ファチマの聖母マリア

悪魔の最後の闘い

The Fatima Crusader, Isuue 76: Spring 2004より

チャールズ・フィオレ神父

編集者注:The Faima Crusaderのよき友人であったチャールズ・フィオレ神父は昨年(2003年)2月18日に亡くなった。死の1ヶ月前に彼は自分自身の費用で友人たち100人に悪魔の最後の闘いという書物を郵送した。以下の文章は書物と共に彼が送った心のこもった手紙である。


チャールズ・
フィオレ神父

神の摂理によって、私は1961年、第二ヴァチカン公会議が始まる1年前に、ドミニコ会士として司祭に叙階されました。

私は27歳でした。私は公会議前の教会で成長し、教育されました。その結果、公会議の始まったときには私は伝統と次の40数年間にわたってカトリシズムの内部を爆発させるであろう諸々の変化の間に立っていました。

私は私の洗礼、青春そして叙階の教会を愛していました。しかし、私は未熟でした。そして権威に対して見境いなしに服従していたので、公会議の新しいやり方に---しばらく間---無批判的に従っていました。

しかし、10年間の終わりまでに、私ははっきりと、教会の中断されない伝統とは一致しない、そして矛盾さえするということを私が見出した公会議の想定された「改革と刷新」の最初の諸結果を見ました、(またそれによってますます心をかき乱されました)。

例えば、ローマ典礼における変化を禁じた聖ピオ5世の規定、そしてミサのnovus ordo(現在の各国語典礼)を決して命令していなかった(典礼に関する)最初の公会議文書Sacrosanctum Concilium(1963)の明白な命令にもかかわらず、パウロ6世の公会議後の委員会(1969)は--その6人のプロテスタントの専門家たちと共に--ミサの三つの生彩を欠いた(そして非カトリック的だと思われる)典礼書を作り上げ、そしてローマ式典礼書を去勢しました。それはまた、他の6つの秘跡、司祭および司教の叙階の儀式そして跋魔式の典礼をさえ、の「改革」(解体)の始まりをも結果しました。

公会議の終わり、1965年までに、意図的に「曖昧な」その16の文書(それらの著者たちが後に自由に認めたように、In the Murky Waters of Vatican II, Guimaraesを参照せよ)と共に、公会議の諸々の結果は明白でした:すなわち、教会の伝統は福者、教皇ピオ9世のSyllabus of Errorsと教皇聖ピオ10世のPascendi Domini Gregisによって断罪された近代主義に一致する仕方で解釈されたのです。実際上、あらゆるもの--諸々の教義から信心にいたるまで--は聖職者の熱狂者たちによって非公式な仕方で、あるいはフリーメーソンの官僚たちによって公式に、疑問視され、捨てられあるいはしまい込まれました!

ヨハネ23世がその開会の挨拶でわれわれに保証されたことはそれが教会の諸々の教えを変えることを命じない「司牧的」公会議であって、ただそれら[の教え]を世界に対してもっと理解しやすいものにすることにすぎない(アッジョルナメントaggiornamentoを思い起こしてください)ということでしたが、公会議の「精神」(実際はポルターガイスト[騒ぐ幽霊])に訴えながら、あらゆる教義、規律そして実践を問題視した「専門家たち」の遊び場となりました!

同性愛者たちを神学校や養成の家に入学(入所)させないように--そして彼らを叙階しないように--という司教たちおよび修道会上長たちに対するヴァチカンの1961年命令(それ以来4回も繰り返された)は、1970年代、80年代、90年代に花盛りとなった(たいていは同性愛の)性的悪習の収穫の種を蒔きながら、大幅に無視されました。

そしてそれらを切り抜けた者たちは預言的なHumanae Vitae(1968)の公布に先行した終わりのない「対話」と相談、そして彼らの筋肉を曲げ、異端の司教たちによって励まされた神学者たちや世俗主義者たちによるHumanae Vitaeからの猛毒をもった不服従を忘れることができます。一方で、他の者たちは隠れ場に向かうレミングのようにただ走るだけでした。そして後になって彼らの説教壇から「偽りの良心」を説教しました。

もっと最近には、Ut Unum Sint(1996)において、ヨハネ・パウロ2世は教皇の首位性における一つの新体制を示唆することによって英国国教会と正教会へ手を差し伸べ、そしてアッシジI およびIIで[諸宗教の]融合を許したと思われました。そして至るところで、教皇と司教たちはコーランに接吻し、世界青年の日での異教的な諸々の儀式の「煙の中で燻され」、彼らの額にヒンドゥー教の豊饒のシンボルで印をさせ、メキシコでの列聖式ミサの中へアステカのダンスを「文化移植」させたのです。しかし、たいていの司教区において一つの伝統的なミサを見つける試みをやってみてください!

