ファチマの聖母マリア

悪魔の最後の戦い

われわれの時代のための黙示録的解答

ローマ、グレゴリオ大学から神学と哲学の博士号を取得し、ローマ、マドリードおよびリスボンで神学の教授であったホアキン・アロンソ神父(上の写真)は批判的で決定的なファチマの研究を準備するためにファチマの司教によって指名されて、16年間ファチマでの公式文書保管人であった。彼はおそらくわれわれの時代の最も優れたファチマに関する専門家である。にもかかわらず、オランダ・カテキズムの著者の一人であり、またファチマ・メッセージの価値を低めようとする努力によってまぎれもない経歴を作り出したエドゥアルド・ダニス神父は2000年6月26日の文書ファチマのメッセージにおいてラッツィンガー枢機卿によって言及された唯一のファチマ「専門家」であった。

アロンソ神父はファチマのただ一人の生き残りの幻視者シスター・ルチアと多くのインタビューを行った。彼は、シスター・ルチアによれば、われわれにこう告げている。「ロシアの回心はロシアの人々がソビエト人民のマルクス主義的無神論を拒否して、ロシア正教に立ち戻ることに制限されるべきではありません。むしろ、それは純粋に、端的にそして単純にキリストの唯一の真の教会、すなわちカトリック教会へのロシアの全体的、完全な回心のことを指しています。」

第5章 一つの動機が現れる

われわれが序論において告発したように、この書物においてわれわれが証明しようと意図している教会と世界に対する犯罪は、「このメッセージ -- ファチマのメッセージ -- の真正性を、その不安にさせる諸々の預言がまさにわれわれの眼の前で実現されつつあるときにさえ、隠し、故意に誤り伝えそして否定しようとする1960年以来の一つの組織的な試み」を含んでいる。

しかし教会における権威の最高の地位にある人々はなぜそのような犯罪を犯そうとしたのであろうか? アリストテレスが述べたように、ある行動を理解するためには、動機を見なければならない。それがこの章でわれわれがしようとしていることである。

確かに、動機を証明することは常に困難な仕事である。なぜなら、人は他人の精神を読みとることはできず、彼の霊魂の状態を判断することはさらにできないからである。動機に関して一つの結論に達する際には、あなたは、単に民法上の訴訟における陪審員のように、周囲の諸状況の光に照らして、被告の外的な諸行動にあなたの決定を基づかせることができるだけである。ある陪審員が、例えば、ある男が保険金を得るという動機で自分の妻を殺したということを見出すとき、周囲の諸状況から引き出されたしかるべき推論に基づいてその動機を見出そうとする。そのような場合にその殺人者が公然と「私は保険のために彼女を殺した」と認めることは稀であろう。その代わりに、動機は、夫の最近の、妻に対する非常に高額の保険手段の追求というような事柄から推論されるであろう。

ところで、われわれの仮定的な事例における夫が金のために自分の妻を殺す意図を隠したと諸状況から推論することで、誰もある陪審員を「軽率な判断」のゆえに非難しないであろう。ファチマの場合にもまた、動機は諸状況から推論され得る。被告人たち自身が言ったりまた為したことに基づいて動機について道理を弁えた結論に達することは「軽率な判断」ではない。さらに、この事例においてわれわれが論証するであろうように、われわれは動機に関して自白に匹敵するものを持っている。被告人たちは彼らが承認することそして彼らが問題になっている犯罪に関して意図していることについてまったく明白であった。

教会の新しいそして破滅を招く方向づけ

われわれが序論において告発したように、この場合における動機は、伝統的な意味において理解されたファチマのメッセージがカトリック教会の方向全体を変えるという第二バチカン公会議以来彼らが行った決定とは一致させることができないという被告人たちによる認識から生じている。すなわち、メッセージはまさに未来の教皇ピオ十二世が彼の超自然的な明白さの瞬間において予見したこと;教会を世界の方向へと向かった制度へ造り変えること、をしようとする彼らの努力の邪魔になっているのである。カトリック司祭職において現在荒れ狂っているスキャンダルはカトリック教会を「現代風にする」ためのこの破滅を招く努力の単に一つの徴候にしかすぎない。それを示すもう一つのやり方は、カトリック教会の現在の状況が前例のないリベラリズムによる教会の侵略の結果であるということである。われわれはもう一度、ファチマのメッセージの光に照らして発せられた、モンシニョール・パチェッリ(未来の教皇ピオ十二世)のあの預言的な言葉を思い起こす:

私はファチマのルチアへの祝せられたおとめのメッセージのことを心配している。教会を脅かしている諸々の危険についてのマリアのこの固執は教会の典礼、教会の神学、そして教会の魂における信仰を変える自殺行為に対する神の警告である...私は私の周りすべてで聖なる聖堂を解体し、教会の普遍的な炎を消滅させ、その装飾を拒否し、そして教会の歴史的過去のために教会に罪悪感を感じさせることを望む革新者たちの声を聞く。

文明化された世界がその神を拒否する日、ペトロが疑ったように教会が疑う日が来るであろう。教会は人間が神となったと信じるよう誘惑されるであろう。われわれの教会の中でキリスト者たちは神がそこで彼らを待っておられる赤いランプを探すが無駄であろう。空の墓の前で泣いているマグダラのマリアのように、彼らはこう尋ねるであろう:「彼らは主をどこに連れて行ったのか?」と。

