ファチマの聖母マリア

明らかにされたファチマの秘密

The Fatima Crusader Issue より

序論

5月13日から10月13日の一連の御出現において一般公衆に対して聖母によって与えられたファチマのメッセージの他に、聖母は1917年7月13日にシスター・ルシアと教会当局によってすべての信者に後に与えられることになった一つの秘密を明かされた。

その秘密は三つの異なった部分に分けられる。そしてシスター・ルシアは彼女の司教の承認と共に1941年に最初の二つの部分を明らかにした。第三の部分は1944年1月2日から1月9日の間に書き止められた。それは彼女の司教への聖なる従順の下に、そしてファチマの聖母がシスター・ルシアに、実際神が秘密の第三の部分が今書かれるべきであると確証なさった後に書かれたのである。(秘密の第三の部分は通常第三の秘密として言及される)。教皇とレイリア司教はそれを直ちに読むことができた。

聖母は秘密のこの第三の部分は遅くとも1960年までには信者に知らされることを求められた。秘密の第一および第二の部分と同様に、それは明快で、容易に理解されるものである。秘密の第二の部分と同様にそれは預言的である。われわれは今第三の秘密を生き延びているのである。あなたは永遠の破滅からあなたの霊魂とあなたの愛する者の霊魂を救うためにその内容を知る必要があるだろう。

第三の秘密はフレール・ミッシェル によって明らかにされてきた。彼は4年間の研究の後にこの研究を書くのに最も資格のある人物である。彼の結論は16年間にわたってファチマの公式の記録保管人であったアロンゾ神父の結論と同じである。あなたはこの研究を読み終えるときには、あなたが実際第三の秘密の実体を知っているということを知るであろう。

これは一つの深い、読みやすいそしてにもかかわらず深く感動させられる研究である。というのは、それはヴァチカンが34年間にわたって葬ってきた秘密に確実に迫っているからである。この記事は教会に対して、数百万の霊魂の救いに対して、そして究極的に世界史に対して大きな衝撃を与えるはずである。

ファチマのメッセージは一つの天上の光、二十世紀に対する恩寵と救いの機会、教会史のなかで比べるもののない一つのメッセージそして一つの出来事、今日までなお明らかにされていないわれわれの時代の最も重大で重要な出来事である。それゆえ、またこの研究は、それが最終的に、それがひとたび広く知られるようになると教会と世界をアンティキリストの勢力から救うであろうショッキングな、しかし役に立つ秘密をあなたに告げるから、重大で重要である。

現在これらの悪魔的な勢力は数百万の霊魂を永遠の破滅へ、そして全世界をアンチキリストへの奴隷化へと陥れようとしている。一方で、多くの国が「絶滅させられ」、「地の表から拭い去られ」るであろう。

これらの言葉を読み、それらについて熟考し、そしてそれらを他の人々に分かちなさい。この研究の内容はファチマの第三の秘密を明らかにしているから、それが広く知られるということが最も重要であり最も緊急を要することである。

この知識はサタンがわれわれを繋ぎ止めている鎖から人類と教皇を救う力を最終的に解き放つであろう。この秘密は教皇ヨハネ・パウロ二世がファチマで「諸国および全人類の上に迫っている殆ど黙示録的な脅威」と呼ばれたものを避けるための鍵である。


「明らかにされたファチマの秘密」

聖三位一体のフレール・ミッシェル


ファチマの第三の秘密は公式にはまだ明らかにされていないので、一見するとわれわれはその内容について何も知り得ないということは明らかであるように思われる。しかしながら、これはただ見かけの上でだけそうである。なぜなら、この重要な秘密が、それが1917年に聖母によってアルジュストレルの三人の羊飼いの子どもたちに明らかにされたとき、あるいは1944年にシスター・ルシアによって書き留められたとき、あるいはなお再び1960年に教皇ヨハネ23世によって世界に公式に明らかにされるはずであったときには、絶対的に知り得ないものであったとしても、そのことは今日ではもはや通用しないのである。なぜなら、40年以上にわたって、それに関する多くの確実な事実が知られるようになったからである。

それらは今日、そこから歴史家がその全歴史を跡づけ、その本質的な内容をかなりの程度確実に明らかにすることができる確実な情報の一つの印象的な量を形成している。そのようなものは第三の秘密の神秘に完全に捧げられている『ファチマに関する全真実』という私の三巻の書物を書くことにおける私の二重の関心であった。

簡潔に纏めなければならなかったので、それを単純化し、そしてその多くの部分を要約したけれどもそうしながら、私があなたに提示しようとしているのはこの詳細な論証である。しかし、私は聖母のこの最後の秘密がどれほど重要であるかをあなたに示すためにそれについて十分に語るであろう。聖母の要求に従ってそれが世界に明らかにされるということが、いかにファチマのメッセージのまさに核心であるか、そして最後にそのことが教会の善のためになぜ緊急のことであるのかを示そうと思う。

I. 第三の秘密のドラマ

シスター・ルシアが最初にファチマの秘密の三つの異なった部分への区分について言及したのは1941年7月/8月の彼女の第三の覚え書きにおいてであった。「秘密は三つの異なった問題から構成されています」と彼女は書いている。「そして私はそれらのうちの二つを明らかにするでしょう」。第一は地獄の幻視と霊魂の救いのために神によって人類に提供された至高の救済策としてのマリアの汚れなき御心の指摘である。「霊魂を救うために神は私の汚れなき御心への奉献を世界の中に確立することを望んでおられます」。第二は、マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献と月の第一土曜日の償いの聖体拝領の実践を通じて神が世界に与えようと望まれている奇跡的な平和に関する偉大な預言である(注1)。「もし人々が私の命令を守るならば、ロシアは回心し、世界は平和を保つでしょう」。そしてまた、もし人々が聖母の要求に従わないことに固執するならば、恐るべき罰が下されることの告知もある。秘密の第三の部分に関しては、1941年にシスター・ルシアは今のところ彼女はそれを明らかにすることを許されていないと述べている。

秘密の書き下ろしと伝達

この重要なメッセージの書き下ろしと伝達についてのドラマチックな説明は1943年に始まる。摂理の時刻がそのとき打ったのである。シスター・ルシアはそのとき、スペインのトゥイのドロテア会修道院で生活していた。1943年6月に彼女は突然重い病気にかかった。彼女の状態は非常に危険だったので、レイリアの司教、ダ・シルヴァ司教は心配になった。彼は彼女が聖母の第三の秘密を明らかにする前に死ぬのではないかと恐れ、それは教会に対する一つの例外的な恩寵の喪失であろうと考えた。司教の友人であり忠告者であった聖堂参事会員カランバはそのとき、彼に一つの非常に賢明な考えを示唆した。すなわち、司教は少なくともシスター・ルシアに直ちに第三の秘密のテキストを書き下ろすことを求め、そして次に彼女が後に開封されるように蝋で封印された封筒の中にそれを入れるということである。

それゆえに、1943年9月15日にダ・シルヴァ司教はトゥイに行き、シスター・ルシアに「もし彼女が本当にそう望むならば」秘密を書き下ろすように頼んだ。しかし、この幻視者は確かに聖霊に鼓舞されてこの曖昧な命令に満足しなかった。彼女は彼女の司教に一つの書かれた命令、形式的で完全に明確な命令を要求した−それは非常に重要なことである。ファチマの聖母の最後のメッセージは以前の聖母の他の要求と同じように、驚くべき約束と結びついていた。それはわれわれの二十世紀に、その最も緊急な必要に応じるために、神によって提供された一つの例外的な恩寵である。しかし再び、教会の司牧者たちが、神がその無原罪の聖母の甘美な黙想を通じて世界に与えることを欲しておられる恩寵のこの流出の道具となるために天の計画に対して十分な信仰と従順を持つ必要がある。1943年に神はそれがレイリアの司教であることを欲された。レイリアの司教はこのメッセンジャーが第三の秘密を書き下ろすことを要求した。

