ファチマ・メッセージの説明
私たちの祝せられたおとめ、私たちの霊的母そしてすべての国の霊的元后は、核戦争と奴隷化の危険の中にあるカナダ人とアメリカ人そしてすべての人々にロザリオを祈り、聖母の全ファチマ・メッセージに注意を払うことによって彼ら自身と彼らの国を救うように注意を促しておられます。
二十世紀の私たちに対する神の特別の愛
ご存じのように、二十世紀に創造なさったその民である私たちに対する大きな愛において神は、私たちに平和を約束するためにファチマで私たちに御自分のいとも聖なる御母マリアをお送りになることによって、最も例外的なはからい、私たちの時代のために取って置かれた一つの恵みを私たちにお与えになりました。
彼女は私たちに神からのこのメッセージ、希望のメッセージ、祝せられたおとめマリアの指導の下に、そして彼女の取りなしを通じて、善の力が悪の力に対して勝利し、また私たちのために悪魔と彼の追随者たちに対する神のためのこの勝利が私たちの時代に起こるであろうという約束のメッセージを与えるために三人の羊飼いのところに来られました。私たちは、実際、それでこの時代に生きていて最も幸福なのです。さらに、私たちもまたこの勝利に与ることができます。事実、それは私たちのうちの十分な者がファチマ平和十字軍の聖母に結集するやいなや与えられるでしょう。
私たちはあるメッセージが神から来ているということを証明するために一つの奇跡を働いてくださるように神に要求することができないということを知っています。イエズスの公的生活のための道を準備するために神によって確かに送られた洗礼者聖ヨハネは奇跡を働きませんでした。私たちはまた私たちのカトリック信仰から、神がときどき奇跡を行われたということ、そして神のメッセージのために為された真の奇跡が事実そのメッセージが神から来ているという確実な証拠であるということを知っています。このように、私たちはイエズスの教えと働きが事実神から来ているということを証明することができます。[1]
ファチマのメッセージは教えの内容において非常に豊かです。そして確かに私たちの混乱した世紀のために大きな希望と非常に賢明な忠告を私たちに与えています。ファチマの物語とそのメッセージは非常に簡単ですが、しかし非常に深遠です。それは確かに私たちの時代に対する一つの預言的なメッセージ、私たちが自分たちを危険にさらしてそうするのでないかぎり無視することができないメッセージ、そしてファチマにおける一連の大きな奇跡によって確証されたメッセージです。
ファチマにおいて、神は聖母の取りなしを通じて、7万人以上の人々によって目撃された一つの最も驚くべき奇跡によって二十世紀のためのこの<非常に重要なメッセージ>を畏れおおくも確証なさいました。諸々の写真の最近の研究は10万人以上の人々がファチマでの太陽の奇跡を見たということを示しています。それはその次元において黙示録的である美しいそして感動的な経験でした。「日と月と星とにしるしが現われ」(ルカ 21:25)るでしょう。多くの人々がその奇跡の日に癒されました。そして多くの回心が起こりました。ファチマの出来事は今もなお続いています。それは世界中での聖母の最終的な勝利まで続いて行くでしょう。
もちろん、最終的な勝利は彼女が「最後に私の汚れなき御心が勝利するでしょう。そして平和の一時期が人類に与えられるでしょう」と言われたように、ファチマの聖母によって絶対的に保証されています。しかしながら、彼女はその勝利が来る時は私たちにかかっているということを正直に、そしてあからさまに私たちに告げておられます。イエズスとマリアは、私たちが望んでいる以上に、この真の平和がまもなく世界に来て、そしてすべての人々が、神が私たちを創造なさったときにそうであることを意図なさったように、地のいたるところで、平和、調和、正義そして愛のうちに生きることを望んでおられます。しかしながら、神の平和は私たちのうちの十分な者がファチマの聖母が求めておられることをするときにのみ来ることができます。ファチマの聖母の平和の計画に従うことによって以外には真の平和への他のどのような道もありません。さらに、もし私たちが人間の歴史におけるこの危機のときに、神の天上の御母と彼女の愛のメッセージそして彼女の援助の約束を無視するならば、そのとき神はファチマにおいて、平和は最後に世界に来るけれども、<多くの民族が地の面から完全に拭い去られ、多くの善良な人々が殉教し、教皇が多く苦しんだ後になるだろう> ということを私たちに警告なさいます。
[1]それにもかかわらず、私たちの信仰の服従が理性に合致するために(ロマ 12:1を見よ)神はその啓示の外的証拠、すなわち、神的行為そして特に奇跡と預言が聖霊によって与えられる内的援助につけ加えられるべきであるということを望まれました。これらの証拠は神の全能と無制限の知識を非常に優れた仕方で示していますから、それらは神の啓示の最も確実なしるし、すべての人の理解に適しているしるし、を構成します(cans.3-4を見よ)。ですから、単にモーセと預言者たちばかりでなく、またそしてすぐれて私たちの主キリストは多くの明白な奇跡を行われ、明快な預言をなさいました(第一ヴァチカン公会議、デンツィンガー1790)。
教会法3:もしある人が神の啓示を信じ得るものとすることは外的しるしにとって不可能である、そしてそれゆえに人々は各人の内的経験あるいは私的な霊感によってのみ信仰へと促されるべきであると言うならば、その者は破門される(デンツィンガー、1813)。
教会法4:もしある人がすべての奇跡は不可能である、そしてそれゆえに、それらについてのすべての説明は、聖書のうちに含まれているとしても、物語や神話と共に分類されるべきである、あるいは奇跡は確実性をもっては決して認められることはできない、そしてキリスト教の神的起源はそれらによっては首尾よく証明され得ない、と言うならば、その者は破門される(第一ヴァチカン公会議、デンツィンガー 1813).
『カトリック信仰の教義的憲章』第一ヴァチカン公会議、1870年4月24日、第3章から引用。
(神に対する反逆)
カナダ人とアメリカ人は、アメリカが世界の残りと共通に、軽減するための人間の援助の能力を超えると思われる危機の状態にあるということをますます意識するようになっています。ストレスと道徳的な崩壊の証拠は私たち皆の周りにあります。中絶の増大して行く数(1973年から1989年までアメリカ合衆国だけで2300万人以上)や結婚の崩壊に見られるような家庭生活における危機、薬物乱用の増加、テレビの上でまた映画の中でますます公然と示される暴力と性(倒錯を含む)による青年や壮年の堕落、慎みを欠いたファッション、私たちの青年たちの道徳、宗教教育の欠如、核戦争の脅威、自分自身の家庭を所有しあるいは所有し続けることを人々にますます不可能にする高いそして高利の利子率、人々に彼らが必要としない品物を買うために借金をすることを奨励する広告の種類。
カトリック共同体の内部では付加的な関心があります。例えば、ミサ出席の落ち込み、告解の実行の減少、教皇および司教たちの権威の目立つ衰え、多くのカトリック学校においてさえ、宗教教育が悲しいまでに不適当であるという意識の増加、修道生活への召命の減少などです。
確かにこれらの問題のあるものは家庭のサークルの内部で、そして彼ら自身の影響の領域内で多くの男女によって解決され得ますし(そしてされています)。それにもかかわらず、多くの人々は普通の市民の範囲を超えたところにとどまっています。政府は解決を持つどころか、彼らの法律の制定によってあまりにもしばしば諸問題を作り出しました。そのような一つの問題は中絶です。
私たちの生命、自由への権利、私有財産への権利、私たちの良心の自由とイエズス・キリストによって建てられた一つの真の宗教の実践の自由は創造主によって一人ひとりの人間人格に直接的に与えられています。いかなる人間的権威もこれらの権利を奪い去る神からの権威を持っていません。国家もまた、すべての権威は神から来るのですから、これらの基本的権利を私たちに否定するそのような権威を持っている振りをすることすら許されません。
これらの権利は神から来ます。というのは、神は神の意志に従って生きるように、そして私たちの個人的な使命を達成するように私たちをお作りになったからです。神と私たちの同胞に対する私たちの義務を果たすために--というのは、私たちは物質的身体をもった自由で理性的な被造物ですから--神は私たちに神の意志を果たすために手段と必要な権利(権威)をお与えにならなければなりません。
このようにこれらの権利は神によって直接的に私たちに与えられています。それらは国家を通じて私たちに与えられているのではなく、無媒介的、直接的に与えられています。国家の、政府の、すべての公的諸権威の目的は、市民が彼らの妨げられない権利の遂行において、もっと容易に彼らの霊魂を救い、そして神に栄光を帰すようにその市民の神から与えられた諸権利を調和的に促進することです。国家はどんな口実でも(多数決でさえ)私たちの神から与えられた諸権利を永久に奪うことは許されていません。
