浦川和三郎著

『聖マリアの連祷 (一)』

中央出版社

Auctore W. Urakawa

Episcopo Sendaiensi

はしがき

 本書は聖母月の読み物として書いて見たのである。聖母月には何か読み物をするのが以前からの習慣になっているのに、聖体降福式のみをを行うか、あるいは降福式中にロザリオをとなえるかするのでみで、ロザリオ月の務めと格別異なるところがないのを往々見受けることがある。聖母月の務めとしては、何か物足りない心持がしてならない。

 本書は特に青年者を目標としてはいるが、また父母の務めを論ずるとか、老後の心がけを記述するとかした点もあり、男女、老若を問わず、いやしくも聖母の御徳を慕い、その御鑑にあやかりたいと欲する人は、必ずそれぞれに教えられるところ、戒められるところ、感奮激励されるところがあるに相違ないと思う。あえて一読をすすむ。

一九四九年一月十五日

著者謹誌

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目次

前晩   聖母月の勤めについて
第一日  聖マリアの連祷の性質(その一)
第二日  聖マリアの連祷の性質(その二)
第三日  ロレタの連祷とその組織(その一)
第四日  ロレタの連祷とその組織(その二)
第五日  連祷の冒頭(その一)
第六日  連祷の冒頭(その二)
第七日  聖マリア(その一)
第八日  聖マリア(その二)
第九日  聖母の御名(その一)
第十日  聖母の御名(その二)
第十一日 聖母の御名(その三)
第十二日 聖母の御名(その四)

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第十三日 天主の聖母(その一)
第十四日 天主の聖母(その二)
第十五日 童貞の中にて最も聖なる童貞(その一)
第十六日 童貞の中にて最も聖なる童貞(その二)
第十七日 キリストの御母(その一)
第十八日 キリストの御母(その二)
第十九日 天主の聖寵の御母(その一)
第二十日 天主の聖寵の御母(その二)
第二十一日 いと潔き御母(その一)
第二十二日 いと潔き御母(その二)
第二十三日 いと潔き御母(その三)
第二十四日 いと操正しき御母(その一)
第二十五日 いと操正しき御母(その二)
第二十六日 終生童貞なる御母(その一)
第二十七日 終生童貞なる御母(その二)
第二十八日 きずなき御母(その一)

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第二十九日 きずなき御母(その二)
第三十日 愛すべき御母(その一)
第三十一日 愛すべき御母(その二)

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聖マリアの連祷(一)

前晩、 聖母月の勤めについて

 毎日、朝、昼、晩に「お告げ」をとなえて聖母を記念し、毎週土曜日をもって聖母の日とし、毎月、少なくとも一日を聖母の祝日に当て、その御栄えを歌い、その御徳に則らんと努めるのは、古くからカトリック教界に行われる美しいならわしである。しかし聖母を心から敬愛する熱心者のためには、それでも何やら、物足りない心持がしてならないので、一ヶ月をまったく聖母に献げて、力の限り聖母を尊び敬おうという考えが、おのずと信者たちの胸に浮かんできた。そしてせっかく誰かに物を献げる以上は、なるべく優れて上等なのを献げたいのが人情であって、聖母に献げる月も、年中にいちばん美しい春の季節、しかもその春の季節の中でも寒からず、暑からず、花こそちと過ぎているが、(少なくとも関東以南にあっては)、野も山も青々として翠(みどり)したたらんばかり、見るからに気持のよい五月を選んだのである。
 今聖母月の勤めはいつ頃から始まったものであろうか、というに、確かにそれと知ることはできない。千五百九十五年に帰天せしネリの聖フィリッポが考え出したものだ、

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という人もあれば、十八世紀のなかばほどに始めて「聖母月」と銘打った書を著し、非常な熱誠をもって、この信心を広く世に弘めようと努めたロミア神父の思いつかれたものだと主張する人もある。しかしながら年代は同じ十八世紀の半ば頃だが、イエズス会のムザンリ師がこれをローマ大学内に初め、それから次第に他の学校、修道院にもひろまったのだ、という説が事実に近いらしく思われる。後五六十年ばかりを経て、教皇ピオ第七世が、フランス皇帝一世のために囚われの身となり、五年の久しきにわたって、つぶさに艱難辛苦をなめさせられた後、ようやく釈(ゆる)されてローマへお帰りになったのが千八百十四年の五月であったものだから、これはまったく聖母のおかげであるに相違ないというので、ローマではもちろん、教皇領内でも一般に聖母月を祝うようになった。かくのごとく聖母月の勤めはローマに始まって、ローマからだんだん世界いたるところに行われるようになった。ローマ教皇におかせられても、信者になるべく盛んにこの月を祝わせたい、なるべく熱心に聖母を尊敬、愛慕させたいものとおぼしめされ、聖堂でなり、自宅でなり、聖母月の勤めを行う人には、毎日三百日の贖宥を施し、なお一ヶ月の間、つづいて行った人には全贖宥を与えると仰せ出された。もとよりそのためには、悔悛・聖体の両秘蹟を授かり、聖堂へ参詣して、教皇の意向に従い、多少の祈りをとなえねばならぬことは言うまでもないところである。

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 さて聖母月を祝うには何をしたらよいかというに、別に一定した勤めがあるわけではない。しいてこれを言えば、
(1)五月中は熱心に聖母を讃美せねばならぬ。聖母はすべての被造物の中に、最も優れて美しく、善として修めざるはなく、徳として備えざるはなしと言われ給うくらい。その上、天主の御母として、九ヶ月もイエズスを御胎にやどし、御降誕の後も、始終これを御胸に抱え、これに御乳を与え、これと起き臥しを共にしておられた。イエズスを「わが子よ」とのたまえば、イエズスもまた「お母様」と呼び給うのであった。天地万物の御主から「お母様」と尊ばれ、敬われ、従われ給うた御母の御位の貴さ、ただもう驚きいるばかりではないか。
 聖母は天主の御母たると共に、またわれらの御母でもあらせられる。その二つとなき御子をさえ十字架上に犠牲に供えて、もってわれらに聖寵の命を得さしてくださった。実にわれらは聖母のおかげで罪を赦され、天主の御憐れみをこうむり、毎日、霊魂上にも肉身上にも数限りなき聖寵を戴いているのである。しかしへいせいは聖母の御徳の高い、御位の貴い、御恵みの大きいこともあまり考えず、したがって格別尊敬もせず、御礼も申し上げないでいるから、せめて五月中はそれを補うつもりで、精一杯、聖母を尊び、讃(ほ)め、聖母の御栄えのために、施しをするやら、わが身の不足を改め、徳を修めるに力を尽くすやら、何か善業の一つなり

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とも行うように心がけたいものである。
(2)五月中は熱心に聖母に祈らねばならぬ。聖母は天主の御母として驚くべき御力を備え給うが上に、われらの御母としては非常に情(なさけ)厚くましますから、願いさえすれば、いつでもお聴き容れくださるに相違ない。しかしながら聖母のために五月いっぱいは、毎日特別の御祝いである。五月には全世界の信者が声を合わせて聖母を讃美するので、聖母はきっとお喜びになっておられる。誰にしても心が愉快になったときには、頼まれなくても人の世話をしてやりたいものである。まして慈悲深き聖母のことであれば、この楽しい月にあたって、御自分の子どもらが心を合わせ、声をそろえて申し上げる祈りに御耳を傾けくださらぬはずがあるだろうか。
 であるから、誰しも聖母に祈るがよい。われらのため、わが子のため、わが親のため、わが妻なり夫なり、恩人、朋友なりのために、倒れていれば早く起き上がるよう、起きていれば倒れないよう、熱心をこめて祈るべきである。一人で祈るよりも一家族声を合わせて祈れば、なおさら聴かれる。ただ一家族祈るよりか、三家族も四家族も集まって祈れば、いっそうよく聴かれる。もしそれ一教会の信者が、そろって聖母の御像の前に集会して祈ったら、いよいよ確かに聞かれるのであるから、一人でも多くこの勤めに与り、一人でも多く聖母を讃め尊ぶようにしてほしいものである。

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 (3)五月中は努めて聖母に則らねばならぬ。「この親にしてこの子あり」といって子どもは親に似るが当然である。いくら聖母を愛する子どもだといっても、言葉にせよ行いにせよ、聖母に似寄った点が少しもないようでは、けっして聖母を愛する者でもなければ、聖母の子どもでもない。聖母はすべての徳に秀でておられるから、何人でもこれを鑑とすることができる。青年はその清浄を鑑とせよ。聖母はただの一度でも危ないものを見たりよからぬ本を読んだり、世間を浮かれまわったりなさったことがない。人の妻たり、子の親たるものも聖母を鑑とせよ、聖母ほどその夫を敬い愛し、これによく従った妻があろうか。聖母ほどわが子の上に注意した親、注意する必要がなかったにもかかわらず、始終注意を怠らなかった親があるだろうか。老人の御方も鑑とせよ。聖母は夫に離れ、御子に死別れてからは、現世には少しも心を遣わさず、ひたすら天を仰ぎ、天主を愛し、人を恵んで、毎日善業の功を重ぬべく努められた。福を楽しんでいる人は、聖母の謙遜を鑑とせよ。憂いに沈んでいる人は聖母の忍耐を鑑とせよ。入っても聖母を鑑とし、出ても聖母を鑑とし、いつでもどこででも聖母を鑑とするように心がけると、間違いをしでかす気遣いもなく、きっと完全円満な信者となることができる。
 聖母月は花の春、青葉の五月と定められ、聖母の御像の周囲には、緑の若葉、紅白の花がにぎやかに飾りたてられる。しかし聖母の望み給うことは、喜び給うところは、緑の若

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葉よりも、むしろ聖寵に生き返って青々と繁れるわれらの霊魂である。紅白の花よりも、むしろ清浄や、謙遜や、愛や、忍耐やの美しい徳の花を装ったわれらの心である。されば五月中に、われらは努めて聖寵の若葉を集め、善徳の花を摘み取って、聖母のために見事な冠を作り、もってその御頭を飾ることにせねばならぬ。

実例

 あるとき、聖ヴィアンネ神父のもとに見知らぬ婦人が来て、泣きながらに「私の良人は別段悪い人ではないのでしたけれども、とかく宗教上の務めを怠りがちでございました。ところで数日前、急病にかかって突然世を去りました。救霊がいかにも心もとないので、それが何より悲しうございます。」と訴えた。神父は彼女を慰めて「御悲しみはごもっともですが、しかしあなたは御主人が五月の毎日曜日、聖母に花束をお献げになったことをお忘れになりましたか。」と申された。婦人はびっくりした。なるほど前年の五月に良人は毎日曜日、田舎へ散歩した帰りには、必ず路傍の草花を摘んで来て、愛らしい花束を作り、これを自宅に飾ってある聖母の御像の前に献げるのであった。しかしそのことは誰にも話したこともなければ、自分すらはや忘れていたくらいなのに、ヴィアンネ様はどうしてそれをご存知になっていらっしゃるのでしょうと、目をまるくしてとかくの返事もしかねていると、神父はさらに言葉を続けて、「天主様はあなたの熱心なお祈りを聴き容れ、御主人が花束を聖母

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の御前に献げて、これを尊敬なさった報いとして、臨終の際に痛悔の恵みをお与えくださいました。ご安心なさい。何も心配することはありません。」と仰ったそうである。もとよりかかる例があるからとて、聖母を尊敬しさえすれば、信者の務めを怠っていても、救われぬことはないと安心してはならぬ。しかし聖母月を祝うのがいかに聖母の御心にかない、自分の救霊にも有益であるかということは、これをもっても察せられるのである。

第一日、聖マリアの連祷の性質(その一)

 永久(とこしえ)の春の光の漲れる天国にあって、聖母マリアがその美しい御徳を輝かしつつ、聖人たちの中をお通りあそばすごとに、讃美の声は四方から天主の玉座に向かって挙げられ、その楽しい連祷が間断なく歌われるであろうが、地上においても、聖母の子どもたるわれらはその御像の下に集まって、同じ連祷を曲(ふし)おもしろく歌ったり、声愛らしくとなえたりして天国に昇った時の用意をしておく必要があるまいか。そのためには今のうちに、連祷の意味を十分に解っているよりよいことはないので、これから連祷の一句一句について、詳しくこれを説明し、誰にでもその味が噛みわけられるようにいたしたいと思うのである。そこで、連祷とはいったいどんなものであろうかというところから明らかにしておこう。連祷とはイエズスなり、マリアなりの御徳を数えるか、聖人たちの御名をとなえるかして、天主に申し上

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げるごく短い、熱烈な祈りを謂うのである。目的とするところは、もとより天主を讃美し、その御憐れみを求めるにあるのだけれども、しかし天主の尊前に出てみると、わが身の余りにも賎しく、罪深いことが感づかれて、おのずと遠慮も起これば恐れも出て来る。よって自分の望みや願いや求めやを、イエズスの限りなき功徳に合わせ、聖母マリア、聖人たちの清い御心、汚れなき御手をもって、天主の尊前に進め奉るのである。
この種の願いは、危険に臨み、悩みに襲われると、自然に口をついて出て来るものである。別段それと順序もなく、纏まった思想もなく、少しの飾り気すらないのであるが、とにかく、腹の底から迸り出る叫びである。逐謫(ちくたく)の身なるエワの子どもが、さまざまの艱難、苦労の重荷に圧したおされつつ、その危難を告げ、その悲しみ、その苦しみを訴えて、天主の御助けを求める叫びなのである。
 小舟に乗って海を渡っている中に、一天にわかに掻き曇り、吹く、降る、鳴る、光る、それはそれは非常な暴風(あらし)となり、崩れかかる大濤(おおなみ)に舟は今にも呑まれんばかりになったと致せ。舟人は必ず手足をもがき、狂乱の叫びを挙げ、岸に向かって援(たす)けを求め、天を仰いで救いを祈るであろう。この叫び、この祈りこを、すなわち舟人の連祷であって、かかる場合に、言葉がどうの、順序がこうの、と考える余裕があるだろうか。
 われらの霊魂も現世の荒海を渡るに当たっても、よくいろいろの暴風に煽られて、心の舟を

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覆され、徳の宝を失う危険に出くわすものである。とりわけ胸にはまだ紅い血を沸かしている青年時代には、誘惑の暴風、邪欲の大濤(おおなみ)が、いっそうはげしくぶつかって来て、その無罪を脅かし、その潔白を汚さんと働くものである。誰しもそのような目にあって、もう心の舟が危い、今にも覆りそうだと見ては、「主よ、救い給え、われら亡ぶ。」(マテオ 八の二五)と叫ばずにはおられまい。そういうように深い深い信頼の心もて、一心に叫んでやまなかったら、天主は必ず慈しみの溢れる御手を伸ばして、哮(たけ)り狂う浪風を鎮め、平穏な港へその舟を導いてくださる。かくて救いを求めた狂乱の叫びは、たちまち嬉しい感謝の歌となって、その連祷を終わることができるのである。
 かくのごとく危難に臨んで、天主の御救いを求める叫びだとすれば、連祷は人類とその起源を同じうし、世界の始めから行われ来たったものだ、といわなければならぬ。しかし新約時代に入って、カナアンの婦人だの、十人のライ病者だの、エリコの盲者だのが、身の不幸を訴えて、イエズスの御憐れみを求め、「ダヴィドの子、イエズス、われを憐れみ給え。」と叫んだ時から、連祷の形はいよいよ整うて来た。そしてその連祷の美しくて、効めの著しいのを見て、苦しみ悲しみに沈める後代の人々も、いつとはなしにこれを繰り返すようになり、今日に及んでは、物質的文明の余弊として、種々の悲しい苦しいことが日に増し多くなるにつけて、天主の御憐れみを叫ぶ声もますます強く高くなってきたのである。殊

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にルルドにおいては、司教、司祭が聖体を捧げて行列をする道筋に、各種の病者が俟(ま)ち受けていて、燃ゆるがごとき信仰をもって、「主よ、われらを憐れみ給え。」と口々に叫ぶのであるが、それを聞いては、誰しも感涙に咽(むせ)ばざるを得ないくらい。天主までがその熱烈な連祷の叫びに動かされさせ給い、キリスト御在世当時にも劣らぬほどの奇蹟を続々と行ってくださる。とうてい回復の見込みなし、と医師に匙を投げられた病者が、たちまち全快して駆け出すというようなことも、毎年その例に乏しからぬのである。
 聖パウロは弟子のチモテオに書を送って、「わが第一に勧むるは、衆人のため、帝王たち、およびすべて上位にある人々のために懇願し、祈祷し、請願し、かつ感謝せられんことなり。」(チモテオ 二ノ一)と曰(い)われた。聖アンブロジウスはそれから推して、連祷は聖会の初め頃より信者の集まりにおいて歌われたものだと断言しておられる。確かなことは何とも申されないが、しかし聖人の御説も一概に棄てられたものではない。大勢に祈らせるには、誰かが先に立って、皆の胸に強く響くような、そしてその希望なり、喜びなりを巧みに言い顕す短い言葉を唱え、一同それに和(あわ)せて叫ばれる連祷のごときものが、最も適当している。かかる場合には、綿密で込み入った感情を表すところの複雑な文句よりも、むしろ平易、通俗なると共に、深く身に沁みるほどの力をもった言葉のほうがよほど都合がよい。その点から言えば、連祷は祈りの中でもすこぶる上乗な作で、その短くて、しかも熱烈な文句は、

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燃え立てる火箭(ひや)のごとく、天主に向かって放たれ、その御憐れみを射落とさずには措かぬのである。
 要するに連祷はとなえ易くて、熱情が篭っていて、しごく人情に適い、おおいに天主の御心を動かす祈りである。したがって禍(わざわい)に難(なや)まされ、悲しみに沈めるとき、天主の御怒りを宥(なだ)め、その御恵みを請い願うがためには、連祷を歌いつつ行列をするというのが、聖会一般に行われる習慣である。さすればこの慶(よ)い五月に当たって、美しい「聖マリアの連祷」を熱心にとなえ、聖母の御伝達を頼んだら、何を願っても、天主が喜んでお聴き容れくださらぬはずはあるまい。

実例

 紀元六世紀の終わり頃、ローマに猛烈なペストが流行し、斃(たお)れる者その数を知らずというほどで、教皇ペラジオも終(つい)にその犠牲となられた。次の教皇グレゴリオ一世は天主の御哀れみを願うがために、盛大な行列を命ぜられた。大勢の信者は、教皇の仰せに従い、聖マリアの大聖堂に集まって来た。教皇は自ら、聖ルカ福音史家の描いたものと言い伝えてある聖母の聖絵を奉じて、行列の先頭に立ち、連祷を歌いつつ、ローマの市街を練り行かれた。すると不思議にも行列の進むに連れて、ペストは町人の家からも、華族の邸(やしき)からも、官署からも民家からも、拭うて取ったかのように消え失せる。教皇が進んで、

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チベル河の岸に着かれた時、真向かいの丘の上に天使が顕れて、刀を鞘に収めて見せた。もうペストはまったく止んだ、気遣いするには及ばぬ、と知らしてくださったのである。それと共に数知れぬ天使の群れが一斉に、「天の元后喜び給え、アレルヤ。」と歌い出した。教皇も感謝の情に堪えないで覚えず声を挙げて、「われらのために天主に祈り給え、アレルヤ。」と合わせられた、ということである。

第二日、聖マリアの連祷の性質(その二)

 連祷の性質、およびその起源はわかった。逐謫の身なるエワの子が、この涙の谷から天主の御憐れみを求める叫びであるとすれば、人類とその始めを同じうすると謂ってもよいくらいだ、ということも明らかになった。しかしそれは一般連祷についてであるが、今、聖マリアの連祷はどうして起こったものであろうか。この連祷もずいぶんと旧(ふる)い歴史をもっている。もとより一人の手をもって、一度に、今の形を成すに至ったものではない。ちょうど山から流れ下る糸条(すじ)みたような細谷川の水が、里に下るに随って次第に多くの流れを合わせ、いよいよ降れば、いよいよその水を加え、その河幅を増し、終には山のような巨きな船でも浮かばせる大河となるがごとく、この連祷も最初はイエズスの御唇に、その源を発せし細い細い流れであったろうかと思われる。

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 イエズスは聖母の御膝に抱き上げられ、その優しい御手に撫で擦られ給うごとに、星のように輝いた御目を開いて御母を見詰め、紅葉のような愛らしい御手をその首筋に廻して、甘えたように、「愛すべき御母よ」、「感ずべき御母よ」などと宣(のたま)わなかったであろうか。初代教会の信者たちは、イエズスの御唇から溢れ落ちたこれらの讃辞(ほめことば)を拾い上げそれに自分らのも加えて聖母を讃えた。時を経、代を重ねるに随って、聖母に対する信心の情は次第に厚くなり、聖母を讃美し、崇敬し、感嘆する辞はますます加わって、連祷の河はいよいよ大きくなり、終に今日の姿を見るに至った。そして最初は各地方の教会で、思い思いにこれを歌っていたのであるが、紀元六百八十七年に、セルジオ一世教皇がどこにおいても、毎年御告げの祝日にこれをとなえよと命じ、次いで聖母の御誕生、御潔め、被昇天の祝日にもこれをとなうべしと御定めになってから、全教会に行きわたったのだということである。
 思うに被造物の中で、聖母ほど慕い愛されたものがあろうか。その御徳を称え、その御栄えを讃め上げるがために、人々は競って、美しい、意味深い、熱情の篭った言葉を選りに選って用いているが、それでも望み通りにその愛情を言い顕し得ないのを、歯痒く思うくらいである。有名な画家があって、黄金色の雲を蹴破って、悠々とさし昇る旭日の勇ましい姿を描いてみようと、下絵を書きは書いたものの、その晃々(きらきら)とした燃ゆる

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がごとき美しさ、その野と言わず、山と言わず、路傍の藁屑も、庭の樹葉も、金色に彩れる朝景色と言ったらないので、とうとう絵筆を投げ出してしまった。しかしさすがは名題の画家だけあって、その下絵だけでも一代の傑作であったと致せ、聖マリアの連祷もそのようなものではあるまいか。聖母の美しい御姿を十分に描き出しているわけではない。わずかにその輪郭のことさら目立って麗しい点だけを写したまでにすぎないのであるが、しかし聖母の感ずべき御徳、その天主から戴かれた特恩を掲げ、聖母が母として、童貞として、元后として、いかに尊敬、愛慕され給うべきであるかということを述べ、その間には「象牙の塔」だの、「黄金の堂」だの、「奇(くす)しきばらの花」だのと、色彩の華やかな象徴(かたどり)を借りて来て、感情に訴え、想像に問うたところもあるというように、実際、この連祷は聖マリアに関する神学大要と曰っても、溢美ではないのである。
 一口に言えば、この連祷は、「全能なる者、われに大事を為し給えり。」(ルカ 一ノ四九)と言う聖母の御言葉の説明に他ならぬ。聖母は実に卑しい被造物の身をもって、「天主の御母」、「童貞中の童貞」、「天の元后」という高い高い地位にまで挙げられ給うた。しかし余りにも御位が高く、身柄が貴くならせ給うたからとて、この涙の谷に泣き叫んでいるわれらの嘆きをお聴きにならないだろうか。余りにも清浄無垢にましますからとて、罪に汚れたわれら悪人を顧みくださらぬだろうか。余りにも偉大(えら)くなり給うたからとて、

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小さなエワの子どもをお見棄てになるだろうか、と言うに決してそうではない。聖母は「天主の御母」たると共に、また「病人の回復」である。「童貞中の童貞」たると共に、また「罪人の拠り所」である。「天の元后」たると共にまた「憂き人の慰め」である。「キリスト信者の拠り所」である。かくのごとく聖母は親切で、温和で、情が深くて、厳しく恐ろしい点は露ほどもあらせ給わぬのであるから、いくら賎しい罪深いわれらでも、お見棄てになるはずがない。連祷をとなえ、聖母の御徳や、御力や、御恵みやを数え上げて行くと、自然そのような頼もしい心が湧き出て来るが、またそれと共にわれらの義務をも教わるのである。聖母は天主の御母として、絶大の力をもち給うのだから、これに深く信頼(よりたの)まねばならぬ。「童貞中の童貞」にして一点の汚れにも染み給わぬのだから、できるだけこれに則らねばならぬ。さすれば一度は必ずこの「天の元后」の御傍に侍って、天国の窮まりなき福を楽しむことができるのである。
 終に連祷を熱心にとなえると、少なからぬ利益が得られる。「父は子の栄えなり」(箴言 一七ノ六)と聖書にも曰ってあるがごとく、聖母を尊ぶのは、畢竟(つまり)イエズスを尊ぶわけである。われらが聖母を敬い愛してこれに信頼(よりたの)むのはイエズスの深く喜び給うところである。随って聖母の御伝達によって御願い致すと、快くこれを聴き容れて、いよいよ篤く聖母を尊び、その御情に信頼む心を起こさしてくださる。その上、連祷をとなえるに当たって、われらは聖母を

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代願者に立て、始終、「われらのために祈り給え。」と繰り返す。われらは卑しい罪人で、主の御陵威(みいづ)の前に立ち顕れるには堪えない。たとえ立ち顕れても、われらの拙いところは、とうてい天主から御取り上げて戴くだけの価値がない。よってわれらの代わりに天主の尊前に進み出てわれらの苦労や、悲しみや、失敗や、危難やを申し述べて、御憐れみを乞い求めてくださるようにと、聖母に御願いするのである。
 聖母は「憐れみの御母」にてまします。そのように折り入って頼まれては、決して御謝絶(おことわ)りにならない。必ず御伝達(おとりつ)ぎくださる。誰のためにも御伝達ぎくださる。熱心に御自分に事えて、身も心も清浄に保って行おうとする青年、処女のためには、ことさら喜んで御伝達ぎくださる。しかしまた罪悪の巷に駈け落ちした放蕩児(むすこ)でも、お見棄てくださらないで、一日も早く御父の家へ舞い戻れるよう、周旋してくださるのである。

実例

 いつ、どこの国のことかは知らないが、二人の青年がいた。二人とも元は熱心なカトリック信者であったのだけれども、悪友に曳かれていつしか信仰を失い、非常な放蕩児となり、聖堂などへは足も踏み入れぬというようになってしまった。ところである晩のこと、二人は手に手を取って、聖堂の前を通りかかると、美しい讃美歌の声が聞こえる。「一つからかってあろうかナ。」と言って、内へ這入って見れば、大勢の処女たちが「聖マリア、

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われらのために祈り給え。天主の聖母、われらのために祈り給え。」と熱心に連祷を歌っている。その声と言い、調子といい、前々自分たちが、いくどとなくとなえもすれば歌いもしたのである。聞いているうちに、初聖体、堅振当時の信仰を呼び起こし、終には皆と共に「われらのために祈り給え。」と叫んで、善心に立ち帰ったということである。われらも燃ゆるがごとき信仰を起こし、よくよく意味を考えて、一心にこの連祷をとなえたならば、となえるわれらはもちろんだが、たまたまその声を耳にする人までが、天主の聖寵に感ずるに至らないだろうか。

第三日、ロレタの連祷とその組織(その一)

 聖マリアの連祷は、またの名を「ロレタの連祷」とも言う。それはイタリアのロレタにある有名な聖母堂において、土曜日ごとにこれを盛んに歌って聖母を讃め尊ぶところから起こった名である。そもそもロレタの聖母堂とはいかなるものであるか、その由来を詳らかにせんがためには、まずユデアのナザレトにある名高い御告げの聖母堂を知らなければならぬ。ナザレトと言えば、イエズスが聖マリア、聖ヨゼフと共に三十年の久しきにわたって、御住まいになったところで、聖母がガブリエル大天使の御告げを蒙られた、と言う家の跡に立っ

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ているのが、いわゆる「御告げの聖母堂」なのである。さして珍しい建物ではない。ただその祭壇のところから、大理石の広い階段を十七段も下へ降ると、地下室は一個の聖堂になっていて、その中に祭壇もあり、その下敷きの大理石には「ここに御言は肉となり給えり。」と刻みつけてある。昔ながらの俤を止めた二本の石の柱が見えるが、その一本は真中から三尺ばかりも打ち折られて、中ぶらりんになっている。これは千六百三十年に強盗が押し入り、何か値貴い宝物でも蔵(かく)してはあるまいかと思って、叩き折ったのだそうである。この折れた柱こそが、御告げの時に聖母マリアの居給うた所を示し、全い方の柱が、大天使の立ち顕れたところをしるしたものだとか言うことである。  しかし聖母マリアの御家は、どうしてそのように十七段も降るほど下にあったのであろうか。聖母は穴居(あなずまい)でもしておられたのであろうか。否、決してそういうわけではない。聖母の御家もやはり地上に建っていたのだが、それが二間になっていて、一間は普通の家で、一間はユデア辺の風習に従い、崖の横腹をくりぬいて洞穴を作り、夏の暑さを凌ぐように拵えたものであって、使徒たちは始めからこの思い出深い御家を聖堂にして、大切に保存した。いつごろかは分からないが、信者たちはそこに「御告げの聖母堂」というのを建て、聖母の御家をその中に庇(かくま)えることにしたのである。
 しかしその聖堂は、後でマホメト教徒のために打ち壊された。十字軍の時に再建したけれ

