ファチマ・クルーセイダー

諸々の事実は証明している:
ロシアは奉献されなかった

The Fatima Crusader Issue 84, Winter 2006

クリストファー・A. フェララ

今日私があなたたちの前に立つとき、私は少なからず脅えていることを告白します。なぜなら、私は司祭たち - それは十分に厳粛なことですが - 並びに平信徒の仲間たちだけではなく、使徒たちの後継者[司教]たちに話しかけているからです。

しかしながら、私の重荷は、私がここに何らかの霊的忠告を与えるためにここにいるのではないという知識によって軽減されています。私はいくつかの事実を伝えるため - ロシアの奉献が決してなされなかったという事実的な事例を挙げ、その失敗の諸結果がわれわれすべてにとって現に何であり、将来何であろうかを論証するため - にここにいます。

一つの反対論に対する答

数日前に司教様方のうちの一人の方によって出された一つの反対から始めさせてください。それは正当な反対です。そしてそれはやや詳しく述べられる必要があります。そしてその反対とは以下の通りです:すなわち、われわれは1917年7月13日に聖母がポルトガルのファチマで三人の幻視者たちに言われたことを知っている。しかし、聖母がロシアの奉献を要求するために1929年にここスペインのトゥイに実際に来られたということをわれわれはどのようにして知るべきか? と。その区別は言ってみれば、ファチマ I とファチマ II との間に引かれています。われわれはファチマ I が起こったことを知っている、しかしファチマ II が起こったということをわれわれはどのようにして知るのか? と。それは正当な問いです。しかしその答は完全に明らかです。

その答に至る鍵はこうです:ファチマ I はわれわれにロシアの奉献について告げており、そして聖母がそれを要求するために戻って来られるであろうということをわれわれに確証している。ヴァチカン自身のウェッブ・サイトにおいて公表され2000年6月に第三の秘密に関して論評しているヴァチカン自身の小冊子において再現されているファチマのメッセージから引用してみましょう:

「このこと(世界に降りかかるであろう諸々の大災害を意味している)を妨げるため、私は私の汚れなき御心に対するロシアの奉献と初土曜日における償いの聖体拝領を求めるために戻って来るでしょう。もし私の要求が聞き入れられるならば、ロシアは回心し、平和が訪れるでしょう。もし聞き入れられないならば、ロシアは諸々の戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その諸々の誤謬を世界中に広めるでしょう。善人は殉教するでしょう。教皇は多く苦しむでしょう。さまざまの国が絶滅させられるでしょう。終りに、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献し、ロシアは回心するでしょう。そして平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」

ヴァチカン自身、1917年7月13日の真正のファチマ御出現の完全なテキストの一部として聖母がロシアの奉献を求めるために戻って来るでしょうと言われたということを認めています。そして聖母はそのようになさったに違いないのです。なぜなら、神の御母は偽りの約束をなさらないからです。

ですから、聖母がここトゥイには決して来られなかった、神の御母が御自分の約束を守られなかった、そしてファチマ御出現のまさに目的そのものについてお忘れになったと示唆することは御出現全体に始めから終わりまで疑問を投げかけることであり、ヴァチカンでさえ、ヴァチカン当局の内部の反ファチマの一団の存在にもかかわらず、そうすることを望まないことです。それゆえそれは反対に対する答なのです。

そしてもちろん神の御母は嘘つきの証人をお選びにはならなかったでしょう。それゆえもしシスター・ルチアが聖母は1929年にトゥイに来られたと語ったならば、それは彼女が真理を語っているという事例でなければなりません。そうでなければ、再び、ヴァチカンが真正のものとして公表しているまさにそのメッセージそのものが無意味であるでしょうし、そして一つの嘘であるでしょう。

シスター・ルチアの不動の証言

ところで、シスター・ルチアは、聖母が要求なさったことが世界の奉献ではなくて、ロシアの奉献であるということを繰り返し明らかにしました。彼女自身その区別を - 一度ならず何度も何度も - 強調しました。それらの機会のいくつかについてお話ししましょう。

1946年に彼女はこう言いました:「聖母は御自分の汚れなき御心への世界の奉献をお求めにはなりませんでした。聖母が明確にお求めになったのはロシアの奉献でした。」そしてそのことの出所はウィリアム・トーマス・ウォルシュ教授の Our Lady of Fatima (「ファチマの聖母)」226頁です。ウォルシュは西欧世界における最も傑出したカトリック歴史家の一人でした。そして彼の書物は一つの権威ある典拠と考えられなければなりません。

そのことはシスター・ルチアがウォルシュの書物において言ったすべてではありません。彼女はさらにこう宣言しました:「聖母がお望みになっていることは教皇と世界のすべての司教たちがある特別の一日に聖母の汚れなき御心にロシアを奉献なさることです。もしこのことがなされるならば、聖母はロシアを回心させ、そして平和が訪れるでしょう。」あなたたちは Our Lady of Fatima の226頁にその同じ歴史的なテキストを見出されるでしょう。

