ファチマの聖母マリア

終わりに

The Fatima Crusader Issue 73, Spring 2003より

マーク・フェロウズ

 ファチマの聖母は子どもたちに言われました。「終わりに私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」注1 問題は、私たちは終わりにいるのでしょうか? ということです。

 バチカンの位階の何人かの影響力を持つ人々によれば、答はイエスです。2000年5月13日ファチマでフランシスコ・マルトとヤシンタ・マルトのための列福式の後、国務省長官アンジェロ・ソダノ枢機卿は数十万人の巡礼者たちに、ファチマの秘密はただ過去の出来事にだけ関わっていたのだと告げました。すなわち、それらの出来事とはロシアの共産主義と教皇ヨハネ・パウロ二世聖下に対する1981年の暗殺未遂事件です。

 信仰教義聖省(CDF)長官ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿はそれに同意しました。『ファチマのメッセージ』という表題のラッツィンガー枢機卿とモンシニョール・ベルトーネによって出された2000年6月の文書の中で、ラッツィンガーはこう述べました:「私たちはソダノ枢機卿と共に...ファチマの第三の秘密が言及している出来事は今や過去の一部と思われる、と主張しなければなりません。」注2

 最近(2001年12月)、バチカンはタルシジオ・ベルトーネ大司教(CDF秘書官)とファチマの御出現の唯一の生き残りの幻視者である95歳のシスター・ルチアとの間のインタビューを公表しました。モンシニョール・ベルトーネによれば、彼らのインタビューの中で、シスター・ルチアは、彼女の以前の諸陳述とは反対に、教皇ヨハネ・パウロ二世が1984年にマリアの汚れなき御心にロシアを首尾よく奉献したと述べました。注3 さらに、モンシニョール・ベルトーネは、シスター・ルチアが、ふたたび彼女の以前の指摘とは反対に、注4 今やバチカンがファチマ第三の秘密全部を公表したと信じていると主張しました。注5

 そこで、バチカンによれば、私たちは1917年7月13日にファチマの聖母によって言及された「終わり」に達したのです。教皇はロシアを奉献しました。そしてファチマ・メッセージ全体が公表されました。聖母は「終わりに」御自分の汚れなき御心が勝利するでしょう、ロシアは回心するでしょう、そして世界は平和の一時期を享受するでしょうと言われました。もしバチカンがそのファチマ・メッセージの評価において正しいのであれば、私たちは今マリアの汚れなき御心の勝利を経験しているのでなければなりません。

ロシアの回心

 読者の皆さんはこのことを理解しないことに対して言い訳をすることが許されるでしょう。ファチマの聖母によれば、ロシアの奉献と同時に起こるロシアのカトリシズムへの回心は微妙でした。ほぼ600万のロシア・カトリック教徒 注6 は、1億4500万の人々の三分の二が分派的な正教会に属している国注7 においては、小さな、法的に迫害を受けている少数派です。その正教会の大主教は教皇がロシアを訪問するのを受け入れることを拒否しています。

 さらに、大主教アレクセイ二世のあるスポークスマンが、教会は「決してカトリックではなかった我が国の人々の間で宣教活動」を試みるかもしれないという憤りを表明した最近の激しい非難のような、正教会からの表明の中にカトリシズムへの隠された、あるいは萌芽的な回心の証拠を見出すことは困難です。注8 ロシアのカトリシズムへの回心はそのように微妙なので、アレクセイはバチカンのロシア・カトリック教会のいくつかの司教区への単なる再編成を「非友好的な行為」と呼んだのです。非友好的な行為について話しながら、4月にはロシア警察はロシア最大の司教区のカトリック司教モンシニョール・ジェルズィー・マズア(Msgr.Jerzy Mazur)を拘留し、そして、何の説明もなしに、彼に戻ることを禁じて、ロシアの土地から追放しました。注9 今や、それは微妙です。

