ファチマの聖母マリア

聖マキシミリアノ・コルベ II

The Fatima Crusader, Issue 11: May-June 1983より

ステファノ・マネッリ神父、O.F.M., Conv., S.T.D.

1982年10月10日、聖ペトロ大聖堂で福者マキシミリアノ・マリア・コルベ(Maximilian Mary Kolbe, O.F.M., Conventual)は彼の最も傑出している英雄的徳のために列聖された。マキシミリアノ・コルベ神父が、彼がほとんど知らなかった一人の不当に断罪された仲間の囚人に代わって死ぬために自由に身を捧げた後に、アウシュヴィッツのナチスの監獄キャンプにおいて殉教したのはちょうど41年前であった。教皇ヨハネ・パウロ2世は彼を「われわれの困難な世紀の保護者」と宣言された。われわれは、神がわれわれの時代に深い信仰、英雄的な愛そして特に聖母に対する計り知れない愛の模範としてお上げになった聖マキシミリアノをもっと多くの人々に知ることを可能にするこの論考を公表するのが嬉しい。この聖人の聖性への鍵はわれわれの母なるマリアへの彼のますます大きくなる愛である。聖マキシミリアノは神の御母に対する彼の愛に何の制限も設けなかった。そして実践において、彼はその生涯の間一つの驚くべきマリア使徒職において実を結んだ強烈な祈りの生活によって聖母に対する彼の壮大な献身を示した。そして彼は人々をイエズスとマリアのより大なる知識と愛へと連れて行くためにマス・メディアを用いる彼のマリア使徒職を天国から導き続けている。

ステファノ・マネッリ神父、O.F.M.--彼は最近コンヴェントゥアル・フランシスコ会のナポリ管区総長に選ばれた--は、ステファノ神父が今日われわれの新しい聖人によって立てられた模範に従っているので、特に聖マキシミリアノについて書くのに適している。ステファノ神父と聖マキシミリアノとは両者とも、彼らの各々が院長をしていたそれぞれの修道院へと多くの修道生活の召命を惹きつけた。両者はマリア使徒職を始めた。そして出版とマス・メディアの他の領域において働いた。両者はヨーロッパから遠く離れたアジアにおいて神の御母に対する信心を促進するために宗教共同体を設立した。両者は神学の博士号を持っており、そして両者はコンヴェントゥアル・フランシスコ会の神父である。ステファノ神父は、聖マキシミリアノと同様に、この号の16ページに印刷された「イエズス、われわれの御聖体の愛」という論考からわれわれ読者が知っているように、興味のあるそして非常に読み応えのある論考の著者である。聖マキシミリアノのこの簡潔な伝記は数年前にイタリア語で出版された。そして北アメリカにおいて英語で出版されるのは今回が初めてである。

レオポリにおける神学校

今夕方である。そして人々は教会にいる。それは町全体のための宣教の時間である。コンヴェントゥアル・フランシスコ会修道士、ペレグリン・ハツェラ(Peregrin Haczela)神父が説教をしている。隣同士坐って、説教師の言葉に静かにそして注意深く耳を傾けているのは二人の兄弟フランシスとライモンドである。

一つの点に二人の少年の興味が起こり、そして彼らは深く感動し、嬉しくなった。宣教師である神父はレオポリ(Leopoli)の町に、聖フランシスコ修道会においてイエズスに献身することを欲している少年たちのために神学校が開かれると言っている。

説教の後すぐに二人の少年は聖器室で宣教司祭と会う。彼らは彼と話をし、聖フランシスコがそうしたように、神に献身したいという彼らの望みについて告げる。そして彼にレオポリの新しい神学校に彼らを受け入れてくれるように願う。

ガリシアの首都レオポリの遠距離のゆえに彼らの両親の同意を得ることは難しかった。しかし最後には同意が与えられた。そしてそのようにして、1907年10月に二人の少年は新しいフランシスコ会神学校に入学することができた。ライモンドにとっては一つの幻想が一つの現実となった。一つの夢が真実となった。マドンナは彼のために道を開かれ、そして彼の目標--二つの冠--へ向かって彼を導いておられた。

恐るべき誘惑

レオポリの新しい神学校において、彼の兄フランシスと共に、活発で利口なライモンドは彼の小神学校の課程の終りまで勉学を続けたとき穏やかで確信に満ちていると見えた。彼にとって修道士の衣服--フランシスコ会の僧服--を受けるために彼の要求を提出する時期が来た。--そして修練期が始まる。すべてが安らかに過ぎて行った。そして見よ!誘惑者がその姿を現す。常に目を光らせている悪魔は一つのよい機会を嗅ぎつけ、この純粋で熱心な霊魂を悩ませ始めた。おそらく悪魔は一人の偉大な明日の使徒が、そのように真面目で献身していたあの霊的な青年から出現するのではないかと疑ったのだ。悪魔は確かに何とかしてライモンドの頭の中に以下のような奇妙な気苦労を注入しようとした:「もしおまえがマドンナによって約束された二つの冠を得たいならば、そのとき神学校において続けるよりはむしろ直ちにそこを出て、軍務に就くべきだ。そうすればおまえは戦闘任務に入って天の女王のために死ぬことができ、そしてそのようにして聖母によって冠を受ける特権を獲得することができるのだ。」

