ファチマの聖母マリア

「神の忍耐の限度」

2000

第Ⅲ部:「神の忍耐の限度」

第1章:「神の忍耐の限度」

Father Ninolas Gruner

マリアは人間の霊的な御母です。第二バチカン公会議が言ったように、そして私はそれを引用することを好んでいますが、祝せられたおとめは、われわれによい模範を与えられるがゆえにだけ、われらの御母であるのではなく、われわれを聖化する恩寵の生へとお生みになったがゆえに、われらの御母なのです。ちょうどわれわれの自然的な母がわれわれを自然的な生の中へと生んだ者であるのと同じように、われらの霊的な御母はわれわれを超自然的な生の中へとお生みになるのです。公会議のテキストはラテン語 generavit を用いましたが、それは「彼女はお生みになった」という意味です。このラテン語そしてその意味は彼女がわれらの御母と呼ばれ、そして真にわれらの御母であるのはなぜかその理由に対する真の基礎を指し示しています。

トビアスの彼の息子に対する忠告はこう言いました:「あなたの母があなたを生むときに堪え忍んだ苦しみを覚えていなさい。」確かにこれらの言葉はわれわれの自然的な母親に当てはまります。われわれはそのことに対して母親を尊敬すべきであり、母親を覚えていて、そして感謝すべきです。しかし、われらの霊的な御母が十字架の下でわれわれを霊的にお生みになった時に諸々の苦しみを堪え忍ばれたことに対してわれわれはそれ以上にもっとわれらの霊的な御母に感謝しなければなりません。

聖母がわれらの主、キリストをお生みになったとき、われらの信仰がわれわれに告げているように、それは処女の出産でした。マリアがわれらの主の誕生の前、間そして後に処女であるということは教会の教えの一つの荘厳な決定です。聖母は主をお生みになるときにいなかる苦しみも受けられませんでした。しかし、われわれをお生みになるとき、聖母はすべての殉教者たちを合わせたよりももっと大きな苦しみを受けられました。それが、聖母が殉教者の元后と呼ばれる理由です -- 聖母は御子が十字架上で亡くなられるのを見て苦しまれました。

教皇ピオ十二世が指摘なさっているように、永遠の御父は、もし祝せられたおとめマリアがその自由な同意を与えられず、御子に対する母としての諸々の権利をお与えにならなかったならば、われらの主が十字架につけられることをお許しにならなかったでしょう。

祝せられたおとめは、救い主の御母となることを受け入れられたとき、イザヤの預言を知っておられました。聖母は御子が苦しむ奴隷となられることを知っておられました。聖母は御子の御母として御自分が悲しみに満ちた母となるであろうことを知っておられました。しかし聖母はこの使命を、すべてのもののうちでも一番に、神への愛のゆえに、しかしまたわれわれ一人ひとりに対する愛のゆえに、喜んでそして自由に受け入れられました。だからこそ、われわれは聖母がわれわれをお生みになるときに堪え忍ばれた苦しみに感謝しなければならないのであり、それを忘れてはならないのです。

カルメル山上の預言者エリア

聖ルイ・ド・モンフォールと聖アウグスティヌスはわれわれに、われわれ一人ひとりが祝せられたおとめの胎内に霊的に宿されていると告げています。われわれは、永遠の生命へと入るときに始めて祝せられたおとめから生まれるのです。それが、われわれがカルメル山の聖母のスカプラリオを身につける理由です。そのスカプラリオは御存知のように、旧約聖書のエリアの時代にまで遡ります。エリアは預言者でした。彼は祝せられたおとめに対する一つの非常に特別の信心を持っていました。人々が神に耳を傾けなかったがゆえに、彼がそこに旱魃が来るように祈ったということがありました。それで彼はそこに雨が降らないように祈りました。3年半の間雨が降りませんでした。そしてその地方に大飢饉が起こりました。それからエリアは雨が降るように祈りました。彼はカルメル山の上で祈っていました。神が雨を送られるように彼は6度祈りました。そして彼は6度、雨がやって来るかどうかを見るために彼の助手を山腹まで送りました。彼は海まで下って行きましたが、そこにも雨は降りませんでした。6度彼の助手は同じメッセージをもって戻って来ました。それから、エリアは7度目の祈りをしました。今回は彼の助手アカブが山腹に降りて行ったとき、一つの小さな雲が一本の足の形をして海から出て来ました。この雲は全地を覆い尽くすまでますます大きくなりました。からからに乾いた土地の上に雨が落ちたのはこの雲からでした。エリアは一本の足の形をしたこの雲を通じて、神が彼にある事柄、すなわち、この雲は創世記の女、その足で蛇の頭を踏み砕くであろう女を表しているということを理解しました。それゆえ、エリアはキリストの到来のための準備をするため、われらの主の御母の到来のための準備をするために、カルメル山の上に隠遁者たちのグループを設立しました。

