ファチマの聖母マリア

「神の忍耐の限度」

2000

第Ⅱ部:機会の窓

第2章:大陰謀

Deirdre Manifold

天の元后。「月のように美しく上り、太陽のように輝かしく、戦場における軍隊のように恐るべき朝として出て来る彼女は誰か?」彼女は誰か? 彼女は、歴史の曙に神が「私は、おまえと女との間に、おまえのすえと女との間に、敵意を置く。女のすえは、おまえの頭を踏みくだき、おまえのすえは、女のすえのかかとをねらうであろう」と言われた創世記 3:15 の女である。

それは戦争以外の何についてであろうか? 一方の側での聖母と他方の側での蛇との間の戦いである。ファチマはすべて戦い、霊魂たちのための戦いに関わっている。そして結局のところ、われわれが聖母の名においてそのために戦っているのは各々の個人の霊魂である。この戦いは私がさっき言ったように、エデンにおいて始まった。ファチマはわれわれが単にわれわれが取捨選択できるもう一つの御出現ではない。ファチマは全人類のための御出現である。

ファチマの疑問の余地のない真正性

われわれは戦闘の教会であり、そしてわれわれはファチマの真正性を吟味する義務を持っている。そのメッセージが天から来たものであるということを示すあめに、神は喜んで一つの異常な奇跡、太陽の奇跡を行われた。これは、そのメッセージが神からのものであることを明らかにするために、神が太陽をお用いになった歴史上第三番目のものである。

一つはヨシュアの祈りで日の光が延長されたこと(ヨシュア記 10 )であり、もう一つは、預言者イザヤによって 714年 B.C.にユダの王に与えられたしるしであった。その時太陽は10時間にその進行を後戻りさせた(列王記4 20)。ファチマの奇跡を独自のものとしていることは、その時間と場所が数ヶ月も前に預言されていたということである。

猛烈に反聖職主義的である新聞は、彼らが決して起こらないと予期した予告された奇跡を笑いものにするためにその報道記者たちを送った。しかし彼らはその奇跡についての最も雄弁な説明を書いたまさにその人々であった。この奇跡はファチマにいた7万人の人々によって、そして周辺(25マイルも離れた所の)にいたもっと多くの人々によって目撃された。そして後にバチカンの庭園でピオ十二世によって見られた。

ファチマで創世記の女は最も劇的な仕方で歴史の中へ入って来られた。カナでマリアがぶどう酒が無くなったことに気づいたとき、われらの主は「女よ、私の時はまだ来ていない」と言いながら、「女」として聖母に声を掛けられた。しかし、マリアはわれらの主の時を早められることになった。そしてそうすることにおいて彼女の時が来たのである。その瞬間、彼女は創世記の女となられた。

マリアの時もまた来た。そしてマリアは教会におけるあらゆる危機に介入なさるであろう。なぜなら、教会における危機は今日おそらくかつて無かったほどの危機だからである。

プロテスタントの反逆とその諸結果

今日の紛争の種は宗教改革において蒔かれた。そのときそれはその上に教会が建てられる岩であるペトロに対する反逆であった。その反逆の後、生活のあらゆる領域における何という変化よ!そのときまではいかなる常備軍も存在しなかった。そして村々にはほとんど警察権力はなかった。警察がなかったとしても、肉屋の主人が犯罪を犯した者を誰でも逮捕する資格を与えられていた。そのように平和的な生活を想像してみなさい。修道院が貧者、病人、やもめ、孤児の面倒を見た。国家の諸制度の必要はなかったし、彼らを破滅させるひどく有害な税の必要もなかった。そしてちょっと想像して下さい、このことについて考えてみてください -- イギリスとアイルランドでは400年の間貨幣、ペニーは同一の価値を保持した。1130年から1530年までインフレーションがなかった。いつも同じ価値だった。もしわれわれがそのことを今日持ったとしたら、とちょっと想像してください。過去二三週間起こったこと、ヨーヨーのように金の価値が上がり下がりしたことを考えてください。それはすべて一つの策略である。それはすべてサタンから来ている。

