ファチマの聖母マリア

「神の忍耐の限度」

2000

第Ⅱ部:機会の窓

第1章:現在の窓

Father Nicholas Gruner

教皇ヨハネ・パウロ二世の行動、そして世界を奉献することにおいて教皇に加わられた少数の司教たちの行動のゆえに、われわれは今日1992年における機会の窓を持っているのだと、私は考えています。教皇が1982年に、そして1984年に再び世界を奉献されたとき、われわれが今日実現しつつある一つの恵みが与えられました。しかしそれは正確には、しばしばそれが解釈されているような恵みではありません。その恵みはロシアの回心ではありません。まだそうではありません。むしろ、その恵みは機会の窓です。1929年から1992年の間に、司教たちと教皇によってロシアを奉献することが非常に容易であった機会の窓は非常に少数でした。

数年前ゴルバチョフ氏は共産主義体制の行き過ぎに対して世界のプロレタリアートに公に謝罪しました。それゆえに、奉献および償いの行為をすることは今日、共産主義体制に対する侮辱として解釈されるべきではないし、また解釈されることはできないでしょう。もし大統領、国家の長自身が世界のプロレタリアートに対してこの謝罪の行為をなしたのであれば、そのとき、共産主義革命の行き過ぎのために神に対する謝罪をすることは教皇にとって一つの侮辱として解釈されることはできないでしょう。

しかしながら、私はこの機会が永遠に続かないであろうと思います。おそらく、それは大虐殺の前の最後の機会であり得るでしょう。それは一つの意見です。私が間違っていることはあり得るでしょう。私は預言者ではありません。私は未来を知りません。しかし1917年以来6回のグラスノスチと6回のペレストロイカがありました。それぞれの後には常に硬直化があり、そして常に逆転がありました。レーニンは彼の経済政策と共に最初のグラスノスチとペレストロイカを行いました。スターリンは彼の五カ年計画を持ちました。いつの場合も、彼らは言いました -- 「われわれは遠くに来すぎた。われわれは自由市場経済へと戻りたい」-- 彼らは西側が聴きたいことは何でも言ったのです。スターリンはロシア人自身の協力を得るために第二次世界大戦の始めに二番目のグラスノスチとペレストロイカを持ち出しました。ドイツ軍が戦争の初めにロシアに来た時ロシア人は両手を拡げて彼らを歓迎しました。明らかにスターリンは小さな国民の忠誠と支持を受けていませんでした。このことを逆転するために彼はもう一つのグラスノスチとペレストロイカへと立ち戻りました。ロシア国民が母なるロシアを救うために再び宗教に対する開放、宗教的実践の自由へさえの開放がありました。

われわれは1965年以来平和共存を手にしてきました。われわれは1970年以来デタントを手にしてきました。そして今われわれはペレストロイカを手にしています。それは常に同じ戦略、すなわち、2歩前進1歩後退、です。しかしそれは戦略的策略です。目標は同じです。われわれは、今、ロシア革命の指導者たち、そして彼らの後継者たちが、今日あなたたちがそれらを呼ぼうと欲している何であれ、共和国大統領自身が同じことをした時神に対して与えられるそのような弁解に対して怒ることは困難であるということを見出しているであろう瞬間にいるのです。

それゆえ、これは特別に一つの恵みです。私は教皇ヨハネ・パウロ二世が1984年の奉献の行為においてなされた大きなよき働きを過小評価したり、あるいは過小評価するように見えたりすることを望みません。それでもやはり、私は、教皇御自身が言われたように、そしてシスター・ルチアが言ったように、この1984年の世界の奉献は「ファチマで要求された『奉献』ではない」と主張します。しかし、その当時1984年に私が言ったように、それはそれでもなお一つの恵みです。われわれはこの恵みの諸々の成果を見ています。しかしそれは永遠には続かないでしょう。だからこそ私は、教会、特に司教たちと教皇が、近い将来にこの機会をとらえるべきであるということに非常に関心を持っているのです。これらの時期は長くは続きません。せいぜい良くても、扉が閉じ、硬直化がやって来、そして美辞麗句と宣伝が異なるであろう前に1,2年しかないだろうと私は考えています。ロシアはドイツが第二次世界大戦の前にそうであったと同じです、すなわち、 -- 経済的に困窮しているのです -- 。ロシアとドイツの唯一の相違点は、ロシアが今日持っている、そして直ちに使用することができる軍事力を、ドイツはその困窮の最初には持っていなかったという点です。彼らは人民を養うための経済的富を持っていません。なぜなら彼らは国民総生産の40%以上を今日軍事に投入しているからです。それゆえに、それが政治的に必要となるとき、彼らは彼らのプロパガンダを変えなければならないでしょう。経済的なバランスを維持するために何かが必要でしょう。すなわち、戦争機構を働かせ続けることです。私は軍事専門家たちの研究をしているのではありません。しかし現代における最もすぐれた軍事専門家の一人はマーシャル・オガルコフです。彼は「1982年のためのプランB」が合衆国に対する一つの挑発によるものではない、突然の、総力を挙げての核攻撃であるはずであったと書きました。これは公表されています。これは私自身の作り話ではありません。彼はそれを1982年に公表しましたが、その中で彼は、合衆国が戦争の最初の30分間で1億3500万の人々を失うであろうと見積もりました。それは挑発によるものではない攻撃であり、そしてそれは完全に突然の攻撃でなければならないものでした。

多くの人々は、そのような攻撃が2年後には近づいていたということを理解しません。しかしロシア人たちは神秘的な仕方で1984年5月13日の聖母の祝日に彼らの最も重要な力を失いました。その半分が神秘的な仕方で炸裂し、ノルウェーの北、コラ半島にあるその備蓄品を再建するのに彼らは2年間を必要としたのです。USSR海軍の強行突破を監視しているNATOの監視員たちは単にビックリしギョッとしたばかりでなく、ゾッとさせられました。彼らがそれを止めることができるものは何もありませんでした。

一つの好機がつかまえられるとき

ロシア軍がオーストリアから撤退したのは1955年5月13日でした。彼らは10年間オーストリアを占領していました。ペーター神父がオーストリアにおいて一つのロザリオ・キャンペーンを指導し、そして人口の10%がそれに参加したのはこの占領の間でした。オーストリアの聖痕保持者であるテレーゼ・ノイマンはそれ[ロシア軍の撤退]を達成したのは明白に人々のロザリオであったと言いました。10%の人々が、そうすると誓約したとおりに、毎日ロザリオを祈っていました。ロシアの外交官たちは、連合軍(合衆国、イギリス、フランス)が彼らに撤退を求めたけれども、オーストリアから撤退することを拒否してきました。ロシアは言いました:「いや、われわれはとどまりたい。」しかし彼らは自説を翻しました。それは1955年5月13日でした。ナポレオン自身こう言いました:「ヨーロッパを支配しようと思う者はオーストリアを支配しなければならない。」それゆえ、戦略的な優位にもかかわらず、撤退しないという彼らの意志にもかかわらず、オーストリアは解放されました。なぜなら、オーストリア国民の10%がロザリオの祈りをしたからです。

