ファチマ・クルーセイダー

最後の証人の死

The Fatima Crusader Issue 79, Spring 2005 Special Edition より

ジョン・ヴェナリ

ファチマの幻視者、シスター・ルチア・ドス・サントス、四旬節の第一日曜日に亡くなる。彼女の地上での生は終わった。しかし彼女が嘆いた悪魔的な方向感覚喪失は続いている


ニュースは警告なしにやってきた。実際、北アメリカにおいては誰もシスター・ルチアの差し迫っている死について知らなかった。しかし、2月13日、日曜日に最初の短い発表が Agence France Presse から来た:「おとめマリアが1917年に一連の御出現をなさったと言われている3人の羊飼いの子どもたちのうちの最後の者であるシスター・ルチアが亡くなった....彼女は97歳であった。」

世俗のニュースは世俗の細々としたことを報道した:コインブラの司教は、彼女が数週間の間病気であった、そして彼女の修室を離れなかったと言っている。シスター・ルチアの医師は、彼女が「ひとりでに消える蝋燭のように、大きな苦しみなしに、穏やかに」亡くなったと言っている。月曜日に修道院において告別を受けるためにその遺体が安置されたとき、人々は彼らの敬意を表するために長い行列を作って待つ。ポルトガルの首相は彼女の葬儀の日である火曜日を国民服喪の日と宣言する。シスター・ルチアの故郷の国中に半旗が翻る。ポルトガルの諸政党は彼女の死に敬意を表するために二日間の彼らのキャンペーンをしぶしぶ中止する。葬儀ミサはポルトガルの位階のほとんどすべてが参加してコインブラの大聖堂で挙行された。ミサの間大聖堂は数百人の人々で埋まり、外部には数千人の人々が群がった。伝統的な黒のケープに身を包んだ大学生たちを含む弔問者たちは棺に花を雨と降らせ、棺が大聖堂を出るときハンカチを振る。最後にコインブラのカルメル修道院で埋葬が行われる。シスター・ルチアの遺体は一年以内に、彼女のいとこ、ヤチンタとフランシスコと並んで地下聖堂に安置されるためにファチマのバシリカに移されるというアナウンスがある。

この後、世俗の報道機関はシスター・ルチアと関係を絶つ。他方において、われわれは物語がここで終わるのではないということを知っている。われわれは、聖母がルチアを天国へ連れて行くと約束されたということを知っている。そしてわれわれは彼女の地上での苦しみが終わったことを喜んでいる。彼女は最初煉獄の火を通過するかもしれないけれども、今は80年以上も前に涙ながらの別れの挨拶をした彼女の二人のいとこたちに再び加わるであろう。

われわれはまた、シスター・ルチアによって警告された教会における悪魔的な方向感覚喪失が日々悪化しているということを知っている。われわれは最高段階での教会人たちによってファチマのメッセージが控えめに扱われ、歪められているのを見ている。われわれは、聖母の要求を無視するカトリック教徒たちと彼らの指導者たちからすべて引き起こされている混沌、荒廃、広い地域に蔓延している異端、典礼の無秩序、聖職階級における道徳的腐敗状態を見ている。

シスター・ルチアの警告

シスター・ルチアが亡くなったとき、私は多くの人々から、シスター・ルチアが汚れなき御心の勝利を見るまで生き延びるとされた預言について尋ねられた。これは、実際、ファチマ・メッセージのうちにはどこにも見出されない。シスター・ルチアの死に関する唯一の預言は第三の秘密に関係づけられている。完全な秘密がシスター・ルチアの死の時、あるいは1960年に、そのどちらが最初に来たとしても、公表されることになっていた、と彼女はわれわれに告げた。

しかしながら、1960年には秘密は公表されなかった。そしてシスター・ルチアは沈黙させられた。彼女はバチカンの予めの承認なしにファチマのメッセージに関してまだ公表されていない何かあることについて話すことは許されなかった。

しかし1957年には、そして60年代後半と70年代始め -- 秘密が公表されるはずであった1960年を「括弧でくくる」数年 -- には、シスター・ルチアは秘密が何を含んでいるかを仄めかしたと思われた。これらの陳述において、シスター・ルチアは司祭たちと奉献された霊魂たち[修道者たち]に対して力を獲得する悪魔について話している。彼女は上層の位階を汚染する悪魔的な方向感覚喪失について話している。

