ファチマの聖母マリア

悪魔の最後の戦い

われわれの時代のための黙示録的解答

第14章 天のために証人に耳を傾けよう

バチカンのファチマの第三の秘密のバージョンほどに説得力のなかった事実の開示はこれまでほとんどなかった。 CDF の小冊子 The Messeage of Fatima の 2000 年6月の公開が問題を終わらせると考えた、あるいは希望した人々は、おそらく報道機関におけるファチマをめぐる最近の大騒ぎによって驚かされているであろう。そこには何ら驚きがあるべきではなかった。40年以上の間ほとんどあらゆる戦術 -- 沈黙、脅迫、悪しき神学、故意の誤報 -- がファチマのメッセージを葬るために用いられてきた。にもかかわらずコルクは表面に浮き上がり続けている。2001年9月11日のテロ攻撃はファチマ物語の連鎖反応を誘発した。報道機関のおけるそしてインターネット上のざわめきは、その攻撃がまだ完全に公開されなかったファチマの第三の秘密の一部であるということであった。

ファチマの秘密全体がその冊子の中に含まれていると主張している CDF The Messeage of FatimaTMF)の起草者たちにとってどのように腹立たしいことであろう。彼らは単純に信じられていないのである。部分的には彼らが信用できる人々ではないからであるが、しかしまた、ある種の集団的意識、われわれの今にも起こりそうな破滅の共有された感覚のためでもある。われわれは心の底で「愛の文明」がユートピア的なナンセンスであるということを知っている。それは決して存在したことはなかった。真のファチマ・メッセージはこのことを暗黙の裡に確証している:すなわち、地獄は実在的でありそして多くの霊魂は彼らのために祈り、犠牲を捧げてくれる者が誰もいないがゆえにそこに行っているのである。天の救済策は十分に宣伝された諸宗教間祈りの集いではなくて、ロシアの奉献と回心、マリアの汚れなき御心に対する信心、ロザリオである。真のファチマ・メッセージはもっと多くの教皇の謝罪を求める要求ではない。それは「われらの罪を赦し給え」、「われらを地獄の火より救い給え」と祈るイエズスへの嘆願である。われわれは人類の新しい到来を経験しているのではない。われわれはそれが暗黒の中へと滑り落ちて行くときにタイタニック号の船上にいるのであり、そして世界はそれが自らについての判断を積み重ね続けているときに今にも起こりそうな破滅を感じているのである。

にもかかわらず、2001年9月11日の事件でさえ、ファチマが「過去に属する」というソダノの党路線を実行することからバチカン当局を思い留まらせなかった。反対に、教会に対してファチマについてのソダノ解釈を押しつける努力は、あたかもソダノ枢機卿およびその他の者が9月11日の事件が実際にカトリック教徒を驚かせて -- ちょっと待ってください!-- ファチマは終わっていないという意識にさせたかもしれないと認識したかのように、ただ激しくなっただけである。なぜなら、われわれは明らかに汚れなき御心の勝利や約束された平和の時期のようなものを何一つ目撃していないからである。党路線を再び主張するある種の大胆な行動が必要とされた。

2001年9月12日、文字通りツイン・タワーの崩壊の数時間以内に、バチカン報道室はその日のためのそのトップ・ブレティンを公表した:すなわち、聖職者聖省からの、テロリストの攻撃に関してではなく、司祭職の諸階層からほとんど毎日噴出している恐ろしいスキャンダルに関してではなく、過去40年間以上にわたる聖職者の間での異端と不従順のおびただしい数に関してではなくて、「ファチマ司祭」ニコラス・グルーナー神父に関して一つの「宣言」を公表した。その宣言はそれが「より高次の権威の命令によって」-- 国務長官ソダノ枢機卿のためのバチカン用語であって、教皇(彼は最高の権威である)ではない -- 発せられたと述べた。

宣言は全カトリック世界に教会の善に対する一つの重大な脅威について警告した:それはそのように重大な脅威なので、聖職者聖省は埃がかつてのツイン・タワーの上で収まるのを待つことさえできなかった。その脅威とはグルーナー神父の使徒職によって後援されたローマでの世界平和とファチマに関する会議から成り立っていた。

そうなのだ。世界の歴史における最悪のテロ攻撃の数時間以内のバチカンの最優先事項はすべての人に世界平和とファチマに関する会議を避けるように告げることであった。なぜか? それは、とその「宣言」は言った、会議が「合法的な教会の権威の承認を得ていない」からだ、と。もちろん、その宣言を発した者は聖職者および平信徒の会議のためにはいかなる「承認」も教会法の下では必要ではないということをまったくよく知っていた。教皇ヨハネ・パウロ二世によって公布された教会法の法典(カノン212, 215, 278, 299)は、誰かによる何らの「承認」もなしに会合を開き、今日の教会における関心事を論じる信徒の自然的権利を認めている。実際、女性[司祭]の叙階の主張者たちによって運営された無数の会議や数え切れない他の諸々の異端の会議のための「承認」の欠如については、たとえこれらの会議への参加者たちが彼らの自然的権利を乱用し、教会に大きな損害を引き起こしているとしても、バチカンは何の公示も出さなかった。使徒職のローマ会議はアメリカ薬学協会によっても承認されなかったと人は言ってもよいであろう。それがどうしたというのか?

しかしそれは最悪のことではなかった。宣言はまた、グルーナー神父がアヴェリーノの司教によって「職務停止を受け」たとも述べた。の理由で職務停止を受けたのか? 明らかに何の理由もない。なぜなら、理由は何一つ述べられなかったからである。この奇妙な遺漏の理由はグルーナー神父の教会法上の訴訟行為についての知識を持っている誰にとっても明らかであった:すなわち、「諸々の理由」は余りにも取るに足りないものなので、それらを公的に述べることは嘲笑を招かざるを得ないであろう。

われわれがすでに指摘したように、「職務停止」のためにかつて与えられた唯一の口実はグルーナー神父がイタリア、アヴェリーノ(彼はそこで1976年に叙階された)へ戻らなければならない、そうでなければ職務停止を受けなければならないということであった。なぜか? それは、彼が彼を[ある司教区で働くことができるように受け入れ任命してくれる]別の司教を見つけることに「失敗した」からだ。しかし「宣言」は三人の友好的な司教たちが引き続いて彼の使徒職を続ける明白な許可と共にグルーナー神父を認可してくれることを申し出たということ、そしてそれら三つすべての認可が、今や結果として起こった「職務停止」を告知した同じバチカン官僚たちによって阻止され(あるいは「存在しない」と宣言され)たということに言及することに失敗した。すなわち、グルーナー神父は彼の告発者たち自身が彼が従うことを妨げた一つの命令に「従う」ことに失敗したために「職務停止を受け」たのであった。(アヴェリーノの司教が2001年9月12日にはグルーナー神父に対する権威を絶対に何も持っていなかったことは言うまでもない -- というのは、グルーナー神父は今は別の司教区において活動の認可を受けていたからである。)

「バチカンの春」が始まってほとんど40年の後に、ロシアの奉献 -- 世界ではなく、「意味を探し求める青年」ではなく、「失業者」ではなくて、ロシアの奉献 -- はなされないままである。われわれが黙示録の方へ向かっているということが時々刻々と明らかになっているように、世界は諸々の地域戦争、イスラムのテロリズム、そして中絶のホロコーストによって激しく揺さぶられている。バチカン外交官たちが今や「われらのイスラムの兄弟たち」と呼ぶことを好んでいるイスラム原理主義者たちはわれわれを憎み、そして彼らのコーランの命令に従ってわれわれを征服し、あるいは殺すことを望んでいる。まったく無益な「エキュメニカルな対話」の40年の後に、プロテスタントの諸分派は彼らが始めた時よりももっと老朽化している。そして正教会はキリストの代理者[訳者注=教皇]への従順を拒否することにおいてこれまで以上に強固である。教会はその人間的なメンバーたちの堕落のゆえにすべての信用を失った世界中の諸司教区における異端とスキャンダルによってひどく傷ついている。第二バチカン公会議の新しい方向づけは全体的な崩壊、破滅的な失敗である。にもかかわらず、このすべての死、混沌、異端、スキャンダルそして背教のまっただ中で、今やすべてがそのそれぞれの絶頂に達しているときに、バチカンはニコラス・グルーナー神父の「脅威」に対して世界に警告を発すること -- たった!-- を至上命令と考えたのであった。