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ども、久しからずして同じマホメト教を奉ずるトルコ人が起こって聖地を奪い、聖堂も何も踏み倒してしまった。ただ聖母の御家だけは、さすがに天主の御摂理があったものと見え、その儘に残しておいたのである。
 それからズッと降って、一千七百三十年に至り、聖地を守護している聖フランシスコ会の修道士たちが、ようやくトルコ政府の許可を得て、ここに聖堂を建てようと思い立った。しかしマホメト教に溺れこんでいる人民が邪魔を入れて仕方がない。幸い彼らは毎年六週間ばかりもかかって、アラビヤのメッカ(マホメトの誕生地)へ参詣に行くので、その留守中に急いで今の聖堂を建てあげた。で地均しなどする暇もない。幾度となく聖堂が壊れては壊れして堆(うずたか)くなっている跡に、そのまま建てたから、十七段も降らなければ、洞穴に達しられぬようになったわけなのである。そこでただ今「御告げの聖母堂」内にある洞穴は崖の横腹をくり抜いた分で、普通の家の方は、天使の御手に運ばれてロレタに移され、広大なる聖堂の内に保存されてあるのである。いわゆる「ロレタの聖母堂」というのがそれであって、今その由来を尋ねるに、頃は千二百九十一年の五月であった。ナザレトの町で随分と顔の売れた某という男が、何か利欲にでも迷ったものか、真の信仰を打ち棄てマホメト教に入り、町の人々までも自分の顰(ひそ)みに倣わせんものとしきりに奔走してしていたが、しかし聖母の御家がどうも目障りになって仕方がない。かの家こそイエ

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ズス・キリストの始めて人となり給うた所だという思いが脳裡(あたま)に浮かび出て、逐(お)えど払えど始終やって来て、始末に負えぬ。よしいっそのこと、叩き壊してやらんものと、一日、部下を引き連れて行って見ると、不思議や昨日まで立派に立っていたその家が、今日はもう影も形も見えない、ただ礎のみが残っているのであった。
 この年の五月十日のことである。オーストリア国ダルマチア州ヒウメ港の付近、テルサトという所の海岸に突立った小山の上に、赤い、四角の切石で造った、この界隈ではちょっと見たことのない、へんてこな小さい家が礎もなしに据わっている。その家には戸が一つに窓が一つしかない。中へ這入って見ると、内壁には大天使ガブリエルのお告げを写し、蒼色の天井には金色の星を描いてある。一方の端には石の祭壇を設け、上に十字架の聖絵を掲げ、右の方の壁を凹(くぼ)らした所には、御子を両腕に抱えた聖母の木像が飾りつけてあった。
 これは不思議な家だ、どこからどうして来たのだろう、と皆が呆(あき)れ返っているところに、テルサトの主任司祭で、三年前から脹満にかかり、とうてい助かる見込みがないと医者に匙を投げられ、病床にウンウン唸っていたアレクサンデル・ゼオルジオ神父が、のこのことやって来た。「皆さん、私は天主の御告げを蒙りました。この家はナザレトの聖母マリアの御家です。かの祭壇は聖ペトロの作ったものです。この十字架とそこの御像

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は聖ルカの手になったものですよ。ご覧なさい。これが事実に相違ないという証拠に、私はこんなにスッカリ全快しました。」と曰った。「なるほど」と人々は打ち肯(うなづ)いた。州知事のニコラス・フランジパヌ伯は、確かな人を四名ほど選んでナザレトへ遣わし、その事実を調べさせた。往って見ると果たして聖母の御家は見えない。ただ礎だけが残っている。寸法を当たって見ると、テルサトの家と寸分違わない。もう疑いを容れる余地はない。この尊い御家を悪人の手に汚させないために、天使がこれをキリスト教国内に運び込んでくださったのだ。人々は皆そう信じたのである。
 これから三年七ヶ月を経て、千二百九十四年十二月十日に、聖家は再び見えなくなって、今度はアドリアチク海を向こうに渡って、イタリアのアンコナ州、レカナチ市の付近にある森の中に止まった。その森がロレタという夫人の所有であったところから、ロレタ聖家という名をつけられるようになったのだとか。さて聖母の御家が、ロレタの森に移されたと知るや、参詣人はたちまち諸方から群集した。
 しかし盗賊が出て来てその山を暴し、参詣人に害を加えたので、聖母はそれを御厭いになってか、八ヶ月の後、聖家は近くの海に面した小山の上に移った。ところでこの山は胴欲な兄弟二人の所有地だったものだから、金儲けがあると見るや、兄弟はただちに所有権の争いを始めた。聖母はそのような不和、胴欲を好み給わぬ。間もなく聖家はその山を去って

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ほど遠からぬ、やはり海に臨んだ小山の上に移った。その時から今日まで、一度でも動いたことがない。
 ロレタの人々は聖母の御家が自分たちの中に居据わったと見て大いに喜び、十六名の委員を遣わして、テルサトからナザレトの跡を厳密に調べさせた。ところで寸法と言い、家の建て方と言い、使ってある石材と言い、皆同一で少しも違いはない。教皇も一度ならず二度ならず、念を入れた上にも念を入れて詳しく調査したあげく、いよいよそれに相違ないことを確かめ、終にある地方には、毎年十二月十日に「ロレタ聖家の移転」という記念祭を行うことすらお許しになった。
 これにおいて数知れぬ参詣人は八方から絶えずおしかけて来て、この粗末な建物を見ては言い知れぬ感に打たれ、眺めては泣き、泣いては眺め、時の過ぎるのも知らないくらい。「ああこの家で大天使ガブリエルが聖母に向かって、めでたし聖寵充満てる者よと申し上げたのでしょうか。ああこの家に聖母は幾年の間、イエズス様と共に寝て、起きて、働いて、祈ってお暮らしになったのでしょうか。この壁には聖母の清い御手が触れたこともあろう。この柱にはイエズス様がもたれておいこいになったこともあろう。」と思わず接吻するという塩梅で、それはそれは喫驚するほどの熱心を顕わすのである。そして彼らが長い長い行列をして、男も女も老人も小児も口をそろえて聖母を讃美し、「聖マリア、われらのために祈

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り給え。天主の聖母、われらのために祈り給え。童貞の中にて最も聖なる童貞、われらのために祈り給え。」と歌うのを耳にしては、身はいつしかこの塵の世を去って、天国なる聖母の御膝下へ馳せ登り、天使、聖人たちと共に、聖母の御栄えを歌っているかのような心持ちになって来るのである。
 しかしロレタへ参詣するというは、誰にでもできる話ではない。幸いにしてわれらの聖堂も、ロレタ聖家のごとく御托身の家である。イエズスは毎朝毎朝司祭の手の中に御托身あそばされる。ロレタ聖家はさきにイエズスのお住まいあそばした記念物たるに過ぎないが、われらの聖堂内には、実際、夜も、昼も御滞在になっている。情厚き御目をみひらいてわれらの困窮を眺め、慈悲深き御耳を傾けて、われらの祈りを聴き、愛情に躍れる御胸にわれらを抱擁し給うのである。でわれらは、たとえロレタに参詣することができないでも、せめてはこの聖堂に詣で、ミサを拝聴するやら、聖体を訪問するやらして、主の愛の限りも涯(はてし)もないのに感泣嗚謝しなければならぬ。さすれば御子を深く愛し、その御栄えの揚がらんことを一心にねがってい給う聖母は、必ず優しい愛情の籠もった御目を注いでわれらを見つめ、喜んでわれらのために御伝達をなしくださるに相違ない。なお聖母が強奪や不和や、胴欲やをお厭いになり、物静かな小山を選んで、その聖家を据え置き給うのに鑑みよ。聖母から心に居据わって戴きたいと思わば、欲を去らねばならぬ。不和に遠ざか

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らねばならぬ。暴行を絶たねばならぬ。

実例

 聖ベネヂクト・ラブルはごく慎み深い、謙遜な方で、容易にその信心の情を外に顕わさぬのであった。しかるにロレタに参詣して、聖マリアの連祷を歌う時ばかりは、心臓は盛んに鼓動(おどりた)ち、顔は火のごとく輝き渡り、常に出ない声までが出て、全身が聖母の愛熱に燃え立つのであったとか。われらも聖母の尊前(みまえ)に跪いて、その連祷をとなえ、その光栄を歌う時は、聖人の信心の万分の一でも持ちたいものである。そうしたらいかなる聖母の祝福を忝(かたじけの)うすることができるであろうか。

第四日、ロレタの連祷とその組織(その二)

 「ロレタの聖母堂」の由来はすでに申し上げた通りで、その聖母堂で盛んに歌われるところから聖マリアの連祷は、またの名をロレタの連祷とも称するのである。さてこの連祷の組立はどうかと言うに、それはいかにも甘く、見事に出来ている。まずいずれの連祷でも同じだが、冒頭(はじめ)には「主、憐れみ給え、キリスト、憐れみ給え、主、憐れみ給え。」と唱えて、至聖三位の尊前に謙って、その御憐れみを求めるようにできている。天使たちが主の玉座の下に立って、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」、としきりに天主の限りなき御稜威を讃美し

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奉るのを聴いた、とイザヤ預言者は録(かきしる)しているが、連祷の冒頭に、至聖三位の御名を呼んでこれを讃美し奉るのも、やはりそのようなものである。ただ天使たちにはそが喜ばしい凱旋の歌であるのに反して、われらのためには、むしろ嘆きの歌であり、憂い、悲しみを告げる祈りであり、すべてこの涙の谷に泣き叫びつつある人々が、深い深い信頼の心をもって主の御慈しみと御情とに訴える願いであるから、「憐れみ給え」の一語を添えるのである。
 次に聖母を一口に呼んで「聖マリア、われらのために祈り給え」と申し上げる。なぜ「憐れみ給え」と叫ばないのであるか。慈しみの深い、力の大きい、それだけでもわれらを憐れみ助けるを得給う聖母に向かって叫ぶのであるのに、なぜ、「憐れみ給え」と申し上げないのであろうか。それは天主の全能と、聖母の御力との間に存する区別を判然(はっきり)と悟らせるがためである。天主は全能にして何一つ叶い給わざるところなき上に、万物は御手の業であるから、常にこれを憐れみ、助け、労わり慰めてくださるのであるが、聖母マリアはそうではない。たとえ「天主の御母」、「天使と人類との元后」にましますとは言え、やはり一個の被造物たるに過ぎない。天主の玉座の前には、祈願者の姿勢でもって立ち顕れ給うのである。ただ「祈願者」とは言っても、「全能の祈願者」にましまして、その願い給うことは、一つとして聴き届けられざるはなしであるから、「われらを憐れみ給え」とは申し上げないが、しかし深い深い信頼をもって、「われらのために祈り給え」と叫ぶのである。

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今聖母を尊び崇めねばならぬ理由はと言えば、それこそ指折り数えるに違いないほどである。しかしその中の主要なのは、「母」と「童貞」、この二つの肩書きに約まる。であるから、「天主の御母」、「童貞の中にて最も聖なる童貞」とまず続けざまに呼んでおいて、それからそのいわゆる「母」なり、「童貞」なりの特典を数え立てるのである。「正義の鑑」だの、「われらが喜びの源」だの、「黄金の堂」にせよ、「天の門」、「暁の星」にせよ、これらはすべて「童貞」の美しい御徳を形容したもので、「病人の回復」だとか、「罪人の拠り所」だとか、「憂き人の慰め」、「キリスト信者の助け」だとか言うのは、聖マリアが天主の御母たると共に、またわれらの御母として、いつも懇(ねんご)ろにわれらの世話をお焼きくださる理由を述べたものにほかならぬのである。
 しかしながら右らの讃辞(ほめことば)は立派は立派に違いないが、聖母を心より愛する人のためにはこれだけではまだ言い足りない心持ちがしてならぬ。なるほど聖母は「御母」であり、「童貞」であり、われらのまたとなき信頼(よりたのみ)ではあるが、また光栄に輝ける「元后」にまします。しかり聖母は「元后」である。「天使の元后」である。「太祖の元后」、「預言者の元后」、「使徒、殉教者、童貞者の元后」である。悪魔に対してすら、その元后の力をふるって、彼をへこませ給うのである。いくら凶暴な悪魔めも、この元后に対してだけは、少しの手出しもできなかったのは、実に聖母が、「原罪なくやどりし元后」にましまして、御

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やどりのその当時から、彼の頭を踏み砕き給うておられたからである。
 終に聖母とイエズスとは、相離すべきものではない。ベトレヘムに参拝した博士たちは、「家に入りて、 児のその母マリアと共にいるのを見た」、実に御子のまします所にはその母もましまし、御母のおいでになる所には御小もまたおいでになるのであるから、連祷の終わりにも、イエズスに向かって「世の罪を除き給う天主の子羊」と三たび反覆(くりかえ)して、聖母の御伝達をもって願い上げた所を、御聴き容れくださるように祈るのである。これ聖母はイエズスへの道、イエズスに近づくには、必ず聖母に由らなければならぬが、またイエズスの御恵みも、聖母に由ってこそ容易に請い受けられることを仄めかしたものではあるまいか。かくのごとくこの連祷の趣向はいかにも見事である。その短い詞の中に、聖母が天主から辱けのうし給うた特典や、その感ずべき御慈悲や、その清浄、その御力、そのすべての御徳を残らず描き出してある。いわばこの連祷は聖母に奉る「讃美の縮図」とでも言いたいくらいで、われらはこれをとなえるごとに、美しい思い、熱い望みがおのづと胸底に湧き起こって来て、ために心は暖まり、考えは高尚になり、想像はいやがうえにも清くなって来るよと覚えるのである。『ああ聖母よ、私のごとき貧弱な頭を持った者が、御身について、何を申しましょう。いかに言葉を尽くして讃め上げ申しましたからとて、御身の尊さには及ぶべくもありません。たとえ御身を「天」と申しましても、実は天よりもなお高くまします。「万民の母」

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と称えましても、実は万民にも遙かに超え給うのです。「天主の御姿」と呼び奉りましても、実際それほどの讃辞にあたるだけの資格をお持ちあそばすのです。「天使の元后」と讃め囃しましても、必ずそれに違いありませんが、実はまだその上にましますのです。』これは聖アウグスチノの御言葉で、聖人はロレタの連祷なるものを御存じでなかったのだけれども、これほどの名言を吐かれた。もし御存じであったら、いかに立派な解釈を作り、どれほど熱心にこれをとなえられたであろうか。
 われらは幸いこのみごとな連祷を知っている上に、「われこそ聖母の子どもだ」とへいせい誇っているくらいであるから、なるべく熱心にこれをとなえよう。たとえロレタへ行って、聖母の御家へ参詣する道すがらこれを歌うことができないにせよ、天主の御家たる天国へ旅立ちしている身であるから、この長い長い旅行の道すがらこれをとなえて、聖母を讃めその御助けを祈ることにしたいものである。

実例

 シャンタルの聖ヨハンナは、ある日、部下の童貞女たちが、聖母の御絵の前に跪いている所へ来て、立派な連祷のとなえ方を教えられた。『皆もっと近寄りなさい。一緒に聖マリアの連祷をとなえましょう。お母様に御話しするのだと思いなさいよ。さァ私と一つ口

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に申しますよ。マリア様、私は弱いものです。しかしあなたは「力ある童貞」、私に力をお貸しくださいまし。私には聖寵が必要です。あなたは「天主の聖寵の御母」、私の上にその聖寵を溢らしてくださいまし。私は救霊の道においてまったく不案内です。あなたは「上智の座」、私をお照らしくださいまし。私は憂い悲しんでおります。あなたは「われらが喜びの源」、私をお慰めくださいまし。云々』。こういうように一々わが身に引き当ててとなえますと、言い知れぬ味を感じ、いつまでも聖母と親しいお話ができて、時の経つのも覚えないくらい、聖母もまたそれをいかにかお喜びくださるであろうか。

第五日、連祷の冒頭(はじめ)(その一)

 人間見たように小さな者が、限りも涯(はて)しもないほど大きな天主の御前に立ち出でると、あたかも一匹の小さな蟻が、広大にしてほとんど限りを知らない天地の前に立った時のような心持ちがして、驚きの余りに覚えず、「主憐れみ給え」と叫ばずにはおられない。「主!」「ああ主!」、主は光栄の大王、永遠の君、過去、現在、未来を御手に握らせ給い、この広い世界に有りとし有るものは、一物として主を離れ、独立して行けるものではない。この全能の天主は、敵国を征服した英雄豪傑の感謝の歌を聴き給うと共に、またきわめ

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て賤しい孤児の嘆きにも御耳を傾けさせ給う。天使たちの讃美の歌を受け給う一方からわれらのような、御前に立ち出でるにも堪えない罪人の祈りでも斥け給わぬ。われらは主のために何か必要があったわけではない。われらの造り出されぬ前から、主はすでに限りなき福を楽しみ、きわまりなき栄えをほしいままにしてい給うた。それにもかかわらず主がわれらを顧み給い、われらに祈られ、「主よ、造り主よ。」と呼ばれるのを嬉しくおぼしめさせ給うのは、何のためであろうか。
 「主!」と呼ぶわれらの声が、天主の御心を喜ばしめ奉るわけは、もとよりこれに由って天主を無上至尊の大王と崇め奉るからではあるが、しかしまた一つはわが身の賤しく、力なく、何一つ能わないことを認め、深く自ら謙(へりくだ)って天主を礼拝し、これに頼り縋る真情(まごころ)を表すからである。傲慢な人になると、己は天主に造られた者で、当然天主の僕たるべきはずだということを思わず、ただもう上になろう上になろう、天主までもわが望みに従わせようと力み返るのである。われらは夢にもそういう間違った考えを起こしてはならぬ。かえってわが身はいつでも天主の僕である、いくら立派にその身の義務を果たしたにせよ、なおかつ「無益な僕なり、なすべきことをなしたるのみ。」(ルカ 十七ノ一○)と言うことを忘れず、心の底から謙って、「主!」と叫ばねばならぬ。 「主!」と叫んでから、すぐ、「憐れみ給え」と続ける。「主!」と叫ぶ時は、天主

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の御威光の広大無辺なるを思い、戦(ふる)い慄(わなな)きつつ、僅かに頭をもたげて天主を仰ぎ視るのであるが、「憐れみ給え」と申し上げる時は、わが身の賤しい、憐れな状態に眼を注いで、ひたすら天主の御助けを求めるのである。
 ゼリコの盲者は、イエズスが御通りあそばすと聞き知るや、傍らの人々に、「やかましい、黙れ」と止められても構わないで、「ダヴィドの子、イエズス、われを憐れみ給え、ダヴィドの子、イエズス、われを憐れみ給え。」と叫んだ。イエズスは腹の底から迸(ほとばし)り出る彼の叫びに深く御心を動かされ、すぐにその目を明けておやりになった。いったい、人には同情の念があって、憐れな人を見、不憫な話を聴くと思わず涙が溢れる、「まあ可哀相に!」と叫び出す。何とかして助けてやりたい、その憐れな境遇から救い出してやりたいと思うものである。いわんや天主は御憐れみの源にてましますのに、「主憐れみ給え」、と一心に叫ばれては、どうして、御憐れみの腸を動かされざるを得給うであろうか。
 「主憐れみ給え」の叫びを、連祷の初めから、三度までも繰り返すのは、至聖三位に御憐れみを求めるがためである。もとより聖マリアの連祷であるから聖母に向かって叫ぶのが当然ではあるが、しかしその前に一応天主に向かって叫びを挙げて、われらの信仰を表し、信頼(よりたの)む心を固めるのである。聖母はわれら同様の人間であり、人生の重荷を背負い、ずいぶんと苦労もし、艱難も嘗められたから、同情の念がことさら深い。「天主のごとき父あることなし。」

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とテルツリアヌスは言ったが、聖母のごとき母も、どこを捜したって見つからぬのである。しかし何を申すも、聖母は一個の被造物たるに過ぎない。その御力でも、御慈しみでも、みな天主から賜ったのである。その優しくて、温和で、愛情の深い母親の心根も、天主から戴かれたのであれば、一応はその本源たる天主に向かって、心から叫びを挙げるのは理の当然ではないだろうか。
 連祷の目的は天主の御心を動かして、その御憐れみを乞い求めるというにあるのだが、そのためには必ずしも美しい辞句を巧みに排列(なら)べるには及ばぬ。ただ謙って腹の底から叫びさえすればそれでよい。だからまず御父に向かって、「主憐れみ給え」と叫んだのであるが、御父は御子の功徳を思い出し給うと、なおさら喜んで御憐れみを垂れ給うのであるから、続いて「キリスト憐れみ給え」と申し上げる。キリストも御父と均しく天主にましますのだが、しかしわれらのためにこの世に降り、人の肉を着け、その弱さをもお引き受けくださった。御自分の御経験によって、人はいかにも弱い、浅ましい、心の据わらぬ、欺され易く、悪に引かされたがるものだということをあくまでも御存じであるから、何を願うにも、御父よりは近づき易い、遠慮がいらぬ、頼もしく思って、「キリスト憐れみ給え」と叫ばれるのである。
 そもそもキリストとは、「聖油を塗られた者」という意味で、昔は国王や預言者や司祭

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やが、聖油を塗って祝別されるのであった。今キリストは人性と天主性とを兼ね備えておられる。そして天主性は、ちょうど油が物の浸み込むが、御肉体にも御霊魂にも深く浸み渡り、これとまったく一つになり、相離れることができなくなるまでに浸み渡ってい給うのである。それによってキリストは人性の上からしても、天地万物の大王と定められ、未来を告げたり、天主の聖旨を伝えたりする預言者となり、新約の大司祭としては、十字架上に御身を犠牲に供え、今もわれらのために絶えずその御肉、御血を捧げて、天主を礼拝し、これに感謝し、われらのために罪を贖い、恵みを請い求めてくださるのである。
 われらは悪魔、世俗、肉欲の三敵に向かって、毎日毎日火花を散らして戦わねばならぬのだが、わが身を顧みれば、いかにも弱い、何の抵抗力もない、まことに心細い次第であるから、いつもいつも「キリスト憐れみ給え」と叫ばねばならぬ。なるべくしばしば聖体を拝領して、キリストの天主性をわれらの弱い肉体に纏い、脆い霊魂に浸み入らせ、十分にこれを強め、いかなる敵に攻め立てられても、決して負けを取らないだけの用意をしておかなければならぬ。
 御父と御子に向かって憐れみを祈った上は、また聖霊にもお願いするのが当然であるから、今一度くり返して、「主憐れみ給え」と叫ぶ。聖霊はすべての賜物の源で、われらは聖霊に痛悔の恵みをかがじけのうしてこそ、始めて罪を一心に泣き悲しむに至る。聖霊に心の眼を照らされ

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てこそ、始めて天主の広大にして限りも涯しもましまさぬこと、わが身の賤しく、力なきことを悟る。聖霊から愛の熱を蒙らなければ、とうてい満足に天主を愛し奉ることもできない。聖霊に強めて戴かないでは、とうていかの恐ろしい悪魔に打ち勝ち、かの巧みな世俗の誘惑を防ぎ、かの暴れまわる肉欲を取り抑えることのできるものではない。だから聖霊に向かって「主憐れみ給え」と叫ぶのは、われらにとっては、肝要の上にも肝要である。

実例

 わが身の拙く弱いことをあくまで承知して、心から「主憐れみ給え」と叫ぶのは、大いに至聖三位の聖意に適うゆえんであって、それでもって容易ならぬ危難を遁して戴いた人の例は多いものである。昔匈奴(フンヌ)王アッチラがアジアからヨーロッパへ攻め入り、イタリアのモデナ市を囲んだ時、市民は聖ゼミアノ司教の勧めに従い、勇ましく防ぎ戦おうと決心し、しきりに戦闘準備をする一方から、心を合わせて「主憐れみ給え。主憐れみ給え」と叫んだものである。するとさすがのアッチラも、この祈りの力に抵抗ができないで、突然囲いを解いて逃げ去った。われらも悪魔に取り囲まれた時は、ただちに防戦の用意をすると共に、心から「主憐れみ給え」と叫ぶことを忘れぬようにせねばならぬ。さすればいかに強い悪魔勢でも、手の出しようがなくなり、這う這うの体で逃げ失せるばかりであろう。

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第六日、連祷の冒頭(その二)

 聖母の御情はもともと天主から溢れ出たのであるから、まず源たる天主に向かって叫ばねばならぬ。よってわれらは連祷の冒頭から、「主憐れみ給え、キリスト憐れみ給え、主憐れみ給え。」と繰り返した。しかし考えて見ると、われらはさまざまな不作法をしでかした罪人で、実は天主に合わす顔すらない。いくら天主が御憐れみ限りなくましますとは言え、「憐れんでください」なんて願い出られたものではない。幸いキリストは天主と罪人との仲介者にましますから、これに縋ってお願いしたら、何とか工面がつかぬものでもあるまい。そこで今度は専らキリストに向かって「キリストわれらに聴き給え」と叫ぶのである。しかしながら「われらに聴き給え」とばかり叫んでも、われらの方でキリストの聖旨に逆らうことを止めない。その有り難い御慈しみに応え奉ろうとはせずに、かえってそのお厭いになり、御顔を背けずにはおり給わぬような罪を重ねていては、とうていお聴き入れくださるはずがない。ことにキリストのお嫌いあそばすのは愛徳に反する罪である。キリストはわれらを愛し、われらを残らずその御心に抱き入れて、親しい兄弟ともなしたいものと一心に望み給う。夏の炎天に萎れかかった植木が、いっぱいの水を欲しがるように、愛の水をいっぱいなりともと、しきりに望み給うておられる、それにいっこうその思し召しに随ってキリストを愛し奉ろうとも

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せず、御互いの間に不和ばかり、腹立ちばかり、相争い、相恨み、相憎むという塩梅ではどうして聴き容れて戴けるだろうか。キリストは愛の天主、愛の天主の御顔は、遺恨、憎悪、復讐などを見るに忍び給わぬ。随ってキリストに聴き届けて戴きたいと思うならばまずキリストを愛し、またお互いをも愛さねばならぬ。
 次に身を腐らし、心を汚す不浄の罪があってもお聴き入れくださらぬ。キリストは天の花園の白百合と呼ばれる清浄無垢の霊魂と共にいるのを喜び給う。清い香りを徳と薫らし、真白い色を操と 保ち行く童貞者らの中に住むのを楽しみとし給うのであるから、誰にしてもせっかく心に咲き溢れた清浄の白百合が、世俗の埃に汚され、肉欲のあらしに叩き破られないよう、注意せねばならぬ。朝には一点の塵すらも含まないで、真白く照り輝き、さながら天使を欺かんばかり、何とも知れぬ芳香(かおり)を放っていたものが、夕にはもう泥にまみれ、土足に踏み躙られ、臭い臭い香を散らして、隣近所の人々にまで鼻つまみせられるようになることも珍しくはない。それではとうていキリストに御眼をかけて戴けるものではない。だから何はさて措き、キリストの御目障りとなるものを残らず取り除き、心から謙って次のごとく申し上げねばならぬ。
 「キリスト様、私は憐れな病人でございまして、自分では起き上がる力すら持ちませんから、どうぞ主の方から御身を屈め、御耳を傾けて、私の願いをお聴き入れくださいま

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せ。私のお願い申しますのは、金銀でもなければ、名誉でもなく、世間の儚い栄華でもございません。ただぜひとも与えて戴きたいのは聖寵です、御憐れみです、霊魂の救済(たすかり)です。この不足を改める力、かの誘惑に打ち克つ恵み、ただこれだけでございます。どうぞ私の願いをお聴き取りくださいませ」と。
 しかしキリストがわれらの叫びに御耳を傾けてくださっても、もし御心を動かしてその願いの趣を聴き容れ、望み通りにお与えくださらぬでは足りないから、なお続いて、「キリスト、われらの祈りを聴き容れ給え」と申し上げる。厭な罪が心にあると、キリストは御顔を背けてわれらの叫びをお取り上げくださらないから、それは一心に悔い悲しんで赦しをお願いしょうが、しかしそれだけですぐどんな顔でもお聴き容れになるかと言うに、そうはいかない。キリストに聴き容れて戴くには、まず思し召しに適うことを願わなければならぬ。ゲッセマニの園においての御祈りを繰り返して、「わが父よ、もし能うべくば、この杯われより去れかし。されどわが意の儘にとにはあらず、思し召しのごとくなれ」(マテオ 二六ノ四二)と申し上げねばならぬ。天主の思し召しは限りもなく正しく、慕わしく、仰ぎ望ましく、ただこれのみが全うせらるべきである、さればわが身の考えでも、希望でも、計画でも、いくら大事に思っていることでも、もし天主の思し召しに適わないならば、潔く抛げ棄てる覚悟であらねばならぬ。われらはただ眼前(めさき)三寸しか見えない。お先真っ暗だから、しばしば無理なもの、危険な

