ファチマの聖母マリア

ファチマ第三の秘密において啓示された差し迫った大懲罰

The Fatima Crusader Issue 73, Spring 2003より

ポール・クレイマー神父 B.Ph., S.T.B.,M.Div., S.T.L.(Cand.)

 ファチマのメッセージ、そして特に第三の秘密は、もし人々が悔い改めて、神に背くことを止めないならば、罪深い人類の罪のために全世界を罰そうとなさる大懲罰を啓示しています。1917年10月13日にファチマで、太陽の偉大な奇跡の直前に、祝せられた乙女はこう言われました。「人々は自分たちの生活を改め、罪の赦しを願わなければなりません。彼らはこれ以上主に背いてはなりません。なぜなら、主はすでに余りにも多く背かれておられるからです。」

 聖母はもしこの警告に注意が払われないならば、最も重大な結果が生ずることについて警告なさいました。悔い改めない霊魂たちに対する最も大きな結果と最後の懲罰は地獄の永遠の罰です。いとも聖なる御母がファチマに来られたのは私たちの神なる救い主イエズス・キリストの血によって贖われた霊魂たちの永遠の地獄落ちを起こらないようにするためでした。聖母は1917年7月13日の御出現においてこのように説明なさいました:

 「あなたたちはあわれな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために神は世界に私の汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでおられます。私があなたたちに言うことがなされるならば、多くの霊魂が救われ、そして平和がやって来るでしょう。」

 人々が「自分たちの生活を改め、そして罪の赦しを願う」という祝せられたおとめの要求は注意を払われませんでした。ファチマの聖母は福者ヤシンタにこう告げられました。「戦争は世界の罪に対する罰です」注1 第一次世界大戦が特に「冒涜、結婚の神聖さを汚すことそして日曜日の労働」に対する罰であることが聖なる司祭Pere Lamyに啓示されました。1917年7月13日の御出現において、聖母は「戦争は終わるでしょう。しかし、人々が神に背くことをやめないならば、もっと悪い戦争がピオ十一世の在位の間に始まるでしょう。」と予告なさいました。

 不幸なことに、人々は神に背くことをやめませんでした。そしてもっと悪い戦争、第二次世界大戦がピオ十一世の在位の間に勃発しました。注2

 聖母はシスター・ルチアに差し迫った懲罰の始まりを示すしるしを啓示なさいました:

 「あなたが未知の光によって照らされた夜を見るとき、これが『神が世界をその罪のために、戦争、飢饉、教会の迫害そして教皇の迫害によって罰しようとなさる』神によってあなたたちに与えられるしるしであるということを知りなさい。」

 1938年1月25日の夜、シスター・ルチアは聖母が予告なさった不吉な赤い光が、神が『世界をその罪のために、戦争、飢饉、教会の迫害そして教皇の迫害によって罰しようとなさる』大いなるしるしであることを見ました。翌日には「照らされた夜」の奇妙な現象がヨーロッパおよび北アメリカ中の新聞に報道されました。注3 シスター・ルチアは世界の懲罰がまさに始まろうとしていることを理解しました。そして数週間後、3月(1938年)にヒットラーはオーストリアを侵略しドイツに併合しました。そしてこの行動はドイツ、イタリア、日本の第二次世界大戦へのさまざまの攻撃へと変形した諸々の事件のエスカレーションを始めたのです。

 もしファチマの聖母の要求に注意が払われていたならば、第二次世界大戦は起こらずに済むことができたでしょう。聖母はすでにこう約束なさっていました。「私があなたに言うことがもしなされるならば、多くの霊魂が救われるでしょう。そして平和が訪れるでしょう。」聖母は平和を得ることができる唯一の道は、聖母が「世界のために平和を得るためにロザリオの聖母に敬意を表して」毎日のロザリオの祈りをすることをお求めになったとき、聖母の要求に対する従順によってだけであるということを強調なさいました...「なぜなら,ただ聖母だけがあなたたちを助けることができるからです。

 聖母がロシアの奉献と初金曜日の信心を要求なさったのはまさに「戦争、飢饉、教会の迫害そして教皇の迫害による」世界の懲罰が起こらないようにするためでした。聖母の正確な言葉はこうでした:「このことが起こらないようにするために、私は私の汚れなき御心にロシアを奉献すること、そして[五回の]初金曜日の償いのための聖体拝領を求めに来るでしょう。」この要求に関連する約束はこうです:「もし私があなたに言うことがなされるならば、多くの霊魂が救われるでしょう。そして平和が訪れるでしょう。