序論においてわれわれはまた、教会におけるこの大きな方向の変化 -- 「教会の典礼、教会の神学、教会の魂」における変化、と未来の教皇ピオ十二世が言われたように -- が数世紀にわたって教会に対して陰謀を企ててきた組織的な諸勢力の長い間温めてきた目標であったということを述べた。それは、1917年にポルトガルにおいて働いていた勢力、しかし1931年にマリアの汚れなき御心へのその国[ポルトガル]の奉献によって拒絶されその同じ勢力である。世界中のこれらの勢力を拒絶することは神御自身がロシアの奉献を命じるためにファチマに神の御母を遣わされたまさに理由であった。これらの勢力は間もなく教会に対する悪魔の長い戦いの主要な武器となるはずであった。実際、現代における教会に対する戦いの結果はファチマ・メッセージの実現に関する勝利次第である。

この場合における動機 -- すなわち、ファチマのメッセージを排除して一つの新しい方向を教会に押しつけたいという欲求 -- の証拠を提出するために、われわれはかなりの歴史的背景が必要であるが、われわれはそれを今提示しようとしているのである。この背景は単にカトリック教徒にとってばかりでなく、またバチカン公会議以来カトリック教会に何が起こったかを理解することを求めている非カトリック者にとっても興味のあるものであろう。

組織されたフリーメーソンの目標: カトリック教会の力を無効にし、「道具化する」こと

1917年のポルトガルの例で見たように、フリーメーソン(および彼らの共産主義者の仲間の同行者たち)の勢力はファチマのメッセージがポルトガルにおいてその実現を見ることを妨げようと共謀した。メッセージはインチキあるいは子どもじみた妄想と呼ばれた。幻視者たち自身は迫害され、死をもって脅迫されさえした。そのようなものがカトリック教会そしておとめである神の御母に対するこれらの勢力の憎しみであった。

そして今日世界全般においてこれらの勢力は同様である。人は1960年以前にはそのことを知るために陰謀理論の熱狂的な沼地の中へ降りて行く必要はない。諸教皇はフリーメーソンと共産主義者たちの教会に対する陰謀について、教会史の中で他のどの単一の主題よりも多くの非難や警告を発した。

この点に関しては、二十世紀におけるカトリック教会の侵入と破壊のための全体計画を立てたフリーメーソン文書、悪名高いPermanent Instruction of the Alta Vendita[アルタ・ヴェンディタの永遠の教え]を考察しないわけにはいかない。注1)そのような陰謀の存在を嘲笑することが第二バチカン公会議以来流行となってしまったけれども、アルタ・ヴェンディタ(イタリアの秘密結社)の秘密文書 -- 永遠の教えを含む -- が教皇グレゴリオ十六世の手に入ったということは注目されなければならない。永遠の教えは福者教皇ピオ九世の要求でクレティノー・ジョリ枢機卿によって、彼の著作ローマ教会と革命 The Roman Church and Revolution の中で公表された。注2)(著者に宛てられた)1861年2月25日のその称賛の手紙によって、教皇ピオ九世は永遠の教えや他のフリーメーソン文書の真正性を保証された。しかし教皇はその文書のうちに含まれているアルタ・ヴェンディタのメンバーたちの真の名前を漏らすことを誰にも許されなかった。レオ十三世は同様にそれらの公表を要求された。両教皇とも、明らかに、そのような悲劇が起こることを防ぐために行動された。これらの偉大な教皇たちはそのような災難が決して不可能ではないということを知っておられた。(教皇ピオ十二世はまた、彼がまだバチカン国務省長官であった間の彼の預言的な見解からわれわれが見ることができるように、そのことを知っておられた。)

永遠の教えの完全なテキストはまたモンシニョール・ジョージ・E.ディロンの書物、Grand Orient Freemasonry Unmasked の中にも含まれている。注3)教皇レオ十三世がモンシニョール・ディロンの書物を贈呈されたとき、深い印象を受けたので、イタリア語版を完成させるように命令され、教皇自身の費用で出版させられた。注4)

アルタ・ヴェンディタはフリーメーソンと関係したイタリア秘密結社であるカルボナリの最高のロッジであった。そしてそれは、フリーメーソンと並んで、カトリック教会によって非難されていた。どう見ても「陰謀狂」ではないE. カヒル神父はその著フリーメーソンと反キリスト教運動 Freemasonry and the Anti-Christian Movement の中で、アルタ・ヴェンディタは「一般に当時ヨーロッパのフリーメーソンの支配のセンターであると考えられて」いたと述べている。注6)カルボナリ[炭焼き党]はイタリアとフランスで最も活動的であった。

第二バチカン公会議の後に書き物をしているもう一人の客観的でまったく非の打ちどころのない権威であるルドルフ・グレイバー司教はその著アタナシウスとわれわれの時代の教会 Athanasius and the Church of Our Time の中で、「(フリーメーソンの)目標はもはや教会の破壊ではなくて、それに侵入することによってそれを利用することである」と宣言した有名なフリーメーソンを引用した。注7)換言すれば、フリーメーソンは、キリストの教会を完全に破壊することができないので、単に社会におけるカトリシズムの影響を根こそぎにするだけではなく、教会の構造を「刷新」、「進歩」および「啓蒙」の道具 -- すなわち、それ自身の諸々の原理と目標の多くを促進する手段 -- として利用することを計画しているのである。

社会と世界についてのフリーメーソンの理想像を論じながら、グレイバー司教はシナルキー synarchy の概念を導入している。「われわれがここで直面していることは、不可視の世界政府を建設するために共に参加して来たすべての『結社』や『学派』の秘密の勢力の全体である。政治的な意味においてシナルキーは世界政府が、勿論社会主義的指導部の下に、支持し促進しなければならないすべての財政的および社会的諸勢力の統合を目標としている。カトリシズムは、すべての宗教と同様に、結果的に一つの普遍的な諸宗教融合体 syncretism の中へ吸収されるであろう。それは、抑圧されるどころか、統合されるであろう。それは(さまざまの宗教の)聖職者たちの間での親交の原理においてすでに取られている一つの道筋である。」

