ファチマの聖母マリア

何の権威によってわれわれは信じなければならないか?

The Fatima Crusader Issue 78, Autumn 2004

ニコラス・グルーナー神父, S.T.L., S.T.D.(Cand.)
による講演の編集された書写

私は、14年以上も前に出版した私の書物『世界の奴隷化か、それとも平和か』において、「ファチマの聖母を信じ、それに従う義務」という主題について75ページ書きました。

2001年にローマで開かれた司教会議 -- ヂウィズ大司教(30年以上にわたって教皇の個人的秘書)が会議が成功するように願っているが、出席できなくて残念と手紙を下さった会議 -- で話したとき、私は実際に、ファチマのメッセージ、実際に聖母御自身の御出現が、事実聖書の中にあるということを、敢えて指摘しました(ファチマ・クルーセイダー、第74号、p. 32 を見てください)。

実際、反キリストの時代、反キリストが来る前の時代を特徴づけるものは、人々が真理を愛していないということ(テサロニケ後 第2 章)そして人々が真理を愛していないがゆえに反キリストがくるということです。

まったく聖であり、まったく真理に満ちておられる神はにもかかわらず、彼らが真理を愛していないゆえに、反キリストの時代に生きている人々の間に欺く影響を送られます。

われわれが真理を愛するということ、われわれがそれを受け入れそれを抱きしめるということが大切です。このように、聖母が来られて、神が太陽の大奇跡によって裏書きなさった一つのメッセージを与えられたということを証明されるとき、われわれは、聖母が話しているのが御自分であるということを証明されたという事実そのものを信じる義務を持っているのです。

今日に至ってさえ、「グルーナー神父を信じてはいけない、なぜなら、彼はいかなる権威によって話しているのか?」と主張する人々がいます。私は洗礼を受けたカトリック者の権威から、堅振を受けたカトリック者の権威から、そして叙階されたカトリック司祭の権威から話しています。私は常に信じられたものとしてのカトリック信仰の背景から話しています。私は真理を愛し、論理に従うことのできる人の理性に訴えます。私が訴える諸々の事実はすべて明白なものです。

その権威は透明です。もっと重要なことは、話しているのは御自分であるということを証明しておられる聖母の権威です。

ところで、この問題における私の権威のタイプはすべての人々に明らかであるべきです。しかしながら、自分たちのカトリック信仰を知らない人々はそれに疑問を呈します。しかし、御自分が誰であるかを、そしてそのメッセージが信じるに値するものであるということを明瞭に論証される聖母の権威については何の疑問もあり得ません。

私の言っていることで聖母のメッセージに矛盾する何かあることがあるならば、私は真っ先にあなたたちにこう言うでしょう。「私に耳を傾けないで、聖母に耳を傾けてください」と。しかしもし私のしているすべてのことはあなたたちに、聖母が言われたことを繰り返しているのであり、またそれを現在の時代に理解しやすくまた現実的なものにしているのであるならば、そのときは、もし私があなたたちに真理を告げているなら私を信じてください。

あなたたちは再び、権威への訴えを見るでしょう。われわれは権威に訴えることができます。しかしそれはものを知る最高の方法ではありません。私が言っているのは、誤り得る人間的権威のことです。それとは対照的にあなたが信じなければならない最高の権威は神であり、祝せられたおとめマリアです。それゆえ、祝せられたおとめマリアが話されるとき、教皇以上にさえ、ラッツィンガー枢機卿以上にさえ、司教たち以上にさえ聖母を信じなさい。あるいは全バチカン当局以上に聖母を信じなさい。

聖母の言葉の書き換え

それ[人間的権威へ訴え]はあの矛盾にまで堕落しなければならなかったのでしょうか? その通り、明らかにそうならなければならかったのです。聖母は「最後には、私の汚れなき御心は勝利するでしょう」と言われました。しかしラッツィンガー枢機卿は聖母の言葉を間違って引用します。彼は「最後には」という言葉を脱落させます。それにその文章を終わらせません。彼はまた汚れなき御心を出来るだけあなたの心である、あるいは神に奉仕しようとする誰かある人の心であるものへと引き下げます。

