ファチマの聖母マリア

悪魔の最後の戦い

われわれの時代のための黙示録的解答

第11章 ラッツィンガー枢機卿のファチマのメッセージ

第8章においてわれわれは、教会の新しい公会議後の方向づけに一致して、バチカンがどのように、われわれの時代のためのファチマのメッセージのいかなる明白な預言的内容をも消そうと努力しているファチマのメッセージに関する「解釈」-- 党路線 -- を公表したかを示した。われわれは一世俗新聞 Los Angeles Times さえどのように、TMF の目的が、それが「ファチマの信心」と呼んだものを「おだやかに地位低下させる」一つの試みであると見ることができたかに注目した。

読者は、もしTMF のこのより詳細な神学的解釈において時折の論争的な論評に出会ったならば、われわれを我慢すべきである。しかしわれわれは論争的であることについて謝る必要はない。なぜなら論争は必要な場合にはよいものだからである。今日の社会はますますカトリック信仰をいわゆる「精密科学」で代用させ、それと置き換える。それゆえに今日の人々は、その目的が真理そのものであるキリストの敵どもに対して信仰と教会を擁護することである論争の学と技術とを正しく評価しない。"Ho polemos" とは戦争にあたる古代ギリシャ語である。キリストとカトリック信仰を擁護して戦争することは何も悪いことではない。しかし信仰を持たない人々は、あるいはもし彼らの信仰が弱められているならば、このことを理解しない。なぜなら、彼らはいわゆる「精密科学」に余りにも大きな信頼を寄せているからである。

「序論」

第三の秘密に関するベルトーネ / ラッツィンガー枢機卿注釈の序論の第二パラグラフはすでに最近の歴史および道徳神学の両方を忘れていると思われるバチカン政策の一片を含んでいる:

二十世紀は「地上における甘美なるキリスト」に対する暗殺未遂において頂点に達する悲劇的で残酷な諸々の出来事をもつ人間の歴史において最も決定的な世紀の一つであった。

教皇を暗殺する未遂罪でさえ一つの憎むべき犯罪であるということを正常な精神の持ち主なら誰一人疑わないであろう。1983年の比較的リベラルな教会法典においてさえ、それは実際破門の罰の下にある。しかしながら、[上の]陳述は悲劇的な均衡の欠如を示している。「悲劇的で残酷な諸々の出来事」が教皇の生命に対する[暗殺]未遂事件において「頂点に達し」たということは明確に均衡を欠いており、スターリンの6000万人の犠牲者たちプラス去って行く世紀のすべての戦争犠牲者そして中絶による毎年5500万人の[赤ん坊]の犠牲者の重大な無視において[言われている]!均衡の欠如は、聖櫃における真の「地上における甘美なるキリスト」[訳者注=聖体]のようなそのような超自然的な局面をその陳述が無視していることにおいて無限に悪い。キリストの真の現存[である聖体]は手の中に配られ、そして、それが他の数千の場所で起こっているのと同じように、サン・ピエトロ広場に落とされているのだ。注1)この陳述には一つの目的がある。そしてラッツィンガー枢機卿の注釈においてはその目的は第三の秘密の重要性を控えめに扱うことに存する。

TMF の序論は次のページにおいて、「ただ一つの草稿だけがあり、それはここで写真によって複写されている」と述べている。これはやや誤解を招き易い。しかしもしそれが諸々の草稿のうちのただ一つの草稿だけが写真によって複写されたということを意味するならば、文字通りの真実である。しかし、秘密がその「全体」において公表された(TMF pp. 32, 39)というラッツィンガー枢機卿の陳述の光に照らせば、それは一つの嘘であると考えられなければならない。実際第三の秘密の二つの部分があるという証拠の山がある。第一の部分はかつての聖省の文書保管庫から取られ、2000年6月26日に公表された「白衣を着た司教」の幻視であり、そして第二の部分は教皇のアパートの中にあったものである。その証拠はアンドルー・セザネク氏による論考(第12章を参照せよ)において抗しがたい仕方で整理されている。セザネク氏が指摘しているように、公表されたテキストは聖母の言葉を何も含んでいない。このようにラッツィンガー/ ベルトーネの第三の秘密の提示は信憑性にまったく欠けている。

[十戒の]第八の命令[訳者注:なんじ偽証するなかれ]に対する意識的な罪のいかなる不法な非難をも受けることなしに、われわれはそれにもかかわらず一つの印刷された嘘に直面している。これまでのところ、それに反対するいかなる公的な陳述もなかったので、草稿の数に関する誤りについて語ることは実際に不可能である。誰が、そしてどれだけ多くの人々がこの嘘に関係しているのかということは重要なことではない。しかしそのようなものとして公表された嘘は神学的な重要性を持っている。たとえそれが単に一つの誤りであったとしても、それは文書において提示された神学的解釈全体に影響を及ぼすであろう。もしそれが嘘であるならば -- それはわれわれが堅く信じていることである -- そのときそれは提示された神学的および歴史的な解釈が間違った結論あるいはメッセージへと導くということを意味する。これは一般には詐欺的と呼ばれる。それは、われわれが見るであろうように、公表された注釈において見得る神学よりも遙かに大きな影響を与える。

「秘密」および「聖母」の両方に対する引用符を見ることもまた神学的な重要性を持っている。ある「出現」がすべての諸宗教は神に喜ばれるものであると言うならば -- これは異端であり、冒涜である 注2)-- われわれは、他の誰かへの「出現」はおそらく悪魔であるということを知っているように、「聖母」を引用符において表すのである。しかし、数人の教皇たちによって承認され、7万人の目撃者たちの前での決定的な奇跡によって証明された御出現に関する聖母の周りに引用符をつけることは一つのメッセージ:すなわち、それが結局のところ聖母ではなかったという可能性、を伝えるのである。この真実、一部だけの真実、そして嘘のこのジグソー・パズルにおける一片、これは大きな重要性を持っている。

TMF の序論の次のページは奉献がなされたという嘘を繰り返して述べている。特に、われわれが前章で示したように、明白な捏造である -- ポール・クレイマー神父によってもまた示されたように -- 「シスター・ルチア」による無署名の手紙を引用している8ページはそうである。注3)The Fatima Crusader は過去にこの嘘を十分に論じた。そしてここでそれを繰り返す必要はない。しかしながら、現在の文書においてはこの捏造の手紙からの古い引用は新しい嘘のための弁明の背景を提供している。

