ファチマ・クルーセイダー

第三の秘密の欠けている内容は何であるか?

The Fatima Crusader Issue 95, Summer 2010 より

ポール・クレイマー神父 M. Div.,S.T.L.(Cand.)

クレイマー神父の講演のこの編集された複写は旧約・新約両聖書におけるカトリック的な諸預言、並びに過去2000年にわたるカトリックの諸聖人によって宣言されてきた諸預言についての彼の30年以上の研究の結果である。この広大な知識は、現在の諸々の出来事についての彼の洞察力のある分析および彼のファチマ研究と共に、- 少なくとも部分的に - 第三の秘密の欠けている内容が何であるかをわれわれに告げる資格を彼に与えるものである。彼の仕事はここで、教皇ベネディクト十六世が、近い未来にわれわれに今にも襲いかかろうとしている恐るべき諸々の出来事に対してわれわれすべてを準備させる助けとなっている。

私が第三の秘密の欠けている部分の諸内容について適切に話す前に、あなた達は今日、欠けている第三の秘密の部分は存在しないということを告げられてきた。そしてもちろん、他の人々はそのことを遙かに詳細な仕方で扱っている。

誰が真実を告げているか?

しかしながら、その点に関して私が指摘したいことは、もしベルトーネ枢機卿が、いわゆる「第四の秘密」は存在しない、欠けている第三の秘密の部分は存在しない、欠けているテキストもないと言ったときに、真実を告げていたならば、そのとき、もしベルトーネが実際に真実を告げていたならば、さまざまの他の個人は必然的に真実を告げてこなかったことになろう。

ヨゼフ・シュヴァイグル神父(Father Joseph Schweigl)は1952年9月2日にコインブラでシスター・ルチアに会った。彼は教皇ピオ十二世によって送られた。彼はローマに帰ってきた。彼はルッシクムに住んでいた。そして彼はルッシクムにいる彼の同僚たちに、第三の秘密は二つの部分の中にあると報告した。一つの部分は教皇を取り扱っている。そしてわれわれが知っているように、教皇を取り扱っている第三の秘密のその部分は2000年6月26日に公表された。シュヴァイグル神父は第三の秘密のもう一つ別の部分が存在すると言ったが、しかし彼はその内容を漏らすことはできなかった。しかし彼はこう言ったのである:論理的に、それは、シスター・ルチアが彼女の第四回顧録において次のように書いたとき、「云々」に続くテキストである:「ポルトガルにおいては、信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々。」

次にラッツィンガー枢機卿によってなされた陳述があった。ラッツィンガー枢機卿は1984年11月に公表された一つのインタビューを行った。そしてそれは、そのインタビューの中でヴィットリオ・メッソーリになされた一つの非常に啓発的なコメントであった。なぜなら、彼は、第三の秘密が「信仰とキリスト教徒の生命に脅威を与える、そしてそれゆえに、世界の生命に脅威を与える諸々の危険」を扱っていると言ったからである。2000年6月26日に公表された秘密のその部分には信仰に対する諸々の危険については何も存在しなかった。

われわれは、当時のレイリア・ファチマの司教、コスメ・ド・アマラル司教(Bishop Cosme do Amaral)が、1984年だと私は思うが、ファチマの第三の秘密は信仰の喪失の問題を扱っていると宣言している、ウィーンの工業大学での声明を行ったということを、思い起こすことができる。そして彼は諸大陸全体における信仰の喪失に言及したのである。

ファチマと聖書

ところで、われわれがそれをラッツィンガー枢機卿のこの宣言と関連づけるとき、このことは非常に意義深いことである。というのは、ラッツィンガー枢機卿が信仰そしてキリスト教徒の生命に対する諸々の危険について話されたとき、彼は他のマリア御出現に言及され、そして聖書に言及されたからである。第三の秘密のうちにあることが聖書に一致するということは、それが繰り返し繰り返し他の諸々のマリア御出現において触れられてきたことに一致するということである。

聖書に言及するに際して、彼がその文句をイタリア語でi novissimi[「最後の諸々の事柄」]という語句を用いられたとき、彼は聖書の黙示論的諸テキストを明記しておられる。ある人々は、われわれが「最後の諸々の事柄」について話すとき、われわれは死、審判、天国と地獄 - 四終 - について語っているのだと、やや陰険に論じようとした。しかしそのことはおそらくラッツィンガー枢機卿が話しておられることではない。そのことはおそらく聖母が話しておられることではない。もしわれわれが四つの最後の事柄について学びたいならば、われわれはただ公教要理を調べることだけが必要である。それはそこに非常に明瞭に述べられている。聖母は一つの簡単な公教要理のレッスンを与えるために天から降りて来られたのではない。

枢機卿が最後の諸々の事柄について話されたとき、彼は預言者ダニエルが言ったことが最後に起こるであろうということに言及しておられたのである。彼は終わりの時 - 最後の諸々の事柄、あるいはわれわれがギリシャ語でeschataと言うであろうように - に言及されていたのである。すなわち、終末論的な諸々の事柄、聖書の終末論的な諸テキスト。これが第三の秘密である、そしてそこで再びわれわれは信仰の喪失の問題へと達するのである。

聖パウロは、テサロニケ後書において、大背教について話している。そしてこの大背教は滅びの子、罪の人の出現の前に起こらなければならない。一言で言えば、アンチ・キリストである。聖パウロはそのテキストにおいて、邪悪の神秘がすでにわれわれの間に働いていると言っている。そしてもしあなたが世界の歴史そして特に教会の歴史の注意深い研究をしなければならないならば、われわれは世紀毎に、時代毎に、邪悪の神秘の連続的な展開を辿ることができる。

邪悪の神秘の最高潮

そしてあの邪悪の神秘はファチマの秘密のうちに予告されていることにおいて、最も特殊的にはファチマの第三の秘密のまだ公表されていないテキストにおいて明らかにされていることにおいて、その最高潮に達する。教皇ヨハネ・パウロ二世が、第三の秘密について話しながら、自分は第三の秘密を公表したくない、なぜなら、そこには人気取りの危険があるからだ、言われたのはこの理由のためである。

他の機会に、ラッツィンガー枢機卿は第三の秘密との関連において同じ言葉を用いられた。そこには人気取りの問題があった。

もしわれわれがファチマの第三の秘密について最も信頼できる諸々の権威によってすでに言われてきたことを考えるならば、われわれは、詳細にわたってではないとしても、第三の秘密のうちにそこで明らかにされていることをはっきりと知る。そしてそのことが今日、私が話そうとしていることである。

