ファチマ・クルーセイダー

ベルトーネの第三の秘密
もみ消し工作は失敗し続ける:
「彼らは解答を持たないがゆえに力に訴える」

The Fatima Crusader Issue 87, Autumn 2007 より

イタリアの新聞 Il Giornale はこう報道した:「そこにいたジャーナリストたちにソッチ[左の写真]はカポヴィッラの声のレコーディングを聴かせた。カポヴィッラは2007年6月21日に『4ページとは別に他の何かあるものがありました、そうです、一つの付属物です』と言った。それは秘密の解釈を伴った第二の紙片の存在の仮説を強化するであろう言葉である。」

2007年9月26日:フォート・エリー(カナダ):完全なファチマ・メッセージを促進している世界最大の使徒職、ファチマ・センターはアントニオ・ソッチ博士とソリデオ・パオリーニ博士に対する攻撃について知るに及んで憤慨した。その研究が第三の秘密全体はまだ明らかにされていないという結論することを彼らに導いているこれら二人のイタリア人ジャーナリストたちはヴァチカン国務長官ベルトーネ枢機卿によって行われた最近のイベントにおいて身体的に攻撃されたのである。

ベルトーネ枢機卿の鳴り物入りの記者会見

9月21日金曜日にベルトーネ枢機卿は彼の書物 L'Ultima Veggente di Fatima (ファチマの最後の幻視者)の公式の紹介を行った。それはローマにある教皇立ウルバノ大学で開催され、政府要人たち、銀行家たち、ヴァチカンの高位聖職者たちそして報道関係者たちが参加した。

『第四の秘密』の著者アントニオ・ソッチと『預言を軽んじてはいけない』の著者ソリデオ・パオリーニもまた出席していた。二人の著者たちはまだ公表せられるべき秘密の部分がなお存在すると信じる理由があるということを示した。

ソッチ博士は著明なジャーナリストであり、テレビの有名人であるので、彼の書物はイタリアと世界中でかなりの感動を巻き起こした。ベルトーネ枢機卿の書物『ファチマの最後の幻視者』は、成功しなかった書物であるにもかかわらず、ソッチの書物の主要テーマを論駁する一つの試みであった。

カポヴィッラ大司教の堅固な証言

第三の秘密全体は明らかにされなかったという多くの他の指標はさておき、ソッチの書物は教皇ヨハネ二十三世の個人的秘書で、教皇が秘密を読まれたときにその側にいたカポヴィッラ大司教の証言を含んでいる。

カポヴィッラ大司教は(2006年7月に)ソリデオ・パオリーニ博士に、実際第三の秘密の二つの異なったしかし相補的なテキストが存在するということを認められた:すなわち、一つは聖座に保管されたテキストであり、そしてもう一つは教皇の居宅に保管されたテキストである。この情報はソリデオの書物において公表された。

書物が出版された後、ソッチ博士は彼に書物を[出版したことを]感謝し、ソッチにそのことを書かせることを鼓舞した心情を称賛する教皇ベネディクト十六世からの個人的な手紙を受け取った。

ソッチの書物の出版以来10ヶ月の間カポヴィッラ大司教は、彼が秘密に関して言ったことに対してヴァチカンからの圧力の下にいるという、ソリデオ・パオリーニがブラジルで開催された「世界平和への唯一の道」というファチマ・センターの会議で行った(2007年8月の)講演で述べたけれども、彼の言葉を撤回しなかった。

カポヴィッラ大司教の否定の申し立てがないこと

パオリーニ博士は、カポヴィッラ大司教が諸々の文書、写真そしてさまざまの書類から成る一つの書かれた報告を準備していたときに2007年6月21日に再びカポヴィッラを訪問した。カポヴィッラはこれらは「私が応えなければならない事柄である」と言った。その対応を見たパオリーニはこう述べた:「ヴァチカンが彼にかれの陳述についての一つの完全なファイルを彼らに与えるように求めたと思われる。それはあたかも彼らが彼にこう言ったかのようである:『正確にあなたは彼に何と言ったのか? そしてなぜ? 』と。」