それゆえ、2001年9月11日の一日後、グルーナー神父 -- 信仰と道徳に対していかなる違反も犯さなかった、彼の司祭職の全25年間彼の誓願を守った、祭壇の侍者の少年たちや女性たちにみだらなことをしなかった、金銭を盗まなかったそしていかなる異端をも説教しなかった -- は非難の理由を何一つ与えなかった、そして自ら名乗る勇気すら持たなかった匿名の「より高い権威」を持つ者の「命令」を引用した一つの宣言において全教会の前に公的に非難されたのである。教会の生ける記憶においてこのようなことはかつて一人の忠実なカトリック司祭に対して起こったことはなかった。グルーナー神父 -- 党路線に対する抵抗のシンボル -- を滅ぼすという国務長官の執念は卑猥さの水準に達した。

なぜか? それはただ、ファチマのメッセージに対する根深い反感、そしてソダノ枢機卿(ゴルバチョフの友人)と彼の協力者たちがそのように揺るぎなく実行している教会の新しい方向づけにとってそれが意味するすべてのものでのみあり得るであろう。ファチマは教会と世界の現在の状態よりももっと多く彼らを不安にさせていると思われる。にもかかわらず、教会と世界の状態は確かに、グルーナー神父の迫害者たちが単純に、聖母がファチマで要求なさったことをする場合にのみ、善い方向へと根本的に変わるであろう:「もし私の要求が聞き届けられるならば、多くの霊魂が救われ、平和がやって来るでしょう。」

しかしソダノ枢機卿は確かに見込み違いをしていた。9月11日の数時間以内に「ファチマ司祭」についてのこの根拠のない非難を出したことは、さもなければ表面の価値で「宣言」を受け取る気になっていた多くの人々が、そのグロテスクなほどに不適切なタイミングについて不思議に思い始めたほどにそれについてそのようないやな臭いを嗅いだのだ。掘り崩され、あらゆる国における聖職者の裏切り者たちによって不名誉を蒙っている教会において、なぜバチカン当局は何らかの特定の悪行で非難さえされていなかったこの一人の司祭についてそのように関心を持ったのか?

グルーナー神父をスケープゴートにすることが成功しないのは、他の反ファチマ計略と同様であろう。何人かのバチカンの高位聖職者が望んでいると思われることとは反対に、ファチマ論争は一人の司祭の地位には還元され得ない。グルーナー神父に関する「宣言」に引き続く数週間のうちに、別の傑出したカトリック教徒が第三の秘密に関するソダノの党路線について重大な疑念を表明し始めた。「われわれは事柄全体を手にしなかった」と信じたのは単にマザー・アンジェリカだけではなかった。

2001年10月26日に、 Inside the Vatican ニュース・サービスが(さまざまのイタリアの新聞と一緒に)「ファチマの秘密:もっと出るか?」という表題の一つの記事を出したとき、その物語は「広範囲にばらまかれた」。その記事はこう報道した:「最後の生き残りのファチマの幻視者、シスター・ルチア・ドス・サントスが数週間前に教皇ヨハネ・パウロ二世に、彼の生命が危険に陥っていると警告していると言われた一通の手紙を送ったというニュースが最近明らかとなった。バチカン消息筋によれば、ファチマの『第三の秘密』において話されている諸々の出来事がまだ起こっていないと主張するその手紙は、9月11日のしばらく後に、ファチマの名誉[引退]司教アルベルト・コスメ・ド・アマラルによってヨハネ・パウロ二世に渡された。」

その手紙について問われたとき、ファチマの現司教セラフィム・フェレイラ・デ・ソウサは「シスター・ルチアが教皇に一通の手紙を送ったことを否定しなかった。しかし『教皇の生命に対する恐れを表明している幻視者からの手紙は存在しない』と[イエズス会的な区別をしながら]言った。」 Inside the Vatican 報道はさらに、「消息筋はまたシスター・ルチアの手紙が第三の秘密を完全に明らかにするように教皇を励ましているということ、そしてシスター・ルチアの教皇宛ての手紙が「『間もなく大きな激動と懲罰があるでしょう』というこの警告を含んでいると言われているということを示唆した。」

Inside the Vatican の記事は修道院の壁の背後でのシスター・ルチアとのなおもう一つの秘密の会合 -- この会合だけはベルトーネ / ラッツィンガーの線に従っていない -- について報道している。Inside the Vatican によれば、イタリア人教区司祭ルイジ・ビアンキ神父は「先週、ポルトガル、コインブラのカルメル会修道院に籠もっているシスター・ルチア・ドス・サントスに会ったと主張している。」マザー・アンジェリカの疑いを反響させながら、ビアンキ神父は「バチカンが、人々の間にパニックと不安を創り出すことを避けるため、彼らを怯えさせないために、完全な秘密を明らかにしなかった可能性について思いめぐらした。」

教皇ヨハネ・パウロ二世の生命に対する1981年の攻撃の預言としての秘密についてのベルトーネ / ラッツィンガーのばかげた「解釈」に関して、ビアンキ神父は「メッセージはただ教皇に対する攻撃についてだけ話しているのではなくて、廃墟と殺された男女の死体の間を歩く『白衣を着た一人の司教』について話している....このことは教皇が大いに苦しまなければならないだろうということ、そしていくつかの国家が消滅するであろうということ、多くの人々が死ぬであろうということ、われわれが西欧をイスラム化されてしまうことから守らなければならないことを意味している。それが今日起こっていることである。」

Inside the Vatican は、The Fatima Crusader が指摘したと同じように、シスター・ルチアが「バチカンから予め許可を受けなかった誰とも話すことが許されていない...」と注意深く指摘した。従って、Inside the Vatican は「ビアンキがその承認を受けたか、それの必要の抜け道を見つけたか、それとも彼が主張しているようには、実際にはシスター・ルチアに会わなかったかどうかは直ちに明らかではない」と述べることによって言葉を濁している。しかし、シスター・ルチア自身を含む誰一人、ビアンキ神父との会合が行われたことを否定したことはない。

少なくとも Inside the Vatican の消息筋のある者が[ローマ教皇庁の]クリア内部にいるということはこれらの展開に対するラッツィンガー枢機卿の反応によって示唆された。 Inside the Vatican は「手紙についての最近の噂は「ローマ・クリアの内的平衡を不安定にし、神の民を苦しめるという目的で」『信用性の疑わしいある種の人々によって養われた一つの古い論争』に過ぎない」と言った彼を引用した。しかしながら、ラッツィンガー枢機卿もまた実際に、教皇宛てのシスター・ルチアからの手紙の存在を否定していないということに注目せよ。

ラッツィンガー枢機卿の所見はまったく印象的である。「信用性の疑わしい」人々がどのように「ローマ・クリアの内的平衡を不安定にする」ことができたのであろうか? もし彼らの信用性がそのように疑わしいならば、ローマ・クリアは彼らが言うことによってほとんど不安定にさせられることはないであろう。そしてまさにこれらの「信用性の疑わしい」人々とは誰なのか?  Inside the Vatican の記事はラッツィンガー枢機卿がグルーナー神父のことを言っているのであろうと示唆した。しかし、マザー・アンジェリカについてはどうなのか? ビアンキ神父についてはどうなのか? その編集者、ロバート・モイニハンが、何かあるとすれば、彼の雑誌のタイトルが示唆しているように、バチカン当局に恩義を受けている Inside the Vatican それ自身についてはどうなのか? そして、モンシニョール・ベルトーネとラッツィンガー枢機卿は、第三の秘密を含むファチマのメッセージの諸々の預言が「過去に属する」、そして教会と世界の大懲罰のその警告がもはやわれわれと関係を持つ必要がないという彼らの主張において、まったく利用できるものではないという十分な根拠のある疑念を心に抱いている他の数百万のカトリック教徒についてはどうなのか? 実際、今日の世界の危険な状態のことを考慮に入れるならば、真面目なカトリック教徒は心の中で本当は何を信じているのか?

ソダノの党路線を押しつける断固とした努力(今や、グルーナー神父が教会において「非人格」と見なされるべきであるというソビエト・スタイルの宣言を含んだ努力)にもかかわらず、カトリック教徒たちは世界中で「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々」という鍵になる文言に続く言葉に何が起こったのかを不思議に思い続けている。なぜ TMF はこの文言から、それをファチマのメッセージから取り除き、そしてそれを脚注に置くことによって、逃げたのか? おとめ[マリア]の欠けている言葉に何が起こったのか? ロシアの約束された回心はどこにあるのか? なぜ、おとめ[マリア]が約束されたような、世界における平和の一時期がなかったのか?