バチカンによって予め承認されなかった彼女の最後の公的なインタビュー、フエンテス神父との彼女の1957年の会話において、シスター・ルチアはこう言った:「悪魔は、神に最も背くものが何であるか、そして短期間に最も多くの霊魂を手に入れるものがどれであるかを知っているので、祝せられたおとめとの決定的な戦いを行おうとしています。このように、悪魔は神に奉献された霊魂たちを征服するためにあらゆることをします。なぜなら、このようにして悪魔は指導者たちから見捨てられた信徒の霊魂を離れさせ、そのことによってますます容易に彼らを捕まえることに成功するでしょうから。」

10年以上後に、シスター・ルチアはロザリオを控えめに扱い抑圧しようと努める教会における進歩主義的勢力を公然と非難した。彼女は1969年に彼女の甥である司祭の一人にこう手紙を書いた:「このキャンペーンは悪魔的です。欺かれてはいけません。」これは1969年から71年の間に書かれたシスター・ルチアの手紙からの抜粋を含む1973年の書物 A Little Treatise on the Nature and Recitation of the Rosary からである。

これらの手紙の中に、彼女はまた第二バチカン公会議以後の教会における指導層について強い言葉を残した。彼女は1970年にドロテア会のシスターたちの中の一人の以前の仲間であるマザー・マルタンにこう書いた:「責任ある地位を占めているそのように多くの人々のうちにそのように大きな方向感覚喪失を見ることは苦痛なことです....悪魔は善の覆いの下に悪を侵入させることに成功しました。そして主がその福音において私たちに告げておられるように、盲人が他の人々を導き始めています。そして霊魂たちは自らを欺かれるままにさせています。」

1957年にシスター・ルチアが、悪魔は一つの決定的な戦いを行おうとしていると言ったことは注目に値する。1971年には彼女は悪魔が成功し始めたと言っている。

シスター・ルチアは続けた:「私は喜んで私自身を犠牲にします。そして神の教会における平和のために、司祭たちのために、そしてすべての奉献された霊魂たちのために、特にそのように欺かれ、誤り導かれた人々のために、神に私の生命を捧げます....彼(悪魔)は彼らが占めている地位を通じて一つの重い責任を持っている霊魂たちを誤謬へと導き欺くことに成功しました....彼らは他の盲目の人々を導く盲目の人々です。」

それに対して立ち上がる必要がある

シスター・ルチアがなぜ沈黙させられたか、その理由は何ら不可解なことではない。そのような陳述をする彼女のようなそのように強力な一つの声、聖母の選ばれた器として愛され尊敬された一つの声は公会議後の aggiornamento[現代化]全体を脅かすであろう。これはあらゆる犠牲を払っても避けられなければならない。第二バチカン公会議とその破壊的な諸改革は宇宙の新しい中心であった。シスター・ルチアの唇は滞りなく南京錠をかけられた。

観想的なカルメル会修道女は彼女に課せられた沈黙を受け入れた。彼女はそれを彼女のために神が選ばれた道として理解した。シスター・ルチアは1970年の彼女の友人ドナ・マリア・テレサ・ダ・クニャへの手紙の中でこう言った:「私は沈黙、祈り、償いのうちに留まらなければなりません。このようにして、私はあなたを最もよく助けることができますし、またそう助けなければなりません....そのようなものが、主が私のためにお選びになった部分です。主のぶどう畑で働くために格闘している人々のために、そして神の国の拡張のために祈り、自分自身を犠牲にすること。」

しかしながら、カルメル会の外部にいるわれわれのような者には、彼女は戦うことを勧めた:「これは世界を侵略し霊魂たちを誤り導いている悪魔的な方向感覚喪失です!それに対して立ち上がることが必要です....」