それがファチマの第三の秘密において明らかにされている限りで、邪悪の神秘の中へとより深く入って行きながら、私は金曜日にそのトピックについて話すであろう。

聖書およびカトリックの諸々の預言の光に照らして見た現在の諸々の出来事

それゆえ、今日、私は第三の秘密の内容を扱おうとしている。そして私は一つの評価をするつもりである。私は、われわれがカトリックの預言のうちに、承認されたマリアの諸々の御出現のうちに、聖母の諸々のメッセージのうちに、聖書のうちに、聖書の黙示論的テキストのうちに見る諸々の平行線を示すつもりである。私はまた、預言的なメッセージのうちに、そして聖書のうちに予告されている時の印としてわれわれのために役立つ現代の地政学的諸発展をも述べるつもりである。このことからわれわれは聖書において、そしてマリアの諸々の御出現において予告されたこれらの出来事の実現にわれわれがどのように近いかを知るであろう。

数年前、ラッツィンガー枢機卿はハワード・ディー(Howard Dee)- 彼は当時聖座へのフィリッピンの大使であった - に、ファチマの秘密は日本の秋田のメッセージにおいて聖母によって明らかにされたことに一致している、と語られた。そこで聖母は、大洪水、創世記において語られている洪水よりももっと悪いものであろう一つの大きな懲罰を予告なさった。

さて、そのことは真にセンセーショナルなことであろう:洪水よりももっと悪いものである懲罰。そしてもしわれわれが他の諸々の預言的なメッセージやテキストに助言を求めるべきであるならば、われわれは、聖書において、そして諸々の時代を通じてずっと諸聖人によって、そして聖母の承認された諸々の御出現において聖母によってなされた啓示のメッセージのうちに、予告されたこの大きな懲罰、この大きな艱難において起こるであろう諸々の事柄のあるものをはっきりと列挙することができる。

ベルトーネ枢機卿の信憑性

ベルトーネ枢機卿がわれわれにまだ漏らされていなかった第三の秘密の部分はないと告げるとき、そう言うことを十分だとさせておこう、よろしい、しばらくの間ベルトーネ枢機卿の信憑性あるいはそれの欠如 - 信用性の欠如 - を考えることにしよう。彼は、秘密の公表と共に権力と悪への欲望によって特徴づけられた歴史の時期が終わりに来たと言っている一つの声明をもって2000年6月26日に出て来た。さて、もしそれがそのように悲しくなるほどに偽りの陳述でなかったならば、私はそれを喜劇的と呼ぶであろう - 私がローマ教会の一人の枢機卿をコメディアンであることについて非難しようということではない。それは教会のプリンスとしての彼の尊厳に相応しくないであろう - しかし、私は、そのようなコメントが、ファチマの秘密のようなそのような問題を人が真剣に扱うことを期待されているバチカン記者会見よりは、遅い夜のテレビの催し物に遙かに相応しいであろうと、言うであろう。

そこには確実に信憑性の問題が存在する。というのは、ベルトーネ枢機卿が第三の秘密について言ったことがもし本当であったとするならば、そのときそれはラッツィンガー枢機卿が、聖書の終末論的テキスト、Novissimi について語ったとき、真実を告げていなかったということを意味するからである。ラッツィンガー枢機卿によって話されたような、第三の秘密のうちにある信仰に対する諸々の危険、そしてコスメ・ド・アマラル司教によって話されたような信仰の喪失、そのどれをも、われわれは2000年6月26日に公表された秘密のあの部分のうちに見ない。ベルトーネ枢機卿の代弁者ジュゼッペ・デ・カルリのうちに、私は、彼の爆発について私が寛大に言うことができるであろう最大のことは、もし彼が意図的に嘘をついているのでなかったならば、彼自身欺かれて他の人々を欺いていると、考える。

というのは、もしデ・カルリが真実を告げているならば、もしベルトーネ枢機卿が真実を告げているならば、そのとき、われわれは、第三の秘密についてシスター・ルチアにインタビューするように教皇ピオ十二世によって個人的に送られたその人がでっち上げをしていたのか、と言うであろう。ピオ十二世の個人的使節、ヨゼフ・シュヴァイグル神父が嘘をつき、作り事をしたのか? 彼は、第三の秘密が二つの部分に分けられているという話をでっち上げたのか? 教皇を扱っている一つの部分と「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう、云々」という語句に続く言葉をもったもう一つの部分。誰が嘘をついているのか? だれが真実を告げているのか? 私は、ラッツィンガー枢機卿が作り話を作っていたのではないということは全く明らかだと思う。ヨゼフ・シュヴァイグル神父は作り話をしていなかった。教皇ヨハネ・パウロ二世はフルダにおいて、第三の秘密のうちに、諸海洋が蒸発し、数百万の人々が一分間に死ぬだろうということが明らかにされている、と言われたとき、作り話をされたのではない。

ところで、教皇があの陳述をされたということを否定する何人かの人々がいる。しかし、しかし私は、少し以前、80年代初期にたまたまフルダに住んでいた。そして私は、教皇がフルダの司教座聖堂地下室で数人のドイツ人巡礼者たちに講話を行われたとき、第三の秘密についての一つの質問を受けられ、そして答を与えられたということを知っている。そして、彼が第三の秘密を明らかにしているのではないとなぜ言及したか、その理由の一つは、彼がそれを欲しなかった、なぜなら、このことは「確実な進歩をするよう共産主義者たちを勇気づけるかもしれない」からである。それゆえ、第三の秘密のうちには、確実な進歩をするよう共産主義者たちに勇気を与えるであろう何かあるものがあるであろうという外見、印象を少なくとも与えるであろう何かがある。

さて、われわれは他の諸々のマリア御出現や他の非常に信頼に値する諸々の預言から、教皇ヨハネ・パウロ二世がその意見を出されたとき言及しておられるものが何であるかを正確に知る。ドイツの司祭、ボニファチオス神父(Father Bonifacios)は第三の秘密に関する教皇のコメントの写しを書き下ろした。そしてあるジャーナリストはあるドイツの出版物において彼女自身の写しを公表した。私はボニアチオス神父の出版されたテキストと手書きのテキストの両方を読んでいるが、手書きのテキストは私がフルダにいた時に私に贈られた。そして両方の説明の間には完全で全体的な一致があった。ボニファチオス神父とドイツのジャーナリストは確かにそれらの言葉をでっち上げてそれらを教皇ヨハネ・パウロ二世の口に置いたのではなかった。

もしベルトーネ枢機卿が真実を告げているならば、そのとき以下の人々は皆嘘をついていたことになる:教皇ヨハネ・パウロ二世、ラッツィンガー枢機卿、シュヴァイグル神父。私は、ただ一人の人だけが嘘をついているということが遙かに信じられ得ることであると思う。そして私はその辺で切り上げることにしたい。