 忠実なロシア・カトリック教徒の小さな残りの者たちが彼らの国のカトリシズムへの回心に気づいていないということはあり得ることです。彼らは、悪い状況を最善のものにすることに慣れていると人は想像します。そしてロシアにおける状況は悪く、底の知れないものとなりつつあります。社会の諸々の指標はカトリシズムへの国家的な回心を指してなくて、野蛮への堕落を指しています。その詳細な点は至るところで記録にとどめられてきましたが注10 しかし、中絶、アルコール中毒そして組織的犯罪の嘆かわしいほどに高い率として簡単に要約することができす。

 問題の不都合な事実はロシアの堕落が教皇ヨハネ・パウロ二世の1984年の汚れなき御心への世界の奉献の後に加速していると思われたことです。注11 ベルリンの壁の崩壊、民主的政府での外見上の諸々の試み、商業主義と西欧文化のロシアへの流入はロシアが数十年の共産主義者による抑圧の後に「正常化し」つつあるしるしとして受け取られました。そのことは論争の余地のあることですけれども、これらのしるし--ロシアの最近のNATOへの編入を含めて-- 注12 のどれひとつも、ファチマの預言の極めて重要性のあるカトリシズムへの宗教的回心の証拠ではありません。

 この点に関してシスター・ルチアが1936年に書いた手紙の一部を思い起こすことは価値のあることです。ロシアの奉献についてのある司祭の質問にシスター・ルチアはこう答えました:

 「私はわれらの主にその問題について話しました。そしてそんなに以前のことではなかったのですが、主に、教皇が奉献することなしに、なぜ主がロシアを回心させられないのですかと尋ねました。(主はお答えになりました。)『なぜなら、私は私の全教会がその奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認め、その結果教会がその信心を後に広め、汚れなき御心への信心を私の聖心への信心の傍に置くようになることを望んでいるからだ。

 『教皇のためにたくさん祈りなさい。彼は奉献を行うであろうが、しかしそれは遅いだろう...それにもかかわらず、マリアの汚れなき御心はロシアを救うであろう。それは彼女に委ねられたのだ』」注13

それゆえ、「それは遅いであろう」けれども、終わりに、マリアの汚れなき御心がロシアを救うであろうということを私たちは神の権威に基づいて手にしているのです。マリアを適切に称えるためには、教皇と司教たちにとってロシアをマリアの汚れなき御心に荘厳な仕方で奉献することが必要なのです。そのときにのみロシアは回心します。従って、世界の奉献は神が求めておられることではないということを力説することは単なる語義論ではないのです。

 汚れなき御心が適切に称えられるように--イエズスは「世界の中に私の汚れなき御心への信心を確立することを望んでおられます」と祝せられたおとめはルチアに告げられました 注14--という神の強い要求があるとすれば、私たちは、ロシアの回心が、その巨大さにおいて--ちょうどレーニンとボルシェヴィキが権力を握る直前の--1917年10月13日の最後のファチマの御出現において起こった太陽の奇跡に似た、注意を集める一つの驚異的な出来事であると考えても間違いではないでしょう。

 そのような出来事が起こらなかったということは--もしそれが必要であったならば--ロシアがなおカトリシズムへ回心しなければならないというさらなる証拠です。その理由は、ロシアがファチマ・メッセージの要求に従ってマリアの汚れなき御心に奉献されなかったということです。

第三の秘密は見ることができる

 聖母はまた、「終わりに」ロシアの奉献、回心と同時に起こる平和の一時期が来るでしょうとおっしゃいました。しかしながら、2001年9月11日の出来事がくっきりと目立たせたように、平和はありません。もろもろの市民戦争とカトリック教会の迫害--特にイスラムによる--が世界中で毎日起こっています。これらの酔いを醒まさせる出来事はアッシジのような十分に宣伝された異宗教間のエキュメニカルな集まりに対する耳障りな対位旋律です。

 私たちはファチマ・メッセージの終わりにいるのでしょうか? 私たちはファチマの聖母がその汚れなき御心の勝利とともに起こるでしょうと約束なさった平和の一時期に生きているのでしょうか? 不幸なことに、このことを支持する事実は何もありません。それでは、私たちはいったいどこにいるのでしょうか?

