ファチマの聖母マリア

フォックス神父のファチマに対する近代主義的攻撃

第 II 部

クリストファー・A.フェララ

(『ファチマ・クルーセイダー』特別報告

ファチマの予言を信じると公言する一方でそれを無効にすること

ところで、カスパーが考えるように考える人々がロシアの回心とマリアの汚れなき御心の勝利とを全く認めがたいものと見るであろうことは明らかである。しかし、ネオ近代主義者として--すなわち、聖ピオ十世の時代の近代主義者たちと何ら変わりない今日の近代主義者として--カスパーのような人々は遙かに抜け目がないので、ファチマのメッセージは放棄されなければならないと単純には言わないのである。というのは、このことは彼らが好んで「単純な信徒」と呼ぶ人々の怒りを引き起こすかも知れないからである。その策略はファチマ・メッセージを実質的には無効にする一つの解釈をそれに与える一方で、口先だけのお世辞を言うことである。

例えば、ファチマ・メッセージおよび第三の秘密に関するその明白にネオ近代主義的な「註釈」において、ラッツィンガー枢機卿はロシアの回心と汚れなき御心の勝利を次のような仕方で始末した:

「私は正当に有名となった『秘密』のもう一つの鍵になる表現に最後に言及したい:すなわち、『私の汚れなき御心は勝利するでしょう。』このことは何を意味するのであろうか? 神の観想によって純化された、神に対して開かれた心はあらゆる種類の兵器や銃よりも強い。マリアの心の言葉、マリアのフィアット(おことばの通りになりますように)は世界の歴史を変えた。なぜなら、それは救世主を世界にもたらしたからである--なぜなら、マリアのはいのおかげで、神はわれわれの世界の中で人間になることができたのであり、そしていつの時代にもそうであり続けるからである。」注14)

ラッツィンガーのネオ近代主義的な解釈に従えば、1917年に一つの未来の出来事として予告された汚れなき御心の勝利は実際には、マリアが救世主の母であることに同意なさった2000年前に起こったのである。ラッツィンガーはこの解釈学的ごまかしを、聖母の預言から「最後に」という言葉を取り除くことによって達成したのである。彼はまたマリアの汚れなき御心の勝利がロシアの回心と世界平和の一時期のうちに見られるでしょうというマリアの約束についてのいかなる言及をも避けたのである。それらの出来事はメッセージ全体のまさに頂点であるのに。

このことによく注意せよ:すなわち、聖母の預言が三つの決定的な語-- In the end (最後に)--で始まっていることを知っていながら、ラッツィンガーは意図的にこれらの語を預言についての彼の議論から取り除いた。--彼がまた言及しないことの方を選んだそしてマリアの未来の勝利においてこれから実現されるはずである三つの未来の出来事の予言をも彼が隠しているということを十分よく知っていながらそうしたのである:すなわち

最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう;
1.教皇は私にロシアを奉献するでしょう。
2.ロシアは回心するでしょう。
3.平和の一時期が人類に与えられるでしょう。

次の結論以外の他のいかなる結論もあり得ない:すなわち、ファチマのメッセージについてのラッツィンガーの「解釈」はそれを無効にするために計算された、と。なぜなら、もし人がロシアの回心と人類のための平和の未来の一時期を無視し、そして汚れなき御心の勝利を2000年前のマリアの「フィアット」と同一視するならば、ファチマの預言に何が残されるのか? 明らかに何も残されない。預言は過去についての単なる陳述、あるいはせいぜいのところ現在への言及となる。預言についてのネオ近代主義的バージョンはそれゆえに全然預言ではない。それゆえに、Los Angeles Times でさえ、ラッツィンガーが「ファチマの信心をやんわりと地位低下させた」注15)と述べたのである。--あるいはむしろ、彼はそうしようと試みたのである。

まったく同時に肯定しつつ、地位低下させながら、--権威、合法性そして真理への尊敬の見せかけをもってすべては--まさにネオ近代主義者がいかにしてカトリック信念を掘り崩そうとしているかということである。そしてそれはまさにいかにネオ近代主義者たちが、それに敬意をはらっていると見せかけているときでさえ、--そしてもっと悪いことに、彼らがファチマの聖母への信心を敢えて公言しているときでさえ--ファチマのメッセージを掘り崩そうとしているか、ということである。

フォックス神父はネオ近代主義的な「ロシアの奉献」を促進している

この同じネオ近代主義的行為様式 modus operandi は今や、真正のファチマ・メッセージの偉大な擁護者と自認しているフォックス神父によって引き継がれている。フォックス神父のメッセージの「解釈」は、ラッツィンガーの「解釈」と同じように、実際にそれを地位低下させる一つの試みである。ラッツィンガーと同じように、フォックス神父はファチマに口先だけのお世辞を言い、同時に彼は、われわれを「エキュメニズム」と「対話」の擁護者たち--フォックス神父も含まれているが--を怒らせないであろうものと共に置き去りにしながら、その預言的な内容を骨抜きにする。フォックス神父がこのことをどのように為しているかを見てみよう。

第一に、ここにフォックス神父のロシアの奉献についてのネオ近代主義的「解釈」がある。「奉献する」ことは人物あるいは場所あるいは事物を聖なる目的のためにとっておくことを意味する。ある場所を奉献するためには人は奉献されるその場所に言及しなければならないということは自明のことである。ある司教が、一つの新しい司教座聖堂を、その聖堂が司教区の一部であるという理論に基づいて、その聖堂に言及することなくその司教区全体を奉献することによって、奉献することができたと主張することは馬鹿げたことであろう。にもかかわらず、フォックス神父はソダノ枢機卿の党路線に従って、教皇は、正教会を怒らせないようにロシアについてのすべての言及を意図的に避けたとしても、世界を奉献することによってロシアを奉献することができたのだ、と真面目に提案している。