この目標を達成するために永遠の教えの中で促進された戦略はその大胆さと狡猾さにおいて驚くべきものである。最初から、その文書は達成するのに数十年はかかるであろう一つのプロセスについて語っている。その文書を作成した人々は自分たちがその実現を見ないであろうことを知っていた。彼らは奥義を授けられた人々の次の世代によって遂行されるであろう一つの仕事を始めていたのである。永遠の教えは「われわれの組織においては兵士は死に、そして戦いは続く」と言っている。

教えは社会の至るところでそしてカトリック教会の内部でのリベラルな観念や公理を普及させることを要求した。その結果、平信徒、神学生、聖職者や高位聖職者たちは何年にもわたって、徐々に進歩的諸原理を吹き込まれるであろう。そのうちに、この新しい思考方法は非常に浸透力があるので、その結果その思考が「1789年の諸原理」(すなわち、フランス革命を鼓舞したフリーメーソンの諸原理)に根づいた近代思想 -- すなわち、多元主義、すべての諸宗教の平等、教会と国家の分離、無制限の言論の自由、等々 -- に歩調を合わせた司祭たちが叙階され、司教たちが奉献され、そして枢機卿たちが指名されるようになるだろう。

ゆくゆくは、教皇は「啓蒙と刷新」の道へと教会を導くであろうこれらの階級から選ばれるであろう。ペトロの座にフリーメーソンを据えることが彼らの目標ではなかったということは強調されなければならない。彼らの目標は、その間じゅう自分たちは忠実なカトリック者であると信じながら、リベラル・カトリシズムの理想に説き伏せられた教皇や位階をゆくゆくは産み出すであろう環境をもたらすことである。

これらの自由主義的な者とされたカトリック指導者たちはそのとき、(これらの自由の諸原理を一致して非難した1789年から1958年までの諸教皇の一貫した実践がそうであったようには)もはや革命の近代的諸観念に反対しないで、それらを教会の中に混交させ、あるいはそれらに「洗礼を授ける」であろう。最終結果は、その間じゅう自分たちは使徒の鍵の旗じるしの下に行進していると考えながら、実は「啓蒙」の旗じるしの下に行進しているカトリック聖職者と平信徒ということであろう。

明らかに永遠の教えを念頭において教皇レオ十三世はフマーヌム・ジェヌス Humanum Genus の中でカトリックの指導者たちに、「フリーメーソンから仮面を剥ぎ取り、それが実際に何であるかをすべての人々に明らかにする」注8)ように求められた。アルタ・ヴェンディタのこれらの文書の公表は「仮面を剥ぎ取る」一つの手段であった。

われわれが永遠の教えを誤って言い表したという主張がないように、今それからかなり長く引用する。以下に続くものは教え全部ではないが、しかしわれわれの立証に最も関連する部分である。文書はこう述べている:

教皇は、誰であろうと、秘密結社には決して来ないであろう。教皇と教会の両方ともを支配する目標をもって教会へ向かっての第一歩を踏み出すことは秘密結社にかかっている。

われわれが取りかかろうとしている仕事は一日の仕事、あるいは一月の仕事、あるいは一年の仕事ではない。それは数年、おそらく一世紀は続くであろう。しかしわれわれの隊列においては兵士たちは死に、そして戦いは続くのである。

われわれは、教皇たちをわれわれの諸原理の新改宗者、われわれの理想の宣伝者にするために、彼らをわれわれの理想に向かって勝ち取ることを意図していない。それは笑うべき夢であろう。そしてもし出来事がある仕方で変わるならば、もし、例えば、枢機卿たちあるいは高位聖職者たちが彼ら自身の自由意志で、あるいは不意にわれわれの秘密の一部分の中へ入ってくるとしたならば、これはぜんぜん彼らのペトロの座への即位を望むための誘因ではない。その即位はわれわれを滅ぼすであろう。野心だけが彼らを背教へと導いたであろう。権力の諸要求はわれわれを犠牲にすることを彼らに強いたであろう。われわれが求めなければならないこと、われわれが探し求め、ユダヤ人たちがメシアを待っているように、待たなければならないものはわれわれの必要に応じた教皇である...

われわれは、われわれの努力のこの至高の目的にわれわれが到達するであろうことに何の疑いも持っていない。しかしいつか? しかしどのようにしてか? 未知のものはまだ明らかにされていない。それにもかかわらず、立てられた計画から何物もわれわれを逸らせることがあってはならないように、そして反対にすべてのことが、あたかも明日のように早く成功がかろうじて素描されている仕事に報いるかのように、われわれは、単なる新入会者にとって秘密であり続けるであろうこの教えにおいて、最高カルボナリ党員集会 Vente を監督している当局者たちに、彼らが教えの形で、あるいはメモの形で、すべての兄弟たちに教え込むべきいくつかの忠告を与えることを望んでいる...

ところで今、要求された特質を持った一人の教皇をわれわれ自身に確保することはまず第一に彼を形成する問題である...この教皇のために、われわれが夢想している支配に相応しい世代...年老いた人々、成熟した年代の人々をわきへのけておいて、若い人々ところへ、そしてもし可能ならば、子どもたちのところへ行け...あなたたちはあなたたち自身のために僅かな費用でよきカトリック者たちそして愛国者たちのような名声をなんとかするであろう。

この名声は若い聖職者たちの真ん中に、同様にまた修道院の奥深くに、われわれの教義への通路を設定するであろう。数年のうちに諸々の事柄の力によって、この若い聖職者たちはすべての機能を荒廃させるであろう。彼らは主権者の会議を形成し、支配すべき教皇を選ぶように呼ばれるであろう。そしてこの教皇は、彼の同時代人たちの大部分と同様に、必ず、われわれが広め始めようとしているイタリア的、人道主義的諸原理に多かれ少なかれ染められるであろう。それはわれわれが大地に託している黒芥子の一粒の小さな種子である。しかし正義の太陽の輝きはそれを最高権力にまで発達させるであろう。そしてあなたはいつの日かこの小さな種子がどんなに豊かな収穫を産み出すかを見るであろう。

