ファチマの聖母マリア

聖マキシミリアノ・コルベ IV

The Fatima Crusader, Issue 16: Sep.-Oct. 1984より

ステファノ・マネッリ神父、O.F.M., Conv., S.T.D.

1982年10月10日、聖ペトロ大聖堂で福者マキシミリアノ・マリア・コルベ(Maximilian Mary Kolbe, O.F.M., Conventual)は彼の最も傑出している英雄的徳のために列聖された。マキシミリアノ・コルベ神父が、彼がほとんど知らなかった一人の不当に断罪された仲間の囚人に代わって死ぬために自由に身を捧げた後に、アウシュヴィッツのナチスの監獄キャンプにおいて殉教したのはちょうど41年前であった。教皇ヨハネ・パウロ2世は彼を「われわれの困難な世紀の保護者」と宣言された。われわれは、神がわれわれの時代に深い信仰、英雄的な愛そして特に聖母に対する計り知れない愛の模範としてお上げになった聖マキシミリアノをもっと多くの人々に知ることを可能にするこの論考を公表するのが嬉しい。この聖人の聖性への鍵はわれわれの母なるマリアへの彼のますます大きくなる愛である。聖マキシミリアノは神の御母に対する彼の愛に何の制限も設けなかった。そして実践において、彼はその生涯の間一つの驚くべきマリア使徒職において実を結んだ強烈な祈りの生活によって聖母に対する彼の壮大な献身を示した。そして彼は人々をイエズスとマリアのより大なる知識と愛へと連れて行くためにマス・メディアを用いる彼のマリア使徒職を天国から導き続けている。

汚れなき聖母の軍隊

汚れなき聖母の軍隊(あるいはMilitia Immaculatae. 省略形:M. I. )はマキシミリアノが宇宙の女王、征服されない女性戦士、汚れなきおとめの命令の下に教会の敵どもとの戦闘をするための一つの計画を発展させた、熱心な祈りに捧げた時間の間に生まれた。神が予告なさった彼女はその御子と一緒に地獄の蛇に勝利なさるであろう:「神はへびに向かって仰せられた...女のすえは、おまえの頭を踏みくだくであろう」(創世の書:3:14,15)

聖母の軍隊は「聖母御自身の財産」として、そして自分たち自身の聖化のため、そしてキリストと教会の地獄の敵対者である教会の敵ども、特にフリーメーソンの回心のために戦うために募集された真に「従順な道具」として、汚れなきおとめに奉献された霊魂たちの軍隊でなければならなかった。

汚れなき聖母に奉献されたこれらの霊魂--男と女、青年と子ども--は3つのグループに組織され、軍隊の三つの階級を形成する。

第一の階級は聖母を愛すること、そして他の人々によって聖母を愛させるための個人的使徒職を行うことを彼らに誓約させる仕方で汚れなきおとめに彼ら自身を奉献する人々である。

第二の階級は単に個人的なマリア使徒職を行うだけでなく、サークルと呼ばれるある小さなグループ内で、あるいはそれ自身の規則や手続きを持つM. I. 協会あるいはセンターにおいて、一つの組織化された使徒職において奉仕する人々である。

第三の階級は自分自身を神への完全な献げ物としてし、留保なしにすべてのエネルギーと資源を聖母の自由処理に無条件に委せる奉献された霊魂たちである。

聖マキシミリアノはこれらすべての霊魂たちに汚れなきおとめに対する最高度の愛を提示した。

1917年10月16日

1917年10月16日の夕方、聖マルガリタ・マリア・アラコックの祝日の第一晩課のときに、聖マキシミリアノと他の6人の修道士たちは新しいマリアの軍隊の最初の部隊を形成した。ちょうど3日前にファチマで3人の羊飼いの子どもたち:ルチア、フランシスコそしてヤチンタに御出現になって、マドンナは罪人たちの回心と世界の救いのために償いと祈りに自らを捧げる霊魂たちをお求めになった。

マドンナに対する愛の最初の応答--聖マキシミリアノと6人の他の修道士たちによって与えられた--は汚れなき聖母の軍隊の創立であった。ローマの国際大学における10月16日のあの夕方、マキシミリアノは6人の他の修道士たちと最初の会合を持った。3人は司祭であり、3人は神学の学生であった。彼らはルーマニアのヨゼフ・パル(Joseph Pal)神父、キリコ・ピグナルベリ(Quirico Pignalberi)神父、アントニオ・グロウィンスキ(Antonio Glowinski)神父、そして学生修道士アントニオ・マンシ(Antonio Mansi)、ヘンリー・グラナタ(Henry Granata)そしてジェローム・ビアシ(Jerome Biasi)であった。