 第二次世界大戦が私たちを脅やかす懲罰のほんの始まりに過ぎなかったということを心に留めることは最も重要なことです。もし人々が悔い改めず、自分たちの生活を改めないならば、そのときにはもっと苛酷な懲罰が続くでしょう。聖母は、「戦争は終わるでしょう。しかしもし人々が神に背くことをやめないならば、もっと悪い戦争がピオ十一世の在位の間に始まるでしょう。」と言われたとき、特に第二次世界大戦の罰を予告なさったのです。この特別の懲罰はすでに起こりました。

 「戦争、飢饉、教会の迫害そして教皇の迫害による」私たちを脅かす世界の罰はただ部分的にだけ果たされたにすぎないはるかに大きな一般的預言的な警告です。それが将来起こるかそれとも起こらないかということは、聖母の要求が果たされるか、それとも果たされないか次第で決まることです。その懲罰は、秘密の第二部においてただ一般的な仕方で言及されているにすぎない一方で、まだ公表されていない秘密の第三部において完全に啓示されています。秘密の第二部において聖母がそれについて言われたことはこうです:

 「もし私の要求に注意が払われるならば、ロシアは回心するでしょう。そして平和が訪れるでしょうもしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善人は殉教し、教皇は多く苦しみ、さまざまの国が絶滅させられるでしょう。」

 祝せられたおとめがシスター・ルチアに御出現になり、世界のすべての司教たちとともに教皇によってなされるべき「ロシアの奉献を求めるために来る」でしょうという御自分の約束を果たされたのは1929年6月13日、スペインのトゥイにおいてでした。その奉献を要求する聖母の言葉はシスター・ルチアによって次のように書き留められました:「神がこの手段によってロシアを救うと約束なさりながらロシアの奉献を教皇がするように、そして教皇と一致してそして同じ時間に世界の全司教がロシアの奉献をするように教皇にお求めになる時が来ました...」注4 教皇と世界の全司教によってなされるべきこの荘厳なロシアの奉献はこれまでに一度もなされませんでした。同じ時間に教皇と世界の全司教によってなされたロシアの奉献のいかなる行為も(あるいはその問題に関するかぎりでは世界の奉献あるいは他の何らかの事柄の奉献の)いかなる行為も一度もありませんでした。ピオ十二世、パウロ六世あるいはヨハネ・パウロ二世によってなされた奉献の行為のどれ一つも同じ時間に世界の全司教によってはなされませんでした。これは単純に、それに対してはどんな議論もあり得ない--contra factum non est argumentum--一つの確立された歴史的事実です。注5

 要求された奉献の行為が早くなされるべきだということは神の御意志でした:1935年1月21日にシスター・ルチアはこう書きました:「およそ3年ほど前、私たちの主は御自分の要求が耳を傾けられなかったので非常に御不快であられました。それで私はこの事実を一通の手紙で司教様に知らせました...主との親しい会話から、主は五年前にお約束になったように、そして救うことを非常にお望みになっているロシアに対する慈しみを喜んで示そうとしておられるように思われます。」1931年8月19日にはわれらの主イエズス・キリストは、「彼らは、私の要求の実行を遅らせることにおいてフランス王の例に従っているのだから、また彼に従って不幸に陥らなければならないだろうということを私のしもべたちに知らせなさい」注6というメッセージをもってシスター・ルチアに御出現になりました。

 これはイエズス・キリスト御自身によって話された非常に厳しい警告です。なぜなら、キリストが言及しておられる例はフランスをキリストの聖心に奉献することに失敗したフランス王の不従順の例だったからです。その要求はわれらの主イエズス・キリスト御自身によってなされました。それはルイ十四世王に伝えた聖マルガリタ・マリアに啓示されました。ルイ十四世とルイ十五世は何もしませんでした。そして遂に牢獄に入れられた後に、ルイ十六世が神の命令に従おうとしましたが、しかし要求された公のそして荘厳な行為をすることができませんでした。そして1793年に彼はギロチンで首をはねられたのです。

 われらの主は要求されたロシアの奉献を行うために教皇にある期間が与えられたということを明白な仕方で明らかにされました。その後では、もし奉献がまだ適切になされていなかったならば、そのときには教会の司牧者のうちの何人かの人々はこの怠慢のために彼らの生命で支払うことでしょう。このことは2000年6月26日に公表された第三の秘密の幻視においてはっきりと述べられています。その幻視の中では教皇は一軍の兵士たちによって殺されます。そして他の高位聖職者たちも同じように殺されます。