彼は「心の清い(clean)人は幸いである」(マテオ 5:8)という節に言及するときに、聖書を間違って引用し、「清い」(clean)という語を汚れなき(immaculate)という語に置き換えています。一つの汚れなき御心だけが存在します。もちろん、二つの汚れなき御心が存在すします、すなわち、聖母のそれとわれらの主のそれです。

しかし、マリアの汚れなき御心は勝利するでしょう。それは将来のための勝利です。しかし、ラッツィンガー枢機卿はあなたたちにそのことを告げないのです。

ファチマの聖母は四つの事柄を予告されました:

「最後には(闘争の後に)、私の汚れなき御心は勝利するでしょう;」

「教皇は私にロシアを奉献するでしょう;」

「ロシアは回心するでしょう;」

「平和の一時期が世界に与えられるでしょう;」

四度、聖母は将来を予告しておられます。ラッツィンガー枢機卿はどのようにして、それを、マリアの汚れなき御心の勝利は、聖母が受胎告知に際して大天使ガブリエルに「はい」と言われた2000年前に起こったと言うところにまで引き下げるのでしょうか?

それが彼がしていることです。ここにあなたは巧妙なごまかしを見ます。あなたは奇術師がその手であなたが一つのことを見たと考えさせますが、しかし彼は別のあることをしていることがどのようにして出来るかを知っています。

ここにわれわれは言葉で仕掛けをする一人の奇術師を持っています:ラッツィンガー枢機卿は、その汚れなき御心が勝利するでしょうという聖母の預言は2000年前に起こったある事柄であると言っています。しかし聖母は1917年にそう言われたのであって、聖母は1917年以後のあるときに、勝利なさるでしょう

あなたはここに、最も重要な預言について真理を告げないカトリック教義の監視人を持っています。実際、ラッツィンガーは、預言それ自体が、神のメッセージが真に神からのものであるという証拠の一部として未来を正確に予告する役割を持っているということを否定しています。神は御自分が神のメッセージの作者であるという証拠として預言をお用いになります。

欺く諸々のメッセージ

ところで、『悪魔の最後の戦い』という書物は非常に詳しくファチマ・メッセージに対するラッツィンガーの信仰の欠如を説明しています。「ラッツィンガー枢機卿のファチマ・メッセージ」という表題の第11章は、枢機卿がファチマの真のメッセージをまったく異なった彼自身のメッセージで代用させたということを示しています。ラッツィンガー枢機卿が実際、完全なファチマ・メッセージを信じていないということが明らかとなります。むしろ、彼はそれを軽視しています。彼は、いつでも一般公衆には[メッセージを]非常に尊敬しているように見せる一方で、それを軽視しているのです。

私は彼がどのようにそうしているか、その一例をあなたに示したいと思います:ラッツィンガー枢機卿は、民主党大統領候補者指名のための党大会で候補者として指名を受けた1992年にビル・クリントンが用いたのと同一の策略を用いています。ところで、クリントンは、ジョージ・ブッシュ・シニアと同じように、また新世界秩序に賛成でした。しかしながら、ブッシュ・シニアとは違って彼は「新世界秩序」というその言葉を用いないほどに十分利口でした。なぜなら、それは多くの人がフリーメーソンのものであることを知っている言葉だからです。(フリーメーソンはイルミナーティから来ており、少なくとも1776年にまで遡ります。)多くの人々はその言葉を理解していました。そして彼らは友人たちにそのことを告げ、第一のジョージ・ブッシュには投票しないように警告しました。

それでビルはその言葉を使いませんでした。むしろ、ビルはこう言ったのです:「そして私が大学で知っているキャロル・クイッグリー」と。-- 彼が言っていたことは、「私はクイッグリーに同意する、そしてクイッグリーは新世界秩序に賛成である」ということです。

なぜ私はここでこの話をするのでしょうか? それはラッツィンガー枢機卿がわれわれに対してしていることと同じことだからです。彼がいわゆる、ファチマに関する一人の「偉大な神学者」について語ったとき、彼が語ったのはベルギーのイエズス会士、ダニス神父についてでした。あなたたちの大部分は彼が誰であるかを知りません。しかしあなたたちはフレール・ミッシェルの『ファチマについての全真理』第1巻のうちに彼について書かれた150頁の論考を見出すでしょう。「神学的見地」からファチマを攻撃している他のあらゆる人々はダニスを模倣し、彼に従っているのです。