自分の主張を支持するために、フォックス神父はもう一度、彼が1984年に「司教団による奉献がなされたと言っているシスター・ルチアからの個人的書簡」と主張している物を持ち出す。この1990年の「個人的書簡」はワープロによって作られ、シスター・ルチアによって署名されたと主張されている5通の「個人的書簡」のうちの1通であった。--シスター・ルチアは手紙をワープロでは書かない、むしろ彼女の浩瀚な文通全体(回顧録の数百ページは言わずもがな)を手で書いたのである。ネルカー氏 Mr. Noelker 宛のこれらの「個人的書簡」の1通は、教皇パウロ六世が1967年にファチマ訪問の間に世界を[マリアの]汚れなき御心に奉献した--これは起こったことのない出来事である--と述べている。教皇パウロ六世の訪問を目撃したシスター・ルチアがそのような間違いをしたということはありえないであろうからして、その手紙はただワープロでその「個人的書簡」を創り出した情報を持たない人物によって創られることができたであろう。十分に奇妙なことであるが、明らかに信用の置けないネルカー書簡は、奉献がなされたという主張を支持するためにラッツィンガー枢機卿の註釈において引用されたたった一つきりの証拠物件なのである。その問題に関してシスター・ルチアの個人的な証言を得る努力は、彼女が難なく応じることができたとしても、何一つなされなかった。彼女はネルカー書簡の真正性を保証するために尋ねられさえしなかった--このことは非常に意味深長な脱落である。注16)

フォックス神父も彼の陣営の他の誰一人も、1989-1990のそうだと主張されている「個人的書簡」がどのように、聖母が名を挙げてのロシアの奉献を具体的に述べられたのであって、世界の奉献を言われたのではないという1984年儀式の以前そして以後にもなされたシスター・ルチアの変わることのない証言と一致させられ得るかを説明する最小限の努力もしなかった。繰り返し繰り返しフォックス神父はシスター・ルチアの以前の証言に直面させられてきた。繰り返し繰り返し彼は再び彼の「シスター・ルチアからの個人的書簡」がその証言とどのように和解され得るのかという挑戦を避けてきた。ここに以前の証言の二三の例を思い起こしてみよう:

・スペインにおけるブルーアーミーの公式出版物 Sol de Fatima でのシスター・ルチアの1985年9月のインタビュー

質問:「ヨハネ・パウロ二世は1982年5月13日にファチマでなそうとしておられたロシアの奉献に参加するようすべての司教たちを招待されました。そして教皇はそれを1984年3月25日にローマで聖年の終りに、ファチマの聖母のオリジナルな御像の前で更新されました。ですから、教皇はトゥイで要求されたことをなさったのではないですか?」
シスター・ルチア:「すべての司教の参加がありませんでした。またロシアの言及がありませんでした。」
質問:「それでは、奉献は聖母によって要求されたようにはなされなかったのですか?」
シスター・ルチア:ええ、なされませんでした。多くの司教たちはこの行為に何の重要性も起きませんでした。

・教皇使節に対するシスター・ルチアの1983年陳述

1982年の試みられた奉献がまさにロシアに何の言及もしなかった(そして司教たちが参加しなかった)がゆえに、シスター・ルチアは1983年3月19日にポルトガルへの教皇使節に、1982年の奉献の行為は、ロシアが奉献の対象ではなく、また司教たちがロシアを奉献する荘厳な公的儀式に参加しなかったがゆえに不十分であったと告げた:「ロシアの奉献は聖母が要求なさったようにはなされませんでした。私は前にこう述べることができませんでした。なぜなら、聖座の許可を得ていなかったからです。」

マリア・ド・フェタル(Maria do Fetal): フォックス神父のスター証人。フォックス神父が、ロシアの奉献はなされた、そしてゴルバチョフとロシアにおける諸変化は聖母の勝利の始まりであるということを主張する彼のキャンペーンを1989年に始めたとき、彼は、そのよき信仰 bona fides を予め調査したと主張した彼のスター証人、マリア・ド・フェタルに頼った。
彼女は1989年8月から、彼女がピエール・カイヨン神父に、シスター・ルチアとロシアの奉献に関する彼女の話を「でっちあげた」と認めた1990年始めまで持ちこたえた。
そのとき以来彼女は世間の注目を浴びる立場から退き、どんなインタビューにも応じなかった。フォックスも彼女の例にならうように忠告されればよかったであろう。そうする代わりに、彼はロシアの奉献に反対する彼の故意の誤報キャンペーンを続けている。

L'Osservatore Romano において公表された、ウンベルト神父に対するシスター・ルチアの証言

試みられた1982年奉献の前日、1982年5月12日に、L'Osservatore Romano (イタリア語版)は「1939年以来ファチマの幻視者の相談相手」注17)であったサレジオ会司祭ウンベルト・マリア・パスクアーレ Umberto Maria Pasquale 神父によるシスター・ルチアの1978年インタビューを公表した。パスクアーレ神父はその時までにシスター・ルチアから157通の手紙を受け取っていた。1978年8月5日に行われたこのインタビューの間に、シスター・ルチアはウンベルト神父に非常にはっきりした言葉で、聖母は世界一般の奉献を要求なさったのではなく特殊的にロシアの奉献を、そしてただロシアの奉献だけを要求なさったと語った。

あるとき、私は彼女に言った:「シスター、一つ質問がしたいのだが。もし私に答えることができないならば、それでよい。しかしもしあなたがそれに答えることができるならば、あなたにとても感謝するだろう...聖母はかつてあなたに汚れなき御心への世界の奉献について話されたことがありますか?」「いいえ、ウンベルト神父様!決してありません!1917年にコヴァ・ダ・イリアで聖母はこう約束なさいました:私はロシアの奉献を求めるために来るでしょう...1929年にトゥイで、聖母は約束なさった通りに、教皇様にあの国(ロシア)の奉献を求める時が来たということを私に告げるために戻って来られました。」注18)

・ウンベルト神父に彼女の証言を確証するシスター・ルチアの手書きの手紙:

この会話の後、ウンベルト神父はシスター・ルチアにこの解明を書面で残すように求めた。彼女の手書きの覚え書き--ワープロあるいはタイプを打った文字はない--は、「世界」の奉献は、後にシスター・ルチア自身が1982年および1984年の両方の奉献儀式の後に言うであろうように、ファチマでの聖母の要求を果たすためには十分ではなかったということをどんな疑いもなく確定しながら、カヴァレイロ・ダ・インマクラーダによって作られた1980年パンフレットにおいて最初に公表された。ここに1980年4月13日の日付のウンベルト神父宛のシスター・ルチアの手紙の写真による再現のコピーがある。