 バチカン当局は「白い服を着た司教」の幻視を教皇ヨハネ・パウロ二世の生命に対する1981年5月の暗殺の企ての予告として解釈しようと努めました。『ファチマ・クルーセイダー』誌は2000年6月26日にラッツィンガー枢機卿によって公表された幻視の解釈が幻視において予告された未来の出来事の実現を過去に置く一つの人をだます試みであるということを十分に証明しました。この人をだます解釈の動機はロシアの奉献はすでになされたという考えを促進することです。そしてそれゆえに、タルシジオ・ベルトーネ大司教が言うように、「権力と悪への悲劇的な人間的欲望によって特徴づけられた歴史の時期」が「終わりへと」もたらされたという考えを促進することです。換言すれば、聖母が要求なさったことはすでになされたのであり、それゆえ私たちはそのことにもはや関わる必要はないというわけです。

 ソダノ枢機卿は2000年5月13日に、「ファチマの『秘密』の第三部が言及している出来事は今や過去の一部と思われる...」と述べました。ソダノ枢機卿の幻視についての解釈は四角い楔を丸い穴に合わせようとする試みのようなものです:それは一人の教皇が軍人によって、すなわち、一軍の兵士たちによって殺されるという未来の出来事の預言を、たった一人の民間人である銃をもった人間による教皇ヨハネ・パウロ二世の生命に対する失敗した暗殺の企てという一つの過去の出来事によって粗雑な仕方で説明しています。ソダノ枢機卿の解釈は明らかに人をだますものです:すなわち、ソダノ枢機卿は「大きな十字架の下で跪いて、彼は一軍の兵士たちによって殺された」という一人の教皇の殺人に言及している預言の言葉を「彼もまた地に倒れるが、どうも死んでいるように見える」という言葉に変えたのです。一人の教皇の未来の殺人を予告する預言はこのようにして言語的なごまかしによって1981年の教皇ヨハネ・パウロ二世の生命に対する失敗した殺人未遂の予告へと変形されたのです。

 ファチマのメッセージ<という表題の小冊子の中でラッツィンガー枢機卿は幻視を解釈する彼の第一の原理を次のように述べています:「まず第一に、私たちはソダノ枢機卿と共に次のことを主張しなければなりません:...ファチマの秘密の第三部が言及している出来事は今や過去の一部と思われると。」

その陳述は意図的な欺瞞です:ラッツィンガー枢機卿は、1984年11月11日に雑誌『イエズス』とのインタビューで「第三の秘密」について話したとき、こう言いました。「『第三の秘密』に含まれている事柄は聖書に告知されてきたこと、そして他の多くのマリアの御出現において繰り返し言われてきたことに一致しています...」

枢機卿のこれらの言葉が聖書に告知されたのでもなく、また多くのマリアの御出現において予告されたのでもない3年も前の失敗した殺人の企てに言及しなかったこと--またそれらの言葉が2000年6月に公表された幻視にも特別に言及しなかったことは明々白々です。反対に、それらの言葉はダ・シルヴァ司教への1944年1月の「手紙」の中で、祝せられたおとめによって予告された未来の出来事に言及したのです。「その手紙の中でシスター・ルチアは聖母がコヴァ・ダ・イリアにおいて三人の小さな羊飼いたちに秘密として打ち明けられた言葉を書き留めました。」注7これはシスター・ルチアが1952年9月2日に教皇ピオ十二世の使節、シュヴァイグル神父に明らかにした「第三の秘密」です。神父は「第三の秘密」は「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々」という聖母の言葉の続き」注8であると説明しました。これは当然、それについてラッツィンガー枢機卿が「この『第三の秘密』に含まれている事柄は聖書において告知されてきたこと、そして他の多くのマリアの御出現において繰り返し言われてきたことである」と言った「第三の秘密」です。この立場はシスター・ルチアの甥であるホセ・ドス・サントス・ヴァリニョ神父によって確証されました。彼は2003年2月14日、イタリアのテレビ番組エニグマで、秘密の第三部は第二部と密接に関連している、それは教会:戦争、迫害と信仰の喪失に関係があるという彼の見解をはっきりと述べました。教会の中には普遍的な危機があるでしょう。注9 このように、それは秘密の第二部における聖母の次の言葉に一致するのです:「善人は殉教するでしょう。教皇は多く苦しみ、さまざまな国が絶滅させられるでしょう。」特に、それは、神が「世界をその罪のために、戦争、飢饉、教会の迫害そして教皇の迫害によって、世界に罰を下そうとしておられる」という1917年7月13日の啓示に一致します。ヴァリニョ神父はまた、秘密の第三部は「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々」...という言葉で終わる秘密の第二部の続きであるとはっきりと主張しています。彼の正確な言葉はこうです:「(云々の後の)三つのピリオドは「ここにまだ明らかにされていない第三部があります」ということを示しています。」