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もの、できないものまでも願い出て、ゼベデオの子らのごとく、「汝らは願うところを知らず」(マテオ 二二ノ一)と咎められるくらい、それではとうてい聴き容れて戴けるはずがない。
 時としては大罪を犯し、天主の聖寵を失ってしまい、聴き容れて戴けるどころか、実はお祈り申し上げるにも堪えない身の上となっていることもある。かかる時は、まず罪を痛悔、告白して、聖寵を回復し、自分のいのりの声が主の御耳に快く響くように致さなければならぬ。
 終にわれらの願いの聴き容れられない方がかえって益になることもある。聖パウロは悪魔に悩まされて、それを遠ざけていただきたいと、三度までも天主にお願いしたが、「汝にはわが恩寵にて足れり。そは力は弱き中において全うせらるればなり」(コリント後書 一二ノ七)と答えて、お聴き容れくださらなかった。われらも艱難に苦しみ、疾病に泣き、悪魔に煩(うるさ)くつき纏われる時に、それをじっと堪え忍ぶ聖寵、それと勇ましく戦う力を祈らねばならぬ。さはなくて一刻も早く取り除けてくださるようお願いしても、すぐオイソレとお聴き容れくださらぬのは、怪しむに足りない。
 このような場合を除けば、深い謙遜と、厚い信頼の心とをもって、自分に有益なものを願い、「キリスト、われらの祈りを聴き容れ給え」としきりに叫んだら、必ず御取り上げくださるのである。

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 以上で一通り願いは済んだようなものの、何かをしきりに欲しがる時には、ただ一度願ったばかりでは満足されない。二度でも三度でも、同じことを反覆(くりかえ)し反覆(くりかえ)し嘆願したいが人情である。そこで一応は聖三位に向かって「主憐れみ給え。キリスト憐れみ給え。主憐れみ給え」と叫んだけれども、さらに、今一度語気に力を入れて、聖三位に御憐れみを祈る。
 「天主なる御父、われらを憐れみ給え。」全能の御腕を握って、われらを造り、その慈しみ溢るる御手を伸べて、われらを治め、お護りくださる御父に向かって御憐れみを求めるのである。「天主にして世の贖い主なる御子、われらを憐れみ給え」われらを非常にお愛しくださった御子、われらのために汚穢(むさぐろ)しき馬屋に生まれ、ピラトの無理非道な裁判を受け、十字架上に侮り辱められて御死去あそばすほどに、お愛しくださった御子に向かって御憐れみを叫ぶのである。われらは金や銀やで買われたものではなく、実に主の貴い御血をもって贖われたものであるから、その御血に対して、憐れみ助け給うように願うのである。
 「天主なる聖霊、われらを憐れみ給え」、御父と御子との愛にましまして、われらの霊を活かし心を慰め、強めてくださる聖霊に向かって、御憐れみを求めるのである。
 今までは至聖三位にかわるがわるお願い致したけれども、しかし三位は決して個々に離れてましますのではなく、実は御一体の天主にてまします、という公教会の信仰を表白(あらわ)すがために、かつはこれまで別々にお求めしたところを一括りにし、いっそう力を入れて、強くお願いするがため

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に、「唯一の天主なる聖三位、われらを憐れみ給え」と加える。
 これで三位一体の天主を伏し拝み、その御憐れみを求めて、連祷の冒頭(はじめ)を終わった。これからは願いの趣を大丈夫聴き届けて戴くがために、深く信頼(よりたの)む心を持って。慈しみ篤き御母に縋って、「聖マリア、われらのために祈り給え」と申し上げるのである。こういうように細かく解剖して研究して見ると、連祷はいかにも奥深い教訓を含んだものではないか。夢のように何も考えないでとなえるのは余りにももったいない。これからは十分注意して、その意味を考えその含んでいる教訓を噛み分け、これを一々わが身に引き当てるように努めたいものである。

実例

 クリストフス・コロンブスは、海の星たる聖マリアを、大いに尊敬した人で、新世界発見に出かける時、自分の乗り込む船には、「聖マリア号」と命名し、航海中には深く聖母に信頼み、一心にその御助けを祈って止まなかった。首尾よく目的を達するや、第一に上陸した島を「サン・サルワドル」(聖なる救い主)と名づけ、その次に上陸したのは「御やどりの聖マリア」と呼んで、無事安穏に航海を終えさしてくださった御恵みを、キリストとマリアとに感謝したのである。われらもこの世の荒海を渡って、無事天国の港へ達するには、必ずともキリストとマリアの御蔭を蒙らねばならぬから、コロンブスに倣い、いつもいつも熱心に「キリスト、われらに聴き給え。聖マリア、われらのために祈り

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給え」ととなえることを忘れないように心がけねばならぬ。

第七日、聖マリア(その一)

 聖会は連祷の真初めから、マリアを崇めて「聖」と呼んでいる。これマリアが聖の聖なる天主に最もよく似奉って、まったく至聖三位の生き写しとも言いたいくらいであらせ給うたからである。ロザリオを爪繰るとき、われらは使徒信経と主祷文とをとなえた上で、天使祝詞を三たび繰り返して、マリアを「御父の姫君」、「御子の御母」、「聖霊の浄配」と頌め尊ぶのである。至聖三位とこういう密接な関係を有せられるところから見ても、マリアがいかに高い聖徳の域に達しておられたかが察せられるであろう。実にマリアは、「御父の姫君」として聖であらせられた。「娘よ聴け、目を注げ。汝の耳を傾けよ。汝の民と汝の父の家とを忘れよ。さらば王は汝の美しさを慕い給わん」(詩編 四四ノ一一)と詩編は歌ってある。あながち聖母に限ったわけではないが、すべて天主を心から愛して、儚い浮き世の物を忘れるに至ると、必ず天主の御寵愛を蒙れる、聖寵は川をなしてその心に注ぎ込み、身はまったく天主の御生命をもって生き、その子どもと呼ばれる幸福を忝うするのである。いわんや聖母のごときは、幼少の頃から世俗とはいっさい手を切って、身も心も残らず天主に献げ、罪もなく、汚れもなく、あらゆる善徳に目も美しく飾られてい給うた

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のであるから、「御父の最愛の姫君」と呼ばれ給うのは、当然のことではないだろうか。
 しかしながら聖母が「御父の姫君」と呼ばれる幸福を忝うされたのは、右に申したような尋常一様の理由に由るのではない。天主は人類をお造りあそばす前から、すでにその堕落をお見越しになり、最愛の御独り子をこの世に遣わして、これが救いに当たらせようと定め給うた。しかし御子をこの世に遣わすには、これが母たるべき婦人がいなければならぬので、早くも聖母の上に、御自分が永遠より御生みあそばしたその御子に、肉体を与えて、この世に産み上げ奉るべき聖母の上に御目を注がせられた。いったい天主は、その人その人の果たすべき使命に応じて、必要な聖寵を恵み給うのである。しからば救世主の御母といういかにも高い、貴い使命を托されるはずの聖母であるから、すべての人に越えて、とりわけこれに御寵愛を加え、これをいかなる人も企て及ぶべからざる聖徳の域に進め、「最愛の姫よ」とまで呼び給うたのは、毫も怪しむに足りないであろう。
 次にマリアは「御子の御母」として聖であらせられた。御子の御肉はマリアからお受けになったので、この御二方はまさしく母子であった。ごくごく親密な母子であった。「御告げ」の嬉しい朝から、カルワリオの哀しい夕に至る三十三年の長い間、共に住み共に親しく物語って月日を送られた。御子がまだ御胎内にましまして、一口の物すら宣

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い給わぬ時にでも、はや双方の意はよく通じ合っていた。聖母はイエズスの測り知られぬ御聖徳を打ち眺めて、しみじみと感心し、どうにかしてこれに則りたいものとお努めになる。イエズスもまた聖母の慈しみやら、忍耐やら、天主のため、人のため、一命を抛(なげう)っても厭い給わないほどの凛々しい勇気やらを御覧(みそなわ)しては、いよいよこれらの美しい御徳を養い強め給うのであった。園丁が自分の愛重する花卉には、特別に肥料を施し、水を漑(そそ)いで美しい花を咲かそう、みごとな実を結ばそうと努めるがごとく、イエズスも聖母に対してあたかもそのようになさらなかったであろうか。鉄を火の中に入れてよく焼けば、真っ赤な火になってしまう。今聖母は一年や二年の間ではなく、実に三十三年の久しい間、御子と同じ家に住み、共に祈り共に働き、朝には御子の聖い御教えを承り、夕にはその得ならぬ御手本を眺めたまうのであったから、どうして御子の聖徳の火に焼かれて、真っ赤くならずにいられたであろうか。聖母が御子の生き写しとも言われ給うほどになられたのも、不思議ではあるまい。
 終にマリアは、「聖霊の浄配」として聖であらせられた。天主の聖寵を保てる霊魂はみな聖霊の浄配である。実に聖寵を保つというは、天主と一致する、夫婦の縁よりも堅い縁をもって、天主に結ばれることである。しかし聖霊と聖母マリアとの一致ばかりは、何とも形容し難いほど密接なもので、天主は初めから聖母をもって、聖霊の浄配たら

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しめたい御考えであらせられたから、その栄えある地位に釣り合わせるため、これを非常に高い聖徳の域に進め、「染みもなければ、皺もなく」(エフェゾ書 五ノ二七)何の不足、汚れもなく生まれしめ給うた。その上長くの間、世に離れ、物に遠ざかって、専ら善を修め徳を積まして、あおの結縁の準備を致させ、いよいよ定まった時が来るや、大天使ガブリエルを聖母の許に遣わして、その意中を問わしめ給うた。聖母は直ちに御承諾の旨を答え給わぬ、自分は一旦童貞を誓い、身も心も天主に献げ奉っているのに、どうして御子の御母になれようかと、不審の眉を顰(ひそ)めて、大天使に問い返された。大天使は、「聖霊が御身に臨み給い、最高き者の能力の蔭御身を覆わん」(ルカ 一ノ三五)、と謹んで答えた。たとえ聖霊の浄配となり、御子の御母となっても、童貞の潔さを失う気遣いはないと分かったので、聖母もようやく納得して、「われは主の召使いなり、御言葉のごとくわれに成れかし」(ルカ 一ノ三八)と、御承諾の旨を答えられた。聖母は聖三位とどうした関係を有し給うた。もし聖母にして尋常一様の徳しか備えていない婦人であったらそのような有り難い御選びを蒙られたはずがない。必ずや聖三位の生き写しとも謂われ給うまでに、あらゆる聖徳に飾られ、どこから眺めても、御父の姫君として恥ずかしくない、御子の御母に不釣り合いではない、聖霊の浄配としては最も適当だ、と感心されるくらいであらせ給うたことは疑うべくもない。随って聖母を打ち眺めるのは聖三位のためによほどの御楽であった。聖母が一

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点の曇りなき鏡のごとく、清い、美しい、たとえようもない御徳を、みごとに写し出しておられるのを眺めやって、自分ながら感心なさらなかったであろうか。聖母が御父の姫君、御子の御母、聖霊の浄配として、その額に輝かし給える聖徳の光を、世のすべての人に仰がせたく思し召し給わなかったであろうか。
 翻って考えて見ると、われらもその身その身に何かの使命を申しつかっている。たとえ聖母のごとく高い高い聖徳に達することはできないにしても、せめては一個の小さいマリアとなるように、努めなければならぬ。洗礼の時に、御父の御姿を霊魂に印されているのであるから、それを少しでも曇らさないのみか、かえってますます鮮やかに顕わし出すべく心がけ、聖体を拝領するごとに、いわば御子をわが胸にやどし奉るのであるから、何事につけても御子の御徳に見倣って、よく御父に孝養を尽くすべく奮発し、成聖の聖寵によっては、聖霊の浄配と立てられるのであるから、いつもいつも聖霊の御勧めに従い、世俗のつまらぬものに離れて、身も心も潔く保ち、天主を万事に越えて愛し奉るべく努めるこそしかるべきではあるまいか。

実例

 聖母の光栄のために、われとわが身に暴力を加え、罪の機会に遠ざかるのは、大いに聖母の御心を動かし、救霊でも聖徳でも、容易に求めて戴くことができる。かつてイタリアのゼノア

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から出帆した船の中で、ある青年が一冊の書を取り出して、熱心に読み耽っていた。見れば余りよくない書なので、傍にいた一人の修道士が、何とかしてそれを棄てさせたいものと思い、機会を求めてその青年に近づき、四方山の話の末に、とうとう聖母マリアのことを語り出した。すると青年は大きなため息をもらして、「ああ私も以前はたいそう聖母を愛して、その聖衣までも身につけていたのでしたけれど、今じゃもう何もかも放りすててしまいました。面目玉もない次第でございます。今一度、以前の心になりたいものですけれども」、と懺悔話をやり出した。「なれますとも、何にもむつかしいことはありません。あなたが一心に読んでいらっしゃいましたあの書は、どうなさいましたか」と修道士が曰えば、「神父様、あの書のことはもう言わないでください」と青年は恥ずかしそうに言葉を遮った。「いやかえって言わなければなりません。あなたは以前の心になりたい、とおっしゃるんでしょう。だからあの書を聖母に犠牲としなさい。破って海に投げ込みなさい」、「保証(うけあ)いますが、それが聖母の御気に召すでしょうか」。「確かに保証います」と言うが早いか、青年はたちまちその書を海に投げ入れた。そのためにくだんの青年は聖母の御情けを蒙り、罪を悔い悛め、世を棄てて修道院に引き籠もり、一身を聖母に献げて、聖なる終わりを遂げたとか。われらの持っている書籍の中にも、余り誉めたものではない、芳しからぬというのがないだろうか。あながち書籍ばかりに限らない。写真や、絵画や、装飾品や、共

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に親しく交わる朋友やの中に、風儀を害(そこな)い、信仰を弱め、世間的精神を孵化(かえ)す卵ともなるようなものがないだろうか。あるならば、かの青年に倣い、早速、今日、ただ今、そのような物を破って棄て、そうした友と関係を絶つべしと決心し、それを犠牲として聖母に献げ奉ろう。さすれば聖母はどんなにか喜んで、われらの献げを受け、その代わりに、身を修め、心を清くして、よき終わりを遂げる聖寵を、お与えくださらないだろうか。

第八日、聖マリア(その二)

 「聖」とは、身も心も潔くして、いささかの罪の汚れもない人の徳を指すのであって、かかる人が天主の聖旨に適うのは言うまでもないところである。今マリアは至聖三位の生き写しで露ばかりも罪の汚れに染み給わず、かえってあらゆる美徳に輝いておられたから、これを「聖」と崇め、「聖マリア」と称え奉るのは、まことに故あるかなである。
 まず聖母は露ばかりも罪の汚れに染み給わぬのであった。聖徳には汚れが混じっていてはならぬ。その純白なること雪のごとく、その清浄なること百合のごとく、その心根の美しさと言ったら、天国に楽しめる天使たちでも、感心して打ち眺めるというくらいであらねばならぬ。聖母マリアの聖徳がちょうどその通りで、聖母は生まれながらに、大罪の傷も小罪の汚れも受け給わず、われらのごとく人性の浅ましさに悩まされ、邪欲の暴風に苦しむ憂いすらあ

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らせ給わぬのであった。雪はいくら白かろうと、間もなく消え失せる、百合はいくら清らかろうと、いつしか萎れてしまうものだが、聖母ばかりはいつまでも消え失せることなき白雪永久(とこしえ)に萎れることなき白百合の花であった。
 どれほど善を修め、徳を積んだ人でも、「自分は罪を犯した覚えがない、一歩でも正しき道を踏み外した例(ためし)がない、天主の御前にも人の前にも、肩身を反らして歩ける」と言い張ることができるものではない。ただそれを言い得るのは聖母だけであった。もとより謙遜深き聖母のことであれば、自分には罪がないなどと、大きな顔をなさるようなことはなかったであろう。しかしながら聖母は実際いささかの罪の汚れにも染み給わず、いつも清く潔(いさぎよ)くどこと言って非を打たれる所もないのであった。もし聖母にいささかの罪の汚れでもあったら、どうして天主が、これを御母に選み給うはずがあったであろうか。どうして聖の聖なる天主が、汚れに染んだ母の胎内にやどって、「罪の子」と呼ばれ、その母の恥を譲り受け給うようなことができたであろうか。
 かくのごとく聖母は清く潔く、一寸の罪の汚れにも染み給わぬのであったから、聖会は連祷の初めからこれを「聖マリア」 と呼んでいるのである。
 われらはへいせい聖母を尊び愛し、これに一身を献げて「マリア様の子ども」と呼ばれたいと思っているくらいであるから、ぜひとも聖母のごとく身を修め、徳を研き、罪の汚れを避け

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て、聖なる御母の聖たる子どもとならなければならぬ。
 「福なるかな心の清き人、天主を見奉るべければなり」(マテオ 五ノ八)と御主は仰せられた。聖母は至って心の清い御方にましましたから、絶えず天主を見て、いつもこれと物語りその御意見を叩き、これを伏し拝んでおられた。天主と聖母マリアとの間には、罪の雲にせよ、邪欲の霧にせよ、すべて心の眼を遮るものが何一つとしてなかったから、夜でも昼でも明らかに天主を打ち眺めるを得給うた。しかるにわれらはどうであろう。果たして天主を見奉っているだろうか。われらと天主との間には、財宝の雲や、快楽の霧やが介(はさま)って何一つ見えなくしてはいるか、大罪の煙がもうもうと立ち昇って、心を真っ暗にしているかしていないだろうか。これではどうして天主を見奉ることのできる道理があろう。まずまず、迷いの雲霧を払いのけ、大罪の煙を吹き散らして、心に聖寵の光を輝かさねばならぬ。そうなると聖母のごとく、この世ながらに天主の美しき御姿を仰ぎ視ることができないにせよ、せめては明らかにその御徳を覚ることができるし、聖母もまた天からニッコと微笑み、眼元には得も言われぬ優味を湛えて、「善い子どもよ」、と御讃めくださるに相違あるまい。
 今どうしたならば、心の曇りを払い退けて、聖母のごとく清く汚れなき者となることができるかと言うに、聖母は罪に遠ざかるがために、世俗に遠ざかり給うた。専ら天上を

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思うがために、地上に心を傾け給わなかった。さらばとて修道女見たように、世の中を振り棄て、野山に隠れたり、修道院に引き籠もったりしておられたわけはない。聖母はわれら同様に世俗にお暮らしになった。ただ世俗に暮らしながらも、世俗の物に心を奪われないよう、注意し給うた。世俗は油断ならぬものだ。われらの心を奪うのは、決してこれを磨き清めて高尚にし、信心篤くなして、天主を愛せしめるためではない、かえってこれを汚しこれを卑劣にし、これを腐敗させ、これに儚い名誉や、快楽やの毒を注射して、とどの詰まりは悪魔に引き渡してしまうがためなのだ、と御存じでおられたから、世俗に止まりながらも、世俗とはまったく関係なしにこれを渡って行かれたのである。
 われらもこの美しい御手本に則りたいものである。世俗にいるのは、つまり遠い島地にでも、追い放たれているかのごとく思い、いくらその島地に面白い、楽しいものがあるにしても、そのために天の懐かしい故郷を忘れないように努め、あるいは恐ろしい伝染病の流行している町中に住んでいるかのごとく考え、用心の上にも用心をし、かりそめにもその病毒に近づいて、これに感染するがごときことのないよう、注意しなければならぬ。
 なお聖母マリアはいかなる罪の汚れにも染み給わない上に、数々の徳の光に輝いておられた。聖母の御霊魂は、かの幾千万の星が、珠玉でも砕いて蒔き散らしたかのようにキラキラと輝いている秋の夜の空とでも申し奉ろうか、謹慎だの、忍耐だの、柔和だ

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の、親愛、謙遜、従順だのというような諸々の徳の星が、美しい光を放って、輝き渡っているのであった。実に被造物の中で、聖母ほど聖なる者がどこに見つかるだろうか。聖母は母の胎内にやどり給うたその時から、すでに聖であらせられたが、一生の間、その御徳は欠けたこともなければ、曇ったこともない。今日は昨日より、明日は今日よりというように、いよいよ徳に進み、聖となり、完全円満の境に達せられたのである。
 われらは聖母の美しい聖徳を見て、深く感心すると共に、できるだけこれに則るよう努めなければならぬ。われらが聖母に似奉ると、それだけ聖母もわれらをお愛しくださる。われらが御跡に随って、徳より徳へと進んで行くのを天から眺め給うては、ことのほかお喜びになり、天使、聖人たちに指示して、「あれ御覧なさい、あの子は私を心から愛してくれます。あれこそ本当に私の子なんです。私に随分と似て参りました。私もあの子だけは可愛い。あの子にはこれこれの御褒美を乞い受けて遣わしますよ」、と宣わないだろうか。
 しかし忘れてならないことは、聖母は聖寵に固まっておられたから、倒れる憂いもなければ、邪道(よこみち)に踏み迷う気遣いもなく、ただ一直線に徳の歩みを続けることがお出来になったのである。これに反してわれらは弱い、フラフラした足を引きずって歩いているので、ともすれば躓いて倒れたり、あられもせぬ邪道へ踏み込んだりせぬにも限らないから、いつもいつも自分の力に頼みをかけず、注意の上にも注意をし、決して危いものに近づ

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かず、努めて罪の機会を避けねばならぬ。さもないとつとに聖母の子どもたることを得ないのみならず、聖寵を失い、無罪の白衣(びゃくえ)を汚し、悪魔の奴隷となって、救霊までも失うに至らんかも計られないのである。

実例

 聖ヨハネ・ベルクマンスは幼少の頃から篤く聖母を敬い愛し、平生口癖のように、「マリア様を愛したい、マリア様を愛したい」、と言い言いしておられた。聖母のことを学友と物語るか、あるいは聖母の聖像の前へ行って、祈りを申し上げるかするのは、聖人のためには何よりの楽しみであった。ことのほかロザリオを大事にして、寝む前には必ずこれを恭(うやうや)しく接吻し、それから首にかけるか、腕に下げるかして、しばらくでも身から放さぬのであった。こういうように聖人は深くマリアを愛して、忠実にこれにつかえて行かれたから、みるみる完徳の坂を駈け登り、齢(よわい)わずか二十三歳にしてこの世を去られたけれども、早万世の鑑と仰がれるほどの、高い高い聖徳の域に達しておられた。われらも聖人のごとく、明け暮れ聖母を思い、聖母を愛し、聖母の感ずべき御徳に則るよう、努めたならば、次第に不足を改め、徳を研(みが)いて、「聖なるマリア様の聖なる子ども」となることができないだろうか。

第九日、聖母の御名(その一)

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名は物の実際を表すべきもので、誰かの名を言い出す時は、その人の美徳、欠点、気質、生理からその立ち居振る舞い、物の言い様までが、自ずと頭に浮かみ出る。その人が自分の愛する朋友であるならば、名を聞いたばかりで、心が何となく嬉しくなり、その人を慕い愛する情がムラムラと起こってくる。その人と一緒に喜んだり悲しんだりして暮らした月日が、チラと眼前に立ち顕れて来るものである。これに反して自分が好かない人の名が耳に響くと、すぐ変な気持ちがする。その人の不足だの、過ちだの、前方自分が仕向けられたいたずらだのを思い出して、厭な感じがするものである。しからば聖母マリアの聖名がわれらの耳に響く時、いかなる感情を覚えるはずであろうか。
 マリアという名は、旧いヘブライ語では、「ミリアム」と言い、キリスト時代には「マリアム」と読み、文字上の意味は学者の解説がまちまちで何とも確かなところはきめられない。たぶん「健やかで美しい者」、という意味らしく思われる。しかし文字上の解説はしばらく措いて、聖会は聖母を讃めて「O gloriosa Domina-- ああ光栄なる女皇よ」と呼んでいる、マリアという聖名が響くと共に、われらの頭に浮かび出るのは、聖母マリアのさすがに気高く、威厳があって、「女皇」とも崇められ給うべき、凛とした美しい容姿(みめすがた)である。
 そもそも聖母マリアが女皇と呼ばれ給うのは、国王ダヴィドやサロモンを先祖にお有ち

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あそばしたからでもあるが、また一つは、天地の大王にてましますイエズスの母后(ははぎみ)であらせられたからである。聖母を深く愛していたゼルソンは、こう言っている。「天主の国は憐れみの国と、正義の国との二つに分かれている。正義の国はイエズスが御自ら治め給うのですが、憐れみの国の方は、聖母マリアにその支配権をお譲りになりました」と。であるから、聖母は常に「憐れみの御母」と称えられ、その憐れみの御国において支配の大権を掌握し、憐れな罪人に対して非常になさけ厚くましまし、御心の戸を叩いて願い出さえすれば、いつでも、いかなる場合にでも、慈悲をかけ給わぬことはないのである。
 なおまた、聖母はわが身をよく取り締まり、わが心をしかと握って、よくこれを支配して行かれたところからも、「女皇」と讃められ給うのである。わが身をよく取り締り、わが心を巧く支配して行くのは、ナカナカ困難で、われらの心には、邪欲が絶えずゴウゴウと唸りを挙げ、思いや、望みやは、じじゅう謀反の旗を翻して、快く従うということが一向ない。しかし聖母マリアにだけは、夢にもそのようなことがなかったのである。
 渺茫(ひろびろ)たる青海原を渡る船があるとせよ、灘中で水夫らの間に意外の争いが起こって、どちらも自説を固く執って、一歩も曲げまいと頑張っている。すると余んの幾人かはまったく失望してしまい、「否、南も北もあったものではない。いくら往ったって島影一つ見出

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せるんじゃなし、溺死するか、干からびてしまうかするより外はないのだ。いっそのこと、まだ息の通っている中に、一愉快しようではないか。明日はどうなるか分かりもせぬのに、何をクヨクヨ辛苦心配するんだ」と叫び出したら、その船の運命たるやまことに可哀想ではないだろうか。
 われらの心の状態がちょうどこの船見たようで、せっかく立派な決心を立て、わきめも振らずに天国さして行きかけていると、何かの都合でたちまち心変わりがして、反対の方向へ向き直る。昨日までは何もかも天国のため、天主のためにする決心であったものが、今日になると、もう前の決心はケロリと忘れて、一から十まで世俗のため、わが身のためにして行こうという気になってしまう。
 かくのごとくわれとわが心をしかと取り守って行くことすらできずに、困り果ているのにもってきて、周囲の人々までが、われらの信仰を嘲る、せっかく十字架を愛しよう、苦を忍んで贖罪(つぐのい)をしようと決心しているところに、一方からはしきりに世俗の栄華、快楽を勧めて止まない。それに欺されてその栄華をつかみ、その快楽を味わうと、たちまち良心が怒鳴り出す恐ろしい咎めが起こって腸も煮え返らんばかりになる。こういう塩梅で、われらの心には完全なる平和というものは決してない。しじゅう戦いばかり、争いばかりである。ところで聖母マリアは、そうした戦いをまったく知り給わぬ。邪欲が暴れまわるということはもとよりなかった

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し、自分でも御心をよく取り治めておられたし、その思いでも、その望みでも、その五官でも、静かに御命令を守り、決して声を荒げ、右に行こう、左に廻れと、叫び出すようなこともなく、心の船は真っ直ぐに、威勢よく前進するのみであった。われらもこの美しい御手本に則りたいものである。聖母がよく己が身を取り締まって行かれたごとく、われらも聖母の子どもたる以上は、常にわが身の上に王となり、わが心を厳重に取り締まって、思いでも望みでも五官でも、立派に従わして行くように努めねばならぬ。われらは自分でわが身を治め得ないで、よく他の奴隷となりたがるものである。何か嬉しいことが起こる、悲しいことが出て来る、心配がやって来ると、すぐそれに引きずられてしまう。財宝や、快楽や名誉や、自分の愛する人やに、いつもいつも支配されて、それらが大波のごとく、ドッとぶつかって来ると、心の船はたちまちおもちゃにされ、転覆(くつがえ)されてしまうような目に陥るのである。せめて今からでも、聖母の御助けにすがり、われらを繋いで奴隷にしているさまざまの綱を打ち切って、われとわが身の主人公、われとわが心の王となるように努めよう。いつでもこの世を天国と見比べ、今の仮の生命をば後の終わりなき生命とかけ合わせて、その価を定め、瞬く間に過ぎ去ってしまうこの世の福にあこがれないで、永久に終わることなき天国の楽しみを一心に捜し求め、祈りや、黙想や、ミサ拝聴や、聖体拝領やに肝煎ることに致したいものである。