最後に、 TMF の序論の9ページにわれわれは再びベルトーネ大司教の信じられない陳述に気づく:

ファチマの「秘密」の第三部を公表するという教皇ヨハネ・パウロ二世の決定は権力と悪とに対する人間の悲劇的な欲望によって特徴づけられた、しかしにもかかわらず神の憐れみ深い愛とイエズスおよび教会の御母の注意深い配慮によって浸透された歴史の一時期を終わらせる。

すでに公表されたさまざまの論考は歴史的意味におけるこの陳述の不条理を十分に説明してきた。注4)実際、歴史的に見て、これは狂気すれすれのばかげた陳述である。

ところで、信仰教義聖省秘書ベルトーネ大司教はばかでも狂気の人でもない。それゆえに、この陳述は一つの神学的性格を持つものである。グルーナー神父は、モンシニョール・ベルトーネに従えば、われわれは「『いわゆる共産主義の崩壊』が、ファチマはもはや世界の政治にとって重要ではなく、またロシアの回心はもはや言及されるべきではないということを意味する」注5)ということを信じる者だと想定されていると、正当に思い起こさせた。これは単にカザロリ枢機卿の東方政策に関する一つの政治的解釈であるばかりではなく、教会の新しい方向づけにとって中心的である変化した神学、エキュメニズムと呼ばれる神学についての一つの明瞭な分析である。

今のところは、これらの観察から結果する諸問題は、ラッツィンガー枢機卿の神学の光に照らしてよりよく理解され得るように、待たなければならないであろう。

「秘密」

公表されたテキストの真正性に関しては、グルーナー神父がその真正性を確信していると思われる一方で、注6)いくつかの疑問が提出される:シスター・ルチア -- 1944年までに確かに聖書とラッツィンガー枢機卿がそう呼んだような多くの「信心書」を読んだ -- はなぜ、教皇が「その途中で出会った諸々の死体のために祈られた」(ポルトガル語で cadaveres )と言うのか? 救済史を通じて、使徒信条において見出すことができるように(....死者の復活)「死者あるいはみまかりし者の霊魂」について人は話す。旧約聖書のうちにのみ「死体」という言葉を見出すことができるが、それは背教者あるいは失われた霊魂という文脈において見出される。

1939年の諸々の出来事が「教皇」という言葉で、そして彼の名前:ピオ十一世でさえ、明白に預言されたときに、第一および第二の秘密の文脈では、幻視者が「白衣を着た司教」について話すということも等しく奇妙である。「白衣を着た司教」は南チロルのブリクセンの修道院長、あるいは南洋の司教、あるいは -- 教皇位不在を主張する人々が言うように、教皇であると言い張っているローマにおけるペテン師でもあり得るであろう。われわれは一つの答を敢えて出すことはできないしまたそのつもりもない。しかし「白衣を着た司教」という文言は1917年以来のすべての出来事の歴史的文脈において奇妙に曖昧である。

このことについてはこの章の結論においてもっと多くのことが言われなければならないであろう。今のところは、われわれは公表されたテキストが真正のものであるかのようにして続けることにしよう。

「秘密」の解釈

A. シスター・ルチア宛ての教皇の手紙

TMF において引用された2000年4月19日づけのこの手紙の中で教皇はこう言っておられる:

その日[2000年5月13日、フランシスコとヤチンタの列福式]には短い挨拶だけで、会話はないでしょうから、私はベルトーネ大司教を送ります....ベルトーネ大司教は....「秘密の第三部」の解釈についてのいくつかの質問をするために私の名において来るでしょう。

われわれは教皇がシスター・ルチアとの会話のための時間を持たないと結論する。教皇ヨハネ・パウロ二世の絶えず警戒している擁護者は、教皇に彼の予定表について忠告し、また規律および教会の政治における彼の決定 ...in rebus...quae ad disciplinam et regimen Ecclesiae...pertinent(D.S. 3060)に挑戦することはわれわれの権限にはないということをわれわれに思い起こさせることによってこの結論に反対するかもしれない。

これは確かにその通りである。しかしわれわれは一つの明白な質問をすることが許される。すなわち、教皇の助言者たちや助手たちが三極委員会のフリーメーソンたち 注7)、前に述べたミハイル・ゴルバチョフ、 B'nai B'rith のユダヤ人高位フリーメーソン 注8)を招待し、ローマ・ルーテル教会の説教壇から説教すること 注9)、ローマのシナゴーグ[訳者注:ユダヤ教の会堂]を訪れ 注10)、仏教の「高僧」ヴァサナ・タラ 注11)、ダライ・ラマ 注12)、ヤシル・アラファト 注13)に会うように教皇のスケジュールを作ったのは、そしてローマのサン・ピエトロ大聖堂の教皇ロッジアでコンスタンティノープルの分離主義的、異端的な総大主教ディミトリオス一世を教皇の隣りに立たせることを許したのは、なぜなのか、しかし、彼らは聖母の個人的なメッセンジャー、そして今世紀におけるすべてのメッセンジャーたちの中でもおそらく最も重要なメッセンジャーに話をさせるために教皇のスケジュールを作る時間を見つけることができなかったのは、なぜなのか? と。

われわれはその答を知らないし、また敢えてそれを与えることはできない。しかしバチカンが第三の秘密を控え目に扱っていることへの神学的な関連は明らかである。

B. 「シスター・ルチアとの会話....」

TMF の 28 ページから始まるベルトーネ大司教とシスター・ルチアとの間の(2000年4月における)そうだと主張されている会話についてのこの無署名の説明は、おそらくモンシニョール・ベルトーネ自身によって書かれた注目に値する欺瞞の作品である。ポール・クレイマー神父が正当に指摘したように、モンシニョール・ベルトーネは単にロシアの奉献がなされたかどうかをシスター・ルチアに質問することに失敗しただけではなくて、彼はまた二つの論理的に別々の陳述、すなわち、彼女はその名前を知らない(!)けれども、白い衣服を着た人物が教皇であったというシスター・ルチアの主張、そして1981年5月13日に「弾道を導いたのは母親の手」であったという教皇の主張への彼女[シスター・ルチア]の同意、を並列している。注15)

本題からの神学的でない逸脱を考慮するならば、アリ・アグカの暗殺未遂には、多くのやや奇妙な偶然の一致があった -- あるいはそれは摂理であったのか?