シスター・ルチアはそこに止まりませんでした。1949年に彼女はこう強調しました:「いいえ、世界ではなくて、ロシア、ロシアです。」

ここでは彼女はトーマス・マックグリン神父という人を訂正していたのです。そしてそのことの典拠は Vision of Fatima (「ファチマの幻視」) 80頁です。ここで彼女が一人の司祭を叱責したということに注目してください。これは、聖母が世界の奉献ではなくて、ロシアの奉献をお求めになったということを強調することによって一人の司祭を叱責しそして訂正することを強いられていると感じた一人の従順なそして修道院の塀の中に囲われた修道女です。

そして再び1952年におとめマリアはシスター・ルチアにこう言われました:「私が常に私の汚れなき御心に対するロシアの奉献を待っているということを教皇に知らせなさい。ロシアの奉献なしには ロシアは回心することができず、また世界は平和を持つことはないでしょう。」そして引用された典拠は1960年にローマで出版された Il Pellegrinaggio Della Maraviglie (「奇蹟の巡礼」)の440頁です。

ファチマの聖母が唯一お求めになったのは...

ここに一つの特に決定的な例があります。1982年に L'Osservatore Romano (「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」)は、1978年にシスター・ルチアが彼女の相談相手であるウンベルト神父によってこの決定的な問いを尋ねられました:「聖母はこれまでにあなたに聖母の汚れなき御心に対する世界の奉献についてお話しになったことがありますか?」それは1984年奉献儀式および1982年奉献儀式についてのこの全論争の核心に横たわる問題です。

そしてこの決定的な問いに対するシスター・ルチアの答は何であったでしょうか? ここにその答があります:「いいえ、ウンベルト神父様、決してありませんでした。1917年にコヴァ・ダ・イリアで聖母はこう約束なさいました:『私はロシアの奉献を求めるために戻って来るでしょう。』そしてそのことは1982年5月12日の L'Osservatore Romano - それは教皇自身の新聞である L'Osservatore Romano です - において報じられました。

明確にされるべき事柄はシスター・ルチアが教皇ピオ十二世に書いたある事柄でした。シスター・ルチアはウンベルト神父に次のように忠告しました:「あなたの質問にお答えして、私はこう明らかにしましょう。ファチマの聖母はその御要求においてただロシアの奉献にのみ言及なさいました。」私に強調させてください。「ロシアの奉献にのみ言及なさった」と。

われわれはシスター・ルチアの従順を理解しなければならない

しかし、ピオ十二世への手紙の中でシスター・ルチアはロシアの明白な言及を伴った世界の奉献にもまた言及しました。なぜ彼女はそうしたのででしょうか?  L'Osservatore Romano においてもまた公表されたウンベルト神父への彼女の手書きの覚え書きの中で彼女は次の説明を与えました:「私の告解聴聞者の助言に基づいて私が教皇様に書いた手紙の中で、私はロシアの明白な言及を伴った世界の奉献を求めました。」しかし上述のパラグラフにおいて彼女はこう述べています。「ファチマの聖母はその御要求の中でただロシアの奉献だけに言及なさいました。」

さてそのことは何をわれわれに告げているのでしょうか? それはわれわれに、もう一度、ファチマの聖母がただロシアの奉献だけに言及なさったと告げているのです。しかし、それは彼女の死の前にシスター・ルチアに何が起こったかを理解するために非常に重大なものとなるであろう他のある事柄をわれわれに告げています。シスター・ルチアは従順です。彼女は一つの特別な従順の誓願を立てていました。彼女の告解聴聞司祭は彼女が聖母が要求なさったことにつけ加えた、そして彼女は従順にそうした、と示唆しました。しかし、それにもかかわらず、彼女は聖母がそのことには言及なさらず、ただロシアの奉献だけに言及なさったと強調したのです。

1982年、1984年のそうだといわれている奉献

ところで、このことは1982年および1984年に行われた奉献の儀式にとって何を意味するのでしょうか? シスター・ルチアはこれらの儀式について何を言わなければならなかったのでしょうか? そうですね、われわれがこれまで見て来たことに基づけば、あなたたちはその質問に対する答を推測することができるでしょう。彼女が言ったことはそれら[の儀式]は聖母の御要求に従うものではなかったということです。

まず第一に1982年の儀式です。1983年3月19日、その儀式が行われたずっと後に、シスター・ルチアは教皇使節ポルタルピ大司教、ラセルダ博士そしてメシアス・コエリョ神父に話しました。

これらの人々は非の打ち所のない正直さを備えた証人たちであり、まず第一番に教皇使節です。そしてここに彼女がこの証人たちのグループに言ったことがあります:「1982年5月13日の奉献の行為において、ロシアは奉献の対象であるものとしては現れませんでした。」そして彼女は続けてこう言いました:「ロシアの奉献は聖母が命令なさったようにはなされませんでした。わたしはそのことを言うことはできませんでした。なぜなら、私は聖座の許可を得ていなかったからです。

そのことは二つの理由で重要です。それはわれわれにもう一度、聖母が世界の奉献については決して何も仰らなかったということを告げています。しかしそれはまたわれわれにもう一度、シスター・ルチアが彼女の上長たちに従順であるということをも告げています。彼女は彼女が真であると知っていたことを明らかにしませんでした。なぜなら彼女はそれを明らかにする許可を得ていなかったからです。しかし、ひとたびその許可が得られたとき、彼女は1982年の儀式はファチマの聖母の御要求に従うものではなかったと率直に述べました。

