御復活の後、四十日目に、何をなさいましたか。

 イエズス・キリストは御復活の後、四十日目に、オリベト山から、使徒達の前で天に昇り、聖父なる天主の右に坐し給うたのであります。之を救主の御昇天と申します。(ルカ 24:50、徒 1:9-10)

126 聖父なる天主の右に坐すとは、何の意味でありますか。

 聖父なる天主の右に坐すとは、天主に右左があると云う訳ではありません。イエズス・キリストは、人としても天に於いて、聖父と同じ権能と御栄とをもち、万物を司り給うとの意味であります。

127 なぜ、イエズス・キリストは天にお昇りになりましたか。

 イエズス・キリストが天にお昇りになったのは、一、救主の人性が御受難の報(むくい)として光栄を得、二、我等のために天国の住居(すまい)を備え、三、聖父の御前(みまえ)に我等の代願者となり、四、公教会に聖霊をお遣わしになるためであります。

 一、

救主の人性が御受難の報(むくい)として光栄を得....(ヘブレオ 2:9、フィリッピ 2:9-10)

 二、

我等のために天国の住居(すまい)を備え....(ヨハネ 14:2)

 三、

聖父の御前(みまえ)に我等の代願者となり....(ヘブレオ 7:24-27)

 四、

公教会に聖霊を遣す....(ヨハネ 16:7)

128 イエズス・キリストは、今何処においでになりますか。

 イエズス・キリストは、神性によっては何処にでもおいでになりますが、人性と共には、天国と聖体の秘蹟の中(うち)に在すのであります。

129 世の終に、イエズス・キリストは何をなさいますか。

 世の終に、イエズス・キリストは、すべての人の善悪を裁くために、再び御姿を現して、天からお降りになります。(マテオ 25:31-33)

第八条 聖霊

第十七課 聖霊の御降臨

130 御昇天の後、どんなことがありましたか。

 イエズス・キリストは、御昇天の後十日目に、御約束通り、使徒達に聖霊を御遣しになりました。之を聖霊の御降臨と申します。(ヨハネ 14:16-17、徒 2:1-3)

131 聖霊は、どのようにしてお降りになりましたか。

 聖霊は、使徒達の集って居る所に、大風に似た響(ひびき)と共に、火のような舌の形で現れ、各々の上にお降りになりました。(徒 2:1-3)

132 使徒達は、聖霊から、どのような御恵を受けましたか。

 使徒達が聖霊から受けた御恵は、御教の意味をよく悟り、勇気に満ち、諸国の言葉を語り、奇蹟を行うなどの事でありました。(徒 2:3)

 使徒達は無学で欠点も多く、聖霊を受けなければ、イエズス・キリストの御命令通りに、御教を万民に伝える事が出来ませんでした。

133 使徒達は、聖霊の御降臨の後に、何をしましたか。

 使徒達は、聖霊の御降臨の後、諸国へ分れ行き、患難恥辱を甘んじ受けて、御教を弘め、奇蹟を以て之を証し、終(つい)に殉教いたしました。

134 聖霊は人の霊魂の中で何をなさいますか。

 聖霊は聖寵を以て人を聖ならしめ、その智慧を照し、心を強め給うのであります。(ヨハネ 16:13-15、徒 6:8-10、コリント前 6:11)

 真理を認め、救霊(たすかり)を得るために度々聖霊に祈らねばなりません。

135 聖霊は、公教会に於いて、何をなさいますか。

 聖霊は、世の終まで公教会を護り、また、之を導き給うのであります。(ヨハネ 14:16、マテオ 16:18)

第九条、第十条 聖なる公教会、諸聖人の通功、罪の赦

第十八課 公教会

136* イエズス・キリストは、真の教と救世の効果とを万国万代に伝え、万民に救霊を得させる為に、何をなさいましたか。

 イエズス・キリストは真の教と救世の効果とを万国万代に伝え、万民に救霊を得させる為に、公教会をお建てになりました。(マテオ 16:18、ヨハネ 21:15)

137 公教会とは何でありますか。

  公教会とは、真の教を保ち、イエズス・キリストが定め給うた頭に従う信者の団体であります。

 公教会は、天主公教会叉はカトリック教会とも申します。カトリックとは公叉は普遍の意であります。

138* イエズス・キリストは、どのようにして、公教会をお建てになりましたか。

 イエズス・キリストは、一、真理を教え、秘蹟を授け、信者を導く等の権能を使徒達に与え、二、十二使徒の中から聖ペトロを頭に選び、三、彼等に聖霊を遣わし給うて、公教会をお建てになりました。

 一、

真理を教え、秘蹟を授け、信者を導く等の権能を使徒達に与え....(マテオ 28:18-20)

 二、

十二使徒の中から聖ペトロを頭に選び....(マテオ 16:18、ヨハネ 21:15)

 三、

彼等に聖霊を遣わし給うて....(ヨハネ 14:16-17、徒 2:1-3)

139 イエズス・キリストは、どのような御言葉を以て聖ペトロを公教会の頭にお定めになりましたか。

 イエズス・キリストは聖ペトロに向って「汝は磐(いわお)なり、我此の磐の上に我が教会を建てん」と宣うて、聖ペトロを公教会の頭とすることをお約束になり、叉後に「汝我が子羊を牧せよ、我が羊を牧せよ」と宣うて、この御約束を実現なさいました。

 「汝は磐なり、我此の磐の上に我が教会を建てん、斯(かく)て地獄の門是(これ)に勝たざるべし。我尚天国の鍵を汝に与えん、総べて汝が地上にて繋がん所は、天にても繋がるべし、叉総べて汝が地上にて釈(と)かん所は、天にても釈かるべし」(マテオ 16:18-19)

 「イエズス、ヨハネの子シモン、汝は我を愛するかと曰いしに、彼(ペトロ)、主よ然り、我が汝を愛するは汝の知り給う所なりと云いしかば、イエズス、我が羔(こひつじ)を牧せよと曰えり....」(ヨハネ 21:15-18)

140* 聖ペトロの相続者は、どなたでありますか。

 聖ペトロの相続者は、聖ペトロの後を継ぐローマの司教であって、之を教皇と申します。教皇は此の世に於けるキリストの代理者であります。

 聖ペトロはイエズス・キリストの御昇天の後、司教座をローマに定め、紀元六七年頃ローマの司教として殉教しました。故に、ローマの司教なる教皇は聖ペトロの相続者であります。

141* 教皇の外(ほか)にも、公教会を司る者がありますか。

 教皇の外にも教皇と一致して各地の教区を司る司教があります。

 使徒等が聖ペトロの下にあって公教会を司ったように、司教は教皇の下にあって、公教会の一区域なる教区を司っております。信者の少ない宣教区に於ては、司教でない代理者がその教区を司ることがあります。

142* 司教をたすける者は誰でありますか。

 司教をたすける者は、司祭であります。殊に、各教会の主任司祭であります。

第十九課 公教会の使命

143 公教会の使命は、何でありますか。

 公教会の使命は、人々を教え、聖(きよ)め、治めて之を永遠の幸福に導くことであります。

144 イエズス・キリストは、公教会の使命を果たさせるために、どんな聖務をお定めになりましたか。

 イエズス・キリストは、公教会の使命を果たさせるために、一、教職、二、祭職、三、牧職、の三つの聖務をお定めになりました。

 一、

教職....「汝等往きて万民に教えよ」(マテオ 28:19)

 二、

祭職....「我記念として之を行え」(ルカ 22:19)「父と子と聖霊との御名によりて是に洗礼を施せ」(マテオ 28:19)

 三、

牧職....「我が汝等に命ぜしことを悉く守るべく教えよ」(マテオ 28:20)「汝等が地上にて繋がん所は天にても繋がるべし、叉総て汝等が地上にて釈かん所は天にても釈かるべし」(マテオ 18:18)

145 公教会の教職とはなんでありますか。

 公教会の教職とは、信仰及び道徳に関して、イエズス・キリストの御教をよく保ち、且、之を誤りなく説く務(つとめ)であります。

146 なぜ、公教会は誤りなく教を説くことが出来ますか。

 公教会は、イエズス・キリストが常に之を離れ給わず、聖霊が絶えず之を導き給うのでありますから、誤りなく教を説くことができます。

 「我は世の終まで日々汝等と偕(とも)に居るなり」(マテオ 28:20)
 「地獄の門、是に勝たざるべし」(マテオ 16:18)

147 公教会は、どのような場合に誤りなく教を説くことが出来ますか。

 公教会は信仰及び道徳に関して、一、教皇が、全世界の司教達と一致して教える時、二、教皇が、単独でも、教皇の資格を以て全公教会を教える時に、誤りなく教を説くことができます。

 「我汝の為に汝が信仰の絶えざらんことを祈れり、汝の兄弟等を堅めよ」(ルカ 22:32)

148 公教会の祭職とはなんでありますか。

 公教会の祭職とは、天主と人との間を仲介する務であります。即ち、一、天主に新約の犠牲(ミサ聖祭)を捧げ、二、秘蹟をもって天主の聖寵を人にわけあたえることであります。

149 公教会の牧職とはなんでありますか。

 公教会の牧職とは、信者がキリスト教的生活を営むように、これを治め導くことであります。

第二十課 教会の特徴

150 イエズス・キリストがお建てになった教会は、いくつもありますか。

 イエズス・キリストがお建てになった教会は、ただ一つしかありません。

151 イエズス・キリストがお建てになった教会には、どんな特徴がありますか。

 イエズス・キリストがお建てになった教会には、主に四つの特徴があります。即ち、唯一、聖、公、使徒承伝であります。

152 この四つの特徴は、どの教会にありますか。

 この四つの特徴は、公教会にあるだけであります。

153 なぜ、公教会は唯一であると申しますか。

 公教会が唯一であるというのは、その頭も、その教も、その秘蹟も、何時でも、何処でも、同じであるからであります。

154 なぜ、公教会は聖であると申しますか。

 公教会が聖であるというのは、之をお建てになったイエズス・キリストは申すまでもなく、その教も、その秘蹟もみな聖であって、なお、信者の中(うち)に絶えず聖人があるからであります。

155 なぜ、公教会は公であると申しますか。

 公教会が公であるとうのは、全人類のために建てられて、万国万代に伝わるからであります。

156 なぜ、公教会は使徒承伝であると申しますか。

 公教会が使徒承伝であるというのは、教皇、司教は使徒の真の後継者で、その教も、その権力も使徒から伝わっているからであります。

第二十一課 公教会の宣教

157 公教会は、なぜ各地に宣教師を遣しますか。

 公教会が各地に宣教師を遣すのは、イエズス・キリストの御命令、即ち「全世界に往きて凡ての被造物に福音を宣べよ」との御言葉に従うためであります。(マルコ 16:15)

 「即ち天主は一切の人の救われ、真理を知るに至らんことを望み給う」(チモテオ 2:4)

158 信者は、公教会の宣教のために、何をしなければなりませんか。

 信者は、宣教師をたすけ、祈、善業等によって、公教会の宣教に協力しなければなりません。

第二十二課 諸聖人の通功、罪の赦

159 諸聖人の通功とは、何でありますか。

 諸聖人の通功とは、イエズス・キリストを頭に戴いて一致している人々が、互いに功を通じて助け合うことであります。

160 イエズス・キリストを頭に戴いて一致している人々とは、此の世に生活する信者だけをいうのでありますか。

 それは、此の世に生活する信者だけでなく、天国に楽む聖人も、煉獄に苦しむ霊魂も、皆イエズス・キリストを頭に戴いて一致している者であります。これをキリストの神秘体と申します。

 「キリストに於て、一つの体にして各々互いに肢(えだ)たるなり」(ロマ 12:4以下及びコリント前 12:11)

161 此の世に生活する信者は、どのようにして、互いに助け合うのでありますか。

 此の世に於ける信者は、祈、善業を行い、苦しみを堪え忍びなどして、互いに助け合うのであります。

 一切の人の救霊は天主の御意(みこころ)であって、イエズス・キリストはそれがためにおなくなりになりました。故に、信者は天主の御憐(おんあわれみ)に依りすがって、未信者の救霊のために祈らなければなりません。

162 天国に於ける聖人は、どのようにして我等を助けるのでありますか。

 天国に於ける聖人は、我等に自分の功徳を分ち、叉、我等の祈を天主に取次いで、我等を助けるのであります。

 公教会は毎日聖人を祝い、特に十一月一日には諸聖人祭を挙行致します。

163 此の世に於ける信者は、どのようにして、煉獄の霊魂を助けることが出来ますか。

 此の世に於ける信者は祈、善業、贖宥、殊にミサ聖祭を以て煉獄の霊魂を助けることができます。

 「死者のために祈るは聖にして益ある思慮なり」(マカベオ後 12-46)
 公教会は十一月二日を死者の記念日としてすべての死者のために祈ります。

164 罪の赦とは何でありますか。

 罪の赦とは、公教会がイエズス・キリストから授けられた権力によって、天主の御前に罪を赦すことをいうのであります。

 「汝等が地上にて釈(と)かん所は、天にても釈かるべし」(マテオ 18:18)

 「総て汝が地上にて釈かん所は天にても釈かるべし」(マテオ 16:19)

 「汝等誰の罪を赦さんも、其罪赦されん」(ヨハネ 20:23)

165 公教会は何を以て罪を赦しますか。

 公教会はイエズス・キリストのお定めになった洗礼と悔悛との秘蹟を以て罪を赦します。

 (第三部洗礼と悔悛の部参照)

第十一条及び第十二条 肉身の復活(よみがえり)終なき生命(いのち)を信じ奉る。

第二十三課 死と私審判

166* 死とは何でありますか。

 死とは、霊魂が肉身を離れることであります。

 「汝等用意してあれ」「汝等はその日その時を知らざればなり」(ルカ 12:40、マテオ 25-13)

167* 人は死んでから、どのようになりますか。

 人は死んでから、肉身は土となり、霊魂は直ちに天主の審判を受けるのであります。

 「人一度(ひとたび)死して、然(しか)る後審判あるは、定まれることなり」(ヘブレオ 9:27)

168 審判とは何でありますか。

 審判とは、生涯の善悪を天主よりただされることで、之に私審判と公審判との二つがあります。

169 私審判とは何でありますか。

 私審判とは、人が死んでから直ちに受ける審判であります。(ルカ 16:2、集 11:29)

170 私審判の後に、霊魂はどうなりますか。

 私審判の後に、霊魂は天国か、地獄か、或は煉獄に行くのであります。

第二十四課 天国、地獄及び煉獄

171* 天国とは、どのようなところでありますか。

 天国とは、善人が直接に天主を見奉り、天主と親しく一致し、その御寵愛を蒙り、終なく完全な幸福を得るところであります。

 「今我等の見るは鏡を以てして朧(おぼろ)なれども、彼時(かのとき)には顔と顔とを合せ天主を見るべし」(コリント前 13:12)

