ファチマの聖母マリア

暗闇がわれわれの上に降りている

神がわれわれすべてを憐れんでくださいますように

The Fatima Crusader, Isuue 75, Winter 2004より

ニコラス・グルーナー神父、S. T. L., S. T. D.(Cand.)

あなたの霊魂に対する悪魔の闘いは新しい段階に入った。あなたは今これまで以上に危険の中にいる。私もそうである。神がその強さでわれわれを強めて下さいますように、そして神がわれわれを悪魔の罠についてこれまで以上に注意深くまたこれまで以上に気づかせてくださいますように--個人的にわれわれのために、また教会と全世界のために--.。

私は誇張しているのであろうか? そうであってほしいと思う!あなたは判定者となってほしい、しかしあなたが諸々の事実を考慮して後にそうしてほしい。

私はどのように知っているのか? あなたはまたどのように、われわれがこの新しい、このより危険な段階に入ったということをわれわれに告げることができるのか?

それはこの号において説明されている

あなたはそれを読まなければならない。そして真理で武装しなければならない。あなたの眼をもっと大きく開けてください。私自身、私が情報をよく得ていたと考えていた。しかし私の眼は聖書の預言とファチマの聖母からの預言の再検討と関連させられたこの号における諸々の事実によって私がこれまで可能であるとは考えたことがなかったような仕方で開かれた。

「ただロザリオの聖母だけがあなたたちを救うことができます」と7月13日に聖母は言われた。「太陽を纏った婦人」である聖母、その聖母はルチア、ヤチンタそしてフランシスコに現代においてあらゆる霊魂が直面する最も恐るべき危険について告げられた。

ファチマの秘密の第一部において、聖母は彼らに悪魔たちによって苦しめられ、3人の子どもたちを「恐怖で震え」させた「苦痛と絶望の大声の最中で」火で焼かれている、地獄にいる多くの霊魂の幻視を彼らに示された。聖母はわれわれに現代の多くの霊魂がそこに行くこと、そしてわれわれ自身そこに行かないためにわれわれがしなければならないこと、を告げておられる。

秘密の第二部において、美しい婦人は彼らに全キリスト教世界に対する、そしてそれゆえに、世界のあらゆる国の各々の市民に対する危険について告げられた。聖母は彼らに、善人が殉教し、全国民が絶滅させられ、そして残っている全世界が、アメリカ合衆国を含むわれわれすべてを支配するであろう神なき人々によって圧政の下に置かれるであろうと告げられた。

しかし秘密の第三部は最も恐るべき部分、われわれの眼前に今、今日起こっている部分、教会における背教を予言した部分、上述した第二部よりももっと悪くさえある部分を予告している預言である。

われわれはすでにこの背教に公然と入った。この段階が人類の歴史の中で以前に決して見られなかったような仕方で公的に展開したのはつい昨年の2003年10月13日のことであった。

それはほとんど感知できないものであった。そしてその重要性は私にとってその危険が現在まさにどのようなものであるかを理解するのにおよそ1ヶ月を必要としたものであった。それは今なお展開中である。そしてそれは、もしあなたや私やそして他の数千人の人々が今そして連続的に反応しないならば、今日想像され得ない恐るべき反響(マテオ 24:15-24を見よ)、個人的にあなたに対する反響をを持つであろう。

われわれはこれまで以上のもっと祈りに満ちた者にならなければならない。われわれはロザリオの聖母に助けを求めなければならない。「ただ聖母だけがわれわれを救うことがお出来になる。」

われわれは今目覚めなければならない。われわれは--彼ら自身の永遠の救いのために--他の人々を目覚めさせなければならない。もしわれわれが人々を十分に目覚めさせるならば、もしわれわれが十分に一生懸命祈り、十分に犠牲を捧げ、そして知性的にそして効果的に行動するならば、われわれはまだ危険を避けるであろう。

しかしわれわれは最悪のことのために準備しなければならない。われわれはそれが遅すぎる前の最後の段階にいる。

あなたはあなた自身のために必要な予防手段を講じる必要がある。あなたは第一線から退くことはできない。数十億の霊魂たちがあなた自身の他に危機に瀕している。もし今行動するならば、あなたは勝利する側の価値あるメンバーとなることができる。

われわれがこの新しい段階に入ったということを私はどのようにして知っているか? なぜ私はその日を2003年10月12日--13日と日付設定することができるのか? これらの事実はどのように終わりの時代についての聖書の預言に結びつくのか? それはどのように最後の時についてのファチマの預言と結びつくのか?