シスター・ルチアはロザリオについてこう言いました:「国内的であれ国際的であれ、道徳的であれ物質的であれ、ロザリオによって解決できないどんの問題もありません」と。彼女は実際こう言っています:「現在、悪の増大する力のゆえに、神はロザリオに増大した力をお与えになりました」と。あなたがたは、フレール・ミッシェルの書物の中に、1957年にフエンテス神父になされた彼女の陳述を見出すでしょう。実際、ただそのインタビューに関してだけの一章全体があります。それについてどんな注釈がなされたにかかわらず、それはその当時フエンテス神父になされたシスター・ルチアの真正の陳述です。

責任を引き受ける

われわれの展望を確保することは大切なことです。われわれは、聖母が勝利を約束なさったということ、聖母が勝利なさるであろうということを決して忘れてはなりません。テレジアーヌム教皇立学部の教授であったカルメル会の神学者ジョゼフ・ド・サント・マリー神父はわれわれが出版したファチマに関するいくつかのすぐれた著作を書きました。実際、私の著書「世界の奴隷化か、それとも平和か」のうちに、われわれは、彼の許可を得て、彼の「諸々の省察」の全部を持っています。それは小さな活字の約40ページのものです。(私は、彼が1985年に亡くなったときまだ50歳になっていなかったと思います。)彼は、聖母が「終わりに」という言葉を、あるいはポルトガル語ではおそらく、「最後に」、、あるいはイタリア語では "finalmente" という言葉を、用いられていると指摘しています。それは、彼が言っているように、最初に克服されるべき一つの問題がある、ということを示しています。

私は、最初から、子どもたちがある意味において、彼らが責任を受け入れたがゆえに、一つの殉教者として死んだのだという事実に対する十分な省察がなかったということをわれわれは理解しなければならないと思います。彼らが乾いた(血を流さない)殉教を遂げたという方が本当はもっと正確です。彼らは8月13日にファチマからおよそ10マイル離れたオウレムの市長によって死でもって脅迫されました。彼らは天からの美しい婦人を見たことを否定しようとしなかったがゆえに脅迫されました。彼らは聖母が彼らにそうさせられるまでは秘密を明らかにしようとはしませんでした。彼らは、以前に言ったことを否定することによってか、それともその代わりに、聖母が彼らにしばらくの間守るように告げられた秘密を明かすことによって自分たちが信用のおける者ではないということを示すことによってか、そのいずれかで彼らの信憑性を滅ぼすことを命じられました。もし彼らがそうしなかったならば、市長は彼らを油の中で煮ると彼らに告げました。

ところで、私は、ファチマのメッセージとこのメッセージの実現がサタンの敗北を最終的に finalmente 意味するがゆえに、このことを省察しています。シスター・ルチアはこう言いました:「祝せられた乙女はこのことを私に告げられませんでした。しかし聖母は私たちがサタンと祝せられたおとめとの間の最終的な戦いに臨んでいるということを私に理解させてくださいました。」まさにこの点を省察しながら、シスター・ルチアは、最終的な戦いにおいて一人の勝者と一人の敗者がいると述べました。そして悪魔は彼の最後の戦いをしたくてむずむずしています。このことはあなたたちにわれわれ皆がまさにこの瞬間に生きているドラマのある意味を与えるでしょう。われわれはそれに加わるように求められています。われわれの役目を果たすことです。

私はモンシニョール・ピオ・アブレッシュに話したことを思い起こします。彼はローマでの司教聖省におられます。パードレ・ピオは彼についてバチカンにおいて高い地位に昇るだろうと言われました。私が叙階されるちょうど前に私は彼に会いに行きました。彼はこう言われました:「あなたは、私が叙階される前にパードレ・ピオが私に何と言われたか知っていますか?」彼はこう言われました:「もしあなたが司祭になることによって引き受けた責任を知ったならば、あなたはそれを受けなかったでしょう。」モンシニョール・アブレッシュは私に同じことを告げようとされたと思われるでしょう。私はこのことをあなたがたにお伝えします。なぜなら、事実は、司教になることによって、あなたがたは司教の職務の責任をあなたがたが引き受けたというまさにその事実によって、たとえあなたがたがファチマについて決して聴いたことがないとしても、ファチマのメッセージに対して責任を引き受けられたのだということだからです。だからこそ、我々の祈りは、われわれが以前にあなたがたに会ったことがなかったとしても、何ヶ月間も何年間もあなたがたと共にあったのです。なぜなら、われわれはあなたがたが持っておられる重い責任について知っているからです。われわれはまたそれを神の恵みなしに遂行することは私にとって、あるいは他の誰にとっても不可能であるのと同じように、あなたがたにとって不可能であるということをも知っています。だからこそ、われわれがファチマ・メッセージについて話すとき、われわれは誇張なしにわれわれが知っているとおりにわかりやすく、真理を告げているのです。それは、われわれがより良いとかあるいはより聖であるという問題ではありません。しかし、もし私がここにファチマのメッセージを告げに来て、そして次にあなたによい感じを与えるためにそれをあなたから隠したならば、あなたから真理を隠すために私は悪いことをしたことになるでしょう。

遅延の諸結果

しばしば次のような非難がなされています:「しかしグルーナー神父は教皇に反対している」と。われわれは教皇に反対していません。われわれはこれまでに教皇に反対したことは一度もありません。われわれは繰り返し、われわれが教皇の最も忠実な子どもたちの中に入っていると公表してきました。単に教皇に忠実であるばかりではなく、あなたがた、司教様方のそれぞれに忠実です。

しかし私は、われらの主がルチアに話された次の言葉を文字通りに受け取ります:「そのことを私に仕える者たちに知らせなさい。」まず第一に、それは義務であり、たとえそれが不愉快なものであるとしても、われわれが避けることができない一つの義務です。しかしわれらの主はこう言われます:「そのことを私に仕える者たちに知らせなさい。」換言すれば、われらの主はわれわれがそれを隠すことを望んでおられないということです。第二に、われらの主はファチマのメッセージを無視することの諸結果が知られることを望んでおられます。これらの結果はとても恐ろしいものです。フランス王は聖マルガリタ・マリアを通じて与えられた命令に従わなかったために首をはねられました。そして彼は非常に聖なる人であったのです。彼はフランスの聖なる君主たちのうちの一人だと考えられていました。私は彼の動機、ルイ十六世の動機が披瀝されたと思います。しかし、彼が遅延したがゆえに、そして彼の二人の先任者たちが100年間にわたって遅延したがゆえに、彼は、彼自身のために、そして彼の先任者たちのために、その値を支払いました。彼は、首をはねられる前に、ルイ十四世によってなされるようにとわれらの主が命令なさったように、聖心にフランスを奉献しようと努力しました。しかし問題は彼が牢獄にいるということでした。彼は必要な適切な公的荘厳さをもってそれをすることができなかったのです。