おそらくわれわれは生涯の間にその日についての真実を知ることはないであろう。しかしわれわれはこの教皇暗殺未遂事件が第三の秘密とは何の関係もないという真理を知っている。なぜなら、彼は殺され「なかった」からである。その事件は悲劇的であった。しかしそれは教皇の活動全体の中で -- 20年以上のうちから -- 1年以下の犠牲を払わせている。この相対的に重要でない出来事が地獄、二つの世界大戦、共産主義、そしてなお来るべき懲罰についての預言の中核にあると主張することは神の摂理に対する侮辱、そして聖母に対する侮辱である。

最後に、われわれは問わなければならない:シスター・ルチアが第三の秘密がそうであると言ったように、なぜ1981年の事件が1960年以後によりよく理解されるのであろうか? 二十世紀における誰でもわれわれが理解するようにそれを理解したであろう。第二次世界大戦および朝鮮で戦った世代はこの幻視における兵士たちの役割をただ1960年の後にのみよりよく理解したのか? 「聖母がそれを望んでおられる」ので1960年には開示するようにというシスター・ルチアの主張はただ、ルチアが1960年のあたりで何かあることが起こるであろうということ、あるいはその直ぐ後に秘密を未来の出来事の預言として明白に理解可能とするであろうということを知っていたということを意味することができるだけである。秘密は明らかにケネディ大統領の暗殺と何の関係もなかった。しかし1963年に公表されたヨハネ二十三世の回勅 Pacem in Terris 、あるいは1962年に開かれたが、しかし1959年1月25日に告知された第二バチカン公会議についてはどうか?

C. 「アンジェロ・ソダノ枢機卿によってなされた告知....」

欺瞞は、第三の秘密のテキストが「一つの象徴的な鍵において」解釈されなければならないという国務長官の陳述において続く。この提案の目的はソダノ枢機卿が次のように言うことによって実際の幻視をねじ曲げるとき明らかとなる:「彼[教皇]もまた見たところ死んだように、地上に倒れる。」前章で論じたように、「見たところ死んだように」という言葉はシスター・ルチアの「殺された」という言葉とまったく反対である。

これに続くことは、1981年における出来事を指摘することによってであれ、あるいは1989年に共産主義が、そして無神論の広まりが終わったというばかげた宣言をもってであれ、メッセージを過去の中へと押し込めることである。ゴルバチョフの「グラスノスチ」や「ペレストロイカ」は The Fatima Crusader のさまざまの号で十分に論じられた。そしてこれらの分析をここで繰り返す必要はない。しかしながら、国務長官が聖母からのメッセージの地位を低下させるために十年前の古い嘘を用いることをしりごみしないのを見ることは悲しいことである。

D. ラッツィンガー枢機卿の「神学的注釈」

i)序論的な控えめの取り扱い

この注釈のまさに2行目( TMF, p.32)はすでに「いわゆる第三のファチマの『秘密』」が「その全体において公表された」という主張を含んでいる。この嘘は後でも( TMF, p.39)繰り返されている。アンドルー・セザネクによって引用された論考はこれが一つの嘘であるという十分な証明を作りだしている(次章を見よ)。われわれはこの欺瞞をこの章の結論において論じるであろう。

次の陳述は控えめに言って皮肉なものである:

大きな神秘が開示されるのではない。また未来が明らかにされるのでもない。われわれは、象徴的であり、解読するのが容易ではない言語において記述された一つの情景において表された過ぎ去ったばかりの世紀の殉教者たちの教会を見ている。注16)

もしいかなる大きな神秘も開示されるのでないならば、なぜ聖母はまず第一にそれを秘密とする労を取られたのか? おそらく -- 後に見るであろうように -- 未来はわれわれに与えることが明らかに差し控えられた第三の秘密の他の部分、「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々」に続く聖母の言葉を含んでいる部分、において明らかにされている。いずれにせよ、教皇を射撃して死なせる兵士たちの幻視が単に過去の象徴であると主張することは、特にファチマ・メッセージのその他のいつになく明白なメッセージとの関連においては、不合理なことである。

たいていの預言と比較して -- 黙示録を解釈する諸々の困難について考えれば -- ファチマの秘密は実際ことのほか明白であり、要点に触れている。なぜ第三の秘密は「象徴的で解読が容易でない」のか? なぜ二十世紀は1999年で終わるのであろうか?

1900年にドイツの皇帝ヴィルヘルム二世はこの年が二十世紀の始まりであると布告した。これは数学的に不可能なことである。ラッツィンガー枢機卿の数学は彼の神学と同様に真理の代わりに権威に依存しているように思われる。こう言うことは、1984年と2000年との間の精神のやや例外的な変化の光に照らして「安っぽい論争」に従事することではない。1984年に第三の秘密の内容を論じたとき、ラッツィンガー枢機卿は「終わりの時」や「宗教的預言」について語り、こう言った:

....しかし、この第三の秘密のうちに含まれた事柄は聖書において告知され、またそれらの知られた内容において他の多くのマリアの御出現自身によって確証されていることに符合する。。注17)

1984年のラッツィンガー枢機卿の陳述は TMF における第三の秘密についての彼の控えめの扱いにまったく矛盾している。ポール・クレイマー神父 注18)はこの点に関して他の諸々のマリア御出現から最も重要なマリアのメッセージを集めている。それらはまったくぞっとさせるものであり、そして確かに -- 少なくとも預言の一部において -- なお来るべき諸々の出来事を予告している。

われわれはその出版物全体の同じ基本的な傾向 -- それは第三の秘密を教皇の生命に対する失敗した襲撃の取るに足りない予告へと矮小化しようと試みることにおいて大いに不正直である -- にもう一度直面させられる。われわれは教皇の生命に対する失敗した襲撃を「取るに足りない」予告と呼んでもよいのか? そうだ!われわれはすでにそう言ったし、そしてそれは真実である:襲撃は失敗した。そしてたとえその襲撃が教皇を殺したとしても、このことは第三の秘密とは何の関係もなかったであろう。ローマの方言ではわれわれはこう言う:Morto un Papa, se ne fa un'altro":一人の教皇が死ねば、別の教皇が作られる。

もう一つの問題が生じる:なぜバチカンでは誰も、第三の秘密が教皇ヨハネ・パウロ一世の早すぎた死を取り扱うであろうと示唆する労を取らなかったのか? 彼はまったく取るに足らない人物だったのか? いかなる教皇も取るに足らない人物ではない。しかし神は決して未来を知らなかった-- 神は知っておられる。教皇の生命に対する失敗した襲撃は実際、ラッツィンガー枢機卿が巧妙に定式化しているように、「何ら大きな神秘ではない」、しかし一人の教皇の実際の -- そしてまったく不可解な -- 死は都合よく忘れられたのである。