われわれの兄弟たちのためにわれわれが敷いている道には、克服すべき大きな障碍、支配すべき一種類以上の困難が存在する。彼らはそれらの障碍や困難に対して経験と明察とによって勝利を得るであろう。しかし目標は非常に光輝あるものであるから、それに到達するためにすべての帆を風に当てることが重要である。あなたはイタリアを革命に至らせることを望んでいる。われわれがその肖像を今描いた教皇に期待せよ。あなたはバビロンの娼婦の王座における選ばれた者の君臨を確立することを望んでいる。聖職者たちをして、彼らが使徒の鍵の旗じるししの下に行進しているのだと常に信じながら、あなたの旗の下に行進するようにせよ。あなたは専制君主たちや抑圧者たちの最後の痕跡を消そうと思っている。シモン・バルヨナのようにあなたの罠を仕掛けよ。それらの罠を海の底よりもむしろ聖具保管室、神学校そして修道院に仕掛けよ。そしてもしあなたが急がないならば、われわれはあなたに彼の収穫よりももっと奇跡的な収穫を約束する。魚を漁る者は人間たちを漁る者となった。あなたは使徒の座の周りに友人たちをもたらすであろう。あなたは十字架と旗をもって行進しながら、教皇冠と教皇マントに身を包んで革命、世界の四隅に火を放つためにほんの少しばかり推し進められる必要のあるであろう革命、を説教しているであろう。注9)

リベラル・カトリシズムの隆盛

既に述べたように、フリーメーソンの目標は教会を滅ぼすことではなかった。フリーメーソンはそれは不可能であることを知っていた。彼らの目標は教会を中立化し、道具化する -- すなわち、教会のメンバーたちをリベラルな考えを持たせるように誘惑することによって、教会の人間的要素をフリーメーソンの諸目標の進展のための一つの道具とする -- ことであった。リベラルな者とされた位階は容易に新しい世界秩序( nobus ordo seculorum )-- そこでは教会が救いの唯一の箱船であるというその主張を放棄し、世の諸勢力に対する教会の反対を止めてしまう偽りの汎宗教的「兄弟愛」-- というフリーメーソン的な理想を確立する仕事に力を貸す。このプロセスの第一段階は十九世紀に明らかにされた。その時までに社会はフランス革命のリベラルな諸原理にますます浸透されたものとなった。1800年代半ばにおいてさえこの計画はすでにカトリック信仰とカトリック国家に対して大きな損害を引き起こしていた。おそらく、多元主義、宗教的無関心、すべての権威は人民から来ると信ずる民主主義という「より優しいそしてより寛大な」考え方、自由、宗派を超えた集会、教会と国家の分離という誤った考え方そして他の諸々の新奇さが啓蒙後のヨーロッパの人々の心を捕まえ、政治家たちそして同様に教会人たちを毒しつつあった。

リベラル・カトリシズムの断罪

十九世紀および二十世紀初頭の諸教皇はこれらの危険な傾向に対して徹底的に戦われた。信仰の妥協のない確実性に根づいた沈着さをもって、これらの教皇は騙されなかった。彼らは悪しき諸原理はそれらがどれほど尊敬すべきものと見えようとも、よき実を結び得ないということ、そして、それらが単に異端に根づいているだけでなく、背教に根付いているがゆえに、これらのものは最悪の諸原理であるということを知っておられた。彼らの陣地をどんな犠牲を払っても守る義務を認めている指揮している将軍たちのように、これらの教皇は現代世界の諸々の誤謬に強力な大砲を向けて絶えず発射された。諸々の回勅は彼らの大砲の弾であり、彼らはその標的を決してはずさなかった。

最も破壊的な爆発は福者教皇ピオ九世の記念碑的な諸々の誤謬の細目表 Syllabus of Errors の形でやって来た。教皇はその回勅Quanta Cura(1846)[訳者注聖ピオ十世司祭兄弟会非公式ホームページ:歴代の教皇様の文書と解説参照]にそれを補遺として付け加えられたのである。煙が消えたとき、戦闘に巻き込まれていたすべての人々は、誰がどちらの側にいるかについて疑いはなかった。境界設定の線は明瞭に引かれていた。シラブスにおいて福者ピオ九世は近代世界の主要な諸々の誤謬を断罪されたが、その理由はそれらが近代的であったからではなくて、これらの新しい思想が汎神論的自然主義に基づいていた、そしてそれゆえに、カトリックの教説とは相容れない、また社会にとって破壊的であったからである。

シラブスにおける教えは反リベラリズムであり、そしてリベラリズムの諸原理は反シラブス的であった。このことはすべての党派によってはっきりと認められていた。デニス・ファヘイ神父はこの最後の対決に、「ピオ九世対人間の汎神論的神化」として言及した。注10)もう一方の側のために話しながら、フランス人のフリーメーソン、フェルディナン・ビュイッソンは同じようにこう宣言した。「ある学派はシラブス人権宣言との間で中立のままにとどまることはできない。」注11)