私はわれらの主が「遅延」によって意味されていることに驚きました。遅延するさまざまの仕方があります。もちろん、われわれがそうするように告げられていたときに何かあることをするのをただしないことによる遅延があります。これは、否定的な遅延と言うことにしましょう。われわれはただあることをしないのです。また、積極的な遅延もあります。それはこの命令を果たすことから他の人々を実際に妨害することです。ところで、われらの主が「私に仕える者たちに、彼らが私の命令の実行を遅らせることにおいてフランス王の例に従い、フランス王のように、彼らがフランス王に従って不幸に陥るだろうということを、知らせなさい」と言われるとき、われらの主はまさに誰に対して言っておられるのでしょうか? われらの主は「仕える者たち」という複数形を用いておられます。そのことはファチマの基本財産の部分です。それは私が公表してきたものとは独立にあなたがたが読むことができるものです。あなたがたはシスター・ルチア自身の手書きの回想録を読むことができます。この部分はまた1972年に、そして再び1976年にポルトで出版されたシスター・ルチアの Memorias E Cartas da Irma Lucia にも載せられています。1976年版には二三の追加の文書もあります。

われわれは皆非常に異なった立場にいます。われわれは皆、平信徒、司祭、司教、そして教皇、並びに信じない人々も、もしわれわれがこの奉献を間に合うように手にしないならば、起こるであろうことにおいて恐ろしく苦しむことになるでしょう。

証明された諸結果

もし奉献が1929年になされていたならば、われわれは第二次世界大戦を経験しなかったでしょう。聖母はそのことを明確にしておられます。1917年7月13日に聖母はこう言われました:「もし人類が悔い改めないならば、そのとき神は戦争、飢餓、教会の迫害そして教皇の迫害によって世界を罰せられるでしょう。このことが起こらないようにするために初土曜日の償いの聖体拝領とロシアの奉献を求めるために私は戻って来るでしょう。」聖母は続けてこう言われました:「あなたが未知の光によって照らされる夜を見るとき、それは神が」(これら四つの罰によって)「世界を罰しようとなさる大きなしるしであるということを知りなさい。」その大きなしるしは、非常に意味深いことに、聖パウロの回心の祝日である1938年1月25日に見られました。それは数千万人の人々によってヨーロッパ中で見られました。スイスの人々は夜の11時にこの不思議な光によって彼らの新聞を読むことができました。

その光は核科学者たちが言う核爆発の後に見られるようなある特別な種類の赤い色でした。それは北アメリカでは白い光として見られました。当時オーストリアで神学生だった一人の司祭と私は話しましたが、彼が言うには、空は真っ赤で神学校の指導司祭はその夜聖体降福式を行わなかったのです。というのは、彼らはどこかの都市で大火があったと考えからであり、彼らが死者を助けるために出かけるようにとの電話の呼び出しを待っていたからです。後になって初めて、一人の教授は彼に私室で「これはファチマの聖母のしるしだ」と言いました。

ところで、シスター・ルチアが1月25日にこのことを見た時(それは1月26日の朝、午前3時まで、あるいはその頃まで、続きました)、第二次世界大戦がまさに始まろうとしていることを知ったので泣きました。45日後にヒットラーがオーストリアを侵攻しました。これは聖母が予告なさったように、ピオ十一世の治世の間に起こりました。ところで、聖母がこのことを言われた時、統治している教皇は教皇ベネディクト十五世でした。シスター・ルチアは、戦争が始まるのは、そしてこのしるしがそれに先行するのは、ピオ十一世の在位期間中であろうと告げられいました。それから、三つの預言がありました。それらすべては1917年の聖母の御出現の21年間に実現されました。1917年、まさにその年に「ロシアの諸々の誤謬」が、人々がロシアが一つの脅威であるということを信じることができなかったにもかかわらず、起こってきました。ロシアは諸国の中でも最も弱い国の一つでした。というのは、ロシアが苦しんだ市民戦争のゆえであり、第一次世界大戦に人々が耐えていたからです。ロシアは1917年には誰の目にも脅威とは思われていませんでした。にもかかわらず聖母はロシアについて語られたのです。

ただ一つのファチマだけが存在する

ある人々は、われわれはファチマを信じているがゆえに間抜けであると考えています。それは、われわれがファチマの全メッセージを信じており、われわれが実際十分に知的ではなく、われわれが世界において起こっていることを知らないからだ、というわけです。彼らを無知のうちにそのままにしておこう、われわれは彼らの平和を乱したくない、と。これは近代主義者たちがやるやり方です。近代主義者たちがイザヤ書に対してすることは彼らがファチマのメッセージに対してすることです。彼らは1917年までの第一部は真であると言います。しかし、1925年と1929年に起こったこと、第二部、シスター・ルチアを、彼女は非常に立派な婦人で非常に敬虔で、非常に聖なる者であるけれども、彼女はでっち上げた、というのです。

いかなる第一部も存在しません!いかなる第二部も存在しません!ただ一つのファチマだけが存在します。ファチマIとファチマIIが存在するというこの理論は、われわれが北アメリカにおいて保守派、正統派あるいは伝統派と呼ぶであろうよき神学者たちの精神をさえ毒してきました。彼らはその典拠を理解することさえなしにこの理論によって毒されてきました。だからこそ、フレール・ミッシェルはそのファチマについての全真実の第一巻において、単にこの理論の誤りを立証するだけでなく、そのただ一人の著者であるベルギー人イエズス会士ダニス神父のごまかしを論証するのに英語版の150ページを費やしたのです。ダニスはこの理論を1944年に書きました。フレール・ミッシェルは1944年にはダニスは、敬虔な著者たちが秘密の第二部においてなした歪曲のゆえにそのような理論を主張することを許されたであろうと言っています。例えば、連合軍を混乱させないために、「ロシア」という語が、それが明らかにシスター・ルチアの著作の中にあるにもかかわらず取り除かれ、そして「悪の諸勢力」あるいは何かそのような句で置き換えられました。それゆえに、テキストの改竄があったということを見ることは容易でした。ダニス神父は何かが変えられたということを見抜くことができたでしょう。また、戦争の間は戦後にそうだったようにはコミュニケーションの機会がありませんでした。ダニスは諸々の文書を調べたり、シスター・ルチア、あるいは彼女の告解聴聞司祭の意見を求めたりする機会を持ちませんでした。そのことは、もちろん、1945年以後は変わりました。そしてダニス神父は彼女に会う機会、元の諸文書を見る機会そして彼女の告解聴聞司祭と話す機会を提供されました。ところで思い起こしてください、彼の理論はシスター・ルチアが第二次世界大戦の諸々の出来事に照らしてそれ(メッセージのある構成要素)をでっち上げた、そして彼女はこれらの事柄を1940年以前には一度も言わなかったと主張しました。しかし彼が記録を見、彼の理論の誤りを立証することができる証人たちと話す機会を提供されたとき、彼は彼らと話すことを拒否しました。彼は情報を与えられることを拒否しました。それゆえ、1945年以前には彼はその意見を誠実に維持した、しかし誤りにおいてである、と主張され得るでしょうが、彼の拒否の後には、彼はもはや誠実な神学者と考えられることはできないでしょう。

