カトリック思想史


文学博士 姉崎正治・山本信次郎 監修

ヨゼフ・フービー 編

前駐日仏国大使 ポール・クローデル 序

天主公教会司祭 戸塚 文卿 訳


中央出版社 刊

[三上記:以下の文章は読みやすくするため漢字、仮名遣いを改めました]


訳者緒言

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この書はパリ・ボーシェーヌ社より出版され数万部を売り尽くしたヘースチングス、イエズス会神学校教授ヨゼフ・フービー師の『キリスト』(Christus)と題する世界宗教史中、キリスト教に関する部のみを抜粋したものである。この書名は、あらゆる世界の宗教はキリスト教の準備であり、キリスト教はあらゆる宗教の完成であるという思想から生まれている。各宗教はその専門的研究家の執筆になり、各編いずれも権威的論著と称して差し支えない。以下に訳出したキリスト教に関する部はヨゼフ・フービー(Josef Huby)ピエール・ルッスロ(Pierre Rousselot)アレキサンドル・ブルウ(Alexandre Brou)レオンス・ド・グランメーゾン(Leone de Grandmaison)四氏の分担にかかり、光彩陸離、条理整然たる名篇であって、フランスにおいても、特にこの部分の抜粋のみとしても世に行われている。

ローマ・カトリック教が2千年の伝統を有する正統キリスト教であって、ギリシャ、ロシアの東欧キリスト教はその分流であり、プロテスタントキリスト教はその名の示すごとく否定のキリスト教なることは、たと

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えカトリック教会の腐敗堕落を攻撃する人々においてすらさらに異論がない。東欧キリスト教は不幸にして早くより生気を失い、プロテスタントキリスト教は僅々3百年間の存在であって、かつその立場として伝統の否定である以上、2千年の久しきにわたって欧州を教育し、いわゆるキリスト教精神を涵養したキリスト教を識らんと欲する者は、当然カトリックキリスト教を研究せねばならぬ。しかし宗教は生命である、宗教は造りつけになった死物ではない。われらは宗教を活かしてゆくのである。思想は動く。今日のキリスト教は昨日のキリスト教を離れては存在し得ない。ゆえに、教理、道徳、祭式等、今日現在のキリスト教の横の拡がりのみを研究して、その発展の縦の関係をゆるがせにしては、その知識は不備であると言わざるをえない。

私はこの意味でキリスト教を正しき理解をもって研究せんとする人々の手引きにもと思って、本書を訳出した。本書は専門家の参考書ではない。しかし専門家が一般の教養ある人々のために学的良心をもって書いた概観的キリスト教史である。わが国においては殊にキリスト教に対する知識および理解が教養ある人士間においても極端に貧弱である。これもある意味では致し方のないことかも知れぬ。なぜならばキリスト教はわれら日本人にとって新奇なものにすぎないから、またわれらは目前の急務のために近世以前に

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遡って、西洋史を読む機会がなかったからである。すべてわれらの有する西洋の知識(キリスト教を含む)は近世に始まる。哲学にあれ、宗教にあれ、特に思想的方面の研究においてその弊害はさらに大きい。好むと好まざるとにかかわらず、世界文明史において、キリスト教会の存在は厳然たる大事実である。そうである以上、過去におけるキリスト教、すなわちキリスト教史の研究は、思いを教養と文明とに潜める人々の忽せにしてはならぬものと言わねばならない。時間の上で2千年の伝統を有し、アウグスチヌス、ベルナルドゥス、アシジのフランシスクス、トマス・アキナス、アヴィラの聖テレザを生み、現代における活ける事実として、文字通り全世界を覆い、3億にあまる信者の一致せる信仰と倫理観とを抱有する正統キリスト教は、これを無視すべく余りに偉大なる存在である。

私はさらに主における兄弟なるキリスト教徒に告げる。カトリック教徒は自己の今日の信仰の由来を知らねばならぬ。否定の宗教を奉ずるプロテスタント教徒も、正統キリスト教の知識がなければその否定は無意味である。われわれカトリック教徒がプロテスタント教徒諸君に希望することは正統キリスト教の正しき理解である。おそらくはこれが主キリストの『わが祈るは彼ら(使徒ら)のためのみならず、また彼らの言によりてわれを信ずる人々のためにして、彼らが悉く一ならんためなり』(ヨハネ 17:2

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0, 21)との御祈りの実現のために唯一の必要なる前提であろう。

もし本訳書が読者のキリスト教の理解に、少しでも役に立つならば、まことに訳者の本懐である。原著には詳細なる引用文献があるが、訳書においては便宜上省略した。なお深い研究を望まるる方は原著につきこれを参照せられたい。脚注は極めて主要なるもののみこれを抄録した。また必要と思う所には多少原文に加筆し、あるいは訳者の註を付しておいた。これはフランス人のために書かれた原著を、わが国の読者の中の予備知識のいささかない方に解り易くするための老婆心である。書中の人名は僅少の例外を除き、古代および中世はラテン風の呼称に従い、近世の部はその各国の呼称方に従った。著名の人物の生年および没年ならびに巻末附録の年表も訳者の加筆である。また宗教上のある術語には英語を付しておいた。

現代フランス詩壇の第一人者たるポール・クローデル氏の序文を本書のために得たことは、訳者のひそかに誇りとし、かつクローデル氏に深甚の感謝を捧げるゆえんである。氏は今回アメリカ駐在フランス大使に任ぜられて、転任前の公務多端の際である。その繁忙の余暇に、訳者のためにこの長序文を寄せられた御好意に対しては、御礼の述べようもない次第である。訳者は読者諸君

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と共に大使にして詩人たるポール・クローデル氏の信仰の人としての一面を迎慕したいと思う。

なお本書の刊行に際し長江邦四郎氏より受けた御親切は訳者の忘れ得ぬところである。ここに謹んで謝意を表する。

終に訳者の蕪筆悪文は幾重にも読者諸君の御寛恕を願うところである。

於品川寓居 訳者 識

大正15年12月24日


君自身はキリストを何人と考えるか

(戸塚霊父に贈る)

これは世界中、日本でもその他どこでも、およそ教養ある人は、生涯に一度は、殊に真面目に有意識的にその生涯を踏み出した人は、必ず答えねばならぬ疑問である。突如としてイエズス・キリストがその人の行く手に立ちふさがる。そしてたとえその時に知らぬ振りで行き過ぎたり、またはうるさいと思ったり、または失望、拒絶、冒涜の応答をして済ましてしまった大多数の人々さえも、どうかすると心の底に一種の不思議な衝動を感じて、自分自身に個人的の疑問として発せられたこの人生観の根本ともなる重大問題に、自分が与えた解答と異なる他の解答が真実でなかったろうか、すなわちカリザリアのフィリッポ市への途上で、聖霊がシモン・ペトロの口唇に上せた解答、彼が『汝は活ける神の御子キリストなり』と言って、永遠に過ぐることなき御者と共にとどまらんと決心した時のその解答の方が真実でなかったろうかと思いわずらうことがある。親愛なる戸塚霊父よ、貴君は貴君の同邦の友らにこの際の幸福な解答をする時のたよりにもと考えて、われらの美しい明白で力強

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い宗教史『キリスト』を翻訳されたのであった。これに序文を書くのは光栄である。しかし私にできることは私の証言を書くことのみである。私の証言はもはや青年時代の華やかな喝采ではない。これは永遠の安全のために思い悩んだ、すでに白髪を加うる私の頭脳の思索である。私は下にイエズス復活祭の聖週間の黙想の中から、数ページを抜粋しようと思う。このとき私はキリストを外部から眺めた。できるだけ客観的に、できるだけ等利的にキリストを観察し、しかもなるべく文献の援助を借らず、論理と事実とを組み立てた。この事実たるや、地を掘るような努力をもって、歴史が過去の事件の中から探しあてて、あかたも岩石のように堅固な、なんぴとも敢えて否定することのできぬ意義を付した事実群である。

福音書の記録を一瞥するとき、そこに最も簡単な事実として、万人が認めるイエズス・キリストはそもそもなんぴとであろう。イエズスは要するに一個のユデアの預言者に過ぎぬが、自らは何も書き残してはおらぬ。単に数年の間、各地を説教し廻って、遂にユデアの宗教会議で死刑の宣告を受け、その要求に基づいてローマ人に磔殺された人である。人類社会の中に起こった最大の宗教的運動がこの不明の人物と関連している。

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以上の事実から私は出発する。

まず第一に注意すべきは、イエズスに始まった劇しい理知的ならびに道徳的動揺が、彼の生時中も決して物質的、政治的運動でなかったことである。かのゴウロニト人ユダあるいはバルコセバの際におけるがごとく騒擾もしくは反乱の形跡さえもなかった。イエズスの死刑の動機は純然たる宗教上の理由であって、刑罰の厳重なること、およびローマ人によって、一年の最も盛大なる祝日の前日に、特に民衆間の安寧秩序に直接関係のなかったにもかかわらず、刑が執行されたことを考え合わせれば、宣告の動機たる宗教上の理由は極めて重大であったに相違ない。

この理由が極めて重大であったというなお他の証拠は、ユデア人がイエズスの記憶に対して抱いていた憎悪の強さである(タルムッド参照)。またイエズスの教えの感化力、あるいはその作用の強さは、カルワリオより1年をへと、ファリザイ人中のファリザイ人、聖パウロの改心でも解る。

これに少しも政治的運動の色彩がなかったことは、キリストの教えがまったく思想および良心の問題であった徴である。世俗のこととはぜんぜん別であった。イエズスの教えは物質の世界と倫理道徳の世界との間に截然たる区別を付した。

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また他方にイエズスの教えは旧宗教の破壊に非ずして、その解説あるいは発展であった。キリストは何地においてもユデア会堂の中で、説教壇上で教えを述べた。

しかしイエズスの説教は、ユデア教の解釈ならびに行政を司る主長らの眼には、許すべからざる躓きであった。彼らはイエズスによってその信仰および権威を根本から破壊されたと信じた。福音書を読めば、ファリザイ人が自己の生身を防御しているのだという感がある。すなわちイエズスの説教は洗者ヨハネの説教のように、単なる道徳教ではない。それは一の教義であって、イエズスはこれを古代の啓示の継続なりと主張したけれども、律法の管理者にとっては、躓きとなるほど新奇なものであった。イエズスの教えはよほど重大なものであったに相違ない。

世の中に冒涜ほど恐ろしいものはない。そしてキリストの責められたのは実にこの冒涜、すなわち神に対する反逆、その稜威を汚す侮辱を神に加えたとのゆえであった。何がイエズスの犯した冒涜の罪であったろう。この点に関しては吾人はそれと同時代の聖パウロの証言を所有する。歴史にキリスト教徒なるものの最初の面影を発見するとき以来、すなわち確実に記載された最初の改宗以来、このキリスト教徒はキリストが神の子なりしを信じていた。そしてこの信仰の理由はイエズス自ら神

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の子なりと告げられたからであった(ルナンの所論を駁す)。

実にこの断言はユデア人にとってはかつて耳にしたことなき冒涜であった。彼らは特にこの時代においては恐懼の余り、『何人にも頒つべからざる』神の名を呼ぶことをすら憚っていた。人類歴史の全体を通じて、宗教改革者にして神の子(ユデア人が理解して居たような真正な意味における『神』の子)と自称した者は未だイエズスの他にない。その理由はしごく簡単である。それはかかる称号を冒すべく、彼らに道徳的聖徳および物質的機能が明白に欠如しているからである。ユデア人の世界がイエズスのような断言を耳にするのは、かつて絶無のこと、恐怖すべきことであった。自ら神の子と宣言する以上、イエズスはどうしてもこれを証明し、自己の智慧および権能の顕著なる徴を与え、おのが聖徳と奇蹟とによって自己を承認させねばならぬ立場にあった。イエズスはおのが弟子らをして、ユデア教の伝統的権威と相反馳する途を執らしめ、しかも彼らに何らの物質的利益を約束せず、正反対に迫害をのみ予想せしめた以上、彼が自己を証明するのは最も必然の必要であったのである。

しかるにあらゆる被造物の中で、ただ一人神の子なりと敢えて公言したこの人は、最も賤しい、最

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も残酷な、恥辱きわまる刑を受けて、あらゆる人々に棄てられて死んだ。しからばその教えは、主唱者の無惨な破滅、その主張の完全な裏切りによって、存続し得ないはずであるとは、最も明白なる推論である。なぜならば、キリストの教えは、他のすべての宗教と異なり、自ら価値を有する肯定(教義)の体系でなくして、むしろこれを携え来ったイエズス一個の価値によるからである。キリスト教が存続するためには、どうしてもイエズスの悲惨なる死を埋め合わす何物かが必要であった。自ら神の子と称したこの人が敗北したるごとく見えてその実敗北したのでないという何かの証拠が必要であった。歴史を検査すれば、キリストの死による弟子らの失望の痕跡はどこにも発見されぬ。区々の解釈もなく、牽強付会もなく、詭弁的の慰藉もない。虚偽に免れ難い、人々の意見の相違、争論、分裂の陰影だにない。まったくこれに反して、キリストの死は、彼の教えの光輝ある勝利の確証として弟子らに迎えられ、彼らの間には新しい精神がみなぎり、衆人一致の歓喜、大悦楽、抑えがたい信頼、あらゆる方面における活躍が生じた。何が新たに起こったのであろう。カルワリオの悲劇にただちに続いたこの『埋め合わせ』は何であったろう。それが主の復活であったとは聖パウロのわれらに教えるところである。げにキリスト教全体の根底たる大奇蹟は、主の復活である。

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これを略言すれば、

1、ユデア人はイエズス・キリストの教えを異端、冒涜と認めてキリスト教徒を迫害した。キリスト教は他のあらゆる異教とも妥協の余地がないから、信者は異教徒よりも憎悪された。キリストの弟子は主に勝る待遇を受ける期待がなかった。

2、この争闘において、キリストの弟子はこの世における勝利を約束されず、かつ赤手で戦わねばならなかった。すべての暴力は禁止されている。欠乏、犠牲、迫害、刑罰の未来が彼らに示され、約束されていた。

3、神の子なりと自称した宗教の開祖は、万人に棄てられ、十字架上において死んだ。

これがキリスト教の建設された時の状況である。キリスト教が成立する以上、これに対して秤器の他の皿に何か載っているいるだろうとは常識でも知れる。そこには単なる約束でなくして事実があるはずである。さもなくば磔刑の直後に現れた信頼、勇気、活動の『愚人のごとき』爆発はいかにして説明されよう(使徒行録)。たちまち数年を出でずして、使徒の活躍は全地をみたしたが、卑怯、無力、無知として知られた人々を、駆って、矛盾に充ち冒涜的にして、かつ人間的の希望のまったく