消えて行かないこれらの疑問に直面して、バチカン当局は、深鍋が沸騰してこぼれ、抑制できなくなる前に、起こってくる推測に隠蔽の蓋をするなおもう一つの試みを行った。実際、不安定にされたクリアについてのラッツィンガー枢機卿の陳述はファチマの党路線が今や、おそらくファチマの警告が過去に属するというラッツィンガー / ベルトーネ / ソダノの考え方とほとんど一致しない世間一般の増大する不安定化のために、ローマ・クリアそれ自体の内部からの抵抗に出会っているということを示しているのであろう。

その計略は今回コインブラの彼女の修道院におけるシスター・ルチアのもう一つの秘密のインタビューであったろう。そのインタビューは2001年11月17日にベルトーネ大司教によって行われた。しかしある理由のためにその結果は一ヶ月以上もの間明らかにされなかった。L'Osservatore Romano (イタリア語版)が「イエズスおよび汚れなき御心のシスター・ルチアとのモンシニョール・タルチジオ・ベルトーネ閣下の会合」という表題のインタビューについてのモンシニョール・ベルトーネの短いコミュニケを公表したのは2001年12月21日になってからであった。これに続いたのは2002年1月9日の L'Osservatore Romano 英語版であった。

コミュニケの内容は、モンシニョール・ベルトーネによれば、シスター・ルチアが1984年の世界の奉献はロシアの奉献のために十分であった、そして「すべてのことが公表された、もはや秘密はない」と言っているということであった。われわれが第6章において論証したように、前者の陳述は70年間の大部分をシスター・ルチアがその反対のことを言ってきたすべてのことに矛盾している。後者の陳述は第三の秘密についての一つの質問に対するシスター・ルチアの答として提示されている -- しかしその質問は、十分に奇妙なことには、与えられていないのである。

ところで、ある新聞あるいは雑誌が著名な人物とのインタビューを公表するときには、読者は、自分自身で、インタビューを受ける人が彼あるいは彼女自身の言葉で何と言ったかを -- その文脈全体において -- 見ることができるように、完全な答えがその後に続く一連の完全な質問を正当に期待する。この場合はそうではない。われわれはモンシニョール・ベルトーネとシスター・ルチアが「2時間以上」の間会話を交わしたと知らされるけれども、モンシニョール・ベルトーネはシスター・ルチア自身に帰せられる数語で散りばめられた会話についての彼の要約だけを提供したにすぎない。2時間の会合のいかなる写しもオーディオ・テープもあるいはビデオ・テープも作られなかった。実際、シスター・ルチアが言っていることとして引用されているものの10%以下のことがインタビューの述べられた目的、すなわち、ロシアの奉献および第三の秘密のバチカンの公表の完全さについての数百万のカトリック教徒の精神における引き続いている疑念に向けて言うという目的とは何の関係もなかった。

おそらく、われわれはバチカン当局がシスター・ルチアを扱う仕方における疑わしい不規則性に馴れてしまったのであろう。そしてこの遅れて公表された、省略的な「インタビュー」は例外ではなかったのだ。モンシニョール・ベルトーネ・コミュニケは、シスター・ルチアが今なおあたかも連邦証人保護プログラムのメンバーであるかのように取り扱われているということを示している。然り、もちろん、彼女は修道院の壁に閉じ込められた一修道女である。しかし、インタビューはインタビューである。そして2時間の話は2時間の話である。どこにインタビューはあるのか? そして2時間の会話に何が起こったのか? そして人はどのように、一つの真のインタビューのこの奇妙な代用物を、シスター・ルチアがファチマのメッセージについて知るべきこととして存在するすべてのことをわれわれに告げたという主張と一致させることができるのか? もし彼女が知っているすべてのことをわれわれに告げたのならば、そのとき隠すべきことは何もない。もし隠すべきことが何もないならば、なぜ彼女が質問されたすべての事柄、そしてこれら2時間の間に彼女が答えたすべてのことを公表しないのか? 実際、なぜ単純にシスター・ルチアに自分自身で世界に話すことを許さないのか? そしてすべての質問を葬るのか?

知られるべきものとして残っているすべてのことを明らかにして、ファチマに関する最後の言葉とされた TMF の公表にもかかわらず、シスター・ルチアはなお公開のマイクや中立的な証人たちから遠ざけられたままであった。彼女は2000年5月 - 6月における第三の秘密の「開示」のプロセスの間完全に不可視であった。そして彼女はたとい -- そう党路線は進めている -- ファチマが「過去に属する」としても、今日不可視のままである。

2001年11月の「インタビュー」-- 論争の的になっている問題についての2時間の会話だと主張されたものの間にシスター・ルチア自身に帰せられた44語(訳者注=英語で)の全体を含む -- の個々の言葉を述べる前に、モンシニョール・ベルトーネのコミュニケが次の主張でもって直ちにそれ自身の信憑性を掘り崩しているということが注目されなければならない:「ファチマの秘密の第三の部分の問題を論じて行きながら、彼女[シスター・ルチア]は、彼女が信仰教義聖省によって公表された小冊子[すなわち、The Message of Fatima(TMF)]を注意深く読み、そして熟慮したと言い、そしてそれが言っているあらゆることを確証している。」

これはおそらく欺瞞以外の何物でもあり得ないであろう。まず初めに、モンシニョール・ベルトーネは信徒に次のすべてを信じるように求めている:

人はこのことについて分別ある者でなければならない。一人のバチカンの職員が、彼の資質が何であれ、鍵のかけられた修道院から出て来て、中にいる94歳の修道女が、彼が共著者であった40ページの文書にある「すべての事柄を確証している」と宣言するとき、道理を弁えた精神の持ち主は裏付けのやり方のうちにもう少しのことを期待する。その40ページの文書が、問題になっている修道女が80年以上もの間、無駄に教会の気をもませた一つの敬虔な作り話をでっちあげたと丁寧に示唆しているときには尚更のことである。

これらの理由からだけでも、人はシスター・ルチアへの最近の秘密のインタビューが、前面へと出て来て彼女自身のフィルターにかけられていない言葉で徹底的に話すことを許されるべきである一人の監禁された証人を操作し食い物にするためのもう一つの試みに他ならないと結論しなければならない。最後の生き残りのファチマ幻視者は今なお、その間に彼女が処理をする人々 -- 彼らは次に彼女の「証言」を細かくバラバラにして報告する -- 質問のない答と答のない質問 -- によって取り囲まれている密室でのインタビューを受けさせられているのである。そして今や信徒は、神によって選ばれたファチマの幻視者シスター・ルチアが、Los Angeles Times でさえ、「ファチマ信心を穏やかに地位低下させている」と見ることができたような40ページのネオ近代主義的な「注釈」にある「あらゆる事柄」に同意しているというおおぼらを鵜呑みにするよう求められたのである。

これらの理由だけで2001年11月17日の「インタビュー」が大いに疑わしいということが明らかであるけれども、歴史的な記録のためにその点をより詳細に論証する一つの義務がなお存在する。

まず初めに、ベルトーネ・インタビューは明らかに、ファチマのメッセージを歴史のゴミ箱に委ねるためのバチカンの露骨なキャンペーンについての信徒の間での増大する疑いを鎮圧するために行われた。モンシニョール・ベルトーネのコミュニケが認めているように:

最近数ヶ月のうちに、とりわけ昨年9月11日のテロ攻撃の悲しい出来事の後に、外国およびイタリアの新聞にシスター・ルチアの新しい啓示、教皇宛ての警告の手紙の告知、ファチマのメッセージの黙示録的再解釈と称されたものに関する記事が現れた。さらに、聖座が「秘密」の第三部のテキスト全体を公表しなかったという疑念が強調されてきた。そしていくつかの「ファチマ主義」運動は教皇がマリアの汚れなき御心にロシアをまだ奉献していないという非難を繰り返して来た。この理由のために....シスター・ルチアとの会合を準備することが必要だと考えられた。

われわれはここで、ファチマのメッセージが約束 -- おとめ[マリア]の要求が従われるならば -- と従うことに失敗したことの結果についての警告との両方を含んでいるということを思い起こす:

約束:

もしロシアが汚れなき御心に奉献されるならば --

警告:

もしロシアが汚れなき御心に奉献されないならば --

ファチマの諸々の預言の最終的実現は不可避であるけれども -- 「終わりには、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心するでしょう。そして平和の一時期が人類に与えられるでしょう。」-- 今日われわれにとっての問題は、諸民族の絶滅、第三の秘密の幻視において教皇がその外で処刑される半分廃墟になった都市において明瞭に示唆されている一つの出来事を含む預言された諸々の懲罰を世界が最初にフルに苦しまなければならないかどうかということである。われわれは TMF それ自身において再現された1982年5月12日付のそうだと主張されている手紙における教皇に対するシスター・ルチアの警告(聖ペトロ広場における暗殺未遂の1年後)を思い起こす。