われらの主は言われた:「まず神の国を求めよ、そうすればこれらすべてのものは与えられるであろう。」その後、人間は自分自身に依存し始めた。あの偉大なイギリス人の G.K.チェスタートンはこう言うのを常としていた:「もしわれわれが神によって支配されることを喜ばないようになるならば、そのときわれわれは専制君主たちによって支配されるであろう」。

1917年7月13日に聖母は子どもたちに地獄の幻視を示された。「あなたたちは可哀相な罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために神は私の汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでおられます。」ロシアが諸々の戦争と革命を助長しながら世界中にロシアの諸々の誤謬を広めるだろうということに言及しながら、聖母は世界のすべての司教たちと一致する教皇による聖母の汚れなき御心へのロシアの奉献を求めるために再び戻って来るでしょうと言われた。そのとき聖母は、もし人々が悔い改めないならば、第二次世界大戦が起こるでしょうと予告なさった。

聖母はこう言われた:「この出来事は一つの未知の光によって先行されるでしょう。」1938年1月25日にこの未知の光は3時間にわたってヨーロッパ全土に輝いた。その光景は非常に奇妙であり、科学者たちによっては説明され得なかった。それは当時のヨーロッパのすべての大きな日刊新聞において、そしてニューヨーク・タイムズのような遠隔地の新聞においてさえ、報道された。

ラコフスキー

ところで、この明るい光の輝きに続いて、第二次世界大戦の直接のきっかけとなったであろう一つの出来事がモスクワで起こった。以前ロンドンとパリの両地でソビエト大使であったラコフスキーという名の一人の男が1938年の粛清においてスターリンによって裁かれた。この男ラコフスキーは6時間のインタビューの間に、ガブリエルとして知られた一人の男、スターリンの最も信頼の厚い助言者に一つの計画の概略を説明した。その計画はそのとき憎い敵同士だったヒットラーとスターリンの間で一つの友好関係が結ばれるというものであった。それによって彼らは攻撃に加わり、彼らの間でポーランドを分割することになっていた。それに従えば、連合軍がただヒットラーだけを(スターリンをではなく)攻撃し、そして後になって合衆国が参戦することになっていた。スターリンの腹心であるガブリエルにとってこの計画は笑うべきもの、不可能なものに思われた。彼はどんな目的のためでもヒットラーとスターリンを一緒にするという考えを笑った。しかしラコフスキーは強く主張し、ガブリエルにアメリカのロシア大使デイヴィスが協定を取り決める人物であろうと指摘した。さて、このことをよく覚えていてください、ロシアとアメリカの両者はヒットラーを戦争へと押しやったのだ。

ラコフスキーはそのとき、当時はガブリエルに、そしてスターリンにさえも、知られていなかったある事柄を明らかにした。彼は共産主義の命令よりも高次の一つの命令が存在するということを明らかにした。その命令は従われなければならないものであった。このことは戦争の間ニューヨークにおける共産党の長であったベラ・ドッド博士が言ったことを確証している。彼女が FBI の命令権者の二番目の地位にあったクレオン・スクウシンに報告したとき、彼女は、戦争のためにモスクワからの指令を得るのに何らかの困難があったときにはいつでも、ワルドルフ・タワーズにいる三人の裕福な資本家たちの誰か一人のところへ行かなければならなかったと言った。ドッド博士を驚かせたことはこれらの人々が指令を与えた時にはいつでもモスクワが常にそれらの指令を追認したことであった。しかし最終的に誰がこのより高次の命令を支配しているのかと言うように強いられた時、彼女は単純に「サタン」と答えた。

