ファチマの聖母マリア

フォックス神父のファチマに対する近代主義的攻撃

第 I 部

クリストファー・A.フェララ

(『ファチマ・クルーセイダー』特別報告

律法に従順であると主張する一方で、古代のファリザイ派の人々は律法からその真の意味を奪い、それを堕落した人間的解釈と取り替えた。今日、ロバート・J.フォックス神父と彼の仲間の「エキュメニズム」の「新しい」宗教と「諸宗教間対話」の弁護者たちはファチマのメッセージに対してまったく同じことをしている。


「彼らはめしいにしてめしいの手引きなり、めしいもしめしいを手引きせば二人とも穴に陥るべし、と。」(マテオ15-14)


序論

1984年3月25日の教皇と何人かの司教たちによる世界奉献--しかしロシアの奉献ではない--以来20年以上が経った。あの儀式が行われて以来、もしロシアの奉献がファチマでの聖母の御要求に従って遂行されていたならば[実現していたであろう]、聖母が約束なさったロシアの回心、汚れなき御心の勝利そして世界平和の時代のいかなるしるしもなかった。

まったく正反対に、過去20年間にわたってロシアの霊的および道徳的状態はただ悪化しただけである。カトリック教会は今やプーチン政権による公然たる迫害を受けている。プーチンのネオ・スターリン主義的権威主義はバチカン、世界の指導者たちそして諸々の人権団体から抗議を受けてきた。諸々の戦争が荒れ狂っている。そして中絶の大虐殺が衰えずに続いている。状況はそのように重大なので、1984年儀式の20周年記念式において教皇ヨハネ・パウロ二世自身がこう嘆かれた:「20年後、世界は今なお憎しみ、暴力、テロリズムそして戦争によって傷つけられている....世界中の多くの地域において多くの血が流され続けている....正義と平和への待望が世界のあらゆる部分でますます長いものとなている。」註1)

明らかに、1984年の[奉献の]儀式はファチマの聖母によって約束された諸々の恩恵を産み出さなかった。聖母は間違った約束をすることが決しておできにならないからして、われわれが置かれている事態についての唯一の可能な説明があるだけである:すなわち、世界の奉献は単純に聖母が要求なさったことではないのである。シスター・ルチア自身が、(ウンベルト・マリア・パスクアーレ神父による)聖母がロシアに対立するものとして世界の奉献に関して一度でも言及されたことがあったかという質問に対する返答において、「いいえ、ウンベルト神父様!一度もありません!1917年にコヴァ・ダ・イリアにおいて聖母はこう約束なさいました:私はロシアの奉献を求めるために[後に]来るでしょう。....1929年に、トゥイにおいて、聖母は、約束なさった通りに、あの国[ロシア]の奉献を教皇に求める時が来たということを私に告げるために戻って来られました」註2)と述べた通りである。

1984年以来ニコラス・グルーナー神父はシスター・ルチア自身の証言に従いながら、世界の奉献は聖母の御要求を満たすことができなかった、と首尾一貫して主張してきた。--それは今日のロシア、世界そして教会の状態を考えるならば、道理をわきまえたどんな人にとっても完全に明らかなであろう一つの結論である--。グルーナー神父が正しいという証拠が多くなるにつれて、世界の奉献がロシアの奉献と同じようによいものであるという支持できない主張を弁護する様々の人々がグルーナー神父と彼のファチマ使徒職に対する彼らの攻撃へと踏み出した。

これらの攻撃者たちのうちの主要人物はロバート・J.フォックス神父であり、彼はバチカン国務長官アンジェロ・ソダノ枢機卿およびバチカン当局の他のメンバーたちによって促進されている当局の方針注3)を忠実に支持している:その方針とは1984年の儀式が聖母の要求に対する適切な代用であるということ、そして誰ももはやロシアの奉献を求めてはならないということである。フォックス神父の立場の愚かさが明らかにされれればされるほど、そして1984年儀式が明らかに功を奏さなかったということを認めるよう彼に対する圧力が大きくなればなるほど、グルーナー神父に対する彼の攻撃はそれだけ醜いものとなる。

彼の雑誌 Immaculate Heart Messenger の2004年4月-6月号において、フォックス神父は、ファチマに関する彼の立場に異議を唱える彼が受け取った多くの手紙を引用しながら、グルーナー神父の名声の攻撃に二編の論考と六ページを費やした。いつものように、フォックス神父がグルーナー神父の際だって筋の通った主張--ロシアの奉献はロシアの言及が必要であるという--の真価を避けた。そしてまったくの人身攻撃に没頭した。

スタニスラウ・ジウィズ司教(右)は、グルーナー神父がファチマの聖母を促進する彼の使徒職の仕事において何も悪いことをしなかったということを論証する文書をジョセフ・ケインから個人的に受け取っている。