アメリカ合衆国において最高裁は1973年1月23日に、中絶は合法的であると規定することによって2300万人以上のアメリカ市民を殺してきました。これら2300万人の暴力的な死はそのすべての戦争におけるすべての失われた命よりもはるかに多いその何倍です。同様にカナダにおいても、政府と裁判所、公的諸権威と彼らの協力者たちは50万人以上のカナダ人の最も基本的な権利、生命への権利を奪ってきました。すなわち、50万人以上の人間の生命が過去10年間だけで、この土地で--「真の北方の強いそして自由な」--殺されてきました。過去10年間に中絶によるカナダにおけるこれらの非常に暴力的で苦痛に満ちた死はカナダが1867年に国家としての始まり以来戦ってきたすべての海外での戦争(ボーア戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦そして朝鮮戦争)において、その敵の手にかかって被ったすべての暴力的な死の5倍も多いのです。[2]
私たちの兄弟たちのうちの最も無垢で最も無防備なものに対して犯された中絶のあくどい、重大な不正はまた他のあるものをも示しています。それは私たちの国における多くの指導者たち、--例えば、上院議員、下院議員、および裁判所や多くの病院にいる人々--は事実上、そして実践において、自分たちがイエズス・キリスト、そして私たちの国、そのすべての個人および制度に対する彼の支配から独立していると宣言しているということを示しています。聖書はイエズスは王の王、主の主である(黙示録 19:16)と私たちに告げています。私たちの王として、彼は私たちの立法者たち、法律、裁判所、そして病院がイエズスの法を反映すること、彼らがそれに反対しないことを求めておられます。
私たちの王であるイエズス・キリストは私たち全てが、特に私たちの法律において私たちの胎児の生命を実際にそして効果的に保護することを求めておられます。イエズス・キリストの代理者、教皇ピオ十一世の言葉において私たちはすべての時代の立法者たちに対して拘束力のあるこの重大な義務を示されています。
「政治の手綱を握る者は適切な法律と是認によって罪のない者の生命を守ることが公的権威の義務であるということを忘れるべきではない。そしてその生命が危険にさらされ、攻撃されている人々が自分自身を守ることができないからなおさらそうである。それらの人々のうちに、私たちはまず第一に母親の胎内に隠されている幼児たちがいるということに言及しなければならない。そしてもし公的な行政官が単に彼らを守らないだけではなく、彼らの法律や命令によって彼らを裏切り、医師たちや他の人々の手で死に追いやるならば、彼らに神が地から天へと叫びを上げる罪なき地の審判者であり、復讐者であることを思い起こさせよう。」(回勅、キリスト者の結婚について)。
中絶のこの罪は単に立法者たちの責任であるばかりでなく、また教育者たち、そして私たちの民の良心を形成する人々の責任です。かつては、民の良心を適切に形成するその神から与えられた役割を果たしていたのは聖職者でした。しかし、今日多くの人々は彼らの指導をマス・メディア、テレビ、映画、そして新聞から得ていると思われます。しかし、私たち自身の市民に対して為されているこの沈黙の戦争について私たちに警告を発する新聞やマス・メディアがどこにあるでしょうか? [3]
ですから、私たちの国の法律が罪あるもの(すなわち、中絶を犯す人々)を守り、そして最も罪のない者を無防備のままに放置するために変えられたから、そして中絶が税金で支払われているから、この不正がカナダ人およびアメリカ人の大多数によって精力的に反対されてこなかったから、私たちの多くは、さまざまの程度において、神の前でこの「言葉では言い表しようのない罪」(第二ヴァチカン公会議、喜びと希望、51節)のために罪ある者です。そのことを聖書は私たちに「復讐を求めて天に叫び声を上げている」と告げています。
アメリカおよび他のところでの罪の証拠の第三の点は高利子率です。それは彼らの担保や個人的ローンに対するこれらの利率を払わなければならない多くの個人に大きな困難を引き起こし、またそれはそれ自身罪深いことです。そのような利子率は神の律法に反する高利の例であり、私有財産に対する神によって与えられた私たちの権利を攻撃します。大きな害がこれらの利子率によって私たちの国の社会構造に対して与えられます。というのはそれらは実際の私的財産の数を減らし、それによってさらに少数者の手により大きな経済力を集中するからです。その結果として、時間を超えて、ますます多くの人々が彼らの実際の自由において切りつめられます。なぜなら、真の経済的自由なしには、非常にわずかしか真の政治的あるいは人格的自由は存在しないだろうからです。
非常に多くの人々による私有財産の直接的な所有はすべての市民にとって人格的および現実政治的自由の必要な柱の一つです。他方において、比較的少数の人々が生産の手段を所有あるいは統制するとき、これらの少数者は彼らの規則を個人の給与所得者たちへの経済的押しつけを通じて、社会の政治家たちおよび指導者の操作を通じて、そして彼らの過度の富が彼らに与える権力によるマス・メディアの統制を通じて、彼らの規則を社会の残りの者の上に押しつけることが可能です。
カナダおよび合衆国の政府(連邦および地方)が私たちの神から与えられた諸権利を徐々に奪っている--あるいは奪おうと準備している--ということは単に生命への権利においてばかりではなく、また他の非常に重要な諸権利においてであります。例えば、カナダにおいて、最近の「権利章典」では、連邦および地方の政府は章典の中へ、彼あるいは彼らの良心あるいは宗教の自由な行使への個人あるは何らかの集団の権利を無効にする彼らのための権力を書き込みました。ある人々は、私たちは、いかなる政府もこれまでに個人の良心を無視するこの権力を発動したことはないから心配するには及ばないと言うでしょう。もし彼らがこのことを決してしないならば、なぜ政府はそれを章典の中へ書き込んだのでしょうか?
もし政府が、政府自身は神に対して責任を負っている、そしてただ神からだけ(そしてただ神が政府に権威を与えるかぎりでだけ)支配する権威を得ているという考えを実践において、そして法律において受け入れるならば、そのときそれらの政府は、逆に、実践において政府よりも大きな権威は存在しないと見なすでしょう。もしこの流れが逆にされないならば、彼らは時代を超えて、彼らの意志が神の律法に反しているときでさえ、そしてその市民の神から与えられたそして譲り渡すことのできない諸権利に反しているときでさえ、絶対的そして全体的な従順を要求するでしょう。
そこで、私たち北アメリカにおいてそして他の所で現代の政府がますます、何らかの道徳的抑制によって彼らの権力を制限させるという考えを拒否してきたということを見ています。そのことは、彼らが道徳的真空において働き、そしてますます全体主義的になっているということを意味します。
そこでこの時に、私たちは特に偉大な政治家、ウィリアム・ペンによって与えられた警告を思い起こさなければなりません。「もし人々が神の律法によって支配されないならば、彼らは専制君主によって支配されるであろう」。
そしてここには私たちの時代に関して教皇たちのいくつかの声明があります。「私たちが時の終わりに来るべき悪の前味わいと始まりを経験している、そして使徒が話している滅びの子がすでに地上に到着したということを恐れる余地があります」(教皇聖ピオ十世、回勅、至高の使徒職[Suprema Apostolatus]、1903--外部から教会を攻撃するフリーメーソンの反キリスト教運動、および内部から教会を覆す近代主義の運動に言及しながら)。
「サタンの煙が教会の中へ入り込んでいます。悪魔のしっぽはカトリック世界の解体において働いています。」(教皇パウロ六世)
これらの堕落させる影響が私たちの国に、そして世界と教会の中へ、神の敵どもと私たちの国の敵どものよく考えられた計画なしにやって来たと考えることへと欺かれてはいけません。サタンによって導かれて、これらの人々は私たちを堕落させ、欺き、奴隷化するためのよく考えられた計画を持っています。ここに教会および合法的な市民政府の転覆をたくらんだ秘密組織の一つからの引用があります。このメーソン的な社会は、短剣は教皇制を崩壊させるには十分ではない、なぜなら、他の教皇が選挙されるだろうから、と言いました。そして教皇制を崩壊させるために、彼らはこう言いました。「キリスト教徒たちに罪を犯させるのではなく、むしろキリスト教徒たちの心を堕落させよう。」彼らを直接引用すれば、彼らはこう言ったのです。
「大衆の中に悪徳の放送を広めよう。彼らにそれを彼らの五感を通じて呼吸させよう。かれらにそれを飲ませ、それで酔いしれるようにならせよう....人々の心を堕落させ、悪意ある者にさせよう。そうすれば、あなたたちはもはやカトリックを持たないであろう。司祭たちを彼らの仕事から、祭壇からそして徳の実行から引き離せ....教会を致命的に傷つける最善の短剣は堕落である。」(デニス・ファヘイ神父、C.C.Sp., 『キリストの王たることと組織化された自然主義』、pp.18-19によって引用されたもの)。
ファチマの聖母は戦闘的無神論者たちが「世界中に彼らの誤謬を広める」-- もし私たちが彼女の警告に注意を払わないならば -- と警告されました。彼女はまた「御子を非常に不快にさせるであろうある種のファッションが導入されるでしょう」とも言われました。聖母は私たちの敵どもが私たちの信仰と私たちの道徳を堕落させるためのよく考えられた計画を持っているということを指摘なさいました。