以下に1980年4月13日のウンベルト神父宛のシスター・ルチアによって書かれた手紙の英語訳がある。

ここでシスター・ルチアは全教会に、彼女自身の手書きにおいて、世界の奉献はファチマのメッセージに無関係であるということを確証し、そして、せいぜい、彼女の聴罪師の示唆を示している。この示唆は、1940年12月2日の彼女の手紙の中でシスター・ルチアがピオ十二世に(ロシアを含む)世界の奉献の要求を呼びかけるようにというグルザ司教による命令から結果したと思われる。注19)これが示唆していると思われることは、「従順」の苦痛の下で、聖母が特殊的に要求なさったことを明白にそして曖昧でない形で主張することを控えるシスター・ルチアの自発性である。

・教皇使節に対するシスター・ルチアの1982年の陳述:

1982年3月21日にシスター・ルチアはポルトガルへの教皇使節、サンテ・ポルタルピ Sante Portalupi 閣下と、教皇がその年の5月13日のために計画された奉献がどのように挙行されるべきかを正確に論じるために、面会した。教皇使節は次のように報告を受けた:

シスター・ルチアは、教皇が全世界の司教たちに、各々自分自身の司教座聖堂において教皇と同時に、償いとロシアの奉献の荘厳で公的な儀式をするように命令する日にちを選ばなければならないと説明した...注20)

・フエンテス神父に対するシスター・ルチアの1957年の陳述:

1957年12月26日にシスター・ルチアは、ジャシンタとフランシスコの列聖調査の副請願者であるフエンテス神父に以下の証言を行った。

「神父様、いとも聖なるおとめは非常に悲しんでおられます。なぜなら、善人も悪人も、誰一人聖母のメッセージに注意を払わなかったからです...善人は彼らの道を続けていますが、しかし聖母のメッセージに何らの重要性も与えていません...神父様、いとも聖なるおとめが、私自身にと同様に、従兄弟のフランシスコとジャシンタに、多くの民が地の表から消え去るでしょう、と何度も語られたということを彼らに告げてください。聖母はロシアが、もし私たちが前もってあの可哀想な民の回心を手にしていないならば、全世界を罰するために神によって選ばれた懲罰の道具となるでしょうと言われました。」注21)

・歴史家ウィリアム・トマス・ウォルシュに対するシスター・ルチアの1946年の証言:

1946年7月15日に、優れた著作家であり歴史家であるウィリアム・トマス・ウォルシュは百万部以上も売れた彼の著書 Our Lady of Fatima (『ファチマの聖母』)のためにシスター・ルチアにインタビューを行った。ウォルシュは、ピオ十二世の最近1942年の汚れなき御心への世界の奉献のことを考えて、ロシアの奉献のための必要条件について明確な質問をした -- その奉献はシスター・ルチアが明らかに聖母の要求を満たしたものとしては見なかった儀式である:

最後にわれわれは7月2日の秘密についての重要な主題に到達した。それについては非常の多くの異なったそして矛盾するバージョンが公表されてきた。ルチアは、聖母が汚れなき御心への世界の奉献を求められなかったということをはっきりさせた。聖母が特殊的に要求されたことはロシアの奉献であった。もちろん、彼女は教皇ピオ十二世が1942年に汚れなき御心にロシアではなくて、世界を奉献されたという事実についてコメントしなかった。しかし、彼女は一度以上、そして熟慮した強調を込めて言った:「聖母が望んでおられることは、教皇と世界の全司教たちがある特別の日に聖母の汚れなき御心にロシアを奉献するということです。もしこのことがなされるならば、聖母はロシアを回心させられるでしょう。そして平和が訪れるでしょう。もしそれがなされないならば、ロシアの諸々の誤謬は世界のあらゆる国に広まるでしょう。」

「あなたの意見では、このことは、あらゆる国が例外なしに共産主義によって制覇されるということを意味するのですか?」

シスター・ルチアは答えた:「そうです」。注21a)

さらに明確にしようとして、ウォルシュ教授は尋ねた:「そのことはアメリカ合衆国もまた[そうである]ということを意味するのですか?」

シスター・ルチアは答えた:「そうです」。注21b)

フォックス神父の仲間の一人、ゲッラ神父ファチマを攻撃

上の写真の左にいるのは学問的な著作 Fatima: Intimate Joy World Event の著者フレール・フランソワである。右側にはファチマ聖堂の主任司祭、ルチアーノ・ゲッラ神父がいる。--聖母が御出現になったまさにその地点でファチマ聖域において異教の神々への礼拝を許している同じ人物である。彼はそのことについて公に承認してさえいる。フォックス神父が擁護しているのはこの同じゲッラである。
1992年10月12日正午、ファチマにおける第一回国際司牧会議の閉幕セッションにおいて、ファチマにあるパウロ六世センターでのこの歴史的な写真の中で、フレール・フランソワは主任司祭、ルチアーノ・ゲッラ神父と対決している。「モンシニョール・レクター、あなたは、シスター・ルチアの偽の手紙を書かなかったと福音書にかけて誓うことができますか?」ゲッラ神父:「いいえ、私はそうすることを望まない。私はそれを今このような状況の中ですることはできない...」フレール・フランソワ:「これらの手紙の内的批判はそれらの手紙が偽物であることを示しています。」ゲッラ神父:「私はあなたと議論したくない。あなたには人情がない...あなたには人情がない。」

1989年に何が起こったのか?

なぜフォックス神父は1989年に、常識は問わないとしても、この立場の変化がシスター・ルチアの変わることのない証言に反するときに、突然、ロシアの奉献はロシアに言及する必要がなかったと宣言したのであろうか? なぜ、1989年にわれわれは、シスター・ルチアが彼女の生涯においてすべて他のあらゆることを手書きで書いていたときに、シスター・ルチアの以前の証言を突然ひっくり返すコンピュータで作られた手紙、そして彼女によって署名されたと主張されている手紙を見始めたのであろうか?