 革命と恐怖の支配からフランスを救うにはすでに余りにも遅すぎた後にフランスの奉献を行おうと試みたが失敗したルイ十六世の場合と同様に、世界戦争の勃発のようなある時点の後には、教会の司牧者たちは奉献を行うことが物理的に不可能であろうということを考えることもまた重要なことです。われらの主がシスター・ルチアに予告なさったことによって判断すれば、秘密の第二部において言及され、第三部の幻視において記述された世界の懲罰は奉献が済まされる前に起こるであろうと思われます。われらの主がシスター・ルチアに言われたことはこうです:「教皇。教皇のために沢山祈りなさい。彼はそれを行うだろうが、しかしそれは遅いだろう。」

 われらの主イエズス・キリスト御自身がなぜこの奉献の行為がそれほど必要なのかを説明なさいました。1936年5月18日の日付の手紙の中で、シスター・ルチアはこう書きました:「他の質問について、もしロシアの奉献を手にするために強調することが都合がよろしければ...私はその問題について主にお話しました。そしてそれほど以前のことではありませんが、主に、教皇が奉献をすることなく、なぜ主がロシアを回心させないのですかとお尋ねしました。(主はこうお答えになりました。)『なぜなら私は私の全教会がその奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認め、その結果全教会が後にその信心を広め、この汚れなき御心への信心を私の聖心への信心と並ぶものとなるようにすることを欲するからだ...にもかかわらず、マリアの汚れなき御心はロシアを救うであろう。それは彼女に委ねられたのだ』と。」

 ロシアの奉献の究極的な目的はロシアの回心あるいは世界平和ではありません。ロシアの回心と世界平和はその奉献によって得られるべく神によって約束された恵みですが、しかし奉献の究極的目的はマリアの汚れなき御心への信心を確立することによって霊魂たちを地獄から救うことです。聖母御自身がこう言われました。「彼らを救うために、神は世界に私の汚れなき御心への信心を確立することを望んでおられます。」1917年6月13日に、聖なるおとめはこの信心を確立することを望んでおられるのはイエズスですと言われました:「主は世界に私の汚れなき御心への信心を確立することを望んでおられます。この信心を大切にする人には誰にでも、私は救いを約束します。それらの霊魂は神の玉座を飾るために私によって置かれた花のように、神によって大切にされるでしょう。」神がロシアの奉献を要求なさるのは霊魂たちの救いのためなのです。「霊魂の救い...は常に教会の最高の法である。」(Can.1752)どのような理由のためであれ、奉献に反対する、あるいはそれを妨害する人々は教会の法に反対するのであり、それゆえに神の眼から見れば犯罪者です。

 神の要求への不従順の結果は予想できないものであり、破局的なものでしょう。聖母の要求は満たされた、そしてロシアの奉献はなされたと主張する人々は現実との接触を失いました。バチカンのスポークスマンであるナヴァロ・ヴァルスは2002年9月に、カトリック教会が現在ロシアにおいて迫害されているという事実に言及しました。ファチマの聖母は、もし彼女の要求に注意が払われなかったならば、ロシアが教会を迫害するでしょうと警告なさいました。聖母はこう言われたのです。「もし私の要求に注意が払われるならばロシアは回心し、そして平和が訪れるでしょう...

 150万人のアメリカ地上軍とイギリス空軍の三分の一がイラクで戦争をする準備としてペルシャ湾に送られました。そして合衆国軍隊は同様に北朝鮮およびイランとの戦争のために準備しています。それにもかかわらず、信仰教義聖省は私たちに、「白い衣服を着た司教」の幻視を「公にするようにという教皇ヨハネ・パウロ二世聖下の決定が権力と悪への悲劇的で人間的な欲望によって特徴づけられた歴史の一時期を終わらせる」と私たちに保証しました。

 ファチマの聖母は1952年5月にシスター・ルチアにこう言われました。「私は常に私の汚れなき御心へのロシアの奉献を待っていると教皇に知らせなさい。奉献なしにはロシアは回心することができないでしょう。また世界が平和を手にすることもないでしょう」注10

 われらの主は、教皇が(ロシアの)奉献をすることがなければロシアを回心させないであろうと言われました。「なぜなら、私は全教会が、その奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認めることを望んでいるからだ。」まだその勝利のしるし、あるいはその回心のしるしはありません。なぜなら、聖母の要求に注意が払われてこなかったからです。そしてそれゆえに、それによって神が「世界をその罪のために、戦争、飢饉、教会の迫害そして教皇の迫害によって罰しようとなさる」大懲罰を世界は待っているのです。

