ファチマ・クルーセイダー

一つのオカルト的な都市が現れる:反キリストが次に来ているのか?

The Fatima Crusader Issue 96, Autumn 2010 より

ニコラス・グルーナー神父 S.T.L., S.T.D.(Cand.)

ファチマのシスター・ルチアはわれわれに、悪魔が最後の戦いをする気になっている、と告げた。われわれは、テレビのあちこちで、ハリウッドにおいて、品行と服装規範の退廃において、不誠実なビジネス慣例において、ごまかしをする政府において、そしてここにリストアップするには多すぎる数多くの他の仕方において、働いているサタンの証拠を見ることができる。

しかし今、われわれは悪魔がより公然と自らを示している証拠を持っている。悪魔のたくらみは最も長い間、悪魔が存在していない振りをすること、そしてわれわれがただ世俗的な人間主義的社会、神、あるいは何らかの至上の存在、あるいは何らかの霊的な力を認めない社会を持つことが出来るという振りをすることであった。

この嘘、この偽り、この故意の誤報はサタン自身によって追い払われている。12年前、世界の大部分に知られずに、ロシア帝国の遠隔の地域、カザフスタンに一つの都市がアスタナ(Astana)と改名された。過去12年の間、この都市をフリーメイソンの諸々の主題や諸々のシンボルに満ちた一つの未来派の首都へと組み入れるための一つの巨大な建造の冒険的事業が存在してきた。2010年8月8日のロンドンのオブザーヴァー紙はその都市を「ステップ地帯における宇宙基地」と呼んだ。しかしその都市の建築学的な構想はフリーメイソンのシンボリズムに浸されているオカルト的な諸々の主題として説明されるほうがより正しい。

その都市に聳え建っているのは一つの巨大なピラミッドであるが、それはフリーメイソンの長く認められたシンボルである。そのピラミッドは一つの会議センター、並びに協会の諸々のオフィスを収容している。その協会は、ロンドンのメイル紙が報じたように、「世界の偉大な諸宗教の間の友情、理解そして相互協力の橋を架ける」ことに捧げられている。それはもう一つ別の長い間確立されてきたフリーメイソンの主題である。

新しい総裁の宮殿は二本の巨大な柱によって側面を守られている。それらの柱はフリーメイソンのシンボリズムのうちに見出される二本の柱、ボアズとヤチンに主題的に関係づけられていると思われる。私は本号の2ページ、22ページそして51ページに何枚かの写真をリプリントした。それゆえあなたは御自身でこれらのオカルト的にデザインされた建築物をご覧になることができる。「未来の都市」モデルとして歓迎された建築のそのような悪魔的なコレクションをもって、反キリストはこの点まで背後に存在し得るだろうか?

反キリストの到来は聖書並びにファチマの第三の秘密において予告されている。そしてファチマのメッセージはわれわれに、ここ北アメリカ並びに世界の他の部分において、反キリストが一つのグローバルな奴隷労働キャンプにおいてわれわれのすべてを支配することを妨げる唯一の道がファチマの聖母の諸々の要求に従うことによって、そして他の人々を従わせることによってである、ということを告げている。

シスター・ルチアがわれわれに告げているように、悪魔は最後の戦いを行う気になっている。そしてわれわれはどちらかの側を選ばなければならない。われわれは悪魔の味方であるか、それともイエズスとマリアの味方であるかのどちらかである。真ん中の立場は存在しない。日和見的な態度を取ることはできない。われわれは一方の側あるいは他方の側を選ばなければならない。

われわれは、最後に祝せられたおとめマリアが勝利なさるであろうことを知っている。聖母は悪魔に対して勝利なさるであろう。しかしわれわれにとっての問題は、われわれが聖母の側にいるのか、それともこの世と地獄において悪魔に奉仕することに終わるのか? ということである。