しかし、それにもかかわらず、今日までバチカンそのものにおけるある人々を含む多くの神学者たちの精神を毒してきたのはこの理論なのです。われわれのうちのある人々が間抜けだと考えられているのはこの理論のためです。私はこの誤った理論のゆえに間抜けだと考えられることは構いませんが、しかし問題、1944年以来シスター・ルチアに対して犯されてきたこの偽りがもし司教たちや教皇の相談相手たちの精神を毒することを許されるならば、われわれは皆大災厄へと歩むことになるでしょう。

私は、多くの人々がそのような考えについてさえ考えなかったがゆえに、この点を指摘します。しかしそれは今なお精神を、それについて決して考えたことがなかった人々の精神をさえ、毒しています。その力はテイヤール・ド・シャルダンの諸々の著作によってなされた損害に似ています。今日誰もテイヤールを読みません。しかし彼は今なおその損害を与え続けています。というのは、彼は創造に関する真のカトリックの教説に関する知的な風潮を毒したからです。同じように、ダニス神父はファチマの全メッセージに関して神学者たちの知的風潮を毒しました。

政治を通じて、抑圧の戦略を通じて、ファチマ・メッセージを沈黙させようとする試みが組織されてきました。それはロシアに関わりがあります。それは1917年以降の諸々の出来事に関わりがあります。われわれがこのことが進行しているということを認めることが速ければ速いほど、それだけよいことです。だからこそ私はあなた方司教様が皆少なくとももう一方の側のことを聴くこの機会を持たれたことを非常に高く評価します。われわれは知的に提出される諸問題の議論について知っています。われわれはそれらにお答えする用意があります。われらの主は一つの非常に単純な答えを持っておられます。主は、「私の命令」の実行を遅らせることに対して、と言っておられます。...「私に仕える者たち」...は首をはねられるであろう!それは非常に愉快なイメージではありません。しかし私は、それをあなた方から隠すことによってよりは、この真理をもたらすことによって、教皇とあなた方司教様方により忠実であると考えています。

ファチマは一つの公的、預言的な啓示である

司教たち、神学者たちそして教皇の助言者たちの精神を毒しているファチマ・メッセージに関するもう一つの理論があります。それは、ファチマが「私的啓示」であるという理論です。ジョゼフ・ド・サント・マリー神父そしてまたグレイバー司教は二種類ではなくて、三種類の啓示があると書かれました。「信仰の公的遺産」があります。そして「私的啓示」があります。しかしまた「公的、預言的啓示」と呼ばれる第三の種類があります。

ファチマはあたかも、われわれがわれわれ自身に対する諸々の結果なしにそれを無視する選択肢を持つことができるかのように扱われています。ファチマに関係するとき、その理論は誤りです。

ところで、私は祝せられたおとめを一度も見たことがありません。もし私があなたに、私は祝せられたおとめを見たと告げたならば、それは私に対する一つの私的啓示であるでしょう。あなたは、もちろん、私を信じる何の義務も持たないでしょう。しかしファチマはそのカテゴリーには入りません。なぜならば、ファチマは一つの奇跡と繰り返し証明されてきた公的な預言によって支持されてきたからです。われらの主はカファルナウムとベトサイダの都市に対して話しかけながら、こう言われました:「しかして汝、カファルナウムよ、しかして汝、ベトサイダよ、汝らは天にまで上げられると思うか? 否、汝らは、地獄まで低められるべし」と。そしてそれはなぜでしょうか? なぜなら、と主は言われます:「もしソドムとゴモラ、汝らのうちになされし奇跡を見たなれば、彼らは悔い改め、今日まで立ったであろう」と。

神は正しい方です。しかし神はまた不公平な方です。私が意味していることを説明しましょう。神はソドムとゴモラにはお与えにならなかった奇跡をカファルナウムとベトサイダにお与えになりました。それらの奇跡をソドムとゴモラに神がお与えになったならば彼らが悔い改めたであろうということを十分によく知っておられながら、にもかかわらず神は彼らにそれらの奇跡をお与えになりませんでした。神はそれらの奇跡をカファルナウムとベトサイダにお与えになりました。彼らは神がお与えになった恵みを拒否しました。そして神はこの理由で、そしてただこの理由だけで、彼らが地獄まで低く投げ入れられることになると言われたのです。それゆえ、公的な奇跡によって証明された神のメッセージを拒否することは明らかに重大な事柄なのです。

われらの主は二十世紀に対して何と言われるでしょうか? 「そして汝、二十世紀よ、汝は天にまで高く上げられると思うのか? 否、汝は、『われわれに天に一つの印を示し給え、そうすればわれわれはあなたを信じよう』と私に言ったファリザイ人たちの前に太陽の奇跡を働かなかったがゆえに、地獄にまで低く下げられるであろう。」しかし、ファチマの聖母の御要求でわれらの主はそうなさったのです。

そのとき、われらの主はわれわれにこう言われないでしょうか? 「よろしい、あなたたちはそれが一つの私的な啓示であると考えた。それであなたたちは危機を逃れた、と。」残念です。われらの主はわれわれからもう少し大きな知性を期待しておられます。

ファチマは一つの「公的、預言的な啓示」です。ジョゼフ・ド・サント・マリー神父はこう言いました:「位階と預言者との間には一つの関係があります」と。それは聖書の中に説明されています。エフェゾ書の 2:20 です。われわれはその節の前半部をよく知っていますが、後半部をよく知りません。教会は「使徒たちと預言者たちとの土台の上に、すなわち、キリスト・イエズスと共に隅の親石として、建てられている」のです。ここで言われている預言者たちは新約聖書の預言者たちです。

