ファチマの聖母マリア

「神の忍耐の限度」

2000

第Ⅰ部:ファチマ・メッセージの緊急性

第I章:真実のファチマの意味深い単純さと緊急の世界的重要性

Father Nicolas Gruner

一つの深遠なメッセージ

「もし人類が改めないならば、そのとき神は四つの罰:すなわち、戦争、飢餓、教会の迫害そして教皇の迫害によって世界を罰せられるであろう。」

われわれは皆戦争と飢餓を世界の罪に対する罰として理解することができる。しかしわれわれのうちの非常にわずかの人が教会の迫害を世界の罪に対する罰として理解することができる。祝せられたおとめは教会の罪に対する罰として神が教会の迫害を許容なさるでしょうとは言われなかった。むしろ、彼女は人類の罪を罰するために教会は迫害されるでしょうと言われた。教会は今日世界の四つの懲罰の一つとして迫害を受けている。聖母の要求の実現を遅らせているのはまさにこの教会の迫害である。

それは、教皇ヨハネ・パウロ二世がファチマで指摘なさったように、罪が非常に大きいので、その結果世界が1917年の聖母のメッセージとは反対の方向へと行ってしまったからにほかならない。罪は王座につけられた。罪は世界において制度化されてきた。その結果、教会自身が迫害されている。最終的な結果は教会内部で聖母の諸々の要求は理解されて来ず、聞き入れられて来ず、従われて来ずそして聖母がそうなることを期待されたようには愛されて来なかったのである。

聖母のメッセージの深い単純性

聖母が言われた事柄は、非常に単純であるので、われわれの側を通り過ぎがちである。われわれは聖母が言っておられることを実際には理解していない時に理解していると考えている。そのことは単にわれわれの頭の回転の遅さ、理解の遅さによるだけではなく、またファチマのメッセージが部分的に隠されてきたという事実にもよっている。

それは、まず第一に悪魔の攻撃の結果として、そして第二に人間の「外交」の結果として、隠されてきた。例えば、1942年に秘密の第二の部分が公表された時、戦争の間連合軍に不快感を与えないように、「ロシア」という語は秘密から取り去られ、「悪しき勢力」というような用語によって置き換えられた。

ファチマのメッセージは、イタリア人が言うように、inquadrare(額縁に入れる;正しく位置づける)ことが非常に困難である。というのは、ある程度われわれは絵の中央に立っているからである。われわれはそれを認識するほど十分にそれから離れて立っていない。にもかかわらずファチマの聖母のメッセージは、すべての公会議、聖母の他のすべての御出現、どの世界的な出来事、どの戦争をも含む過去一千年の教会史におけるどんなことよりも重要である。

ファチマの聖母のメッセーは実際聖書のうちに含まれている。おそらく聖母のファチマでの御出現は聖書のうちに予告されている。教皇パウロ六世はこのことを1967年5月13日の回勅「大いなるしるし」Signum Magnumにおいて暗示された。黙示録(12:1)にはこうある:「日を着たる一人の婦人あり、その足の下に月ありて、頭には十二の星の冠あり。」この回勅の中で教皇は、黙示録の婦人がファチマの聖母に他ならないということを明白に、意識的にそして非常に強く示唆しておられる。

シスター・ルチアは、善人も悪人も、誰も聖母のメッセージに注意を払わないので聖母が悲しんでおられるとわれわれに告げている。悪人たちは彼らの上に落ちかかる懲罰を見ることなく彼らの道を進んでいる。善人もまたメッセージに何の注意も払っていない。不幸なことに、今日でさえ善人たちは聖母のメッセージに注意を払わず、また何らの重要性をも与えていないということはなお真である。

完全なファチマ・メッセージを[適切な]文脈の中に置くためには、聖母が「終わりには私の汚れなき御心は勝利するでしょう」と約束なさったということを思い起こすことが重要である。この勝利はわれわれのうちの誰かが十分に理解することができるよりもはるかに大きなものであろう。しかしその勝利は三つの部分においてやって来るであろう。第一の部分は「終わりに私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう」である。第二の部分は「ロシアは回心するでしょう」である。第三の部分は「平和の一時期が人類に与えられるでしょう」である。

