ファチマの聖母マリア

気乗りしないクーデタは新世界秩序の創造をよりもっともらしくする

The Fatima Crusader, Issue 38, Fall 1991より

ジョン・マクマナス.

ジョン・マクマナス(John McManus)によって「クーデタ」の直後に書かれ、1991年9月24日New Americanにおいて公表されたこの論考は偽クーデタについて多くのほとんど知られていない小さな事実、そしてこのクーデタの実際の目的が何であったかを指摘している。それは反神、反キリストそしてわれわれ各人の最善の利益に反する神なき新世界秩序を採り入れるために計画された。

それは忘れられない週であった。最初に、8月19日月曜日のUSSRにおけるクーデタは、事実上西側におけるすべての時事解説者たちを頑固な共産主義者の妥協のなさへの逆戻りを予告するように駆り立てた。それから、たった3日後に、クーデタは失敗した。そして首謀者たちは、自殺を図ったと報道された者たちを除いて、逮捕された。次に、ミハイル・ゴルバチョフが彼の休暇用の邸宅での72時間の「監禁」から、ただ陰謀者たちを威圧した英雄として国際的大喝采の栄に浴するボリス・エリツィンを見出すためにのみ、モスクワへと戻った。ゴルバチョフは彼の始まったかと思うとすぐ中止になったりする友人であるエリツィンの手で屈辱的な公開叱責を甘受することを強いられた。エリツィンは時の人となった。ゴルバチョフ--Timeマガジンの10年の人--は哀れを誘う流星となった。

物語は、ゴルバチョフが共産党指導部を解散し、その長として辞任し、そしてソビエト連邦の人民に対する70年間の甲鉄の統率を破壊したとき、展開し続けた。彼の次のステップは諸大臣から成る彼の内閣を解散すること、そしてエリツィンと共に、国家の経済を運営する一つの委員会を創ること--まさに人が2人の社会主義者から期待してもよいこと--を含んでいた。エリツィンの新しく獲得した権力の一つのしるしとして、それは彼の補佐官イヴァン・シラエフ(Ivan Silayev)--彼はこの新しいグループを指導するために任命された--であった。

ソビエト連邦の長さと幅のいたるところで、共産党の役員たちが党へのこれから先のいかなる加入をも否認するために走り回った。そして古いボルシェヴィキたち--共産党創立者レーニン、KGB創立者ジェルジンスキー(Dzerzhinsky)、そして革命的英雄スヴェルドロウ(Sverdlow)--の諸々の像が歓声を上げて喜ぶ群衆によって取り壊された。幸福なモスクワ市民は1917年以前のロシアの三色旗をもってソビエトの首都中を練り歩いた。

KGB公文書保管所と共産党の建築物の差し押さえは人々の間に多幸症の波を送った。しかしこれらの記録が失われると共に、過去および現在のソビエト指導者たちの諸々の犯罪についての多くの証拠が消失している。

それから、次々に、ソビエト社会主義諸共和国連邦への加入を強制されていたさまざまの「諸共和国」はあるいは彼らの独立を宣言するか、それともその方向へのステップを踏むかのいずれかの道を取った。かつて強力であり、そして非常に恐れられていたソビエト連邦は内部から崩壊しつつあるように見える。

信頼していた仲間たち

ゴルバチョフが自分の手で摘んだ[=選んだ]副大統領、ゲンナディ・I .ヤナーエフ(Gennady I. Yanayef)に指導されてクーデタ指導者たちは8月19日にゴルバチョフがクリミアでの休暇中に病気になった、そして彼らは国家を経済的および政治的危機から救い出すために政府の支配権を奪ったと告知した。数十年間USSRから出た他のあらゆることを信じた者たちはゴルバチョフの病気についてのこの主張を受け入れることを拒否した。