そしてもしわれわれがこの預言の最後の部分の完全な実現をまだ見なかったとするならば、われわれは大股でそれの方へと近づいているのである。注2)もしわれわれが罪、憎しみ、復讐、不正、人間人格の諸権利の侵害、不道徳と暴力、等々の道を拒否しないならば。そしてこの仕方でわれわれを罰せられるのは神であると言わないようにしよう。反対に、彼ら自身の罰を準備しているのは人々自身である

しかしながら、ベルトーネ・インタビューはファチマの諸々の警告に関する教会における引き続いての公的関心に取り組むことに失敗した。まったく反対に、モンシニョール・ベルトーネは彼の立場全体、そして実際世界の運命を党路線に賭けた。彼は、 TMF (彼自身の注釈)において「ファチマの「秘密」の第三部を公開するというヨハネ・パウロ二世教皇聖下の決定が権力と悪に対する悲劇的な人間的欲望によって特徴づけられた歴史の一時期を終わらせる....」という彼のばかげた主張と共にその党路線にしがみついた。このように、ベルトーネ・インタビューは一つの目標を持っていた:すなわち、平和が近づいている、ファチマ伝説は終わった、そして今や安全に歴史の一部と考えることができるということを世界に説得すること、である。

インタビューの状況を神なき民事裁判所でさえ一人の重要な証人からの証言の受け入れのために要求する信憑性の基準を参照して検討してみよう。われわれはシスター・ルチアが民事裁判の恥辱のような何かあるものに従うべきであると提案しているのではない。しかし、ただ「シスター・ルチアの」最近の「証言」の擁護者たちがそれを信じるようにわれわれに求めるに際してはこれらの最低の基準に従うべきであると提案するだけである。

疑わしい状況#1:シスター・ルチアは、本人が証言することができるにもかかわらず、彼女への接近を統制している関係者、すなわち、ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿によって一度も出されなかった。

ベルトーネ・コミュニケは、シスター・ルチアがラッツィンガー枢機卿からの許可なしにはベルトーネ大司教に話すことさえできなかったということを明らかにしている。このことは、Fatima Crusader が何年にもわたって報じて来たこと、また前述した Inside the Vatican における記事もまた述べたこと:すなわち、誰も枢機卿の許可なしにはシスター・ルチアに話すことはできないということ、を確証している。そのことは、ある証人の自由に関して非常に奇妙なことである。その証人は彼女が既に言ったことに付け加えるものを何も持っていないと、われわれは告げられる。

民事訴訟手続きにおける最小限の基準の下では、証人たちは、もし彼らが来ることができるならば、本人が証言することを要求される。その結果、その権利がその証言によって影響を受けるかもしれないその係争問題の当事者たちは、証人に対して質問をする機会を持つであろう。もし一方の当事者が証人に対する支配権を持つが、彼あるいは彼女を作り出すことに失敗するならば、民事の裁判官は陪審に、証人の証言がその当事者にとって不利であったという結論を彼らが引き出すだろうと教える。以下のことは単に常識であるにすぎない。すなわち、当事者は有利な証人を作り出すことに失敗しないであろう。しかし、不利な証人を作り出すことに失敗することは大いにあり得るであろう。

シスター・ルチアは、ファチマ係争問題において歴史の証言台の前で「証人に立つ」ことができる。彼女は寝たきりでもないし、身体障害者でもない。あるいはその逆で、顔を出すことができないのである。反対に、ベルトーネ・コミュニケは、秘密のインタビューの日には、シスター・ルチアは「立派な外観で、頭脳明晰、陽気な姿で現れた」と主張している。証言することができるこの頭脳明晰で陽気な証人はなぜ、彼女へのすべての接近を統制する一方の当事者によって決して出されないのであろうか? 彼女の最近の「証言」はなぜ、閉じられたドアの背後で得られ、そしてベルトーネ大司教からのコミュニケにおいて間接的に提供されたのか?

証人自身がたやすく本人の口から証言できるときに、当事者の一方の側が鍵となる証人の証言の断片的な報告を提供したならば、民事訴訟においては何が起こることであろうか? 陪審員は、何かが隠されていると結論するが、これは正当である。ファチマ問題においては、シスター・ルチアが「証人台に立つことから遠ざけられた」、なぜなら、彼女の生の、統制されない証言は、ファチマが「過去に属している」というベルトーネ/ラッツィンガーの立場を損なうからだ、という推論が引き出され得るし、また引き出されるべきである。もしシスター・ルチアが当局の方針を守り通すことを[当局が]計算に入れることができたならば、そのとき、彼女はずっと以前に自分で、そして詳細に教会と世界の前で、証言するように出されていたであろう。その代わりに、証言しているのは、証人自身ではなく、モンセニョール・ベルトーネなのである。

しかし、たとえわれわれが、シスター・ルチアが寝たきりであり、あるいはさもなければ、証言することができなかったと仮定するとしても、なされたと言われているインタビューの他の諸事情は、道理を弁えたどんな人の精神のうちにも疑惑を起こさせずにはいないであろう。先へ進めてみよう。

疑わしい状況#2:この94歳の修道女のインタビューは、証人を巧みに操作する明白な動機をもった権威のある人物であるベルトーネ大司教によって秘密のうちに行われた。

民法の脈絡においては、権威をもった地位にある誰かある人、あるいは非常に年老いた人に対して支配権をもっているある人が、弁護士の意志あるいは権力として、その人からある陳述を引き出すとき、不当な影響が当然のことと考えられている。この場合に、ベルトーネは明らかにバチカンの肩書きの堂々たる権威を持った支配的な当事者であるが、それに対してシスター・ルチアは単に老齢であるだけでなく、彼女の上長の諸要求に対して聖なる従順において服従することを誓願していた。その上長たちに彼女は2時間の会合の間取り囲まれていたのである。

さらに、モンシニョール・ベルトーネは、ファチマは終わったという党路線に対する公衆の懐疑に対して彼自身の信憑性を擁護するためにその「インタビュー」を使うことを明瞭に意図していた。最近の世界の諸々の出来事を考慮に入れるならば、モンシニョール・ベルトーネは明らかに、第三の秘密の幻視を公表する決定が「権力と悪に対する悲劇的な人間的欲望によって特徴づけられた歴史の一時期を終わらせる」という TMF におけるまったく弁護できない彼の陳述に関して甚だしい面目の喪失を経験していた。モンシニョール・ベルトーネは、ただ人間的である者として、教皇が暗殺未遂で生き残られた1981年における第三の秘密の偉大な「実現」による平和な世界という彼の馬鹿げた主張を確証するようにシスター・ルチアをその気にさせるあらゆる動機を持っていたであろう。(世俗のラジオ解説者、ポール・ハーヴェイでさえ、第三の秘密についてのラッツィンガー / ベルトーネ「解釈」を公然と軽蔑していた。)

これらの状況の下で、「インタビュー」を行い、次にその諸結果を報告しているモンシニョール・ベルトーネは、重要な証人にインタビューをし、次に、法廷から閉め出された証人の代わりに証言をする一人の検察官に似ている。客観的に言うならば、モンシニョール・ベルトーネはそのインタビューを行ったであろう最後の人物である。教会と世界は、研ぐための斧を持っている一人のパルチザン質問者からの報告を受け取るよりはむしろ、この重要証人から直接的に聞く権利を持っているのである。

疑わしい状況#3:ベルトーネ・コミュニケは L'Osservatore Romano のほんの四分の一ページを占めるにすぎない極端に短いものである。それにもかかわらず、コミュニケはインタビューが「2時間以上にわたって」行われたと述べている。

コミュニケ全体が2分よりも少ない時間で読むことができるとすれば、ベルトーネとシスター・ルチアは2時間以上も何を論じていたのか? 普通の速さの話で行われた1時間の演説は文字にすればタイプライター一行間隔書きでざっと14ページを要するであろう。2時間の演説はおそらく28ページあるいはほぼ14,000語を必要とするであろう。

にもかかわらず、そう申し立てられている2時間のインタビューに関するベルトーネ・コミュニケはシスター・ルチア自身の口からだと言われているわずか463語しか[訳者注=英語単語で。以下同じ]提供していない。これらの463語は以下のように分けられる:

165語:「私の汚れなき御心は勝利するでしょう」(そこから、ラッツィンガー枢機卿は、すでに言及したように、「終わりに」という語を目につく仕方で除去している)という文言が未来の出来事ではなく、2000年前に神の御母になることを承諾なさった際のマリアの fiat「なれかし」のことを言っているのであるという TMF (2000年6月26日のラッツィンガー / ベルトーネ注釈)におけるラッツィンガー枢機卿の見解の逐語的引用。

ここで、われわれは、シスター・ルチアは今や、ファチマの聖母が、未来の四つの出来事--「終わりに私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心するでしょう。そして平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」--を予告されたとき、B.C.1年におけるお告げに言及なさったのだと「確証している」と、信じることを求められているのである。ベルトーネのルチアは明らかにまた、聖母の預言から「終わりに」という重要な言葉をラッツィンガー枢機卿が取り除いていることをも「確証している」のである。

われわれは TMF からの(165語の)逐語的な引用がラッツィンガー枢機卿のヨハネ福音書16:33の挿入的な引用句を含んでいるということに注目する。シスター・ルチアが94歳で写真のように正確な記憶を展開したか、それとも誰かが、挿入的な聖書の引用句とともに、彼女の「答」にその引用を加えたかのいずれかである。(あるいはおそらく TMF がシスター・ルチアの前に、彼女の上長たちへの「従順」において彼女が朗読するように置かれたのであろう。)

100語:シスター・ルチアがファチマでの御出現の間に聖母の左手の中に見た御心の意味。

ベルトーネ・コミュニケはわれわれに、これはシスター・ルチアがファチマのメッセージにつけ加えた「公にされていない事項」であると告げている。そのことは非常に興味のあることである。しかし、それは、ベルトーネがそのためにそのような緊急の根拠に基づいてポルトガルまで旅行したインタビューの主題とどんな関係があるのだろうか?

ベルトーネ・コミュニケが同様にこの新しい細部を大きな興奮をもって告知していることにも注目せよ。突然再び、シスター・ルチアは、彼女が信心書の中に読んだことから事柄をでっち上げるラッツィンガー枢機卿の感じやすい子どもとは反対に、信頼のおける幻視者である。もちろん、この細部は手近にある問題から気を逸らすために計算されたものである。

69語:シスター・ルチアは、彼女が「最近の出来事について非常に心配している、もうよく眠ることができず、日夜祈っている」という報道記事を否定している。

再び、これは問題をはずれている。しかし、いずれにせよ、ベルトーネのルチアは以下のやや軽はずみな答をしている:「夜休めなかったとしたら、どうして昼祈ることができるでしょう?」明らかに誰も実際に彼女が全然眠っていないとは主張しなかった。もう一つの気を逸らす試みである。

シスター・ルチアは以下のようにつけ加えたと言われている。「彼らはどんなに多くのことを私に言わせるのでしょう!どんなに多くのことをしていると思わせるのでしょう!」そうだ、しかし、シスター・ルチアの口に偽って言葉を置き、彼女がしたことのない行動を彼女に帰しているのは誰なのか? シスター・ルチアに公然とそして保護されていない時間に話した、われわれが以前に引用した客観的な証人か、それともベルトーネの2時間にわたる秘密の尋問の間シスター・ルチアを取り囲んでいた権威を持った人物たちか、そのどちらか?

読者は、ベルトーネのルチアが、最近の出来事について非常に心配しているということを決して否定しないのに気がつくであろう。正常な精神の持ち主であれば、誰が心配しないであろうか? 最も印象的なことであるが、彼女は教皇宛ての彼女の緊急の手紙について(われわれはこれをインタビューにおける第一の見逃すことのできない欠落として特徴づける)、あるいはビアンキーニ神父との一対一の会合について決して尋ねられない。その会合の間に、ビアンキーニによれば、彼女は第三の秘密についてのベルトーネ/ラッツィンガー解釈に疑いを投げかけているのである。(これは見逃すことのできない欠落#2である。)

39語:ファチマの御出現がシスター・ルチアの生涯に与えた影響。

このことは、修道院における緊急の秘密のインタビューの述べられた目的といかなる関係があるのだろうか? シスター・ルチアはその大部の回想録の中でこの主題を余すところなく述べた。このことのために、一人のバチカンの高官は2時間の会合のためにポルトガルまで旅行したのであろうか?

34語:シスター・ルチアは、彼女が何らかの新しい啓示を受けたということを否定している。

十分に奇妙なことには、ベルトーネのルチアは天からのこれ以上の何らの啓示をも否定している一方で、同じコミュニケのなかで,--それ以前の彼女のすべての証言とは反対に--1984年の世界の奉献は「天において受け入れられた」と宣言している。(ロシアの奉献に関する21語という見出しの下にこの章のもう少し後のページにこのことに関する彼女のそうだとされる言葉を見よ。)何らかの新しい啓示がないのに、彼女はどうしてこのことを知ったのであろうか?

12語:シスター・ルチアは、カルメル共同体は、グルーナー神父の使徒職がロシアの奉献のために回している請願の書面を拒絶したと言っている。

それで、それがどうしたというのだ。ロシアの奉献がどうしたのだ。それは為されたのか、それともなされていないのか?

これまでわれわれは、コミュニケの、そうだと称されている文字通りの引用において、シスター・ルチアに帰せられている463語のうちの419語を説明してきた。数百万人のカトリック教徒によって提出されている諸々の疑問を論じるために残るのはたったの44語である。

そうなのだ、まったく信じられないことであるが、声高に吹聴されたベルトーネ・コミュニケは、おそらくベルトーネをコインブラにある修道院まではるばる旅行させるように駆り立てた、まさにその事柄--ロシアの奉献と第三の秘密の開示--について「シスター・ルチア」のたった44語しか含んでいないのである:

9語:これは、第三の秘密に関するものである(とわれわれは告げられている)。すなわち、「すべてのことは公表されました。もう秘密はありません。」"Everything has been published;there are no more secrets."

この答を引き出した質問は提供されていない。その代わりに、ベルトーネ・コミュニケはこう宣言している:「秘密のある部分が隠されていると想像する人に対して彼女は答えた...」それに引用した[英語の]9語が続いた。

何に対して答えたのか? シスター・ルチアは正確には、第三の秘密の幻視のヴァチカンの開示について何を尋ねられたのか? 質問と答の文脈全体は何であったのか? そしてなぜ彼女は、世界中の数百万の人々が尋ねている一つの質問を問われなかったのか? すなわち、「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々」という文言に続く聖母の言葉はどこにあるのか? という質問を。われわれはこれを見逃すことができない欠落#3として特徴づける。

ここでまた、シスター・ルチアがこの問題について、以下のような一つの正確な質問さえもされたということをわれわれが示されなかったということに注目せよ。すなわち:

そのようなすべての事項は努めて避けられている。われわれは尋ねられた一つの質問の言い回しすら与えられていないのである。これは見逃すことができない脱落#4である。

第三の秘密に関するベルトーネ/ラッツィンガー解釈についての14語:「それは真実ではありません。わたしは大聖年になされた[第三の秘密の]解釈を完全に確証します。」

ここでシスター・ルチアは、第三の秘密についての TMF の解釈についてルイジ・ビアンキ神父とホセ・サントス・ヴァリニョ神父に対して彼女が疑いを表明したという新聞報道を否定していると主張されている。しかしベルトーネは、ビアンキ神父によって報告されているように、シスター・ルチアに教皇宛ての彼女の手紙について決して尋ねなかったし、また彼女もコインブラの修道院でビアンキ神父と一対一で出会ったということ、そして彼らが第三の秘密についてのソダノの解釈を論じたということを否定していないのである。

われわれはこのように、ルチアが第三の秘密は1981年5月13日のヨハネ・パウロ二世に対する失敗した暗殺の企てとともに実現されたということに同意していると、信じるように期待されている。--たとえ1982年5月13日の教皇宛のシスター・ルチアの手紙 -- 1年後 -- がその企てについて何も言っておらず、むしろ「私たちはこの預言の最後の部分の完全な実現をまだ見ていません」と警告することによって党路線を覆しているとしても --。再び、同じ手紙の中で、シスター・ルチアは暗殺の企てと第三の秘密との間にいかなる関連もつけていない。

ロシアの奉献に関する21語:「わたしはすでに、聖母によって望まれた奉献が1984年になされた、そして天において受け入れられたと、言いました。」

これらの言葉は、「教皇が最後にマリアの汚れなき御心にロシアを奉献する--それはこれまでに一度もなされなかった--ために、署名を集めているグルーナー神父のしつこい主張に対して何と言いますか?」という質問に対する答えにおいて、シスター・ルチアによって発言されたとされているものである。

まず第一に、CDF の秘書官が全教会への公表のためにグルーナー神父についてのコメントを得るためにコインブラまで旅行したということはバチカン当局がグルーナー神父の使徒職を党路線に対する反対の主要な場所として見ているということの一つの劇的な証明である。

さらに、「シスター・ルチア」は世界の奉献がロシアの奉献として神によって「受け入れられた」という奇妙な主張によって何を意味しているのか? 「シスター・ルチア」は神がバチカン高官たちによって押しつけられた一つの妥協を「受け入れられた」と真面目に主張しているのか? 神が命令された一つの厳密な行為に対する一つの人間的な代用物を神はいつから受け入れておられるのか? さらに、「シスター・ルチア」は、もし、モンシニョール・ベルトーネが主張しているように、彼女もまた彼女に対するいかなる新しい啓示もなかったと言ったとするならば、神が「受け入れられた」ことをどのようにして知ったのであろうか?