それゆえ、聖母が1251年に聖シモン・ストックのところへ来られ、彼のマントに触れられたのは、エリアと彼の隠遁者たちの後継者たち、特にカルメル会の神父たちのところへでした。それはエリアが身につけていたのと同じマント、前と後ろに膝まで下がり、両肩にかけられたマントでした。聖母はシモン・ストックのマントに触れ、こう言われました:「誰であれこのマントを身につけて死ぬ者は永遠の火に苦しまないように私はします。」

ところで、カルメル会員たちのこのマントは聖母の霊的母性を象徴しています。マントは肩の上に着られるがゆえに、それゆえ、聖母のマントは聖母の霊的な胎内におけるそのすべての子どもたちを覆います。それゆえ、教皇ピオ十二世がそうするようにわれわれに告げておられるように、われわれは聖母の汚れなき御心にわれわれ自身を委ねます。カルメル山のスカプラリオはマリアの汚れなき御心に対するわれわれの個人的奉献のしるしです。聖母はそれが危険からわれわれを救うでしょう、それは平和のしるし、そして救いの保証でしょう、このスカプラリオを身につけて死ぬ者は誰でも永遠の火に苦しむことはないでしょう、とわれわれに約束しておられます。

教会の教父たちそして博士たちはエリアについての聖書のあの個所について解釈をしてきました。そして彼らは、あの雲は二つの理由で祝せられたおとめを表しているとわれわれに告げています。蛇の頭を踏み砕く足を表していることに加えて、その雲は祝せられたおとめの無原罪の御宿りを表す塩水の海から発生した淡水の雲でした。罪深い人類 -- 塩水によって表された -- から罪のない者である彼女を表す -- 塩のない -- 淡水の雲が発生するでしょう。第二に、それはすべての恵みの仲介者マリアを表しています。なぜなら、雨が人類の罪でからからに乾い大地に降り,そしてすべての恵みが祝せられたおとめマリアを通じてわれわれのところに来るのは一つの雲からだったからです。

すべての恵みの仲介者

教皇レオ十三世がわれわれに告げられたように、-- すべての恵みは神から、イエズス・キリストの聖なる人間性を通じて、祝せられたおとめマリアの手を通じて、われわれのところに来ます。神がすべての人に、あらゆる場所で理解するように望んでおられるのはこの偉大な教義上の真理です。それが、神が世界と教会を歴史におけるこの危機にもたらされた理由です。われわれはわれわれの罪のゆえに現在の危機のうちにいます。しかしわれわれの罪でさえ神に奉仕します。神は、人々が平和、恵みそして憐れみが祝せられたおとめマリアを通じて来るということを理解するように、劇的に、いかなるメディアの出来事がそうすることができるよりも遙かに劇的に、祝せられたおとめマリアの栄光を高めるために、われわれをこの危機へともたらされたのです。

われわれはキリストの御血を通じて救われます。しかしもし祝せられたおとめが神に対して「はい」と言われなかったならば、そのときイエズスは人となられることはなかったでしょうし、そしてわれわれのために十字架上でその生命をお捧げになることもできなかったでしょう。われわれの救いは聖母の自由な同意に依存していたのです。その自由意志は単にお告げにおいて与えられただけではなく、十字架の刑そしてわれらの主の死まで続けられ、そしてそれらのことを含んでいました。聖母はこの世におけるこれらのわずかの事柄において忠実であられました。そして神がこの世において聖母に委ねられたこれらのわずかの事柄はわれわれすべてがここであるいは今後委ねられるであろうものを一緒にしたよりも多いでしょう。聖母は天国におられますから、多くの人々の上方に立てられました。聖母はわれらの主と父なる神に何一つ、御子の死さえも、拒まれませんでした。聖母は天国におられますから、聖母の祈りには何一つ拒まれません。

われわれにとって、聖アウグスティヌスがわれわれに教えていること、すなわち、神がその大きな愛においてわれわれに与えようと望んでおられるある種の恩寵、ある種の好意があるということを理解することは重要です。聖アウグスティヌスはまたわれわれがそれらの恩寵や好意に値しないということ、そしてわれわれの弱さにおいてわれわれが、どういうわけか、祈り、あるいは犠牲、あるいは何らかのものによっであれ、それに値したと考えながら、高慢になるであろうということを認めています。神はある種の恩寵やある種の好意をただ諸聖人の執り成しと功績にのみ取っておかれました。ヤチンタは言いました:「神は世界の平和をマリアの汚れなき御心にお委ねになりました。」だからこそ、平和は神がファチマでわれわれに啓示なさった計画を通じて以外には他のどんな仕方でも実現しないでしょう。だからこそ、祝せられたおとめはわれわれに言われたのです:「ただ私だけがあなたたちを救うことができます。」

ある意味において、逆に聖母の下において、ただあなたがた司教たちだけが、そして教皇だけがわれわれを助けることができます。われわれは他のいかなる仕方においても平和を手にすることはないでしょう。神が概略なさり、指示なさった聖母の計画とのあなたがたの協力を通じて以外には数百万の人々の霊魂が失われるでしょう。それは決定的です。神はその考えを変えられないでしょう。