自らを緊急事態国家委員会と呼んでいる8人が支配するこのグループはほとんどゴルバチョフの友人たちから構成されている。ヤナーエフの仲間たち--彼らはまたゴルバチョフが指名した人々である--はKGB議長ウラディーミル・A.クリュチコフ(Vladimir A. Kryuchikov)、国防大臣ディミトリ・T.ヤゾフ(Dimitri T. Yazov)、首相ヴァレンティン・S.パヴロフ(Valentin S. Pavlov)そして内務大臣(ソビエト警察の責任者)ボリス・K.プゴ(Boris K. Pugo)を含んでいた。ゴルバチョフは後に彼が「信頼していた」人々によって裏切られたことを遺憾に思うと表明しなければならなかった。われわれは、KGB首領たち、秘密警察指導者たち、そしてソビエト軍最高指導者たちの間に真の信頼に似た何かあるものがあると信じるように想定されているのである。真実はこれらの個人の誰一人も、かつて共産主義の高級評議会において奉仕した者なら誰でも知っているように、信頼に値する者ではないということである。

他のクーデタ参加者はソビエト農民連合指導者ヴァシリー・A.スタロドゥブツェフ(Vasily A. Starodubtsev)、国営企業および産業施設連合会会長アレキサンダー・I.ティジャコフ(Alexander I. Tizyakov)、そして防衛委員会議長代理オレグ・D.バクラノフ(Oleg D. Baklanov)を含んでいた。クーデタが失敗した3日後、ゴルバチョフの主任軍事顧問、セルゲイ・F.アクロメイエフ(Sergei F. Akhromeyev)は、陰謀の支持者としての彼の差し迫った不名誉へのもっともらしい回答として首を吊ったと申し立てられている。

アクロメイエフの報じられた自殺とクーデタへのヤゾフの公式的な参加はUSSRの2人のトップの軍人が陰謀の一部であったということを示している。これら2人について興味のあることはそれぞれが1989年にニューヨーク市にある外交委員会(CFR)本部への歓迎された訪問者だったということである。そこにいる間に、それぞれは秘密折衝において合衆国権力階級の指導者たちに話をした、そしてそれからCFRの年次報告書の表紙に彼らの写真をモンタージュで載せさせることによって報いられた。そして同じ年次報告書の表紙への1枚の写真を含むこれらCFRの好意のどれもこれもがまたボリス・エリツィンによって賞讃された。

より親切な、より優しいクーデタ

世界はこれまでに、そこで標的とされた指導者たちが急いで暗殺されなかったクーデタを提供されたことはほとんどなかった。ゴルバチョフは単に身体的に害を受けなかっただけではなかった。彼は、後にモスクワへの帰還のときに釈放した彼の逮捕者のビデオに撮られた公然の非難を作るための機材をさえ許されている。

もしこれがよく計画され、よく調整されたクーデタであったとすれば、その陰謀の最大の可能的な敵であるボリス・エリツィンは即座に殺されていたであろう。その代わりに、彼は第1日目は軽度に警備された建物から接収を非難することに費やした。そして第2日目は1台の戦車の上に立っている間にモスクワの人々を呼び集めることに費やした。アメリカのテレビ報道は後に、武装していなかった市民が武装した戦車を打ち負かしたおそらく歴史において最初のことであったことを特徴づけながら、ソビエトの戦車と武装装甲車が「人々によって引き帰らせられた」と力説した。

成功するためにはクーデタは軍隊の完全な援護を必要とした。にもかかわらず、明らかな優柔不断と統率力の奇妙な欠如が軍隊を無能のままにした。首謀者たちの意志を強化するための筋肉なしに、クーデタはたった数日しか続かなかった。

ヤナーエフと彼の仲間たちは軍隊の応諾を確かめることさえしないほど間抜けていたのか? 彼らは軍隊が彼らを支持してくれるというただその希望だけでもって彼らの骨折りを始めるほどに愚かだったのか?

もう一つの奇妙なそして説明されなかった出来事はクーデタが始まるわずか数時間前の国防大臣ヤゾフの、ゴルバチョフとの雑談のためのクリミアへの飛行機旅行であった。ヤゾフはゴルバチョフに、彼が今や逮捕されたのだということを知らせるために送られた使者であったのか? ソビエト国防大臣はゴルバチョフをクーデタへ引き込もうとしていたのか? 彼は世界に提供されるであろうシナリオの最後の細部を提示していたのか?