 「天主彼等の目より涙を悉く拭去り給い、此後は死あることなく、悔(くやみ)も叫(さけび)も苦(くるしみ)も更にあらざるべし」(黙 21:4)

172* 天国に行くのは、どのような霊魂でありますか。

 天国に行くのは、少しも罪の汚れがないか、或は罪を赦されてその償いを悉く果した人の霊魂であります。

173* 地獄とは、どのようなところでありますか。

 地獄とは、悪人が天主に棄てられて、悪魔と共に終なく苦しむところであります。

 「彼等は外の暗(やみ)に逐出(おいだ)されん、其処(そこ)には痛哭(なげき)と切歯(はがみ)とあらん」(マテオ8:12)「詛(のろ)われたる者よ、永遠の火に入れ」(マテオ 25:41)

174* 地獄に行くのは、どのような霊魂でありますか。

 地獄に行くのは、大罪をもって死んだ人の霊魂であります。

 終ない天国と地獄との存在は、

 一、

天主の啓示によっても明らかでありますが(コリント前 13:12、黙 21:4、ペトロ後 2:4、マテオ 8:12)

 二、

道理を推し究めても、此の世に於ける幸不幸の不公平なことを改めるために、後の世で適当な賞罰がなければならぬことによって認められます。尚此の賞罰に終がないのは、人は不滅の霊魂を有して、永遠なる天主の御前に善悪を行うのでありますから、たとえその善悪は一時的の仕業であっても、永遠の賞罰を受けねばならぬことになるのであります。特に地獄については、人は死と共に取り返しのできぬ最後の決定を受けねばなりませんから、死後痛悔して罪の赦を蒙る余地がなく、従って罪人は終ない地獄の罰を受けねばならないのであります。

175* 煉獄とはどのようなところでありますか。

 煉獄とは、罪の償(つぐのい)を果すまで、霊魂が苦しみを受けるところであります。(マカベオ後 12:43、マテオ 12:32)

176* 煉獄に行くのは、どのような霊魂でありますか。

 煉獄に行くのは、小罪があるか、或は罪の償をまだ果さない人の霊魂であります。

177 世の終の後にも煉獄がありますか。

 世の終の後には、天国と地獄とがあるだけで、煉獄はありません。

第二十五課 肉身の復活(よみがえり)、公審判

178 世の終には、どのようなことがありますか。

 世の終には、イエズス・キリストの御約束と御復活の保証とにより、すべての人の肉身が復活(よみがえ)りま す。

179* 肉身の復活(よみがえり)とは何でありますか。

 肉身の復活(よみがえり)とは天主の全能によって、世の終に、霊魂が再び元の肉身に合せられることであります。

 「墓の中なる人々悉く天主の声を聞く時来らんとす。斯くて善を為しし人は出でて生命に至らんが為に復活し、悪を行いし人は審判を受けんが為に復活せん」(ヨハネ 5:28-29)

180 肉身は、何のために復活(よみがえ)るのでありますか。

 人の善業と悪業とは霊魂と肉身とで行ったのでありますから、肉身も共に審判を受けて終なく賞せられ、或は罰せられるために復活るのであります。

181* 肉身の復活(よみがえり)の後、どのようなことがありますか。

 肉身の復活(よみがえり)の後に、イエズス・キリストは大(おおい)なる威力と光栄とを以て天から降り、すべての人の善悪をお裁きになります。之を公審判と申します。(マテオ 24:30-33、マルコ 13:26)

182* 公審判の後に、善人はどうなりますか。

 公審判の後に、善人は、霊魂、肉身ともに天国に行き、永遠に楽しむのであります。之を終なき生命(いのち)と申します。

 「来れ、我父に祝せられたる者よ、世界開闢より汝等のために備えられたる国を得よ」(マテオ 25:34)

183* 公審判の後に、悪人はどうなりますか。

 公審判の後に、悪人は霊魂、肉身ともに地獄に行き、永遠に苦しむのであります。之を終なき死と申します。

 「詛(のろ)われたる者よ、我を離れて、悪魔と其使等との為に備えられたる永遠の火に入れ」(マテオ 25:41)

184 公審判は何のために行われるのでありますか。

 公審判は、一、天主の智慧と正義とがすべての人に認められ、二、イエズス・キリストがすべての被造物の前に光栄を得、三、善人と悪人とはそれに値する名誉叉は恥辱を受けるためであります。

 死・審判・天国・地獄を合せて四終と申します。屡々之に就いて考えることは、救霊のために甚だ大切であります。

第二部  守るべきこと

第二十六課 愛の掟(一)

185* 救霊(たすかり)を得るには、天主の御教(みおしえ)を信ずるだけで足りますか。

 救霊(たすかり)を得るには、天主の御教(みおしえ)を信ずるだけでは足りません。罪を避け、徳を修め、すべての御掟を守らねばなりません。

 汝若し生命に入らんと欲せば掟を守れ」(マテオ 19:17)(マテオ 7:21)

 霊なき肉体の死せるが如く、行いなき信仰も亦死せるなり」(ヤコボ 2:26)

186* 公教信者の完全な生活を示す掟は何でありますか。

 公教信者の完全な生活を示す掟は、愛の掟、即ち万事に超えて天主を愛し、叉他人(ひと)を己の如く愛することであります。

 「汝心を尽し、霊を尽し、意を尽して主たる汝の天主を愛すべし、是最大(もっともおおい)なる第一の掟なり。第二の掟も亦是に似たり、汝の近き者を己の如く愛すべし」(マテオ 22:37-39)

 一、天主に対する愛

187 万事に超えて天主を愛するとは、どういうことでありますか。

 万事に超えて天主を愛するとは、大罪を犯して天主に背くよりは、寧(むし)ろすべてのものを棄てる覚悟を以て天主を愛することであります。

 「死も生も天主の愛より我等を離し得るものなし」(ロマ 8:38-39)

188 なぜ、万事に超えて天主を愛さねばなりませんか。

 天主は、一、限りない善に在し、二、叉、我等をつくり、我等に永遠の幸福を与え給う御方であるからであります。

189 天主を愛することは、何によって知られますか。

 天主を愛することは、特に天主の御掟を守り、万事について天主の御意(みむね)を何よりも重んずることによって知られます。(ヨハネ 14:15、同 14:21、ヨハネ一書 5:2-3)

190 どのようなことが、天主に対する愛に背きますか。

 天主を憎み、怨(うら)み、病気災難等の不幸を天主の無慈悲に帰し、天主よりも他のものを、大切にすることなどは天主に対する愛に背きます。

 二、己に対する愛

191 己を正しく愛するとは、どういうことでありますか。

 己を正しく愛するとは、此の世の幸福よりも救霊を重んずることであります。

 「人全世界をもうくとも、若しその魂を失わば何の益かあらん」(マテオ 16:26)

 健康、財産、名誉等この世の幸福は、すべて救霊の手段として求むべきであります。

192 救霊を重んずるとはどういうことでありますか。

 救霊を重んずるとは、困難、誘惑その他どのようなことがあっても、何時も天主の御意に従って生活することであります。

193 どのようなことが己に対する愛に背きますか。

 この世の生活のみに心を用いて救霊を忽(ゆるが)せにし、殊に目前(めさき)の楽しみにかられて、天主の御意に背くことなどは己に対する愛に背きます。

第二十七課 愛の掟(二)

 三、他人(ひと)に対する愛

194 他人を己の如く愛するとは、どういうことでありますか。

 他人を己の如く愛するとは、自分が望まないことを他人にせず、自分が望むことを他人にすることであります。(マテオ 7:12、ルカ 6:31)

195 どのような人を愛さねばなりませんか。

 近い者から遠い者に及び、どのような人をも、仇敵(あだかたき)までも之を愛さねばなりません。

 「汝等の敵を愛し、汝等を憎む人を恵み、汝等を迫害し且讒謗(ざんぼう)する人のために祈れ」(マテオ 5:44)

196 なぜ、すべての人を愛さねばなりませんか。

 総ての人を愛さねばならぬ理由は、一、それが天主の命令であるばかりでなく、二、すべての人が天主につくられ、三、すべての人がキリストの御血によって贖われて永遠の幸福に召されているからであります。(マテオ 22:39、イザヤ 45:12、チモテオ前 2:4)

197 どのようにして、他人を愛さねばなりませんか。

 特に、霊的及び肉体的慈善の業を行うことによって、他人を愛さねばなりません。(ロマ 12:9以下、ルカ 10:26以下)

 霊的慈善事業の主なものは、一、子供や教理を知らないものに之を説き、二、不幸な人を慰め、三、罪人を戒め、四、生ける人と死せる人とのために祈ることなどであります。

 肉体的慈善事業の主なものは、一、病人を見舞い、二、孤児や老人を保護し、三、貧しい人に施与(ほどこし)をすることなどであります。

198 施与は義務でありますか。

 施与は愛の掟に基づく義務であります。その上、罪の償となり、天主の御慈悲を蒙る手段となりますから、各々その身分に応じて、之を実行しなければなりません。(ヤコボ 1:27)

199 どのようなことが、他人に対する愛に背きますか。

 他人を憎み、怨み、ねたみ、あだがえしをなし、他人の不幸を見て、之を救い得るのに救わないことなどは他人に対する愛に背きます。

第二十八課 天主の十誡

200* 愛の掟を実行するためには、先(ま)ず何をしなければなりませんか。

 愛の掟を実行するためには、先(ま)ず天主の十誡を守らねばなりません。

201 天主の十誡とは何でありますか。

 天主の十誡とは、天主が昔、シナイ山に於て、モイゼに授け給うた十箇条の掟であります。(出 20:2-17、マテオ 5:17-18)

 天主の十誡は、モイゼの時に初めて定められたものではありません。その大体は、生れながら人の心に刻みつけられている良心によって自然にしられますが、人は原罪の結果、良心が暗んで大切な掟を無視するようになりましたので、天主は十誡を授けて之を明らかに示し給うたのであります。

202* 天主の十誡はどうとなえますか。

 天主の十誡は次のようにとなえます。
 第一、我は汝の主なり、我を唯一の天主として礼拝すべし。
 第二、汝天主の名をみだりに呼ぶなかれ。
 第三、汝安息日(あんそくじつ)を聖とすべきことを憶(おぼ)ゆべし。
 第四、汝父母を敬うべし。
 第五、汝殺すなかれ。
 第六、汝姦淫するなかれ。
 第七、汝盗むなかれ。
 第八、汝偽証するなかれ。
 第九、汝他人(ひと)の配(つま)を恋うるなかれ。
 第十、汝他人の所有物(もちもの)をみだりに望むなかれ。

 第一戒 我は汝の主なり、我を唯一の天主として礼拝すべし。

第二十九課 第一誡(一)

203 天主は第一誡を以て何をお命じになりますか。

 天主は第一誡を以て、ただ天主のみを天主として礼拝することを命じ給うのであります。

204 天主を天主として礼拝するとは、どういうことでありますか。

 天主を天主として礼拝するとは、天主を万物の創造主、最上の主として、崇め奉ることであります。

205 どのようにして、天主を崇めねばなりませんか。

 信、望、愛の対神徳及び敬神徳を以て天主を崇めねばなりません。
(第四十八課 対神徳参照)

206 信、望、愛を以て天主を崇めるとは、どういうことでありますか。

 信、望、愛を以て天主を崇めるとは、信徳を以ては天主とその御教とを悉く信じ、望徳を以ては天主とその御約束とを希望し、愛徳を以ては天主を万事に超えて愛することであります。

207 敬神徳を以て天主を崇めるとは、どういうことでありますか。

 敬神徳を以て天主を崇めるとは、心と行いとを以て一心に天主を敬い、天主に仕えることであります。

208 心を以て天主を敬うだけでは足りませんか。

 人は霊魂と肉身とを天主から授けられたのでありますから、心と行いとを以て天主を敬わねばなりません。

209 どのようにして天主を敬い、天主に仕えねばなりませんか。

 天主を敬い、天主に仕えるには、宗教上の義務を果し、殊に祈をし、ミサ聖祭に与るなどのことをせねばなりません。

第三十課 第一誡(二)

210 天主は第一誡を以て、何を禁じ給うのでありますか。

 天主は第一誡を以て、涜聖と迷信とを禁じ給うのであります。

211 涜聖とは何でありますか。

 涜聖とは聖別された人、物、叉は場所を涜(けが)すことであります。(ダニエル 5、マカベオ 後 3、ヨハネ 2:15)

212 迷信とは何でありますか。

 迷信とは、天主叉は被造物に対する誤った信心であります。

 一、天主に対する誤った信心とは、道理に合わぬことを信じ、叉は道理に合わぬ方法を以て天主を礼拝することであります。

 二、被造物に対する誤った信心とは、イ、偶像崇拝、ロ、占(うらない)、呪(まじない)、守札(まもりふだ)、降神術、霊媒などを信じ叉は行うことであります。

213 他教の礼拝所に参詣することは、罪になりますか。

 他教の礼拝所に参詣し、之に金品を納め、叉は他教の儀式にくみすることは罪になります。

 但し結婚、葬式などの場合に、他教にくみする意味ではなく、礼儀として之に与り、花香などを供えることは差支えありません。

214 表面(うわべ)だけで迷信の行いをし、他教にくみし、叉は口先だけで教を棄てることは罪になりますか。

 表面(うわべ)だけで迷信の行いをし、他教にくみし、叉は口先だけで教を棄てることなどは、すべて偽(いつわり)の行いであって、天主を辱め、他人を躓かせることでありますから、罪になります。(レヴィ 19:26,申 18:14、ガラチア 5:19-21)

第三十一課 第一誡(三)

 天使、聖人の崇敬

215 天使や聖人を崇敬し、また之に祈るのは、正しいことでありますか。

 天使や聖人を崇敬し、また之に祈るのは、正しく、且、為になることであります。(ヨブ 42:8)

216 なぜ、聖人を崇敬しなければなりませんか。

 聖人は此の世に於て大いに徳を積み、天国に於て終のない光栄(さかえ)を受けている人々でありますから、之を崇敬しなければなりません。

217 天主に対する礼と、天使、聖人に対する礼とに、相違がありますか。

 天主に対する礼と、天使、聖人に対する礼とには、大きな相違があります。天主は万物の創造主として礼拝しますが、天使、聖人は、天主の御意(みむね)に適う者として崇敬するのであります。

218 なぜ、天使、聖人に祈るのでありますか。

 天使、聖人に祈るのは、天使、聖人は天主から優れた御寵愛を受けていますから、その取次の力によりすがる為であります。

219 天主に対する祈と、天使、聖人に対する祈とに、相違がありますか。

 天主に対する祈と、天使、聖人に対する祈とには、大きな相違があります。天主に祈る時には、直接御恵を願うのでありますが、天使、聖人に祈る時には、之を天主に取次ぐように願うのであります。