この歴史に残るインタビューの間にラコフスキーはこのより高次の命令の力への鍵が金であることを明らかにした。ラコフスキーは言った:「金は力である、唯一の力である。」

またほとんどの人は、3人のアメリカの大統領が無からペンとインクとをもって金を造り出すこの私的な独占権を彼らが敢えて問題としたがゆえに暗殺されたということに気がついていない。そうするように強制されたとき借りる代わりに、エイブラハム・リンカーンは市民戦争における兵士たちに支払うためにドル紙幣を発行した。借用なし、利子なしである。マッキンリーは独占権に反対すると遠慮なく言った。そしてケネディは連邦準備ドルの代わりに合衆国ドルを実際に発行した。各々の大統領、リンカーン、マッキンリー、そしてケネディはその代わりに、突然そして容赦なく殺された。そして新聞は陰謀のこの部分を決して明らかにしなかった。メディアはそのことに言及したくないのである。それがそうであるシンボルの代わりに商品とされている金の操作のゆえに、世界はどこででも混乱している。

キリストは、サタンは最初から嘘つきであると言われた。金のこの操作を通じて、サタンはまた泥棒でもある。第三世界の負債は、その利子が非常に大きいがゆえに、それを損なっている。そして彼らに貸される資本はペンとインク以外の何物からも作り出されない。金をペンとインクで作るこの権力のゆえに、諸々の政府はどこででも罪であるもの -- 避妊、中絶、離婚 -- を合法化するように命令され得るのである。

私は私自身の国からこれらの要求が人民から来るのではないということを知っている。それらは外部から組織されている。そして人民はそれらを必要としているのだと告げられる。もちろん、彼らは常に、非常にしばしば私自身の性、女性たち、の騒々しい少数者、彼らはそれらを持たなければならないと言っているフェミニストたちを獲得するであろう。

ところで、これらの支配者たちは誰であるか? イギリスの首相ディスレリは前世紀に次のように言わなければならなかった:「世界は舞台裏にいない人々によって想像されているものからは非常に異なった人々によって支配されている。」われわれの戦いは肉と血との戦いではなくて、支配者たちと諸権力との戦いである。戦う教会は敵を知り、理解する義務を持っている。

諸教皇とファチマ

世界的に多くの御出現がある。多くの御出現は偽りのものである。人類は堕落した天使の悪ふざけを取り扱うときには大きな識別力を必要とする。しかし、それらが全部何であるかを理解するためにそれほど識別力を要求しない多くの現代の御出現が存在する。あなたが必要とするすべては、それらがどのようにばかげたものであるかを知り、それらをファチマと比較する常識だけである。私は、もちろん、今日起こっている最も有名な偽りの御出現のことを言っている。しかしながら、ファチマの御出現の真正性に関してはいかなる疑いもあり得ない。その御出現はピオ十一世以来のすべての教皇たちによって熱心に受け入れられてきた。そしてこれらの教皇たちはファチマの御出現を彼らの罪について悔い改めるようにという世界の人々に対する一つの警告として御覧になった。それは、ニニヴェで王がすべての人に祈りそして断食するように命令したとき -- まさに獣たちでさえ断食した -- かつて人々が警告されたのと同様であった。王自身は粗布を纏い灰を被って九日間祈った。

ピオ十一世は聖母によって言及されたロシアの諸々の誤謬に関する一つの回勅でもって応えられた。彼はこう言われた:「共産主義は本質的に悪しきものである。そしてキリスト教文明を救おうとする者は誰もいかなる企てにおいてであれ共産主義と協力することは許されない。なぜなら、われわれが戦わなければならない悪はその起源において何よりもまず霊的秩序の悪であるからである。この汚染された源から共産主義体制の怪物のような放射物が悪魔的な論理と共に流れ出るのである。」そうピオ十一世は言われた。