いくつかの預言において、われわれは神が「その考えを変える」ことがお出来になるということを知っています。一人の王が一日か二日以内に死ぬだろうと告げられました。彼は壁に向き直り、そして泣き叫び、神に祈りました。預言者が扉を出て歩いて行ったとき、神は彼に再び語りかけられ、こう言われました:「戻って行って彼に、私が彼の祈りを聴いた、そして彼の生命を15年まで伸ばすと告げなさい。」

ある預言は条件的でり、他の預言は絶対的です。ファチマのメッセージにおいては聖母の言葉の文脈から、これが一つの絶対的な条件をもった一つの絶対的な約束であることは非常に明瞭です。聖母はこう言っておられます:「ただ私だけがあなたたちを救うことができます。」聖母はまたこう言っておられます:「終わりに、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献されるでしょう。ロシアは回心するでしょう。そして平和の一時期が人類に与えられるでしょう。」聖母は最終的な勝利を予告なさいました。しかしただ勝利をではありません。聖母はまたその最終的な勝利の仕方をも予告なさいました。

われわれにとって、われわれを導き、そしてこれらの事柄をわれわれに説明するために、聖母に、誰が智恵の座であり、善き相談の御母であるかと尋ねることは重要なことです。私は聖母がそうして下さると確信しています。聖母は既にわれわれを助けられました。

それはまだ決定されていないけれども、私はマリアがすべての恵みの仲介者であるということは決定可能であると信じています。通常の普遍的教導権のこの教えについて知っている人にとっては、それは信仰において拘束力のあるものです。第一バチカン公会議が教えているように、われわれは、特別教導権が荘厳に決定し教えたことだけを信じる義務があるだけではなく、また教会の通常の普遍的教導権が教えたことをも信じる義務があります。

教皇レオ十三世並びに彼以後のすべての教皇たちの教えにおいて、祝せられたおとめマリアがすべての恵みの仲介者であるということは十分に明瞭です。神が信徒たちにそのことを認めることを望んでおられるということはこの教説から出てくる実践的な結果です。だからこそ、シスター・ルチアが主に、なぜ主は奉献の行為なしに世界に平和をもたらし、ロシアを回心させようとなさらないのかを尋ねたとき、われらの主はこうお答えになったのです:「それは、私の全教会がその奉献を認めることを私が望んでいるからだ」と。

いくつかのファチマの注釈はそれをこう翻訳しています:「私の全教会がその回心を認めることを私は望んでいる」と。いずれの仕方においても、それは最終的には同じことを意味しています -- 「私の全教会がマリアの汚れなき御心の勝利としてその奉献を認め、そのことによって、私の御母の汚れなき御心に対する信心を私の聖心に対する信心の側に置くことを私は望んでいる。」

お求めになったのは神御自身である

シスター・ルチアは、彼女に「奉献を強調することは都合がよいか?」という質問を彼女にした彼女の告解聴聞司祭にこの答を書きました。そしてシスター・ルチアは「私は過去に答えたように答えます」と述べることによって返答しました。そして彼女はこう言いました:「最近私はわれらの主にこのことについて尋ねました。」そして続けてわれらの主のお答えを述べました。私は彼女の答が「はい、強調することが都合のよいことです」という意味であると理解しました。

私は、自分自身で、強調することは必要であるとつけ加えたいと思います。第二バチカン公会議は Lumen Gentium の第 37 節において、信徒が教会の善のために、特に霊魂の救いのために必要であることを彼らの聖なる司牧者たちに注目させる権利、そして時には義務を持っている、ということを教えています。この使徒職において働き、そして諸々の反対を聴いている15年の後に、私は今なお、すべての真理と誠実さにおいて、教会の善のために、教皇と世界中の司教たちが指定されたやり方でロシアを奉献しなさいという天の元后の命令、そして神御自身の命令に従うことよりももっと重要な、もっと緊急な、もっと必要なことは何もない、と言うことができます。「神がお求めになっている時が来ました...」と言われたのは聖母です。それゆえ、聖母はその言葉を話されたのですけれども、その要求をなさっているのは神御自身なのです。

その要求は、シスター・ルチアがいとも聖なる三位一体の荘厳な幻視を受けていたときに与えられました。神秘的な会話において、伝えられているのは単に言葉だけではなくて、また理解です。もし、シスター・ルチアがこれらの言葉を受けていたと同時にいとも聖なる三位一体の神秘の諸局面を承知してならば、確かに聖なる三位一体がまた聖母がシスター・ルチアの心の中へと話されたこれらの言葉の意味を伝えることがお出来になったと信じることは過大な要求ではありません。