ベルトーネ枢機卿の9月21日の口頭発表の際に、聴衆が撤回の外観を与えるカポヴィッラの短いビデオ・クリップを見せられたということは、このようにして何ら驚くに当たらないことであった。

そのフィルムに撮られたインタビューはジャーナリストのジュゼッペ・デ・カルリ(ベルトーネの書物の共著者)によってなされた。その一部はすでにロンドン・テレグラフの先週号に、そして奇妙なイタリアのメディアで女性のためのゴシップ雑誌であるドンナ・ディヴァにおいて発表された。

そのフィルムに撮られたインタビューの中で大司教は2000年にヴァチカンによって示された4ページは実際彼が1959年に見たページであると認めたと報告されている。しかし秘密に関するいかなる重要な解説者もその4ページが真正のものではないと指摘したことは一度もない。むしろヴァチカンが明らかにしたものが不完全であったと指摘したのであった。

大司教はまたこうも言われた:「第四の秘密が存在し得るということは一度も私の精神の中に入ったことはなかった。誰も私にそのようなことを言ったことはなかったし、また私が何かそのようなことを主張したこともなかった。」

しかし「ファチマの第四の秘密」という文言はソッチ博士が、諸々の事実と理由を与えている第三の秘密の一部がまだ明らかにされなければならないということを指摘するためにソッチ博士によって発明された単に一つのジャーナリスティックな擁護にしかすぎない。ソッチは一つの現実的な「第四の秘密」があるとは一度も主張したことはなかった。このようにしてカポヴィッラは「第四の秘密」のようなものは存在しないと言うとき、真理を語っているのである。

カポヴィッラはヴァチカンによって明らかにされた4ページが秘密に関するシスター・ルチアの書き物の全てを含んでいると断定的に述べたことは一度もない。このようにして、カポヴィッラは、ヴァチカンからの明白な圧力のために、一つの見かけ上の撤回を与えているが、しかし彼がパオリーニに与えた陳述の実際的な撤回を与えてはいないのである。

真理全体を求めているソッチ博士
- 奇襲を受ける

しかしながら、ソッチとパオリーニは会議が始まる前の不幸な出来事のためにカポヴィッラのフィルムを見ることができなかった。

その出来事が始まる直前、講堂の中で、ソッチ博士はヴァチカン広報局長フェデリコ・ロンバルディ神父にベルトーネ枢機卿と話す許可を求めた。ロンバルディ神父は、枢機卿はいかなる質問も受けないであろうと強調しながら拒否した。

Il Riformista において報道されたように:「ソッチはそれに対して枢機卿が簡単なイエスあるいはノーでもって答えることができる枢機卿に対する一つの単純な質問をすることを許されるように丁寧に求めた。その質問は次のようなものであったであろう:「閣下、あなたは、2000年にヴァチカンによって公表されたファチマの第三の秘密のうちに含まれた聖母によるあの有名な文言(ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々)の後に他のいかなる文言も続いていないということを聖書にかけて誓う用意がありますか?」

ソッチとパオリーニはそれから枢機卿が到着したら彼に話そうという希望をもって「アウラ・マーニャ」(大学の「大講堂」)の入口へ行った。ソッチ博士を見て、ベルトーネ枢機卿はソッチの質問を避けるために側面の入口へ突進した。

そこにいたジャーナリストたちはたった今起こったことについてソッチに質問をし始めた。その瞬間にヴァチカンのボディーガードたちはソッチ博士に襲いかかり、博士が報道記者たちに話すことを止めるように要求し、ソッチとパオリーニに外へ出るよう命令した。ソッチが自分は単にそこにいる権利を持った一人のジャーナリストにすぎないと説明しながら答えたとき、彼らは二人を押して突き出そうとし始めた。