第二部

 ファチマの第三の秘密において啓示されている大懲罰は「第三の秘密」を含むシスター・ルチアのダ・シルヴァ司教宛の1ページの手紙の中に簡潔に明らかにされています。ラッツィンガー枢機卿がイエズス誌のインタビューの中で語った秘密はその手紙の中にあります。ラッツィンガー枢機卿が、「ええ、私はそれを読みました。」と言ったとき、その手紙のことを言っていたのです。「その手紙の中にシスター・ルチアは聖母がコヴァ・ダ・イリアにおいて三人の小さな羊飼いたちに一つの秘密として打ち明けられた言葉を書き留めました。」注11

 ラッツィンガー枢機卿が、イエズス誌のインタビューの中で、第三の秘密は「キリスト教徒の信仰と生命を脅かしている危険、そしてそれゆえに世界を脅かしている危険」に言及していると言ったときに、言及していたのは聖母のあれらの言葉なのです。そして彼は続けてこう言いました。「『第三の秘密』に含まれている事柄は聖書に告知されてきたこと、そして他の多くのマリアの御出現において繰り返し言われてきたことに一致しています...」私たちが「聖書の中に告知されて」きた、そして預言の中で予告された「キリスト教徒の信仰と生命を脅かしている危険、そしてそれゆえに世界を脅かしている危険」を発見するのは、「他の多くのマリアの御出現において繰り返し言われてきた」ことを検討することによってです。

 1973年10月13日に祝せられたおとめマリアは日本の秋田でシスター・アグネス笹川に御出現になり、こう啓示なさいました:「もし人々が悔い改めないならば...御父は人類すべてに恐るべき罰をお与えになるでしょう。それは、人が以前には決して見たことがないような、大洪水よりも大きな罰でしょう。火が空から落ちて来て、人類の大部分を拭い去るでしょう。」

 福者アンナ・マリア・タイギ(1837没)は来るべき懲罰について書きました。それはこう言っています:「神は二つの罰をお定めになりました:戦争、革命そして他の諸々の悪の形での罰は地上で始まるでしょう。もう一つの罰は天から送られるでしょう。三日三晩続く強烈な闇が来て全地を覆うでしょう(ヨエル2:3)...空気は疫病を帯びているでしょう。疫病は宗教の敵どもを主に襲うでしょうが、しかしもっぱらその人々だけを襲うわけではありません...」

 第一の罰は物的そして霊的両方の罰でしょう:戦争と革命、等々は物的懲罰の実質であるでしょう。「さまざまの国が絶滅させられるでしょう。」そして「教会の迫害と教皇の迫害」は霊的懲罰を構成するでしょう。「善人は殉教し、教皇は多く苦しむでしょう。」

 1945年第二次世界大戦が終わって間もなく、教皇ピオ十二世は枢機卿たちへのクリスマス・メッセージの中で次のように述べました:「世界は恐るべき深淵のへりにいます...人々は人類がこれまでに一度も見たことがないような苦しみのために準備しなければなりません。」最初の二つの世界大戦よりもはるかに破壊的な大世界戦争があるでしょう。その預言のために非常に有名っであるシスター・エレナ・アイエロ(1961年没)は聖母によって次のように告げられました:「私の心は今にも起こりそうな破滅の世界における非常に多くの苦しみのために悲しんでいます...神の怒りが近いのです。間もなく世界は大災害、血塗られた革命、恐るべきハリケーン、河や海の氾濫で苦しむでしょう...世界は一つの新しいそしてもっと恐ろしい戦争において転覆させられるでしょう。最も致命的な兵器が人々や国々を破壊するでしょう。地上の独裁者たち、地獄の人々が教会を取り壊し、御聖体の神聖を汚すでしょう。そして最も貴重な事物を破壊するでしょう。この不敬な戦争において人間の手で立てられたものの多くが破壊されるでしょう...」

 「別の恐ろしい戦争が東から西へやって来るでしょう。ロシアはその秘密の軍隊でもってアメリカと戦争するでしょう。ヨーロッパを侵略するでしょう。ライン河は死体と血で溢れるでしょう。イタリアもまた大きな革命で悩まされるでしょう。そして教皇は恐ろしく苦しむでしょう...」

