ファチマ・クルーセイダー

マリアの汚れなき御心へのスペインの奉献

The Fatima Crusader Issue 80, Summer 2005 より

ジョセフ・ケイン

いとも聖なるおとめに対する奉献の最も誠実な形式...は聖母の汚れなき御心への奉献である。この手段によって心のうちに、聖なるおとめとの増大する通交と親しさは、神のために生き、ここ地上でその御母マリアに対する御子イエズスへの愛の勤めを果たす一つの新しい道として生命を得るのである。」注1)

マリアを通してイエズスへ

2005年5月22日、日曜日にプラサ・デル・ピラールの柱の聖母大聖堂の前でスペインの司教たち注2)は7万人の信徒の列席する中、彼らの国をマリアの汚れなき御心に奉献した。奉献の行為はスペイン・カトリック司教会議議長でビルバオの司教リカルド・ブラスケス・ペレス閣下によって先導された。それはスペイン・テレビ、チャンネル2、そしてSEC(スペイン・カトリック司教会議)のウェッブサイトで放映された。しかし、そのことを超えて、スペイン全土および世界の残りを通じて世俗のメディアによるその出来事のほとんど完全な報道管制が敷かれた。The Fatima Crusader はその読者たちが、いくつかの理由で、この画期的な出来事について知ること、しかしまず何よりも、この主要なニュースを公衆に伝達するスペインのニュース・サービスの側での嘆かわしいそして意図的と思われる無視の埋め合わせをすることを望んでいる。

2005年5月22日は2004年5月20日に始まったスペインにおける聖年[ヨベルの年]の終わりを表すものであった。そしてサラゴサの柱の聖母像の教会法に基づく戴冠の百周年記念祭であった。2004年11月に SEC(スペイン・カトリック司教会議)はマドリードにおいてその第83回総会を開催し、その月の25日に彼らのウェッブサイトで「おとめマリアの汚れなき御宿りの教義決定150周年記念日における総会のメッセージ」という題で公表された一つの文書を出した。彼らは2004年12月8日に始まるスペインにおける Inmaulada (汚れなき御心)の年を召集し、そして次のように述べた:

われわれは福音の光を必要とする世界におけるキリスト者としてのわれわれが直面している新しい挑戦に、われらの御母、汚れなきおとめの手厚い保護なしには立ち向かうことができないと確信している。「汚れなき御心の年」祝賀の最も重要なものとしてスペインの司教区の諸教会、われわれ、司牧者、修道者、平信徒、成人、青年そして子どもたちは、われらの御母に敬意を表し、そして聖母の汚れなき御心に再び荘厳に自らを奉献するために、2005年5月21日および22日にサラゴサの柱の聖母大聖堂へ巡礼に行くであろう。注3)

このマリアの教義に含まれている信仰の諸真理を表現する絵画や彫刻の最も偉大な宝物のいくつかを展示している Inmaculada の表題の下での芸術展示は2005年5月1日から10月12日までマドリードのラ・アルムデナ司教座聖堂において開催されている。スペイン司教会議はまたスペインの司教区の大部分がすでに年中企画している、あるいはこれから企画するであろう同様な構想を調整している。

SEC は次のように続けている:

スペインにおけるおとめマリアに対する真摯な愛は古代以来、一つの「恐れを知らない防衛」として、そして特にマリアの無原罪の御宿りに関連して、解釈されてきた。それは疑いもなく教義的な決定のための基礎を置いた一つの防衛である。もしスペインが「マリアの地」であるならば、それは大いに Inmaculada に対するその献身のためである。注4)

12月8日の無原罪の御宿りの祝日はスペインにおいては神学的な論争にもかかわらず、そして、明らかに信仰の教義としてのその決定のずっと以前、十一世紀以来祝われてきた。教皇たちは常にこの教義的決定がスペイン人によって進められたと言ってきた。教皇ヨハネ・パウロ二世は、1982年6月11日の彼の最初の使徒的訪問のときに、「あなたたちの歴史においてマリアに対する愛はカトリック性のパン種であってきた。それはスペインの人々をマリアの偉大さ、とりわけマリアの汚れなき御宿りにおける偉大さの堅固な献身と恐れを知らない防衛へと駆り立てた。」注5)