ところで、神が御自分の意志に従うことに対してわれわれが拒否することを「受け入れられる」ということはこの世の生活において神に従わない自由を神はわれわれに許しておられるという意味においてであろう。しかしそのことは神が「受け入れられた」ことが神を喜ばしているということを意味しない。

さらに、1984年の世界の奉献の行為が「受け入れられた」と言うことによって、シスター・ルチアは、ピオ十二世による1942年奉献 -- それはたといファチマの聖母の要求を満たさなかったとしても第二次世界大戦をちじめた -- と同じ意味においてそれが「受け入れられた」と言うこと以上の何物をも言っていないのか? シスター・ルチアはおそらく彼女の質問者モンシニョール・ベルトーネを満足させた仕方で質問に答えようと努力したのか、にもかかわらずなお、「受け入れられた」ものは世界にある利益を与えたかもしれないけれども、ファチマのおとめの正確な要求が尊重されたならば約束なさった世界平和の時期ではないであろうということを合図していたのか? われわれがそれ[約束された世界平和]を見なかったということはただ、たとい神が1984年の儀式をそれが値したものとして「受け入れられた」としても、神がその儀式がファチマの聖母の特別の要求の実現であるとは見なされなかったということを論証するだけである。モンシニョール・ベルトーネと彼のバチカンの協力者たちの権威が何であろうと、彼らは、われわれ自身の感覚が存在しないとわれわれに告げる何かあるものの存在を単純に宣言することはできない。すなわち、それはロシアの回心とマリアの汚れなき御心へのその国家の適切な奉献に続くであろう世界的な平和の時期である。

いずれにせよ、われわれはすでに、シスター・ルチアが広く報道された諸々の陳述において、1982年と1984年の奉献の儀式は聖母の要求を尊重するに十分なものではなかった、なぜならどちらの場合にもロシアが言及されなかったし、また世界の司教たちが参加しなかったからである、ということを証言したと、十分に論証した。しかしながら、ベルトーネ・インタビューに従えば、証人は彼女の証言をひっくり返した。そして今は1984年の奉献の儀式が「天において受け入れられた」と証言している。

「天において受け入れられた」が何を意味するかは予測しがたいことである。天は、天とソダノ枢機卿との間の交渉の後にファチマの聖母が要求なさったことよりも少ない何かあるものを「受け入れる」ことを決定したのか?

いずれにせよ、シスター・ルチアが彼女の以前の多くの反対の陳述について質問されず、また彼女の証言の変化とされたものを説明することを求められていないということに注目せよ。これは見逃すことができない欠落#5である。われわれは明らかに、シスター・ルチアが以前に言ったことは何らの重みも持っていない、そして彼女がモンシニョール・ベルトーネにひそかに言うときにのみこの問題について真実を告げているのだと考えるように想定されているのである。

ベルトーネのルチアが、彼女がかつて受け入れることができないと考えていた1984年奉献は今や受け入れることができるといつ、どこで、あるいは誰に「すでに言った」のかをわれわれに告げていないということは非常に重要なことである。モンシニョール・ベルトーネがこの論争を具体的な証言を聞き出すことによってはっきりさせるあらゆる機会を持った時に、なぜそのような曖昧さがあるのか? 例えば、なぜ彼は奉献が1984年に為されたと主張している手紙、1989年に彼女のものだと言われるサインをめぐって意味ありげに現れ始めたさまざまのコンピュータによって生み出された手紙のどれかを証明するために彼女に尋ねなかったのか?

そしてこのことは最も疑惑を起こさせるものである。われわれが指摘したように、 TMF は、奉献がすでに果たされたことの証拠として、1989年11月8日の日付の(一人の身許不明の受取手宛の)疑わしい手紙の一つに完全に依存しているのである。しかし、その手紙の信憑性は、教皇パウロ六世が1967年の短期間のファチマ訪問の間に汚れなき御心に世界を奉献--シスター・ルチアがその訪問全体を目撃したがゆえに確実に知っていたように、決して起こらなかった奉献--されたというその誤った陳述によって消されるのである。なぜベルトーネは、それが TMF における唯一の証拠であった時に、この熱心に議論された手紙をシスター・ルチアに本物であると証明させるために何の努力もしなかったのか?

この間連において最も印象的なことはグルーナー神父のファチマ使徒職がその手紙(その受信人ウォルター・ネルカーは TMF において明らかにされさえしなかった)は一つの明らかな偽物であるという証明を公表したことである。その証明は The Fatima Crusader のNo. 64号において公表された。それについては2001年11月のベルトーネ・インタビューの時におよそ45万部のコピーが配布されていた。

ところで、モンシニョール・ベルトーネは確かに The Fatima Crusader が1989年の手紙が偽物であることを暴露したということを知っていた。にもかかわらず、彼はシスター・ルチアにその手紙が本物であることを証明し、そしてそのことによってグルーナー神父の使徒職の信憑性に深刻な打撃を与えるよう求めることに失敗した。この失敗は一つの見落としではあり得なかった。というのは、グルーナー神父と彼の使徒職によって取られた立場を論駁する一つの試みが、モンシニョール・ベルトーネが第一にシスター・ルチアのインタビューを行ったまさにその理由であったからである。

1989年の手紙が偽物であったというグルーナー神父の主張を論駁するために、なぜモンシニョール・ベルトーネは彼の「スター証人」であるシスター・ルチアを使う一つの黄金の機会をあえて見送ったのであろうか? 明らかにそれは、モンシニョール・ベルトーネがそれが偽物であったということを知っていたに違いないからであり、そしてこのように彼はインタビューの間にそれを本物であると証明するよう敢えてシスター・ルチアに求めなかったのであろう。われわれはこれを見過ごすことのできない欠落#6として特徴づけなければならない。

そこで、これは、シスター・ルチアが教会の歴史における最大の論争の一つについての2時間のインタビューの間に言ったとされるもの--44語--の全部である。われわれは、ファチマの物語の終わりとして小部屋の中に閉じこめられた一人の証人からのこれらの44語を受け入れるように求められているのである。これらの言葉は、--たとえ、ロシアが明らかに回心に失敗し、増大する暴力や神とその律法とに対する反抗が日に日に大きく不気味に立ち現れているとしても--数百万の信徒の疑念、質問、恐れを静めると考えられているのである。

疑わしい状況#4:インタビューのいかなるテープレコーディングあるいは筆記も利用可能とされなかった。

ベルトーネが尋ねた正確な質問、シスター・ルチアが与えた完全な答え、質問と答えの順序、そしてベルトーネや他の人々が、同じ部屋に一緒にいた「2時間以上」の間にシスター・ルチアにしたであろう何らかのコメントや示唆を示すために、なぜインタビューの筆記、オーディオ・テープあるいは他の独立した記録が作られなかったのか? 公表されたインタビューにおいてわれわれが常に見るやりとりはどこにあるのか?

さらに、なぜベルトーネは問題になっている事柄についてシスター・ルチアから44語を引き出すために2時間以上も必要としたのか? これら44語を発するにはシスター・ルチアには1分しかかからなかったと考えるならば、会合の残る1時間59分の間、彼女は何を言ったのか、そしてベルトーネ、コンドル神父、そして院長は何を言ったのか? シスター・ルチアは彼女の「従順」の義務を思い起こさせられたのか? それは、全教会が、この「区分けをする」論争を終わらせる答を与えるために彼女に依存しているということを含意していたのか? それは、彼女自身のものとされる教皇宛ての1982年の手紙がそれに矛盾するとしても、「教皇」への忠誠が、彼女がファチマのメッセージのベルトーネ/ラッツィンガー解釈を受け入れることを要求したということを示唆していたのか? 彼女は、生涯を通じてそれと反対に言ってきたあらゆることにもかかわらず、ロシアが奉献されたとすべての人に彼女が確証することが教会にとっていかに重要であるかを告げられたのか? 彼女は、違った風に言うことは教皇自身に矛盾することになるという印象を与えられたのか?

