ファチマの聖母マリア

マリアへの信心--救いへの大いなるしるし

The Fatima Crusader, Isuue 58: Autumn 1998より

ラリー・ウェッシントン

救いの最も偉大な手段の一つはいとも祝せられたおとめマリアへの信心である。聖人たちは「マリアへの信心深い依頼人は決して滅びないであろう」と言うことにおいて一致している。聖トマス・アクィナスは「そうでなかったらそこに居なかったであろう多くの霊魂たちがマリアの祈りを通じて今天国に居る」と言った。マリア御自身がわれわれにそのロザリオの約束の一つにおいて聖ドミニコに「私のロザリオの信心は救いの大いなるしるしです」と保証しておられる。これはなぜなのか?

われわれは自然の秩序のうちに、神が最初に世界の中に実のなる木を植えられ、そしてそれから実が木を通して世界の中へ来るということを見る。聖パウロはローマ人への手紙1:20の中で神の霊的世界は神が創造なさった目に見える事物を通じて見られるとわれわれに告げている。「なぜなら、神の目に見えない事柄は世界の創造の時から、造られた事物によって明らかに見られ、理解されているからである...」聖書は、イエズスはマリアの実であったとわれわれに明らかに告げている。「あなたの胎の実は祝福されている」ルカによる福音書1:42。ところで、神が生命そのものの実、イエズスを世界に遣わすことを御計画になったとき、神は何をなさったか? 神はまず世界の中に霊的な木であるマリアを植えることによって始められた。そしてわれわれは、自然の秩序において、もしわれわれが木を切り倒せば、実を切り落とすことを知っている。それゆえ、聖人たちはわれわれに「生命の実、すなわちイエズス・キリストを持つことを望む者は生命の木、すなわちマリアを持たなければならない」と告げるのである。

ところで、木はよい実をつけるためには何をしなければならないか? それは良い土地に植えられなければならない。それは栄養を与えられ、神の力によって強められなければならない。さて良い土地とはマリアがそこに植えられなければならないわれわれのあらかじめ定められた霊魂である。この木はマリアに対するわれわれの愛と信心によって神の霊によって栄養を与えられなければならない。そしてこのようにして、生命の実であるイエズスはそこで栄えられるであろう。これは大いなる神秘である。そしてわずかの人しか理解しない神秘である。しかし聖書はわれわれに、マリアはわれわれ、選ばれた者--それはヤコブによって象徴されている--「私はヤコブを愛しエザウを憎んだ」(ローマ人への手紙9:13)--のうちに根づかなければならないと告げている。

ここに教会がマリアに適用している聖書がある。「それからすべての事物の創造主は命令され、私に言われました:そして創造主は私(マリア)を造られ、私の聖櫃に休まれました(私の胎内に住まわれました)。そして創造主は私に言われました:あなたの住まいはヤコブ(選ばれた者)のうちにあるように、そしてあなたの遺産はイスラエル(神の民)のうちにあるように、そして私の選んだ者のうちに根づきなさい」(シラの書24:12-13)。「そして私は光栄に満ちた民のうちに、そして私の神の分け前のうち、神の遺産のうちに根を張った。そして私の住まいは聖人たちの集まりでいっぱいである。」(16節)「私は公正な愛(「愛である」イエズス 1ヨハネ4:16)の母です。そして恐れ、知識、聖なる希望の母です。私のうちには道、真理(「道、真理、生命」であるイエズス、ヨハネ14:6)のすべての恵みがあります。私にうちには生命と徳のすべての希望があります」(シラの書24:24-25)。そしてもし生命の実であるイエズスがわれわれの霊魂のうちに繁茂されないならば、われわれはどのようにして生命を持つことを希望し、有徳的であることができるだろうか? そしてそれから彼女は彼女からイエズス・キリストの恵みを受けるために来るようにわれわれを招かれる。「わたしのところへおいでなさい、私を望んでいるあなたたち皆、私の実を十分にお取りなさい」(第26節)

これが、霊魂たちへの彼女の数多くの御出現において、彼女が絶えずわれわれにロザリオを祈るように勧められる理由である。これが、1917年ポルトガル、ファチマで、教会によって認められ、1917年10月13日の偉大な奇跡によって神御自身によって認められた[聖母マリアの御出現があった]理由である。聖マルコ 16:20。また、多くの預言の実現によって確証された、聖ヨハネ 14:29。これがマリアが子どもたちに次のように告げられた理由である:「霊魂たちを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心への信心を確立することを望んでおられます。もしあなたたちが私の言うことをするならば、多くの霊魂が救われるでしょう...」神は、私が今聖書から証明したように、われわれの救いのためにマリアをわれわれの霊魂のうちに根づかせることを望んでおられる。これが、聖アルフォンソ・リグオリが「マリアへの信心はわれわれの救いのために道徳的に必要である」と言われる理由である。これが、聖ルイ・ド・モンフォールが「ある人が天使祝詞とロザリオの祈りをするかどうかということよりも、その人が神のためにいるかどうかを知るよりよい方法を私は持っていない」と言った理由である。これが、あなたがカトリックであろうと、あるいは非カトリックであろうと、もしあなたが救いを予定された者の一人でありたいと望むならば、毎日天使祝詞とロザリオの祈りをすべきである理由である。たとえあなたが非カトリックであるとしても、あなたはファチマのメッセージに親しむべきである。なぜなら、教皇ヨハネ・パウロ二世は「ファチマのメッセージはあらゆる人間に宛てられたものである」と言われたからである。