そのように、またワルター・カスパー枢機卿は--2001年2月に枢機卿会議において上げられた--救いのためのイエズスの受け入れとカトリック信仰への回心を否定しました。そして昨年の8月に、ボルティモアのキーラー(Keeler)枢機卿によって指導されたUSCCB委員会はre:the Jews!というカスパーのテーゼを呼び出しました。USCCBの司教たちは11月には、ちょうど彼らが同性愛賛成のAlways Our Childrenを無視したように、あるいはダラスで(2002)彼らが司祭の性的悪習に焦点を当てたときに、不服従の者たちそしてゲイの神学生たちを無視し、そのように多年にわたる腐敗を彼らが個人的に隠蔽したことをうまく逃れたのと同じように、それについて話しそこなったのです。

本当に、誰か大多数の司教、聖職者、修道者そして平信徒が事実上の離教にあるということを疑うでしょうか? 今、私たちの聖アタナシウスはどこにいるのでしょうか?

1992年に、ローマで、ドミニコ会を去る間に、私は聖座のある尊敬する枢機卿と長い、率直な会話を交わしました。枢機卿は私にこう言われました:「神父様、教会における堕落は最高の段階に達しています!」と。私はそれをそのとき信じました。私は今それを信じています。

しかし私はまた、苦しんでいる唯一、聖、普遍のそして使徒的教会は多くの指導者たちの「暗くされた知性」と「黙り込んでしまった」信徒たちの40年間にもかかわらず、ある形において永続するであろうということをも信じます。明らかに、次の教皇は枢要なものでしょう。そして祈りに満ちた家庭は信仰を守るために苦しむでしょう!

1972年に、私の友人故マラキ・マルタン神父はThree Popes and a Cardinal(三人の教皇と一人の枢機卿)の冒頭の数行において、われわれが当時知っていた制度的教会は2000年にはもはや存在しないであろうと書きました。公会議において、彼は直接にそれが何を産み出したか、それはどこへ向かっているか、そして信仰の解体がそのときすでに進行しているということを見ていました。

明らかに、教会の「自己破壊」(パウロ6世)は、ソダノ枢機卿のファチマ第三の秘密の歪曲(2000年5月13日)、そしてラッツィンガー枢機卿とベルトーネ大司教の「説明」(2000年6月26日)が聖母が言われたことを--シスター・ルチアが聖母の御要求で書いた通り正確に--逐語的に明らかにすることによって、拒絶されるまで続くでしょう。なぜ彼らは聖母の言葉をわれわれに読ませることを望まないのでしょうか?

神の御母は解釈者あるいは「回転の速い博士たち」を必要としません。彼らはどのように敢えて聖母の言論を抑えようとし、聖母の実際の言葉を、40年以上もの間、検疫・隔離しようとするのでしょう!

どうか、悪魔の最後の戦いThe Devil's Final Battleのすべてのページと脚注を読んでください。それは非常に大切です。そして友人のために一冊購入してください--そのことは無知のうちに混乱し、道を見失っている誰かのための慈悲の行為です。

「ああ、わがイエズスよ、われらの罪を赦し給え。われらを地獄の火より救い給え。またすべての霊魂、殊に御身の憐れみを最も必要としている霊魂を天国に導き給え!」(天使がファチマの子どもたちに教えた祈り)

--チャールズ・C .フィオレ神父

2004/05/06 三上 茂 試訳

訳者注:The Devil's Final Battle, Edited and compiled by Father Paul Kramer, The Missionary Association, Buffalo, New York, 2002 www.devilsfinalbattle.com

作成日:2004/05/06

最終更新日:2004/06/25

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