あるいは、シスター・ルチアはおそらく、彼女の質問者にとっては不十分であった多くの答えを与えたが、その結果はただ、彼女が答えに「正しく」行き着くまで同じ質問を繰り返し異なった仕方で問われるだけだったのか? その証人は、閉じられた部屋の中で上長たちに取り囲まれていた2時間の間にどのような手の込んだ、あるいはそれほど手の込んでいない執拗な依頼にさらされていたのか?

たしかに、もし何も隠すことがなかったならば、ベルトーネは今や94歳になったファチマの御出現の唯一の生存している証人とのそのような決定的なインタビューが、オーディオ・テープかビデオ・テープに記録されるか、あるいは少なくとも、速記者によって逐語的に書き写されるように取り計らったであろう。それは、証人の証言が、彼女が死んだ場合に--彼女の年齢ではたしかに非常に近いわけであるから--保存され得るためである。しかしながら、わたしは、ベルトーネ・インタビュー全体のどんな録音も書き写しも独立した記録もないと請け合うであろう。なぜなら、一連の単純なそして直接的な質問に応じて、この証人に彼女自身の言葉で、詳細に話させることを許すという猛烈な恐れがあると思われるからである。ベルトーネ・コミュニケのうちに現れているシスター・ルチアからの44語の一語一語は、あたかも点眼器から出されるように、注意深く量って出されている。

明らかにそのような記録を作ることの危険は余りにも大きかったのだ。シスター・ルチアが一貫して「間違った」答えをしたらどうなるだろうか? 彼女が提供した答えが,インタビューをする人あるいは参加している他の人々による誘導的な質問あるいは手の込んだ説得を通じて引き出されたとしたらどうなるだろうか? そのような事柄を明らかにする記録はどのように処理され得るだろうか? それはどのようにして公衆から隠され得るであろうか? それともただ部分的にだけ公開され得るであろうか? いったんそれが作られたら、どのようにして隠され、あるいは破壊され得るであろうか?

 われわれが間違っていることが証明されれば幸いであろう。おそらく、全2時間の話し合いのテープあるいは書き写しが存在するかもしれない。しかし、もしそれが存在するならば、バチカンがそれを決して作らないかどうかということは最も印象的なことであろう。

疑わしい状況#5:イタリア語のコミュニケはベルトーネとシスター・ルチアとの両名によって署名されていると主張されている。しかし、英語版は彼女の「署名」を落としている。

まず第一に、シスター・ルチアはなぜ、彼女がポルトガル語で語ったとされていることについてイタリア語でのベルトーネの陳述に署名しているのか? シスター・ルチアはなぜ、彼女自身の言葉で彼女自身の陳述を作り、署名していないのか? もしシスター・ルチアが実際にベルトーネと2時間以上にわたって話したのなら、ベルトーネの利己的なコミュニケの代わりに、なぜ単純にポルトガル語で彼女自身の言葉の忠実な書き写しを準備し、そして次にそれに自分のサインをしないのか?

さらに、なぜシスター・ルチアの「署名」はコミュニケの英語訳からは落とされていたのか? 要するに、彼女の「署名」はどの文書に実際に、最初に付されたのか--イタリア語のコミュニケにか、それとも、まだ作られていなかった同じ文書のポルトガル語原文にか--?

いずれにせよ、シスター・ルチアが話さない言語で書かれた文書--それは彼女が話さない言語での彼女の証言を部分的に引用しているが、しかし、彼女が問われた全部の質問あるいは彼女が与えた全部の答えを発表していない--上の彼女の「署名」はどんな価値があるのか?

避けられない結論は以下の通りである:モンシニョール・ベルトーネとバチカン当局は、ファチマのメッセージに関わる主要な諸問題について、シスター・ルチアに、完全に彼女自身の言葉で、詳細に彼女自身の陳述をさせることを許す意図はなかったのだ。このことは、次に挙げる疑わしい状況によって確証される。

疑わしい状況#6:ファチマのメッセージに関するシスター・ルチアの公表されたばかりの303ページの書物は秘密のベルトーネ・インタビューにおいて報道されたと考えられている主題のいずれをも完全に避けている。

2001年10月にバチカン図書館出版部はシスター・ルチアによる「ファチマのメッセージのアッピール」という表題の書物を出版した。シスター・ルチアのその書物への序論--それは信仰教義聖省によって検閲され、認可された--は、その書物が「わたしに宛てられた疑問や質問の回答と解明」として用いられると述べている。現在のレイリア・ファチマの司教による序文は、同様に、シスター・ルチアが、「すべての人に個人的に答えることができないので、包括的な仕方で多くの質問に答える」ために、ファチマに関する書物を書く許可を聖座に求めたと述べている。

その書物で述べられた目的にもかかわらず、その303ページはファチマのメッセージに関する広く行きわたった「疑問や質問」のいずれにも答えることに失敗している。ロシアの諸々の誤謬、汚れなき御心の勝利、ロシアの奉献と回心、奉献の結果としての聖母によって約束された平和の一時期、そして第三の秘密はその書物の中で言及されてさえいない。永遠の生命と神の赦しを求めることについてのシスター・ルチアの議論の中では地獄の幻視さえ言及されていない。要するに、その書物は、その預言的および忠告的な要素のすべてをはぎ取られた、不適切だと考えられている箇所を完全に削除された、ファチマ・メッセージを提供しているのである。この書物において提供されているファチマの幻視はそれを確証するために太陽の奇跡をほとんど必要としなかったのだ。

ところで、次のことは非常に奇妙である:すなわち、シスター・ルチアは、ファチマのメッセージに関する「疑問や質問」に答えるために303ページの書物を書くことを許されているとき、数百万の人々が実際に持っている疑問や質問について何も言っていない。たまたま堂々とした権威を持つ人物である一人の利己的な質問者によってひそかにインタビューされているときだけ、「シスター・ルチア」はこれらの疑問や質問に近いどこかに[いることを]許されているのだ。しかし、そのときでさえ、彼女の答は断片的であり、彼女自身の言語において直接的に彼女から出て来ないのである。その代わりに、答はベルトーネ大司教によって伝えられるのだが、その彼は彼の囚われの証人との2時間の会話から44語の適切な言葉をわれわれに提供するのだ。

さて、ファチマ問題における重要証人の取り扱いをめぐる疑わしい諸状況を要約しよう:

ベルトーネ大司教とラッツィンガー枢機卿は教会における高い地位を持った人々である。彼らの地位へのすべての当然の尊敬をもってしても、しかしながら、これらの諸状況が道理を弁えた精神のうちに必ず生み出す疑惑を何物も克服することはできない。地上のどのような法廷もそのような奇怪な制限の下にある証人の証言を受け入れないであろう。たしかに教会においては、われわれは少なくとも一人の民法の裁判官が要求するであろう公開制と開示のあの尺度を期待することができる。天のために、証人に耳を傾けよう!

われわれはまったく誠実にイエズスと汚れなき御心のシスター・ルチアの不思議な取り扱いについて、どの中立的な観察者にも明らかであろう結論を述べなければならない。すなわち、ペテンが行われている、一人の重要な証人 -- 実際、最後の生き残りの証人 -- が不当な干渉を受けている、と信じるあらゆる理由が存在する、と。この証人の不正、不当な干渉は問題になっている犯罪のもう一つの要素である。

しかし、なぜか? われわれがすでに論証した動機 -- ファチマのメッセージと衝突する教会の新しい方向づけをあらゆる犠牲を払っても推し進めるという動機 -- 以外に、われわれは一つのそれ以上の動機が -- 少なくともラッツィンガー枢機卿の場合には -- 存在すると信じる。われわれはこの結論をわれわれが第8章において論じたこと:すなわち、ラッツィンガー枢機卿がファチマのネオ近代主義的「地位低下をさせる者」であるエドゥアルド・ダニス神父 S. J. の見解を TMF において明白に賛成しているということ、に基づかせている。ファチマに関する「傑出した学者」としての彼のダニス是認によって、ラッツィンガー枢機卿は彼がダニスと共にロシアその他に関するメッセージの預言的諸要素 -- 再び、ダニスが「ファチマII」として過小評価したもの -- は一人の単純なそしてよい意図を持った、しかし重大な仕方で誤り導かれた人物による作り事以上のものではほとんどないとういことを完全に明らかにした。

われわれが以前に指摘したように、ラッツィンガー枢機卿は TMF (ラッツィンガー / ベルトーネ注釈)において、第三の秘密それ自体が大部分は一つの作り事であろうと述べることによってダニスの線に従った:すなわち、「『秘密』の結論的な部分はルチアが諸々の信心書の中で見た、そして長年続いている信仰の直観から彼らの霊感を引き出している諸々のイメージを用いている」と。もしそのことが第三の秘密について真であるならば、それはまたファチマ・メッセージ全体についても真であろう。枢機卿は他のどんな結論を示唆しようと意図することができたであろうか?