預言と三人の幻視者たちのコメントは「教皇が多く苦しまなければならないであろう」ということを非常に明らかにしている。二つの世界大戦に関連して、そしてもっと悪いことには -- 後に見るであろうように -- 病院における数ヶ月を第三の秘密とする点にまで一人の教皇の重要性を強めることはほとんど偶像崇拝に近い。教皇がローマのジェメリ病院で苦しまなければならなかったことは人が考えることを望みさえしないであろうある事柄である。しかしながら、今日の医療をもってすれば、そのときの教皇の苦痛はナチスの強制収容所における平均的な司祭に -- 鉄のカーテンの背後のもっと多くの司祭や司教たちの運命は言うに及ばず -- さえ匹敵しない。

すべてのことの中で最も印象的なことは、もし第三の秘密がただ、一人の教皇が暗殺未遂を生き延びるであろうということだけを予告しているとするならば、そのときなぜラッツィンガー枢機卿は1984年に、秘密は「宗教的預言を扇情的表現と混同すること」を避けるために明らかにされてこなかったと言ったのか? 3年前に起こっていた失敗した暗殺未遂に関する一つの預言についての1984年の扇情的表現とは何であったろうか? 明らかに何もない。この点だけについても、ラッツィンガー枢機卿の彼自身の以前の証言との甚だしい矛盾は彼の信憑性にとって致命的である。第三の秘密についての彼の現在のバージョンは法律家たちが最近のでっち上げと呼ぶところのものである。彼が1984年に念頭においていた「扇情的表現」は明らかに1981年の暗殺未遂ではありえなかった。

ii)公的啓示と私的啓示について

ラッツィンガー枢機卿は意味ありげに、ファチマの現象全体を「私的啓示」-- 人はそれらをそれらの真正性に依存して「インチキの」あるいは「途方もない」のいずれかと呼ぶべきである -- の文脈の中に置いた。ラッツィンガー枢機卿は、すべての「私的啓示」と同じように教会当局によって真正であると認められたファチマのメッセージは「福音を理解し、ある特定の時にそれをよりよく生きることにおける一つの真の助けであり得る。それゆえにそれは無視されるべきではない。それは提供されている一つの助けである。しかしそれは用いることを義務づけられているものではない」と述べている。換言すれば、ラッツィンガー枢機卿によれば、教会においては誰も -- 教皇も、司教も司祭も、平信徒の成員たちも -- ファチマのメッセージに従う義務はないのである。ファチマ -- ロシアの奉献と5回の初土曜日の信心を含む -- は純粋にオプショナル[随意のもの]である。われわれは、もしがそうすることがよいと思うならば、単純にそれを完全に無視することができる -- あたかも太陽の奇跡が決して起こらなかったかのように;あたかもファチマのおとめの要求が幽霊によってなされたかのように!ファチマはわれわれが好みで取ることもできるし、あるいは捨てることもできる単なる一つの「助け」である、と。

歴史の中で最も博学な教皇たちのうちの一人であったベネディクト十四世は正当に、これらの啓示は信仰の同意をもって主張されることはできないが、しかし「むしろそれらをわれわれの前にあり得るものそして敬神にとって信用し得るものとして置く分別の要求と一致した人間的信頼の同意」をもって主張できると言っておられる。しかしラッツィンガー枢機卿の教皇ベネディクト十四世の引用はむしろそつなく、ファチマについてそのように異例であるもの、そしてそれを他の諸々の「私的」啓示の範疇から引き離すもの、すなわち、ファチマが単なる「敬神にとって信用し得るもの」以上の何かであるということを証明する驚くべき太陽の奇跡、を無視している。

ラッツィンガー枢機卿はこのアプローチを、過去二世紀の異例の啓示のすべてについて、取っていると思われる。例えば、彼はコルプス・クリスティの祝日および聖マルガリタ・マリア・アラコックに対する聖心についての異例の啓示を単に典礼に対する一つの効果を持ったにすぎない一つの出来事へと引き下げている。このことは、われわれが、その同じ「私的」啓示において聖マルガリタ・マリアに伝えられた聖心にフランスを奉献するようにとのキリストの要求に従うことを、ルイ十四世と彼の二人の後継者たちが拒絶した後のフランスの運命のことを考えるとき、冒涜すれすれのことである。注19)

ラッツィンガー枢機卿の預言に関する誤った考え方は次の陳述において恥ずべきほどに明らかである:

....聖書的な意味における預言が未来を予告することを意味するのではなくて、現在のために神の意志を説明すること、そしてそれゆえに未来のために取るべき正しい道を示すことであるということは念頭に置くべきである。何が起ころうとしているかを予告する一人の人間は未来を隠そうと欲する精神の好奇心に応じるのである。

これは、すべての自由に与えられた恵み gratiae gratis datae の最高のものの一つと一般に呼ばれるすべての預言の否定に等しい。預言はしばしば過去と現在との正しい解釈を含んでいる。しかしそのものとしては未来の予告として理解されている。イザヤ、ダヴィド、キリスト、聖パウロは「精神の好奇心に応じた」そして教父たちや多くの教会博士たちはただ「未来を隠す」ことを欲したのか、それとも再びラッツィンガー枢機卿が間違っているのか、そのどちらかである。その答をわれわれはあなたがたに残してもよいだろうか?