回心と平和

これらの言葉を用いられる際に祝せられたおとめはそれらの言葉を回心のカトリック的な意味において用いておられる。聖母はロシアのカトリック信仰への回心について話しておられる。聖母が世界に与えられる平和について話される時、話しておられるのはキリストが「私はあなたがたに平和を与える、しかしそれは世がそれを与えるようにではない」とわれわれに告げておられるその意味においてである。聖母が話しておられるこの平和はわれわれがもっと多くの西欧商業主義を広めることができるようになる単なる戦争の不在ではない。それはキリスト教的平和の一時期である。何よりもまず、心と魂の平和である。なぜならこの平和は社会へ、社会のすべての局面へと拡がるであろうから。この平和はただ王たるキリストの支配を通じてのみやって来ることができる。教皇ピオ十二世が王たるキリストに関する回勅Quas Primasにおいて説明されたように、キリストは支配者たちの王であり、聖書がわれわれに告げているように、キリストは王たちの王、主君たちの主君である。われわれが主祷文において「御国の来らんことを」と言う時にわれわれが祈り求めるこの王権は平和のこの君臨において認められ実現されるであろう。カトリック教会はイエズス・キリストによって設立された一なる真の教会として認められるであろう。司教たちの役割そして教皇の役割は強められ、認められ、支持されるであろう。われわれは栄光の諸々の預言の実現を見るであろう。イザヤ書において言われているように、「主が為し給う他ことを見るために神の山に登ろう。」しかし、このことが起こるためには、まず一つの劇的な出来事が起こらなければならない。その「何か劇的なもの」は聖母が要求なさったようなロシアの奉献であろう。

この奉献は非常に公的なあるものでなければならない。さもなければ、信徒たちそして信仰を持っていない人々はそれを認めないであろう。それは単に一つの礼拝堂で私的に、すべてあなた自身によって為された何かあるものにすぎないものではあり得ない。それはもちろん神に喜ばれる祈りの一つの聖なる行為であろう。しかしこの要求の実現のために劇的で効果的であるためには、それは公的で荘厳なものでなければならない。このことは与えられた約束のまさに本性そのもの、要求が与えられた方法のまさに本性そのものから明らかである。その要求が与えられた仕方を正確に見ることにしよう。

それはファチマの聖母のすべての幻視のうちでも最も荘厳な幻視のうちに起こった。そしてそれはスペインとポルトガルの国境にあるトゥイで起こった。ルチアは、聖マルガリタ・マリア・アラコックのやり方で、夕方彼女自身で御聖体の前で祈る許可を貰っていた。真夜中であった。聖堂は終夜燈以外点いておらずまったくの闇であった。突然聖堂全体が超自然的な光で照らされた。彼女は見上げ、祭壇の上方に小さな雲にのられた聖母を見た。彼女は十字架上の神の御子を見た。子なる神の頭の上方に鳩の形をした聖霊なる神が、そしてその上方に老人の形をした父なる神がおられた。キリストの右腕の下で、御聖体がキリストの脇腹の傷から出て来られた。血が御聖体から、ちょうど御聖体の下方の空間につり下げられていたカリスの中へと滴り落ちた。祝せられたおとめの汚れなき御心は棘によって取り巻かれて示された。聖母は手にロザリオを持っておられた。われらの主の左腕の下には水のような形で三つの言葉が書かれていた:その言葉は「恵みと憐れみ」であった。

ここで聖母はこう言われた:「神が、教皇に、ロシアの奉献を行うように、そして世界のすべてのカトリック司教たちに命じるように、お求めになる時が来ました。」

神は教皇と司教たちを高めることを望んでおられる

ロシアの奉献は、神が具体的に示されたやり方でなされなければならないという要求の理由は、神は単に祝せられたおとめを高めることをお望みになっておられるからだけではなく、神はまた全世界の人々の目の前で教皇を高めることをもお望みになっているからである。世界が平和は教皇と司教たちの従順を通じてやって来たということを理解するとき、世界は単に祝せられたおとめそして彼女の汚れなき御心に感謝するだけではなくて、また教皇と司教たちに感謝するであろう。

われわれは皆、社会がどのように機能すべきかについてのわれわれの考えにおいて世俗化されてきた。われわれは平和が合衆国の偉大な軍隊あるいは国連の平和維持軍によって維持されあるいは保持されると期待しているかもしれない。他の人々はモスクワに頼るかもしれない。

1300年A.D. の頃教皇ボニファチウス八世によって荘厳に決定された教義的真理、すなわち、二つの権威が存在する、すなわち現世的権威と霊的権威である、そしてこれら二つの権威は神から来る、という真理がある。

加えてこれら二つの権威の間には一つの関係がある、そしてそれは、霊的な権威は現世的な権威よりも上位にあり、そして現世的な権威は霊的な権威に従わなければならないという関係である。彼はその関係をペトロが持っている二つの剣、すなわち現世的な剣と霊的な剣を用いて定義した。

