ファチマ・クルーセイダー

シスター・ルチアの修室は封印されるよう
ラッツィンガー枢機卿によって命じられた

The Fatima Crusader Issue 79, Spring 2005 Special Edition より

クルストファー・フェララ

ファチマのシスター・ルチアは2005年2月13日 -- 6ヶ月の間毎月(5月から10月まで)起こったファチマの御出現と同じ日に、そしてアリ・アグカが1981年に教皇暗殺を試みた月の同じ日に -- 亡くなった。

まさにその翌日、イタリアのトップのジャーナリストで、そのヨハネ・パウロ二世とのインタビューがベストセラーの書物 Crossing the Threshold of Hope となったヴィットリオ・メッソーリはイタリアの日刊紙 Corriere della Serra の「ファチマの秘密、シスター・ルチアの修室の中に封印さる」において驚くべきニュースを報じた:メッソーリはコインブラにある修道院内のシスター・ルチアの修室は「すでに封印された」そして「そこにあるものは何であれ、正統信仰の保護者として、常に再び現れて来る幻想的な諸々の誘惑を寄せつけてはならない同じラッツィンガー枢機卿によって送られたと考えられる信頼された神学者たちとモンシニョールたちのふるいを通じたものだけが出されるであろう」と報じている。

メッソーリはさらに、コインブラの司教によれば、シスター・ルチアの今封印された修室はそこで「彼女が他の御出現を受けた場所、彼女がそこに日記を保存した場所、そこで彼女が教皇に手紙を書いた場所、そこで彼女がその神秘的な直観を経験した場所」であるということを明らかにしている。メッソーリは、ラッツィンガーが、これらのページはバチカンの秘密文書館のあるアクセス不可能な部分に永遠に隔離されて、終わらないであろう、とは言わなかったとつけ加えている。

それゆえ、ラッツィンガー枢機卿が2000年6月にわれわれに確証したように、さらに明らかにすべきものを何も持たなかった最後の生き残りのファチマ幻視者は、遙かに多くのもっと明らかにすべきものを持っている -- 実際、再検討するモンシニョールたちや神学者たちの「ふるい」が封印された部屋の内容を精査するために必要とされるであろうほどに多くのものを -- と思われる。

メッソーリが述べているように、「最後の幻視者の死は問題を閉じなかった。おそらく、反対にそれは新しいそして未知の地平を開いた。われわれは彼女のアクセス不可能な修室の中で何が見出されるかを知らない...」死においてさえ、ファチマのシスター・ルチアは、ラッツィンガー枢機卿 -- 第三の秘密全体として提供された幻視についての彼の「解釈」が、Los AngelesTimes でさえが見ることができたように「ファチマの信心を穏やかに地位低下させる」ことを目標としていたあの同じラッツィンガー枢機卿 -- によって施錠されたままである。

明らかに、最後の生き残りのファチマ幻視者は彼女の二人のいとこたちと共に、天からその情景を見下ろし、ファチマについての全真理の不可避の開示とファチマの諸々の預言の栄光ある実現を待っている。神の恵みによって、われわれがその幸せな日を見ることができますように。

2005/07/25 三上 茂試訳

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作成日:2005/07/25

最終更新日:2009/03/02

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