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ない事業に従事せしめるのは、たやすい事業ではないはずである。何事かが行われたのでなければならぬ。

およそ耳ある者、これを聞くべし。

ポール・クローデル

東京、1927年1月1日


p. 1

目次

序説

第I 篇 新約時代
ピエール・ルッスロ、ヨゼフ・フービー

1 イエズス(p. 1)

共観福音書(p.1)
善き道 山上の垂訓(p.10)
比喩的説教 善き音信(p. 12)
特殊の弟子 イエズス派(p.15)
イエズスの人格(p.20)

2 弟子らの信仰(p.34)

ペンテコステ以前(p. 34)

p. 1

12使徒の説教 原始的教会(p. 40)
聖パウロの説教(p. 48)
聖ヨハネ福音書(p. 56)

第II 篇 初代キリスト教
ピエール・ルッスロ、ヨゼフ・フービー

1 第2世紀および第3世紀(p. 69)

キリスト教の統一性ならびに多面性(p. 69)
教会に内在するキリスト(p. 70)
教会と国家 迫害(p. 75)
キリスト信者の生活 友愛(p. 81)
智慧と信仰 理性に内在する御言(p. 87)
グノーシス派異端(p. 93)
御言による世界の支配(p. 96)

p. 3

可見的教会(p. 97)
アレキサンドリア思想家(p. 100)

2 第4世紀および第5世紀(p. 104)

この時代の意義(p. 104 )
天国の玄義(p. 108)
道徳的理想(p. 112)
ギリシアキリスト教徒(p. 113)
ラテンキリスト教徒(p. 117)
修道生活(p. 120)
聖アウグスチヌス(p. 127)
ローマ支配の終局 ラテン教会およびギリシア教会(p. 131)

第III 篇 中世キリスト教
ピエール・ルッスロ、ヨゼフ・フービー

p. 4

1 中世紀におけるキリスト教精神(p. 144)

教会と蛮族(p. 144)
西欧の修道者 聖ベネヂクトゥス(p. 145)
教会と神の国(p. 148)
キリストの教の外面的発展(p. 160)
中世紀における心霊生活(p. 166)
聖ベルナルドゥス(p. 170)
聖フランシスクス(p. 176)
『イエズス・キリストの模倣』(p. 182)
スコラ学派 聖トマス・アキナス(p. 184)

2 反キリスト教、反カトリック教、中世紀の終末(p.192)

異端との闘争(p. 192)

p. 5

中世紀の終末(p. 198)

第IV 篇 文芸復興時代よりフランス大革命に至るキリスト教
アレキサンドル・ブルウ ピエール・ルッスロ

1 宗教改革(p.213)

異教的人文主義(p. 213)
ルーテル(p. 214)
カルヴィン(p. 219)

2 教会の反動改革(p.223)

カトリック教会の覚醒(p. 223)
聖イニゴ・デ・ロヨラ(p. 230)
聖女テレザ(p. 238)

p. 6

3 第17世紀フランスにおけるカトリック教会(p.243)

第17世紀フランスにおける教会の偉観(p.243) 聖フランソワ・ド・サル(p. 249)
尚古主義(p. 252)
ガリカン教会主義(ガリカニスム)(p. 255)
ジャンセニウス異端(p. 258)
尚古主義の敗北(p. 262)
カズイスト(p. 266)
ポール・ロアイアル修道院派の敬虔(p. 269)
静観派の敬虔(p. 273)
聖心の信心(p. 275)

4 第18世紀(p.278)

p. 7

哲学主義(p.278)
カトリック教会の防衛(p. 285)

第V 篇 第19世紀および第20世紀初頭におけるカトリック教
レオンス・ド・グランメーゾン ピエール・ルッスロ

1 第19世紀における神の国の思想(p.289)

第19世紀における思潮の一般(p. 289)
カトリック教会の統一(p. 295)
教会と社会問題(p. 299)
教会と世界平和(p. 311)
教会と布教事業(p. 314)

p. 8

2 カトリック教理に関する論争(p.317)

ローマン主義(p.318)
科学的主理主義(p. 323)
不可知論的主情主義ならびにモデルニスム(p. 330)

3 カトリック的敬虔および教会の内的生命(p.347)

カトリック社会事業(p.347)
カトリック修道生活(p. 350)
教皇 巡礼 奇蹟(p. 352)
宗教美術及び文学(p. 356)
カトリックの信心(p. 360)

4 現代(決論)(p.362)

附録 年表
人名索引


p. 1

序説

『活きおれりとパウロが断言せる一人の死者イエズスに関してユデア人の間に論争起これり。』これが紀元60年の頃一ローマ官吏の眼に映じたキリスト教である(使徒行録 25:19)。キリスト教の本質なる問題について、学者らは種々解釈を下しているが、上に引用したポルシウス・フェストゥスの短い一句は学者の議論よりもさらに肯綮に当たっている。キリスト教は一の事実の上に建設された宗教で、今日におよびてもなおキリスト教徒とは復活せるイエズスを信ずる人々の群である。

天啓の宗教なりと自称する幾多の宗教の中にあっても、キリスト教はその豊富なる教義の他に、教祖たるイエズスが『生命』であり『真理』であると教える点で極めて独自的(ユニーク)である。マホメットにしても、釈迦にしても、ゾロアストルにしても、他の宗教の開祖はある『真理』を信者に指示しただけであって、彼らはその宗教が独創なると、あるいは当時すでに存在していた思想的傾向に一定の形式を与えたものなるとを論ぜず、とにかく自分自身を帰依者の信仰の目的とはしなかった。しかるにただ独りイエズスはわれらの信仰の対象たる主である。彼は吾人に信仰を教うると共

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にその『完成者』(ヘブレオ 12:2)である。彼は信仰の根底たる基礎石たると共に、吾人の礼拝する神である。他の宗教の開祖は今日では孔子のごとく、プラトンのごとく、アリストテレスのごとく、歴史的人物として、その追憶と、その書いた文章(真偽は別問題として)とが残っているばかりである。しかしキリスト教徒にとってはイエズスは単に歴史的人物ではない。彼は教会に絶えざる活動力を与えて歴史的に活きていると共に、世紀の流れを超越する常住の生命である。

さればキリスト教の歴史を示説するとは、教会の裡に活きて救霊に携わり給うキリストの生命を示すことである。そしてこの生命は教義となり、道(道徳)となり、またニューマンのいわゆる宗派(Party)となって現れた。

[註] もちろんこの宗派という意味は、始めからイエズスおよび真正のキリスト教徒の念頭に、人類を相敵対する二派に分かち、『人とその家族とを敵となす』(マテオ 10:36)意志がある謂いではない。キリスト教は元来万人の宗教たるべきである(マテオ 28:19、マルコ 16:15、ロマ 3:29 等)。しかし事実上一部の人々の悪意のために、イエズスもキリスト教徒も『反抗を受くる徴』(ルカ 2:34)となったのである。キリスト教が常に憎まれ、迫害されるのも、実にそれが万民の信ぜねばならぬ宗教であると主張するからである。宗派という文字には好もしからぬ連想があるが、歴史的の一人物を中心として外面的形

p. 3

式を具えた教団である以上、ニューマン(Newman, Oxford University Sermons IX 25)の例に倣ってこの語を用うるもまたやむを得ざるに出でたのである。

とにかく、イエズスの教義、イエズスの道、イエズスの宗派、これが時代を通じて発展してゆくさまを観察し、記述することがキリスト教史の仕事である。それゆえにキリスト教史は教理史、道徳、信心、祭典の歴史、および教会の外面的事件の歴史を含み、かつその相互間の影響と反動とを叙さねばならぬ。

本書はもとより無限の史実をもらさず書く野心を蔵していない。この書の目的はキリスト教の発展に関する概念を読者に与え、大体のキリスト教思想の進化の時期(エポック)を示すにあるのである。なお本書は著名の人物「偉人」を中心にして解説を進めてゆく。ぜんぜん偉人を無視して、たとえ偉人なくとも歴史は一定の宿命的法則に従って進化してゆくもので、歴史の任務はこの法則を発見するにあると説く一派の歴史家が存在するがキリスト教史の研究は、それがいかに愚かな見解なるかを示すに足りるのである。事実はまったくこれに反してキリスト教の大聖人、すなわち英雄は、自らこれを意識すると否とを論ぜず、また服従を教うる者と、自由を説く者とにかかわらず、真の意味における霊的導師である。イエズ

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スに関する彼らの思想、すなわちキリストの奥義の理解はその後の時代におけるキリスト教の発展に決定的の(たとえ唯一ではなくとも)影響を与える手段として、神の摂理が選み給いしものである。聖アウグスチヌスは西欧のキリスト教に消すことのできぬ色彩を与え、アシジの聖フランシスクスはいわゆるフランシスカン型を作り出し、また近代カトリック教の根本に横たわるは、聖トマス・アキナス、聖イニゴ・デ・ロヨラ、聖フランソア・ド・サル、聖女マルグリット・マリーの見たるキリスト教である。彼らの思想はその弟子によってまず敬虔な人々や司祭らに伝えられ、さらに通俗的に説明されて一般信者の民衆に及び、時代の全般に行き渡るのである。もとよりキリスト教は今後もなお豊富になってゆくであろう。しかし現代は以上に列挙した人々の思想によって生きているのである。そのゆえにたとえ民衆の宗教的観念を知らんとする者でも、かくのごとき主要なる人物をまず理解する必要があるのである。


第 I 篇 新約時代

ピエール・ルッスロ ヨゼフ・フービー 共述

p. 1

第 I 篇 新約時代

1 イエズス

共観福音書

イエズスなる歴史的人物に関する研究は古代から最大の興味と熱情とをもって行われた。この研究は近代のいわゆる批評的歴史が生まれ出る前から盛んに行われ、その後もますます人類の興味の中心となった。かくのごとき古来の歴史家の努力、殊に近代の研究はイエズスの生涯の環境ならびにその公生活の状況に関する知識に多大の貢献をしたのである。特に注意すべきは、近世の聖書研究者および歴史家が一度カトリック伝説とはなはだ異なる学説を主張したる後、再びこの誇張に対する反動として最近においては幾分か古来の通説に歩み寄った事実である。例えば共観福音書の著作年代に関してチュービンゲン学派の首領たりしバウル(Baur, +1860)の所説と、現時自由プロテスタント派中の錚々たる聖書学者なるハルナック(Harnack)の所説とを比較すればけだし思いなかばに過ぎるところがあ

p. 2

る。バウルはマテオ(マタイ)、ルカ、マルコ(マコ)の三福音書の著作を第2世紀の半ば、すなわちおよそ130-170年として、パピアス(Papias)ユスチヌス(Justinus)イレネウス(Irenaeus)ムラトリアヌム(Muratorianum)等の古代キリスト教著者の証言を悉く退けた。しかるにハルナックは使徒行録ならびに第三福音書の細心の研究の結果、聖イエロニムス(S. Hieronymus, Jerome)の所説とほとんど異なることなき決論に帰着した。曰くパウロの弟子にして伴侶なる医者ルカは、使徒行録を紀元60年後間もなく、すなわちパウロのローマにおける牢獄生活の終わらざる以前に執筆したらしい。また第三福音書はこの書に先立ちしものなるがゆえに、もとよりより早き年代における著作である。また第三福音書は第二福音書によるところあるがゆえに、ペトロの秘書役たりしマルコの福音書は紀元60年以前、すなわちキリスト死去後30年を出でずして記されたものである。なお同じくハルナックによれば今日吾人の所有するギリシャ語の第一福音書はエルサレム滅亡(紀元70年)以前にできあがっていたと言う。

以上のハルナックの説はカトリックの聖書学者、英国教会の聖書学者の所説とまず一致している。すなわち福音書の著者および著作年代に関しては各方面の学者の説がほぼ一致していると見て差し支えない。

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本文批評の問題として学者の意見が分かれるのは現福音書以前に存在し、福音史家がこれを利用したと想像される原始的文献に関してである。しかしこれも内容の一番貧弱なものが一番原始的なものであって、従ってイエズスの真相を最もよく捉えていると、頭からきめてかかる理由はない。すでにルカの明言するごとく(ルカ 1:1)イエズスの言行に関しては当時すでに数種の記録が存在し、またその他にも群衆の面前にて公生活を送られたイエズスについては、目撃者の説話が残っていたはずである。また使徒らの説話の材料となった口頭のイエズス伝があった。これらがその後アラメアン語マテオ福音書の中に取り入れられ、またギリシャ語となってペトロの説教となりさらにマルコ書を形造るに至った。いったい、福音書は聖ユスチヌスも言っているとおり、使徒らの口頭の説教の代用品であって、目撃者の証言として説教壇上に一般の信者に語られたものが、たまたま筆者を得て記録として残されたものに過ぎぬ。これで福音書のある特徴を充分に説明することができる。例えば福音書は詳細にすべての事件を記録する歴史ではない。これには厳密の時間的の排列も、地理的の説明もない。なぜならばパレスチナに住む聴衆には簡単な一言も熟知する土地を想起せしむるに足り、パレスチナを知らぬ人々には煩瑣な記述も興味がないからである。

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イエズスのような人物の物語においては、自然に聴衆の心は彼一人に集中されて、外面の輪郭は話の筋を理解させるだけの用にしか立たぬ。壇上に立ってイエズスの話をするには、年代と地理との大まかな見当をつければ、あとはイエズスの教義を伝え、その生涯の逸事を語るに、多少の順序の倒錯や地方色の問題はあえて意に介せぬのである。第一、人々が年代とか地方色とかをやかましく言い出したのは比較的近代のことで、その証拠には第17世紀の古典文学、シェークスピヤの戯曲などを読めばかかることがまるででたらめであることがわかる。

福音書は口頭の説教の摘要であるから、これを芸術的著作と見てはならぬ。そのギリシャ語も典雅なギリシャ語ではなくして、当時通用していた口語、すなわち今日吾人がアレキサンドリア時代の古文書片や碑銘に発見するギリシャ語にヘブル色彩、なお正確に言えばアラメアン色彩が著明に加わっているものである。

しかし何と言っても福音書に描き出された世界は、筆者の目撃した活き活きとした実際の世界である。紀元70年エルサレム滅亡以前のガリレアとユデアとは残るくまなく吾人の眼前に展開する。その中に出現する人物も党派もまことに活き活きと描写されている。第二のエリア、熱火のごと