あなたがこの号に見るであろうように、起こったことはカトリック教会内部で、ファチマとヴァチカンの両方において、高いそして強力な地位を持つ人々による背教への明白で公然の「公式的な」呼びかけである。

背教とは何か?

背教は聖書に用いられている言葉である。聖パウロはその言葉を反キリストが来る前に最初に起こらなければならないものを記述するために用いている。反キリストは「罪の人」、「滅びの子」、悪魔のすべての勢力、神に反対する諸々の運動、組織そして政府の諸勢力のすべてを導くであろう人間である。

すなわち、すべての世俗的人間主義者たち、フリーメーソンたち、共産主義者たち(中国、キューバ、等々における公然の共産主義者たちならびにますます公然と古いスターリン主義的-レーニン主義的道へと戻りつつあるロシアおよび東ヨーロッパブロックの共産党政権の両方とも)、一つの世界政府、新世界秩序、人間が作った一つの世界宗教タイプ--それらのあるものは神に仕える振りをしているが、実際は自らに仕えるかそれとも悪魔に仕えるかのどちらかである--などである。

そのように「罪の人」、「滅びの子」、「反キリスト」は私室から出て--そして自らを知らせるであろう。彼はイエズス・キリストに反対する合法的な人間的努力のさまざまの部門に基づいたすべての勢力--財政、銀行、産業、外交、政府、軍隊、工業技術、そして同様に他の多くの領域にある人々、多くの法律家、医師、会計士たち--神によりはむしろ第一に金に仕えようとする専門家たち--を結びつけるであろう。

しかし、罪の人が来る前に、聖パウロはわれわれに、最初に背教が来なければならないと告げている。ちょうどイエズス・キリストがこの世にお生まれになる前に--神は人類を、彼らに古い契約、その預言者たち、その太祖たち、その民とその指導者たちをお与えになることによって、準備された--神の啓示をその時まで十分によく生きた民は聖人たちや殉教者たちとなった--そうであったように。その結果、少なくともイスラエルにおける残りの者はキリストが来られた時彼を認めた。そして彼の教えを受け入れた。彼が教えたことをした。そして彼らは今度はそれを世界の残りの者に伝えた。

「神は御自身の民のところに来られたが、御自身の民は神を受け入れなかった。」しかし、神を受け入れた人々(イスラエルの残りの人々)」に「神は神の子らとなる力を与え給うた」。

悪魔は彼の残りの者(数世紀にわたって彼に仕えてきた人々)をわれわれの間に背教を導入するために準備してきた。その結果、悪魔が十分な人々に背教させ、キリストに仕えることをやめさせ、悪魔に仕えることを始めさせたとき、そのとき、悪魔は自分の選んだ人間、反キリストをイエズス・キリストに忠実に従うすべての人々に対する戦争を開始するために、明らかにするであろう。

それゆえ、最初にわれわれは背教、大背教に来なければならない。背教の罪は何か? 背教は分派より以上、異端より以上のものである。背教ははるかに悪い。これら三つのものを説明させてください。そうすれば、あなたはこれらの罪の大きさについてもっとよく理解できるようになる。

分派

分派は恐ろしい罪である。それによって、イエズス・キリストの教会の一致は一人あるいはより多くの霊魂たちによって故意に攻撃される。

われわれはわれわれのカテキズムから、教会の四つの特徴が一、聖、公そして使徒的であるということを知っている。聖書は、われわれが一人の主、一つの信仰、一つの洗礼持っていると告げている。(エフェゾ 4:5)教会はその統治において一なるものであり、そして共同体における一性を持っている。

「分派」という言葉はギリシャ語から来ており、そしてそれは引き裂くということを意味している。分派は、どのレベルにおいてであれ、教会のメンバー--平信徒、司祭、司教、あるいは教皇からさえ--から起こり得る。

普通は、分派は、教会のある人間が彼の上長の合法的な権威を認めることを拒否するときに存在する。合法的な権威に対する不従順の行為は常に一つの罪である--しかしそれは必ずしもいつも分派の行為であるとは限らない。不従順は、主体が、私は私に命令するあなたの権利を、単にある特定の命令においてでだけでなく、まったく、認めないと言うとき、分派の行為となる。

あなたは、私が合法的な権威を強調したことに気づかれるであろう。明らかに、もしそれらを命令する者の権威内でないある命令が与えられるならば、--それに従わないことは不従順でも分派でもない。

