ファチマの聖母マリア

「神の忍耐の限度」

2000

第Ⅰ部:ファチマ・メッセージの緊急性

第3章:地獄の幻視

(地獄は実在しそしてわれわれはそこに行くかもしれない)

Father Paul Marcel Nallt

われらの主イエズス・キリストはただ一つの理由のため、すなわち、霊魂たちを地獄から救うために、地上に来られました。地獄の実在を教えることは聖なるカトリック教会の最も重要で避けることのできない義務です。教会の最も偉大な教父たちのうちの一人である聖ヨハネ・クリゾストモスは、われらの主イエズス・キリストが天国についてよりももっと多く地獄について説教なさったと絶えず教えました。ある人々は天国について説教する方がよいと云います。私はその意見に反対です。地獄に関して説教することはただ天国に関して説教することだけよりももっと真のそして強い回心を生み出します。ベネディクト会の創立者、聖ベネディクトはローマにいる間に聖霊によってこう告げられました:「あなたはローマにおいてあなたの霊魂を失い、そして地獄に行こうとしている」と。彼はローマを去り、イエズスの生涯と聖なる福音を黙想するために街の外の沈黙と孤独の中へと入って行きました。聖ベネディクトは異教のローマのあの罪の多くの機会から逃れ去ったのです。彼は祈りました。彼は彼自身と罪人たちのために犠牲を捧げました。聖霊は彼の聖性の言葉を広めました。その結果、人々は聖ベネディクトの模範と忠告を見、聞きそしてそれに従うためにやって来ました。彼は罪の機会から離れ、聖人となりました。聖性は霊魂たちを引きつけました。

聖アウグスティヌスが彼の生活を改めたのはなぜだと思いますか? それは地獄の恐れのゆえです。私はしばしば地獄の悲劇的な実在に関して説教します。それは司祭たちや司教たちがもはや説教しない一つのカトリック教義です。

教皇の不可謬性および無原罪のおん宿りの二つの教義を宣言され、また現代世界の諸々の誤謬と異端を断罪する彼の有名なシラブスを出された教皇ピオ九世はよく説教師たちに、彼自身が説教しておられたように、四終に関して、特に地獄に関して説教するように求めておられました。彼がこのことを求められたのは地獄についての考えは聖人を作るからです。

聖人たちは地獄を恐れた

ここに非常に奇妙なあることがあります。すなわち、聖人たちは地獄に行くことを恐れますが、しかし罪人たちは恐れないということです。聖フランソワ・ド・サル、聖アルフォンソ・リグオリ、アルスの聖なる司祭、アヴィラの聖テレサ、幼きイエズスの聖テレジアは皆地獄に行くことを恐れました。カルメル会総長の聖シモン・ストックは彼の修道士たちが地獄に行くことを恐れていることを知っていました。彼の修道士たちは断食をし、祈りを唱えていました。彼らは隠遁生活を送り、サタンによって支配された危険な世間から切り離されていました。それでもなお彼らは地獄に行くことを恐れていました。1251年にカルメル山の聖母はイギリス、アイレスフォードにおいて聖シモン・ストックに御出現になりました。聖母は云われました:「もう恐れないでください、私はあなたに一つの特別の衣服を与えましょう。この衣服を身にまとって死ぬすべての人は地獄には行かないでしょう。」私は衣服の下に私の茶色のスカプラリオを着けています。そして私はポケットの中にもう一つのスカプラリオを持っています。というのは、私は人々がいつ私に地獄あるいは茶色のスカプラリオに関して説教するように頼むか、決して知らないからです。