 私たちがカトリック教会における注目すべき大変動の時期に生きているということは単に統計や無数の公会議後の嫌悪をもよおす話によって支持されたもっともらしい議論だけではありません。それは現在の教皇、その先任者である教皇パウロ六世そしてラッツィンガー枢機卿のような位階の他の有名なメンバーによって証言された一つの事実なのです。彼らが用いた句「信仰の危機」は諸修道会における徹底的な堕落、無味乾燥な、絶えず下落して行く典礼、それに対応するミサ出席の急激な減少、聖体におけるキリストの真の現前という信仰の下落、教皇の権威に対する世界の司教団の無関心あるいは反抗の態度そして信仰の普遍的喪失の他の多くの指標--一言にして、背教のための総てを包括する用語なのです。

 (最近の最も大きな破局は数十年にわたって祈って--praying--きたのではなくて、青少年を食い物にして--preying--きた数百人のアメリカの同性愛聖職者たちの発見でした。少なくとも異性愛の男性の中でなぜ司祭職への召命が減少しているかを不思議に思っている人が誰かいるでしょうか? この最近の危機の気の遠くなるような大きさはアメリカの聖職階級制度の次のような反応によっては軽減されません。すなわち、苦悩なし、良心の呵責なし、悔恨なし。広報被害調整を行う一団体によって演じられるよく管理された記者会見。)

 スキャンダル、異端、逸脱行動の気の滅入るような長々とした説明を文書で証明するよりはむしろ、ほとんどの読者はおそらくすでに、教会には、世界においてと同様に、平和がないということを意識していると言うだけで十分です。マリアの汚れなき御心が教会において勝利なさらなかった 注15 ということは明らかだと思われます。そして汚れなき御心がロシアにおいて勝利なさらなかったということはたぶんこの理由のためです。

 どれが私たちをファチマの第三の秘密へと連れてゆくのでしょうか? そして私たちはどこにいるのかという質問に対する答えへと連れてゆくのでしょうか? 正確に言うと、私たちは、単に平信徒ばかりでなく、司祭、司教、そして枢機卿たちに影響を及ぼしている一つの激しく震動する背教を教会が経験しているということを認めるためにファチマ第三の秘密の正確な内容を知る必要はないのです。しかしながら、すべてのファチマ専門家たち、そしてもちろんシスター・ルチアが、第三の秘密は教会の最高の段階での広汎な背教に関係しているということをあからさまに暗示してきた、あるいははっきりと述べてきたということは興味のあることです。

 教会史の中には背教に支配された他の時期がありました。しかしそれらのうち、公的な御出現において神の御母によって預言され、そしてその時に先だって一つの処方・命令が与えられたことはほとんどありませんでした。もし、たいていの専門家が考えるように、ファチマ第三の秘密が教会の最高段階における背教に関係しているとするならば、祝せられたおとめが第三の秘密は1960年に教会によって公表されるよう望まれたことは確かに重大です。注16 このように、第三の秘密の時が始まったのです。そしてその時は真理からの大きな逸脱と同時に起こっているのです。ファチマの処方・命令に従うまでは、逸脱は続くでしょうし、十中八九加速するでしょう。悪は、善と同じように、それ自身のはずみを、そして無数のまだ見たことのない結果を持っています。

 それゆえ、私たちはどこにいるのでしょうか? 私たちはファチマ・メッセージの「終わりに」はいません。私たちは大背教の時の中に生きています。その時は、1960年に公表されるはずだと考えられていた第三の秘密とほとんど正確に同時に起こっています。私のつまらない意見では、これは単なる「偶然の一致」ではありません。

終わりの前に

 2000年にラッツィンガー枢機卿とモンシニョール・ベルトーネは第三の秘密全体を明らかにするといわれる『ファチマのメッセージ』という表題の小冊子を刊行しました。しかしながら、この文書について奇妙なことは、それがファチマ専門家たちによって第三の秘密の始まりであると一般に信じられている言葉:すなわち、「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう...」という語句を取り上げなかったということです。注17

教会が指名したファチマの歴史家、ホアキン・アロンゾ神父は次のように説明しました:「すべての著者は、どのようにルチアが、第四回顧録の中で、『ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう...』という言葉をともなった有名な節を導入したかを考慮に入れてきました。彼らは第三の「事柄」がそこに始まるということは確実であると推測しました。これらの言葉は秘密の第三部の啓示を導入するのです。」注18