 「ロシアはヨーロッパのすべての国々、特にイタリアに軍隊を進め、聖ペトロ大聖堂のドームの上に国旗を掲げるでしょう。イタリアは大きな革命によってひどく苦しめられるでしょう。そしてその多くの罪のために、特に不純の罪のために清められるでしょう...」1634年2月2日に起こった好結果の聖母(Our Lady of Good Success)の御出現において、神の御母はマザー・マリア・アンナ・ヘスス・トッレスに次のことを啓示なさいました:「司祭と修道者たちの血が流れる恐ろしい戦争が起こるでしょう...邪悪が勝利するように見えるでしょう。」同じことがタッジアのシスター・ローズ・アスデンテ(1847年没)によって預言されました。「人々に対する人々の、そして国々に対する国々の大混乱起こるでしょう。」彼女はこう説明しています。「ロシア人たちが戦争をするためにイタリアに来るでしょう...司祭や修道者たちは虐殺され、大地は、特にイタリアにおいては、彼らの血で洗われるでしょう。」

 数世紀前にあるイギリスの墓石に書かれた預言は予告しています:「絵画が自由に動いて生きているように見えるとき、船が海面下を魚のように泳ぐとき、鳥を追い越す人々が空を飛ぶとき、世界の半分が血の中に深く浸されて死ぬであろう。」それゆえに、2000年6月26日に公表されたファチマの幻視における半分破壊された都市は世界の半分の破壊を意味しているのです:人類の半分、30億人(3,000,000,000)以上の人類が、墓石の預言が予告しているように、懲罰において滅びるでしょう。1957年12月26日にシスター・ルチアはフエンテス神父に次のように言って、この話題を詳しく述べました:「神父様、いとも聖なるおとめは私の従兄弟のフランシスコとヤシンタならびに私に何度も、多くの国々が地の表から消えるでしょうと告げられたことを彼らに伝えてください。聖母は、ロシアは、もし私たちがあの可哀相な国民の回心を前もって手にしていないならば、全世界を罰するために神によって選ばれた懲罰の道具となるでしょうとおっしゃいました。」

 今日の世界は本当に、「恐ろしい深淵のへりに」いると思われます。シスター・エレナ・アイエロに為された預言的啓示は、ロシア、中国そしてイスラム諸国によって西欧諸国に対して遂行される大戦争が起こるであろうという、聖ヨハネ・ボスコ、福者アンナ・マリア・タイギや他の人々の、それ以前の預言を確証しています。たいていのアメリカ人は地勢学的な状況がまさにどのように危険なものであるかについて何の考えも持っていません。彼らは合衆国が世界の唯一の超大国であるという考えをまるごと飲み込んでしまいました。そしてそれゆえに、彼らは合衆国が欲するところではどこでもその意志を行使できると信じているのです。

事実世界には唯一の軍事超大国が存在しています。そしてそれはロシアです。ドナルド・マックアルヴァニーは説明しています・「ロシア(「かつての」ソ連)は今なお世界で最大の軍事機構を持っています。すなわち、世界における最大の核ミサイル兵器工場...最大の戦車、装甲車、原子力潜水艦、ICBM,SLBM、そして戦闘機の製造工場を持っています。」注13

 全世界を征服することが今なおソビエトロシアの意図です。1930年代に、モスクワのレーニン政治戦争のための学校に対するスピーチの中でディミトリー・マヌイルスキーはこう宣言しました。「共産主義と資本主義との間の徹底的な戦争は不可避である。しかし、今日われわれは攻撃するには余りにも弱すぎる。われわれの戦いの日は30年-40年内に来るであろう。しかし最初にわれわれは資本主義諸国を歴史を通じて知られている平和と軍縮の最大の序曲で眠らせるようにしなければならない。そしてそれから、彼らの警戒がなくなったとき、われわれは拳を固めて彼らを打ちのめすであろう。」

 ソビエトロシアはそのとき以来現在にいたるまで変わらずにこの政策に固執してきました。1987年11月、ソビエト首相ミハイル・ゴルバチョフは政治局に対する演説の中でこう述べました:「」紳士ならびに同志諸君、君たちがこれからの数年間にグラスノスチペレストロイカそして民主主義について聞くすべてのことで心配するな。これらは本来表面上の消費である。ソビエト連邦内では、表面上の目的以外にはいかなる重要な内的変化もないであろう。われわれの目的はアメリカ人たちを武装解除し、彼らを眠らせることである。

 ソビエトの軍事指導者たちは兵法書の著者である孫子の弟子たちです。彼は500 B.C.に次のように書きました。「われわれは退却によって前進する。退却は能率のあがらない、官僚的なスターリン主義的国家、ソビエトロシアの取り壊し、それを現在のレーニン主義的国家、ソビエトロシアへと再構築することでした。『ファチマ・クルーセイダー』1993年冬号において、私は次のように報告しました:

 ヨーロッパはNATO-EECブロックとワルシャワ・COMECON協定ブロックとの間の戦後の勢力均衡から立ち去っています。ゴルバチョフは両ブロックの解体とヨーロッパの一つの統合された単位への再編成を促進しています。一つの統合された中立的なヨーロッパはソビエト巨人によって支配された小さな諸国の雑多な寄せ集めとなるでしょう。その莫大な資源、人口、軍事をもってして、ソビエト諸国は容易に全ヨーロッパの主人公となるでしょう。ロシアにおける新しいスローガン「シベリアからイベリアまでを支配すること」を聞いても私は驚きません。注14

 ソビエト連邦両ブロックの解体とヨーロッパの一つの統合された単位への再編成を参加の地位を伴ったロシアのNATO同盟への加盟によって達成するという彼らの計画を成し遂げました。このことは、2002年5月28日にローマでソビエトの大統領ウラディミール・プーチンが次のように言ったとき、まったく公然と宣言されました。「われわれは自分たちを『ソビエト諸国の家』と呼ぶだろう。」プーチンはブレジネフがデタントで促進したことを達成したのです。ブレジネフは30年代にマヌイルスキーによって告知された同じ支配の目的のために「デタント」を促進しました。レオニード・ブレジネフは影響力のある共産党員のあるグループに内々に話していますが、それは1972年に以下のように記録されました。「同志たちよ、われわれを信用せよ。1985年までには、今デタントで達成しつつあることの結果として、われわれはわれわれの目的のほとんどを西ヨーロッパで達成しているであろう。われわれはわれわれの地位を強固なものにしているであろう...そして、諸勢力の相互関係における一つの決定的な変化は、1985年になれば、われわれが必要とする何処ででもわれわれの意志を行使できるほどのものとなるであろう。」

 その計画が現実のものとなるためにはブレジネフが予告したよりも長い時間がかかりましたが、しかし、マヌイルスキーによって告知された計画に対するソビエトロシアの指導者たちの変わらない固執は彼らを彼らが望むところではどこでも彼らの意志を行使する地位に置いたのです。ロシア-中国共同軍事計画によって合衆国を征服することが彼らの意図です。2002年2月にドナルド・マックアルヴァニー(Donald McAlvany)はこう報告しました:「ロシアと中国によって行われたアメリカに対する共同軍事作戦の計画はずいぶん前に作成されました。そして1999年にロシア参謀本部の秘密諜報機関本部(Main Intelligence Directorate of the Russian General Staff)の最高の地位にいた離反者であるスタニスラフ・リュネフ(Stanislav Lunev)大佐によって私に語られました。」注15

 「ロシア-中国共同軍事計画の存在に関して」とマックあるヴァニーは続けています。「リュネフは1991年の彼の離反の前に、モスクワへの最後の訪問の際に、ロシア参謀本部はまだなおアメリカに対する将来の核戦争を戦い、計画することに専心していたと述べました。『核戦争計画はまだ継続中だ』と彼らはリュネフに語りました。しかし、何らかの変化があったでしょう。ロシアの軍は(合衆国本土の)48州の侵入をフォロウアップする責任をもはや持たないでしょう。ロシア軍は「アラスカとカナダの一部」を占領する責任を持つでしょう。中国軍は48州を占領する責任を負うでしょう。

 ソビエトロシアの核ミサイル力と赤色中国の巨大な軍事動員数が新枢軸--これはまたモスクワ-北京枢軸とも呼び得るでしょう--の中核を形成する一つの握りしめられた拳へと合体されたのです。リチャード・メイベリー(Richart Maybury)1996年に新枢軸 New Axisという用語を造り出しました。2001年7月に中国-ロシア友好条約を締結し、合衆国に対する彼らの共同の戦略的利害を公に宣言したのはロシアと中国に限定されません。それはまた、合衆国とそのNATO同盟諸国に対する秘密の同盟関係に入った他の多くの国も含んでいます。メイベリーはEarly Warning Reportの2003年2月号の中で、「そのグループは少なくとも12ヶ国から成っている」、それらの中にはイラン、イラク、北朝鮮、シリア、リビア、キューバ等がいると説明しています。