マリアはドミニコ会の司祭、アラン・ド・ラ・ロッシュに云われました:「私は来て私のロザリオと私のスカプラリオを通じて世界を救でしょう。」人はあらゆる事柄の専門家であることそしてあらゆる事柄に関して説教することはできません。人は選択をしなければなりません。私は、私が地獄に関して説教することはわれらの主イエズスの御意志であると信じています。当時私の上長であったある大司教閣下がかつて私に云われました:「あなたはあまりにもしばしば地獄に関して説教する。そしてあなたは人々を怯えさせる。」彼はこうつけ加えられました:「マルセル、私は地獄に関して一度も説教したことはない。人々はそれを好まないよ。あなたは彼らを怯えさせる。」非常にうち解けた仕方で、大司教閣下は彼自身の事務所で私に云われました:「マルセル、私は地獄に関して一度も説教したことはないし、これからも地獄に関して決して説教しないだろう。そして私が得ているすばらしいそして名声のある地位を見なさい。」私は長い間沈黙しました。それから私は彼の目を見つめて云いました:「大司教閣下、あなたは永遠の地獄への道に立っておられます。あなたはキリストを喜ばせ地獄から霊魂たちを救うために説教する代わりに人々を喜ばせるために説教なさっています。大司教閣下、地獄に関するカトリック教義を説教することを拒否することは怠慢の大罪です。」神が旧約聖書において預言者たちをお遣わしになった時、それは人々に「真理に立ち帰り聖性に立ち帰ること」を思い起こさせるためでした。イエズスは、聖なる福音を説教するために来られ、説教なさり、そして世界の中へ彼の使徒たちを遣わされました。蛇はやってきて諸々の異端を通じて彼の毒を広めました。それゆえ、主イエズスは預言者たちの元后、御自分の愛する御母を遣わすことを決定なさいました:「地上へ行って諸々の異端を滅ぼしなさい。」教父たちは神の御母が諸々の異端のハンマーであると書きました。もしあなたが大きな注意を払ってファチマの聖母のメッセージを研究する時間を取るならば、それが聖福音の教えを繰り返している最も悲劇的なそして深遠なメッセージであることに気づくでしょう。ファチマのメッセージの要約はこうです:地獄は実在する。地獄は永遠であり、そしてわれわれは、もし大罪の状態で死ぬならば、皆地獄に行く、ということです。「人もし魂を失わば、全世界を儲くとも何の益かあらん。」聖母はわれわれに、聖母の二つの運命の神的な準秘蹟、聖なるロザリオと茶色のスカプラリオを通じて救われることができる、と告げられました。またマリアの汚れなき御心に対する信心と五回の初土曜日の信心に対する特別の強調もあります。

1916年5月のカベソでのポルトガルの天使の最初の出現で、天使は3人の子どもたちのところへやって来て、二つの異なった祈りをもって神を礼拝する仕方を彼らに示しました。「おお神よ、私はあなたを信じ、礼拝し、希望し、愛します。私はあなたを信じず、礼拝せず、希望せず、愛さない人々ために赦しをこい願います。」天使はこの祈りを地に平伏している間に祈りました。天使は3人の子どもたちに祈りの順序において第一の事柄を第一にするということを示しました。人は先ず第一に神を礼拝し、そして次に諸聖人に祈らなければなりません。神が第一で、被造物は第二です。天使はファチマで人々に、われわれは跪いて神を礼拝し、神に祈らなければならないということを示しました。人が神を知れば知るほど、彼は彼の創造主である神の前でますます謙遜になります。偉大なフランスの司教ボシュエは云いました:「人間は跪くとき真に偉大である。そうだ。人間は彼の創造主にして救世主、いとも祝せられた秘蹟の内なるイエズスの前で跪く時、真に偉大である。」天使は3人の子どもたちに、われわれの第一の義務は、第一戒に従えば、神を礼拝することであるということを教えるためにファチマに来たのです。