今日われわれのうちのある人々は「現世的権威」を「世俗的権威」と翻訳するかもしれない。しかし、非常に明らかなことであるが、われわれは世俗主義を「この世界の、そしてこの世界のみの」として定義する世俗主義者たちの言語を用いることはできない。「世俗的社会」はそのまさに定義そのものによって現世的な諸事象に対する神の諸権利を否定する。それはわれわれがどこまでカトリック信仰のこの真理から遠ざかってしまったかを示している。そしてボニファチウス八世が宣言されたこの真理は現世的な平和が天の元后にして平和の元后の命令の下に教皇と司教たちによって行使される霊的権威を通じて与えられるとき、再び主張されるであろう。

神、キリスト、教会に然り

聖母が言及しておられるこの平和は教会が1054年、1517年、1717年そして1917年から耐えてきた大きな傷を反対方向に向けるであろう。1517年にルターが神に「然り」、キリストに「然り」そして教会に「否」と言ったということを指摘されたのはピオ十二世であった。1717年にフリーメーソンはロンドンにおいて浮上し、そして神に「然り」、キリストに「否」そして教会に「否」と言った。1917年には共産主義者たちは神に「否」、キリストに「否」そして教会に「否」と言った。1917年に聖母が来られたのは、教会に「否」、キリストに「否」そして神に「否」というこれら三つの「否」をひっくり返すためである。

カトリック信仰へのロシアの回心と回心したカトリック・ロシアのそれに引き続く宣教活動を通じて世界の残りの人々は回心するであろう。われわれはカトリック信仰への世界の回心なしには全世界におけるキリストの平和を持つことはできない。

そしてそれゆえにマルクスの「否」は実際「然り」へと変えられるであろう。すなわち、神に「然り」、キリスト「然り」そして教会に「然り」と。そして教会に「否」、キリストに「否」と言うフリーメーソンの「否」は「然り」へと変えられるであろう。そして教会に「否」と言ってきたプロテスタントたちの「否」は「然り」へと変えられるであろう。そして1054年に教皇に「否」と言った正教会の「否」もまた教皇に「然り」へと変えられるであろう。聖母に「然り」と言う諸結果は神に「然り」、キリストに「然り」、教会に「然り」そして教皇に「然り」と言う世界であろう。

聖母が話しておられるのは一つの全体的な回心である。それは1965年以後ある人々によって考えられたようなエキュメニカルな回心ではない。そのような考え方は第二バチカン公会議が言っていることとは実際反している。「エキュメニズムの布告」はエキュメニズムの最大の仕事は人々をカトリック信仰へと回心させることであると言っている。公会議はルーメン・ジェンティウム(教会憲章)の第14パラグラフから第18パラグラフにおいて、公会議の普及者たちの多くが言っていることとは反対に、教会の外部ではいかなる救いも存在しないという教義をなお主張している。

神は世界の中にマリアの汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでおられる

大規模に忘れられてきたこれらの真理は恩寵を通じて、また祝せられたおとめの活動を通じて理解されるであろう。祝せられたおとめ御自身の役割がよりよく理解されるであろう。多年にわたるファチマ・メッセージを研究した後では、神のお考えにおいては祝せられたおとめに対する真の信心は始めから現在に至るまで教会において十分に確立されて来なかったことは明らかである。

その結論は聖母が1917年7月13日に言われた言葉に基づいている。「あなたがたは地獄を見ました。そこへは哀れな罪人たちの霊魂が行くのです。彼らを救うために神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでおられます。」「神は確立することを望んでおられる」ということは、今に至るまで神は世界の中に汚れなき御心に対する信心を確立なさらなかったということを意味している。

聖アルフォンソ・リグオリは、祝せられたおとめに対する信心を続けていた誰かがかつて滅びたということはこれまでに決して知られなかったとわれわれに告げている。そして彼はその著「マリアの栄光」において聖ベルナルドのこの同じ教えを確証している。神はわれわれの時代にマリアの汚れなき御心に対する信心を世界の中に確立することを望んでおられるのである。

祝せられたおとめはファチマでこう言われた:「ただ私だけがあなたたちを救うことができます。」あるプロテスタントたちは反対の声を上げた。「祝せられたおとめは神よりももっと重要なのか?」と。もちろん、その答は否である。それにもかかわらず、神御自身の計画を通じて、神は世界の平和を彼女の汚れなき御心に委ねられたのである。