1973年の小冊子の公開以後、われわれはもはやシスター・ルチアが悪魔的な方向感覚喪失について話すのを聞かない。

そうしているうちに、教会は、それが1973年に初期の革命の日々においてあったよりも遙かに悪く、見分けられないほどに新しくされてしまった。[その革新は]そのように甚だしいので、もし1917年に統治しておられた教皇ベネディクト十五世が今、日曜日のミサの間に平均的な小教区の教会に足を踏み入れられたならば、彼はある不気味で自由なセクト、一つのゆるやかなプロテスタント典礼を提供し誤った教説を説く一つのセクト、生彩を欠いた歌を歌い礼拝の間にだらしなく慎みのない衣服を許す一つのセクト、教会の内部を新しくし非カトリック化するのに多額の金額を支出する一つのセクト、そこで平信徒がそのセクトが真の現存を信じていないことを示す聖体を配るのを助けている一つのセクト、がかつてのカトリックの建物を強制的に取り上げてしまったのだと見なされたであろう。彼はまただんだんと減ってくる人数からそのセクトが死につつあるということに気がつかれたであろう。

ルチアの聖なるいとこたち、ヤチンタとフランシスコは、特にもし彼らが世界青年の日として知られているロックンロール・サーカスに参加したならば、同じようにぞっとしたであろう。ここで彼らは、雰囲気の低俗さ、青年たちのみだらでだらしのない服装、騒々しい行動、教皇ミサにおけるpep-rally な精神、典礼全体に浸透しているロックンロールのリズム、愚かな典礼ダンス、御聖体に対する露骨な不敬を激しい嫌悪をもって眺めたであろう。彼らは、それを新しい千年紀のための「希望の印」と呼ぶ公会議後の教会の盲目の指導者たちによってこのすべてが称賛されているのを見て更にあきれ果てたであろう。

天使に教えられて

ヤチンタ、フランシスコそしてルチアは1916年に天使によって教えを受けた。天使は彼らに御聖体は真にイエズス・キリストの御体、御血、霊魂と神性であると教えた。子どもたちは深い尊敬と礼拝において御聖体の前で平伏した天使の模範に倣った。

カトリック教徒が御聖体に対して抱いているこの崇敬の念は、神聖冒涜がそこで日常の秩序である公会議後の教会においてはほとんど消失してしまった。手による聖体拝領と平均的な小教区教会における(そして世界青年の日の教皇ミサでは顕著である)平信徒の「聖体奉仕者たち」という広範な冒涜はヤチンタとフランシスコを何週間もの償いへと駆り立てたであろう。

われわれは決して知らないであろう

人はシスター・ルチアが教会の真の状況についてどれだけ多くのことを知ることを許されたのかを知りたいと思う。われわれは彼女自身の口から、彼女が教会の現在の状態について何を思ったかを、あるいは教会がどの程度まで落ちたかを彼女が知っていたとしても、聞くことは決してない。

この現世の生活においては、われわれは、シスター・ルチアが2003年10月にファチマで開催された異端的な諸信仰間会議について何を思ったかを決して知らないであろう。そこでは、ジャック・デュピュイ神父が、そこに居合わせたすべての人々の大喝采の中で、フィレンツェ公会議の不可謬的な決定を「恐るべきテキスト」と呼んだのである。

われわれは、この陳述についてのファチマ聖堂主任司祭ゲッラの喝采について、そして彼の諸信仰間会議を批判した人々に対する彼の攻撃について彼女が何を考えたかを決して知らないであろう。

われわれは、同じファチマ会議でデュピュイ神父の冒涜的で異端的な所見に対して無条件の称賛を与えたバチカンのミヒャエル・フィッツジェラルド大司教について彼女が何を考えたかを決して知らないであろう。

われわれは、2004年5月5日に、聖堂主任司祭ゲッラによって許可されたファチマの御出現の小聖堂でのヒンドゥー教の儀式について彼女が何を考えたかを決して知らないであろう。そこでは、一人のヒンドゥー教の「僧侶」がカトリックの祭壇上でヒンドゥー教の答唱を歌い、ヒンドゥー教の会衆の列席する中、異教の祈りを唱えたのである。

われわれは、儀式に参加した彼のヒンドゥー教の「会衆」と共に祭壇で歌ったヒンドゥー教の「僧侶」のテレビ放映、ビデオ、そして出版された写真にもかかわらず、「祭壇では何事も起こらなかった」と主張する公的なコミュニケを出したとき、ヒンドゥー教の儀式についてのゲッラ主任司祭のその後の嘘について、彼女が何を考えたかを決して知らないであろう。