220 聖人の中で、特別に崇敬し、且祈らねばならぬ御方はどなたでありますか。

 聖人の中で、特別に崇敬し、且祈らねばならぬ御方は、聖マリアであります。

221 十字架や、イエズス叉は聖人の御絵、御像、御遺物などを崇敬するのは、正しいことでありますか。

 十字架や、イエズス叉は聖人の御絵、御像、御遺物などを崇敬するのは、イエズスや聖人を尊ぶことに当りますから、正しくもあり、且、信心のために大変有益であります。(列王 13:21、徒 19:12)

第二誡 汝天主の名をみだりに呼ぶなかれ。

第三十二課 第二戒

222 天主は第二誡を以て、何を禁じ給うのでありますか。

 天主は第二誡を以て、其の名をけがし、之をみだりに呼び、叉、之によって悪しき誓を立て、呪いをすることなどを禁じ給うのであります。

223 天主の御名をけがすとは何でありますか。

 天主の御名をけがすとは、天主叉はその御教をののしり、或は聖人をそしることであります。之を冒涜と申します。

224 天主の御名をみだりに呼ぶとは何でありますか。

 天主の御名をみだりに呼ぶとは、何の理由もなく、或は軽々しく天主の御名を口にすることであります。

225 天主の御名によって悪しき誓を立てるとは何でありますか。

 天主の御名によって悪しき誓を立てるとは、正しくないこと、偽のこと、或は無益なことを誓うことであります。

226 呪をするとは何でありますか。

 呪をするとは、自分或は他人の身の上に禍を祈ることであります。

227 天主は第二誡を以て何をお命じになりますか。

 天主は第二誡を以て、願を立てた時に之を果すことを命じ給うのであります。

228 願とは何でありますか。

 願とは、特別に善いことを行おうと志し、必ず之を果そうと、天主に対してする特別の約束であります。それ故、願を破るのは罪になります。

229 修道誓願とは何でありますか。

 修道誓願とは、修道生活を送るために立てる清貧、貞潔、従順の三つの願であります。

230 童貞生活を送るのは善いことでありますか。

 童貞生活は、天主の特別な聖召(めしだし)を受けたものに取っては、たやすく完徳に進み、献身的に社会に奉仕することが出来るので、善いことであります。

 願を立てようと思う時には、よく将来のことを考え、且、司祭に意見を尋ねるべきであります。

第三戒 汝安息日を聖とすべきことをおぼゆべし。

第三十三課 第三誡

231 天主は第三誡を以て何をお命じになりますか。

 天主は第三誡を以て、安息日を守ることを命じ給うのであります。

232 安息日は何曜日に当りますか。

 安息日は、旧約時代には天地創造の記念として土曜日に定められてありましたが、新約からは日曜日となりました。

233 なぜ安息日を日曜日に変えましたか。

 イエズス・キリストの御復活と聖霊の御降臨とが、日曜日に行われましたから、公教会はイエズス・キリストから受けた権利によって、日曜日を安息日とし、之を主日と定めました。

234 どのように、主日を守らねばなりませんか。

 主日を守るには、仕事を休み、天主に仕えて、この日を聖としなければなりません。

235 主日に禁じられる仕事は何でありますか。

 主日に禁じられる仕事は、主に体を使ってする仕事であります。

 主に体を使ってする仕事とは、耕作、土木、建築、木工、建築、木工、機械工作、運送其の他一般の肉体労働であります。然し、その外の仕事でも、主日を聖とするに妨げとなるような商売、取引などは、主日に禁じられます。炊事、掃除等のような日常生活に必要な仕事は禁じられません。

236 主日に仕事をすることは、どのような場合にも禁じられますか。

 主日でも、全く必要な事情があるか、叉は特別な理由によって司祭から許(ゆるし)を受けた場合には、その範囲内に於て仕事をすることが出来ます。

 必要な事情とは、公務、愛徳のために働く場合、叉は私用でも、取入(とりいれ)などのように時期を失することの出来ぬ止むを得ない場合、尚習慣により一般に働くことを認められている場合も之に含まれます。

237 主日に天主に仕え奉るには、どのようにしなければなりませんか。

 主日に天主に仕え奉るには、公教会の定(さだめ)によって、重い妨げがない限り、必ずミサ聖祭に与らなければなりません。

238 此の外、主日に何を心がけねばなりませんか。

 この外、主日には、ふだんよりも多く祈をし、説教を聴き、教を学び慈善その他の善業をするよう心がけねばなりません。

第四誡 汝父母を敬うべし

第三十四課 第四誡(一)

 父母及び長上に対する義務

239 天主は第四誡を以て何をお命じになりますか。

 天主は第四誡を以て、父母は勿論、すべての長上を敬い、愛し、其の命令に従うことを命じ給うのであります。

240 なぜ父母を敬い、愛し、之に従わねばなりませんか。

 父母を敬い、愛し、之に従う理由は、父母は天主に次ぐ我等の恩人で有るばかりでなく、天主の代理者であるからであります。

241 どのようなことが、親を敬う務(つとめ)に背きますか。

 親に非礼を行い、悪口を言うことなどが、親を敬う務に背きます。

243 どのようなことが、親に従う務に背きますか。

 親の命令を軽んじ、之に違(たが)い、之に逆らうことなどが親に従う務に背きます。

244 孝行を尽すのは、親の生きている間に限られますか。

 孝行を尽すのは、親の生きている間だけでなく、其の死後にも及ばねばなりません。それ故、先祖を敬い、愛し、そのために祈ることは、子孫の務であります。

245 孝行な人は、どのような報(むくい)を受けますか。

 孝行な人は、天主の御約束によって、特別な御恵を受けることが出来ます。

246 不孝な人は、どのような報を受けますか。

 不孝な人は、此の世でも、後の世でも、必ず天主から罰せられます。(申 21:18-21)

247 父母の外に、誰を敬い、愛し、之に従わねばなりませんか。

 父母の外に、養父母、教師、主人など、そのたすべての長上を敬い、愛し、その命令に従わねばなりません。

248 何故長上を敬い、愛し、之に従わねばなりませんか。

 長上を敬い、愛し、従う理由は、長上は我等を導き保護するばかりでなく、天主の権によって立てられた者であるからであります。

 「人各々上に立てる諸権に服すべし、けだし権にして天主より出でざるはなく現に在るところの権は天主より定められたるものなり」(ロマ 13:1)

249 どのような場合でも、父母や長上の命令に従わねばなりませんか。

 父母や長上の命令が、明らかに天主の御意(みむね)に違う場合には、之に従ってはなりません。

250 教会に対する信者の義務は何でありますか。

 信者は教皇、司教、司祭を敬い、愛し、その霊的指導に従い、これがために祈り、教会の発展に尽さねばなりません。

251 国家に対する国民の義務は何でありますか。

 国民は常に国権を重んじ国法に従い、納税その他の義務を尽し、叉官吏に対しては相応しい礼儀と尊敬とを払い、その命令に従わねばなりません。

 選挙権を公正に行使することは国民としてのみならず、信者としても大切な義務であります。

第三十五課 第四誡(二)

 子女及び目下に対する義務

252 天主が第四誡を以てお命じになるのは、父母、長上に対する務だけでありますか。

 天主は第四誡を以て、父母、長上のその子やその目下に対する務をも命じ給うのであります。

253 父母の子に対する務は何でありますか。

 父母は、よく子を愛し、養い、教えねばなりません。

254 父母は、どういう心懸(こころがけ)で子を取扱わねばなりませんか。

 子は天主から預けられたものでありますから、その取扱(とりあつかい)の善し悪しによって、自分が賞罰を受くべきことを忘れてはなりません。

255 子をよく愛するとは何でありますか。

 子をよく愛するとは、えこひいきなく、愛に溺れることなく、真にその霊魂と肉身とを大切にすることであります。

256 子をよく養うとは何でありますか。

 子をよく養うとは、健康に注意して子を育て、身分に応じてその将来の幸福を計ることであります。

257 子をよく教えるとは何でありますか。

 子をよく教えるとは、世上のことだけではなく、救霊のことをも習わせ、悪をこらし、善を勧め、常に正しい命令を与えて、言(ことば)と行(おこない)とを以て子の鑑となることであります。

 子供に教理を学ばせることは、父母の最も大切な義務でありますから、教会叉は家庭等に於て之を果すように十分に心懸けねばなりません。

258 目下に対する長上の務は何でありますか。

 長上は使用人に正当な給料を払うべきは勿論、すべての目下を慈しみ、その霊魂上のことを慮(おもんばか)り、悪は之を戒め、進んで自ら善き鑑となるように務めねばなりません。(コロサイ 4:1、チモテオ前 5:8)

第五誡 汝殺すなかれ。

第三十六課 第五誡

259 天主は第五誡を以て何を禁じ給うのでありますか。

 天主は第五誡を以て、他人及び自分の肉親と霊魂とを害(そこな)うことを禁じ給うのであります。

260 他人の肉身を害うとは、どのようなことでありますか。

 他人の肉身を害うとは、殺人、堕胎は勿論、みだりに怒り、人を打ち、傷つけ、叉は喧嘩、嘲弄(あざけり)、復讐をすることなどであります。

261 他人の生命を害することが罪にならない場合がありますか。

 正当防衛、正しい戦争、正当な裁判による死刑執行の場合などには、他人の生命を害しても、罪になりません。

262 自分の肉身を害うとは、どのようなことでありますか。

 自分の肉身を害うとは、自殺は勿論、みだりに身体を傷つけ、不摂生をし、或は理由なく危険に臨むことであります。

263 他人の霊魂を害うとは、どのようなことでありますか。

 他人の霊魂を害うとは、言や行や書物などを以て、他人を躓かせて、罪に誘うことであります。

264 他人の霊魂や肉身を害った時には、どうしなければなりませんか。

 他人の霊魂や肉身を害った時には、罪を痛悔して、告白するだけでは足りません。与えた害をできるだけ償う義務があります。

第六誡と第九誡 汝姦淫するなかれ、汝他人の配(つま)を恋うるなかれ

第三十七課 第六誡 - 第九誡

265 天主は第六誡を以て何を禁じ給うのでありますか。

 天主は第六誡を以て、邪淫の行は勿論、すべての邪淫に導く事柄を禁じ給うのであります。

266 邪淫は大罪でありますか。

 完全な承諾を以てするならば、邪淫は大罪であります。(集 19:3、黙 21:8)

267 天主は邪淫の行だけを禁じ給うのでありますか。

 天主は第九誡を以て、邪淫に係る思(おもい)や望(のぞみ)を起すことまでも、之を禁じ給うのであります。(マテオ 5:28)

268 邪淫に係る思や望が自然に起るのは罪ですか。

 邪淫に係る思や望が自然に起るのは罪ではありません。しかし、起った後に、知りつつこれを楽しむのは罪になります。

269 邪淫の罪を避けるには、どうしなければなりませんか。

 邪淫の罪を避けるには、五官を慎み、悪い友達、猥(みだら)な遊(あそび)、不潔な場所や読物や見物に遠ざかり、飲食を控え、殊にしばしば秘蹟を受け、天主と聖母とに御助を願わねばなりません。

第七誡と第十誡 汝盗むなかれ。 汝他人(ひと)の所有物(もちもの)をみだりに望むなかれ。

第三十八課 第七誡 - 第十誡

270 天主は第七誡を以て何を禁じ給うのでありますか。

 天主は第七誡を以て、他人の所有物を盗み、或は横領し、或は之に損害を与えることを禁じ給うのであります。

271 所有権は正当なものでありますか。

 人が此の世に生きてゆく為には、必ず物を所有することを要し、叉天主も此の所有権を害することをお禁じになりましたから、所有権は正当なものであります。

272 どのようなことが、盗の罪にあたりますか。

 窃盗、強盗は勿論、詐欺、高利の貸し金、不正な商売、雇主に対する不忠実、雇人に対する給料の不払、賄賂の贈収、契約を破って他人に損を与えることなどが盗の罪に当ります。

273 どのようなことが、横領の罪でありますか。

 横領の罪とは、預物、借物、拾物などを返さぬことであります。

274 どのようなことが、他人の所有物に損害を与えることであります。

 他人の所有物に損害を与えるとは、他人の所有物をみだりにこわし、損うことなどであります。

275 第七誡に背いた時には、どうしなければなりませんか。

 第七誡に背いた時には、罪を痛悔して告白するだけでは足りません。与えた損害をできるだけ償う義務があります。

 償いは、所有主(もちぬし)或はその相続者に対してしなければなりません。但し、償いをする方法は人に知られぬようにしても支障(さしつかえ)ありません。尚、所有主が判(わか)らぬ場合には、施(ほどこし)をして償に代えねばなりません。

276 天主は盗の行だけを禁じ給うのでありますか。

 天主は第十誡を以て、他人の所有物をみだりに羨み、望むことをも禁じ給うのであります。

第八誡 汝偽証するなかれ。

第三十九課 第八誡

277 天主は第八誡を以て何を禁じ給うのでありますか。

 天主は第八誡を以て、偽証、虚偽(いつわり)、讒言、誹謗(そしり)、邪推、その他故なく秘密を探り、或は之を漏すことなどを禁じ給うのであります。(出 20:16、エフェゾ 4:25)

278 偽証とは何でありますか。

 偽証とは裁判などで、偽って不実を申立てることであります。

279 虚偽とはなんでありますか。

 虚偽とは、言や行を以て、他人をだまそうと思うことであります。

280 讒言とはなんでありますか。

 讒言とは無実の罪を他人に負わせることであります。

281 誹謗とは何でありますか。

 誹謗とは、故なく他人の欠点や過ちを言い現すことであります。

282 邪推とは何でありますか。

 邪推とは、十分な証拠もないのに、他人に罪があると信ずることであります。

283 故なく秘密を探るとは何でありますか。

  故なく秘密を探るとは、権利も理由もないのに、密談を立聞(たちぎき)したり、手紙を盗見(ぬすみみ)したり、其の他一般に他人の秘密を探し出そうと試みることであります。

284 秘密を漏すとは何でありますか。

 秘密を漏すとは、職務上知り得た秘密や、他人から打明けられた秘密を、故なく他人に漏すことであります。

285 第八誡に背いて他人の名誉を害した時には、どうしなければなりませんか。

 他人の名誉を害した時には、その罪を痛悔して告白するだけでは足りません。できるだけ、その名誉を回復するようにつとめねばなりません。

第四十課 公教会の六つの掟

286* 信者は天主の十戒を守るだけで足りますか。

 信者は天主の十戒の外に、公教会の掟をも守らなければなりません。

 公教会は、イエズス・キリストから掟を定める権利を与えられました。それ故、叉信者は其の掟を守る義務があります。(マテオ 18:18)