その答は1988-89年の間にバチカン当局の反ファチマ分子、最もありそうなのは国務長官、から出ている一つの指令にあると思われる。著名なファチマ学者のフレール・フランソワが詳しく述べているように:「ファチマの当局者、シスター・ルチア、メッシアス・コエリョそして聖母に深く献身していた一フランス人司祭[明らかにピエール・カイヨン神父]を含むさまざまの聖職者にバチカンから一つの命令が出されたが、それはすべての者に、ロシアの奉献で教皇を悩ませることを止めるように命じていた。」ファチマ熱愛者のカイヨン神父は「すべての者に次のように言いまた考えるように義務づける一つの命令がバチカンから来た:『奉献はなされた。教皇は彼ができることをすべてなした。神はこの姿勢に同意なさったのだ』と。」注22)

十分偶然に一致して、そのバチカンの命令の時期の後、フォックス神父が突然精力的に、ロシアは言及されさえすることなしに奉献された、そしてロシアは「回心しつつある」という路線を促進し始めた。彼が彼の雑誌の1989年10月-11月号において主張したように、世界の奉献はロシアの奉献の代わりに神によって「受け容れられた」そして「われわれは神が約束を守り始めておられる印を見ている」のである、と。十五年後、ロシア社会とロシアにおけるカトリック教会の状態が衰退し続けているときでさえ、フォックス神父は今なおロシアの回心の「始まり」を宣言している。

世界の奉献が1984年始めに行われたとすれば、なぜフォックス神父は、この奉献が神によって「受け容れられた」ということをわれわれに説得するキャンペーンを始めるために1989年後半まで--五年以上も--待ったのだろうか? 次の結論は不可避である:バチカン国務長官はファチマに関する新しい党路線[当局の方針]--すなわち、ロシアは奉献された;ファチマは終わった、という方針--を指示したばかりだった。事実、当時のグルーナー神父の司教(アヴェリーノの司教)が最初にグルーナー神父のファチマ使徒職--それは党路線には従っておらず、むしろ(今日までそうであったように)1984年にはロシアは奉献されなかったと主張し続けていた--に関するバチカン国務長官からの「憂慮すべき信号」について知らせて来たのは1989年であった。

いまだにフォックス神父からは何の返答もない

今日に至るまで、フォックス神父は、ロシアの回心が要求していることに関するシスター・ルチアの変わることのない以前の証言における、そう主張されている突然の撤回を説明するようにという--1990年と1992年の--クレイマー神父と The Fatima Crusader によって彼に発せられた要請に対して返答できていない。注22a)フォックス神父は答を持たないがゆえに要請に答られなかったのだ。

その代わりに、フォックス神父は奉献のネオ近代主義的、「エキュメニカル」バージョンにサインした:すなわち、その中ではロシア以外のすべてが言及されている一つの儀式、というバージョンである。それゆえに、1984年以来われわれは単に世界の奉献ばかりでなく、(2000年10月8日には)「すべての民」、「胎児」、「貧困と苦悩の中へ生まれてきた者たち」、「意味を求める青少年」、「失業者」、「飢餓と病に苦しむ者たち」、「すべて問題を抱えた家族」、「助ける者を持たない老人」、そして「孤独で希望のないすべての者」など、受益者たちの全リストをもった、しかしロシアについてのいかなる特殊的な言及をも排除する「委託の行為」と呼ばれたマリアへの奉献を見たのである

これらすべての異なった集団をマリアに奉献することが悪いことであると誰も論じることはできないであろう。反対に、それはよいことである。しかし、ここにわれわれはもう一つのネオ近代主義的テクニックが働いているのを見るのである:すなわち、彼らが隠したいと望んでいる他のよいことを隠すために一つのよいことを強調することである -- 例えば、ネオ近代主義者が、神の正義を覆い隠すために神の憐れみについて絶えず語る、あるいはキリストの神性を覆い隠すためにキリストの人間性について絶えず語る時のように--。奉献されることを聖母が要求なさった一つの事柄以外の地の表におけるあらゆるものを奉献することによって、ファチマのネオ近代主義的バージョンを言いふらす人々は聖母がまず第一に地上に来られた理由:すなわち、聖母の汚れなき御心の勝利と世界における平和の先触れとしてのロシアの回心を求めること:をわれわれに忘れさせようと努めるのである。そして今フォックス神父はファチマの単純な真理のこのネオ近代主義的鈍化に参加しているのである。

フォックス神父はネオ近代主義的「ロシアの回心」を促進している

ネオ近代主義的「ロシアの奉献」に署名することによってフォックス神父はロシアのそうだと主張されている1984年以来の「回心」のネオ近代主義的バージョンを擁護する約束をしている。

「グルーナー神父 -- 職務停止を受けたカトリック司祭」という見当違いの標題をつけられた彼の論考において、フォックス神父は彼自身、「世界にはなお戦争、暴力が存在し、そしてロシアは回心からはほど遠い」と認めている。フォックス神父は次に彼自身の支持者たちによって彼に明らかに提出された反論に言及している:「もし奉献が達成されているならば、なぜロシアは回心していないのか?」と。その反論に答えるよりもむしろ、フォックス神父は誇張して、「ロシアが聖性の民そしてローマ・カトリックとして突然回心するという地上の天国が[教皇と司教とによる]集団的奉献に直ちに続かなければならないという立場に執着する」人々を冷笑する。

換言すれば、フォックス神父はファチマ・メッセージの心臓に短剣を突き刺しながら、ファチマの聖母はカトリック宗教に一時期の世界平和とロシアの回心という二つの奇跡を約束なさらなかったと主張しているのである。フォックス神父に従えば、聖母はわれわれが今日見ていること:世界平和なし、ロシアの人々の回心なしということ以上の何物をも約束なさらなかったのである。しかしもしそうだとしたら、ファチマの御出現の要点は何であろうか? 神の御母はただ、奇跡は聖母の要求が成就しても直ちに起こらないであろうということを告知するためにだけ地上に来られ、太陽の奇跡を呼び下ろされたのか? これはいかなる種類のナンセンスであるか? それはネオ近代主義的ナンセンスであり、ファチマを全く同時に肯定しかつ否定するナンセンスである。