最後に、1943年10月半ばにダ・シルヴァ司教は決心した。彼はシスター・ルシアに、彼女に彼女が彼に嘆願した明白な命令を与えて、手紙を書いた。しかしながら、今や諸困難が起こった。シスター・ルシアはその当時殆ど3カ月の間ある不可思議なそして恐るべき不安を経験した。彼女は、彼女が仕事机の前に坐り、秘密を書き下ろすためにペンをとる度毎に、そうすることを邪魔されるのを感じたと語った。明らかに、われわれは無原罪の聖母のメッセンジャーに対するサタンの最後の攻撃をそこに見なければならない。

この偉大な預言がサタンの霊魂に対する支配と教会のまさに核心へと入り込もうとするサタンの計画に対するどのように恐るべき武器であるか、遂行されようとしていた壮大な出来事の大きさをこのように示した幻視者によって堪え忍ばれたそのような試練を考えるならば、秘密は紙の上に書き留められるべきである。

クリスマスイヴの日に、シスター・ルシアは彼女が与えられた命令にまだ従うことができないということを彼女の指導者に打ち明けた。

最後に、1944年の1月2日に(このことは殆ど知られていない)、祝福されたおとめマリア御自身が再びルシアに御出現になった。聖母はルシアにそのようなことは真に神の意志であるということ、そして聖母は彼女に命令されたことを書くことを完成するための光と力を与えるということを確約なさった。

シスター・ルシアがその受取人であるダ・シルヴァ司教に完全に確実にそれを伝えるために払った極端な配慮は彼女がこの記録に帰している例外的な重要性の一つの新しい証拠である。

彼女はそれを司教以外の他の誰にも委ねることを望まなかった。貴重な記録を入れた蝋で封印された封筒をシスター・ルシアの手から受け取ったのはグルザの大司教、フェレイラ司教であった。彼はそれを同じ日の夕方ダ・シルヴァ司教に手渡した。

秘密の教会当局への伝達に関しては最も重要な次の四つの事実を強調する必要がある。

事実#1. 秘密の直接の受取人はダ・シルヴァ司教であり、そして彼はそれを直ちに読むことができたはずであった。シスター・ルシアは聖母からそう言われたと司教に語った。しかし、引き受けなければならない責任によって恐れをなして、彼はそれについて知識を持つことを敢えてせず、欲しなかった。彼はそこでそれを聖座に委ねようと試みた。しかし、ローマはそれを受け取ることを拒否した。そこで、もしダ・シルヴァ司教が死ぬようなことがあれば、その封筒はリスボンの大司教、カレイェイラ枢機卿に委ねられることになった。それゆえに、1960年以後にしばしば繰り返して言われてきたように、第三の秘密が明白にそしてもっぱら教皇に向けられたものである、と言うことは誤りである。

事実#2. しかしながら、シスター・ルシアがピウス十二世がそれ以上遅れることなしに秘密を知ることを望んだということを、私は私の書物においてそれについてのいくつかの証拠を挙げている。不幸なことにそのことは起こらなかった。

事実#3. ダ・シルヴァ司教が封筒を開けることを望まないことに固執していることを確証して、シスター・ルシアは、ガランバ聖堂参事会員の言葉によれば、「第三の秘密は彼女が死ぬか、あるいは1960年には、どちらが最初に起こっても、開けられて世界に対して読まれるべきであるということを司教に約束させた」。シスター・ルシアの繰り返された陳述についての一つの説明がわれわれに与える一連の証言はこの事実が絶対的な確実さで確立されることを可能にした。

事実#4. 最後に、シスター・ルシアの死後直ちに、あるいはいずれにせよ遅くとも1960年には秘密を公開するというこの約束は聖母マリア御自身による一つの要求に確実に一致している。事実、1946年にバルタス聖堂参事会員が幻視者になぜ1960年まで待つ必要があるのかと尋ねたとき、シスター・ルシアは彼にダ・シルヴァ司教がいる前で、「聖母がそう望んでおられるからです」と答えた。

手短に述べたが、私はそのことを私の書物の中で堅固に確立した。そしてわれわれは聖母の最後の秘密が最終的に教会の司牧者たちによって信じられ、そして信者たちに公開されることを神が望まれたというすべての証拠を持っている。このことは最も早くて1944年の初めに、あるいは遅くとも1960年までにはなされていなければならなかった。というのはシスター・ルシアはさらにこう説明したからである。「それはそのときにはもっと明白になっていたでしょう」。(注2)

ローマへの移送

私はここで第三の秘密の歴史における一つのなお不可解なエピソードにとどまっていることはできない。1957年に聖座はそのときまでレイリア/ファチマの司教の宮殿に保管されていた第三の秘密のテキストを要求した。このイニシャティヴを取ったのは誰か? どのような意図で? 諸事実の詳細な分析によって私はもっともらしい仮説を立てることはできたが、しかしいかなる確実さにも達しなかった。

1957年3月半ばに、ダ・シルヴァ司教は彼の副司教ヴェナンシオにその貴重な記録を当時のリスボンのローマ教皇大使チェント司教に渡す責任を委ねた。ヴェナンシオ司教は彼の司教に、最後に秘密を読み、そしてローマにマニュスクリプトを送る前にそのコピーを作るように懇願した。しかし老司教は彼の拒否に固執した。ヴェナンシオ司教−彼は1983年2月13日にファチマで私にこのことを語ったが−は封筒を光のほうへと持ち上げている間に、それを眺めることに満足しなければならなかった。彼はその正確な大きさを測った一枚の紙片が封筒の中にあるのを見ることができた。われわれはこのようにして第三の秘密がそれほど長いものではない、恐らく20行から25行くらいの長さのものであるということを知るのである。すなわち、それは第二の秘密と同じ位の長さである。このことはある捏造者たちがファチマの真の秘密であるとして公衆に対して押しつけている余りにも長いいくつかのテキストを確かに真正のものではないとして拒否することをわれわれに許すものである。

1957年4月16日に、封印された封筒がローマに到着した。それからどうなったであろうか? それは教皇ピオ十二世のオフィスの中の「聖座の秘密」と記された一つの小さな箱の中にに置かれた(注3)。このことをジャーナリストのロベール・セルーに打ち明けたのはマザー・パスカリーナであり、彼が近頃この事実を確証したのである。

教皇ピオ十二世は秘密を読まれたか?

驚くべきことだと思われるであろうが、その答えは殆ど確実にノーである。アロンゾ神父と同様に、私はこの結論に対していくつかの堅固な議論を与える。明らかに、オッタヴィアーニ枢機卿、そして教皇ヨハネ二十三世の秘書であったモンシニョル・カポヴィッラの証言がある。彼らはわれわれに教皇がそれを教皇ピオ十二世の死の1年後、1959年に開けたとき、封筒はなお封印されたままであったと語った。

それゆえに、シスター・ルシアが1957年12月26日に、当時ジャシンタとフランシスコの列聖訴訟のポストゥラトルであったフエンテス神父に宛てた荘厳な言葉をわれわれは理解するのである。彼女はこう言っている。「聖母は非常に悲しんでおられます。なぜなら、聖母のメッセージに対して誰も何の注意も払わないからです。...よい人たちも悪い人たちも...