否、シスター・ルチアは予めのバチカンの承認なしには決して話すことを許されなかった。悪魔的な方向感覚喪失に対して警告した彼女はそれが加速するにつれてその方向感覚喪失に関してコメントすることを禁じられた。またわれわれは彼女の近くのどこででもそのことすべてについて彼女が何を考えたかを尋ねること、あるいは彼女が知ったそのことについてどの程度進んだのかを尋ねることを許されなかった。

われわれはまた、非カトリック者たちは救いのためにカトリック教会に回心する必要はないと主張する新しい公会議後のエキュメニカルな教えについてシスター・ルチアがどう考えたかを決して知らないであろう。このことによって、「ロシアの回心」は第二バチカン公会議以前のすべての教皇、聖人そして教会博士たちによって教えられた真の意味とはまったく異なった一つの意味を与えられている。

ゼニットからのさらなる故意の誤報

異端的な新しい定義がシスター・ルチアの死の三日後に、「ファチマはロシアにおいて広い魅力を持っていると側近は言う」という表題で公表されたゼニット Zenit の記事において明らかにされた。ゼニットによって「カトリック・メディア当局者」として記述されたヴィクトール・クロウルはロシアのカトリック司教たちのインフォメーション・センターの所長である。クロウルはシスター・ルチアについての彼の称賛、そして「ロシアの人々についての」彼女の「証言と励まし」に対する彼の感謝について話している。「....彼女のおかげで、多くの人々はロシアの回心のために何十年間祈ってきた。」

また、カトリック週刊誌 Svet Evangelia の編集者でもあるクロウルは次に「回心」の新しい定義をまくし立てる。彼は、人が「ロシアの回心」について話すとき、それが「不信仰からキリスト教信仰への移行」を意味すると理解しなければならないのであって、カトリック教徒であること、あるいはそうでないことと混同されてはならない、と言う。

これは一つの欺瞞的なそして危険な近代主義的な戦法:すなわち、カトリック的な語に非カトリック的な意味を与えること、である。

さらに、もしこの回心の定義が真であったならば、そのときロシアは、聖母がファチマに1917年に御出現になったとき、聖母がロシアの最終的な回心を予告なさったときに、すでに「回心して」いた。ロシア人の大多数はそのときロシア正教徒であったし、そして共産党の迫害の下でさえロシア正教徒であり続けた。新しい定義は聖母の言葉からそのすべての意味を剥奪する。それはまたカトリック教会の不可謬の教義を拒む。

ギリシャ正教とロシア正教の教会に属している人々は、彼らが分派によって一なる真のキリストの教会から切り離されているがゆえに、その[真のキリストの教会の]メンバーではないということは常にカトリックの教えであった。フィレンツェ公会議は、「ユダヤ教徒たち、異端者たち、そして分離派の人々」は「カトリック教会の外部」にいる、そしてそのようなものとして、彼らが「死の前に」イエズス・キリストの一なる真の教会、すなわち、カトリック教会に加わらない限り、「永遠の生命への参加者では決してあり得ない」と不可謬的に決定した。

換言すれば、彼らは回心しなければならない。

この真理は最初から教会によって教えられてきた。五世紀に聖フルゲンティウスは同じ教説を、フィレンツェ公会議の決定のための基礎として明らかに用いられた言葉で表現した。彼はこう書いた:「単に異教徒たちだけでなく、またすべてのユダヤ教徒そしてすべての異端者たちおよび分離派の人々、カトリック教会の外部でこの現在の生を終える者は悪魔と彼の使いたちのために用意された永遠の火の中に入って行くということを最も固く信じ、決して疑ってはならない。」

トレント公会議のカテキズム は同様にこう教えている:「不信仰者たち、異端者たち、分離派の人々、そして破門された人々」は「教会の囲いから除外される」。

教皇聖ピオ十世のカテキズム は数世紀後に、同じ真理を変更なしに提示している。それはこう教えている。「真の教会の外部にいる者は:不信仰者たち、ユダヤ教徒たち、異端者たち、背教者たち、分離派の人々そして破門された人々である。」それはさらにこう述べている。「教会の象徴であったノアの箱船の外では誰も洪水から救われることができなかったのと同じように、カトリック、使徒の、そしてローマの教会の外では誰も救われることはできない。」