十字架の下で彼自身の母としてマリアを最初に委託される特権を得た使徒聖ヨハネが彼の福音書の第1章において(11-12節)ロザリオの諸玄義の要約をわれわれに与えているということに注目することはまったく興味深いことである。ロザリオ全体は諸々の玄義の三つのセットを持っている:喜びの玄義、これはイエズスがこの世に来られることを記念する。悲しみの玄義、これはイエズスの御受難と御死去を記念する。栄えの玄義、これはイエズスの御復活と御昇天、聖霊降臨、マリアの被昇天と戴冠を記念する。聖ヨハネはこう言っている:「彼は御自分の家へ来られた」(喜びの玄義);「世は彼を受け入れなかった」(悲しみの玄義);「しかし彼を受け入れたすべての者に彼は神の子となる力を与えられた」(栄えの玄義)。聖ヨハネはロザリオについて知っていたのだ。

マリアの祈りはわれわれに憐れみを与えるために、あるいはもしそのようなことが必要であるならば、イエズスに和解させられるために、その御子の心を動かすことにおいて、あるいはイエズスの恵みのうちに我慢することにおいて、強力である。聖ブリジット( St. Bridget)はかつて幻視の中でイエズスがマリアにこう言っておられるのを聴いた。「あなたが望んでおられることを私に願いなさい。あなたは地上において私に何も拒否されませんでしたので、私は天国であなたに何も拒否しません。」われわれはこのことを聖書、聖ヨハネ 2:1-11のうちに見る。そこでは、マリアは結婚する二人のために取りなしをなさる。イエズスは今はまだ自分の時ではないと言われる。全永遠からイエズスはこれが奇跡を働き始める時であるべきだと定めておられなかった。しかしそれにもかかわらず、マリアの祈りで、水はぶどう酒とされた。そしてイエズスは彼らの必要のために準備なさる。イエズスは御自分の時がまだ来ていなかったとしても拒否なさらなかった。イエズスはマリアのために御自分の神的意志の道筋を変更なさった。そしてもし、不幸にして、あなたが道を間違っているならば、あなたがマリアに献身する意志さえあれば、イエズスは道筋を変更なさるであろう。

1600年代のスペイン、アグレダの尊者マリア(Venerable Mary of Agreda)への啓示である神の神秘的な都市という書物においてこう言われている。キリストの御昇天の少し前にマリアは天使たちと聖人たちの聖歌隊の真ん中で聖三位一体の幻視を持った。アグレダのマリアは三位のペルソナが聖なる天使たちと聖人たちの聖歌隊に宛ててこう言われるのを聴いた。「これは天と地におけるすべての被造物の女王である;(ああ、神よ、あなたの王座は代々とこしえにあり...あなたの右にはオフイルの黄金を飾った王妃がいる。詩編 44:7, 10)彼女は教会の保護者、被造物の女王、信心の母、信徒の仲裁者、罪人たちの代弁者、美しい愛と聖なる希望の母である。彼女はわれわれの意志を憐れみと寛容へと引き寄せることにおいて力強い。彼女のうちにわれわれの恵みの宝が蓄えられるであろう。そして彼女の最も忠実な心はその上にわれわれの聖なる法律が書かれ、刻まれる銘板となるであろう。彼女のうちに人類の救いのために、われわれの全能なる御者の諸々の神秘が含まれている。彼女はわれわれの手の完全な作品である(私の雌ばとはただ一人、私のまったき者はただ一人...娘たちは彼女を見た。そして彼女が最も祝福されていると宣言した...雅歌 6:8)その御方を通じて、われわれの望みの充実がわれわれの神的完成の流れにおいて妨げなしに伝達され、満たされるであろう。心から彼女に訴える者は誰でも滅びないであろう。彼女のとりなしを得る者は誰でも自分自身のために永遠の生命を確保するであろう。彼女が私たちに求められることは叶えられるであろう。そしてわれわれは常に彼女の要求を聞き、彼女の意志を満たすであろう。なぜなら、われわれを喜ばせるものに完全に御自身を奉献されたからである。