しかしながら、フォックス神父が非常によく知っているように、地上における聖母の介入は事実、メキシコの全民族の奇跡的回心を産み出している。異教主義の暗闇のうちに失われたおよそ900万の霊魂が1531年のグアダルーペの聖母の御出現に引き続くわずか9年という短い期間に洗礼を受けカトリック教会の中へ受け入れられたのである。しかし、そこでロシアが一度も言及されなかった「ロシアの奉献」20年後に、フォックス神父はわれわれに、われわれは聖母にロシアにおける同じような奇跡を産み出すこと -- あるいは実際、かなりの数のロシア人をカトリック信仰に回心させること -- を期待することはできない、と告げるのである!そしてこの人物が、いいですか、自らをファチマの聖母と聖母の汚れなき御心の勝利の偉大なチャンピオンであると描き出している人物なのである。

そのことについてしばらくの間考えるとき、フォックス神父が実際に論じていることは神がロシアの奇跡的回心をもたらすことはできないということである。過去40年間にわたって教会を堕落させてきたエキュメニカルな霧によってその視野を曇らされて、フォックス神父は神御自身の力を暗黙のうちに否定しているのである。

フォックス神父をレオニード・フェオドロフ Leonid Feodorov 神父(1879-1935)と比較せよ。フェオドロフ神父は、まだロシア正教会の神学の学生であったときローマへ旅行し、1902年7月31日--ファチマの聖母がすべてのロシア正教会の人々にフェオドロフの例に従いなさいと求めるために来られる15年前に--ジェズ Gesu でカトリック教会に一致した。フェオドロフはカトリック司祭に叙階され、ロシアにおけるビザンチン典礼カトリック教会の総主教代理として長に上げられたが、正教会のローマとの再統合を促進した「罪」のためにボルシェヴィキによって懲役10年の刑を宣告された。自分の宣告についてフェオドロフ神父はこう宣言した:「私にとって銃殺刑を受けようが、あるいは10年の懲役刑に処せられようがみな一つのことである。しかし私は決して狂信の徒ではない。私がカトリック教会に身を投じた瞬間以来私の唯一の考えは、私が唯一の真の教会であると信じているその教会に私の国を連れて行くことであった。」

ファチマの聖母に奉仕するこれ以上に勇敢な兵士が存在し得るであろうか? フォックス神父に関して言えば、彼は自らをマリアの使徒と呼ぶことを恥ずべきであろう。なぜなら、われわれが見るであろうように、彼は教会における自分の心地よい地位を、そのためにフェオドロフ神父が喜んでその生命を捧げた「唯一の真の教会」へのロシア立ち帰りに反対して働くために用いているからである。

"教皇パウロ六世によって枢機卿とされたマリオ・ルイジ・チアッピ枢機卿は教皇ヨハネ・パウロ二世の個人的神学者に選ばれた。このように、彼は真の第三の秘密に近づくことができた。その主題について彼はこう書いた:「(ファチマの)第三の秘密には、他のこともいろいろあるが、教会における大きな背教が頂点において始まるであろうということが予告されている。」このことについてより詳しい情報については The Devil's Final Battle (『悪魔の最後の戦い』)を読んでください。


ロシア正教会の聖母?

フォックス神父は「いかなる奉献も神によって受け入れられなかったという証拠としてロシアについての恐怖物語」を明らかにしている。(彼がうまく言い逃れることができない)「恐怖物語」を体裁よくごまかしながら、フォックス神父は、見たところまったく真面目に、正教会総主教アレクセイ二世 -- かつてのKGB要員! -- の次のような見解を引用している:--すなわち、彼(アレクセイ)は、ロシア正教会が「再生」を経験しつつあるということを「信じている」と。この人物はつい最近、教皇がモスクワにおける小さなカトリック者の集団に有線放送のテレビ放送 -- プーチン氏によって統制されたテレビ局がロシア人一般に教皇の写真を放送することを拒否したがゆえに、有線放送なのだが -- を行った時、教皇は「ロシアの領土を侵略している」と金切り声をあげた同じアレクセイ二世である。

それゆえに、教皇に対するその忠誠を声高に公言している自称ファチマの使徒であるフォックス神父は今や、神の御母がロシア正教会 -- 教皇との霊的交わりをまったく拒否し、カトリック教会がロシアにおいて改宗者たちを作るいかなる努力をも断念しない限り教皇のモスクワ訪問をさえ許そうとしない、同じ分離主義的教会 -- の「再生」をもたらすために地上に来られたと示唆しているのである!どうか、フォックス神父よ!聖母は分離主義的なロシア正教会に援助を与えるためにファチマに来られたのではなくて、むしろ、ソロヴィエフが予想したように、そしてわれわれがフェオドロフ神父の歴史的回心において見るように、ロシアの人々をカトリック教会と和解させるために来られたのである。

おそらく、自分自身の立場の馬鹿げていることを認めながら、フォックス神父は、ヨハネ・パウロ二世が「正教会についてわれわれの姉妹教会として話しておられる」と主張することによって彼のネオ近代主義的「ロシアの回心」のために教皇の権威を主張しようと試みているのであろう。フォックス神父よ、再び間違いである。2000年6月9日に、信仰教義聖省は教皇によって特別に承認された一つの教義上の覚え書きを発したが、それはこう警告している:

人はカトリック教会がある特定の教会の、あるいは諸教会のグループの姉妹であると言うことはできない...従って、人は誤解および神学的混乱の源泉として、もしカトリック教会とオーソドックス諸教会の全体(あるいは単一のオーソドックス教会)に適用されるならば、特定の諸教会のレベルでばかりでなくて、また信条において告白された一、聖、公および使徒的教会のレベルにおいても複数制を意味し、その真の実在がかくして曖昧にされる、われわれの諸教会というような定式の使用を避けるべきである。」

それゆえ、「ロシアの回心」についての彼のネオ近代主義的な表現を擁護する際に、フォックス神父は、情け容赦なく「エキュメニカルな」バチカン当局者でさえ神学的混乱 -- カスパー枢機卿を含む何人かのバチカン官僚たちのエキュメニカルなイニシャティヴによって引き起こされた同じ混乱 -- を避けるために断罪せざるを得なかったネオ近代主義的な教会論に少しばかりふけっているのである。(そのようなことはシスター・ルチアによって述べられた「教会の悪魔的な方向感覚喪失」である。)