しかし、十九世紀はその二つのものの間にユートピア的な妥協を求めた新種のカトリック教徒を見た。これらの人々は 1789 年の諸原理のうちに彼らが「善」であると信じたものを探し、そしてそれらを教会の中に導入しようと試みた。時代の精神によって感染させられた多くの聖職者たちはフリーメーソンによって「聖具保管室の中へ、そして諸々の神学校の中へ投げ込まれた」網に引っかけられた。これらの人々はリベラル・カトリック教徒として知られるようになった。福者教皇ピオ九世は彼らを完全な恐怖をもって眺められた。彼は、これらの「リベラル・カトリック教徒たち」は「教会の最悪の敵」であると言われた。1871年6月18日にネヴェル Nevers の司教が長となったフランス代表団宛ての書簡の中で福者ピオ九世はこう宣言された:

私が恐れているものはパリ・コンミューンではない、-- そうではない -- 私が恐れているものはリベラル・カトリシズムである...私はそれゆえ四十回以上も言って来た。そして私はそれをあなたがたに今、私があなたがたに抱いている愛を通して、繰り返す。フランスの真の災難はリベラル・カトリシズムである。それはお互いに火と水のように両立しない二つの原理を結合しようと努力している。注12)

近代主義の隆盛

しかしこのことにもかかわらず、リベラル・カトリック教徒の数は着々と増加した。「吹きまくった」1789年のリベラリズムが近代主義の竜巻の中へと渦巻いて行った世紀の半ばごろに危機は頂点に達した。ヴィンセント・ミセリ神父はこの異端を近代主義の「三人の親たち」を記述することによってそのようなものとして同定した。彼はこう書いた:「その宗教的な先祖はプロテスタント革命である...その哲学的な親は啓蒙主義である...その政治的な血統はフランス革命から来ている。」注13)

「近代主義」によって何が意味されているか? 近代主義は、多かれ少なかれ、その結果が完全なカトリック信仰の無欠の状態を掘り崩すことである一つの包括的な哲学的および神学的体系へのリベラル・カトリシズムのすべての誤謬の総合あるいは結合以外の何物でもない。広範な近代主義思想体系の完全な検討はこの書物の範囲を超えるが、われわれの目的にとっては、さまざまの微妙な誤謬によって近代主義者がキリストの神性と神的な啓示、キリストによる唯一の真の教会の設立、そしてカトリック教義(近代主義者は変化する諸状況に従ってそれが「進化する」ことができると主張する)の絶対的な不変性を否定する、あるいは掘り崩すのだと言うことで十分である。近代主義者はまた「自由な言論」、「良心の自由」についての自由主義的な考え方、そして、すべての諸宗教は多かれ少なかれ善いものであり、称賛に値するものである、なぜなら、それらはすべて人間におけるいわゆる「宗教的感覚」から生じるからである、という誤謬 -- もちろん、すべての人々がカトリック教会の洗礼、信仰そして諸秘蹟の必要なしに真に宗教的であり得る、そして彼らが発明するさまざまの宗教のうちに救いを見出すことができると示唆することによって、原罪の現実を暗黙のうちに否定する誤謬 -- を抱き、そしてそれを促進するのである。

聖ピオ十世は近代主義の反逆を抑えられる

1903年に教皇座に登られた教皇聖ピオ十世は近代主義をその進行が止められなければならない最も致命的な疫病として認められた。聖ピオ十世はその多くの誤った命題を体系的に孤立化させ、定義し、断罪することによって近代主義に対する闘いを行われた。特に、聖ピオ十世は近代主義に反対する記念碑的な回勅( Pascendi )および近代主義者の諸々の誤謬のシラブス(Lamentabili )を出された[訳者注聖ピオ十世司祭兄弟会非公式ホームページ:歴代の教皇様の文書と解説参照]。その回勅 Pascendi の中でこの偉大な教皇はこう書かれた:「彼らが触れないままに残しているカトリック真理のいかなる部分も、彼らが腐敗させようと努力していないいかなる部分もない」と。その同じ回勅の中で教皇は、教皇の最も重要な義務はカトリック教えの純粋性と完全無欠さを確保することである、そしてもし教皇が何もしなかったならば、そのとき彼はその本質的な義務において失敗したのであろうと宣言しながら、近代主義を「すべての異端の綜合」と呼ばれた。注14)

しかし、教皇聖ピオ十世はそこで止まられなかった。Pscendi の数年後に、近代主義はそれが立ち上がって教会の中に大損害を引き起こす前に叩きのめされなければならなかったのだと認識されて、この聖人となられた教皇はその書簡 Sacrorum antistitum を出された。これは反近代主義の誓いがすべての司祭たちと教師たちによって誓われなければならないと命令したものであった。教皇は神学校や大学からの近代主義者たちの追放を監督された。そして頑固で悔い改めない人々を破門された。聖ピオ十世は他ならぬまさに教会の本性そのものが、彼らの図太さにおいて今や公然とカトリック教義と伝統の転覆のために行動していた近代主義者たちによって攻撃されているということを知っておられた:

悪の重大さは日々増大しつつある。そしてどんな犠牲を払っても阻止されなければならない。われわれは、初期のときのように、もはや「羊の衣を着た」反対者たちを取り扱っているのではなく、われわれのまさに教会そのものの内部での公然たるそして素面の敵どもを取り扱っているのである。彼らは教会の主要な敵対者たち[すなわち、フリーメーソン、リベラル派、プロテスタントたち、ユダヤ教徒、イスラム教徒、等々]と協定を結び、信仰を転覆させようと決心しているのである...彼らは、あたかも信仰が古い時代によって使い尽くされたかのようにそれをリフォームしようと欲し、それを増加させ、あたかもそれが単に少数者の軽薄な言動にだけではなく、社会の善にも反しているかのように、それをこの世的な好み、進歩そして安楽に適合させようと欲している...信仰に対するこれらの猛攻撃に反対するために、福音的教義や教会の伝統の聖なる遺産の忠実な管理を委ねられた人々の側では警戒と堅固さが決して十分ではないであろう。注15)