戦闘的無神論者とは、定義によって、単に神を信じないばかりでなく、人々に彼らの無神論を押しつけるために、働き、戦い、そして彼らができるどのような手段をも(彼らは正しいことと誤ったことのどんな考慮によっても拘束されません)用いる人々です。全世界に対する彼らの専制的な支配をもたらすために戦闘的無神論のさまざまの支部の間の協力について文書としての証拠があります。[5]
人々がその危険に目覚めるので、戦闘的無神論者たちがすべてを公然と遂行することができないから、西欧世界における多くの戦闘的無神論者は彼らの無神論を、あるいは戦闘的無神論の抑圧的なくびきの下に社会を欺き、覆し、支配する彼らの目標を公然とは宣言しません。戦闘的無神論者は非常に危険な敵です。彼は私たちの永遠の救いにとって特に危険です。というのは、彼はもし可能ならば、力を用いるでしょう。そして私たち一人ひとりに彼の無神論を押しつけようとするために、同様にごまかしを用いるからです。どのような理由でであれ、彼の教義を受け入れることは私たち自身から永遠の救いを奪うことです。なぜなら、救われるために「人間にとって、神が存在するということ、そして、神は神を求める人々に報われるということを信じること」は必要なことだからです。(ヘブ 11:6)。
戦闘的無神論者たちの欺きに欺かれないようにしましょう。彼らの欺きと嘘を避けるために毎日ロザリオを祈りなさい。また、過去250年間の教皇たちがフリーメーソンのセクトおよびその実践とその教義を非難されてきたということを思い起こしましょう。教皇ヨハネ・パウロ二世は信仰教義聖省を通じて、最近、フリーメーソンに加入するどのカトリックに対しても為された破門を再確認されました。(1981年2月17日の布告を見よ。)(1983年11月26日のラッツィンガー枢機卿と聖座による宣言を見よ。)
軍事力によって、そして私たちの社会の転覆によって悪魔の嘘を広めている共産主義者たちの公然たる戦闘的無神論に加えて、増大する薬物やアルコールの乱用ならびに避妊薬(器具)や不妊化[手術]の広く行き渡った使用によって証拠づけられるように、世俗的ヒューマニズムやまた人々の間での道徳的基準の計画された衰退のような、他の悪魔的なもろもろの誤謬や運動が私たちの国そして西欧世界において起こっています。
信仰と道徳に反するこれらの誤謬は悪魔と地上における彼の子分たちによって私たちの国民の間に拡がっています。そしてそれらの範囲は私たちの国にとって悪いことを予告しています。戦闘的無神論者たちは、彼らがある国を征服し、奴隷化する前に、まず第一に人々の道徳的転落をもたらし、彼らを罪の奴隷にしなければならないということを知っています。そのとき、彼らは人々が彼らと彼らのたくらみに、そして彼らの公然たる軍事力 -- それによって、彼らは国を奴隷化する、非常に悪辣、残酷そして極端に苦痛な奴隷状態へと奴隷化します --に抵抗するに必要な霊的力を持たないであろうということを知っています。
旧約聖書における預言者バラームは当時神の民であった人々をうち負かす手助けをするように頼まれました。バラームは神がその民を護っておられるので彼らは勝つことができないと敵どもに答えました。しかし、バラームは神の敵どもに続けてこう言いました。もし彼らが神の民を十分に罪を犯させることができたならば、そのとき神はその民を護ることがお出来にならず、それで神の敵どもが勝つことができるでしょう、と。それで、神の敵どもは、それ以後そして今もその同じ戦闘計画に従うのです。すなわち、まず最初に神の民に十分に罪を犯させよ -- 次ぎに、神の敵どもは戦争において勝利することができるでしょう。というのは、神はその保護を取り除かれるだろうからです。このように戦闘的無神論者たちはとりわけカトリック者たち -- 新しい永遠の契約の神の民 -- を堕落させようと努めます。そして彼らは大いに成功しつつあります。
2 中絶の重要な統計はカナダの統計から。戦争の統計は世界年鑑から。
3 1965年の第二ヴァチカン公会議におけるカトリック司教の集会は世界中の新聞、テレビを含むマス・メディアの大部分は戦闘的無神論者である非常に小さなグループによって統制されていると述べている一つのレポートを与えられました。
4 この小冊子の第4部を見よ。
5 例えば、デニス・ファヘイ神父の書物、『ロシアの支配者たち』を見よ。そこでは、彼は北アメリカにおける非常に強力な戦闘的無神論者たちが1917年のロシアにおける革命を財政的に助けたということを示しています。レオン・ド・ポンシスの書物、『フリーメーソンとヴァチカン』を見よ。それは、彼らの間で世界を分割するために為された東西の戦闘的無神論者たちの間の1943−1945年の協力に言及しています。その協力はヤルタ会談に終わりました。それによってスターリンとソビエト・ロシアは事実上世界の半分を与えられました。また、ローマの教皇庁の諸大学で教えた司祭、ヴィンセント・P.ミセリ神父、S.J.,Ph.D.によって書かれた書物、『反キリスト』を見よ。その書物はすでに5版であり、ニューヨーク大司教区からの印刷・出版許可を得ています。その本の中で、ミセリ神父は悪魔とその追随者たちの北アメリカ社会、国際政治、そして教会それ自身さえへの侵入の最近の例を含む悪の諸力に関する歴史的証拠と神学的背景を述べています。
私たちの頭を上げ、私たちの希望を神に上げましょう。なぜなら、神は祝せられたおとめが悪魔とその追随者たち、そして彼のたくらみをうち負かすだろうと仰ったからです。「私は、おまえと女との間に、おまえのすえと女のすえとの間に、敵意を置く。女のすえは、おまえの頭を踏みくだき、おまえのすえは、女のすえのかかとをねらうであろう」(創世記 3:15)。
そして祝せられたおとめは私たちの時代にファチマに来られ、私たちに悪のこれらすべての力に対して、私たちの時代における勝利を約束なさいました。「最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献するでしょう。ロシアは回心し、平和の時期が人類に与えられるでしょう。」
ファチマの聖母は戦闘的無神論者たちが全世界に彼らの誤謬を広めるであろうと預言し予告されました。そしてこのようにまた、もし私たちが彼女の母としての警告と簡単な要求に耳を傾けなかったならば、アメリカ中もそうなるでしょう。戦闘的無神論者たちの誤謬は、私たちの生活の一つひとつにおいて最も重要な目的は私たちの霊魂を救うこと、そして天国の永遠の幸福を得ることであるということを教えるよりもむしろ、私たちに神を無視するように教える教義、私たちの公的な法律や制度は神の律法に一致する必要はないと私たちに教える教義、人間生活の目標は金銭、よこしまな快楽、世間的な人々からの名誉であると個人や家庭に教えるあの教義を含んでいます。アメリカおよび世界における危機は、もし私たちが聖母へと立ち帰り、彼女がファチマで私たち一人ひとりにお求めになっていることをするならば、今もなお克服することができます。彼女自身の言葉で言えば、彼女はこう言われたのです。「もし私の要求が注意を払われるならば、ロシアは回心し、平和の一時期が人類に与えられるでしょう。」
聖母は、ファチマで3人の子どもたちに御出現になったときいつも、ロザリオを祈るように私たちにお求めになりました。聖母はまたスカプラリオを身につけるように私たちにお求めになりました。[6]1917年10月13日、最後の御出現のとき、聖母は沈黙のうちにスカプラリオを差し出されました。ルシアは祝せられた御母は、すべての人がそれを身につけることを望んでおられると言いました。「スカプラリオとロザリオは切り離すことができません。」聖母はまたこう言われました。「もし人々が私があなたに言っていることをするならば、多くの霊魂が救われ、平和があるでしょう」と言われました。
彼女は、ファチマで彼女が私たちの一人ひとりに彼女のメッセージを通じて呼びかけられた平和計画と要求に従うことによって以外には、それによって私たちが真の平和と真の社会の調和および秩序を達成するべき他の解決はないと私たちに告げられました。これらの要求はシスター・ルシアによって平和誓約定式のうちに要約されました。それは以下のとおりです。
ファチマでロシアを回心させ、全人類に平和をもたらすことを約束なさった愛する元后にして御母、私の罪と全世界の罪のためにあなたの汚れなき御心に対する償いとして、私は厳かに次の約束をします。(1)私の日々の義務によって要求される犠牲を毎日捧げます。(2)毎日、玄義を黙想しながら、ロザリオの一部(5連)を唱えます。(3)この約束の公言として、そしてあなたへの奉献の行為としてカルメル山のスカプラリオを身につけます。私はこの約束をしばしば、特に誘惑のときに、更新します。
有名な聖痕司祭、ピオ神父は私たちのうちの十分な者が聖母に対するこの約束を守るとき、ロシアは回心し、真の平和があるだろうと言いました。
今日世界を破壊しているのは罪です。ファチマの聖母は「戦争は罪に対する罰です」と言われました。十分な人々がファチマの聖母の要求を喜んで聞き届けず、罪を放棄しないから、未来は私たちのために何を用意しているでしょうか?
