ファチマの聖母マリア

「神の忍耐の限度」

2000

表紙について

ファチマでの公的な大奇跡の後9年経たないうちに、聖母は、1917年に約束なさったように、ロシアの奉献と5回の初土曜日の信心を求めるために、戻って来られた。

1925年12月10日に、われらの主と聖母は、シスター・ルチアにそれを促進するようにお求めになって、償いの5回の初土曜日の要求を説明なさるために、シスター・ルチアに御出現になった。最初、シスター・ルチアは従おうと努力したが、彼女の告解聴聞司祭や上長からの妨害に出会った。その結果、シスター・ルチアは努力することを止めた。それから2ヶ月と1週間後、1926年2月15日に、われらの主はルチアが5回の初土曜日の信心を促進するために何をしているかを尋ねるために戻って来られた。シスター・ルチアは、スペイン・ポンテヴェドラで、当時彼女が入会志願者であったドロテア会の修道院の庭の外で次のように話した:

「...私は自分の仕事で非常に忙しかったです。...私は庭の外にゴミ缶を空けに行きました。数ヶ月前にその同じ場所で私は一人の子どもに出会いました。私はその子に『めでたし』を知っているかどうか尋ねました。その子は『はい』と答えました。そして私は、それを言うのを彼に聞くために私と一緒にそれを言うように頼みました。3つの『めでたし』の終わりに、私はそれを独りで言うように彼に求めました。彼は沈黙を守り、独りでそれを言うことができないように思われたので、私は聖マリアの教会を彼が知っているかどうか、彼に尋ねました。彼は知っていると言いました。それから私は彼に毎日そこに行ってこの祈りを唱えるように言いました。『おお、私の天の御母、私にあなたの御子イエズスをください。』私はこの祈りを彼に教え、そして立ち去りました。」

「そのように、2月15日にいつもの通り(ゴミ缶を空けるために)戻ってくると、私は以前と同じであると思われた子どもを見つけました。そして私は彼に尋ねました。『あなたはわれらの天の御母に御子イエズスを求めましたか? 』その子どもは私の方に向き直って言いました。『そしてあなたは、天の御母があなたにお求めになったことを世界に明らかにしましたか? 』そしてそう言って後、その子どもは一人のまばゆい御子に変わりました。」

目 次

2005/11/17 三上 茂 試訳

作成日:2005/11/17

最終更新日:2005/11/17

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