フォックス神父の人の偏見に訴える議論

「グルーナー神父--聖職停止処分を受けたカトリック司祭」と諸々の物語の一つの標題は書き立てている。ここでもう一度取りかかろう。グルーナー神父やさまざまの著作家や公刊された文書がふんだんに証明したように、彼は「聖職停止処分を受けた」のではなくて、むしろバチカン国務長官によってたくらまれた教会法上の策略の犠牲者である。ファチマのメッセージに関するグルーナー神父の正当な見解を抑圧することを決定して、国務長官は、--もしグルーナー神父が自分を教区に引き受けてくれる一人の新しい司教を見つけなかったならば-- イタリア・アヴェリーノ(彼はそこで1976年に叙階された)に戻る命令をくだすよう司教に圧力をかけた。同時に、国務長官はグルーナー神父に対する司教区への引き受けについて多くの親切な司教の申し出について最後までやり遂げることから彼ら司教たちを妨害するためにさまざまの形の威圧を適用した。他の場所で司教区への引き受けを得ることからグルーナー神父を妨害した上で、国務長官は次にアヴェリーノ司教に、--司教区への引き受けを得ることに「失敗」していることにおいて--「不従順」のために「聖職停止」でもってグルーナー神父を脅迫するように命じた。簡潔に言えば、グルーナー神父はバチカン当局者たちがそうすることを妨害したそのことをすることに「失敗」したことのゆえに罰せられたのである。

しかしこのすべての不法な策略にもかかわらず、ハイデラバードの大司教は、その司教区への引き受けの裁定の中で、「悪しき勢力があなたの愛の働きを滅ぼそうと陰謀をたくらんだ」、そして「官僚的な勢力は神の働きをもみ消すことはできない」ということに言及しながら、グルーナー神父を司教区に引き受ける仕事を進めた。われわれはただ、この高位聖職者の勇気を称賛することができるだけである。

もっと詳しい情報を欲しい人にとって、物語全体は「実際、ヴァージニアよ、グルーナー神父は聖職停止を受けていない」注4)というようなそのような諸論考において詳細に述べられている。いかなる教会法、あるいは合法的な命令をも侵害していない一人の司祭を「聖職停止にする」ことは不可能である、注5)そしてフォックス神父も他の誰も、そのような侵害を一度も証明しなかった--なぜなら、グルーナー神父は悪いことを何一つしなかったからである--と言うだけで十分である。グルーナー神父の「聖職停止」はバチカン国務長官によって仕組まれた存在しない罪に基づいた一つの教会法上の捏造である。

このことはほかでもない過去四十年間教皇の個人的秘書であったスタニスラウ・ジウィズ大司教によってはっきりと認められている。1966年にジウィズ大司教--オッセルヴァトーレ・ロマーノの写真記者によってある瞬間にその写真を撮られたが--はグルーナー神父に対する国務長官の策謀のいくつかを詳細に記している、教皇への教会法上の依頼のコピーを個人的に手渡された。注6)そのとき以来、ジウィズ大司教は三度グルーナー神父に彼の仕事に対する励ましの個人的な手紙を送った。(p. 3にある写真で再現されたコピーを見よ。)一番最近では、2004年1月12日に教皇の秘書は「あなたとファチマ・センターにおいてあなたの配慮に委ねられている信徒に祈りに満ちた新年の幸運と祝福」伝えることによってグルーナー神父のクリスマスの挨拶を認めた。ところでこの教皇の秘書はバチカンで数千枚の多くのクリスマスの挨拶を受け取る。しかし、彼はグルーナー神父の挨拶に、ファチマ・センターでの彼の仕事に言及し、それを励ます「ニコラス・グルーナー神父」に宛てた個人的な手紙でもってグルーナー神父の挨拶に答えたのである。グルーナー神父の状況によく気がついているその教皇秘書は一介の「聖職停止を受けた司祭」に一連のそのような手紙をほとんど送ることはないであろう。

フォックス神父の嘘に対する答えとして、われわれは、教皇ヨハネ・パウロ二世の40年来の個人的秘書、スタニスラウ・ジウィズ大司教からグルーナー神父へ宛てた3通の手紙をここに写真で示す。ここに読むことができるように、最近の日付のこれらの手紙は暖かいものであり、グルーナー神父の使徒職を支持するものであり、そして教皇からの個人的な挨拶を含んでいる。

しかし、たとえわれわれが議論のためにグルーナー神父が「聖職停止を受けた」と仮定したとしても、そのことは、ロシアの奉献が果たされたかどうかということとどんな関わりがあるだろうか? もちろん、何もない。フォックス神父がよく知っているように、彼は、その人の議論の長所を述べることよりもむしろその人を攻撃しながら、不当な人の偏見に訴える議論 argumentum ad hominem に没頭しているのである。それは非常に古い、そして非常に安価な論争のテクニックである。

それゆえ、グルーナー神父のにせの「聖職停止」に関してフォックス神父からこれ以上聞くのはやめよう。フォックス神父にとって、グルーナー神父の向こうずねを蹴ってそれから逃げ出す代わりに、男らしいやり方でこの論争の長所を述べる時である。

誰が数百万ドルを浪費しているのか?

しかし向こうずね蹴りは「数年以上にわたってグルーナー神父がどのように数百万ドルという多くの金を集めたかを見ることは興味のあることであろう...」というフォックス神父のずるい批評と共に続いている。グルーナー神父の使徒職への寄付金の額が、ロシアがマリアの汚れなき御心に奉献されたかどうかということとどんな関係があるのか? もちろん、何もない。いずれにせよ、グルーナー神父は一ペニーも「集めた」ことはない。問題になっている寄付金はグルーナー神父がその総裁である非営利組織に対してなされ、そしてそれらの寄付金の額は公的記録の問題である。

数百万ドルの寄付金についてのフォックス神父の質問は正当に彼に対して返され得ると言わなければならない。フォックス神父は何百万ドルを、世界の奉献がロシアの奉献とまったく同じであるという思い違いを促進するために、調達したのか? ロシア、世界そして教会の現在の状態がファチマの聖母の約束の実現を表しているとカトリック者たちを説得しようとして、彼はどれほど多くの金を使ったのか? フォックス神父は、聖母の要求がすでに果たされたという嘘をつく罪を犯すことによって聖母の要求の実現を遅らせるための彼の心得違いの努力においてどれほどもっと多くの金を浪費したのか? ファチマのメッセージに反対して働く「ファチマ使徒職」になぜカトリック者は金銭を与えるべきであるのか?

