ファチマの聖母マリア

「神の忍耐の限度」

2000

附録 I

アルラッパ司教は共同奉献の必要性を強調なさる

この手紙はポール・トゥリンチャード神父の書物恐ろしいファチマ奉献のコピーと共に世界の司教たちに送られました。それは、アルラッパ大司教の手紙がロシアの奉献の必要性とファチマ・メッセージの緊急性を徹底的に強化しているのでこの書物の中に含まれているのです。

R. Arulappa 大司教
マドラスおよびミラポールの大司教(隠退
インド、マドラス、光の聖母教会

1992年、聖木曜日

親愛なる兄弟司教様:

グルーナー神父は私に、あなたがわれらの親愛なる祝せられた御母に示されたとても大きな愛と寛大さに対する彼の敬服について話してくれました。ファチマの聖母に対するそのように強い献身について聴くことは私にとってなんと喜ばしいことでしょう!

それが私が特にあなたに手紙を差し上げ、神父がこの復活祭の季節に贈り物としてあなたにお送りしている同封の書物についての私の考えをお分かちする理由です。

第一に、私は恐ろしいファチマ奉献がまことにわれわれの時代のための書物であると言いたいと思います。トゥリンチャード神父の主要なメッセージの核心は十分に納得し得るものですし、そしてほとんど疑問の余地のないものです。

その書物にはいくつかのコメントがおそらく議論の余地がありますけれども、このことはこの書物が広く普及されるならば果たすであろう大きな有効性と善から何一つ取り去ることはありません。

トゥリンチャード神父にとってそうであるのと同じように、私にとっても、われわれが実際に、ルカ 18:8 においてわれらの主によって:「しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見出されるであろうか?」と言われた、終わりの時代に生きているということは明らかと思われます。

われわれのこの厄介な時代がまさにそのような時代であるということを理解するために何ら特別の理解力を必要としません。今日どこに信仰があるでしょうか? どの国において信仰は栄え、どの場所でそれは栄えているでしょうか?

聖書において予告された一般的な背教が今やわれわれの目の前で起こっています。そして、トゥリンチャード神父が示しているように、最も不幸なことは、この「サタンの煙」(教皇パウロ六世がそう呼ばれたような)が教会のまさに中枢にさえ欠けていないのです。

今や何年もの間、私は少なくとも3人の教皇(ピオ十二世、パウロ六世、そしてわれらの現在の教皇ヨハネ・パウロ二世)が皆、世界を奉献することによって聖母に部分的に従われたが、にもかかわらず、それぞれの教皇は聖母のファチマの要求の最も重要な部分、すなわちロシアの共同的奉献を果たす前に急に止まられたという事実によって当惑させられ、まごつかされてきました。

教皇ヨハネ・パウロ二世自身、(1984年に世界を奉献された後に)聖母がファチマで要求なさったロシアの特殊的な奉献を未だに待っておられるとさえ言われました。

トゥリンチャード神父が示唆しているように、バチカンとモスクワの間のある種の協定がその途上に立ちはだかり続けているということは明らかだと思われるでしょう。明らかにすべての被造物の中で最も狡猾な悪魔は教皇たちをさえ一つの破滅的な状況の中へと誘い込んだと思われます。

1.ファチマに対する諸々の反対とロシアの奉献

奉献に反対する人々のうちのある人々は、それが「私的な啓示」であるがゆえに、妥当なものではないと言います。聖マルガリタ・マリアを通じてのイエズスの聖心の啓示は同様にまた私的な啓示でした。にもかかわらず、それは公的に受け取られ、そして聖心の祝日と初金曜日の信心は制度化されました。

同様に、ルルドでの無原罪の御宿りの啓示は私的なものでした。しかしにもかかわらず、それは4年前に宣言されていたその教義[無原罪の御宿り]を確証するために用いられました。ここでもまた、祝日がルルドでの聖母の御出現を記念して制度化されました。

それではファチマでのマリアの汚れなき御心の啓示はなぜそのような疑いや軽蔑の対象であるのでしょうか? その唯一の理由は悪魔の陰謀がどういうわけか、聖母のファチマの約束の実現を妨げることに成功してきたことであると思われます。

興味深いことに、パレ・ル・モニアル、ルルドそしてファチマの啓示は実際には「新しい」啓示では全然なくて、むしろキリスト御自身によってなされた啓示の確証なのです。それらは、最初の偉大な啓示、そしてキリストを通じて啓示された真理、痛悔しなさい、祈りなさい、償いをしなさい...という言葉において要約され得る一つの真理によって生きるようにという警告であり、嘆願であり、慈悲深い訴えなのです。、

奉献はロシアの内政問題への「干渉」を構成するという理由で奉献に反対する他の人々が今なおいます。奉献は実際一つの非常に特別な種類の祈りです。しかし祈りはいつからどのような否定的な仕方で干渉するのですか?