その中でもう一度ロシアが言及されず、またたといいたとしてもごく少数の司教たちしか参加しなかった1984年の儀式についてはどうでしょうか? その儀式が行われる二日前に彼女の古くからの友人であるエウジェニア・ペスタナにシスター・ルチアが1984年の儀式について言ったことがここにあります:「あの奉献は決定的な性格を持つことはできません。」それは策略をすることではないでしょう。それは何らかの利益を持っているかもしれません。しかしそれは決定的な性格を持たないでしょう。すなわち、それはもしロシアの奉献が聖母が指定なさった通りになされたならば、ファチマの聖母が約束なさった諸々の利益を産み出さないであろうということです。

シスター・ルチアが言った他の事柄に進みましょう。1984年奉献の十八ヶ月後、1985年9月にシスター・ルチアはこの質問を受けました:「彼(ヨハネ・パウロ二世のことですが)はそれゆえにトゥイで要求されたことを果たされなかったのですか?」ここに彼女の答があります:「すべての司教様方の参加がありませんでした。そしてロシアの言及がありませんでした。」

質問者はしつこかったのです。それで彼は別の質問をしました:「それでは奉献は聖母によって要求されたようにはなされなかったのですね?」この質問者がシスター・ルチアに何をすることを求めているのかを考えてください。一人の従順な塀で囲まれた修道院にいる修道女は、何人かの非常に高い地位にいる人々が教皇はなさったと言っていることをなさらなかったと言うように求められているのです。そしてシスター・ルチアは従順ですが、また完全にそしてまったく正直でもあります。彼女はファチマの聖母のメッセンジャーです。それゆえここにその質問に対する彼女の答があります:「ええ、[なされませんでした]。多くの司教様方はこの行為にどんな重要性をもお与えになりませんでした。」

しかしシスター・ルチアはそれ以外にどう答えることができたでしょうか? われわれの常識をこのことに当てはめてみましょう。あるものを奉献するためにはあなたは実際にそれに言及しなければなりません。そしてそのようにわれわれが信じることを求められているものはロシアの言及をしない一つの儀式においてロシアが言及されたということです。それは馬鹿げたことです - そしてシスター・ルチアはその馬鹿げたことを受け入れようとはしなかったのです。

ヨハネ・パウロ二世が実際に言われたこと

ところで、われわれは繰り返し繰り返し教皇ヨハネ・パウロ二世がその奉献をなさったと言われているのを聴いています。教皇はこのことを私的に言われたとされています。私は教皇が私的に何と仰ったのか知りません。率直に言って、私は教皇が私的に言われたことには関心がありません。私は教皇が公式に言われたことを知っています。

ここに、6日後にヨハネ・パウロ二世が1982年の儀式に関して言われたことがあります。そして私はそれを引用します:「世界における司教の職務と奉仕においてそのすべての兄弟たちとのローマ司教の団体的一致を強調するために、私は具体的な状況においてできる限りのあらゆることをしようと試みました。」それは、司教たちが実際には彼と共に参加しなかったということを言う教皇の非常に外交辞令的な仕方です。教皇は具体的な状況においてできるすべてのことをなさったのです。

しかし1984年の儀式についてはどうでしょうか? ここにわれわれは教皇によるいくつかの非常に興味深い声明を持っています。われわれはまず第一に L'Osservatore Romano の1984年3月27日の版を持っています。

あなたたちは、教皇ヨハネ・パウロ二世が儀式を行われたときに奉献の儀式に自発的につけ加えられたいくつかの鍵になる言葉の英語の翻訳への矢印を見ます。教皇は、奉献の定式文を唱えられた後に次の言葉をつけ加えられました:「特にあなたがわれわれの奉献と委任を待っておられる人々を照らしてください。」

ところで、なぜ教皇は、ある人々がロシアの奉献であると主張する言葉 - ロシアに決して言及することのない言葉 - をまさに発音なさったそのときに「これらの人々」の奉献を聖母が待っておられると言われたのでしょうか? なぜ教皇はテキストにこれらの言葉を自発的に加えられたのでしょうか? 人は言い逃れをするかもしれません。人は、これが単に一つの言語的な人工物であって、教皇の意味は明白ではない、翻訳が忠実ではない、等々のことを言うかもしれません。

しかし教皇は、イタリアにおけるイタリア司教会議のための司教の新聞である Avvenire の中で報じられたように、数時間後に御自分の考えを完全に明確にされました。教皇は聖ペトロ大聖堂の内部で1万人の証人たちの前でこう言われたのです:「われわれは、大きな人類家族の世界、すべての人々、特にこの奉献と委任の非常に大きな必要を持っている人々の奉献と委任の行為のためにまだ贖いの聖年の内にある1984年四旬節の第三の日曜日であるこの日曜日を選ぶことを望んでいます。それらの人々はそのために、あなたが、あなた御自身がわれわれの奉献と委任の行為を待っておられる人々です。」

教皇はなぜ彼が世界を奉献なさった数時間後に、聖母がロシアの奉献の行為を待っておられると言われたのでしょうか? その答は:教皇はそれをなされなかった、ということです。

なぜヨハネ・パウロ二世はそれをなさらなかったか?