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 聖母の御影を見ると、頭には星を戴き、足には月を踏まえてい給う姿を描いてある。あれは何の意味であるか。星は天主の玉座を飾るダイヤモンドのごとく、いつも変わらぬ光をもって、毎晩毎晩静かに天に輝くのだが、月はこれに反してしじゅう満ちたり欠けたりするもので、今夜は真ん丸く立派に照り渡っているかと思えば、もう二三日も経つとソロソロ欠け出して来て、終には真っ暗黒(くらやみ)になってしまう。この世の財宝でも快楽でもちょうどそのようなもので、手に入れるまでは、さも美しそうに見えているが、掴んだかと思う中にはやどこへか飛んで行ってしまう。であるからこうした儚い恃(たの)み難い物は、すべて足の下に踏みつけて、その代わりに善徳の星をもって心を飾るようにせねばならぬ、と教えたものではないだろうか。
 しかしそうなるがためには、われらの体も、心も、望みでも、所有物(もちもの)でも、計画までも、残らず聖母の御手にお托(あず)けせねばならぬ。われらの目は遠見えがしない。われらの力はいっこう当てにならぬ。われらの手も間違いがないにも限らないから、自分で心の船を運転するのは、危険この上なしだ。ぜひとも聖母に頼んで操縦して戴かねばならぬ。聖母の御目は遠い先まで見える。その御力も非常なもので、いかなる敵もこれに打ち勝つことはできない。「上智の座」と呼ばれ給うほどあって、驚くべき御智慧を備えておられるから手先が狂って、思わぬ失敗を取り給うような気遣いはない。よって何事によらず、この御

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母に相談し、その御指図を仰ぐことにし、その思し召しに背いては何一つ試みる気にもなってはならぬ。平生この御母をば自分の「女皇」と崇め尊び、その御足の下にいるのを何よりの楽しみとし、邪欲の風が狂い出し、世俗の浪が暴れかかると見るや、ただちに「聖マリア、われらのために祈り給え」と、叫ぶことを忘れないよう、心がけたいものである。

実例

 聖ペトロ・ダミアノの兄にマルチノという人がいた。ある時、不幸にして罪を犯した。後で大いにそのことを悔い悲しみ、さっそく聖母の聖像の前へ行って、一身を聖母の奴隷に献げた。「ああ清浄の鑑にまします御母よ、私は賤しい罪人です。清浄を破って、天主にもあなたにも罪を犯しました。しかしこれが償いを果たすには、一身をあなたの奴隷に献げるより外はないと考えました。ただ今御足の下に平伏しておりまする。憎むべき謀反人ではございますけれども、どうぞ御拒(しりぞ)けくださいませんで、あなたの僕の中へお加えくださいませ」と祈り貢ぎ物として若干の御金を献げ、「これだけは毎年必ず奉納します」と固く約束した。マルチノはそういうように罪を深く痛悔し、以前に倍して聖母を尊び愛したから、臨終の際には、聖母の御見舞いを忝のうし、安全として永い眠りに入ることができた、という話である。われらもこの人のごとく聖母の奴隷となり、誠意を傾けて仕え奉るならば、必ずその祝福を蒙り、安らかな終わりを遂げることができるであろう。

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第十日、聖母の御名(その二)

 ヘブライ語の「マリヤム」という語を解きくずして見ると、「マル」は苦い、「ヤム」は海を意味するので、昔からマリアの御名を「苦い海」と訳する人がある。しかしそれならばヘブライ語の文法に従い、「マルヤム」とは言わないで、「ヤムマル」と読まねばならぬ、と当世の語学者たちは反対している。でも海の真潮が、苦くて塩辛いように、聖母も一生の間非常な辛い目に遭い、苦い目を見られたのだから、たとえマリアという語に、苦い海の意味があるにせよ、ないにせよ、いかにもよく当たった名と言わなければならぬ。思うにイエズスは、一生の久しきにわたって、十字架を担ぎ通しに担いでおられたようなものであるが、聖母も大天使ガブリエルの御告げを蒙られてから、御死去あそばすまでというものは、堪えて憂い悲しみを忘れ給わぬのであった。すでに大天使の御告げそのものが、ひとかたならぬ御心配の種子で、自分の夫を識らぬのに、どうして救い主の母になれようかと気遣って、お尋ねになったくらいである。聖ヨゼフが御托身の出来事を知らないで、憂い煩っておられるのを見て聖母はどんなに御胸を痛められたであろうか。ベトレヘムでの御心痛は言うまでもないが、シメオン老人から、後日苦しみの剣に御魂を刺し貫かるべきことを告げられ給うては、腸もちぎれる悲しみに沈まれたに

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相違ない。
 シメオンの預言した苦しみの剣は、間もなく残虐なヘロデの手によって振り廻された。危険は御子の身の上に逼って来た。聖母の一家は遠いエジプトへ流浪の身とならねばならぬことになった。その間の艱難苦労と言ったら、心も言葉もなかなかに及ぶどころではなかった。エジプトから帰って、一家は物静かなナザレトの田舎町に引き籠もられた。これで安堵の胸を撫でおろすことがおできになったかと言うに、そうでもない。御子の美しい御姿を眺めるにつけ、その愛らしい御唇を漏れ出る御言葉を聴くにつけ、その神々しい御ふるまいを仰ぎ視るにつけ、シメオンの預言した苦しみの剣が、まざまざと眼前に立ち顕れて、聖母の御胸を突き刺すのであった。
 しかし何と言っても、聖母が言語に絶えたる御悲しみに沈ませ給うたのは、御子の御受難の時で、最愛の御子は敵の手に捕らえられ、御体は鞭に打ち爛らされ、御頭は茨を冠らされ、御手足は大きなかま釘に打ち貫かれ、人々にはなぶられ、御父には見棄てられ、ありとあらゆる侮り辱め虐げを浴びせられ給うのを、眼前(まのあたり)に打ち眺めねばならない。世の常の母ならば、わが子の臨終に当たって、冷や汗の額に滲み出るのを見ては、静かにこれを拭ってやるのをせめてもの慰めとするものであるが、聖母ばかりは最愛の御子の臨終の場に立会いながら、その御両眼より溢れ落ちる御涙すら、拭ってあげることができず、その

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御傷口より滴り下る御血をすら止め参らせることもおできにならぬのであった。いかほど貧乏な母でも、わが子が最後の息を引き取るという時には、これを柔らかい藁の上に臥かすとか、己が温かい腕に抱えるとかして、撫でてもやり、さすってもやり、冷水の一杯なりとも飲まして、いくぶんでもその苦しみを和らげてやろうとするものである。しかれども聖母にはそれしきの慰めすら与えられない、たださめざめと涙に咽(むせ)んで、十字架の下に佇むより外はないのであった。
 ああその時、その日、聖母が御心中に嘗めさせ給うた御悲しみを、誰かよく述べ尽くし得るであろうか。その優しい御母に腸もちぎれる思いあらしめた御苦しみを誰かよく悟り得るであろうか。御目の前には最愛の御子がタラタラと生血を滴らしておられる。勝ち誇った敵は、聞くも忌々しき罵り、嘲りを投げつけている。満腔の情を傾けて愛し給える御子の御生命は、油の尽きた燈火のごとく、次第次第に消え失せようとしている。御子に死なれたら、わが身はいよいよ孤独(ひとりぼっち)で世界に頼りとすべき者は一人もいない、これを思い彼を 眺めては、いかに健気が聖母とはいえ、どうして御胸も破れる心地がせずにおられたであろうか。
 終に御子が冷たい屍となりて、血染めの十字架より下ろされ給うたのを、ヒシと御腕に抱きしめ給うた時ばかりは、聖母の御心はいよいよ「苦い海」となり果て給わなかった

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であろうか。かくて聖母は御子を抱きしめたまま、その茨の冠に突き爛らされた御額を見られた。その血汐に黒まった御頭髪を見られた。光の消え失せた御両眼、蒼白い御唇、かま釘に穿たれた御手足、槍に刺し貫かれた御脇腹を見られた。大小幾百と数知れぬ全身の御傷を数えられた。数えては泣き、泣いては数えして、時の移るのも知り給わぬのであった。もうイエズスのためには御受難の幕は閉じられたが、聖母の御悲しみだけはいつまでもいつまでも続いた。御子が御昇天あそばしてからでも、涙の谷に取り残された聖母は、幾度かその痛々しい御受難を想いめぐらして、同情の涙に掻き暮れ給うたか知れない。しかしながら聖母はいかなる苦しみの中にあっても、まったく天主の思し召しに安んじて、人を怨まず、天を咎めず、泰然自若、山でも突っ立ったかのごとく、微動だもなさらぬのであった。
 われらは聖母の凛々しい御勇気を思い、その驚くべき御忍耐を見て、大いに感じ、必ずともその美しい御手本に則るべく努めなければならぬ。この世は涙の谷である。内からも外からも、憂い悲しみは絶えず殺到して来る。ただ聖母の御手本に倣ったら、勇ましくこれを耐え忍ぶことができる。聖母はいかなる苦しみの中にも、小言一つ申されたことがない。御子を責め殺した悪党に対してすら、夢にも怒ったり怨んだりなさらない。かえってその人たちが早く心を改めて、救霊を得られるようにと、御子の御苦しみに御自分の

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御悲しみを添えて、御父天主に献げ給うたのであった。われらもこれからはそう致したい。たとえわれらを憎んで害を加える人があっても、決してそれを怨んだり、嫌ったりしないで、かえってその人のために祈って上げる。かえってその人のために天主の祝福をねがって上げる。天主がその人を道具に使って、この悲しみを、この辱めを私に与えて、償いをさしてくださるのだ、功徳を積ましてくださるのだと思ったら、いかなる無理でも堪えられぬことはないはずである。

実例

 イエズスの御受難でも、聖母の御悲しみでも、もとを糺せばわれらの罪のしわざであるということを忘れてはならぬ。十字架の聖パウロは一日ミサ聖祭を終わって、感謝の祈りをとなえていると、突然聖母マリアが白刃に御胸を刺し通され、御両眼には涙を湛えたまま、お顕れになった。そしてパウロに御苦しみのほどを語り聞かせ、われこそ聖母の僕だの、愛児だの、と誇っていながら、しじゅう罪を犯して御子に侮辱を加え奉る人の多きを慨き、平生イエズスの御苦しみと自分の御悲しみとに対して、熱い熱い信心をもつように、としきりにお勧めになった。われらもこの御勧めに従い、かねがねイエズスの御苦しみや、聖母の御悲しみやを黙想しよう。かりそめにも罪を犯してイエズスを苦しめ、聖母を悲しませ奉るがごときことのないように勉めよう。またそれと共に艱難苦労に出遭わした時は、これ

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でわが罪が償えるのだ、これでイエズスにわが愛を証拠立てることができるのだと思って、快く押し堪えるように努めよう。

第十一日、聖母の御名(その三)

 聖会は聖母を呼んで「女皇」と尊び、「苦い海」と称えるのみならず、また「海の星」とも崇める。それは聖母マリアがこの世の海を渡っているわれらを照らし、方角を示し、暗礁に注意させ、目指す天国の港へ安らかに辿り着かしてくださるというところから名づけたもので、聖母にはしごく適当な御名であろうかと思われる。もっとも聖母は光の源ではない。ただ天主から信仰の光を溢れんばかりに戴いて、非常に美しく照り輝き給うた上に、その光を反射して、暗闇にさまよえる世の人々を照らし給うのである。一口に言えば、聖母は照らされたる者である。「海の星」として天主に照らされ、また人をも照らし給うのである。聖母の御訪問を受けて、親族のエリザベトは嬉しさに堪えず、「福なるかな信ぜし者、これ主より言われしこと必ず成就すべければなり」(ルカ 一ノ四五)と叫んだ。実に聖母は生まれ給うたその当時から、天主の豊かな祝福を蒙り、あくまで信仰の光に照らされてい給うた。聖母の教師は天主で、天主は絶えず聖母の御心に赫々たる真理の光を送って、これを照らし、これを教え、これを諭し給うのであったから、いかなる

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人でも、聖母ほど深く信仰上の道理を悟っていたものはなかった。
 昔モイゼはシナイ山に登って天主と御話を交えたが、山を降った時、その額は異様に輝き、誰一人仰ぎ視ることもできないほどであった。いわんや聖母は「主汝と共にまします」と、大天使ガブリエルから讃められ給うたくらいに、始終天主と共にましまして、親しくお話を交えておられたから、御心はいかなる信仰の光に照り輝き給うのであったかは言うまでもないところである。聖パウロは天国に挙げられて、人の口に語ることのできない不思議な言葉を聞かされた。ただ天主の僕たるに過ぎないパウロですらも、それほどの恵みを戴いたとするならば、ましてその御母にてましますマリアが、得も言われぬ有り難い御話を承り給わぬはずがあったであろうか。
 かくのごとく聖母はいつもいつも天主と物語っておられたから、御心には信仰の光が、強く熾(さかん)に輝き渡り、いかなる暴風にでも吹き消される気遣いすらなかった。聖福音書を繙き見れば、イエズスは奇蹟の上に奇蹟を行い、恵みの上に恵みを重ねて、たちどころに病者を癒し、死人を蘇らせ、風や浪に命じてこれを鎮め、海の上を歩くなどして、その驚くべき御力を示し給うた。それでも弟子たちの信仰はいかにも弱く、ややもすれば、フラフラと揺るぎ出すのであった。「聖会の礎」とも「磐」とも呼ばれる聖ペトロですら、僅かの恐れに負けて主を三たびも否んだくらいであるから、その他は推して知るべきである。

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ただその間にあって、聖母の信仰だけは、荒磯に突っ立った巨巌のごとく、天も揺るげよ、地も砕けよ、とばかりの大嵐がぶつかって来ても、微動だもし給わぬのであった。御子が弟子たちに見棄てられ、教師などになぶられ、侮り辱めのありだけを浴びせられ、十字架上に無惨な御死去を遂げさせ給うのを見ながらも、血塗れになった冷たい御死骸を御手に取り抱き、その数知れぬ傷跡を数え、これを仄暗い墓穴に葬って、大きな石を蓋するに至っても、聖母の信仰だけは、少しの動きも揺るぎもしなかったのである。
 民衆に嘲われ、盗賊のバラバ以上の悪人と見倣され、十字架に釘つけられ、二人の盗賊の間に挙げられ、あらゆる罵り嘲りの中に御命を果たされたイエズスは、やはり天主の御独り子である、世の救い主であると信じて、聖母はこれを伏し拝み、そのいよいよ無法に辱められ給えば、いよいよ篤くこれを愛し給うのであった。御子が見るさえ恥ずかしき仕置きにかけられ給うても、それを恥ずかしいとも何とも思い給わぬ。あくまで御子は無罪である、義人である、メシアである、聖の聖なる天主であると信じ、御死骸は窟の墓に葬り終わっても、そが三日の後には甦り給うべきことを露ほども疑い給わぬのであった。実は聖母マリアの信仰の火は、恐ろしい嵐に吹かれて、ますます熾に燃え上がるばかりであったのである。
 聖母はただ天主を思い、天主と物語って、その信仰の光を強め給うたばかりではな

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い。御自分でも当時のイスラエル人に倣い、始終聖書を読み、これを黙想し、これを記憶に留めて、ますます深く天主の御徳を窮め、救い主に関わる預言の真意を悟るべく努められた。かくして得られた研究の結果が、その天主から賜った信仰の光に加わって、いよいよ明らかに輝き渡るのであった。
 ここはわれらの見落としてはならぬところである。今日は学問の世の中で、猫も杓子も学問でないと夜も日も明けぬというような塩梅で、上は天の上の上から、下は地の底の底までも研究して余すところなしというほどであるが、悲しいかな、己が霊魂を識り、天国を識り、天主を識るところの一番大切な学問だけは、そち除けにしていっこう顧みない。聖母のごとく、学問の光をもって信仰の光を助けさせるのならば結構だけれども、かえって少しばかりの学問を鼻にかけて、天主を疑い、霊魂を疑い、来世を疑い、信仰の光は吹き消してしまい、心は真っ暗にして顧みないのである。しかしわが身を等閑(なおざり)にして、ひたすら天体の動きを眺める傲慢な学者よりも、心を傾けて天主に仕え奉る賤しい百姓の方が、いくらましであろうか。
 われらはそうした生学者の真似をしてはならぬ。むしろ聖母マリアの美しい御手本に見倣い、しばしば天主の御前に進み、熱心な祈りを献げ、天主と睦まじくお話をして、信仰の光を求める一方から、深く公教要理を調べ、務めて聖福音書を漁り、信心の本を読み

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心静かにそれらを黙想して、天主のことやら、天国の道やらを究めるようにせねばならぬ。世には新聞だの、雑誌だの、小説だのは、毎日毎日欠かさず読み耽っていながら、宗教上の本と来ては、テンで相手にしない人が多い。ために信仰の光はますます衰え、心はいよいよ曇り曇って、とうとう真っ暗になってしまうのである。それでは自分がまず照らされて、一間でも照らす「海の星」であらねばならぬはずのキリスト信者が、さかさに自分がまず曇って、人までも曇らすと、いうような結果になって来るのは怪しむに足りない。

実例

 ある修道院で信者のために黙想会を開いた時、何とかいう陸軍の大佐がそれに参会した。院長さんは皆に公教要理を貸して読ませた。大佐はムッとした顔色をして、「公教要理をですか、あなたは私にイロハから習え、と仰るんですか。私は十歳くらいの時にチャンと暗記して置きましたから、今更こんなものを読む必要がありません」と言った。「でもそれか随分久しくなりますから、お忘れになったところもございましょう」と言って、院長が試みに二つ三つ問いをかけて見ると、一つもろくな答ができない。プロテスタントの信者でも言いそうなことを一度ならず答えた。大佐も終に顔をあかめて、正直に院長の手から公教要理を受け取ったということである。あながちこの大佐に限らない、わが国でもたいがいの人は、一たび堅振の秘蹟を授かると、卒業免状でも握った科のように、公

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教要理は片隅に放り込んで、手に取って見ようともしない。ためにせっかく苦心して学んだところも、二三年の後にはまったく忘れてしまい、頭には何にも残らないから、次第に信仰の光は薄れて、自分の行くべき道すら見えなくなって来るのである。それではどうして聖母のごとく「照らされる者」となって、次第に人までも照らすことができるだろうか。

第十二日、聖母の御名(その四)

 聖母は天主か戴かれた信仰の光でも、聖書を研究して得られた学識の輝きでも、決してこれを私せず、もって世の人を照らし給うのであったから、つとに「照らされた者」であるのみならず、また実に「照らす者」ともなり給うたのである。まず聖母は使徒たちを照らし給うた。救い主の御昇天後、聖会の設立から布教の方法、信者の治め方などについて何くれとなく使徒たちを教え導き、これを慰め、これを励まし、これを引き立て、杖とも柱ともなり給うたのは、実に聖母マリアではなかたろうか。「祈祷の人」であった聖母は、また「活動の人」ともなって、病者を見舞い、貧困者を憐れみ、憂い悲しめる人を慰めて、世にキリスト教の有難味を覚らせ、知らず識らずの中に、これを真の信仰に引き入れ給うのではなかったろうか。
 次に聖母は福音史家をも照らし給うた。「マリアはこれらのことをことごとく心に納めて、考え

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合わせいたり」(ルカ 二ノ一九)、と録してある通り、聖母は御子の身の上に起こった出来事は、注意深い御目をみはってこれを眺め、一言葉でも聞き漏らさず、一事でも見遺さないで、一々これを心に納めておられた。で福音史家がいよいよ筆をとって、救い主の伝記を綴ろうという時には、それを語り聞かせて、誤りなく伝えしめたのである。とりわけ御子の幼年時代の出来事は、ガブリエル大天使の御告げでも、「わが魂、主を崇め奉る」の讃美歌でも、聖ヨゼフの御憂いにせよ、牧者や博士たちの参拝にせよ、御子のエジプト避難、ナザレトの侘び住まいなどに至るまで、すべて聖母の御物語に基づいたものたることは、申すまでもないところである。
 使徒たちや、福音史家ばかりではない。代々の聖人たちも同じく聖母マリアに照らされたものである。聖バジリオ、金口聖ヨハネ、聖アムブロジオ、聖アウグスチノのごとき聖人たちは、口を極めて聖母を讃め称えて、「己が眼の光」、「思想の空に輝く慰めの星」とまで呼んでおられる。聖者大アルベルトは、才鈍く、智慧浅く、学問の出来が非常に悪く、とうてい物の役に立ちそうにも思われぬのであったが、聖母に祈ってこれに照らされるや、当世の「明星」と仰がれるほどの豪い学者となられた。同じく福者ヘルマンは、不治の病に悩まされていた上に、これもまたなかなかの鈍才で、まったく将来の見込みがつかぬのであった。しかし二カ年の間も、熱心に聖母の御助けを祈っていると、一夜

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聖母は彼にお顕れになり、全快して何も知らずに世を渡るのと、病はそのままで、万事に秀でるのとどちらを望むか、とお尋ねになった。ヘルマンは学問の方を選んだ。ために彼は一生涯不具者で過ごしたが、その代わりに世界を驚かすほどの名高い学者となった。われらが平生となえる彼の美しい「元后の祈り」は、このヘルマンが、右の大恩を感謝するがために作ったものだそうである。
 聖母はただ信仰や、学識をもってのみならず、また美しい徳の光をもっても、世の人を照らし給うた。今も照らし給うのである。聖母は身に大罪の暗みもなければ、小罪の蔭もない上に、あらゆる徳の光に輝いていられたから、いかなる身分境遇の人でも、これを照らすことを得給う。まず妻たるものの立派な鑑である。妻として聖母ほど熱く夫を愛し、まめまめしくこれに仕えた人がない。聖母ほどよくその夫を扶けて、子どもの教育から、家事の取り締まりに至るまで、何一つ手落ちのないように、世話を焼いた人もない。憂い、悲しみに沈んでいる人のためにも立派な鑑である。聖母は一生涯、さまざまの艱難苦労に悩まされ給うたが、しかし何事も天主の思し召しと信じて、快く耐え忍び、夢にも短気を出したり、天主を怨んだり、世を咎めたりなさるようなことはなかった。とりわけ青年、処女のためには、その目つきからものの言い振り、身の立ち居振る舞いに至るまで、またなき模範と仰がれ給うのである。ペラペラとおしゃべりをして歩いたり、やたらに身を飾り、世間

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を浮かれ廻ったりなさるようなことはなく、深く身を慎み、世に遠ざかって、専ら天主を思い、天主を眺め、天主のことにのみ一身を委ね給うのであった。しかし聖母は御自分の上にだけ注意して、他人はどうなろうとまったく頓着なさらなかったわけではない。処女時代にも、御結婚後にも、御子と別れてからも、必ず他人を勧め、教え、諭して、救霊の道へ引き入れなさったに相違ないのである。  われらも聖母のごとく「照らす者」とならなければならぬ、絶えず聖母を眺め、その御鑑の光に照らされ、日にまし悪に遠ざかり、善に進むよう、心がける一方から、邪道(よこみち)に迷い込んでいる人々を勧め、戒めて、正しき道へ引き戻すように努めはしても、夢にもカイン見たように、「兄弟の番人ではなし」と澄まし込んでいてはならぬ。聖母の子どもとなって、その御鑑に照らされた以上は、それぞれに一個の小さな「海の星」となり、暗みにさまよえる人々を照らして、天国の港へ案内せねばならぬはずではあるまいか。
 すでに申し上げた通り、名は物の実際を語るべきはずのもので、名があれば必ずこれに釣り合うだけの実がなければならぬ。聖母は「女皇」と呼ばれ給うほどであって、わが身をよく取り治め、これを支配して行かれた。「苦い海」と呼ばれ給うほどであって、非常な憂い、悲しみの海に沈まれながらも、気強く堪え忍んで、その憂い、悲しみの功徳を一つでも流してしまうようなことがなかった。「照らされたる者」とも、「照らす者」とも呼ば

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れ給うだけに、御自分が天主の御光に照らされ給うたのみならず、また世の人をも立派に照らし給うた。われらは洗礼の時に、ペトロなり、パウロなり、マリアなり、マグダレナなりの立派な名を戴いているが、果たしてこの名に釣り合うだけの行いをしているだろうか。かえって正反対の業をして、その立派な名を汚しているようなことはあるまいか。果たしてそうであったら、一日も早く悔い悛め、今からはぜひぜひわが名に釣り合うほどの行いをして、「名あって実なしだ」と譏られるところがないように心がけねばならぬ。そのためにはしばしば聖母の聖像の前に跪き、その優しく気高い御姿を仰ぎ、その望み給うところを尋ね、その美しい御名を呼んで、心からこれに祈ることにしたならば、聖母の御心に適うことは何であるかと分かり、分かった上ではそれを実行するだけの力をも賜り、心は言い知れぬ喜びに躍るようになって来るであろう。

実例

 ある女学生が母に書面を送って、化粧鏡を強請(ねだ)った。母はさっそく承諾して、「一つじゃ足るまいから三つ送って上げます。第一のでは、今のお前の顔が見えるのです。第二のでは、後のお前の姿がのぞかれます。第三のには、お前の理想とすべき容(かたち)が写りますから、十分注意して眺めなさい」と言ってやった。間もなく小包が着いた。一、二、三、と札をつけて、三包みを一つに括ってある。第一の包みを開けて見ると普通の鏡

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であった。なるほどお母さんの御言葉どおりに、自分の若い美しい、花のような今の顔が見られる。「お母さんも善い人だわ」と娘は喜んで鏡に接吻した。「第二の包みはどんな良い物でしょうネ」と胸を躍らしながら、解いて見たが、「アラ厭ア!」と思わず頓狂な声を挙げて叫んだ。それもそのはず、中の物は鏡ではなくて、髑髏(されこうべ)の絵であった。「お母さんも余りよ」と言おうとしたが、「でもこれこそ後の私の姿!お前も一度はこうなるのだ、とお母さんが教えてくだすったのだナ」、と思えば苦情を言うどころか、かえってお母さんの御親切がしみじみと身に感じられて、前の鏡よりもいっそう長く打ち眺めた。「第三の包みは何でしょう。第二のさえあのように恐ろしかったんだもの。もうこのまま開けないで置こうかしら」とまで思ったが、恐ろしい物はどうしても見たい、そろそろと包みを解いた。中を見て二度びっくりした、というのは、思いがけもない聖母アリアの原罪の汚れなき御やどりの御像が出て来るではないか。娘は非常に喜んで、「これよこれよ、私もぜひ、こんなにならねばならぬ。天主様の聖寵によって、一度は必ずなりますよ」と言って、その前に跪き、長く祈ったとか。われらも始終この理想の鏡を眺めよう。いかに若やかな、つやつやしい姿でも、一度は見る影もない髑髏となるのだ。しかし聖母の御鑑に倣い、罪の汚れに染まないようにして行くならば、たとえ顔の姿はいかに窶れ果てようとも、心はいつまでもその若やかさを失わないで、永遠につやつやしい光をさえ輝か

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すことができるのである。

第十三日、天主の聖母(その一)

 聖マリアの連祷は、天主の御憐れみを求めて戴くためのみごとな嘆願状である。この嘆願状には、聖母がわれらのために、ぜひとも御周旋してくださらねばならぬ理由を二つほど冒頭に持ち出して、「天主の聖母」、「童貞の中にて最も聖なる童貞」と叫んである。実に聖母が、われらのために御とりつぎくださるのは、また御とりつぎくださらねばならぬのは、「天主の聖母」として、「童貞中の童貞」として、すべての被造物中に、最も高くぬきん出ておられるからである。まず、「天主の聖母」という方から考えて見ると、これは聖母にとって、非常に名誉な肩書きであって、聖母が百千の特典を忝のうせられたのも、つまりこの肩書きがあったためである。随って悪魔は、この肩書きを甚だしく怖れ、多くの反対者を交々(こもごも)起こして、これを剥ぎ取ろうと企てた。その中の主なのを言うと、紀元三百二十年頃エジプトのアレクサンドリア教会に起こった異端者アリウスである。彼は「キリストはただの人であった。もとより驚くべき偉人には相違なかったが、決して天主ではない。一個の被造物たるに過ぎないのだ」、主張して、多くの人を迷わした。そこで教皇シルウェステルは、紀元三百二十五年、小アジアのニケアという町に三百十八名からの司教

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を集めて公会議を開き、アリウスの異端を排斥し、ニケア信経というのを造り、カトリック信者たるものは、みなこの信経に述べてある教理を信じなければならぬ、と議決された。今日司祭がミサ聖祭中にとなえる信経がすなわちそれで、使徒信経から見ると随分長い。御子が天主にてましますことを、ことさららしく述べてある。「万代の前に父より生まれ、天主よりの天主、光よりの光、真の天主よりの真の天主、生まれ給いて造られ給わず、父と同実体にましまして、万物は彼によりて造られたり。彼はわれら人類のため、われらの救霊のために天より降り、聖霊によりで童貞マリアよりやどされ、人となり給えり云々」と言っている。
 聖母について、アリウスは何たる異説をも唱えなかったが、すでにキリストを「天主ではない、ただの被造物だ」と主張した以上は、やはり聖母マリアをも、「天主の聖母」ではないと妄言したわけである。さればニケア公会議で、キリストが真の天主にてましますと議決されたからは、その御母もまた「天主の聖母」たることを断定されたもの、と言っても差し支えあるまい。
 悪魔はなかなか悪がしこい奴で、一方で敗れると、ただちに手を替えて他の方面から盛り返そうとする。キリストは天主性と人性との二つを備え給うがゆえに、天主でもあれば人でもある。しかしペルソナは天主の第二のペルソナをただ一つしかお持ちでない、と