287 公教会の掟は幾つありますか。

 公教会の掟は、沢山ありますが主なものは六つあります。

288* 公教会の掟はどうとなえますか。

 第一、主日と守るべき祝日とを聖とし、ミサ聖祭にあずかるべし。
 第二、少くとも年に一度は必ず告白すべし。
 第三、少くとも年に一度は、御復活祭の頃に聖体を領(う)くべし。
 第四、定められる期日には大斎を守るべし。
 第五、金曜日及び其の他定められたる期日には、小斎を守るべし。
 第六、各自(おのおの)の分に応じて教会維持費を負担すべし。

第四十一課 第一の掟

 (第一 主日と祝日とを聖とし、ミサ聖祭にあずかるべし。)

289 公教会の第一の掟は何を命じていますか。

 公教会の第一の掟は、主日と守るべき祝日とを聖とし、ミサ聖祭に与るべきことを命じています。

 主日の中で特に盛大に祝われる主日は、御復活祭(春分後に来る満月後の最初の日曜日)と聖霊降臨祭とであります。

290 主日の外に、日本で守るべき祝日は幾日ありますか。

 主日の外に、日本で守るべき祝日は四日あります。即ち、イエズス・キリストの御降誕祭(十二月二十五日)、御昇天祭(御復活祭後四十日目の木曜日)、聖母被昇天祭(八月十五日)、諸聖人祭(十一月一日)であります。

 守るべき祝日の外にも、公教会の定めた数多の祝日があります(公教会祝日表参照)

291 公教会は、何のために、是等の祝日を定めましたか。

 公教会が是等の祝日を定めたのは、イエズス・キリスト及び聖人達を記念し、且、信者をしてその鑑にならわせ、徳に進ませるためであります。

292* どのようなことが、公教会の第一の掟に背きますか。

 主日と守るべき祝日とに、重大な理由もなくミサに欠席し、或はミサの主な部分に与らず、叉は之に注意を怠ることなどは、教会の第一の掟に背くことになります。

 重大な理由とは、一、病気、旅行、交通の障害、二、看護その他愛徳の義務を果す場合、三、職務上止むを得ない場合などであります。

第四十二課 第二、第三の掟

 (第二 少くとも年に一度は必ず告白すべし。)
 (第三 少くとも年に一度は、御復活祭の頃に聖体を領(う)くべし。)

293 公教会の第二の掟は何を命じていますか。

 公教会の第二の掟は少くとも毎年一度罪を告白することを命じています。

294 公教会の第三の掟は何を命じていますか。

 公教会の第三の掟は、少くとも毎年御復活祭の頃に、聖体を領けることを命じています。

 御復活節の聖体を拝領すべき期間は、日本では、七旬節の主日から三位一体の祝日までであります。

295 信者は何歳から罪を告白し、聖体を領けねばなりませんか。

 信者は物事を弁(わきま)えることのできる歳から、罪を告白し、聖体を領けねばなりません。

296 子供に聖体拝領の準備をさせる義務があるのは、誰でありますか。

 それは、父母を始め、子供を育て、叉は教える人たちであります。

297 病人はどのようにして、第二及び第三の掟を守らねばなりませんか。

 病人は、自分の家(うち)で告白し、聖体を拝領して、第二及び第三の掟を守らねばなりません。

298 罪を告白し、聖体を領けさえすれば、第二及び第三の掟を守ることになりますか。

 適当の準備をもって罪を告白し、聖体を領けなければ、第二及び第三の掟を守ることにはなりません。

299 御復活祭頃に聖体を領けなかった人はどのようにせねばなりませんか。

 御復活祭頃に、聖体を領けなかった人は一日も早く之を領けるようにしなければなりません。

第四十三課 第四の掟(定められる期日には大斎を守るべし。)

 第五の掟(金曜日及び其の他定められたる期日には、小斎を守るべし。)

300 公教会の第四の掟は何を命じていますか。

 公教会の第四の掟は、定められた日に、大斎を守ることを命じています。

301 大斎とは何でありますか。

 大斎とは、一日にただ一回だけ、十分に食事をすることであります。

 但し、昼十分に食事をして、その上、朝はごく少量に、晩は普通の半分の分量を越えない程度の食事をしても差支ありません。尚、昼食と晩食との分量を取替えることもできます。

302 日本では、大斎日が幾日ありますか。

 日本では、大斎日が一年に八日あります。即ち、四旬節中の毎金曜日と御降誕祭の前の四季の金曜日とであります。

 但し、終戦後は事情によって、ローマ聖座から、緩和の恩典があたえられて、大斎日は一年に二日、即ち聖金曜日と御降誕祭の前の四季の金曜日だけとなっています。

303 大斎を守らねばならぬのは、どのような人っでありますか。

 満二十一最以上六十歳までの信者で、妨のない人は、必ず大斎を守らねばなりません。

304 妨がある人というのは、どのような人でありますか。

 妨がある人というのは、病人、産前産後の婦人、精神的或は肉体的激務に従事する人などであります。

305 公教会の第五の掟は何を命じていますか。

 公教会の第五の掟は定められた日に、小斎を守ることを命じています。

306 小斎とは何でありますか。

 小斎とは、鳥獣(とりけだもの)の肉、及び肉汁を食べないことであります。

307 日本での小斎日はどの日でありますか。

 日本での小斎日は、毎金曜日、四旬節中の毎水曜日、四季の始の水曜日及び聖霊降臨祭と聖マリアの無原罪の御宿りの祝日との前日であります。

 但し、終戦後は事情によって、ローマ聖座から、緩和の恩典が与えられて、小斎日は毎金曜日、灰の水曜日、及び聖マリアの無原罪の御宿りの祝日の前日だけとなっています。

 尚、公教会の守るべき祝日、または元旦、天皇誕生日、憲法記念日(五月三日)、文化の日(十一月三日)が小斎日に当れば、小斎が免ぜられます。

308 小斎を守らねばならぬのは、どのような人ですか。

 小斎を守らねばならぬのは、満七歳以上の信者であります。但し病人その他肉類の外に食べるものがない場合には、この義務が免ぜられます。

 大斎日及び小斎日が、公教会の守るべき祝日に当った場合は、第四、第五の掟が免ぜられます。

309 公教会が四旬節を定めたのは、なぜでありますか。

 公教会が四旬節を定めたのは、信者が、イエズス・キリストの四十日間の断食にならい、その御受難、御死去を記念し、罪を償い、御復活の準備をするためであります。

310 公教会が金曜日に大斎や小斎を守らせるのはなぜですか。

 公教会が金曜日に大斎や小斎を守らせるのは、信者にイエズスの御苦難を思い出させ、その犠牲にあずからせるためであります。

311 公教会が四季の始めに小斎を定めたのはなぜでありますか。

 公教会が四季の始めに小斎を定めたのは、季節ごとに天主から受ける御恵を感謝し、叉、此の時に品級の秘蹟を受ける人々の上に、聖寵を求めるためであります。

312 大斎や小斎を守られない人は、何を心がけねばなりませんか。

 大斎や小斎を守られない人は、犠牲、祈、善業などを以て、これに代えるように心がけねばなりません。

第四十四課 第六の掟(各自(おのおの)の分に応じて教会維持費を負担すべし)

313 公教会の第六の掟は何を命じていますか。

 公教会の第六の掟は各自の分に応じて教会の維持費を負担することを命じています。

 教会維持費とは教会の経営維持は勿論、司祭の養成及び扶助、教会の建設その他一般の救霊事業に当てられる費用であります。

314 公教会は何のために教会維持費の負担を命じていますか。

 公教会が教会維持費の負担を命じているのは、教会を維持し、救霊事業を援けることは、信者の重大な義務であるからであります。

第四十五課 罪

315* 罪とは何でありますか。

 罪とは、知りながら、自由意志をもって、思、望、言、行、怠、で天主の掟にそむくことであります。これを原罪にたいして自罪(じざい)と申します。

316 天主の掟は、どのようにしてこれを知ることができますか。

 天主の掟は、生れながらに人に具っている良心の声と、天主の啓示とによって、これを知ることができます。

317* 罪は幾種類に分けられますか。

 罪は大罪と小罪との二種に分けられます。

318 大罪とはなんでありますか。

 大罪とは重大な事柄、或は重大と思い込んだ事柄について、完全に意識し、且つ、承諾して、天主に背くことであります。

319 小罪とは何でありますか。

 小罪とは、軽い事柄について、或は重大な事柄についても、完全に意識せず、或は完全に承諾しないで、天主の掟に背くことであります。

320* 大罪の結果は何でありますか。

 大罪は天主に対する甚だしい侮辱となり、聖寵を失わせ、地獄の終なき罰を招くものであります。(コリント前 16:22、トビア 12:10)

321* 小罪の結果は何でありますか。

 小罪もまた天主の掟に背くもので、天主に対する愛を冷し、霊魂を汚し、次第に人を大罪に導き、この世または煉獄における罰を招くものであります。(集 19:1、ヤコボ 3:5)

322 他人の罪についても、責任を負わねばならぬことがありますか。

 他人の罪に与(くみ)すれば、これについて責任を負わねばなりません。例えば、悪事を命じ、助け、勧め、讃め、賛成し、その利益の分配を受け、または戒むべき時にこれを戒めず、或は戒むる務がある人に匿(かく)すことなどであります。

 誘惑を受け叉は感ずることだけでは罪になりません。然し之を承諾すると罪になります。誘惑に会ったら、直ぐに之を退けるように努め、尚、天主の御助を祈らねばなりません。

第四十六課 罪源

323 多くの罪の源となる罪は何でありますか。

 それは傲慢、貪慾、邪淫、嫉妬、貪食(どんしょく)、憤怒、怠惰であります。これを七つの罪源と申します。

324 傲慢とはなんでありますか。

 傲慢とは、みだりに自分を勝れた者と思うことであります。

325 貪慾とは何でありますか。

 貪慾とは、この世の財宝(たから)、ことに金銭を吝(おし)み貪(むさぼ)ることであります。

326 邪淫とは何でありますか。

 邪淫とは、みだりに肉慾を好むことであります。

327 嫉妬とは何でありますか。

 嫉妬とは、他人の幸福を憎み、或はその禍を喜ぶことであります。

328 貪食とはなんでありますか。

 貪食とは、みだりに美食を好み、或はその度を過すことであります。

329 憤怒とは何でありますか。

 憤怒とは、みだりに腹を立てることであります。

330 怠惰とは何でありますか。

 怠惰とは、義務を厭い、常にこれを怠ることであります。

第四十七課 キリスト教的徳

331 人はただ罪を避けるだけで足りますか。

 人は罪を避けるばかりでなく、徳を修め、できるだけ完徳に進まなければなりません。

332 徳とは何でありますか。

 徳とは容易に善を行い、悪を避ける習性(ならわし)であります。

333 徳は幾種に分けられますか。

 徳は、自然徳と超自然徳との二種に分けられます。

334 自然徳とは何でありますか。

 自然徳とは、天性叉は環境、教育などに基づき、人間の努力のみによって完成され得るもので、自然的善を行わせる徳であります。

 自然徳のみでは救霊を得ることは出来ません。

335 超自然徳とは何でありますか。

 超自然徳とは、聖寵によってのみ与えられ、且、強められるもので、超自然的善を行う徳であります。これをキリスト教的徳と申します。

 キリスト教的徳には、救霊に絶対的に必要な最小のもの、即ち大罪を避けさせる徳から、完徳に至るまでの、種々の段階があります。

336 キリスト教的徳は、幾種に分けられますか。

 キリスト教的徳は、対神徳と超自然的倫理徳との二種に分けられます。

第四十八課 対神徳

337* 対神徳とは何でありますか。

 対神徳とは、聖寵によって与えられ、天主を直接の目的とする、信、望、愛の三つの徳であります。

338* 信、望、愛の徳は、救霊に必要でありますか。

 信、望、愛の徳は、救霊に最も必要であります。それは、一、天主の啓示によっても知られ、また、二、これらの徳のみが人を天主に一致させるからであります。(マルコ 16:16、ヘブレオ 11:6、ロマ 8:24-25、マテオ 22:35-40)

339 どのような時に、信、望、愛の心を起さねばなりませんか。

 信者は物事を弁えることのできる歳から、しばしば信、望、愛の心を起すように努めねばなりません。殊に、これらの徳に背く誘惑が起った時、及び死に臨んだ時などには、それが最も必要であります。

340* 信徳とは何でありますか。

 信徳とは、誤りない真理に在す天主が、公教会をもって教え給うた事柄を、悉く信じさせる超自然的徳であります。(ヘブレオ 11)

341 どのようなことが信徳に背く行でありますか。

 教理を学ぶのを怠り、信ずべきことをわざと疑い、信仰を失わせる危険に近づき、異説を唱え、公教を棄てることなどが、信徳に背く行であります。

342* 望徳とは何でありますか。

 望徳とは、全能全善に在す天主の御約束によって、この世では必ず聖寵の助を得、これによって、後の世において終なき幸福を得られると希望させる超自然的徳であります。(ヨハネ 6:40、コリント後 5:2)

343 どのようなことが望徳に背く行でありますか。

 救霊に就いて失望し、或は天主の助を頼み過すことが、望徳に背く行であります。例えば、罪を犯して自暴自棄に陥り、或は徒(いたずら)に改心を延し、叉は己の力を信じて罪を犯す危険に近づくことなどであります。

344* 愛徳とは何でありますか。

 愛徳とは、限りなき善に在す天主を万事に超えて愛し、叉天主を愛するが為に、他人をも己の如く愛させる超自然的徳であります。(第二十六課、第二十七課 愛の掟参照)(マテオ 22:37-39)

第四十九課 超自然的倫理徳

345 超自然的倫理徳とは何でありますか。

 超自然的倫理徳とは、天主に対し、他人に対し、己に対する義務を実行させる超自然的徳であります。

346 超自然的倫理徳は幾つありますか。

 超自然的倫理徳は沢山ありますが、主なものは、賢明、正義、剛毅、節制の四つの枢要徳であります。

347 なぜこの四つを枢要徳と申しますか。

 この四つを枢要徳と申しますのは、これらはきわめて大切で、扇の要のように他の徳の源であるからであります。

348 賢明とは何でありますか。

 賢明とは、万事について、天主の御旨にかない、永遠の目的に達しさせるよう常に心がけさせる徳であります。

349 賢明に属する主な徳は何でありますか。

 賢明に属する主な徳は、過去に対する反省、現在に対する注意、未来に対する用心、その外他人の意見を聞き、正しい判断をすることなどであります。

350 正義とは何でありますか。

 正義とは、他人に対して尽すべき義務を全うし、他人の権利を侵さないよう特に心がけさせる徳であります。

351 正義に属する主な徳は何でありますか。

 正義に属する主な徳は、天主に対する敬神徳と罪の痛悔、主権者に対する忠節、父母に対する孝行、他人に対する正直、柔和、寛容などであります。

352 剛毅とは何でありますか。

 剛毅とは、妨げに打勝って義務を果すよう、常に心がけさせる徳であります。

353 剛毅に属する主な徳は何でありますか。

 剛毅に属する主な徳は、艱難を忍ぶ時の忍耐、善業を為すための奮発、完徳に進むための辛抱などであります。

354 節制とは何でありますか。

 節制とは、慾を制して、何事にも度を過さぬよう、常に心がけさせる徳であります。

355 節制に属する主な徳は何でありますか。

 節制に属する主な徳は、心を治める謙遜、行を整える謹慎、飲食を程よくする節度、肉体の楽しみを制する貞節などであります。

第五十課 完徳

356 キリスト教的完徳とは、どういうことでありますか。

 キリスト教的完徳とは、天主を愛するが故に、世事に心を奪われず、万事に於て天主の御旨にかない、天主と一致した生活をすることであります。

357 キリスト信者は、誰でも完徳に志さねばなりませんか。

 キリスト信者は、誰でも完徳に志さねばなりません。

 「汝等の天父が完全なるごとく汝等も完全なれ」(マテオ 5:48)