ある上長はまた、命令のまさに本性によって信徒たちを彼ら自身の間で闘わせることになるような命令を、あるいは命令の外観を、彼の責任において信徒に与えることによって、分派の罪を犯すことがあり得る。一つの例は、信徒の半分に一つのことをするように告げ、そして他の半分にその反対のことをするように告げることであろう。このことは私の論考「分派と共通善」(The Fatima Crusader., Issue 57, pp.24ff and Issue 59, pp. 35ff)において説明されている。

分派は平和であるべき教会のメンバーたちの間に混乱、不幸そして喧嘩をもたらすがゆえに恐ろしいものである。その平和は天国における教会の平和を反映すべきものである。その平和はその神的使命を持つ教会の内外にいる人々にとって一つのしるしであるべきである。「彼らがお互いにどのように愛し合っているかを見なさい」ということが、カトリック教会が一なる真の教会であるということを非カトリック者たちに示す一つの証拠であることを御自分の教会のためにキリストがお望みになったことである。カトリック教会内部の平和はまたすべてのカトリック教徒にとって慰めと喜びであることが意味されている。

異端

異端はそれが神をもっと公然と攻撃するがゆえに遙かに悪いものである。それは常に分派の行為であり、個人の霊魂にとって悔い改めることがより困難なものである。それはより多くの霊魂たちに衝撃を与え、そしてより長く続く諸結果を持つ。もし異端が癒されないならば、それは背教へと導き得る。分派はそれだけでは背教へは導かない。

異端はそれによって、イエズス・キリストの教えの大部分を真として受け入れながら、それらのうちの一つあるいは二三の教えを拒絶する罪である。異端者は、キリストの教会によって教えられている教義的真理の一つ、あるいは五つ等々以外を私は受け入れると言う。

異端はイエズス・キリストが来られたこと、そしてわれわれに神の道を教えられたことを拒否しない。それはまた、キリストがその方についてわれわれに教えられた一なる神が存在することを否定しない。

しかしながら、過去2000年にわたる諸々の異端は、イエズス・キリスト、聖霊、祝せられたおとめマリア、教会と秘蹟の本性についてあらゆる種類の誤謬を教えてきた。

すでに数百万人の霊魂たちの永遠の運命に影響を与えてきた多くの誤謬、異端が存在してきた。

今日まで異端的な見解を持ち、そしてそのことのゆえにカトリック教会のメンバーではない男女の組織された諸団体が存在している。もし彼らがその状態で死ぬならば、そのとき彼らは天国に行くことから除外されている。

異端は信仰の徳に反する大罪である。なぜなら、それは一人一人の人間から神が教え給うことを信じるべしと要求なさる神の権利を受け入れることを拒否するからである。ある人が異端の罪を犯し、それを公式に撤回せず、それを痛悔しないならば--彼は地獄に行く。もし彼の異端が公のものであるならば--すなわち、彼がイエズス・キリストの教えを彼が拒絶することを他の人々に告げるならば、彼はその異端の公的な撤回をしなければならない。

神はまったく聖なる御方である

神はあらゆる仕方で完全である。神はまったく聖なる御方である。神のうちにはいかなる罪もないし、またあり得ない。神は単に罪のない御方であるだけではなく、聖それ自体である。神はまったく徳に満ちた御方であるから嘘をつくことがお出来にならない。なぜなら、偽りを告げることは罪だからである。神は御自分の完全さにいかなる制約も持っておられない。それゆえ神の精神のうちにはいかなる無知もない。神はいたるところで、すべての時、過去、現在そして未来のすべての事柄を知っておられる。神は全知であり、そして神は嘘をつくことがお出来にならない。それゆえに、神がわれわれに何かあることを告げられるとき、そのときわれわれはそれが真であるがゆえにそれを信じなければならない。われわれは、神が何らかの教えの真理を主張なさるときわれわれを欺くことはお出来にならないしまたそうしようとなさらないということをわれわれが知っているゆえに、それを信じなければならない。

もしわれわれが神を信じないならば、そのときわれわれは神を侮辱するのである。われわれの不信の行為によって、われわれは暗黙のうちに神にこう言っているのである--あなたは無知である、あなたはあなたが知っていると主張している真理を知らない--と。あるいはまた、われわれの不信によって、われわれは暗黙のうちに神にこう言っているのである--あなたは聖なる者ではない、あなたは意図的にわれわれに嘘を言っている、あなたはまったく完全な者ではない--と。

何れの仕方でも、われわれの不信の行為によって、われわれは少なくとも暗黙のうちに神を冒涜しているのである。それゆえ、たとえある異端者がキリストとその教会が教えていることのあるものを受け入れるとしても--彼らはそれでもキリストの教えの他の部分を拒否しているのであり、そしてこれは暗黙のうちにキリストを冒涜しているのである。異端の意図的な行為は常に一つの大罪である。