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というのがカトリック教会の教えである。しかるにアリウスから百年ばかりもして、東ローマの都コンスタンチノブルの大司教ネストリウスというのがいた。アリウスの謬説を焼き直して、「キリストに二つの性があれば、ペルソナもぜひ二つあらねばならぬ。一つは天主の第二のペルソナで、一つはキリストという人のペルソナである。このキリストという人は、実に実に驚くべき徳を備えておられたために、天主の第二のペルソナがこれと合体し給うたのだ。随って聖マリアは天主をお産みあそばしたのではなく、ただキリストをお産みなさったのみで、「天主の聖母」ではなく、単にキリストの御母たるに止まる」と言い出した。
 しかしネストリウスも、初めからそうした耳新しい異説を、公に信者に向かって説き弘めるのを憚ったものと見え、まず秘書のアナスタジウスという者に命じて、「誰にしても今から、マリアを天主の御母と呼んではいけない。マリアはただの婦人だ。ただの婦人が天主を子に持つことのできるはずがありますか」、と教壇上から信者に向かって述べさせた。しばらく経って、わが主御降誕の祝日になると、ネストリウス自らが起って、その怖るべき妄説を公にし、「天主が御母を持ち給うなんて、偶像教者みたようなことを言ってはならぬ。私はもとよりキリストを礼拝する。しかしそれはただ天主の御衣としてであって、実はその中に包まれ給える天主を礼拝するのだ」と言い放った。

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 たちまち反対論がごうごうと起こって来た。しかれどもネストリウスはなかなか強情だ。ちっとやそっとの反対を受けたくらいで、後ろへ退くような男ではない。いったい彼は学問といって、さまで深いのではなく、御托身に関する聖人たちの著書も格別読み破っていたわけではない。ただ生来(うまれながら)の雄弁家であったから、何でもかでも口から出まかせに喋り立てて、聴衆を煙に巻き、それで巧みに自分のぼろを隠していたのである。その上、馬鹿にうぬぼれが強くて、いっこう人を人とも思わず、反対説に加担する司祭たちには、断然聖職を執ることを禁じ、修道者などは監獄へぶち込むやら、笞刑に処すやら、散々に暴行を働いた。その頃プロクロスという司教がいたが、聖母への御告げの祝日に、コンスタンチノブルの聖ソフィア大聖堂において、聖マリアが天主の御母にましますことを、熱弁を振るって堂々と論じ立てた。
 「この童貞の御祝いには、何から何までめでたいことばかりです。海も陸も、天までも等しく声をそろえて、その元后の光栄を謳うよと見えます。長閑(のどか)な春の季節となり、海はその浪を穏やかにして、航海者に便利を与え、天地は冬の深き眠りより醒めて、青々とした美しい緑の衣を着飾り、どこにもここにも喜びの声が漲りわたっている。われわれも心を合わせ声を揃えて、天主の聖母たる童貞聖マリアを讃美しましょう。」
 信者たちはみな、聖母マリアに対するこの懐かしい讃美の辞(ことば)を耳にして、嬉しくてたま

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らない。司教はなお話を続けた。
 「涯しなく広い広い天ですら容れ能わぬ御方を、童貞女がその御胎内にお抱えになったのです。主は実に婦より生まれ給うた。ただ天主としてばかりではない、ただ人としてばかりでもない。天主にして人、人にして天主として生まれ給うたのです。この偉大なる天主は、世界に生命をもたらすがために、婦人より生まれるのを恥とし給わぬのでした。そのおやどりになった御胎は、お生まれの前にも後にも、やはり童貞でありましたので、少しの汚れでもそれからお受けになったはずがありません。御母は童貞によって御子の天主たることは、いよいよ明らかにあらわされたのです。皆さん、天主がこういう御誕生をなさいましたからとて、躓かされてはなりません。これによってこそ皆さんは救われたのです。もし天主が婦からお生まれにならなかったら、御死去あそばすこともなかったでしょう。御死去あそばすことがなかったら、死の国を打ち滅ぼすことも御出来になるはずがありません。」  これこそ純にして混じりのないカトリックの教えで、信者たちは喜んでこれを味わい、これに賛成した。司教は続いて述べられる。
 「キリストは次第次第に進歩して、天主とまでなり上がられたのではない。始めから天主であらせられた。信仰はわれわれにそう教えます。ただ人を不憫に思し召して、その天主

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が人とおなりくださったのです。われわれは決して人が天主になったなどと説くのではない。天主が御托身あそばして、人とおなりくださったと申すのです。キリストは天主としては母をおもちではないが、人としては父をおもちにならない。異端者よ、今から決して、キリストと御子とは別者だ、と言ってはいけない。解き離すことのできない御托身の衣を、なぜ破ろうとするのです。アリウスの歩き出した跡を踏んでどうするのです。願わくは天を開き給いし天主の御言葉の光に照らされて、今からすべての諍いは消え失せて欲しいものであります」と。
 信者たちはいずれもこの立派な説教に賛意を表して盛んに喝采した。そもそもマリアが、「天主の聖母」であるか否かということは、非常に重大な問題であって、もし「天主の聖母」でないとするならば、キリストもただの人間であって、天主ではない。随ってその功徳も人間としての功徳たるに過ぎない。とうていわれらの限りなき罪を贖うには足りない。それではわれらも御贖いの恵みに浴していないわけになってしまう。当時の信者たちが甚だしく騒ぎ出したのも、まったくこのためであった。とにかく、聖母は天主の御子に人の肉を与え、もって人類贖いの大業に当たらしめ給うたのであるから、これを「天主の聖母」として崇め尊びこれを「人類贖いの手伝い者」として、讃め称えるのは当然すぎるほど当然ではないだろうか。

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実例

 昔ギリシアの有名な弁士が、マケドニア王フィリッポを讃め称えるのに、その家柄を言わず、その功績を述べないで、ただ「アレクサンデルという豪傑の御子様を持っていらっしゃる」、と一口言ったそうである。福音書にも、洗者ヨハネとか、マリア・マグダレナとかのことは、いろいろ讃め称えてあるが、聖母については余り書き立ててない。それは「イエズスがその御子にてましました」と言っただけで、十二分に聖母の誉を述べ尽くしてあるからである。要するに被造物の中で、聖母ほど優れて尊い御方はないのであるから、異端者が何と言っても構うことはない。われらはただ一心に聖母を讃め、その光栄を歌い、その御恵みを感謝するように努めよう。

第十四日、天主の聖母(その二)

 「キリストには天主のペルソナと人のペルソナと二つがあって、マリアはただ人のペルソナをお生みになったのみだから、キリストの御母たるに止まって、決して天主の聖母ではない」と、とんでもない妄説を一度ネストリウスが唱えてから、甲論乙駁、容易ならぬ騒ぎが聖会内に捲き起こった。加うるに東ローマの皇帝テオドシウスが異端を禁じようとはせずに、かえって暗々裡にネストリウスを庇うという塩梅であったから

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ネストリウスの我が儘はいよいよ増長するばかり、棄て置いたら一大事にもなりそうになって来たが、しかし天主は決して聖会を見限りなさらない。アレクサンドリアの大司教シリルス聖人を起こして、真理の擁護に当たらしめ給うた。聖人は最初、東ローマ帝国内の各修道院に書簡を送って、マリアに「天主の聖母」の称号(みな)を奉るのを、信者が躊躇するのは不思議に堪えない次第を述べて、こう言われた。「イエズス・キリストが天主ならば、これをお産み申された童貞女が、どうして天主の御母でないのでしょうか。聖アタナジウスは明らかに天主の聖母と呼んでおられる。ニケア公会議でも、天主の聖母という言葉こそ用いなかったが、しかし『聖霊によりて童貞マリアよりやどされ、人となり給えり』と言いましたでしょう。その中には、マリアが天主の聖母にてましますことは十分に読まれるぢゃございませんか。キリストのペルソナに、永遠の父の御子と、新たに造られた神の子ことが区別してありますか。すべて世に生まれ出た人は、肉体と霊魂とを一つにしたものですが、われわれの母はただ肉体を与えるだけで、それに天主が霊魂をお合わせくださるのです。しかしわれわれの母はただ肉体の母であって、実際の母ではない、という人はどこにもいますまい。つまり私の母と呼んでいますでしょう。同じ道理で、天主の御子イエズス・キリストも、聖マリアを、私の母とお呼びになりました。実に聖マリアのお生みになったのは、ただの人ではなく、御托身あそばした天主の御

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子、人となり給うた天主様にてましましたのであります」と。
 この書簡は各地に非常な反響を呼び起こした。断然異端を棄てて真の信仰に立ち帰る人も多かった。シリルス聖人は尋いでネストリウスに書を送って、コンスタンチノブルの大司教ともあるものが、かかるばかばかしい異説を唱えるとは、いかにも信じ難い旨を述べた上で、「どうぞこの点について、あなたの意中を明らかにしてください。ローマ教皇セレスチノ様は、あなたの名をもってかの地この地にチラされてある説教集が、果たしてあなたのお作であるか否かを私にお尋ねになりました。その文面によって見ますと、この新奇な異説に対して、非常に御憤りのように見受けられます。何とぞ童貞聖マリアに天主の称号を拒んで、いつまでも信者たちを躓かしてくださいますな」と申し込まれた。しかしネストリウスはいっこう改心する模様が見えない。かえって教皇を欺いて、自分の見方に引っ張り込まんと企て、いろいろと根も葉もないことを拵えて、シリルス聖人を訴え出た。聖人はそれと悟るや、教皇に上書して、異説がますます拡がって行くこと、司教たちがいずれもネストリウスの説を謬(あやまり)と認めていること、ネストリウスその人も自説の謬は万々承知しているのだけれども、彼は自分独りが天下の大学者で、自分独りが聖書の真正な意義を暁(さと)っている、御托身の玄義を正当に解っている者は、自分の外にはないくらいに鼻を高めているから、ナカナカ改心しない、ということを訴えて、いかなる処置を取る

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べきであるか、黙認して日和を見ていようか、破門の罰をお降しになるべきではあるまいかと言上した。時はまさに紀元四百三十年の四月であったが、越えて八月セレスチノは、ローマに司教会議を開いてネストリウスの説を取り調べ、これを聖アムブロジョ聖ヒラリヨなどの説とくらべて、ネストリウスの説がまったく謬っている、聖マリアは「天主の聖母」に相違ないことを確かめられた。よってさっそくシリルス聖人に書を送って、「事は御托身あそばされた御子の名誉に関わる一大事である。しかもただの羊が迷っているのならば、捜し廻って肩に乗せても帰れようが、羊を喰い裂く狼であって見れば、一刻も猶予してはならぬ。御身に代理を申しつけるから、もしネストリウスが通知を受けてから十日以内に、その謬を棄てて、ローマ公教会の信仰宣言書に署名捺印しなければ、破門の罰に処し、その聖職を剥ぎ取って、後継者を選挙するように取り計らわれよ」と命じ給うた。
 シリルスは教皇の仰せを畏まり、管下の司教たちをアレキサンドリアに呼び集めて、ネストリウスの異説に対する信仰宣言書十二箇条を作り、四人の司教をコンスタンチノブルに遣わして、これをネストリウスに提出させた。十日以内にこの十二箇条を承認して、これに捺印しなければ破門するというのであった。ネストリウスも今度ばかりはさすがに狼狽した。さっそく宮中に駈けつけ、皇帝の袖に縋って公議会の招集を嘆願した。

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東ローマでは、いずれの皇帝も、機さえあらば宗教問題に啄(くちばし)を容れたがる弊風がったものだから、小テオドシウス帝もネストリウスの願いを幸いに、教皇と打ち合わせをして小アジアのエフェゾ市に公議会を開くことにした。議会は翌四百三十二年六月七日、聖霊降臨の祝日をもって、開会するはずになったから、ローマからは教皇の代理として三人の使節が乗りこんだ。ネストリウスもエフェゾまでは行ったものの、どうにかして事件を長引かそうと、いろいろ口実を設けて出て来ないものだから、開会することができない。司教たちは終にしびれを切らし、六月二十二日にはネストリウスの出席いかんにかかわらず、きっと開会式を挙げることに定めた。
 さて、いよいよその日になった。ネストリウスは出て来ない。四度までも使いを走らして招待したが、家は兵士をもって厳重に守って人を入れない。仕方がないので、そのまま開会し、まず聖人たちの書きものを読み上げ、これとネストリウスの主張する説を突き合わせて、満場一致、ネストリウスの説を謬だと決定し、ネストリウスの司教職を奪い司祭の位階までも剥ぎ取った上で、これに破門の罰を宣告した。
 そもそもエフェゾの町はイエズスの御昇天後、聖母マリアが聖ヨハネと共にお住まいになった所で、かねがね信者たちは厚く聖母を尊敬していたので、ぜひとも、「聖マリアは天主の聖母なり」と議決していただきたいものと一心に翼っていた。しかれども皇帝

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の代理として、エフェゾに臨んでいるカンヂヂアヌスという高等官は、大のネストリウス贔屓であったから、どうも安心ができない。終日、議場に当てられた聖マリア大聖堂を取り巻いて、結果いかにと固唾を呑んでまっていた。会議は日没に及んだ。ネストリウスがいよいよ処分された、マリアは「天主の御母」に相違ないと議決されたと聞くや、歓びの声は天地も揺りくずさんばかり、「天主様に光栄、公議会に光栄、キリスト様の敵は打ち潰された」と叫び、手に手に松明を取り、司教方が旅館に帰られるのに御伴をして、絶えず、「マリア様は天主の聖母よ、マリア様は天主の聖母よ」と繰り返し繰り返し叫ぶのであった。
 かくのごとくして、異端は終に打ち破られた。聖母は全教会より「天主の聖母」と尊敬され給うようになった。それからというものは、聖母の光栄を汚すような毒説を吐くものは格別出なかった。しかし十六世紀に至るや、プロテスタントが起こって、ネストリウスよりもいっそう甚だしい異説を唱え、あらゆる悪言暴語を聖母に投げつけた。今日でも「カトリック信者は聖母を拝んでいる、キリストはそちのけにして、もっぱら聖母を崇拝しているのだ」などと、あられもせぬことを吹き立てて止まない。されば彼らの不敬を償うがために、ことさら熱心に聖母を尊び敬い、「天主の聖母、われらのために祈り給え」と叫んで、彼らの暗んだ眼を照らして、「天主の聖母」の栄えと慈しみとを認めさしてくださる

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よう心からお願いせねばならぬ。

実例

 ネストリウスは、公議会の処分を受けても、その強情の角を折らないから、とうとう流罪に処せられた。後で病に罹り、聖母を悪言したその舌には蛆が湧き、ついで全身が腐れ爛れて、臭い臭い悪臭を放ち、言うに言われぬ苦しみの中に憐れな最期を遂げた。聖母を罵る者はあわせて御子をも罵るわけで、ネストリウスがそうした天罰を蒙ったのもあながち無理はない。いくらわが身は人に尊び敬われても、もしわが母が賤しめられては、嬉しいはずがない。イエズスは御母の侮られ給うのを、冷ややかな眼で看過し給うほど、親不孝な御方ではない。でイエズスを尊びたいと思うならば、聖母をも尊ぶべし、イエズスを喜ばせ奉りたい考えならば、聖母をも一心に愛すべしだ。

第十五日、童貞の中にて最も聖なる童貞(その一)

 天主が無上至尊の御方にてましますことを形容して、「王の王」と言い、聖人たちの楽しんでおられる高い高い天国を指して、「天の天」と言い、聖堂の一番奥の間を呼んで「聖の聖なる所」と言うがごとく、聖母マリアがことさら童貞の徳に秀で、目も美しくましますことを讃め称えるのに、「童貞の中にて最も聖なる童貞」という言葉をもってするので

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ある。まず聖母は童貞の中にもとりわけ潔(いさぎよ)き童貞、清浄無垢の天使たちですら、驚きの目をみはって仰ぎ視奉るほど、美しく輝き給うのであった。もとより天使たちはいずれも童貞である。しかしそれは肉体をお持ちでないから、性質上そうであって、彼らは傲慢に向かってこそ戦わねばならなかったが、われら人間のごとく、怖ろしい肉欲と戦う必要を知らなかった。その天性から備わっている童貞の清さを汚すところのものは、何一つとしてなかった。ちょうど山奥に湛えた湖が、濁った泥水の流れ込む気遣いとてはなく、その蒼々と澄み渡れる水面には、日の光、雲の姿、風に揺らめく樹々の影までが、みごとに映っているのにさも似たりである。
 今聖母マリアも童貞であらせ給うた。それも天使たちのごとく肉体がないからではなく、ただ聖寵によってしかるのであった。実に聖母の御霊魂は初めから一点の罪の汚れもなく、天使たちのように清く潔くましましたが、しかしそのみごとな御決心によって、その屈せず撓まざる御努力によって、清浄潔白の絶頂にまで攀ぢ登りたいという、その不断の御奮発によって、いよいよ麗しく研き立てられ給うたのである。ああ聖母の御決心の堅かったことよ。たとえ天と地とが倒になっても、こればかりは動くことも揺らぐこともないのであった。他の聖人たちならば、どんなに決心の臍を固めていても、時としてはそれがぐらついて、ちょっと二の足を踏むというようなことがないものでもない。随っていか

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なる聖人でも、あくまで自分の弱さを認めて、「私は天主の聖寵に支えられないならばどうなるでしょうか。もし私の身を護ってくださる御手がなくなるならば、どんな不浄のどん底へ堕落するでしょうか」と気遣って、いつもいつも用心の帯を緩めることはできないのである。独り聖母マリアだけは、そうした気遣いは一つもなかった。
 聖母は「童貞の中にて最も聖なる童貞」であった。天使たちにも優って清く潔くましました。否童貞中でも唯一無二の童貞で、少しもその童貞の誇りを失わずして、天主の御母ともなる福を忝のうし給うた。しかも」聖母がそうした有り難い身分になられるのに、人間業というものが一つも加わっていない。ただ聖の聖なる天主の御手が、これにお触れになったのみであるから、その童貞は少しの曇りも受けないで、ますます鮮やかさを増し、眩(まぶ)しきまでに照り輝くのであった。とにかく、聖母は天主の御母でありながら、やはり童貞であり、童貞でありながらまた御母であらせられた。かかることは開闢以来いまだかつて聞かざるところで、こればかりでも確かに「童貞中の童貞」と尊ばれ給うことができるのである。
 われらは聖母のごとく童貞の美しさと母の誇りとを兼ねることができないが、せめては父となり、母となるまでなりとも、童貞の清さを保ちたいものである。そもそも童貞と呼ばれるにはただ体を汚さないばかりでは足りない。思いまでも、望みまでも、愛情までもしか

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取り守らねばならぬ。でもそれはなかなか容易なことではない。たとえば五官だけは立派に取り締まることができるにしても、想像は、よく心の家を飛び出して、汚い汚い泥の中を這い廻るものである。それもわれとわが心を堅く抑えつけていても、思わず識らず飛び出すのならばだが、出ないように禁ずることも、出たのを引き戻すこともできる時ですら、それを怠り、甚だしきに至っては、自分でまったく承諾して、カトリック信者たる者が顔を赤らめずにはおれないような物でも、自由に眺めさせる、勝手に想い廻させる、というようなことすらなきにしも限らぬのである。
 聖母の子どもたる者は、これではどうもよろしくない。ぜひとも聖母のお嫌いになるところは、自分もこれを嫌い、自分の考えを腐らし、自分の心から清浄の白衣を剥ぎ取るような悪い友を避けて、思いも、望みも、言葉も、行いも、少しの汚れにすら染まさぬよう、注意せねばならぬ。とりわけ青年時代には、誰しも経験がない上に、世間には見るもの聞くもの、すべて面白く珍しい物ばかりであるから、馬車馬も同様に、めったやたらに世間の危ない中へ飛び込んで行こうとする。親兄弟なりとも引き止めてくださればよいのだけれど、それもいっこうない。時としては世馴れをさせるがためだの、礼儀作法を見習わせるがためだのと言って、わざわざ自分らの方から、そうした危ない中へ押し出して、得意然たる親兄弟すらないものでもない。さていよいよ世間へ出て見ると、年は若いし、経験はなし、遭う人

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遭う人もみな親切らしく思われて、すぐその口車に乗り、いろんな馬鹿事をやって、あげくの果てには厭がられる、振られる、棄てられるのである。そうなると、相場通りに自棄を起こして、「毒喰らえば皿まで」という諺に違わず、いよいよ悪より悪へ深入りをするばかり。たとえ幸いにして前々の信仰に立ち戻り、聖会の温かい懐へ舞い戻るにしても、はやその時は童貞ではない。その美しい清浄潔白の衣は穢(きたな)い泥に汚れてしまったのだ。もうどうしたって取り返しはつかぬのである。
 ところで聖母にはそのようなことが一つもなかった。いつも天主を思い、天主を望み、天主を愛して、暫くも忘れ得たまわぬのであった。口伝によると聖母はわずか三歳の年に、早くもイェルザレムの聖堂へ連れ行かれて、身も心も残らず天主にお献げになったとか。三歳と言えばわれらならば未だ西も東も分からぬ頑是ない嬰児であるのに、聖母はもうその時から、世間は儚い、恃むに足らぬものだ、何よりも大切にすべきは天主である、この天主に一身を献げ、世間を思わず、世間にも思われず、ただ天主の優しい御手に撫でられて、世を渡るのは、いかに幸福であるかということを、十分にお悟りになり、童貞の誓願までもお立てになったということである。
 ユデアの女は、婚姻をして子孫を殖やし、救世主の祖先の一人に加えられるというのを、唯一の理想としていたのだから、独身生活など夢にも思わぬのであった。かかる

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風習があったにもかかわらず、聖母は童貞の徳の美しさを弁え、天主の聖意(おぼしめし)のあるところを悟るや、断然志を決して、従来世界に例のない誓願までも立て、最初の童貞女となり、範を後の世にお示しになった。聖アントニノは言われた。「聖母を諸々の童貞者の母と称するのは、聖母が誰から命ぜられたとか、勧められたとかいうわけでもなく、そういう例は一つでも見たり聞いたりされたこともないのに、自ら童貞の誓願を立て、一身を天主にお献げになった。そして後から続々と御手本に倣い、その童貞の清さを保って行くべき人々のために道をお開きくださったからであります」と。ああわれらもこの美しい御手本に則って、身も心も汚れなき童貞者となることができたら、いかばかり福であろうか。たとえ一生涯、童貞の清さを保つことはできないでも、せめては青年処女の間なりとも、童貞でありたいものである。

実例

 聖スタニスラオ・コツカは、幼少の頃から熱く聖母を愛し、聖母に倣って、身も心も清浄潔白を保った人である。かつて大病に罹った。とうてい助かる見込みがない、と医者も匙を投げ、今はただ死を待つのみとなった。しかるにある日突然聖母が病床にお顕れになり、いかにも優しい御顔つきで聖人を労り慰め、御腕に抱いておられた御子を床の上におろして、聖人に撫でさすって可愛がらせ、その上、さしもの大病を、ケロリと拭うがごと

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く癒してくださった。われらも聖人のごとく清浄潔白であったなら、一生の間、聖母に愛され、臨終の際には、しかとイエズスを抱き締めたまま、現世を立つことができるじゃあるまいか。

第十六日、童貞の中にて最も聖なる童貞(その二)

 聖母マリアが「童貞の中にて最も聖なる童貞」と崇められ給うのは、もとより童貞の中にて最も清く潔くましましたからである。しかしまた一つは童貞者たちの先導とも、慈母ともなり、多くの善男善女を危い世間の中から引き取って、これに童貞の美しい冠を戴かしめ給うからでもある。実際聖母は童貞者の先導である。黙示録を繙いて見ると、「彼らは玉座の前において、新しき讃美歌のごときおのを謳いおりしが、地上より贖われたるかの十四万四千人のほか誰もこの讃美歌を唱うること能わざりき。彼らは女に触れず、汚されざるもの、けだし童貞者たるなり。彼らはどこにもあれ、子羊の往き給う処へ従うなり」(黙示録 一四ノ四)と録してある。
 実に天国において数知れぬ童貞者らは、他の人々の歌い得ない讃美歌を謳って天主を頌め、自分たちが特別の聖寵を蒙って、世間を離れ、世間の楽しみを抛げ棄て、天主を一心に愛し、現世の泥海を清く潔く渡ることのできた福を感謝して、次のごとく言っている

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のである。  「ああ天主様、天を眺めた目には、世間はいかにも穢くございますこと。ただ主独りが善にして美、限りなく尊ぶべく、また限りなく愛すべくましますので、私たちは世間の欲を振り棄て、身も心も残らず主に献げました。天主様、私はまったく主のものでございます。と申し上げますると、主もまたただちに答えて、われも汝のものであるぞ、と仰ってくださいました。賤しい、拙らない、浅ましい人間の身をもって、忝なくも天主様のものとなり、その愛し給う僕の中へ加えられ、その浄配とまでして戴くというは、ああまことに何たる栄え、何たる喜びでございますでしょうか。」
 「私たちはその時、眼を転じて世間の荒海を眺めました。恐ろしい大浪が渦巻き立って、そこにもここにも死んで腐った霊魂を漂泊(ただよわ)しているのを見ました。私たちに向かってまで、ゴウゴウと唸りを挙げてぶつかり、掻い浚おうとするのでございました。しかし私たちは主の有り難い御手の下に守護される一方から、信仰の光に照らされて、童貞の身分の福を思い、天国の終わりなき楽を考えて、あくまで抵抗しました。童貞の保護者にてまします聖母マリアに眼を注ぎ、その御導きのままに、猛り狂う荒波を難なく押し渡って、ここまで到着することができたのでございます。ああ主の聖名は千代に八千代に祝せられさせ給え」。

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 天国の童貞者たちはこう歌って主の御名を祝し、天主の子羊にてましますイエズスの往き給う所へは、どこへでもついて廻って、他の人の受けられない御寵愛を忝のうしているのである。しかしその先に立って、最も美しい声を張り揚げ、いわゆる童貞の讃美歌を謳っておられるのは、聖母マリアではないだろうか。
 聖母は童貞者たちの先導であると共に、またその御母である。童貞者と言えば、子どもはないはずだけれども、聖母だけはイエズスを産み奉る福を得、あわせて多くの童貞者をもお産みになった。見よ、司祭や修道者たちは、なぜ天主に一身を献げて、童貞を守るのであるか。ただ聖母マリアに似て、聖母の子どもと呼ばれたいからではないか。ただ天国に昇って、童貞の冠を戴き、聖母の御膝近くに集まって、天主の御栄えを歌いたくて、そうしているのではないだろうか。
 われらもこういう童貞者の列に加わることができたならば、いかに福であろうか。親兄弟の身になって見ても、それはいかに大きな名誉であろうか。自分の子どもなり弟や妹なりが、身分の優れた、家柄の貴い人と結婚したと言うならば、喜ばない人はあるまい。ところで童貞の誓願を立て、天主に一身を献げ奉るのは、とりもなおさず、天地の大王たるイエズスの浄配となるのである。天使と人類との元后にてまします聖母マリアの愛児となるのである。天国において、他の人の歌い得ない讃美歌を歌い、どこへでもイエズスに

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ついて廻って、終わりなく楽しむのである。その身は言うまでもないが、親兄弟にとっても、これほど有り難い幸せがまたとあるであろうか。
 もとより聖母のごとく、一生涯童貞を守るというは、特別に天主の召し出しを蒙った人でなければできない相談であるが、せめては結婚するまでなりとも、立派に童貞を守って行きたいものである。試みに思え、人の一生のなかで、最も天主の御気に召す時はいつであるか。胸に紅い血の沸き立っている花盛りの青年時代ではあるまいか。天主がことさら御耳を傾けてくださるのは誰の祈りであろうか。燃ゆるがごとき愛情の焔を吐いて、誠意から御前に捧げ奉る清い処女の祈りではあるまいか。
 すべて草木にせよ、禽獣にせよ、幼い時ほど、美しく愛らしいものであるが、人間はましてのことである。水晶のように澄みちぎった眼元、桃色ざした福よかなほっぺた、天使のような罪のないその額を一目見たものなら、飛びつきたい心持ちのせぬ人はあるまい。天主とても同じくそうで、聖母マリアの童貞が特別にお気に召したのは、第一に三歳という一番可愛い盛りに、その誓願を立てられたからである。聖母は、御自分の身も心も、いろいろのことに、使い潰した上で、これを天主に献げ給うたのではなく、未だ若い、新しい、何にも使わない、一番可愛らしい時に、献げ給うたのであった。われらもこの御手本に倣い、たとえ一生涯、童貞の徳を守ることができないにせよ、少なくも今の

