ファチマの聖母マリア

悪魔の最後の戦い

われわれの時代のための黙示録的解答

第15章 代価を計算する

「終わりに私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心するでしょう。また平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」神の御母はファチマでそう約束なさった。

しかし何かが間違っていた。他のあらゆる点において正確に実現されたファチマ預言はここでは実現されてこなかった。神の御母はわれわれを誤り導かれたのか? それとも、むしろ、われわれを誤り導いたのはある人々であろうか?

2002年3月3日に、雑誌 Time は「9月11日の攻撃の一ヶ月後に、連邦のトップの高官がロシアの兵器工場から手に入れられた核兵器がニューヨークの中へひそかに持ち込まれることを恐れている。国家保安委員会の一部であるホワイトハウス・対テロ保安グループは、雑誌によれば、コードネーム DRAGONFIRE という一人の秘密情報員による報告を通じて危険を警戒するように注意された。しかしニューヨークの高官たちと上席のFBI 高官たちはパニックを避けるための努力において知らされなかった」と報じた。

その報道は後に不正確であったことが分かったけれども、ワシントンD.C. においては、「影の政府」が地下壕において任命された。そして大統領と彼の助言者たちがイスラムのテロリストたちによる避けられない、遙かに致命的な攻撃であると信じることを見越して合衆国中の主要な場所に核検出器が配備された。The Washington Post が2002年3月3日に報じたように:「核兵器あるいは放射線兵器を入手することへ向かってアル・カイダが進んでいるという諸々の暗示が増大していることによって警告されて、ブッシュ政権は合衆国国境、海外の諸施設そしててワシントン周辺のチョークポイントに対して11月以来数百の精密センサーを設置した。ブッシュ政権はセンサーが検知するであろう核物質を制御するために新たに油断なく警戒して国家のエリート特殊部隊であるデルタ・フォースを配置した。」

誤り得る人間的な諜報機関の報道に基づいて、政治的指導者たちは彼らが来ると知っている最悪のことのために準備する十分な思慮を示した。しかしバチカン当局のファチマ修正主義者たちは、ソダノの党路線に従いながら、われわれに諸民族の絶滅について警告している誤り得ない情報源からの天の情報をわれわれは安全に無視してもよい、とわれわれに告げている。もっと悪いことには、彼らは、われわれにすべては明らかにされたと保証する一方であの天の情報機関の報道の重要な部分 -- 第三の秘密の今なお欠けている言葉 -- を教会から隠している。そして世界が大災難へ向かって驀進しているときに、それを問う誰をも役に立つように公然と非難する一方で、党路線を鸚鵡返しに口走るおめでたいだけの役に立つ間抜けどもを教会の中に供給するのに事欠かないのである。

これを書いている時点で、1984年3月25日のそうだとされているロシアの奉献 -- そこからはロシアの言及が意図的に落とされているバチカンの儀式における -- 以来すでに18年が経った。過去18年間にわたって汚れなき御心の勝利はなかった。そしてロシアは回心しなかった。それとはまったく反対に、その同じ時期の間にバチカン当局はロシアにおいてカトリックの回心者を求めるどんな試みをも「時代遅れの教会論」として公然と拒絶してきた。

ロシアにおいて、そして世界中で中絶ホロコーストは神の目の前でますます高く燃え上がっている。1984年の「奉献」以来胎児に対するその戦争の犠牲者は少なくとも6億人であった。天に向かって復讐を叫んでいるあらゆる犠牲者の血。

それにもかかわらず、2001年9月11日の破局、あるいは来るべきもっと悪いことの脅威でさえ、バチカン当局を教会の新しい「ファチマ後の」方向づけの追求から思いとどまらせることはないであろうと思われる。ロシアの奉献の代わりに、バチカンはもう一つの汎宗教的祈りの集い:アッシジでの平和のための祈り世界デーを2002年1月24日に計画した。カトリック教徒、正教会信徒、プロテスタント、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、アフリカ精霊崇拝者、仏教徒、神道・儒教・天理教の信徒そしてゾロアスター教徒たちはバチカンからアッシジまで L'Osservatore Romano が「平和列車」と呼んだものによってピストン輸送された。魔術師を含む「世界諸宗教の代表者たち」は皆、聖フランシスコ大聖堂の低い方の広場に設置された木造の大きな説教壇から世界平和に関する説教を行った。イベントの一部として、それぞれの非キリスト教「宗教」は異教の儀式を行い、さまざまの神々や霊に平和のための祈りを捧げるために聖フランシスコの聖なる修道院の中に一室を与えられた。イベントの終わりに、「世界諸宗教の代表者たち」は諸宗教間兄弟愛と世界平和へのそうだとされる彼らの関わり合いを象徴するために一つのテーブルの上に小さな燃える灯油のランプを置いた。そしてそれから帰途についた。