よい人たちは彼らの道を続けています、しかしメッセージには注意を払わないで...私は詳細な点について何も別のことを言うことはできません。というのはそれはまだ秘密ですから...ただ教皇とファチマの司教だけが聖母の意志に従ってそれを知ることができるでしょう...しかし、彼らは影響されることを望まなかったのでそれを知ろうとはしませんでした。」

それゆえに、教皇ピオ十二世は明らかに1960年を待つことのほうを選ばれた。しかし彼はそれ以前に亡くなられた。教会にとって何という損失だろう!(注4)

一致した熱心な期待

歳を取った人々はそのことを記憶しているが、1960年が近づくにつれて、全キリスト教徒は約束された秘密の公開を信頼して待った。そしてあなた達イタリア人(ここにいる)、あなた達は1959年に全国でマリアの汚れなき御心に対する献身の大運動が起こったことを知っている。数カ月間にわたってファチマのおとめがその跡を熱狂的な群衆を引きつけながら、そしていたるところで聖母の恩寵の奇跡、けた外れの熱狂、回心の奇跡、鳩の奇跡(注5)を振りまきながら、[イタリア]半島を縦横に通った。1959年9月13日には全司教がマリアの汚れなき御心にイタリアを荘厳に奉献した。不幸なことに、その運動は教皇ヨハネ二十三世によって殆ど鼓舞されなかったので、彼の沈黙と留保は注意されないままで過ぎ去ることはできなかった。

教皇ヨハネ二十三世は秘密を読まれ、そしてそれを公表することを拒否される

われわれは教皇が1959年8月17日にカステルガンドルフォで第三の秘密の封筒を、当時聖座の公式官であったモンシニョル・フィリップによって、彼のもとに持って来させられたことを知っている。教皇への秘密のこの伝達がこのように一つの公式的な性格を持ち、そしてその周りにある種の荘厳さを集めているということに注意しよう。そのことはその当時ファチマが遇せられた尊敬を示している。教皇ヨハネ二十三世は封筒を直ちに開けられなかった。彼は「私は私の告解聴聞者と共にそれを読むことを待っている」と宣言することに満足された。モンシニョル・カポヴィッラは正確にこう述べている。「数日後に秘密は読まれた。」「しかし、[ポルトガル語という]言語に特有の表現によって起こる困難のゆえに国務省のポルトガル語の翻訳者、モンシニョル・パウロ・ホセ・タヴァレスの援助が要求された。」彼は後にマカオの司教となった。後に教皇ヨハネ二十三世はそれを聖座の長官、オッタヴィアーニ枢機卿に読ませられた。

ここで簡単な括弧書きを入れておこう。確かにわれわれは「私的な啓示」を判断することは当局に属しているということをよく知っている。1960年には、教会がすでに公式に、グルーナー神父がさっきわれわれに思い出させてくれたように、議論の余地のない預言と輝かしい奇跡によって他のいかなる御出現よりもさらにより堅固に証明されたファチマの御出現の神的な真性性を承認していたということは明らかであった。シスター・ルシアを通じて伝えられた、いと祝せられたおとめの命令に一致して責任を負わされた二人の高位聖職者、レイリアの司教とリスボンの大司教は遅くとも1960年までには完全な内容を公表するように公式的に努力した。15年間以上にわたって、いかなる権威のある宣言も枢機卿、司教そして聖堂参事会員のガランバ師やバルタス師あるいはメシアス・ディアス・コエルホ神父のような有名なファチマ専門家たちによって世界中にこだましたこれらの繰り返された約束を反駁することはできなかった。教皇ピオ十二世の同意によって1942年に最初の二つの秘密の公開はさらに一つの前例をなした。その結果、信者はこの約束された啓示を最高の権威から期待する権利を完全に持っていたのである。彼らは少なくとも教皇の側での一つの正確なそして率直な説明に対する権利を持っていた。

悲しいかな、1960年2月8日に突然、ファチマの第三の秘密は公表されないということが簡単な新聞発表を通じて知らされた。それはそのまさに本性によって完全に無責任である一つの無名の決定であった。それを動機づけた理由は何であったのか? ヴァチカン・コミュニケはただつじつまの合わない、そして矛盾さえしたいいわけを提供しただけである。この無名の新聞発表の終わりの部分は裏切りでさえある。「教会はファチマの御出現を承認しているけれども、三人の羊飼いの子どもたちがおとめマリアが彼らに告げられたと言ったそれらの言葉の真実性を保証する責任を取ることを望まない」(注6)。このように、明らかにヴァチカンはダニス神父の支持され得ない立場(このつじつまの合わない論調の詳細な説明と分析は第一巻にある)(注7)を自らのものとしたばかりでなく、このコミュニケはさらに問題を生み出すものであった。それはシスター・ルシアの信頼性とファチマ・メッセージ全体に最も恥ずべき疑惑を公的にそして何ら妥当な理由もなしに投げかけているのである。

モンシニョル・カポヴィッラによれば、数人のローマの高位聖職者たちが相談を受けたということである。しかし、確かなことは責任を負っているポルトガルの当局者が明らかに無視されたということである。ヴェナンシオ司教もカレイェイラ枢機卿もローマによって相談を受けなかった、あるいは知らされなかったのである。

1960年2月8日のこの悲しむべき新聞発表を再読し分析すると、あるいはさらに、「チヴィルタ・カットリカ」紙においてカプリーレ神父によって6月に発表された憐れむべき記事を研究することによってさえ、ファチマの主題の関してローマ自身における責任ある当局者たちによって発言されてきたつじつまの合わないこと、不正確なことそして誤りの多くの例によってわれわれは落胆させられる。このことはあなたたちに、1960年までにその秘密を明らかにしなさいと要求された無原罪のおとめ、使徒たちの元后の明白な意志に何の注意も払わないという決定がいかに正当化されないものであり、正当化され得ないものであるかを、告げている。それがファチマ論争に大きな害を与えたこともまた確かである。

われわれは、いと祝せられたおとめに対する信心がカトリック教会のまさにふところにおいて目に見える仕方で、そして次に驚くべき仕方で減退し始めたのは「マリアの秘密」に対するこの公式の無視以後のこの時期からであったと言うことができる。これまで以上にシスター・ルシアの次の言葉が当てはまる。「祝せられたおとめは非常に悲しんでおられます。なぜなら、誰も聖母のメッセージに注意を払わないからです」。そしてこの誤りは数え切れないほどの結果をもたらすことになった、とわれわれは敢えて言わなければならない。なぜなら、ファチマの諸々の預言や命令を無視することにおいて無視されてきたのは、世界を前にしてあざ笑われてきたのは、神御自身だったからである。無原罪のお方、母親としての警告を通じて告げられた条件的な罰はそのとき悲劇的、不可避的に下されることになったのである。

II. 第三の秘密は明かされていないか?

オッタヴィアーニ枢機卿は、教皇ヨハネ二十三世は秘密を「一つの非常に深い、暗い井戸のようである資料保管所の一つの中に置いたので、その底には紙が落ち、誰ももうそれを見ることができない」と語った。われわれはシスター・ルシアの手書き原稿がどうなったかを非常によく知っている。われわれはそれの本質的な内容を発見することさえできる。1917年7月13日にわれわれの時代のために聖母がお与えになったこの警告の中で聖母はわれわれに何を告げておられるのか? まず第一に、われわれはこの秘密に関して四つの確実なそして客観的な事実を確立することができる。そしてそれらは秘密の解明においてわれわれの歩みを大いに進歩させることができるものである。

1. 第一の主要な事実:われわれは第三の秘密の文脈を知っている。厳密に言えば、1917年7月13日に完全に啓示された実際にはたった一つの秘密がある。ところで、この複合的全体について現在のところわれわれは四つの部分のうちの三つの部分を知っている。われわれは秘密の始まりの部分、最初の二つの部分、そして聖母がわれわれに約束しておられる「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、世界に平和の時期が与えられるでしょう」という結論によって確実に形成されている最後の部分を知っている。シスター・ルシア自身が秘密の第二の部分に関して、第三の秘密がたまたま挿入されることになると書いたのは、テキストにおいて「等々...」に続くこのすでによく知られた文脈においてである。そのようなことが最後の秘密の内容の発見において先へ進むことをわれわれに許すためにわれわれにとって一つの重要な道しるべである事実である。後者はその直接的な文脈と一致し、そしてファチマのメッセージの全体と調和的に一致しなければならない。

2. 第二の重要な事実:もしそれが啓示された状況がその基本的な統一性をわれわれに証明するならば、その書き下ろしのドラマティックな状況はそれ自身においてわれわれにその悲劇的な重大さを明らかにする。