今なお隠されている部分

公表されてこなかった秘密の一部分が確実に存在する。そしてベルトーネ枢機卿が、秘密全体は公表された、そして残っているものは何もないと言ってきたことを信じる人々はそれほど多くいない。カポヴィッラ大司教によってなされた陳述が存在していた。彼はある機会に一つの物語を語り、そして他の機会に、それにはそれ以上のことはない、秘密には公表されたもの以上のことは何もないと言っている。カポヴィッラ大司教に対する私の質問は、両方の解釈が真実であることはできないから、彼がソリデオ・パオリーニ(Solideo Paolini)と一緒に話したとき、彼は真実を告げていたのか、それとも彼は今、真実を告げているのか? ということである。私はその質問に対する答を聞きたいものである。

フリーメイソンの支配下にあるバチカン

ファチマの第三の秘密はマラキ・マルタン(Malachi Martin)によって最もよく要約された。故マラキ・マルタンはバチカンで働いていた。彼は聖書学院(Biblicum)で研究した。彼は非常に学問のある人間であった。彼はフィクションの諸作品を書いたが、しかしただフィクションだけではなかった。彼の著作のあるものはノン・フィクションであった。例えば、『イエズス会士たち』(The Jesuits)がそうである。彼はびっくりさせる表題、『ローマ教会の衰退と没落』(The Decline and Fall of the Roman Church)をもった一冊の書物を書いた。ここでは、われわれはすでに第三の秘密のある事柄の中へと入っている - 教会がまったく、完全に敗北させられるであろうということではないが。しかし、そのことは聖書のうちに、エレミヤの哀歌のうちに予告されている。そこではわれわれは「地のすべての王たち、そして世界のすべての人々はエルサレムの諸々の門の中へと反対する者と敵が入ったということを信じることができなかった」ということを読む。このテキストは悲しいことにすでにわれわれの時代に実現されている。そして第三の秘密のうちに、われわれはこの邪悪の神秘の最高点を見るであろう。

故モンシニョール・マリオ・マリーニ(late Monsignor Mari Marini)はほぼ1年前に亡くなる前バチカンでほとんど40年の間働いた。それは昨年5月であった。彼は私の個人的な友人であった。私は彼を35年間知っていた。1996年にモンシニョール・マリーニは、私がローマを訪れていたとき、ローマ教皇庁について話しながら、私に告げた。我はこう言い、このジェスチャーをした:「われわれの手は縛られている;われわれは何もすることができない、というのは、諸々の枢要な地位を占めているのはフリーメイソンたちだからである。」2008年10月、彼が亡くなる前に彼を見た最後の時、モンシニョール・マリーニは私にこう告げた:「われわれはフリーメイソンの占領下にある。」

フリーメイソンの占領は教会においてどのように高いのか? モンシニョール・マリーニは諸々の枢要な地位がフリーメイソンたちによって占められていると言った。

否定された教義!

おそらくこのことはなぜあなたが否定された教義を持っているか、その理由を説明するであろう。われわれは教皇ピオ九世の『諸々の誤謬の摘要』(Syllabus of Errors)のテキストを持っている。それは一つの宗教上の罪の宣告 - 荘厳で決定的な - である。あなたはパラグラフ第6を見る。それは、教義の決定のようにまったく荘厳ではない一つの絶対確実な宣言のための1983年教会法典において述べられた基準に一致している。それが不可謬性の神学的特徴を持つほどに十分に荘厳かつ決定的である。そしてわれわれはそこに、ほとんど言葉通りに宗教的自由の教義についての断罪 - 第二バチカン公会議のテキストにおいて一つの真理として発表されているあの教義とほとんど正確に文字通りの - を見る。それは教義の取り消しである。しかしわれわれは、彼らがわれわれに、第二バチカン公会議と共に、われわれは教義に反するいかなるものも持っていない、われわれは信仰の教義に矛盾するいかなるものをも持っていない、しかし、それは伝統に従って解釈されなければならない、と告げるのを再三再四、そのように多く聞くのである。

そうだ、そのことはマルティン・ルターの95箇条を取り上げ、そしてこう言うことに似ている:そこにはいかなる異端もないのであって、われわれはそれを伝統に従って解釈しただけである。その陳述は不合理である。私はこのことに深入りするつもりはない。というのは、私はこのことについて私の著書『典礼において信仰を変えることの自殺行為』The Suicide of Altering the Faith in the Liturgy においてすでに書いたからである。そこで、私は教会史の全体と、そして教会の伝統と聖書は第二バチカン公会議において提出された宗教的自由とエキュメニズムの教えとはまったく相容れないということを説明した。そしてそのように、われわれは伝統と聖書の両方を持っているのである。われわれは教皇ピオ十一世によって出された、その回勅『モルタリウム アニモス』(Mortalium Animos)のうちに、エキュメニズムの最も強力な断罪を持っている。そして教皇は、エキュメニズムの誤りはそれが教会をその最も基礎に至るまで破壊することであろうほどのものであると言われた。しかし、第二バチカン公会議以来、われわれは、教会が一致のためにエキュメニズムへの取り消すことの出来ない責任を持っているのだ、と告げられている。これはファチマの第三の秘密によって言及されているまさに悪魔的な方向感覚喪失である。

あらゆるレベルでの悪魔的方向感覚喪失

シスター・ルチアはわれわれの教会における、最高のレベルでの悪魔的方向感覚喪失に言及した。われわれは教皇ヨハネ・パウロ二世の回勅、『ウット ウーヌム シント』(Ut Unum Sint)のうちにそれを見る。そしてわれわれはその方向感覚喪失を最高のレベルにおいて見る。その方向感覚喪失は地上におけるキリストの代理者、教皇ヨハネ・パウロ二世の精神に宿っていた。教皇は、教会がエキュメニズムへの取り消すことの出来ない責任を持っていると宣言した人である。そこでの問題は、エキュメニズムが教会に対する最大の脅威であるということである。エキュメニズムは、狂気を滅ぼすという目的のために教会の最大の、最も致命的な敵どもによって創り出された。エキュメニズムは一致への最大の障害物である。にもかかわらず、われわれは、一致のためにエキュメニズムを促進しなければならないと告げられている。

一致のための神の出発点

エキュメニズムが一致を促進するという考えがいかに道理に反しているかを理解するためにわれわれに必要なことはただ、霊的な交わりの絆が何であるか、一致は何に存するかを考察することだけである。一致の三つの絆がある:信仰の絆、諸秘蹟の絆、そして教会管理の絆である。聖パウロの明確な記述の中で、彼はこう述べている:「一人の主、一つの信仰、一つの洗礼」。(エフェゾ、4:5)