背教

しかし異端は背教ほどには悪くない。背教は遙かに悪い。背教の罪は、ある人がある時にキリストの教え(少なくともその大部分、あるいはその全部)を受け入れていたのに、今やキリストの教えの大部分を--あるいはキリストの教えの全部を--拒否する決心をするときに、生じる。

背教はかつてキリスト者であった人が今はそれをすべて拒否するときに生じる。彼はそれを彼の信念において拒否する。彼は反キリストの諸々の意見や実践を抱き、そしてまたキリストが教えられた道徳法の多くを拒否する。

もしある人がキリストの教えに一度も出会ったことがなかったならば、そのとき彼は背教者であることはできない。なぜなら、彼はキリストが世にもたらされた光を決して知らなかったからである。彼は背教したキリスト教徒がするすべてのことをするかもしれない。しかし彼の罪は[背教者の罪ほど]大きくはない。なぜなら、神が彼にお与えになった彼の以前の賜物からの彼の転落は[背教者の転落ほど]高くないからである。

背教は一つの罪である。しかし、ただキリスト者だけが背教を犯すことができる。背教は分派よりも遙かに悪い、異端よりも遙かに悪い。「大背教」はただ一人の人間が背教の罪を犯すだけではない。それは、かつて信仰していたカトリック教徒たちの大きな部分が背教の罪に陥り、その中に彼らの心を頑なにし、ついには反キリストを世の救い主として彼らの真ん中に歓迎するとき、生じる。

彼らは反キリストを、彼らを支配する者、世界に平和をもたらす者、従うべき者として歓迎する。背教者として、彼らは、苦痛と死によってすべてのカトリック教徒を撲滅する試みに同意する点にまでさえ、忠実なカトリック教徒の迫害に同意するであろう。

大背教は反キリストが来る前に最初に来なければならない。そして大背教はすでに非常に速い速度で進んでいる。それは1960年以来40年以上にわたってその計画を展開してきた。

大背教は聖書の中に語られているだけでなく、またファチマの第三の秘密においても語られている。ヴァチカンはいまだにこれらの言葉を公表していないが、しかし、それらはそこにある。チアッピ枢機卿は「第三の秘密において、他のこともいろいろあるが、教会において大背教が頂点において始まるであろうということが予告されている」と言った。

われわれはもっと明らかであり得るか?

われわれは第三の秘密が1960年に実現され始めた一つの預言であるということを知っている。この預言はヴァチカンから、そして世界中の他の高い地位にある人々から教会へ入る背教を予告している。このことはフレール・ミッシェルの第三の秘密において、そして悪魔の最後の闘いという書物において説明されている。

われわれは今まさに大背教の初めの段階を経験しつつある。そして急速にその中間の段階に近づいている。

われわれはこのことを知っている、なぜなら:

  1. ファチマ・メッセージは真である。そして神から来たものである。第三の秘密はそのメッセージの一部である。

  2. 第三の秘密は未来を予告する預言である。

  3. それは1960年の終わる前に始まるということを予告していた。

  4. そこで予告されていることは聖母の汚れなき御心が勝利し、そして平和の一時期が世界に与えられるときに終わるであろう。われわれは明らかにまだ全人類のための平和の時期にはいない。

  5. それゆえに、われわれはその預言の真っ只中にいる。

  6. 預言は大背教について語っている。

  7. 預言はこの大背教を促進する教会内で高い地位にある人々に対してわれわれに警告している。

  8. 最近、公然の背教がモンシニョール・ゲッラ(Monsignor Guerra)とヴァチカン内部の彼の支持者たちによって「公式に」促進されてきた。彼らの沈黙によって彼らもまたそれを促進している。

それでは悪魔の計画におけるこの里程標石をわれわれに通過させるために何が起こったのか?