3. 第三の非常に解明的な事実:1960年以来、諸教皇がそれを公表することを拒否してこられたのはその内容のせいであり、そしてただこの理由でだけである。

まず第一に、すでに見たように、教皇ヨハネ二十三世は全カトリック教会の熱狂的なそして切望的な期待にもかかわらず、それを公表することを拒否された。

パウロ六世はまっすぐに同じ態度を採用された。1963年6月21日に教皇に選出され、しばらく後に彼は秘密のテキストを要求された。このことはこの主題に関する彼の生き生きとして関心を証明している。誰も教皇ヨハネ二十三世がそれに関してしたことを知らなかったので、彼らはヨハネ二十三世の秘書であるモンシニョル・カポヴィッラに尋ねた。彼は手書き原稿がどこに置かれていたかを指摘した。教皇パウロ六世はその時点でそれを確かに読まれた。しかし彼はそれについて語られなかった。しかしながら、あなたたちも知っているように、1967年2月11日、ファチマ御出現の50周年が近づいたので、オッタヴィアーニ枢機卿は教皇の名において、ファチマの第三の秘密の主題に関して、それがまだ公表されないということを説明するために一つの長い宣言を作った。私の書物の中で、私はこのテキストを引用しそして分析した。ポルトガルの専門家たちに従って、私はどんな犠牲を払っても秘密を公表しないことを正当化するためにこの聖座の高位聖職者、教会における真理の至高の保証者がつじつまの合わないこと、そして明らかな虚偽を大量に集めることを強いられているということを検証せざるを得なかった(注8)。そして悲しいことには、われわれは1984年に彼の後継者であるラッツィンガー枢機卿によって述べられた理由はもはや首尾一貫していないということを見るであろう。

ヨハネ・パウロ一世はファチマの聖母に非常に献身しておられた方であった。彼は1977年にコヴァ・ダ・イリアへの巡礼に行かれた。そして非常に奇妙な事実であるが、シスター・ルシア自身が彼と会うことを要求した。それゆえにルチアーニ枢機卿はコインブラのカルメル修道院へ出かけ、この幻視者と長い間話をした。私はシスター・ルシアが彼と第三の秘密について語り、そして彼にその本質的な内容を明かしたということを検証する位置にいる。彼はその秘密によって非常な感銘を受けた。彼はイタリアに帰った時に周りの人々に、彼がどのように感動させられたか、そしてそのメッセージがどのように重大なものであるかを話した。彼はそれからファチマについて精力的な言葉で語りまた書いた。そして彼が明らかに聖人であると考えたシスター・ルシアへの感嘆と完全な信頼を表明した(私はこれらの未公刊の事実についてのすべての証明を第四巻において示すであろう)。教皇になる以前に、彼は明らかに何かあることをする前には世論を準備することを望まれた。不幸なことに、彼は何かあることを言うことができる前に悲劇的にわれわれから取り去られた。

ヨハネ・パウロ二世は1982年5月13日にファチマの巡礼に出かけられる前に、ポルトガル語に特有である、秘密のある表現を翻訳してもらうために教皇庁からポルトガル人の翻訳者の援助を求められた。それゆえに、彼もまた第三の秘密を読まれたのである。しかし彼もまた公表することを選ばれなかった。

最後に、われわれはラッツィンガー枢機卿がまた同様にそれを読まれたということを知っている。というのは、彼はイタリアのジャーナリスト、ヴィットリオ・メッソーリに、彼がそれを読んだということを語られたからである。ラッツィンガー枢機卿は、その内容を非常に異なった言葉でほのめかしながら、−それはわれわれにとって意味があるが−1984年11月と1985年6月の二度の機会に、それについて書いてさえおられる。私は自分の書物の中で、これら二つの続けて公刊された版の梗概について公刊し注解した(注9)。

4. 第四の主要な事実:第三の秘密の預言は1960年以来、われわれの目の前に現在の時点においては公表されていない。実際、ファチマの預言の実現には一つの時間表、一つの年表がある。

一方において、秘密の結論によって告げられた時間にはわれわれはまだ到達していないということは実際確かである。なぜか? そうされなければならず、そしていつかそうされるであろうように、ロシアがまだマリアの汚れなき御心に奉献されなかったからである。シスター・ルシアは1984年3月25日の行為の後でさえこのことを明らかに知らせた。ロシアはまだ回心していないし、そして世界は平和ではない、それから遙かに遠い!それゆえに、われわれはまだ預言の終わりにはいないのである。

他方において、第三の秘密において告げられた諸々の出来事は単にわれわれの未来に関係があるだけではない。なぜなら、われわれはもう一つの導きのしるし、すなわち1960年という年を持っているからである。聖母は秘密は1960年には公表されるべきことを要求なさった。というのはルシアはオッタヴィアーニ枢機卿に「1960年にはメッセージはより明瞭に現れるでしょう」と語ったからである。ところで、一つの預言を何の疑いもなしにある特別の日付以後からより明らかにするようになる唯一の理由はその実現の始まりである。そしてわれわれは「第三の秘密において聖母によって予言された罰はすでに始まりました」と言っているルシアからのもう一つ別の言明を持っている。

預言の出発点と終局点がこのように決定されたので、われわれは確実に、現在われわれは聖母が言っておられる時期に生きている、と言うことができる。それゆえ、われわれは第三の秘密を生きているのである。われわれはそれが告げている諸々の出来事の証人である。

誤った秘密と誤った仮説

この信頼できるデータに基づくならば、われわれは25年間にわたって次々と公刊されてきた誤った秘密の全系列を捨てることができる。私はそれらのすべてを私の著作において引用している。そして私は例えば、それらのうちの最も有名なもの、ドイツの雑誌「ノイエス・オイローパ」によって1963年に普及された、そして無数の雑誌において絶えずリプリントされている「秘密」がいんちきであるということを論証した。このテキストの中にはこのことを十分に証明するいくつかの恐るべき誤謬がある。さらに、それは真の秘密の単なる「抜粋」の問題であるけれども、とわれわれは告げられるのであるが、これらの「抜粋」はすでにルシアが第三の秘密の全体を書き下ろした紙片の少なくとも四倍の長さのものになってしまうのである(注11)。

われわれは同様にまた、多くの誤った仮説を捨てることができる。確かに、カプリーレ神父が敢えて主張するように、われわれは単なる「祈りと償いへの招き」に関わっているのではない(注12)。おとめマリアは1917年10月13日の公的なメッセージを一語づつ繰り返させた一つのメッセージを打ち明けるために1944年あるいは1960年まで待つようにルシアに求められたのではない!

[(フランス語から英語への)翻訳者の注:それは25行の秘密を書き下ろす際に、1943年10月から1944年1月までに経験した極端な困難を説明しないであろう。もしそれが単なる祈りと償いへの呼びかけであったならば、そのような困難は存在しなかったであろう]。

それは幸福の問題でもない。ファチマの第三の秘密は、公会議は「一つの新しいペンテコステ」、「教会にとっての一つの新しい春の時期」であろうと宣言している教皇ヨハネ二十三世の楽観主義の見解とも一致しない。もしそうであったならば、彼自身が、あるいは彼の後継者たちがそれをわれわれに公表したであろう。カレイェイラ枢機卿はまさに正当にもこう言っている。「もしそれが楽しいものであったなら、われわれはそう告げられていたであろう。われわれは何事も告げられなかったのであるから、事実はそれが悲しいものであるということである。」その通りである。それは明らかに重大で悲劇的なものである。

それはまた世界の終わりの告知でもない。というのは、ファチマの預言は一つの驚くべきそして無条件の約束でもって終わっているからである。それは時を選ばずいつも説かれるべき約束である。というのは、それは揺るがすことのできない希望の源泉だからである。すなわち、「終わりに、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献し、ロシアは回心するでしょう。そして平和の時期が世界に与えられるでしょう。」

それは第三次世界大戦の告知であろうか? 核戦争の告知であろうか? そう考えることは理に叶っているであろう。なぜなら、ここでは預言は最も明快な政治的分析を確証する以外のことを何もしないだろうからである。おとめマリアはわれわれをそのように悲劇的に脅かしているこの最も恐るべき未来の戦争を予言されたのであろうか?