その後、もちろん、平和はなかった。まさにその翌日には、アラブ・イスラエル紛争が全面戦争へ向かって驀進しているときに、イスラエルがパレスチナの諸目標を爆撃し始め、一方インドは核ミサイルのテストを行った。次の数週間にわたって、彼らの「代表者たち」がテーブルの上に彼らの灯油のランプを置きにアッシジに行ったヒンドゥー教徒たちとイスラム教徒たちは西インドにおいてお互いに殺し合いを始めた。わずか三日間の暴動での死者総数はほとんど300人であった。注1)

世界に平和はなく、ロシアに平和はなかった。むしろ、教皇ヨハネ・パウロ二世が1982年にファチマで言われたように、われわれは「諸民族と全体としての人類を包んでいるほとんど黙示録的な脅威」に直面している。これはファチマで世界に伝えられた天の情報における警告を無視している結果である。

そして教会それ自身内部での平和についてはどうか? ここでもまた、ファチマのおとめはわれわれに一つの警告を与えられた。ここでもまた、それはわれわれにファチマの第三の秘密は「過去に属する」と告げる人々によって無視された。今日、過去40年間にわたる教会の人間的要素の堕落と崩壊は日々記録に残しそして軽蔑して嘲笑うよう全世界のためにまるごとさらけ出されている。このことが起こっているのは、教会人たち自身が、今統制を失って荒れ狂っている司祭の同性愛的侵入を避けるために予め知り、正しく判断する手段をわれわれに与えたファチマのメッセージを拒絶したからである。

数十年間の無分別な典礼上およびエキュメニカルな「諸改革」の犠牲者である大多数のカトリック教徒がもはや聖体に対する信仰を持っておらず、彼らの教会をもはやあるプロテスタントの教派とは本質において異なるとは見なさないし、また彼らが結婚や出産に関する教会の教えに従う義務があるとは感じていないとうことは長い間知られてきた。しかし2002年には教会はその信憑性に対するもう一つの破壊的な打撃を蒙ったのであった。

この書物が書かれた時点で、報道機関はボストン大司教区 -- そこでロー枢機卿は数十年の間司祭である略奪者たちの活動を隠してきた -- における大量の少年愛スキャンダルを暴露していた。明らかに可能的な責任に対するパニックにおいて、北アメリカにおける大司教区に次ぐ大司教区は突然性的乱用の嫌疑のある司祭たちのリストを法執行当局に提出し始めた -- この情報を犠牲者たちや彼らの家族から隠し、犯人たちを一つの場所から他の場所へと移していた数年後に -- 。少年に対する司祭の性的虐待に関する大司教区ごとの論評は Newsweek National Review によるカバーストーリーの中で、そして国内および地方新聞における多くの記事の中で提供された。人はただこの氷山の一角の下には何があるのかを想像することができるだけである。

北アメリカとヨーロッパの神学校や修道院は、「古い様式」に従っている小さな「伝統主義者の」修道会(SSPX[聖ピオ十世会]や聖ペトロ司祭兄弟会のような)によって運営されているものを除いて、実際的に空であるか、あるいは閉鎖されている。「主流の」教会において死んで行くあるいは引退して行く老齢の司祭たちに取って代わるべき十分な召命はほとんどない。そして公会議後の「諸改革」を固守する「主流の」神学校に入る少数の人々のうち、その大きなパーセンテイジは同性愛者であるということが広く知られている。オハイオ州クリーヴランドにある聖マリア神学校の校長ドナルド・コッゼンス神父は彼がその著書 The Changing Face of the Catholic Priesthood[「カトリック司祭職の変化しつつある顔」]において観察したときに誰もが見ることができることを認めただけであった:

二十一世紀の初めに問題になるのは、司祭職が一つのゲイの職業である、あるいはゲイの職業になっているという増大する認知である....異性愛の考えを持つ神学生たちは彼らの周りの多くのゲイたちによって居心地悪さを感じさせられる....真っ直ぐな神学生は場違いを感じ、彼の内的な不安定を彼が司祭職のための使命を持っていないしるしとして解釈するかもしれない....ゲイの神学生たちの間での性交渉やロマンチックな結合は陰謀や嫉妬の強いそして複雑な編み目を形成する。注2)