ヤゾフのゴルバチョフとの土壇場での雑談はもっと多くの疑問を提出すべきであろう。彼自身はゴルバチョフによって裏切られたのか? 彼は巧妙な裏表のあるやり方の犠牲者だったのか、そしてもし首謀者たちがもっと有能であったなら、エリツィンとゴルバチョフが死刑にされるべきであったように、彼は死刑にされるのであろうか? マス・メディア自慢の独自調査報道者たちはどこにいるのか?

陰謀についての彼独自の報告において、New York Timesのビル・ケラー(Bill Keller)は一つの興味深いシナリオを暗示した。クーデタの日に書かれ、Times8月20日号のフロント・ページに現れた彼の論考は元ソビエト外務大臣エドゥアルド・シュワルナゼが「今日、ゴルバチョフ氏が圧力の下に強硬派の引継に同調し、そしてその名目上の長として再び現れ得るという可能性を提供した」ということに言及した。

2日後、彼の記者会見においてクーデタの終結を嬉しそうに知らせながら、ブッシュ大統領はUSSRのグルジア共和国大統領が「これはすべてゴルバチョフ自身による一つの陰謀であった」と言ったと主張しているCNN報道についてのコメントを求められた。

ブッシュ氏は彼のよき友人ゴルバチョフがそのような陰謀に加担したという示唆に明らかに怒って、そのような陳述は「まったく何の意味もない」ということを強調した。

何らかの犯罪の現場に到着したら、もちろん、有能な刑事は直ちにこう問うであろう。「誰が利益を受けるか?」と。USSRの人々の間での彼の人気がどん底になっていて、また彼が負けそうである来年の実際の選挙の予想に直面して、ゴルバチョフはしくじったクーデタから 得る多くのものを持っていた。

そして、陰謀の主要な敵としての彼の舞い上がる日の出の勢いから明らかなように、エリツィンもまたそうした[=しくじったクーデタから得る多くのものを持っていた]のだ。ブッシュ氏がゴルバチョフの可能的な共謀についてそのように強く否定したことは多くの意味がある。ひとたび混乱が君臨したならば、もちろん、ゴルバチョフ自身今は裏切られ得るであろう。

われわれは出来事全体が調整されたのかそれともそうでないのかを知らない。しかし、ゴルバチョフが、クーデタを扇動した彼の友人たちを裏切る点までさえ、加担していたという可能性は見落とすことはできない。これらの個人たちはいかなる種類の裏切りもすることができるのである。彼らの「揺さぶられている」指導者の側に今立っている者たちは等しく信用の置けない者である。

クーデタを評価する

元合衆国国連代表ジーン・キルパトリック(Jean Kilpatrick)は起こったことによって当惑したと見えた何人かの政府の人物たちについての見解を表明した。クーデタの後ある日、彼女はNew York Timesに、その騒動の「長期的な諸結果を予告することはまったく不可能です」と語った。

クーデタの日のJ. B. S. 記者会見として発表されたこれらの展開についてのわれわれ自身の評価は、「ヤナーエフを権力の座に着かせるクーデタは最後のものでありそうではない」、そして「ゴルバチョフの帰還は一つの現実の可能性である」というわれわれの信念を含んでいた。そのような立場を取ることに対するわれわれの主要な理由もまた与えられた:社会主義と世界政府を意味し、ミハイル・ゴルバチョフとブッシュ大統領の両者によって言及された新世界秩序はヤナーエフと共によりはゴルバチョフと共に達成されそうである。」

この予測をするためになんら千里眼は必要ではない。必要なすべてのものは新世界秩序の建築家の諸々の目標の理解だけである。アメリカ人は公然たるスターリン主義的独裁制である国と合併することは期待され得ない。しかし彼らは「友人」となら合併することを期待されてもよいであろう。

