ファチマの聖母マリア

汚れなき聖母を愛した使徒
(聖マキシミリアノ・コルベ VI)

The Fatima Crusader, Issue 18: Nov.-Dec. 1986より

ステファノ・マネッリ神父、O.F.M., Conv., S.T.D.

1982年10月10日、聖ペトロ大聖堂で福者マキシミリアノ・マリア・コルベ(Maximilian Mary Kolbe, O.F.M., Conventual)は彼の最も傑出している英雄的徳のために列聖された。マキシミリアノ・コルベ神父が、彼がほとんど知らなかった一人の不当に断罪された仲間の囚人に代わって死ぬために自由に身を捧げた後に、アウシュヴィッツのナチスの監獄キャンプにおいて殉教したのはちょうど41年前であった。教皇ヨハネ・パウロ2世は彼を「われわれの困難な世紀の保護者」と宣言された。われわれは、神がわれわれの時代に深い信仰、英雄的な愛そして特に聖母に対する計り知れない愛の模範としてお上げになった聖マキシミリアノをもっと多くの人々に知ることを可能にするこの論考を公表するのが嬉しい。この聖人の聖性への鍵はわれわれの母なるマリアへの彼のますます大きくなる愛である。聖マキシミリアノは神の御母に対する彼の愛に何の制限も設けなかった。そして実践において、彼はその生涯の間一つの驚くべきマリア使徒職において実を結んだ強烈な祈りの生活によって聖母に対する彼の壮大な献身を示した。そして彼は人々をイエズスとマリアのより大なる知識と愛へと連れて行くためにマス・メディアを用いる彼のマリア使徒職を天国から導き続けている。

汚れなき聖母の騎士

汚れなき聖母のミリティアに入会する人々の数は上昇していた。そして運動はますます拡がって行った。聖マキシミリアノは、彼らに正しい理想と真理でもって栄養を与え、彼らを一致させるためには各々の入会者と、そして彼のグループの各々との接触の手段の必要性を見た。しかし彼はいかなる手段を用いるであろうか? アッシジの聖フランシスコは話し言葉を用い、福音をそこに運ぶために近東に行くのに帆船を用いた。

話し言葉と帆船のほかに、マキシミリアノの時代には新聞、ラジオ、映画そして旅行の多くのそして速い方法--鉄道、車、飛行機による--を含む交通通信の道具がある。この真の使徒は神の王国を広めることが問題であるときには、何物も無視せず、あらゆるものを利用するであろう。彼の目標を実現するために、聖マキシミリアノは最も簡単でそして最も容易に手に届くもの、すなわち、すべての人のためのマリアの雑誌から出発しながら、あらゆる合法的な手段を用いることに決めた。彼の書き物の中にわれわれは次の言葉を見出す:「現れて来るあらゆる誤謬に対抗する、あらゆる言語でのキリスト教的およびマリアの出版物の土砂降りで世界を洪水にする必要がある。なぜなら、誤謬は新聞においてその最強の味方を見出したからである。生命の喜びを世界に取り戻すために、生命の言葉を運ぶ印刷物で世界を包む必要がある...」

この雑誌の名前は「汚れなき聖母の騎士」となるはずであった。

病床

しかし、すでにそこなわれていた彼の健康は彼を見捨てた。彼の熱は華氏104度以上にあがり、譫妄状態になった。

彼は最初クラコウの病院へ送られた。それから山の空気が健康によいザコパネのサナトリウムへ送られた。彼は1920年6月にサナトリウムに入り、そこでまる1年半過ごした。

人間的に言えば、そのような場所での入院生活は彼のマリア使徒職のすべての計画の終りを示すものであったであろう。しかし事態は超自然的に働き、この時期はそれらの発展のための堅固な基礎であった。主はその偉大な働きを達成なさるために、それ自身不適切な卑しい手段をお用いになる。(1コリ1 1:27-28)

ベッドから起きあがることができず、その呼吸が緩やかで弱かった聖マキシミリアノは、その苦しみによって汚れなき聖母のミリティアの使徒職の世界のあらゆる地域への拡大を準備した。彼の唯一の関心事は、彼がそうであったように、無制約の、そして何も留保しない仕方で聖母に属しながら、汚れなきおとめの望みを常に実現することであった。何一つ彼のものではなく、すべては、彼の肺の病気さえも、聖母のものであった。

聖マキシミリアノの一つの美しいそして意味深い習慣はこれであった:彼がベッドにつくときにはいつも、小さなベッドサイド・テーブルの上に置いていた汚れなきおとめの小さな像の足下に時計とめがねを置いた。時間(時計)と空間(めがね)は彼の女王のものであった。聖母はきっと神の王国の促進のためにそれらでもって聖母が望んでおられることをなさるであろう。

病者への使徒

マキシミリアノはその諸々の機会に従ってサナトリウムの病人たちの間で働いた。各々の患者との個人的私的な話のほかに、できるようになるとすぐに彼は集会と宗教的な会議を組織した。彼は討論を行い、そして不思議のメダイを配布する機会を見逃さなかった。