神御自身は祝せられたおとめの功績と執り成しを通じて以外にはこの平和をわれわれにお与えにならないであろう。そしてだからこそ祝せられたおとめは「ただ私だけがあなたたちを救うことができます」と言うことがお出来になったのである。聖アウグスティヌスは、神は人類に対するその大きな愛とその大きな憐れみにおいて、われわれがそれらに値しないことを御自分で知っておられるにもかかわらず、ある主の愛顧とある種の恵みを与えようと望まれるとわれわれに告げている。

それにもかかわらず、神はわれわれのそれに値しない者であるにもかかわらず、それらをわれわれに与えようと望んでおられる。しかし神はまたわれわれがいかに弱い者であるか、そしてわれわれがいかに高慢になりがちであるかを御存知である。神はまた、それがわれわれ自身の功績を通じてではないということを理解するようにわれわれに望んでおられる。だからこそ、神はある種の愛顧や恵みをただ諸聖人の功績と執り成しを通じてのみお与えになるのである。だからこそまた、ファチマにおいて、われわれは世界の平和がただもっぱらマリアの汚れなき御心にのみ委ねられていると告げられているのである。

さらに、シスター・ルチアがわれらの主になぜ主は教皇や司教たちが奉献の行為をすることなしに世界に平和を与え、ロシアを回心させるようになさらないのかと尋ねたとき、われらの主は「わが娘よ、お前は誤解している、私はそのことを文字通り意味していない」とは仰らなかった。反対に、われらの主はシスター・ルチアの理解を確証なさり、その理由をお与えになった。われらの主はそれは、「私の全教会が奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認め、そのことによって後に私の母の汚れなき御心に対する信心を私自身の聖心に対する信心と並立させるようになることを私が望んでいるからである」と言われた。

世界的な重要性

ロシアはその諸々の誤謬を広めるであろう

あなたたちのうちほとんどの人がロシア革命はマルクスによって触発されたということを知っている。しかし多くの人々はマルクスが悪魔主義者であったということをおそらく知らない。彼は自分の魂を悪魔に売った、そして地獄から人類に対して呪いを投げかけるであろうということを表現した詩を書いた。ポール・レオナード神父は私の書物世界の奴隷化か、それとも平和か...それは教皇にかかっている」においてマルクスの詩を詳細に説明している。

神の十戒の一つ一つはマルクス主義の「十戒」によって反対されている。例えば、第八戒「汝、隣人に対して偽証するなかれ」に反対して、レーニンは「嘘は神聖である」と言った。われらの主は悪魔について始めから殺人者かつ嘘つきとして語っておられる。そしてレーニン/マルクス主義はわれわれに「嘘は神聖である」と告げるのである。

神の第七戒「汝盗むなかれ」とは反対に、マルクスは、誰も私有財産に対する権利を持たないとわれわれに告げ、彼の仲間たちに「できるものは何でも盗め」と命令する。

第五戒においてわれわれはこう告げられている。「汝殺すなかれ」。多くの人々は中絶の制度かがロシアから来たことを理解していない。1920年代初期まではいかなる国においてもそれは合法的ではなかった。今日合法化された中絶は毎年5千万人の赤ん坊を殺している。そしてそれは控えめの見積もりである。聖書はこれが天に復讐と懲罰を求めて叫ぶ四つの罪の一つであるとわれわれに告げている。聖母がロシアの諸々の誤謬について語られたとき、マルクスとレーニンの誤謬についてではなく、ロシアの誤謬について語られたのである。聖母はそれらの誤謬が世界中に広められるでしょうと言われた。中絶は聖母が意味されているものの最も明白な例である。

二十世紀の背教が予告されている

ラッツィンガー枢機卿は、彼が読んだとわれわれに確証しているファチマの第三の秘密が終わりの時に言及しており、そして聖書に含まれているとわれわれに告げている。彼はまた第三の秘密は信仰に対する諸々の危険、そしてそれゆえにキリスト者の生命に、そしてそれゆえに世界の生命に対する諸々の危険に言及しているとわれわれに告げている。われわれが、シスター・ルチアが第三の秘密は黙示録第8章から第13章のうちにあるとわれわれに告げる時、われわれが生きている時代の恐るべき危険を誇張することは困難であるということを理解するのである。

われわれはわれわれがいかに絶壁の縁に近いかを理解しなければならない。1634年エクアドルのキトでの聖母の御出現の間に、聖母はわれわれの時代を予告なさった。聖母は十九世紀後半と二十世紀の大部分の間教会が迫害と異端とに身を委ねるでしょうと言われた。二十世紀はあとわずか8年しか残っていない。