ラッツィンガー枢機卿は預言を「時代のしるし」に還元する。それは、おそらく彼が時代の真のしるし:すなわち、空の教会、異端、背教、冒涜、性的倒錯と不純、ネオ異教主義、そしてカトリック教会におけるあらゆる事柄に関する多くの司教たちや司祭たちの間の全体的な不一致、を見損なっているからである。バチカンにおける指導的な諸勢力の間で一致している唯一の事柄は伝統的なカトリック神学を憎むことである。それは、カトリック信仰へのロシアの回心という考え全体と並んで、彼らによって軽蔑されている。-- それは再びわれわれがここで議論している犯罪を引き起こした教会のビジョンについてのまさに葛藤そのものである。

ラッツィンガー枢機卿はこれらの時代のしるしが、聖霊が二度目に来たとその中で主張されている第二バチカン公会議として知られている出来事とは何の関係もないと言い張った。それはわれわれが公会議の苦い結果から見ることができるように、明らかに誤りである。

われわれが、「論争家」ということで非難されてもよいけれど、預言に関する教会の教え、そして聖パウロ(キリストの模範に従っている)や教父たちがこの神の賜物に帰した重要性の光に照らして、ラッツィンガー枢機卿の陳述は控えめに言っても異端や冒涜すれすれである。詩編と聖ヨハネ・ボスコあるいはファチマとの間のあらゆる事柄を「精神の好奇心に応じること」に引き下げることは聖書、教父たち、伝統、そして未来に関するほとんどすべての例外的な啓示を地方のスーパー・マーケットの現金出納機の側に置いてある最低の印刷物のレベルでの一種の聖職者の虹の新聞 a sort of clerical Rainbow Press だと宣言することに等しい。神の諸々の預言の未来の予告が単に怠惰な人間的好奇心の対象にすぎないというほのめかしは神と聖人たちに対する一つの侮辱である。そしてこのことは決して軽く考えられることはできない。

TMF の 38 ページで、ラッツィンガー枢機卿は再びソダノ枢機卿の幻視の意味の軽視に言及している:

[それらは]未来の諸々の出来事の詳細を写真のように記述しているのではなくて、一つの明確でない連続と持続において時代を通じて拡がっている諸々の出来事や事実の単一の背景と対比して綜合し圧縮しているのである。

これらの出来事のすべてが過去にあり、そして何らの神秘ではないということがこれらの高名な枢機卿たちの明白なメッセージである。

iii)ラッツィンガー枢機卿の「解釈する試み」

ここで最初に生じる第一の問いはラッツィンガー枢機卿の驚きに関係している。 TMF (p. 39)において、彼は聖母の汚れなき御心に対する信心が救いへの道であるというおとめ[マリア]のメッセージは「アングロ・サクソンとドイツ人の文化世界」にとっては驚くべきものであると述べている。ラッツィンガー枢機卿はなぜこう言うのか? イギリス人やドイツ人は余りにも無知で、教皇レオ十三世は言うまでもなく、聖心 注20)、聖マルガリタ・マリア・アラコック、聖フィリップ・ベニティウスについては聞くことができなかったのか、それとも彼らは余りにも知性的で、そのようなイタリア人あるいはスペイン人のロマン主義に騙されることができなかったのか? 真面目なドイツ人は彼の女の子にこう告げるのか:「私は私の頭脳のすべてをもってあなたを愛する」と? あるいは決然としたイギリス人は彼の情熱を彼の意志の能力への冷淡な言及でもって伝えるのか? そのようなばかげた陳述の目的は何であるか? その答はこの理解不可能な枢機卿の「驚き」に続く行のうちにある。

ラッツィンガー枢機卿の「ファチマの『秘密』を解釈する試み」はいずれにせよそれ自体秘密ではないもの -- これは明らかにされなかったのであるから -- を解釈することに完全に失敗している。しかし彼はほかならぬ汚れなき御宿りである聖母御自身の地位を低下させることには成功している。この高名な教会のプリンス[ラッツィンガー枢機卿]は、聖母がルルドに御出現になったとき、「[原罪の]汚れなしに宿った者」として自己紹介をなさったのではなくて、むしろ「私は[原罪の]汚れなき御宿りです」と言われたことを忘れてしまったと思われる。ただ彼女だけが、すべての単なる被造物の中で、原罪をもたずに宿られたのであり、一つの罪をも決して犯されたことがなかった。ただ聖母の御心だけが -- 内部器官ではなくて、聖トマスが共通感覚 sensus communis と呼ぶ心である、霊魂の第三の機能に言及している -- それゆえに、汚れなき御心なのである。ラッツィンガー枢機卿は神の御母に留保されたこの用語を、神の恵みによって完全な内的一致に到達し、そしてそれゆえに『神を見る』どの心をも含ませるように膨張させることに後込みしない。彼は、ただ次のように言っているだけであるマテオ5:8 を引用することによって彼の解釈のために福音を悪用することを恥じることさえしない:「心の清い人は幸いである。彼らは神を見るであろう。」キリストは心の清さについて語っておられるのであって、「完全な内的一致」について語っておられるのでない。そして確かに唯一の汚れなき御心について語っておられるのではない。もしわれわれが、それ[汚れなき御心]を「心の清い」すべての人に帰することによって汚れなき御心の排他性についてのこの暗黙の否定に従うならば、そのときわれわれは、すべての司祭は、 alter Christus (もう一人のキリスト)として奉献され -- これは彼らのラテン語の称号 Reverendus (尊敬されるべき)を説明するであろう -- からして、聖なる心を持っているという論理的結論に達してもよいであろう。しかしすべての司祭が聖なる心を持っていると言うことは冒涜であろう。これはまさにラッツィンガー枢機卿の汚れなき御心を軽視するやり方について考えるべき事柄である。

「われわれはわれわれ自身とキリストの間に一人の人間を置くべきではない」という「典型的にプロテスタント的な」反対でさえ、ラッツィンガー枢機卿によって聖母についての明らかな無知において答えられている:彼は、御自分の御母をすべての恵みの Mediatrix 仲介者とすることによって御自身とわれわれの間に一人の単なる人間を置き給うたのがわれらの主御自身であったということを説明する代わりに、彼を「模倣する」ようにという聖パウロの勧めを引用している!

「白い衣を着た司教」の幻視における一つのイメージについての彼の説明において、ラッツィンガー枢機卿はこう言っている:

このようにして、人間の自由の重要性が強調されている:未来は実際変更され得ない仕方で設定されているのではない。そして子どもたちが見たイメージはその中で何物も変化させられ得ない一つの未来のフィルム像では決してない....幻視の目的は取り消し得ない仕方で固定された未来のフィルムを示すことではない。注21)

これは、再び、預言の否定である:子どもたちは一つの完全に条件的な幻視を持ったのではなかった。聖母は変化し得ない未来をもし彼女の望みが心に留められないならば起こるであろう諸々の結果から明白に区別なさった。現実に何が起ころうとも、その真の未来をそのものとして変化し得るものと宣言することは神の摂理および予定に関する教会の教えに反する。神の摂理の永遠の計画は変化し得ないものである。なぜなら、神は変化し得ないからであり、また何物も摂理から独立には起こり得ないからである。注22)神はその神的智慧において未来全体を知られる。それゆえに未来全体は、第一バチカン公会議が権威をもって教えたように(D.S. 3003)、変化し得ないものである。

