ファチマの聖母マリア

「神の忍耐の限度」

2000

1931年8月の劇的な啓示

裏表紙の説明

シスター・ルチアは、健康がすぐれなかった間、上長たちによってスペイン、ポンテヴェドラの近くの小さな町、リアンジョに送られた。ここで、われわれが「神の忍耐の限度」と呼ぶことができるであろうものをもって、われらの主は、2年2ヶ月前、1929年6月13日にファチマの聖母によって要求されたように、マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献を遅らせているわれらの主に仕える人々の遅さについて不満を述べられた。われらの主は1931年8月にシスター・ルチアに告げられた:

「私に仕える者たちに、彼らが私の命令の実行を遅らせることにおいてフランス王の例にならうならば、彼らが彼にならって不幸に陥ることになるということを、知らせなさい...」

後に、内的伝達によって、われらの主はさらにこう不満を漏らされた:

「彼らは私の命令を心に留めることを望まなかった。フランス王と同じように、彼らは後悔し、そしてそれを行うであろう。しかしそれは遅すぎるであろう。ロシアは既に、諸々の戦争と教会の迫害を引き起こしながら、世界中にその諸々の誤謬を広めているであろう。教皇は多く苦しまなければならないであろう。」

われらの主はここで、1689年6月17日に聖マルガリタ・マリア・アラコックを通じてフランス王に与えられた聖心の要求にはっきりと言及なさっている。当時の社会に認められたフランスの聖人を通して神によって要求されたものとしてのイエズスの聖心にフランスを公的に奉献することの、ルイ十四世王の拒絶の結果として、また彼の息子ルイ十五世および彼の孫ルイ十六世両者の拒絶の結果として、プロテスタントとフリーメーソンの反教会勢力はフランス革命の大混乱を首尾よく成し遂げた。

聖マルガリタ・マリアが王のための神の偉大な計画を書き下ろしたその日からまさに100年後の1789年6月17日に、第三階級が決起し、国民議会を宣言した。1973年1月21日に、その神に対して恩知らずで反抗的なフランスは大胆にもその最もキリスト教的な王の首をはねた。リアンジョでイエズスはわれわれに、歴史のこの暗い章が繰り返されるであろうと警告なさった。そして今回は彼の教会に奉仕する人々、司教たち、そしておそらく教皇自身もその不運な犠牲者の中に数えられるであろうと警告なさった。

われわれは2000年6月26日にバチカンによって公表された第三の秘密の幻視 -- 教皇が、司教たち、司祭たち、修道者たちそして平信徒たちとともに殺されるという幻視を含んでいる -- において似たような描写を見る。1931年のわれらの主のフランス王への言及に照らして見れば、おそらく第三の秘密の幻視は、もし聖母の要求が満たされないならば、近い将来における教皇、司教たち、司祭たちそして平信徒たちを待ち受けている運命の一つの恐ろしい預言である。もしロシアが命令された仕方で聖母の汚れなき御心に奉献されないならば、そのときロシアは「全世界を罰するために神によって選ばれた懲罰の道具」となり、そしてさまざまの民族は、ファチマの聖母が予告されたように、「全滅させられるであろう」。

目 次

2005/11/17 三上 茂 試訳

作成日:2005/11/17

最終更新日:2005/11/17

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