カベソでのその第三の出現の時に、ポルトガルの天使は左手にカリス、右手にホスチアを持ってやって来ました。子どもたちは何が起こっているのか驚きました。天使はカリストホスチアとを奇跡的に空中にとどまらせたままにしました。天使は地に平伏して深遠な三位一体に対する礼拝の祈りを唱えました:「いとも聖なる三位一体、父と子と聖霊よ、私は深くあなたを礼拝します。私はあなたを深く礼拝します。そして私は、それによって傷つけられておられる侮辱、冒涜、無関心の償いのために、またそのいとも聖なる御心の無限の功徳によって、そしてマリアの汚れなき御心を通じて、世界のすべての聖櫃の内にましますイエズス・キリストのいとも尊い御体、御血、霊魂そして神性を捧げます。私は哀れな罪人たちの回心をこい願います。」

神はわれわれに跪いて神を礼拝することをお望みになっています。われわれは皆いとも聖なる御聖体の内におられるイエズスの祈りと礼拝において跪いているでしょうか? われわれは跪くべきです。3人の賢人たちがベトレヘムに来て、馬小屋に入った時、彼らは幼子イエズスを礼拝するためにその前で跪きました。われわれは、神を礼拝するために跪くことを神が望んでおられるという例を聖書とファチマの天使から知っています。

カトリック教義の強化

1年後、1917年5月13日に、子どもたちは一人の若い女性が彼らに出現したのを見ました。それは聖母の最初の御出現でした。ルチアは尋ねました:「あなたはどこから来られましたか?」聖母はお答えになりました。「私は天からの者です。」天についてのカトリックの教義。子どもたちは尋ねました:「私たちは天国に行けますか?」聖母は答えられました。「はい、あなたたちは行けますよ。」それから彼らは尋ねました:「そしマリア・ダス・ネヴェス、彼女は天国にいますか?」マリアはお答えになりました:「はい。」「では、アメリアは?」「彼女は世界の終わりまで煉獄にいるでしょう。」この少女は18歳くらいでした。第二の教義:煉獄は実在し、そしてこの世の終わりまで続くでしょう。神の御母は嘘をつくことがお出来になりません。ファチマの天使は三人の子どもたちに父なる神、子なる神、そして聖霊なる神の礼拝の仕方を教えました。これはいとも聖なる三位一体の教義の一つの強化です。それは、それなしにはキリスト教が成立し得ない教義すべてのうちの最大の教義です。われわれはいとも聖なる三位一体の三つのペルソナを礼拝しなければなりません。

地獄の幻視

1917年7月13日金曜日に聖母はファチマに御出現になり、三人の幻視者たちにお話しになりました。聖母は一度も微笑まれませんでした。聖母はどうして微笑むことがお出来になったでしょうか? なぜなら、聖母が子どもたちに地獄の幻視を見せようとなさったのはこの日だったからです。聖母はこう云われました:「祈りなさい、一生懸命祈りなさい。なぜなら、多くの霊魂たちが地獄に行くからです。」聖母は両手をおろされ、そして突然三人の子どもたちは地上に一つの穴を見ました。ルチアは云いました:「その穴は火の海のようで、、その中に私たちは絶望のうちに燃えながら、叫びながら、そして泣きながら男、女の人間の形をした霊魂たちを見ました。」ルチアは悪魔たちが醜い未知の動物たちのように見えたと云いました。子どもたちは非常に恐ろしかったので、ルチアは悲鳴を上げました。彼女はそのように恐れたので死ぬかと思いました。マリアは子どもたちに云われました:「あなたたちは罪人たちが、痛悔しないときに行く地獄を見ました。」もう一つのローマ・カトリックの教義、地獄です。

聖母は云われました:「子どもたち、あなたたちがロザリオを唱える度毎に各連の終わりにこう云いなさい:『おおわがイエズスよ、われらの罪を赦し給え。われらを地獄の火より救い給え。すべての霊魂、殊に主の御憐れみを最も必要とする霊魂を天国に導き給え。』」マリアは地獄から霊魂たちを救うために、いと高き御者の預言者としてファチマに来られたのです。

