1998年5月16日にこのHPを開いて16年以上経ちました。多くの方々に訪問していただいて感謝しています。最初にHPを開いたのはパイデイアとう名前で教育、文化を中心にしたものでしたが、その中にカトリックの項目を作ったのが、現在のみこころネットの始まりです。
マリア様の御出現に関心を持って、メジュゴリエのことを知り、だいぶ長い間、スラフコ神父様のメッセージ注解(1996年8月から2000年12月まで)、ブレティン(1998年6月から2000年12月まで)なども翻訳してHPに載せ、ある著名な神父様からご叱責を受けたこともありました。しかしその当時、別の尊敬する神父様の勧めもあって、その神父様のご忠告も耳に入らず、シスター・エマヌエルの「メジュゴリエの証人たち」を翻訳・出版までしました。
一方で、ファチマのメッセージのことをだんだんと理解できるようになってファチマのメッセージが私たちに教え、警告していることが分かって来るにつれ、教会が正式に認知したはずのファチマがなぜ1960年ころからだんだんと圧迫され、ゆがめられて来たのかその理由を知りたくなりました。
だんだん分かってきたことは、1960年代初頭ころからカトリック教会が大きな転換をして来たということです。1960年に公表されるはずだったファチマ「第三の秘密」は教皇様方と数人の高位聖職者たちによって読まれただけで、公表されませんでした。40年封印されて2000年6月25日に公表されたとされる「第三の秘密」はマリア様の警告・預言のメッセージを含まない、ルチアの幻視の描写の部分だけでした。しかし、ヴァチカンはこれが全部であると主張し、第三の秘密を書き留めたルチア自身に直接的ではなく間接的な形で、同意・確証させています。
「ロシアの奉献」についても、マリア様の要求なさった通りには未だになされたことはないにもかかわらず、1984年3月25日に教皇ヨハネ・パウロ二世によってなされたと言われ、これもまた、間接的な仕方で、ルチア自身の確証とされるものが発表されました。しかしそのような事実(教皇様が全世界の司教たちと一致して同じ日に荘厳な儀式によってロシアを聖母マリアの汚れなき御心に奉献したという事実)が無かったことは誰の目にも明らかです。にもかかわらず、あの有名なファチマの使徒職、ブルーアーミーまでが、ロシアの奉献は果たされたと宣伝しています。事実と異なることがどうしてこのように事実であると主張される(虚偽が通される)のか、逆に事実を事実として証拠を挙げる人、例えばグルーナー神父様のような人がどうして圧迫され、迫害されるのか、私には非常に不思議です。
1962年から1965年にかけて開かれた第二ヴァチカン公会議がこのような出来事の鍵を握っているようです。しかし、第二ヴァチカン公会議の果たした役割、意味、その影響・結果の全貌を知ることは至難の業です。ファチマの「第三の秘密」が1960年には公表されなければならなかったことは、この公会議と関係があるようです。グルーナー神父様たちの仕事は私には非常に貴重なものと思われます。
私は最初にこのページを開いたときからはだいぶ離れた地点に来ています。ファチマの真実に迫るに連れて、以前に関わっていたメジュゴリエ、ヴァッスーラ等から距離を置き、離れることにしてページからそれらに関するものを削除しました。1960年以前にカトリック教会がずっと教えて来た"extra ecclesiam nulla salus est"(「教会の外に救いなし」)という不可謬の教義に立ち返るとき、現在のカトリック教会が立っている地点は非常に危険な状態にあるように見えます。そういう意味で私は、メジュゴリエもヴァッスーラも、教会の外にも救いがある、と主張しているように思われるので、カトリック的な観点からは誤りだと思うようになりました。
まだ載せたままにしている聖母の御出現については、上述した点で矛盾はないと思っていますが、また考えが変わることがあるかも知れません。不勉強な一個人信徒のHPですから、その点はどうかご容赦ください。
作成日:2004/1/5
最終更新日:2015/2/5