ダニスは、シスター・ルチアに対する大きな尊敬を告白していながら、実際には、彼女が秘密全体(第一部、第二部そして第三部)を彼女の想像からでっち上げたと明白に示唆しました。事実上、彼は、彼女がこの最も重大な事柄について嘘をついたと言ったのです。彼は、神が太陽の大奇跡によってシスター・ルチアの真実性を保証なさったという事実を認めることを拒否しました。さらに、彼の主張を詳細にわたって完全に論破するであろう文書を見るようにファチマ学者たちによって促されたとき、彼は証拠を見ることを拒否しました。シスター・ルチアの聴罪司祭たちが彼に反駁できない証拠を示すために提供しましたが、しかし彼は真理を知ることを欲しませんでした。

それゆえ、ラッツィンガーが「偉大な神学者、ダニス」を引用するとき、彼は「私はファチマを信じない」と言っているのです。彼はそのことを直接あなたに告げようとはしていません。なぜなら、彼はすべての威信を失うことになるからです。それゆえ、彼は巧妙に、ダニスの立場を知っている内情に明るい人々に一つのメッセージを送り、そして自分はダニスに従うと言っているのです。

そのようにわれわれはここにラッツィンガーを持っています。彼はファチマの予告を信じないのです。そして彼は教皇に助言をする神学的専門家なのです。われわれは、われわれの状況がどのように、"Lord of the Rings" という書物に出て来るこびとたちのそれに似ているかを理解しなければなりません。われわれの状況はわれわれがなそうと試みていることについて望みがないのです。われわれが、最後には聖母の汚れなき御心が勝利するであろうという希望を持っていることを除いてはそうなのです。

われわれは選ばれている

確かに、神はわれわれの一人ひとりなしにそれをなすことがお出来になります。しかし、ただ神にだけ知られた何らかの理由で、神は、真理のこの一片を知り、それをわれわれ自身生き、それを他の人々に手渡すようにわれわれ一人ひとりをお選びになりました。

われわれの義務は:

あなたは尋ねるかもしれません:「しかし、私は自分がそのように非常に小さく、取るに足りない者だと感じています。どのようにして私は何か意味のある貢献をすることができるでしょうか?」と。

そうですね、第一に、あなたは、われわれが神のためになすすべてのことが、もしわれわれがそれを神の愛のためにするならば、意味のあることだということを理解しなければなりません。結局、神が、われわれの意志に反して取ろうとはなさらずに、われわれから要求なさっている唯一のものはわれわれの愛です。われわれはそれを自由に与えなければなりません。そしてそれゆえに神はわれわれに、神を愛すること、そして神を自由意志をもって愛することを望んでおられるのです。

神はわれわれにこの知識の一片、世の王たちや支配者たちがいずれも知らない、あるいは拒否したファチマ・メッセージを与えることを望まれました。それは人類を救うでしょう。世界に平和をもたらすのは、それについての単なる知識ではなく、それへの従順、祝せられたおとめとの協力です。

勝利なさるのは聖母です。それは聖母の汚れなき御心です。しかし聖母はわれわれを通じて、われわれと同じような他の人々を通じて、そしてあなたが道で出会う他の人々を通じて勝利することを選ばれます。

聖母はわれわれにこの知識と理解とを与えることによってわれわれを選ばれます。真理を知ったわれわれは最終的に、神に奉仕するために、われわれがよりよいことをする、われわれが自分の欠点を克服する、われわれが自分の罪を克服する、より寛大である、より謙遜である、神の意志により従順である、大きなことにおいてと同様に小さなことにおいてもより快くやるということを、われわれの心の中へ沈潜させなければなりません。

われわれはメッセージを生きなければならない
われわれは模範的な大使でなければならない

それはメッセージを生きることそしてまたそれを伝えることを意味します。われわれがそれを生きれば生きるほど、それだけそれはわれわれが告げる人々によって信じられます。

われわれはまたそれを隠すべきではありません。ラ・サレットの聖母は「あなたは私のすべての子どもたちに告げるつもりですか?」と言われました。あなたはそれが大衆向きのものではないときにも、これを伝えますか? 聖トマスはわれわれにこう告げています。「神はあらゆる世代に、一つの新しい教義を与えるためにではなくて、信徒たちに彼らが彼らの霊魂を救うためにしなければならないことを思い起こさせるために、預言者たちをお送りになる」と。