聖トマス・アクィナスはわれわれに、神は一つの新しい教説を与えるためではなくて、信徒たちに彼らが彼らの霊魂を救うためにしなければならないことを思い起こさせるために、あらゆる世代に預言者たちを遣わされると、告げています。教会は使徒たちと預言者たちとの上に建てられています。神がお与えになるメッセージを伝えることは預言者の役割です。預言者が実際神から来ているかどうかを決定するのは使徒たちの役割です。使徒はそれを無視する選択肢を持っていません。彼はそれを吟味しなければなりません。彼は出て来るすべてのものあるいは誰かが真であると言う選択肢を持っていません。ひとたび吟味され、真であると見出されたものを、彼は自らに引き受けなければなりません。われわれはそのことをテサロニケ前書5:19-22 のうちに見出します。聖パウロはこう書いています:「霊を消すことなかれ、預言を軽んずることなかれ、何ごとをもためして良きものを守れ。」神がお与えになる何らかの預言的啓示に対してもしわれわれが、それは、われわれがそうすることを望むなら無視することができる一つの私的な啓示に過ぎないと言うことができるならば、そのとき、われわれは実際預言を軽んじているのです。もしそれが真に一つの私的啓示に過ぎないならば、われわれはいかなる義務もなしにそれを無視することができます。何も問題はありません。もしわれわれが、私的啓示と真の公的、預言的啓示との間のこの重要な区別をしないならば、われわれは預言を軽んじ、霊を消すというまさにその罪へと落ち込むことに終わります。

シスター・ルチアは真理、知られた真理の光を拒否することに言及しています。知られた真理を拒否することは、それに対してはいかなる赦しも存在しない聖霊に対する一つの罪です。彼女はこう言っています:「私の使命は世界が予め祈らず悔い改めないならば、確実に来るはずの物質的な罰を世界に告げることではありません。いいえ、そうではありません!私の使命はすべての人に、私たちが陥っている差し迫った危険、もし私たちが罪のうちに頑固にとどまるならば、永遠にわたって私たちの霊魂を失うという危険を知らせることです。」

彼女が30年間以上にわたって沈黙を守らせられてきたのは、その時以来です。

御母は沈黙を守ることがお出来にならない

1966年11月15日に、教皇パウロ六世が古い教会法、1399 および 2318 を廃止されたことは驚くべきことです。新しい法典はこの変化を反映しています。教会法のこれら二つの法典は御出現について公表することは、教会によって承認されたのであれ、あるいはそうでないのであれ、司教の印刷出版許可 imprimatur が必要でした。1966年11月15日以降はそのような許可は必要ではなくなりました。カトリック教会全体における誰でもある場所でのある御出現における聖母の最も奇想天外な陳述をも、教会からのさらなる許可なしに公表することができます。今日まで、話すことが許されていない、しかも他の誰よりもよく知られ、そしてファチマのメッセージについてもっと多くのことを知っている一人の人物はシスター・ルチアです。彼女は、信仰教義聖省長官ラッツィンガー枢機卿、あるは教皇御自身のいずれかの明白な許可なしには、彼女の回想録においてすでに公表されたものではない、ファチマに関するいかなるものについても話すことを許されていないのです。それは1960年以来の状況でした。

彼らは、それは、彼女がカルメル会修道女であり、世間から隔離されており、そしてそれゆえに話すことができないからであると説明しようと努めてきました。しかし、あなたがたの多くはあなたがたの教区内にカルメル会の世間から隔離された修道女たちのいる修道院を持っておられます。そして私は確信しますが、あなた方は選ぶ時にはいつでも格子の背後のどのシスターにも話すことがお出来になりますし、またそうするためにバチカンの許可を必要となさいません。しかし、その条件を課せられているのはカトリック教会全体でたった一人の修道女なのです。それがシスター・ルチアです。私の見解によれば、それは一つの犯罪です。それは、単にシスター・ルチアに対してだけではなくて、遙かに重要なことですが、教会に対する重大な不正です。なぜなら、祝せられたおとめは霊魂たちの救いのためのメッセージを携えて来られたからです。このメッセージは教皇に対してと同様に、信徒たちに対して、司教たちに対して向けられたものです。

1982年に、教皇がファチマに来られた時、第三の秘密に言及されてこう言われました:「ファチマのメッセージを理解するためには、われわれはそれが一人の御母のメッセージであるということを理解しなければならない。それはメッセージ全体を理解するための鍵である。」教皇はそのことを最初に言われました。それからこう言われました:「聖霊において聖母が抱いておられるすべての愛の力と共にすべての人の救いを望んでおられる御母は、その子どもたちの救いのまさに基礎そのものが掘り崩されているのを御覧になるとき、沈黙したままでいることがお出来になるだろうか?」教皇は御自身の問いにこう答えられました:「いいえ、聖母は沈黙したままでいることがお出来にならない。」

われわれの救いの基礎とは何でしょうか? われわれは、もし聖書に立ち帰るならば、それが何であるかを見出します -- それはわれわれの信仰です。われらの主は、聖ヨハネ福音書において話しながら、御自分を喜ばせる第一の働きは主への信仰を持つことであると言っておられます。それを教義神学から取り出すならば、聖アタナシウス信条はこう言っています:「救われることを望む者は何らかのよき働きの前に、何よりもまず第一に、カトリック信仰をその全体において完全に信奉しなければならない。」それがわれわれの信仰の基礎です。彼は続けて言っています:「カトリック信仰なしにはあなたはあなたの霊魂を救うことはできない。」

私はそれがまた第一バチカン公会議において決定されていると信じます。いかなるカトリック教徒にとってもカトリック信仰を離れるいかなる弁解も存在しません。それはそれに付せられた破門されるべし anathema sit を持っています。祝せられたおとめはわれわれの救いが掘り崩されているのを見ておられます。それは内部から掘り崩されています。聖母はわれわれすべてに警告するために来られました。それは一人の哀れな罪人であるグルーナー神父から来るよりも聖母から来る方が遙かに確信を与えるものです。だからこそ、シスター・ルチアは話すことを許されるべきなのです。だからこそ第三の秘密は公開されるべきなのです。彼らは、私が悪い人間である、あるいは私が誰かある人に反対している、あるは私がこの紙を、あるいは何かあるものを持っていない、と言うことができます。しかし彼らはそのことを聖母については敢えて言わないでしょう。だからこそ、聖母の言葉が司教たちや信徒たちによって聴かれることは遙かに重要なことなのです。

もし私が一人の司牧者であるならば、ここにおられるどの司教も私にある小教区の責任を与えて、次に「しかし、神父よ、あなたは告解を聴くことは許されていない、神父よ、あなたは、洗礼を求めて来る信徒のメンバーに洗礼を授けることは許されていない」と言うことはできないということを知っています。あなたは私に義務、 munus 、役務の義務を与え、そして次に私の仕事を遂行するための手段を与えないことはできません。私がこの真理をあなた方に告げているのは、同じように、私が司教は教区の責任を与えられ、そして同時に彼らの munus 、役務の義務を与えられないことはできないと信じるからです。