358 完徳の優れた鑑はどなたでありますか。

 完徳の優れた鑑はイエズス・キリスト御自身であります。

 「汝完全ならんと欲せば、我に従え」(マテオ 19:21)諸聖人達はイエズス・キリストの模範に倣って完徳に達した人々で、また我等の鑑であります。

359 完徳に達するためには、どうしなければなりませんか。

 完徳に達するためには、教理をよく学び、熱心に祈り、秘蹟を度々受け、悪は小罪でも之を避け、己を棄てて犠牲を献げ、小さな事柄をも忠実に果すように努めねばなりません。

360 完徳に達する特別な方法は何でありますか。

 完徳に達する特別な方法は、イエズス・キリストの三つの福音的勧告であります。

 福音的勧告とは、一、清貧、二、貞潔、三、従順であります。修道者はこの三つの福音的勧告に従い、それを果すように誓願を立てて完徳に志しております。完徳に対するイエズス・キリストの教訓は真福八端に現れています。即ち、

 一、

福(さいわい)なるかな心の貧しき人、天国は彼等のものなればなり。

 二、

福なるかな柔和なる人、彼等は地を得べければなり。

 三、

福なるかな泣く人、彼等は慰めらるべければなり。

 四、

福なるかな義に飢え渇く人、彼等は飽かさるべければなり。

 五、

福なるかな慈悲ある人、彼等は慈悲を得べければなり。

 六、

福なるかな心の潔き人、彼等は天主を見奉るべければなり。

 七、

福なるかな和睦せしむる人、彼等は天主の子と称(とな)えらるべければなり。

 八、

福なるかな義の為に迫害を忍ぶ人、天国は彼等のものなればなり。(マテオ 5:3-10)

第三部  聖寵を受ける方法

第五十一課 聖寵

361* 人は自分の力だけで教を信じ、掟を守り、救霊を得ることができますか。

 人は聖寵に依らなければ、教を信じ、掟を守り、救霊を得ることができません。

 「我を離れては汝等何事も為す能わず」(ヨハネ 15:5)(エフェゾ 2:8、フィリッピ 2 :13)

362* 聖寵とは何でありますか。

 聖寵とは、救霊のために、天主が、イエズス・キリストの功徳に依って施し給う超自然の御恵であります。

363 聖寵には幾種ありますか。

 聖寵には、助力(じょりき)の聖寵と成聖の聖寵との二種があります。

364* 助力の聖寵とは何でありますか。

 助力の聖寵とは、悪を避け、善を行わせるために、霊魂を照し強める天主の御助であります。これを単に天主の助力とも申します。(コリント後 3:5、フィリッピ 2:13)

365 天主の助力は未信者にも、罪人にも与えられますか。

 助力の聖寵は、改心して救霊を得ることができるように、未信者にも、罪人にも与えられます。(チモテオ前 2:4)

366 助力の聖寵が与えられれば、それだけで直に救霊を得ることが出来ますか。

 救霊のためには、助力の聖寵が与えられるだけでは足りません。之に力をあわせることが必要であります。

367* 成聖の聖寵とは何でありますか。

 成聖の聖寵とは、霊魂に宿って、之を聖とし、天主の御生命に与らせる御恵であります。これを単に、天主の聖寵とも申します。(ロマ 8:14-17、エフェゾ 2:8-10)

368 成聖の聖寵の効果は何でありますか。

 成聖の聖寵を得れば、天国に入るべき天主の愛子となり、其の善業は永遠に報いられる価値のあるものとなります。(ペトロ後 1:4-7、ロマ 6:22)

369* 成聖の聖寵を失うことがありますか。

 大罪を一つでも犯すと、成聖の聖寵を失います。

370* どのようにして、聖寵を増すことが出来ますか。

 聖寵は、殊に祈と秘蹟とをもって、之を受けることが出来ます。

371 どのようにして、成聖の聖寵を増すことが出来ますか。

 成聖の聖寵は秘蹟、祈、善業によって之を増すことが出来ます。

第五十二課 祈

372* 祈とは何でありますか。

 祈とは天主に心を挙げて、天主と語ることであります。

373* 祈の目的は何でありますか。

 祈の目的は、一、天主を讃美し、二、その御恩を謝し、三、罪の赦と四、御恵とを願うことであります。

 祈には、心の中で誦(とな)える黙祷と、言(ことば)に現す声祷とがあります。

374* 祈は必要でありますか。

 祈は天主に対する義務を果し、叉、救霊を得るために、最も必要であります。(コロサイ 4:2、ルカ 11:9-13)

375 祈る時には、まず何事を願わねばなりませんか。

 祈る時には、まず第一に天主の御栄と、救霊とを願わねばなりません。(マテオ 6:9-13)

376 現世の利益を願うのは、正しいことでありますか。

 天主の御栄と霊魂の救かりとに妨とならぬ現世の利益ならば、之を願うのは正しいことであります。(マテオ 8:5-6、25、同 9:18)

377 どのような心をもって祈らねばなりませんか。

 信心、謙遜、信頼、忍耐の心をもって祈らねばなりません。(トビヤ 12:8,マテオ 6:5-8、同21:22)

378* どのような時に祈らねばなりませんか。

 屡々祈らねばなりません。ことに、毎日の朝晩、禍や誘惑に会う時、叉、主日祝日に当り、秘蹟を受ける前後、とりわけ、臨終の時に祈らねばなりません。

第五十三課 主祷文、天使祝詞

379* 祈の中で、最も優れたものは何でありますか。

 祈の中で、最も優れたものは、次の主祷文であります。
 天に在す我等の父よ、願わくは御名(みな)の尊まれんことを、御国(みくに)の来らんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。我等の日用の糧を、今日我等に与え給え。我等が人に赦す如く、我等の罪を赦し給え。我等を試みに引き給わざれ。我等を悪より救い給え。アーメン。

380 なぜ、此の祈を主祷文と名づけますか。

 此の祈を主祷文と名づけるのは、救主イエズス・キリストが、御自らお教えになった祈だからであります。(マテオ 6:9-13)

381 なぜ、天主を指して父と申上げますか。

 天主をさして父と申あげるのは、天主は我等をつくり、洗礼に依って、我等をその愛子となし給うたからであります。

382 なぜ、天主を我が父と云わずに、我等の父と申上げますか。

 天主を我が父と云わずに、我等の父と呼ぶのは、天主はすべての人の父に在し、我等はみな兄弟であって、相互に祈らねばならないからであります。

383 なぜ天に在すと申しますか。

 天に在すというのは、天主は何処にでもおいでになりますが、殊に天国でその御栄を現わし、叉、天国で我等に終なき幸福を与え給うからであります。

384 主祷文には幾つの願がありますか。

 主祷文には七つの願いがあります。前の三つは天主の御栄のための祈で、後の四つは己のための祈であります。

 「御名の尊まれんことを」とは天主の御名が軽んじられず、すべての人々に知られ、且、尊まれるようにと願う意味であります。
 「御国の来らんことを」とは、人々がいよいよ豊かに聖寵を受け、公教会がますます盛んになって一切の人が天国の幸福を蒙るようにと願う意味であります。

 「御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを」とは、天国で天使や聖人が御旨に従っているように、此の世でもすべての人が万事を御摂理に委せ、御掟を守るようにと、願う意味であります。

 「我等の日用の糧を今日我等に与え給え」とは、我等の霊魂と肉身とに必要なものを、毎日天主より与えられるようにと願う意味であります。

 「我等が人に赦す如く我等の罪を赦し給え」とは、我等が他人から受けた不義を赦すように、天主も我等の罪を赦し給うようにと願う意味であります。

 「我等をこころみに引き給わざれ」とは、我等を誘惑から遠ざけ、或は之に堪える力を下し給うようにと願う意味であります。

 「我等を悪より救い給え」とは、すべての悪、即ち禍、罪、地獄等から免れしめ給うようにと、願う意味であります。

 「アーメン」とは「そうでありますように」叉は「そうであります」という意味であります。

385* 主祷文の次に重んずべき祈は何でありますか。

 それは、次の天使祝詞であります。

 めでたし、聖寵充満(みちみ)てるマリア、主御身(おんみ)と共に在す。御身は女の中(うち)にて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。天主の御母聖マリア、罪人なる我等の為に、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。

386 天使祝詞は幾部に分けられますか。

 天使祝詞は二部に分けられます。前の部分は、大天使ガブリエルと聖女エリザベットが聖母にむかって述べた挨拶で、後の部分は公教会が附け加えた願であります。(ルカ 1:28、同 1:42)

 「めでたし聖寵充満てるマリア」とは、罪の汚(けがれ)を知らず、すべての天使、聖人よりもはるかに豊かな聖寵を受け給うた聖マリアに、御挨拶申上げます、との意味であります。

 「主御身と共に在す」とは、天主は勿論一切の善人とともにおいでになりますが、特に最初から聖マリアを完全に守り給うとの意味であります。

 「御身は女の中より祝せられ」とは、天主は聖マリアを選んで、御子の母となさいましたから、聖母はすべての聖人の中で最も祝福せられた御方である、との意味であります。

 「御胎内の御子イエズスも祝せられ給う」とは、イエズスは天国でも此の世でも祝福され給う御方でありますから、その御栄が自然に聖母にも及ぶとの意味であります。

 公教会の附加えた願いは、天主の御母なる聖マリアの御取次は非常に有力でありますから、我等にとって一番大切な臨終の時は勿論、どのような場合にもお助け下さるようにと願う意味であります。

第五十四課 秘蹟

387* 秘蹟とは何でありますか。

 秘蹟とは、聖寵を施すために、イエズス・キリストが定め給うた印号(しるし)であります。

388 秘蹟が聖寵を施す印号であるとは、どういう意味でありますか。

 それは、その印号によって聖寵が与えられることを意味するばかりでなく、実際に聖寵を与えるてだてとなるという意味であります。

389* イエズス・キリストは幾つの秘蹟をお定めになりましたか。

 イエズス・キリストは七つの秘蹟をお定めになりました。それは洗礼、堅振、聖体、悔悛、終油、品級、婚姻であります。

390 七つの秘蹟はどのようにして聖寵を与えますか。

 洗礼と悔悛の二つの秘蹟は、罪を赦して成聖の聖寵を与え、他の五つの秘蹟は聖寵のあるところに更に之を増すのであります。

391 秘蹟は成聖の聖寵を与えるだけでありますか。

 秘蹟は成聖の聖寵だけではなく、その上、それぞれの秘蹟の目的を達するために必要な固有の聖寵をも与えるのであります。

 固有の聖寵とは、その秘蹟の目的を達するために、後々まで必要な助力を与える聖寵であります。

392 秘蹟を授かる人は誰でも聖寵を受けるのでありますか。

 悪い意志さえなければ、秘蹟を授かる人は必ず聖寵を受けます。その上よく準備すれば、更に多くを受けることができます。

393 悪い意志を以て秘蹟を授かる人は、ただ聖寵を受けないだけで済みますか。

 このような人は聖寵を受けないだけでなく、却って涜聖の大罪を犯すのであります。

394 生涯にただ一度しか受けられぬ秘蹟がありますか。

 洗礼、堅振、品級の三つの秘蹟は霊魂に消えない印号をつけますから、生涯にただ一度しか受けられません。

395 此の三つの秘蹟は、その印号によって、どのような資格を霊魂に与えますか。

 洗礼は天主の子となり、堅振はキリストの兵士となり、品級は天主の司祭となる資格を与えるのであります。

396 秘蹟の功力(くりき)の源は何でありますか。

 それは、イエズス・キリストの御受難、御死去の功徳であります。

第五十五課 洗礼

397* 洗礼とは何でありますか。

 洗礼とは、水と天主の御名とを以て、原罪、自罪及其の罰を全く赦し、人を天主と公教会の子とする秘蹟であります。(コリント前 6:11、チト 3:5)

398 洗礼によって天主の子となるとは、どういう意味でありますか。

 洗礼を受ける人は聖霊によって新たに生れ、天主の御生命に与り、天国の世嗣(よつぎ)となるという意味であります。

399 洗礼によって公教会の子となるとは、どういう意味でありますか。

 洗礼を受ける人は、母なる公教会に従う義務が生ずる代りに、そのすべての霊的宝を分け与えられる資格を得るという意味であります。

400* 洗礼は救霊を得るに必要でありますか。

 洗礼は救霊を得るに最も必要であります。それはイエズス・キリストが「人は水と聖霊とによって新(あらた)に生れずば、天国に入る能わず」と宣うたのを以ても明らかであります。(ヨハネ 3:5)

401* 洗礼の時、何を約束いたしますか。

 洗礼の時、悪魔と、その仕業と、其の栄華とを棄て、公教を真実に信じ且守ることを約束いたします。

402 悪魔とその仕業と其の栄華とは何を指しますか。

 それは、罪及び罪に導く機会、例えばすべての虚しい名誉、悪い楽しみ、現世の宝に執着することなどであります。

 洗礼の時、種々の儀式を行うのは、真の信仰を起させ、罪を棄てて新たに生れることを悟らせるためであります。

403 代父や代母を立てるのは、なぜでありますか。

 代父や代母は、本人の約束の保証人となり、その約束を守らせるためであります。

404 霊名を付けるのは、なぜでありますか。

 それは、聖人の名を戴いて、御保護を願い、叉その聖人を鑑とするためであります。

405 信者はその子に、いつ洗礼を受けさせねばなりませんか。

 信者は自分の子に、一日も早く洗礼を受けさせねばなりません。(教会法 770条)

 親は子の身体を育てるようにその霊魂をもはぐくまねばなりません。それ故、自分で真理と信ずる宗教を守らせるのは、子の自由を妨げないばかりでなく、親の義務であり、真に子を愛することになるのであります。

406 大人が洗礼を受けるには、どのような準備が必要でありますか。

 大人が洗礼を受けるには、公教を弁(わきま)え、之を固く信じ、一心に罪を痛悔せねばなりません。(徒 2:38)