1929年から1989年までの60年の間シスター・ルチアは誰とも矛盾する恐れなしに公的に記録されています。1989年以前にはいかなるインチキの手紙類が出回ることもありませんでした。その問題のために、シスター・ルチアが奉献がなされたと言ったとさえ主張した、話しているシスター・ルチアに対するいかなる個人的な証言もありませんでした。また彼女の姪のマリア・ド・フェタルのようないかなる友人、あるいは彼女のよき友人ペスタナ夫人もいませんでした。ただ一つの基本的な例外がありす。その例外とはクレイマー神父が彼の諸論考において「インチキのインタビュー」として言及しているものでした。彼らはわれわれに1982年5月13日にシスター・ルチアに話したと想定されているインタビューをした人々の名前を与える勇気を持ちませんでした。しかしわれわれは、その悪ふざけを働いた人々が手を引いて決してそれを再び試みなかったという出来事についてそのような嘲りをしました。「インチキのインタビュー」を除けば、シスター・ルチアが過去60年間に言ってきたことに矛盾したと誰一人決して主張しませんでした。

シスター・ルチアの証言は重要ではない、結局のところ、ただ彼女は言われたことを繰り返した誰かだと考えられるべきだ、そしてそれがそのことの終わりであるとわれわれに告げる人々がいます。多くの点で私と一致する人々でさえそうです。私は、彼らが、1917年6月13日に聖母が彼女に言われたことを忘れていると思います。聖母がその日両手を広げられたとき、聖母の両手からの光は、それが5月13日に3人の子どもたちの上に落ちたのと同じように彼らの上に落ちました。しかし今回はそれは異なっていました。というのは、一方の手からの光はルチアの上に落ち、そしてそれから地へと下って行きましたが、それに対してもう一方の手からの光はヤチンタとフランシスコの上に落ち、そしてそれから天国へと昇って行ったからです。子どもたちはこの光を理解しました。そして聖母の言葉はそのことを確証しました。聖母はこう言われました:「私は間もなくフランシスコとヤチンタとを天国に連れて行きます。しかし神は、私の汚れなき御心に対する信心を知らせるためにあなたをもう少し長く地上に残すことを望んでおられます。」

ルチアはこのことを悲しみました。というのは彼女もまた天国に行くことを望んでいましたし、また彼女の二人のいとこ、ヤチンタとフランシスコの友情なしに残されることを望まなかったからです。聖母は彼女を見てこう言われました:「わが子よ、あなたは悲しんでいます。悲しまないでください。私の汚れなき御心があなたの慰めとなるでしょう。私の汚れなき御心はあなたの避難所そしてあなたを神へと導く道となるでしょう。」

聖母のこれらの言葉の中に含まれているのは一つの非常に慰めになる考えです。シスター・ルチアがわれわれに告げているように、これらの言葉は彼女自身に宛てられているだけではなくて、マリアの汚れなき御心に捧げられているすべての人に宛てられた言葉でした。神はマリアの汚れなき御心に対する信心を知らせるために、彼女、ルチアを地上にしばらく長く残すことを望まれたのです。その使命を彼女は5回の初土曜日の要求を受け取ることによって果たしました。7月13日に祝せられたおとめは、飢餓、戦争、教会の迫害および教皇の迫害という四つの懲罰に言及されながら、こう言われました:「このことが起こらないようにするために、私は5回の初土曜日における償いの聖体拝領とロシアの奉献を求めに戻って来るでしょう。」

神は再び償いの聖体拝領を求めるために、1925年12月10日に彼女のところに戻って来ることによって更にシスター・ルチアをお用いになりました。シスター・ルチアはドロテア姉妹会の修練女としてポンテヴェドラにいました。彼女は聖母が御子イエズスを連れて御出現になったとき自分の部屋で祈っていました。御子イエズスはおよそ12歳くらいでした。そしてイエズスは雲の上に立っておられました。祝せられたおとめの汚れなき御心は棘で取り巻かれていました。御心は剣で刺し貫かれてはいませんでしたがその周りを棘で取り巻かれていました。御子イエズスが最初に話され、こう言われました:「恩知らずの人々が彼らの冒涜と忘恩によってあらゆる瞬間にそこに置いた棘で取り巻かれているあなたの御母の御心を見なさい。あなたは少なくとも償いをすることによって聖母を慰めてください。」

祝せられたおとめが次に話されました。聖母は既にその左手をシスター・ルチアの肩の上に置いてこう言われました:「5回の引き続く初土曜日に告解に行き、御聖体を拝領し、ロザリオの諸玄義について黙想しながら、私の汚れなき御心に対して償いをする意向をもって、15分間私と共にいる霊魂たちのために救いに必要なすべての恵みを死のときに、私は約束すると私の名において告げ知らせなさい。」