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青年処女時代を空しうせず、清浄潔白に身を保ち、悪魔の毒爪に引っかからないよう、世間の悪い風に当てられないように注意して、聖母マリアの子どもと呼ばれ、天主の特別の御寵愛を蒙るべく、努めなければならぬ。しかしこれはわれらの力の及ぶところではないのだから、いつもいつも、「童貞の中にて最も聖なる童貞、われらのために祈り給え」と叫んで、この童貞なる聖母マリアの御助けを願わねばならぬ。

実例

 聖女リドウィナは、七歳の小娘の時から、罪のない、無邪気な、ほんとうに天使のような人で、常に聖母堂に入り、聖母の聖像の前に跪いて、天使祝詞を唱えるのを、何よりの楽しみとしていた。ある日のこと、例のごとく一心に祈りを申し上げていると、不思議にも聖母の聖像が、見る見る生きたもののようになり、莞爾(にっこり)と微笑み給うた。リドウィナは嬉しくて嬉しくて堪らずに、段を登り、両手を聖母の方へ差し伸ばして「お母様!」と呼び、可愛らしい御話をした。ところでその御話が案外長引いたものだから、宅(うち)へ帰ると、母親が血相を変えて、リドウィナを叱りつけた。リドウィナは静かに言い訳をして、「お母さま、そんなに怒らないでください。私、聖堂へ入りました。ただ一口マリア様に御挨拶申す積もりで、聖堂へ入りました。すると、お母さま、善く聴いてちょうだい、マリア様が莞爾と微笑んで御返礼してくだすってよ。私、嬉しくて嬉しくて、帰りたかなかった

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んですもの」と言った。リドウィナは清浄の天使であったから、聖母から微笑んで戴いたのである。われらもリドウィナのごとく、身も心も清浄に保つべく努めたら、聖母は必ず天から、ニコニコと微笑んでくださるに相違ない。

第十七日、キリストの御母(その一)

 聖母マリアが、母でもあれば童貞でもあらせ給うのは、世に二つとなき特典で、聖会は連祷の初めから、取り敢えずこの二大特典を掲げて、「天主の聖母」、「童貞の中にて最も聖なる童貞」と讃め称えた。これからはこの二つの特典を、詳しく説明するのであるが、まず母の位から始めて、真っ先に「キリストの御母」と歌う。イエズス、すなわち「救い主の御母」と言うのを後にして、「キリストの御母」の方を先にする理由は、イエズスと言い、救い主と言うは御降誕後につけられた御名に過ぎない。かえってキリストと言うのは、旧約時代から約束され、待ちに待たれた御名であったからである。今、聖母は「キリストの御母」として、いかに高い御位を得させ給うたかと言うに、こればかりは聖母御自身ですら、たとえさとりは得ても、十分に説明することはおできにならなかったであろう。で聖会は常に聖母を讃めて、「ああ童貞なる御母よ、全世界の容れ能わぬ御者が、人となって御胎に閉じこもり給うた」と歌い、聖ボナウェンツラも、「被

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造物がどれほど高く挙げられたとしても、やはり聖母の御前には、身を低うして、尊敬を払わねばならないでしょう」、と言っておられる。実に樹の値は、これに生ずる実によって定まるのであるから、御威光限りなき天主をお産みあそばしたマリアというこの樹が、いかに貴く、値(ねうち)あるかは、言うまでもないところであろう。
 天主は人類を贖うがために、現世に天降って人となり、その貴い御血を流そうと思し召しくださった。でもアダムが造られた時のごとく、初めから成人(おとな)となって、世に現れようとはなさらないで、われわれ同様に、嬰児となって生まれ給うた。しかし嬰児となって生まれ給うには、必ず婦人の胎(はら)を借らねばならぬ。そこで一点の罪の汚れにも染まないのみか、あらゆる徳の光に輝いたマリアを御母と選み、その御胎をもって、己が神殿となし、その血をもって己が血となし、その肉をもって己が肉となし給うたのである。われらはキリストのためには、ぜひとも無くてはならぬ必要物ではない。われらが有ろうと有るまいと、キリストに仕え奉ろうと、仕え奉るまいと、それでキリストの福が増すのでもなければ減るのでもない。われらは今日あって、明日は跡もなく消え失せるような儚い運命を持った人間である。その生命の船は、十年か二十年か、長くて五六十年の間、現世の海の上に漂って、定まった時が来ると、たちまち底深く沈んでしまう。沈んだ当座こそ、少しは白波も立とうが、終には跡も形もなくなってしまうのである。そうした儚

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ないものが、何でキリストのために必要であろう。しかし聖母マリアばかりはそうではない。キリストに向かって、「私は御身のために必要でございました。御身は私の御子、御身の御肉も御血も、皆私がお譲り申したのでした」、宣うことができた。聖会は右の次第を考えていかにも驚き入った調子で、「空飛ぶ鳥すら、ひもじい目に遭わせ給わぬ主にてましましながら、浅ましき嬰児となりて、母の僅かな乳汁をもって養われ給う」と歌っているくらいである。
 聖ボナウェンツラは聖母の御位の高いのを仰ぎ視て、驚きの余りに叫んだ。「天主様は、今の世界より大きな世界を、造ることがお出来になりました。しかし聖母マリアよりも優れた御母は、造り得給わなかったです。」と。もとより天主の御力は限りないのだから、ただ自然界の恵みやら、超自然界の恩寵やらの上から言うならば、聖母マリアよりも勝れた童貞を、造ることもお出来になったに相違ない。しかしいくら全能の天主でも、聖母より勝れた御母を造ることは出来なかった。というのは、聖母よりも勝れた御母を造るには、キリストよりも勝れた御子を、これにお与えにならねばならぬ。でもキリストは天主で、天主より勝れた者が、世に有り得るはずがない。これ聖母マリアが、すべての被造物の上に位し、諸々の天使、聖人たちを遙かに超越しておられるゆえんであるのである。

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 聖母マリアがかくまで位高くましますのを見て、われらは平伏してこれを尊び敬うと共に、キリストの御母はまたわれらの御母にてましますことを思って、深くこれに依り頼み、厚くこれを愛し、大いにその御恵みを感謝せねばならぬ。聖母は最も天主の御意に適い給うのであるが、またわれらの愛する御母にてまします。天主に命令するほどの御力を有ち給うのだが、またわれらの愛する御母にてまします。われらは、生来(うまれながら)弱い、倒れ易いものである。信心をして働いて、苦しみを献げて、正しい行いをして、人の良い亀鑑となって、天主の御意に適い奉りたいものと、平素から考えてはいるが、しかし、いよいよその場になって見ると、何事もいっこう思いに托せぬ。ただこの慈しみ厚き聖母の御蔭に身を寄せて、その力ある御保護を祈るより外はないのである。
 聖母の高い高い御位は、ただ聖母御自身の誉れたるのみならず、また人類一般にその余恵(めぐみ)を及ぼした。人性は原罪に傷ついて堕落したが、しかしキリストはこの人性を御身に着け、この人性の中に、その御母を捜し給うた。実にわれらの中から、天主の御母が選み出され給うたのである。一国の大王が、貧しい百姓の家を叩いて、その娘を皇后に選み、これを王宮にいれて、栄華を共にせしめられたとせよ、いくらその家が見すぼらしい荒家(あばらや)であったからとて、それを恥じて叩き潰してしまうだろうか。かえって皇后様のお生まれあそばした御家だというので、いよいよ大切にこれを保存しないだろうか。今人類

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は、この貧しい家のようなものであった。しかるに天主は親しくその門を叩いて、聖母マリアをその浄配に選み、もって御子キリストの御母としてくださった。これはわれわれにとって何たる光栄であろうか。
 とりわけ聖母をもって誇りとすべきは婦人である。エワが罪を犯したために、最初天主から男子の伴侶、内助たるべく定められた婦人も、今はただ男子の玩弄物(おもちゃ)、快楽の道具とされ、奴隷も同然の地位に蹴落とされてしまった。しかるにひとたびキリスト教が、世に行われるようになると、聖母マリアが「キリストの御母」にてましますというところから、婦人の地位はムクムクと向上して来た。男子からまで当然その権利を認められ、入っては子供を教育し、家庭を取り締まって、夫に内を顧みる必要なからしめ、出ては病者を慰めるやら、老人を労るやら、孤児を救い取るやら、各種の慈善事業に力を尽くすことになったのである。
 世の男子たる者は、聖母によって、婦人の地位がかくまで高められたことを認めて、相当に婦人を尊敬はしても、夢々異教者の真似をして、これを奴隷扱いにしてはならぬ。婦人たるものもまた、自分の地位が高くなっただけ、責任も重くなって来たことを忘れず、聖母マリアの美しい御徳に則って、キリスト的婦人の天職を全うするよう、心がけてほしいものである。

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実例

 仏国の都パリを距たる十里ばかりの地に、何とか言う小さな村落があるそうである。住民の数は僅かに四百名ばかりだが、革命の際にその司祭を失い、革命が収まってからも、久しくそのままに打ち棄てられたため、信者はだんだん冷淡に流れ、不熱心に陥り、終にはほとんど無宗教の境にまで堕落してしまった。後で一人の熱心な司祭が、その教会の牧者となり、八年の間も、手を代え品を替え、いろいろ働いて見たけれども、何の効果もない。ある日司祭は聖体の前に平伏して、「イエズス様、私に主を愛する一人の友を与え給え」と真情を籠めて祈った。あたかもこの日は、珍しく数人の小児に、初聖体を授けた夕刻のことであった。司祭はそう祈って聖堂を出ると、一人の少女が馳せ寄って、「神父様私は堅く決心しました。これからぜひとも信仰篤き信者になります」と言った。果たして彼女はその時から、身を修め、徳を積み、人の霊(たましい)を救いたいとの念願に、毎夜室内に閉じ籠もって、遅くまで祈り、寝台はあってもわざわざ下の板の上に臥すというようにして、人知れず苦業を行った。少女ながらも、天主のため、聖会のために尽くさんものと、進んでその村に設けてある「少女会」の指導者となり、長じて「母の会」のために、身を抛げ出して立ち働き、家にあっては、九人の子どもを立派に教育して、模範的家庭を作った。村の人々も彼女の美しい鑑に感じ、その熱心な言葉に動かされて、次第に惰眠を醒まし、旧き

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信仰に立ち帰る者が日増しに多くなり、さしもに不熱心な教会も、今では「聖人の教会」と称えられるようになったとか。「弱き者よ、汝の名は女なり」と人は常に言うが、聖母マリアによって、最初の尊い地位に据え直されたキリスト教婦人は、そのような弱さを知らない。心さえあらば、一町一村の面目をまったく改めるくらいのことは、決して難しくはない。否クロチルダ皇后のフランスにおける、ベルタ皇后のイギリスにおけるがごとく、一国民を感化することすら、できないものでもない。婦人たるものは、少し自ら顧みるところがあって欲しいものである。

第十八日、キリストの御母(その二)

 「親は子をもって貴しとす」という諺があるがごとく、子の誉れはまたその親の誉れでもある。子が世間に噂高くなり、到る所に喝采され、讃め囃され、歓迎される日になるとその誉れは必ず親の上にも及んで来る。「あんな子を持った親御は、何とまァ福何でしょう」、と口々に羨ましがられるようになって来るのである。「キリストの御母」として、聖母が世にも類なき誉れを受けられたのは、まったくこれがためである。一日キリストはその感ずべき御教えを説き、その驚くべき奇蹟を行い、人々から盛んに喝采されなさったので、さすがの敵も、開いた口が塞がらぬと言うくらい。時に一人の婦人が、突然群集の

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中から声を揚げて、「福なるかな、御身をやどしし胎よ、御身の吸われし乳房よ」、と叫んだ。実に聖母の御胎ほど福なるものはあるまい。天主の御子、天地万物の大君、世の救い主にてましますキリストを、九ヶ月の久しい間も、お宿しになった。天使の中にでも人間の中にでも、これほど福なものがどこに見出せるだろうか。
 しかしキリストは右の婦人に答えて、「むしろさ福なるかな、天主の御言葉を聴き、これを守る人々よ」、と仰せられた。ちょっと聞けば、聖母マリアをもって、さまで福な者とするには足りない、と宣うたかのように響くが、実は決してそうではない。かえって右の婦人の讃辞(ほめことば)に相槌を打って、謙遜深く、忍耐強く、あらゆる徳の香り高い御母を讃め称えさせ給うたのである。「なるほどわが母は福である。わが母のように勝れて、美しい、善良なものは、世に一人としていない。しかしわが母の福は、われを産み給うたという言うよりも、むしろわが教えを聴き、これを善く守られた点にあるのである」、というような意味ではなかったろうか。
 かくのごとく、聖母は「キリストの御母」として、諸々の天使、聖人の上に挙げられ世にも類なき誉れを受けられた。しかし誉れには責任が伴うはずのもので、聖母といえども「キリストの御母」の誉れを得んがために、どれほど骨を折り、身を砕かれたか知れない。「マ

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リアは、その御胎によりも、むしろ御心に御子をやどしておられた」と聖アウグスチノも言われたごとく、キリストは、聖母の御胎に入られる前から、とっくに聖寵をもって、その御心に宿っておられたのである。実に聖母の御心こそ、聖書にいわゆる「囲われる花園」であって、悪魔や世間やが、ちょっとでも手を差し入れることができないように、外からは厳重に用心の垣を結い廻して置き、その中に謙遜だの、堪忍だの、潔白だの、熱愛だのいうような、いろいろの床しい徳の花を咲かして、天主が御入りあそばすのを、まちもうけておられたのである。
 いよいよ御子の御母となり給うや、これを大切に養い育て、これを敵の手から救って、その生命を全うするがために、力の限りを尽くされた。エルザレムで御子を見失い給うた時のごときは、三日の間泣きの涙で尋ね廻られた。御子が人中に出て、天の道を説き病者を癒し、死人を甦らしなどして、ヤンヤと人に讃め囃され給う時は、聖母も幾分かはその栄えを分かたれたであろうが、しかし間もなくカルワリオの頂に、鮮血の滴る十字架の下に佇んで、腸を断つの思いに泣かねばならなかった。聖母は、ただ御子が人々に喝采され給う時だけ、「キリストの御母」であって、その侮り辱めのどの底へ突き落とされたまう時は、早くもその場を飛び退いて、素知らぬ顔しておられたわけではない。むしろ栄えはなるべく避けて、辱めはできるだけ受けようと努められた跡が、ありありと見え

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ている。御子が盛んな歓迎を受けて、エルザレムへお入りあそばした時は、お伴をなさったようには見受けられないが、恐ろしい罵り嘲りの中に、十字架に磔けられ給うた時は、御側を離れ給わぬのであった。
 親たる者は、この美しい御手本を見落としてはならぬ。子の親となるのは、天主に手伝って、子を造るのだと言ってもよいようなものである。天主の御手伝い!大した名誉ではないか。しかし立派な」手伝いとなるには、聖母のごとく、自分がまず聖寵の綱でもって、天主と繋がれていなければならぬ。なぜかと言えば、親は子どもに、ただ体の恰好、顔の姿を譲るばかりではない。実にその気質を譲る。その持ち前を譲る。その習慣を譲る。随って悪人はその腐った血を譲る。その厭うべき病毒を譲る。その悪癖に染まった気質を譲るのだが、善人はこれに反して、その強健な体格と共に、立派な気前を、立派な習慣を、立派な徳の種子を譲るのである。聖書にも、「義人の子は祝せられる」と録してある。  いよいよ子の親となったならば、早くからこれを教え導き、これに罪を怖れさせ、これを罪の機会に遠ざからせ、かえって天主を敬い、善を好み、徳に親しまして、どこから眺めても申し分のない善良なカトリック信者となさねばならぬ。親のために栄えの冠となり、名誉の光となるものは、実に品行正しく、同情に富み、熱心に天主に仕え奉る子どもではない

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か。幼少の頃から、心に善の種子を蒔き、徳の苗を植えつけてやった結果、その子が深く罪を怖れ、天主を愛し、いつでもどこででもキリスト信者として恥ずかしからぬ行動をなし、人には敬われ、天主には祝福されるようになったならば、親も共にその誉れを分かつのは当然であろう。なるほどそのためには、艱難もある、心配もある。十年、二十年の間も、夜となく昼となく、子どもの身の上に注意の眼を瞠り、その身装(みなり)を取り締まり、その出入を戒め、言葉の上から行いの端まで、一々厳重に監督して行くというのは、並大抵のことではない。しかしながら十字架の下に佇んでおられる聖母を仰ぎ視るがいい。「母の誉れだけは、喜んで引き受けるが、責任は真っ平御免よ」、と聖母は仰ったことがあろうか。むしろ誉れは避けられるだけ避けても、憂い、悲しみは、どこまでも引き受けるべく、努められたではなかったか。
 要するに聖母マリアの御位は、形容もし難いほど高く貴いのであるが、しかし御位の高いばかりが、聖母の名誉ではない。その高い御位に釣り合うだけの仕事をなさったのが、何よりの名誉であった。親たるものも、天主にお手伝いして子どもを造り、これを教育し、これを立派な人間にしつけるという、非常に名誉な仕事を托かるのであるが、ただそれにはそれ相当の義務が伴っていることを輪巣連ないで、忠実にその義務を果たさなければならぬ。

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 しかしわれらは、至ってか弱いもので、こうしてはいけない、ああせねばならぬ、とは万々承知しながら、たびたびやりきれないのであるから、伏して聖母の御助けを求めよう。聖母は「キリストの御母」として、キリストの上には、ほとんど全能力を握っていられるから、ひとたび聖母が願い出てくださったら、キリストも決しておことわりにならない。かえって、「何がお望みでございますか、何でもお願いなさいませ」、と御自分の方から御催促になり給うくらいである。だからかねがね深く聖母に縋って、お願い致したら、聖母は決してお見棄てくださらぬ。「あの人に、その務めを全うする力をお与えください、あの学生に身も心も汚さずして、終わりまで続いて行く聖寵を恵んでくださいまし」、と一々親切に御とりつぎしてくださるに相違ない。

実例

 昔ローマにコルネリアという賢い婦人がいた。ある日のこと、友だちが訪ねて来て、その身に光らしている金銀珠玉を、誇り顔に見せびらかして、「あなたの御装飾品も拝見さして戴けませんでしょうか」と言った。コルネリアは「まあ暫く」とその婦人を待たして置いた。やがてチベリウスとグラックスという二子が学校から帰って来ると、その二子を指しながら、「これが私の宝です」と言ったとか。コルネリアは異教者ながらもあくまで婦人の天職を覚り、親の身にとって何よりの宝玉は、善い子どもだと信じていたの

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である。ましてキリスト教婦人たる者が、いたずらにわが身や子どもの御化粧にうつつを抜かして、かえって大切な精神の修養、霊魂の教育という方を閑却してなるだろうか。いくら子どもの身を、絹布にくるませてやっても、紅脂白粉(べにおしろい)に塗り立てて見ても、それでその子どもの人格が上がるわけではない。たとえ御粗末な木綿服を着晒し、荒くれた素顔をしていても心に徳の光が輝いていさえすれば、それこそ子どものためにも、親のためにも、二つとなき名誉ではあるまいか。

第十九日、天主の聖寵の御母(その一)

 これまでは聖母マリアが、御子の御母にてましますことを讃め称えた。以下、他の母と比較を取って、聖母の御栄えを歌うのである。他の母は、自然の法則に従って母となるのだが、聖母は「天主の聖寵の御母」である。他の母は罪の中にその子をやどし、汚れに染まってこれを産むのだが、聖母は「いと潔き御母」である。「いと操正しき御母」である。「終生童貞なる御母」、「きずなき御母」である。随ってその容姿(みめすがた)は、他の母のごとく少しも衰える憂いがなく、いつまでも、「愛すべき御母」、「感ずべき御母」である。他の母ならば、時には善くないことを、わが子にすすめぬにも限らないが、聖母ばかりは、いつも「善き勧めを賜う御母」である。他の母は、一個の被造物を、しかも罪に汚れた被造

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物を産み落とすのであるが、聖母はかえって「創造主の御母」である。世の罪を除き給う「救世主の御母」である。そこで聖母はまず「天主の聖寵の御母」で、われらをお産みくださったわけではないが、しかしわれらのためには、聖寵の生命の御母にてましますのである。その身はむごたらしくも、荒木の十字架に釘つけられ、膚(はだえ)劈(つんざ)け、肉爛(ただ)れ、鮮血はタラタラととめどもなく流れ、雨と降り来る罵り嘲りの中に、やっと眼を開いて足下をお眺めになると、最愛の御母が、弟子のヨハネに扶けられ、石像のごとく突っ立って、涙に咽んでいられる。ああこれぞこれカルワリオの頂における、聖金曜日の午後の光景ではないか。  その時、御主は御自分の御苦しみを忘れて、弟子らの身の上を思いやられた。人間にとって母ほど頼もしいものはない。母がいなければ現世は砂漠だ、楽もなければ慰めもないが、もし自分の亡き跡にでも、慈しみ深き御母がいてくださったら、彼らもいかに心強く感じるであろうか。こう思し召しになって、十字架の上より御顔を聖母の方へ傾け、弟子のヨハネを顧みながら、「母上、これあなたの子でありますぞ」と宣うて、ヨハネを聖母の御手にお托けになった。なおその御言葉に一点の疑いでも残ってはならないから、さらにヨハネに向かって、「これあなたの母でありますぞ」と仰った。  この最後の御遺言をお耳にされた聖母は愛情と心痛みとに、御胸も煮え返る思いあら

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せ給わなかったであろうか。御子のお托けになったのは、ただヨハネ一人でもなければ、十数人の弟子ばかりでもない。ヨハネをもって一般信者を代表せしめて、これを悉くお頼みになったのである。随ってわが身は、非常に大きな家族の母となたことを悟って、愛情の焔は盛んに御胸を焼くのであった。しかし一方から考えると、この家族の中には、子どもという名すら戴くに堪えぬような悪太郎、最愛の弟子を敵として、これを鞭打ち、これを十字架に磔けるほどの極道息子も少なくはない。それまでも可愛がって行かねばならぬかと思い給うては、御腸もちぎれる心持ちがし給うたのは、無理からぬ次第である。
 しかし聖母はちっとも躊躇し給わぬ。自分がこの通り十字架の下に佇んで、言うに言われぬ苦しみを見るのも、つまり御子に手伝いして全人類を贖い、これに聖寵の生命を得しめるがために外ならぬ、かてて加えて御子からまで、「母上、これあなたの子でありますぞ」、と明らかに御遺言を承った上は、いくら悪太郎でも極道息子でも、快く引く受けて世話してやらぬわけには行かぬ、と決心せられたのである。
 そして母の性質ばかりは奇妙なもので、子どもがいかに悪くなっても、失望することを知らぬものである。たとえわが家を飛び出して、さんざんに放蕩をやらかし、母のことなどはまったく忘れてしまっても、母ばかりは決してその子を忘れ得ない。始終その子のために祈る。一度は舞い戻って来てくれるだろう。あれほど愛していた子だもの、あれほど善いこと

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を教え、徳の種を蒔いてやった子だもの、まさかあの種がそのまま腐ってしまうことはあるまい、と堅く信じて疑わぬのである。
 普通の母ですらその通りだとすれば、まして、「美しき愛の母」と崇められ給う聖母が、しかも言い知れぬ苦しみの中に、産み上げてくださったわれらを、たとえ悪太郎であろうと、極道息子であろうと、お忘れになるはずがあろうか。すべて母たるものは、自分が非常に苦しい目を見て産み落とし、育て上げた子ならば、ことさら忘れ難く思うものである。今聖母は、われらに天主の聖寵を得しめたいばかりに、母の情として忍び難いところを忍んでその最愛の御子をすら、犠牲に供え給うたくらいであるから、いつになっても、われらのことを忘れ得給わぬのは、道理至極ではないだろうか。かくのごとくしてキリストの御母はまたわれらの御母ともおなりくださった。我等はいくら罪悪に腐っていても、やはり聖母の子ども、心を改め、善の道に立ち帰りさえすれば、ただちにキリストの兄弟とも、天主の愛子ともなれるのである。これはこれは何という有り難い御恵みであろうか。そしていったんわれらのために聖寵の御母となり給うた聖母は決してその母の務めを等閑(なおざり)にし給うはずがない。終始、われらの霊魂に聖寵の雨露を降らして、これを養い、これに善徳を植えつけ、各々の職務を満足に果たさせ、無罪の白衣、天上の輝きを纏わしてくださる。しかも誰彼の別なく、一様にお愛しくださる。善人であろうと悪人であろうと、等しく可愛がって、それぞれに周

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旋してくださるのである。
 天主は、本性よりの御子だとただ独りしか持ち給わぬが、養子は数えられぬほど、たくさんお持ちあそばす。天主に一番よく似て、その生き写しとも言われ給う聖母マリアも、実子はただ一人しか持ち給わぬが、しかしわれら信者を残らず養って、皆の母とおなりくださった。イエズスは、われらに天主の子どもとなる権利をお与えくださったが、またそれと共に、聖母の子どもとなる特典までも、お恵みくださったのである。
 民法では、養子というものを認める。旧い門閥家で、富と言い、地位と言い、何一つ不足はないが、どうしたものか子宝がない。やむをえず他家の子を貰い受けて、これをわが家の籍に入れ、生みの子も同様に可愛がり、終にはその莫大な財産までも、残らずこれに譲り渡す、というようなことも、珍しくはない。
 しかし民法上の養子と、聖寵の上からの養子とは、たいそうな違いがある。人が養子をする時は、自分の好いた子を、しかもその体格から、気質、才能まで、調べた上にも調べてから、ようやく貰い受けるが、聖母マリアは、誰彼の別なく、われら皆を養子としてくださる。そして生みの母にあっては、病弱で、不具で、ふしだらの子が、いっそう可愛いものだそうであるが、聖母も弱い、憐れな、罪悪に腐った者を特別に顧みて、これを勧め、これを励まし、これを扶けて、その罪悪の泥の中から引き出してくださる。しかも聖母がわれらのために

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周旋してくださる家督というのは、現世の儚い財宝ではない。実に聖寵の生命である。天の祝福である。天主の本性に与って、天主のごとくなり、その御側に侍って、永遠窮まりなき福を楽しむことのできる大きな大きな御恵みである。
 聖母マリアを「天主の聖寵の御母」と申し奉るのは、このようなわけであって、本性からの御母ではないが、聖寵によっての御母、肉身上の御母ではないが、霊魂上の御母という意味である。殊にわれらにとって何よりも頼もしく思われるのは、この御母が、われらとはまったく縁もゆかりもないお方ではなく、実にわれら同様の人間、一生の間、酸いも辛いも嘗め尽くした人間で、われらがいかなるものであるか、いかに弱い、腰の据わらぬ、ふらふらと一足ごとに倒れんばかりの足取りで、御掟の道を歩いているかということも、あくまで御存じなのであるから、非常に懇切で、また非常に慈しみ厚くまします。御前に近寄って、心からお願いする者をば、決してお見棄てになるような気遣いはない。善の道を踏み外し、あられぬ邪道(よこみち)へ迷い込み、罪悪に汚れ汚れて、見るも憐れな状態に陥った人には、いっそう情けをかけ、救いの御手を差し伸し給うのである。でわれらはいつ、いかなる場合にも、この御母に深くより縋り、欲しいと思う聖寵は、この御母の御とりつぎによってこれを乞い求めることにせねばならぬ。

実例

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 ナポレオン一世の頃であったが、アルプス山中に一つの有徳な家族が住んでいた。ある年、フランスと連合諸国との間に戦いが開かれ、静かなアルプスの崖の上にも、喊声(ときのこえ)が騒々しくなって来た。時に乱暴なフランス兵が今の家に押し掛けて来て、その秘蔵娘を玩(もてあそ)ぼうとした。そうさせまいとして、父はたちまち軍刀の錆となりた斃れた。これを見た少女はやにわに家を飛び出して、山中へかけ込んだ。「逃すものか」と数人の兵士が後を追いかけた。少女は終に高い高い懸崖(がけ)の上に追い詰められた。もう絶体絶命だ、少女は天を仰いで、聖母の御助けを求め、「マリア様、私はあなたの懐へ飛び込みます、御助けください」と叫んで幾十尺とも知れぬ崖の下に身を投げた。いよいよ木っ端微塵に砕けたかと思って、兵士らは回り道して降って見ると、あにはからんや、少女はうやうやしく跪き、両手を合わせ、眼を天に挙げて、一心に聖母の御恩を感謝しているのであった。兵士らもさすがに驚いた。思わずその場に平伏して、自分らの罪を痛悔し、天主に御赦しを願った。少女は後でそこに隠修所を設けて、熱心に天主に仕え、千八百二十九年に至って聖なる終わりを遂げた。今に「アルプスの女傑」と呼ばれ、年々その墓に参詣する人が絶えないということである。誰でもそのような危ないことをやっていい、というわけではないが、しかしこれも御袖の下に縋る子どもを、聖母がお見棄てくださらぬ、一つの確かな証拠ではないか。