預言者の役割は多くの試練と苦難とを持っています。われらの主はそのことを間接的に言及なさいました。主は、あなたが預言者を預言者として受けるとき、あなたは同様に預言者の報酬を受ける、と言われました。預言者たちは人気がありません。なぜなら、彼らは大衆向きではない事柄を言うからです。彼らは信徒たちに、彼らが忘れてしまったこと、ある人々がむしろ聞きたくないことを思い起こさせます。そしてそれゆえ、ファチマのメッセージを伝えることも時には苦痛に満ちたものなのです。

ジョゼフ・ド・サント・マリー神父が言われたように、もしあなたが諸々の困難を抱きしめることを欲するならば、あなたがしなければならないことはすべて、ファチマのメッセージを促進することか、それともそれについての研究を真剣にやることかのいずれかです。

何年にもわたって、私は次のように言う人々に会って来ました。「私はレジオ・マリエの仕事を促進しました。私はこの種の仕事、あの主の仕事を促進しました。しかし、私はファチマのメッセージを促進するときほど、そのような諸々の困難に出会ったことはありませんでした。」

われわれは聖母の踵である

あなたは、悪魔がファチマでの聖母の要求の実現は彼の国の終りであるということを理解している、と知っています。悪魔は、聖母が御自分の汚れなき御心が勝利するでしょうと言われるとき、彼がその戦闘において打ち負かされるだろうということを理解しています。

アダムとエヴァの堕落以来、神は悪魔と祝せられたおとめとの間に敵意を置かれました:
「私は、おまえと女との間に、おまえのすえと女のすえとの間に、敵意を置く。女のすえは、おまえの頭を踏みくだき、おまえのすえは、女のすえの踵をねらうであろう」(創世記 3:15)。

およそ6000年前になされたその最終的な預言はわれわれの時代に実現されるはずです。しかし、それは、ファチマで予告された聖母の勝利を通じてのみ、われわれが用いなければならないとファチマの聖母がわれわれに告げられた手段によってのみ実現されるでしょう。

ファチマそれ自体は、聖書の中に言及されているでしょう。教皇パウロ六世と教皇ヨハネ・パウロ二世はお二人とも、ファチマに行かれたとき、黙示録の第12章について話されました。パウロ六世はそれを1967年に、そしてヨハネ・パウロ二世はそれについて再び2000年に話されました。

偽羊飼いたちに注意せよ

「羊の衣をつけた狼ども」に対してわれわれに注意しなさいという忠告は第三の秘密の一部です。実際、ヨハネ・パウロ二世は、ファチマのメッセージは地に掃き落とされた天の星々の三分の一に従ってはならないという神の忠告であるとわれわれに告げられました。ファチマについて公表されたあらゆるものの中にどこで言われているのでしょうか? 私は言うことができます。どこにも言われていません。

それゆえに、それは第三の秘密の中にあるに違いありません。

地に掃き落とされた星々の三分の一についての言及は何でしょうか? それは黙示録第12章第3,4節です。第3節では、われわれは太陽を纏った女に直面する大きな赤い竜について告げられます。そしてその竜は天から星々の三分の一を掃き落とし、それらを地に投げ落とします(第4節)。

これらの神秘的な星々は何でしょうか? 星々は、ハーマン・クレイマー神父がその著書『運命の書物』において指摘しているように、われわれのカトリック聖職者です。彼はどのようにしてこの結論を引き出しているのでしょうか? ところで星は何をするでしょうか? たとえあなたが海に出て、あなたの羅針盤を失ったとしても、あなたは常に星々を見て、あなたの帰路を見出すことができます。星々はあなたの港への道を指示します。

天の星々とは何でしょうか? それはあなたの天への道を示す星々です。そしてそれは何であるでしょうか? それはカトリックの聖職者です。聖書の中では司祭の唇は智慧を護らなければならないと言われています。カトリック司祭は智慧を護り、家への、天国への道を示さなければなりません。