 合衆国政府は新枢軸の存在を知っています。2002年10月10日に、国防省副官のポール・ウォルフォヴィッツ(Paul Wolfowitz)はこう言いました。「ラムズフェルド委員会のわれわれ全員のところに入って来たこと、最大の驚きは、これら悪役たち(新枢軸諸国)のどれだけ多くのものがお互いに助け合っていたか、そしてさらにどれだけ多くの援助がロシアと中国から来ていたかを理解することである。」

 新枢軸は合衆国とその同盟諸国の軍備と軍隊とをひどく消耗させました。合衆国をより小さな枢軸メンバーの諸国との多数の戦争に巻き込むことが新枢軸の計画です:最初はアフガニスタンにおいて、次にイラクにおいて、それからおそらくイランと朝鮮、そしてまたおそらく台湾をめぐる中国との戦争。彼らは私たちの軍事力を過大に展開させ、勢力を使い果たさせることを意図しています。それから、彼らはヨーロッパ諸国と北アメリカに対する大規模電撃戦Blitzkriegで襲撃するでしょう。これは大懲罰のほんの始まりにしか過ぎないでしょう。

 「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは悲しみの始まりである。」

次号に続く...

脚注

(1) "As guerras nao sao sanao castigos pelos pecados de mundo."Era um Senhora mais brillante que o Sol; Pe. Joao de Marchi, 1996, Torres Novas, Portugal, p.268.

(2) ファチマのメッセージの評判を悪くしようとするある人々は、戦争がピオ十二世の在位の間、1939年9月1日のポーランドの侵略と共に始まったと主張しました。しかし、この見解は間違っています。実際には、日本の満州軍と中国軍との間に、1937年7月7日の北京近郊のマルコ・ポーロ橋で紛争が勃発しました。日本人はこの紛争を北中国を侵略し、そして次に東および南中国に転進する口実として使いました。日本の満州軍(関東軍)がソビエト軍に降伏したときにはじめて、戦争は終わったのです。ソ連軍は1945年8月に、原爆投下の後、5日間日本と戦っただけです。

(3) 1971年に私の哲学の教授、Robert Schubert神父、Ph.D.は「未知の光」について報じた新聞の切り抜きのコレクションを私に見せてくれました。いくつかの都市では、大火災が起こったと信じて町の反対側まで消防車が急いで送られました。しかしそれは聖母によって予告された奇妙な光でしかありませんでした。どんな根拠もなしにある人々は「未知の光」はオーロラ・ボレアーリス(北極光)であると主張しました。その主張は、それが北極光の兆候とはぜんぜん似ていなかったので、結果的には馬鹿げています。

(4) Frere Michel de la Sainte Trinite , The Whole Truth about Fatima ;,Buffalo, Fort Erie, 1989, vol.II, p.555.これらの言葉はシスター・ルチアによって、彼女の日記の中に手書きされました。

(5) 奉献がなされたと主張する人々は、「奉献がなされた」ということを教皇あるいはシスター・ルチアが断言したという噂や風聞に基づく、出所の疑わしいはがき、手紙、逸話風の報告のような、信憑性をまったく欠いた最も薄弱な証拠と並んで、論理の前では吹き飛んでしまう最も粗雑で、また最も陰険な仕方で単純きわまりない議論を単に作り出したに過ぎません。私たちは、ロシアの奉献がまだなされていないということを、http://www.fatima.orgでも利用可能な、『ファチマ・クルーセイダー』の中で以前に公表された多くの論考において十分に論証しました。私たちは、教皇ヨハネ・パウロ二世が1984年3月25日に公式に述べられたように、聖母は「要求なさった奉献の行為をいまだに待っておられる」という論争の余地のない事実を立証する証拠を明白に提示しました。

(6) J.M.Alonso, Fatima Ante La Esfinge,Madrid, 1917, p.117.

(7) 1960年2月のUPIへのバチカンの新聞発表。

(8) Frere Michel de la Sainte Trinite , The Whole Truth about Fatima ;vol.III,Immaculate Heart Publications, Fort Erie, 1990, p.710.

(9) "crisi di tipo universale nella chiesa e nell'umanita."

(10) Il Pellegrinaggio Delle Meraviglie, p. 440を参照。(イタリアカトリック司教団の賛助の下に公刊された。)

(11) 1960年2月のUPIへのバチカンの新聞発表。

(12) 「太陽は暗闇へと変わり、そして月は血に変わるでしょう:それは主が来られる偉大な恐ろしい日の前です。」

(13) The McAlvany Intelligence Advisor;Special Report.

(14) The Fatima Crusader,Issue 43, p.17.

(15) The McAlvany Intelligence Advisor, February 2002, p.7.

2003/10/16 三上 茂試訳

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作成日:2003/10/16

最終更新日:2005/03/19

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