ファチマ・ニュース

福者ヤシンタとフランシスコ:列聖の作業の完結は近い

2006/09/06

2006年9月6日:Virtual Fatima紙は最近福者ヤシンタとフランシスコの列聖のための作業の完結が近いと報じた。「道はなおまだ非常に長い。しかしそれは数年の代わりに数ヶ月を要し得るであろう」とヴァチカン列聖聖省長官は語った。

現在医師たちが一人の子ども、糖尿病にかかったスイスにいるポルトガル移民の娘の報告された奇跡的な治癒を分析中である。その子どもは2000年5月13日ヤシンタとフランシスコの列福の瞬間に癒されたと言われている。

「もし医師たちがその治癒はいかなる科学的な説明も持っていないと結論するならば、[列聖の]作業が神学者たちによって検討されるであろう」と Virtual Fatima は報じている。

三十人の枢機卿、大司教および司教たちが医師たちと神学者たちの結論を分析し承認しなければならないであろうヴァチカン委員会を構成する。証拠固めの収集文書はその次ぎに聖省長官によって最終的な決定を下される教皇へと提示されるであろう。

福者フランシスコ・マルトは1908年6月11日にアルジュストレルに生まれた。聖母のファチマ御訪問の間そしてその後、彼の特別の霊性は「われらの主を慰める」ことであった。そして彼の祈りと償いをその目的に向けた。彼はイエズスに背くあらゆる冒涜、侮辱そして無関心のゆえにイエズスを慰めるために祝せられた秘蹟[御聖体]の前で祈った。彼は1919年4月4日に聖人に相応しい死を迎えた。

福者ヤシンタ・マルトは1910年3月11日にアルジュストレルに生まれた。シスター・ルチアはヤシンタが三人の子どもたちのうちで最も気に入られていたと言った。聖母の御訪問の間そしてその後、ヤシンタは彼女の年齢を超えた成熟佐を示した。彼女の大きな望みは彼女の苦しみを罪人たちの回心のために捧げることであった。長いそして苦痛に満ちた病気の後に彼女は1920年2月20日に亡くなった。彼女の遺体が1935年と1951年に墓から掘り出されたとき、彼女は腐敗せずに見出された。

聖母の御訪問の前に1916年には天使の三回の出現があった。これらの最初の出現の時にヤシンタは六歳、フランシスコは七歳、ルチアは九歳であった。

聖母の御訪問の二、三年以内の二人の子どもたちの死は1917年6月13日の次の預言を実現した:「私はヤシンタとフランシスコを間もなく連れて行きます。」二人の幻視者たちはファチマの大聖堂の中に埋葬されている。この二月に2005年2月13日に亡くなったシスター・ルチアが同様にまた大聖堂の彼女のいとこのヤシンタの隣りに埋葬された。

列聖の作業のための第一の段階は1945年に始まった。そして1952年に公式に開かれた。彼らは1989年5月13日に列聖委員会の布告によって「尊者」と宣言された。教皇ヨハネ・パウロ二世は聖母の最初の御訪問の第83回記念日である2000年5月13日にヤシンタとフランシスコを福者に挙げられた。

フランシスコとヤシンタの注目すべき聖性はカトリック教徒たちに聖性が子どもたちにとって可能であるということを思い起こさせる。彼らは青少年と成人たちがそれに向かって努力すべき模範である。ファチマの聖母に献身的なカトリック教徒たちは英雄的な聖性の生活を送ったこれら二人の聖なる子どもたちが正式に祭壇に上げられることを待ち望んでいる。

作成日:2006/10/04

最終更新日:2006/10/12

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