諸々の出来事が展開されるにつれて、われわれの予測は裏付けられた。そしてモスクワに戻った後、ゴルバチョフの最初の声明の一つは「社会主義が正しいことを私は確信した」であった。新世界秩序はいかなる後退をも蒙らなかった。その主たる恩恵受領者が社会主義者であるゆえに、それはそれ自身その出来事の恩恵受領者であった。

アナリストたちは、クーデタを舞台にのせた主たる理由が8月20日のゴルバチョフとUSSR内部での主要諸共和国指導者たちによる一つの全面的な連合条約の計画された調印であったと主張している。その条約は15の共和国に対する中央政府の権力を劇的に削減したものであろう。クーデタの背後の強硬派は彼らの権力の喪失、特に伝統的に彼らの意のままになっていた莫大な量の後援に関係した権力の喪失について関心を持っていたと報じられた。

諸共和国を認めること

しかしながら、歴史の問題失敗したクーデタと共に、諸共和国の大部分の指導者たちはもはや彼らを中央政府との連合のうちに保っている条約に関心を持たない。大部分はUSSRから--早く--離脱することを望んでいる。クレムリンを離れた独立宣言が洪水になってやって来た。他の諸国家の指導者たちによる彼らの独立の承認がその後に続いた。

彼のメーン州の休暇の家でカナダ首相ブライアン・マロニー(Brian Mulroney)と並んで立ちながら、ブッシュ大統領は3つのバルト諸国(リトゥアニア、ラトヴィア、およびエストニア)の独立に関してゆっくりやれの態度を採った。マロニー氏はこれら3つの連盟した国の独立を承認することを喜ぶだろうと言いながら、ブッシュに同意しなかった。

合衆国はこれらの3国のUSSRによる吸収を公式に一度も認めたことはなかった。ほとんど50年の間、その拒否は、アメリカがモスクワからの実際の独立の何らかの好機が展開したときには彼らの側に最初に立つであろうという静かな保証としてこれらの国の人々に役立っていた。

ブッシュ氏の側での躊躇は新世界秩序とこれらの国家の各々の指導者たちを社会主義そして最後の新世界秩序へと誓約させるためのその支持者たちの必要とに何か関係がなければならなかった。明らかに、その誓約を手に入れて、ブッシュ氏は公式の承認を拡大した。

USSRの崩壊は不可避と見える。しかし何が起こるであろうかのいかなる予測もあの長い間捜し求めた新世界秩序を創るための世界の指導者たちの決意を見逃すべきではない。その主唱者たちの諸目標を常に心に留めながら、USSRが何十年もの間存在してきたようには、間もなくもはや存在しなくなるであろうということをあれこれ思索してみよう。多くの独立国家が15の共和国から創り出されるであろう。しかし、それらは、1992年に西ヨーロッパ諸国を縛るであろうヨーロッパ共同体に非常によく似た一つの経済連合のうちに素早く縛られるであろう。東ヨーロッパのかつてのソビエト衛星諸国はそれからこの経済連合に入るように招かれ、そして彼らの指導者たち--すべて新世界秩序支持者たちに受容可能な社会主義者である--が喜んで受け入れるであろう。

社会主義者ボリス・エリツィンは、断然最大の、最も人口の多い、そしてUSSRのすべての国家のうちで最も強力なロシアの指導者であり続けるであろう。ミハイル・ゴルバチョフは舞台面から消えることさえあり得るであろう。しかし一つの新しく形成された東ヨーロッパ共同体におけるある地位を報いとして与えられることはもっとありそうである。早晩、二つのヨーロッパ経済連合の合併があるであろう。その結果、ある人によってすでに想像されてきたように、「大西洋からウラルまで」の人々の社会主義的支配があるであろう。