もしラッツィンガー枢機卿の陳述が、それが言っていることを意味するならば、彼は少なくとも実質的な異端者である。もしそれが、われわれは、聖母の要求に従うことによって未来を変えることができるということを意味するならば、そのとき彼の未来の概念は歪んでいる。もしある男が子どもたちの父親になる代わりに司祭になろうと決断するならば、彼は、彼の生まれる前に設定されていた彼の未来を「変える」のではない。むしろ、彼は考え方を変えたのである。ラッツィンガー枢機卿の陳述は主観的精神の表現であるか、それとも異端的な精神の表現であるかのいずれかである。「変化し得ない運命というものは存在しない」注23)という陳述を考慮するとき、ラッツィンガー枢機卿の考え方は後者であると思われる。

いかなる種類の「フィルム・イメージ」(三人のファチマの子どもたちによって見られた)をも否定することにおける枢機卿の主観的確信は彼が誰をファチマの真の預言者であると考えているか -- 彼自身であって、そして確かにファチマの聖母ではない -- を示している。

ラッツィンガー枢機卿が幻視は彼女(ルチア)が「諸々の信心書において見たであろう」イメージを具現していると言うとき、シスター・ルチアは幻視者として最終的には疑われているのである。注24)このことは幻視全体を幻想の産物と宣言することに等しい。そして、グルーナー神父がその論考においてベルトーネ / ラッツィンガー注釈をそのように適切に記述しているように、ファチマを「過ぎ去り、そして始末された諸々の出来事を含む一般的なカトリック信心および決まり文句に他ならないものへと」解消する計画の中へこじんまりはめ込んでいるのである。注25)

前章において論じたように、 TMF の最後のページは再び、「私の汚れなき御心は勝利するでしょう」という聖母の言葉を含む秘密におけるあらゆる事柄は、過去の一部であると宣言する。-- その言葉から枢機卿は終わりにという言葉を意図的に脱落させている。枢機卿はファチマのすべてを「マリアのフィアット、世界の歴史を変えた彼女の心の言葉」注26)へと引き下げている。これはファチマを舞台からすっかり消すための一つの明らかに滑稽なそして不器用な努力である。

iv)ラッツィンガーのパン種

学問的な「解釈」の装いの下にファチマのメッセージを取り除こうとするラッツィンガー枢機卿の試みは「慎しみて、ファリザイ人、サドカイ人のパン種に用心せよ」(マテオ16:6)との弟子たちへのわれらの主の忠告を思い起こさせる。そのときにパンを食べていた弟子たちは最初理解しなかった。パンの中のパン種についてのこの話はファリザイ人と何の関係があったのか? しかしながら、間もなく彼らはわれらの主のおっしゃる意味を把握した:「ここにおいて彼ら、イエズスの用心すべしとのたまいしはパンの種にあらずして、ファリザイ人、サドカイ人の教えなることを悟れり。」(マテオ16.12)

アルバン・グッディエ、S.J. 大司教が聖書におけるこの節に関する彼の古典的な注釈において説明したように、われらの主は弟子たちにキリストに対する公然の反対よりも遙かに危険であったファリザイ人の諸々の微細な区別に用心するように教えられたのである:

キリストが御自身のために恐れられたのは彼らの反対ではなかった。それは彼らの[ファリザイ人の]微細な区別であった。以前にファリザイ人はキリストの諸々の奇跡や他のよい行いのために彼を非難していた。キリストはこのことが御自分の友人たちを御自分から取り去ることはないということを知っておられた。ところで、今朝彼ら[ファリザイ人]は見せかけの単純さ、真理を知りたいという見せかけ、預言者たちへの訴え、伝統への熱意、律法と秩序に対する尊敬、そしてあるべき権力への従順を携えてやって来た。そしてこのすべてが、いかなる公然たる敵意より以上に御自身の弟子たちに影響を与えやすいということを知っておられた。パン種のように、彼らが用心していなかったならば、それらは知らず知らずの間に彼らの間に広まっていたであろう。注27)

ファチマのおとめ[マリア]はわれらの主御自身と同じように、そのメッセージにおいてまったく率直であられた。しかしラッツィンガー枢機卿は昔のファリザイ人のように、巧妙に排列されて、神の真理を曖昧にする諸々の微細な区別や聖書への引用に満ちている。そしてファリザイ人と同じように、枢機卿はメッセンジャーとメッセージに対する尊敬の大きな見せかけを伴った彼の物事を曖昧にさせるやり方を提示する。しかし尊敬の外見の下には一つの弱く偽装された軽蔑がある。枢機卿が彼のファチマに対するファリザイ的な「讃辞」を終えるときまでに、そこには何も残らない。彼にとって事柄はすべて非常に希薄なものである -- 余りにも希薄なのでそれは消失するのである。

しかしファチマにおける御出現はそのように希薄ではない。それらの御出現は、バチカンにおける神学者たちを含むこの世の賢者や学者の教化と指導のために、読み書きのできなかった小さな子どもたちに与えられた。聖母はファチマに御出現になったか、それとも御出現にならなかったか、そのいずれかである。聖母は子どもたちがそれを聴いた通りに記憶し繰り返すことができた一つの明白なメッセージを彼らにお与えになったか、それともそうでなかったか、そのいずれかである。聖母はこのメッセージが世界に手渡されることを意図なさったか、それとも意図されなかったか、そのいずれかである。聖母は御自分のメッセージが正確に伝えられることを保証されたか、それともそうされなかったか、そのいずれかである。聖母は道理に適った疑いのどんな影をも超えて太陽の奇跡によって、[ファチマに]来られ、話され、命令されたのは実際に御自分、天と地の元后であったということを保証なさったか、それともそうでなかったか、そのいずれかである。答はいずれの場合にも、明らかに聖母はそうなさったということである。なぜなら、彼女は神の御母であるからである。

ファリザイ人たちとの出会いにおける弟子たちのように、われわれは過去四十年間にわたって有毒のパン種のように教会中に広まったファリザイ的な微細な区別立てに用心しなければならない。今やファリザイ人たちの最後の日のパン種は、ラッツィンガー枢機卿が、どの心も汚れなき御心に似たものであり得る、そして「終わりには私の汚れなき御心は勝利するでしょう」は2,000年前のお告げを意味するとわれわれに告げているように、ファチマのメッセージに侵入しようとしている。昔のファリザイ人たちはまさに彼らが真理に対する真の尊敬を持っているように見えたがゆえに危険であった。今日、ファチマのメッセージに対する見せかけの尊敬はその最も決定的な敵対者たちを隠している。

結論

既に非常に奇妙な公会議後の教会におけるより奇妙な出来事の一つにおいて、われわれはラッツィンガー枢機卿とモンシニョール・ベルトーネによって準備された第三の秘密における幻視についての非正統的なコメントから生ずる二三の疑問に直面する:

証拠はこれらすべての疑問に対する一つの答を指し示している:われわれが何らかの種類の罪の直面するときにはいつでも、われわれは次の質問をしなければならない:すなわち、Cui bono ? -- それは誰の利益になるか?