アロンゾ神父はファチマに関する彼の多くの巻数の著作を研究している間にしばしばシスター・ルチアに話しました。フレール・ミッシェルは第三の秘密に関するアロンゾの意見を次のように要約しています:

 「それゆえに、そのテキストが教会内部の信仰の危機、そして司牧者たち自身の怠慢に具体的に言及しているということはまったくあり得ることです。彼(アロンゾ)はさらに『教会のまさに内部での内的闘争そして上層の位階による重大な司牧上の怠慢、教会の上層位階の諸欠陥』について話しています。」注19

 もしアロンゾ神父とフレール・ミッシェルが正しいならば、多くの事柄--ファチマの第三の秘密を明らかにしているとされているが、しかし実際は秘密の唯一の知られてている語句を省いている、ラッツィンガー枢機卿とモンシニョール・ベルトーネによる小冊子の発行--が説明されます。注20

 シスター・ルチアは聖職者をしっかりつかまえた「悪魔的な方向感覚喪失」について話しました。実際、教会と世界における悪の水準を客観的に見るとき、そして次に高名な教会人たちが、悲惨のこの哀れな時期を「人間性の新しい到来」あるいはもっと悪いことに、聖霊の働きとして説明するのを聞くとき、方向感覚を失っていると感じることは容易です。公会議以前の諸教皇が現在の楽観主義を共有していなかったということに注目することは興味のあることです。

 第二バチカン公会議が開かれる前5年にはならない時期に亡くなった教皇ピオ十二世はこう宣言しました:

 「われわれは現在の時がキリストによって予告されたもろもろの出来事の恐ろしい局面であると信じています。暗闇が今にも世界の上に落ちかかろうとしているように思われます。人類は極度の危機につかまれています。」注21

 彼の先任者、教皇聖ピオ十世は次の幻視を語りました:「私は、私の後継者たちの一人が彼の兄弟たちの死体の上を飛んで行くのを見ました。彼はどこかに変装して逃避しようとしています。そして短い引退の後に彼は残酷な死に方で死にます。世界の現在の邪悪さは世界の終わりの前に起こらなければならない悲しみの始まりに過ぎないのです。」注22

 聖ピオ十世教皇の幻視はラッツィンガー枢機卿とモンシニョール・ベルトーネが第三の秘密全体として描写したシスター・ルチアの幻視に似ています。シスター・ルチアは一人の教皇が「半分廃墟になった大きな都市」の中を少数の残りの者たちを、多くの死体を通り過ぎ、険しい山を登って一つの十字架へと導いて行くのを見ました。そこで教皇と彼に従う人々は一団となって殺されます。注23 聖ピオ十世教皇とシスター・ルチアの幻視は福者ヤシンタ・マルトの泣いている教皇についての幻視を思い起こさせます。教皇は敵たちによって取り囲まれ、「その頭を両手に埋めてテーブルの傍に跪いて」います。そしてその幻視は「飢えで泣いており、食べるものを何ももっていない人々で一杯の幹線道路や道路、野原」注24 の幻視です。

 ヤシンタの幻視はしばしば第二次世界大戦と教皇ピオ十二世に言及していると考えられています。しかしヤシンタは一つの未来の葛藤を示されたのかもしれません。マックグリン(McGlynn)神父が1950年に指摘したように、「彼女の(マリアの)メッセージの中にはこれ(平和)がもう一つ別の戦争の前に達成されるであろうという指摘は何もありません。」注25 しかしながら、問題は、ルチアとヤシンタによって--そしてたぶんピオ十世によって--見られた出来事が、「終わり」の前に、すなわち、マリアの汚れなき御心の勝利、ロシアの奉献と回心、そして平和の時期の前に実現するかもしれないということです。アロンゾ神父は言いました:

 「マリアの御心の最終的な勝利は確実であり、そしてそれは決定的であるでしょう。しかし、それは「終わりに」、すなわち、火、血そして涙の洗礼のうちに、罪深い人類の恐るべき浄化の後に、起こるでしょう。」注26