407 洗礼を授けるのは、誰でありますか。

 洗礼を授けるのは、普通、司教か司祭であります。しかし必要の場合には、誰でも之を授けることができます。

 死に臨んだ未信者に洗礼を授けるのは、他人の霊魂を救うことでありますから、信者は之をゆるがせにしてはなりません。大人の洗礼については、附録参照。

408 洗礼を授けるには、どのように致しますか。

 洗礼を授けるには、本人の額に水を注ぎながら、「我、聖父と聖子と聖霊との御名によりて汝を洗う」と、となえるのであります。(マテオ 28:19)

409 洗礼を受けないでも、死後、救霊を得る人がありますか。

 洗礼を受けないで死んでも、一、殉教者、二、一生の罪を完全に痛悔して洗礼を望んでいた者、或は、洗礼を知らないでも、救霊に必要なことはすべて守りたいとの心構えを持っていた人は、救霊を得ることができます。(マテオ 10:32、マルコ 8:35、ヨハネ 14:21, 23)

 洗礼は救霊を得る手段として是非必要でありますが、上記の場合は、之に代って同様の効果を斎(もたら)すのであります。それ故、殉教者の場合は血の洗礼、その他の場合は望みの洗礼という言葉が用いられています。

第五十六課 堅振

410 堅振とはなんでありますか。

 堅振とは、完全なキリスト信者とならせるために、聖霊と其の賜物とを豊かに受けさせる秘蹟であります。(徒 8:14-17)

411 聖霊の賜物とは何でありますか。

 聖霊の賜物とは、聖寵のすすめにたやすく速やかに従わせるために、人の智慧を照らし、心を強める、特に優れた超自然の御恵であります。(コリント後 1:21-22)

412 聖霊の賜物は幾つありますか。

 聖霊の賜物は七つあります。上智、聡明、賢慮、剛毅、知識、孝愛、敬畏であります。(イザヤ 11:2))

 一、

上智とは、専ら天主のことを重んじ味(あじわ)わせる御恵であります。

 二、

聡明とは、教を悟らせ、之を心に浸み込ませる御恵であります。

 三、

賢慮とは、天主の御栄と自分の救霊とのためになることを選ばせる御恵であります。

 四、

剛毅とは、救霊の妨となるものに打ち克たせる御恵であります。

 五、

知識とは、天主の御旨に従って世の中の物事を悟らせ、之を用いさせる御恵であります。

 六、

孝愛とは、孝子の心を以て楽しく天主に仕えさせる御恵であります。

 七、

敬畏とは、天主を敬わせ、其の御旨に逆うことを畏れさせる御恵であります。

413 堅振を授けるのは誰でありますか。

 堅振をさずけるのは、普通に司教であります。

414 堅振は救霊を得るために必要でありますか。

 堅振は、救霊を得るために絶対に必要ではありません。しかし怠って受けない者は、大切な御助をわざと拒むことになりますから、罪となるのを免れません。

415 どのようにして堅振を授けますか。

 堅振を授けるには、司教は本人の上に手を掩(おお)い、聖霊とその賜物とを祈り求め、聖香油をもって額に十字架を記しながら「我、聖父と聖子と聖霊との御名によりて、汝に十字架を記し、救霊の聖香油を以て汝を堅固にす」と、となえ、その頬を軽く打ちながら、「汝に平安あれ」と申します。

 聖香油とは、聖木曜日の式に於いて香(バルサム)を混ぜて聖別したオリーヴ油であります。堅振の秘蹟に油を用いるのは、油が物を強く柔かくするように、聖霊もその賜物をもって、霊魂を強く、且柔かくするからであります。香を用いるのは、香の薫るように、堅振を受けた人は徳をもって人々の鑑となれ、との意味であります。
 額に十字架を記すのは、十字架はキリスト信者の記号でありますから、之によって、教を公に守らねばならぬことを、憶えさせるためであります。
 頬を打ちながら「汝に平安あれ」ととなえるのは、信者がイエズス・キリストのために艱難、恥辱を堪え忍ばねばならぬこと、叉その報として心に平安を得ることを教えるためであります。

416 堅振の秘蹟を受けるには、どのような準備をしなければなりませんか。

 堅振の秘蹟を受けるには、公教の主なる信仰箇条、ことに堅振のことを弁え、叉、聖霊の賜物を熱心に祈り求め、霊魂を潔めるために告白するなどの準備をしなければなりません。

第五十七課 聖体

417* 聖体とは何でありますか。

 聖体とは、パンと葡萄酒との外観の下に、イエズス・キリストの御体と御血とが、実際に在し給う秘蹟であります。

 パンと葡萄酒との外観とは、パンと葡萄酒との色、形、味など五官によって感じられるものをさすのであります。

418* 聖体の中にはイエズス・キリストの御体と御血とだけが在すのでありますか。

 聖体の中には、イエズス・キリストの御体と御血とだけではなく、その御霊魂も天主の性も、すべて在し給うのであります。

419 イエズス・キリストはパンと葡萄酒との各々の外観の下に、同様に完全に在し給うのでありますか。

 イエズス・キリストはパンと葡萄酒との各々の外観の下に、叉、それらの一部の下にも、同様に完全に在し給うのであります。

420 イエズス・キリストは何時、聖体をお定めになりましたか。

 イエズス・キリストは御死去の前日の晩餐の時に、聖体をお定めになりました。

421 イエズス・キリストはどのようにして聖体をお定めになりましたか。

 イエズス・キリストはパンを取って之を祝し、使徒に与えて「汝等受けて之を食せよ、これ汝等のために(死に)わたす我が体なり」と宣い、次に杯を取って之を祝し、使徒達に与えて「汝等受けて之を飲め、これ我が血なり」と仰せになって、聖体をお定めになりました。(マテオ 26:26-29、マルコ 14:22-25、ルカ 22:19-20)

422 イエズス・キリストが「これ我が体なり、これ我が血なり」と仰せられた御言葉によって、どのような変化が起りましたか。

 此の御言葉によって、パンは変じて御体となり、葡萄酒は変じて御血となりました。

423 イエズス・キリストは聖体の秘蹟を行う権を誰にお授けになりましたか。

 イエズス・キリストは十二使徒及びその後継(あとつぎ)の司教、司祭にその権をお授けになりました。

424 どのような御言葉をもってイエズス・キリストはこの権をお授けになりましたか。

 イエズス・キリストは「汝等わが記念として之を行え」との御言葉をもって、この権をお授けになりました。(ルカ 22:19)

425 司教、司祭は何時この権を用いるのでありますか。

 司教、司祭はミサ聖祭の時に、この権を用い、パンと葡萄酒とをイエズス・キリストの御体と御血とに変化させるのであります。

426 なぜ、イエズス・キリストは聖体をお定めになりましたか。

 イエズス・キリストは、一、世の終まで人々と共に住み、二、ミサ聖祭によって十字架上の犠牲を聖父に献げ、三、聖体拝領によって人々の霊魂の糧となり給うために聖体をお定めになりました。

第五十八課 ミサ聖祭

427* ミサ聖祭とは何でありますか。

 ミサ聖祭とは、パンと葡萄酒との外観の下に在し給うイエズス・キリストの御体と御血とを、聖父に献げる祭であります。

 犠牲とは天主を最高の主として礼拝するために献物(ささげもの)をなすことであります。旧約の犠牲は牛、羊などを屠(ほふ)って之を献げることで、すべて新約の犠牲のかたどりでありました。

 新約の犠牲はイエズス・キリストが、十字架上に於て、御自ら御生命を献げ給うたことであります。ミサ聖祭はこの犠牲の継続であります。

 ミサ聖祭は司祭によって献げられますが、実はイエズス・キリストの御手を以て、直(じか)に之をお献げになるのであります。

428* ミサ聖祭と十字架上の犠牲とは同じでありますか。

 ミサ聖祭と十字架上の犠牲とは、献げ方が違いますが、その実体に於ては全く同じであります。

429 ミサ聖祭と十字架上の犠牲とがその実体に於て全く同じであるとは、どういう意味でありますか。

 それは、イエズス・キリストが十字架上でなされたように、ミサ聖祭でも自ら御自身をお献げになるからであります。

430 ミサ聖祭と十字架上の犠牲と献げ方が違うとは、どういう意味でありますか。

 それは十字架上の犠牲と異り、ミサ聖祭では、イエズス・キリストは目に見えては御血を流さず、御死去にならず、司祭の手をもって御自身をお献げになるからであります。

431 信者は、ミサ聖祭に対してどういう役割をもっておりますか。

 信者は、司祭を総代としてミサ聖祭を献げ、叉、主を頭とする神秘体の一部分として、キリストと共に己をも献げるのであります。

432* ミサ聖祭を献げる目的は何でありますか。

 ミサ聖祭を献げるのは、一、天主を礼拝し、二、其の御恩を謝し、三、罪を贖い、四、御恵を求めるためにであります。

433* ミサ聖祭にはどのような功力(くりき)がありますか。

 ミサ聖祭は、聖父に無限の光栄を帰し、且、十字架上の犠牲の功徳を、此の世の人と煉獄の霊魂とに施すもので、その功力には限がありません。

434* 信者は、どのような心構で、ミサ聖祭に与らねばなりませんか。

 ミサ聖祭に与る時には、キリストの御受難、御死去を思い出し、司祭と心を合せて之を献げ、成可(なるべく)聖体を拝領するよう心がけねばなりません。

434B ミサ聖祭は何時献げますか。

 ミサ聖祭を献げる時間は、普通午前中でありますが、教区長の許可があれば、午後四時以後にも献げることができます。

第五十九課 聖体拝領

435* 聖体拝領とは、何でありますか。

 聖体拝領とは、イエズス・キリストと一致し、且、霊魂の糧とするために、聖体を受け奉ることであります。

436 なぜ、聖体を拝領しなければなりませんか。

 聖体拝領を必ずしなければならない理由は、イエズス・キリストが「我が肉を食せず我が血を飲まざれば、汝等の中に生命を有せざるべし」と宣うたのを以ても明らかであります。

 イエズス・キリストはパンと葡萄酒の、いずれの外観の下にも、完全に存在し給うのでありますから、パンの外観の下に、之を受ければ十分であります。

437 何時、聖体を拝領しなければなりませんか。

 少なくとも毎年一度御復活祭の頃、及び、生命の危(あやう)い時には、必ず聖体を拝領しなければなりません。なお、度々之を拝領することは極めて有益であります。

438* 聖体拝領の効果は何でありますか。

 聖体を拝領すれば、成聖の聖寵が増し、私慾が弱り、小罪が赦され、大罪を避ける力が授けられて、終なき生命に至ることが出来るのであります。

439 聖体拝領には、どのような準備が必要でありますか。

 聖体拝領には、霊魂および肉身の準備が必要であります。

440* 聖体拝領に必要な霊魂の準備とは何でありますか。

 それは、聖寵と善意とをもつことであります。

441 聖寵をもつとはどういうことでありますか。

 聖寵をもつとは大罪のないことをいうのであります。

442 大罪のある者は、聖体を拝領する前に何をしなければなりませんか。

 大罪のある者は、聖体を拝領する前に、必ず悔悛の秘蹟を以て霊魂を清めねばなりません。

443 大罪がありながら、聖体を拝領すれば、どういうことになりますか。

 大罪がありながら聖体を拝領すれば、涜聖の甚だしい罪を犯すことになります。

444 善意を有(も)つとはどういうことでありますか。

 善意を有つとは、聖体を拝領するに当って、天主の御恵に適う志をもつことであります。例えば天主に一致し、善に進み、罪を避ける力を求めることなどであります。

445* 聖体拝領のもっと完全な準備は何でありますか。

 それは、小罪までも之を忌み嫌い、信、望、愛の心を起して熱心に祈ることであります。

446* 聖体拝領の肉身の準備とは何でありますか。

 聖体を拝領するためには、その三時間前から固形物およびアルコール飲料、一時間前から水または湯以外の非アルコール流動物を飲食してはなりません。なお聖体拝領に際しては恭しく身を整えることであります。

 死の危険にある病人の最後の聖体拝領には断食の必要がありません。病人は非アルコール飲料および薬品(固形、液体の如何を問わず)を何時でもとることができます(附録[二]参照)

447* 聖体拝領の後には、何をしなければなりませんか。

 聖体拝領の後には、心の中にお降りになったイエズス・キリストを相当の間、一心に礼拝し、深く天主に感謝し、自分のためにも、必要な御恵を願わねばなりません。

第六十課 悔悛(一)

448* 悔悛の秘蹟とは何でありますか。

 悔悛の秘蹟とは、洗礼を受けた後に犯した罪を赦す秘蹟であります。

449 イエズス・キリストはどのようにして、悔悛の秘蹟をお定めになりましたか。

 イエズス・キリストは使徒等にむかって「汝等誰の罪を赦さんも、其の罪赦されん。汝等誰の罪を止(とどめ)めんも、其の罪止められたるなり」と仰せになって、彼等とその後継ぎの司教、司祭とに、罪を赦す権をお授けになりました。(ヨハネ 20:22-23)

450* 悔悛の秘蹟には何が必要でありますか。

 悔悛の秘蹟には、糺明、痛悔、遷善の決心、告白、償が必要であります。

一、糺明

451* 罪の糺明とは何でありますか。

 罪の糺明とは、前の告白後に犯した罪を、真面目に思い出すことであります。

452 糺明はどのようにいたしますか。

 罪を糺明するには、先ず聖霊の御助を願い、天主の十誡、公教会の六つの掟、七つの罪源、及び各々の職務について、思、望、言、行、怠、をもって犯した罪を思い出すのであります。

 度々悔悛を受ける人は「公教会祈祷書」の中の夕の祈にある「罪の吟味」の箇条を用いて糺明しても差支えありません。

第六十一課 悔悛(二)

二、痛悔

453 罪の赦を受けるに最も必要なことは何でありますか。

 それは痛悔であります。

454* 痛悔とは何でありますか。

 痛悔とは、心の底から罪を忌み嫌い、今後決して犯すまいと決心することであります。

455 表面だけの痛悔ではいかがですか。

 表面だけの痛悔では何にもなりません。罪を犯すのは心に因るのでありますから、痛悔も心からしなければなりません。

456 すべての罪を悉く痛悔しなければなりませんか。

 少なくとも大罪は、悉く痛悔しなければなりません。

457 小罪しかない人も、悔悛を受けるために、痛悔の必要がありますか。

 痛悔がなければ悔悛を受けられませんから、せめて小罪の中のあるものを痛悔し、告白しなければなりません。

458 どれ程強く罪を痛悔しなければなりませんか。

 どんな禍よりも罪を忌み嫌わねばなりません。

459* どのような理由によって、痛悔を起さねばなりませんか。

 それは罪によって全能の天主に背いたこと、イエズス・キリストの御受難の因(もと)となったこと、天国の幸福を失い、地獄或は煉獄の苦しみを受けねばならぬことなどの、超自然の理由によって罪を痛悔しなければなりません。