彼女を愛し、彼女に栄誉を帰すよう、そして彼女に忠実に呼び求めるようあなたを励ますために、次の物語はわれわれの霊魂に対する彼女の力と心配を示す一つのすばらしい物語である。

エルサレムにおいて最初に回心し、洗礼を受けた5000人の人々の中に、また貧しく卑しい家柄の一人の若い女性もいた。この若い女性は彼女の家政の諸々の義務で忙しく働いていて病気になり、何日もの間改善しないまま病気が長引いていた。他の多くの霊魂にも起こるように、彼女はそのことのために彼女の最初の熱心から脱落した。そして彼女の怠慢によって彼女の洗礼のときの恵みを危険にさらすいくつかの罪を犯した。霊魂の破滅に対する渇きにおいて決して力を抜くことがないルチフェルはこの女性に近づいた。そして最も獰猛な残酷さで彼女を攻撃した。このようにしてルチフェルは、神のより大きな栄光のためそしてそのいと祝せられた御母の栄光のためにそうすることを神に許されたのである。悪魔は別の女性の形で彼女に現れた。そして大変な甘言でもって彼女に十字架につけられた方を説教していた人々から引き下がるよう、そして彼らが言ったことを信じないように告げた。なぜなら、それはみな虚偽だから、と。もし彼女がこの忠告に従わないならば、彼女はその新しいそして偽の宗教の教師を十字架につけた祭司たちと判事たちによって罰せられるであろう、それに反して、もし彼女が従うならば、彼女は平和に、そして危険から解放されて生活するであろう、と。その女性は答えた:「あなたの言うことをします。しかし、私がこれらの男女と一緒に見た、そして非常に親切で平和に満ちているように見えるあの婦人については私はどうすればよいでしょうか? 私は彼女の善意をとても望んでいます。」悪魔は答えた:「おまえが言ったその者は他の残りの者よりも悪い。そしておまえは何にもまして彼女を避けなければならない。おまえが彼女の罠から引き下がることが最も大切だ。」

古の蛇のこの致命的な毒で荒らされて、この単純な鳩の霊魂は永遠の死の近くへと連れて行かれた。そして彼女の身体は、救い出される代わりに、より重い病気に落ち込み、早すぎる終りの危険にあった。信徒を訪れていた72使徒の一人がその女性の危険な病気について知らされた。なぜなら、彼女の隣人たちから、彼はその家に住んでいる彼自身の隣人の一人が死の間際にいると聴いたからである。使徒は彼女を訪れ、彼女の必要に応じて彼女を励ますために部屋の中に入った。しかし病気の女性は悪魔によってそのように罠にかけられていたので、彼を受け入れなかった。あるいは、彼が熱心に勧め、彼女を教えようと努めたけれども、一言も彼に答えなかった。反対に、彼女は彼の言うことを聴かないために隠れたり、彼女の耳を閉ざそうと努めた。これらのしるしから、使徒は、その原因が何であるかを知らなかったけれども、この霊魂の差し迫った危険を見た。彼は熱心に使徒聖ヨハネに報告するために急いだ。使徒聖ヨハネは遅れずにすぐ患者を訪ね、彼女に、もし彼女がただ聴くならば、永遠の生命の言葉を彼女に忠告し、話した。しかし彼女は彼を前の弟子と同じ仕方で、遇し、両者の努力に頑固に抵抗した。使徒は悪魔の多くの軍団がその女性を取り囲んでいるのを見た。そして彼らは彼が近づいたとき退いたけれども、直ぐ後には、彼らがその不幸な女性を満たしていた幻影を更新することに失敗しなかった。

彼女の頑固さを見て、使徒は大きな苦悩のうちに助けを求めるためにいとも祝せられたマリアのところに行った。直ちに偉大な女王はその内的な目を病気の女性に向けられた。そしてマリアは敵がその霊魂を引き込んだ不幸なそして危険な状況を認められた。親切な御母はこのように血に飢えた地獄の狼によって欺かれたこの単純な羊を嘆き悲しまれた。そして床にひれ伏して彼女の救いのために祈られた。

