聖体拝領について

 2003年4月17日に出された回勅「教会にいのちを与える聖体(ECCLESIA DE EUCHARISTIA)」の中で教皇ヨハネ・パウロ二世は次のように言われています。(カトリック中央協議会発行 教皇ヨハネ・パウロ二世回勅 教会にいのちを与える聖体 から引用)

51 「...第二バチカン公会議は、健全かつ適切なかたちで『インカルチュレーション(文化内受肉あるいは文化内開花)』が必要であることを認めた....そこ(世界各地)では、さまざまに異なる文化の表現・様式・感じ方が感謝の祭儀に取り入れられていました。時代的・場所的状況の変化に適応しながら、聖体は個々人と民全体に糧を与えます。...しかしながら、この適応という重要な作業は、聖体といういい表しがたい神秘をたえず意識しながら進められる必要があります。どの時代の人々も、この神秘に照らして自らを計るよう招かれているのです。この『宝』はたいへん重要で貴重なものです。ですから、教会の担当者が慎重に検討を加えないうちに、実験的な形式や典礼を導入して、その内容を薄めたり、傷つけるような危険にさらしてはなりません。さらに、聖体の神秘は中心的なものなので、こうした検討は聖庁との緊密な協力のもとに行われる必要があります。....『このような協力は必要不可欠です。すべての人によって告白される同一の信仰を表現し祝う典礼は、教会全体の遺産であり、普遍教会から孤立して地方教会が決定することはできないからです』

52「...司祭は、祭儀に直接あずかる共同体に奉仕するだけではなく、同時に普遍教会にも奉仕します。感謝の祭儀はつねに普遍教会にあずかりながら行われるのからです。悲しむべきことですが、とくに公会議後の典礼改革の過程で、創造性と適応に関する誤った考えから、多くの誤用が生じ、それが多くの人を苦しめています。...そうした試みはしばしばまったく不適切なものです。
それゆえわたしは、これをわたしの責務であると考えて、強く訴えたいと思います。感謝の祭儀について定めた典礼規則を忠実に守らなければなりません。これらの規則は、聖体が本来持っている教会的性格を具体的に表現したものです。

 ...現代においても、あらゆる感謝の祭儀において一なる普遍教会が現存することを思い起こし、そのことをあかしするものとして、典礼規則をあらためて見直し、評価することが必要です。司祭が典礼規則に忠実に従いながらミサをささげ、共同体が典礼規則に従うとき、彼らの教会への愛が静かに、しかし雄弁に示されるのです。まさにこのような典礼規則の深い意味をより明らかにするために、わたしはローマ教皇庁の担当の省に、より詳細な文書を準備するように命じました。この文書には、このきわめて重大なことがらに関する、法的な性格を帯びた警告も含まれています。」

その法的な性格を帯びた警告の含まれた文書とは2004年3月25日付で教皇庁典礼秘跡省から公布された Redemptionis sacramentum 「あがないの秘跡」だと思われます。その中では次のようなことが指摘されています。(エウカリスチアの会 『指針 あがないの秘跡』 試訳 から引用)

90 信者は、司教協議会が決定し使徒座が認可したやり方でひざまずくか立って拝領します。しかし、立って拝領する場合、決定された規則に従って、秘跡を受ける前にふさわしい尊敬を表すよう勧められています。

91 聖体を配るにあたっては聖務者は、適切に秘跡を求めるものに対し、そのものがふさわしく準備しており、かつ教会法上秘跡の拝領を禁じられているものでないならば、それを拒んではならないということを記憶しておくべきです。ですから、洗礼を受けていて、教会法上問題のない信徒はみな、聖体拝領を許されなければなりません。したがって、例えば、ひざまずいて聖体を受けたがっていたり、立って受けたがっていたりするという理由だけで信徒が拝領を拒否されるのは違法なことです。

92 信徒は常に各自の選択で、舌のうえに聖体を受ける権利があります。拝領者が秘跡を手に受けたければ、使徒座に認可された司教協議会の管轄下ではそれを許可し、神聖なホスチアは手に載せられます。しかし、拝領者が聖体を手に持ったままでどこかへ行ってしまうことのないように、ホスチアが聖役者の見ているところで確実に食されるよう注意しなければなりません。もし悪用の危険がある場合は、神聖なホスチアは信徒の手に与えられるべきではありません。

手による聖体拝領についての真実

みこころネット(表紙)

作成日:2006/05/16

最終更新日:2006/05/16

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