この暗示はライモンドの考えの中へ、修練期の始まる前の日に修練者になることを求めないで、修道会を出るように決心させる程度にまで、その道を作るのに巧みにやり遂げた。さらに、ライモンドは兄のフランシスにも、修練者の僧服を求める考えを放棄するよう何とか確信させようとした。

母が息子を救う

天の御母はご自分が選ばれた子どもを見張っておられた。彼を悪魔の暗示から解放するために天の御母は彼の地上の母を用いられた。彼の母は同じように、--あらゆるキリスト教的な母親がそうであるべきであるように--彼女の息子の召命を守ることに関心を持っていた。

そのまさに同じ日に、ライモンドの母親は二人の息子を訪ねる一つの促しを感じた。そしてその決定的な瞬間に神学校に着いた。ライモンドとフランシスが、修練期のためにはもはや志願したくないと管区長の神父に会いに行く途上にあった間に、彼らの母親は神学校の入り口の門のベルを鳴らした。二人の兄弟は直ぐに彼女に会うために送られた。

ずっと後年になって、聖マキシミリアノはこう書いた:「私たちが、管区長の神父様に修道会には入らないと告げるために会いに行こうとしていたちょうどそのときに広間のベルがなったときのことを私たちはどうして忘れることができるでしょうか? 汚れなき御方によって、無限に憐れみに満ちておられる摂理の神はあの決定的な瞬間に私たちの母をお送りになったのです。」

彼らがすべてのことを善良な母親に示したとき、どのように用いるかを彼女が知っていた聖なる言葉が、悪魔がライモンドとフランシスに与えた考えをすばやく追い払い、彼らの心に平和をもたらし、そして熾天使的師父、聖フランシスコの僧衣を受け、そして修練期に入る要求を熱心に彼らに説得した。

ブラザー・マキシミリアノ・マリア

1910年9月4日に汚れなきおとめの祭壇の前でライモンド・コルベは16歳でブラザーとなった。その瞬間から彼の名前はブラザー・マキシミリアノ・マリアであった。彼は勇敢な兵士たちそして有名な支配者たちに属する一つの名前を受けた。彼の上長は彼のうちには何か例外的なものがあると感じた。そしてブラザー・マキシミリアノの心証はそのすべての強さと美しさにおいて見られた彼のフランシスコ会の召命に従って行動しようと強く決意した者の心証であった。

修練期の年は穏やかに過ぎ、祈り、勉学、日々の労働そして修道者の諸徳の訓練、「共同生活」すなわち、祈り、清貧そして償いに捧げられた共有の生活であるフランシスコ会の生活の学習と実践に費やされた。修道士マキシミリアノは彼の諸々の試練を持っていた。一つの点で彼は良心の呵責に悩んだ。しかし彼の上長に従う従順と真に聖なる司祭、ヴェンザンジオ・カタルジニエック(Venzanzio Katarsyniec)神父との摂理的な出会いが苦痛に満ちた霊的苦しみをすばやく癒した。

修練期の年の終り、1911年9月5日にブラザー・マキシミリアノ・マリアはアッシジの聖フランシスコの会則を忠実に守ることを約束して、従順、清貧、貞潔の誓いをもって神に自らを奉献した。

第2章
--熱心な青年--

永遠の都で

修練期の年が終わるとすぐに、ブラザー・マキシミリアノは彼の短大の勉学を続けるためにクラコウの熾天使神学校へ送られた。もう1年が過ぎた後、彼の管区長の神父が彼を喚び出し、かれに次の選択肢を与えた:「君はここポーランドで君の勉学を続けることを選ぶか、それとも哲学と神学の博士号を取るためにローマの国際的な大学に行きたいかね?」

マキシミリアノのすばやい答えはこうであった:「私の貧弱な健康のことを考えますと、私はローマの大学で博士号を取ろうと試みることよりはむしろポーランドで勉学することの方を選びたいと思います。

彼にローマへ行く機会を取り下げる気にさせたもう一つの秘密の動機があった。彼はマドンナによって彼に約束された白い冠を熱心に守ることを欲していた。彼は自分の清純な純潔に対して恐れを持っていた。なぜこの恐れを持っていたのか? なぜなら、不幸にもローマはポーランドのブラザーたちの間では好ましからざる評判を持っていたからである。そこには堕落や公の不道徳の話があった。そこには誇張があった。しかしブラザー・マキシミリアノはキリスト教的節度が支配的であったクラコウのより安全な環境の方を選んだのである。

管区長の神父は彼に機会を取り下げないように説得したが成功しなかった。それで彼はブラザー・マキシミリアノの名前を永遠の都へ割り当てたブラザーたちの名簿から削除した。

しかし翌日ブラザー・マキシミリアノは彼の管区長神父に会うために戻って行った。彼の上長にまで決定を残さなかったことに対する後悔が彼の心の平安をかき乱した。彼は言った:「神父様、昨日私は自分自身の個人的な望みを表明しました。そしてごめんなさい。私は今あなたの望まれることを私にさせるようにあなたにお願いします。なぜなら、私はただ従順を実践したいだけだからです。」

「それでは君はローマに行くことになる。」管区長神父は微笑みながらそう言った。そしてブラザー・マキシミリアノの名前を他の者たちの名前のリストに戻した。

つづく

2004/02/28 三上 茂 試訳

作成日:2004/02/28

最終更新日:2004/02/28

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