一つの信仰がある。その外にはいかなる救いも存在しないカトリック信仰。あるいは、第一バチカン公会議が述べたように、その信仰の外側にはいかなる救いも存在しない。一つの神的な制度である一つの宗教 - すなわち、カトリックの宗教 - が存在する。地上における他のどの宗教も神的な制度ではない。このことがカトリック信仰の外部ではいかなる救いも存在しない理由である。というのは、カトリック信仰は神的なそしてカトリック的な信仰であるからである。

恩寵は永遠の救いのために必要である

単に人間的な諸々の教説は救いを得ることができない。それらは恩寵を与える力を持っていない。救いをもたらすのは、信仰と諸秘蹟を通じて、信仰を通しての神の超自然的な力、われわれが全能の神と諸秘蹟から受け取る恩寵によってである。それゆえに、[カトリック]教会と他の何らかの宗教との間には霊的交わりは存在し得ない。それゆえに、信仰の絆、諸秘蹟の絆そして教会管理の絆があるのである。これら三つの霊的交わりの絆が存在するところに一致が存在する。

フリーメイソンの「統一」

教皇ヨハネ・パウロ二世御自身が『ウット ウーヌム シント』において宣言されたように、エキュメニズムはその起源を[宗教]改革の諸教会:すなわち、プロテスタントたちのうちに持っていた。われわれは更に遡ることができる、そしてわれわれはエキュメニズムが、[カトリック]教会を侵略する前、そしてプロテスタント各派を侵略する前に、最初フリーメイソンによって促進されたということを見るであろう。それはユダヤ教の起源を持っている:すなわち、異教徒たちのための救いの伝達手段としての自然宗教の観念である。これはユダヤ教のラビたちの教えであった。そしてユダヤの哲学者メンデルスゾーン - 作曲家フェリックス・メンデルスゾーンの祖父 - がこれを書いた。そして私はそのテキストの正確な引用を私の著書『典礼において信仰を変えることの自殺行為』において提供している。

今やわれわれは第三の秘密が何を扱っているかを把握し始めることができる:すなわち、大背教と信仰の喪失、そして何がそのことをもたらすか、ということである。というのは、エキュメニズムによて創り出されるであろう一致は数世紀の間フリーメイソンによって探し求められてきた統一であるからである。

世界の中に統一についてのこのユダヤ教的・プロテスタント的考え方をもったワン・ワールド宗教を打ち立てようとしているのはフリーメイソンである。それは、すべてのキリスト教各派は平和と調和のうちに共存することができる、そして統一はカトリック信仰、一致の教説、霊的交わりの絆と絶対に両立し得るという考えである。それは、教義上の多様性のうちに霊的交わりがあり得るというプロテスタンティズムの愚かな考えにおいて、厳密に、全く、論理的に首尾一貫している。

エキュメニズム、背教から建設された偽りのワン・ワールド宗教

それでは、エキュメニズムはいかなる一致をもたらすであろうか? それはキリストにおける一致をもたらさなくて、教皇聖ピオ十世が、来つつあるワン・ワールド宗教について警告された彼の1904年の回勅において、それについて警告されたことをもたらすであろう。これは、ラッツィンガー枢機卿がそれについて話しておられた信仰とキリスト教徒の生命とに対する大きな危険である。これは、コスメ・ド・アマラル司教が、信仰の喪失に言及しながら、話しておられた大背教である。これは公表されなかった第三の秘密の内容である。コスメ・ド・アマラル司教はこの大きな霊的艱難、これまでになかったであろうし、またこれからもないであろう教会の最大のそして最悪の迫害によって非常な感銘を受けられた。

第三の秘密における間もなくやって来る大きな艱難

このことは、教皇ピオ十二世が、その談話の一つの中で次のように言われたとき、第二次世界大戦の直後に話しておられたことである:「人類は世界が以前には決して見たことがなかったようなそのような苦しみを間もなく経験しなければならない。来るべき迫害、来るべき艱難は大洪水よりももっと悪いであろう。そして迫害は古代ローマの迫害よりももっと悪いであろう。」聖母はロシアについて明確に話された。しかし、地政学的な諸々の現実についてのそのような表面的な理解を与えられてきた現代の精神の持ち主には理解することは困難であると思われる。ロシアはどのように、世界において今にも爆発しようとしているそのように恐ろしい何かあるもの、そのように恐るべき何かあるものにおいて一つの役割を演じることができるのであろうか? そしていかなる誤りをもしてはならない:時は今、非常に、非常に近い。

第三次世界大戦

われわれが一つの世界大戦、ロシアと西欧との間の戦争にどのように近くにいるかを理解するために、私は『悪魔の最後の戦い』の初版において、改訂版において、あなたが表紙を開けるよう指摘したい。そうすればそこにあなたは崩壊する直前の世界貿易センターを見るであろう。この写真を書物の中に挿入することへの元々の考えは、単純に、ベルトーネ枢機卿がすでに終わっている世界における権力と悪への欲望の時代の終わりについて言っていたこと - これがばかげたことであるということ、それは不合理なことであるということを示すためであった。しかしそこには、私と私の共著者が最初にあの写真を書物の中に入れることを決定したときには理解することができなかった一つのより深い関連がある。国際的テロリズムとそしてそれがどのように直接的にわれわれを超大国の大きな衝突へと導きつつあるかということとの間に、ロシアと合衆国および彼らの同盟諸国との間に遙かに大きな関連があったし、そして今も関連がある。

昨年、私はバチカンにおいて一人の大司教と話していた。そして私が勃発する次の世界大戦にわれわれがいかに近いところにいるかを指摘したとき、彼はそのことを理解することができなかった。私が話した多くの司教たちはそのことを理解するのに何の困難も持っていなかった、そして彼らはその理由を正確に理解している。しかしあなたは、大司教のコメントと彼の顔色によって、私が、ウラディーミル・プーチンは月の暗黒の側に秘密の軍隊を得た宇宙人であるという意味の何かあることを言ったと、考えたかもしれない。

同様に、5年前に私はドイツにいる一人の男と話をし、彼に次の世界大戦のための時がわれわれに忍び寄っていると指摘した。それは間もなく起こるであろう、と。さて、彼は私にこう答えた:「いいえ、いいえ、そんなことはあり得ません。ロシアと西欧はパートナーであり、両者は友人同士です。ごらんなさい、あなたはプーチンとシュレーダー首相のことを言いました、彼らは友人同士です。」よろしい、プーチンとジョージ・ブッシュは友人であることを告白している。しかし興味のあることは、プーチン大統領が彼の友人のジョージ・W. ブッシュに、合衆国に対する一つのテロ攻撃があるであろう、そして彼らは複数の飛行機を用いるであろうと警告したとき、ジョージ・ブッシュはその警告に何らの注意も払わなかった。