神の忍耐の限度

それは1925年12月10日でした。シスター・ルチアは彼女の告解聴聞司祭と彼女の上長のマザーに告げました。それ以上のことは何も起こりませんでした。それでちょうど2ヶ月と5日後の1926年2月15日に、御子イエズスはシスター・ルチアに会いに来られました。それは次のように起こりました:シスター・ルチアは中庭にゴミバケツをあけに出て来たとき、中庭の門を通ってこの小さな少年が入って来るのを見ました。ルチアは彼をおよそ数ヶ月前に会った少年だと認め、こう言いました:「私があなたに言ったことをしましたか?」彼女が言っていたのは、およそ数ヶ月前に彼女が彼に「めでたし」を祈るように言ったという事実のことです。その時には、彼はシスター・ルチアが彼と一緒に祈らない限り「めでたし」を祈ろうとはしませんでした。彼女は忙しくて彼女の義務を果たす必要があったので、サンタ・マリア・マジョーレ教会がどこにあるか、彼が知っているかどうか尋ねました。その教会は彼らが立っている所からほぼ5分くらいの所のあたりにありました。その子どもは「はい、どこにあるか知っています」と答えました。シスター・ルチアは彼にそこに行き、祝せられたおとめにイエズスを彼の心の中へ入れてくださるよう願いなさいと告げました。それから少年は歩いて行きました。それは数ヶ月前のことでした。彼女はこの日、2月15日まで彼を再び見ることはありませんでした。それで彼女は彼に言いました:「あなたは私があなたに告げたことをしましたか? あなたは祝せられたおとめにイエズスをあなたの心の中へ入れてくださるように願いましたか?」その子どもはそれから彼女の前で変身され、そして言われました:「そしてあなたは私の御母の汚れなき御心に対する信心を促進するために何をしていますか?」

シスター・ルチアはもちろん今イエズスを認めました。彼女はイエズスに、自分は上長のマザーに告げた、そして上長のマザーが自分は何もできないと彼女に答えたと説明しました。御子イエズスはルチアに言われました:「上長のマザーは正しい。彼女自身では何もできません。しかし私と共になら彼女はあらゆることができます。」御子イエズスはまた告解聴聞司祭はメッセージがどこから来たかについて関心を持つ必要はない、彼がしなければならないことは信心に賛成することだと説明されました。

ここにわれわれは、その持続期間がただ2ヶ月と5日であった遅延に対する神の忍耐の限度を見る、とあなたは言ってもよいでしょう。御子イエズスはシスター・ルチア、上長のマザー、そして告解聴聞司祭を非難するために戻って来られなければならなかったのです。それゆえ、またわれらの主が、他の機会に彼女の告解聴聞者の要求でなぜ5回の初土曜日であって、9回の初金曜日のように、9回ではないのか、あるいは聖母の7つの悲しみのための7回ではないのかを、シスター・ルチアによって尋ねられることになったのです。イエズスはお答えになりました:「その答は簡単です、わが娘よ、それはマリアの汚れなき御心を傷つけている五つの主要な罪のためです。」それからイエズスはこれらの罪が何であるかを挙げられました。それらの罪は:

  1. 無原罪の御宿りに対して冒涜をする罪;

  2. イエズスの祝せられた御母の永遠の処女性に対して冒涜する罪;

  3. 人々に対する祝せられたおとめマリアの霊的母性そしてイエズス御自身に対する聖母の母性を否定する罪;

  4. 祝せられたおとめを彼女の聖画像と聖像において攻撃する罪;

  5. 子どもたちの心から祝せられたおとめに対する信心を取り除く罪。

これら五つの罪は特に聖母を傷つけ、そして償いを必要とします。

1929年6月13日に、祝せられたおとめはその御約束を果たすため、そして神が望んでおられることが何であるかをもっと正確に説明するために戻って来られました。聖母はこう約束されていました:「私はロシアの奉献を求めるために戻ってくるでしょう。」この機会に、ルチアは1916年に天使によって教えられた祈りを祈っていました。天使は1916年に、祝せられた秘蹟[聖体の秘蹟]に対する諸々の罪のためにイエズスの聖心とマリアの汚れなき御心に償いの祈りをすることを求めるために来ました。シスター・ルチアは天使のその祈りを6月12日から13日にかけての夜に祈っていました。彼女は彼女の上長たちから聖マルガリタ・マリア・アラコックの祈り、すなわち、月の毎木曜日に聖心に対してする償いの祈り、をする許可を貰っていました。彼女が祈っていたとき、祭壇の灯りを除いては真っ暗であった聖堂が一つの超自然的な光によって照らされました。彼女は、上を見たとき、雲の上に立っておられる聖母を見ました。聖母の横の、十字架上には御子イエズスがおられ、イエズスの頭の上の方に聖霊がおられました。神なる御子、そして神なる聖霊の上方には神なる御父が老人の姿をしておられました。御聖体、ホスチアがわれらの主の脇腹の傷から出て来ました。ホスチアからはホスチアの下の方に空中に吊されたカリスの中へ血の滴りが落ちていました。このすべてのものはイエズスの右腕の下にありました。イエズスの左腕の下には水の形で書かれた「恵みと憐れみ」という言葉がありました。ルチアはわれわれに、この時に、彼女にとって話すことあるいは明らかにすることを許されていないいとも聖なる三位一体の神秘の諸々の局面を理解させられたと、告げています。