大災害 -[ノアの]大洪水よりももっと悪い、世界が以前には決して見たことがない大災害 - が起こることを防ぐ時間はまだある。

われわれがロシアの奉献から受けるであろう諸々の利益

あなたが本号において見るであろうように、われわれは祝せられたおとめマリアが明確にお求めになった奉献に焦点を当てている。教皇と司教たちによる従順に対しては全世界のための平和と繁栄が保証されている。そしてその不従順に対しては「さまざまの民族」の奴隷化、死、破壊そして絶滅が保証されている。

ずっと長い間、私はなぜ教皇と司教たちがそれをしないのか - すなわち、聖母が御要求なさったようにそれを適切にしないのか - 不思議に思ってきた。私がその質問をクレイマー神父にしたとき、彼はこう言った:「彼らがそれをしないという事実は悪魔が存在しているということの証明である。」すなわち、「そこには邪悪の神秘が働いている。」

われわれはそのような結論をどのように引き出すことができるのか? それは非常に単純である。教皇と司教たちによる従順のこの行為によってわれわれが得ることができるあらゆる利益 - 自然的および超自然的な - がある:

世界中あまねく兵器に、軍事力に、海軍と空軍の軍人たちに、そして産軍複合体(アイゼンハワーがそう呼んだように)の中へと入って行くすべての浪費された燃料と資源や物資に年間1千億ドル(one hundred billion dollars)以上費やす代わりに;軍事支出に年間に行く1兆ドル(trillion dollars)の代わりに、それらは世界の人々を食べさせ、衣服を着せ、そして教育することに用いられるであろう。その結果、もはや極端な貧困は存在しなくなるであろう。

ただ巨大な額の金銭でもってのみ解決され得る諸問題のための健康管理はそのときすべての貧しい人々にとって利用されえるであろう。

人類すべてに与えられる平和の一時期。人々は戦っていないであろう、諸国は戦っていないであろう。諸々の暴動、あるいは諸々の食料暴動は存在しないであろう。

人類が切望し、熱望しているこれらすべての利益。同胞に対して善意を持っている人は誰でも彼らすべてが平和と繁栄のうちに生活することを望むであろう。このすべては教皇と司教たちによる一つの単純な従順の行為 - 各人の時間のおよそ10分を取るであろう - によって持たれることができるであろう。

換言すれば、5000人が、同時間に、そして同日に、一緒にか、それとも彼ら自身の司教座聖堂においてかのいずれかで、荘厳にそして公的に一つの共通の祈りを唱えるのである。その祈りはどこででも5分間から10分間続くであろう。そしてそれが、世界の平和、調和、繁栄そして善意というこの目標を達成するために要求されるであろうすべてである。それはすべての人の永遠の救いをより容易に達成させるであろう。そしてそれはすべての人にこの世の生活において自然的な繁栄の諸利益を与えるであろう。

それはアダムとエヴァが罪を犯す前に持っていたようなそのような地上での楽園ではないであろう。しかしそれは、この世界が今日その下でうめいているものよりは、たとえ千倍ではないとしても、百倍はよりよいものであろう。ファチマのメッセージはまたこう言っている:もしあなたが従わないならば、もし私の諸々の要求が叶えられないならば、全世界 - 例外なしに世界におけるあらゆる国 - は、慈悲深い奴隷制においてではなく、反キリストの規則の下で奴隷化されるでしょう。

新世界秩序のビッグ・ブラザーはあなたの生活のあらゆる局面とあなたの愛する者たちを支配するであろう

それは、残酷な奴隷制、すべてではないとしても、多くの人々を絶望へと追いやる奴隷制、彼らの抑圧者たちに対して、そして彼らの隣人たちに対してさえ、生命と自由と善のすべての希望をあきらめる奴隷制であるだろう。誰もが他の誰か - 彼らの友人たち、彼らの隣人たち、彼らの子どもたち、彼らの両親たち - に対して潜在的なスパイであり得るだろう。