司祭の間での性的虐待や倒錯の疫病はほとんど北アメリカに限定されているわけではない。イギリス、フランスおよびスペインは同性愛および少年愛の司祭たちを含む彼ら自身のスキャンダルを持っている。そしてある指導的なポーランドの大司教さえ、彼が性的に強要し虐待した同僚の司祭たちによってバチカンに引き渡された。そしてアフリカにおいては、アフリカの司祭たちによる修道女たちの性的虐待を含む広範なスキャンダルが世界の新聞において報道され、バチカンによって認められた。バチカンのスポークスマン、ベルナルド・セルヴェレラ神父(バチカンの宣教ニュース・サービス Fides のディレクター)は「問題はサハラ以南のアフリカに限定されている、そしてそこでの女性および独身の価値についての否定的な文化的見解に関係している....これらは女性に対する『精神病理学的』暴力の事例ではなくて、その代わりに、その地方一帯に共通する『文化的生活様式』である....」という著しく常軌を逸した弁護を提供した。アフリカの司祭たちによる修道女たちの虐待はアフリカにおける「一つの文化的生活様式」である!アフリカの司祭たちは単純に「独身制の価値」を認めていないだけである!ロイターによれば、バチカンは「状況をチェックしつつあるが....しかし何ら直接的な行動は取られなかった。」注3)

修道女たちを性的に虐待している司祭たちに対してバチカンによる直接の行動は何もなかった。しかしニコラス・グルーナー神父は -- 真正のファチマ・メッセージを広めた犯罪のゆえに -- 2001年度教会の26万人の小教区司祭のうち、「規律」に関して聖職者聖省の唯一の公的告知において「職務停止を受けた」と宣言された。そのようなことがカトリック教会の新しい方向づけにおけるバチカンの優先事項なのである。

教会の新しい方向づけは最も苦い結果以外には何も産み出さずに、あらゆる点において破滅的な失敗であるけれども、グルーナー神父を追いつめているバチカン当局のメンバーたちは破滅を招く新奇さの彼らの追求をやり続けている。彼らに関する限り、ファチマのメッセージによって代表される教会の「モデル」への立ち帰りはないであろう。ロシアの「困惑を招く」公的な奉献はないであろう。カトリック信仰へのロシアの「時代遅れの」回心はないであろう。汚れなき御心の勝利はないであろう。なぜなら、これはプロテスタントたちおよび正教徒たちとの「エキュメニカルな対話」を妨害するからである。そしてそれゆえロシアは回心しなかった。そして世界にはいかなる平和も存在しない。そしてカトリック教会は -- 疑いもなく第三の秘密において予告されたように -- 混沌に近い状態に留まっている。

ロシアにおいては、およそ40年にわたる無益な「エキュメニカル対話」の後に、ロシア正教会は彼らの教皇首位性の拒否とカトリック教会に対する彼らの反対において以前よりももっと獰猛である。ロシア正教会の位階はバチカンが2002年2月にロシアにおけるその「使徒的」管理が司教区として明示されるであろうと告知したとき、激怒した。これらは伝統的なカトリック的意味における司教区でさえないであろう。例えば、ただ「モスクワにおける神の御母の大司教区」だけが存在するであろう。そしてこの構造の責任を担う大司教は、バチカンがロシア正教会モスクワ総主教、元KGB 秘密情報員アレクセイ2世を怒らせないために、モスクワの大司教とは呼ばれないであろう。

カトリック「司教区」が作られた後、ロシア正教会の位階 -- ヨセフ・スターリンによって銃を突きつけられて、真の教会から盗まれたカトリック小教区やカトリック信徒たちの不法な相続人たち -- の反カトリック的な激怒は抑制できないものとなった。カスパー枢機卿のモスクワ訪問は司教区が作られたことに対する抗議としてキャンセルされた。キャンセルを知らせる彼の書面による陳述の中で正教会首都総主教スモレンスクのキリル -- 彼は敵対的な「エキュメニカル」交渉のなおもう一つのラウンドにおけるロシア正教会代表団の指導をすべき人物であった -- は「われわれはお互いに言うべきことを何も持っていない」と憤慨して宣言した。始める価値のなかった一つの企てに対する適切な結論であった。2002年3月2日に、教皇はバチカンから衛星によってロシアへ放送された土曜日の祈りの奉仕を行った。その放送は今やウラディーミル・プーチンの言いなりになっている同じロシアのテレビジョンによって完全に消し去られた。その国への特別装置の船積み(それは最後の瞬間まで税関に止め置かれた)によってのみ、わずか数千人のカトリック教徒がモスクワにある被昇天カテドラルに設置されたテレビスクリーン上で教皇を見ることができただけである。BBC は「ロシア正教会のアレクセイ総主教はそれ(衛星放送)は『ロシア侵略』であると言い、十七世紀初頭のポーランド人によるモスクワの占領に言及した。ヨハネ・パウロはポーランド出身である」注4)と報じた。東方政策と「エキュメニカルな対話」の40年後に、正教会の位階はロシアにおける教皇のビデオ像を大目に見ることさえないであろう。これがファチマの聖母によって約束されたロシアの回心なのか?