アロンゾ神父と共に、私はこれは明らかに第三の秘密の本質的な部分ではないと考える。そして私はこのことを確実な理由で言うのである:すなわち、物質的懲罰の、新しい戦争の、そして教会に対する迫害のこの予言は第二の秘密の特別な内容を構成する。われわれはなおこれらの単純な言葉の恐るべき重要性について反省したであろうか? すなわち、「善人は殉教するでしょう、教皇は多く苦しむでしょう、様々の国民が絶滅させられるでしょう」。シスター・ルシアはフエンテス神父にこう打ち明けた。「祝せられたおとめは私たちに多くの諸国民が地の表から消えるでしょう、ロシアは、もしわれわれがあの不幸な国民の回心を前もって獲得していないならば、全世界を(その罪のゆえに)罰するために天によって選ばれた懲罰の道具となるでしょう」(注13)。それが、「絶滅させられる」という言葉がその明白な意味において:すなわち、絶滅させられる、完全に破滅させられる、と文字通り受け取られることが恐れられる理由である。1917年には起こりそうもないことであったが、この悲劇的な脅威は核時代における今日のわれわれにとってはもはやこじつけの議論ではない。

それゆえに、なおわれわれを脅かしているすべての物質的な罰は、核戦争のような、あるいは全地球への共産主義の拡大のような最も恐るべき罰でさえ、聖母によってその第二の秘密においてすでに予言されているということは明らかである。そしてわれわれは遅すぎるようになる前にそれらを回避するための超自然的な手段をも知っているのである(注14)。アロンゾ神父によれば、われわれは秘密の第三の部分においてはこれらの物質的な懲罰については何も繰り返されていないということを確実に知ることができる。あるいは、少なくともそれについて再び言及されているとしても(まったくあり得ることであるが)、このことは第三の秘密の本質的な部分ではないだろうと、私は付け加えるであろう。実際、秘密は三つの相互に関連した、しかし異なった部分から構成され、そして天によって確定されたその公開の日付が同じ日付ではないから、秘密の第三の部分が数行のスペースのうちに第二の部分と同じことを繰り返していない、と確実に言うことができる。

霊的な懲罰

疑いもなく、第三の秘密は一つの霊的な懲罰に主として言及しているのである。飢饉、戦争、迫害よりもそれはもっと悪く、もっと恐ろしいものである。なぜなら、それは霊魂、その救い、あるいはその永遠の破滅に関わっているからである。1966年にヴェナンシオ司教によってファチマの公式記録保管人として指名された故アロンゾ神父は、これが第三の秘密が含んでいるものである、ということを証明した。彼は、不幸なことに公刊することを禁止された14巻から成る彼の批判的な大著の巻の一つにおいてそれについて書いた。しかし、彼は1981年12月12日の彼の死の前に、彼の結論を様々のパンフレットそして神学雑誌の多くの論文においてわれわれに知らせることができた。

私の個人的な研究は新しい記録が確証させることになった彼のテーゼについて明らかにし、完成しそしてより特殊的であることを私に許しただけである。

ここに最も重要なことがある。1984年9月10日にレイリア・ファチマの現在の司教コスメ・ド・アマラル司教はウィーンの技術大学の大講堂(アウラ・マグナ)において、質疑の中で次のように述べた。「ファチマの第三の秘密は原爆や核弾頭あるいはSS20ミサイルについて語っているのではない。その内容はただわれわれの信仰にのみ関わるものである。この秘密を破局の告知あるいは核によるホロコーストと同一視することはこのメッセージの意味をゆがめるものである。ある大陸の信仰の喪失はある民族の絶滅よりも悪い。そして信仰がヨーロッパにおいて常に減退しつつあるということは真実である」(注15)。

十年間、このファチマの司教は第三の秘密の内容に関して完全な沈黙を守ってきた。彼がそのように断固として一つの公式的な陳述をするために口を開くとき、われわれは彼がこのことを前もってシスター・ルシアに相談せずに言ったのではないと、道徳的に確実に言うことができる。1981年に彼がすでに幻視者にその主題に関して質問したと言いながら、いくつかの誤った秘密を反駁していたから、われわれはこのことについていっそう確信を持つことができる。

このことは、アロンゾ神父のテーゼは今やファチマの司教によって公式に確証されたということを意味する。それは教会内における恐るべき危機である。それは、もし無原罪の聖母の要求が十分に遂行されないならば[起こる]、まさにわれわれの時代に対して聖母が予言した信仰の喪失であり、そしてわれわれが1960年以来目撃してきたのはこのドラマである。本質的なことが言われたので、私は今や第三の秘密の真の内容に関する私の証明の主要な段階に言及することに満足するであろう。

信仰の喪失

第一章において(注16)私は第三の秘密が特殊的に信仰の喪失を取り扱っているということを証明する諸理由を挙げた。それはわれわれがすでに知っている秘密の主要な要素である。実際、われわれはそれの内容だけ以上のことを知っている。シスター・ルシアはわれわれに対してそれの第一の文章を指摘しようと望んだ。「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保存されるでしょう....云々」幻視者が秘密の最初の二つの部分を書き下ろし、そして彼女の覚え書きにおいて第二番目に秘密の結論を書いたときに、確実にそして意図して付け加えたこの短い文章は決定的に重要である。それは非常に明確に第三の秘密への鍵をわれわれに提供する。

ここにアロンゾ神父の賢明な注解がある。「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保存されるでしょう」この文章はまったく明確に他の諸国民に降りかかるであろう信仰の危機的な状態を意味する。すなわち、ポルトガルがその信仰を守るであろうのに対して、信仰の危機が存在するであろうということを意味する。」アロンゾ神父はさらに次のように書く。「それゆえに、マリアの御心の偉大な勝利に先行する時期に秘密の第三の部分の対象である恐るべき事柄が起こるであろう。どのようなものか? 『もしポルトガルにおいては信仰の教義は常に保存される』ならば、われわれはそのことから、完全に明瞭に、教会の他の諸部分においてはこれらの教義は曖昧なものとなるか、あるいはさもなければ失われさえするであろう、と推論することができる。」

専門家の大部分すなわちマルティン・ドス・レイス、ガランバ参事会員、ヴェナンシオ司教、ルイス・コンドル神父、メシアス・ディアス・コエルホ神父はこの解釈を採用した。先の11月18日、彼がパリで行ったコンフェランスの中でローランタン神父は彼自身もこの解決に賛成であると述べた(注17)。

ラッツィンガー枢機卿自身この意味において、第三の秘密は「信仰とキリスト者の生活を脅かす危険」に関わると言いながら、ヴィットリオ・メッソーリに対して語ったということを付け加えよう。最後に、われわれが言ったように、ファチマの現在の司教はそれ以上になお明白である。彼はそれが数カ国の国民と全大陸のスケールにおける信仰の危機であるということを理解させた。そのような喪失は聖書の中にその名前を持っている。すなわち、それは棄教である。この言葉は秘密のテキストのうちに見出される可能性がある。

司牧者のたじろぎと罰

他の章において(注18)、私はそれ以上のことがあるということを示している。すなわち、第三の秘密は確かに25年間教会に打撃を与えてきた前例のない信仰の危機における聖職に任じられた霊魂、司祭、そして司教自身でさえの重い責任を強調している。私はそれらのいくつかの証明、いくつかの非常に明瞭な指摘を提供する。私はここであなたたちにアロンゾ神父を引用することで満足しなければならない。「それゆえに、第三の秘密のテキストは教会内部の信仰の危機と司牧者自身の怠慢、そして高位聖職者による重大な司牧的怠慢を具体的に示しているということは完全にありそうなことである。」

