ファチマ・クルーセイダー

ジャシンタとフランシスコ

The Fatima Crusader Issue 84, Winter 2006

エドウィン・ファウスト

これはファウスト氏の会議の講演:「ファチマと巡礼:われわれの生活をファチマのメッセージに一致させること」からの編集された抜粋である

子どもたちの経験がアヴィラの聖テレサや十字架の聖ヨハネのような教会の神秘的な博士たちによって記述された祈りの程度にどのようにぴったりと一致しているかということを熟考することは心をそそることです。幻視者たちが十字架の聖ヨハネによって観想の通常の序曲として記述されている諸感覚の暗い夜の中へと積極的に入るために彼らができたすべてのことをしたと確信を持って言うことができます。

聖ヨハネはわれわれに諸感覚はわれわれを神のところへ連れて行くことはできない、そしてわれわれが諸感覚を満足させればさせるほどわれわれはそれだけわれわれ自身を神から遠ざけるのだ、と告げています。ですからより深い祈りの生活への何らかの進歩における第一歩は常に感覚的な否定、禁欲における増大でなければなりません。アヴィラの聖テレサがそのように単純にそしてそのように簡潔に述べているように、「祈りと自己耽溺とは両立しない」のです。その通りなのです。

フランシスコ

フランシスコは最も明白に禁欲的でした。パーティに参加するようにという家族の圧力に屈したことで年上の従姉妹ルチアを非難しながらでさえそうでした。ルチアはフランシスコの指図に従いました。なぜならこの少年は彼の年齢を裏切る一つの権威を帯びていたからです。彼は御出現があったときにはたったの9歳であり、彼が死んだときは10歳だったことを思い起こしてください。フランシスコはまた超脱と呼ばれて神秘家たちによってそのように大いに称賛されたあの徳をはっきり示していました。

十字架の聖ヨハネやドイツの神秘家たちマイスター・エックハルトやヨハネス・タウラーそして福者ヘンリー・スーソーはわれわれに、聖なる超脱は、われわれが自分自身をまったく神の御手のうちに置くがゆえにすべての徳の完成を含んでいると告げています。われわれは何ものをも欲しません。神がわれわれに送り給うものは何であれすばらしいものです。

マイスター・エックハルトはこのことを一つの興味深い仕方で述べています。彼はこう言っています:「彼の自己意志と結婚した人はすべての苦しみを彼にとって苦くする彼の舌の上のコーティングに似た何かあるものを持っている。しかしその意志が聖なる超脱のうちにある人は神でもってコーティングされた舌を持っており、そしてどんなものが彼にやって来ても、苦しみでさえ、神の味を味わい、あの神的な甘さの味を味わうのである。」私はフランシスコがこの超脱の状態に達していたと思います。彼は世界をまったくその通りである過ぎ去る見せ物として見る傾向がありました。

彼は、彼がそう呼んでいたように「隠れたイエズス」を慰めながらファチマの村の教会で祝せられた秘蹟[=御聖体]の前に跪く彼の日々を過ごそうとして学校に行くことさえ止めました。大きくなったら何になりたいかと尋ねられたとき - そしてすべてのそのような子どもはそのような質問によって悩まされるものですが - 彼は何かになりたいことはないと答えたでしょう。彼はただ死んで天国に行くことだけを望みました。彼の超脱が進んだとき、彼は観想の深い状態に到達した証拠を与えました。

ルチアとジャシンタはときどき風変わりな場所:壁の背後あるいは地面にひれ伏して沈黙の祈りのうちに放心した彼を見出したものでした。そして彼らは通常の意識に彼を連れ戻すためにしつこく彼に呼びかけなければならなかったものでした。

ポルトガルが、他のヨーロッパ諸国と同じように、第一次世界大戦の前のインフルエンザの流行によって多数の人を失ったとき、ファチマ近郊の人々も例外ではありませんでした。ルチアの家族も彼女を除いて全員がその病気にかかりました。そしてマルト家の家族も父親のティ・マルト以外は、また全員重病となりました。フランシスコとジャシンタは二人とも自分たちがこの病気から回復することがないだろう、そしてそれがただ彼らの死をもってのみ終わるであろう償いの苦しみの道を表すものであるということを知っていました。しかし彼らはこのことを静かに、喜びをもってさえ、受け入れました。なぜなら、彼らは聖母が彼らを天国へ連れて行かれるというその約束を戴いていたからです。