ロシアにおける崩壊を取り繕いながら、「モスクワにおける神の御母の大司教区」の長であるタデウス・コンドゥルシエヴィッツ大司教は「それはすべて一つの誤解である」と主張した。カトリック教会は正教会の信徒たちの間に回心者を作る意図は持っていない。ロシアの回心を求める意図はない。結局のところ、これは、1998年に(われわれが指摘したように)「第二バチカン公会議は正教会がわれわれの姉妹教会であり、そして救いのための同じ手段を持っていると宣言した。それゆえ改宗という政策を持つ理由は何もない」と公的に宣言したその同じコンドゥルシエヴィッツ大司教であった。正教会の敵意に対するコンドゥルシエヴィッツの反応に関する Associated Press の物語は「小教区民たちは最近、2月11日以来の国内ニュース放送において正教会の指導者たちによって為された憤慨したレトリックが彼らの信仰を実践することを彼らにおそれさせたと涙ながらにコンドゥルシエヴィッツのところに来た」と述べた。注5)一方正教会の高位聖職者たちは国内ニュース放送において「国粋主義者たちはその『改宗』のゆえにカトリック教会を批判することにおいてロシア正教会と力を合わせた。[そして]議会議員団は調査を計画している」と攻撃した。注6)

それは、あたかもロシアの正教会高位聖職者たちが彼ら自身の震動する教会を擁護していたかのようではない。自らをロシア正教徒と称している人々のほとんどすべては彼らの宗教を実践していない。The Economist は「ロシアは信仰の危機を経験している。雑誌によれば、18歳から29歳までのロシア人の94%は教会に行っていない」と述べている。注7)われわれがすでに言及したロシア社会の道徳的堕落は衰えずに続いている:すなわち、一人の出産に対して二人の中絶(ロシア人女性一人につき平均5回から6回の中絶)、はびこるアルコール中毒、そして病気および暴力犯罪による早すぎる死、ボリス・エリツィンによる同性愛の合法化に引き続いて急速に増加しているエイズの流行、繁栄する児童ポルノ産業、等々。

しかしカトリック教会はロシア正教会が満たすことができない霊的な真空を満たすことを許されないであろう。ロシアの1997年「良心の自由」に関する法律はロシア正教会、ユダヤ教、イスラム教そして仏教に特別な法的地位を与え続けているが、一方でカトリックへの「改宗」を禁止し、諸々のカトリック教会の地方官僚たちへの登録を要求している。カトリック教会はロシアにおいてそのように低いプロフィールを保っているので、コンドゥルシエヴィッツ大司教がそこから教会の諸々の業務を行っているモスクワの事務所は「ある軍の司令官の事務所の背後に押し込まれ、それがカトリック教会のロシア指導部が居を構えていることを示す何のしるしもつけれていない」注8)のである。

2002年の時点で、カトリック教徒はロシアにおける非常に小さな、行き暮れた少数派に留まっている。1億4千400万の人口を持つ国においておそらく50万人の名目的カトリック教徒がいる。日曜日にミサに行ってさえいるカトリック教徒の小さなパーセンテージ(彼らの大部分はシベリアにいる)はほとんどまったく非ロシア人司祭たちに依存している。彼ら司祭たちは、更新を求めるために3ヶ月毎に出国を要求する訪問者ビザをもってのみロシアへ入ることを許されているが、その更新はいつでも、どんな理由でも、あるいは全然何の理由なしに拒否され得るのである。ロシアにおけるカトリック司教会議のまさに秘書であるスタニスラフ・オピエラ神父は三度説明なしに入国ビザを拒否された:「私はもう一度試みようとは思いません。おそらくある種の抗議があるでしょう」と彼は言った。そして次に、2002年の4月には、バチカンによってシベリアの広大な(しかし人口の少ない)地域を管理するよう任命されたジェルズィー・マズア司教はロシアから強制退去させられ、彼の入国ビザは説明なしに没収された。マズア司教は「望ましくない者たち」と考えられる人々のリストに加えられ、ロシア領土に入ることはもはや許されないだろうということを知った。