十六世紀以来、第二バチカン公会議に至るまで、スペインおよびポルトガル両国の諸大学の教授たちと学生たちは汚れなき御宿りの教説を擁護する誓いを立てた。スペインには、Ave Maria Purisima! (めでたし、いとも純なるマリアよ!)という歓呼でもって仲間のカトリック者に挨拶し、手紙を始める、何世紀にもわたる一つの伝統がある。何世紀もの間、スペインおよびポルトガル両国は彼らの国、すなわち、イベリア半島を:「マリアの地」(Tierra de Maria)あるいは「聖マリアの地」(Terra de Santa Maria)と呼んできた。

聖母が1917年にファチマで御自分の汚れなき御心について話されたとき、聖母は疑いもなく「私は汚れなき御宿りです」と言いながら、1858年にルルドで聖ベルナデッタと話されたとき用いられた同じ語[ Immaculate ]を意図的に用いられた。そして福者教皇ピオ九世がその4年前の1854年に聖母が汚れなく immaculatus すなわち、macula なしに -- 原罪の汚れなく -- 宿られたということを教義的に決定されたその教皇宣言 Ineffabilis Deus において用いられたのはこの語であった。

2005年5月22日のスペインの奉献は、1854年12月8日に福者ピオ九世の汚れなき御宿りの教義決定以来の100年間を記録したスペインの司教たちの前の世代によって1954年10月12日になされたマリアの汚れなき御心への国家的奉献の更新であった。1954年という年はその決定の百周年を記念するために教皇ピオ十二世によってマリア年と宣言された年である。

スペインの奉献の更新がずっと以前に計画されていたかどうかを人が不思議に思うとき一つの問いが起こる。なぜスペイン司教会議はその更新をするために2005年5月まで待ったのか? 教義決定の150周年記念は2004年だったのであって、2005年ではない。そしてヨハネ・パウロ二世は、彼が教皇ピオ九世を列福されたにもかかわらず、2001年をマリア年と、そして2005年を「聖体の年」と宣言されて、決定の150周年記念の同調を外された。スペイン司教会議が「 Inmaculada の年」の彼らの召集においてバチカンの「聖体の年」とを結びつけようと努力する彼らの2004年11月25日の文書において数行を捧げたけれども、スペイン司教団によって神の御母に示されている尊敬は彼ら自身の発意だったのであり、ずっと以前に計画されていたのではなかった。

最もありそうなことであるが、スペインの奉献は最近の二つの不吉な出来事に応えるものであったと推論され得る:すなわち、第一は、マドリードにおける心的外傷を与える2004年3月11日のテロリスト攻撃にすぐに引き続いて、スペイン国民は選択的中絶と同性結婚の合法化をもってその国をさらに非キリスト教化することを約束した社会主義政府を選択したということである。そして第二は、いとも聖なるおとめが最初にそこで、御自分の汚れなき御心に対する侮辱、冒涜、無関心のために償いがなされなければならないと求められたまさにその場所でカトリックの祭壇上での異教の儀式を挙行するヒンドゥー教徒たちによって2004年5月5日にポルトガル、ファチマの御出現の小聖堂の神聖冒涜が行われたということ、そしてポルトガルの位階によるその後の償いがまったく欠如しているということである。

2004年の夏の数ヶ月の間、ファチマ・センターはスペインの司教たちに、The Fatima Crusader において公表されたジョン・ヴェナリによる論考(77号を見よ。)のスペイン語版を送った。「神聖冒涜の写真」と題されたその論考は聖堂主任司祭とファチマ司教とによって招待されたヒンドゥー教徒たちによる御出現小聖堂の神聖冒涜の写真による証拠を提出している。