第三の秘密およびそのものとしてのファチマについてのバチカンの偽造工作と支離滅裂さは少数の退屈した高位聖職者たちによるばかげた遊びではあり得ない。大きな困難を伴わずには暴露され得ない嘘のでっち上げのためには一つの重要な目的がなければならない。一つの重要な目的のためでないならば、なぜこの暴露の危険を冒すか?

第三の秘密が未来のためのある政治的に正しいあるいは都合のよいビジョンを予告することはばかげたことではないということが明らかであるので、しかし -- 反対に -- それは過去へと移され、そしてどんな実在的な重要性をも奪われたので、公表の行為全体の唯一の目的は聖母の実際の言葉からの一つの戦略的な方向転換でなければならない:すなわち、幻視と預言は欺瞞あるいは -- 情報社会がそう呼ぶことを好むように -- 認知操作へと転換される。

この答は一つの単なる根拠のない推測では決してない。第三の秘密の幻視それ自身および1984年にラッツィンガー枢機卿自身によって言及された他の認められた御出現を含む、これまでわれわれが議論してきたあらゆる証拠は、実際の第三の秘密が公衆には与えられなかった聖母の言葉とそしておそらく、公表されたと主張されている幻視の真正のテキストでなければならないという結論を指し示している。

われわれはこの章を証拠によって提出されたさらにいくつかの疑問で閉じることにする:

なぜ国際的な報道機関は -- 主として論評あるいは反対なしに -- 「幻視」を公表したか? 通常、彼らは聖なるものを嘲笑し、疑い、否定しそして中傷することにおいてまったく有能である。ただ教皇ピオ九世を列福するというバチカンの告知に対する国際的な反応だけでも考えてみよ。われわれはこれが厳密に神学的な議論ではないということを認める。蓋然性の考慮は、しかしながら、聖トマス・アクィナスによって受け入れられてきた。彼の常識は -- G. K. Chesterton が指摘しているように -- 「ありそうなことに対する感覚」である。

なぜわれわれは、公表されたテキストの真正性、あるいはそれらの真正の解釈に関する「シスター・ルチアの個人的な」主張について確信しているのか? 最高の高位聖職者たちのうちの二人は第三の秘密は「何ら大きな神秘」を含んでいないと彼らの共同で提出した「注釈」において宣言することを躊躇しない。彼らはわれわれにわれわれの知性を侮辱することから(少なく見積もっても)最も近い異端および冒涜にまで及ぶ馬鹿げたそして自己矛盾した陳述を提示している。

このことから考えて、われわれは「シスター・ルチアの」[書いた]行は誰かの手書きを再現することができ、100ドル以下で入手可能なソフトウェアの産物ではないと確信することができるか? その場合に、誰がシスター・ルチアにその公表について尋ねることを許されるのか? 確実にわれわれのうちの誰も許されない。

これは単なる被害妄想ではなくて、われわれに論証可能な嘘を告げた人々の習慣的な誠実さに関する用心深い疑いにしかすぎない。不一致や自己矛盾について疑いを持つとしても、その人は被害妄想にかかっているのではない。聖母からの一つのメッセージを与えずにおくための多くの理由は、だとしても、あり得ない:そのメッセージが地方的に限定された破局、洪水あるいは核攻撃の預言のような、パニックを引き起こすに十分なほど恐るべきものであるということは考えられ得るであろう。あるいはそのメッセージは、黙示録における少数の行についてそうであろうように、余りにも象徴的で理解できないものであることもあろう。あるいはそのメッセージはまったく明快かつ明白であるが、しかしその公表に対して力を持っている人々にとって非常にまごつかせるものでもあり得よう。

最初の二つの可能性はファチマおよびたいていのマリア御出現には相応しくないということは明らかと思われる。そのことはわれわれの結論として第三の可能性へとわれわれを導く:すなわち、バチカンは極端にとまどわせるものであろう何かあることを隠さなければならないという可能性である。われわれは十六年の間ファチマの公式の文書保管者であったホアキン・アロンソ神父の次の証言を思い起こす:

それゆえに、テキストが教会内部の信仰の危機そして司牧者たち自身の怠慢[そして]教会のまさに懐における内部闘争そして上層の位階の重大な司牧的怠慢とう危機に具体的な言及しているということはまったくあり得ることである。。注29)

このことは1846年のラ・サレットにおける聖母の御出現とメッセージ、1634年のキトの好結果の聖母の御出現および少数のその他の御出現とも完全に一致している。そしておそらくわれわれは第三の秘密の実際のテキストをひょっとして知っているのかもしれない:ある種のオラトリオの録音を聴いている間に超自然的なメッセージを聴いた一人のおそらく信頼のおけると考えられるフランス人司祭の数年前の話がある。彼は次のようなことを聴いたと主張している:

教会の面を変えるであろう一つの邪悪な公会議が計画され準備されるでしょう。多くの者が信仰を失い、混乱が至るところを支配するでしょう。羊は彼らの牧者たちを探し求めますが無駄でしょう。一つの分裂が私の御子の衣を引き裂くでしょう。-- これは、聖書において告知され、そして多くの個所で私によってその記憶を呼び起こされた時の終わりでしょう。諸々の忌むべきものどものうちの忌むべきものがその絶頂に達し、そしてそれはラ・サレットにおいて告知された懲罰をもたらすでしょう。私がもはや抑えることができないであろう私の御子の腕がこの哀れな世界を罰するでしょう。世界はその罪を償うわなければなりません。-- 諸々の戦争と革命について以外には何も話されないでしょう。自然の諸要素が解き放たれるでしょう。そして最善の人々(最も勇敢な人々)にさえ、苦痛をもたらすでしょう。教会はそのすべての傷口から血を流すでしょう。堪え忍び私の御心のうちに避難所を求める人々は幸いです。なぜなら、終わりには私の汚れなき御心は勝利するでしょうから。