聖ピオ十世は正教徒は回心しなければならないと言っておられる

教皇聖ピオ十世は分離派の正教徒がカトリック教会に戻る必要性について特に話された。1910年の回勅 Ex Quo において、彼は分離主義的な正教徒の再統合のためのすべての仕事は「第一に、そして何よりもまず、彼ら(東方正教徒たち)が聖書において伝えられ、奉献されてきた真のそして全体的なカトリック信仰、教父たちの伝統、教会、一般公会議の同意そして至高の教皇たちの諸々の布告を守らない限り、無駄であろう」と書かれた。聖ピオ十世は神が「東方の諸民族がカトリックの一致へと戻り、彼らの諸々の誤謬を捨てた後に使徒の座に結ばれて、永遠の救いの港へと入る日を早めて」くださるよう祈られた。

われわれは聖ピオ十世が、東方正教徒は以下の通りであると繰り返し述べておられるのを見る:

  1. 彼らが放棄しなければならない異端的な教えを奉じている。

  2. 彼らの分派のゆえにキリストの真の教会に結びつけられていない。

  3. 教皇制度の合法的な使徒的権威に従属することによって、彼らが諸々の誤謬を放棄し、キリストの一なる真の教会に加わらない限り、救いの港に到達することはないであろう。

現在教会の指導者たちの間に普及している、そしてヴィクトル・クロウルによって指摘されているエキュメニカルな教えとは反対に、回心はただ一つの意味だけを持ち得る:すなわち、分離派の人々、異端者たちそして反対者たちがイエズス・キリストによって建てられた真の教会、すなわちカトリック教会に立ち戻ることである。

用語の歪曲の諸結果は明らかである。奉献は為されなかった。ロシアはカトリック信仰へと回心しなかった。それゆえ、近代主義のカトリック教徒たちは回心の新しい定義に訴えている。そうすることによって、彼らは奉献は為された、ロシアは今回心している、そしてファチマの諸々の預言は完全に実現されていると主張している。

シスター・ルチアは悪魔的な方向感覚喪失の高まりの間に亡くなった。われわれは、ファチマ・メッセージのこの曲解について、そして基本的カトリックの教えのこの堕落について彼女がどう考えたかを決して知らないだろう。

われわれが知っていることは、シスター・ルチアがファチマの聖母のメッセージを知らせる彼女の使命を果たしたということである:「神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を確立することを望んでおられます。」彼女は、われわれが毎日ロザリオを祈り、罪人たちのために犠牲をし、犠牲の行為としてわれわれの日々の義務を神に捧げ、聖母の汚れなき御心に対する償いの5回の初土曜日をするという聖母の要求を伝えた。彼女は第三の秘密 -- それは明らかにまだ完全には公表されていない(pp. 6, 15, 24 を見よ) -- を伝え、そして教皇にロシアを汚れなき御心に奉献するようにという聖母の要求を伝えた。シスター・ルチアはまた、もし聖母の要求が心に留められないならば、「さまざまの民族が絶滅させられるでしょう」という聖母の警告を知らせた。

私の正義の厳格さ

シスター・ルチアはまた、われらの主によって与えられた多く無視されている警告を伝えた。彼女はその回想録の中にこう書いている:「1939年3月に、われらの主は私にもう一度こう言われました:『初土曜日にマリアの汚れなき御心の栄誉を称えて償いの聖体拝領が広まるように求めなさい、それを再びしつこく求めなさい。私の正義の厳格さがさまざまの民族の罪を罰する時が来ている。彼らのうちのある者は絶滅させられるであろう。最後に私の正義の厳格さが、霊魂たちにおける私の支配を破壊しようと欲する人々の上に厳しく下るであろう』と。」

われわれはシスター・ルチアの仕事を続けなければならない

ファチマのメッセージを広め続けること、ファチマは終わっていないということを主張することはわれわれの仕事である。そのメッセージは従われ、これまで以上に今促進されなければならない。

熱意と信頼とをもって前進しよう。われわれは、われわれがファチマ・メッセージを促進する助けを祈ることができる一人の新しい超自然的な支持者:ルチア・デ・ヘスス・ドス・サントスを持っていると信じる十分な理由を持っている。

おお、主よ、永遠の安息を彼女に与え、彼女の上に永遠の光を照らし給え。彼女が安らかに憩わんことを、アーメン。

2005/07/23 三上 茂試訳

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作成日:2005/07/23

最終更新日:2009/03/02

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