キトの聖母、幸運の聖母の預言、教会によって承認された一つの預言からわれわれは教会中に広まっている異端が2000年までに克服されるであろうと理解している。ラッツィンガー枢機卿は信仰は世界中で危険の中にあるとわれわれに告げている。

司教たちに対するイエズスの恐るべき預言的警告

今日われわれの前にある大きな疑問は、異端に対する聖母のこの勝利が一つの大虐殺を通じてであるか、それともそれは間に合うようにファチマの聖母に耳を傾けることによってもたらされるまったく平和的なものであろうか? ということである。われらの主は、1931年8月にシスター・ルチアに話しながら、彼女に一つのメッセージをお与えになった。そしてこのようなメッセージは彼女にとってそれを伝達することが非常に苦痛に満ちたものである。

それは、祝せられたおとめがロシアの奉献を求める彼女の約束を果たすために1929年に来られたちょうど2年2ヶ月後であった。1929年6月13日のそのとき、聖母はこう言われた:「神が、教皇に、ロシアの奉献を行うように、そして世界のすべてのカトリック司教たちに命じるように、お求めになる時が来ました。神はこの手段によってロシアを救うと約束なさっています。私に対して犯された諸々の罪のために正義が非難している霊魂たちは非常に多いので私は償いを求めるために来ました。」

ちょうど2年2ヶ月後の1931年にわれらの主は次のように言うために戻って来られた。「私に仕える者たちに、彼らが私の命令の実行を遅らせることにおいてフランス王の例にならうならば、彼らが彼にならって不幸に陥ることになるということを、知らせなさい。」言及されたフランスの王は実際ルイ十四世、ルイ十五世そしてルイ十六世である。1689年6月17日に聖心はフランスの王に、彼のために彼の国、フランス王国をイエズスの聖心に一つの荘厳なそして公的な仕方で奉献するようにという命令をお与えになった。

その命令は聖マルガリタ・マリア・アラコックを通じて与えられた。百年の間フランスの王たち -- すなわち、ルイ十四世、ルイ十五世そしてルイ十六世 -- は従わなかった。それゆえ1789年6月17日、フランスの王は第三階級によって彼の権力を剥奪されそして4年後に彼はギロチンによって処刑された。われらの主はフランスの王に対するこの命令に言及なさっている。それは一つの恐るべき預言である。しかしそれはわれらの主御自身が、われわれが知らせなければならないとわれわれに告げておられる一つの命令である。

教皇ヨハネ・パウロ二世は彼がまだ従っていないということを知っておられる

教皇ヨハネ・パウロ二世はさまざまの機会に奉献に関する彼自身の考えを表明された。彼が教皇とされる以前にさえ彼とすべてのポーランド司教たちは2回の異なった機会に奉献のために教皇パウロ六世に請願した。彼が教皇に選出された後、ポーランドの司教たちは再び同じ請願を行った。

1982年5月13日にヨハネ・パウロ二世は世界を奉献された。それから5月19日に彼は聖ペトロ広場において公的に、彼があらゆることをなさなかったということを暗黙の裡に認めながら現在の諸状況の下で彼のできるすべてのことをしたと言われた。

彼は1984年3月25日に彼の考えを明らかにされた。1984年3月25日に世界の奉献を行う前に、教皇は世界の司教たちに一通の手紙を送られた。それは1983年12月8日の日付のものであった。教皇はそれを1984年2月17日頃にオッセルヴァトーレ・ロマーノにおいて公表された。

教皇はまた奉献のテキストを公表された。そして少数の小さな修正を除いて、それは教皇が1982年に用いられたテキストと同一のテキストであったと説明された。最も際だっていることは、1984年3月25日に実際の儀式の間に教皇がテキストに従わずに一つの重大な変更をしたということである。教皇は聖ペトロ広場における25万人の人々の前でファチマの聖母に対して、御自分がその日にしていたことはファチマの聖母が要求なさったことではないということを認められた。奉献の行為の後に教皇はこう言われた:「特にあなたが、あなた御自身がわれわれの奉献とわれわれの委任を待っておられる人々を照らしてください。」これは翌日オッセルヴァトーレ・ロマーノにおいて第一面と6ページで公表された。

イタリア語の動詞は現在形になっている。教皇はそれによって、世界を奉献した後に、聖母がなおロシアの奉献を待っておられるということを認められたのである。

4時間後、午後になって教皇は再び聖ペトロ大寺院の内部で、聖母がなおある人々の奉献を待っておられると言われた。教皇はこのことをファチマの聖母像の前に跪かれたときにファチマの聖母にこのことを言われた。