聖母は一方の手にロザリオを持ち、他方の手に再び棘で取り巻かれた聖母の汚れなき御心を持っておられました。祝せられたおとめは言われました:「神が、この手段によってロシアを救うことを約束なさりながら、教皇に、私の汚れなき御心へのロシアの奉献をし、また世界のすべてのカトリック司教たちに奉献をするよう命令なさるようお求めになる時が来ました。神の正義が地獄へと断罪し、私が償いを求めるために来た私に対して犯された非常に多くの罪があります。」

ここにわれわれは祝せられたおとめの「復讐」を見ます。聖母は彼女を傷つけたまさにそれらの人々のためにわれわれの祈りと償いを求めるために来られます。棘で聖母の御心を取り巻いたまさにそれらの人々のために。

ちょうど2年2ヶ月後、1931年8月にわれわれは再び神の忍耐の限度に出会います。ルチアはリアンジョにいました。そしてイエズスは彼女にこう話して言われました:「彼らが私の命令の実行を遅らせることにおいてフランスの王の例に従うならば、フランス王と同じように、彼らが彼に従って不幸に陥るであろうということを私に仕える者たちに知らせなさい。彼らはこのことについて後悔するであろう。それから彼らはそれをするであろう、しかしそれは遅いであろう。」

トリンチャード神父はその著書の中で、遅延に対する後悔の行為がもしあるならば、それは以前に従わなかったことに対する何らかの罪悪感があったということを意味すると指摘しておられます。

司教たちは介入しなければならない

一人の司教として聖アウグスティヌスはこう言われました:「あなたと共に私は一人のキリスト者である。そして私はそのことにおいて喜ぶ。あなたのために私は一人の司教である。そしてそのことのために私は震える。」司教たちの責任は神の前で、そして人間の前で、実際大きいものです。われわれは、われわれがまた教皇のために祈るのと同じように、あなたがたのために多くのロザリオを祈ってきました。われわれは奉献のこの行為をなさるように教皇のために1200万回のロザリオの祈りを集めた後に数えることを止めました。われわれは世界中の信徒から多くの聖体拝領や他の信心の行為を集めました。それゆえ、われわれはあなたがたがわれわれの司教様方であるということ、あなた方がこの責任を担われたということに心からの感謝を感じています。そしてわれわれは教皇が教皇であることの十字架を受け入れられたことに心からの感謝を感じています。同時にわれわれはわれわれ自身の義務を理解しています。イエズス御自身がわれわれに告げられたように、「教皇のために祈りなさい、祈りなさい、たくさん祈りなさい。彼はそれをするでしょう。しかしそれは遅いでしょう。」

デアドル・マニフォールドの「ファチマと大陰謀」そしてラルフ・エッパーソンの「新世界秩序」の2冊の書物、並びにファヘイ神父の諸著作の読書から、私は今日われわれが実際取り囲まれているということを見ることができます。われわれは実際司教たちの介入を大いに必要としています。われわれはすべて -- 教皇から司教たち、司祭たち、平信徒まで -- 同じボートの中にいます。われわれは、船を救うことができるのは、ただ教皇と共にあなた方だけであるということを知っています。 それが、シスター・ルチアが「強調することは都合がいいか?」と尋ねられたときに、彼女が答えた仕方である理由です。「実際、強調することは都合がよいことです。」

その時以来多くのことが起こりました。今日諸々の問題のうちの一つは多くの偽りの情報があることです。私はあなたがたのうちの何人かの方がそれについて疑問を持っておられるということを知っています。また、偽りの神学があります。私は私の第2年目の神学において聖書を勉強していたときのことを思い出しますが、私はなぜ神が、聖ペトロと聖パウロに論争をすることを許されたのか、不思議に思いました。私は「これは正しくない。結局、われわれは、プロテスタントの人々があの聖書の節を彼らの手にしたときに、教皇制度を攻撃する彼らに対してどのように自分たちを擁護できるのですか?」と言いました。もちろん、私はその節を私がそうすべきであったようには理解していませんでした。私は、教皇の誤った解釈について同じ感覚を持ち、アンチオキアへの聖ペトロの訪問に関する聖パウロのガラチア人への手紙あるいは使徒行録に精通していないで、ファチマのメッセージに関わっている多くの通俗的作家たちが存在することを恐れています。

聖ペトロは、御存知のように、その機会に教会の最初の公会議であったエルザレム公会議において、救われるためにはあなたは割礼を受けている必要はないということが実際信仰に属するのだ、とまさに決定しました。必要だったことは神の律法、すなわち十戒に対する従順であり、キリストの律法への従順でした。しかしモーゼの儀礼的な律法はもはや必要ではなかったのです。聖トマス・アクィナスはモーゼの儀礼的な律法に従うことは一つの異端の行為であろうということを証明しています。なぜなら、旧約聖書のそれらの秘蹟はキリストの未来の到来に言及していたからです。今日古い律法のそれらの秘蹟に固執することはキリストが実際に来られたということの否定となるでしょう。