すべての司牧者の守護者である聖ジャン・マリー・ヴィアンネーは、あなたの隣人たちに対する愛徳の最大の行為は彼らの霊魂を地獄から救うことであると説教するのが常でした。聖ジャン・ヴィアンネーによれば、第二の愛徳の行為は霊魂たちを煉獄から解放することです。ある日、彼の小さな教会(そこには今日まで彼の遺体が腐らずに安置されています)において、悪魔に憑かれた一人の男が聖ジャン・ヴィアンネーに近づいてこう云いました:「私はあなたを憎む、あなたが私の手から85,000の霊魂たちを盗んだので私はあなたを憎む」と。枢機卿様、司教様方、司祭たちよ、われわれがイエズスによって裁かれる日が来た時、イエズスはわれわれに一つの質問をなさるでしょう。『私はあなたを司祭、司教、枢機卿、教皇にした。あなたはどれだけの数の霊魂を地獄から救いましたか? 』聖フランソワ・ド・サルは、統計によれば、72,000人以上の異端者たちを回心させ、おそらく救いました。あなたがたはどれだけの霊魂たちを救われましたか? あなたがたが教父たち、教会博士たちそして聖人たちの著作を読まれる時、一つのことに心打たれます;彼らは皆イエズスの聖福音と四終:すなわち、死、審判、天国、地獄を説教しました。彼らはすべて地獄に関するカトリックの教義を説教しました。なぜなら、われわれが永遠の罰を宣告された人々の住まいについて黙想する時、地獄には行きたくないからです。その結果として、われわれは罪の機会を避け、聖人になり、そしてそれゆえに、地獄を避け、天国に達するために必要なあらゆる手段を講じます。

私は司教様方を批判したくはありません。しかし私はこの真理を公言しなければなりません。私は30年間司祭職を果たして来ました。私は司教様が、私の司教様でさえ、地獄に関するローマ・カトリックの教義を説教するのを見たことも聞いたこともない云わなければなりません。あなたがたの国において、そして他の所でも、司教様方はそうなさっていると思いますが、しかしアメリカではそうではありません。地獄は説教されていません。ある日、ある司教座聖堂において私は一人の司教様にこう云いました:「司教様、あなたは毎晩ラジオのための聖なるロザリオについてのすばらしい黙想をなさいます。これは美しいことです。しかし私は尋ねなければなりません。なぜあなたはあなたの黙想を少し短くなさり、各連の後に次の祈りを挟まれないのですか? 『おお、わがイエズスよ、われらの罪を赦し給え、われらを地獄の火より救い給え、すべての霊魂、殊に主の御憐れみを最も必要とする霊魂を天国に導き給え』。あなたはなぜ、1917年7月13日に、ファチマの聖母が三人の幻視者たちに地獄をお示しになった後に聖母によって要求されたように、各連の後にあの小さな祈りを唱えることを拒否なさるのですか?」その司教は私にこう云われました:「そうですね、人々はわれわれが地獄について説教することを好まないのですよ。地獄という言葉は彼らを怯えさせるのです。」われわれは聴衆を喜ばせるために説教するのではなくて、霊魂たちを地獄から救うため、彼らが永遠にわたって地獄に行くことを妨げるために説教するのです。このことはすべての司教に当てはまるのではないでしょう。しかし私は司教たちがロザリオを唱えられますが、しかし地獄から霊魂たちを救うためのその安堵を与える祈りを抜かされるのをしばしば聞きました。私は、1917年7月13日に子どもたちに与えられたファチマの聖母のこの小さな祈りはいかなる種類の黙想 --聖なる司教によって与えられるものでさえ-- よりももっと強力であり、神にもっと喜ばれるものであると信じます。