教皇はファチマの聖母が一つのこと:すなわちロシアの奉献を望んでおられたということを認められた。教皇はそのことに引き続いて私的に、自分はそれをしようと望んでいるが、他の事柄...司教たちを待っているのだと言われた。

この二番目のコメントは翌日イタリア司教団の新聞 Avvenire の11ページにおいて公表された。

50年以上にわたるシスター・ルチアの首尾一貫した証言

シスター・ルチアは50年以上にわたってこの奉献の行為について話してきた。われわれがシスター・ルチアの使徒職にその人を通じて近づくことができるファチマに関する主要な著作家たちの一人はニューヨークにあるマンハッタンヴィル大学の歴史の教授ウィリアム・トーマス・ウォルシュであった。彼は「スペインのイザベラ」Isabelle of Spain 「最後の十字軍」The Last Crusaderを含む歴史に関する多くの書物を書いた。死の前に彼が書いた最後の著作の一つは「ファチマの聖母」Our Lady of Fatima であった。この書物の221ページに彼は1946年7月15日に行われた彼のインタビューを報告している。

彼はルチアに次のように質問した。「今日私たちは預言のどの段階にいるのですか?」そして彼女は言った。「私たちは世界中にその諸々の誤謬を広めているロシアの段階にいます。」

彼は言った。「それはロシアが全世界を奴隷化するだろうということを意味しますか?」そして彼女は言った。「はい、そうです。」ウォルシュは通訳のマヌエル・ロチャ神父を通じて話していた。この通訳者は彼自身「聖母が行われる奇跡」The Wonders She PerformsThe Fatima Crusader, Issue 22, page 6 を見よ。)において同じインタビューについて公表した。

ウォルシュ教授は再びロチャ神父に質問した。そしてその通訳者は再びシスター・ルチアにこう質問した:「このことはロシアが全世界を制覇するだろうということを意味しているのですか?」そしてウォルシュはつけ加えた。「それはアメリカ合衆国を含みますか?」そしてシスター・ルチアは再び答えた。「はい、そうです。」

彼女は同じ機会に「神が望んでおられることはロシアの奉献です」と説明した。彼女がそう話しているのは1946年であるということを思い起こしなさい。それは教皇ピオ十二世がここファチマにおいてあるラジオ・メッセージによって10月31日に、そしてローマにおいて再び12月8日に世界を奉献なさった四年後である。1942年に教皇は2度、マリアの汚れなき御心に世界を奉献された。そしてにもかかわらず、1946年にシスター・ルチアは、それはファチマの聖母が求められたものではないとわれわれに告げている。

教皇ピオ十二世は1952年7月7日にロシアを奉献された。あなたはその奉献のテキストについて多くのことをフレール・ミッシェルの著作 The Whole Truth about Fatima , Volume III, The Third Secretの中に読むことができる。しかし、シスター・ルチアはそれはなおファチマの聖母の要求を満たさなかったとわれわれに告げている。というのは、この場合には司教たちが参加しなかったからである。しかしながら、司教たちはその時点では求められなかったのである。

教皇パウロ六世は1964年11月21日、公会議の第三会期の終わりに、すべての司教たちの前で世界を奉献された。これらの奉献のそれぞれの終わりにはわれわれにわれわれは世界における平和を手にしている、ロシアの回心は今や始まったと告げようとした人々がいた。われわれは、彼らに恥ずかしい思いをさせるためではなく、これらの誤謬は繰り返し起こったということを知らせるため、そして真のファチマ・メッセージとその約束を擁護するために、これらの誤謬に反対して意見を公表した。1942年の後に、1952年の後に、1964年の後に、各々の奉献の後にシスター・ルチアは非常に明瞭にこう言った。「いいえ、それは聖母の要求を満たしませんでした。」

昨年、私がインドにいたとき、タミール・ナドゥの軍事検問所を通過しなければならなかった。というのは、セイロンからのタミール・タイガースの多くが革命のための作戦基地としてそれを用いていたからである。もしわれわれが有蓋トラックから外へ出なければならなかったなら、他の誰も軍事検問所突破のゆえに殺されるであろうように、撃ち殺され得たであろう。

それゆえ、あなたは世界には平和は存在しないと告げられる必要はないのである。ユーゴスラヴィア、クロアチア、レバノンを見なさい。聖母が約束なさる平和は少なくとも戦争がないことであろう。それはまだ達成されていない。