聖ペトロは彼がエルザレムで主張した真理に決して反論したのではなくて、あたかも反論したかのごとくに行動したのでした。聖ペトロは割礼を受けなかったカトリック教徒たちと共に食事をせず、ただまた割礼をも受けていたカトリック教徒たちを共にのみ食事をしました。聖書学者たちがわれわれに告げているように、最もありそうな彼の行動がなされたのです。なぜなら、彼は共同体における平和を望んでいたからです。それは一つの非常に健全な動機です。しかし彼の行動はまた、救われるためにはあなたは割礼を受けている必要があるという異端的な印象を引き起こしました。それゆえ、聖パウロは、起こりつつあったことを見て、聖ペトロを面と向かって公的に非難しました。彼は言いました:「あなたは真理のうちに立っていない」と。聖ペトロは、感心なことに、聖パウロが言っていることの真理を認め、彼の行動様式を変えました。それは今聖書の中にあります。

三種類のスキャンダル

今日、あるカトリック教徒たちにとっては、それはある時期にそうであったように、それは一つのスキャンダルです。聖書がわれわれに告げているように、そして再び、聖ルイ・ド・モンフォールが教えておられるように、三種類のスキャンダルがあります。簡単に言って、スキャンダルであるスキャンダルがあります。すなわち、もし私が千ドルを盗んだとしたら、そして誰かがそうしている私を見て、そして彼らが、もしグルーナー神父がそうすることができるなら、私もまたそうすることができると言ったとしたら、私はある人を憤慨させたことでしょう。もちろん、そのことは、単に千ドルを盗むことは悪いことであるからばかりではなく、またある人を憤慨させることが悪いことでもあるから、悪いことでしょう。

弱者のスキャンダルと呼ばれる第二の種類のスキャンダルがあります。聖パウロは彼の時代のカトリック教徒たちに話しているときにそれについて書いています。ところでそれらのカトリック教徒たちは事情に通じていました。彼らは神が、創世記がわれわれに告げているように、食する肉のためである動物たちを含む被造物のすべてを創造なさったことを認めていました。それゆえに、肉を食することには何ら悪いことはありません。たとえある異教徒たちがその肉を犠牲のために捧げたとしても、それはそれ自体で悪いことではありません。しかしながら、聖パウロは彼らの信仰において弱い人々、あまり事情に通じていない人々がいるということを指摘しています。もし彼らが、偶像に犠牲として捧げられた肉をあなたが食べているのを見たならば、、彼らはあなたが偶像崇拝に同意しているという印象を持つかもしれません。聖パウロはそれゆえに、なぜ小さな肉のためにそれらの霊魂を失うのか? と言うのです。もしそれを食することによってあなたが弱い者を憤慨させるならば、正当にあなたのものであるものを取る代わりに、あなたは腹をすかしたまま行くことができます。

ところで、われらの主御自身が攻撃された第三の種類のスキャンダルがあります。それはファリザイ的なスキャンダルと呼ばれます。われらの主は安息日に諸々の奇跡を働かれました -- 病人を癒し、他の諸々のよいことをなさいました。ファリザイ人たちは彼にこう言ったものでした:「それをしてはいけない、なぜならわれわれは憤慨するからだ。」われらの主は御自分のやり方を変えることを拒否なさいました。主は、憤慨した者たちの邪悪さのゆえに、なされなければならないよいことをやめることを拒否されました。フランス語における表現 Honni soi qui mal y pense がここで当てはまります。「悪を考える者には恥あれ」。もし誰かが私が何かよいことをすることによって憤慨するならば、そのときそれは彼らのやり方の邪悪さを示します。むしろ、私は、そのことに関して、私がしていること、あるいは他の誰かがしていることを、することを止めることは間違っているでしょう。というのは、誰かがファリザイ的なスキャンダルを持っているからです。私は、それが、われわれのファチマ奉献十字軍に対して挙げられている諸々の反対のあるものとわれわれが部分的に関わっているものであることを恐れています。

ヨシプ・テレリャは教皇に話しました。ヨシプはわれわれに、グルーナー神父がロシアの奉献の必要性を促進していることをすることから司教たちを彼ら自身の司教区において妨げるものは何もないと、告げています。教皇は彼が奉献の行為をなさる前にこの準備を必要なものとして見ておられます。それが必要であるか、それともそうでないかは問題ですが、しかし確かにこの奉献の十字軍をあなた自身の国のあなた自身の司教区において促進すること、イエズス御自身がシスター・ルチアに、「教皇のために祈りなさい、祈りなさい、たくさん祈りなさい。教皇はそれをするであろうが、しかしそれは遅いであろう」と告げられたように、教皇のために祈りを集めることはよいことでしょう。