次の問はこうです:教皇はなぜロシアをその対象として持つと考えられている奉献の儀式においてロシアに言及することを差し控えられたでしょうか? われわれはその問に対する答をある高い地位にある一人のヴァチカンの情報源から得ています:「ローマは、後期キリスト教西欧を含む全世界が深刻な諸問題に直面しているときに、あたかもロシアが特に援助を必要としているかのようなそのような祈りにおいて、もしローマがロシアに特に言及するようなことをしたならば、ロシア正教がそれを一つの侮辱だと見なすかもしれないということを恐れているのだ」と。

これは「教皇の最も近い助言者」の一人の陳述として2000年11月号の Inside the Vatican において報道されました。それは、実際、トムコ枢機卿でした。そこで、これは教皇に与えられた助言なのです。しかし、聖母はロシアは特に援助の必要がないということをわれわれに告げるために来られたのではありません。聖母はロシアは特に援助の必要があるということをわれわれに告げるために来られたのです。

そしてそのようにファチマの聖母はヴァチカンの外交とエキュメニズムの要求によって反対されておられるのです。そのことは辛辣に聞こえるかもしれません。しかし事実、それはトムコ枢機卿がここで言っておられることです。そしてそれが、教皇が - 私が言及した先の陳述において - なぜ人間的な弱さ、人間的な諸々の可能性に言及しておられたか、教皇が具体的な状況の中でできることをした、等々と言われたか、の理由です。そしてその具体的な状況とは何でしょうか? 外交、エキュメニズムそして教皇の助言者たちの助言です。

その諸結果は何であるか?

神が神の御母たるおとめを通じて要求なさった通りにすることの失敗の諸結果は何でしょうか? 明らかに、一つの結果はロシアが回心しなかったということでした。われわれは1984年および1982年の儀式[がなされたと主張する人々]の弁護者たちからさまざまに異なる説明を聞いて来ました。彼らはロシアにおけるあらゆる種類の回心 - 聖母が計画しておられた回心、すなわち聖なるカトリック宗教へのロシアの回心以外の - について語ることを望みました。ロシアにおいては宗教的な回心はありませんでした。しかし道徳的な回心もありませんでした。また政治的な回心も、あるいは「平和への回心」もありませんでした。ロシアの言及なしのロシアの奉献を主張する弁護者たちによって提示されたロシアのこれらの「代わりの」諸回心を見て見ましょう。

宗教的回心なし

まず第一にわれわれはロシアにおいていかなる種類の回心のしるしをも見たことがありません。実際、もしあなたが世俗のニュース・ソースにおける見出しをご覧になるならば、あなたはローマ・カトリック教へのロシアの回心ではなくて、ウラディーミル・プーチン政権の下でのカトリック教会の迫害を見ます。

これらは、私は繰り返しますが、世俗的なニュースの見出しです。これらのうちの第一のものはこうです:「ロシアにおいては:教会を『一掃する』こと」。世俗的なニュースはロシアにおける教会の一掃について語っています。そしてこれは Washington Post 2000年11月14日に載っているのです。その記事は1997年の「良心の自由に関する」法律 - 良心の自由についてのスターリン主義的概念 - を論じています。この法律は、そして私はその記事から引用しているのですが、「より小さな、より新しい、あるいは外国の宗教共同体の諸々の権利、権力および特権を制限します。」- そしてそれらの共同体の一つはローマ・カトリック教会です - 「一方で、ロシアの『伝統的な』諸宗教 - 何よりもまずロシア正教、ユダヤ教、イスラム教、そして仏教 - に特別の地位を与えます。それはまた煩わしいそして介入的な行政的手続きをも創り出しています。」ローマ・カトリック教へのロシアの回心ほとんどありません。

次の見出しを見ましょう:「ロシア司教、強制退去させられる。」

その記事はこう述べています:「一人のカトリック司教がロシアから強制退去させられた。モスクワ近郊で奉仕している一人のカトリック司祭のビザを司法審査し/更新することの拒否の後に直ちにやって来る行動はカトリック教会に対するロシア政府の厳重な取締りのきざしとなるものである。」

強制退去させられた司教はロシアのカトリック教徒の大部分が今なお住んでいるシベリアの司教ジェルズィー・マズール師でした。彼が強制退去させられた理由は、彼自身がそう述べたように、彼が「ロシア共和国にとって危険な」人物だと考えられたからです。なぜですか? 彼はなぜかを決して語りませんでした。(FIDES/CWNews.com 2002年4月20日)

ここにわれわれの次の見出しがあります:「ロシア:以前には公表されなかった事例、強制退去させられたカトリック教徒の数七人となる。」これは Keston news service(2002年9月17日)における記事で、七人の非ロシア人カトリック聖職者の強制退去について述べています。七人は、ロシアにおけるカトリック組織が非常に小さなものであるという事実をあなたが考えるまでは大きな数のようには見えません。これら七人の強制退去は基本的にロシアで生まれなかった司祭たちの見地からはロシアにおけるカトリック組織を骨抜きにしました。