顧みられない一つの単純な要求

フォックス神父がそのように熱心に避けようと努力している諸々の長所に焦点を当ててみよう。もし言葉が意味を持っているならば、そのときファチマの聖母の言葉はフォックス神父やバチカン当局のある種の人々によって取られている立場には一致しない。ここでファチマでの聖母の要求がどのように明白で単純であるかを思い起こすことは良いことであろう。

1917年7月13日の御出現において、祝せられたおとめは三人の子どもたちに永遠の苦しみへと断罪された罪人たちで一杯になっている地獄の幻視を示された。それから聖母は子どもたちにこう言われた:「あなたたちは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、神は世界に私の汚れなき御心への信心を打ち立てることを望んでおられます。」

聖母は次に三人の幻視者たちに、もし人々が神に背くことを止めないならば[来るであろう]最悪の種類のこの世での罰について警告された。神はロシアをご自分の「懲罰の選ばれた道具」として用いながら、「戦争、飢餓、そして教会と教皇の迫害という手段によって」世界を罰されるであろう。聖母は子どもたちに、「このことを防ぐために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献を求めるために来るでしょう」と告げられた。

平和の約束

聖母はそれから「もし人々が私の約束に傾聴するならば、ロシアは回心す るでしょう、そして世界は平和になるでしょう」と約束された。しかしながら、聖母は、もしご自分の要求が叶えられないならば、「ロシアは、諸々の戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善人は殉教するでしょう。教皇は多く苦しみ、そしてさまざまの国家が絶滅させられるでしょう」と警告された。

最後に、聖母はロシアの奉献はどれほど遅れようとも、不可避である、なぜなら神がそれを救済史のこの時期において世界に平和をもたらすための手段としてお定めになったからである、と約束された:「最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献でしょうロシアは回心するでしょう。そして平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」

その御言葉どおり、聖母はロシアの奉献を求めるために戻って来られた。1929年6月13日スペイン、トゥイで、聖母は祝せられた三位一体を象徴する一つの偉大なそして荘重な幻視の間にシスター・ルチアに御出現になった。聖母はシスター・ルチアにこう告げられた:「神が教皇に、この手段によってロシアを救うと約束なさりながら、私の汚れなき御心へのロシアの奉献を、世界のすべての司教たちと一致して、行うようにお求めになる時が来ました。」注7)

それゆえ、ファチマのメッセージは、世界中に汚れなき御心への信心を確立し、霊魂たちを地獄から救い、人類のために平和の一時期を得るために、教皇と司教たちによるロシアの団体的な奉献とその結果としてのロシアの回心に関わっているのである。ロシア、そしてただロシアだけがここでは考慮されている--世界ではなくて、ロシアなのである。

シスター・ルチアは、教皇と司教たちによる奉献の対象は特殊的にそしてはっきりと、ロシアでなければならない、なぜなら、その特定の国がマリアにその国だけを奉献する儀式に引き続いて回心するとき、神が汚れなき御心の栄誉を称えてこの奇蹟をおそれ多くも産み出されたということが誰の目にも明らかとなるだろうからだ、と説明した。シスター・ルチアが1936年5月18日に彼女の聴罪司祭に明らかにしたように、「最近、私はわれらの主に、教皇がこの奉献をすることなしになぜ主はロシアを回心させようとなさらないのですかと尋ねました。」われらの主は、シスター・ルチアがその手紙の中に記録したように、彼女にこうお答えになった。「それは私が、私の教会全体がマリアの汚れなき御心への信心を後に広め、そしてこの信心を私の聖心への信心の傍に置くようになるために、ロシアの奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認めることを欲しているからだ。」注8)

そこには聖母の要求について何か理解することが困難なことがあるだろうか? ぜんぜん何もない。子どもでさえそれを理解することができる。だからこそそれは読み書きすらできなかった三人の単純な子どもたちに伝えられたのである。なぜなら、われらの主御自身が(卑劣にも世間ずれしたファリザイ人たちを念頭において)次のように言われた通りだからである:「幼子らを許せ、その、われに来るを禁ずることなかれ、天国は、かくのごとき人のためなればなり、と...われ誠に汝らに告ぐ、すべて幼子のごとくに神の国を受けざる人は、ついに、これに入らじ、と。」(マテオ 19:13,マルコ 10:16)。

神の要求に対する一つの人間的な代用品

今日われわれは1917年7月13日の御出現から87年経った時点にいる。そして今なおマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献 -- 非常に単純な行為 -- はまだ遂行されていない。その代わりに、1984年3月25日に、教皇ヨハネ・パウロ二世は、意図的にロシアへのいかなる言及も落として、世界を奉献された。

なぜか? その答えについてあれこれ推測する必要はない:Inside the Vatican 2000年11月号において「教皇に最も近い相談相手の一人」としてだけ認定された一人の指導的な枢機卿(それは、実際は、トムコ枢機卿であった)は今日、「ローマがそのような祈りの中で、ポスト・キリスト教的西欧を含む全世界が重大な諸問題に直面しているときに、あたかもロシアが特別に助けを必要としているかのように、ロシアに特別に言及したならば、ロシア正教会がそれを一つの『侮辱』と見なすかもしれないということを、ローマは恐れているのだ...」その同じ枢機卿の相談相手はこう付け加えた:「余りにも文字に捕らわれて融通のきかない精神の持ち主にならないように気をつけよう」と。