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  第二十日、天主の聖寵の御母(その二)

 聖母は「天主の聖寵の御母」である。われらが罪を赦され、聖寵を蒙り、天主の愛子となる福を辱うし得たのは、言うまでもなくイエズスの御死去の功徳によるのである。しかしその功徳をわれらのために周旋してくださったのは、実に聖母マリアで、われらはいつになっても、この御母の御恵みを忘れてはならぬ。ところで、「天主の聖寵の御母」として、われらに聖寵の生命を得さしてくださった聖母は、己れまず天主の聖寵に充ち満ち、そしてわれらには、その溢れを蒙らしめ給うたのである。天主は天地万物を造り給う前から、すでに人類の堕落をお見越しになり、これを救わんがために、御子を遣わして、人とならしむべく御定めになり、随って早その時から、御子の母たるべき婦人をお選みになった。その婦人は御子の御母ともなるべきはずであるから、なるべく清浄で、潔白で、円満にして不足なく、あらゆる聖寵に充ち溢れていなければならぬのであった。して見ると、聖母がお生まれのその当時から、自然的賜物でも、超自然的聖寵でも、溢れんばかりに戴いておられたのも、不思議ではあるまい。
 まず自然的賜物から言うと、聖母は富裕の身でこそなかったが、血統を糺せば、ダビド王の後裔で、御体の恰好でも、御顔の姿でも、御霊魂、御肉身の官能でも、「天主の

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御母」に恥ずかしからぬだけ、十分に備えておられたことは、申すまでもないところである。
 救世主は第二のアダムと呼ばれ給い、罪に壊された人性を繕ってもとのまったきに復すべく生まれ給うのであった。ところで第一のアダムはよほど見事に造られたもので、その肉体は全知全能の御手になり、その霊魂は智慧明らかに、心正しく、暗いところや、曲がった点などは少しも見つからぬのであった。しからば救世主も第二のアダムとして、この世に生まれ給う以上は、ただ人性の上から見たばかりでも、智慧と言い、心と言い、体格でも、容姿(みめすがた)でも、第一のアダムに優るところはあっても、劣るところがあってはならぬはずである。しかし第一のアダムは、天主の御手に造られた。第二のアダムは、聖母マリアの御胎に人とならねばならぬのであったから、聖母の御胎は、天主の御手のようだ、とは申されないでも、その清さと言い、美しさと言い、力と言い、いくぶんか似寄った点があらねばならぬ。子どもはその体格にせよ、性質にせよ、常に父母から譲り受けるものである。殊にイエズスは、人たる父をお有ちでなく、何もかも聖母マリアから、お受けにならねばならぬのであったから、聖母はその容姿なり、気質なり、才知なり、天主の御子にお譲りするだけの立派なものを、備えておられたに相違ないのである。
 自然的賜物ですら、それほど潤沢に蒙っておられたとするならば、まして超自然的聖寵は、以下ばかり豊かに戴いておられたであろうか。いったい、天主が人に何かの役目を申

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しつけ給う時は、必ずそれを果たすに要する聖寵までも、与え給うのである。司祭が信徒よりも常に多くの聖寵に恵まれ、世間にあって通常の生活をする人よりも、修道者のごとく、完全な生活を送るべく召された人が、いっそう豊かな聖寵を蒙るのはこれがためである。だから聖ヨゼフは、太祖、預言者、殉教者たちよりも高い高い位に挙げられ、御子を養育するという、非常に貴い役目を仰せつかったので、遙かに他の聖人たちにも飛び越えた聖寵を辱うされた。しかし聖ヨゼフはただ御子を養い育てられたばかりであるのに、聖母は卑しい被造物の身をもって、忝なくも天主の御母と選まれ、類いもないほどの高い位、貴い役目を仰せつからねばならぬのであったから、そのためにいかほど優れて、潤沢な聖寵を戴かれたかということは、ほぼ想像がつかぬものでもあるまい。
 これに加え、聖母はその溢れんばかりに戴いた聖寵をば、一つも空しうせずして、これをよく活用された。ちょうどあの太陽が、東の空に顕れてから、中天に昇るに随い、ますますその光と熱とを増して行くがごとく、聖母も絶えずその聖寵を殖やして、謙遜なり、潔白なり、堪忍や、柔和や、親切やなどの諸徳をば、いよいよ美しく輝かし給うのであった。天主が御面を背け給わねばならぬような不足や過ちやは、塵ほども聖母には見つからない。天主のお嫌いあそばすのはただ罪ばかりであるが、聖母にあるものは徳ばかり、清さばかり、ただ愛熱ばかり、ただ止みなしに増して行く聖寵ばかりであった。

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 ああ「天主の聖寵の御母!」、何という美しい称号(みな)であろうか。われらはこれを口にする毎に、聖母マリアが天主の聖母たると共に、またわれらの御母にてましますことを思い、かくまで豊かに聖寵を蒙られたのも、決してこれを御身に私するためではなく、その子どもたるわれらにお分けくださるためであったことを考えて、頼もしさに胸を躍らさねばならぬ。実に聖母は、聖寵の源たるイエズスを御腕に抱えておられ、その源からいかなる聖寵でも、こころのままにお分けする権利を持ち給うので、聖母の御膝許に駈けつけて、お願いするならば、何一つ拒み給うことはないのである。
 その上、聖母は天と地とを繋ぐ懸け橋みたようなもので、イエズスはこの橋を渡って、この世にお降りになった。随って、われらがイエズスに近づき、その聖寵を乞い求め奉るにも、やはりこの橋よりするが最も径捷(ちかみち)である。なるほどわれらは、イエズスの「充ち満ち給うところから授かって、聖寵に聖寵を加えられる」(ヨハネ 一の一六)のであるけれども、その溢れを分配してくださるのは、聖母マリアである。実際、われらは聖母の御手によって、毎日毎日どれほどの聖寵を戴いているか知れない。悪魔に誘われた時、恐ろしいという心が起こったり、罪を犯すや、それが甚だしく気にかかって、ちょっとでもじっとしておれなかったりするのは、聖母の御蔭ではないだろうか。夏の暑い日がヂリヂリと照りつけて、草も木も萎れ果てるという頃、サッと夕立が一しぶきやって来ると、たちま

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ち青々と生き返って来るものである。罪悪の炎天に枯れ萎れたわれらの霊魂も、聖寵の夕立雨を浴びると、見る見る生き返って来て、ここに善い思いが湧き、美しい望みが芽(めぐ)み、立派な決心の葉が昌えて、花も実もある感心な行いとなるのだが、これも聖母の御蔭ではないだろうか。
 聖母はだれであっても、心から頼り縋る人を退け給わぬ。しかし聖母の御徳を仰ぎ視てこれに則るべく努める人には、ことさら聖寵を恵み給うのである。さればたとえ聖母のごとく、高い高い完徳の域に達することはできないにしても、せめて朝も晩も聖母を打ち眺め、その美しい御輪郭(かおすじ)をいくぶんなりとも、心の上に描き出したいものではないか。聖母は軽々しい思いの一つも起こし給うたこともなければ、無駄口の一つも利き給うたことがない。われらも思いを慎み、望みを戒め、言葉や目つきやを取り締まり、いつでもどこででも、「聖母は私を見ておられる、御満足に思し召しくださるでしょうか」と言って、いよいよわれとわが身の上に注意の目をみはり、そうする一方から聖母に向かって、「天主の聖寵の御母われらのために祈り給え」、と熱心に申し上げたら、きっと溢れんばかりの聖寵を蒙れる。そして他日天国に登って、聖母の御前に平伏した折りには、聖母の御親切を十分に解り、弱い、倒れ易いこの身を保護して、安穏に天の御国へ辿り着かしてくださったその御慈しみを、十二分に覚り、感謝の涙に咽びつつ、「天主の聖寵の御母よ」と歌い出すに相

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違ない。ああその時の嬉しさばかりは、また何物にか譬えられるであろうか。

実例

 聖アンデレア・コルシニは、母の熱心な祈りによって天主より賜り、まだ生まれぬ前から、聖母に献げられた人であった。随って母は全力を傾けて、アンデレアの教育に当たるのであったが、それでもアンデレアが、ややもすれば悪い方へ流れたがるので、大いに胸を痛めていた。しかし聖母は母の熱心な祈りをお見棄てくださらず、突然アンデレアの心を一変させ、まったく別人のごとくなしてくださった。ある日彼は、わが身の聖母に献げられたものであることを聞き知るや、急にこれまでのしぐさを悔い悲しみ、聖母の御像の前に平伏して、溢るる涙を飲み込み飲み込み長らく祈り、終には世を捨てて、カルメル会に入り、イエズスに一身を献ぐべく決心した。修道院にあってもずいぶんいろいろの誘惑に遭ったが、聖母の御蔭でことごとくこれに打ち克ち、最後までその決心を守ることができた。死ぬ二週間前に聖母は彼に現れて、「今少し辛抱しなさい、二週間すると、私を天国で見ますよ」と言って励ましてくださったとか。かくのごとく聖母は誰の祈りでもお聴き容れくださる。誰の上にでも聖寵を乞い求めてくださる。御蔭に頼り縋りさえすれば、誰のためにも、「天主の聖寵の御母」となってくださる。だから義者であろうと罪人であろうと、いつでも、何事が起こっても、この御母の御袖に縋ることを忘れてはならぬ。

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第二十一日、いと潔き御母(その一)

 聖母マリアは原罪の汚れにも染み給わず、自罪の腐れをも知り給わずして、御体と言い、御心と言い、それこそ春の野に咲き溢れた白百合か、秋の空に冴え渡る月かのように、見る目も麗しく照り輝いておられたから、聖会はこれを称えて、「いと潔き御母」と呼び奉るのである。「いと潔き御母!」、ああこれほど聖母のために、めでたい、美しい御名があるであろうか。
 とにかく聖母は、原罪の汚れに染み給わぬのであった。なるほど聖母マリアといえどもアダムの子孫たる以上は原罪に染まねばならぬ。救世主の御死去の功徳をもって贖われ給わねばならぬのであった。しかしながら、他の人はいったん原罪に汚れ、悪魔の奴隷となった上で贖われるのに、聖母だけは未だ原罪に汚れず、悪魔の奴隷とならない前に、救われ給うたのである。いわば他の人は原罪の病に取りつかれてから、キリストの御功徳の薬を飲まして戴いて、全快するのに、聖母だけは、その御死去の功徳を、予防剤としてお飲みになり、ために恐るべき原罪の病に罹り給わなかったのである。今これを、聖書について調べて見よ。悪魔は人祖を欺いて、天主に背かせ、甘々と自分の奴隷となしおわるや、意気揚々として、「これからは俺の世界だ、人間はみな俺を拝め」、と言わん

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ばかりに、いよいよ傲慢の鼻を高めたものであった。しかし天主は、決してそをお許しにならない。彼が人祖を欺した悪意を厳しく咎めて、「汝とかの婦との間に、また汝の裔と婦の裔との間にわれは敵意をあらしめん。彼は汝の頭をうち砕き、汝は彼の踵(くびす)をいためん」(創世記 三ノ十五)と宣告し給うた。
 ここに「婦」とは、直接に「エワ」を指し、「婦の裔」とは、一般善人を示すのである。「汝」とは、もとより悪魔に当たるのだから、「汝の裔」は悪人輩(ばら)で、これから善と悪と、義と不義とが、始終相戦うであろうと、お告げになったのである。そしてエワは聖母の象(かたどり)であるから、「婦の裔」と言うは、悪魔の頭をうち砕き給うたキリストに当たり、随って「婦」はその御母、童貞聖マリアを指すのである。次に天主は、「汝と婦との間にわれは敵意をあらしめん」と宣うて、この悪魔と聖母とが、永久に仇となる、決して一致和合することのできない次第を仄めかし給うた。しかるにもしや聖母が一日でも一時間でも、原罪の汚れに染み給うようなことでもあったら、決して悪魔と不和であらせられたとは申されぬ。かえって悪魔の味方になられた、奴隷になられた、と言わなければなるまい。
 終に「彼は汝の頭をうち砕き、汝は彼の踵をいためん」とある。「彼」とはヘブレアの原文によると、「婦の裔」に当たるので、直接に聖母マリアを指したものではない。

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しかし聖母から生まれ給うたキリストが、その御母よりお受けになった御肉体をもって、悪魔を抑え、彼の頭をうち砕き、彼の勢力を打ち破りたもうたのであるから、つまり聖母がうち砕き給うた、と言ってもさしつかえないわけである。かくのごとく、悪魔と聖母とは共に天を戴かざる仇となって、その頭をうち砕く役目を仰せつかるべく、生まれ給う聖母であれば、どうしてしばらくでも原罪の汚れに染み給うべきはずがあったであろうか。
 なお聖母は大天使ガブリエルから、「聖寵充満てる者」、という御挨拶をお受けになった。もし聖母がちょっとでも、原罪に汚れてやどされ給うたのであったら、どうしてそのような御挨拶をお受けになったであろうか。いくら沢々(つやつや)しい青葉を繁らし、芳香(かおり)床しい花を咲かしている樹でも、大切な根を虫に囓られていては、何だか物足りない心地のせらるるものである。聖母とてもやはりその通りで、もしその根元に少しの瑕瑾(きず)でもあったならば、決して「聖寵充満てる者」と讃められ給うわけには参らなかったであろう。もっとも、聖母の無原罪は、聖書の上からばかりでは十分に証明することは難しい。しかしこれを理論に訴え、聖母の御位と、天主の御名誉とを考え合わせて見ると、ぜひともそうならざるを得ない理由(わけ)が、判然(はっきり)分かって来るのである。まず御位から論じても、聖母にはどうしても原罪があってはならぬ。すべての母子のあいだには、密接な関係があって、当然(あたりまえ)にすれば、子は善くその母に似るものである。母の生き写しと言われる

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くらいに、善く似るものである。ところでイエズスと聖母マリアとの間には、ただ体のかっこうが似ているばかりではなく、実にその霊魂までが、互いによくよく似寄って、どちらも清く、美しく、異様に照り輝いていなければならぬのであった。
 しかるに罪とは何ぞやと言うに、天主には似てももつかぬ、まったく違った、それこそ悪魔のごときものたらしめるものではないか。されば万一、聖母マリアが、原罪に汚れてやどされ給うたとするならば、天主の御母ともなるべきはずの身でありながら、天主には似てもつかぬ、よほど違った、まったく反対な、悪魔のごときものになり給うわけである。それでは聖母の御位はどうなるだろう。かの高い、貴い、天主のすぐ下に置かれるほどの、聖母の御位はどうなるだろう。せっかく天主の御母と選まれ、悪魔の頭をうち砕くべきはずの聖母が、かえって悪魔の足の下に踏み敷かれるようにならないだろうか。悪魔はそれだけ得意の鼻をうごめかして、「なるほど被造物の中に、マリアより優れたものはいないかも知れぬ。しかし俺は未だそれよりも豪(えら)いんだ。マリアの肉体もキリストの肉体も、俺の反逆の印を捺されているのだ。マリアは神に選まれる前には、俺のはしためではなかったか。キリストだって、少なくともその肉体の上から言えば、神の子たる前には俺の奴隷であったのだ」と威張りちらさないだろうか。そうなったら、聖母にも御子にも、拭うべからざる恥が印されるわけではあるまいか。

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 次に天主の御名誉の上から見たら、なおさら聖母に原罪の汚れがあってはならぬ。前にも言ったごとく、聖母は、「御父の姫君」、「御子の御母」、「聖霊の浄配」である。親の身になって見るがよい。自分の最愛の子どもが、醜い、穢らわしい、不足だらけであるのを喜ぶだろうか。ただしは容姿(みめかたち)の美しい、心根の気高い、千万人にも立ち勝って立派なのを願うだろうか。ただわれらはいくら望んでも、望み通りの子どもを儲け得ないので、致し方はないのだが、天主には、それが何の造作もないのであるのに、わざわざ原罪に汚れ、悪魔の奴隷となって生まれるように、お計らいになるはずがあろうか。
 子にしても同じで、国王の姫と、乞食の娘と、どちらを母に持ちたいかと言えば、必ず、国王の姫を母にしたいに相違あるまい。悲しいかな、人は勝手に自分の母を選むことができない。「この母は厭だ。かの母の腹から産まれたい」などとそうした贅沢は言われない。しかし御子は、永遠の天主であるから、望みの儘に、少しの汚れにも染まない、清浄潔白な母の胎にやどることは、何よりも易しいのであった。それにわざわざ罪に汚れた、醜い胎をお選みになるわけがどこにあるだろうか。自分の最愛の母たるべきものを、しばらくでも、その大敵たる悪魔の手に渡して置くというは、どうも受け取り難い話ではないか。
 聖霊にとって、聖母は浄配であらせられると言うならば、その浄配ができるだけ清

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く、潔(いさぎよ)く、露ほどの汚れもなく、徳という徳に目を麗しく飾られているように取り計らい給うのが、聖霊の御務めと言うべきではあるまいか。「主よ、潔さは主の家に永遠まで適わしきなり」(詩編 九二ノ五)と詩編にも読まれている。聖母マリアは聖霊によって、天主のお住まいあそばす御家と定められ、全能の天主を、九ヶ月間もお宿しになるはずであったのに、ちょっとでも原罪の汚れに染み給うては、主の御家に適わしき潔さはどこにあるだろうか。
 かくのごとく聖書について調べて見ても、理論に訴えて考えて見ても、聖母はどうしても、原罪に汚れてはならぬ。ぜひとも原罪なくして、やどされ給わねばならぬのであった。
 さて原罪の汚れなくやどされ給うたのは、聖母のために、いかほど名誉であったであろうか。アダムの子孫たるものは、ことごとく罪に汚れ、悪魔の奴隷となって生まれる中に、自分独りは少しの汚れにも染まず、ちょっとの間でも悪魔のどれいとならず、御やどりのその初めから、成聖の聖寵に、美々しく飾られ、智は明らかに心は正しく、邪欲に曳かれる憂いすらなく、いつも天主を思い、天主を愛し、天主にあこがれて、終生変わることなしというのは、全世界に王たるよりも、大なる名誉であった。また実際、聖母はこの聖恵(おめぐみ)を最も大切にし、天主の御母の御位よりも、いっそう大切にしておられた。ルルドに御現れになっ

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た時も、御名を尋ねたベルナデッタに答えて、「私はマリアです」とか、「天主の御母です」、とか仰らないで、「原罪の汚れなきやどりですよ」、と宣うたのである。
 われらは原罪の中にやどされた者で、そこから言えば、聖母とは大なる隔たりがある。しかし洗礼をもってその原罪を洗い落とされた。聖母が御やどりの初めに辱うされた成聖の聖寵を、われらは洗礼の時に戴いた。この聖寵によって、天主を父と呼び、イエズスを兄と尊び、天国の家督を相続する権利までも、辱うすることができたのである。しからばわれらも、聖母のごとく、大いにこれを名誉とし、これを何よりも大切にしなければならぬはずである。しかるに実際はどうかというに、洗礼の時に授かった無罪の白衣も、いっこう有り難く思わず、易々とこれを汚し、平気でこれを脱ぎ棄て、天主の子たる者が、甘んじて悪魔の子となり、イエズスの弟たる者が、喜んで悪人ばらの弟となり、天国の家督を相続すべきはずの者が、その権利を抛って、地獄へ飛び込むのを何とも思っていない。
 自分は麗人である、金満家である、才物である、学者である、名家の子弟である、というようなことは、やたら鼻にかけて、威張り散らすが、天主の愛子である、イエズスの兄弟である、聖寵の美貌家だ、天国の相続人だ、天国行きの道を知っている大学者だ、ということはまったく頭にない。頭にないから、それがどうなろうと、平気の平左である。嘆かわしいことではないか。「いと潔き御母」に対して恥ずかしい次第ではない

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か。聖母の子どもたるわれらのために、何よりの財宝は金銭であろうか。何よりの名誉は才知であろうか、学識であろうか。容姿の美しさであろうか。むしろわれらの心を飾る成聖の聖寵、ただこれのみではあるまいか。

実例

 聖アロイジオはマンツア公の長子で、生まれぬ先から、聖母の御手に托けられた。その真っ先に言い習った言葉は、「イエズス」、「マリア」の聖名であった。八つの年には、はや、聖母をわが身の保護者に選み、平生聖母をもって、自分のまたなきのりと仰いでいたので、その無罪の清さ、その信心の熱烈さといったらないのであった。つとに世の富貴栄華を捨て、イエズス会に入って、一介の貧しい修道者となり、伝染病者の看護に従事している中に、いつしかそれに感染し、終に起つことができなくなったが、その最後はいかにも立派なものであった。われらも聖人のごとく、平素厚く聖母を尊び愛し、その無罪の清さに則るべく努めたら、また聖人のごとく、美しい終わりを見ることができるではあるまいか。

第二十二日、いと潔き御母(その二)

 聖会は、天主が聖母の「汚れなき御やどりによって、御子に適しき住所(すみか)を備え給う

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た」ことを讃美している。実に聖母は原罪の汚れなくやどされ給うた。随って最初から身も心も清く、潔くましまして、得も言われぬ美しさに輝き給うのであった。しかしながら聖の聖なる天主をやどし奉るには、ただ御やどりの当時、汚れないばかりでは足りない、いつまでもその清い光を保って行かねばならぬ。ところでいったん原罪に汚れた者は、内に邪欲の焔が燃え狂うようになるから、ややもすれば、財宝に心を奪われる。快楽に目を眩まされる。名誉の奴隷となる。悪いとは万々承知しながら、いつの間にかその方へ走り出す。少しの罪にも汚れないということはとうていできないのである。しかるに聖母ばかりは原罪に傷ついておられなかっただけに、そうした汚らわしい邪欲をまったく知り給わぬ。エワが始めて天主に造られた時のごとく、善に傾く心はあっても、悪に引っ張られる憂いは少しもないのであった。否、エワにも優って、祈りの精神と、心を堅く取り守る力とを恵まれ給うたので、一つの小罪すら犯されたことがないのであった。なるほどエワも祈りの精神を戴いていたに相違ないが、ただそれを善く利用しなかった。彼は実に不用心な婦で、知らなくてもよいことまで知りたい、分からなくてもよいところまで分かりたいと思った。「天主様はこの樹の実を食べるなッて、なぜこんなに窮屈なことをお命じになったんでしょう」、とそのわけを糺そうとした。危ないものに近づいた。悪を捜した。そして悪につかまったのである。そして遂に倒れたのである。

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 聖母マリアはそれとは反対に、その思い給うところはただ善ばかりで、悪の考えなど、ちょっとでも御心に浮かばぬのであった。悪を御存知ないのではない。腐った世の中に暮らしておられたから、ずいぶん悪いことを見もし聞きもし給うたであろうが、しかし悪を見聞すると共に、その悪の穢らわしい、怖ろしい、天主から嫌われる点を思って、御自分もこれを怖れ嫌い、ちょうど獣が猟犬を見ては、一目散に逃げ出すがごとく、すくに祈りをもって、天主の方へ逃げ行かれたから、エワのごとき失態をやり出しなさることはなかったのである。
 われらも不用心なエワの真似をして、かりそめにも罪悪の崖の上に立ってはならぬ。ひとたび足を滑らしたら、それこそ身の破滅!しかもそれはエワよりも易しいのである。エワはその時まで清浄無垢で、罪一つ犯したことがなく、智は明らかに、意は正しく、邪欲に引っ張られる気遣いすらないのであった。しかるにわれらはどうかと言うに、生まれ落ちたその時から、すでに原罪の汚れに染まっている上に、父祖の悪い癖さえ譲られ、自分でも数知れず罪を重ねて、よからぬ習慣を拵えているのであるから、用心の上に用心をしていてすらややもすれば罪に滑り落ちるのである。それに持って来て、わが前から不用心にも危ない場所へ近づき、罪の機会の中に跳り込んでは、どうして倒れずにいることができるだろうか。

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 エワは危ないものを見よう、知ろう、手に触れようとした。自分の誘われる罪が、どんなに楽しいものだか試して見たいと思った。彼は善を知ろうとしたのみならず、悪をも識ろうとした。天主と交わるように造られた貴い身を持ちながら、悪魔とも物言い交わそうとしたのである。
 聖母はその反対に、悪を識ろうとはし給わぬ。天使の言葉を聴いても、悪魔の声には耳を傾け給わぬのであった。平生心を天に上げて、一途に天主を思い、天主を愛し、ちょっとの思いでも、一口の言葉でも、僅かな行いでも、これを天主に献げておられた。何一つとして天主のためになし給わぬことはなかった。すべて祈りは人の心を強めるもので、エワがもし聖母のごとく熱心に祈っていたならば、決して悪魔の穽(わな)にかかるはずはなかったのである。しかし原罪の汚れも、自罪の腐れも知り給わぬ聖母も、罪の罰は喜んでう受けになった。エワは罪を犯さない前には、苦なく、病なく、死ぬこともない幸福な身の上であった。この三つの禍はまったく原罪の結果でしかないので、原罪の汚れなき聖母は、苦しんだり、病に罹ったり、死んだりし給うわけもないのであった。しかし聖母は原罪こそもちたまわぬが、結果たる苦しみは自ら進んでお取りになり、悪は知らないでも、悪の結果たる禍はあくまでこれを知り、十分に味わい給うた。それはまたなぜだろうか。苦しみは祈りともなるからである。最も優れた祈りともなるからである。この苦しみの祈りによ

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って、聖母の御心はいよいよ清く、潔く、善徳の香り床しく、天主のお住いあそばすのに、すこしの不都合をも見ないようになられた。実に天主がいかにして、御自分に適わしき住所(すみか)を、聖母の内にお作りになったか、その肉をもってその血をもって、御子を養い奉るほどに、清い、汚れない御母をお備えになったか、その長い一生の間、聖霊が好んでお止まりくださるに堪えるだけの、見事な、美しい御室(おへや)を拵え給うたかと言えば、まったく苦しみの槌でこれを叩き、禍の砥(といし)でこれを磨き給うてであった。そのところをチャンと御存知であったから、聖母は身に罪の覚えはすこしもなかったのだけれども、しかし天主のため、われら人類の救いのために、喜んでいろいろの苦しみを、さまざまの禍をお忍びになったのである。
 しからばわれらのごとく、罪に罪を重ねた者、始終悪の方へ悪の方へと流れたがる者は、しばしば苦しみの槌を加えて貰い、禍の砥に磨いて戴くのは、むしろ当然すぎるほど当然ではあるまいか。苦しみや禍に揉まれると、自然この世が厭になる、天主に縋って来る。眠っていた霊魂は、その迷いの夢を破る。随って苦しみは罪の罰たると共に、また浅からぬ天主の御恵みでもある。天国に昇って見たら、禍に悩まされた御蔭で、その心の清さを安穏に保ち得たとか、あるいはいったん失っていたのを取り戻すことができたとか言って、永遠にその苦しみを祝し、その禍を感謝している聖人たちの多いのに、驚かされるであろう。
 身も心も清浄無垢に保って行くには、第一に祈りの精神がなければならぬ。これに苦しみ

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の槌や、禍の砥を加えると、その効果はいよいよ著しくなる。しかしそれと共にまた堅い、鉄のような意志が必要である。心を汚すまい、天主とまったく一致して行こう、天主の御意に逆らうようなことは断じてなすまい、という聖母の御意志はいかにも堅固なものであった。われらには常にこの堅固な意志が足りない。身を汚す快楽と、心を潔くする義務との間に立って、往々二の足を踏む。躊躇する。ぜひとも熱心な信者となりたい、罪に汚れてはならぬ、いよいよ清浄無垢にならねばならぬ、と心から望んだら、何の難しいことがあるだろうか。それを天から御眺めになる聖母は、またいかほど御満足に思し召させ給うであろうか。
 聖母はわが身の清浄を熱く熱くお望みになったから、これを保つに必要な手段を取ることを怠り給わなかった。祈り給わぬ時は、糸を紡ぐやら、裁縫をするやら、洗濯から拭き掃除、台所の用事に至るまで、甲斐甲斐しく立ち働かれた。一日でもブラリとして遊んでおられたろうとは思われない。祈りと労働、この二つは清浄を守るに必要欠くべからざるものであるから、誰しも善く祈り、善く働き、善くわが心に注意して、危ない情愛の綱に縛られないようにし、もって「いと潔き御母」の潔き子どもとならねばならぬ。われらは多くの陥穽(おとしあな)、さまざまの危険物に取り巻かれている。しかし聖母とても、やはりわれら同様に、腐った世の中に暮らしておられた。しかもわれらより幾倍と優って、感情の強い、眼の