 アロンゾ神父の言外の意味は酔いを醒ますものです。彼は、私たちが「悲しみの始まり」にいるという点で聖ピオ十世と一致していると思われるでしょう。どれほどもっと多くの破局が、ファチマの処方・命令に私たちが従う前に起こるのでしょうか。

勝利の幻視

 ラッツィンガー枢機卿とモンシニョール・ベルトーネの『ファチマのメッセージ』におけるシスター・ルチアの幻視は第三の秘密に言及していると考えられています。そしてそうかもしれません--その内容から見て、それはまた第二の秘密と一般に呼ばれているものをも意味し得るけれども--。その第二の秘密とは:諸国が絶滅させられ、善人が殉教し、教皇が「多く苦しむ」という結果に終わるロシアの誤謬についてのマリアの警告です。他のファチマの幻視は一般に第一の秘密と呼ばれているものに関わっていました。すなわち、彼らのために祈り、犠牲する人が誰もいないので、--雪片のように、とルチアは言っています--地獄へと堕ちて行く多数の霊魂の幻視です。  しかし無視されてはならないもう一つのファチマ幻視があります。それは1917年6月13日の御出現の間に起こりました。ルチアに「私の汚れなき御心はあなたの避難所となるでしょう」と約束なさった後で、マリアは両手を、ミサのときの主はあなたたちと共に Dominus vobiscum--ルチアは後にそれと比較しました--のジェスチャーで開かれました。注27 聖母の手のひらからは、同時にフランシスコとヤシンタを天に連れてゆき、地上にいるルチアを浸すと見えた「おびただしい光」の線が放射しました。

 「聖母の右手の手のひらの前にはそれを貫き通している棘によって取り囲まれた一つの心臓がありました。」ルチアはこう言いました。「私たちはこれが人類の罪によって蹂躙され、償いを求めているマリアの汚れなき御心だということを理解しました。」注28 聖母の手のひらからの光は「私たちの心の奥底まで貫きました」とルチアは言いました。こう付け加えながら:「私は、その日には、この光の主たる目的が私たちの内部にある特別の知識とマリアの汚れなき御心に対する愛とを注ぎ入れることであったと思います。ちょうど他の二回の場合には、神といとも聖なる三位一体の神秘に関してそうなさることが意図されていたのと同様に。」注29

 「その日以来」とルチアはその第三回顧録の中に書いています。「私たちの心はマリアの汚れなき御心に対するいっそう熱烈な愛でいっぱいになりました。」注30 汚れなき御心のこの勝利は幻視者たちの生活の中でどのように見えたのでしょうか?

 その多くは、祝せられたおとめの生活と同じように、隠されていました。子どもたちはマリアが彼らにお与えになった秘密を守りました。彼らは、聖書が「これらすべてのことを心の中で思いめぐらしている」とマリアを記述しているのと同じ仕方で、それを彼らの心の中で思いめぐらしていました。彼らはたくさん祈りました。そして痛悔と苦しみに対する渇きを強めました。ヤシンタ、フランシスコそしてルチアが皆強い結び目のある縄を身に帯び、彼らの年代の子どもとしては非常にまれである他の肉体的な苦行をしていたということが後になって分かりました。

 たぶん苦しみに対する彼らの熱意は祝せられた三位一体への愛の外的な現れだったのです。ルチアは以前の御出現においてマリアが彼らに神と聖三位一体の親密な知識を準備されたのだと言いました。祝せられた乙女よりもよく、神をどのように愛するかということを誰が私たちに教えることができるでしょうか? 神をどのように喜ばせるかをどの被造物がもっとよく知っているのか、あるいは神が望んでおられることをどの被造物がもっと熱心に望むでしょうか? そしてもし神が、あの子どもたちがイエズスとマリアのみこころに対して犯される罪を償うために痛快と苦行をすることを望まれるとすれば、このことは私たち残りの者にとって何を意味しているのでしょうか?