違うのです、フォックス神父よ、正教会はカトリック教会の姉妹教会ではない。なぜなら、キリストはいかなる「姉妹」も持たない唯一の教会を建てられたからである。フォックス神父よ、ロシア正教会は分派主義者たちであって、ファチマの聖母は彼らを一なる真の教会 -- 一、聖、公、そして使徒的教会 -- 聖母がその母である教会、と和解させるために来られたのである。そのことはフェオドロフ神父や他のそのような勇敢な改宗者たちがわれわれに教えていることである。フォックス神父よ、あなたは、ソダノ党路線を擁護し、人間たちの称賛 -- ソダノ枢機卿やカスパー枢機卿のような人々によってあなたに与えられる社会的地位 -- をあなたに与える「エキュメニカルな」バチカン官僚にへつらおうとするあなたの熱意においてファチマのメッセージを改悪したのである。グルーナー神父はそのような社会的地位を持っていない -- 実際、彼はそれを望みもしないし求めもしない -- なぜなら、彼は、あなたとは違って、敢えてファチマについて、そして教会および世界における危機、あなたの周りすべてで爆発しているのにあなたが断固として存在しない振りをしている危機、に対するその関係についての真理を話しているからである。

いずれにせよ、フォックス神父よ、あなたがロシア正教会の「再生」として提示しているものは一つの神話である。ロシア正教徒と自称しているほとんどすべての人々が彼らの宗教を実践していないということはよく知られている。The Economist 誌が述べているように:「ロシアは信仰の危機を経験している...18歳から29歳までの年齢のロシア人の94%は教会に行っていない。」注23)かくしてロシア社会の道徳的堕落が加速していることはほとんど驚くに足りない:赤ん坊一人の誕生に二つの中絶(ロシア人女性一人は平均5回から6回の中絶)、1991年と2002年の間に平均的ロシア人男性の予想余命を68年から60年に低下させた猛威を振るうアルコール中毒と暴力犯罪、ボリス・エリツィンによる同性愛の合法化に続くエイズ伝染病の急増、ロシアのポルノに好意的な法体系のおかげでの児童ポルノ産業の隆盛(ロシアが世界中にその諸々の誤謬を広めるもう一つのやり方)等々。注24)

フォックス神父は、彼が分派主義的、反ローマのロシア正教会の神話的な「再生」以外のロシアの宗教的回心の何らかの証拠を産み出すことに失敗しているときでさえ、「不幸なことに、ロシアにおける正教会は宗教的目的の促進のための国家への信頼のメンタリティを今なお持っている」ということを認めざるを得ない。KGBの元長官で中絶賛成のウラディーミル・プーチン政権への信頼!これ以上何を言う必要があろうか?

百年以上も前にソロヴィエフが指摘したように、ローマと普遍的教会から切り離されたロシア正教会はほとんど国家の一被造物である。にもかかわらず、その元KGBの「総主教」がカトリック教会を迫害するためにプーチン氏と協力している国家によって支配された傀儡教会の存在しない「再生」が、フォックス神父が彼の読者たちに「ロシアの回心」として掴ませようと努力しているものである。

簡潔に言えば、ロシア正教会の「再生」は、ファチマのメッセージを「エキュメニカル」路線に沿って改訂しようとするフォックス神父の試み全体と同様に、一つの欺瞞なのである。

そしてロシアにおけるカトリック教会についてはどうなのか?

印象的なことに、グルーナー神父に対するフォックス神父の攻撃は聖母が実際に預言なさった回心 -- カトリック宗教へのロシア人の回心と彼らのローマへの立ち帰り --についてのどんなものであれいかなるしるしもないという否定できない真理を論じることを避けている。反対に、フォックス神父が彼のネオ近代主義的ロシア回心のための代用品を促進している間に、プーチン政権下でのカトリック教会の迫害が日を追うにつれて悪化している。

ロシアの1997年「良心の自由」に関する法律のおかげで、ロシア正教会、ユダヤ教、イスラム教、そして仏教が許可の必要なしに法的地位を与えられている一方で、教会のロシアにおけるまさに存在そのものがカトリック諸小教区の活動のために毎年の許可を発行する「元共産主義者の」ロシア官僚たちの黙許に委ねられている。カトリックの聖職者たちは外国人宣教師として取り扱われ、この国にとどまるためには3ヶ月毎に彼らの滞在者ビザを更新することを要求されている。中心となるカトリック聖職者たちはそれ以来ビザ拒否の結果として追放されてきた。その中にはロシアカトリック司教会議の長であるスタニスラウ・オピエラ神父が含まれている。彼は説明なしに三度入獄ビザを拒否された:「私は再び試みようとは思わない。それはそうするに値しない」と彼は言った。「おそらくある種の抗議があるでしょう。」注25)2002年4月には、広大な(しかし人口の少ない)シベリア地方を管理するようにバチカンによって任命されたジェルズィー・マズア司教もまた、ロシアから退去させられた。彼の入国ビザは説明なしに没収された。マズア司教は彼が「望ましくない者たち」と考えられるカトリック聖職者の秘密の「リスト」に加えられたことそしてもはやロシア領に入国することを許されないであろうということを知った。

1984年の「奉献」の20年後、カトリック教会はロシアにおいて、そこからコンドゥルシエヴィッツ大司教が教会の諸問題を管理しているモスクワ支局が「軍司令官事務室の背後に押し込められ、それがカトリック教会のロシア指導部を入居させていると言える何のしるしも持っていない」注25a)そのような低い体面を保っているのである。カトリック者たちはこの国において非常な少数派にとどまっている。1億4400万人の国民のうちのおそらく50万人の名目的カトリック者が存在している。それでも日曜日にミサに行っているカトリック者の少数の部分 (彼らの大部分はシベリアにいる)はほとんどまったく非ロシア人司祭--彼らのビザは思いのままに無効にされ得る--に依存している。ロシア全土において、今日わずか200人のカトリック司祭しかいない、そのうちの10人だけがロシア生まれ --これは1917年のボルシェビキ革命以前よりもはるかに少数である -- である。