新世界秩序(New World Order=NWO)のビッグ・ブラザーはあなたの生活のあらゆる局面 - もしあなたが生きているならば、どこにあなたが生きるかを、もしあなたが食べるならば、何をあなたが食べるかを、もしあなたが働くならば、どこであなたが働くかを、もしあなたが旅行するならば、どこまで遠く、そしてどこへあなたが旅行することができるかを、もしあなたが他の誰かと交際することができるならば、あなたが会うあるいは話すことが出来るのは誰か、出来ないのは誰かを - 指図するであろう。そしてそのことは氷山の頂上に触れるにすぎない。

ビッグ・ブラザーはまた、あなたが生きるかあるいは死ぬか、あなたがどのように死ぬか、そしていつ死ぬかをも決定する。それは抑圧的で残酷であろう。NWO は永遠に最後まで建設されるであろう。

ビッグ・ブラザーは、あなたにとってこの地獄穴の最悪から抜け出す唯一の道はあなたの霊魂を悪魔に売ることであろうということを信じさせるであろう。そしてそのときでさえ、あなたは完全には脱出しないであろう。

なぜ彼らは従わないのか?

そのような選択に直面して、なぜ、教皇そして教皇の前の教皇たち、そして司教たち、そして、さらに詳しく言えば、司祭たちが、聖母によって約束されたこの平和と繁栄をもたらすために彼らの役割を果たさなかったということなのであろうか? 司祭たちは、一つの主要な仕方において、そのことを説教するか、あるいは教えることかのいずれかによって、このことを促進できたであろう。しかし彼らは協力しなかったし、一生懸命働かなかったし、時を選ばずにこのことを屋根の上から叫ばなかった。

要約すると、彼ら(司祭たち、高位聖職者たちそして教皇)は、彼らにリーダーシップを期待している信徒たちのために祈り、犠牲、回心の十字軍を先導することによって彼らができたすべてのことをしなかったのである。

その代わりに、聖職者の多くは放棄した、あるいは自らに、教皇あるいは枢機卿あるいは司教になるまでは待たなければならないと告げた。そして延期し、曖昧な態度を取り、そして真理のために立ち上がらなかった。

彼らは声を挙げなかったそして司教職の中の、あるいは枢機卿団体に属している彼らの兄弟たちを励まそうとはしなかった。あるいはファチマ・メッセージを知らせる言葉を広め、自らがロザリオを祈り、また他の人々に祈らせるために少しばかりのことをするよう彼らの同僚の司祭たちを励まそうとはしなかった。

聖職者の多くの者の間からは次のような言い訳が聞かれる:「私は何もすることができない。それは私の仕事ではない。この人あるいはあの人のところへ言って話しなさい。私に何かすることを期待しないでください。」

本当の障害は何か?

祈りの、ファチマについての知識の、一般大衆からの汲み上げ、トップから降りて来ることからの転換の、この運動を妨げているのは何か? 明細に述べられた仕方においてロシアを奉献せよという具体的な命令に単純に従うことから彼らを妨げているものは何か?

そこには多くの理由がある。第一の理由は、われわれすべてがわれわれが生きている時代によって影響を受けてきたということである。私が話しているのは、彼ら自身われわれの時代の最良の人々であるが、しかしにもかかわらず、時代の背教によって幾分影響を与えられているあの忠実な、あの熱烈に忠実なカトリック教徒たちである。

シスター・ルチアが言ったように:「祝せられたおとめマリアは善人も悪人も御自分のメッセージに何らの注意も払わないがゆえに非常に悲しんでおられる。」

そしてそれゆえに、回心する必要があるのは、聴く必要があるのは、従う必要があるのは、ファチマの真実を抱きしめる必要があるのは、また善人である。そしてすでにそれらのことを実行している人々ですら、私自身を含めて、彼らが今までにしてきているよりももっとよくそれをする必要がある。

信徒たちのうちのある人々は言う:「私は何ができるか?」

「私は枢機卿ではない、司教あるいは司祭ではない。私は重要ではない。私はそのように小さい。私は勘定に入らない。私は特別な才能を何も持たない。私は小学校に、高等学校に、大学に行かなかった。私は大学院卒の学位を持っていない。私は何か特別な者ではない。私は産業の、あるいは商業の、あるいは政府において、あるいは教会あるいは国家の官僚制において、長ではない。私に何ができるか?」

それゆえ、彼らは何もしない - たとえ彼らが情報を持っていても -!