言葉を換えて言えば、子どもたちの信仰をもって三人の小さな子どもたちにょって理解され受け容れられた神のメッセージはバチカン当局の何人かの大人たちによる人間的修正における一つの試みに従属させられたのである。これらの世間的に賢い、「エキュメニカルな対話」の実行者たちは、ロシア正教会がそれを一つの「侮辱」と見なすかもしれないがゆえに、マリアの汚れなき御心にロシアを奉献することを公的に躊躇するのである。彼らは、神御自身が御自分の祝せられた御母を通じて、特別な助けがまさにロシアが必要としているものであると宣言されたときに、「ロシアが特別に助けを必要としている」という印象を与えることを避けようと望むのである。

しかしながら、その教皇の相談相手は、神がロシア正教会への不当な侮辱を求めるために地上に御自分の御母を送られたと考えているように思われる。そしてそれゆえに、教皇と司教たちによるロシアの団体的な奉献の代わりに、これらの教皇の相談相手たちは、ロシアが奉献されたと誰一人考えることがないように、そこからはロシアのいかなる言及も意図的に落とされた儀式をわれわれに与えたのである。これが、聖母がファチマで要求されたことであると、フォックス神父がわれわれに信じるように求めていることである。

ファチマのネオ近代主義的な解体

分派的ロシア正教会の感情を害することを恐れてマリアの汚れなき御心にロシアを奉献しないことは単に第二バチカン公会議でのご自慢の「世界に対する開放」の後に続いた教会の人間的要素の破滅的な自由化の眼目である。奉献は公会議の間そして後に教会の中に突然現れた「エキュメニズム」と「対話」という新奇なものによって邪魔されてきた。パウロ六世が「世界に対する開放は世俗的思考による教会の紛れもない侵略となった」と認めたが、その認識は遅すぎた。そしてすべてが言われ、なされるとき、公会議の閉幕以来ロシアの奉献を妨げて来たものは世俗的思考--あるいは、もっと厳密に言えば、ネオ近代主義的思考なのである。

ネオ近代主義という言葉は何を意味するのか? ネオ近代主義者とは単に新しい近代主義者、その思考様式が20世紀初期のもともとの近代主義者に由来した現在の近代主義者である。近代主義者は、容易に同定できる露骨な異端によってではなく、むしろ曖昧な、研究された真理の脱落と「近代的な話し方」によってカトリック信仰を掘り崩す手の込んだ技術を実行する人間である。これらの手段によって、今日の近代主義者はカトリック用語の伝統的な意味を変え、その結果、最後には信仰が完全に滅ぼされることになるようにする。それはちょうど一軒の家が、堅固さという外観をまだ持っているけれども、シロアリの活動によって完全に破壊されるのと似ている。

教皇聖ピオ十世は、最初の近代主義者たちに反対するその記念碑的な回勅Pascendi (1907)において、近代主義を--そしてその定義は等しい力で今日のネオ近代主義者たちにも当てはまる--「すべての異端の綜合」にほかならないと簡潔に定義された。聖ピオ十世が宣言されたように、「もし人が、信仰に反して持ち出されて来たすべての誤謬を一緒に集める仕事を試みなければならないとしたら、そしてそれらの活力と実質をすべて一つの集めなければならないとしたら、彼は近代主義者たちがしたほどにはうまく成功することはできないであろう。」

近代主義者の基本的テクニックはカトリックの諸真理を完全に掘り崩しているのにそれらに口先だけのお世辞を言うことである。正統性の偽りの外観は近代主義を信仰にとって非常に危険なものとするものである。

世界的に有名な神学者、マリア学者であるホアキン・マリア・アロンゾ神父(Joaquin Maria Alonso, C.M.F.)は第二バチカン公会議に司教たちへの助言者として出席した。彼は近代主義「神学者たち」から来る教会への危険を理解した。1966年にファチマの第二司教であるジョン・ヴェナンシオ司教は、ファチマに対する近代主義者たちの攻撃を反駁するためにファチマの諸々の啓示についての完全な学問的歴史を研究し公刊するようにアロンゾ神父を指名した。
彼は以後10年間をファチマ諸文書の研究に費やした。1976年には各巻およそ800ページであり少なくとも5,396のオリジナルな文書を含む24巻からなる彼の記念碑的な著作の公刊の準備ができていた。しかし次の司教であるド・アマラル do Amaral 司教の体制の下で、それらは印刷することを許されなかった。アロンゾ神父は自分の学問的な仕事の刊行を決して見ることがなかった。彼は1981年12月12日に亡くなった。そしてわずか2冊のひどく編集された巻だけが1990年までに公開されただけである。残りの22巻は1976年から今日に至るまで決して公開されてこなかった。
アロンゾ神父は威信のある神学ジャーナル Ephemerides Mariologicae の中で、ファチマの聖母によって要求された奉献は特殊的にロシアの奉献であるということ、そして世界の奉献は聖母のこの最も緊急のそして重要な要求を満たしていないということを説明した。彼はまた奉献は一つの厳密に司教全体による行為でなければならない、すなわち、すべてのカトリック司教たちによってなされなければならないということ、そしてカトリック司教たちの道徳的な一致は十分ではないであろうし、また彼らによるその後の承認も十分ではないであろうと述べた。注9)