シベリアの司教であるマズール司教に加えて、また次の人々が強制退去させられました:ステファノ・カプリオ神父、ヤロスラフ・ウィスニエフスキー神父、スタニスラフ・クライナク神父、そしてエドゥアルト・マッキエヴィッツ神父です。記事はこう述べています:「昨年2月にロシアで働いていたもう一人の外国人カトリック司祭、ポーランド市民スタニスラフ・オピエラ神父は同じように入国ビザを拒否された。」オピエラ神父はロシア司教会議の秘書でした。ケストン・ニュース・サービスはまた、一人のカトリック修道士、ブラザー・ブルーノも、1992年から2002年までロシアで働いてきたにもかかわらず、強制退去させられた、と続けて述べています。これで合計七人となります。

ケストン[・ニュース・サービス]は「ブルーノは3月にロシアの公安当局によって、彼はロシア共和国にとって危険人物であると見なされたがゆえに、入国ビザを与えられなかったと告げられていた」と述べています。ロシア公安当局を覚えていますか? それは今なお活動しているのです。それは単純に一つの異なった名前を持っています。彼らは KGB であったのですが、今は FSB です。

この展開のうちにロシアの回心を見る人が誰かいますか?

ここにわれわれの次の見出しがあります:「ロシアにおける宗教的自由は重大な危機にある。」それはこのことを報道しているNational Catholic Register - これは「このロシアの奉献のビジネスについてなぜ心配するのか」と言いがちな新聞ですが -(2002年4月28日 - 5月5日)のいわゆる「主流」です。この記事の中でロシアにおけるカトリック教会の使徒的管理者であるコンドルシエヴィッツ大司教はこう述べておられます:「ロシアのカトリック教徒はこう自問している:次には何が起こるだろうか? 81年の間カトリック教会がそれ自身の司祭たちを養成し、そして叙階する権利を奪われたということを忘れずに、彼らを海外から招くことを含む、彼ら自身の司牧者たちを持つ権利と良心の自由を含む憲法上の保証は彼らにもまた有効であるか? と。」

そして大司教は続けてこう言っておられます。「いかなる法律にも違反したことがなかったカトリック司教の追放 - マズール司教のことを言っています - は国家と教会との間の礼儀正しい関係のあらゆる考え得る制限を越えている」と。

これはロシアの回心ですか? 国家と教会との間の礼儀正しい関係のあらゆる考え得る制限を越えた政府? 私はそうとは考えません。

聖母がお求めになったものであるローマ・カトリック教へのロシアの回心と[と人々が言っているもの]はそんなものです。しかしある人々は自暴自棄になってこう言います:「少なくともロシアにおいてロシア正教会へと立ち帰る回心はあった!」と。そうではないのです。次の見出しを見てください。「ロシア正教会は青少年に影響を与えることに失敗している。」

この見出しはわれわれにロシア正教会があの国の青少年に影響を与えることに失敗しているということを告げています。その記事は18歳から29歳までの年齢のロシア人の94%が教会へ行っていないと述べています。ロシアにおいてはロシア正教会へのいかなる回心もありません。(Zenit、2002年12月22日)

しかし聖母がロシア正教会へとロシアを回心させるために来られたというこの主張を検討してみましょう。それは完全に本末転倒のことです。ファチマのメッセージはすべてマリアの汚れなき御心に関することであり、すべての教義の中でも最も明確にカトリック的な教義:すなわち、汚れなき御宿りの教義の世界的な確認と断言に関することです。汚れなき御心へのロシアの奉献は正教会が認めていない一つの教義である汚れなき御心の勝利のしるしとして、ロシアが回心したときに世界によって見られるべきものでした。そしてその上、1917年にファチマの御出現が起こったとき、ロシアはすでに一つの正教会の国でした。

ファチマの聖母が正教会の聖母であるという考えはカトリック宗教に対して無礼であり、神の御母と聖母の神なる御子に対する侮辱です。聖母はカトリック宗教を傷つけるためにファチマに来られたのではなく、その汚れなき御心の勝利をもってそのことを栄光のうちに確証するために来られたのです。

道徳的回心なし

ところである人々は、少なくともわれわれは1984年以来ロシアにおいて道徳的な回心を見てきた、そしてこれは1984年の儀式が聖母の御要求に一致しているしるしであると言っています。われわれはロシアにおいて道徳的な革命があったと告げられます。共産主義は崩壊した、あの国の変化をただ見なさいと彼らはわれわれに告げます。

この主張についてはどうでしょうか? ところで、道徳的な人々の基本的なしるしは彼らがアダムとエヴァに対する神の掟を守って子どもをたくさん生み増加しているということです。ロシアにおいて人々は子どもをたくさん生んでいません。また彼らの人口は増加していません。そしてもう一度、世俗のニュース・ソースはわれわれにそのことを告げています。見出し:「ロシアの人口は2050年には1億4千300万人から1億1千100万人に減少し始める。」

なぜか? とカトリックのジャーナリストではないマット・ローゼンバーグは2006年5月31日の"about com" で次のように報道しながら、問うています。「毎年およそ70万人から80万人までの損失におけるロシアの人口減少の主要な原因は:高い死亡率、低い出産率、中絶の高い率そして移民としての入国者の低い水準である」と。彼は続けて次のように言っています。「ロシアの人口減少の主たる原因はアルコールに関係した死亡、これがロシアにおいては非常に高い。ロシアの平均寿命は低い。ロシア男性の生命は59年、それが平均寿命である。ロシアの全体的な出産率は低い。女性一人につき 1.3 の出産である。」ローゼンバーグ氏はロシアでは10人の生きて生まれて来る者に対して13人の中絶があると言っています。それは現在ロシアにおいて進行している一つのホロコーストです。