「神の未来」に関する会議

「神の未来」に関する会議が始まったしばらく後に、神に対する公然の戦いが他ならぬファチマ聖堂の役職者たちによって為され始めた。

彼らは彼らの意図を、より高い地位の教会人注2)、リスボン枢機卿大司教、ファチマ司教、ヴァチカン教皇使節、そして--それが何であれ--「諸宗教間対話」を促進しているヴァチカンの大司教の「祝福」あるいは「沈黙」を得て、宣言した。

この会議に関連して、イエズス・キリスト御自身がわれわれに警告なさった、聖なる場所に「荒廃をもたらす憎むべきもの」[マタイ 24:15;マルコ 13:14]を建てる計画が告知された。

教会の歴史において、カトリック聖堂が、王たちの王、主たちの主、神の御子、祝せられた三位一体の第二のペルソナであるイエズス・キリストのみが礼拝されなければならないカトリックの礼拝の場所の中へ異教の諸々の偶像が持ち込まれるように、進行中の基礎において、招待するなどということが述べられたことは以前には一度もなかった。イエズス・キリスト--われわれの忠誠、われわれの礼拝そしてキリストへの信仰について妬み深い方である--はいかなる敵対者をも受け入れられないであろう。

このファチマ聖堂のこの背教的な管理者によって、この聖なる場所においてキリストに差し出された無謀さ、はなはだしい侮辱--これは神に対する一つの奉仕であり、祝せられたおとめの意志であるという提案--は冒涜的、異端的、分派的なものそして背教--そのそれぞれが地獄の火に値する--である!

われわれは力強くまた即座に背教を拒否しなければならない

異教徒たちを、そして他の偽りの諸宗教を彼らの偽りの神々を礼拝するため、あるいは神に喜ばれない諸々の仕方で神を礼拝するために、ファチマの聖なる場所の中へ招くことは、われわれが--まだ時間のある間に強力にそして即座に--それを拒絶しないならば、成熟した背教が背後に遠くないというしるしである。

私はあなたに、そしてすべてのカトリック教徒に、そして善意の人々にこのことを理解することができるようにすることができる恵みを願って一生懸命に祈った。あなたが永遠にわたる地獄の穴の中へと誘い込む催眠術をかけられないように、あなたのカトリック信仰を理解しそれを生きることの極度の重要性を、私は十分に強調することができない。どうぞ、あなたの霊魂のため、そしてあなたの愛する人々、あなたの隣人たちの霊魂のために、もしわれわれが、世界中の神の子らの生命と霊魂がどうなるか分からない状態に置かれていることを十分に明らかにしてこなかったならば、われわれに電話か手紙をください。

あなたと私は一緒に、われわれの家族や友人たちが屈しつつある偽りのヴェールを取り払うために助け合わなければならない。キリストの一、真、聖、公、使徒的教会の霊魂を救う諸真理を彼らの目が見、耳が聴くことを助けよう。

現在の危険の前で彼らもまた他のカトリック教徒たちも盲目のままとどまったり、あるいは無知であったり、あるいは怠慢であったりすることがないように祈りと犠牲を捧げよう。もしわれわれがわれわれのすべきことをしないならば、われわれは彼らの感覚や彼らの心が世間、肉そして悪魔のやり方で散乱させられ続けるからして、彼らのうちの多くの者が理解することができず、主に回心することができないことを恐れる。

イエズスは聖書の預言においてわれわれに警告された

イエズスは言われた。「預言者ダニエルによって言われた『荒廃をもたらす憎むべきもの』が、聖なる場所に立つのを見たならば、--読む人は悟れ--そのとき、ユダヤにいる人は山に逃げよ」(マタイ 24:15-24およびダニエル 9:27)。

聖堂役職者たちの悪魔的計画はまだまだ完全にはやり遂げられていない。--しかし、もしわれわれがわれわれの祈りによって、われわれの効果的な抗議によってそれを止めないならば、そしてそのような背教を促進する背教的な「カトリックの」集金箱に施しをすることを止めて、代わりに忠実なカトリックの諸組織に施しをしないならば、それはやり遂げられるであろう。

理解し、情報を知り、祈りそして行動することがあなたにかかっている。さもなければ、われわれはわれわれのまさに生命のために、もう間もなく逃げなければならないであろう。この論考はシスター・ルチアによってさらに説明される。p.50の「われわれの世界の最後の時」を見よ。

脚注

1. See Sister Lucy's conversation with Father Fuentes in Frere Michel de la Sainte Trinite , The Third Secret,(Buffalo: Immaculate Heart Publications, 1990)pp. 503 - 510. See also William Thomas Walsh, Our Lady of Fatima,(New York: Doubleday, 1954)p. 221; Louis Kaczmarek, The Wonders She Performs,(Manassas: Trinity Communications, 1986), pp. 151-160; and Memorias e Cartas da Irma Lucia,(Porto, 1973)pp. 340-341.

2. See John Vennari's article on page 16 and Chris Ferrara's article on page 8 of this issue.

2004/04/12 三上 茂 試訳

作成日:2004/04/12

最終更新日:2004/04/12

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