ロシアにおけるこれらの展開のすべてはコンドゥルシエヴィッツ大司教に、ロシアのカトリック司教会議を代表して「ロシアにおける宗教的自由は重大な危険に陥っている」と題された公式の抗議を出させるように促した。抗議はこう宣言している:

ロシアにおけるカトリック教徒たちは自問する:次に何が起こるか? 81年間カトリック教会が自分自身の司祭たちを養成し叙階する権利を奪われていたことを忘れることなく、良心の自由、彼ら自身の司牧者たちを持つ権利 -- 彼らを海外から招くことを含む -- の自由を含んでいる憲法上の保証は彼らにもまた妥当するのか? おそらく国家は本当にカトリック教徒たちを第二級の市民と考えているのか? ....彼ら(国家)は信仰の迫害の時代に戻りつつあるのか? ....どんな法律も侵害していない一人のカトリック司教の追放は国家と教会との間の文明化された関係の想像し得る限界を超えている....われわれは、大きな心配と共に、カトリック教徒の憲法上の諸権利の侵害についてわれわれの決定的な抗議を表明する。注10)

実際、2002年の終わりまでに、教皇自身のスポークスマン、ホアキン・ナヴァロ−ヴァルスはロシア当局によるカトリック教会に対する諸々の行動は「一つの真正の迫害」の水準に達したと宣言した。それゆえ、ソダノ枢機卿と彼の党路線の追随者たちがロシアはおよそ18年前に汚れなき御心に奉献された、そしてロシアにおける最近の事態はこの「奉献」によってもたらされた「回心」の「奇跡」であると主張しているけれども、ロシアにおける指導的な高位聖職者も教皇の個人的スポークスマンも両者ともロシアにおける教会の迫害を公然と非難し、そしてロシアのカトリック教徒にとって宗教的自由は重大な危険にあると警告している。この状況を記述する唯一の語は狂気の、という語である。

隣接した「かつてのソビエト諸共和国」におけるカトリック教会にとってはもっと悪くさえある。ルーマニアにおいては、スターリンによって盗まれた少なくとも11のカトリック小教区が1990年における「共産主義の崩壊」後、それらの正当な所有者たちに戻されたというよりはむしろブルドーザーでならされて滅ぼされた。注11)ベラルーシにおいては、2002年1月10日に Catholic World News Service が「カトリック教会に対する敵意の不安になる新しい徴候が」あり、また「国営ラジオ・サービスでの日曜日のミサの放送が警告なしにキャンセルされた」と報じた。CWN が指摘したように、「ベラルーシは公式的には一つの世俗国家である....その権威主義的な大統領アレキサンドル・ルカシェンコは、彼自身無神論者であると宣言しているけれども、それにもかかわらず、『ベラルーシのロシアとの統合』という彼の政策への支持のために正教会を当てにしている。」ベラルーシ、カザフスタン、モルドバ、ルーマニア、トランスシルバニアそして「かつてのソ連邦」の他の場所におけるカトリック教会の迫害の例は無限に増やすことができるであろう。

そしてこのすべてのことにおいてロシアの大統領ウラディーミル・プーチンは何処にいるか? 彼はソビエト型の独裁制の決してまったく解体されたことのない諸々の要素を再び集めることに忙しかった。London Times の2002年1月22日オンライン版によって報じられたように、「ロシアの最後の独立テレビ局は、この国の放送メディア全体をクレムリンの統制の下に残して、昨日閉鎖された。」-- それは、ロシアにおける諸司教区の問題に関してカトリック教会を公然と非難していたその同じ放送メディアであった。あたかも一つの予め準備されたスケジュールであるかのように、同じことがウクライナでも起こっている。2001年12月21日に WorldNetDaily は「自由の松明は、最後の独立メディアのはけ口と一人の人気のある率直なジャーナリストの殺人をめぐって続いている論争を政府が沈黙させたこととともに、かつてのウクライナ・ソビエト共和国においてますます暗くなってしまった -- それが古いUSSR の領土の大部分を横切って持っているような -- 」と報じた。「共産主義の崩壊」以来、ジャーナリストたちを含む多くの殺人と致命的な「諸々の事件」が起こってきた。

「借金取り立て」や「脱税」を口実にしての彼の体系的なマスメディア乗っ取りと結びつけて、プーチンはソビエト国歌を復活させ、ロシア諸州に対するクレムリンの統制を強化し、赤色チャイナとの軍事および外交「友好」条約に調印した。プーチンはソビエト時代、ルビヤンカ刑務所(ソビエト・グーラーグの冠石)そしてKGBを創設しカトリック司祭たちの拷問と処刑を公認しレーニンのロシア中産階級粛清を主宰したソビエト時代の殺し屋フェリックス・ジェルジンスキーを称賛する記念カレンダーの製作をさえ命じた。