次はこう宣言された教皇ピオ十二世であった:「ファチマは私の思想の総括である。ファチマを疑う時は過ぎた。今は行動の時である。」

ヨハネ二十三世はファチマのロザリオの聖母の祝日を制定され、そしてファチマの御出現を「すべてのキリスト者の希望の中心」と名付けられた。

パウロ六世は1964年11月21日にすべての公会議教父たちの列席する中でマリアの汚れなき御心に対する教皇ピオ十二世の世界の奉献を荘厳に更新された。1967年には御出現の50周年記念日の機会に教皇は平和を祈る一人の謙遜な巡礼者として個人的にここファチマに来られた。

ヨハネ・パウロ一世はルチアーニ枢機卿として、ファチマの御出現の神的起源についての彼の承認を表明された。そして彼は後にイタリア中に聖母像を遣わされた。

1979年5月13日にわれらの現教皇、ヨハネ・パウロ二世は回心と痛悔はファチマ・メッセージに本質的なものであるということを強調する温かいメッセージを送られた。1982年5月13日にはファチマで教皇は暗殺の弾丸にかかわらず生き残ったことに対して聖母に感謝された。教皇は、もし教会がファチマのメッセージを受け入れたとすれば、それはなかんずく、そのメッセージが一つの真理とその基本的な内容が真理と福音そのものの呼びかけを含んでいたがゆえであるとつけ加えながら、マリアの汚れなき御心への1942年および1964年の世界の奉献を繰り返された。

ピオ十一世以来のすべての教皇がファチマ・メッセージを真正のものとして受け入れられたということが適切なことであるので、それではなぜファチマはそうあるべきであったように家の屋根の上から説教されて来なかったのか? それがそのように家の屋根の上から説教されてきたならば、恵みは確実に聖母のお望みを満たすために天から流れ降ったであろう。それがそのように説教されなかったということはその真の展望において戦争を、創世記の女と天使的知性の被造物である蛇との間の戦争として見る人を驚かさないであろう。

キリストの秩序の意図的な転覆

戦争においては、他の何よりもまず、われわれは敵を知る必要がある。戦う教会の成員としてわれわれは敵の計画と敵の戦略を研究する義務を持っている。教皇レオ十三世は後に説明されるであろうように、その敵をフリーメーソンと同定された。

新約聖書のマテオ福音書の冒頭の章においてわれわれは第1節にこう読む:「アブラハムの子なるダヴィドの子、イエズス・キリストの系図。」次に第20節は聖ヨゼフに言及している:「これらのことを思いめぐらすおりしも、主の使、彼が夢に現れて言いけるは、ダヴィドの子ヨゼフよ、汝の妻マリアをいるることを恐るるなかれ、けだし彼に宿れるものは聖霊によれり。」ダヴィドのこれら二人の霊的な息子たちは両者とも10月13日にファチマで群集を祝福しておられるところを[ルチアから]見られておられる:その二人とはすなわち、その両腕に幼子イエズスを抱いた聖ヨゼフである。

しかしながら、聖パウロはガラチア書第4章において、ちょうど霊的な息子が古い時代に迫害されたように、今日においてもそうであると言うとき、一つの警告を発しているのである。われわれはさらに、聖パウロから、この迫害は比喩的なものであるということを理解する。ダヴィドのこれらの霊的な息子たちのただ一人だけが聖霊の神殿を建てておられるからして、われわれはこの息子の比喩的なライバルを確立し、そして旧約聖書のうちに、神殿を建てることに加えて、またダヴィドの自然的な息子でもあろう一つのタイプを見出さなければならない。そのような人間はソロモンである。比喩的に話すならば、今日、もしソロモンの名において一つの神殿を建てる人々でないとすれば、誰がイエズス・キリストの主要な敵であるか? ソロモンに結びつけられたのはテンプル騎士団であった。彼らは時にはソロモンの息子たちと呼ばれた。あのバラ十字会に没頭する人、フランシス・ベーコンはその著書ニュー・アトランティス The New Atlantis において、ソロモンの家というタイトルの下に新秩序のためのマニフェストを作り出した。ソロモンの神殿の現実的な建物はその宗教の述べられた目的であり、それは自らを「比喩のヴェールをかけられた道徳の体系」と記述しており、そして教皇レオ十三世によって教会の主要な敵と呼ばれ、一般にフリーメーソンとして知られている。

