聖ヨゼフの苦しみ

彼の七つの悲しみ

The Fatima Crusader Issue 82 Spring 2006 27

聖ピーター・ジュリアン・エイマード

聖ヨゼフはマリアとその栄光の諸特権において結びつけられておられたがゆえに、彼もまたマリアと同じように苦しまなければならず、また彼の心もまた七つの剣によって突き通された。

これら七つの大きな苦しみは彼がイエズスと一緒に歩まれなければならなかった悲しみの道の各留に似ていた。彼はその心において絶えず苦しまれた。しかしある時には彼の苦痛は一つの新しい強度を帯び、それ自身の中へナイフを返しながら、二重に鋭くなる。

1.彼の最初の大きな試練は彼がマリアの御懐妊に際して感じた人を苦しめる疑念であった。一言も言わずに彼女を見捨てようとされたとき、彼は以下のようではないかと思われた:すなわち「ほとんど子どもであるこの若いおとめはどうなるだろうか? 誰が彼女の世話をするだろうか? 律法はなお別れることを強い、そして律法に対する尊敬は彼女を捨てることを私に余儀なくさせる。」ヨゼフのようなそのように愛すべきそして忠実な心、われわれが理解することができるように、マリアを愛しておられた心にとってそれは何と猛烈な苦痛であったことだろうか。

2.ベトレヘムが彼を拒否し、馬小屋に避難することを彼に強いたとき、彼は深く傷つけられた。彼は自分自身のために悲しまれたのではなくて、天使たちの元后なるその若い母親のために、そしてこの世に来ようとなさっている彼の神なる幼子のために悲しまれた。彼を最も強く苦しめたことは彼らになされた不法行為であり、彼の愛する者たちが馬小屋において忍んだ窮乏であった。彼はどれだけの日夜彼らがそこにとどまらなければならないかを知っておられなかった。神は彼を盲人のようにお導きになり、彼を常に依存的な者となさった。そしてこの不確実性は彼の苦しみを倍加した。

3.イエズスの割礼。ヨゼフにとって、彼自身が神である幼児を苦しませ、彼の血の最初の一滴を流すと考えることはどのようにショックだったことか。彼の心はその傷、そこから流れ出る血、そして神の御母の涙を見てどのように痛んだことであろう。

4.年老いたシメオンの預言。ヨゼフが、一本の剣がマリアの心臓を貫くであろうということを知られたとき、彼はメシアの苦しみと屈辱に関するイザヤの預言の完全な意味を理解なさった。その瞬間から彼はマリアとイエズスお二人の悲しみを心に抱かれた。彼らの苦しみという考えは決して彼から去らず、彼が彼らとともに分かちもった日々の苦しみとなった。

5.エジプトへのせきたてられた逃亡。あの旅の恐れ、恐怖を誰が想像することができようか? 神はヨゼフが摂理に身を委ねるようにと彼を不安で満たし給うた。あの未知の土地、あれらの荒れ果てた道々でヨゼフはあらゆる不幸を懸念しながら、絶えざる不安を堪え忍ばれた。彼は一人の父親の心、諸々の心の中でも最も優しい心を持っておられた。そこで彼は一人の貧しい老人として、どの瞬間にもそれを攻撃するかも知れない諸々の敵に対して御父なる神の宝物をただ一人で守る責任を負わせられた。

6.エジプトからの帰還の途次、別の不幸が彼を待っていた。アルケラオスを恐れてヨゼフは再び幼子イエズスを隠すことを余儀なくさせられた。ヨゼフにとってそこにはどんな休息もどんな平和もなかった。彼はただもう一つの危険に出会うためにのみ一つの危険を逃れられた。

7.神殿でイエズスを見失う。ヨゼフの苦悩はどのように大きかっただろうか、彼の涙はどのように苦かっただろうか? それで聖霊はそれらをマリアの次の言葉において不滅のものとすることを望まれた。「子よ、何ゆえ、われらにかかることをなししぞ、見よ、汝の父と、われとは憂いつつ汝を尋ねいたり」。彼は、その謙虚さにおいて、それだけますます心配で苦しまれた。彼は御父の聖なる委託に対する配慮において怠慢だったことで自分を責められた。

これらが聖ヨゼフの七つの大きな悲しみであった。彼はそれらの悲しみを、何ら人間的な慰めを持ったり、求めたりすることなく、沈黙、謙遜そして愛のうちに堪え忍ばれた。彼は御自分のためにではなくて、イエズスのため、マリアのため、世界のため、われわれのために、苦しまれた。彼を救世主の贖罪の働きに結びつけた苦しみに幸いあれ。

純潔の完全な模範聖ヨゼフ

聖ヨゼフの最も高く評価される財産は彼の純潔と彼の童貞性である。世界中のすべての金もそれらを買うことはできないであろう。なぜならそれらは神の愛の領域における忠誠の象徴だからである。

われわれは「純潔を愛する人は王を友人として持つ」ということを読む。それゆえそれは、聖ヨゼフが神の恩寵に支えられて - なぜなら彼は彼の母親の胎から聖化されていたからである - 童貞性の誓いによって神に自分自身を奉献したということであった。そのような状態はユダヤ人たちの間では軽蔑されていたけれども、ヨゼフは一歩を進めることを恐れられなかった。彼はただ両人が神のために彼らの処女性・童貞性を守るという条件でのみ、祝せられたおとめとの結婚に同意なさった。童貞性はヨゼフにとってイエズスと処女たちの元后たるマリアとの奉仕者となるための必要条件であった。彼はこの徳を、その主人に仕えるときの召使のきちんとしているあり方における召使いの栄光と同様に高く評価された。そしてそれゆえにナザレトの修道院においては三人の処女と童貞が:すなわち、イエズスとマリアとヨゼフがおられたのである。この事実からわれわれは神がこの童貞性・処女性の徳をどのように深く愛しておられるかを見ることができるのである。

そのようなものがエウカリスチア的な霊魂、就中童貞性・処女性の誓いによって神の奉仕の義務を負った者の純潔でなければならない。神はその霊魂に、聖ヨゼフにそれを委ねられたように、御自分の御子の愛と恵みと栄光とをお委ねになるのである。イエズスはその霊魂の宝、その王そして神である。ただ純潔によってのみ霊魂は神に相応しく奉仕するであろう。

第一に、精神の純潔:常に純粋な意図から、そしてイエズスによりよく仕えるという唯一の目的のために行動することによって。

第二に、心の純潔:すべてに越えてイエズスを愛し、そしてイエズスにおいてすべてを愛することによって。

第三に:意志の純潔:ただ神がお望みになることだけを欲し、そしてただ神のより大いなる栄光のためにのみ欲することによって。

最後に、身体の純潔:キリストの模範に従った禁欲によって。

御身の純潔のゆえに処女たちのうちで最も純潔なる御方の夫として選ばれるに値し、イエズスの御養父と呼ばれるに値する聖ヨゼフよ、われらがマリア、天使たちしかして御身とともにイエズスの愛の玉座において相応しくイエズスに仕えまつらんがため、御身御自身の純潔と同じ純潔をわれらのために得させ給え。

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作成日:2006/06/29

最終更新日:2006/06/29

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