この世代のために第三の秘密は必要です。なぜなら、われわれはそれを今生きているからです。あなたがたは真理に対する権利を持っておられます。それは単にあなたがた自身の霊魂のためばかりではなく、特にあなたがたに委ねられている霊魂たちのためです。私はあなたがたがあなたがたに与えられた秘密を求める権利を持っておられると信じます。あなたがたは霊魂たち、数百万人の霊魂たちを配慮する責任を担っておられます。もし聖座がこれらの霊魂を配慮するあなたがたの能力に対する十分な信頼を持っているならば、そのとき彼らは第三の秘密をあなたがたに知らせないいかなる理由も持っていません。聖母は御自身の言葉であなたがたに、信仰が内部から掘り崩されている、そして彼女は沈黙したままでいることはできないと告げておられます。しかし聖母御自身は過去三十年間沈黙させられてこられました。

われわれは第三の秘密を生きている

もしファチマのメッセージが知られ、十分に理解されていたならば、あなたがたはこの会議を必要とはしなかったでしょう。あなたがたは何をすべきかを知っておられたでしょう。あなたがたは何をなすべきかを告げるために私を、あるいは他の誰かを必要とはされなかったでしょう。もしあなたがたがファチマの完全なメッセージを持っておられたならば、あなたがたは聖母が1960年以降の時代について話されているということを理解なさったでしょう。あなたがたはわれわれが第三の秘密を生きているということを知られたでしょう。われわれは聖書において予告された背教を生き延びているのです。

シスター・ルチアは司教たちや教皇に関わるときには非常に慎重です。1940年代初期に彼女が神によってスペインの司教たちに伝えるように一つのメッセージを与えられたとき、彼女は、それが彼らを非常に酷評するものであったがゆえにそれを伝えようとしませんでした。彼女が彼女の司教の告解聴聞者によって命令されてやっと彼女はそうしました。ひとたび伝えられると、それは最初、彼女が見出すと予期していたまさにその評価を受けました。最終的にそれは少なくとも丁重に受け入れられました。

われわれは第三の秘密を書き下ろすのになぜシスター・ルチアが苦悶の三ヶ月を要したかを理解し始めることができます。彼女は諸民族の絶滅に関する第二の秘密を書き下ろすのに何の困難も持っていませんでした。しかし第三の秘密についての25行を書き下ろすために、彼女は、彼女が従おうと望んでいた従順の命令を得たにもかかわらず、三ヶ月間も苦悶しました。第三の秘密になると、彼女は苦悶しました。彼女は苦痛を経験し、そうすることができませんでした。彼女はできる限り努力したにもかかわらず、紙にペンを下ろすことができませんでした。それは彼女に「そうです、それを紙に書き留めなさい」と告げる祝せられたおとめの介入を必要としました。

それは、オッディ枢機卿が書かれたように、そして彼の要求でわれわれの雑誌ファチマ・クルーセイダーでわれわれが公表したように、第三の秘密が何かある恐るべものであるということでのみあり得ます。

第三の秘密は位階に、特に司教たちと教皇とに関わる何かあるものです。

第三の秘密の本質は二つの部分を持っています。一つは信仰に対する諸々の危険です。第二は位階、すなわち、司教たち、枢機卿たちそして教皇の責任です。われわれはわれわれの前にテキストのコピーを持っていません。しかしわれわれはそれを巡るすべての状況から第三の秘密について多くのことを知ることができます。オッタヴィアーニ枢機卿によって、ラッツィンガー枢機卿によって、シスター・ルチアによって言われたすべての事柄から、そして第三の秘密の伝達をめぐる諸々の出来事から知ることができます。

私はフレール・ミッシェルのファチマについての全真理を読み、そして彼らが第三の秘密の内容を持っているということを確信しないと私に告げるようにとどの人にも挑戦します。誰一人戻って来て、第三の秘密の内容が証明されなかった、あるいは少なくとも彼らがそれについての重大な理解を今持っていないと言うことができないでしょう。

聖三位一体のフレール・ミッシェルは彼の著作を主としてアロンソ神父の研究に基づかせました。アロンソ神父はクラレチアン会の司祭で1965年から1981年の彼の死までの間ヴェナンシオ司教によってファチマ聖堂の公文書保管係として任命されていました。アロンソ神父は非常に興味のある、非常に誠実な神学者です。私は1981年、彼が亡くなるおよそ四ヶ月前に、二三週の間彼に会いました。アロンソ神父は、1965年には、第三の秘密は重要ではない、そして封印されたままにするべきだと考えていました。1976年までに彼は考えを変え、公にそう言いました。1976年から1981年までの間に彼は第三の秘密に関する短い論文を公表し、その中で彼は、第三の秘密が信仰の諸々の危険に関係があると言いました。彼はこのことを、同じことが1984年の書物ラッツィンガー・レポートのためのヴィットリーノ・メッソーリとのラッツィンガー枢機卿のインタビューを通じて公表された少なくとも三年前に書きました。非常に慎重に、非常に注意深く、彼はまた第三の秘密の後半部が今日の教会に侵入した背教に対する位階の責任に言及していると示唆しました。

ところで、シスター・ルチアは第三の秘密についての諸々の理論を、もしそれらが誤っていたならば、あるいはもしそれらがひどく間違っているならば、常に訂正してきました。彼女はアロンソ神父がそれを公表してから今日に至るまで彼の理論を一度も訂正したことはありません。

ここに今日二人の枢機卿がおられます。彼らは聖座の許可なしにシスター・ルチアに話す権利を持っておられます。私は彼らがここファチマにおられる間に御自身で見出されるように彼らを招待したいと思います。シスター・ルチアに話してください。そして彼女が第三の秘密を明かす許可、あるいはファチマ・メッセージにおける多くの事柄について権威をもって話す許可を得ているかどうかを見てください。

1983年にジョン・ハッファートとブルー・アーミーは1982年の奉献がファチマの聖母の要求を満たしたと言いました。彼らはシスター・ルチアがこの陳述の作者であると主張しました。ジョゼフ・ド・サント・マリー神父はシスター・ルチアに手紙を書き、広範囲に流布していたこれらの陳述を確証あるいは否定するように彼女に頼みました。彼女は返事を書き、そしてこう言いました:「私はそのことについて話すことができません。私は聖座の許可を持っていないからです。」1983年3月19日にサンテ・ポルタルピ大司教は教皇のためにシスター・ルチアとのインタビューを求めました。彼女は奉献はなされなかったと説明しました。しかし彼女はまたこう説明しました:「私は以前にはそう言うことができませんでした。というのは、私は聖座の許可を得ていなかったからです。」