これらの展開のすべてがコンドゥルシエヴィッツ大司教に、「ロシアにおける宗教的自由は重大な危険にさらされている」と題した、ロシアのカトリック司教会議のための公式的な抗議を発するように促した。抗議はこう宣言している:

ロシアにおけるカトリック者たちはこう自問している:次に何が起こるであろうか? 81年の間カトリック教会がそれ自身の司祭たちを養成し叙階する権利を奪われていたことを忘れないで、良心の自由、そして司牧者たちを海外から招くことからなる、自分たち自身の司牧者を持つ権利の自由を含む憲法上の諸々の保証は彼らにもまた保証されるであろうか? おそらく国家は実際にカトリック教徒を二流の市民と考えているのであろうか? 彼ら(国家)は信仰の迫害の時代に戻りつつあるのであろうか? ...いかなる法律も侵害しなかった一人のカトリック司教の追放は国家と教会との間の文明化された関係のあらゆる想像し得る限界を超えている...重大な憂慮をもって、われわれはカトリック教徒の憲法上の諸権利の侵害に関してわれわれの決定的な抗議を表明する。」注26)

ロシアにおけるカトリック教会の迫害を無視しながら、フォックス神父はソダノ枢機卿のネオ近代主義的党路線 -- それに従えば、ファチマのメッセージにおいて用いられているような「回心」はカトリック宗教のいかなる帰依をも排除するように再定義された -- を忠実に促進している。同じ党路線をおうむがえしにしながら、ほかでもないロシアのローマ・カトリック司教会議の事務局長、イーゴル・コヴァレスキーは2004年5月6日に「聖座の側での命令としてのいかなる改宗もないし、またロシアをローマ・カトリックへ回心させる何らの意図もない」と宣言した。注27)

ごらんの通りである。フォックス神父によって援助され支持されたバチカン官僚の反ファチマ分子は今やカトリック信仰へのロシアの回心のための神御自身の計画に真っ向から反対しているのである。彼らはロシアはカトリックであってはならないと公然と宣言している。そしてしかも、フォックス神父を含むこれら同じ人物たちはファチマ・メッセージの信奉者かつ信頼のおける解釈者として任じているのである。一団の兵士たちによって処刑される教皇の幻視が1981年に独りの暗殺者によって殺されなかったヨハネ・パウロ二世を意味していると言い張る第三の秘密についてのソダノ枢機卿自身の「解釈」は秘密に関するラッツィンガー枢機卿の註釈において少なくとも4回も引用された。ソダノの「解釈」は、ファチマについてのネオ近代主義的改訂の残りのものと同様に、ただ一つの目的:すなわち、ファチマを過去へと、そして忘却へと追いやるという目的、を持っている。

ロシアにおいてはいかなる種類の回心もない

実際、フォックス神父は、ロシアが、消費経済のある自由化--それは聖母が告知するために来られたものではほとんどない--以外にいかなる意味において回心したかをわれわれに示すことができない。1991年における「共産主義の崩壊」にもかかわらず、今日のロシアは権威主義的な国家であって、その実質的な独裁者ウラディーミル・プーチンはマス・メディアの支配権を握り、彼のすべての主要な政治的反対者たちを投獄あるいは追放し、民衆に根ざした諸反対政党の結成を禁止し、独立的な司法組織の出現を妨げてきた。2003年暮れに The Washington Post が述べたように、「われわれは今や、モスクワにおいては人権の大きな抑圧と事実上の冷戦型行政の押しつけがあると認めなければならない。」注28)

最近の議会への声明の中で共和党議員クリストファー・コックスは、フォックス神父が彼の「心配するな、幸せであれ」雑誌の中では決して報告しない真実を語った:「ロシアは表現、結社の自由を守る開かれた競争的な政治制度を享受していない。」コックスはこう言った。「そしてその政府は人権の普遍的な諸基準を是認していない。」ロシアのアナリスト、防衛情報センターのニコライ・ズロービンはそのことを最も単純にこう述べている:「われわれは一種の新しい冷戦を戦っている」と。注29)

にもかかわらず、フォックス神父はこれらの展開を、西欧の最左翼の報道人たちがレーニンとスターリンの犯罪を覆い隠し、このようにして「役に立つ間抜けども」というレーニンの命名を獲得したのとまったく同じように、プーチン政権の諸々の犯罪をこのように覆い隠しながら、「恐怖物語」として矮小化しているのである。今日、カトリック教会における役に立つ間抜けどもが彼らの「エキュメニカルな」ファチマ・バージョンを押しつけるためにロシアにおける真の事態を覆い隠している。フォックス神父に対して人はまったく率直にこう言わなければならない:あなたはロシアにおける教会の迫害の共犯者である。なぜなら、あなたは「エキュメニカルな対話」の失敗した人間的計画のためにロシアの回心という目的を放棄したからである。事実、あなたは、敢えてファチマの聖母の名において信徒から金を集めているときに、ロシアの奉献に反対するためにあなたの「立派な」使徒職を用いている。

フォックス神父が彼のファチマ聖堂を自慢するとき、ロシアは苦しむ

ロシアの人々、特にカトリック教徒が苦しみ続けている間に、フォックス神父はロシア聖ペテルスブルクに小さなファチマ聖堂を建設するための金集めに奔走している。「それは私の使徒職が集めた基金で建設された」と彼は自慢する。フォックス神父はその聖堂が1998年にコンドゥルシエヴィッツ大司教--フォックス神父が起こっていない振りをしている、ロシアにおける教会の迫害を今や公然と非難している同じコンドゥルシエヴィッツ大司教--によって奉献されたと言っている。

その聖堂を建設するための金を集めたことを自ら喜んだ上で、フォックス神父は「グルーナー神父が彼の否定的なアプローチを続けた」と不平そうに述べている。われわれが見ることができるように、「否定的なアプローチ」によってフォックス神父が意味していることは、聖母の要求を尊重し損なうことの諸結果:すなわち、ロシアは回心しないでしょう、ロシアは苦しむでしょう、教会は苦しむでしょう、世界は苦しむでしょうという結果についての明らかなことを述べることなのである。