マルチン・ルターのような古い型の異端者たちは彼らの異端を公然かつ明白に宣言することを躊躇しなかった。このようにして、ひとたび教会が彼らの明白な諸々の誤謬を異端として明らかにし、断罪したら、彼らは教会のコモンウェールスからの追放を甘受した。しかしながら、現代の近代主義者ははるかに巧妙な輩である。彼は教会を、見かけはカトリック的な用語を装って通用させた自分の異端的な諸見解に一致させようと試みる一方で、教会内部にとどまろうと努力する。

聖ピオ十世が Pascendi において警告されたように、これらの教会のシロアリたちは「まったく新しくて細かい区別立てに満ちた諸々の技巧によって教会の生命的なエネルギーを滅ぼし、できることなら、キリストの王国そのものを完全に転覆するよう努めている」のである。彼らの主たるテクニックはある瞬間にはカトリック真理を肯定しているように見せかけるが、それはただ次の瞬間に曖昧さあるいは仕組まれた脱落という手段によってそれに疑いを投げかけるためである、と聖ピオは言われる。「それゆえに、彼らの書物の中にあなたは、カトリック者によってよく表現されているであろうある事柄を発見する。しかし次のページにおいてあなたは合理主義者によって口述されたであろう別の事柄を発見する。彼らが歴史を書くとき、彼らはキリストの神性について何の言及もしない。しかし彼らが説教壇にいるとき、彼らはそのことにはっきりと公言する。再び、彼らが歴史を書くとき、彼らは教父たちや諸公会議には何の注意も払わない。しかし彼らが人々にカテキズムを教えるときには、彼らはそれらを尊敬の念を込めて引用する。」

聖ピオ十世は、教導職に対する忠誠を公言している近代主義者たちが、信仰の敵として暴露されるときどのように「驚きを表明する」かを指摘しておられる。にもかかわらず、彼らは「教会のすべての敵対者たちの中でも最も有害な者である。なぜなら、私がすでに述べたように、彼らは教会の破滅のための彼らの計画を外部からではなくて、内部から実行するからである。それゆえに、危険は教会のほとんどまさに血管と心臓の中に現前しているのであり、教会についての彼らの知識が深ければ深いほど、教会の損害もそれだけ確実なのである。」

そこで、公会議後の時期のネオ近代主義の大きな進展への鍵はそれが、教会のまさに血管と心臓に住んでいる人々、そして正統的な教説からその客観的な内容を取り除いているときでさえ、健全な正統信仰の模範手本として自ら持ち堪えている人々によって押し進められているということである。

近代主義者は、教皇聖ピオ十世が説明しておられるように、ただ一つの基本的な教説だけを持っている。そしてそれは実際まったく馬鹿げたそして自己矛盾した教説である--すなわち、絶対的な真理は存在しないという「ドグマ」以外にはいかなる絶対的真理も存在しない、という教説である。それゆえに、彼らはいかなるカトリック教義をも、いつも、どこでも、そして同じ意味において、真なるものとは主張しない。その結果、彼らは真のカトリック教義を攻撃し、あらゆるカトリック者を彼ら自身と同じような近代主義者とするために、正統的なカトリック教師たちに対する信頼を掘り崩さなければならないのである。聖ピオ十世は正しい軽蔑をもって、これらの神学の詐欺師たちがどのようにお互いに彼らの新奇さを称賛し合い、一方で、彼らの「諸発見」に敢えて疑問を呈する正統信仰の擁護者たちを非難するかを記述しておられる:「彼らの一人をしてその口を開かせ、他の人々をして声を合わせて彼に拍手喝采を送らしめよ。--科学がさらに一歩前進したと宣言しながら--。部外者をして彼自身の眼で新しい発見を見させよ、そして彼らは身体において彼の上にある -- そしてあなたは一人の無知な者である。それを抱擁しまたそれを擁護せよ -- そしてそこにはあなたにとって余りにも暖かい称賛は何もないのである。」

聖ピオ十世が明らかになさったように、近代主義者たちは、彼らが教会の合法性と体面を自らに着せることができる程度まで、このようにして彼らが教会の精神を語っており、従われるべきであると信徒に説得する程度まで、カトリック教説を食い尽くすことに成功できるのである。だからこそ聖ピオは近代主義に反対する誓いがあらゆるカトリック司祭および神学者によって為されるべきこと、そして教会における権威のあらゆる地位から近代主義者たちが暴露され、取り除かれるべきことを要求なさったのである。しかしながら、第二バチカン公会議の後に近代主義に反対する誓いは権威の地位から近代主義者たちを排除しようとする組織的な努力と共に、パウロ六世によって放棄された。われわれは「世界への開放」のこの局面の諸結果を見て来たのである。

ネオ近代主義的反乱がフォックス神父のような聖職者たちの援助でもってどのように、ファチマのメッセージのカトリック真理を掘り崩すために合法性と体面の偽装を用いて来たかを見ることにしよう。

離反者たちの立ち帰りをお求めになる聖母の要求の放棄

教会の最高の法は霊魂の救いである。注10)われらの主は「信じ、かつ洗せらるる人は救われ、信ぜざる人は罪に定められん」(マルコ16:16)と警告なさりながら、霊魂たちを永遠の破滅から救うために「御血をもって得給いたる」(使徒行録20:28)御自分の教会を建て給うた。御自分の教会をペトロの巖の上に建てたと告知なさって、われらの主はさらに、もし罪人たちが「教会に聞かずば、汝にとりて異邦人、税吏のごとき者と見なすべし」(マテオ18:15-17)と警告なさった。