あなたがたが見たことがあるかもしれない手紙類はそれらにシスター・ルチアの署名をつけて出回っています。私が雇った専門家によれば、それらは偽の署名です。他の人々は今でもなおそれらが真であると主張しています。しかしながら、彼らは明らかに間違っています。というのは、彼らはシスター・ルチア自身がそれらについて知っている知られた諸々の事実に矛盾しているからです。

さらに、聖座の許可なしに公に諸々の事柄については話さないという彼女の役割と一致して、これらすべての手紙のどこにも彼女はこの許可を得たという言及をしていません。シスター・ルチアは沈黙させられてきました。これらのいわゆる専門家たちがファチマに関してファチマ I として言及することは、ロザリオを祈りなさいというメッセージ -- それはもちろん非常にすばらしいことであり、そして非常に聖なることです -- そしてスカプラリオを身に着けなさいというメッセージ -- それもまた非常にすばらしいことであり、そして非常に聖なることです -- 、そして十戒を守りなさいというメッセージを含んでいます。それらすべての事柄は非常にすばらしいことです。しかし、彼らがロシアの奉献の要求について語るときには彼らはシスター・ルチアがそれをでっち上げたと非難するのです。彼らはあのことよりもそれについては遙かに敬虔です。彼らは彼女が正気でないか、それとも嘘つきであるかのいずれかだと言います。それが、今日までダニス神父と彼の追随者たちによって非難されていることです。

シスター・ルチアは自分自身を擁護しませんでした。そしてメッセージを擁護しませんでした。というのは、彼女の考えでは、彼女はそれを教会に委ねたからです。ボールはあなた方のコートに、あなたがた司教たちのコートにあります。もしあなたがたがそれに関して何もなさらないならば、彼女はそれでもなお神の前に進み出てこう言うことができます:「私はするように言われたことをしました。」私は教会の司教たちと教皇が、シスター・ルチアがすることができるのと同じように、神に同じ答を与えることができるとは思いません。彼女は確かに時を選ばずいつも喜んで真理を告げるでしょう。これらの理論(奉献はなされたという)が、最初は1942年の後に、次に1952年、1964年、1982年の後に、そしてそれから再び1984年に公になったとき、シスター・ルチアは常に戻って来ました。そして尋ねられたとき、そして彼女が話すことができたとき、言いました:「いいえ、なされていません」と。彼女は首尾一貫して、最近50年間「いいえ、なされていません」と言ってきました。

イスラエルには一人の預言者がいる

われわれは神の摂理における一人の預言者の役割を理解しなければなりません。旧約聖書では、シリアの将軍ナアマンはらい病にかかりました。ユダヤ人の下女はナアマンの妻を助けながらこう言いました:「あなたの御主人はイスラエルに行って身を洗うことができます。というのは、そこには神の人がおられるからです。そこには一人の預言者がおられます。」ナアマンは大勢の随行員を従えて行きました。そしてイスラエル王は彼の衣服を貸してこう言いました:「私は誰かある人を癒すことができる神なのか?」

エリゼウスは一つのメッセージを王とナアマンに送り、イスラエルには一人の預言者がいるということを彼らに知らせました:「彼を私のところに送りなさい。」エリゼウスはそれから一つのメッセージをナアマンに送りました。彼はエリゼウスによってこう告げられました:「ヨルダン川を下って行き、そこで七度水浴しなさい。」

ナアマンは怒り、そして言いました:「われわれはここよりも良い川をシリアには持っていないのか?」彼の相談相手たちはやっとのことで彼を説得しこう言いました:「もし彼があなたに何か難しいことを求めたのならば、あなたはそれをしたでしょう。彼が言うことをしなさい。」それでナアマンは七度身を洗いました。そして彼の身体は、聖書がわれわれに告げているように、赤ん坊の皮膚のように白く、そしてきれいになりました。

この物語には考察すべき二つの点があります。まず第一に、従順の行為が求められています。六度ではなく、八度ではなく、五度ではなくて、七度です。第二に、王は、ナアマンがしようと努めたすべてがらい病から彼自身が清められることであったとき、偉大な将軍ナアマンが彼の兵士たちの従者と共に彼との戦いをしかけようとしているとどういうわけか考えました。エリゼウスはこの誤解を知って一つのメッセージを送りました。

エリゼウスは言いました:「イスラエルには一人の預言者がいるということをイスラエルに知らせよ。」彼はこの奇跡を単にナアマンのためにだけ働いたのではなく、またイスラエルのためにも働いたのです。われらの主は、その出来事について話しながら、ナアマンの時代にはイスラエルには多くのらい病人がいたが、しかし預言者によってただ一人だけが彼のらい病から清められたと言われました。われわれはわれわれの間に一人の預言者を持っています。そしてルチアはその謙遜さにおいて言うでしょう:「私は預言者ではありません」と。しかし、事実は、神学的に言うならば、シスター・ルチアが一人の預言者であるということです。彼女は神によって、一つの公的な奇跡によって、一人の預言者であると証明されました。単にファチマのメッセージだけでなく、メッセージを伝えた人間がこの奇跡によって証明されました。今日、イスラエルには、神の新しいイスラエル、カトリック教会には一人の預言者がいるということをカトリック教会に知らせなさい。遅すぎるようになる前にそのことを理解するよう目覚めましょう。

シスター・ルチアは1907年3月22日に生まれて今年85歳です。それは私の母の誕生日のちょうど2週間前です。だから私はそれを覚えているのです。イスラエルには一人の預言者がいます。そして神はそれを知るようにわれわれのために一つの大きな奇跡を働かれたのです。

ある人々は言います:「ルチアは教皇よりも重要なのか? 彼女は教皇に命令するのか?」ジョゼフ・ド・サント・マリー神父はこう説明しています:「話すことは預言者の役割である。それが神から来ているかどうかを判断することは位階の役割である。このメッセージが神から来ているということがひとたび見出されたならば、そのとき教皇と司教たちは従わなければならない。それは預言者に従うこととしてではなく、このメッセージを預言者を通じて彼らに伝えられた神御自身に従うこととしてである。」その区別は、もしわれわれがわれわれの首を救おうと望むならば、そしておそらくわれわれがわれわれの霊魂を救おうと望むならば、重要であり、必要です。

ダニス神父の理論が私室において囁かれ得る限り、ファチマはあなた自身に何らの結果をも伴わない無視され得る一つの「私的な啓示」であるという理論が対決されず打ち負かされない限り、そのとき、教会は時の終わりまで生き残るでしょうけれども、大部分の信徒が教会と共に生き残らない公算はあります。