あたかも魔法の偶然の一致によるかのように、ウラディーミル・プーチンの国家的崇拝が「自然発生的に」起こりつつある。2001年5月8日の Electronic Telegraph において報じられたように:

プーチン大統領崇拝は、数千人の学生たちがクレムリンの城壁の下でプーチンの就任一周年記念を祝った昨日新しいはずみを受けた。そこで多くの者がプーチン氏の顔が描かれたTシャツを着た集会は、すでに子どもたちの書物、彫像そしてメディアにおける卑屈な表紙において不滅のものとされた元KGB大佐に対してひれ伏すことの新しい深さを測るものであった。演説する人々は偉大な指導者に対する彼らの称賛においてお互いに相手を出し抜こうと努力した。彼らのレトリックは、今や官僚制、議会そして国立放送を支配しているプーチンに忠誠を誓う人々の考え方への新しい洞察をもたらした。

これらの展開のすべては、ソビエト反体制派の物理学者アンドレイ・サハロフの未亡人イェレナ・ボンナーによって次のように要約された:「プーチンの下では、現代化されたスターリン主義の導入における一つの新しい段階が始まった。権威主義がますますどぎつく増大し、社会は軍国主義化され、軍事予算は増加している。」ボンナーは「現在の政府の下ではわれわれの国は、予見し得る将来において、同様に周辺諸国にも影響を及ぼし得る破滅的な大変動を予期することができる」と警告した。彼女はまた「回心した」ロシアとスターリン主義ロシアとの間に明確な類似点を挙げた:「スターリン時代の間に人口の三分の一はただで、あるいは象徴的な賃金のために、働いた。現代ロシアでは、人口の三分の二は貧困すれすれのところにいる。健康管理制度は今日、50年代よりも悪い。スターリンは2千万人を[実際は5千万人以上を]殺戮したが、一方今日のロシアにおいては、人口は毎年100万人づつ下降しているいる。」注12)

ロシアが現代化されたスターリン主義を採用しているときに、ロシアが1984年世界の奉献以来「回心しつつあった」という嘘の主張をしながら、ソダノ枢機卿はカトリック教会を台頭しつつある新世界秩序の諸勢力と提携させる彼の計画を続けている。カトリック報道機関はバチカン国務長官がその金庫に財政的な貢献をする程度にまでさえ、新しく設立された国際犯罪法廷(International Criminal Court=ICC)を積極的に支持していると懸念しながら報じた。注13)カトリックの時事問題解説者たちは、世俗の政治的な時事問題解説者たちと結びついて、長い間 ICC が諸々の主権国家およびその人民の諸権利に対する直接の脅威であると警告してきた。なぜなら、それは訴追可能な「違反」のますます増大するリストに基づいて、ある国家の市民の政治的に動機づけられた裁判をする司法権を主張するであろうからである。注14)これらの裁判は証拠の承認に関する手続き的な保護や法律のしかるべき手続きに本質的である証人に対面する権利などなしに行われるであろう。注15)

いたるところで、-- 教会において、ロシアにおいて、世界において -- ファチマに関するソダノ枢機卿の党路線の実行者たちはその失敗の証拠を見ている。にもかかわらず、バチカン当局におけるソダノの協力者たちおよび彼らのファチマ修正主義のお先棒たちは、ロシアが18年前に汚れなき御心に奉献された、ロシアにおける最近の諸々の出来事が「一つの奇跡」である、第三の秘密および全体としてのファチマ・メッセージが「過去に属している」そしてもはやわれわれに関係を持つ必要はないと主張し続けている。明白なことを指摘し続けているグルーナー神父のようなカトリック教徒は党路線への忠誠に欠けているためにスターリン主義の粛清に相当するものに従わせられる。彼らは「不従順な者」、「分離主義者」として公然と非難され、そして彼らの「教皇に対する忠誠」は、たとい教皇がファチマに関するソダノの党路線を個人的に支持されたりあるいは押しつけたりされずに、むしろそのまったくの誤りについて抗しがたい指摘をされているとしても、疑われるのである。

