ファチマの聖母マリア

シスター・ルチアの警告

世界の最後の時

The Fatima Crusader, Isuue 75, Winter 2004より

ファチマのシスター・ルチアはわれわれが最後の時にいるとわれわれに警告した。われわれは以下に、彼女がヴァチカンの役職者たちによって自由な発言の禁止(明白な許可なしには沈黙を守れという命令)の下に置かれる前に、彼女が自由に話すことができた最後の時にアウグスティン・フエンテス(Augustine Fuentes)神父に言ったことの抜粋を掲載する。


「神父様、いとも聖なるおとめは私に私たちが世界の最後の時のうちにいるとは告げられませんでした。でも、聖母はこのことを三つの理由で私に理解させてくださいました。」

最後の闘い。「第一の理由は、聖母が私に、悪魔はおとめに対する最後の決定的な闘いに従事する気分になっていると話されたからです。そして決定的な戦いは一方の側が勝利し、他方の側が敗北を喫する最後の闘いです。ですから、これからは私たちはどちらかの側を選ばなければなりません。私たちは神の側に立つか、それとも悪魔の側に立つかそのいずれかです。他の可能性はありません。」

最後の救済手段。「第二の理由は、聖母が私のいとこたち、ならびに私自身に、神は世界に二つの最後の救済手段を与えておられると言われたからです。それは聖なるロザリオとマリアの汚れなき御心に対する信心です。これらは他のものがないということを示す最後の二つの救済手段です。」

聖霊に反する罪。「第三の理由は、神の御摂理の計画において、神は世界を懲罰しようとなさる前に常に他のすべての救済手段を使い尽くされるからです。ところで、神は、世界がどんな注意も払わないということを御覧になるとき、私たちの不完全な話し方で言いますように、神は私たちにある種の恐れをもって、救いの最後の手段、御自分のいとも聖なる御母を提供なさいます。もしあなたがこの最後の手段を軽蔑し、退けるならば、私たちは福音書が聖霊に反する罪と呼んでいる罪を犯すことになるのですから、もはや天からの赦しを得られません。ですからそれはある種の恐れをもって、と言われているのです。この罪は完全な知識と同意をもって神が提供なさる救いを公然と拒否することから成り立っています。イエズス・キリストが非常によき御子であり、そしてキリストは私たちが御自分のいとも聖なる御母に背き、軽蔑することをお赦しにならないということを覚えておきましょう。私たちは教会史の多くの世紀を通じて、われらの主イエズス・キリストが、御自分のいとも聖なる御母の栄誉を攻撃した者たちに降りかかった恐るべき懲罰によって、どのように常に御自分の御母の栄誉を護ってこられたかを証明する明らかな証拠を記録してきました。」

祈りと犠牲、そして聖なるロザリオ

シスター・ルチアは私にこう言いました:世界を救うための二つの手段は祈りと犠牲です、と。」

「聖なるロザリオに関して、シスター・ルチアは言いました:ごらんください、神父様、いとも聖なる乙女は私たちが生きているこれらの最後の時に、それがどんなに困難であろうとも、この世的なものであれ、あるいはとりわけ霊的なものであれ、私たち一人一人の個人的生活において、私たちの家庭において、世界の諸々の家庭において、宗教的共同体において、あるいは人々の、そして諸国家の生活においてさえ、ロザリオによって解決され得ないどんな問題もないそのような程度にまでロザリオを唱えることの新しい効力をお与えになりました。それがどれほど困難であろうとも、私たちが聖なるロザリオの祈りによって解決できないどんな問題もない、と私はあなたに言います。聖なるロザリオをもって私たちは私たち自身を救うでしょう。私たちは私たち自身を聖化するでしょう。私たちはわれらの主を慰め、そして多くの霊魂の救いを得るでしょう。」

マリアの汚れなき御心に対する信心

「最後に、わたしたちのいとも聖なる御母、マリアの汚れなき御心に対する信心は聖母を憐れみ、善、そして赦しの座として、そしてそれによって私たちが天国へと入るべきある種の扉として考察することに存します。」

回心の緊急性

シスター・ルチアはまた私にこう言いました。神父様、私たちは教皇様の側でローマから世界に来る告解をするようにという訴えを待つべきではありません。また、私たちは私たちの司教区において私たちの司教様たちから、あるいは修道会から来る告解への呼びかけを待つべきでもありません。いいえ!われらの主はすでに非常にしばしばこれらの手段をお用いになりました。そして世界は注意を払いませんでした。ですから、今私たち一人ひとりにとって霊的に自分自身を改革することが必要です。一人ひとりの人は自分自身の霊魂を救わなければならないだけではなく、また神が私たちの道に置かれたすべての霊魂たちを救わなければなりません...」

「悪魔は私たちの気を散らし、私たちから祈りへの愛を取り上げるために全力を尽くしてあらゆることをします。私たちは一緒に救われるか、あるいは一緒に断罪されるでしょう。」

シスター・ルチアの使命

「神父様、ですから、私の使命は世界に、もし世界がその前に祈り、痛悔しないならば、やって来ることが確実である物質的な懲罰を指摘することではありません。いいえ!私の使命は、もし私たちが罪のうちに頑固にとどまるならば、全永遠にわたって私たちの霊魂を失う差し迫った危険をすべての人に指摘することです。」

「誰一人何の注意も払いませんでした」

「神父様、いとも聖なるおとめは誰一人、善人も悪人も、ご自分のメッセージに注意を払わなかったので非常に悲しんでおられます。善人は自分たちの道を続けていますが、しかし聖母のメッセージには何らの重要性も与えていません。悪人は、実際に彼らの上に落ちかかる神の罰を見ないで、メッセージについて気を配ることすらなしに、彼らの罪の生活を続けています。でも、私を信じてください、神父様。神は世界を懲罰なさるでしょう。そしてこれは恐るべき仕方でなされるでしょう。天からの罰は差し迫っています。」

2004/04/13 三上 茂 試訳

作成日:2004/04/13

最終更新日:2004/04/13

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