世界中で危機に陥っている信仰

1984年にファチマの司教コスメ・ド・アマラル司教はこう言われました:「一民族の背教は一民族の絶滅よりも大きな災厄である」と。彼は、信仰がヨーロッパにおいてますます減少しているということは真実であると言われました。1984年にはまた、ラッツィンガー枢機卿がこう言われました:「信仰は世界中で危機に陥っている」と。さまざまの言語で流布された百万部を超える彼の著書は最初パウロ会のシスターたちによって出されている雑誌 Jesus においてインタビュー形式で公表されました。あらゆる言葉は彼の許可で公表されました。それから、それは翌年の6月に書籍の形式でより長い論文にまとめられました。

あなたはそのレポートを一つの文章に要約することができます:すなわち、「信仰は世界中で危機に陥っている」と。これは教皇が次のように言われたとき、言及しておられたことです:「聖霊において聖母が抱いておられるすべての愛の力と共にすべての人の救いを望んでおられる御母は、その子どもたちの救いのまさに基礎そのものが掘り崩されているのを御覧になるとき、沈黙したままでいることがお出来になるだろうか...? いいえ、聖母は沈黙したままでいることがお出来にならない。」

しかし聖母は沈黙したままでいないために -- ファチマの完全なメッセージを信徒のところにもたらすために -- その息子たちである司教たちに依存しておられます。シスター・ルチアが次のように言うとき、それが理由です:「祝せられたおとめは、悪人もそしてまた善人も、誰一人彼女のメッセージに何の注意も払わないがゆえに非常に悲しんでおられます。」そしてだからこそ、ファチマの聖母の御像や聖母の他の御像が涙や血の涙を流して泣いておられるのです。それらの多くの例があります。

教皇ヨハネ・パウロ二世はテレサ・ムスコの像について話しながら、こう言われました:「もし祝せられたおとめが泣いておられるならば、彼女は一つの理由を持っておられるに違いない」と。シスター・ルチアはわれわれに、聖母が非常に悲しんでおられる理由は、善人も悪人も、誰一人聖母のメッセージに注意を払わないからだ、と告げています。悪人は、シスター・ルチアが指摘しているように、神の懲罰が彼らの上に落ちかかることを見ないで、罪のうちに彼らの楽しい道を歩んでいるのです。しかし聖母はさらに進んで善人さえ聖母の完全なファチマ・メッセージに十分な注意を払っていないと説明しておられます。

単純で必要な行動

もし私があなたがたに真理を告げなかったならば、私はあなたがたに奉仕をしなかったことになるでしょう。私がもっとうまくそのことを説明していないことをただ残念に思います。私は、私が扱わなかった何らかの疑問をあなたがたが持ったままここを去られないように心から望んでいます。私があなたがたのために見つけることができる諸々の答えがここにあります。私はまだ、一つの答を見出すことができなかった疑問を見出したことはありません。その答は諸々の事実に一致し、ファチマのメッセージについてわれわれが知っているあらゆる事柄に一致する一つの論理的、神学的な答です。もし真理が私と共にないならば、そのとき、それを私に指摘してくださることは私に対する、また他の人々に対する一つの大きな奉仕でしょう。しかしもし真理が私の言っていることであるならば、そのときわれわれはそれに基づいて行動しなければなりません。単にこの部屋においてだけでなく、感謝の投票をもってではなく、ここにおられ、またここにおられないあなた方の兄弟である司教たち、並びに司祭たちや信徒たちと共にあなたがたの司教区においてあなたがたに神がお与えになった何であれ力や権威をもって行動してください。

少なくともわれわれはシスター・ルチアが言ったように、ロザリオのキャンペーンを持つことができるでしょう。ファチマを一部、二部そして三部に分割するあれらのいわゆる神学者たちによってさえ、彼らはロザリオがなすべき一つの敬虔なそして聖なる事柄であるということを認めます。それゆえ、少なくともわれわれが他のある事柄で同意できないとしても、教会の善のために世界中にロザリオのキャンペーンを持つことができます。われわれはまた、ラッツィンガー枢機卿が世界中の信仰の危機について彼の諸々の書物において、また彼の諸々のインタビューにおいて警告された危機から信徒たちを救うためにロザリオのキャンペーンを持つことができるでしょう。

聖母は聖ドミニコにロザリオが地獄に対する一つの強力な武器であると約束なさいました。それは罪を克服し、悪徳を減らし、異端を征服するでしょう。毎日ロザリオの祈りをする人々は異端には陥らないでしょう。たとえ彼らが異端に陥る不幸を持つとしても、もし彼らが毎日ロザリオの祈りを続けるならば、彼らはその異端から抜け出るでしょう。

われわれは大背教の時代に生きています。たとえそれが聖書の背教ではないとしても、それはそれのための正装を着けての下げいこです。いずれにせよ、この世代はロザリオを必要とします。そしてロザリオを司教たちそして司祭たちからも聴くことが必要です。しかしもし司教たちがより多くの人々に対してロザリオを祈り、そして祈り続けるならば、他の人々は最終的にこれをますます多くの人々に対して祈り続けるでしょう。他の人々は最終的にその考えをつかまえ、それを繰り返し続けるでしょう。

聖母はその手にスカプラリオを持ってファチマに来られました。聖母はカルメル山の聖母のスカプラリオを差し出されました。シスター・ルチアが説明したように、聖母はすべての人がそれを身に着けるように望んでおられます。教皇ピオ十二世が言われたように:「これがマリアの汚れなき御心に対するあなたの奉献の個人的なしるしであるようにしなさい」。シスター・ルチアはわれわれに、スカプラリオとロザリオとは一緒に歩むと告げています。私は最初にスカプラリオをイギリス、アイレスフォードで身に着けました。そこは聖母が1251年に最初に聖シモン・ストックに御出現になった所です。わたしはそこに約六ヶ月いました。そこで私は1965年3月にスカプラリオに登録されました。そしてそれ以来それを身に着け、私が少なくとも5連のロザリオの祈りをしなかったのは過去27年のうちでおそらく20日以下の非常にわずかの日だけでした。預言者エリアの時代に遡るカルメル山のスカプラリオを身に着けることによって、スカプラリオの保護にわれわれ自身を委ねることによって、聖母はこの保護を毎日ロザリオを祈る恵みと一つになさいます。だからこそ聖母は一方の手にロザリオを、もう一方の手にスカプラリオを持ってファチマに来られたのです。

私は数万人の人々にスカプラリオを与え、登録させて来ましたが、しかしなされなければならないことに対してはすべて余りにも少なすぎます。私がすることが出来ることは何であれ、あなた方は百倍以上にすることがお出来になります。なぜなら単純に神はあなたがたに言われなければならないことを言うための遙かに大きな権威と遙かに強い立場をお与えになったからです。

目 次

2005/11/30 三上 茂 試訳

作成日:2005/11/30

最終更新日:2005/11/30

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