ファチマの聖母マリア

ファチマ第三の秘密において啓示された差し迫った大懲罰(2)

The Fatima Crusader Issue 74, Summer 2003より

ポール・クレイマー神父 B.Ph., S.T.B.,M.Div., S.T.L.(Cand.)

 差し迫った大懲罰に関するこのシリーズの第一部では、私は主として懲罰の物的な側面を論じました。すなわち、戦争を起こし、さまざまの国を絶滅させるロシアの役割です。世界の半分の絶滅はいくら控えめに言ってもものすごいものです--それは大洪水以来の最大の破局でしょう。しかし、これは第三の秘密の中で予告された懲罰の最も恐ろしい局面ではありません。最も恐ろしいことはその秘密の中で予告された霊的懲罰です。

 秘密の第二部はすでに教会の迫害と教皇の迫害について警告しています。1917年7月13日にファチマの聖母はこう警告なさいました:

 「もし私の要求に注意が払われるならば、ロシアは回心するでしょう。そして平和が訪れるでしょう。もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善人は殉教し、教皇は多く苦しみ、さまざまの国が絶滅させられるでしょう。」

聖母は言われました。「神は世界をその罪のために、戦争、飢饉、教会の迫害そして教皇の迫害によって罰しようとしておられます。」これから起こる教会の迫害は全世界史の中でこれまでに決して起こったことがないようなものになるでしょう。見たところでは不可能であることが起こるでしょう。しかし、それは第三の秘密のまだ公表されていない部分と聖書の中で予告されているのです。

 マリオ・ルイジ・チアッピ(Mario Luigi Ciappi)枢機卿は、バウムガルトナー(Baumgartner)教授宛の手紙の中で次のように明らかにしました:「第三の秘密の中で、他のこともいろいろありますが、教会における大背教がその頂点で始まるだろうということが予告されています。」これは(エレミヤの)哀歌の中で啓示されていることに一致しています:「わたしたちを苦しめる敵がエルサレムの城門から入るなどと地上の王の誰が、この世に住む誰が、信じえたであろう。」(哀歌4:12)予告されていることは悪魔の一味が一人のフリーメーソンの反教皇の下にローマ教皇庁を占領するだろうということです

 1998年に故マラキ・マルタン(Malachi Martin)神父はアート・ベル・ショー(Art Bell Show)で、彼がベア(Bea)枢機卿の秘書であった間に、1960年2月の始めにファチマの第三の秘密を読むように渡されたと述べました。彼はそれを一枚の紙に書かれたものだと言いました。彼は、聖母の言葉が非常にそっけない、そして具体的なものであった、そしてそれは一人の未来の「教皇」--完全に悪魔の統制下にありながら、ローマ教皇の座を奪う詐欺師--について予告していたと述べました。ファチマの第三の秘密は「不法の秘密の力」(2テサ2:7)を啓示しています。偽りの「カトリック」教会、反教会--その尾が「天の星」の三分の一を掃き落とした竜の秘密、すなわち、一人の異端的な反教皇のリーダーシップの下にある三分の一のカトリック位階。

 これは教皇ヨハネ・パウロ二世が2000年5月13日に第三の秘密に関して謎めいた仕方で明らかにされたことです:「ファチマのメッセージは人類に、その『尾が天の星の三分の一を掃き落とし、それらを地に落とした』(黙示録12:4)『竜』とは関わらないように警告する回心への呼びかけです。」

 私がマラキ・マルタン神父と第三の秘密の中の背教の異端的な反教皇について話したとき、マラキ神父の答は、"Were it only that"でした。反教皇とその協力者たちは(シスター・ルチアがそう呼ぶように)「悪のために働き何ものも恐れない」悪魔の一味(os partidarios do demonio)でしょう。注1竜の尾によって掃き落とされる「天の星の三分の一」を構成するのはこれらの「悪魔の一味」です。「カトリックの」聖職者の仮面をかぶるこれらの人々は分派の秘密メンバーであり、悪魔に身を捧げた人々です。彼らはバチカンの機構を掌握し一つの新しいエキュメニカルな世界宗教の「カトリック」支部を設立します。彼らの偽りの「教会」はただ名前においてだけカトリックであるでしょう。それは新しい世界秩序確立されたそして強制的な宗教の「カトリック」部門を形成するでしょう。真のカトリシズムは不法とされ、忠実なカトリック者の残りの者は世界史の中でもこれまでになかったであろう最も残忍な迫害にさらされるでしょう。