われわれはまた、枢機卿自身がファチマ・メッセージの絶頂 -- 汚れなき御心の勝利 -- を2000年前のおとめマリアの fiat[御心のままにわれになれかし]以外の何物でもないものに引き下げたということをも思い起こす。同じようなやり方で、枢機卿は「彼らを[すなわち、霊魂たちを地獄から]救うために神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでおられます」というおとめ[マリア]の預言を解体した。枢機卿の解釈(それは確かにダニスを喜ばせるであろう)の下では、汚れなき御心 Immaculate Heart に対する信心は自分自身の「清い心」"immaculate heart" を獲得すること -- そしてここでわれわれはもう一度一つの冒涜に直面する -- 以外の何物をも意味しないのである。もう一度 TMF を引用すれば:「マテオ5:8 に従えば『清い心』は神の恵みによって完全な内的一致に達した、そしてそれゆえに『神を見る』心である。マリアの汚れなき御心に対して『献身して』'devoted' いることはそれゆえに心のこの態度を採用することを意味する。それは fiat -- 御心が行われますように -- をある人の生活全体の決定の中心とする。」"Immaculate Heart"[汚れなき御心]から、それを、単に自らを神の意志に一致させることによって誰でもが持つことができる一つの "immaculate heart"[清い心]へと格下げするために、その大文字を取り除くのはラッツィンガー枢機卿である。明らかに意図的な格下げにおけるこの実行と共に、枢機卿はファチマ・メッセージの明白にカトリック的な内容のあらゆる部分を体系的に除去することをやり遂げたのである。

ここでわれわれは枢機卿の場合における正確な付加的動機に到達する:ファチマ・メッセージの真正の預言に対する彼の明白な不信 -- 枢機卿が引用する唯一のファチマの「権威」、ダニスと彼が共有する不信 -- のことを考慮に入れるならば、ラッツィンガー枢機卿は彼が行っていることが一つの欺瞞であるとは全然考えていないと思われるであろう。彼はおそらくシスター・ルチアの完全なそして拘束されない証言を抑圧することが実際に教会への一つの奉仕であると信じているかもしれない。このことによってわれわれが意味しているのは、ラッツィンガー枢機卿がロシアの奉献と回心の必要、われわれの時代における汚れなき御心の勝利、あるいは預言のこれらの要素を心に留めることに失敗することにおける教会と世界への破滅的な諸結果に関するファチマ・メッセージの預言的要素を本当に信じていないということである。それゆえに、枢機卿はこれらの要素の抑圧を、シスター・ルチアがそれらが真であるとどれほど多く信じようとも、信徒を「困惑させて」いる危険な偽りの抑圧と考えるであろう。

枢機卿自身が言ったすべてのことから、信仰教義聖省長官が、ダニスと同じように、世界の中にマリアの汚れなき御心の勝利をもたらすためにおとめ[マリア]がロシアの奉献と回心を要求なさったというシスター・ルチアの証言をほとんど、あるいは何も信用していないということは十分明らかである。枢機卿は、太陽の奇跡をもって神がこの証言を疑いもなく本物だと証明されたということを明らかに信じていない。ファチマ預言の全体を地位低下させようと試みたまさにその「神学者」を枢機卿が目立った仕方で支持していることから人は他のいかなる結論を引き出すことができるか?

そこで、そのすべてのことに対する第二の動機がここに存在する:すなわち、枢機卿の考えでは、彼は、ダニスに同意しながら彼がそれに何ら大きな重みを与えていない一つの「私的啓示」によって余りにも長い間引き起こされてきた混乱から教会を護っているのである。このように、これらの事柄においてシスター・ルチアの証言を修正する、あるいは抑圧することは、枢機卿の観点からは、悪いことではないであろう。まったく反対に、枢機卿はそのことが彼の義務であるとおそらく考えているかもしれない。しかしそのとき、彼は彼の真の意図について教会と人類とに対して率直である義務を負っている。枢機卿は、「単純な信徒」は彼らにとって何が最善であるかを評価することができないほど愚かであると考えている他の「啓発された」バチカン消息通の態度を共有しているであろうと思われる。このことは、なぜ枢機卿が「啓発されていない人々」に対する彼の偏見を明らかにすることを苦にせずに、むしろ皆が彼の「すぐれた」判断を信頼するように期待するかその理由を説明するであろう。

要するに、ファチマ・メッセージが今や単純にそれを信じていない人々、それをこれを限りにきっぱりと処分してしまうことを望んでいる人々の管理下にあるという結論を避けることは不可能であると思われる -- 彼らはエキュメニズム、「諸宗教間対話」というバチカンの新しい政策、国連の指導の下での諸宗教の世界兄弟愛と「愛の文明」の上に彼らの視点を据えているのであるから -- 。

しかし世界はますます急速に暴力と道徳的腐敗へと降下し、ロシアの回心の失敗の証拠は復讐なさる神の目の前でますます高まっている。これらの状況の下で、カトリックの平信徒は、司祭や司教たちと同じように、ただ単純な質問をし続け、バチカンで権力のレバーを制御している人々が最終的に、神の御母が73年前に教皇にお求めになったことを正確に為すことを教皇に許すであろうその日を希望し、そのために祈り続けなければならない。その日を早めるために、われわれ信徒はこの崩壊における被告たちと彼らの協力者たちの役職からの解任 -- われわれが最終章において議論する一つの救済策 -- のために教皇に誓願する神から与えられた権利を持っている。

シスター・ルチアの日記は1931年にスペイン、リアンジョで、わが主が、主に仕える者たちがロシアを奉献することを引き延ばした失敗について話されながら、彼女に次のように告げられたと記録している:すなわち、「私に仕える者たちに、彼らが私の命令の実行を遅らせることにおいてフランス王の例に従うならば、フランス王と同じように彼らはフランス王の後を追って不幸になるということを知らせなさい。」

イエズスはまたこう言われた:「彼らは後悔するであろう。そしてそれをするであろう。しかしそれは遅いであろう。」それがどれだけ遅れるか、世界と教会がどれほど多く苦しまなければならないか、そのことはファチマのメッセージを管理している人々、メッセージを天から引き渡した最後の生き残りの証人へのすべての接近を統制している人々にかかっている。

そして、数十億人の霊魂を危険にさらし、諸民族全体の平和と安全とを脅かしながら、世界に対して犯されているインチキを暴露しそれに反対するために、ある程度までわれわれの役割を果たすことがわれわれ一人ひとりにかかっている。

それがわれわれがこの書物を書いた理由である。

脚注

1. 反対に、アロンソ神父が記録しているように、シスター・ルチアは「聖母の御出現に関連のあるすべてのことはもはや単なる思い出しとして見られたのではなく、あたかも火によってのように、彼女の霊魂に対して刻印された一つの現在として見られた」と主張した。「彼女自身われわれに、これらの事柄が彼女がそれらをどうしても忘れることができないような仕方で彼女の霊魂に刻印され続けていると指摘している。それゆえに、シスター・ルチアのこれらの回想はむしろ著者の霊魂の最も深いその深みのうちに永遠に刻印されている再読している碑銘のようなものである。彼女は『思い出している』というよりはむしろ『見ている』と思われる。彼女の「思い出し」の容易さは実際非常に大きいので彼女はいわば彼女の霊魂からただ『読む』だけでよいのである。」Father Joaquin Alonso, "Introduction", Fatima in Lucia's Own Words, p. 13.

2. 第8章、脚注48)を見よ。

3. 時折、ベルトーネ・コミュニケを参照あるいは引用する時に、この章は時には Vatican Information Service 2001年12 月のイタリア語原文の英語訳を用いている。他の場合には、2002年1月9日の L'Osservatore Romano の英語版において用いられた英語訳が用いられている。そして非常に稀にイタリア語版のわれわれ自身の訳が用いられている。

2005/06/30 三上 茂 試訳

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作成日:2005/06/30

最終更新日:2005/06/30

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