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き弁を有し、ラクダの皮をまといて砂漠に住み野蜜とイナゴとを常食とする洗者ヨハネ、狐とあだ名さるるヘロデ王、宗教的には懐疑家、政治的にはお天気見で利益のためには残酷なことも平気でするサドカイ派、律法の外面的規定のみを些細な末に走って遵守して、寡婦と孤児との貯蓄金を巻き上げ、集会には上席を占むるを好む『白き墓に似たる』偽善者のファリザイ派、金銭の利得にのみ汲々たる収税吏、さては旧約の伝統の純正なる保持者なる霊的イスラエル人の代表者エリザベト、ザカリア、シメオン、アンナ等がある。彼らは断食と祈祷とをもってイスラエルの救いを待ち望む人々である。

イエズスの物語の背景にも同じように粗い、しかし活き活きとしたスケッチがある。例えばそこには絵のようなガリレアの天地が展開する。チベリアデ湖には漁船が浮かび、突然の暴風が吹く。湖岸には漁師らはあるいは網をつくろい、あるいは魚を選り分けている。カファルナウムの家々の屋根は低くして扁平である。夜になれば一本のろうそくが燭台の上にともされて闇を力なげに照らしている。麦の畑はあるところは磽地でせっかく種子が発芽してもただちに天日に灼かれてしまい、また生い茂るい棘が幼弱な植物を圧倒してしまう所もある。貧しい家庭生活もまた描かれている。貧しい女が衣服を

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繕ったり、家を掃除したり、パンを捏ねている。種子を播き、収穫に従事する農夫がいる。彼らにとって牛やロバが井に陥るのは一大事件である。ドラクマの貨をなくしたり、一頭の小羊が見えなくなると家内中の心配である。その時代から1900年を経た今日に至っても、その光景は幻のように吾人の眼前に浮かぶではないか。イエズスは具体的(形容的)な直截なものの言い方を好まれた。比喩的の寓話、一見矛盾するような話(最初聞いたときに起こる軽い怪訝がかえって話の記憶を助ける)岸に寄せる男波、女波のように重なり合った語法、対句のような話の進め方、これらはギリシャ人の知らぬところで東邦人に特有な談話法である。イエズスの単純な言葉は、時として深い神秘を蔵す。例えば『持てる者はなお多くを与えられ、持たざる者にはその有する僅少なるものもまた奪わるべし』との一句がある。いかにも明瞭である。しかしその中には救霊に関する人間の自由意志と神の聖寵との関係という大問題の神秘の深さが蔵されている。福音史家がこの不思議なイエズスの比喩を作り上げたのであろうか。彼ら自らこれを聴いた当時は、その意味を悟ることができなかったと白状しているではないか。イエズスの前にも、イエズスの後にも、ユデア人のラビにもキリスト教の説教者にもイエズスの比喩に匹敵する単純と神秘とを兼

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ねた物語を作り上げた人はない。

福音史家はかくのごとくにして、粗大ながらもイエズスの忠実な肖像を描き上げたのである。それであるからその一部の抹殺は全体の均整を傷つけねばやまぬ。

キリストの事業、キリストの人格を解釈してその本質を発見することが聖書学者の最後の目的である。しかし福音書の著作ならびに著作年代に関して一致することができた人々もこの点については自ずから意見を異にするのである。なぜならばこの問題の解答次第で彼らの人生観がぜんぜん異なるようになる極めて重大なる選択であるからである。さればこの大問題、すなわちイエズスの内面的生活、その性格、心情および教義、語を換えて言えばイエズスの宗教に関しては、学者間の一致は今日未だ成立しないばかいりでなく、近いうちに成立する見込みもない。イエズスの評価について、彼を讃美し礼拝するにまで至る人々と、他方には彼を嘲り蔑む極端の反対者があるのみならず、実にイエズスの信心とその教義の本質を理解する上においても、互いに意見を戦わす状態であるのである。現代の自由プロテスタント聖書学者の中にまったく相異なる解釈を下す二派がある。一派によればイエズスの教えは自己の教えではなく、イエズスの福音は父の福音である。イエズスの宗教は

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天に在すこの父に対する信頼がすなわちそれである。この宗教たるやまったく個人的内在的で、イエズスの『神の国は汝らの裡にあり』(ルカ 17:21)とは実に這般の消息を伝えるものである、と言う。他の一派に従えばイエズスの説教の本質は世界の終末を告げたものである。闘争と不義と苦痛との世界は終わり、神の子ら、すなわち選まれし者のために正義と平和と幸福との世界が開ける。この新世界『王国』においてイエズスは王たるべく、いましばらく彼はその預言者である。『改心せよ、神の国は近づけり、いま神の国は到る。神の国は汝らの間にあり』と。前者の見方は道徳的見方である。イエズスは人間に守るべき行状、従うべき道を示したと言う。後者の見方は世末論(eschatology)的見方である。イエズスの告げたのは音信(おとずれ)であり、玄義であり、秘密であり、光栄ある再臨の預言であると言う。

以上双方の見方中、極端の論者はその一を採って他を棄てんとするが、これでは二の異なるキリスト教、二の異なるイエズスが出来上がる訳である。光栄の大なる幻想を追う青年労働者と、あらゆる内在的ならざるものを軽んずる平静な説教者とは、同じ心情と性格とを有するはずがない。一は他を排すべきものである、と説くのがすなわちそれである。しかしたいていの誤謬が真理の一面を捉えて

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いるように、以上の二の見方も誇張の過失に陥っているのである。真実の解釈は双方の本文および証言を相並べ、一を採って他を棄てる代わりに、一方で他方を照らすようにせねばならぬ。ゆえに最も賢明なるキリスト伝の著者はその宗教が同時に道徳教であり、かつ玄義の啓示、すなわち善き音信であるということに一致している。この際必要なるは両者の関係を研究することであるが、おそらくはこの関係は最初明瞭でなかったものが時日と共に明らかになったもので、すなわちイエズスの天国の説教に二期を分かてば真相に近いであろう。イエズスは漸進的に真理を伝えた。その公生活の初期においてイエズスは万人を神の国に招き、改心と信仰とをもって準備すべきを教え(マルコ 1:14, 15、マテオ 4:17)神の国に入るための大体の条件を述べたが、このときには善き音信と善き道との区別は後年におけるほど明らかではなく、遠近が模糊としている。これが山上の垂訓の時代である。次いで比喩的説教と共に光明がさして、神の国の相異なる二相が判別してくる。善き狭き道を歩まねばならぬ現世と、あらゆる試練の終わるべき世界終末の大なる日とがこれである。しかしもしさらに注意してイエズスの比喩やその他の教えを観察すれば、なお精密なる遠近が別れて神の国の三時期を分かつようになるであろう。第一は現時でイエズスが弟子らと共に生活する古来のユデア人の世

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界である。この世界はイエズスの予め指し示す徴(しるし)の後に崩壊し去る。次にあるのは不定の長さの期間で暗黒に閉ざされ、急激に出現するイエズスの再臨をもって終わる。再臨はなんぴともその日時を知らず盗人のごとく人の不意に来たり、そして最後に永遠の幸福裡の万事の成就がある。

この神の国の三時期に共通なるは王なるイエズスである。

善き道、山上の垂訓

キリストと同時代のユデア人の多数はメシア王国は地上に出現すべきものと信じていた。しかるにイエズスはこう教えた。『福なる哉汝ら貧しき人、そは神の国は汝らのものなればなり。福なる哉汝ら今飢うる人、そは飽かさるべければなり。福なる哉汝ら今泣く人、そは笑うべければなり(ルカ 6:20, 21)。また目にて目を償い、歯にて歯を償うべしと言われしは汝らの聞けるところなり、しかれどわれ汝らに告ぐ、悪人にさからうなかれ。人もし汝の頬を打たば他の頬をもこれに向けよ、また汝を訴えて下着を取らんとする人には上着をも渡せ、また汝を強いて一千歩を歩ませんとする人あらばなお二千歩を彼と共に歩め。汝に乞う人に与えよ、汝に借らんとする人に身を背くることなかれ』(マテオ 5:38-42)と。

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山上の垂訓は人の心の奥底に触れて実に不朽の価値を有する言葉である。しかしイエズスの弟子たちはこの言葉を聴いた時、彼らの素朴な心にどのような想像を浮かべたであろうか。イエズスの言葉のごとく万事が変化した暁の、彼らの生活および世界全体をどのような色彩の下に考えてみたであろうか。新しい天地の間に、彼らは世の光となって輝くであろう。律法は律法学士やファリザイ派の人々にも勝る正確さをもって、最も些細の規定の末に至るまで守られるであろう。厳重な裁判所があって、ちょっとした憤怒や、無礼の言葉まで裁かれるであろう。犠牲を捧ぐる時、隣人と争ったことを想起したならば、献物をそこに置いてまず仲直りをしに行く。妻を離別するようなことがないばかりでなく、道ゆく女によこしまな眼を向けることも姦淫と異なるところなき大罪となる。誓うことなく、『しかり』あるいは『否』で足りる。弟子らも師のように悪魔を追い、イエズスの名によって奇蹟を行い、祈祷は必ず応えられる。ああこれが神の国であろうか。しかしイエズスはこの不思議の将来、彼の律が人々に知られ、実行される黄金時代を、弟子らの眼前に見せると共に--あたかも柔和なる者も他人に苦しめらるることなくばその徳を失うかのように--不正漢、乱暴者の存在を予想している。他人に打たれたならば他の頬をも向けねばならぬ。徴発されたな

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らば不平を言わずにそれに従い、命ぜられたよりも遠くまで歩まねばならぬ。実にこの不思議な未来の世は、弟子らにあたかも濃霧をへだてて見る世界のごとく、師の種々の言葉を調和することはある程度まで困難であったろうと思われるのである。今日の読者が山上の説教をまったく道徳的の意味に解して、イエズスが弟子に不義の世界に処する道を教えたのであると悟ることができるのは、後世のキリスト教により、またキリスト自身の比喩的説教によって、神の国の二相を知り、善き道と善き音信、道徳と世界の終末とを教えられているからである。

比喩的説教、善き音信

山上の垂訓は比喩の説教に比してイエズスのより純粋な、より完全な教えを含むという見方をする者がある。イエズスは周囲の事情、ことに彼に対して敵意を抱く者の敵対を避けるために余儀なくその明白な説教を廃して、ことさら難渋な比喩にその教説を包み、信頼する弟子たちにのみ真義を解釈したという見方である。彼らの説に従えば手の萎えた人のような(マルコ 3:6)事件があって、これがイエズスとファリザイ派との最初の衝突となり、師の態度の変更を見るに至った。福音史家も比喩的説教の開始にあたって、この変化の理由として聴衆の悪意に言及

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しているのではないか(マルコ 4:12。マテオ 13:13。ルカ 8:10。なおヨハネ 12:40参照)。イエズスの宗教はその純粋明瞭なるものを山上の垂訓に求むべく、これが旧酒を飲むに慣れたるイスラエルの学者の味わうを欲せざりし新しきぶどう酒であった(ルカ 5:39)。イエズスは真珠を豚に投ずるを欲せずして最初の明瞭な説教の態度を変えたのであると。

以上の見解も、確かに一面の真理を捉えて謎のような比喩的説教の理由を説明するに足るものである。しかしこの比喩的説教は山上の垂訓に比してその内容において一段の発展があるのを見逃してはならぬ。すなわちメシア王国に関して新しい光明が注がれている。現在と来世との区別が際だってくる。此方には地上の生活があって、ここには完全なる幸福は望めない。それは謙遜と忍耐と柔和とをもって、人生の悲を知り失敗を解する主の跡を追うて進まねばならぬ狭い道である。彼方には光栄の輝く未来がある。この未来は時としては極めて手近のようでも、また時としては遙かに遠いもののようでもあるが、とにかく最後の審判という大な出来事で現在とまったく離れている。十人の処女の喩えや、召使いの喩えや、またタレントの喩えなどである。現世では善悪混交しているが、稲妻が空の東西を一時に照らすごとく、思わざるの期に人の子の来臨がある。天使が義人と

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不義人とを別ち、義人らはその父の王国において太陽のごとく輝かんと教えられる。

世界の終末に関するイエズスの教えは一の秘密、あるいは奥義の啓示であり、福音すなわちよろこばしき音信(おとづれ)であるが、これは決して彼の道徳教と無関係なものではない。この啓示と道徳教とは有機的に結合されている全体である。『その日、その時をば天における天使らも、子も、なんぴとも知らず、ただ父のみこれを知り給う。汝ら注意し、警戒し、かつ祈祷せよ、けだし期のいつなるかを知らざればなり。そはあたかも人その家を去りて遠方に旅立つにあたりしもべらに命じておのおのその務めを分かち当て、門番には警戒することを命じたるがごとし。しかれば汝ら警戒せよ、家の主の来るはいつなるべきか、夕暮れなるか、夜半なるか、はたまた鶏鳴く頃なるか、朝なるかこれを知らざればなり。おそらくは彼ついに来りて汝らの寝ねたるを見ん、われ汝らに言うところをすべての人に言う、警戒せよ。』(マルコ 13:32 以下)なおこれにマテオならびにルカ福音書に記載してあるところを対比することができる。『もしかの悪しきしもべ心の中に、主人の来ること遅しと言いて、その同輩に殴りかかり、酒徒と酒食を共にせば、そのしもべの主人彼が思わざる日、知らざる時に来りてこれを処罰しその報いを偽善者と同じうすべし、そこには痛哭と切歯とあらん』(マテオ 24:48、ルカ 12:45)警戒するとはよく生活することであり、

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酒食にふけるとは悪く生活することであり、主人の帰来はキリストの再臨をさす。それゆえこの比喩は審判の日に義人と共に列らんがために善く生活せねばならぬとの意味に帰着する。比喩のみならず世界の終末に関する教説においても、人間はその行為に従って分かたるべきことを教えられる。またさらにイエズスの公生活の第二期以前、すなわちガリレア時代の比喩として伝えらるる毒麦の喩え、網引きの喩え等においても同様である(マテオ 13:24, 47)。要するにかの『秘密』は(たとえ唯一の理由ではなくとも)少なくとも警戒して善き道を歩まねばならぬ最も切実の理由である。道徳教と世界終末との関係を無視するのはイエズスの教えを混乱と無秩序とに化する謂いである。福音書が来世と現世との対照を超越しているなどと唱えるのはこの上もない偽りであって、福音は来世と現世との対照の上に宣べられた教えである。この対照はキリスト教の本質に属すべきもので、これにより福音は単なる道徳教ではなくなり、一の『秘密』『奥義』一の『教義』となるのである。