そのように、結果としてロシアの人口は今世紀末までに半減するでしょう。誰がそのことを言ったのですか? 2006年6月20日の Moscow News において報じられたように、プーチン大統領がそのことを言いました。

そのグラフがあります。2100年までに1億4千300万人のロシア人口は7千150万人に - もし世界がそのときまでに破壊されていないならば - 減少しているでしょう。

政治的回心なし

ロシアにおける政治的回心についてはどうでしょうか? 少なくともわれわれは政治的回心があったと告げられています。一つの変化があった、共産主義は没落した、今われわれはロシアにおいて民主主義を持っている、と。

いいえ、われわれは民主主義を持っていません。そして、もう一度、世俗のニュース・ソースはわれわれに諸々の事実を与えています - そして彼らがファチマに賛成するものであるいかなる行動指針も持っていないということを私はあなたたちに保証することができます。もう一度見出しを見ましょう:「ロシア議会は知事たちに関するプーチンの法案に最終的な承認を与える。」

これは2004年3月12日の Moscow News において報じられました。これはウラディーミル・プーチンが考案した一つの興味深い小さな計画です。ロシア議会は民衆による知事の選挙の代わりに知事を任命する権力を彼に与える法案を通過させました。彼は知事たちを指名します。そして次に地方議員たちが彼らを承認します。そしてもし地方議員たちがプーチン氏が選ぶ知事たちを承認しないならば何が起こるでしょうか? 彼は彼らにもう一つの機会を与えます。もし彼らが彼が選んだ知事を承認しないならば、彼は単純にその地方の議会を解散させ、そしてそれを彼が望んでいる知事を彼に与えるであろう新しい議会と置き換えます。あるいは彼は近道を取ることができます。そして単純に地方議会の望みに反する知事を任命することができます。

まったく単純に、ウラディーミル・プーチンは今日のロシアの独裁者です。そして世俗の通信社は次々にそして見出しごとに - そのことを確証しています。

他の例を挙げれば、プーチンは今やドゥーマ[ロシア下院]- それは本質的に彼の傀儡です - によって制定された法律を用いています。その法律は中央政府がすべての外国および国内の慈善団体の活動を綿密に調べることを許容しています。中央政府は基本的にプーチン氏が好まないどの慈善団体をも廃止する権威を持っています。誰がこのことをわれわれに告げているのですか? 2005年11月25日の The New York Times です。世俗の新聞でさえプーチンが民主主義者でないということを見ることができます。

ロシア当局者たちは、古い時代とちょうど同じように、ヴォイス・オブ・アメリカとラディオ・フリー・ヨーロッパの放送を止めました。さようなら。Moscow News はわれわれにこう告げています:「2006年7月17日にプーチンが大統領になった後、最も重要なメディアである我が国の主要なテレビ・チャンネルは彼らの視聴者の範囲のゆえに国家の統制の下に置かれるか、あるいは閉鎖された。」

プーチンはあらゆる反対に口輪をはめている

やあ、今日は、カトリックの世界。プーチンはいわゆる民主的ロシアにおいて反対のいかなる声にも口輪をはめています。同じ記事は続けて「国家に統制された、あるいは友好的な諸々のビジネスは新聞社やラジオ局を買収してきた」と言っています。それら[の報道機関]はすべてウラディーミル・プーチンの国家統制を受けた、あるいは国家に友好的なビジネスによって所有されています。その記事は続けてこう言っています:「そしてモスクワやセント・ペテルスブルグの外側では、メディアはいつものようにプーチン氏によって指名された地方の知事たち - あなたはそのことを知らないでしょうが - の支配下にある。彼らの大部分はクレムリンに忠誠を尽くしている。」私は彼らの全部がそうであると言うでしょう。

ロシアにおけるこのすべての「民主主義」の結果として、Freedom House (自由の家)と呼ばれる一つの組織からロシアにおける自由の状態に関する評価の変化がありました。2005年に報告しながら、Freedom House はロシアの政治的諸権利の評価は5から6に下がった、そしてその状態は「一部自由」から「自由ではない、それは」- そして私はこのことを強調しますが - 「国内の影響力を持った政治的反対党の事実上の排除と行政権力のさらなる集中化による」と述べています。

ロシアにおいてはプーチン氏に対するいかなる政治的反対ももはや存在しません。そして Freedom House が続けて言っているように:「2004年の間にウラディーミル・プーチン大統領は諸々の反対政党および市民社会に対する圧力を増大し、国の放送メディアに対する国家統制を強め、独立したビジネスのリーダーたちや学者たちを政治的に行われた刑事訴追を実行することによって行政上の権威の強化へ向かってさらなる数歩を踏み出した」のです。