教皇は彼の血を流され、そして彼の生命が救われたのはファチマの聖母の介入を通じてであったということを認められました。教皇は最初の弾丸が彼をめがけて発射されたときその青と白のドレスの上にファチマの聖母の姿を着けた一人の少女にキスするためにかがまれました。その弾丸は教皇を殺したことでしょう。弾丸が毒を塗られていたということは広く知られてはいません。たとえ弾丸が教皇を殺さなかったとしても、毒は殺したでしょう。われわれは教皇と一緒に撃たれた二人の女性がまた同じ非常に奇妙な病気に苦しんだがゆえにそのことを知っているのです。おそらく、そのように非常によく知られていないことは、その毒がロシアからではなく、合衆国から来たということです。それは、あなたがそれを資本主義と呼ぼうが、共産主義と呼ぼうが、あるいは社会主義と呼ぼうが、一つの司令部を持っているという事実を示しています。究極的にはそれは地獄からです。しかし地上においてさえそれは同じ人々によって命令されています。彼らは教会を滅ぼすために相互に同盟しています。第二詩編が言っているように、「なぜ地上の王たちはキリストに対して、神と神に塗油された方、すなわち、神とそのキリストに対して怒ったのか?」

われわれは地の王たちが、その大部分、神、キリストとその教会、そして教皇に対して戦っている時代に生きています。ヨシプ・テレリャはまた、教皇がロシアを奉献されない理由は今日モスクワによって教皇に対して加えられている圧力のゆえであると言っています。

教皇はわれわれの助けを必要としておられます。教皇はとりわけわれわれの祈り、われわれの犠牲、そしてわれわれの善意を必要としておられます。私は教皇ヨハネ・パウロ二世と彼の後継者の忠実な子であり続けたいと希望しています。しかし教皇が重要であり偉大であるのと同様に、われわれはまず第一にファチマの聖母に耳を傾けなければなりません。

ファチマのメッセージ全体を宣言することは悪いことではない

「彼らはそれを後悔し、そしてそれをするであろう、しかしそれは遅いであろう。」私は教皇がそうすることを望んでおられるということを確かに信じています。しかしたとえ彼がそうすることを望んでおられない -- 私はそう信じませんが -- としても、われわれにとって、教会によって承認されてきたファチマのメッセージ全体を公的に宣言すること、それがわれわれすべてにとって何を意味しているのかを単純な言葉で説明することは、それでもなお悪いことではないでしょう。われわれにとってそれを宣言しないことが悪い理由は、ペトロがサンヘドリンに、彼らが彼にイエズスの名において話すなと告げたとき、与えたのと同じ理由のためです。「神よりもむしろあなたがたに耳を傾けることが神の目から見て正しいかどうか、あなた方自身で決めなさい。なぜなら、われわれは見たこと、聴いたことを話すことしかできないからである。」

5人の教皇たち -- ピオ十一世、ピオ十二世、ヨハネ二十三世、パウロ六世そしてヨハネ・パウロ二世 -- は皆メッセージについて是認され、皆メッセージの普及を奨励されました。二人の教皇はここファチマへ来られました。教皇ヨハネ・パウロ二世は2度来られました。メッセージについてもし何か混乱があるとすれば、それは教皇を彼らの起源として持っていると主張し、メッセージは重要ではない、あるいはそれは迷信的呪文である、あるいはそれは魔術であると主張する神学者たちのためです。これらの言葉は、冒涜ではないとしても、冒涜すれすれのものです。にもかかわらず、これらの反論はファチマの聖母に忠実であると主張するまさにそれらの人々によって提出されているのです。

本質的な困難は何でしょうか? レゴ司教は次の疑問を出されました:「なぜ教皇は奉献がなされるかもしれないということを示唆するために前面に出て来られなかったのですか?」

私はクラクフの大司教であられたときの教皇について私が知っている一つの小さな物語をあなたがたにお話ししましょう。それは非常に単純な物語です、そしてそれは一つの非常にすばらしい物語です。ウォイティラ大司教はチェストホヴァの聖母への行列を先導するように頼まれました。その時期は教会にとって最悪でした。その時彼は拒否されました。それは、彼がチェストホヴァの聖母に敬意を表する行列に反対だったということではありません。反対に、彼はその時が行列を先導する好時期であるとは思われなかったのです。人々はそれにもかかわらず行列を出発させました。大群衆が参加しました。行列が十分に大きな数に達した時、大司教は御自身それに参加することを非常に喜ばれました。

私は、それが彼のやり方であると考えるがゆえに、この物語を告げています。彼は彼の群の余りにも前方にいることを望まれないのです。彼が、そうすることを望まれることをするに十分な支持があると理解されるとき、そのときには彼御自身もっと幸せにそれに参加されるでしょう。誰でも聖母に対する彼の献身を知っています。

目 次

2005/12/09 三上 茂 試訳

作成日:2005/12/09

最終更新日:2005/12/09

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