第二次世界大戦 -- すべての歴史の中で最も血なまぐさかった戦争 -- が終結した二三ヶ月後に教皇ピオ十二世はこう警告されました。「人々は人類がこれまで見たことがなかったような苦しみのために準備しておかなければなりません。」
キリストの代理者は、私たちが、ノアと彼の家族だけを除いて全人類を拭い去った大洪水よりもいっそう悪い苦しみのために、人類の長い歴史であったすべての戦争と災厄よりも悪い苦しみのために、準備しておかなければならないと指摘されました。
そうです。これが未来がアメリカ、そして世界のために保持しているものです。
-- もし十分な数の人々がなおファチマの聖母の要求をかなえるために見出され得ないならば、人類が決して見たことがないような苦しみ -- です。
時がどれほど遅くても、脅威となっているこれらの災厄がまだ襲って来ていないかぎり、もし十分な数の人々が彼らの生活を改め、神がお求めになることをするならば、それらの災厄を避ける希望はまだあります。私たちは旧約聖書(ヨナ 第3章)のうちに、全能の神がニネヴェの人々に40日以内に彼らの町は滅ぼされるであろうと警告するために預言者ヨナスをお送りになったということを読みます。その知らせを受け取って、王は直ちに断食と禁欲を宣言し、人々に荒布をまとい灰をかぶるように、大きな悔い改めをし、彼らの心の中の悪と罪を放棄するように、告げました。 -- そして彼らはそうしました。全能の神はお喜びになりました。そして40日の終わりにニネヴェはまだ立っていました。神は十分な償いがなされたので、町を救われました。
私たちはまた旧約聖書(創世記 第18章)において、神が彼らのうちに十人の義人が見出されたならば、ソドムとゴモラを救われたであろうということを読みます。
今日、全能の神はもし、それに相当して、喜んで償いをしようとしている -- 喜んで「天からの平和計画」に従おうとしている -- 十人の「義人」が見出され得るならば、アメリカを、そして全世界をさえ、私たちのために予告されている恐るべき罰から救われるでしょう。
聖母は人々が毎日のロザリオを唱えることを願われ、強調されています。償いはその多くの罪のために正当な罰において世界を打つことから神の手をとどめます。ロザリオは神の御母が異端や悪の諸力を切り離すために用いることがお出来になる剣あるいは武器のようなものです。それは最も強力です。そして今日私たちが直面しているような悪い状況から世界を何度も救いました。
数世紀前、トルコ人たちは全ヨーロッパを侵略し、キリスト教を今にも拭い去ろうとするように思われました。全てが失われたと思われたとき、教皇ピオ五世は一つのロザリオ十字軍を組織しました。彼はカトリック教徒たちにどこででも聖母に間近に迫った災厄から彼らを救い出してくださるように願うためにロザリオを祈るように求めました。大きな戦闘の日が来たとき、キリスト教徒の兵士たちは文字通り片手に剣、片手にロザリオを持って戦場に行きました。このようにして、10月7日いとも聖なるロザリオの祝日に、全歴史の中で最大の軍事的転覆の一つがレパントで起こりました。小さなキリスト教側の艦隊は圧倒的に数の多い、強大なトルコの艦隊をうち負かしました。そしてキリスト教は救われました -- すべてはロザリオの力を通してでした。
広島にある聖母被昇天教会の司祭館はその都市の20万人を殺した原子爆弾の後、1945年8月6日にも立って残っていました。司祭館の隣のドアの教会は原子爆弾の爆風で完全に破壊されていました。外の通りに立って残っているものは何一つありませんでした。事実、外には通りがありませんでした。そのすべてのものもまた完全に破壊されていました。ただ司祭館だけが周りの瓦礫の真ん中に立っていました。そして中にいた4人のカトリック司祭は最初の原子爆弾の爆風から生き残りました。彼らが確実な死から救われたのは、彼らがファチマの聖母のメッセージを生きていたからです[7]。実際、聖母と彼女のロザリオは原子爆弾よりも強力でさえあるのです。
ロザリオの力の多くの例があります。私たちの時代における別の例を挙げれば -- 1955年に、一人の人間も殺されることなく、そして一発の弾丸も発射されることなしに、ロシア軍がオーストリアから撤退しました。マルキシズムの戦闘的無神論的軍隊が勢力を保持していた国から平和的に引き上げたのはこれが最初です。オーストリアのカトリックの人々にとってのこの勝利は聖母と彼女のロザリオによるものです。というのは、その当時オーストリアの10%の人々が毎日ロザリオを祈っていたからです。私たちがオーストリアのこの例から見ることができるように、ロザリオは銃や爆弾よりももっと強力です。ロザリオの力を通じて戦闘的無神論の軍隊はオーストリアにその自由を返しました。神は、聖書が次のように言っているように、どのような人間の心をも和らげる力を持っておられます。「王の心は神の御手のうちにある。」神は、聖母の取りなしを通じて、そして聖なるロザリオの祈りを通じて、ロシアの支配者たちの心を和らげ、そしてこのようにして彼らはオーストリアにその自由を返しました。ファチマのシスター・ルシアはロザリオと私たちの犠牲によって効果的に解決され得ない問題、 - 物質的あるいは道徳的、国家的あるいは国際的であれ - はない、と言いました。
私たちはポーランドにおける出来事から、共産主義が世界支配、そして私たち一人ひとりの奴隷化というその目標を変えなかったということを見ることがでできます。今日私たちは皆、あらゆる側面で共産主義と戦闘的無神論によって非常に大きな脅威にさらされています。しかし祝せられたおとめマリアは、もし十分な人々が毎日ロザリオを祈るならば、悪のこれらの勢力を急速に克服することがお出来になります。
特に勧められるのは家庭のロザリオです。なぜなら、「一緒に祈る家庭は一緒にとどまる」からです。そして今日私たちの家庭はあらゆる側面における崩壊によって脅威にさらされているからです。そしてこの点において、教皇聖ピオ十世は言われました。「ロザリオはすべての祈りの恵みの中で最も美しく、また最も豊かなものです。それは神の御母の心を最も感動させる祈りです....そしてもしあなたが、あなたの家庭の中に支配する平和を願うならば、家庭ロザリオを唱えなさい。」
ここに家庭ロザリオに関して、他のローマ教皇たちの何人かの方が言われたことがあります。「もしあなたがあなたの心のうちに、あなたの家庭のうちに、あなたの国のうちに平和を望むならば、毎晩ロザリオを唱えるために集まりなさい。」-- 教皇ピオ九世
「ロザリオを毎日唱えることよりも、家庭の上に神の祝福を呼びおろすもっと確実な手段は他にありません....」-- 教皇ピオ十二世
「マリアのロザリオがその古い栄誉を保持している家庭においては....誤謬と悪意のある無知による信仰の喪失を恐れる必用はない....と言っても言い過ぎではありません。」-- 教皇レオ十三世
ファチマにおいて、聖母は私たちに、ロザリオの各連の終わりに次の祈りを唱えるようにお求めになりました。「ああ、イエズスよ、私たちの罪を赦してください。私たちを地獄の火から護ってください。すべての霊魂、ことに憐れみを最も必要としている霊魂を天国に導いてください。」
あなたたちが思い出されるように、ローマカトリック教会の教導職は私たちにファチマのメッセージを信じ、実践するように勧めました。そのメッセージは単純に私たちをイエズス・キリストの福音を生きることへと立ち帰らせるための呼びかけです。ファチマの司教は、ファチマの出来事の最も完全な、科学的なそして神学的な検討の後に、聖母への信心の促進を公認しました。教皇ピオ十二世はファチマのメッセージを積極的に促進し、ファチマの教皇と呼ばれることを喜ばれました。教皇ヨハネ二十三世はまたこう言われました。「私たちはあなたたちに心の単純さと精神の誠実さをもって神の御母の救いへ導く警告に耳を傾けることを熱心に勧めます。」教皇パウロ六世はヴァチカン公会議でファチマに黄金のバラを送ったと宣言されました。
1965年5月13日、教皇パウロ六世は教皇使節を通じて、ファチマで黄金のバラを奉納されました。そして同時に彼は「全教会」をファチマの聖母の御保護の下に委ねられました。
彼自身、1967年、そこでの聖母の最初の御出現の50周年記念日に、平和のための巡礼者としてファチマへ行かれました。彼はファチマへの彼の巡礼の機会に回勅を書かれました。彼は、70カ国[それぞれ]を常に巡るための70体の全国巡礼[聖母]像を、これらの国々がファチマのメッセージを思い起こし、実践するようにと、祝福されました。