あなたはあなた自身の使命を神からお受けになりました。そして私は、イエズスと聖母が私に地獄に関して説教することを私の使命として望んでおられると信じます。ですから私はしばしば地獄について説教します。われわれが特権を与えられた霊魂たちの生涯のうちに読むことができる多くの啓示があります。地獄におけるある霊魂たちは神によってわれわれを信仰において助けるために語ることを命じられてきました。地獄におけるそれらの霊魂はこう云いました:「われわれは一千年地獄にいることを受け入れることができるでしょう。われわれは、いつの日か、われわれが地獄を離れるということを知ったならば、百万年地獄にいることを受け入れることができるでしょう。」友人たち、われわれは単に地獄の火についてだけでなく、神を見ることの欠如についてだけでなく、また地獄の永遠性についても黙想しなければなりません。聖櫃の前で地獄に関するローマ・カトリックの教義について真剣に黙想してください。親愛なる司教様方、あなたがたは永遠の地獄の悲劇的な現実を含むイエズスの福音全体を説教しなければなりません。

神の憐れみについての異端的な考え方

私はあるカリスマ運動の会議で一人の司祭がおよそ3000人の聴衆と100人の司祭たちに「神は憐れみであり、そしてあなたがたは、イエズスがすべての霊魂を、悪魔たちをさえ、地獄から解放なさるであろう世界の終わりに神の無限の憐れみを見るでしょう」と告げているのを聞きました。その司祭は説教を続け、そして彼の司教は異端を説教していることに対して彼の諸々の権能を取り上げてはおられません。「永遠の火に入れ」とイエズスは云われました。永遠の火であって、一時的な火ではありません。われわれの制約された人間的知恵でもってわれわれは一つの小さな哲学的命題を作ります。神は愛である、神はわれらの父である、と。いったいぜんたい、父親が小さなピーターをつかまえて、燃えている炉の中に投げ込むことができるだろうか? それは不可能である、それは愛である神に対する侮辱である、というわけです。あなたがたは何度それを聞いたでしょうか? しかしながら、真理は、地獄は実在する、地獄は永遠である、そしてわれわれが大罪の状態で死ぬならば、皆地獄へ行くということです。私は地獄へ行くことができる。あなたは地獄へ行くことができる。もしわれわれのうちの誰かが罪のうちに死ぬならば、われわれは絶望のうちに燃えながら、泣きながら、叫びながら永遠に地獄にいることになるでしょう。百万年の間ではなく、十億年そして十億年そして十億年の間、そしてそれ以上、永遠にわたってなのです。われわれの生涯において誰が一つの大罪を決して犯さないでしょうか? あなたが死ぬ前のたった一つの大罪はイエズスがあなたを地獄に投げ込まれるに十分なのです。

最も偉大な教父たちのうちの一人、すべてのカトリック説教者たちのパトロンである聖ヨハネ・クリゾストモスはこう云いました:「ほとんどの司教は救われず、そして多くの司祭は地獄に落とされる」と。いとも聖なる三位一体、われらの祝せられた御母に感謝、私は毎週告解をしに行きます。私は毎日、私の聖務日課全部と同様に、私の十五連のロザリオを唱えます。私は聖なる十字架、茶色のスカプラリオ、そして天上的な不思議のメダイを身につけます。私はロザリオと茶色のスカプラリオの説教をします。私は永遠の真理を聞きたいと思うすべての人に四終を説教します。われわれがリスボンからファチマへバスでやって来た時、私はバスの中でそこにいる平信徒、司祭そして司教たちに説教しました。私は彼らに懇願しました:「どうか、あなたがたがファチマに来られる時には、一つのすぐれた総告白をしないのですか? おそらく10年前には、おそらく15年前にはあなたはその罪を告白する勇気を持たなかったでしょう。というのはあなたは恥ずかしかったからです。どうか、あなたがファチマを離れる前に、ファチマで一つの聖なるそして完全な告白をしてください。あなたが天国に行くまであなたが決して出会うことがない多くの司祭がファチマにはいます。」

私はすべての人に説教するのと同じように司教様方に説教します。なぜなら、司教様方もまた救うべき霊魂を持っておられるからです。そしてもし司教様方が本当に謙遜でいらっしゃるなら、一人の普通の単純な司祭からでさえ、また真理を受け取られるでしょう。聖なる総告白をすることなしにファチマを離れないようにしましょう。