しかしわれわれは聖書の中で、それらの星の三分の一が、未来の時に、悪魔に仕える大きな赤い竜によって掃き落とされると告げられています。そして教皇ヨハネ・パウロ二世はその時は今であるとわれわれに告げておられます。教皇はあなたたちに、あなたたちを地獄へと導くであろうカトリック聖職者の三分の一、枢機卿たち、司教たちそして司祭たちの後について行かないように警告しておられます。

だからこそ、彼らは第三の秘密をあなたたちに公開しないのです。だからこそ、私は言うのですが、彼らは単にファチマの聖母に耳を傾けないために愚かであるばかりでなく、聖母を信じないためにより大きく愚かでさえあるのです。彼らは盲人に、そして盲人の指導者たちの後について行くでしょう。そしてもし彼らが最後まで現代の盲目のファリザイ人たちに従い続けるならば、地獄へ行くでしょう。

それがファチマが関わっていることです。それはあなた自身の、そして私自身の個人的救いに関わっています。それはわれわれの霊魂の救いならびに世界の救いについての問題です。それはすべてか無か、であり、それはわれわれの役割を果たすわれわれにかかっています。時、瞬間は来ました。

聖母は悲しんでおられる

シスター・ルチアは、誰も、善人も悪人も、聖母のメッセージに注意を払わないがゆえに、聖母が悲しんでおられるとわれわれに告げています。悪人たちは彼らの上に落ちかかって来る神の懲罰を見ることもなく彼らの道を進んでいます。しかし善人もまたファチマの聖母に注意を払いません。問題は、彼らは、まったくありそうですが、間に合うように聖母に耳を傾けないならば、善人のままではいられない、ということです。

他の人々はあなたたちに、ファチマの聖母に耳を傾けないようにと告げるでしょう。聖母に奉献していると主張しているけれども、しかし聖母の要求がすべて満たされるとき、われわれが平和の一時期を持つであろうということを信じない、一人の有名なそして影響力のある人物がいます。彼はどのように、ファチマの聖母に献身していると主張し、そしてにもかかわらず聖母を信じないでいることができるのでしょうか?

あなたは、あなたのロザリオを祈ることによって、羊の衣をつけたこれらの狼からあなた自身を護るために予防接種をする必要があります。聖母は聖ドミニコに、毎日ロザリオを祈る人々は異端に陥らないということを約束なさいました。もしあなたが異端に陥る不幸に会っても、しかし毎日ロザリオを祈るならば、聖母はそこからあなたを救い出してくださるでしょう。ロザリオは悪徳を克服し罪を減らすでしょう。

聖母はこう言われました:「私は、信徒たちに、彼らの生活を改め、彼らの罪の赦しを求めるように、警告するために来ました」と。

しかし、聖母はわれわれに警告をお与えになる一方で、またわれわれにわれわれの改善をもたらす手段をも与えておられます。だからこそ聖母はロザリオを強調なさるのです。そして、われわれが、望むらくは、天使たちの側にいるけれども、われわれ一人ひとりはそれでもなお、おそらくわれわれが理解している以上にもっと、聖化された者となる必要があるということを理解することはわれわれにとってよいことです。

われわれは皆告解をする必要があります。われわれは皆悔い改めの必要があります。われわれは皆個人的に[なさる]われわれに対する聖母のメッセージに従うことによってわれわれ自身もっと善くなる必要があります。しかし聖母はまた他の人々へ言葉を伝えるわれわれの役割を果たすことをわれわれに望んでおられます。

もし知っているならば、私は責任がある

グレイバー司教が言われたように、「もし私が、世界は戦争によって破壊されるということ、全民族が絶滅させられるということを知っていたならば、 -- 私が祈りと償いとによってこれを止めることができるのにそうしないならば、-- 私は人類に対する罪の責任がある」のです。

もしそのことが祈りと償いについても真であるならば、
もし私が世界が救われ得るということを知っているならば
もし私が全国家(何とかして私自身の国)が絶滅させられることを止めることが出来るならば
もし私が人々に知らせることによってそのことを止めることができることを知っていて、彼らにその真理を告げることを拒否するならば、
そのとき私はその真理を伝えなかったことによって人類に対する罪の責任があるでしょう。

それは私にとって真であるばかりでなく、われわれすべてにとって真であります。
神があなたを祝福されますように。

2005/03/15 三上 茂 試訳

作成日:2005/03/15

最終更新日:2005/03/27

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