レオ十三世は彼の偉大な回勅 Humanum Genus においてそれをこのように記述された:「フリーメーソンの仮面を剥ぎ取り、それが何であるかをすべての人々に明らかにしなさい。それは、キリスト教の教えが産み出した世界の全宗教的秩序の完全な転覆および純粋な自然主義の諸原理に基づいた諸事物の一つの新しい秩序の置換を目標としている。ほとんどすべての国家をその支配の中に取り込みながら、それはそれが真の霊感および権力の隠された動機である他の諸々のセクトと結びつくのである。それは、最初はそれが彼らのために確保してやる世間的な有利さの基礎によって惹きつけ、そして次にその仲間を保持し続ける。それは諸政府を時には諸々の約束によって、別の場合には脅迫によってその意志に屈服させる。それはそのやり方を社会のあらゆる階級の中に見出してきた、そして一つの見えざるそして責任を負わない権力を形成している。それは、言ってみれば、合法的な国家という団体内部の一つの独立した政府である。それは、われわれの人祖が罪を犯したことを否定し、そしてその結果人間の自由意志がいかなる仕方でも弱められている、あるいは悪への傾きを持っているということを否定する。われわれは人間が多くの快楽の魅力によって公的に誘惑されているということ、節度や恥を持たない新聞や雑誌が存在するということ、舞台演劇が著しくみだらであるということを見ている。芸術作品の構想はいわゆるレアリズムの法則において恥知らずに探し求められている。そしてすべての快楽の甘言が熱心に探し求められ、それによって徳が眠り込まされている。これらの秘密結社の中には、このことがなされたとき、彼らの権力と権威の下により容易に服することができるように、大衆が無制限の悪徳の認可で満ち足りたものとなるべきであるということを巧妙にそして故意に提案される人々がいた。」(Humanum Genus -- フリーメーソンに関する回勅)

敵は外部から教会と対決することによって戦闘に勝つことは決してできなかった。敵は真っ直ぐ内部へ乗り込まなければならなかった。その宿主を食う寄生虫のように彼は内部からそれを食い尽くさなければならなかった。しかしわれわれは聖母が勝利なさるであろうということを約束されている。われわれは喜びに満ち、希望に満ちた者であることができる。なぜなら、われわれは聖母が彼の頭を踏み砕かれるであろうことを知っているからである。われわれはそれがいつ起ころうとしているのか知らない。しかしそれは起こるであろう。聖母は言われた:「終わりに私の汚れなき御心は勝利するでしょう。奉献はなされるでしょう。ロシアは回心し、平和がやって来るでしょう。」

しかしながら、私は敵の本性、敵が何をやっているのか、敵はどのように行動しているのか、敵がそれを通して働いている組織の種類を見出すよう努めてみたい。

聖母は蛇を踏み砕かれるであろう

われわれの社会にはソロモンの神殿の宝を持っていると主張する一つの組織がある。ところでソロモンの神殿を建てようと努力しているこれらすべての勢力を支配している至高の組織は Ordo Templi Orientis (東方テンプル教団)として知られている。その目標はキリスト教に代わってファルス(男根)的宗教を確立することである。その多くの下部集団の中の最たるものは自らをグノーシス的カトリック教会と呼んでいる一つの団体である。グノーシス的カトリック教会の信条は「われは蛇とライオンを信ず」という言葉を含んでいる。

自らをグノーシス的カトリック教会と呼ぶ団体がキリストの神秘体に対する主たる敵対者であろうということはわれわれを驚かせないことは当然であろう。なぜなら、これは、それによって蛇のすえが、ちょうど寄生虫がその宿主の身体、それを支えている身体を滅ぼすように、内部からキリストの神秘体を滅ぼそうとする有機的なタイプの戦いだからである。