もしあなたがその攻撃、そして2005年7月7日のロンドンにおける攻撃の背後に実際誰がいたかを理解するならば、そのときあなたは、ディミートリ・メドヴェージェフ大統領が、最近の諸々の攻撃:モスクワの地下鉄においてなされた爆弾攻撃、その後に起こった諸々の爆弾攻撃、ロシアに対する諸々の攻撃について語ったとき、彼のメッセージを解読することができるであろう。ロシア政府の専門家たちのうちの一人が言ったように:「これらの攻撃はロシア全体に対する戦争行為である。」メドヴェージェフ大統領は、最近のある演説において、これらの攻撃がアル・カイダとして知られている組織と関係を持った北コーカサスのイスラム集団によって組織されていた、と言った。

もしわれわれがアル・カイダの起源を理解するならば、われわれがテロリストたちの一つの独立の集団を扱っているのではなくて、一つの国家の他の国家に対する密かな偽りの旗作戦を扱っているということを理解する。今やわれわれは、いかにわれわれが次の世界大戦に近いところにいるかを理解し始めることができる。一つの世界大戦があるであろう。そして最も恐ろしいことは何であるか? 私はこう言うであろう:われわれはカトリックの預言から次の戦争が短いであろうということを知っている。そのことはよいニュースである。悪いニュースはその後に起こることである。

第三次世界大戦についての1854年の預言

1854年に公表されたザカリー(Zachary)- カトリック信仰に回心したアルメニアのユダヤ人 - の預言のうちには、彼が神から受けた諸々の啓示の預言の編集されたテキストがあった。ファッテチェッリ神父(Father Fattecelli)という人がその諸々の預言を収集し、そしてそれらを『怒りの日:一つの帝国の上に神の御手』(Day of Anger:The Hand of God Upon an Empire)と呼ばれた一冊の書物に編集した。その帝国はその地理的次元においてソ連と中国であるものの空間を占めているものとして記述されている。それは、われわれがデタント、そしてソ連邦の計画された廃止の前のゴルバチョフのグラスノスチとペレストロイカの時期にわれわれが持っていたような大きな策略と欺瞞を用いるであろう帝国である。

そしてそれから、その預言が「強いものの強いものに対する戦い」として言及している戦争があるであろう。この北の帝国 - ロシアと中国から成る - は北アメリカに対する戦争に入るであろう。そしてこの十九世紀のテキストは、彼ら[ロシアと中国]が北アメリカの上に彼らのミサイルを発射し、そして北アメリカは倒れ、征服されそして屈従へともたらされるであろう、と言っている。次の局面はすべてのうちでも最も恐ろしいことである。それからザカリーが1854年に出版されたこのテキストの中で言っていることはこうである:「そしてそれから全世界は地獄から最初に生まれた者の支配下に陥るであろう。」

第三の秘密における第三次世界大戦

これは第三の秘密である。神なき帝国、フリーメイソンのワン・ワールド宗教へと案内するであろう大戦争にわれわれはどのように近いのか? なされた予告を検討してみよう。それは預言ではなくて、予告である。

一つのインタビューが雑誌『ルック』において1962年1月16日に公表された - イスラエルの現職の首相ダヴィッド・ベングリオンによってなされたインタビューである。あなたはウェッブの検索機関に行くことができ、そしてそのテキスト、雑誌『ルック』のページの写真を見つけることは非常に容易である。

フリーメイソンの誤った非難

私はこのことに言及する。というのは、およそ20年前にあるラジオ番組において私はこのインタビューについて話した。そしブナイ・ブリス協会(B'nai Brith Association)、中傷反対連盟(Anti-Defamation League)はそのテキストをでっち上げていると私を非難した。ベングリオンは - と彼らは言った - この陳述を行ったことは決してない、と。それで私はラジオ局の所有者にこう告げた:「よろしい、もしあなたがその問題の真実を知りたいならば、雑誌『ルック』の1962年1月16日号を読みなさい。」私はそれ以上なにも言わなかった。私は何かもっと言う必要はなかった。

そしてあなたがこの引用を公表するとき、中傷反対連盟は自らを一つのユダヤ人組織として提示し、そして彼らはこう言う:さて、この司祭は反ユダヤ、反セム族である;彼がこのことを言っているのはユダヤ人に対する憎しみからである。しかし、中傷反対連盟はユダヤ人の連盟ではない。それはブナイ・ブリス・フリーメイソン・ロッジの一部、フリーメイソンの協会である。それは自らを一つのヘブライの名前、盟約の息子たち、と呼んでいる。しかし、彼らは、預言者エリヤによって殺されたバアルの司祭たちがそうでないのと同様に、ユダヤ人ではない。預言者エリヤ、彼はユダヤ人であった。彼が殺した異教の司祭たちはユダヤ人ではなかた。私がそのことに言及するのは、ユダヤ的な響きの名前にも関わらず、ブナイ・ブリスはフリーメイソンの名前だからである。

ところでそれは非常に単純な問題である。その質問をし、その質問に答えようとして書かれたいろいろな書物があった:すなわち、ユダヤ人とは何か? よろしい、私は、基本的なことはユダヤ人というのはユダヤ人たちの神を礼拝する人間である、と考える。異教徒というのは、異教徒たちの神々を礼拝する人間である。ブナイ・ブリスはフリーメイソンの組織である。それは異教的である。それは異教徒たちの神々を礼拝する。それはユダヤ人の預言者エリヤによって殺されたバアルの司祭たちによって礼拝された神を礼拝する。

正義を愛し邪悪を憎め

それゆえ、私がフリーメイソンを名指しで非難するとき、それはユダヤ人たちに対する憎しみからではなくて、邪悪に対する憎しみからである。聖書がキリストについて言っているように、「あなたは正しいものを愛された。そしてあなたは邪悪を憎まれた」(詩編44:8)そのこと、は悪魔ども、異教徒たちの偽りの神々の礼拝の悪魔的な邪悪の憎しみから出ている。

それは真に憎しみに値する何物かである。フリーメイソンは一つの忌まわしい悪魔的な組織である。それはただ憎まれること、反対されることそして破滅させられることにのみ値する。教皇レオ十三世は、フリーメイソンは敗北させられなければならないと言われた。それは、われわれがエキュメニカルな友情を共に探し求めることができる一つの組織ではない。それは地の面から根絶され、ぬぐい去られなければならない一つの組織である。そして神の御手はフリーメイソンを大懲罰において地の面から拭い去ろうとしておられる。そしてマリアの汚れなき御心の勝利の時にはもはやフリーメイソンの悪魔的組織が存在しないであろう。