特殊の弟子、イエズスの派

ファリザイ派すなわちユデア教の官学派との衝突が、イエズスの説教の形式を変えたことは上述の通りであるが、これと同時にイエズスがその談話を聴かせようと欲する聴衆の範囲に、ならびに談

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話の直接の目的に著明の変化が生じてきた。イエズスは最初あらゆる人に善き音信を伝えた(マテオ 4:17、マルコ 1:15)。古来律法と預言者とによって準備されていたユデア人に、メシア王国の福音は、天の東より西へ一瞬にして輝き渡る電光のごとく、万人の心をただちに捉えねばならぬはずであったのである。しかるに事実はこれに反して、種子は燥いた土地に落ちた。ファリザイ派、ヘロデ党員の公然の反感に直面したイエズスは、慎重な態度をとりおのれの周囲に弟子の群を引きよせていって(ぜんぜん孤立的態度は取らなかったが)弟子らの心に天来の光明が輝く日までおのが教えを受けかつ蔵してゆくことができるように配慮した。時間と聖寵とがイエズスの事業を完成するであろう。彼は天国をパン種に喩えた。曰く『女これを取りて三斗の粉の中に蔵せばことごとく脹るるに至る』(マテオ 13:33)と。また芥子種に喩えた、『天国は人の取りてその畑に播きたる芥子種に似たり、すべての種の中最も小さきものなれども、育ちて後はすべての野菜より大きくして、空の鳥その枝に来リ棲むほどの樹となる』(同 13:31)と。律法学士と衝突の後、イエズスは十二使徒を選定し(マルコ 3:16)、また比喩的説教を開始し、『汝らは神の国の奥義を知ることを賜りたれども、外の人は何事も喩えをもってせらる』(マルコ 4:11)とその親密の弟子と一般の聴衆とを区別した。イ

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エズスの奥義はイエズスの派の秘密である。十二使徒は単に一般の不定の群衆より区別されたばかりでなく、彼に忠実な弟子の中からさらに選まれた人々である。すなわちこれが将来のキリスト教会の萌芽である。ユデア会堂(シナゴグ)の中に新しく出来たこの教団には早晩母会堂から分離せねばならぬ自治の胚種が与えられた。シモン・ペトロを首領とする将来の教階制度はかくのごとくにしてその原始状態においてキリストの自由意志から生まれ出たのである。ガリレア湖の漁夫シモンの性格、敏捷と熱情とがこの首領たる地位に適当していた点もあるが、要するにキリストの自由の選択が彼にその代理者たる地位を与えたのであった。初代キリスト教徒はキリストの意志を明瞭に理解していた。聖パウロの弟子で異邦人の福音史家たりしルカも、(ルカ 22:31)ユデア国在住のキリスト教徒の福音史家のマテオも(マテオ 16:18)各々これを証言して憚るところがない。この点に関してヨハネの伝えたところも同様で、ペトロは主の最愛の弟子ではなかったが、イエズスの羊を牧する司牧者は彼であると。(ヨハネ 21:15)

イエズスはこのようにしてファリザイ派の面前におのれの党派を作っても、決して孤立主義を標榜して弟子らと共に砂漠に隠退するのではない。かつて教えた信頼と柔和との道、あるいは光栄の世界王

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国に関する談話を取り消すのでもない。しかし現代と万物の終末との間に、苦悩の中に待たねばならぬある期間のあることを弟子らにほのめかした(マテオ 10:9 以下)。彼らは狼群の間に棲める羊のごとく、町々を経巡りて、山上の垂訓に教えられた理想の通り、貧困と柔和と単純とを帯して福音を説き、病者を医さねばならぬ。これが人を漁る彼らの方法である。既述した比喩の他に弟子らに対する訓戒の暗示を綜合すれば、神の国はある意味においては電光のごとく急激に出現すると共に、また植物の生長し、パン種のパン粉に働くごとく隠微である。神の国が明日にも実現しそうな語気と共に(例えばマテオ 1:23、当時弟子らはこの言葉を彼らのユデア巡教中の意に解したであろうが、福音書に記載される頃には別の意味の解釈の可能性が信じられていたに違いない)まったく異なる印象を残すような言葉が混じっていた。弟子らに最も必要なるは忍耐である。町から町へ遁れ、ベエルゼブブと呼ばれ、迫害されて、始めて神の国が建設される、この国は光栄裡に一瞬に建設される国でなく、イエズスの留守の間にイエズスの派の人々の手によって苦痛と涕涙との裡に建てられる国である。『汝らが人の子の一日を見んと欲する日来らん、しかれどこれを見ざるべし』と。(ルカ 17:22)

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しかしこれを聴く使徒らの念頭には今ここにイエズスの語られた言葉のごときは深い印象を残さなかった。彼らの心は間近き光栄のメシアの来臨の希望に燃えて、そのように解される師の言葉を特に記憶し、イエズスとの別離後その再臨までに長い世紀を待たねばならぬことには考え及ばなかった。しかし彼らの頑固な偏見(使徒行録 1:6)にもかかわらず彼らが師と共に生活している事実が、彼らの宗教的生活に強烈な団体観念を与えた。イエズスが使徒に対する態度は、彼の宗教は単に道でも教義でもなく、さらに一の団結であり、宗派(序説参照)であることを理解せねばとうてい説明することができない。かかるがゆえに『見よわが汝らを遣わすは羊を狼に中に入るるがごとし、人に警戒せよ』(マテオ 10:16, 17)の言のごとき他人に対する警戒あり、あるいは『小さき群よ恐ることなかれ、汝らに国を賜うことは汝らの父の御意に適いたればなり』(ルカ 12:32)の言のごとき、他人に賜わらぬ特典の享受者としての弟子らに対する熱愛の詞あり、また下のごとき現在に至るまで毎日実現する預言があるのである。曰く『汝らはわれ地上に平和を持ち来れりと思うか、われ汝らに告ぐ、否かえって分離なり。けだし今より後一家に五人あらば三人は二人に、二人は三人に対して分かれん。すなわち父は子に、子は父に、母は女(むすめ)に、女は母に、姑(しゅうとめ)は嫁に、嫁は姑に対して分かる

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ることあらん』(ルカ 12:51-53)。また『われよりも父もしくは母を愛する人はわれに応(ふさ)わず、われよりも子もしくは女を愛する人はわれに応わず』(マテオ 10:38)と。

イエズスの人格

イエズスの教えた善き道と善き音信とは相並存する二個の教義ではなく、有機的一体である。さらに正確にいえば双方とも外部に取ってつけた教義ではなく、その霊魂の奥底からの確信であって、イエズスとこの教義との一致合体が彼に独自的(ユニーク)な、模倣を絶し、比較を絶する独創的性格となるのである。

聖書に散在し詩編に哀切の希望を歌う『柔和なる者』『貧しき者』の面影は、イエズスにおいて高調される。『柔和なる者』とはまた『堪え忍ぶ者』である。『優しきイエズス』は実にこれら悩める者、平和の者、貧しき者の理想的典型である。『狐は穴あり、空の鳥は巣あり、されど人の子は枕するところなし』(マテオ 8:20)『われは柔和にして心謙遜なるがゆえにわれに学べ、さらば汝らの魂に安息を得べし』(同 11:29)とは彼の言葉である。福音史家は彼においてイザヤの預言したヤヴェの僕を認めた。『曰く、これぞわれ選みしわがしもべ、わが心によく適える最愛の者なる。われ彼の上にわが

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霊を置けり。彼は異邦人に正義を告げん、争わず叫ばず、誰も衢(ちまた)にその声を聞かず、正義を勝利に至らしむるまで、折れたる葦を断たず、煙れる麻を熄(け)すことなからん』(同12:18-20)。

しかし同時に、彼は最も自然に人々の師となり、主となった。時としては涙ぐましきまでに優しき愛にもかかわらず、彼には自己および自己の能力についての争うべからざる自信があった、極めて単純に優越的地位を占め、その言は命令的となり、その態度や行為は極端なほど大胆となる。イエズスの優越感が相手を魅了するありさまは福音書のほとんどどのページにも溢れている。ペトロとその兄弟にとっても、ゼベデオの子らにとっても、その収税吏レヴィにも彼の一言がすべてを抛(なげう)ってその跡に従わしむるに充分であった(マルコ 1:16-21, 2:14, 15)。彼が説教を始めれば群衆は彼に追従し、その言に聞き惚れる。マルコ福音書にはカファルナウム人が町をこぞって、その居る家の戸口に集う様や、群がり来る人々の数と無遠慮とにイエズスの傍(かたわ)らなる人は食事する暇もないことや、中風者を担(かつ)いで来た人たちが群衆(ひとごみ)の中を通ることができずに、イエズスのいる家の屋根に上がって、これを壊して病人を吊り下ろした話などがある(マルコ 1:32、3:20、6:31、2:1-4 )。ルカはある日あまりの混雑に踏みつぶされそうな人があったと記している(ルカ 12:1)。これは彼が民衆に

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阿諛(あゆ)した結果ではない。近代のある人々の考えでは人類愛とは『民衆』の礼拝で、『民衆』の有する聖徳あるいはその不可謬的の知識に対する信仰ということであるらしい。しかしイエズスの民衆に対する愛とは、とりも直さず愛憐である。彼は群衆の牧者を失える羊のごとくなるを憫(あわ)れんだのである(マテオ 9:36)。彼が群衆を従えたのは紛れもないその権威の態度であった。肉体的には病を癒し、悪魔を追って、精神的には師のごとく振る舞って、彼らに権威を示したからである。『人その教えに驚きいたり、そは律法学士らのごとくせずして、権威ある者のごとくに教え給いたればなり』(マルコ 1:22。ならびにマテオ 7:28、ルカ 4:32)。キリストの性格に特有の一点ありとすれば、それはまさにこの権威の態度である。

彼の権威の態度はただに群衆に教える時のみではない。イエズスはおのが権威の絶対なるを自覚していた。彼は主の態度をもって暴風に命ずる。『イエズス風を戒め、また海に向かいて、黙せよ、静まれとのたまいしかば風やみて大凪(おおなぎ)となれり』(マルコ 4:39)。その一挙手一言が悪魔を追い、疾病を癒し、死者を復活せしめるのである。シモンの姑(しゅうとめ)熱を病む時、イエズス近づきてその手をとれば熱はたちどころに去った。ヤイロの死せる娘はイエズスの御手の下に復活した。『若者よ、われ汝に

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命ず、起きよ』とのたまえばナイムの寡婦の息子は棺から起きた。中風者はその一言に臥床を取って立った。手のなえし者に手を延ばせよと命ずればその手は延びる。エリコの盲者に見よと言えば眼は開ける。無機の世界もイエズスに抵抗することは出来ぬ。イエズスの脚下に湖水の水も大地のごとく固まり、五のパンと二尾の魚は五千人を養うに足り、七のパンは四千人を養うに充分であった。

正福音書に記されたイエズスの奇蹟を偽福音書中の奇蹟と比較すれば、その差異は一見して著明になる。イエズスは得々としてあらん限りの魔法を使う奇術師ではない。彼はその超自然的能力に自由なコントロールを持っている。その奇蹟たるやいたずらに人目を幻するを目的とするのではない。彼はユデア人が要求するこの種の奇蹟を拒絶した(マテオ 12:39,同 16:4)。彼の行う奇蹟は預言に現れたメシアの奇蹟である。『イエズスのたまいけるは、往きて汝らの聞きかつ見しところをヨハネに告げよ、めしいは見え、あしなえは歩み、らい病者は潔くなり、みみしいは聞こえ、死者は蘇り、貧者は福音を聞かせらる、かくてわれにつきて躓かざる人はさいわいなり。』(マテオ 11:5、なおイザヤ 35:5 参照)。

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イエズスの奇蹟は奇蹟のための奇蹟ではない。それは彼が人々に対して有する愛憐の徴であり、救主(メシア)たる徴であるのである。『彼は慈善を行い、かつすべて悪魔におさえられたる人を癒しつつ世を過ごし給えり、これ神彼と共に在したればなり』(使徒行録 10:38)。これが彼の奇蹟の全体における共通の性質である。三共観福音書の全部に現れているカファルナウムの中風者の治癒にしても(マルコ 2:1、マテオ 9:1、ルカ 5:17)その二書にのみ記される百夫長の下僕の治癒のごときもにも(マテオ 8:5、ルカ 7:1 以下)またナイムの寡婦の息の復活のごとく、ただ一書にのみ書かれているものにも(ルカ 7:11)この共通の性質の欠けるところがない。それゆえに奇蹟はイエズスの生涯の全的(インテグラル)の一部である。イエズスの生涯から奇蹟を抽き去ろうとする試みは、その公生活の全体殊に彼が弟子らと群衆とに対して持っていた影響と感化とを不可解の謎とするばかりである。ゆえに本文(テキスト)の証言を尊重し、かつ多少なりとも心理的考察力ある歴史家は一致してみなその事実を肯定している。頭から超自然を否認する論者にはハルナックのようにイエズスの奇蹟を二種類に分けて、水上の歩行とか、パンの増加とかの『無機的奇蹟』を絶対に認めず、これに反して『信仰による治癒』(faith-healing)すなわちイエズスの強烈な人格が被暗示性に富んだ神経質の病人に影

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響を及ぼしたのであると説明することができる種類を肯定する者もある。すなわちこの種の論者は前者に関する証言はぜんぜん棄てて顧みず、後者のみを自然的現象に引き直して認めるので、この選択は歴史的あるいは本文批評の結果にあらずして、宇宙および人生に関する主理主義的哲学に由来するのである。歴史的批評の立場から見れば、この省略法は困難を解決せず、かえって増加するばかりである。例えばパンの増加の『無機的奇蹟』の証言も中風者の治癒の証言もその間に証言としての価値に優劣軽重がないではないか。これに加えもし自由プロテスタント主理主義的批評家の仮説のごとく、パンの増加に関する二の叙事が、単一の事実の二の異なる伝説であるとすれば、パンの増加に関する証言は中風者の治癒に関する証言よりも遙かに有力とならねばならぬ。また奇蹟的治癒も、一二の不明な『悪魔つき』の場合は暗示でも説明することができるかも知れないが、しかし福音書の記すイエズスの治癒的能力は常に彼に存し、患者は今日の神経系統専門家の治療室におけるごとく一定の準備を了した人々ではない。彼の病人は極めて異種多様であり、病人がイエズスに来る事情は最も非定型的である。シモン・ペトロの姑、カファルナウムの中風者およびらい病人、手のなえたる人、ヤイロの娘、血漏の女、ベトサイダのめしい、カナアンの女、エリコの盲目の乞食バ