 カトリック者は愛の文明の中では歓迎されないでしょう:すなわち、彼らの教義(extra ecclesiam nulla salusu、すなわち、「教会の外に救いなし」のような)の排他性は彼らが危険な「狂信者」や「テロリスト」であると見なされる原因となるでしょう。--それは新世界秩序のエキュメニカルな統一と「平和」にとって一つの致命的な脅威なのです。このように、真のカトリック教会は不法な組織、世界平和に対する一つの脅威と見なされるでしょう。教会の地位は、それゆえに、教会が破壊活動分子の、犯罪的な組織と見なされたローマ時代の迫害の間に置かれていたのと同じ地位となるでしょう。異端審問的な「迫害」や宗教戦争、十字軍へと導く(すでに主張されています)教義の排他性への彼らの不和を起こさせるような愛着によって、世界「平和」(愛の文明の新異教的、エキュメニカルな秩序)に脅威を与える「流行遅れの」公会議前の宗教形態の実践者である非強調主義者を処罰する法律が制定されるでしょう。

 一つの選択肢が、彼らが迫害や殉教といった不快な事柄を避けることができるように、カトリック者に提案されるでしょう。大多数の人々は欺瞞によって取り込まれ、背教に陥るでしょう。ちょうど今日中国においてそうであるように。彼らは彼らのラテン語、彼らの香、彼らの「ミサ」等々を与えられるでしょう。--しかし、彼らが国教と同じ宗教に属しているという条件で--そのときローマの背教者となることと共に--そうなのです。彼らは、その偽りの教会がすべての宗教を統一する大エキュメニカル教会と同じ宗派に属する詐欺師の教皇に従うように強制されるでしょう。

 自分のカトリック信仰をしっかりと保つ人々は真の伝統的なカトリック宗教を放棄することを拒否するでしょう。この拒否のために、彼らは矯正不可能な狂信の徒、頑固な分派主義者と見なされるでしょう。彼らは例外なく愛の文明の敵として軽蔑されるでしょう。そして普遍的な平和、愛、統一、調和を達成する新世界秩序の失敗のために非難されるでしょう。彼らの運命は第三の秘密の幻視の中に描かれています。すなわち、教皇、聖職者そしてカトリック信者は組織的に追跡されて逮捕され、誤ったエキュメニズムの宗教と宗教的自由--そのどちらも、Syllabusにおけるピオ九世、Mortalium Animosにおけるピオ十一世、Mirari vosにおけるグレゴリオ十六世のような諸教皇の公会議前の宣言において、カトリック教会によって力強くまた明白に非難されてきました--を奉ずることを拒否したために残忍な仕方で皆殺しにされるでしょう。

 聖メトディウス(St. Methodius 358没)はこの迫害についてこう書きました:「キリストの敵が『われわれは地とそのすべての住民を服従させた。そしてキリスト教徒はわれわれの手を逃れることはできない。』と豪語する時が来るでしょう。」

 アルルの聖チェザリウス(St. Caesarius of Arles 469-543)によれば、「大虐殺があるでしょう...祭壇や神殿が破壊されるでしょう...教会の司牧者たちはその説教壇を放棄するでしょう。そして教会それ自身がすべての教会収入を奪われるでしょう。」

 特に重要なのは、ゲオルゲ・ミヒャエル・ヴィットマン(George Michael Wittmann 1833年没)司教の預言です:

 私に禍あれ!イエズス・キリストの聖なる教会にとって悲しい日々が間近い。イエズスの受難は教会とその最高の頭において最も悲しむべき仕方で新しいものと取り替えられるであろう。世界のすべての地域で戦争と革命が起こり、多くの血が流されるであろう。悲嘆、災害、貧困があらゆる場所で大きくなるであろう。なぜなら、伝染病、生活必需品などの欠乏、そして他の不幸が相次ぐからである。

 カトリック教会の最高の頭の上に暴力的な手が置かれるであろう:司教と司祭たちは迫害され、分裂が引き起こされるであろう。そして混乱がすべての階級を支配する。非常に悪い時代がやって来るだろう。その結果、敵どもがあたかもキリストに、そしてキリストがその血をもってお建てになった聖なる教会にまさに勝利しようとしているかのように見えるであろう...諸々の秘密結社が大きな破滅を引き起こし、驚くべき金銭の力を発揮するであろう。そしてそのことによって多くの人々は盲目となり、最も恐るべき誤謬に感染するだろう。しかしながら、このすべてのことは何の役にも立たないであろう...彼らはキリストがその教会をその上にお建てになった岩を揺るがすことはできないのである。’Portae inferi non praevalebunt.’