これらの非常に重大な言葉を、アロンゾ神父は確かに書かなかったし、またそれらを全体的なインパクトを注意深く考えることなく非常に明瞭にそしてあからさまに公刊しなかった。ファチマの公式の記録保管者として、彼は労働とさまざまのインタビュー、シスター・ルシアとのさまざまの会話の10年の後に、少なくとも幻視者の暗黙の同意において確信させられることなしにそのように大胆なそしてそのように赤熱した立場を採用しなかっただろうか? その答えはまったくいかなる疑念をも許さないものである。

聖職階級の諸欠陥のこの宣言は三人の幻視者たちが教皇のために絶えず祈り、多く祈り、犠牲を捧げることへと自らを強いることになったつきまとって離れない関心、シスター・ルシアがこのテキストを思い切って書き下ろ前に直面しなければならなかった乗り越えることがでいないほどの不安の三ヶ月を説明する。それは最後に楽観論者のヨハネ二十三世以来の諸教皇があらゆる犠牲を払ってもそれを隠そうと努めながら、後のその公表まで躊躇し、遅らせ、絶えず延期したのはなぜかを説明する。

悪魔的な方向逸脱の波

第三章において(注19)、私はシスター・ルシアが明らかに、われわれの時代における悪魔の解放を強調している彼女の言葉や手紙のいくつかの中で第三の秘密の一つの主題を反響させているということを示している。すでに1957年に、彼女はフエンテス神父にこう打ち明けた。「いとも聖なるおとめは私に、聖母に対する一つの決定的な戦いにまさに参加しようとしている....そして悪魔は何が最も神に反することであるか、そして何が最も多くの霊魂を可能な限り最も短い時間で悪魔に獲得させるか、を知っている、言われました。悪魔は神へ聖別された霊魂を獲得するためにはあらゆることをします。なぜなら、このやり方で、悪魔はその指導者に見放された信者の霊魂を離れさせることに成功するでしょうし、そのことによってますます容易に悪魔は彼らを捉えるでしょうから。」

しかし、彼女が教会の現在の危機を記述するためにいくつかの際だった表現を用いているのは特に1969-1970年のほとんど知られていないがしかし非常に重要な一連の手紙の中でである。そして、非常に謙遜で、また権威を非常に尊敬している一つの霊魂の持ち主のペンを通じて、そのような強い表現は明らかに信仰の防御と教会の福祉に関するその最後のメッセージにおける汚れなきおとめのまさに口から聞いた言葉の反響である、ということをよく注意しよう。

彼女はある司祭に次のように書いている。「私はあなたの手紙によって、あなたがわれわれの時代の方向逸脱によって心を奪われているのが分かります。実際、非常に多くの人々が世界に吹き荒れている悪魔的な波によって支配されるままにわが身を委せているということ、そして彼らが誤りを見ることができない点まで盲目になっているということを悲しく思います!主たる誤りは彼らが祈りを放棄したということ、彼らがこのようにして神から疎遠になったということです。そして神なしにはすべては欠けたものです。」

「悪魔は非常に狡猾で、私たちを攻撃するために私たちの弱点を探しています。」

「もし私たちが神から強さを得るために勤勉で注意深くないならば、私たちは倒れるでしょう。なぜなら、私たちの時代は非常に邪悪であり、そして私たちは弱いからです。ただ神の強さだけが私たちをしっかりと立たせることができるのです。」

マリア信心の擁護に熱心に関わっているある友人への手紙の中で、シスター・ルシアは次のように書いている。

「人々に毎日ロザリオを唱えるようにさせてください。聖母は、私たちが誤った教義によって欺かれないように、悪魔的な方向逸脱のこれらの時代にわれわれを強めるかのように、御出現の度に必ずそのことを繰り返しておられます。....不幸にも、宗教的な事柄において人々はその大部分が無知であり、そして導かれるところへはどこへでも連れて行かれることを許しています。それゆえ、彼らを導く義務を持っている者の大きな責任は....」

「世界を襲い、霊魂を欺いているのは一つの悪魔的な方向逸脱です。『悪魔』に対して立ち上がることが必要です。」

1970年9月16日に、彼女はある宗教的な友人にこう書いています:「私たちのお可哀想な主よ、主はそのように大きな愛でもって私たちを救われました。そして主はそのようにわずかしか理解されていないのです!そのようにわずかしか愛されていないのです!そのように悪しくしか仕えられていないのです!そのように大きな混乱を見ること、そして責任ある地位を占めているそのように多くの人々のうちにそれを見ることは苦痛なものです!....私たちにとって、私たちにとって可能な限りたくさん、私たちは一つのなおより親密な主との一致を通じて償いをしなければなりません....あなたが言っていることがらを見ることは私を苦しめます。しかし今はそのことがここでもまた同じように起こっています!....事実は悪魔が善の見せかけの下に悪へ導くことに成功しているということ、そして盲目になった人々が他の人々を導き始めているということです....これは主が福音書において私たちに語られたことに似ています。そして多くの霊魂はその中へ連れて行かれることを自らに許しています。私は、神の教会における平和のために、司祭たちやすべての聖別された霊魂たちのために、特にそのように欺かれそして間違った方向へ導かれている人々のために、喜んで私自身を犠牲にし、私の命を神に捧げます!」

われわれは教会における悪魔の徒党に対して抵抗しなければならない

おとめマリアに信頼する者にとって、悪は「堕落のうちにある」、「不道徳と驕りの誤謬の闇の中に沈んでいる」われわれの世界の中だけにあるのではない。悪はまた教会それ自身の中にも存在する。そこでは、悪魔は、常に「大胆な厚かましさで先頭を切っている」彼の「追従者たち」と彼の「徒党」を持っているのである。彼らに直面して、抵抗する勇気を持たない非常に多くの「臆病な人々」が存在する。そして、シスター・ルシアは多くの司教たちが彼らの中に数えられる、と述べることを恐れない。さらに、それは単に生ぬるさあるいは司牧的な怠慢の問題ばかりではなくて、攻撃されているのは信仰それ自身であるということをシスター・ルシアは明らかに理解させようとしている。彼女は「誤った教義」そして「悪魔的な混乱」「盲目」について語っており、そしてこのことは教会においてまさに「大きな責任を持っている」人々の間に見られるのである。彼女は非常に多くの司牧者たちが「世界に吹き荒れている悪魔的な波によって支配されるままにわが身を委せている」という事実を深く悲しんでいるのである。誰が、サタンがその主人公である世界....へと自らを明け渡した教会の危機をこれ以上によく記述することができるであろうか?

しかし、シスター・ルシアは「聖母は悪魔的な方向逸脱のこれらの時代が来なければならなかったことを知っておられた」と強調している。幻視者のこれらすべての言葉は、そしてわれわれが引用することができる非常に多くの他の人々の言葉は、1917年7月13日にその第三の秘密において聖母が、もし聖母の要求が従われないならば、教会を突然襲うであろうこの「悪魔的な方向逸脱」を特別に予言しておられたとすれば、完全に説明されるのであり、そして非常にはっきりと目立つのである。

聖書によって告知されている「時の終わり」の大棄教

第三の秘密の内容に関して彼女に質問したある人に対して、シスター・ルシアはある日次のように答えた。「それは福音書の中に、そして黙示録の中にあります。それらを読みなさい」と。彼女は同様にまたフエンテス神父に、聖母が「私たちが世の最後の時代にいる」ということを明瞭に彼女にお見せになったということを打ち明けた。このことは、世の終わりの時、そして最後の審判の時を意味するのではないということを、われわれは強調しなければならない。というのは、マリアの汚れなき御心の勝利が最初に来なければならないからである。第三の秘密の内容を慎重にほのめかしているラッツィンガー枢機卿自身次の三つの重要な要素に言及した。すなわち、「信仰を脅かす諸々の危険」、「最後の時代の重要性」そして「この第三の秘密に含まれている」預言は「聖書に告知されてきたものと一致している」という事実である。われわれは、ある日ルシアが黙示録の第8章と第13章を指摘したということさえ知っている。