Freedom House はさらに「政府はまた知事たちを選挙された公務員よりはむしろ任命された公務員とするという憲法の諸変化」 - 私がさっき述べた - 「をも告知した」と述べています。そして彼が準備中の他のある事柄があります。彼は、その記事が言っているように、「裁判官の雇用と解雇の直接的統制」を奪取しようと計画しています。そしてさらにロシア人たちは - と Freedom House は結論づけています - 「彼らの政府を民主的に、特に放送メディアの政府による広範にわたる統制、そして反対諸政党と彼らを財政的に援助する人々の悩みに照らしてみて、変えることはできない」と。

最後にわれわれはこの記事を、そのテキストの中で次のように言いながら、ディック・チェニーを壺として、またプーチンを鍋として語っている The New York Times (2006年5月9日)のうちに見出します:「ウラディーミル・プーチンは実際ボリス・エリツィンによって不器用にそして不完全に敷かれた民主化の過程を反対方向に向けた。 - エリツィンももちろんロシアを民主化しようとしたのではなかった - 。そして彼[プーチン]はロシアの石油とガスの巨大な宝庫を脅しとゆすりの道具として使っている。」

さて、私はここで止めましょう。私は「民主主義」のファンではありません。もしウラディーミル・プーチンが明日ロシアのカトリック王を彼自ら注油したいと思い、そして聖ルイ王がそうしたように、下級機関への権限委譲の原理を認めたならば、そしてもしロシアの人民が[カトリック]信仰への回心の状態において彼らの新しいカトリック王を抱擁したならば、私は大いに喜ぶでしょう。

私はもしロシアが民主主義にならなかったならば回心しなかったということを示唆しているのではありません。私の言っていることは、世界の基準によってでさえ、ロシアは回心しなかったということです。なぜなら、ロシアは民主主義にさえならなかったからです。

それゆえ、そのことはわれわれをどこに残すのでしょうか? それはわれわれをロシアにおいてはいかなる種類の回心もなかったということと共に残します。いかなる宗教的回心も、いかなる道徳的回心も、いかなる政治的回心もありませんでした。

ロシアは戦争の準備をしている

しかし1982年および1984年の儀式の擁護者たちの最後の絶望的な議論についてはどうでしょうか? 彼らはわれわれにロシアが「平和へと回心」したと告げています。おや、ロシアの戦争の諸々の武器は鋤の刃に打ち変えられ、そして平和の新しい世紀がわれわれの頭上にあるのかしら。現実に対して頑固に盲目的であるフォックス神父や少数の他の人々はそう言っています。

しかし再び世俗の諸々のニュース・ソースはわれわれにそれは単純にそうではないと告げています。ロシアにおいて平和へのいかなる回心もありませんでした。その代わりに、われわれはより効率的な戦争への回心を持っています。そしてそのことは、「共産主義の崩壊」以来起こってきた中国とロシアの同盟と共に始まっています。

News Max 2002年1月13日日曜日号はわれわれに、プーチン氏が中国との一つの革新的な条約を承認したと告げています。この条約の下でモスクワと北京の間の軍事同盟が実際的に正式なものとされたことをわれわれは知るのです。その記事は中国の戦略弾道ミサイル戦力が「以後15年にわたって主として合衆国に向かって配備された75から100の弾頭が照準を合わせるであろう」と述べています。

そしてロシアはまさにこの瞬間に赤色中国への軍事援助を準備中です。事実、この二つの強国は世界に彼らの同盟を示すために一つの大規模な合同演習を行いました。見出し:「中国、ロシアは合同軍事演習を挙行」 National Public Radio、2005年8月18日朝の番組。そして以下は National Public Radio が言わなければならなかったことです:「ロシア軍と中国軍は1万の軍隊を含む8日間の合同軍事演習を始めた。モスクワと北京は、彼らがテロリズム、過激主義、そして分離主義に対抗するために訓練をしていると言っている。」唯一の問題は人を嘲る仕方で彼らが長距離弾道ミサイルを配備していたということであった。彼らは国内のテロリストたちに対して ICBM を発射しようとしているのだ、とわれわれは信じるように期待されているのです。 National Public Radio はこう言っています:「しかし含まれている長距離兵器は一つのより広範な行動指針を示唆している。」実際そうなのです。

そしてそのより広範な行動指針とは何でしょうか? これらの兵器についてはどうでしょうか? ここにもう一つ別の見出しがあります。この見出しは Associated Press からのものです:「プーチン、ロシアのミサイルの能力をほめちぎる」2006年1月31日の日付のその記事は「プーチン大統領は火曜日、ロシアがいかなるミサイル防衛システムをも貫通することができるミサイルを持っている。彼らは世界の誰も持っていないミサイル・システムをテストした」と報じた。記者会見でのプーチン氏を引用しながら、その記事は続けて次のように述べている:「これらのミサイル・システムは超音速であり、その飛行計画を変更することができるのだ」と。

ファチマの呪いの下で

ロシアにおける平和への回心? まったくのナンセンスです。そして私は告げられました:ところで、北朝鮮が今朝核爆弾の実験を行った、と(2006年10月9日)。1984年以来ロシアにおいてはいかなる種類の回心もありませんでした。[回心など]まったくありませんでした。そして私はあなたたちに尋ねます:「これはマリアの汚れなき御心の勝利ですか?」それともそれはむしろあなたがファチマの呪いと呼ぶことができるであろう何かあること、注意を払われなかったファチマのメッセージの天罰ではないでしょうか?