人はどのようにファチマでの神の御母の諸々の預言を取り除く狂気の共同謀議の代価を計算するのか? この世的な苦しみおよび霊魂たちに対する害悪における代価はすでにすべての人間的な計算を超越している:すなわち、ロシアの人々の悲惨そして今も続いている国家によるロシアカトリック教徒の迫害;あらゆる国家における中絶のホロコースト;世界中の暴力の上げ潮;彼らのカトリック信仰の破壊を通じての無数の霊魂の喪失そして全世界の前に今繰り広げられているカトリック聖職者の堕落。そしてにもかかわらず、このすべてのことはわれわれが見ることを許されなかった第三の秘密のあの部分に疑いもなく予告されていたのである。そしてそれのすべては、もし今日教会を支配している人々がファチマのおとめの単純な要求を軽蔑するよりはむしろそれに従っていたならば、避けることができたであろう

しかし、来るべき日々に、もし被告人たちが教会のために設定したコースがすぐに修正されないならば、その代価は何であるか? ファチマの聖母はすでにその問いにお答えになった:すなわち、諸々の戦争と教会の迫害、カトリック教徒たちの殉教、教皇の苦難、諸民族の絶滅、数百万以上の霊魂たちの喪失である。

教会の新しい方向づけを企み、ファチマに関する党路線を押しつけた人々は、これらの神の警告がたとい神の御母御自身によって伝えられ、そして人類の歴史において前例のない一つの公的奇跡によってその真なることが保証されたとしても、われわれはこれらの神の警告を無視すると主張している。否、われわれはそれらの警告を無視することはできない。われわれが無視しなければならないのは、ファチマのメッセージではなくて、これらの人々の余りにも誤り易い人間的忠告であると宣言すべき時が来た。彼らの実によって汝は彼らを知るべきである。そして彼らの政策と判断の実はすべての人々が見るべくここにある:教会はその2000年の歴史においてその最悪の危機の深みの中にあり、そして世界は黙示録の方へ向かっている。

われわれはわれわれの訴訟をわれわれのできる最善のものとした。われわれはわれわれの良心の義務を教会と歴史の法廷の前に出した。今、われわれは読者にそれを提出する。一つの義務があなたたちに降る。われわれは、われわれがあなたたちの評決 -- 教会における最高の権威が、これらの人々がなした損害を修復し、そしてこのようにして教会と世界に正義を行いながら、これらの人々の諸々の行動を判断し、正すことを求めるしかるべき理由が存在するという評決 -- を提示し、提出した証拠を考察するように求める。

しかしわれわれは与えられるべき正義を待つ一方で、われわれ自身、われわれの愛する者たち、われわれの仲間のカトリック教徒たち、そして世間一般をさらなる害悪から護るためにわれわれの能力の範囲にあることを何であれしなければならない。

このことは、まず第一に、われわれが神の御母の言葉を彼ら自身の言葉に、そして平和のための神の計画を彼ら自身の計画に置き換えようと試みてきた権威の座にある人々の誤った忠告を拒否しなければならない、ということを意味する。われわれは彼らの誤り得る人間的智恵の破滅的な結果を見てきた。彼らはわれわれの感覚の証拠、われわれの理性の命令そして神の御母御自身のまさに言葉そのものに反して、教会の上に彼らの誤り得る人間的智恵を押しつけようと努力し続けている。教会における彼らの役職に対するすべてのしかるべき尊敬の念を持ちながらも、われわれはこれらの人々について、ファチマのメッセージおよび教会と世界にとってのその意味に関する限り、彼らは彼ら自身の信憑性を失ったと言わなければならない。

われわれがアリウス派の危機についてのニューマン枢機卿の適切な記述のうちに見たように、教会における現在の危機は、平信徒が上層の位階あるいは大部分の司教たちの助けなしに、その代わりに彼ら自身の sennsus catholicus[カトリック的感覚]に、そして支配している混乱に屈しなかった少数の司祭たちや高位聖職者たちに頼りながら、信仰を続けるように残された教会の歴史における最初の時ではないであろう。アリウス派の危機の間、ほとんど位階全体がキリストの神性のような基本的な事柄を見失った。そして平信徒たちは、彼ら自身の霊魂の安全のために、少なくとも40年の間権威の座についていた人々に従うことを止めなければならなかった。今日、一つのそれに匹敵できる状況が起こったということは明らかである。教会の現在の状態を客観的に見る人が誰か、アリウス派の時代においてと劣らないほどの厳しい信仰と規律の危機を教会が経験しているということを真面目に否定できるか?