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ルチメオなどの農家の中庭や、町や村の広場で、イエズスの通りかかる所に連れて来られたこれらの病人がみな神経衰弱やヒステリーに悩んでいたであろうか。さりとはガリレアは不思議な病室とも言うべきだ。またこの仮説に従えばイエズスは失策をしてその使命を損なわぬように、最初から彼の声を聴いて病の治るような、被暗示性に富む病人だけを選み出して置かねばならなかったであろう。イエズスに患者の選択についてのかかる直覚があったと仮定するのは一の不思議にかうるに他の不思議をもってするに過ぎない。奇蹟的診断は奇蹟的治癒よりたやすいとは言えないからである。それゆえ奇蹟を分類する企てはまったく無駄な努力である。福音書の歴史的価値をぜんぜん否定せざる限り、ペトロがユデヤ人に告げたように『ナザレトのイエズスは神がこれをもって汝らの中に行い給いし奇蹟と徴とをもって、神より証明せられたる人』(使徒行録 2:22)たることを認めない訳にはゆかないのである。

イエズスはまた過去と未来との主である。『神のもの』なる未来はまたイエズスのものである。三度、彼は弟子らに受難と十字架上の死と、光栄の復活とを預言した。またペトロのいなみも、その死後、弟子らの受くべき迫害も、ユデア人が神に棄てらるることも、福音の普及も、光輝あ

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る教会の勝利も、ベタニアにて彼の足に油を注いだ女の記念も、彼に言われた通りに実現した。エルサレムの滅亡、神殿の破壊もまたイエズスの預言の成就である。

このイエズスはまた過去を支配して、ユデアの全歴史は彼を実体とする影にすぎない。ユデアの歴史は彼において始めて有意義となり、旧約の事件とメシア的預言とは完全な調和をもって合成される。旧約聖書には始めより終わりまで、正義と聖徳との治世に対する憧憬がある。人祖に賜わりし救済の契約(創世記 3:15)太祖に約束された祝福(創世記 12:3)に始まり、ユダの王座に坐すべき(創世記 49:10)選まれし者の姿はようように明瞭となる。ダヴィドはメシアは一日その後裔より出づべきを告げられる(サムエル後 7:16)。預言者は『その上にヤヴェの霊とどまらん、これ智慧、聡明の霊、謀略才能の霊、知識の霊、ヤヴェを恐るるの霊なり』(イザヤ 11:2)と言い、また『太猶の使者、全能の神、永遠の父、平和の王』(イザヤ 11:5)と称ぶ。彼は小ロバに乗って市に入る平和の王である(ザカリア 9:9)。神に快き犠牲を献ぐる大司祭(詩編 110)善き牧者(ザカリア 12:10)であり、神の右に坐する人の子(ダニエル 7:13)にして、その来るは聖なるものの王国を建設せんがため(ダニエル 7:18、イザヤ 60:21)、石板にあらずして人の心の肉に刻して新し

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き契約を結はんがため(エレミア 31:33)ゆたかに霊の賜物を注がんため(ヨエル 2:28)である。メシア時代に注がるべき霊の豊かさは、あらゆる国家主義の柵を破りて、万民が神の聖都エルサレムに集うほどであろう(イザヤ 60)。しかしかくのごとき新天地の預言の反面には苦痛の陰影があった。イスラエルの救済、異邦人の光明は、また多くの人の罪のために生命を棄て、その死が万民の義を贖うヤヴェの下僕である(イザヤ 53)。彼は苦難の道をたどりて、約束の聖徳と正義とに上る。しかしキリストの生まれ出た頃には、ユデア人の想像の眼は単に究極の光栄のみを見て、苦難の登攀を忘れていた。ここでもイエズスの特殊の趣きは光明と陰影との二面を集めて、その一身と行為とに預言を実現せしめた点である。ガリレアの聴衆の夢は、地上の栄華と不思議とを追っていた。しかるに徐々にイエズスは旧約の預言、ことにヤヴェの下僕の預言に応じて謙遜と柔和との姿を顕現した。その教役の最初より『人の子』の称呼が、例えば罪を赦すがごとき神秘的能力の反面に、服従と、忍耐と、おのれ自ら人なるがゆえに、人の苦悩に同情する彼の優しさとを示していた。彼は世の罪を荷う従順なる下僕、その群羊のために生命を棄つる善き牧者、おのれを犠牲としてその血をもって新しき契約を固める司祭である。そしてこのすべてにかかわらず、イエズスは神の国

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の建設者なるメシアをもって自ら任じ、より完全なる啓示をもって旧約聖書全体を完成する自覚あるがゆえに(マテオ 5:17)預言の中よりあらゆる偶然的事相を棄てて、霊的精髄とも言うべき預言の根本、すなわち預言の全発展を貫くところのものを抽出する。彼はこの精髄をさらに高調し、預言者の世界主義をさらに広めて、正義が燭台の上なる燈火、山の上の市街のごとくに輝く聖王国、天つ鳥の来り棲む大樹のごとき東西の民族を宿すに堪える大なる包容性を有する王国を建設するのである。謙遜と光栄、弱さと力、イエズスはすべてを調和する。イエズスは棕櫚の枝をかざす賤民と、歌を唱う小児の群にかこまれ小ロバにまたがってエルサレムに入りしがごとくに、一日光栄裡に雲に駕して来り、生者と死者とを審判(さば)くであろう。

さらにまたイエズスは人々の良心に君臨する。彼はおのれの家にいるがごとき気安さで人の心の中に臨むのである。この点がキリストの教えた道徳に匹敵するものなき独創を附与する。彼が聖徳の生涯を説教するのは、知識あるいは啓示によって知り得た教えを宣べるのではない。(もしさようの言い方が許されるならば)彼自身の事柄を言っているばかりである。善く生きるとは『彼に従う』ことである。これは第一にモイゼの教えより厳重で権威ある彼の律に従うことである。『....と古(いにしえ)の人に言わ

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れしは汝らの聞けるところなり。されどわれ汝らに告ぐ』これが山上の垂訓に際して、モイゼの律の完成たる彼自身の律を布告するにあたって慣用される文句である。ほとんど奴隷的の尊敬をモイゼの律に対して払って来たイスラエル人の耳に、このイエズスの言葉は驚くべく大胆に響いたに相違ない。しかしまだこれだけではない。『彼に従う』とは彼のごとく生活するということである。山上の垂訓の目的は天父を信ずる人々に子たるの心を与うるにある。子たるの心とは自ら天父の独り子たりという彼の心に似たる心を有することである(マルコ 13:32、マテオ 11:27)。さらに驚くべきは『彼に従う』とは彼のために生きることである。これがやがて彼の信者にとってはあらゆる義務よりも尊い道徳上の無上命令となる。すべての所有物も、家庭も、自己そのものすらイエズスの愛のためには犠牲にせねばならぬ。『われよりも父もしくは母を愛する人はわれに応(ふさ)わず、われよりも子もしくは女を愛する人はわれに応わず』(マテオ 10:37)『すべてわが名のためにあるいは家、あるいは兄弟、あるいは姉妹、あるいは父、あるいは母、あるいは妻、あるいは子ら、あるいは田畑を離るる人は百倍を受け、かつ永遠の生命を得べし』(マテオ 19:29)。これらの言葉はその意味を充分に会得したならば、あるいは罪を赦し(マルコ 2:5)あるいは世の終末に万人の行為を審(さば)かん(マテオ 25:31 以下)と告げる彼の言葉より

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もさらに奇怪と言わねばならぬ。善き道を歩むとは彼に従うことである。道の導く目的の地は彼の許(もと)である。善を行わんと欲するは彼を愛さんと欲するに他ならぬ。

彼が教えた世の終わりの奥義についても同様である。彼が奥義を啓示する時に、そこに一点の躊躇もない、何の疑念もない。人々がこれを信ずべきや否やを忖度(そんたく)し、または信不信を人々の自由に任す余地はないのである。いかんとなればこれは確実な事実で、けだしまた彼自身に関する事柄であるからである。最後の審判とは彼自身の再臨をむかえることに他ならないからである。世界の終末とは彼の光栄の発揚に他ならないからである。なおイエズスの啓示した最大の奥義は『父を識ること』であり、『父とはなんぴとなりやを知ること』である。この奥義は御子の心を通じて始めて知らるべく、イエズスを識る者、すなわち神を識る者である(マテオ 11:27、ルカ 10:22、ここが共観福音書中の『ヨハネ的隕石』という有名な場所である)。

さればキリスト教を道徳として見れば、イエズスは開祖たるにとどまらず、同時にその終局である。これを奥義として見れば、彼は説教者たるにとどまらず、同時にその中心である。彼の道徳は『われに従え』ということで、彼の奥義は『われを待て』ということである。しからば彼が一日、彼の特殊の弟子の

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中から、彼の死後の中心人物たる者を選定するにあたり『われは誰なるぞ』との問いをもってしたのは(マテオ 16:15)理の当然である。

イエズスは誰であったろう。彼が人たりしは疑いの余地がない。その母はマリアである。ナザレとの町の人々は彼が成長してゆくさまをも、ヨゼフの仕事場で労働するさまをも見た。過越祭には彼は町の巡礼に交じってエルサレムに上るを常としていた。一度、まだ彼の幼なかりし時、聖都エルサレムで道にはぐれたことも人々の記憶に残っていた。人として彼は最も優れた人性を有していた。自然に対しては純潔な霊魂にのみ見る感覚の清新さと純朴さとがある。彼は野の百合がサロモンの栄華の極みよりも美しいのを讃美する。牝鶏が雛を羽翼の下に集めるさまを喜んで眺めた。麦の生長するさまや、女パン粉を捏ねるさまや、漁夫が湖水に網をうつさまを見ていた。それゆえ彼が群衆に比喩を語る際には活き活きとした光景が自然に、ゆたかに彼の唇に上って来る。さらにイエズスは人間に対しても繊細な感受性を持っていた。彼には急激に起こる同情も、永続する愛情もある。彼の特別な弟子であった十二人の中にも、特に彼に接近して、タボル山の変容の光栄も、ゲセマニの血汗の苦痛をも共に頒け与えられた少数の使徒がいた。その中にも彼には一人最愛の弟

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子がいて、彼はその弟子をおのが胸に倚らしめた。彼の敵ファリザイ人の偽善は彼を憤らせ、屈辱の死に対しては人間として当然な、深い、言い尽くされぬ嫌悪と苦痛を感じた。そしてそれにもかかわらず、彼はまた驚くべき単純さをもって、おのれをダヴィド、ソロモン、ヨナス、神殿にさえ優り、天使の上に位する者と宣言するのである(マルコ 13:32)。イエズスのなんぴとたるかは一言にして表すことができる。『神の子』これこそ彼の本面目、本性にして彼の特有の位である。旧約における予言者は天主の下僕であったが、彼はその最愛の独り子である。人々は神の子となるように務めねばならぬ。しかるにイエズスが神の子たるは始めもなく努力もなく、進歩もない、自然にそうなのである。しかして彼が天父の独り子なるは、また天父の唯一の啓示者なるゆえんである。『いっさいのものはわが父よりわれに賜われり、父の他に子を知る者なく、子および子よりあえて示されたらん者の他に父を知る者なし。』(マテオ 11:27)相互間にのみ限るこの知識は何に基づいているのか。すなわち両者間に極めて特殊の関係、唯一(ユニーク)の関係が存在するのでなくして何であろう。そしてこの関係こそ『子』という単純な言に含まれている無限の富、無限の含蓄であるのである。

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2 弟子らの信仰

ペンテコステ以前

イエズスはなんぴとであったろう。彼がようようと民衆の注意を惹くようになるとこの問いは諸方で繰り返された。福音書に種々の解答が書き残されている。近親の誰彼は『彼狂せり』と言った(マルコ 3:21)。ナザレとの町の人は『彼は職人の子にあらずや、その母はマリアと呼ばれ、その兄弟はヤコボ、ヨゼフ、シモン、ユダと呼ばるる者らにあらずや、その姉妹もみなわれらの中にいるにあらずや。しかればこのすべてのことはいずこより得来たりしぞ』と言って彼に躓いた(マテオ 13:55 以下)。ファリザイの徒は『彼は食をむさぼり酒を飲む人にして、税吏および罪人の友なり、偽者にして、悪魔に憑かれたり』(マテオ 11:19、27:63、ヨハネ 7:20 等)と評し、彼の奇蹟と説教とに魅せられたガリレアの人々は彼を古(いにしえ)の預言者の復活せるものなるか、あるいは古の預言者に比すべき新しき預言者と信じた(マルコ 6:15 等)。洗者ヨハネを馘(みみき)ったヘロデ王は『彼ヨハネは死者の中より復活したり』(マルコ 6:16)と思った。エルサレムにおける幕屋祭の群衆はある人は彼を善

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人なりと言い、ある人は否人民を惑わすのみと謂った(ヨハネ 7:20)。洗者ヨハネの弟子は未だ何となく不安を感じて『来るべき者は汝なるか、あるいはわれらの待てる者なお他にあるか』と問うた(マテオ 11:3)。福音書は重大な出来事として一日師弟の間に取り交わされた問答を記している。フィリッポのカイザリア市の附近であった。『人々は人の子を誰なりと言うか』とのイエズスの問いに『ある人は(復活したる)洗者ヨハネなりと言い、ある人はエリアなりと言い、ある人はエレミアもしくは預言者の一人なりと言う』と弟子は答える。彼はさらに『しかるに汝らはわれを誰なりと言うか』と尋ねた。シモン・ペトロが『汝は活ける神の御子キリストなり』と答えると、イエズスは『汝はさいわいなりヨナの子シモン、そはこれを汝に示したるは血肉にあらずして、天にましますわが父なればなり』とこの答えを裏書きした(マテオ 16:13 以下その他)。ペトロが大胆に言い放ったこの信仰が十二使徒のそれであった--あるいはそれになったことは疑う余地がない。

しかし天よりの啓示がペトロに教えたと言うキリストすなわちメシア(救主)の意義に関し弟子らはどんな考えを持っていたのであろうか。ただメシアと言うだけでは、弟子らに師の真の偉大さが解されなかったであろう。ユデア人は国を挙げてメシアを期待していたが(人の子、あるいは神