聖ピオ十世は彼の時代に近代主義の蔓延を効果的に止められた。しかしながら、彼がこの重大な誤謬を根こそぎにしたことに対してお祝いの言葉を人から言われたとき、教皇聖ピオ十世は直ちに、彼のあらゆる努力にもかかわらず、彼がこの野獣を殺すことに成功せず、ただそれを地下に追いやっただけであったと答えられた。彼はもし教会の指導者たちが警戒していなかったならば、それは将来これまで以上にもっと伝染力の強いものとなって戻ってくるであろうと警告された。注16)われわれがこれから見るであろうように、聖ピオ十世の予言は -- 復讐を伴って -- 真実となったのである。

近代主義が再び興隆し始める

教皇ピオ十一世の在位の間に展開されたほとんど知られていないドラマは近代主義思想の地下の流れが聖ピオ十世直後の時期に生き続けたということを証明している。

レイモンド・デュラック神父は1923年5月23日の秘密の教皇枢密会議で、教皇ピオ十一世がクリアの三十人の枢機卿たちにエキュメニカルな公会議を召集することが時宜を得たものであるかどうかを尋ねられた、と述べている。出席者の中にはメリ・デル・ヴァル、デ・ライ、ガスパリ、ボッジアーニおよびビヨのような有名な高位聖職者たちがいた。枢機卿たちはそれに反対して忠告した。ビヨ枢機卿はこう警告した。「司教団それ自体の中での深い相違の存在は隠され得ない...[それらの相違は]無限に引き延ばされるであろう議論に場を与える危険を冒す。」

ボッジアーニは聖職者および司教たちの一部がそれらから免れていない -- と彼は言った -- 近代主義的諸理論を思い起こした。「このものの考え方は何人かの教父たちを、カトリックの諸伝統とは相容れない動きを提出し、方法を導入することへと傾かせることができる。」

ビヨはより正確でさえあった。彼は「いくつかの徴候が示しているように、教会における革命、一つの新しい1789年をもたらすためにすでに用意している教会の最悪の敵ども、近代主義者たち」によって「巧みに操られた」公会議を見る彼の恐怖を表明した。注17)

エキュメニカル公会議のおける近代主義者の躍進についてのフリーメーソンの予言

そのような諸理由で公会議の考えを議論するに際して、これらの枢機卿たちはすべての第二バチカン公会議後の全部の神学者たちを合わせたよりも「時代のしるし」を認めることに自分たちがより得意であることを示した。しかも彼らの注意は何かより深いものに根ざしていたであろう。彼らはまた、革命と教会「改革」を説教し、公会議によってもたらされるであろう教会の転覆を驚くほどの正確な詳細にわたって予言した悪名高いイリュミネ、破門されたカノン・ロカ(1830-1893)の著作につきまとわれたであろう。

アタナシウスとわれわれの時代の教会の中で、グレイバー司教は「イエズスの社会主義」によって影響を受けたであろう「新しく照明された教会」についてのロカの予言を引用している。注18)十九世紀半ばにロカは「スコラ的な教説と以前の教会のオリジナルな形式のどれ一つをも保持することができないであろう新しい教会がそれにもかかわらずローマから聖別と教会法上の支配権を受けるであろう」と予言した。ロカはまた、十分驚くべきことであるが、第二バチカン公会議後の典礼の「改革」を予言した:「ローマ教会の典礼、祭式、儀式、諸規定によって指令された形式における神的祭儀はやがてあるエキュメニカルな公会議において変形を経験するであろう。その公会議はその祭儀に良心の命令と近代文明に一致する使徒たちの黄金時代の尊敬すべき単純さを取り戻させるであろう。」

ロカはこの公会議を通じて「近代文明の理想とキリストおよび彼の福音の理想との間の完全な一致」が来るであろうと予告した。「これは新社会秩序の聖別であり、近代文明の荘厳な洗礼であろう。」換言すれば、この公会議は教会の転覆のためのフリーメーソンの計画の勝利へと案内するであろう。ロカはまた教皇制の未来についても語った。彼はこう書いた:「死の荘厳な行為を表す沖合に一つの犠牲がある...教皇制は倒れるであろう。それは最後の公会議の教父たちが鍛えるであろう神聖なナイフの下で死ぬであろう。独裁者教皇は犠牲のために王冠を戴いたホスチア[犠牲]である。ロカは「新しい宗教、新しい教義、新しい典礼、新しい司祭職」以外は何一つ熱狂的に語らなかった。彼は新しい司祭たちを「進歩した者たち」progressists と呼んだ。そしてスータン[司祭の着る裾の長い平常服]の「禁止」および「司祭たちの結婚」について語っている。注19)

フランスの異端派の開祖アベ・メランジュ(彼はドクター・アルタの偽名を用いた)の著作を指摘しながら、グレイバー司教は、「われわれが今日、司祭たちとプロテスタント牧師たちとの宗派間のミサ挙行において確立されているのを見ているような、多面的価値のエキュメニズムに順応可能である『多宗派的』教皇職によるローマ[カトリック]信仰の置き換え」という革命的計画について警告した。(メランジュは何人かの裏切りの司祭たちに言及していた。しかしながら今日、教皇自身がプロテスタントの「司教たち」と共に、晩課を含む共同儀式を行っておられる。)注20)

ロカの気の滅入る反響たるメランジュやアルタ・ヴェンディタは1910年に「われわれは一つの公会議とそれを宣言する一人の教皇を必要とする」と宣言したバラ十字会員ルドルフ・シュタイナー博士の言葉のうちに見出される。注21)