「万民に教え、父と子と聖霊とのみ名によりて、これに洗礼をほどこせ」(マテオ28:18)というわれらの主の神的な委託を守って、カトリック教会は三度、教会の外には救いはないという教えをカトリック教義として不可謬的に決定した:

信徒の唯一の普遍的教会が存在する。その外ではいかなる人も救われない。(教皇イノセント三世、第四ラテラン公会議、1215年)

あらゆる人間の救いのためにはローマ教皇に従属することが絶対的に必要であると私は宣言し、述べ、決定し、公言する。(教皇ボニファチオ八世、教皇大勅書 Unam Sanctam,1302年)

いとも聖なるローマ教会は、カトリック教会の外にいる人々は、単に異教徒ばかりでなく、またユダヤ教徒、異端者、分離主義者も、永遠の生命に与ることができず、彼らが、死ぬ前に教会に参加しないならば、悪魔とその使いのために備えられた永遠の火の中に入るであろう、そして教会の一致は非常に重要であるので、この一致の内部にとどまる者だけが教会の諸々の秘蹟によって救いに至る利益を受け、またその断食、慈善、キリスト教的敬虔の他の働き、そしてキリスト教的兵士の諸義務に対する永遠の報いを受けることができるということを固く信じ、公言し、説教する。その慈善の業がどれほど大きくても、たとえ彼がキリストのみ名のために自分の血を流すとしても、もし彼がカトリック教会の懐と一致の内部にとどまっていないならば、誰も救われることはできない。(教皇エウジェニオ四世、教皇大勅書 Cantate Domino , 1442年)

「克服しがたい無知」に関するあらゆる推測はさておいて、天国への唯一の知られた道は洗礼とカトリック教会の現実の成員たることである。教会の成員であるためには、単に人が洗礼を受けているということを要求するだけではなく、また(理性の年齢に達した人々においては)あらゆる時代の同一のカトリック信仰にしがみつき、また教皇および教皇に一致する司教たちの下ですべてカトリック者として同一の管理に従属することをも要求する。それゆえに、一なる真の教会における信仰の一致が救いのために必要である。なぜなら、真理を知り、そしてそれに固着することがわれわれを救うことであるからである。アタナシウス信条が説明しているように、「救われることを望む者は誰でも、まず何よりも、カトリック信仰に全体的にそして欠けるところなく固くしがみつかなければならない。」われらの主御自身がわれわれに教えられたように、われわれを自由にする--悪魔への隷属から自由にする--のは真理である。(ヨハネ8:32)違った風に言うことは、キリストにおいて神によって啓示された真理がどうでもよいと言うことであり、それは冒涜である。

それゆえに、信仰の一致から離れることは永遠の断罪の道へと進むことである。だからこそ信仰に反対する異端は常に教会からの破門によって断罪され罰せられて来たのである。なぜなら、ほかでもない霊魂の救いが危険にさらされているからである。例えば、教皇大勅書 Cantate Domino において、フィレンツェ公会議は三位一体とキリストの真の人間性と神性のような信仰の教義を肯定した後に、次のように宣言した:

「それゆえに、有害で反対の意見を持つ者を教会は非とし、破門し、そして教会であるキリストの身体に無縁のものであると宣言する。さらに教会は反対の事柄を提案するあらゆる異端を断罪する。」

実際、教会の統一は単に真の教説の擁護と異端の断罪を要求するばかりでなく、また家庭と一つの全体としての社会の統一をも要求する。--それは16世紀のプロテスタントの反乱以来多様化されてきた信仰に対するすべての誤謬の諸結果からわれわれが今日見ることができる通りである。

これらすべての理由のために、ロシアの回心に対するファチマの聖母の要求は、キリスト教的一致を達成し、霊魂の救いを確保する唯一の手段としての一なる真の教会への離反者たちの立ち帰りの必要性に関する教導職の絶えざる教えを神御自身が肯定しておられることだったのである。(ファチマ聖堂の主任司祭、モンシニョール・ゲッラを引用しながら)フォックス神父が提案していることとは反対に、ファチマの聖母は「他の諸々の信念をもつ人々との対話の精神」を要求するために地上に来られたのではない。とんでもないことである!聖母は、分派のゆえに教会から離反している人々(ロシア正教会)による一なる真の教会への集団的な立ち帰りを要求するために来られたのである。

[第二バチカン]公会議以前の諸教皇が離反者たちの立ち帰りに関する教会の教えを、ファチマの御出現の直前そして直後に力を込めて再説されたことは単なる偶然ではない。教皇レオ十三世は、その回勅 Praeclara Gratulationis Publicae において、聖母がファチマに御出現になったわずか13年前に、正教会に対して次のように書きながら話しかけられた:

「私の心の切望している望みは、その古代の信仰と栄光ある過去においてそのように輝かしかった東方諸教会が、かつて放棄した群に立ち帰る日がそれほど遠いものではないと考えそして希望するように私に命じている...『諸教会の分裂を止めさせよ』、そして『散らされた者たちを集め、誤った者たちを立ち戻らせ、彼らをあなたの聖、公、使徒的教会に結びつけよ。』このようにあなたが遠い昔の時代から私とあなたに手渡されてきた、あなたの父祖が汚れなく保ってきた一にして聖なる信仰へと立ち帰るようになるように...キリスト者たちの真の一致は教会の創設者たるイエズス・キリストが建てられ、望まれたものであり、そしてそれは信仰の一致と統治の一致に存するということである。」