2004年10月の第三週の間、ファチマ・センターの二人の代表者 -- そのうちの一人は司祭であり、預言と地政学に関する著名な専門家である -- がファチマ聖堂における冒涜そしてまだなされていないマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献に関して、スペインにおける数人の司教たちと会った。11月の最初の週には、スペインのほとんどすべての69の司教区の司教区住所録の挙げられている聖職者にもまた「神聖冒涜の写真」のスペイン語版が送られた。

その間もなく後に、スペイン司教会議は総会で会い、「Inmaculada の年」を召集し、2005年5月にマリアの汚れなき御心にスペインを奉献するという彼らの意図を告知した。ファチマ・センターは1月にスペイン司教会議の意図についてのニュースを聞いた。しかしそれを予め公表することによってどんな仕方でもそれを危険にさらすことがないように助言を受けて、それについて沈黙を守った。

10月にファチマ・センターの代表者たちと会った二人のスペイン人高位聖職者は、出来事がそうしたであろうように、スペインの奉献において重要な役割を果たした。聖母に対する彼の愛の最も雄弁な証言である154の脚注を含んだ長さ225ページの包括的で詳細なマリア司牧書簡を9月に公表したばかりの最初の高位聖職者はその出来事を主催し、その間にスペインの奉献が行われたミサを捧げた人であった。

ファチマ・センターの代表者たちを丁重に歓迎されたもう一人の高位聖職者は(代表者たちの報告を引用すれば)「...その夜のホテルの部屋代を支払うのを助けるためにわれわれに下さった寄付金をもってばかりでなく、また彼の親切とわれわれがしている仕事についての明白な評価によっても、慈悲深い方であった....彼は遮ることなく、うんざりしたり、退屈した様子を見せることなく、言われたことに大きな関心を示し、適切な質問をしながら、話に耳を傾けられた....われわれは、われわれが話したときの彼の顔の表情における、またファチマの小聖堂の神聖冒涜、地政学そして預言に関する彼の論評と質問における彼の率直さと真摯さとに感動した。」この同じ司教は、5ヶ月後に、彼の同僚たちの上に立つ権威を持つ地位に選出された。そして5月22日にスペインの奉献において彼の同僚の司教たちを指導したのは彼であった。

ファチマ・センターはスペインの奉献を生じさせることにおいて一つの役割を演じたのか? 究極的にはただ神だけがそれへと導いた、そしてこの使徒職が一つの道具となったかもしれない一連の出来事において諸状況の驚くべき収斂を調整することがお出来になった。われらの主イエズス・キリストと彼の聖なる御母にすべての栄光と栄誉があらんことを!スペインの奉献が来るべき困難な時代において信徒たちと未来の信徒たちを護り、強め、この荘厳な公的行為がたの国々の奉献の最初の喜ばしい前触れとして認められんことを。

教会が、他の国々の司教会議によって同じ荘厳かつ公的な仕方で聖母に光栄を与えながら、汚れなきマリアの「恐れを知らない防衛」において霊的な武器を取り続け、このようにしてかつてのキリスト教世界の諸国が落ち込んだ穴からはい上がらんことを。世界のすべてのカトリック司教たちと一致する教皇によるマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献は聖母の勝利への最後の一歩、そして純化され回復されたカトリック教会の新しい夜明けであろう。そしてファチマの聖母が約束なさったように、世界を待っている結実は普遍的な平和である。おお、神よ、それが早く来らんことを。

スペインの司教たちによるマリアの汚れなき御心への奉献の祈り

キリストの御母にしてわれらの御母よ、御身の汚れなき御宿りの宣言の[150]周年を記念せんがために、われらは御身の御子が御自身についてなされし奉献に一致せんことを望み奉る:

「かつ彼らをも真理のうちに聖ならしめんとして彼らのために、おのれを聖ならしむ」(ヨハネ 17:19)。しかして御身の汚れなき御心へのわれらの個人的および共通の奉献を更新し給え。

汚れなきおとめよ、われらは御身の前に平伏し奉る。御身は御身の御子の救世的な奉献にまったく一致し給えり。教会の御母よ、信仰、希望、愛の道にあるスペインのキリスト信者すべてを照らし給え。御身の御母としての御助けをもって、平和、尊敬、繁栄の道にあるわれらの国のすべての男女を護り給え。

汚れなき御心よ!