カナダと合衆国は教皇によって祝福された一体の全国巡礼像を持つこの特別の恵みを与えられるように祝されました。教皇ヨハネ・パウロ二世は聖母の偉大な信奉者です。彼はその盾形の紋章 - そこには "Totus Tuus" すなわち、「ああ、マリアよ、私はまったくあなたのものです」という言葉が記されています - によって、聖母に対する彼の個人的な奉献について絶えず公的に宣言しておられます。彼は、枢機卿として二度、ファチマの聖母がお求めになったこと - すなわち、世界のすべてのカトリックの司教たちと共に、教皇がある特別の日に、ロシアをマリアの汚れなき御心に奉献すること - を教皇に求める請願書に署名されました。彼はこう書きました。
「私たちは教会の御母への信頼する信任のこの行為を通じて、人類が無神論、戦争そして完全な破壊から救われるであろうと信じます。神の御母は、教皇よ、あなたと共におられるでしょう。そしてその救いのために世界と共におられるでしょう。そこにはキリストのために平和と勝利の時代が起こるでしょう。」
教皇ヨハネ・パウロ二世はファチマの聖母がお求めになったようにすることを望んでおられます。彼は毎月の初土曜日にヴァチカン・ラジオでロザリオの祈りを先唱しておられます。「ロザリオは私の気に入っている祈りです」と教皇ヨハネ・パウロ二世は言われました。彼自身ファチマの聖母のメッセージを絶えず広めることを推奨されています。
この小冊子において私たちが見て来ましたように、ファチマのメッセージとその預言や警告はこれまでよりも1990年代の現在の私たち皆にとってもっと重要です。私たちは皆、ロシアが1917年には力がなかったこと、しかし、1990年には世界で最も強力な国家であること、ロシアが世界の三分の一を奴隷化したことを知っています。聖母は私たち全てが、世界中どこででも、もし私たちがファチマの彼女のメッセージに注意を払わないならば、奴隷化されるであろうと予告されました。ある人々はファチマのこの予言はこの時期にここ私たち自身の国では私たちには起こらないだろうと感じているかもしれません。この小冊子を読んだのですから、あなたは自分自身で、それが遅すぎない前に、これまで以上にもっと、私たちがファチマのメッセージに注意を払う必要があるということを見ることができます。
今私たちの前にある問題は、私たちの時代における多くの霊魂に平和と救いをもたらすために、あなたや私が時間に遅れないように彼女のメッセージ、彼女の子どもたちである私たちに対する彼女の母としての訴え、に注意を払うかどうかということです。もし私たちが彼女を無視するならば、誰も私たちを助けることはできません。そして誰も私たちを助けないでしょう。もし私たちが彼女を無視するならば、神御自身が私たちをお助けにならないでしょう。というのは、神は、平和と国際的な安全を持つために私たちが為さなければならないことを私たちに告げるためにその御母をお送りになったからです。もし私たちがファチマのメッセージを無視するならば、私たちは神の最後の警告を無視しているのです。そしてそれは確かに「多くの民族が絶滅するだろう」ということです。
非常に多くの人々の、そして多くの民族のこの破滅が、それは危険な道に従うことである、すなわち、それは私たちを神から連れ去り、自己破壊へと導く道であるという事実に人類を目覚めさせるためには必要ではないだろうということを希望し、働き、そして祈りましょう。私たちの役割を果たしましょう。それは聖母によって見過ごされることはないでしょう。私たちの努力は確かに報われるでしょう。私たちは一人ひとり、個人的に、愛と関心の彼女の母としてのメッセージに耳を傾けたことに対して今そして永遠に、私たち自身の報酬を受けるでしょう。もし私たちの時代に私たちのうちの十分な者が彼女に耳を傾けるならば、そのとき、真のキリスト教的平和が全世界に来るでしょう。そしてロシアはキリストの信仰、カトリック信仰へ回心するでしょう。
聖ヤコブはなすべき良いことを知っていながら行なわないならば、それは罪であると言いました。(ヤコ 4:17)私たちは良いことをすることができます。私たちは世界に平和をもたらすことができます。私たちは起ころうとしている核戦争を止めることができます。私たちはファチマの聖母の簡単な要求を満たすことによってそれをする力を持っています。それは難しすぎるものではありません。あなたはそうする意志がありますか? それともあなたは悪を行ないますか? 平和はあなたにかかっています!
6 祝せられたおとめマリアはカルメル山の聖母のスカプラリオに登録したカトリック信者に次のように約束されました。「このスカプラリオを身につけなさい。それを身につけて死ぬ人は誰でも、永遠の火で苦しまないでしょう。それは救いのしるし -- 危険における護り、平和の保証 -- でしょう。」この約束は英国で1251年に聖シモン・ストックに対して為されました。そしてその時以来多くの教皇たちが過去700年間を通じてカトリック信者にスカプラリオを身につけることを推奨してきました。教皇パウロ六世は、1965年2月2日に、ヴァチカン公会議が聖母への信心について書いたことを説明しながら、次のような言葉を述べられました。「教会の教導職によって数世紀の間推奨されてきたいとも聖なるおとめへの信心の実践と実行を大いに尊重しなさい。それらの中で私たちは特にマリアのロザリオとカルメル山のスカプラリオの宗教的な使用を思い起こすことをよいことだと考えます。」
7 これらの司祭の一人であるフーベルト・シッファー神父は、原子爆弾が破裂したとき、爆心地からわずか8ブロックのところに位置していた司祭館にいました。200人以上の専門家たちがその後引き続いて、彼がどのようにして生き残ることができたかをいぶかりながら、彼を研究しました。彼は自分のロザリオを示すことによって答えています。彼はファチマのメッセージはヒロシマのメッセージに関係づけられていると言っています。すなわち、私たちは平和のために祈り、そして聖母が予告されたように生き残るか、それとも、「全民族の絶滅」をさえ見るかのいずれかであるというメッセージです。
ファチマの聖母はルシア、ジャシンタ、フランシスコに御出現になりました。彼女は彼らにいたるところで信者たちに届けられるべきメッセージをお与えになりました。彼女は彼らに、人々は罪を犯すことをやめ、神に立ち帰らなければならないと告げられました。彼女は、私たちが毎日ロザリオを祈らなければならない、そして日々の生活における私たちの状況の義務を果たさなければならないと私たちに告げられました。
神はすべての人々が神の御母の緊急の訴えに耳を傾けるようにファチマで7万人の人々の前で非常に大きな奇跡を行なわれました。彼女はその子どもたちである私たちに対するその母としての関心からファチマに来られました。しかし、もし私たちが彼女を無視するならば、そのとき恐るべき事柄が起こるでしょう。多くの霊魂は永遠に地獄に行くでしょう -- そして地上の私たちは皆共産主義の世界的な監獄の中で奴隷化されるでしょう。もし私たちが耳を傾けるならば -- 真の平和が世界に与えられ、そして多くの霊魂は天国における永遠の幸福に値するでしょう。
聖母はこう言われました。「多くの霊魂は彼らのために祈り、彼らのために犠牲を捧げる人を誰も持っていないから地獄へ行くのです。」
「もしあなたが私があなたに告げることをするならば、多くの霊魂は救われ、平和が来るでしょう。」しかし、特に彼女が次のように言われたことを思い起こしましょう。「もし私の要求が聞き入れられるならば、ロシアは回心し、そこには平和があるでしょう。」
「もし私の要求が聞き入れられないならば、ロシアは戦争と教会に対する迫害を引き起こしながらその誤謬を世界中に拡げるでしょう。よい人々は殉教し、教皇は大いに苦しむでしょう -- いくつかの民族は絶滅させられるでしょう。」
ファチマのシスター・ルシアは世界にファチマの聖母のメッセージを説明するために地上に残されました。彼女は、もし私たちが聖母の要求に注意を払わないならば、そのとき共産主義が合衆国を含む全世界を奴隷化するでしょうとはっきりと述べられました。
世界に平和が与えられ、共産主義が転覆され、諸民族の絶滅が避けられるために個々のカトリック信者は何をしなければならないかという問いに対して、シスター・ルシアは以下のような、平和の誓いの定式を与えました。
ファチマでロシアを回心させ、全人類に平和をもたらすことを約束なさった愛する元后にして御母よ、私の罪と全世界の民のためにあなたの汚れなき御心への償いとして、私は厳かに次のことを誓います。1)私の日々の義務によって要求される犠牲を毎日捧げます。2)玄義を黙想しながら、毎日ロザリオの一部(5連)を唱えます。3)この約束を公言し、またあなたへの奉献の行為として、カルメル山のスカプラリオを身につけます。私はこの約束をしばしば、特に誘惑のときに、更新します。
署名....................................