マキシミリアノはこう書いた。「会合は夕方奥の部屋の一つにおいて閉ざされた扉の背後で私的に開かれた。われわれは2本の蝋燭を灯してわれわれの前に汚れなきおとめの小さな像を置いた...」

マキシミリアノは一枚の紙から彼が作成した計画を読んだ。そして彼のブラザー修道士たち6人すべてがそれに署名した。その文書は次の通りである:

汚れなき聖母の軍隊

「彼女はおまえの頭を砕くであろう」(創世の書 3:15)「あなただけが世界におけるあらゆる異端を征服された。」

I.目的:罪人、異端者、分離主義者、ユダヤ人、等々、そして特にフリーメーソンの回心を求めること。また、祝せられたおとめ、汚れなきマリアの保護と取り次ぎを通じてすべての者の聖化を求めること。

II.諸条件:1)祝せられたおとめ、汚れなきマリアへの、彼女の汚れなき御手における道具としての、自己のまったき献身。2)不思議のメダイを身につけること。

III.諸々の手段:1日に1度もし可能ならば次の祈りを用いて汚れなきマリアに祈らなければならない。「原罪なくして宿り給いし、聖マリア、御身に依り頼み奉るわれらのために、また御身に依り頼み奉らざる者、特にフリーメーソンのために祈り給え。」2)各人の状況および起こる機会において可能であることに従って何らかの妥当な手段を用いてもよい。その選択は不思議のメダイの使用を強調して各人の熱意と思慮に委ねられる。

「君、それで十分だ」

そうこうしている間に、霊魂たちの救いに対するマキシミリアノの熱意は何か非常に生き生きとしたそして活動的なものであった。彼は霊魂を救う機会を黙って見過ごすようなことをさせなかった。そして可能なときには彼は何かよいことを率先して達成した。小さいけれど重要であるこのことについてのいくつかの事例がある。

かつて汽車の中で前に坐っていた一人の紳士が宗教と教皇に反対して公然と話をしていた。マキシミリアノは黙っていることができなかった。彼は逐一彼に答え始めた。議論はすぐに活発な論争となり、その中でその紳士は少しずつ地歩を失いつつあった。最後に彼らはある点に達した。そしてその男はこう言った。「それで十分だ、君!君は私が誰か知らない。私は哲学博士だ。」

「もしそのことが問題なら」とマキシミリアノはすばやく答えた。「私も、哲学博士です。」

この答は懐疑論者にまさに彼が誰と関わらなければならなかったかを知らせた。そして議論はより穏やかに続いた。終りになって、彼は宗教、教会そして教皇制を擁護するマキシミリアノの議論の力に注意を払った。

緑の宮殿

ジョゼフ・パル神父はこう書いている。「ある日、イタリアのフリーメーソンのグランド・マスターそして他のフリーメーソンを回心させるために、彼は緑の宮殿、パラッツォ・ヴェルデへ彼と一緒に私が行くよう提案した。私はもし学長が許可を与えたならば、彼に同道するだろうと確約した。夕食の後のレクリエーションの間に、彼はイグヌーディ神父のところへ行った。そして彼の提案を説明した。私が待っていた中庭に彼が戻って来たとき、彼は少しばかり当惑していた。しかし、彼が私に、学長の神父がしばらくはそのような冒険は適切ではないこと、そしてフリーメーソンのために祈る方がよいと言ったと告げたとき、彼はそのことを断念した。その場で彼は私に彼らの回心のために彼と一緒に祈らせた。」

この小さな出来事のうちにわれわれは野獣にそれ自身のすみかの中で近づくために、汚れなきおとめの力を十分に強く感じた若い使徒の勇敢さを発見する。われわれは、彼にしばらくは彼がただ祈るべきであると忠告した上長の意志への彼の謙遜な服従を賞讃する。この忠告をすぐさま果たし、そして直ちにフリーメーソンのために祈りを始めるということは彼にとって賞讃に値することであった。