1982年3月21日に、教皇がファチマに来られる前に、教皇使節サンテ・ポルタルピ大司教にインタビューが為された際に、シスター・ルチアは再び奉献のために必要とされることを説明した。それは一つの荘厳な、公的な行為でなければならない。それはマリアの汚れなき御心に対して奉献されるものでなければならない。それは明示的にロシアの奉献でなければならない。

彼女はロシアが一つのよく確定された領土であり、そして世界がキリストに回心するその領土における人々を見るとき、彼らはこれを預言されてきた印として認めるでしょうと説明した。世界の奉献は世界の一部分を他の部分から明示し区別しない。そして印は汚れなき御心に世界を奉献することによってはみられないであろう。

1982年5月13日の奉献の後に、彼女は1982年3月19日に彼女は再びサンテ・ポルタルピ大司教および他の証人たちに公式のインタビューをし、前年の奉献が聖母の要求を満たさなかったと述べた。1984年以後、再び彼女は何度も、私的に、それが聖母の要求を満たさなかったと言った。これはわれわれ自身の出版物を含む多くの出版物において公表された。

聖母の単純なそして容易な要求

どちらかと言えば、その要求は非常に単純で容易なものである。しかしそれは二つの要員のゆえに大きな困難を持つものであると考えられている。一つは外交であり、他は司教たちの側での認められた反対である。あるバチカンの高官たちが考えることとは反対に、司教たちの95%はもし教皇が彼らにそうするようにもとめられたならば、奉献を喜んで行うであろう。

御存知のように、私は今まで8回世界の司教たちに手紙を書いた。少数の司教たちはこの考えに不満あるいは反対を表明された。われわれは、教皇がそれを求められる時には喜んでその奉献の行為をするであろうと言っておられる400人以上の司教たちから教皇がそれを求められるときには奉献の行為を喜んですると言っている署名された宣言を受け取った。そしてそれは手紙において彼らの支持を指摘された他の司教たちを含んでいない。しかし、おそらく多く見積もっても20%あるいは30%の司教たちが奉献の行為に反対するであろうと感じている何人かの人々がバチカンにはいる。私は多くの司教たちが従わないとは全然考えない。

ロシアの奉献 -- 真に歴史的なもの --

ロシアの奉献は紅海のほとりにおけるモーゼの行為と同じように劇的である、あるいはそれよりももっと劇的である。もしモーゼが、彼らの敵の軍隊が引き抜いた剣と疾駆する戦車とをもって彼らに重くのしかかって来るとき、彼の腕を紅海の上に伸ばすようにという神の命令に従わないことを選んだならば、当時の神の民に何が起こったであろうか?

もしモーゼが信じなかったならば、従わなかったならば何が起こったであろうか? 確かに、その出来事は起こったと私は信じる。しかし私はまた、それは一つのシンボルであり今日の神の民によって従われるべきであることが意味されている一つの教訓であると信じる。

その分析を信じるにせよ、信じないにせよ、事実は、神が民の残りの人々を救うために一人の人間に一つの単純な命令を与えることを選ばれたということ、そして神はそのことによってモーゼの権威とそして神御自身の権威を示されたということである。同じように、神は奉献のこの行為を通じて一つの劇的なやり方で教皇と司教たちの権威を示すことを望んでおられるのである。

ある人々は、われわれは迷信を広めているのだという点にまでファチマのメッセージを単純化してしまった。合衆国の一人の司教は、そのことを論証するように、そうでなければ彼の意見を撤回するように求められたとき、彼の意見を撤回した。マイソアの司教はこう言った:「もしあなたが平和を欲するならば、戦争のために準備せよ。」ファチマの平和メッセージを知らせるこの仕事において、われわれは一つ以上のもっと多くの戦争を準備する必要があるだろう。

ファチマのメッセージはある人々が示唆するように「魔術」でhない。それはまた迷信でもない。われわれはファチマの聖母を信じる。聖母は、お用いになるあらゆる言葉を意図して用いておられ、ししてそれをまさに文字通りに意味しておられる。シスター・ルチアがわれわれに「祝せられたおとめは何度も私と私のいとこのヤチンタとフランシスコに、もし私たちが前もってあの可哀相な民の回心を手にしていないならば、神は全世界を罰するために懲罰の道具としてロシアをお選びになったとお告げになりました」と告げるとき、それは非常に聖書的である。

バビロニア人がユダヤ人を征服したとき、そして前者が後者を捕囚として連れ去る前に、エルサレムは聖なる都であると神の約束を信じた当時の人々に告げたのはエレミアであった。多くのカトリック教徒たちは神がいつも教会と共におられると約束なさった、それゆえにこのことは起こり得ないと信じている。