汚れなきおとめはご自分の支持を彼に与えられ、そして「無神論者たちの拠点」と考えられていた場所における無数の回心の喜びを彼に与えられた。

彼は死んで行く学生に洗礼を授ける幸福を持った。その青年はコルベの護教論の講義に忠実に出席していたが、しかし各々のセッションの終わりにはすばやく抜け出ていた。ついに彼はその日のセッションが彼が出席できる最後の日である、なぜなら彼の病気は非常に進行したのでもはやベッドを離れることができない、そして今はただ死を待つだけだからだ、ということを彼に告げるために聖マキシミリアノのところへやって来た。

聖コルベは彼を訪問することを約束した。重病であった者を訪問することは禁じられていたが、しかし彼はなんとか許可を得た。彼はたびたび訪問し、彼に話し、彼の首に不思議のメダイをかけ、適切に彼に準備した。彼は洗礼、聖体、終油の秘蹟を授けた。

彼は少年に尋ねた。「君は幸せかい、それとも何か困っていることがある?」

「僕の母--彼女はユダヤ教からキリスト教に回心した僕を呪うでしょう。」

「恐れてはいけない。君のお母さんが着くときには、君は天国にいるだろう。」

彼の母は若者の死の1時間後に着いた。彼女がその首に汚れなき聖母のメダイをつけた息子の体を見たとき、彼女の非難が強く表明された。

「あなた、告解へ行きなさい」

聖マキシミリアノが、不思議のメダイによって諸々の秘蹟へと彼らを導いたとき、どのように霊魂たちを獲得したかを美しく明らかにしているもう一つのエピソードが報告されている。

同僚の修道士、フロリアン・コジウラ(Florian Koziura)がこの説明を与えている:

コルベ神父は、ザコパネにいたとき、知識人として知られた一人の紳士を知り合いになった。彼に会うたび毎に神父は彼に求めた。「あなた、告解に行きなさい」。しかしその人はいつもこう言うのであった。「いいえ、神父様。私はあなたを尊敬しています。でも私は告解には行きません。おそらく別の機会にはね。」

数週間後、同じ紳士は出発しようとしていた。そして別れの挨拶を言いにコルベ神父のところへやって来た。マキシミリアノ神父の最後の言葉は「あなた、告解に行きなさい」だった。

「ごめんなさい、神父様、でも私は時間がないのです、直ぐに駅に行かなければならないのです。」

「では、少なくともこの不思議のメダイを持って行きなさい。」

その人は少なくとも礼儀のためにそのメダイを受け取り、直ぐに鉄道の駅へ出発した。その間にマキシミリアノ神父はこの頑固な罪人の改心のために跪いて汚れなきおとめに懇願した。

そのとき、なんと不思議なことが起こったことだろう!しばらく後に誰かがドアをノックした。

汽車をつかまえるために急いでいたその同じ紳士が現れた。廊下から彼は声を上げた。「神父様、告解に行きたいです。」

「出版の冒険」

1年半後、聖マキシミリアノはついにクラコウに戻った。彼は熱心に疲れも知らずに再び仕事に戻った。彼の最初の考えは「汚れなき聖母の騎士」を発行することであった。しかし彼はどのようにして印刷のための費用を支払うのであろうか? 彼は管区長の神父のところへ行った。彼はただ励ましだけを受けた。しかし財政援助は不可能だった。彼は自分で金銭の工面をしなければならないであろう。

彼には出かけて行って物乞いをする以外には何も残されていなかった。汚れなきおとめのために扉から扉へと物乞いをする--何という経験だ!最初彼は勇気を欠いていた。彼は出かけるのだったが、それから戻って来るのだった。彼がノックした最初の扉が開いたとき、彼は顔を赤らめ、いくつかの言葉をどもって口にしたがそれは理解されなかった。そして恥じ入って引き下がった。

彼は後にこう報告した。「別の日に、私は私の雑誌のための寄付を願うために文房具屋に入って行った。非常にきまり悪く感じて結局小さな買い物をして立ち去ることに終わった。マドンナの愛のために私の屈辱感を抑えるという私の意図を貫くことに失敗する弱さに対して私自身を非難しながら、私はのろのろと歩いた。私はもう一度試みることに決心して別の店に入って行った。

再び恥ずかしさが私を圧倒した。きまり悪さでいっぱいになり、私は一語も発することができなかった。そのとき私は突然どうしてそこに行ったのか知ることなく通りにいる自分を見出した。」

それは苦痛に満ちたものであった。しかしマキシミリアノはついにどうにかやってのけた。1922年1月に彼は「汚れなき聖母の騎士」の創刊号5000部を発行した。

つづく

2004/03/01 三上 茂 試訳

作成日:2004/03/01

最終更新日:2004/03/01

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