(この誓約は厳粛な誓約ではありません。また罪の苦痛の下に拘束するものではありません。それにもかかわらず、それは一つの約束です -- あなたの言葉はあなたの天上の御母に対して捧げられます。)
注意:洗礼を受けたカトリック信者は誓約をするために公式にスカプラリオの登録を許されます。非カトリック者は茶色のスカプラリオを身につけることが許され、そうすることに対する祝福を受けるでしょう。
私たちはあなたたち一人ひとりに、上に述べたこの平和の誓いを守り、誓いにあなたの名前をサインするように、聖母に誓約することを強く勧めます。
私たちはあなたが名前と住所を送り、あなたが誓約にサインしたことを私たちに知らせてくださるよう提案します。(しかし、あなたの名前と住所を送ってくださらなくても、あなたは誓いを果たすとただ聖母に誓約されることだけによってもロザリオ十字軍に参加することができます。)もしあなたがすでに誓約にサインされたのであれば、あなたの決心、聖母に対するあなたの約束を更新することはよいことでしょう。そしてこの小冊子をあなたの生涯の残りのために誓約を守るようにあなたに思い起こさせるものとして役立たせてください。)
もちろん、この誓約において要約されたような彼女の要求を果たすことに加えて、もし私たちが、ファチマの子どもたちがしたようなもっと多く祈り、もっと多くの犠牲をするならば、聖母は特に喜ばれるでしょう。ファチマの5回の初土曜日を守り、そしてマリアの汚れなき御心をもっとよく知らせましょう。ファチマの聖母の教えについてもっと多く学び、そして常に私たちの霊的な御母に対してできるかぎり寛大であるように努めましょう。
ああ、天地の元后、人々の優しき御母、マリアの汚れなき御心よ、ファチマでお知らせになったあなたの熱烈なお望みに一致して、私はあなたに私自身、私の兄弟たち、私の国そして全人類を奉献します。
私たちに君臨し、イエズスの聖心があなたにおいて君臨し、勝利なさったように、どのように私たちにおいて君臨し、勝利なさるかを私たちに教えてください。
いとも愛する御母、私たちが繁栄においても逆境においても、喜びにおいても悲しみにおいても、健康なときも病気のときも、生においても死においても、あなたのうちにありますように、私たちに君臨してください。
ああ、おとめたちの元后、マリアのいとも思いやりのある御心よ、私たちの精神と心を見守り、あなたがファチマでそのように悲しみに満ちて嘆かれた不純の洪水からそれらを守ってください。私たちはあなたのように純粋でありたいと望みます。私たちは私たちの国と全世界の上に正義と愛における神の平和を呼びおろしたいと望みます。
ですから、私たちは今人間的な尊敬を顧慮しないでキリスト教的生活の実践によってあなたの諸徳を模倣することを約束します。
私たちは定期的に聖体拝領をし、毎日あなたに5連のロザリオを、私たちの犠牲と共に、償いと痛悔の精神において、捧げる決心をします。アーメン。
私たちはまたあなたたちにあなたたちの地域であなたの友人や隣人たちと共にブロック・ロザリオのグループを作ることを強く勧めます。私たちの国のためにロザリオを祈るために、毎週同じ時間にあなたたちの家庭の一つに集まりなさい。また私たちの司教や教皇のために、彼らが、ファチマの聖母を通じて神が要求なさった形でマリアの汚れなき御心にロシアを奉献することによって世界に平和をもたらすために彼らの役割を果たすように、祈りなさい。このブロック・ロザリオを、ただロザリオを祈るためだけに集まることによって、霊的にそして単純に保ちなさい。これらの機会に気晴らしに奉仕したり、あるいは討論をしたり、あるいは長い会話をしてはいけません。それは一つの社会的なイベントではありません。あなたの地域のブロック・ロザリオに、それを一つの社会的イベントへと変えさせることによって少しづつその霊的目的を失わせてはいけません。
あなたとあなたの友人たちはまた、私たちの国と全世界における平和のためのロザリオを祈るために毎週同じ時間にあなたの小教区の教会に集まるよう努力するとよいでしょう。もちろん、そうする前に、他の何かあることがあなたが選んだ時間のために予定が入ることも起こるでしょうから、あなたの小教区の司祭に、教会の中で声を出してロザリオを祈る許可を求めなさい。
多くの小教区は週日および日曜日の各ミサの前にロザリオを声を出して祈る慣行を導入しました。あなたは、小教区のグループで、この慣行をあなたの小教区に導入することを許可して貰えるようにあなたの司祭に願うことができるでしょう。
ファチマの聖母によってシスター・ルシアに指示されたような平和の誓いの定式にサインし、守ることによってあなたの役割を今日引き受けなさい。そして悪魔の諸計画そして私たちの中心にいる戦闘的無神論者たちの計画からカナダと合衆国を救うという特別の意向のために友人たちのグループと一緒に週に一度ロザリオを唱えることを確立しなさい。
毎日のロザリオを祈ることと同様に、私たちは、教会、あるいは家庭で、神が私たちの国と全世界に平和をもたらしてくださるように、(ロザリオを祈るために)あなたと家族と共に、あるいは独りで、ロザリオを祈るための毎週15分あるいは1時間を取っておくことを強く勧めます。
私たちは、私たちの国そして世界における平和のためにロザリオを祈る時間と日について私たちに知らせるためにファチマ・ロザリオ十字軍本部へ略式の手紙で送ってくださることをあなたたちに勧めます。この知らせによって、私たちは、あらゆる地域で私たちの人々と土地の上に神の祝福と保護を呼びおろす週168時間を通じて神と祝せられたおとめマリアへと登ってゆく多くの祈りが為されるように、私たちの国を貫いて祈りの恒常的な徹夜課をあなたや他の人々が組織するのを助けることができるでしょう。
私たちはまたこの小冊子をあなたの友人、親戚、知人たちに伝えるようにあなたたちに強く薦めます。あなたが話しかけるすべての人にコピーを渡し、会話の中でそれについて話してください。あなたが書くあらゆる手紙の中にコピーを同封してください。そしてあなたのすべてのクリスマス・カード・リストに載っているすべての人にコピーを送ってください。あなたが参加するあらゆる集会で配布し、読むためにコピーを取ってください。あなたの市民的および宗教的グループが彼らのプロジェクトの一つとしてロザリオを促進するように同意させてください。あなたのグループにこの小冊子を配布することを助けるように願ってください。余分のコピーは以下の所から手に入ります。
The Fatima Center
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この小冊子をその全体において、一度に、あるいはシリーズの形で、あなたのブレティン、ニュースレター、雑誌および新聞において復刻してください。あなたはそれを何も変更しないならば、そして「ファチマ・ロザリオ・クルーセイド」がその論文を持っていると認めて、住所を含むならば、それを翻刻することが許されます。
あなたは特にこの小冊子を C.W.L.,Knights of Columbus, レジオ・マリエ、プロ・ライフ・グループ、あなたのマリア・グループやファチマ・グループ、第三会、地方の組合や職業連盟、政治的グループなどの注意を促すように試みるとよいでしょう。それを働かせてください。一緒に働いている人、顧客や患者たちにコピーを渡してください。それを宗教雑誌や新聞に伝えてください。それを復刻するように彼らに頼んでください。
私たちは言葉をあなたの友人たちや隣人たちに伝えるためにあなたの助けを必要としています。そしてもしできるならば、何らかの財政的な援助を - 私たちの本部に送られた寄付金は印刷のためそしてファチマ・ロザリオ・クルーセイドを継続する費用のために用いられるでしょう。
十字のしるし:
+ 聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊(せいれい)との御名(みな)によりて。アーメン。
使徒信経:
われは、天地の創造主、全能の父なる天主を信じ、またその御独り子、われらの主イエズス・キリスト、すなわち、聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ、ポンシオ・ピラトの管下(かんか)にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して葬られ、古聖所(こせいしょ)に降りて三日目に死者のうちよりよみがえり、天に昇りて全能の父なる天主の右に坐し、かしこより生ける人と死せる人とを裁かんために来り給う主を信じ奉る。*われは聖霊、聖なる公教会、諸聖人の通功、罪の赦し、肉身のよみがえり、終わりなき命を信じ奉る。アーメン。
主祷文:
天にましますわれらの父よ、願わくは御名(みな)の尊まれんことを、御国(みくに)の来らんことを、御旨(みむね)の天に行わるる如く地にも行われんことを。*われらの日用の糧を、今日(こんにち)われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。
天使祝詞:
めでたし、聖寵(せいちょう)充ち満てるマリア、主御身と共にますます。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。*天主の御母(おんはは)聖マリア、罪人(つみびと)なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。
栄唱:
願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。*始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。
ああイエズスよ、我等の罪を赦し給え。我等を地獄の火より守り給え。*また全ての霊魂、殊に主の御憐れみを最も必要とする霊魂を天国に導き給え。
めでたし、聖なる元后、憐れみの御母、めでたし、私たちの生命、私たちの甘美さ、私たちの希望よ。貧しい、追放の身であるエヴァの子ら、私たちはあなたに叫びます。涙の谷におけるわたしたちの嘆息、悲嘆、嘆きをあなたに上らせます。いとも恵み深い弁護者、あなたの憐れみの眼を私たちの方に向けてください。そしてこの私たちの追放の身が終わった後にあなたの胎の祝せられた実、イエズスを私たちに示してください。ああ、寛容な、ああ、愛すべき、ああ甘美なおとめマリアよ。
先唱:ああ、神の聖母、私たちのためにお祈りください。
答唱:キリストの御約束に私たちが相応しいものとされますように。
祈りましょう
ああ、あなたの唯一の生まれた御子、その生命、復活によって私たちのために永遠の生命の報酬を贖ってくださった神よ、祝せられたおとめマリアのいとも聖なるロザリオのこれらの玄義を黙想しながら、私たちがそれが含んでいるものを模倣し、それが約束するものを獲得するように聞き届けてくださるようにお願いします。同じ私たちの主キリストによって。アーメン。
「いつかロザリオとスカプラリオを通じて私は世界を救うつもりです。」聖ドミニコに対する聖母の預言
「もし神の恵みによってあなたがすでに祈りの高い段階に達していたならば、もしあなたがその状態にとどまり、そしてもしあなたが謙遜において成長することをのぞむならば、聖なるロザリオを唱える実践を続けなさい。なぜなら、毎日ロザリオをとなえる人は誰でも決して正式の異端者になる、あるいは悪魔によって誤り導かれることはないでしょう。これは私が私の血で喜んでサインしてもよい一つの陳述です。」聖ルイ・ド・モンフォール
「私は誰であれ、5ヶ月間続けて初土曜日に告解をし、御聖体を拝領し、ロザリオ5連を唱え、私に対する償いをするという意向をもってロザリオの15の玄義を黙想をしながら、15分間私と共にいる人々に、彼らの救いのために必要とされる恵みをもって死のときに助けるでしょう。」
「ナポリで、指揮官アグレリの家において1884年に起こったポンペイの聖母の御出現において、天国の御母は彼女が嘆願されることを望んでおられる仕方をありがたくもお知らせになりました。
「13ヶ月の間、指揮官の娘であるフォルトゥーナ・アグレリは恐ろしい苦しみとひどく痛むけいれんを堪え忍んでいました。彼女は最も有名な医者たちに見放されていました。1884年2月16日に、苦しめられていた少女と彼女の親族はロザリオのノヴェナを始めました。聖なるロザリオの元后は3月3日に御出現をもって彼女に恵みを施されました。聖母は高い玉座に座り、輝かしい姿をした者たちに取り巻かれ、神の御子を膝の上に置き、手にはロザリオを持っておられました。おとめなる御母と聖なる幼児は金の縁取りをした衣装をまとっておられました。彼らは聖ドミニコとシエナの聖カタリナを伴っておられました。玉座はふんだんに花で飾られていました。聖母の美しさは驚くばかりのものでした。
「マリアは母としての優しさでその苦しんでいる娘をご覧になりました。そして患者は次の言葉で彼女に挨拶しました。「聖なるロザリオの元后よ、私に恵みをお与えください。私の健康を回復してください!私はすでにノヴェナにおいてあなたに祈ってきました。ああ、マリア様、しかし私はまだあなたのお助けを経験しませんでした。私は癒されることを切望しています!」
「『子よ』、と祝せられたおとめはお答えになりました。『あなたはさまざまの称号によって私に嘆願しました。そして常に私から好意を得ました。今、あなたは私にとってそのように喜ばしい称号、’聖なるロザリオの元后’によって私を呼んだから、私はもはやあなたが嘆願している恵みを拒否することができません。なぜなら、この名前は私にとって最も貴重で、大切なものだからです。三つのノヴェナをしなさい。そうすればあなたはすべてを得るでしょう。』」
「もう一度聖なるロザリオの元后は彼女に御出現になり、こう言われました。『誰であれ私から好意を得ようと望む人はロザリオの祈りの三つのノヴェナ、そして感謝における三つのノヴェナをするべきです。』」
「ロザリオのこの奇跡は教皇レオ十三世に非常に深い印象を与えました。そして非常に多くの回勅において彼がすべてのキリスト者にロザリオを愛し、それを熱心に唱えるよう強く勧めたという事実に大いに貢献しました。」-- 『ロザリオ、私の宝』、ベネディクト会修道院、クライド、Mo.
そのノヴェナは嘆願において27日間毎日ロザリオ5連、次ぎに直ちに感謝において27日間毎日5連のロザリオ -- 要求が聞き届けられたか否かにかかわらず -- から成り立っています。
黙想は日によって変わります。最初の日には喜びの玄義を黙想してください。第二日目は悲しみの玄義、第三日目は栄えの玄義を、第四日目には再び喜びの玄義を、そしてそのように54日間続けます。ここにあなたがロザリオ・ノヴェナを54日間祈るのを助ける表があります。
ノヴェナの記録
I. 嘆願
1 J |
2 S |
3 G |
4 J |
5 S |
6 G |
7 J |
8 S |
9 G |
10 J |
11 S |
12 G |
13 J |
14 S |
15 G |
16 J |
17 S |
18 G |
19 J |
20 S |
21 G |
22 J |
23 S |
24 G |
25 J |
26 S |
27 G |
II. 感謝
1 J |
2 S |
3 G |
4 J |
5 S |
6 G |
7 J |
8 S |
9 G |
10 J |
11 S |
12 G |
13 J |
14 S |
15 G |
16 J |
17 S |
18 G |
19 J |
20 S |
21 G |
22 J |
23 S |
24 G |
25 J |
26 S |
27 G |
J:この日には喜びの玄義が唱えられます
S:この日には悲しみの玄義が唱えられます
G:この日には栄えの玄義が唱えられます
骨の折れるノヴェナですが、しかし愛のノヴェナです。真摯であるあなたは、もしあなたがあなたの要求を得たいと本当に望むならば、困難すぎるとは思わないでしょう。
もしあなたが求めている恵みを得ないならば、一人ひとりが何を最も必要としているかをご存じであるロザリオの元后はあなたの祈りを聞いてくださったと確信しなさい。あなたは無駄に祈ったのではありません。どんな祈りも聞き入れられなかったことはありません。そして私たちの祝せられたおとめは決して失敗されたことがありません。各々のめでたしをあなたがマリアの足下に置く稀なそして美しいバラとして眺めなさい。
そして聖母が聖ドミニコと祝せられたアランとに為された15の約束の第11番目の約束はこうです。あなたが私のロザリオを通じて願うことをあなたは手にいれるでしょう。
教皇ウルバノ八世および他の教皇たちの教令に従順に、著者はここで述べられたことに関してすべての真正の人間的証言によるもの以上の高い権威が主張されるのではないということを述べたいと思います。
1 ロザリオを唱えることによって忠実に私に仕える者は誰でもすばらしい恵みを受けるように私はします。
2 私はロザリオを唱えるすべての人に私の特別の保護と最大の恵みを約束します。
3 ロザリオが地獄に対する一つの強力な武器であるように私はします。それは悪徳を滅ぼし、罪を減じ、異端をうち負かします。
4 それは徳とよい働きが繁栄する原因になるでしょう。それは霊魂たちのために神の豊かな憐れみを獲得するでしょう。それは人間の心を世間とその虚栄の愛から引き離すでしょう。そして人間の心を永遠のことがらの欲求へと高めるでしょう。ああ、そのような霊魂はこの手段によって自らを聖化するでしょう。
5 ロザリオを唱えることによって自分自身を私に推薦する霊魂が滅びないように私はします。
6 その聖なる玄義の省察に専心しながら、ロザリオを敬虔な気持ちで唱える人はだれでも不幸によって支配されることが決してないないように私はします。神はその正義においてその人を懲罰されないでしょう。彼が準備のできていない死によって滅びることがないように私はします。もし彼が正しければ、彼が神の恵みのうちにとどまり、永遠の生命に値する者となるように私はします。
7 ロザリオに対する真の信心を持つ者は誰でも教会の秘蹟を受けないで死ぬことがないように私はします。
8 ロザリオを唱えることにおいて忠実である人々は彼らの生涯の間、そして死のときに神の光と神の恵みの充溢を持つでしょう。死の瞬間に彼らは天国にいる聖人たちの功績に与るでしょう。