目に涙をためて

ここにもう一つの精神を高揚するできごとがある。

同じパル神父はこう報告している:「われわれ二人が聖使徒大学へと戻っていた間、汚れなき乙女の祝日の準備のノヴェナの間に、われわれは三四人の労働者が、住宅での彼らの仕事に戻ったときにマドンナに対する冒涜の言葉を口にしているところを通りました。

マキシミリアノは私を通りに残して、彼らに大急ぎで近づいて行きました。彼は目に涙をためて、なぜ彼らは聖母を冒涜するのかと、彼らに尋ねました。私は、彼に時間を浪費しているのだと確信させるために無益な努力をしました。彼はその間ずっと激しく涙をもって話し、行動したので、最後には彼らは謝りました。そして自分たちは極端な怒りに駆り立てられたときに鬱憤をはらすやり方としての習慣からそうしたのだと言いました。彼は、彼らの怒りを何とかして鎮めるまでは彼らに嘆願することをやめませんでした。」

「従順な道具」

マキシミリアノは熱心な気性を持っていた。サタンを打ち負かす汚れなきおとめという考えは彼を陽気にした。霊魂たちを滅ぼしている霊的道徳的な退廃を見たことは、霊魂たちを「肉の欲、目の欲、生活のおごり」(1ヨハネ 2:16)から救い出すために、時間を浪費しないこと、あらゆる手段を用いること、あらゆる方法を勇敢に試みることへと彼をせき立てた。

彼の勇敢さは純粋に汚れなきおとめに与えられた限界のない力をあてにしていた。人々をして自らを聖母の御手の中に置くようにさせ、聖母の「従順な道具」であるようにさせよ--それで十分である。そうすれば、この征服されざる女性戦士は「この世の子ら」(ルカ 16:8)そして「やみに行われる業」(ローマ 13:12)を打ち負かされるであろう。

コルベはこう言った。「マドンナはわれわれを何ら必要となさらない。しかしマドンナはわれわれに功績を与え、勝利をより栄光あるものとされるために、へりくだってわれわれをお用いになるのである。--それが、貧しい、弱い人々を通じて、そして世間的な基準によって、不適切である手段をもって、勝利されるときのように--なぜなら、霊的な武器は俗物によって嘲られ、格下げされるからである。

われわれは、あらゆる適法な手段を利用し、話された言葉を通じ、マリアに関する書籍と不思議のメダイの配布を通じて前進し、そして祈りとよき模範によってわれわれの活動に強さを与えながら、従順な道具として聖母の御手の中に自らを委ねることが必要である。

それゆえに、マリア使徒職の手段は汚れなきおとめの旗印の下に戦う意図をもってマリアの聖なる軍隊に自らを登録すること、同様にまた、ミリティアを他から区別するものとして不思議のメダイを身につけることであろう。同時に聖母の兵士として毎日、その中でわれわれがわれわれに対するマドンナの保護を嘆願し、そして特に教会の最大のそして最も頑固な敵であるフリーメーソンの回心のために願う短い祈りを捧げることであろう。」

マキシミリアノはこのすべての傑出した模範であった。彼は、特に祈りとよき模範によって聖母に対する奉仕であるいかなる機会をもとらえそこなうことがないように機敏な、真に聖母の御手における「従順な道具」であった。彼が若い聖職者であったとき、そして彼が円熟した司祭であったとき、彼がローマあるいはワルシャワの通りで、汽車あるいは船の中で、大学キャンパスで、そしてニエポカラノフ(Niepokalanow)の廊下で、ロザリオを唱えているのを人は容易に見ることができたであろう。彼が「ロザリオの祈りがより多くなされるとき、より多くの霊魂が救われる」というこの小さな金言を書いたとすれば、彼は霊魂を救うためのロザリオの価値に無限の信頼を置いていたのである。聖なるロザリオを愛する者にとって何という励ましであろうか!

彼は常にポケットの中に不思議のメダイをせっせと供給していた。彼はそれを人間の心の中に突破口を開く「弾丸」あるいは「小さな爆弾」と呼んだ。彼は人々がそれを手に入れるのを保証するのに最も適した場所にそれを残すことについての臨機の才を持っていた。

人は聖マキシミリアノをどんな仕方でもしりごみすることなくマリアに服従した真に従順な道具の完全な模範として記述することができるであろう。

つづく

2004/03/01 三上 茂 試訳

作成日:2004/03/01

最終更新日:2004/03/01

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