ダヴィッド・ベングリオンのフリーメイソンの勝利についての見解

そして、ダヴィッド・ベングリオンのあのインタビューのテキストはそのようなものである。彼は、1962年に世界がどのようにおよそ20年のうちに変化するであろうかを話したときに、ユダヤ人民あるいはユダヤ宗教あるいはイスラエル民族の代弁者として話しているのではなくて、むしろ彼はフリーメイソンの代弁者として話しているのである。非常に興味深いことには、彼はその文脈を冷戦の終わりに、冷戦が終わるであろうときに、置いている。

われわれは、冷戦が終わったという扱い方で冷戦を終わらせる諸計画がすでに存在していたということを見ることができる。事実、25年後、1987年に - 正確に25年後に - 共産党に対するゴルバチョフ大統領のあの有名な演説があった。そのとき彼はこう言った:「紳士諸君、同志たちよ、ソ連邦におけるペレストロイカ、グラスノスチ、そして到来しつつある民主主義についてのこのすべての話によって驚いてはいけない。」4年後にその民主主義がやって来た。ゴルバチョフは共産党にこう語った:このことを恐れてはならない、このことによって不安になってはいけない、と。彼はそのことを1987年に言ったのである。

ただうわべだけの

彼は、これはただうわべだけのものである、これらの変化はただうわべだけのものである、と言った。それはアメリカ人たちを寝かしつけるためである。1984年にアナトーリ・ゴリツィンは、ゴルバチョフが始めたソ連邦の構造改革 - それはソ連邦のロシア連邦と独立諸国家共和国への変化をもたらした - を予告する、『ペレストロイカ欺瞞』という一冊の書物を出版した。

グローバルな統治

デイヴィッド・ロックフェラー(David Rockfeller)の金で設立されたローマ・クラブ(the Club of Rome)において、グローバリストたちは彼らが「グローバルな統治」 - デイヴィッド・ロックフェラーが「ワン・ワールド」と呼ぶもの - として言及するあの組織のために一緒に働いている。彼はその自叙伝の中で、自分はワン・ワールド政府のために働いていると言っている。1973年頃、彼らの新聞の中に、あなたは、冷戦が終わった後に、われわれは世界のすべての人々をぞっとさせるであろうある事柄を持つ必要がある、ということを読む。われわれが世界の人々にワン・ワールド政府を押しつけるために用いることができる全員一致した恐怖の必要性があるであろう;そしてそれは、われわれが地球温暖化、気候変化と呼ぶこのことであろう。

圧倒的な法律と税

それゆえ、昨年の12月、コペンハーゲン会議で、彼らはグローバルな炭素税について話していた。それは特に労働者階級、そして貧困階級から、彼らが食物を買い、彼らの基本的な欲求に備えるための金銭を奪うであろう課税の圧倒的な重荷となる。それは彼らから取るための課税であろう。そして、他方において、炭素クレジットや世界を脱産業化させるそのようなものを用いる政策は生産を減少させるであろう。彼らが創り出しつつあることはこのような仕方での人為的な不足である。そして彼らはわれわれに、問題はわれわれが多すぎる人口を持っていることであると告げようとしている。人口が多すぎるということではない、世界が人口過剰であるということではない。しかし彼らは、彼らの計画に従えば2012年に絶頂に達するであろう経済危機を計画によって人工的に企んできたのである。

国連の後援の下に開かれた1987年のコロラドにおける荒れ地会議(Wilderness Conference)で、この集会は農地と開発された土地を取り上げてそれらを荒れ地に戻すこと - 脱産業化 - を議論していた。彼らはこのことを1987年に議論していたのである。そしてその会議には、エドマンド・ド・ロスチャイルド(Edmund de Rothchild)がいた、デイヴィッド・ロックフェラーがいた、ロスチャイルドの看板役モーリス・ストロング(Maurice Strong)がいた。

グローバルな財政危機

彼らは、自分たちが一つのグローバルな財政危機を計画していたということ、そしてそれが2012年に絶頂に達するであろうということを知らせるようにした。それから、彼らは世界に対して一つのグローバルな中央銀行を押しつけるであろう。全世界のために一つの中央銀行が存在するであろう。あなたは、メドヴェージェフ大統領が、通貨のこのグローバルな単位の到来を告知しながら一枚のコインを持ち挙げたこと、そしてプーチン首相が一つのグローバルな中央銀行の創出を支持したことを思い起こすであろう。そのように、これらの人々はすべてこれらの事柄について、70年代初期にローマ・クラブにおいて語られていたのと同じように、語っているのである。1987年にゴルバチョフが冷戦の終わりとソ連邦への民主主義の到来を予告したように、1962年1月にすでにイスラエルの首相であったダヴィッド・ベングリオンが冷戦が終わった後に起こるであろうこれらの変化について語っていたように。彼は、アメリカがそのときまでには計画経済をもった福祉国家になっているであろうと言った。一言で言えば、それは社会主義を記述する一つの婉曲的な言い方である。

社会主義アメリカ合衆国?

今、合衆国は社会主義になりつつあるのか? オバマ大統領によって実施されている諸政策をもってすれば確かにそうであると思われる。そしてそれは単に私の意見だけではない。私は、先月9月にロシア・トゥデイでミハイル・ゴルバチョフとのあるインタビューを見ていた。そしてゴルバチョフは、オバマ大統領の下で合衆国は今やそれ自身のペレストロイカ、それ自身の構造改革を経験しつつある、と述べた。ダヴィッド・ベングリオンはこのことをあのインタビューで1962年に予告した。そのとき彼は言った:「ヨーロッパは一つの連邦制国家、そして性格においては民主的、社会主義的国家になるであろう」。ソ連の集団主義のような社会主義的国家ではなくて、あなたがドイツにおいて国家社会主義の下に持った、しかしナチ運動のすべての人種的ゲルマン的プロパガンダを持たない一種の社会主義である。われわれは今や一つの非常に非民主的な - 人は官僚主義的と言うであろう - 独裁制の下にある。それはフランス革命の総裁の独裁制に似ている。その独裁制はブラッセルからヨーロッパ連合のすべてのメンバー国に押しつけられる。これはダヴィッド・ベングリオンによって予告されたことの実現である。