フリーメーソンの共産主義との同盟

フリーメーソンがこれらの目標に向かっての彼らの努力の中で、彼らと並んで教会と国家の両方の転覆のために陰謀を企てている共産主義者たちの血族であったことは注目されなければならない。教皇レオ十三世がフリーメーソンの結社によって引き起こされた脅威に関する彼の記念碑的な回勅 Humanum Genus(1884)において述べられたように:「そうである、この変化と転覆は共産主義者たちと社会主義者たちの多くの団体によって慎重に計画され進められている。そして彼らの企てに対してフリーメーソンの結社は敵対的ではなくて、彼らの計画に非常に好意的であり、彼らの主要な見解は共通している。」

われわれがそれ以来数多くの独立した証人たちから学び知ったように、教会への共産主義者の侵入 注22)は1930年代の初期に始まった。(ロシア共産主義のまさに創設者である)レーニン自身、1920年代に、彼がカトリック教会、特にバチカンに侵入するであろうと宣言した。この点に関する歴史的な証拠は最近由緒ある雑誌 Christian Order において次のように要約された:

共産党を脱党した、そして有名な回心者ダグラス・ハイドはかなり前に、1930年代に共産党指導部がカトリック教会への侵入について世界中に向けた一つの指令を発したということを明らかにした。一方、1950年代の初めにミセス・ベラ・ドッドはまた共産党による教会の転覆についての詳細な説明を提供していた。アメリカ共産党のかつての高い地位にある当局者として、ミセス・ドッドはこう言った:「1930年代にわれわれは教会を内部から破壊するために司祭層の中に1100人の人々を送り込んだ。」その考えはこれらの人々が叙階され、モンシニョールや司教として影響力と権威をもった地位に昇進するはずだということであった。第二バチカン公会議の二三十年前に彼女はこう述べた:「今やまさに彼らは教会における最高の場所にいる」と。-- 彼らはその場所で共産主義に対する教会の有効性を弱めるために変化をもたらそうと働いていた。彼女はまた、これらの変化は非常に徹底的であったので、「あなたはカトリック教会を認めないであろう」と言った。注23)

雑誌 Christian Order が指摘しているように、教会に潜入する共産主義者の陰謀の存在は単にかつての共産党員たち、ドッドやハイドによってばかりでなく、またソビエトの離反者たちによっても、豊富に確証されてきた:

1961年に離反し、そして1984年にはその時以来の共産圏におけるすべての驚くべき展開を94%の正確さで予言した元 KGB 要員アナトーリ・ゴリツィンは数年前に、「カトリック教会およびその他の諸教会への潜入は宗教に対する闘争における党の『一般的路線』[すなわち、不変の方針]の一部であるということを確証した。実際、元 KGB の文書局員ヴァシリイ・ミトローキンによって西側へと密かに持ち出された数百の書類は「進歩的」カトリック者たちとのあり得る最も密接な関係を育て、彼らの活動を財政的に支える KGB についての似たような話を告げている。そうであると確認された最左翼の機関の一つは小さなイタリアのカトリック新聞 Adista であった。それは数十年にわたってあらゆる想像し得る公会議後の運動を促進した。そしてその編集長はミトローキン文書において雇われた KGB 要員として名ざされていた。

その死の直前に信仰へと回心したミセス・ドッドは合衆国共産党の法律顧問であった。彼女は1950年代に非米活動委員会の前で教会と国家への共産主義者の侵入に関する多くの証言を行った。あたかも教会の転覆における彼女の役割を償うためであるかのように、ドッドは第二バチカン公会議に至るまでの数年の間フォーダム大学および他の場所で一連の講義を行った。雑誌 Christian Order は1950年代初期にそれらの講義の一つに出席した修道士の証言を詳しく述べている:

私は4時間その女性の講義を聴いた。そして彼女は私の髪の毛を逆立てさせた。彼女が言ったすべてのことは文字通り実現されてきた。あなたは彼女が世界最大の預言者であると考えたであろう。しかし彼女は預言者ではなかった。彼女は単に共産党によるカトリック教会の転覆の段階的闘争計画を暴露していただけである。彼女は、世界の諸宗教の中でカトリック教会は共産主義者たちによって恐れられた唯一の宗教である、なぜなら、カトリック教会は共産党の唯一の事実上の敵だからである、と説明した。その考え全体は教会の制度を破壊することではなく、むしろ人々の信仰を破壊することである。そしてもし可能ならば、教会の制度を用いてすら、一つの似非宗教:カトリシズムに似た何かあるもの、しかし実際そのものではない何か、の促進を通じて信仰を破壊することであった。彼女はこう説明した:ひとたび信仰が破壊されたならば、「過去の教会」を抑圧的、権威主義的、偏見に満ちたもの、真理の唯一の所有者であると主張することにおいて傲慢なもの、そして数世紀を通じて宗教的諸団体の分裂に対して責任のあるものであるというラベルを貼るために...教会の中に導入された罪のコンプレックスが存在するようになるであろう、と。このことは教会指導者たちを恥じ入らせて、世界に対して開かれたあり方へと、そしてすべての諸宗教と諸哲学に対するより柔軟な態度へと変えるために必要であるだろう、と。共産主義者たちはその次に教会を掘り崩すためにこの開かれたあり方を利用するであろう。注24)

さて、もし教会の敵どもがわれわれが今概略説明した彼らの計画において成功したとするならば、われわれは教会において次のような事柄が起こっているのを見ることになろう:

今われわれに残されていることは、教会の転覆のためのこの計画が実現された程度、そしてどのようにその計画が犯された重大な罪の動機:すなわち、ファチマの真正のメッセージを無効にする試み、を引き起こしたかを論証することである。この犯罪によって被告は教会と世界をさまざまの民族の絶滅と数百万の霊魂の喪失を含むあり得る最も重大な危険にさらしたのである。本当にこれは単に教会に対する犯罪であるだけでなく、人類に対する犯罪である。