もちろん、このテキストの真正性に対するいかなる証明も絶対にない。われわれはこれが実際の第三の秘密であると主張してはならない。しかしながら、それは第三の秘密の幻視の部分についてのバチカンの「解釈」のうちに含まれているものよりは遙かに納得させるものである。

第二バチカン公会議に引き続く諸々の異端と背教がそのように悲劇的で広範な重要性をもっているからして、常識はこれが第三の秘密あるいはそれの一部であると信じることを要求するのである。聖母が第一次世界大戦の終結、ピオ十一世下での第二次世界大戦の勃発、ロシアがその諸々の誤謬を広めること、ロシアが懲罰の道具であること、ある未来の教皇が兵士たちによって殺されること、しかし第二バチカン公会議と共に始まる激変的な発展については何もないこと、すべての戦争を無意味なものへと精神的に色あせさせる一つの出来事について知っておられたということはあり得るか? われわれは他ならぬ教皇パウロ六世がすでに次のように言われたということに言及した:

教会は不安の時、自己批判の時のうちにある。人はそれを自己破壊の時とさえ言ってもよいであろう!それは内的な、激しいそして込み入った革命のようである。公会議後その革命のために誰も準備をしていなかった。(1968年12月7日)

彼はまた教会の中へ入った「サタンの煙」にも言及された。自らが危機の中心にいると考えられた教皇パウロ六世でさえ、ある点までその大災難に気がつかれた。他の認められた諸々の御出現が、ラッツィンガー枢機卿でさえ認めているように、信仰に対する諸々の危険について話しているときに、ファチマの聖母がそのことについて何も言うべきことを持っておられなかったということが考えられるか? これは明らかに不可能である!

そしてそれゆえに、フランス人司祭が受けたと主張している上に引用したメッセージの真正性に対して -- われわれはそのことを再び言うが -- 何の証拠も存在しない一方で、第三の秘密がこれらの線に沿った何かあるものであることに代わる他の論理的選択肢も存在しない。このことはただ、バチカンがなお公表すべき第三の秘密に関係する一つのテキスト -- ポルトガルにおいては保たれる信仰の教義についての言葉に続く一つのテキスト -- が存在するということを意味する。われわれはこのことを次章において論じる。

カイヨン神父はこう言った:「すべての者が次のように言い、かつ考えることを義務づける一つの命令がローマから来た:『奉献は為された。教皇はおできになるすべてのことをなさったから、神は畏れ多くもこの態度に同意なさった』と。ロシアの奉献はまだなされていないと主張していた多くのファチマ使徒職団体が突然1984年奉献が神の要求を満たしたと主張し始めたのはこの時、すなわち、1988年から1989年にいたるこの頃であった。(p. 94 および p. 277-278 を見よ。)


脚注

1. 1986年から1991年の間に、数人のサンピエトリーニ、すなわちローマのサン・ピエトロ広場における制服を着た衛兵たち、はグレゴリウス・ヘッセ神父(長年バチカンで働いた)に直接、広場でのほとんど毎回の教皇ミサの後では聖体が地面に落ちているのが見つかったと、語った。

2. その中で人が救われることができる唯一の宗教が神に喜ばれることができる。そしてそれはただ一つだけである(これは信仰の教義である)。その反対は異端であり、また冒涜である。真理そのものであり給う神は真理に無頓着であり給うことができないからである。その反対のことを述べることは冒涜である。

3. The Fatima Crusader, Issue 64, p. 115.

4. Ibid., pp. 54ff.

5. Ibid., p. 55.

6. Ibid., p. 18.

7. Daniel Le Roux, Petrus liebst du mich?(Stuttgart 1990). Peter, Lovest Thou Me?, p. 110. The skeptic will find that I only referred to pictures which can be easily found in the English translation published by Instauratio Press, Yarra Junction, Australia, 1988.

8. Ibid., p. 112.

9. Ibid., p. 127.

10. Ibid., p. 155.

11. Ibid., p. 172.

12. Ibid., p. 177.

13. Ibid., p. 236.

14 Ibid., p. 144.

15. The Fatima Crusader, Issue 64, p. 31.

16. Joseph Cardinal Ratzinger, “Theological Commentary”, The Message of Fatima TMF), June 26, 2000, p. 32.

17. The Fatima Crusader, Issue 64, pp. 34f.

18. Ibid., pp. 115ff.

19. See Bishop Emile Bougaud, The Life of Saint Margaret Mary Alacoque (originally published by Benzinger, 1890; republished by TAN Books and Publishers, 1990), Chapter XIV, “The Last Grand Revelation—The King of France, 1689”.

20. 十三世紀においてドイツ人の聖ゲルトルーデは「聖心の使者」であった。 See St. Gertrude the Great, published by the Benedictine Convent of Clyde, Missouri, republished by TAN Books and Publishers in 1979, pp. 26ff. このようにわれわれはなぜ「ドイツの文化的世界」が聖心あるいは汚れなき御心に対する信心について何かある奇妙なものを見出すのかを理解しないのである。

21. Joseph Cardinal Ratzinger, “Theological Commentary”, The Message of Fatima, English edition, June 26, 2000, p. 40.

22. St. Thomas Aquinas, Summa Theologiae, 1.q.22, a.2.

23. Joseph Cardinal Ratzinger, “Theological Commentary”, The Message of Fatima, p. 42.

24. Ibid.

25. The Fatima Crusader, Issue 64, p. 51.

26. Joseph Cardinal Ratzinger, “Theological Commentary”, The Message of Fatima, p. 43.

27. Archbishop Goodier, S.J., The Public Life of Our Lord Jesus Christ, Vol. I ,(Burns Oates & Washbourne Ltd., London, England, 1932)p. 462.

28. ソダノ枢機卿は2000年5月13日にファチマでその演説の中でこう述べた:「1989年の引き続いて起こった諸々の出来事がソ連および東ヨーロッパの多くの国々の両方において無神論を促進した共産党政権の崩壊へと導いた。」

29. Father Joaquin Alonso, La Verdad sobre el Secreto de Fatima, (Centro Mariano, Madrid, Spain, 1976)p. 73. In The Whole Truth about Fatima - Vol. III, p. 704. See also The Fatima Crusader, Issue 64, p. 121.

2005/06/11 三上 茂 試訳

目次

作成日:2005/06/11

最終更新日:2005/06/11

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