ブッシュ大統領は議会の忠順な議員たちの助けによってボリス・エリツィンとUSSRのさまざまの独立した諸国家の大規模な新しい援助計画の通過を求めるだろう。

破産寸前の、そしてすでに重税を取られているアメリカの大衆がそのような計画の財政負担者であることを自らに許すかどうかは非常に重要なことである。もし合衆国財務省の財布が世論の力によって閉じられ得るならば、新世界秩序の計画は困った立場に追い込まれるであろう。

もしそれらの計画が展開し続けるならば、アメリカにおける新世界秩序熱狂者たち--もし彼がなお大統領であるならばジョージ・ブッシュを含む--はカナダ、メキシコそして合衆国を似たような経済的連合に首尾よく関わらせてしまうであろう。そして常に政治的合併の序曲である東と西の経済的合併がヨーロッパ人たちによって凍結されることを防ぐ手段として合衆国指導者たちによって提案されるであろう。問題を簡単に言えば、これらは非常に重要な時間である。

社会主義的な中間の場所

共産主義それ自体は世界の主要な勢力の一つとしては死につつある。しかし、政府による人民の経済的支配である社会主義はいたるところで、--特にここ合衆国では--繁栄している。そして社会主義はここ1年の間言及されるのをわれわれが非常にしばしば聞いた新世界秩序の最初の半分である。他の半分、世界政府、はすでに経済的に統一された諸国家によって容易に受け入れられるであろう。

1953年に、連邦議会調査官ノーマン・ドッド(Norman Dodd)は信望のあるフォード財団の会長ローワン・ゲイター(Rowan Gaither)から、彼と他の人々がわれわれの国家が「ソビエト連邦と快く合併」され得るように「合衆国における生活を変える」ようにという指令の下で働いていると告げられた。新世界秩序の明白な支持者によって与えられたその率直すぎる陳述の自覚は多くの人々を、われわれの国家は共産主義へと駆り立てられると恐れさせた。しかしわれわれの二つの国家(そして世界の残り)の合併はまたアメリカを社会主義へ追い込むことによって、そして社会主義USSRに共産主義を断念させることによっても達成され得るであろう。

1989年11月1日のJ. B. S. ブレティンにおいて書きながら、私の同僚ゲイリー・ブノア(Gary Benoit)(現在The New Americanの編集者)は、以下のことを予測した。彼の未来への目は実際誰をも驚かしたベルリンの壁崩壊に先立って与えられた。

西側が共産主義と社会主義へ向かって動いているように、共産主義諸国は西側へ向かって動いているように見える。数年前にH. ローワン・ゲイターによって詳細に説明された作戦計画が文字通り従われている。共産主義世界と非共産主義世界との間のギャップは合併のための準備において著しく狭められている。たぶん東と西は「社会主義的」中間の場所において出会うであろう。

作戦計画の一部として、共産主義の名の下で常に働いてきた共産主義諸国はその名称を放棄する、あるいは少なくとも強調しなくなることさえあるかもしれない。彼らがそうしなければならないとしても、彼らは実際は何も放棄したことにはならないであろう。なぜなら、彼らは常に全体主義的社会主義者であったし、これからもそうであり続けるであろうから。共産主義者たちはベルリンの壁を取り壊し、東西ヨーロッパ再統一の目的のために鉄のカーテンを上げることさえするであろう。そのような重要な出来事は共産主義者たちに西側の援助を多く勝ち取るであろう。しかもなお、もし西ヨーロッパが社会主義および相互依存へ向かってその進行を続けるならば、唯一の真の勝利者は超国家的な世界政府の指導者たちであろう。

これらすべてのことは、もちろん、展開し続ける必要はない。アメリカの人々による彼ら自身の指導者たちに向けられた反感の上昇する波がそれにストップをかけることができる。USSRのような社会主義的沼地を含むいかなる国、あるいはそれのためにどんな新しい名称が考え出されようとも、そういう国への外国援助はもうしない!ここ本国では社会主義はもういらない、そしてすでにアメリカを息苦しくさせている社会主義的絆からアメリカを解き放すことに向かって出発しよう!

2004/02/18 三上 茂 試訳

作成日:2004/02/18

最終更新日:2005/03/22

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