一度ルチアがフランシスコを訪れたとき、彼女は彼が苦しんだかどうか尋ねました。「バスタンテ(まったく十分に)」と彼は言いました:「でもそれは問題ではないよ。僕はわれらの主を慰めるために苦しみます。そしてしばらくすれば主と共にいるでしょう。」彼が死ぬ少し前に、彼はルチアに一片の粗い麻の繊維を委ねました。それはずっと以前に道でルチアによって見つけられた綱の一部で彼と他の子どもたちが間に合わせの毛シャツへと作ったものでした。彼はルチアにそれを持っているように告げました。というのは、彼はもはやそれを彼の母親から隠すことが必要とされる努力をするほどに十分に強くなかったからです。彼は病気の最後の二三日の間ベッドに動かずに横たわっていました。そして1919年4月4日、最後の御出現の後2年も経たないうちにその10歳の顔にかすかな微笑を漂わせて平安のうちに亡くなりました。彼は翌日ファチマの教会付属墓地に葬られました。

ジャシンタ

ジャシンタはより長引いたそして痛々しい病気の後に翌年死ぬことになっていました。フランシスコが意志の純化と結びつけられた超脱と静寂を示したとすれば、彼の妹は神秘的な照明、理解力の純化、として記述されるかもしれないものを示しました。3人の子どもたちのうちでジャシンタが超自然的なものの感覚に最も深く浸されていたかもしれません。祝せられたおとめはまたジャシンタの死の前に、彼女が病気であったときファチマの近くの彼女の家でも、そしてリスボンでの病院滞在中にもいずれも彼女に御出現になりました。

よりいっそう聖なる

ジャシンタは3人の子どもたちのうちで一番年下でした - 1916年に平和の天使の出現のときにはわずか6歳でした。そしてファチマの出来事を考察しながら、われわれはときどき神によって選ばれたこれらの幻視者たちがいかに若かったかということを見失います。ジャシンタが彼女のカテキズムを9歳の決して専門家ではなかったルチアから学び始めたとき、彼女は天の訪問によって超自然的なものの雰囲気に包まれていました。

われわれは彼女の信仰の経験をどのように想像することができるでしょうか? 私は3人の幻視者たちのうちで彼女の信仰がおそらく最も純粋であったと敢えて推測するでしょう。そしてこう言うことによって私はルチアとフランシスコの信仰を見くびることを意味していません。しかし彼らは年上でした。そしてもし彼らが世界について少し知っていたとすれば、彼らは少なくとも、かろうじて理性の年齢に達したジャシンタよりは多くのことを知っていたのです。

あの毒を免れた

私はジャシンタがわれわれが信仰において教えを受けている同じ時期にわれわれの信念と争うあの世間の牽引力から逃れていたと思います。なぜなら、カトリック家庭において成長する子どもとしてさえ、われわれは、われわれがキリストの教会を拒否する多くの人々の間で生活しているという意識から逃れることができないからです。そしてもっと悪いことには、われわれはカトリック信仰を生ぬるいそして不注意な仕方で受け入れている他の人々の間に生活しています。ですからわれわれが自分たちのカテキズムを学んでいる間にわれわれの宗教的教授と平行してそこには無宗教の精神、それが形成されているときにさえ、われわれが摂取せざるを得ない一つの腐食性の毒のように、われわれの信仰を腐食する世間の精神が働いているのです。私はジャシンタは決してこの毒を飲まなかったと思います。彼女は無宗教の精神から保護されていました。そして彼女の知性は一つのほとんど天使的な質を賦与されていたので、彼女の信仰への教授はそれが純粋に注入されたものであったように、推論的な論法のフィルターをそれほど多く通過しませんでした。

彼女は何とすばらしい賜物を受けたことでしょう。しかしすべての神的な賜物がそうであるように、その結果はその受け手を与え主、すなわち十字架にかけられたキリストにより完全に一致させることでした。

ジャシンタはフランシスコを襲ったのと同じ伝染性のインフルエンザに罹りました。しかし彼女の病気の経過は長く、困難でまた苦しみを与えるものでした。兄と同様に、彼女は相変わらず静寂であり、そして彼女もまた罪人の改心のために犠牲を捧げるよう神から送られた一つの機会として歓迎した彼女の苦しみに甘んじて従いました。罪人たちに対するジャシンタの態度は他のすべての幻視者たちの態度と同じように、非難の態度ではなく、大きな憐れみの態度でした。

ジャシンタの燃えるような愛

彼女は地獄を見ました。そして彼女は天国を前もって味わいました。彼女は不道徳的な人々を彼らの禁じられた諸々の快楽のゆえにうらやましく思いませんでした。彼女はそれらの禁じられた快楽を永遠の不幸への前奏曲としてそれらの真の光において見ました。彼女はむしろ神を愛することの真のそして永続的な喜びに対する彼らの盲目のゆえに彼らを哀れに思いました。

