ファチマの聖母マリア

聖マキシミリアノ・コルベ X

The Fatima Crusader, Issue 24: March-May 1988より

ステファノ・マネッリ神父、O.F.M., Conv., S.T.D.

1982年10月10日、聖ペトロ大聖堂で福者マキシミリアノ・マリア・コルベ(Maximilian Mary Kolbe, O.F.M., Conventual)は彼の最も傑出している英雄的徳のために列聖された。マキシミリアノ・コルベ神父が、彼がほとんど知らなかった一人の不当に断罪された仲間の囚人に代わって死ぬために自由に身を捧げた後に、アウシュヴィッツのナチスの監獄キャンプにおいて殉教したのはちょうど41年前であった。教皇ヨハネ・パウロ2世は彼を「われわれの困難な世紀の保護者」と宣言された。われわれは、神がわれわれの時代に深い信仰、英雄的な愛そして特に聖母に対する計り知れない愛の模範としてお上げになった聖マキシミリアノをもっと多くの人々に知ることを可能にするこの論考を公表するのが嬉しい。この聖人の聖性への鍵はわれわれの母なるマリアへの彼のますます大きくなる愛である。聖マキシミリアノは神の御母に対する彼の愛に何の制限も設けなかった。そして実践において、彼はその生涯の間一つの驚くべきマリア使徒職において実を結んだ強烈な祈りの生活によって聖母に対する彼の壮大な献身を示した。そして彼は人々をイエズスとマリアのより大なる知識と愛へと連れて行くためにマス・メディアを用いる彼のマリア使徒職を天国から導き続けている。

「もし聖フランシスコが戻って来たならば...」

聖マキシミリアノは「もし聖フランシスコが戻って来たならば、彼は彼らを自分自身の住居に連れて行くだろう」そのような清貧でもってきらめく修道士たちの住居を望んでいた。彼はまたこうも書いた。「われわれ修道者はバラックに住み、あて布をした衣服で歩き回り、そして贅沢な食事なしで済ませることができる...」

列聖式の手続きの書類のうちにわれわれは以下の文章を読む:「ニエポカラノフにおける生活状態は特別の注意の問題であった。そして聖フランシスコの時代の生活状態にならったものであった。わらと粘土で作られた住居は地水火風をしのぐ仮の避難所のように見えた。」

他の箇所にも次のような文書が読まれる:「彼によって建てられたあらゆる建物は清貧できらめいている--質素な部屋、わらのマットレスのベッド、背もたれのある椅子の代わりに背もたれのない椅子、一人用のテーブル、塗装されていないしっくいの壁。食堂ではテーブルはサンドペーパーで磨かれていない木製のもの、食器はブリキのもので、各人はすべての料理のためのたった一つの鉢を持っていた。」

にもかかわらず、これらのきわめて質素な諸条件は単に修道士たちを悲しませることに失敗したばかりでなく、反対に、そのことは彼らの内部にそして彼らの間に素朴な質素さの間に経験される完全なフランシスコ会士の喜びを産み出した。

修道士たちはその数を増し、そしてニエポカラノフと無原罪の園と呼ばれた日本における第二の汚れなき聖母の都市(その物語をわれわれはこの先で述べるであろう)の両方で増え続けた。

しかし彼らは会員数の増加に追いつくに十分なほどすばやく彼らの食料や衣服をいつも増加させることはできなかった。それゆえそのとき彼らはすでに少量な食物の部分を喜んでさらに分割し、彼らの衣服の点数を分け合って終わるのであった。このようにして聖マキシミリアノはある時、日本において彼に加わりたいと望んだ一人の修道士にこう書くことができたのである。「あなたが、汚れなきおとめのために、飢えから、疲労から、謙遜から、そして苦しみから、あなたの墓へ行くことができるように、来てわれわれに加わりなさい。」

身体を洗うために跪く

英雄的行為の日々についてのもう一つの証言がここにある。ポドゥワピンスキ(Podwapinski)修道士はわれわれにこう告げている:「われわれが出費を切り詰められるように、マキシミリアノ神父は1足の靴と1枚のコートをゼノ(Zeno)修道士と共有していた。彼はしばしば、フランシスコ会の修道士は一足のつぎはぎの靴と1枚の修繕した衣服で幸せであるべきである。しかし彼は、たとえそれが最新型の飛行機を要求するとしても、汚れなき聖母に対する奉仕については出し惜しみをすべきではない。修道士たちが自分の木製のベッドを自分のために少しばかりましなものにするために塗装したいと思ったとき、彼は断固として彼らに反対した。」

作業用胸当てズボンをはくために、アルベリック修道士はメルキオッレ神父がそれを使い終わるまで待たなければならなかった。ガブリエル神父はパスクアーレ修道士の袖無しマントを着ていた--すでに指摘したように--マキシミリアノ神父は、ワルシャワへそれをはいて行かなければならないときにはいつも、そして宗教の授業をするためにロソスナ(Lososna)へ週2回出かけるときには、彼の靴を[ゼノ修道士から]取り戻していた。