今ここでわれわれは創世記 3:15 の戦いの宣言を見る:「私はおまえと女との間に敵意を置く...」それはグアダルーペにあるフアン・ディエゴのティルマに、そして後に不思議のメダイの表面に描かれている。女のすえと蛇との間の戦いである。聖母はティルマと不思議のメダイ、不思議のメダイの表面の両方において蛇の上に立っておられる。裏面には、御存知のように、二つの御心、われらの主の聖心と、シメオンが言ったこと、「汝自身の魂を剣が刺し貫くであろう」を確証しながら、剣がそれを刺し貫いた聖母の御心がある。

ところで、この戦いの直接的な結果に関してわれわれは聖ルイ・ド・モンフォールの言葉を思い起こすことができる:「アンチキリストの到来まで事態はますます悪化するであろう。」ところで敵と戦うすべての努力は、聖母によって命令されたように、マリアの汚れなき御心に対するロシアの適切な奉献が近い将来になされない限り、無駄であると思われるであろう。この奉献を63年間の時の推移の後に、聖母が要求なさったとおり正確に行うことは、われわれが結局のところ教えられ得る者であるということを証明するであろう。

聖母の歩兵たち

現代のガラチア人の国、アイルランドにおいて、世界のすべての民族に祈りの家として捧げられた教会において、1879年8月21日、この教会の切り妻屋根の上にダヴィドのもう一人の霊的息子である聖ヨゼフが御出現になった。彼はイエズス・キリストの偉大な司祭職に対して向けられた比喩的な戦いを黙想しておられた。その御出現は、礼拝する天使たちによって全体を取り囲まれて、そこから十字架が立っていた祭壇の上の一匹の生きた小羊を示していた。

左側には聖ヨハネが片手に一冊のミサ典礼書を持ち、小羊のように見え、そして竜のように話すものについて警告しながら、2本の指を立てておられた。聖ヨゼフと聖ヨハネの間にマリアが立たれた。幻視全体は地の上方にあった。

私が言及しているのは、もちろん、アイルランド、ノックでの神の子羊の御出現のことである。ところで、聖ヨゼフは、この比喩的な戦いを、中央におられる聖母を、まさに教会の内部に、小羊のように見えるがしかし竜のように話す子羊がいると警告する聖ヨハネを見ているように見えたであろう。これは私の国アイルランドにおいて(多くの人々によって見られた)一つの目に見える御出現であった。しかし後には聖母の一つの目に見えない御出現があった。1921年9月7日の夕方にマリアは再びアイルランドへ来られた。今回は、私が言ったように、それは一つの目に見えない仕方においてであった。しかし同じように実在するものであった。罪人たちのために祈りに来た女性たちと一人の男性の小さなグループを導いている時に、聖母は、以来レジオ・マリエ(マリアの軍団)として知られた、御自分の霊的な軍隊を設けられた。

レジオ・マリエはその軍団の各々のメンバーの個人的な聖化を通して、あらゆる民族をマリアを通してキリストへもたらすことを求める。この霊的軍隊はマリアのために全世界を得ることを求め、そして主として中国における教会の維持に責任を負っている。レジオ・マリエは1921年に設立されたばかりであるけれども、すでにそのメンバーのうちの三人は、聖人とされるための訴訟が進行中である。エデーレ・クゥインは1930年代と1940年代に7年間アフリカ大使であった。アルフィー・ラムは癌で死ぬ前およそ6年間住んだ南アメリカに行ったわずか25歳の青年である。そして1980年に亡くなったフランク・ダフである。

これは地上の蛇と戦っている霊的な軍隊である。

われわれは皆マリアの歩兵である。中立的であるための時間はない。あなたはキリストと共にいるか、それともキリストに反対であるかのいずれかである。ところで私は私が立っている場所について言いたい。すなわち、二つの小さな国、ポルトガルとアイルランドはこの危険の瞬間に人類を健全さへ連れ戻すために神によって選ばれたのだ、と。