いとも祝せられたマリアはしばらくの間この嘆願を続けられた。しかし、マリアは、彼女の無敵の心と彼女の隣人に対する愛が試されるために主から何の答も受け取られなかった。いとも賢明なおとめは預言者エリゼオ(列王の書下 3:34)に起こったことを思い出された。エリゼオは少年を蘇生させるために彼の下男のゲハジと共に彼の杖を送ったが無駄であった。そして彼は少年を生き返らせるためには彼自身が触れ、少年の身体の上に彼自身の身を伏せなければならないということを見出した。天使も使徒もその不幸な女性を罪から、そして悪魔の麻痺から目覚めさせるほどに十分強力ではなかった。それゆえに、偉大な聖母は行って彼女を個人的に癒そうと決心された。聖母はこの決心を祈りの中で主に推薦された。そして、どんな答も受け取られなかったけれども、仕事それ自身が事を進めるための十分な保証であると考えられた。それゆえ、聖母は部屋を出るために起きあがり、聖ヨハネと共にセナクルからかなりの距離にあったその病気の女性の住まいに歩いて行かれた。しかし聖母が一歩を踏み出されるとすぐに、聖なる天使たちが主の命令で途中で彼女を連れて行くために近づいた。神はその意図を明らかにされなかったので、聖母は天使たちがなぜこのように彼女を引き留めるのか、彼らに尋ねられた。それに対して彼らは答えた。「私たちがあなたをもっと礼儀正しくお連れすることができるときに、なぜ街までのあなたの歩行に同意すべきか、その理由がありません。」直ちに彼らは彼女を輝く雲の玉座に乗せた。それに乗って彼らは彼女を連れて行き、彼女を病人の部屋に置いた。死にかかっている女性は、哀れで今や言葉もなく、すべての者から見放され、ただ彼女の霊魂をひったくろうと待っている悪魔たちによってだけ取り囲まれていた。

しかし天使たちの女王が姿をお見せになるとすぐに、すべての悪霊たちは電光のひらめきのように、そしてあたかも先を争ってうろたえるかのように、消え去った。力強い女王は彼らに地獄に下り、彼女が出てくることを許すまではそこにとどまるようにお命じになった。そしてこのことを彼らはわずかの抵抗の力もなしにするように強いられた。いとも親切な御母はそれからこの病気の女性に近づき、その手を取ってその名前を呼び、生命の最も甘美な言葉をかけられた。直ちに完全な変化がその女性の上に起こり、彼女はより自由に呼吸をし、そして快復し始めた。それから彼女は天のマリアに言った。「聖母様、一人の女が私のところに来て、イエズスの弟子たちが私を欺き、彼らとあなたから直ぐに離れた方がよい、さもないと、もし私が彼らの生き方を受け入れるならば、私は大きな不幸に落ちるだろうと、信じるように私を説得しました。」女王はお答えになった。「娘よ、あなたに一人の女性と見えた彼女はあなたの敵、悪魔だったのです。私はあなたに永遠の生命を与えるためにいと高き御者の名において来ました。あなたが受けたその御方の真の信仰に立ち戻りなさい、そしてあなたの心を尽くしてあなたの神、救い主である御者に信仰告白をしなさい。その御方はあなたの救いと世のすべての人々の救いのために十字架の上で亡くなられました。あなたの罪の赦しを求めてその御方を礼拝し、その御方に呼び求めなさい。」

患者は答えた。「このすべてのことを私は前に信じていました。しかし彼らが、それは非常に悪い、そして彼らはもし私がそれを告白しようものなら私を罰すると私に言いました。」天の教師[であるマリア]はお答えになった。「友よ、この欺瞞を恐れてはいけません。しかし次のことを覚えておきなさい、真に恐れるべき懲罰や苦痛は地獄の懲罰や苦痛です。悪魔たちはその地獄へあなたを連れて行こうと望んでいるのです。あなたは今死の非常に近くにいます。そして、もしあなたが私を信じさえするならば、あなたは私が今あなたに与える薬を役立てることができます。そしてあなたはあなたの誤りのゆえにあなたを脅かしている永遠の火からあなた自身を解放するでしょう。」マリアによってこの哀れな女性のために注がれたこの勧告と恵みを通じて、彼女は悔恨の涙をたくさん流し、祝せられた婦人にこの危険においてさらに助けてくださるように懇願し、その御命令にすべて従う用意があると宣言した。次に愛すべき御母は彼女にイエズス・キリストへの信仰を公に告白させ、告解のための準備において痛悔の行為を引き出された。同時にマリアは彼女に秘蹟を執行するために使徒を遣わされた。病気のその女性は痛悔と愛の行為を繰り返しながら、そして彼女を指導しておられたイエズスとマリアに慈悲を祈りながら、彼女の保護者[であるマリア]の腕の中で幸せに息を引き取った。

あなたの救いのために少なくとも1日に3回天使祝詞を唱えなさい。ポート・モーリスの聖レオナルド(St. Leonard of Port-Maurice)はすべての大罪を避ける恵みを得るために朝と夕に3度天使祝詞を唱えた。そして彼は、ある特別の仕方で、この実践に絶えず忠実であると証明されたすべての者に永遠の救いを約束した。

2004/03/21 三上 茂 試訳

作成日:2004/03/21

最終更新日:2004/03/21

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