それが、私が今日そのように無視されたわが主の、聖パウロの、そして聖ヨハネの偉大な教えを、私の書物の最後の二つの章で取り上げる理由である! すなわち、諸困難の告知、異端、そして最後に「最後の時代」に教会の中で起こるであろう大棄教である。そして聖書の、−特に黙示録の−諸預言と、二十世紀の初頭のファチマの聖母の偉大な預言との客観的な比較は実際非常に多くのそしてまったく驚くべき平行を示している。

III. 最終的にファチマの聖母に聴き従うことが緊急である

われわれは教会のすべての信徒たちにマリアの秘密の完全なそして全部のテキストを、その明快な真理性、その預言的な豊かさそしてその神的な透明性において、遅滞することなく知らせることよりも重要で必要でそして緊急なことはないということを理解するために十分に述べた。ここで、この公開の緊急性の基礎となっている多くのそして堅固な諸理由を引用することが適切であろう。

第三の秘密はなぜ明らかにされるべきであるか

1. 「聖母がそれを望まれているからである。」実際、われわれは聖母の意志は、聖母がそれを三人の羊飼いたちに明らかにされた1917年7月13日の恩恵の瞬間以来少しも変化していないし、また聖母がトィイの修道院においてシスター・ルシアに御出現になり、彼女にそれのテキストを書き下ろすように求められた1944年1月2日以来変化しなかったということを知っている。聖母はこの預言的な神命が明らかにされること、それが知られることを望んでおられるのである。そして聖母のメッセージを伝える者であるシスター・ルシアはこの公開を望み続けたし、彼女が許された限り、彼女は権威のうちにある人々からそれを緊急に要求した、ということをわれわれは知っている。

2. 諸々の霊魂の善のためである。なぜなら、非常にしばしば繰り返された誤りとは反対に、秘密はもっぱら教皇にだけ向けられたものではないからである。二人の先行者たちと同様に、それはすべての信徒にむけられたものである。教会の子として、われわれはすべてマリアの子どもである。われわれはすべてわれわれの天の御母がこの非常に危険な時期に、われわれ−われわれ自身とわれわれの子どもたち、われわれにとって大切であるすべての人々−を救うために、われわれの祖先から受け取った真のカトリックの信仰をわれわれの心のうちに損なわずに生き生きと保つために、われわれに宛てられた救いの警告を知る権利を持っている。

3. この秘密が明らかにされない限り、世界の平和は悲劇的に脅威にさらされたままであり続けるであろう!私はそのことをこう解釈する。われわれは、神がそうであるようにとそれを要求されたように、ロシアがマリアの汚れなき御心に奉献されない限り、ロシアは回心させられないであろうと固く信じる。そしてロシアが回心させられない限り、その無神論的そして迫害的なボルシェヴィズムからそしてロシアを奴隷化している悪魔的な諸力の支配から解放されない限り、核の黙示録の危険は世界に対する一つの恐るべき脅威として残るであろう。

神は世界の平和がわれわれの世紀においては、ファチマに御出現になった神のいと聖なる御母の命令に対する教皇および司教たちの熱心な子としての従順に依存しているということを望まれた。ところで、無原罪の仲介者に対する信仰の、信頼する従順のこの行為−それを通じてわれわれの司牧者たちはロシアの奉献を遂行するであろう−は同様にまた、−私はとりわけ、とさえ言いたいが−秘密の受容と公開を前提とする。それは一つの歴史の教訓である:1960年以来、聖母の秘密の意図的な、無礼な秘匿は聖母の他の諸要求をまさに正確に遂行することの拒否と手に手を携えてきた。他方において、第三の秘密の公開は教会がファチマ・メッセージの神的な確実性と重要性を公式に承認したという明白なしるしであろう。ロシアの奉献に対する主要な障碍の一つはその場合には取り除かれるであろう!

4. 最後にそして特に、教会の善のためである。疑いもなく、教会がその歴史において最も重大な危機を経つつある間に、あらゆる種類の異端が教えられ、広められ、神の民を至る所で毒しつつある間に、1960年以来、パウロ六世の表現を用いるならば、教会の「自己破壊」が続いている間に、そして「悪魔の煙」(注20)が聖なる場所の中に浸透したときに、われわれが経験しつつあるまさにこの「信仰の危機」に関して−おとめマリアの救いに役立つ言葉を無視し、軽視し、軽蔑し続けることは非常に残念なことであり、そして確かに犯罪的でさえあろう。天の元后が1917年という早い時期にその危険を予言されたのであるから、そして聖母が確かにそれの真の原因を指摘されたのであるから、そしてさらに、聖母が効果的な救済策を提示されたのであるから、1960年に公に知らされるように意図されたこれらの救済策がなおわれわれに明らかにされなければならないということは一つの恐るべき恥ではないだろうか? 25年間にわたって数百万の霊魂がこの「悪魔的な方向逸脱」において苦しみ、そして天が彼らに提供している例外的な援助をかたじけなく受けようとする教会の司牧者なしに永遠に失われるという危険に曝されてきたということはけしからぬことではないだろうか?

われわれは繰り返し教皇に願わなければならない

今やファチマの秘密の公開のためにわれわれの繰り返しの嘆願を教皇に提出し続けることをわれわれに義務づける非常に多くの理由が存在する。それは聖母の名誉のためであり、われわれの兄弟たちの救いのためであり、世界の平和のため、教会の刷新のためである。最近の偽りの報告がわれわれに信じさせようとしているように、ファチマの秘密は「それが誤解される恐れがある」から公開されることはできないと告げられることがないようにしよう。1917年に、われわれがそれ以来目撃してきた当時予見できなかった非常に多くの出来事を予見し、告知された預言者たちの元后が、聖母の秘密を教会にとって完全に役立たないものとする点まで、この危険を予見することに失敗されたというようなことが可能であろうか? これは考えられ得ないことである!そうではない。聖母の秘密は解釈において少しも曖昧さや困難を持たない明らかなものである、ということについてわれわれは確信を持つことができる。次のように言うことさえ敢えてしようではないか!すなわち、むしろわれわれの司牧者を不安にさせているのはそのあまりにも大きな明瞭性のゆえではないだろうか? それゆえに、教皇が神からすべての障碍を最終的に克服することを彼に許す光と強さを受けることができるようにたゆまずに祈ろうではないか。すでに遅いのであるが、しかし、イエズスはシスター・ルシアを通して「イエズスとマリアに依り頼むのに決して遅すぎるということはないであろう」と告げておられる。

最後に、そして次のことで私は結論を出そうと思う。もし教皇がまだその個人的な権威を行使することによって聖母の最後の秘密を公開する決断をすることがおできにならないならば、彼は秘密は信徒に知らされるべきであるという聖母のはっきりした命令に従うために、少なくとも教皇庁の長官、あるいはレイリアの司教、あるいは幻視者自身に、完全な自由を許されるべきではないだろうか?

第三の秘密は「禁書目録に載せられている」のか?