ジャシンタは、リスボンで彼女の最後の苦しみを始めるために家から連れ去られる前に、ルチアにこう告げました:「私がここで私の胸の中に燃えそしてイエズスの聖心とマリアの御心をそのように多く私に愛させるために持っているあの光をすべての人の心の中に入れることができたらどんなによいでしょう。私はそれがどのようであるかを知りませんが、主が私の内部にいらっしゃるのを感じます。私は主がおっしゃることを理解します。そして私は主を見たり、主のお声を聞いたりはしません。しかし主と一緒にいることはとてもよいことです。」

ジャシンタが子どもの単純な言葉において記述していると思われるものは霊魂が神の現前のうちに住みそして愛で燃えている神秘的合一の進んだ段階です。

ジャシンタは肋膜炎になりました。聖母は彼女に御出現になり、彼女がたくさん苦しむだろう、彼女はリスボンにある暗い病院に連れて行かれるだろう、そしてそこで彼女は独りで死ぬだろう、しかしマリアは最後に彼女を天国に連れて行くために来られるであろうとお告げになりました。

ジャシンタの知恵

彼女は祝せられたおとめからのこの通知について彼女の家族に告げました。ただルチアだけが彼女を信じました。彼女はある司祭と彼の裕福な医師の友人たち - 彼らは彼女に医療の苦痛のために費用を支払いました - のよい意図を通じてリスボンへと連れて行かれました。このようにしてジャシンタが彼女の最後の苦しみであることを知っていたものが始まりました。しかしながら、病院に受け入れられるためになされるべき準備のために待つ間に、彼女はフランシスコ会の修道女、マザー・ゴディーニョの配慮の下である孤児院に滞在しました。マザー・ゴディーニョはすぐに彼女を愛するようになり、そして彼女の保護の下に置かれたこの子どもが聖人であることを信じるようになりました。マザーは「彼女はそのような大きな権威をもって話します」と言いました。

彼女はジャシンタを会話に引き入れることを好みました。そして彼女はその少女の口から出て来る諸々の発言や預言を書き留めるのでした。ジャシンタは彼女に、戦争は罪に対する罰である、世界はそれ自身のために恐るべき懲罰を準備しつつある、と告げました。彼女は冨と贅沢を警告し、その代わりに聖なる貧困と沈黙を勧めました。

彼女はわれらの主がどのように禁欲と犠牲を高く評価しておられるかについて語りました。そしてこのことは私にとって非常に興味深いことです:すなわち、彼女は、医師たちが病気を治療する光を持っていない、というのは彼らは神を愛していないからだ、と言いました。ですから、科学的なものも、世間的ななものも、来世的なものもすべての知恵は何らかの仕方で神の愛に根づいているのです。

同様にまた個人的な預言もあります。彼女は、彼女の姉たち、テレサとフロリンダが二人とも修道院への召命を持っていましたが、しかし両親が彼女たちの召命を果たすことを妨げるでしょうから、それで神は彼女たちの両親から死によって彼女たちを取り上げられるでしょう、と言いました。彼女が預言したように、二人の少女は二人とも十代で彼女がそう言って間もなく死にました。

イエズスと罪人たちに対する彼女の愛

そして彼女が生きている間に彼女の執り成しによって引き起こされた諸々の治癒の話がありました。そしてその中で彼女が山の荒れ地で道に迷った彼女の年上の従兄弟を彼の家へと連れ戻す道に、そして彼の信仰の実践へと連れ戻す道に導いたバイロケーション[同時に異なる場所にいること]の報告さえありました。

彼女が病院へ連れて来られたとき、医師たちは手術を決定しました。局部麻酔が行われましたが、しかし明らかにその完全な効力を持つことができませんでした。そしてジャシンタは彼女の肋骨のうち2本が取り除かれたときただひどい苦痛としか記述され得ないものを堪え忍びました。手術の間彼女はわれらの主に叫びました:「私のイエズスよ、それはあなたへの愛のためです。今あなたは多くの罪人たちを回心させることがお出来になります。なぜなら私はたくさん苦しんでいるからです。」6日の間彼女は苦しみ続けました。それからわれらの祝せられた御母が彼女に御出現になり、彼女の苦しみを取り去られ、彼女に御自分が彼女を天国へ連れて行くために来るだろうと再び保証しながら、彼女の死の日時をお告げになりました。四日後、1920年2月20日にジャシンタ・マルトは彼女の病院のベッドで9歳で独り死にました。彼女の遺骸が1950年代に墓から掘り出されたとき、彼女の顔は腐敗しないで見出されました。彼女は今福者ジャシンタです。

2007/03/03 三上 茂 試訳

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作成日:2007/03/03

最終更新日:2007/03/03

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