460 名誉、健康、財産を失うような自然的理由のために、罪を悲しむのは、真の痛悔になりますか。

 それらの理由のために罪を悲しむのは、超自然の痛悔ではなく、従って真の痛悔になりません。

461 真の痛悔には幾種ありますか。

 真の痛悔には二種あります。それは、完全な痛悔と不完全な痛悔とであります。

462* 完全な痛悔とは何でありますか。

 完全な痛悔とは、天主を深く愛するこころから、その御旨に逆らったことを悲しみ、或はイエズス・キリストの御受難の因となったことを悔んで、罪を忌み嫌うことであります。

463 不完全な痛悔とは何でありますか。

 不完全な痛悔とは、天主を愛するためよりも、罪の醜さを恥じたり、天国の幸福を失い、なお地獄或は煉獄の罰を招くことを恐れたりして、罪を忌み嫌うことであります。

464* 完全な痛悔の効果とは何でありますか。

 完全な痛悔の効果は、秘蹟を受けなくとも、受ける望みさえあれば、すべての罪が赦されることであります。

465 不完全な痛悔でもすべての罪の赦しを得られますか。

 不完全な痛悔では、洗礼或は悔悛の秘蹟に依らなければ、大罪の赦は得られません。

三、遷善の決心

466 罪の赦を受けるには、犯した罪を忌み嫌うだけで足りますか。

 罪の赦を受けるには、起こした罪を忌み嫌うだけではたりません。尚、遷善の決心をしなければなりません。

467* 遷善の決心とは何でありますか。

 遷善の決心とは、この後更に之を犯すまいと、堅く決心することであります。

468 遷善の決心は、何によって知ることができますか。

 遷善の決心は、一、行を改めるように力を尽くし、二、罪の機会を避けるように注意し、三、犯した罪を償うように努めることなどによって之を知ることが出来ます。

第六十二課 悔悛(三)

四、告白

469* 告白とは何でありますか。

 告白とは赦を受ける為に、犯した罪を司祭に言い表すことであります。

470 罪の赦を受ける為に、なぜ告白しなければなりませんか。

 それは、イエズス・キリストの御定めによるのであって、告白に依らなければ、司祭は罪を赦して可(よ)いか否かを知ることが出来ないからであります。(ヨハネ 20:23、マテオ 16:19、18:18)

471* 適当に告白するには、どうしなければなりませんか。

 適当に告白するには、大罪とその数とその事情とを漏れなく、真実に、明らかに言い表さねばなりません。

472 小罪も告白しなければなりませんか。

 小罪は成聖の聖寵を失わせませんから、之を告白しなくとも差支ありませんが、之を告白するのは、安全で益になります。

473 大罪の数を忘れた時は、どう致しますか。

 大罪の数を忘れた時は、凡そ幾度犯したかを言い表せば十分であります。

474 告白すべき罪の事情とは、どういうことでありますか。

 告白すべき罪の事情とは、小罪が大罪となったり、或は一つの悪事が種々の掟に背くために、大罪の上に更に他の大罪が加わったりするような場合をさすのであります。

475 真実に告白するとは、どのようにすることでありますか。

 真実に告白するとは、少なくとも大罪をば思い出した通りに、増し減しなく、正直に言い表すことであります。

476* 告白の時に大罪を隠せば、どうなりますか。

 告白の時に大罪を隠せば、罪は一つも赦されないだけでなく、その上、涜聖の大罪を犯すことになります。

477 大罪を隠した時は、どうしなければなりませんか。

 大罪を隠した時は、その涜聖の罪は勿論、その時告白すべきであったすべての大罪と、其の後犯した大罪とを残らず告白しなければなりません。

478* 大罪を忘れた時は、どうしなければなりませんか。

 忘れた大罪は、他の罪とともに確かに赦されていますが、後に之を思い出したならば、掟に従い、次の告白の時に言い表さなければなりません。

479 明らかに告白するとは、どのようにすることでありますか。

 明らかに告白するとは、司祭に解(わか)り易いように、罪を言い表すことであります。

480 司祭はどのような言葉を以て罪を赦しますか。

 司祭は「我、聖父と聖子と聖霊との御名によって汝の罪を赦す」との言葉を以て罪を赦します。

481 此の言葉の効果は何でありますか。

 此の言葉によって、罪と終なき罰とが赦されて聖寵を回復し、尚その上、罪を避ける為の助力の聖寵を受けるのであります。しかし有限の罰はこの世叉は煉獄に於いて之を果さねばなりません。

482 覚悟が足りないために、罪の赦が受けられない時は、どうしなければなりませんか。

 そのような場合には、謙遜に司祭の指図に従い、なおよく覚悟して、もう一度告白し直さなければなりません。

483 司祭は告白に関する事柄を他人に漏すことができますか。

 司祭は告白にかかわることがらは、如何なる場合でも、これを他人にもらすことができません。信者が他人の告白をもれ聞いた場合でも同様であります。

484 告白の後には、何をしなければなりませんか。

 告白の後には、罪を赦されたことを天主に感謝し、司祭の諭(さとし)を守り、叉、命ぜられた償をなるべく早く果さねばなりません。

第六十三課 悔悛(四)

五、償(つぐのい)

485* 償とは何でありますか。

 償いとは天主に加えた侮辱と他人にかけた損害とをおぎなうことであります。

486 償には幾種ありますか。

 償には、司祭の命ずる秘蹟の償と、自ら行う任意の償との二種があります。

487* 司祭の命ずる秘蹟の償は、天主に加えた侮辱を償うに足りますか。

 司祭の命ずる秘蹟の償は、天主に加えた侮辱を償うために特別の効力がありますが、必ず足りるとは言えません。それ故、その他に祈をなし、善業を行い、此の世の苦労、心配などを耐え忍んで、之を罪の償とするように心がけねばなりません。

488 悔悛の秘蹟によって罪の赦を受けた後、なお償が命ぜられるのは何のためでありますか。

 悔悛の秘蹟によって、地獄の終なき罰は赦されますが、限りある罰は此の世または煉獄で果さなければならないからであります。

 イエズス・キリストの御苦難の功徳は無限であるにも拘らず、償が命ぜられるのは、有限の罰を償う外に、一、罪の源となる悪い傾を直し、二、罪から生じた躓を償い、三、イエズス・キリストに倣い十字架を担って徳を積み、救霊の事業に与る必要があるからであります。

489 他人に対しては、罪の償の必要がありませんか。

 他人の身体、財産、名誉に損害を掛けた場合には、できるだけのこの損害を補って、償を果さねばなりません。(第五、七、八誡参照)

第六十四課 悔悛(五)

六、贖宥

490 償を免除される特別の方法がありますか。

 それは公教会の施す贖宥であります。

491 贖宥とは何でありますか。

 贖宥とは罪の赦ではなく、既に赦された罪に対する有限の罰を、悔悛の秘蹟以外に、公教会が免除することであります。(マテオ 16:19、同 18:18、コリント後 2:10)

492 贖宥の功力は何に基づきますか。

 贖宥の功力は、イエズス・キリストの無量の功徳、及び聖母を始め諸聖人の豊かな功徳に基づくのであります。

493 贖宥には幾種ありますか。

 贖宥には全贖宥と分贖宥との二種があります。

494 全贖宥とは何でありますか。

 全贖宥とは有限の罰を悉く赦すものであります。

495 分贖宥とは何でありますか。

 分贖宥とは或る罰の一部を赦すものであります。

496 贖宥を施すのは誰でありますか。

 贖宥を施すのは、教皇と司教とであります。

497 贖宥を受ける条件は何でありますか。

 それは、一、大罪がないこと、二、贖宥を受ける望があること、三、其の贖宥に就いて定められた事柄を守ることであります。

498 煉獄の霊魂に贖宥を譲ることができますか。

 煉獄の霊魂に贖宥を譲ることができます。

第六十五課 終油

499* 終油とは何でありますか。

 終油とは、聖油をもって病人の身体に十字架を印し、その霊魂と肉身とを助ける秘蹟であります。(ヤコボ 5:14-15)

500 終油が病人の霊魂を助けるとは、何の意味でありますか。

 終油が病人の霊魂を助けるとは、一生の罪のあとを除き、病苦に堪えさせ、死と審判との恐れを減じ、悪魔の誘(いざない)に勝たせることであります。

 一生の罪のあととは、罪が赦された後に残る其の償、及び罪から生じた心の弱さ、悪い傾などをさすのであります。

501 終油が病人の肉身を助けるとは何の意味でありますか。

 終油が病人の肉身を助けるとは、救霊に益ある場合には、これによって病が癒えることであります。

502 司祭はどのようにして、終油を授けますか。

 司祭は、聖油をもって病人の目、耳、鼻、口、手、足に十字架を印し、天主の御慈悲を祈り求めるのであります。

503 どのような人が、終油を受けるのでありますか。

 それは、罪を犯し得る年齢になって、生命が危くなった信者であります。

504 終油を受けるには、どのような準備が必要でありますか。

 終油を受けるには、罪を痛悔して之を告白し、天主の御旨に全く信頼する心を起さねばなりません。

505 告白することが出来ぬ場合にも、終油によって罪の赦を受けることができますか。

 告白することが出来ぬ場合にも、たとえ不完全でも、真の痛悔さえあれば、小罪のみならず、大罪の赦をも受けることができます。

506 終油を度々受けることができますか。

 終油は病気中にただ一度だけ受けることができます。しかし、一応危険が去って、再び危くなった時には、同じ病の間でもまた之を受けることができます。

507 終油は救霊のために必要でありますか。

 大罪を犯して告白ができぬ者にとっては、終油は救霊のためにどうしても必要であります。其の他の者にとっては絶対に必要ではありませんが、なおざりによって之を受けないのは、天主の貴重な御恵を失うことになります。

508 司祭の居ない時に、死に臨んだ人は、どうしなければなりませんか。

 司祭の居ない時に死に臨んだ人は、犯した罪について完全な痛悔を起さねばなりません。

 看護人は、すぐに司祭を招くことが出来ぬ場合には、病人に痛悔を勧め、頼もしい心を起させ、叉、万事を天主にお委せするように諭し、その心を慰めねばなりません。

第六十六課 品級

509* 品級とは何でありますか。

 品級とは、公教会に於て聖職を奉ずる為の、権力と、之をふさわしく行うための聖寵とを与える秘蹟であります。(ルカ 22:19,コリント前 11:23-24、ヨハネ 20:23、徒 6:6、13:3、チモテオ前 4:14、チモテオ後 1:6)

510 品級には幾段ありますか。

 品級には下級四段(守門、読師、祓魔師、侍祭)上級三段(副助祭、助祭、司祭)の七段があります。これを皆受けた者が司祭で、司教はこの秘蹟のすべての権力を有する大司祭であります。

511 品級によって、司祭はどのような権力を得ますか。

 品級によって、司祭はミサ聖祭を献げ、秘蹟を授け、教を説くなどの権力を得ます。(コリント前 4:1、コリント後 6:1以下、ヘブレオ 13:17)

512 品級を授ける者は誰でありますか。

 品級を授ける者は司教だけであります。

513 品級を受ける者は誰でありますか。

 品級を受ける者は、天主の特別な聖召(めしだし)を蒙り、司教の選(えらみ)に適った者に限るのであります。

514 なぜ司祭は独身生活を守るのでありますか。

 司祭が独身生活を守る理由は、イエズス・キリストに倣い、身も心も潔く保って聖職に従事し、叉、妻子に引かされることなく、専ら救霊の務を尽くすためであります。

515 品級による階級の外にも、聖職者の階級がありますか。

 品級による階級の外にも、教会行政上の階級があります。これは品級によって得られるものでなく、教会長上の命によって定められるものであります。例えば、枢機卿(カルジナル)、教区長、司教代理などであります。(第十八課 公教会参照)

第六十七課 婚姻

516* 婚姻の秘蹟とは何でありますか。

 婚姻の秘蹟とは男女の一生の縁を聖ならしめ、夫婦の務をよく尽くして、婚姻の目的を果させるために、聖寵を与える秘蹟であります。(エフェゾ 5:22-33)

517* 婚姻の主な目的は何でありますか。

 婚姻の主な目的は、一、子をあげて之を教育すること、二、夫婦相互(あいたがい)に助け合うこと、三、邪慾を防ぐことなどであります。

518 夫婦の務とは何でありますか。

 夫婦の務とは、互に相愛し、欠点を忍び、貞操を守り、公教の教旨(おしえ)に従って子供を育てることであります。

519 婚姻の目的に背く甚だしい大罪は何でありますか。

 婚姻の第一の目的は、天主の御定(さだめ)により、子を挙げることでありますから、避妊を計るような行為は、婚姻の目的に背く甚だしい大罪であります。

520 婚姻を結ぼうとする信者は、何を心がけねばなりませんか。

 婚姻は一生の縁を結ぶだけでなく、永遠の救霊にも大きな影響を及すものでありますから、慎重に之を定め、叉婚姻の約束をする前に、早目に主任司祭に届出なければなりません。

521 婚姻を結ぶ妨となるのはどのような事柄でありますか。

 それは、婚姻を結ぼうとする相手が、異教者叉は近い親族である場合などであります。

522 公教会は異教者との婚姻を許しますか。

 公教会は普通には異教者との婚姻を許しません。その理由は、自分が教を守ることも、子供を公教の教旨に従って育てることも容易にできないからであります。しかし、重大な理由があれば、これを許します。

523* 重大な理由があって、異教者と結婚しようと思う人は、どうしなければなりませんか。

 重大な理由があって、異教者と結婚しようと思う人は、その約束をする前に、必ず主任司祭を通じて教会当局から許を受ける手続をしなければなりません。

524 異教者との婚姻が許される条件は何でありますか。

 異教者との婚姻が許される条件は、一、配偶者の信仰の自由を保障し、二、双方が男女の別なく子供に公教の洗礼を受けさせ、且、之等を公教の精神に従って育てる約束をすることであります。
(教会法 1061、1071条)

 なお異教者と婚姻しようとして、いろいろの困難がうまれた場合には、直ちに主任司祭に相談すべきであります。我が国の如き布教地では、正しい結婚である以上、教区長から種々特別の許可が与えられることがあります。

525* 婚姻の秘蹟を受ける前には、どのような準備をしなければなりませんか。

 婚姻の秘蹟を受ける前には、教理を十分に研究し、配偶者となるべき者に妨がないかどうかをよく調べ、天主の御助を願い、悔悛の秘蹟をもって心を清めねばなりません。

526* 婚姻の式はどのようにして、行われますか。

 婚姻の式は、公教会の規定によって、主任司祭と二名以上の証人との前で、夫婦の約束を言い交すことによって行われます。此の式を守らなければ、婚姻は無効となるだけでなく、大罪を犯すことになります。(教会法 1094条)