神がその臣下たちにある事柄を求めるために一人の預言者を遣わされ、そして彼らが神の預言者たちに従わないとき、神は何をなさるでしょうか? 神は預言者に対する彼らの不従順のために彼らを罰されます。われわれはこのことを救済の歴史を通じて見ています。そのことは今日のわれわれにとって何を意味するでしょうか?

そうですね、エドウィン・ファウストが調査していた一つの主題を私に取り上げさせてください。これは彼の見解によって私に示唆されています。西欧のわれわれは特にわれわれの生活様式について連続性の幻想を持っています。われわれはわれわれの気の利いた小道具、われわれの娯楽、われわれの全生活様式を好んでいます。そしてわれわれはそれが永遠に続くであろうと考えています。われわれは、聖パウロが言った頽廃したローマのローマ人たちに似ています:「彼らは食べるために座り遊ぶために立ち上がった。」われわれは太陽が昇り、諸々の惑星がその軌道に留まり、文明が何らかの大災害によって滅ぼされることはないと当然のことのように考えています。しかしそれの真理は、われわれの周りのあらゆるものは一つの連続する神的な奇蹟の一部として存在のうちに保持されており、そして神の怒りは、それが大洪水の間に起こったように、時折あの神的に指定された諸事物の秩序をひっくり返すということです。そして、もしファチマのメッセージが注意されないならば、それは再び起こるでしょう。

1973年に日本において与えられた秋田の聖母のメッセージのことを考えてみましょう。ラッツィンガー枢機卿は個人的にフィリッピン大使のハワード・ディーにファチマのメッセージと秋田のメッセージは「本質的に同一」であると断言されました。

秋田の聖母は何と仰ったのでしょうか? 1973年10月13日、ファチマの太陽の奇跡のまさにその記念日に、聖母はこう言われました:「...もし人々が悔い改めず自分たち自身を改善しないならば、御父はすべての人類に一つの恐るべき罰をお与えになるでしょう。それは、人が以前には決して見たことがないような、大洪水よりももっと大きな罰であるでしょう。火が空から降って来るでしょう。そして人類の大部分を拭い去るでしょう。善人は悪人と同様に、司祭たちや信徒も例外ではないでしょう。生き残った人々は死者を羨むほどに惨めである自分たち自身を見出すでしょう。」

聖母はこのことを天から降ってくる火の経験をした日本 - 聖母にとってその災厄について警告するのに最も適切な場所 - において言われました。そして第三の秘密の公表された部分は何をわれわれに示しているでしょうか? それはわれわれに一人の復讐をする天使の手から発する破壊する焔を示しています。われわれはその幻視について聖母が何と言われたか、そのテキストを持っていません。しかし、幻視それ自身が明白に、われわれの運命が何であるかを暗示しています。

諸々の事実、選択、結果

それゆえ、私は今日ここにあなたたちに事実のいくつかを示すために来たのです。そして諸々の事実は、聖母が世界の奉献ではなくてロシアの奉献をお求めになった、そしてロシアは単純に奉献されなかったという命題に圧倒的に有利なものです。そして今われわれはファチマの聖母がわれわれに警告なさったことが聖母が要求なさったようにしないことの結果であろうもの、すなわち、教会の苦難とさまざまの国の絶滅に直面しているのです。

私が今日提出した事例の反対者たちはどんな事実も持っていません。彼らは一つの事例も全然持っていません。彼らが持っているものは権威への一つの無意味な訴えです。「教皇はロシアが奉献されたと言われた、そしてそれが問題の終りである」と彼らはわれわれに保証します。しかし、私があなたたちに示したように、教皇はそのことを決して言われませんでした。「世界の奉献はロシアの奉献と同様にまったくよいことだ」と彼らは言いますが、それはその笑うべき主張を支持するいかなる証拠もなしにそう言っているのです。あなたはロシアに言及することなしにロシアを奉献することはできないのです。

ロシアの奉献が1982年と1984年になされたと言っている人々は弁解の余地がありません。そしてもし彼らが今日あなたたちの前に来たならば、彼らは、私がそれらをあなたたちに提供したと同じように、諸々の事実に対して彼らの立場を擁護することができないでしょう。そして今日私がここに立っているときにも時間はなされなければならないことをするために尽きていくのです。

ただ司教たちだけが懲罰を止めることができる

使徒たち自身の - その聖遺物をあなたたちがサンチアゴで見られた聖ヤコボの - 末裔であられるこの聴衆の中のあなたたちに私はただ、聖母が警告なさった破局は聖母の御要求に注意を払わないことの結果であろうということを避けることがあなたの権力の範囲に持っておられる - そして教皇と一致してただあなただけがもっておられる - と言うことができるだけです。それがこの会議が開催された理由です。私は、あなたたち一人ひとりに、あなたの司教区に戻り、神の御母が要求なさった仕方でロシアの奉献のためにカトリック世界を通じて拡がるであろう火を灯してくださるように希望し、祈り、願っています。どうもありがとうございました。

2007/02/27 三上 茂 試訳

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作成日:2007/02/27

最終更新日:2007/02/27

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