なぜなら、25年間以上にわたってファチマの秘密が、そしてそれだけがある仕方で禁書目録に載せられているということは一つの驚くべき事実だからである(注21)。シスター・ルシアが、そして彼女だけが沈黙を強いられている。1966年11月15日に教皇パウロ六世は教会によってまだ承認されていない新しい御出現、啓示、あるいは預言を認可なしに広める書物やパンフレットの公刊を禁じた教会法法典の第1399項と第2318項とを廃止された。そしてこの新しい廃止は今や新しい法典の中にあるのである(注22)。その結果、1966年以来この最もすばらしい啓示を誰でも公刊しキリスト者の間に広めることができる。いかなる欺瞞も、そして悪魔的な行為も、何一つもはや禁じられていない。あらゆる事柄は公刊することを認可されている。そして「虚偽の君」は世界中に偽の御出現といかさまのメッセージを増やすことによって巧みにこの認可を利用している。それらは至る所に自由に広まり、そして無数の信徒を迷わせている。最も確実にそして最も問題なしに神からのものであるファチマのメッセージ、秘密だけが公刊することを破廉恥にも禁じられている唯一のメッセージである。

結論は明らかである。ファチマの幻視者に語らせるべき時もまた到来しているのである。そして彼女を通して無原罪のおとめ、神の母でありわれわれの母、われわれすべての愛すべきそしてすべてのものが愛している仲介者そして共なる救済者も語られる時が来ているのである。聖母に聴くことは緊急のことである。というのは、聖母が1917年7月13日に御自身でわれわれに告げられたように、「聖母だけがわれわれを救うことができる」からである(注23)。

われわれの最後の希望−ファチマの聖母

聖母の三つの秘密は実際、神が聖母にゆだねられたその三重の力と三重の使命をわれわれに明らかにしている。神はわれわれの世紀に聖母のこの使命を最も人目をひく仕方で明らかにすることを望まれた。神が霊魂、すべての霊魂を回心させ、それらを救おうと望まれるのは聖母を通してであり、地獄の幻視と聖母の無原罪の御心の啓示、第一の恐るべきそして驚くべき秘密を通してである。なぜなら、聖母は「憐れみの御母」であり「天の門」だからである。神がキリスト教世界を救い、恐るべき諸戦争と共産主義の奴隷化からわれわれを救い出すために求めておられるのは聖母を通して−聖母の第二の秘密における命令、約束、脅威を通してである!なぜなら、神は聖母を「平和の元后」として立てられたからである。さらに、神が教会の上に押し寄せてきているあの「悪魔的な波」、聖所においてさえ支配権を持っている不信仰そして現代の棄教を広めそして助長しているあらゆる暗黒の諸力を今日克服するために望んでおられるのは聖母を通して、聖母の第三の秘密の預言を通してである。なぜなら、聖母は「真の信仰の擁護者」であり、そして聖母だけがその御子から全世界における諸々の異端のすべてを克服する力を受けられたからである。すなわち、'Cunctas haereses tu sola interemisti in universo mundo!'「あなただけが全世界において全異端を克服された!」

われわれの大きな希望!

そして聖母の偉大な秘密がわれわれに明らかにしている無原罪の仲介者のこの三重の使命は同様にまたわれわれのくじくことのできない希望のための揺るがすことのできない基盤である。確かに、聖母の秘密が最終的に完全に明らかにされ、そして真正のものとして認められるとき、ロシアが最終的に聖母に荘厳に奉献されるとき、そして初土曜日の償いの信心が公式に承認されるとき、忠実で力強いおとめ、「信じる者の童貞」、「力ある童貞」がそのすばらしい約束を果たされるということをわれわれは確信することができるのである。

喜びに満たされてわれわれはそのときイエズスの聖心の普遍的な支配を準備する聖母の汚れなき御心の勝利を目撃するであろう。めざましい回心の奇跡を通じてその悪魔たちから解放されたロシアはローマの統一の羊の群に戻るであろう。カトリック信仰がすべての諸民族に説かれるであろう。そして無数の霊魂は一人の牧者の導きの下にキリストの唯一の聖なるカトリックの使徒的ローマ教会における救いの泉へと喜びのうちに進むであろう!

その通り、この時間は来るであろう。しかし、われわれ自身愛をもってこの瞬間以後聖母のすべての要求を遂行することによってそれを早めなければならない。

なぜなら、聖母はわれわれを必要としておられるからである。聖マキシミリアノ・コルベがいつも言っていたように、「現代は悪魔によって支配されており、そして悪魔は未来にはもっと多くさえなるであろう....無原罪の聖母だけが神からサタンに対する勝利の約束を受けられた。しかし、天の栄光のうちにおられる聖母は聖母と共に働くわれわれを今日必要としておられる。聖母は御自分に完全に奉献され、聖母の手の中でサタンを克服する一つの力となる、そして聖母の導きの下に神の国を確立するための効果的な手段となる霊魂を求めておられる。」

脚注

1. 付録を見よ。

2. フレール・ミッシェルの書物『第三の秘密』、33-56ページおよび467-478ページを見よ。
3. これは少なくともマザー・パスカリーナがジャーナリストのロベール・セルーに1957年5月14日にヴァティカンでの写真報告集会の機会に確証したことである(『第三の秘密』、484-486ページ)。[マザー・パスカリーナは教皇ピオ十二世の世話をした数人のシスターたちの監督をしていた]。
4. 『第三の秘密』、486-502ページ。
5. 巡礼の像の行列の間に、鳩が放された。ときどき鳩たちは飛び去るよりもむしろ像の足下に群をなした。(『第三の秘密』、99-103,251,533,534ページ)。
6. 『第三の秘密』、578-586ページ。
7. このつじつまの合わない主題は『科学と諸事実』、381-434および482-528ページにある。[ダニス神父は彼が最初に1944年にこの主題を公刊したとき、ルーヴァン大学の神学教授であった。基本的に、彼はシスター・ルチアの覚え書き(1935-1941年に書かれた)は信頼できないものであると主張した。]これは上に注記したように、フレール・ミッシェルによってその第1巻において完全に反駁されている。
8. 『第三の秘密』、721-734ページ。

9. 枢機卿の「ヴァリエーション」からわれわれが引き出すことができる結論については『第三の秘密』、818-840ページ。
10. この日に教皇ヨハネ・パウロ二世は世界をマリアの無原罪の御心に奉献したが、世界のすべての司教たちに彼らの関係する教区からこの行為に参加するように求めた後に、ロシアについては(名を挙げずに)間接的に言及した。
11. 『第三の秘密』、英語版642-663ページ。
12. 『チヴィルタ・カットリカ』の1960年6月の版。
13. フエンテス神父へのこの宣言は、アロンゾ神父と私もまた示しているように、確実に真正なものである。私はこのことを私の書物『第三の秘密』、503-510、549-554ページにおいて論証した。それについて私が、アロンゾ神父に従って、その議論の余地のない真正性を示している、1957年12月のフエンテス神父へのシスター・ルチアの宣言(『第三の秘密』、503-510、549-554ページ)はファティマのメッセージの一つの際だった綜合である。私の友人たちへの書簡において1962年に公刊され、そして再び1974年に『二十世紀におけるカトリック反宗教改革』(No.87,p.12,フランス語版)においても公刊された、このテキストは常に非常に時宜にかなっていたが、広まり続けるに値するものである(テキストについては『第三の秘密』、504-508ページを見よ)。
14. それによって世界平和がもたらされるであろう主たる超自然的な手段は、1925年12月10日と1929年6月13日に聖母によって要求された、教皇と世界の全司教とによるマリアの無原罪の御心へのロシアの奉献と初土曜日の償いの聖体拝領(付録を見よ)である。
15. 地獄の永遠の火から救われるためには各々のカトリック者はその信仰を失ってはならないということはカトリック教会の教義であるから、司教はそのように強い声明を出すことができた。明らかに身体的な絶滅は永遠にわたっての地獄への霊魂の喪失ほどには悪いものではない。それが第三の秘密において宣言されたこの懲罰が戦争や死よりも悪い理由である。
16. 『第三の秘密』、683-693ページ。
17. われわれの知識によれば、ただアントニオ・マリア・マルティンス神父とゲラルデス・フレイレ神父だけが他の仮説を主張し続けている。それによれば第三の秘密はポルトガル、その海外植民地そして全世界への共産主義の拡大に関わっているとされる(『第三の秘密』、735-744ページ)。

18. 『第三の秘密』、694-720ページ。
19. 『第三の秘密』、745-762ページ。
20. 教皇パウロ六世は1968年12月7日に行った教会の「自己破壊」を嘆いた。1972年6月29日のある説教において教会に入り込んだ「サタンの煙」に言及した。『第三の秘密』、849ページ、注1および2を見よ。
22. 新教会法法典は1983年1月25日に公布された。
23. 一つのファティマの秘密の三つの部分はこの日付で与えられた。われわれはそれらを(一つの話し方において)三つの秘密と呼ぶことができるであろう。

終わり

1996/11/27 三上 茂 試訳

作成日:1998/02/15

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