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の子の称呼とは異なり)メシアとは約束された救主というほどの意味であった。たとえ偽福音書やユダヤ教師(ラビ)の書き残した文書を引用せずとも、福音書だけですでにユデア人のメシア概念を窺うには充分である。(マテオ 11:3、22:41、ルカ 3:15、ヨハネ 7:25 以下、10:24、12:34)。サドカイ派の人々だけはヘロデ王とローマ人とに迎合するために、おのれの政治的方便主義に反するこのメシアの期待を喜ばなかった。しかしサドカイ派の巧慧も国民全般およびファリザイ派の熱狂的期待を冷ますことができず、パレスチナの会堂ではメシアに関する古の預言が繰り返し繰り返し読まれていた。このように万人がメシアを待っていたが、この期待は人により、所により異なる色彩を帯びていたのである。メシアは神に選まれし者、勝利者、救済者で、イスラエルの王国を回復すべき者である、との点は各人が一致していた。しかしメシアの性質、メシアがいかにしてイスラエルを救うかということになると意見が分かれて、偏狭な愛国心と信仰とを混交した種々の想像があるばかりであった。最近の歴史家(ルブルトン(Lebreton))『三位一体の教義の起源』の言うがごとく、『この時代のメシアの概念は確然と定まっていなかったからイエズスがキリストであると言うのもすべての人に同じ一定の意味があったのではない。ヘノックの比喩に現れる

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「選まれし者」はソロモンの詩編第17の王と似通っていず、また両者共にエスドラスのメシアと違っていた(ヘノック、ソロモンの詩編、エスドラスはみな旧約偽経)。福音書もまたキリストの周囲に同様の不確かさと矛盾とがあるさまを記している。多くの人にとってはメシアはダヴィドの子でベトレヘムに生まれる。しかし他の人々はメシアは突然出現してなんぴともそのいずこより来りしやを知らぬはずであると言う。ある人は万事を教える師と考え、大部分の人はイスラエルを回復する王と信じ、また、雲に乗って来る超自然的人物と思っていた人もある。ラグランジ(Lagrange)も言うがごとく、実際当時は、どこにも疑問のみで、確実にして万人に承認される解答がなかった。最も重要な疑問はメシアによる神と人々との一致の問題で、これが一番暗黒に閉ざされて、その解答は絶望的であったのである。イエズスがメシアであると言うだけでは天の啓示ははなはだ曖昧であったと言わねばならぬ。それゆえフィリッポのカイザリア市附近の問答を最も詳細に記しているマテオは『汝は活ける神の御子キリストなり』と明らかにしている。これがペトロの宣言の眼目であり、使徒の心に映じたメシアさらに正確に言えば使徒に啓示されたメシアの本態であるということは、(1)旧約の最大の預言者とイエズスに与えられた敬称との間に生ずる対照、(2)ペト

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ロが『神の御子』と言ったのに対して『ヨナの子シモン』とイエズスが答えて、神とイエズスとの間には、ヨナの子シモンとの間におけると同じ関係(父と子)が存することを暗示されたこと、(3)このペトロの答が血肉に出づるにあらずして天父の啓示し給いしところなりと断言されたこと、(4)引き続いてペトロを教会の基礎石とせんと祝福されたことを綜合して考えれば自然に明白である。ペトロの告白は超自然力を駆使する教師として、民衆が浴びせかけた喝采とは異なって、イエズスの奥義、神の子の玄理に達するのである。

しかしまた、この啓示にもかかわらず、使徒らの心にはなおメシアに対する国民的、現世的の希望が残っていた。それゆえイエズスはこの時おのれの超自然的権威を啓示すると共に、その使命の性質を示すことを怠らなかった。

『また人の子が多くの苦しみを受け、長老、司祭長、律法学士等に排斥せられ、遂に殺されて、三日の後復活すべきことを彼らに教え始め給いしが、そのことを公けに語り給いければ、ペトロ彼をひきて諫め出でけるを、イエズス顧みて弟子らを見まわし給い、ペトロを譴責してのたまいけるは、サタンよ、退け、汝の味わえるは神のことにあらずして人のことなればなりと。イエズス群衆と弟子ら

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とを呼び集めて、これにのたまいけるは、人もしわれに従わんと欲せば、おのれを棄て、おのが十字架を取りてわれに従うべし。そはおのが生命を救わんと欲する人はこれを失い、われおよび福音のために生命を失う人は、これを救うべければなり。人全世界をもうくとも、もしその生命を損せば、何の益かあらん。また人何をもってかその生命にかえんや。けだし奸悪なる現代において、われおよびわが言葉を恥じたる人をば、人の子もおのが父の光栄を持って、聖なる天使らを従えて来らん時これを恥ずべし、と。また、彼らにのたまいけるは、われ誠に汝らに告ぐ、神の国が権威をもって来るを見るまで、死を味あわざるべき人々、ここに立てる者の中にあり、と。』(マルコ 8:31 以下)

この教訓は厳しかった。弟子らもいやいやこれを受けた。イエズスがおのれの受難を明白に告げた時、ペトロは堪えかねて怒った。しかしペトロが師に叱責されてからは、他の弟子はそれとあらわに言い出しはしなかったが、イエズスのこの宣言に対する不平、困難、無理解、無同情の態度は福音書に散見する。(マルコ 9:32、ルカ 9:45、18:34)。受難の予告も弟子らの心から光栄の王国の期待を消し去ることができなかった。この王国はたとえ少しはのびても、その実現はそう遠いことではない。イエズスは間もなく光栄裡に帰って来る。それまでにたとえ苦難の時があ

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るにしても、弟子らはあまりそれを考えようとしなかった。彼らはむしろメシアの勝利と、王位回復との快き夢想を楽しんでいた。その暁には、彼と生涯を共にした者は、当然その王国においてその食卓に飲食し、イスラエルの十二部族を審くであろう(ルカ 22:30)。弟子らの中でも、またイエズスに給仕した女らの中でも、誰が師の左右に坐し、誰が弟子らの首位を占めるかということは非常な大問題であった(マルコ 9:33-41、10:35、ルカ 9:46、22:24)。彼らは知らぬ他人が闖入して、この座席を奪わぬように嫉妬の念をもって警戒した(ルカ 9:49)。さればイエズスに対する熱心と愛と、彼がこの世の来れる神の子キリストにして、永遠の生命の言葉を持てりという信仰と共に(ヨハネ 11:27、6:68)、弟子らはあまり無邪気でない利己心を交え有していたのである。地中に埋没した種子のように、イエズスの教えが豊かな果を生ずるためには、聖霊の降臨が必要であった。

十二使徒の説教、原始的教会

教会は二大事実の下に生まれ出た。二大事実とはすなわち、イエズスの復活と、ペンテコステの日における聖霊の降臨とである。これによって使徒らは別人となって、エルサレム市を驚かした。

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昨日までは卑怯にもユデア人を恐怖(おそ)れて『高間』に身を潜め、門戸を閉ざしていた弟子らがにわかに十字架に磔(はりつ)けられ、死して復活したイエズスを熱烈な口調で説き始め、酒に酔った人のようになった(使徒行録 2:13)。普通の酩酊と違うのはこの状態が使徒らの一生の間継続したことである。衆議所の笞刑も、監獄の鉄鎖も、奴隷の刑罰たる十字架も、劍手の斧も、聖ペトロあるいは聖パウロの勇気を阻むことができなかった。人民一般より尊ばるる律法学士、ガマリエルというラビが『その計画もしくは事業、人よりのものならば崩るべく、神よりのものならば汝らこれを壊すことあたわずして、おそらく神にも逆らう者とせらるべし』(使徒行録 5:38, 39)と言ったその言が実際の試練を受けて、使徒らの復活したるイエズスの新しき記憶に勇気を得て、一生の間、彼らの愛する主のために霊魂をもうけんために働くことを誓い、またこの信仰のために喜んで死についた。これは狂信(ファナチスム)であろうか。狂信者輩には、自己より偉大なる者にすがる単純な謙遜の心はない。狂信者には殉教の願いは押さえることのできぬ熱病である。狂信とはある宗教を信ずる者の病的発揚状態であって『汝らに聴くは、神に聴くよりも神の御前に正当なりや、汝らこれを判ぜよ、けだしわれらは見聞せしことを語らざるを得ず』(使徒行録 4:19, 20)と否定する能わざる事実を平静に証言する証人

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の態度とはぜんぜん異なるのである。一派の学者は幻覚をもってイエズスの復活を説明する。しかしキリストが『五百人以上の兄弟に』(コリント前書 15:6)顕れたのは幻覚では説明ができない。食事をするために集まった頑強な十一人の田舎漢が触れたりさわったりしたのが幻覚であったろうか。また、幻覚ならば『時間』という大きな力には勝てぬはずである。たとえ一時の熱情をまき起こすことが可能としても、果たして一致協力して迫害に打ち勝ってゆく有機的の教団を建設することを得たであろうか。使徒ヨハネの直弟子であったらしい殉教者イグナチウスが、紀元100年の僅か後にスミルナ人に書き送って『復活し給いし後においても、キリストは真の肉身を有し給いしことをわれは知り、われは信ず。彼ペトロおよびその伴侶に来り給いし時のたまわく、われを握り、われに触れ、しかしてわれ肉身なき幽霊にあらざることを悟るべし、と。彼らはただちに彼に触れて、これを信じき。彼らが死を軽んじ、死に打ち勝ちたるはこれがためなり』と言ったが、この方が遙かに使徒の心理を解する者の言である。

ただに聖婦人らのみにあらずして『ケファ(ペトロ)に顕れ給い、その後また十二使徒に顕れ給い、次に五百人以上の兄弟に一度顕れ給い、....次にヤコボに顕れ、次にすべての使徒に顕れ、最後に

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は月足らぬ者のごときわれ(パウロ)にも顕れ』給いしイエズスの復活の事実を基礎として、(コリント前書 15:5, 6)教会はここに生まれ出たのである。芥子種のごとき小さき教会は聖霊の雨に潤うて内部の生命を現にした。ペンテコステの後に、十二使徒は常に信者の集会の首位を占めていた。彼らはイエズスが死者の中より復活し給いたる後、『彼と共に飲食したる者』(使徒行録 10:41)で、他人はあえてこの中に交わる者なく(使徒行録 5:13)十二人中一人の欠員を補わんためには特殊の方法が講じられた(使徒行録 1:15 以下)。しかし使徒行録に現れたペトロの行為と説教とは、彼がイエズスにより与えられし救済と聖寵の生活とに--同じことを語を替えて言えば信者の集団に--可及的多数の人を導こうと努めたことを示している。教会には信者の愛と奉仕との一致協力があった。『信者の群衆は同心同意、一人もその持てる物をおのが物とは言わず、何物をも皆共有にし、使徒らもまた大いなる力をもって、わが主イエズス・キリストの復活を証し、大なる恩寵彼ら一同の上にありき』(使徒行録 4:32 以下)。『人々の見かつ聞ける聖霊』は(使徒行録 2:32)彼らの心を溢るるばかりの歓喜に充たした。キリスト再臨(パルジア)の思想がこの頃あまり表面に現れていなかったのは注意すべきである。もとより人々がキリスト再臨を忘れたのではない。(使徒行録 3:26にはそれに万

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事の秩序回復というほどの意味で触れてある。他の場所、例えば10:42 等においては審判が主要の点となる)。しかし使徒らの証言せんとする大事実はイエズスのメシアたることであった。イエズスのメシアたるはその復活、ならびにその受難さえも証拠である。イスラエルはメシアたるイエズスを信ぜねばならぬ。イエズスの生時におけるがごとく、今や奇蹟と治癒とは使徒らの手によって行われて、これが彼らの言の物的証拠となった。『主よ、今や下僕らに賜うに、御言を憚らず語ることをもってし給い、御手を伸ばして、聖なる御子イエズスの御名によりて、治癒と徴と不思議とを行わせ給え』(使徒行録 4:29, 30)。教会の揺籃時代における説教の内容は、イエズスの時代よりもむしろ単純であった。すなわち旧約の預言の成就と、イエズスの奇蹟とを証拠として、ピラトにより死刑に処せられたるこの人こそメシアにして、死して蘇り、天に昇りて、また再び世界を審判かんために来るべきを告ぐるに止まっていた(使徒行録 2:22、3:15, 21, 26、10:42 等)。イエズスと天父との関係については未だ明瞭なる思索がない。子 Filius, Hyios(son)という字の代わりに、多くは漠然たる Puer, Pais(boy 男子もしくは下僕)という字が使用されて、イエズスが啓示されたおのれと神との間の親密な関係よりも、むしろイザヤのヤヴェの下僕を暗示するくらいで

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である。しかし使徒らの短い護教的説教の中にも、そこここにユデア教のメシアを超越する表現や暗示があった。例えばキリストをさして、生者と死者との審判者となし、神人間の間の唯一の仲介者、万民の救主万物の主なりとなすがごときは、明らかにその神性に対する信仰を示す言である。なおこの他にもキリストは聖霊を派遣し、キリストの名を呼べば病人を癒すことができるというのも、その神性の証拠である。

使徒らの説教のみならず、使徒行録ならびに諸書簡に現れたる信者全体の宗教的生活の内容(祈祷、祭式、内生)を験すれば、この点はさらに明らかになる。使徒の説教と信者の宗教的生活とを互いに比較研究すれば、自ずから発明するところが多い。使徒らはユデア教の信仰中に成長し、もとより厳格な一神教を奉じていた。初代キリスト教徒は最も正統的のユデア人と共に一の真神の他に神あらずと言い(コリント前書 8:4、エフェゾ 4:6)最も頑固のファリザイ派のごとく異教の混入を恐れた(使徒行録 14:11 以下)。しかしここからキリスト教とユデア教との差違が生ずる。ユデア教にはヤヴェの他に何者もない。詩編も讃美歌も栄頌も、ヤヴェ一人に上る。キリスト教は一神教の立場を少しも棄てず、しかも天父なる神と共に、主なるイエズスを讃える。『実にも大いなるかな敬虔の奥義、すなわちキリス

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トは肉において顕わされ、霊によりて証せられ、天使らに現れ、異邦人に伝えられ、世に信ぜられ光栄に上げられ給いしなり』(チモテオ前書 3:16)と言い、『玉座に坐し給うものと羔とに、祝福と尊貴と、光栄と権能と世々に限りなし』(黙示録 5:13)と歌い、また『わが主イエズス・キリストによりてわが救主にて在す唯一の神に、万世の以前においても、今においてもまた、万世に至るまでも、光栄、威光、能力、権能帰す、アメン』(ユダ書 25)と頌(たた)える。この際父と子との従属の関係は忘れられず、子において、また子によって父なる神が讃美せられ、光栄を享けるのである。(ユダ書 25)。父と子とは混同することなく、しかも信者の宗教的生活において異なる両極を作ることもない。父より出で、子を通じて、神の愛は全教会に及ぶ。もっとも、このような信仰は揺籃時代の教会がこれを体得し、これを体験していたまでであって、組織的の教義として数えられていたのではない。キリストの血に浴したばかりの若々しい教会は、成長と征服とに忙しく、教義の系統化には未だ考え及ばなかった。イエズスに関する教会の『実験的』知識はまだ哲学の術語をもって表現される概念となっていなかった。それゆえ新約聖書に、父と子との同質(consubstantialis, homoousios)なる文字はこれを求めることができない。しかし他日、異論が生じた