ゴルバチョフはヨーロッパ連合を新ヨーロッパ・ソビエトと呼んだ。そしてそれはクリストファー・ストーリー(Christopher Story)によって、彼の書物『ヨーロッパ連合集産主義:そのメンバー諸国の敵』(The European Union Collective: Enemy of Its Member States)の中で、非常によく記述されている。ヨーロッパ連合の諸組織の中にわれわれは徴税の組織、コペンハーゲン会議で推奨された一種の徴税組織を見出す。おそらく、それは気候変動のためである。彼らがグローバルな統治の必要性を告知した同じ会議でこのことを告知したということは偶然の一致ではない。そしてその会議は実際、グローバルな統治 - 世界政府のことを言う - のための制度的な枠組みを作ることに関わっていた。そして気候変動問題はこのことを必要だと見せるための一つのいいわけにすぎない。そして彼らは、究極的な救済策は、炭素税ではなく、そして足跡の減少ではなくて、人口の徹底的な削減であると言う。

ヨーロッパはまさしくダヴィッド・ベングリオンが冷戦の終わりに起こるであろうと予告してものになった。冷戦がひとたび過ぎると、あなたは合衆国が社会主義国になるのを見るであろう、あなたはヨーロッパが一つの連合した連邦国家になるのを見るであろう。それは一つの現実であり、それは起こったのである。そのとき、ソ連はそのときまでに一つの連邦化されたユーラシア国家になっているであろうと彼は言った。どれだけの人が、いつかソ連が即座に一つの共和国、独立した諸州の連邦同盟に変えられるだろうと夢見ることができたであろうか? ベングリオンはこのことを1962年に予告した。

合衆国が社会主義国に、ヨーロッパが一つの連邦国家に、ソ連が一つの連邦化されたユーラシア国家になるとき、その後に何が起こるのか? これらすべてのことは起こった。起こる次のことは何であるか? ベングリオンは諸大陸の世界連邦が存在するであろうと言っている。それは世界政府である。それは1730年代以来フリーメイソンによって促進されてきた世界政府である。世界の中に一つの「新世界秩序」、ワン・ワールド・フリーメイソン共和国を確立することは彼らの公表されたアジェンダである。これは、ベングリオンが、諸大陸の世界連邦が存在するようになるだろうと言っているとき、語っていることである。そしてその本部は、上訴なしにすべての諸国民に対して判決を宣告するであろう人類の最高裁判所であろう。その最高裁判所はエルザレムに置かれるであろう。それから彼はもう一歩先へ進む。彼はこのアイディアを世俗主義には結びつけない - われわれはユダヤ的な何かあるもの、あるいは世俗的シオニズムを取り扱っているのではない。われわれはこで一つの政治的な教説を取り扱っているのではない。彼はそれを一つの信念体系へと結びつけている。そして、これは預言者イザヤによって予告されていたものの実現であろう、と冒涜的に言う。

冒涜

それは冒涜である。というのは、預言者イザヤはユダヤ人であって、彼はフリーメイソンではなかったからである。ベングリオンの宗教は、フリーメイソンの宗教のように - もし私が正確に記憶しているならば - 預言者エゼキエルの書の第七章において記述されている。それは、神が預言者エゼキエルに、忌まわしいものの光景:上る太陽の方向へ向かって礼拝するイスラエルの長老たち、を示されたとき、記述された。この礼拝はフリーメイソンの太陽の異教的崇拝である。フリーメイソンにとって、太陽は古代カナアン人たちによって礼拝された異教の神を表すものである。バアル礼拝、それは全能の神とユダヤの預言者たちの大敵であった。

そしてこれが、聖ヨハネが黙示録2:9においてわれわれにこう告げている理由である:「彼らはユダヤ人と称するが、しかしユダヤ人ではない。彼らはサタンの会堂に属する者である。」

カトリックのフリーメイソン、あるいはユダヤ教のフリーメイソンのようなそのようなものはない

明らかに彼らはユダヤ人ではない。カトリックのフリーメイソンというよなものが存在し得ないのと同じように、ユダヤ教のフリーメイソンのようなものは存在し得ない。それは言葉遣いにおける一つの矛盾である。キリスト教徒としてわれわれはわれらの主イエズス・キリストの神と御父 - 父なる神、御子そして聖霊 - を礼拝する。ユダヤ人たちは太祖たちと預言者たちの神、アブラハム、イザアク、ヤコブの神、モーゼの神、預言者たちの神を礼拝する。旧約聖書と新約聖書の神は同じ一なる神である。それゆえ、もしあなたがキリスト教徒であるならば、あるいはもしあなたがユダヤ教徒であるならば、あなたは、その神を礼拝する限りでキリスト教徒、あるいはユダヤ教徒としての立場を明らかにする。もしあなたがフリーメイソンであるならば、あなたはフリーメイソンの悪魔の神々を礼拝し、そしてあなたはキリスト教徒、あるいはユダヤ教徒と呼ばれることはできない。なぜなら、あなたはキリスト教徒たちあるはユダヤ教徒たちの神を礼拝しないからである。このことは聖書において明らかにされている邪悪なものの神秘である。

計画された新世界秩序

ジョージ・ブッシュ・シニアは1989年に、未来における11年を選び出し2000年を指し示しながら、新世界秩序が存在するようになるだろうと言った。その新しい時代はその年にぎょうぎょうしい祝賀会をもって始められた。しかし、新世界秩序への - ワン・ワールド・フリーメイソン共和国への - 運動を実際にスタートさせたものは、2001年9月11日の攻撃であった。私はそのことに深入りする時間を持たない...

アル・カイダは、アラビア語で、「基地」を意味する。基地とは何か? イギリスの外相 - その当時、1997年から2001年までロビン・クック(Robin Cooke)だったであろう - 公式的な称号を用いるならば、the Secretary for Foreign and Commonwealth Affairs - は2002年に、アル・カイダ、「基地」が 一つのコンピュータ・データベース、リクルートされ訓練されることを望んでいた数千人のムジャヒディーンたちのリスト、から取られたということを明らかにした...

そのことは、ニューヨークにあるトゥィン・タワーを攻撃するためのテロリストたちを隠すためにアフガニスタンにおけるタリバンの目的に役立ったであろうか? 否、彼らの国は攻撃の結果として征服された。それは彼らの利益に役立たなかった。しかし誰の利益が役立たせられたのか?

われわれは振り返って1990年代へと目を向ける。ズビグニエフ・ブルゼジンスキ(Zbigniew Brzezinski)は一冊の書物『大きなチェスボード』The Grand Chessboardを書いている。そしてそれはアフガニスタンを征服する合衆国のための計画を概略している地政学に関する書物である。ロシアの孤立化と結果として起こるロシアの征服をもたらすための中央および南部アジアの全域の征服ということである。1999年に新しいアメリカの世紀のためのプロジェクト The Project for the New American Century と呼ばれるあるシンクタンクによる一つの文書において、全世界を支配するであろう、世界における一極、一枚板のスーパーパワーとしての合衆国を確立するためにアメリカの防衛力を再構築を求める一つの計画の輪郭が示された。そしてそこで合衆国がグローバルな優勢を持つであろうこの事態をもたらすであろうプロセスを動かし始めるために、必要とされることは新しい真珠湾事件という事態を引き起こすことである...