527* 婚姻を結んだ後に離婚をすることができますか。

 夫婦は自然法と神法とによって、離婚することができません。イエズス・キリストが「天主の配(あわ)せ給えるもの、人之を分つべからず」と宣うたのを以ても明らかであります。(マテオ 19:6)

528 両親は子供の婚姻について、どのような務がありますか。

 両親は子供の婚姻について、世上のことよりも、救霊のことを慮る務があります。叉、みだりに婚姻を強いてはなりません。

第六十八課 信者としての心得

529* 毎日の生活を営むについて、どのようにすれば、天主の御旨に適うことができますか。

 天主の御旨に適うには、掟を守り、時間を大切にし、何事をも天主をも天主の御栄のために行うように心がけねばなりません。

530* 毎朝、目が覚めた時には何を致しますか。

 目が覚めた時には、まず十字架の印をしてイエズス・キリストの御名を唱え、其の日の仕事も、苦楽も、すべて之を天主に献げ、なるべく早く朝の祈をするようにせねばなりません。

531* その外、何時、祈をとなえるように心がけねばなりませんか。

 一日の主な仕事や食事の前後に祈り、叉、朝、昼、晩に御告の祈などをとなえるように心がけねばなりません。

532* 職業に対しては、どのように心がけねばなりませんか。

 熱心に職業に従事することは、天主の御栄となり、叉自分の名誉であり、その上罪の償にもなりますから、救主が此の世でお過しになった御生涯を模範として、之に務めねばなりません。

533* どのような心持で、艱難病苦を堪え忍ばねばなりませんか。

 艱難病苦は天主の御摂理によるものでありますから、イエズス・キリストの御受難に合わせて之を天主に献げる心で堪え忍ばねばなりません。

534 他人と共に居る時には、特に何に注意しなければなりませんか。

 他人と共に居る時には、其の行は勿論、讒言(ざんげん)、誹謗(そしり)、邪淫等に関(かかわ)る話を注意して避けねばなりません。

535 種々の娯楽については、どのように考えねばなりませんか。

 健全な娯楽である限り、教を守りつつ之を楽しむのは正しいことであります。

536 誘惑に逢う時には、どのようにしなければなりませんか。

 誘惑に逢う時には、速に天主の御助を祈り求めて、之を防がねばなりません。

537 もし大罪を犯したならば、どうしなければなりませんか。

 大罪を犯したならば、すぐに之を痛悔し、なるべく早く悔悛の秘蹟を受けねばなりません。

538* 夜になったら、何をしなければなりませんか。

 夜になったら、夕の祈をとなえ、当日犯した罪を糺明し、之を痛悔せねばなるません。

539 家族揃って祈をとなえるのはよいことでありますか。

 家族揃って祈をとなえるのは、最も善いことで、天主に嘉(よみ)せられ特別の御恵を受けるのであります。

540* 寝床に就く時には何をいたしますか。

 寝床に就く時には、十字架のの印しをし、イエズス、マリアの御名を唱え、守護の天使に身を委せます。

541 このように務めてゆく信者は、どのような報を受けることができますか。

 このように務めてゆく信者は、此の世では常に心安らかで、天主の御寵愛を蒙り、後の世では、天国の幸福を受けるのであります。

附録(一)(死に臨んだ信者に洗礼を授ける時に、教えねばならぬ事柄は何でありますか。)

 此の際、教えねばならぬ事柄は、

 一、

霊魂の不滅、天国の幸福と地獄の苦しみ、罪の赦を受けなければ天国に行かれないこと。

 二、

天主の存在、三位一体のこと、第二位は人となり、十字架に附けられ、人々の罪を贖い給うたこと。

 三、

救主に依り頼むこと、天主を愛し奉ること、生涯の罪を痛悔すること。罪の赦を得手天国に行くために洗礼を受けねばならないこと、

等であります。是等を一々説明する暇もなく、叉、病人もこれを理解することが出来ぬ場合には、せめて、

 一、

霊魂の不滅と死後の賞罰、

 二、

天主の存在、

 三、

一生涯の罪を心から痛悔すること

を教えねばなりません。

附録(二)

 聖体拝領前の断食の規則として従来は、前夜十二時から飲食を絶つことが命じられていました。これを守ることは現在でもすすめられており、四四六番の新規定に従う者も、模範的生活、特に痛悔と愛徳の業をもって、この恩典にむくいるようつとめねばなりません。

公教要理 終


公教要理索引(数字は問答番号)

[ア ー オ]

186-200,344, 405
愛徳 206, 304
アヴェマリア 385, 386
明らかな告白 479
悪魔 42, 44, 48, 49, 401, 402, 500
悪友 269
悪しき思 267, 268
悪しき誓 225
アブラハム 69
按手 415, 509
安息日  231-237
位階制度 510, 515, 144, 149
329
異教者との婚姻 522-524
イスラエル 69-71
偽り 277-279
370-386, 359, 209, 215, 218, 219, 531, 538, 539
祈り方 375, 376, 377
遺物 221
永遠 191, 171, 17
横領 273, 285
185, 3, 189, , 286-288, 361, 529
お告げの祈 531, 75

[カ ー コ]

外観 417
悔悛(告解) 165, 448, 537
カトリック運動 158
1, 16-3
神への愛 186-190, 1, 3, 4
227-230
完全な生活 1, 3, 186
完全な痛悔 462, 464, 508, 537
完徳 230, 331, 353, 356-360
艱難 36, 38, 415, 533
棄教 214
偽証 277, 278, 285
犠牲 109, 110, 426, 428-430
奇蹟 104, 107, 108
救世 109
糺明 451, 452, 538
旧約 64, 65
給料 258, 272
救霊 65, 90, 109, 112, 113, 143, 161, 185, 191, 192, 257, 313, 314, 338, 361, 374, 375, 400, 501, 528, 520
教育 253, 257, 296
教会 137, 緒言p.2-3, 8, 124, 135-158, 399
特徴 151-156
教会維持費 313, 314
教会の掟 286-288
教区長 515
教師 247
教職 143-146, 511
協力(罪への) 322
(御)潔め 95
教皇 139-147, 156, 250
キリスト 73-84, 91-129, 358, 362
キリスト教的徳 335, 336
謹慎 355
金曜日 116, 302, 307, 310
功徳 49, 396
苦しみ(意義) 38, 112
敬畏 412
啓示 6, 7, 316
敬神徳 205, 207, 208, 351
契約 272
結婚式 526
喧嘩 260
玄義 32, 33, 75
原罪 58, 60, 61, 85, 394, 395, 397, 410-416
堅振 394, 395, 410-416
謙遜 100, 355
賢明 346, 348, 349
聖子 26, 28, 29, 74, 75, 78
孝愛 239-258, 412(6)
剛毅 352, 353, 360, 412
公教要理 緒言p.3, 5, 257, 238, 341, 359
香花 213
公現 96
孝行 100
交際 534
公審判 181-184, 129, 168
公生活(キリスト) 101
降誕祭 290, 91-97
幸福 緒言p.1-2, 342, 541
傲慢 324
高利貸 272
御絵 221
国家 251
告解 448, 293, 295, 298, 416, 537
告白 293, 295, 469-484
告白の秘密 483
心と行 208
心の平安 541
古聖所 120, 121
嬰児の洗礼・子供 405
個有の聖寵 391, 410, 435, 500, 501, 516
娯楽 402, 535
婚姻 516-528
婚姻の妨 521
婚姻の目的 517

[サ ー ソ]

罪源 323-330
祭職 143, 144, 148, 425
再臨 129
詐欺 272, 275
殺人 260, 264
三位一体 31, 33, 24, 29
讒言 280, 489, 534
166, 167(7, 50)
神性 81, 104, 108
人性 80, 84
受難 109-111
自愛 186, 191-193
四季 307, 311
司教 510, 141, 156, , 250, 413, 423, 449, 512
司教代理 515
死刑執行 261
地獄 173, 174, 320
自己奉献 431, 530, 533
司祭 142, 250, 423, 427, 449, 510
自罪 315, 397
自殺 262
四終 166, 167, 184
四旬節 302, 307, 309
慈善 197, 238
自然徳 334
十誡 70, 200-202
嫉妬(ねたみ) 327
使徒 102, 423
使徒信経 14, 15
邪淫 265-269, 326
邪推 282
79
宗教 緒言p.1,136
十字架 109, 110, 118, 119, 415
修道誓願 229
終油 499-508
祝日 289, 290-292
守護の天使 46, 47, 540
主日 233-238, 289, 292, 378
主祷文 379-384
殉教者 409
小斎 305-308, 312
小罪 175, 176, 317, 319, 321, 359
上智 412
昇天 125, 127
昇天祭 125, 127, 290
使用人 258, 272
職業 452, 532
贖宥 490-498
贖宥を受ける条件 497
諸聖人 159, 160
所有権 271
助力 364-366
試煉 38
信仰 341
真実の告白 475
信者 161, 163, 250, 357, 398, 399, 431
人生目的 1, 54
人祖 55-61
信徳 6, 206, 337, 338, 340, 341
審判 129, 166-170
神秘体 160, 431
真福八端 360
新約の犠牲 427ロ
信頼 37, 504
枢機卿 515
枢要徳 346, 347
救主 63, 72, 73, 104, 107ハ, 113
聖家族 89
誓願 229, 360
正義 275, 350, 351
成義 134, 143, 144
聖香油 415
聖書 10
聖職 144, 509, 511
聖人崇敬 215-221, 291
成聖の聖寵 367-371
聖像 221
聖体 128, 294-296, 298, 299, 417, 447
聖体の制定 421
聖体拝領 435-447, 附録(二)
聖寵 4, 56, 58, 85, 113, 134, 362-367, 387, 388, 440, 441, 481
聖伝 12, 13
正当防衛 261
聖変化 422
聖母崇敬 220, 385, 386, 530, 540
聖油 502
聖霊 27-29, 127, 130-135, 138, 146
聖霊降臨 130, 131, 233, 289
聖霊の賜 412, 415
西暦 91
節制 269, 354, 355
摂理 36-38, 533
善意 440, 444
宣教 124, 133, 157, 158, 331, 371, 487
善業 331, 371, 487
選挙権 251
全贖宥 494
遷善の決心 467, 468
戦争 261
全知 21
全能 22
洗礼 165, 381, 394, 395, 397-409, 附録(一)
洗礼の授り方 408
洗礼の約束 401, 402
創造 34, 35
聡明 412

[タ ー ト]

大斎 300-304, 312
大罪 174, 187, 266, 318, 320, 369, 441-443, 456, 471, 476, 537
対神徳 205, 206, 335-344
怠惰 330
代父母 403
託身 73-75, 90
堕胎 260
222, 225, 228, 229
地獄 173, 174, 488
知識 412
恥辱 415
聖父 25, 28, 29
血の洗礼 409
超自然徳 335
嘲弄 260
痛悔 406, 409, 433, 454, 468, 505, 537, 538
通功 159-163
償い 485-489, 532
62, 112, 174, 165, 187, 315, 317-330, 414
罪のあと 500
罪の機会 412, 468
罪の事情 474
罪の赦 164, 165, 172, 397, 438, 448, 480, 481
貞潔 360, 514
貞節 355
195
天国 1, 160, 172, 171, 383
天使 39-47, 215-221
天使祝詞 3, 85, 386
天主 1, 16-24, 29, 31
天主との一致 356
天主の愛 368
天主の子 368, 397, 398
天主の生命 367, 398
天主の御栄 1, 529, 532
天主の御名 222-225
童貞 514
童貞生活 230, 514
331-355
読書 269
独身生活 514
涜聖 210, 211, 393, 443, 476, 477
取次 218-219
貪食 328
貪慾 325

[ナ ー ノ]

ナザレト 98
七つの罪源 323-330
七つの賜物 412
七つの秘蹟 389
忍耐 37, 38, 353
盗み 270, 272
嫉妬(ねたみ) 199, 327
ノエ 66-68
望みの洗礼 409
222, 226

[ハ ー ホ]

賠償 264, 275, 285, 485, 489, 397, 481
397, 481
母なる教会 399
晩餐 420
反省 349, 451, 452, 538
被昇天 290, 307
秘蹟 138, 359, 370, 371, 378, 387-396
50
避妊 260, 266, 519
誹謗 281, 285, 534
秘密 283-285
病苦 533
病人 197, 304, 308
品級 311, 394, 509-515
夫婦の務 518
福音 103, 107
福音的勧告 360
復活(主の) 108, 122, 123, 233, 289, 290, 294, 437
復活(人々) 178-180
復讐 260
副助祭 510
不孝 38, 241-243, 246
不摂生 262
父母 239-258
父母の最も大切な義務 257
不謬権 143-147
分贖宥 495
憤怒 329
ベトレヘム 92
ペトロ 139
ペルソナ 24
遍在 20
望徳 206
冒涜 223
牧職 143, 144, 149
保護の聖人 404
施与(ほどこし) 197, 198, 275

[マ ー モ]

マリア 75, 84-88, 220, 530, 540
126
ミサ 209, 237, 289, 292, 427-434, 434B, 511
ミサの功力 433
ミサの目的 432
ミサ拝聴の心得 431, 434
聖旨(みむね) 189, 315, 316, 348, 356, 384, 529
無原罪 85
メシア 77
聖召(めしだし) 230, 513
迷信 210, 212-214
長上(めうえ) 239, 247, 248, 252, 258
モイゼ 70, 201

[ヤ ー ヨ]

誘惑 49, 192, 268, 269, 322, 378, 500, 536
赦し 164, 165, 390, 397, 448, 480
養育 256, 405, 517, 522
預言 104-106
ヨゼフ 86, 89

[ラ ー ロ]

離婚 527
良心 316
臨終 437-447, 503, 508, 附録(一)
隣人愛 186, 194-199, 382
18
神感霊感 10
霊魂 51, 52, 18, 263, 26, 4
霊魂の糧 435
霊魂の不滅 52
礼拝 204
霊名 404
煉獄 160, 163, 175, 176, 321, 433, 488, 498

[ワ]

猥談 265, 534
賄賂 272
38, 458
悪い意志 315, 393
悪い傾 61, 59, 488

以上終


奥付け

公教要理 天主公教会認可済

昭和27年3月5日発行
昭和33年7月25日六版

定価 並製 25円
   上製 50円

編集者 カトリック中央協議会
発行者 東京都新宿区四谷1の2
グイド・パガニーニ
印刷者 東京都中野区橋場町57
山脇 薫
印刷所 東京都中野区橋場町57
    中野印刷株式会社

発行所 中央出版社
東京都新宿区四谷一丁目2
電話四谷(35)6173番
振替(東京)62233番

作成日:1999年05月13日

最終更新日:1999年05月15日

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