人々の心を傷つけ、調和のうちに生きることを妨げる悪の脅威を征服するためにわれらを助け給え:

あらゆる種類のテロリズムと暴力からわれらを救い給え!

人間生活に反するあらゆる様式の罪から、生存の瞬間から最後の自然的な呼吸まで、われらを救い給え!

宗教的自由に対する攻撃、良心の自由に対する攻撃からわれらを救い給え!注6)

社会生活におけるあらゆる種類の不正からわれらを救い給え!

神の十戒を踏みにじる気楽さからわれらを救い給え

結婚および家庭の尊厳に反し、それを軽蔑する諸々の罪からわれらを救い給え!

嘘と憎しみの蔓延からわれらを救い給え!

正邪の感覚の喪失からわれらを救い給え!

聖霊に反する諸々の罪からわれらを救い給え!

おお、汚れなき御母よ、信頼と感謝に満ちたこの嘆願を受け入れ給え。

スペインとその人民、その男女のすべてを護り給え。

御身の汚れなき御心のうちにある希望の光をすべての者に開かれんことを。

アーメン。

脚注:

  1. スペイン司教会議(SEC),Mensaje de la Asamblea Plenaria en el CL aniversario de la definicion del Dogma de la Concepcion Inmaculada de la Virgen Maria, Madrid, Nov. 25, 2004; cf. PopeJohn Paul II,

    Mensaje con ocasion del Ano Mariano Carmelitano, March 3, 2001, page 4(our taranslation).

  2. ここで、スペインの奉献に参加された多くの司教たちの名前をアルファベット順に挙げよう。
    教皇使節
    Mons Manuel Monteiro de Castro.
    枢機卿
    Amigo Vallejo, Carlos; Archibishop of Seville.
    Rouco Varela, Antonio Maria; Archibishop of Madrid.
    大司教
    Barrio Barrio, Julian; Archibishop of Santiago de Compostela.

    Cannizares Llovera, Antonio; Archibishop of Toledo and Vice-president of the SEC.
    Garcia Aracil, Santiago; Archibishop of Merida-Badajoz.
    Gil Hellin, Francisco; Archibishop of Burgos.
    Martinez Sistach, Luis; Archibishop of Barcelona.
    Pujol Balcells, Jaume; Archibishop of Tarragona.
    Rodriguez Plaza, Braulio; Archibishop of Valladolid.
    Sebastian Aguilar, Fernando; Archibishop of Pamplona and Bishop of Tudela.
    Yanes Alvarez, Elias; Apostolic Administrator of Zaragoza.
    また、33人の司教たちと7人の補佐司教たちが出席された。

  3. SEC, Mensaje de la Asamblea Plenaria en el CL. aniversario de la definicion del Dogma de la Concepcion Inmaculada de la Virgen Maria., Madrid, Nov. 25, 2004.

  4. Ibid.,point 8.

  5. Ibid., point 7. cf. John Paul II, Alocucion en el acto mariano celebrado en Zaragoza, June 11, 1982.

  6. スペインの司教たちはカトリック的な意味における宗教と良心の自由を明白に訴えておられる:すなわち、それは、世俗的な当局が中絶と同性「結婚」を合法化しようとしているスペインにおいてその両者が攻撃されている真の宗教と正しく形成された良心の自由である。

2005/08/23 三上 茂試訳

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作成日:2005/08/23

最終更新日:2007/09/27

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