 聖痕を持っていたドイツのアウグスティン会の修道女アンナ・カタリナ・エンメリック(Anna Katarina Emmerick 1774-1824)もまた「偽りの暗闇の教会」について予告しました:

 「私はあらゆる規則に反して建てられた奇妙な教会...ならびにローマの新しい異端教会を見ました。教会は大きな危機の中にあります。彼らは今や彼(教皇)から何事かを要求しています。プロテスタントの教義と分派的なギリシャ教会の教義がいたるところに広められています...教会は非常に巧妙に掘り崩されつつあります。私は多くの司牧者が教会にとって危険である考え方に親しむことを自らに許しているのを見ました。彼らは一つの大きな、奇妙なそして贅沢な教会を建てていました。福音派の人々、カトリック、あらゆる種類の宗派の誰も皆統一され、そして等しい権利を持つために、その教会に受け入れられるはずでした。そのようなものが新しい教会でなければなりませんでした。

 シスター・エンメリックは教会の苦難についての彼女の記述をこう要約しました:「そのころは、信仰は非常に低いところに落ちるでしょう。そしてある場所でだけ、神が災害や戦争から保護してくださったわずかの小屋や少数の家庭の中で、信仰は保たれるでしょう。」

 カトリック教会はもちろん愛の文明の失敗の事実上の原因ではないでしょう。それはそのものとして世界の背教的、異教的な民によって気づかれるでしょう。なぜなら、教会の信仰は新世界秩序の無神性に対する証明を構成するだろうからです。背教者たちはまさに、信仰の光と聖霊の賜物を奪われるがゆえに、彼らの暗くされた知性の盲目さにおいて、聖アウグスティヌスによって教えられた真理--すなわち、神なき人間の都市はそれが無信仰であり、神に対するその反逆において倒錯しているがゆえに平和から成り立つことができず、それゆえに、自らの上に神の怒りを呼びおろすのだという真理--を把握しそこなうのです。

 大きな背教があるでしょう。それは聖書(2テサ2:3)の中に予告されています。それは聖人たちの多くの預言や祝せられたおとめの御出現の預言の中で予告されています。そしてそれはファチマの第三の秘密の中で明らかにされています。背教は聖パウロが「すでに働いている不法の神秘」(2テサ2:7)として言及しているものの大きな統合的な部分です。それは実際、悪それ自体が神秘であるがゆえに一つの神秘です。しかし、バチカンの機構がアンジェロ・ソダノ枢機卿の下で、第三の秘密の内容を、それが背教に関係するかぎり、カトリック信者に知らせることをなぜ望まないかということは神秘ではありません。それは、ラッツィンガー枢機卿が1984年に嘘をついて主張したように、人々が「宗教的な預言を興味本位の事柄と混同する」ことを彼らが望まなかったからではありません。それは教会の善のため、霊魂たちの救いのためではなくて、非難から免れるため、そして「聖母がコヴァ・ダ・イリアで秘密として三人の小さな羊飼いに打ち明けられた言葉」注2の公表を妨げるために彼らが悪魔のように一緒に働く、彼らの近代主義的アジェンダと彼ら自身の教会の経歴のためです。彼らは結局のところ、第二バチカン公会議の名においてエキュメニズムと宗教的自由という断罪された教えを促進し、そしてこれらの断罪された誤謬を、その新しい福音化およびその愛の文明と共に、ベネッリ(Benelli)枢機卿が公会議の教会と呼んだものにおける新しい宗教の隅の親石にするつもりなのでしょう。ファチマの第三の秘密は彼らに対する一つの告発なのです。そしてそれは偽りの教会の心臓に一本の杭を打ち込むのです。

 以前に述べたように、なぜほとんど全教会が背教に陥ることがあり得るのかということは一つの神秘です。そのような事柄は、信徒が伝統的なキリスト教の教義において、またキリスト教的徳の実践においてよく訓練されている教会では起こり得ないでしょう。カトリックの残りの者を信仰のうちに保つのは、新しい福音化ではなくて、レランの聖ヴァンサン(St.Vincent of Lerins)が説明しているように、伝統への執着なのです:「カトリック者がするであろうこと...もし何か新しい伝染がもはや教会の小さな部分ではなくて、同時に全教会を汚染しようと試みるならば、そのとき彼の大きな関心はどんな偽りの新奇さによってももはや惑わされない古代にすがりつくことでしょう。」

 不幸にも、今日のカトリック者は古代のカトリック伝統において、あるいは伝統的なカテキズムの正統性において訓練されておらず、「生きている教導職」や新しい福音化公会議教会の「生きている伝統」の新しいカテキズムにおいて訓練されているのです。アッジョルナメント、公会議後の諸改革の実施によってもたらされた「公会議後の一新」はファチマの前司教(コスメ・ド・アマラルCosme do Amaral)やシスター・ルチアがファチマの第三の秘密にとって中心的であるものとして語っている「信仰の喪失」と「悪魔的な方向感覚喪失」を産み出しました。