9 私はロザリオに献身した人々を煉獄から救い出すでしょう。
10 ロザリオの忠実な子どもたちは天国において高い程度の栄光に値するでしょう。
11 ロザリオを唱えることによってあなたは私に願うすべてのことを得るでしょう。
12 聖なるロザリオを広めるすべての人は彼らの必要に際して私によって助けられるでしょう。
13 私は私の神の御子から、ロザリオのすべての擁護者が彼らの生きている間、そして死のときに、取りなし手として天上の全法廷を持つということを獲得しました。
14 ロザリオを唱えるすべての人は私の子どもであり、そして私の唯一の御子イエズス・キリストの兄弟です。
15 私のロザリオへの信心は[霊魂の救いの]予定の一つの大きなしるしです。
印刷出版許可:パトリック・J・ヘイエス D.D.,ニューヨーク大司教
教皇ピオ十二世はファチマの聖母のいくつかの巡礼像を祝福されました。教皇パウロ六世は70の巡礼おとめ像を祝福されました。教皇ヨハネ・パウロ二世もまたファチマの聖母の巡礼像を一つ祝福されました。教皇パウロ六世は32ページの絵にある像を、世界における平和およびカトリック教会における平和のために祈るために1967年にファチマに行かれたときに、祝福されました。教皇はこのまさに特別な像が私たちに聖母の母としての愛のメッセージと私たちに対する配慮を思い起こさせるために旅することを望まれました。恵みの、回心の、そして身体的癒しの奇跡が教皇たちによって祝福されたファチマの聖母像の訪問を通じて世界の異なった部分から報告されました。像のいくつかの訪問に関連した身体的癒しのいくつかはヴァチカンに報告され、ヴァチカンによって第一級の奇跡として認められました。
巡礼おとめ像は彼女が教会当局の許可を伴って招待されるところに行きます。あなたはあなたの小教区の司祭に彼女をあなたの教会に招くように願ってもよいでしょう。多くの司教座聖堂、小教区、学校、修道院、病院そして老人ホームが聖母の訪問を受けました。あなたの地域への訪問を調整するためには次の場所にコンタクトを取ってください。
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マルクス主義、レーニン主義、共産主義は反キリストです。マルクスは神の憎しみと人間の憎しみに基づいた悪魔的な教義を教えました。暴力は彼の誤謬の論理的な帰結です。レーニンはこの教義を、それをロシアに押しつけながら一つの組織化された仕方で適用しました。レーニンは2000万の死体に対して責任がありました。スターリンは組織化された殺人のこの制度を強固にし、それを世界に輸出しました。その結果スターリンは29年間で4600万の死体に対して責任があります。ロシア共産主義は力によってその悪魔的な反神、反キリスト、反カトリックの奴隷と死の制度を拡大し、押しつけ続けています。
このすべての悪は罪によって引き起こされています。これらすべてのことは私たちがファチマの聖母を無視したから起こりました。
ゴルバチョフの下でカトリック信者の迫害はスターリンの下でよりももっと悪い - ヨセフ・テレリャはそう私たちに告げています。テレリャ氏はカトリックであることを理由に1962年から1987年の間23年間ソビエトの囚人でした。
ファチマの聖母への従順だけがロシアを回心させることによってこの黙示録的な獣を止めるでしょう。
私たちの天の御母の嘆願を故意に無視することは大罪であるでしょう。このことについて、ドイツのグレイバー司教はこう言われました。「今日世界が恐るべき大量破壊兵器によって完全に破壊され得るということを知っていますので、またこのことが、いとも聖なるおとめがファチマで私たちに思い起こさせられたように、祈りと悔い改めによって避けることができるということを知っていますので、これら二つの救いの手段、祈りと悔い改めを利用することは私の聖なる義務です。それらを無視することによって私は人々の破滅における犯罪を招きます。祈りと悔い改めの怠慢 -- 私はこのことを大真面目に言いますが -- 人類に対する犯罪です。」
主が家を建てられないなら、
それを造る者の働きはむなしい。
主が町を守られないなら、
番人の警戒はむなしい。
詩編 126
・レーニンは7年間で2千万の死体に対して責任があった
・スターリンは29年間で4千600万の死体に対して責任があった
・毛沢東と共産主義中国は7千万の死体に対して責任があった
今日、共産主義はその憎しみ、暴力そして死の実践と教義において変わりませんでした。このことは1990年代においてもなお真です。ロシア共産主義が変わらなかったということ、そしてそうでないとの宣伝にもかかわらず、ロシア共産主義は世界共産主義の神なき地獄へと全世界を奴隷化するそのよく考えられた計画に今なお従っているということを証明する最近の論文のために、手紙を書くか、それとも1-800-263-8160の私たちのところへ電話してください。
もっと悪いことが起こるでしょう
・もし私たちが回心しないならば、
・もし私たちがファチマの聖母に注意を払わないならば、
・<そのとき>全民族は絶滅させられるでしょう
・多くの者は永遠に地獄に行くでしょう
・合衆国とカナダを含む全世界はロシアによって奴隷化されるでしょう。
....ファチマのメッセージ
国 | 今日の人口 | 奴隷化された年 |
---|---|---|
ロシア | 218,000,000 | 1917 |
ウクライナ | 50,000,000 | 1919 |
エストニア | 1,122,000 | 1940 |
ラトヴィア | 1,951,000 | 1940 |
リトゥアニア | 2,957,000 | 1940 |
アルバニア | 2,029,000 | 1944 |
ユーゴスラヴィア | 22,520,000 | 1945 |
ブルガリア | 8,370,000 | 1947 |
ポーランド | 32,207,000 | 1947 |
ルーマニア | 22,460,000 | 1947 |
チェッコスロヴァキア | 14,362,000 | 1948 |
北朝鮮 | 13,100,000 | 1948 |
中国 | 988,927,000 | 1949 |
東ドイツ | 16,100,000 | 1949 |
ハンガリー | 10,284,000 | 1949 |
外モンゴリア | 10,284,000 | 1953 |
チベット | 1,200,000 | 1953 |
北ベトナム | 17,800,000 | 1954 |
キューバ | 8,074,000 | 1959 |
カンボディア | 6,557,000 | 1975 |
ラオス | 2,825,000 | 1975 |
南ベトナム | 20,000,000 | 1975 |
アンゴラ | 8,000,000 | 1977 |
モザンビーク | 50,000,000 | 1977 |
エチオピア | 31,000,000 | 1978 |
南イエメン | 2,000,000 | 1978 |
アフガニスタン | 22,000,000 | 1980 |
ニカラグア | 2,820,000 | 1980 |
奴隷化された人の合計 | 1,537,829,000 | |
ソビエト社会主義者共和国連合
1917年から1931年の間に「ロシア共産主義政府はわずか13年間の時間幅のうちに5つの司教区、681の小教区と980の教会を破壊しながら、ソビエトロシア以前の範囲内に存在しているカトリック教会の組織的壊滅を遂行しました。その過程で、13人の司教、912人の司祭、そして約160万人の信徒が逮捕され、分散させられ、追放されました。」(グッソーニとブルネッロ著『沈黙の教会』ヴェリタス出版社、1954, p.15)
米国下院議会法律委員会のための研究専門家たちのチームによって為され、後に1964年に公開された研究は次のように報告されました。「1917年から1959年までソビエト社会主義連邦共和国およびにロシア人によって占領された国々におけるカトリック教会の運命は次のことを示している。(a)殺された数:55人の司教、12,800人の司祭および修道者、2500万人のカトリック信者、(b)投獄された者あるいは追放された者:199人の司教、32,000人の司祭および1千万人の信徒、(c)15,700人の司祭は彼らの司祭職を放棄し、他の職業を受け入れることを強制された。そして(d)8,344の神学校が解体され、1,600の修道院が国有化され、31,779の教会が閉鎖され、400の新聞が禁止された。そしてすべてのカトリックの組織は解体された。」
*これは1990年代においても実質的には変化しませんでした。共産主義帝国の中で実際何が起こっているかについての最近の無料のリポートを求めてください。
1998/07/10 三上 茂訳
Our Lady's Urgent Appeal to Us in the 1990's へ
作成日:1998/07/10
最終更新日:2005/03/19
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