教会に対するイエズスの約束

神は御自分の教会と共におられると約束なさった。それは真実である。しかし神はわれわれが教会と共にいるとは決して約束なさらなかった。北アフリカのカトリック教会は聖アウグスティヌスの時代には繁栄していた。100年後それは拭い去られ、1500年後に回復しなかった。それゆえ、われらの主は御自分の教会と共にいると約束なさったけれども、われわれすべて、あるいはわれわれの国々に、われわれが教会と共にいるということを約束なさらなかったのである。

ファチマの第三の秘密の預言は現在の背教、諸民族全体の信仰からの脱落を予告している。それゆえに、カトリック信仰から脱落する諸国や人々はもはや教会と共にはいないであろう。コスモ・ド・アマラル司教自身、1984年9月10日にウィーン技術大学でなされた公開講演において言われた。「第三の秘密はSSミサイルに言及しているのではない。それは信仰に対する諸々の危険に言及している。」そして彼はこう言われた:「一民族の背教は一民族の絶滅よりも遙かに悪いということは真実である。」

われわれの応答

ファチマ・メッセージは多年にわたって故意の誤報で覆われ、そのように長い間誤解され、そしてそのように多くの人々によって無視されてきたので、聖母は非常に悲しんでおられる。彼らの無知によって、そして聖母の完全なファチマ・メッセージに対する彼らの広める虚偽によって知りつつ、あるいは知らずに、聖母の平和計画を妨害している多くの力を持った人々が今なお教会内部にそして世界にいる。イエズスは福音書の中でこれらの悪魔の蛇どもによって騙されないよう用心するようにわれわれに告げておられる。「外見によって判断するな」とイエズスは厳かに注意なさる。

司教たちが天の元后の命令を遂行することができる前に、彼らはまずそれを知るようにならなければならない。彼らは聖母の荘厳な命令を果たすために彼らの役割を果たすことができるように聖母の言葉を研究し、熟考しなければならない。彼らは彼らの役割を果たすことがないように騙されてはならない。彼らはとにかく、もし奉献が間に合うように為されないならば、彼らが教会の敵どもによって公的に処刑されるであろうというイエズスの恐るべき警告を聞いたのである。

司教たちはマリアの汚れなき御心に彼らの司教区や国を奉献することができる。特に司教たちによって荘厳かつ公的な仕方で為されるときには、汚れなき御心への奉献のこれらの行為を通じてもたらされる諸々の奇跡や恵みがこれまでにあった。

そのような奉献の行為は同じ日、同じ時刻に教皇と一緒にカトリック世界のすべての司教たちによってなされるロシアの奉献に対する大きな要求の代用ではない。しかし、それらは、それにもかかわらず、汚れなき御心に対する信心を促進する一つの非常に強力な手段であり、そして実際神によって豊かに祝福されるものである。

われわれは、1984年の世界の奉献の行為に対して教皇ヨハネ・パウロ二世聖下に感謝している。教皇御自身が公的に言われたように、それはファチマの聖母が要求なさったものではない。そして聖母は今なおこの奉献の行為を待っておられる。1984年にわれわれはこれが教会にとってどれほどよいものであるかを指摘した。しかし一方でなお、ロシアの奉献の荘厳かつ公的で完全に共同的な行為に対する聖母の要求が果たされることを待っている。神は、そこで教皇とすべての司教たちがロシアの適切な奉献をすることがまったく容易だと見なすであろう機会の窓を教会にお与えになったのである。

しかしこの恵みはひとたび得られたならば、長くは続かないであろう。この機会の窓は、もし近い将来に働きかけなければ間もなく閉じるであろう。そしてそのとき私は聖母が予告なさった「諸民族の絶滅」と「全世界の奴隷化」が、もしわれわれが従わないならばわれわれの世紀に起こるであろうことを非常に恐れる。

あなたができるときにはいつでもあなたの司教区においてファチマ・メッセージを広めなさい。教会と教皇のためにいたるところでロザリオ十字軍を始めなさい。茶色のスカプラリオを数百、数千配布しなさい。そして聖母の言葉と要求が至るところで聞かれるようにしなさい。

目 次

2005/11/21 三上 茂 試訳

作成日:2005/11/21

最終更新日:2005/11/21

The "Divine Impatience"...Part I - The Urgency of the Fatima Message; Chapter 1: The Profound Simplicity and Urgent Worldwide Importance of the Real Fatima Message... へ

マリア様のページへ

トップページへ

inserted by FC2 system