 マリアのマントは彼女のすべての子どもたちを覆うために拡がります。しかし、それは彼らをその十字架から保護しません。その代わりとして、適切に用いられた十字架は神の愛を加速し、被造物と創造主の間のより親密な知識を発達させます。フランシスコ・マルトは、病気が彼を床につききりにさせたとき、その最後の日まで祝せられた秘蹟[御聖体]の前で彼のすべての自由な時間を過ごしたほどに強い「隠れたイエズス」に対する愛を発達させました。彼はルチアに、自分が多く苦しんだということを告白しました。そしてこうつけ加えました:「そんなことはかまわないんだ。ぼくはわれらの主を慰めるために苦しむ。そしてもうすぐ主と共にいるでしょう。」注31

 彼が死んだとき、ヤシンタは病気が余りにも重くて、彼の葬式に出席できませんでした。彼女はフランシスコが死んだベッドに置かれました。しかし、自分の家や家族から遠く離れて死ぬことが彼女の運命でした。彼女は汚れなき御心を熱愛していました。そして祝せられたおとめがヤシンタに多く苦しんだ後にリスボンの病院でひとりで死ぬことになるということをお示しになったとき、少女はそのいやな運命を涙でもって、しかし不平をこぼさずに、抱きしめたのです。ヤシンタはルチアに告げました:「私を燃やし、イエズスの聖心とマリアの御心を私にたいそう愛させるために私がここで私の胸の中に持っているあの光をみんなの心の中に置くことができさえすればいいのに。」注32

 ヤシンタがそう呼んだように、「天の小さなお母さん」は子どもたちに、あなたたちは「たくさん苦しむでしょう」と告げられました。しかし、彼女は「神の恵みがあなたたちの慰めとなるでしょう」と約束なさいました。ルチアにはもう一つ約束を加えられました。「私は決してあなたを見捨てません。私の汚れなき御心はあなたの避難所、そしてあなたを神に導く道となるでしょう。」注33 見捨てられないという保証はたしかに彼女のいとこたちと同じように、隠れた悔悟の長い生活の間、シスター・ルチアを慰めるために意図されたものでした。

 これらの子どもたちの生活は祝せられた乙女の生活にいかに似ていることでしょう。聖母の御心は悲しみの剣と悲嘆の棘によって再三再四貫かれました。マリアが十字架を避けられなかったように、マリアに従う人は誰一人十字架を避けることはできません--それが三人のポルトガルの羊飼いの子どもたちであれ、あるいはロシア・カトリック教徒の残りの者であれ--。どれだけ長くかかろうとも、マリアは最後に普遍的に勝利なさるでしょう。なぜなら、神がそのようにお定めになったからです。それまでは、霊魂たちの生活におけるマリアの汚れなき御心の勝利はマリア御自身の生活と同じように、あるいは完全に神のうちに没頭した生活のように、謙遜で隠れたものです。

 世間の目には、そのような勝利は、十字架の勝利がサンヘドリンにとってそうであったと同じように、理解不可能なものです。マリアの子どもたちであることを望む人々が、見るための目、聞くための耳、そしてすばらしい愛の私たちの母のこの悲しみに満ちたそして汚れなき御心に最後まで従う恵みを与えられますように。

 脚注:

(1)Fr. Louis Kondor, SVD, Editor, Fatima in Lucia's Own Words, The Ravengate Press, p,162.

(2)The Message of Fatima, The booklet published by Cardinal Ratzinger and Mgr Bertone on June 26, 2000.

(3)シスター・ルチアは事実有効な奉献はロシアを名を挙げて明白に言及しなければならない、そしてはっきりと世界の司教団を含まなければならないと首尾一貫して主張していました。教皇ヨハネ・パウロ二世の1984年のマリアの汚れなき御心への世界の奉献はそのどちらも行いませんでした。

(4)イタリアの日刊紙la Repubblicaのウエッブ・ページはシスター・ルチアの古い友人であるLuigi Bianchi神父とのインタビューを載せました。そのインタビューの中でビアンキ神父はルチアが、バチカンは第三の秘密の「水で薄めた」版を出したにすぎないという彼の評価に同意したと言いました。Catholic Family News(CFN)の2001年11月号はその英語訳つきのイタリア語でのその論考の写真複写を公表しました。

(5)2001年12月20日にバチカンによって出された新聞発表から。そして後に2002年1月29日のL'Osservatore Romanoの英語版において公表された。