教会の社会的な教え

ロシアの諸々の誤謬に対する解答は回勅 Rerum Novarum, Quadragesimo Anno, Divini Redemptoris において、および他の多くの社会的な回勅において明白に述べられている。ロシアの諸々の誤謬に対する解答はまたデニス・ファヘイ神父の諸著作のうちに見出される。彼はアイルランド出身の聖霊会司祭であり、これらの問題においてしばしば教えられていない普通の平信徒に向けて、キリストの王権、キリストの神秘体そして世界におけるその位置について著作した人である。

諸回勅そしてファヘイ神父のこれらの著作はカール・マルクスのマニフェストの毒に対する解毒剤である。

数年前、私はカール・マルクスについて、あたかも彼がキリストよりも偉大な一人の聖人であるかのように語った多くの大学生たちと出会うことによって憤激させられた。彼らはマルクスが人々を自由にするために人間の自由を切望した偉大な知識人であると考えていた。私は私にアメリカからの書物を提供してくれた何人かの友人たちにカール・マルクスの手短な生涯を送ってくれるように頼んだ。私はそれを受け取らなかった。私はその書物をそれらの大学生たちに与えたいと思ったのだ。それからたまたま私はアメリカに行った。そして何人かの友人たちに尋ねた:「カール・マルクスが実際にどんな人間であるかを学生たちに知らせるために私が彼らに与えることができるカール・マルクスの生涯をあなたがたはいつ作ろうとしているのか?」彼らのうちの一人が私の方を向いてこう言った:「あなたはなぜそれを自分で書かないのか?」もちろん、私は自分が不適格だと考えていた。私はマルクスが悪い人間であるということを知っていた。なぜなら共産主義が世界においてなしたことをについて知っていたからである。しかし彼については実際にほとんど知らなかった。私はレジオ・マリエにおける私の訓練に戻ることによってこのプロジェクトに対する動機を蓄積した。フランク・ダフは、もしわれわれが何かあることをするように呼ばれたならば、われわれは信仰において歩を進め、水の上を歩き、できる限り遠く進むべきである、そうすれば神が介入なさるであろう、とわれわれに教えた。

それで私は帰宅し、そして言った:「そうだ、もし私がカール・マルクスの生涯を書きたいならば、何をするであろうか?」私は彼について何も知らなかった。それで私は研究を開始した。およそ1年半後に私はカール・マルクス、真の預言者か、それとも偽りの預言者か? という私の書物を書き終えた。それは困難な仕事、私の最初の著作ファチマと大陰謀よりも遙かに難しい仕事であった。しかし少なくともそれは人々に彼がどんな種類の人間であるか、一人の悪魔主義者、教会の敵であるという考えを与えるものである。

私は学生たちが、学校において主祷文をよく知っているのと同じように教会の社会的教えをよく知っているべきであると確信している。しかしながら、問題は学生たちが教会の社会的教えに関して何も知らないということである。私はファヘイ神父と彼のキリストの神秘体に関する、そしてキリストの王権に関するすばらしい著作について何も知らなかった。事態は学校において今日非常に悪いので、子どもたちは十戒を知ることなしに彼らの初聖体を行い告解に行っている。これらの事柄は指摘される必要がある。私が到着して以来三日間以上、そのことをここで述べるには余りにも長すぎるであろうという考えが頭の中でのたうち回っていた。私がいつの日か戻って来てそれらのことについて話せればいいと思っている。今回は即席の話である。私が今あなたがたに言いたいことは子どもたちはパンを求めているのに、石を与えられているということである。今日、羊たちは空腹であり、小羊たちは飢えている。司教様方、未来はあなた方にかかっている。

目 次

2005/12/01 三上 茂 試訳

作成日:2005/12/01

最終更新日:2005/12/01

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