ファチマの御出現のわずか11年後に、教皇ピオ十一世は、彼のすべての先任者たちと一致して、 Mortalium Animos の中で、「キリスト者たちの一致はただキリストの一なる真の教会への、それから分離している人々の立ち帰りを促進することによってのみ促進され得る、と宣言された。なぜなら、過去において彼らは不幸にも一なる真の教会を去ったからである。私は言う、キリストの一なる真の教会へ、と。それはすべての人々に見得るものであり、そしてそれは、その設立者の意志に従って、まさにその方が創設されたものと同一のものとしてとどまらなければならない教会である。」

第二バチカン公会議の始まるわずか数年前に教皇の教えのこの全体系を要約しながら、ピオ十二世の聖座は1949年の、カトリックの団体がキリスト教的一致の主題に関するいかなる承認された神学的討論においても、非カトリック団体に、「一にして真なる教会への離反者たちの立ち帰りに関するローマ諸教皇の回勅の教え」、および「一なる真の教会への離反者たちの立ち帰りによる唯一の真の一致...に関するカトリックの真理」を提示する義務を負っていると警告した。

このように、ロシアの奉献と回心とを要求なさりながら、まさに神の御母は一にして真なる教会への離反者たちの立ち帰りの必要性に関するカトリック真理を断言なさったのである。そして「回心」ということによって、聖母は最も確実に--カトリック者たちが常にそう理解したように--一にして真なる教会、すなわち、カトリック信仰への回心を意味されたのである。なぜなら、ミサ、神御自身が御自分の神性の相応しい礼拝と罪の償いのために準備なさった宗教的および道徳的諸真理、神の律法への従順、正しい生活そして究極の救いを無傷のままに保存しているのはただカトリック信仰だけであるからである。

それゆえに、「回心」によって、聖母が分離主義的な正教会宗教の抱擁を意味することがおできになったと示唆することは馬鹿げたことであり、また冒涜的なことであろう。神の御母は彼らの現在の分派と宗教的なもろもろの誤謬および異端のうちにあるロシアの人々を承認するために地上に来られたのでは確かにない。ロシア正教会は、すべてのオーソドックス諸教会と同様に、ローマ教皇への従属の必要性に関するカトリック教義を拒否し、同様にまた、煉獄、フィリオクェ(正教会が主張するように、単に父からのみでなく、父と子の両者からの聖霊の発出)、そして正教会が許容する離婚と再婚の不道徳性に関するカトリックの教えをも拒否している。さらに、正教会はマリアの無原罪のおん宿りのカトリック教義を認めず、そしてこのようにして、聖母の汚れなき御心そのものへの信心を宣言していないし、実行していない。そしてにもかかわらず、聖母がファチマに来られ、ロシアの回心を要求なさったのは、まさに「世界の中に私の汚れなき御心の信心を打ち立てる」ためだったのである。

それゆえに、カトリック信仰へのロシアの回心で始まる離反者たちの立ち帰りはファチマ・メッセージのまさに本質に属するのである。それ以外には、聖母が要求なさったように、どのようにして世界に汚れなき御心の信心を打ち立てることができるのか? それ以外には、どのようにして聖母の汚れなき御心の勝利が達成されるべきなのか? なぜなら、無原罪のおん宿りの教義と汚れなき御心の信心を公言し、実践しているのは、すべての諸教会の中で唯一カトリック教会のみだからである。

ソロヴィエフの洞察

ロシア正教会のロシア人哲学者かつ神学者であるウラディーミル・ソロヴィエフでさえ、ファチマ御出現の数年前に書きながら、ロシア正教会のローマとの再統合を通じてのみキリスト教世界はロシアにおける世俗主義の台頭に対して防御され得るということを予見することができた。Rey Ryland 神父がソロヴィエフの著作の議論において指摘したように、「ソロヴィエフは、ロシア教会がひとたびローマの支配権を放棄したら、それは不可避的に政府の支配の下に陥った、と指摘した。彼は、そのことはすべての純粋に国民的な諸教会の運命である、と言った。ある国民教会--ロシア教会のような--が国家の権威に従属させられることを避ける唯一の道は国家の外部にある一致の中心を持つことである。その超国家的な一致の中心はただローマでのみあり得る。」注11)1892年にソロヴィエフはカトリック教会と和解した。その前、1888年に彼は、ロシア・オーソドックス教会をローマとの交流にもたらすその努力に対して教皇レオ十三世の個人的祝福を受けていた。この非カトリックの思想家は、間もなくファチマで全世界に明らかにされるはずであった、この時期のための神の御計画:ロシア正教会の離反者たちはローマへ立ち帰らなければならないという御計画を、(どのように不完全なしかたであれ)認めることができたのである。

[第二バチカン]公会議後の時代の最も驚くべき展開の一つは離反者たちの立ち帰りの必要性に関する教会の教えの突然の消失である。第二バチカン公会議によって産み出された二つの大きな新奇さ--「エキュメニズム」と「対話」--の影響の下に、離反者たちの立ち帰りは、一方においてカトリック者と、他方においてプロテスタントたちとオーソドックスとの間の「収斂」という一つの曖昧な概念によって置き換えられてきた。