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場合に、教会はおのれの信仰、祈祷、生活を内省すれば、その内容に異分子を加うることなく、そのままおのれが有する直截の具体的知識を、宗教的真理として定義することができたのである。

かくのごとくに自己の特有の指導者(使徒)を有し、洗礼と聖体(聖餐式)との独特の儀式を具え、かつ特殊の教義を有して、信者間に新しき兄弟的団結を作るに至ったこの教団は、当然早晩伝統的ユデア教より分離すべき運命にあった。しかしこの事情を洞察し得た少数の先覚者はあるいは信者の中にいたかも知れないが、使徒らは最初の中には未だそこまで大胆では無かったようである。ペトロが無割礼の異邦人の上にも、割礼のイスラエル人の上にも、聖霊の等しく降り給うを見て、直ちに異邦人に洗礼を施したのは確かに非常な英断であった(使徒行録 第10, 第11章)。しかしまだ教会内の多数には、キリスト教徒とはより完全なユデア教徒であるとの考えが根強く存在していた。ゆえにパウロとバルナバとが、異邦人を盛んに信者の群に加え出した時、これが兄弟間の問題となり遂にエルサレムの宗教会議となったのである。この日激しき争論の後(使徒行録 15:7)ペトロは立ってパウロを援(たす)けて異邦人の自由、肉によるイスラエルと神のイスラエルとの無関係、律法の業を要せずしてイエズス・キリストの聖寵をもって万人に与えらるる救済の教説を確立した。しかし

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その実行のために広い異邦人の世界に活躍したのは聖パウロであった。

聖パウロの説教

周知のごとくパウロは回心せるファリザイ人である。パウロはかつて律法の厳格なる遵守のために非常の熱情を示した。『わが族中なる同年輩の人々にまさりてユデア教に進み、わが先祖の伝のためにいっそう熱中して奮発しいたりき』(ガラチア書 1:14)と自ら書いているが、けだしその通りであったであろう。彼はキリストに回心の後は、さらにいっそうの熱情をもって、異教より改宗せる新しきキリスト教徒に律法の軛を負わせんとするユデア主義の人々と抗争した。

キリスト教はパウロの見るところでは、ユデア教の完全なる実行の謂いではない。しかし彼の文中の所どころ、特に教会の自由の大憲章とも言うべきロマ書はキリスト教が『霊化せるユデア教』なりとも言うべき印象を残す。『表にしかある人がユデア人たるにあらず、またあらわに身にあるものが割礼たるにあらず』(ロマ書 2:28)ここにパウロの本面目が現れている。彼が神の哀憐によりて義とせらるることを語り、予定を説く時、彼は純乎たるイスラエル人である。古のイスラエル人は肉によって生まれたが、新しきイスラエルは神の不思議な選択で成立する。神は一を選み、他を棄て、一

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を愛し、他を憎む。『書き記して、われイザアクを愛し、エザウを憎めり、とあるがごとし』(ロマ書 9:13)。神は古え、わが民族を哀憐の恩寵をもって多くの民族の中より選み給うた。今もまた新しきイスラエルを世界の中より選み給うのである。この神秘的な教えは聖パウロの性格に不思議なほど一致して、彼はこれに無上の歓喜を覚える。この思想は神に選まれし者にとって無限の愛の源泉となる。おのれの身を顧みれば、おのれ先には冒涜者、迫害者、侮辱者たりしも(チモテオ前書 1:13)今は使徒にして他に勝る奮発家である。彼の信者のことを考えても、彼らはかつて私通者、偶像崇拝者、姦淫者、男色者、盗賊者、貪欲者、酩酊者、侮辱者、略奪者であったが、今は主イエズス・キリストの御名により、またわが神の霊によりてすでに洗い潔められ、聖とせられ義とせられた(コリント前書 6:9 以下)。罪の溢れたるところに、今は恩寵の充ち溢るるを見て、パウロは感謝の念に堪えない。神は万人の上に慈悲を注ぎ給わんために、まず全体を不義の裡に閉ざされたのであった。われらに与えられし義と、ぜんぜん無償的なる神の大いなる愛との追憶は、パウロの光栄である。『ああ高大なるかな、神の富と智慧と知識と。その判定の覚り難さよ、その道の極め難さよ』(ロマ書 11:33)

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救済とはイエズス・キリストとの一致合体に他ならざるを思う時、この解放の喜悦、神愛の認識は人の心にさらになお楽しく、なお甘美となる。イエズスの名はパウロに新世界を開き、パウロは未だなんぴとも語らざりし言葉を操る。パウロはただにイエズスの名を呼ぶばかりでなく、実に万事を『イエズス・キリストにおいて』見る。『それわれ活くといえども、もはやわれにあらず、キリストこそわれにおいて活き給うなれ』(ガラチア書 2:20)とも言う。キリスト教は彼にとってはイエズスにおける生命である。現世にてはその艱難と徳行とにあやかりて、イエズスにおいて活き、来世にては光栄裡にイエズスと共に活きる。『号令、大天使の声、神のラッパを合図に、主自ら天より降り給い、キリストにある死者まず復活すべし。次に生き残るわれらは彼らと共に雲に取り挙げられて、空中にキリストを迎え、かくていつも主と共にあるべし』(テサロニカ後書 4:15, 16)

この大いなる日の後にイエズスと共に活きることの希望はパウロにも他の使徒にも共通であった。この日を待つ間にもイエズスにおいて活きんと言う際のパウロの心理にはむしろ他の使徒と異なる新しいものがある。イエズスは他の使徒らに--肉身におけるイエズスを知っていた人々に--とっては、まず第一に忘るべからざる追憶の対象であり、また再会を希望する対象であった。

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パウロもキリストを見た。これゆえに彼もまた使徒である。しかし彼が見たキリストは復活後、光栄裡のキリストである。『われは自由の身ならずや、使徒ならずや、われ主イエズス・キリストを見奉りしにあらずや』(コリント前書 9:1、なお同 15:3 以下参照)。しかし地上を遍歴したイエズスは彼の知らざるところである。さればキリストを思いて彼の心に浮かぶは、天に坐せる光栄の一面であることが多い。さればこそ彼は『神性は残りなくキリストの中に充満ちて宿れるなり』(コロサイ書 2:9)、『万物は彼において造られ、彼のために造らる』(同 1:16)と教え、また『われらには父にて在す神唯一あるのみ、万物彼によりてなり、われらもまた彼のためなり。また独りの主イエズス・キリストあるのみ、万物これによりてなり、われらもまたこれによる』(コリント前書 8:6)と説く。キリストは神の『神の形にましまして神と並ぶことを盗みとは思い給わざりしも、おのれをなきものとして奴隷の形をとり給いしもの』(フィリッピ書 2:6)、永遠の古より存する真の神にして、時間の中に生まれ給いし真の人である。しかしこのパウロの言葉は、かつてシモン・ペトロが『汝は活ける神の御子キリストなり』と言った告白を他の言葉で言い替えたのに過ぎないのである。

キリストは天に帰った。しかしぜんぜん地を離れたのではない。パウロ一流の言い方をすれば、

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キリストは『教会の形をとって』地にい給うのである。教会が聖パウロの宗教に本質的の意味を有するのは、教会はキリストと別個のものにあらずして、その体であるからである。パウロは『教会およびキリスト・イエズスにおいて』(エフェゾ書 3:21)と言う。キリスト教はイエズスにおける生命なると共に、教会における生命である。あたかも身体に異なる肢あり、一の統治体に異なる任務あるがごとく、各信者は教会の中において一定の位置を有する。『今、汝らはキリストの身にして、その幾分の肢なり。かくて神は教会においてある人々を置き給うに、第一に使徒ら、第二に預言者、第三に教師、次に奇蹟を行う人、その次に病を癒す賜物を得たる人、施しを為す人、司る者、他国語を語る者、他国語を通訳する者を置き給えり』(コリント前書 12:27, 28)。また、キリストは『ある人々を使徒とし、ある人々を預言者とし、ある人々を福音者とし、ある人々を牧師および教師として与え給えり。これ聖徒らのまっとうせられ、聖役の営まれ、キリストの御体の成立たんためなり....真理にありて、愛により万事について頭にまします者、すなわちキリストにおいて成長せんためなり。彼によりてこそ、体全体によりかつ整い、各四肢の分量に応ずる働きに従いて、すべての関節の助けをもって相連なり、自ら成長し、愛によりて成立つに至るなれ』(エフェゾ書 4:11-16)。教会は単一の体である。ゆえにユデア

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人およびギリシャ人の区別も奴隷および自由人の差違もなく、われらは皆同一の霊を享ける(ユデア教におけるがごとく新信者および正信者の二階級はない)。しかし主は一であるが、肢は異なる。実に体の有機的単一性は、肢の異なるを予想するのである。『けだし、身は一の肢にあらずして多くの肢なり、足もしわれは手にあらざるゆえに身に属せずと言わば、果たして身に属せざるか....皆一の肢ならば、身はいずこにかあるべき。今肢は多しといえども、身は一なり。目、手に向かいて、われ汝の助けを要せずと言う能わず....今汝らはキリストの身にして、その幾分の肢なり。かくて神は教会においてある人々を置き給うに、第一に使徒ら....』(コリント前書 12)それゆえにパウロは信者に、相互の愛または尊敬のみならず、従属を勧める(テサロニケ前書 5:12)。勧告にとどまらずして、これを要求する。『汝らが主にあるはわが業ならずや、われたとえ他の人にとりては使徒にあらずとするも、汝らには使徒なり』(コリント前書 9:1,2)。人がイエズス・キリストの生命に与るを得るは、神の霊の働きである(ロマ書 8:9-11)。コリント人が多少これを濫用する者ある時にさえ(コリント前書 14:6 以下)彼は信者に賜る霊的賜物(charismata)の価値をたっとぶ。しかしこのすべてにかかわらず、聖パウロは使徒たるの権威を主張し、霊的賜物の発現にさえ規律を命じ、一の体には異なる肢の間に従属的

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統一を要するを説き、信者の自ら個人的天啓と思いなすものを抑制して、教会の内なる秩序と調和とを支持するのである。

かくのごときはすなわち社会的宗教観に異ならぬ。聖パウロの神学において道徳と世界終末論との間の連鎖となるは、キリストの体たる教会である。教会はすでにキリストによって活きている。教会の生命はキリストである。しかし教会は絶えずキリストの影響をより深く受け入れ、キリストにおいて成長せねばならぬ。主の大いなる日の輝く時、万事は明らかになり(コリント前書 4:5,同後書 5:10)悪は滅ぼされ(テサロニケ後書 2:8)善は栄誉を受け、すべてが須叟にして完成されるであろう。それまでに教会は『キリストをもうけんために』『聖において自らまっとうせねばならぬ』すなわちあらゆる善徳をもって絶えず完徳の道に進まねばならぬ。パウロは偉大なる道徳家である。彼の諸書簡の結末にある勧告は、いずれも平凡単調ではない。彼は常に信者の善意の眼前に極めて明瞭なる理想をかかげる。この理想はキリストの模倣である(コリント前書 11:1,フィリッピ書 2:5)。死して葬られ、また活きて光栄裡にあるキリストのごとくなることである。このキリストの理想以外にはすべてのことは無価値にして糞土に等しい。

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なおここに注意すべきことはパウロのこの理想が同時に極めて豊かな、快き人間味を湛えていることである。教会は本能的に、常に隠約の同情を有して、最も広い意味で、かつ最も高尚な意味での人文主義に傾いている。この傾向を最初に現すものがすなわち聖パウロである。『八日目に割礼を受けて、イスラエル族、ベンヤミンの族、ヘブレオ人よりのヘブレオ人、律法に対してはファリザイ人』(フィリッピ書 3:5)たる彼、パウロが、当時のギリシャ、ローマ文化の愛好者たりしは極めて著しい事実である。彼は比喩を自然界に求めず(旧約の預言者、およびイエズスと異なり)かえって帝国の市民生活にこれを求め、時として彼の演説にアラトス(使徒行録 17:28)メナンドル(コリント前書 15:33)エピメニデス(チト書 1:12)の詩句を引用し、ローマの平和、帝国の秩序を謳歌する。おそらく彼の完徳に関する思想についても、著明なるギリシャ理想の影響を否定することはできぬ。ただにパウロは使徒としてのその一生を偏狭な国民的神学を打破して、律法による救済の形式説を覆し、霊的の自由を説くために献げたにとどまらず、パウロという一個の人間としてもユデア人の鋳型を脱せんと努め、ある程度までこれに成功しているように思えるのである。またパウロにおいて、モイゼが教育したよりも、もっと自由な、もっと教養ある、もっと完全な人類

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に、キリストの福音は働きかけようとしていたとも言える。新しい酒はイスラエルの古い酒袋を出でて、新しい容器を充たさんと求める。パウロの眼は彼の民族以外に、なお愛すべき、より完全な人間の理想を見る。彼が信者に『すべて真なること、すべて尊ぶべきこと、すべて正しきこと、すべて潔きこと、すべて愛らしきこと、すべて好評あること、いかなる徳も、規律のいかなる誉れも、汝らこれを慮れ』(フィリッピ書 4:8)と書き贈った時、彼が夢みていた人間の理想(自然的かつ超自然的)は決してイスラエル人の姿ではない。パウロのごとき生粋のユデア人が旧型を脱せんとする要求を抱き、キリスト教をただにユデア人の完成にとどめず、ギリシャ人の完成と考えるようになったのは、まさに時機の成熟を語るものである。

聖ヨハネ福音書

しかしギリシャ人にイエズスの奥義を完全に説明したのはパウロでなくして、第四福音書の記者であった。記者は自ら救主の弟子、しかもその最愛の弟子であると称している。第四福音書を検討すれば、記者がパレスチナ生まれのユデア人で、その談話は自ら目撃したるところなることは分明であるが、最も信憑に値する古伝によれば、彼は使徒ヨハネで著作の場所はエフェゾ市である。