まず第一に、われわれは皆もっと多く祈る必要がある、われわれは皆われわれ自身の祈りをしなければならない。誰もわれわれのためにそれをすることはできない。他の人々があなたのために祈ることができるということは確かである。しかしそのときあなたは祈りのための必要に貢献していない。そしてファチマの天使が言ったように:「イエズスの聖心とマリアの御心はあなたの嘆願の声を注意深く聴いておられる。」イエズスの聖心とマリアの御心はあなたを、個人的にあなたを求めておられる。どうかあなたの役割を果たしてください。あなたたちの祈りによってわれわれを助けてください。

聖母を沈黙させるために続いている陰謀

もちろん、聖母と聖母の諸々の御要求とを沈黙させるために一つの陰謀が存在する。われわれはこのことを何年にもわたって繰り返し繰り返し暴露してきた。

(1)ファチマの聖母を沈黙させること

聖母を沈黙させるための第一の陰謀は、もちろん、それについて話さないこと、諸大学を含めてわれわれのカトリック学校においてさえそれについて誰にも告げないこと、われわれの諸々の説教壇から、あるいはわれわれのいわゆるカトリック諸新聞から誰にも告げないこと、沈黙の処理でもってそれを処理することである。誰もそれについて聞かないならば、それについて話さないならば、それについて学ばないならば、そのとき、教会と世界における諸問題への唯一の解決がファチマの聖母への従順によってであるということを誰も知らないであろう。

(2)混乱と分裂を引き起こすこと

悪魔によるファチマの聖母に対する攻撃の第二のラインは、ファチマの物語とファチマの諸要求とを知っている人々の間に混乱と分裂を引き起こすことである。ロシアの奉献はなされたと主張することによって、ファチマの第三の秘密全体は公表されたと主張することによって、自分たちはファチマの祝せられたおとめマリアに奉仕していると考える、あるいはそう主張する、誠実な、あるいはそうでない(神のみぞ知り給う)人々のいくつかのグループが存在する。

彼らは、これらの事柄は教皇に対する忠誠からそう述べているのだ、と言う。神は偽りを擁護することによって仕えられ給うことはない。そして、それに加えて、教皇ヨハネ・パウロ二世と教皇ベネディクト十六世とは、これらの自称教皇に「忠節を尽くす者たち」の諸々の主張とは反対のことを公言しておられる。また信仰と理性の光とは、ロシアがファチマの聖母によって要求されたうようには奉献されていないということを、これらの問題を偏見なしに十分に検討する誰に対しても証明している。また第三の秘密全体も公表されていない。

明らかに、彼らの主張は偽りである。そしてわれわれは繰り返し繰り返し彼らに答えてきた。しかし、ある人々にとっては、ファチマの聖母によって促進し立つことよりもこれらの偽りによって自分たちは促進し立たなければならないと、彼らは考える。

私はこの雑誌の61ページから始まる、偽りの従順に関する短いエッセイを書いた。それはあなたにとって読むことが非常に重要な論攷である。というのは、われわれすべてを危険に陥れている混乱の一部、故意の誤報の一部は真の従順と偽りの従順との間の相違についての誤解だからである。

『ファチマ・クルーセイダー』のこの号は単にロシアの奉献がなされていないという事実に焦点を当てるばかりでなく、またなぜそれがなされていないかということにも焦点を当てている。23ページから始まるファチマ・チャレンジでのキャシー・ピアソン(Cathy Peason)の講演、『ファチマの終わっていない仕事』は、それがなぜなされて来なかったかその理由を非常に徹底的に検討している。(特に37ページから52ページまでを見なさい。)

