ファチマの聖母マリア

聖ドミニコに対する聖母の預言

The Fatima Crusader, Isuue 01, Summer 1978, p.05

「いつかロザリオとスカプラリオとを通じて私は世界を救うでしょう。」

カルメル山のスカプラリオの会員に対する聖母の約束

1. このスカプラリオを身につけて死ぬ人は誰でも永遠の火を蒙らないでしょう。

2. 敬虔な気持ちでカルメル山のスカプラリオを身につけ、生活における彼の状況に従って貞節を守り、毎日ロザリオ5連を唱える(小聖務のためにロザリオの代用が許されるとき*)人は誰でも死後の最初の土曜日に煉獄の苦痛から解放されるでしょう。*カルメル山の聖母のスカプラリオの会員であるすべてのカトリック教徒は、われわれのファチマ十字軍の誓約を果たし、そしてそれに基づいてこの利益を求め、誓約をファチマ十字軍本部まで送ることによって、聖母の小聖務の代わりに毎日ロザリオ5連で代用する利益を受けるでしょう。

教皇パウロ六世

「...教会の教導職によって数世紀にわたって推奨されてきたいとも聖なるおとめに対する信心の実践と実行はこれまで大いに尊重されてきた...そしてそれらの信心のなかに、われわれは特にマリアのロザリオとカルメル山のスカプラリオの宗教的な使用を思い起こすことをよしと判断する...」1965年2月2日

絶望は最も不快なものである

聖カタリナに対するわれらの主の言葉の中で、絶望の罪は次のメッセージが明らかにしているように、諸々の罪の中で最大の罪である。それは混乱のこの時代において非常に重要と思われるメッセージである。ここにわれらの主の言葉がある:

「絶望の決定的な罪は私にとってより不快であり、そして彼らが犯した他の諸々の罪よりもより罪人たちを傷つける...なぜなら、彼らは彼ら自身の肉欲の何らかの喜びを通じて他の諸々の罪を犯し、そしてときどきそれらのために嘆く。そしてもし彼らが正しい仕方で嘆くならば、彼らの嘆きは彼らに慈しみをもたらす....絶望する者は彼の罪を私の慈しみと善性よりも大きいものであるとすることによって私の慈しみを軽蔑する...絶望は彼を地獄へと導く。それに対して、もし彼が私に対する罪のために嘆き、そして痛悔するならば、そして私の慈しみに希望を置くならば、彼は慈しみを見出すであろう。なぜなら、私が彼らに言ったように、私の慈しみは被造物が犯し得るすべての罪よりも比較を絶して大きいからである。それゆえに、彼らが彼らの罪がより大きいと考えることは大いに私を不快にするのである。」

この引用は『シエナの聖カタリナの対話』から取られた。

2005/04/03 三上 茂 試訳

作成日:2005/04/03

最終更新日:2005/04/03

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