司教様方、イエズスはわれわれを司祭となさいました。主イエズス・キリストはわれわれを司祭にするために数百万の人々の間からわれわれをお選びになりました。われわれは全能の父にミサの聖なる犠牲を献げるため、毎日聖務日課を祈るため、そして地獄から霊魂たちを救うようイエズスの福音を説教するために司祭とされました。誰も、彼らが十字架上のよき盗賊、あるいはファチマの三人の幻視者たちのように、神から一つの私的な啓示を受けなかったならば、天国に行くことは確実ではないのです。神がわれわれにお与えになったすべての保護手段、すなわち、ロザリオ(「私のロザリオに対する信心は救いの予定の確実なしるしです。」)茶色のスカプラリオそして告解のすばらしい秘蹟をなぜ取り上げないのでしょう。親愛なる司教様方、教父たちのように、説教してください。司教の第一の義務は説教することであって、教区を運営することではありません。教会は教父たちのように説教する司教たちを見そして聞く必要があります。

もしあなたがたのうちのただ一人の司教様がファチマに来られ、それから御自分の教区に帰られ、そしてある機会にファチマの完全なメッセージと共に四終を説教なさるならば、それはどのように大きな愛徳の行為であることでしょう。聖霊の助けでもって、あなたの信徒たちに云ってください:「キリストにおける私の兄弟たち、聴きなさい。私はあなたたちの司教です。私はあなたたちの霊魂を地獄から救うためにここにいます。どうか聴いてください。今日私の教えを受け入れ黙想してください。私の教区における親愛なる司祭たち、あなたたちもまたあなたの司教を模倣し、イエズスがあなたにお与えになった権威をもって地獄について説教してください。」一年に一度少なくとも一つの地獄に関する完全な説教をしてください。あなたはあなたの司祭職の、あるいはあなたの司教職の最も大きな愛徳の行為をされることになるでしょう。

以前に触れましたように、司祭としての私の30年間に、私は司教様が地獄に関して説教なさったのを一度も聴いたことがありません。私は、地獄に関する説教を欲する時、聖ヨハネ・クリゾストモス、教父たち、教会博士たちそして聖人とされた説教者たちを読まなければなりません。親愛なる司教様方、どうか、イエズス、ファチマの聖母、教父たち、そして教会博士たちのように、地獄について説教してください。そうすればあなたがたは多くの霊魂を救うことになるでしょう。一つの霊魂を救う者は彼自身の霊魂を救う。地獄について説教することは大きな愛徳の行為です。なぜなら、あなたがたに聴く人々は信じるでしょうから。彼らは生活を変え、聖なる告解をするでしょう。

人々はときどき私に尋ねます:「神父様、茶色のスカプラリオがもはや説教されないのはなぜですか? 昔は私たちは初聖体の時に茶色のスカプラリオを受けました。しかし今日、茶色のスカプラリオの祝福や供与はもうありません。茶色のスカプラリオは昔と同じように今日でも間違いのないものなのですか?」はい、茶色のスカプラリオは今日まで尊敬されてきました。この真理は変化していません。1917年10月13日土曜日、ファチマにおける太陽の奇蹟の間にマリアは茶色のスカプラリオを手に持っておられました。シスター・ルチアはこう云いました:「ロザリオと茶色のスカプラリオは分けることが出来ないものです」と。

それではなぜ司祭たちは茶色のスカプラリオについて決して説教しないのでしょうか? もし司祭たちが地獄について説教することを意識的に拒否しているならば、彼らはどのようにして茶色のスカプラリオについて説教することができるでしょうか? もしあなたがたが地獄について決して説教しないならば、人々は地獄を信じようとしないでしょう。茶色のスカプラリオを身につける効用は何でしょうか? イエズスは云われました:「もしあなたが信仰を持っているならば、山を動かすであろう」と。もしあなたが信仰を持っているならば、神の恵みをもって霊魂たちを回心させるでしょう。もしあなたが信仰をもって地獄について説教するならば、人々は地獄を信じるでしょう。聖パウロは彼の弟子たちに云いました:「確信をもって説教しなさい」教会において一つの訓戒を話すことあるいは読むことは説教することではありません。説教することは意志を動かすように意図されています。説教することは人々を動かすこと、彼らの生活を変えること、彼らの霊魂を地獄から救うことが意図されているのです。