ドイツ、レーゲンスブルグの司教で1941年以来神学教授、1962年に司教に叙階されたルドルフ・グレイバー司教は1974年に出版され、広く賞讃されたその著「アタナシウスと我々の時代の教会」の中で、エキュメニカルな公会議という手段を使って教会を破壊するという教会の敵どもの公然たる目標を詳しく語っている。彼は、「新しい宗教、新しい教義、新らしい典礼、新しい司祭職」へと導くであろう公会議を預言した破門された革命的司祭カノン・ロカを引用している。グレイバー司教はまた1910年に次のように宣言したフリー・メーソンのバラ十字会員、ルドルフ・シュタイナー博士を引用している:「われわれはそれを宣言する一つの公会議と一人の教皇を必要としている。」グレイバー司教はこれらの預言をコメントしながら、「数年前にはこのことはわれわれにはまだ考えられないことであった。しかし、今日はどうか...?」と述べている。


脚注

1. For a booklet on the connection between the Alta Vendita and the new orientation of the Church since the Council, see John Vennari, The Permanent Instruction of the Alta Vendita(TAN Books and Publishers, 1999).

2. 2nd volume, original edition, 1859, reprinted by Circle of the French Renaissance, Paris 1976; Msgr. Delassus produced these documents again in his work The Anti-Christian Conspiracy, DDB, 1910, Tome III, pp. 1035-1092.

3. Msgr. Dillon, Grand Orient Freemasonry Unmasked, pp. 51-56, full text of Alta Vendita — Christian Book Club, Palmdale, California.

4. Michael Davies, Pope John’s Council,(Angelus Press, Kansas City, Missouri, 1992)p. 166.

5. The Catholic Encyclopedia, Vol. 3,(New York Encyclopedia Press, 1913)pp. 330-331.

6. Rev. E. Cahill, S.J., Freemasonry and the Anti-Christian Movement,(Dublin: Gill, 1959)p. 101.

7. Bishop Graber, Athanasius and the Church of Our Time,(Christian Book Club, Palmdale, California, 1974)p. 39.

8. Pope Leo XIII, Humanum Genus,(TAN Books and Publishers, Rockford, Illinois)para. 31.

9. Msgr. Dillon, Grand Orient Freemasonry Unmasked, pp. 51-56, full text of Alta Vendita(Christian Book Club, Palmdale, California).

10. Father Denis Fahey, Mystical Body of Christ in the Modern World, (Regina Publications, Dublin, Ireland, 1939)Chapter VII.

11. Ibid., p. 116.

12. Quoted from The Catholic Doctrine, Father Michael Muller,(Benzinger, 1888)p. 282.

13. Father Vincent Miceli, The Antichrist,(Roman Catholic Books, Harrison, New York, 1981)p. 133.

14. Pope Pius X, Pascendi Dominici Gregis(On the Doctrine of the Modernists), September 8, 1907.

15. Pascendi.

16. Father Vincent Miceli, The Antichrist, cassette lecture, Keep the Faith, Inc. Ramsey, NJ.

17. Raymond Dulac, Episcopal Collegiality at the Second Council of the Vatican,(Paris: Cedre, 1979)pp. 9-10.

18. Athanasius and the Church of Our Time, p. 34.

19. A full account of all of Roca’s quotes printed here is found in Athanasius and the Church of Our Time, pp. 31-40.

20. "Joint Catholic-Lutheran Vespers at Vatican," CWNews.com, November 13, 1999: "Archbishops G.H. Hammar and Jukka Paarma—the Lutheran primates of Sweden and Finland, respectively—and Bishops Anders Arborelius of Stockholm and Czeslaw Kozon of Copenhagen joined with the Holy Father for the Vespers service. Several other Lutheran bishops from the Scandinavian countries were present for the ceremony, including two female bishops."

21. Athanasius and the Church of Our Time, p. 36.

22. See "The Secret Red Plan to Take Over the Catholic Church", published in Red China in 1959. Published in English in The Fatima Crusader, Issue 19, February-April, 1986, p. 6. See also "The Prophecy of Bella Dodd", a Fatima Perspective web column by Chris Ferrara(www.fatimaperspectives.com/cs/perspective235.asp); this prophecy is also found on pages 47-48 of this book. See also Father Paul Kramer, "The ‘Party Line’ in Relation to Fatima", The Fatima Crusader, Issue 69, Winter 2002, pp. 10ff.

23. "The Greatest Conspiracy", Christian Order, November 2000.

24. Another ex-Communist, Mr. Manning Johnson gave similar testimony. In 1953, to the House Un-American Activities Committee, Manning said: "Once the tactic of infiltration of religious organizations was set by the Kremlin ... The Communists discovered that the destruction of religion could proceed much faster through the infiltration of the Church by Communists operating within the Church itself." He then stated, "This policy of infiltrating seminaries was successful beyond even our Communist expectations." Speaking of the infiltration of religious institutions in general, Manning Johnson further explained, "... the major plot to take over religious organizations was really hatched during that particular period(1935), and the fact that the Communists in headlines in the Daily Worker, can boast of 2,300 Protestant Ministers supporting them is the result of this part that began in the thirties when I was a member of the Communist party." Testimony of Manning Johnson, Investigation of Communist Activities in the New York City Area — Part 7, Hearing Before the Committee on Un-American Activities, House of Representatives, Eighty-Third Congress, First Session, July 8, 1953,(Published by the Government Printing Office, Washington, 1953)p. 2214. A collection of quotations from ex-Communists and the infiltration of the Church is found in John Vennari’s "Heaven’s Request for Reparation to the Holy Face of Jesus", Part III, Catholic Family News, August 2001.

2005/05/04 三上 茂 試訳

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作成日:2005/05/04

最終更新日:2005/05/04

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