 「方向感覚喪失は悪魔的です」と[1969年12月29日に]シスター・ルチアは書きました。「欺かれないようにしてください。」方向感覚喪失は教義の上でのことです。「悪魔的な方向感覚喪失のこの時代に、誤った教義によって欺かれることを私たち自身に許してはいけません。」[1970年4月12日] それは「誤った方向に導かれて」きた「司祭たち」や「修道者たち」に影響を与えている、教会における「がん」です。[1970年5月29日] シスター・ルチアはこう書きました[1970年9月16日]「そのような方向感覚喪失を、しかも責任ある地位を占めるそのような人々のうちに、見ることは悲しいことです...彼らは盲人を導く盲人です。」このように、大背教のための道を敷いて来たのはローマ教皇庁において最高の地位を占めている人々です。

 16年間ファチマの公式公文書保管人であったホアキン・アロンゾ(Joaquin Alonso)神父は次のように述べたとき、問題の核心をついたのです:「(第三の秘密の)テキストが教会内部の信仰の危機、『司牧者たち自身の怠慢』、そして『教会のまさに懐での内部闘争』、上層の位階の重大な司牧上の怠慢に具体的に言及しているということはまったくあり得ることです。」

 祝せられた三位一体のミカエル修道士はこう書いています。アロンゾ神父はちょうど「死の数週間前に、以下の非常にはっきりした文を書いている間に、賢明にも(第三の秘密に関する)ローマ教皇庁の沈黙を正当化する外見を与えた」:

 「テキストの時宜にかなっていない開示はただ、教会を分裂させ続ける二つの傾向をさらに憤激させたであろう。すなわち、二つの傾向とはファチマの預言によって援助されていると信じるであろう伝統主義とそのような外聞の悪い仕方で、公会議教会の前向きの進歩にブレーキをかけているように見えるこれらの御出現に激しく襲いかかるであろう進歩主義である...教皇パウロ六世はもっとよい時期までそのテキストの開示を遅らせることが時宜にかない、賢明であると判断した。教皇ヨハネ二十三世はテキストは彼の教皇職には関わりがないと宣言した...そしてそれに続く教皇たちは教会が公会議後の20年間--その間に信仰の危機はあらゆる段階で腰を落ち着けた(強調は筆者)--の恐ろしいインパクトをまだ克服していなかった状況の中で、神秘のヴェールを上げるときはまだ来ていないと判断した。」

 ここには第三の秘密におけるバチカン機構に対する告発があります:それは教会における悪魔的な方向感覚喪失に責任がある最高の地位の権威を持つ人々の怠慢です。その結果は「信仰の危機があらゆる段階で腰を落ち着けた」ということです。最高の段階を含む教会内のあらゆる段階で悪魔的な方向感覚喪失が腰を落ち着けたということは文字通り本当です。このことの証拠は異端がローマにおいて最高の段階で教えられているということです:「生きている教導職」そして「教会」の「生きている伝統」の名において、決定された教義の意味と理解が変えられているのです。

 教会における最高の段階でカトリック教義を装って異端が教えられている多くの例のうちのひとつがここにあります:旧約聖書はそれを越える新約聖書の開始と共に終わったということはキリスト教教義の基本的カトリック・カテキズムにおいて常に教えられてきました。これはカトリック教会の信仰の普遍的、永続的な教義です。それは教会および教皇の権威によって承認され、教義上の誤謬から免れたものと保証された多くのカテキズム、キリスト教教義のマニュアル、神学の諸論文において教えられています。それはまた聖書における明白な使徒の教えです。聖パウロは、旧約聖書の新約聖書への関係の主題について特に書きながら、エレミヤ書を引用しています。「私はイスラエルの家と、またユダの家と、新しい契約を結ぶであろう。私が彼らの先祖と結んだ契約に従ってではない...」(ヘブ8:8-9)聖パウロは次に聖霊の誤り得ない霊感の下でこう解説しています。「ところで、神は『新しいもの』と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。そして年を経て古びたものは、間もなく終わります。」(ヘブ8:13)終わり[ahanismou]は「破壊」の意味で用いられています。(”aphanismos; 消失;破壊 ヘブ8:13”)注3

 新約聖書によって旧約聖書が取って替わられたという教義はカトリック信仰の決定された条項です。教皇エウジェニウス(Eugenius)四世の下でフィレンツェのエキュメニカルな公会議の荘厳な信仰告白においてそれは次のように発表されています:

 神聖で犯すことのできないローマ教会は...旧約聖書、モーゼの律法に属する事柄--それらは儀式、聖なる祭式、犠牲、秘蹟に分けられている--は、それらが未来におけるある事柄を示すために建てられたがゆえに、当時の神の礼拝には適合していたけれども、われらの主の到来がそれらによって示された後では、終わった、そして、新約聖書の秘蹟が始まった...と堅く信じ、告白し、教える。それゆえに、その時期の後、割礼やサバトそして律法の他の諸要求を遵守するすべての人を、それ(ローマ教会)はキリスト教信仰とは相容れない者であり、そして彼らがいつかこれらの誤謬から立ち直らないならば永遠の救いに与るためには適当ではない者であると宣言する。(D.S.1348)

 公会議教会の新しい教義はカトリック信仰のこの教義に直接的に反します。1980年11月17日に教皇ヨハネ・パウロ二世はドイツ、マインツのユダヤ人共同体に対する演説において、「古い契約は決して神によって廃止されなかった」と宣言しました。これは異端です。それは1985年のローマカトリック教会の説教およびカテケージスにおいてユダヤ人とユダヤ教に捧げる正しい仕方に関するノートにおいて発表されたものとしてバチカンの(バチカンのであって、ローマカトリック教会のではない)「公式の」教義であるにもかかわらず、それでもなお一つの異端です。その文書は第三パラグラフの中で、ユダヤ教は「現在の実在」であり、取って替わられた「歴史的実在」ではないと述べています。その文書はヨハネ・パウロ二世の権威を引き合いに出しており、上に述べた彼の演説の言葉を引用しています。そこでは、ヨハネ・パウロ二世は「決して廃止されたことがない古い契約の神の民」について話しています。ジョン・ヴェナリ(John Vennari)は最近のある論考の中で「ノートが彼の言葉を誤り伝えたと主張するどころか、ヨハネ・パウロ二世が」1985年10月28日に、「その文書についての彼の不適切な支持について話した」ということを指摘しました。合衆国司教会議は同じようにその神の憐れみは永遠に持続する:カトリックの説教におけるユダヤ人およびユダヤ教の提示という文書において同じ異端に陥りました。その文書は、キリストが「古い契約を新しい永遠の契約」の確立で取り替えられたのではないという異端を支持するために、古い契約は「決して廃止されなかった」という教皇の声明を引用しているのです。注4 これはまさに教会の最高の段階における悪魔的な方向感覚喪失の多くの例のうちの一つです。

 カトリック信仰の聖なる教義はそのまさに本性において変化し得ないものです。そのことは神の御子 Dei Filius において第一バチカン公会議によって次のように明確に発表されています:

 「なぜなら、神が啓示し給うた信仰の教義は...忠実に擁護されそして不可謬的に解釈されるように、キリストの花嫁に一つの神的遺産として委ねられたからである。それゆえまた、聖にして母なる教会がひとたび宣言したその聖なる教義の理解は永遠に保持されなければならないのである。そしてより深い理解というようなもっともらしい名の下にその意味から後退することなど決してあってはならないのである。」

 「それゆえに..個人ならびに皆の、一人の人間ならびに全教会の理解、知識、智恵が時代や世紀の推移と共に力強く成長し、進歩せんことを。しかし、それはただそれ自身の類において、すなわち、同一の教義において、同一の意味と同一の理解をもって(St.Vincent of Lerins)でなければならない。」[D.S.3020]

 教皇グレゴリオ十六世はMirali vosにおいてカトリック世界の全司教に対して、「正式に決定されたものは何一つ減少、あるいは変化、あるいは付加を加えることはできない。そしてそれはあらゆる意味の変更あるいは言葉の変更でさえも拒絶する」と宣言しました。信仰の決定された条項の意味を変更したり修正したりする者は誰であれ異端に陥るのであり、第一バチカン公会議によって厳粛に宣言された破門を招くのである:「もし誰かが、教会が理解してきた、そして現在理解していることと異なった一つの意味が、科学の進歩に従って、時には、教会によって宣言された教義に帰せられなければならないということが可能であると言ったとすれば、その人は破門されるべし。」[D.S.3043]

次号に続く...

脚注

(1)シスター・ルチア、1970年5月29日の手紙。

(2)1960年2月のUPIへのバチカンの新聞発表。

(3)Joseph Henry Thayer; a Greek-English Lexicon of the New Testament; Grand Rapids, 1982, p.88.

(4)John Vennari, "The Attack on the Oberammergau Passion Play", Part III, Catholic Family News, July 2003.

2003/10/20 三上 茂試訳

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作成日:2003/10/20

最終更新日:2005/03/19

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