75,000人の司祭たちが司祭職を去った主要な理由があります:

  1. 彼らが毎日祈ることを無視したからです。

  2. 彼らが罪の機会を避けず思慮が諸聖人の学問であることを忘れたからです。

  3. 彼らが聖なる完全な告白をする謙遜さと勇気持たなかったからです。イエズスは云われました:「私なしにはあなたは何もすることができない。」

  4. 彼らが大罪のうちに生き、このように儀式を挙行し続けたからです。もし司祭が大罪の状態にあってミサを献げるならば、それは彼にとって冒涜的なミサです。彼が御聖体を受けるとき、それは彼にとってもう一つの冒涜的な聖体拝領です。

大罪の状態にある司祭はどのようにして聖霊の霊感と強さの下で説教することができるでしょうか? 彼は、もし悪魔どもに満たされているならば、どのように説教することができるでしょうか? 司祭たち、行って聖なる告解をしなさい。そうすればあなたたちは傑出した説教師となるでしょう。聖霊はあなたのうちに、そしてあなたを通して話されるでしょう。そしてあなたは数千人の霊魂を地獄から救うでしょう。

ある日、アルスの司祭(ヴィアンネー)は近くの小教区から一人の若い司祭の訪問を受けました。その若い司祭は少しばかり好奇心を起こしてアルスの司祭に会いに来たのです。昼食の後、アルスの司祭は言いました:「どうか、私の告解を聴いてくださいますか?」その若い司祭は、既に非常に聖なる司祭であった聖ジャン・ヴィアンネーの告解を聴くことを求められたときほとんど彼の椅子から落ちそうになりました。聖人たちは告解に行かれる!そして告解に行く人々は聖人になる。

ファチマの完全なメッセージを全世界に知らせることにおいてグルーナー神父を励ますために来てくださったことを私はあなたがたにとても感謝しています。グルーナー神父は私の友人であり、そして私は彼が地上で私が最も愛する人間であると考えています。彼の人格のためだけではなく、彼がファチマの聖母のためにしていること:ファチマのメッセージを説教し、そして多くの霊魂たちを地獄から救うこと:のためです。イエズスとマリアにおける親愛なる友人たち、われわれは皆ファチマの聖母の真の使徒となりましょう。

あなたがたがファチマを離れられる前に私はあなたがたに茶色のスカプラリオを差し上げたいと思います。私はカルメル山の聖母が聖シモン・ストックに告げられたことを繰り返します:「誰でも茶色のスカプラリオを身につけて死ぬ人は地獄の火を見るこはないようにします。」ファチマに関するいろいろな書物を、特にシスター・ルチアの回想禄そしてニコラス・グルーナー神父の世界の奴隷化か、それとも平和か:それは教皇にかかっているを読んでください。神の恵みによってあなたがたもまたファチマの完全なメッセージを説教する勇気を持つでしょう。

最後にファチマの聖母は云われました:「祈りなさい、一生懸命祈りなさい、そして多くの犠牲を行いなさい。なぜなら多くの霊魂が、祈り犠牲をしてくれる人を誰も持たないがゆえに地獄に行くからです。」しばしばそして毎日祈りましょう。「おお、わがイエズスよ、われらの罪を赦し給え、われらを地獄の火より救い給え、すべての霊魂、殊に主の御憐れみを最も必要とする霊魂を天国に導き給え」

目 次

2005/11/23 三上 茂 試訳

作成日:2005/11/23

最終更新日:2005/11/23

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