われわれは、この要求をなさったのが神の御母であったということを決して忘れてはなりません。われわれは、聖母が御自身で求めておられることを知っておられなかったと敢えて信じるでしょうか? 人はただ、「嘘の父」[悪魔]がそのようなことを言う人々の目を巧妙に盲目にしたと考えることができるだけです。

聖母は、奉献を求められたとき、ロシアの権力が非常に大きくなるであろうということそしてロシアは善のためにも悪のためにも両方で巨大な影響力を用いることができるであろうということを知っておられました。

明らかにそうであるように、この要求を遅らせることによって、われわれは善のためにこの力を用い、それを聖母がわれわれに約束なさった回心と平和のために用いる一つの大きな好機を見過ごしたのです。

なぜ聖母はロシアについてそのように関心をお持ちなのでしょうか? それは、それが神の御意志であるからであり、またロシアにおける聖母に対する信心が今日でさえ非常に特別であるからです。そしてしかも、「聖なるロシア」であったもの、そしてあり続けているものは、信仰の欠如のゆえに敵の手の中へと渡されてしまうかも知れないのです。

2.なぜ汚れなき御心なのか? そしてなぜ今なのか?

奉献について苦情を言っている人々の多くは実際は聖心と汚れなき御心の愛すべき訴えに反対していると思われます。実際、彼らは全人類の善のために神によって与えられてきた諸々の警告を拒否しているのです。

要するに、奉献に反対するキャンペーンは実際、征服するためのサタンの最後の大きな努力です。なぜなら、サタンは汚れなき御心の勝利が自分の最終的な敗北であるということを知っているからです。

今、マリアの汚れなき御心をなぜそのように強調するのか? という疑問が起こります。

われらの主御自身がシスター・ルチアに語られたように、それは教会を尊敬させそして御自分の御母に栄光を帰す主のやり方です!もしイエズスのような息子がこの終わりの時代に(救世の業において御自分とそのように完全に協力されたことに対して)御自分の御母に栄誉と栄光を与えることを望まれるならば、その主に疑問を呈するわれわれとは誰なのでしょうか?

諸々の反対にとっての真の問題は、彼らがマリアをわれわれの共同救済者および仲介者として認めることを望まない(おそらくその理由は彼らが教会の外の「分離した兄弟たち」の気分を害することを恐れているからなのです)ということです。

このことは、第二バチカン公会議自身が聖母を代弁者、助け手、恩人、そして仲介者(パラグラフ62、教会の構成)として認めているにもかかわらずに、なのです。

人はただ、彼らがマリアは「まったく独自の仕方で...霊魂たちに超自然的な生命を回復する際に救世主の働きにおいて御自分の従順、信仰、希望そして燃えるような愛のうちに協力なさった」と宣言するとき、第二バチカン公会議によって厳粛に誓っている人々がなぜ公会議教父たちの言葉を無視することを選ぶのか、を不思議に思うことができるだけです。

終わりに、われわれはそれは、マリアの栄光 -- 御父がマリアに与えることを躊躇なさらなかった栄光! -- を引き下ろそうとするサタンの努力であるということを疑うことができません。

3.教皇と司教たちを助けてください

あなたにそれが信じられないことだと思われるとしても、多くの司教がファチマを真剣に受け取って来なかったということは不幸なことに非常に間違いのないことです。そしてそれは何とおそろしく残念なことでしょう!

天と地の元后、人類の御母(そして一つの非常に特別な仕方ですべての司祭たちと司教たちの御母)はあることのために嘆願しそしてこいねがっておられます。そしてそれは今なお真剣に受け取られていないのです。

しかしこの遅い時期でさえ、慈悲深い御母であられる聖母はわれわれを全面的破局から救うためにあらゆることそして何かあることをなされるでしょう。

われわれはそのように多くの司教が心配していないということに驚いたり、あるいは憤慨したりすべきではありません。トゥリンチャード神父が示しているように、教皇たちもあるいは司教たちも司牧的な行政の事柄においては誤り得ない、あるいは不可謬ではありません。(教皇の不可謬性は信仰と道徳だけに限定されています。)それゆえに、思慮に関わる事柄における誤りは非常にあり得るのです。

恐ろしいファチマ奉献における多くの陳述が当該者たちにとってわずらわしいものであるでしょうけれども、われわれは真理が常にわずらわしいものであるということを思い出さなければなりません。そしてわれわれは、われわれの司教たちが神と聖母を喜ばせるために何らかの個人的な痛みを越えて立ち上がることを当然のこととして期待することはできないのでしょうか?

教皇と司教たちはいつ、ロシアの奉献に対する聖母の要求を果たされるでしょうか?

われわれはただ、それが間もなくであろうことを希望し、祈ることができるだけです。今日真に必要とされていることは、教皇と司教たちにファチマの聖母に従い、聖母がお求めになったようにロシアを奉献するために必要とされる恩寵をお与えになるよう全能の神に求める一つの巨大な世界的祈りのキャンペーンです。

これらの状況の中では、トゥリンチャード神父の書物は比類なく価値があると私は思います。それはまた多くの司教たちの目を開かせる助けとなるでしょう。そしてその書物が出来る限り早く司教たちの手に渡されることは確かに最も望ましいこと(必要でさえあること)です。

あなたが、今ロシアの奉献をするために何かあることをすることができるすべての司教、司祭、そして他の影響力を持つ人々にトゥリンチャード神父の書物を取り出すために与えることができる何らかの助けのゆえに聖母があなたに多くの祝福を与えられるだろうと私は確信しています!

あなたとあなたの御家族の上に神の豊かな祝福がありますように祈ります。マリアの御母としての寛大さに依り頼むのに決して遅すぎるということがないということをどうぞ思い起こしてください。

聖母においてあなたの

R. Arulappa 大司教

目 次

2005/12/12 三上 茂 試訳

作成日:2005/12/12

最終更新日:2005/12/12

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