Il Corriere della Serra はソッチの言葉をこう引用した;「これは著しく常軌を逸したことです。私はただ一つの一分間の質問をし、瞬時になされる一つの答:すなわち、イエスかノーを望んだだけです。しかしベルトーネ枢機卿は私の出席を知らされて、サービス・ドアから直接記者会見場に入られました。それはすべての目撃者たちに[ベルトーネに]嘲笑を引き起こした一つの奇妙な戦術でした。」

ソッチ博士はこう続けた:「その後で、三人のヴァチカンのボディーガードたちが、私はそこではインタビューを受けることはできないと言いながら、建物の外へと私を押しだしました。それはそこにいた私の同僚たちのすべてに衝撃を与えた一つのとんでもない光景でした。そしてそれはまた私を茫然とさせました。というのは私はヴァチカンの強力な擁護者であるからです。」

ソリデオ・パオリーニ博士のさらなる文書による証明

ソッチ博士と一緒にいたパオリーニ博士は同じようにヴァチカンのボディーガードたちから野蛮な扱いを受けた。彼らは彼の携帯電話をもぎ取り、その経過の中で彼の手を傷つけた。

パオリーニ博士は、実際第三の秘密の二つの異なったテキストがあるということを認めるカポヴィッラ大司教の録音を持っている。ソッチ博士はボディーガードたちが力ずくで持ち物を取ったとき、新聞記者たちのためにその録音を聞かせていた。

イタリアの新聞 Il Giornale はこう報道した:「そこにいたジャーナリストたちにソッチはカポヴィッラの声の録音を聞かせた。カポヴィッラは2007年6月21日にこう言った:『4ページ以外に他の何かあるもの、一つの附属物がありました、そうです。』それは秘密の解釈を持った第二の紙片の存在という理論を強化するであろう言葉である。」

野蛮な力への訴え

Catholic Family News 編集長ジョン・ヴェナリはこう述べた:「ウルバノ大学での9月21日のイベントは秘密全体は公表されているという主張をするためのベルトーネによる一つの試みであると思われる。」

「ベルトーネのソッチとパオリーニからの逃走、率直な質問に答えることの彼の拒否、そしてヴァチカン保安局によって受けたこれら二人のジャーナリストの野蛮な取り扱いはベルトーネが第三の秘密の完全な開示に関して隠すべき何かあることを持っているという確信をつけ加えざるをえないものである」とヴェナリは言った。

ファチマ・クルーセイダーの編集者コラリー・グレアムはこう言っている:「この種の事件が起こったのはこれが最初ではない。彼らはメッセンジャーたちを沈黙させるために野蛮な力を行使しようとしているように見える。アントニオ・ソッチは今やヴァチカン当局者たちによって不当に悪口され、ヴァチカン保安要員たちの手で暴力を蒙ることによる「グルーナー神父」待遇を受けているのである。彼らは何を恐れているのか?」

ミセス・グレアムは1992年にグルーナー神父がファチマ聖堂で聖堂によって雇用された人々によって攻撃されたが、その理由は主任司祭がグルーナー神父が第三の秘密およびロシアの奉献に関して提出した誠実な質問を好まなかったからである、と述べた。

ベルトーネは彼の個人的な見解を教会に押しつけている

ファチマ・センターを主宰しているグルーナー神父はこう言った:「今これまで以上にわれわれがベネディクト十六世のために祈らなければならないということは明らかである。われわれはイエズス御自身がファチマのシスター・ルチアに『教皇のためにたくさん祈りなさい』と告げられたことを思い起こさなければならない。」

「ベネディクト教皇は、ベルトーネ枢機卿が彼自身とヴァチカンの両方を窮地へと追い込んだがゆえに一つの非常にぶざまな立場へ置かれてしまった。それは、ベルトーネが第三の秘密には彼が世界に既に告知したことより他のことは何もないという彼の個人的見解に固執しているからである。」

