ファチマの聖母マリア

フリーメーソンの計画

冒涜的なヒンドゥー教の礼拝儀式がポルトガルのファチマの聖母の聖堂--まさに聖母が六回そこに御出現になった場所、そして聖なるミサの犠牲が捧げられる聖なる祭壇石の上--で挙行された--これは単なる偶然の一致ではなかった。
この短い論考はあなたに、なぜそれが起こったか、そしてそのすべての背後に何があるかを示す。あなたが見ることができるように、それは十分に計画されたものであった。そして歴史のこの時点におけるこの計画の失敗あるいは成功はあなたと私にかかっている。

ファチマ・クルーセイダー・スタッフ

The Fatima Crusader, Isuue 77, Summer 2004, p.49

ピエール・ヴィリオンはその著「世界政府、超教会および反教会は間もなくか? 」において、その秘密結社が地球全体に一見民主的な世界政府そして一つの世界宗教を確立しようと意図しているということを示すいくつかのフリーメーソンの文書を引用している。世界政府およびこの世界的な宗教の両者はフリーメーソンによって支配されるであろう。

フリーメーソンはすべての宗教を支配することを望んでいる

フリーメーソンの雑誌Le Symbolisme は1962年に次のように公表した:

「私の兄弟たちよ、人々に、フリーメーソンは反教会であると言わせてはならない。これは機会に好都合な文句であった。基本的にはフリーメーソンはすべての教会を自分の懐に共にもたらすであろう超教会であることを望んでいる。」

フリーメーソンはさまざまの宗教の間のすべての区別を滅ぼすことを欲しているのではなくて、すべての宗教が互いに「尊敬し」合い、彼らの異なった信条にもかかわらずそのように多くの兄弟のように共に結合し、他の何らかの理想、教説あるいは神への忠誠にまさるものとして同一の家族に彼らが属していると考えることを欲しているのである。「多様性における一致」がそのスローガンである。このことは、フリーメーソンのイーヴ・マルソウドンが第二バチカン公会議の間にその著 L'oecuminisme vu par un Fran-Macon de tradition 伝統的フリーメーソンから見たエキュメニズム」において書いたことから明らかである:

「われわれの時代に、われわれの兄弟フランクリン・ルーズヴェルトはすべての人々のために『彼らの諸原理と彼らの諸確信に従いながら、神を礼拝する』可能性を主張した。これは寛容であり、そしてそれはまたエキュメニズムである。われわれ伝統的なフリーメーソンは、それを諸々の状況に適応させながら、一人の政治家のこの言葉を次のように言い換え、置き換えることを自らに許す:カトリック、オーソドックス、プロテスタント、ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教の人々、自由思想家たち、自由信仰者たち、これらの人々はわれわれにとっては単に個人名であるにすぎない。フリーメーソンが彼らの家族名である。」

フリーメーソンの計画:「宗教感情」が教義的真理より優先

フリーメーソンはすべての宗教が教義よりももっと重要であると考えられるであろう何かあるものを共通に持つことを欲した。この共通の「あるもの」は、そのとき、経験--「超人的な力」"divinity"との一つの直接的な接触--を持たなければならないであろう。そしてこの個人的経験は教義よりももっと「宗教的」であり、またもっと重要であると言われるであろう。

フリーメーソンがすべての宗教の一致の共通点として欲している宗教的経験は心霊術 Spiritism である。無数のフリーメーソンの文書はその事実を指摘している。そして多くの事例においては、非常に高い位のフリーメーソンにとって未来の最高の科学と宗教は魔術 theurgy --心霊術の一つの形式-- であるとさえはっきりと述べている。The American College Dictionary によれば、theurgy は「エジプトのプラトン主義者たち、そして恩恵を与える神々との交通を持ちそれからの援助を持っていることを告白する他の人々によって実践された魔術の体系である。」

フリーメーソンのエキュメニズムは心霊術を各々の異なった宗教内部の宗教的経験の共通の形式とすることを目標としている。それは一つあるいはいくつかの宗教に特有の教義を、一般の人々が彼らの思いつきに適合するどんな教説にも従って生きるように奨励されるほどに重要でないものと見えさせるように努力している。フリーメーソン自身によれば、ローマ・カトリック教会は第二バチカン公会議開催までは、エキュメニズムにおけるフリーメーソンの諸目標が達成され得る前になおそれ自身の心霊術の形式を見出さなければならなかった唯一の教会であった。第33階級のフリーメーソンであるイーヴ・マルソウドンは簡潔な言葉でこう書いた:

「プロテスタント諸教会に関しては解決される必要のある問題は何もない。またフリーメーソンとシナゴーグ[ユダヤ教]との間にもそれ以上の問題は何もない。諸々の困難はただローマ・カトリック教会に関してのみ存在する。」

真のカトリック者が霊魂を救うためにしなければならないこと

イエズス・キリストに忠実であり続けるため、そしてわれわれ自身を救うために、われわれカトリック者は不可謬のカトリック教義にすがりつかねばならない。われわれカトリック者は、このフリーメーソンの超世界的反教会によって呑み込まれ、あるいはそれへと変形されることがないように、変わることのない教義に固執しなければならない。フリーメーソンの計画の絶えざる実行と共に、真のカトリック教会の忠実な伝統的カトリック者は偽りのカトリック者、ネオ・カトリック者、近代主義的カトリック者そしてフリーメーソンによって戦いを挑まれるであろう。エキュメニズム(フリーメーソンの子ども)とその追随者たち(エキュメニカルなカトリック者)は -- 真の教会をこの偽りの、うりふたつの公会議カトリック教会へと吸収あるいは変形しようとする彼らの努力において -- 忠実な伝統的カトリック者の公然の迫害に終わっている。伝統的なカトリック者はすでに辺境の地へと追いやられ、貶されている。ファチマの一地方新聞Noticias de Fatima はファチマ聖堂に対する友好的な言葉で、忠実なカトリック者を「タリバン」と偽って同一視した。(この号のp. 29 「ファチマ新聞ゲッラの裏切りを擁護」を見よ。)

聖母の第三の秘密が第二バチカ公会議に対して警告した理由

これが、実際、第二バチカン公会議がもたらしたことであった。公会議がその目標が「新しい神学」を実行することであった進歩主義的神学者たちや司教たちによってハイジャックされたということはよく知られている。彼らはその努力において成功した。その結果、今や、カトリック教会の永遠的な諸々の教義や実践は誤って「時代遅れ」だと考えられている。それは敵どもによる侵入に傷つき易い教会を残した。それはまた、卓越した地位と世界的な影響力を主張するために−−ハンス・キュングやワルター・カスパー枢機卿のような--相応しくない、流行を追う司教たちや神学者たちへの道を敷いた。異端を奨励する司教たちや枢機卿たちにカトリックの権威の尊厳と威信を維持することを許しているのは、盗賊公会議とそこから出てくる新奇な精神である。このことはバチカンの最高の階層にいる多くの者にも当てはまる。

これが、ファチマの聖母が第三の秘密において信徒たちに対して警告するために来られた理由である。聖母は来るべき悪しき公会議--1960年以後に現れるであろう公会議--に対して警告なさった。聖母はまたミサにおける変化--それも同じように教会を異端に傷つきやすいものとしている--に対して警告するために来られた。

フリーメーソンの遠大な目標は、人類家族の一致のために宗教的な諸々の差異を問題にしない諸宗教間精神において他の諸宗教と協力するように--公会議の「新しい神学」を通じて--カトリック者を誘惑することによって教会を転覆することである。そうすることによって、これらの哀れな、誤り導かれたカトリック者たちは少しずつ、信仰を否定し、そして新しい公会議宗教を抱くことへと--その間中自分たち自身がカトリック者であると信じながら--導かれているのである。にもかかわらず、新しい公会議の物の考え方を採用することによって、これらの人々は実際には新世界秩序のフリーメーソン的宗教の中へと組み込まれているのである。

フリーメーソンは異教的儀式をもった異教的宗教である。

フリーメーソンは一つの異教的宗教である。エキュメニカルな運動の背後にいるのはフリーメーソンである。フランスのフリーメーソン、イーヴ・マルソウドンは「エキュメニズムはフリーメーソンの霊的な息子であると言うことができる」と自慢した。彼はさらに第二バチカン公会議以来育まれたエキュメニズムをフリーメーソンの理想の勝利として称賛することへと進んでいる。彼はこう言った:「カトリック者はすべての道が神へ導くということを忘れてはならない。そして彼らはわれわれのフリーメーソンのロッジから流れ出ている、われわれが実際に一つの革命と呼ぶことができるこの勇気ある自由思想の理想が聖ペトロのドームの上に壮大に拡がったということを容認しなければならないであろう。」