コルベ神父について話しながら、マンスエト・マレゼスキ(Mansueto Marezeski)修道士はわれわれにこう告げる:「彼の僧服はすべての僧服の中でも最も使い古したものであった。そして彼の部屋は、簡素な木製のベッド、体を洗うために跪いていた洗面台のついた、非常につましい設備のものであった。そこには一つのテーブルと一つの椅子があった。彼のオーバーコートは壁に打ちつけられた1本の釘にかかっていた。彼はニエポカラノフに届けられる贈り物には決して手を触れなかった。そして皆の者にそれらを汚れなきおとめに属するものである、そしてそれゆえに、神の国のためにのみ費やされるものとして充てられるものであると見るように命じた。」

一人の医者スタンレー・ワソヴィッツ(Stanley Wasovicz)はこう証言している:「ニエポカラノフでは清貧が私に非常に深い印象を与えました...マキシミリアノ・コルベ神父のそしてすべての修道士たちの個人的必需品に関して言えば、それは原始的な状態すれすれでした。」

1ペニーさえだめ

聖マキシミリアノは金銭から完全に距離を置き、そして完全にそれ無しでありたいと望んでいた。

われわれは、多額のお金が、彼のポケットに1セントも残すことなく、彼が必要としたもののために彼が幾ばくかを取ることなしに、彼の手をいつも通り抜けて行ったということを知っている。彼は1足の靴、1枚のコート、1本の傘を自分のために買いたいと思ったのか? それらはみな必要な品物であった。しかし彼はわれわれがそう考えるようにはそれらが不可欠なものだとは考えなかった。模範と言葉とによって彼はそれらを「極端に必要」であるものに引き下げながら「個人的な必需品の最大限可能な制限」を教えた。

もし会則が1セントさえ持つことを禁じるならば、聖マキシミリアノはその細かい点にさえ忠実であった。

かつて極東へ出発しようとして、彼はローマを通過し国際大学で客となった。一人の証人が以下のエピソードを報告している:「マキシミリアノ神父がドアをノックしたとき、私は学長室にいました。彼は陽気に笑いながら入って来ました。そしてまっすぐに学長のところへ行き、札入れを彼に渡してこう言いました。「学長、このお金はポーランドからローマまでのキップを買った残りの金額です。」

「でも、あなたは再び出発しなければならないのではないですか?」と学長は尋ねた。

「ええ、しかしわれわれはローマに3日間いるでしょう。そして聖なる会憲はこれを私に許さないのです。」

「分かっています。でもあなたはそれを取って置くことができます。」と学長は答えた。「私はわかりません」とマキシミリアノ神父は笑いながら答えた。

「学長がそのお金を受け取ることを望まなかったので、マキシミリアノ神父は椅子の上にそれを残して出て行った。」

テーブルの上の灰

聖なる清貧に対する彼の愛はマキシミリアノを特に飲酒に対して、そして喫煙の習慣に対してはなお一層堅固であるように動かした。これらの点に関する彼の熱心な勧めは堅固で強いものであった。

「愛する息子たちよ、私にこの喜びを許してほしい:私の死後でさえ、喫煙をするな、また強い酒を飲むな。人々があなたたちにこれらの物を差し出すならば、辞退しなさい。私はニエポカラノフにおいては喫煙がないように熱心に勧めまた望みます。なぜなら、それは贅沢の始まり、そして聖なる清貧の上に築かれているこれらの共同体の基礎の弱体化の始まりとなるだろうからです。」

ある時、彼がパドゥアを通過しているとき、何かある興味深いことが起こった。パドゥアの聖アントニオ修道会の修練長はこう書いている。「1937年2月のある夕べ、彼は私のテーブルの側に座っていた。そこではわれわれは16人の修練者たちに囲まれていた。われわれが話し始める前に、彼は、テーブルの表面を指で指し、私を見てこう言った。「ここにはタバコの灰が何かありますか?」

「私は何かの冗談だと考えて、こう答えた。『いいえ』。

それから、彼は繰り返した。『私は、ここのテーブルの上に何か灰があるかと尋ねているのです。』

「彼が何を意味しているのか理解しないで、私は、もし彼が少しの灰を欲しいのであれば、ストーブがある共同寝室から灰を持って来させようと答えた。

「それから彼は3度目に言った。『いいえ、違います!私はここのテーブルの上に灰があるかと尋ねているのです。』

「ああ、あなたは悪い人間ですね!」と私は答えた。今や私はこれが私にタバコを吸うかどうかを尋ねるる彼のやり方だということを理解した。それで私は言った。「いいえ、ありません。このテーブルにはどんな灰もありませんよ、と」。

「それから、彼は修練者たちに喫煙の習慣を獲得しないことの望ましさについて話すためにこの機会を捕らえた。そして彼は私たち皆に、汚れなき乙女に常にあの不幸な常習癖を避ける約束をするように励ました。

喫煙と清貧は両立できない。タバコは清貧を煙の中に上昇させる。聖マキシミリアノは口にタバコをくわえた聖フランシスコのことを考えるだけで冒涜であると常々言っていた。

つづく

2004/03/02 三上 茂 試訳

作成日:2004/03/02

最終更新日:2004/03/02

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