「ベルトーネの書物とこの前の5月31日のほとんど2時間にわたる彼のテレビ出演を研究してみると、彼の立場が完全に擁護できないもの、信じられないもの、そしてまったく不必要なものであるということが明らかとなる。彼のもみ消し工作はカポヴィッラ大司教の陳述とはいっそう希薄とさえなっている。(彼はまだ生存しており、そしてファチマの第三の秘密の第一級の証人である。)彼はオーディオテープにおいて実際ベルトーネ枢機卿が固執しているものへの『一つの附属物』が存在するということがそこにあるすべてである、と言っている。」

「このようにして第三の秘密全体の枢機卿のもみ消し工作がわれわれの目の前で破綻を来しているということは明らかである。カポヴィッラが言及しているあおの『附属物』とはもちろん聖母の言葉 - 第三の秘密の残りの部分 - 以外の何ものでもない。」

信徒は知る権利を持っている

グルーナー神父は続けてこう言っている:「人々は私にこう尋ねる:『ベルトーネは第三の秘密にはこれ以上何も存在しないとどのようにしてなお主張することができるのか? 』と。彼は『私の見解ではそれは存在するすべてである』という心的な留保をもってこのことをしているのである。しかし彼は『私の見解では』と言わない。彼はわれわれに彼の見解の基礎を告げない。しかしながら、第三の秘密の残りの部分が真正でないということは単に彼の個人的な見解にすぎないということは明らかである。なぜならそれは彼の予め考えた考えに一致しないからである。人はこれが彼の2007年5月31日のテレビ出演から彼の見解であるということを推定することができる。」

「われわれは、ベネディクト教皇が世界に第三の秘密の残りの部分を公開することによってベルトーネのこの見せかけを止められるように祈らなければならない。」

「ベネディクト教皇は、第三の秘密全体が信徒すべてに公開されるべしというファチマの聖母のこの明白な命令を果たすために多くの祈りを必要としておられる。」

「神の御母、天の元后に対するその従順によって、ベネディクト教皇はヴァチカンに道徳的権威と信用を回復なさるばかりではなく、ヨハネ・パウロ二世が述べられたように、『人類の上に現れている黙示論的な脅威』によって脅かされている世界に聖母の最も救いに満ちた言葉を届けられることになるであろう。そしてこれらの脅威をつきつける懲罰は毎日近づきつつあるのである。」

特別報告 終わり

第三の秘密の第二のテキストが存在するということを証拠書類で立証しているさらなる情報のためには:

L. F. カポヴィッラの取って置かれた草稿(このイタリア語の原文は p.25 に、英語の翻訳は p.27 にあります)を見てください。これは1963年6月27日という日付がパウロ六世が第三の秘密を最初に読まれた日付であるということを証明する、2006年7月にカポヴィッラ大司教によってソリデオ・パオリーニ博士に与えられたイタリア語のテキストである。それはパウロ六世が第三の秘密を最初に読まれた日付としてベルトーネによって与えられた1965年3月27日の日付とは異なっている。(カポヴィッラの文書 - イタリア語原文とその英語の翻訳 - の両方はwww.fatima.org/it/news/itnote_capovilla.aspそしてwww.fatima.org/news/newsviews/092707capovilla.aspで入手できます。)

カポヴィッラは2006年7月に、パオリーニに両方の日付は正しい、というのは二つの封筒と二つのテキストが存在するからである、と告げた。カポヴィッラは、あなたがこの附属物のうちに見ることができるように、彼の個人的な封印をもって彼の書かれたテキストを封印した。英語の翻訳はファチマ・センター自身のものである。

(この話題に関するさらなる情報についてはこの号の p.22 にある「ソリデオ・パオリーニ博士の宣言」をも見てください。)

訳者注:以上の論攷はすでに2007年9月26日ファチマ・ニュースに載せられたものとほぼ同文の記事である。

2007/10/03 三上 茂試訳

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作成日:2007/10/03

最終更新日:2008/01/23

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