フォックス神父は明らかに、彼の小さな聖堂[建設]をプーチン政権が容認したことをロシアにおける教会にとってのある種の勝利を表すものと考えている。フォックス神父の聖堂が奉献されたとき以来、ロシア・カトリック教徒の迫害は、上述の展開によって証明されるように、ただ悪化しただけである。プーチンは今日、彼以前のレーニンやスターリンと同じように、教会の迫害が衰えずに続いている一方で少数のカトリック小教区が機能することを許容する一つの大きな見せ物を作っているのである。フォックス神父が自らに拍手喝采を送っているときにロシアにおけるカトリック聖職者の小さなグループは組織的な国家による迫害を堪え忍んでいるのである。そして--皮肉中の皮肉であるが--今日ロシアには、レーニンとスターリンの時代にいたよりもはるかに少数の実践的カトリック教徒しかいないのである。

おそらく、神はカトリックの位階から、聖ペテルスブルグにおけるフォックス神父のマリア聖堂よりも少し多くのものを期待しておられるであろう。おそらく神はファチマの聖母が要求なさったこと:すなわち、聖母の汚れなき御心へのロシアの奉献を期待しておられる。しかしフォックス神父はわれわれに、ファチマの聖母が、奉献ではない一つの奉献を、そして回心ではない一つの回心を預言するために来られたと信じさせようとしているのであろう。真にネオ近代主義的仕方において、フォックス神父は(バチカン官僚の反ファチマ分子と共に)ファチマのメッセージを消滅させる方向へと「解釈している」のである。

フォックス神父が20年間無視し続けている諸事実!

1984年3月26日の L'Osservatore Romano 報告の写真による再現が上に示されている。上に挿入部分で強調されているのは、教皇の非常に重要なアドリブである。このアドリブの翻訳と意味が以下に説明されている。
1983年12月8日に、教皇ヨハネ・パウロ二世は世界の全司教たちに、1984年3月25日にマリアの汚れなき御心に世界を奉献するに際して、彼に加わるように彼らを招く--しかし彼らに命令しない--書簡を送った。教皇はその書簡の中に世界の奉献のために彼が準備したテキストを同封した。彼はまた L'Osservatore Romano の中で1984年2月半ばにこの同じテキストを公表した。
しかしながら、1984年3月25日に、教皇はファチマの聖母像の前で世界の奉献を宣告した後で、(上に強調された)言葉をつけ加えるために彼の準備したテキストから離れた:「あなたがわれわれの奉献とわれわれの信頼を待っておられる人々を特に照らしてください。」
シスター・ルチアは彼女自身何度もこう言った:「ファチマの聖母はただロシアの奉献だけをお求めになりました。」
教皇がつけ加えた言葉は明らかに彼がそのとき世界の奉献がファチマの聖母の要求を満たさなかったということを知っておられたということを示している。
上に見ることができるように、彼の準備したスピーチからのこの離脱は次の日、1984年3月26日に教皇自身の新聞に公表された。
明らかに教皇は、ある人々、すなわち、カトリック司教たちと一緒に教皇がロシアの人々を聖母に奉献するよう聖母が今なお待っておられるということを知っているのである。
フォックス神父は教皇と聖母に忠実であると主張しているけれども、教皇ヨハネ・パウロ二世がこの荘厳な機会にそのように公的に宣言されたまさにこれらの言葉を絶えず報告し損なっているのである!


脚注:

(14) Joseph Cardinal Ratzinger, "Theological Commentary," The Message of Fatima, , p. 43.
(15) "Catholic Church Unveils Third Secret of Fatima",Los Angeles Times, June 27, 2000.
(16)See Glaring Ommission #6 of Father Paul Kramer, ed., The Devil's Final Battle, pp. 205-206.
(17)The Devil's Final Battle, pp. 270-271.
(18)Frere Francois de Marie des Anges, Fatima: Tragedy and Triumph, (Immaculate Heart Publications, Buffalo, New York, 1994), p.218.
(19) The Whole Truth about Fatima Vol. II, pp.730-742.
(20) "Sister Lucy’s Recent Authorized Statements," The Fatima Crusader,Issue 13-14, Oct.-Dec. 1983, p. 3.
(21) Frere Michel de la Sainte Trinite , The Whole Truth about Fatima , Vol. III, The Third Secret, (Immaculate Heart Publications, Buffalo, New York, 1989)pp. 504-505.
(21a) William Thomas Walsh, , Our Lady of Fatima, The Third Secret, 4th printing,(1947)p. 226.
(21b) Professor William Thomas Walsh’s translator of the July 15th meeting, Father Manuel Rocha, describing the follow-up question and answer, in the book The Wonders She Performs by Louis Kaczmarek, pp. 159-160.
(22) Fatima: Tragedy and Triumph, p. 190.
(22a) See Fatima Crusader, Issue 35, issued December 1990, Fr. Paul Kramer, "The Consecration Hoax," pp. 6-9; Issue 41, issued June 1992, "The Consecration Hoax Continues," pp. 18-20.
(23)Zenit news report, December 22, 2002.
(24)For example, see "Russia Legalizes Homosexuality," United Press International, May 28, 1993. See also "Activist says Child Porn Prosecutions Will be Difficult in Indonesia, Russia," Christine Brummitt, Associated Press(AP), August 9, 2001.
(25)Catholic News Service Report,May 8, 2001.
(25a)AP report and photograph, February 28, 2002.
(26)National Catholic Register Online Web Edition, April 28- May 5, 2002.
(27)Itar-Tass news report, May 7, 2004.
(28)"The Failure of Putin’s Russia," Bruce P. Jackson, Washington Post,October 28, 2003, p. A23.
(29)Fox News, May 6, 2004.

2004/10/23 三上 茂 試訳

みこころネット

Father Fox's Modernist Assault on Fatima, Part II

Father Fox's Modernist Assault on Fatima, Part I

Father Fox's Modernist Assault on Fatima, Part III

作成日:2004/10/23

更新日:2004/10/23

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