われわれは、そこで、他のすべての諸宗教が「諸宗教相互間の協力」と「多様性における一致」という手段を通じてそれに属するように誘惑されているフリーメーソンのこの異教的宗教--この反キリストの宗教--が反キリストの一つの世界宗教へと導いているということを見ることができるのである。

このように、ファチマの司教とゲッラ主任司祭の公的なテレビ放送の承認と共に、2004年5月5日にファチマで挙行された異教的儀式によって、われわれは明瞭に次のことを見ることができる:

この一つの世界宗教は、そのさまざまの形において、すべてのものが異教主義の形を採用することへと導く。これはヒンドゥー教がそうであるあり方である。ヒンドゥー教は矛盾した観念や技術を抱擁し、そして偽りの神々を礼拝する。各々の個人は、それがヒンドゥー教を通してであれ、イスラム教を通してであれ、カトリックを通してであれ、あるいはアフリカの蛇礼拝を通してであれ、各人自身の神への「特定の道」を持っている。この異教的な宗教的無差別主義は同様にフリーメーソンの中心的な教義である。フリーメーソンのこの異教的な物の考え方は最終的には、多くの政府におけるフリーメーソンの強力な影響力を通じて全民族の異教化へと導く。フリーメーソンの最高位階は、教皇レオ十三世によれば、究極的にはサタンの明らかな礼拝へと導く。

今日の危険

2004年2月には、仏教徒たちがミシガン州、グランド・ラピッヅにある聖アダルベルト・バシリカの聖所の中へ入ることを許された。2003年10月には、インド、ヴァイランカンニの聖母聖堂の主任司祭、アルル・イルダヤム神父が、ヒンドゥー教徒は今やその聖堂の教会の内部で彼らの異教の儀式を執り行っていると自慢した。異教的な諸宗教がますます多く、すべて「諸宗教間対話」の名において、諸々のカトリック教会内部で彼らの異教的儀式を挙行するように招かれている。この致命的な癌は今やポルトガル、ファチマにおけるファチマの聖母聖堂をも冒した。主任司祭とファチマ司教、そして教会の高位の人々でさえ、故意か故意でないかはともかく、カトリック者をフリーメーソンの一つの世界政府と一つの世界教会へと導くことにおいて中心的な役割を演じている。

フリーメーソンは彼らの最後の障壁、カトリック教会を成功裡に突破したと考えたかもしれない。しかし、悪魔、その奴隷フリーメーソン、そしてこの新しい諸々の信仰相互間の宗教を促進しているカトリック位階にいる人々は彼ら自身の致命的な誤りをしている。彼らは、聖母が、フリーメーソンを含むすべての異端の征服者であられるということを理解しなかった、あるいはそのことを忘れることを選んだのである。

一方で

一方で、われわれは今自分たち自身の霊魂とわれわれの愛する者たちの霊魂を救うために何をすることができるであろうか?

ファチマの聖母はこう約束なさった。「最後には、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心し、平和の一時期が人類に与えられるでしょう」と。フリーメーソン、そして真のカトリック宗教を滅ぼそうとするフリーメーソンの計画は最終的に失敗するであろう。しかし、われわれが教会の勝利を見る前に、この号の4ページにあるポール・クレイマー神父によって話された神からの懲罰がおそらくあるであろう。

霊的に自らを改革すること、同じ精神を持つ他のカトリック者を見出すこと、祈り、断食し、償いをすることは各々の忠実なカトリック者にかかっている。彼らは霊的、知的、精神的に自ら武装しなければならない。そしてこの来るべき対決のために必要であるすべてのことをなさなければならない。われわれは反キリストの諸勢力の一時的な勝利に対してわれわれ自身、われわれの家族および友人を準備しなければならない。多くの仕方で、これらの勢力はすでに成功して来た。

われわれはあなたにイエズスとマリアの使節(31ページを見よ)に参加するよう促す。その使節は神の恵みによって、そして祈り、犠牲、忍耐、忠誠を通して立ち上がり、数えられそしてファチマの聖母、地上におけるキリストの王権、そしてわれわれの一、聖、公、使徒的教会を擁護するであろう。

ロザリオを祈りなさい。
茶色のスカプラリオを身につけなさい。

2004/09/27 三上 茂 試訳

作成日:2004/09/27

最終更新日:2004/09/27

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