しかし、教会の外にいる者たちが教会に立ち帰らなければならないという考え方を脱落させることは、また、ファチマの聖母によって要求されたロシアの回心を含む、一、聖、公、使徒的教会への回心というまさにその考え方を脱落させることである。実際、今日の教会における最高位にいるネオ近代主義者の一人、ワルター・カスパー枢機卿--教皇は彼をキリスト教一致のための教皇立委員会の長とされた--は、「今日われわれはエキュメニズムを、それによって他の人々が『回心し』、『カトリック者』たるべく立ち帰る、そのような立ち帰りの意味において、もはや理解しない。このことは第二バチカン公会議によってはっきりと放棄された」と公的に宣言した。注12)

公会議の曖昧さがカスパーの異端的な見解に力を与えたかもしれないけれども、事実は、公会議は一なる真の教会への離反者たちの立ち帰りの必要性という教義をはっきりと「放棄し」なかったのである。そのことは、放棄され得ない、荘厳な、教皇座からの、不可謬のそして変えることができない教皇の諸決定注13)の放棄ばかりでなく、またすべての民を弟子にする--それは必然的に失われた羊の群への立ち帰りを求めることを含む--というまさに教会の使命の放棄をも意味しないであろう。しかしたとえカスパーが実際に、離反者立ちの立ち帰りに関するローマ諸教皇の教えの「明白な放棄」のために公会議を引用できないとしても、カスパーのような強力なそして影響力をもった高位聖職者たちによる実践におけるその放棄は確かに教会への「エキュメニズム」と「対話」という新奇さの公会議の導入の一つの直接的な結果である。--それは人々に説教し、彼らを回心者にしてはならないという誤った印象を産み出した考え方である。このように、今日教会の伝統的な福音的活動が実際に停止し、宣教が実際には消失していることはほとんど驚くべきことではないのである。

この写真はファチマでパウロ六世センターの主要ホールにおいて1992年10月11日午後5:30にフォックス神父によって与えられた会議の終わりに撮られたものである。フォックス神父はテーブルの中央に、コンドル神父がテーブルの右端に出席している。フレール・フランソワはマイクのところにいる。彼はフォックス神父がシスター・ルチアによって署名されていると主張している、フォックス神父宛の手紙を含む五通のにせの手紙を非難している。1984年3月の世界の奉献の行為について話しているシスター・ルチアに帰せられているこれらの手紙は1989年8月にフォックス神父とコンドル神父によって広められ始めた。フレール・フランソワは彼らの列席する前でこれらの手紙を非難し、こう言った:「これらの手紙は捏造されたものである。私はすでにそれについての論証を公表した。そして私の論証は反駁されなかった。私は自分の非難を正当化する準備がある。そしてもし必要ならば、もし私の批判が決定的な仕方で反駁されるならば、それらの非難を撤回する用意がある。」そのセッションは速やかに閉じられ、この公的な非難に対する何の回答もなかった。翌日、10月12日にルネ・ローランタン神父はフォックス神父とコンドル神父がフレール・フランソワに対して何の回答も与えなかったことを知って驚きを表明した。

2004/10/18 三上 茂 試訳

脚注:

(1) L'Osservatore Romano, Italian Daily Edition, March 25, 2004, p. 1.
(2) L'Osservatore Romano, Italian Daily Edition, May 12, 1982.
(3)See Father Paul Kramer, ed., The Devil's Final Battle,(The Missionary Association, Terryville, Conneticut, 2002)Ch. 8, pp. 88-89ff.
(4)カトリック教会の明白な法に従えば、誰も、重大な仕方で罪に値する違反を犯すことなしには職務停止を受けたりあるいは他の仕方で罰せられたりすることはできない。教会法カノン1321を明白に引用するならば:#1はこう述べている:「誰もそれが悪意のために、あるいは罪に値することのために重大な仕方でその人のせいにすることができるのでない限り法あるいは規範の外的な侵害を犯したとして罰せられることはできない。」
(6)ヂウィズ大司教に手渡された文書のコピーを読むためには Fatima Priest  第二版、(Good Counsel Publications, Pound Ridge, New York, 1997), pp.312-321を見よ。
(7) Frere Michel de la Sainte Trinite , The Whole Truth about Fatima Vol. II, The Secret and the Church ,(Immaculate Heart Publications, Buffalo, New York, 1989)p. 464 また p.555 をも見よ。
(8)Sister Lucy letter, May 18, 1936, p. 415,(Documentos
(9)Alonso, "Fatima et le Coeur Immacule",Ephemerides Mariologicae, Vol. XXII, 172, pp. 431-434. See also Alonso, "Fatima Ante la Esfinge" ed Sol de Fatima, 1979, p. 111.
(10)「...教会において常に一つの至高の法でなければならない霊魂の救いに留意し...」(カノン 1752).
(11)Zenit news report, November 19, 2003.
(12)Adista, Febrary 26, 2001: "La decisione del Vaticano II alla quale il papa si attiene, e assolutamente chiara: noi intendiamo l'ecumene oggi non piu nel senso dell'ecumene del ritorno, secondo il quale gli altri devono 'convertirsi' e diventare 'cattolici'. Questo e stato espressanmente abbandonato dal Vaticano II."
(13)教会の外にはいかなる救いもないという三度にわたって決定された教義については、この報告の7ページを見よ。

みこころネット

Father Fox's Modernist Assault on Fatima, Part I

作成日:2004/10/18

更新日:2004/10/18

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