(6)しかしながら、あらゆることが議論されています。正教会はロシアにはこのように多いカトリック教徒は存在しないと主張しています。バチカンはロシアのカトリック教徒の人口は1300万人だと述べています。

(7)2002年4月1日モスクワからのAP News Reportから。見出しは「ロシア正教会の長はバチカンとの対話は保留となったままだと言っている」。

(8)「ロシアの正教会はバチカンの司教区計画によって怒っている」と2002年2月11日のAgence France Presseは報道しました。

(9)2002年4月20日のFides News Report からのCatholicにおいて報道されたとおりです。

(10)2000年夏のCatholic Family News(CFN)において公表された『この現在の暗闇』シリーズにおけるこの論考の著者によって。

(11)ロシアがマリアの汚れなき御心に奉献されなければならないというファチマの聖母の要求が満たされたということはある人々によって主張されてきました。そのような主張は一般にそれを支持する証拠を提出することなしになされています。

(12)ロシアの大統領ウラディミール・プーチンはNATO条約に調印したとき、世界テロリズムに対して合衆国と一緒に戦うと誓いながら、ローマ近郊の5月サミットの会合で大成功の成績を収めました。プーチンは教皇ヨハネ・パウロ二世を真似る最善を尽くしながら、記者団にこう語りました。「われわれは、われわれを結びつけるものがわれわれを分割するものよりまさると確信している」と。news.colm.auを見よ。--"NATO-Russia pact signed, May 29, 2002."

(13) Frere Michel de la Sainte Trinite , The Whole Truth about Fatima , Volume II, Immaculate Heart Publications, p.631.(以下、TWTAFとして言及)イタリック体にした言葉はシスター・ルチアに対するわれらの主の答えです。

(14)Fatima in Lucia's Own Words, p.161.

(15)現在の典礼暦においては汚れなき御心の祝日は選択的(祝っても祝わなくてもどちらでもよい=訳者注)です。--これは考えられる限り最低のランクです。

(16)TWTAF, Volume III, p.472.1946年にカノン・バルタス(Canon Barthas)に秘密はなぜ1960年に明らかにされなければならないのかと尋ねられたとき、ルチアはこう答えました:「なぜなら、祝せられたおとめがそれをそのように望んでおられるからです。」このことはまた、ルチアの司教、ダ・シルヴァ司教の答えでもあります。

(17)Fatima in Lucia's Own Words, op.cit., p.162.(Lucy's fourth memoir).

(18)Father Joaquin Alonso, C.M.F., The Secret of Fatima, Fact and Legend, Revised Edition, The Ravengate Press, Cambridge, 1979. pp.69-70.

(19)See Frere Michel, The Whole Truth about Fatima , Volume III,p.704,published by Immaculate Heart Publications. Frere Michelはアロンゾ神父のThe Secret of Fatima, Fact and Legendのスペイン語訳から引用しています。

(20)なぞめいた、説明のない脚注を除いて。

(21)Yves Dupont, Catholic Prophecy, The Coming Chastisement, Rockford, Illinois, Tan Books, 1970, p.22において引用されているように。

(22)同上書、p.22において引用されているように。

(23)Cardinal Ratzinger and Msgr.Bertone The Message of Fatima, p.17.

(24)Kondor, op. cit., pp.108-9において引用されているように、ルチアの第三回顧録から。

(25)Thomas McGlynn, O.P., Vision of Fatima, Little, Brown And Company, Boston, 1950, p.213.

(26)Catholic Counter Reformation Journal, English language translation, August 2000, p.30 において引用されているように。強調は筆者の付加。

(27)McGlynn,op.cit., p.95.ルチアはまた祝せられたおとめを「光の波」に身を浸しておられる方として記述しました。(p.103.)

(28)Fatima in Lucia's Own Words,Fourth Memoir, p.161.

(29)Fatima in Lucia's Own Words,Third Memoir, p.107.

(30)Ibid., p.107.

(31)William Thomas Walsh, Our Lady of Fatima, The Macmillan Company, New York, 1947, p.168.

(32)Ibid., p.178.

(33)Fatima in Lucia's Own Words,p.161.

2003/11/01 三上 茂試訳

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作成日:2003/11/01

最終更新日:2005/03/19

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