キャシーは、今に至るまで、なぜ教皇たちが従って来なかったかその諸々の理由を検討している。そして彼女は、最も一般的に進められた諸理由さえ - もっと正確に言えば、教皇たちとバチカンの恐れ - 実際は真の理由ではないということを示すことができる。彼女は、私にとても意味の分かる彼女自身の理由を提出している。しかし23ページから始まる彼女の論攷を読むことによってあなたが判定者となりなさい。

サタンはバチカンを操っている

実際、サタンがどのようになんとかバチカン - 教皇の助言者たちや他の人々 - をファチマの聖母に対する従順を避けることへ、そしてそれを邪魔することへさえ操ろうとしているか、を理解することはわれわれにとって重要である。われわれは、このことを理解することがわれわれにとってなぜ重要なのか? ということを問うてもよかろう。

教会における一つの最近の例を取り上げることにしよう。この千年紀の第7の年の第7の月の第7の日[2007年7月7日]に教皇ベネディクト十六世は、御自身の手によって、ラテン語ミサは禁止されていない、ラテン語の伝統的ミサはこれまでにも決して禁止されたことはなかった、そして司教あるいは枢機卿あるいは修道会上長は誰も、評判のよい司祭がラテン語のトリエント儀式でのミサの聖なる犠牲を捧げることを妨げることはできないということを、法令で定め、そして宣言なさった。

ある人々が今なおこの事実を無視しているとしても、そのことは公的な記録の問題である。その法令以来の過去3年間に、大部分の司祭たちはまだラテン語のトリエント・ミサ - 彼らが捧げることを義務づけられているミサ 注1)、そのミサの典礼のうちにはいかなる誤謬も存在しないと言っている信仰の決定を持っているミサ - を捧げていない。一方、新しい「ミサ」のうちには、諸々の重大な誤謬があり、そしていかなる誤謬も存在しないと言っているいかなる決定も存在しない。

真実は - 他の言語の間で、英語、イタリア語そしてスペイン語においては - 葡萄酒の聖別の自国語の翻訳が、それを疑わしい妥当性のものとしている - 換言すれば、ポール・クレイマー神父によって、その著書『典礼において信仰を変えることの自殺行為』(ファチマ・センターで入手可能)の中で、証明されたように、葡萄酒のイエズス・キリストの御血への変化(実体変化)がそこに存在するということが疑わしいということである。注2)

われわれは、第三の秘密が典礼における諸々の変化に対して警告しているということを知っている。注3)にもかかわらず、誰もが、あたかもそれは問題ではないかのごとく、やって行っている。そして、教皇によって古いミサが禁止されなかったし、また一度も禁止されたことはない - そして、事実、過去においても、また未来においても決して禁止されることはできないであろう - ということが明白にされた後でさえ、やって行っている!

それでは、それは何故なのか? それは、人々がいかなる理解も持っていないためであるのか? 神はこう言われる:「私の民は滅びる、誰も彼らの心の中で反省しないからである。」

聖書はまたわれわれにこう告げている:「司祭の舌は知恵を護ることである。」それは、司祭が信仰の諸真理を知らなければならない、そして真理を擁護し、誤謬を強く叱責しなければならないということを意味している。しかし今日大部分の司祭たちはそのことをしていない。聖ヨハネ・ユードがわれわれに告げているように:「神が御自分の民に完全に御立腹なさるとき、神がお送りになることができるその最悪の懲罰は悪い司祭たちを送ることである。」

それゆえに、教会がこれまでに見た最悪の背教のこの時代においては - それはまさに明らかに反キリストの到来の前である - 選ばれた者でさえもしそのことが可能であるならば、欺かれるであろうそのとき、われらの主は、われわれはわれわれ自身に知識を与えなければならないと言われる。われわれはファチマの預言的なメッセージに耳を傾けなければならない。というのは、この時代にわれわれの霊魂を救うためになされなければならないことをわれわれに説明するために御自分の御母をお送りになること、それはわれわれの時代のための神の憐れみであるからである。

ファチマのメッセージの真理全体は教皇庁事務局において、いわゆるカトリック学校委員会において、いわゆるカトリック・のジャーナルや新聞雑誌において、大学、高等学校、そして諸小教区において妨害されている。