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『生命の御言につきて、もとよりありたりしところ、われらの聞きしところ、目にて見しところ、つらつら眺めて手にて扱いしところ、すなわち生命顕れ給えり、われらはかつて父の御もとにましましてわれらに顕給いし永遠の生命を見奉り、これを保証しかつ汝らに告ぐるなり』(ヨハネ一書冒頭)。この書簡が第四福音書と同一記者の手になれるは、いかなる批評家も承認するところで、この文がすなわち第四福音書の目的とその特殊の立場とを充分に説明している。すなわちナザレトのイエズスは神の御言葉の顕れにして、世の光かつ生命なりとの義である。このヨハネの思想は決して新約聖書の他の部分とまったくかけ離れたものではない。すでに共観福音書がイエズスは天父の唯一の啓示者なるを教え(マテオ 11:27、ルカ 10:21)天におけるその永遠の前存在を暗示している(マテオ 22:41、46。マルコ 12:35 以下。ルカ 20:41 以下)。旧約聖書中、特に智書の影響の下に、聖パウロは御子を『神の大能、神の智慧』(コリント前書 1:24)『神の像』(コリント後書 4:4、ヘブレオ書 1:3 参照)『見え給わざる神の御像』(コロサイ書 1:15)と呼び、特にコロサイ書およびヘブレオ書においては、万物の創造ならびに支持を彼に帰し、また神人間の唯一の仲介者なりと教えている。聖ヨハネはこの根底の上に、おのれの心に深く秘めたる追憶を加え、天来の霊示をけて、これにロゴス(Logos 御言葉)の

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名を与え、これを定義し、かくてこの点における新約聖書の天啓を完成し、共観福音書に見えたる地上遍歴のイエズスと、聖パウロが好んで教えた天井永遠のイエズスとを結び合わせたのである。

第四福音書の序言の冒頭にあるロゴスすなわち御言葉という名称は、その中に将来のロゴス神学の胚種を含み、また『自然』と『聖寵』との関係に関するカトリック思想の根底となるもので極めて含蓄の多い文字であるが、福音書記者はこの文字を用うるにあたり何を言い現わそうと欲したのであろうか。ロゴスなる名称がそれ以前からギリシャ哲学者間に多種多様の内容を有して存在していたことは、あまねく人の知るところであるが、さてヨハネのロゴスはそのいずれの系統に属するか。いわく、そのいずれにも属せぬところにヨハネのロゴスが他に優れるゆえんがある。そもそもロゴスなる名称は上述のごとく多種多様の内容を有するがゆえに、ユデア人間におけるかのメシアの呼称のごとく、曖昧にして明瞭を欠く概念であった。さればイエズスがロゴスなりとの啓示はそれだけでは理解ができないのである。ギリシャ人のロゴスはあるいは神と世界との中間者、あるいは宇宙に充溢してあらゆる存在を区別しこれを整理する神の理性、あるいは神、あるいは何、或いは何であって、しかも同時に多くの連想を伴

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いて当時の哲学者の心に響き、すべての美しきもの、正しきもの、道理あるもの、善きもの、秩序あるもの、階調あるもの等の漠然たる概念の中心となっていた。いわばロゴスは当時の哲学者の合い言葉であった。第18世紀頃の人の心を『理性』とう文字が捉えたように、また第19世紀の中頃に『科学』という文字が流行したように、また最近『生命』という文字がよく用いられているように、紀元第1世紀末期の哲学者の理想はロゴスという文字の中に漠然と盛られてあった。かかる合い言葉は一時代の理想を概括する。しかしかかる概括はむしろ問題の提供である。かかる合い言葉が暗示に富むはその内容が不定なるがゆえである。万人の追求する解答はその中にはない。しかしこの合い言葉はある解答が万人に承認さるるために取らねばならぬ大体の形態を、あたかも影絵のごとく大まかな輪郭で現している。解答が一般的に成功するためには、この合い言葉に盛られている暗示と概念とをできるだけたくさん取り入れて、しかもこれを一定の明瞭にしてかつ具体的なものとせねばならぬ。しかるに第四福音史家の解答は不思議なほど精密であった。智書をもってする旧約の伝統に忠実に、聖ヨハネはロゴスが神の御言葉なりと教えると共に、ナザレトのイエズスこそすなわち肉となりしロゴスにして、神の唯一の啓示者、神人間の唯一の仲介者なりと指示したのである。か

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くのごとくにして非人格的のロゴスは人格的となり、神人間の中間者は仲介者となり、神の陰影は神の像となり、漠然たる時人の憧憬は一点に集中され、これに加えキリスト教とギリシャ理想との深甚の近似を証したるがために、ギリシャ、ローマ人に対するキリスト教の浸透力を増加した。ロゴスの思想がキリスト教によって聖別されたのみならず、ひとりキリスト教によってのみ始めて明瞭となりかつ完成されたのであるから、当時の人心にキリスト教の価値が非常に増大したのは当然のことである。またもしキリストがロゴスであるならば、キリスト教は単に人間の知識あるいは心情の一隅にのみ限局的に存在すべきはずではない。福音の説教は全体を脹らすに足るパン種である。

、ヨハネのロゴスと当時アレキサンドリア府におけるユデア人フィローン(Philon)のロゴス説との関係は、ルナン(Renan)が第四福音書を評して『フィローン哲学、ほとんどグノーシス派形而上学のただなかにあり』と言い、またヨハネを指して『フィローンに養成せられたる記者』(イエス伝)と言った時分から無数の研究を発表させた。古代哲学におけるロゴス、およびヨハネとフィローンとの比較については、ルブルトン(Lebreton)『三位一体教義の起源』を参照されたい。同氏はヨハネ神学とフィローン神学と相容れざるゆえんを指摘し、ただしその間に何らかの接触点を否定する能わずと注意している。ハルナックはまたその『教理史』において『メシアとロゴスとの合成のごときはフィローンの眼界以外なり』と言い、しかしフ

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ィローン出でて、ヨハネの教説は自然に準備されたと説いている。ロゴスのごとき広漠、豊富、複雑なる思想にあっては、たとえヨハネとフィローンとの概念にまったく相反するところありても、同一思想の雰囲気中にいた両人の間に、何物か一脈の相通ずるところあるは怪しむに足りないのである。

かくてヨハネ福音書の啓示によってキリストのものとなったのは、人間の理性のみでなく、全霊魂である。聖ヨハネは宗教に思索を加味した。しかし彼は宗教を思索的哲学に変化したのではない。共観福音書に現われる歴史的イエズスの面影は第四福音書において希薄にならぬ。慈愛の人にしてかつ権威の人たるイエズスの個性は第四福音書の中でさらに明瞭に、ほとんど誇張に近きまでに表現されている。

仮に第四福音書のインスピレーションは問題外としてしばらく措くとしても、記者がロゴスとメシアとの一致を説き、ギリシャ人の理想とユデア人の理想とを合成したのは、確かに非凡の着眼である。しかもヨハネが説くのは未来のメシア、あるいは理論的のメシアではない。かのナザレトのイエズスをさしてロゴスと言い切るのである。第四福音書はこのこと以外には無意味である。第1ページより最終ページに至るまで彼の記述の筆を導くのはこの観念であって、これがこの書の唯一の存在

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理由であり、意義である。ロゴスという文字が現に書いてあるのは序言だけであるが、ロゴスを説明する『光』または『生命』なる二個の従属的観念を通じて、ロゴスは全福音書を支配する。第四福音書の本文はイエズスの説教または行為によって、『光』あるいは『生命』たるロゴスを説明するだけである。『御言葉は神にてありたり....これがうちに生命ありて、生命また人間の光なりき』(ヨハネ 1:1-4)。特に本書第9章の生来のめしいの奇蹟的治癒の物語はイエズスを『光』として伝え、第11章のラザルの復活の物語は、イエズスを『生命』として示している。

このようにして、ヨハネ福音書は古来人の手になったあらゆる書物の中で、霊と物との最も完全なる融合を示している。『御言葉は肉となりてわれらの中に宿り給えり』(ヨハネ 1:14)すべてがこの一点に尽きる。かくのごとく思索的にしてしかも具体的な宗教観念は、純粋な概念のみでは満足しきれず、眼に見え、手に触れる何物かを求めていた時代の宗教的要求にしっかりとあてはまるものであった。あにただに当時とのみいわんや、この要求は人間の古今東西を通じてその性情より出づる自然の要求である。さればもっとも優れたる神秘家(ミスティック)にしてかつ思索者たるヨハネが、また偉大なる秘蹟崇拝家(サクラメンタリスト)たるは怪しむを要せざるところである。第四福音書第3章は洗礼の必要を説き、第6章は聖体

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の讃美である。ヨハネのごとき型の人には、物質はおのれ自身において価値を有せず、霊の外包となり霊によって駆使せらるる時、始めてその存在の意義を生ずるのである。物質は霊を被覆し、霊はこれに報ゆるために物質にある霊的能力、霊的価値を与える。後年聖イレネウスがグノーシス派異端者に対して『物質も救済に与ることを得』と言ったのもこの意味である。物質世界もロゴスの支配を受け、その代わりに救霊の道具となるというカトリック的信念はその源泉を第四福音書に発するのである。

聖ヨハネの描き出したイエズスは極めてドグマチックで、妥協性のない教えを垂れる。この点でもヨハネは純カトリック的である。共観福音書のイエズスの二大特徴、柔和ならびに権威が第四福音書においてはさらに極端にまで描写されているのはすでに述べた通りである。愛の教えはほとんど単調に近きまでに繰り返される。例えばルカ福音書に現れたるイエズスの愛情もヨハネ福音書の最終晩餐後のイエズスの談話に現わるる愛情の濃やかなるに比すれば劣れるかの感がある。しかしその半面にイエズスの自己主張も同じ比例で劇しくなる。共観福音書のイエズスも誤解を避けることにあまり苦心の姿を見せぬが、第四福音書においては、質問者を軽蔑し、あるいは質問者の疑点に解

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答する代わりに、彼らを躓かせた教えをさらに一段の権威をもって主張して、あたかも故意に衝突を求めているかのように見える。『群衆言いけるは、キリストは永遠にましますとこそ、われらは律法より聞けるものを、汝何ぞ人の子上げらるべしと言うや、人の子とはこれ誰なるぞ、イエズスすなわち彼らにのたまいけるは、光はなおしばらく汝らの中にあり、汝ら光を有する間に、光の子とならんために光を信ぜよ、と。かくのたまいて後、イエズス去りて身を彼らより隠し給えり』(ヨハネ 12:34 以下)『われは光として世に来れり、これすべてわれを信ずる人が闇にとどまらざらんためなり』(同上 12:46)。また『イエズスのたまいけるは、われ審判のためにこの世に来れり、すなわち目見えざる人は見え、見ゆる人はめしいとなるべし』(同上 9:39)。絶対の真理を把持する自信の点において、第四福音書のイエズスよりなおドグマチックの態度は考えることすらできない。

イエズスはかくのごとく絶対の真理を所有する確信を持っていたが、これを他人に承認させるためには奇蹟をもっておのれの天来の使命を証するのである(ヨハネ 14:11)。しかしこの証明を承認するや否やはこれに対する人の道徳的状態に関するのである。善人は神より生まれ、キリストの羊であって、彼らが見て信ずるはその性善なるがゆえである。これに反して悪魔の子はその性悪なる

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がゆえに見もせず、信じもしない。(ヨハネ 10:25 以下)彼らが光に来らざるは真理を行わないからである(ヨハネ 3:20)。それゆえ、キリストおよびその業は、神の子らと悪魔の子ら、光の子らと闇の子らとを分かつようになる。これがすなわち『審判』であって、彼が世に来りし目的でもありまた結果となる(ヨハネ 3:19)。

この点に関する聖ヨハネの思想は、彼の『神の子ら』に関する教えと、世界終末の最後審判に関する教えとに密接な関係がある。

彼の考えでは、善人と悪人との道徳的区別は性の差違である。善人が智慧を有するのは、彼らが神を父として、その裡に父の御種子を有するからである(ヨハネ第一書 3:9、5:20)。これに反して悪人は悪にいる限り神性に与るところなく、彼らの父たる悪魔の性を頒つがゆえに信ずることができない(ヨハネ 8:44)。ここに悪にいる限り、と書いたのは、イエズスがおのれを信ずることをユデア人に勧めているのでも解る通り、人間は悪魔の性を棄てて神の子として再び生まれることができるからである。ヨハネが宿命論を説いたと見るは誤りである。ヨハネのこの教えは後世に『われらを神化する新しき性』として成聖の聖寵(habitual or sanctifying grace)の神学的説明の基礎

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となるものである。

聖ヨハネの最終審判は前に述べたキリストの来臨およびその業により自然に現在行われている『審判』の継続である。『時は来る、今こそそれよ』(ヨハネ 5:25)。ある者はキリストの声に再生を承認し、他の者は盲目と悪魔的偏見との裡にとどまる。この内心の二の態度が白日の中に顕れる時がすなわち世界終末の公審判である。--キリスト教徒とはキリストを信ずる人々、すなわち人となりし真理、すなわち肉身を受けたるロゴスを信ずる人々である。善人がすなわちこれである。キリスト教とは御言葉に与り、御言葉をおのが裡に有することである。この御言葉の内在により霊魂は新しき生命を獲得し、世界終末以前に死する者も、イエズスの再臨までとどまる者も(ヨハネ 21:22)、公審判の日に神の子らたる光栄を享くるに至る。かくのごとくにしてキリスト教の両面たる道徳的生活の教えと世界終末の教えとは同一に帰着する。天国の光栄は現世における神の聖寵と本質的に差別がない。

第四福音書がキリスト教思想の発展に大いなる力があったことを知るには、これをキリスト再臨(パルジア)に関する原始的思想を含む黙示録、ならびに『十二使徒の教え』と比較すればよい。『十二使徒の教え』というのは第1世紀末頃パレスチナにおいて無名の記者に書かれた一部の書であるが、その中にはキリスト再

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臨の希望と道徳の勧告とは有機的連絡なく単に列記されているばかりである。また新約聖書の最終篇たる黙示録にては、キリスト教徒は圧制と艱難に悩む一群の義人にして、審判の日来らば向かう所に敵なき勝利者たる御言葉の勝利により慰藉をうるであろう(黙示録 19章以下)と記されている。

本項に記述したのは聖ヨハネ神学の梗概に過ぎぬ。しかしこれだけでも聖ヨハネの神学がキリスト教思想の発展進化にいかに重大なる貢献をしたかが窺われるであろう。なおカトリック教徒にとっては無上の喜びであり、誇りであると共に、教会以外の人々より見ればカトリックの最も厭うべく、憎むべき二点、すなわちカトリックの秘蹟主義ならびにそのドグマチックの態度が聖ヨハネ神学に最も著明に現れて、しかもヨハネがこれに愛着を示していることも、まことに注目に値するのである。

第I篇 新約時代終わり

以下つづく

作成日:2004年06月07日

最終更新日:2004年06月08日

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