Reform of the Roman Litrugy[ローマ典礼の改革]の中で、有名な典礼学者モンシニョール・クラウス・ガンバーは、教皇パウロ六世の典礼「改革」によって引き起こされた教会の破壊を嘆きながら、次のように述べた:

混乱は大きい!この暗闇の中で誰がなお明瞭に見ることができるか? われわれの教会の中のどこにわれわれに正しい道を示すことができる指導者たちがいるのか? ガンが拡がり、もっと大きくさえある損害を引き起こす前に、最も聖なる神秘の祝祭の内部に植えつけられ、爛れさせている近代主義神学のガンの成長を切除するに十分勇敢な司教たちはどこにいるか? われわれが今日必要としているのは、四世紀にほとんどキリスト教世界全体がその異端に屈したときにアリウス派の異端に反対して勇敢に戦った人々のような司教たち、一人の新しいアタナシウス、一人の新らしいバシリウスである。注16)

そのような指導部が教会のうちに現れるまで、現在の危機が終わり事柄が再び正しくされるまで、われわれは信仰をできる限りよく擁護しながら、信仰についてわれわれ自身と他の人々を教育しなければならない。われわれの時代においては、この仕事はわれわれがまたファチマのメッセージをも擁護することを要求する。なぜなら、聖トマスが教えているように、あらゆる時代に神は、一つの新しい教説を与えるためにではなくて、信徒たちに彼らが霊魂を救うために何をしなければならないかについて思い起こさせるために、預言者たちを送られるからである。われわれの時代の偉大な預言者はファチマの聖母である。シスター・ルチア自身が1957年にフエンテス神父との有名なインタビューの中で言ったように:

神父様、いとも聖なるおとめは善人も、悪人も、誰も聖母のメッセージに注意を払わなかったので、大変悲しんでおられます。善人は彼らの道を続けています。しかし聖母のメッセージに何ら重要性を与えずにそうしているのです.....

神父様、彼らに告げてください、いとも聖なるおとめは何度も私自身にと同様に、いとこのフランシスコとジャシンタとに、多くの民族が地の面から消え去るでしょうと告げられました。聖母は、もし私たちが前もってあのかわいそうな国(ロシア)の回心を手にしていないならば、ロシアが全世界を罰するために神によって選ばれた懲罰の道具となるでしょうと言われました。

ロシアの回心はまだ得られなかった。何らかの感覚を持つ誰でもこのことを認めることができる。もしそうであるならば、教会を統治している人々がコースを変え、彼らの諸々の新奇さを放棄し、そして神の御母がファチマで要求なさったことを単純にしない限り、諸民族の絶滅は確実に来る。われわれは時代の真のしるし:ファチマでおとめ[マリア]によって予告された近づいて来る黙示録のしるしを無視する決心をしている人々の忠告に頼る危険をもはや単純に冒すことはできない。神の恩寵を嘆願しながら、われわれは、彼らのそのように多くの者たちが教会の新しいそして異質的なビジョンの追求において盲目とされてしまったわれわれ自身の上長たちの助けなしに世界における真の平和の目標を進展させなければならないであろう。

この企てにおいて、われわれは、大きな混乱のこの時に聖母の取り次ぎを絶えず祈り求めながら、そして教会と世界に対する聖母の破ることのできない約束を決して忘れずに、ファチマの聖母のマントの下に一緒に集まらなければならない。

ファチマの聖母、われらのために祈り給え!

脚注

1. New York Times, March 2, 2002.

2. Donald Cozzens, The Changing Face of the Catholic Priesthood, (Liturgical Press, Collegeville, Minnesota, 2002)p. 135.

3. CNN, March 21, 2001.

4. BBC Online, March 2, 2002.

5. AP News, March 1, 2002.

6. Zenit News, February 17, 2002.

7. Zenit News, December 22, 2000.

8. AP report and photograph, February 28, 2002.

9. Catholic News Service Report, May 8, 2001.

10. National Catholic Register Online Web Edition, April 28 - May 5, 2002.

11. CWNews, March 2, 2002.

12. Electronic Telegraph, March 2, 2000.

13. Zenit news report, July 3, 2002, "Vatican Contributes to International Criminal Court."

14. "World Court Now A Reality" by Mary Jo Anderson, April 11, 2002, WorldNetDaily, and "Stopping the International Criminal Court," by Mary Jo Anderson, at (www.catholiceducation.org/articles/social_justice/sj0003.html).

15. "The International Criminal Court vs. the American People," by Lee A. Casey and David B. Rivkin, Jr., a Heritage Foundation Report dated February 5, 1999, which can be found at (www.heritage.org/Research/ InternationalOrganizations/BG1249.cfm).

16. Msgr. Klaus Gamber, The Reform of the Roman Liturgy, (Foundation For Christian Reform, Harrison, New York, 1993)p. 113.

2005/07/02 三上 茂 試訳

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作成日:2005/07/02

最終更新日:2005/07/02

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