前イタリア大統領、フランチェスコ・コッシガ(Francesco Cossiga)- もっと重要なことに、彼はイタリア大統領になる前に国家保安局長であった - は3年前に、トゥイン・タワーズの攻撃は一つの諜報機関の作戦であったと述べた...

それゆえ、それはオサマ・ビン・ラデンではなかった。オサマ・ビン・ラデンは合衆国、イギリス、スペイン、インドネシア、バリにおけるこれらすべてのテロリスト攻撃を指導していない。メドヴェージェフ大統領はロシアを攻撃したのは、モスクワの地下鉄を台無しにしたのは、アル・カイダであると言った。ロシア政府のテロリズム専門家、ウラディーミル・カウッセン(Vladimir Kaussen)はこの攻撃が全ロシアに対する一つの戦争行為であると言っている。そしてディミートリ・メドヴェージェフ大統領は指をアル・カイダに指している。

世界大戦は非序に近い

今、われわれはロシアと西欧との間の戦争にわれわれがいかに近いかを理解することができる。われわれはそのことを、ブルゼジンスキの諸作品のうちに見る。われわれはそのことを、彼らの政策、彼らの外交政策を練り上げるために政府によって雇われてきたシンクタンクの諸著作のうちに見る。合衆国によって支配されるべき一つのグローバル主義的超国家。合衆国とイギリスは世界を支配するため、ワン・ワールド・フリーメイソン共和国を確立するために、アングロ・サクソンのフリーメイソンを通じて協働している。合衆国陸軍に所属するランド・コーポレーション(Rand Corporation)の中で、そのディレクターたちのうちの一人は、ズビグニエフ・ブルゼジンスキという名前の人間であるが、彼は昨年、合衆国が一つの主要な戦争に参加することを推奨した。イランは小さすぎる。それはイランよりももっと大きな力を持ったある国に対する戦争でなければならない。それは中国の新聞において公表されたが、しかし西欧の新聞においては公表されなかった。西欧において合衆国政府はそれが攻撃の下にあるというイメージを描くように努力している。しかるに、実際、彼らは、ドイツが前世紀に実現したのと同じ役割を実現しつつある。ロシアにその諸々の誤謬を広げるため、東ヨーロッパを征服するため、そして鉄のカーテンを押しつけるための機会を与えたのは何だったか? それは第二次世界大戦であった。第二次世界大戦を存在せしめたのはヒットラーのドイツがその侵略戦争を始めた時であった。そして今、合衆国はアフガニスタンにおいて征服戦争を遂行している。そしてそれは、ロシアの包囲とロシアおよび中国の終局的な征服のためにあの全地域を征服することが彼らの告知した計画である。

もちろん、あなたはこのことをあなたの毎日の新聞のうちに読むことはないであろう。彼らはあなたが、世界に対する大きな脅威がテロリズムであると考えることを望んでいる。テロリズムはアングロ・サクソン・フリーメイソンの地政学的な諸々の野心に奉仕するために世界に対して解き放たれている何かあるものである。そしてロシアは応答するであろう。スターリンは余りにも長く待った。彼はヒットラーが何をしようとしているかを知っていた;彼はロシアのドイツ侵略のために計画していた。しかし、ソ連邦が最初に攻撃された。ドイツに対する計画された攻撃が行われる21日前にヒットラーが最初に攻撃した。ロシアが同じ誤りを再びするだろうと考えないようにしよう。

第三の秘密はわれわれに警告している - われわれはそれを今必要としている!

教会によって承認された御出現において、聖母は戦争を遂行しているロシアについて話しておられる。ロシアはヨーロッパを侵略するであろう、ロシアは秘密の軍隊をもってアメリカに対して戦争を遂行するであろう、と。これらはシスター・エレナ・アイエッロ(Sister Elena Aiello)に対する聖母のメッセージである。聖パウロは、「預言を軽蔑してはならない」(テサロニケ前書5:20)と言っている。これはこの時代にあっては、ワン・ワールド・フリーメイソン政府の下で来つつある戦争、苦難、大迫害のゆえに特に真実である。そしてわれわれはよりよく準備するために予め警告される必要がある。このことは繰り返し予告されてきた。4世紀以来われわれはこれらの事柄を予告する諸聖人の預言を見ている。世紀毎に祝せられたおとめは来つつある戦争について正確にわれわれに警告するために - エクアドルのキト(Quito, Ecuador)において400年前にそうなさったように - 天から降りて来ておられる - 聖母が、世界において間もなく起こるであろう恐るべき戦争についてわれわれに警告しながら、繰り返しそうなさったように。

世界において現実に起こっていることについての彼らの無知において、ある人々は、ファチマとシスター・ルチアの第三の秘密に関する完全なテキストを見てこう尋ねる:「われわれは、第三の秘密のこのテキストが本当に聖母からのものであるということを信じることができるか?」と。しかし、第三の秘密は、ラッツィンガー枢機卿が言われたように、他の多くのマリア御出現において繰り返し言及されてきた。それは聖書において啓示されていることに一致している。それゆえもしわれわれがそれを信じないならば、聖パウロが「預言を軽んじてはならない」と聖書において言ったとき、に聖パウロ自身によって発表された原理に違反するのである。

聖母は最後に勝利なさる

神はわれわれに預言を送り給う。それは、われわれに警告するための一つの賜物、何か新しいことを啓示するためではなく、われわれの信仰に対する、そしてわれわれの生命に対する現在の諸々の危険に直面するためにわれわれがなさなければならないことをわれわれに警告するための賜物である。そしてそのことは、ラッツィンガー枢機卿が、ファチマの第三の秘密は、信仰とキリスト教徒の生命、そしてそれゆえに、世界の(生命)に脅威を与える諸々の危険」を扱っていると言われたときに言及されていたことである。「それは、聖書の諸々の予告に一致する」、まさに最後の事柄である。

これは、公表されてこなかったファチマの第三の秘密の内容である。私はその全体像を一般的に描いた。それははるかにより特殊的である。聖母の言葉遣いは非常に要を得た、型にはまったものである。そしてそれは、世界において間もなく勃発するはずのまさに(ベネディクト教皇が2010年5月11日に示唆されたように)ぞっとするような、恐るべき諸々の出来事を明らかにしている。しかし、それは終わりではない。というのは、最後に何が起こるであろうか? ということがあるからである。聖母は言われた:「最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。ロシアは回心し、そして平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」

2011/10/13 三上 茂 試訳

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作成日:2011/10/13

最終更新日:2011/10/13

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