それが、教会のあらゆるレベルで、すべての人 - 豊かな人も貧しい人も、学のある人も単純な人も、影響力を持っている人もそれほど影響力のない人も、よく知らされている人もほとんど知らされていない人も、平信徒 - にとって、メッセージが妨げられているところではどこでも、真実を知られるようにするために、それぞれの役割を果たすことが非常に緊急である理由である。

われわれは自ら真理を愛さなければならない

われわれは聖書においてこう告げられている:「真理は汝を自由にするであろう」と。明らかに、嘘と偽りはあなたを奴隷にする。われわれはまた、神によって聖書(テサロニケ後書第2章)において、反キリストが来るのは、他の数千の罪へと導く人々の一つの基本的に悪い態度のゆえであると告げられている。その基本的な罪とは彼らが真理を愛さないということである。われわれは真理を愛さなければならない。われわれは真理を知ることを求めることによって、われわれが持っている真理を生きることによって、われわれができるときに真理を擁護することによって、真理を探し求めている他の人々にそれを渡すことによって、真理を愛するのである。

われわれは、われわれの時代には、われわれの周りの諸々の場所や組織において真理が常に愛されているのではないということを理解しなければならない。一見したところ善良な人々が、実際は知っていてわざと嘘、偽りそして半分の真実を広めているときに、真理を促進していると公言している。それから、実際によく言っているつもりであるがしかし欺かれている真に善良な人々が存在する。しかしわれわれは、彼らが偽りの導管となるときにはその中に取り込まれるべきではない。

われわれは何ができるか?

誰もができることは祈ることである。イエズスはわれわれに、イエズスとマリアに訴えるために決して遅すぎるということはない、と告げておられる。換言すれば、今日、非常に遅いけれども(ロシアの奉献が要求されて以来80年以上経つが、今もなお従われていない)、われわれは棄てられているのではない。われわれは無力な者ではない。われわれはイエズスが言われたことをすることができる:すなわち、「教皇のために祈りなさい、大いに祈りなさい」われわれは、聖母が「ロザリオの聖母だけがあなたを助けることができます」と言われたときのファチマでの聖母のその言葉を肝に銘じることができる。

換言すれば、われわれはロザリオを祈らなければならない - しばしば、そして熱心に。シスター・ルチアはわれわれに、世界には、聖なるロザリオによって解決され得ないいかなる問題 - 自然的であれ、ありは超自然的であれ、地方的であれ、あるいは国際的であれ、われわれの教会において、われわれの共同体において、世界において - もないと、告げている。

われわれの1200万環以上のロザリオ十字軍に参加してください。もっと詳しい情報は13ページを見てください。

われわれは教皇のために祈られた1900万環の以上のロザリオの効果を見てきた。教皇は、われわれが『ファチマ・クルーセイダー』の94および95号においてあなたたちに示したように、2000年に御自分が言われたことからすでに自説を翻された。

そしてそれゆえに、要約すれば、われわれは何ができるか?

もしあなたがすでに始めていなかったならば、今日始めなさい。われわれがすることができるもう一つの事柄、真理と聖母への愛のためにわれわれがもっとよく出来る何かが常にある。われわれが誰であろうとも、ファチマの聖母の勝利をもたらすことにおいて一つの非常に積極的な役割を、われわれは果たすことができる。神があなた祝福なさり、そして聖母があなたを保たれますように。

注:

1.Read Father Paul Kramer's The Suicide of Altering the Faith in the Liturgy for the basis fo this assertion.
2. See this book, pp.85-88.
3. See Father Paul Kramer,The Devis's Final Battle, Second Edition(2010), 2-volume version, pp.25-26; 1-volume version, pp.36-37. See also Father Kramer, "The Secret Warned Against Vatican Council II and the New Mass",The Fatima Crusader, Issue 92, May 2009, pp.7-11.

2011/10/26 三上 茂 試訳

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作成日:2011/10/26

最終更新日:2011/10/26

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