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鋭い、智慧の敏(すば)しこい御方であられたから、その周囲の腐った空気、厭らしい乱行、憎むべき罪悪を感づかれることも、われらより幾倍と優っておられたに相違ない。しかし聖母はそのような物に曳かされなさらないで、悪を見るやただちにこれを厭がり、これに遠ざかり給うのであったから、どこまでもその清浄を立派に保って行かれた。ちょうど、聖ヨハネの黙示録に記してある婦人が、身に太陽を着け、足には月を踏んでいたがように、聖母も身は太陽のごとく照り輝き、足には世間の儚いものを踏みつけておられたのである。われらもこの御手本に倣い、世上の儚い栄華快楽を軽んじ、これを足の下に踏みつけて、その代わりに清浄の美しい光をもって、身を包むように心がけたならば、「いと潔き御母」の潔き子どもとなることができるのは、疑いを容れざるところである。

実例

 教皇ピオ九世の生里に、パルミル・バザンというユデア人の少女がいた。その女中はカトリック信者で、いつも口癖のごとく、「原罪なくしてやどり給いし聖マリア、われらのために祈り給え」、ととなえるのであった。パルミルはその女中が大好きであったから自分もいつしかその言葉を覚えて、意味は分からないながらも、器械的にとなえていた。時としては女中の室に入って、壁に掛けてある聖母の御絵をヂッと眺め入ることもあったが、どうしたものか、そのつどホロリとせずにはいられない。ある夜のこと、寝につ

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こうとしていると、忽然眩しい光に照り輝いた一人の婦人が現れて、「パルミルさん、いらっしゃい、私の後裔をお友達と一緒にお歌いなさいよ」と言って、パルミルの手を取り、多くの人々が集まって、聖母の讃美歌を歌っている所へ案内した。夢であったか、真実の出現であったか分からないが、パルミルは己に反って見ると、熱い涙がハラハラと流れ、必ずカトリック信者になるという決心が自ずと湧いて来た。よってさっそくそのことを女中に物語り、それから司教の膝に縋って、洗礼を願い出た。母はそれと聞き知るや、気も狂わんばかりに打ち驚き、いろいろと威して見たり、すかして見たりして、少女の決心を破ろうとした。しかし少女は動かない。「私はお母様を愛します。しかし天主様が私の心を感動さしてくださいました。従わずにはおれませんですもの」と答え、熱心に洗礼の準備をした。終に司教の御手から洗礼、堅振、聖体の三秘蹟を授かり、日を追うて徳の途に進み、始終聖母マリアの御絵に向かい、両手を挙げて、一家の改心を祈っていたということである。見よ、聖母はパルミルの無意識にとなえた祈りをすら、お聴き容れくださった。ましてわれらが身の清さ、心の潔さを厚く望み、熱心にこれを願ったら、どんなにか喜んで、われらの望みを適えてくださらぬだろうか。

第二十三日、いと潔き御母(その三)

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 聖母は原罪の汚れなくやどされ、自罪の垢にも染み給わず、どこから見ても、清く潔くましました。年中でも五月ほど自然界が美しく装われた月を見ないように、聖母もありとあらゆる被造物中最も清く、最も潔く、最も華やかに、最も美しく装われ給うのである。諸々の花は紅に、さまざまの草木は緑に、ふうわりと白絹を引きはえたような霞、母の温かい手に撫でられるような日の光、蝶々のひらひら、雲雀のチチロ、チチロ、すべてが聖母の清さを、諸徳の光を、優しい御なさけを称えているかのようではないか。でわれらはこの楽しい五月に当たって、聖母を心から讃め、口を極めてその御名をたたえ、その御徳を仰ぎ、その御なさけを祈り、その御鑑に則りたいものである。わが身までが、花の春のごとく、若葉の五月のごとく美しく照りはえ、若やかによみがえり、「この母にしてこの子あり」と言われ得るに至りたいものである。
 特にわれらは聖母を清浄の鑑と仰ぎ、その御保護を頼むように致したい。当世の人は得て淫蕩に流れ、わがまま気ままに走りたがる傾きを持っている。この悪弊をため直し神聖にして潔よい、清浄無垢な美風を作るには、どうしても朝夕、聖母の御鑑を仰ぎ絶えずその御保護にすがるより外ない。
 聖母は実に清浄の鑑にてまします。聖人たちは口を極めてその御心の清さを、その無原罪の御やどりを讃美しておられる。「聖母は汚れなきもの、どこから見ても汚れなき

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もの、無罪なもの、極めて無罪なもの、瑾(きず)なきもの、何から言っても瑾一つなきもの、聖なるもの、あらゆる罪に極めて遠ざかれるもの、まったく清い、まったく汚れない、清浄と無罪との姿そのもの、美そのものよりもさらに美なるもの、艶そのものよりもさらに艶なるもの、体も魂も至って美しく、すべての無瑾、すべての童貞美を遙かに超越し、天主を除けば、ただ独り万物の上に高く抜きんで、ケルビンにもセラフィンにも遙かに超越し、諸天軍よりも美しく、華やかに、神聖にましまして、天上の声も、地上の言葉も十分にこれを讃美し称揚するに足りないのである」と繰り返しておられる。
 とにかく聖母は清浄の御鑑にてまします。天上、天下の万物がことごとく舌となっても、その清浄の美を讃め称えるには足りない。しかし聖母は清浄の御鑑たると共に、またその保護者にてまします。至清、至潔の聖母にたいする信心は人を清浄ならしめるにあずかって大いに力あるものである。しかり、聖会は無原罪の聖母にたいする崇敬をもって男子を教育して女性を相当に尊重せしめ、女子を教育して己が品位を認めしめ、決して男子のおもちゃをもって甘んずべからざる所以を悟らしてくれた。 殊に青年処女をして、身も心も清浄無垢に保たしめるのに、聖母崇敬はいかに効果著しいものであろうか。青年時代はいずれも意の馬が暴れ出す時である。情欲が盛んに燃え狂う時である。愛情が目覚めて来る時である。ややもすると、人をめくらになし、

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気ちがいになし、乱ちきになし、前後の考えもなく、左右に顧慮するところもなく、父母教師の諫めも、朋友の忠告も、世間の物笑いもいっさい耳に入れないで、不潔な泥の中へ跳りこませようとする時なのである。
 この恐るべき大暴風(おおあらし)の中に、よく己を制し、固く志をとり守って失わしめず、身も心も清浄無垢に保たしめ得るものは、ただ清浄の鑑にてまします聖母マリアのみではないか。この聖母マリアにたいする熱い信心、誠意(まごころ)からの信心のみではないか。聖母を平素の理想と仰ぎ、日夜その美しき理想に近づきたいと努める一方から、熱心にその御保護を求めて止まなかったら、清浄無垢、玲瓏玉のごとき青年処女となることができるのは、疑いを容れないところであろう。  おおよそ善良なる天性を受け、種々の長所、美点を備え、大功を立てた崇高なる人格者に接する時、人は自ら粛然として襟を正し、心からこれを尊敬するものである。いま聖母は原罪の汚れなくやどされ、一抹のくもりもなき玉のごとく、その身は聖寵に充ち満ち、救世の大事業に協力して、これをめでたく完成し給うた。ああいかに高く、清く、聖く、偉大なる人格者にましますのであろうか。誰がこれを尊び、崇め、その御鑑に則るべく努めないでいられようか。愛らしく咲きほころびた花も、やがては萎れて散り失せる。われらの運命もこの小さな花のようなものではあるが、しかしいつくしみ深き御母の御前に

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項(うなじ)をたれて、幽(かす)かなる祈りの香を献ぐる可憐な花となるならば、祝福の御手がわれらの上にかざされないだろうか。
 聖母を特に愛せし聖ベルナルドは、聖母の御像や御絵の前を通るごとに、「アウェマリア」と讃め奉るのを常としたものである。ある年ベルギー国アフリゲム修道院を訪れ、聖母の御像の前で、例によって例のごとく「アウェ・マリア」と口ずさむや、聖母は突然「アウェ・ベルナルデ」と答えて彼の信心に報い給うた。同じようにわれらの貧弱な崇敬にたいしても、聖母は必ず答え給うに相違ない。
 マリア会の創立者シャミナード師は「この世の荒海を渡る私たちの霊魂の水先案内はイエズス様で、その船長はマリア様である」と言われた。人生は脆く、危難の波は高い。まことに「板子一枚、下は地獄」の感なきを得ない。しかしイエズスは御自分の神聖なる言行をもって、天国を指し、水路を定め、秘蹟をもってそれぞれに力を与え給う。そして聖母は聖寵の分配者、キリスト信者の助けにましまして、天国を見失わず、水路を誤らないように配慮し給い、不幸にして罪の深みに沈み、誘惑の暗礁に乗り上げた時は救いの板となり、助けの綱ともなり給うのである。だから少年少女は聖ヨアキムと聖アンナの膝の上なる聖母を、青年処女は最潔き処女たる聖母を、多忙になやむ中年者は、家政にいそしみ給う聖母を、頼りなき老人は寡婦(やもめ)なる聖母を思うがよい。必ずや各種各

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様の境涯に保護者と頼むべき聖母を見出し、その身その身に必要な助けを忝のうすることができるであろう。

実例

 トマス・ア・ケンピスは少年時代にあつく聖母を尊び敬い、毎日きまった祈りをとなえることにしていた。しかるにある日どうかしたついでにその祈りを怠り、その次には一週間も怠り、またその次には一ヶ月も怠り、終にはまったく打ちすててしまった。そうしているうちにある夜夢を見た。学友と共に何かをしている時、聖母が突然お現れになり、一人ずつを抱擁して可愛がってくださった。自分も抱擁していただけるものと、トマスは楽しんで順番を待っていると、やがて聖母は彼の前へおいでになり、「何を待っているのですの、祈りはまったく止めてしまっていながら。退(ど)きなさい。退きなさい。そちのようなものは決して抱擁されませんよ」とお叱りになった。トマスはびっくりして夢を醒まし、自分の過ちを覚って、前々通りに祈りを始めたということである。

第二十四日、いと操正しき御母(その一)

聖会は連祷の初めから、聖母がよってもって天主の御母とならせ給うた御徳を数え上げている。しかし聖母は天主の御母たると共に、またわれらの御母でもあらせ給うのだから

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われらが聖母の御徳を讃美する一方からいちいちこれを見習って、聖母マリアそっくりの子どもとなるように、勧めて止まないのである。そこでわれらはこの連祷を黙想し、「キリストの御母」、「天主の聖寵の御母」、と一つずつとなえて行くにつれて、聖母の愛らしい御顔の姿を、われらの心に描き出さねばならぬ。母と子とは似ているはずのもので、聖母の美しい輪郭(かおすじ)も、われらの心の顔に写っており、聖母の額に輝く清浄や、忍耐や、温和やなどの感ずべき御徳も、われらの心の額に輝いているこそ当然ではあるまいか。聖母がわれらを御覧になっても、御自分の清い罪のない御姿を、いくぶんなりとも認め給うところがないようでは、どうして真の子どもと思し召しくださるだろうか。
 でこの前は、「いと潔き御母」と申して、聖母が原罪にも染まず、自罪にも汚れ給わなかったことを讃美した。今度は一歩進んで「いと操正しき御母」と称え、聖母が身にも心にも、得ならぬ操を薫(くゆ)らしておられたことを、誉め称えたいのである。さて聖母が「いと操正しき御母」の特恩を辱うされたのは、天主の御母として、つとにその有り難いお選みを蒙られた結果に外ならぬのである。人は勝手に自分の母を選むことができない。しかしイエズスは、永遠の天主で、何事も、思いのままにならざるなしであるから、なるべく完全にして、何の汚れも、何の賤しいところもなく、御自分の御母として、少しも恥かしからぬ婦人を求めて、終にマリアをお選みになった。随って人間の

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中に、マリアほど清い、麗しい、汚れないものはなかったのである。
 われらはいくら人を愛しても、いくらその人が完全になればよいなァ、と望んでも、徳の一つでもこれに与えることはできない。しかし天主は、その愛し給う御母に、われらの望んで能わない所を、何によらずお与えくださった。すべて肉体は土より造られたものであるが、しかし肉体の汚れるのは、土のためではない。むしろ罪のため、その狭い料簡、不潔な思い、利己的感情のためである。今聖母も、われら同様に肉体を持ち給うのであった。しかし天主はセラフィンよりも、ケルビンよりも、いといと優れて美しい霊魂を、その肉体にお合わせくださった。すでに永遠のその昔から聖母をお選みになり、これを眺め、これを愛し、これに被造物の身として堪えられるだけの聖寵を与え、身も、心も、思いでも望みでも、言葉であろうと、行いであろうと、目つきから、立ち振る舞いから、一つとして世間の婦人らしい点が見当たらないほど、清く潔くならしめ給うたのである。
 聖母マリアを御自分の御母に選んで、これを少しの申し分もないまでに、操正しからしめ給うた天主は、やはりわれらをも、同じ操の徳によって、聖母の子どもとなるように聖母の御姿の立派に写れる愛らしき子どもとなるように、お選みくださった。でわれらは平生注意の上にも注意をしていささかの罪の汚れにも染まず、かえって美しい操の光を、身にも心にも輝かすべく、努めなければならぬ。

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 人は自分の愛している父母なり、兄弟なり、朋友なりが、顔容(かおかたち)から、物の言い振り挙動(たちいふるまい)は申すまでもなく、思いにせよ、言葉にせよ、行いにせよ、一々感心する点ばかりで、これぞと非を打つところが一つも見つからないならば、自然とその人を愛したくなる。その徳が美しければ美しいほど、愛情もいよいよ濃(こまや)かになるものである。これに反して、たとえ容貌(みめすがた)はどんなに美しかろうと、物の言い振りはどんなに上品であろうと、天主に遠ざかり、己が務めを怠り、悪しい友と交わり、危ない書に読み耽り、少しの苦しみでも堪え忍ぶ方(みち)を知らず、始終楽しみを漁り廻り、時としては禁じられた楽しみにまで手を差し出すというような人は、どうしても感心されない。感心されないでは、愛情もそれだけ薄らいで来るのは、不思議ではあるまい。
 もしそういう人の心を改造(つくりか)えることができるならば、もし天主のお嫌いあそばすような点を、その人の心から取って除け、御気に召すところの美しい姿を持って来て、つけ加えることができるならば、真っ先にその人の虚栄心だの、利己心だの、わが身の慰めや楽しみのみを捜し廻るような下劣な根性だのを取り去って、反対に天主のためにわが身を犠牲にするとか、人のためにわが望みを投げ棄てるとか、いうような見上げた心を与えたいとは思わないだろうか。そうした心になったならば、自然と悪に遠ざかって善に近づき、聖堂へ馳せ行き、聖母マリアの聖像の下に跪き、知らず 識らずの中にコンタスを爪ぐり、

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宗教書を繙くようになる。喜んでいる人を見れば、自分も共に喜び、悲しんでいる人を見れば、自分も共に悲しみ、わが身を忘れて人の心を喜ばせ、人のために尽くすというようになって来る。すると観る人ごとに感心して、「まアこの青年の潔白なことよ。まアあの処女の愛らしいことよ、」と言わない人こそあるまい。実に貞操は信心を産み出す母であって聖母のごとく操正しくなるならば、必ず聖母のごとく信心にもなり、随って非常に麗しく愛らしくなって、天主には愛され、人には感心されるに至るものである。こういうところを考えて見ると、われらの心の顔には改作(つくりか)えねばならぬ点が未だ随分見つからないだろうか。聖母の美しい御鑑の前に立って、心静かにこれを打ち眺めたならば、どこに不足があるか、どのへんに傷があるか、どこの色はつやが悪い、どうも貧血になったと見えて心が蒼白(あおざ)めている、弱り果てて来た、冷えきってしまったというように、どんなに小さな不足でも、まざまざと見えるであろう。で今からは聖母を御手本として、わが心の改造に努め、罪の汚れだの、不足の傷だの、聖母のとは似てもつかぬような言葉、行いだのを削り去って、反対に、「聖母と瓜二つだナ」、と感心されるまでにならなければならぬ。
 さて天主は聖母を造り上げて、これを打ち眺めたまうと、その清浄の清さと言い、その傷なく、汚れなく、何の不足もなき貞操の美しさと言い、まったく譬えようもないので、自分ながら感心なさった。人類を造ったのをお悔やみあそばすような念は、自ずと消え失せ、聖

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母の御蔭で、人性は天使の上に引き上げられ、聖母の御譲りになったイエズスの人性をば、天使たちが争って伏し拝むに至るのを御覧あそばしては、御満足の笑みをお洩らしになるのであった。
 しかし天主は聖母を造る前に、聖母の象(かたどり)たるエワのごとき、デボラのごとき、エステルとか、ユヂトとかのごとき婦人らをお造りになった。後日聖母の御身に輝くべきむ無罪や、勇気や、祈りの力や、貞操の清さやを、これらの婦人によって朧げに描き出してお見せになった。そしていよいよ聖母が世に顕れ出で給うや、今まで多くの婦人の身に、幽な光を放っていたそれらの美徳をば、ことごとく聖母の一身に集めて、これを万国万代の人々に感心させ、讃美させ、則らせたまうたのである。だからわれらは聖母を仰ぎ視るごとに、この有り難い天主の思し召しを思わねばならぬ。ただ聖母の御徳を感心するばかりでは足りない。讃美するだけに止まっても足りない。また少しずつなりともこれに則らねばならぬ。わが身の上にその美しい輪郭(かおすじ)を描き出すべく努めなければならぬ。聖母の無罪や、勇気や、祈りの力や、貞操の清さやが、われらの心に蔭影(かげ)を射して、身は終に一個の小さなマリアとならなければならぬ。そうなって来ると、聖母によって慰めを得、人々の罪悪の厭らしさまでもお忘れになった天主は、やはりわれらの清い姿、貞操の輝きを御覧あそばして、きっと満足の笑みをお洩らしくださるに相違ない。

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実例

 パージの聖マリア・マグダレナは幼い時から聖母の貞操に則り、身も心も清浄潔白に保った御方であった。死後に至っても、その清い美しい、さながら生けるがごとき御姿を見ては、誰しも感心せずにはいられないで、人々は先を争って、聖女の死体を置いてある聖堂へと駆けつけた。しかるに平素から不浄の罪に汚れている一青年が近づいたら聖女は死んでいながら、フイと顔を背けられた。その場に居合わせてこの不思議を見られたイエズス会の一司祭は、くだんの青年に向かい、「御覧なさい。この聖女は、あなたの汚れた目に見られるのを怖ろしく思いなさるんですよ」と注意した。青年も深く感動して「実際でございます、神父様。私は必ず改心いたします」と答えたが、果たしてその青年の一生涯の罪を告白し、まったく行いを改めて、見違えた人物になったという話である。われらも聖女のごとく、不浄の罪を見たばかりで戦き慄い、ただちに目を閉じる、傍を見るというくらいに致したら、決して不貞操な人間になり果てる憂いはあるまい。

第二十五日、いと操正しき御母(その二)

 聖母マリアは天主の御選みを蒙られたから、いと操正しくましましたばかりではない。実に幼少の頃から、天主をば己が御主とも御父とも選み、これに一身を残らず献げて、少

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しも他に心をお許しにならなかったから、いよいよ清く潔(いさぎよ)く、一点の塵すら止め給わぬのであった。つまり聖母は天主を選んで、「いと操正しき御母」とならせ給うたのである。そもそも聖母は原罪の汚れなくやどされ給うたので、初めから御智慧は明らかにましまして、他の児童のごとく、生まれて一二年の間は、まったく西も東も分からないで、お過ごしになるようなことはなかった。だんだん成長するに随って、人は善いことを知る代わりに、悪いことを知って来る、真理を悟る代わりに虚偽を悟って来る、天主の美しい愛すべきところは認めないで、かえって世間の儚い楽しみや、宝の方へばかり目を見開いて、これを捜し求めようとするものだが、聖母だけはその反対に、年と共にいよいよ深く天主を識り給うた。天主の美しさ、愛らしさを悟って、いよいよこれを尊び愛し給うのであった。
 人の心は愛するがために造られたのだから、何にも愛せずしては、しばらくでもいられるものではない。天主を愛しなければ、わが身を愛する。天主に心を献げなければ、必ずこれを世間に献げ、甘んじてその奴隷となるものである。しかるに聖母はつとに御智慧が暗んでい給わぬのみか、御心も曲がったところが少しもましまさぬのであったから、満腔の愛情を傾けて、天主を万事の上に愛し、わが身や世間やを顧みる暇すらないのであった。雪の中に埋もれている北国では、冬になると、鳥でも獣でも、その毛が雪のごとく真っ白くなるものだそうである。聖母も、清浄潔白の源にてまします天主を始終打ち眺め、絶えず天主を思

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い、天主を望み、天主にあこがれてい給うたから、自然天主に似て来られて、身も心も天主のごとく、白雪を欺く清浄潔白となり、万世の末までも、貞操の鑑と仰がれ給うのである。
 すべて身の汚れは、感情の正からぬところから起こるもので、むやみにわが身を愛し、世間にあこがれ、人を思ったり、思われたりして、天主を邪魔者扱いする日になると、その心は乱れ、その愛情は濁って、その言葉、行いまでが腐ってしまい、人に鼻つまみされるようになって来るものである。されば、誰しもわが心の上によくよく注意して、平生どこに気が行っているか、始終たれのことを思っているか、自分の親兄弟にも打ち開け得ないような、自分の受け持ち司祭にも話し難いような愛情を貯えていることはないかと厳しく取り調べ、そし少しでも胡散らしいところがあると見たら、断然それを振り切ってしまわねばならぬ。何がどうあっても、そのような愛情を心の中に増長させてはならぬのである。殊に青年時代は誰しも感情が温かで、胸には赤い血が沸っている。天主を愛すれば非常に深く愛するが、人を愛しても馬鹿に熱くなる。ただ天主を愛すれば、その心はいよいよ貞操に、その行いはますます美しく、聖母の御姿が立派に写し出されるのだけれども、人に対しては良からぬ愛情を抱くようになると、もう禁じられた果実をちぎったエワだ。その身は汚れ、その心は歪み、まったく悪魔も同然になってしまう。「貞操な人は天使で、不貞

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操な人は悪魔だ」とは実に善く穿った言葉ではないか。
 今貞操な人は、ただ天主の御目に美しく輝くばかりではない。人目にすらどんなに尊く仰がれるであろうか。聖母がエルザレムにお住まいあそばす時、ナザレトに明かし暮らし給う時、人々はみな聖母の身も心も潔くましますのを見て、いかほど感嘆もし、尊敬もしたであろうか。ちょうど聖堂の一番奥の間の至聖所が、いかにも清く聖くして、これに近づけば自然と尊敬の念が湧き起こり、仮にも汚らわしい考えなど浮かみ得ないがごとく、誰にしても聖母を仰ぎ見たばかりで、悪い念(おもい)は自ずと消え失せ、ただただ聖母を尊び敬いその御徳に倣いたい、という気になるのみであった。貞操の徳というものは、こういう塩梅にいつも不思議な力を備えていて、この徳に輝いた人を見ると、自ずからこれに引きつけられる。自分もその人に倣いたい、その人のように操正しき人になって見たい、という気が起こって来る。いくら心の腐った、汚れ果てた人間でも、悪い思いの影すら起こし得ない聖母のごとき容姿(みめすがた)の美しい御方を見ても、決して怪しい思いは発されないのであった。とにかく聖母は操正しき鑑にましました。原罪に傷ついてい給わぬだけに、御智慧は明らかに、御心は正しく、悪に傾く憂いすらない。その上、堅くその想像を戒め、その五官を慎み、少しでも注意の帯を緩め給わぬのであった。もとより聖母は自由意志をもっておられた。しかし聖母の自由意志は、われらのそれのごとく不完全極まるものではなかった。人

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は常に自由の定義を誤って、「自由とは善と悪とを勝手に選む能力なり」、と考えているようである。自由は果たしてそのようなものであろうか。聖トマスは言った、「目的に到達するための手段を、かれこれと選むことのできるのは、自由の長所である。しかしその目的に外れるところの手段(悪)を取ることができるのは、自由の欠点である。今日、天使は罪を犯すことができない。それで天使の自由は、人の自由よりも不完全であろうか」と。
 今聖母の受けておられた自由は、天使のそれよりも幾倍と優れて完全なものであった。善と悪との前に立って、ちょっとも躊躇なさるところはない。その智慧は天主の御光に照らされ、その自由は天主の聖寵に強められてい給うから、自ずと悪を厭がり、善に親しみ、しかもその数々の善の中で、最も優れた、最も完全な、最も天主の聖意に適うのを選んで、これを実行し給うのであった。実に聖人たちの特色は、悪に負けざるにありとすれば、聖母の著しい特色は、悪に攻撃され給わぬにあったのである。
 敵に攻撃を加えられるのは、こちらに隙があり、弱点があるからである。しかるに聖母マリアは、銕石の心をもって、善の中にドッかと据り込み、なおその上を天主の聖寵でもって堅めておられたから、いかなる敵も、攻撃の矢の一筋だに、射向け得ないのであった。それにしても聖母は決して御油断なさらない。絶えず祈り、熱心に働き、いろいろの

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善行に身を委ね、蟻のはいる隙間もないくらいに身も心も厳重に堅めておられた。それでも未だ安心ができないもののごとく、幼少の頃から一身を天主に献げ、務めて世間を避け、世間の騒ぎに遠ざかり、始終天主に祈り、天使たちと御話を交わしておられたのである。
 われらは聖母とは異なり、ごく弱い、倒れ易い上に、穢らわしい世間に踏み止まって、さまざまの人と交わり、百千の危険物に取り巻かれている。聖母のごとくもっぱら天主に親しみ、天使、聖人たちと交わって行くこともできない。せめては聖母を御手本として、かねがね用心の上にも用心をし、目を慎み、耳を慎み、耳を慎み、手足を慎み、少しも悪念が起こらないようにと心がけねばならぬ。「平和を欲せば兵備を怠るな」、という諺がある。世間の汚れに染むまいと思わば、世間に向かって、悪い友に向かって、悪い読み物に向かって戦う準備を怠りてはならぬ。悪い友の導くところは悪の道である。悪い読み物の教えることは罪の学問であるから、そうした悪い友が来たらば、フイと顔を背向ける。悪い読み物が手に入ったらば「貞操を重んずる青年が、こんな書を読むはずではない」と言い、「いと操正しき御母が、こんな物を読まれたでしょうか」と思って、手をかけないくらいにせねばならぬ。そのように用心する一方から、平生聖母を愛し、聖母に深く頼り縋り、悪魔の誘いにでも遭ったら、ただちに「いと操正しき御母、われらのために祈り給え」、と叫ぶように致したら、決して

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世間の腐敗に染むような気遣いはあるまい。

実例

 立派に貞操の清さを保って行くには、「いと操正しき御母」に縋るのが最も安全である。聖イグナチオがイエズス会の創立を計画しておられた頃、激しい肉欲の誘いに悩まされた。しかし熱心に聖母の御名を呼んで、御助けを求めておられると、聖母は御子イエズスを抱いてお顕れになった。聖人はその時から身を終わるまで、不潔な思いや、汚らわしい想像に罹られたことは、一度もなかったということである。われらも聖人に則ることにしよう。不潔な悪魔に襲われるよと感づいた時は、さっそく聖母の御名を呼んで、御助けを求めたら、聖母は必ずわれらの叫びを聴き、悪魔を叱りつけ、これを遠く追い退けてくださるに相違ない。

第二十六日、終生童貞なる御母(その一)

 「いと操正しき御母」というのは、聖母にとっては非常に名誉な肩書きである。しかし聖母の麗しい御姿を描き出すには、それでもいくらか不十分のように感じられるので、聖会はさらに、「終生童貞なる御母」という金の御光を聖母の御頭に描き添えている。「終生童貞なる御母」、これこそ聖母の外には、何人にも与えられない名誉の金冠である。母

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にして童貞、童貞にして母、天主の御母となっても、その童貞には少しの傷もつかない。傷がつかないどころか、かえってますますその童貞の光を増すのみであった。今旧約時代の出来事を引いて、聖母が童貞の誇りを失わずして、御子を生み給うた、という聖会の教えを申し述べることにする。そもそも旧約は新約の蔭であって、旧約の出来事の中には、幽(かす)かに新約の蔭を写したものが多い。しからば聖母マリアが童貞の身をもって、御子を生み給うたというのは、最も著しい、最も大きな出来事であるから、必ずその蔭が旧約時代に射していなければならぬ。今これを旧約聖書について調べて見ると、アダムが汚れない土、未だ一度も人の手をつけたこともなければ、足に踏んだこともない土をもって造られたのは、第二のアダムと呼ばれ給うキリストが、汚れなき童貞から御誕生あそばすという前表ではなかっただろうか。
 モイゼがホレブ山で見た藪のごときも、まったく火になっていながら、ちょっとも焼けないところなどは、立派に聖母の終生童貞を象ったものである。いったい藪というものは、小さな拙らない樹が叢(むらがり)り生えていて、いっこう人目を引くようなものではない。しかもその樹には刺があって、うっかり手を差し出すと、ただちに刺される。童貞の徳もそれはそれはずいぶんと修め難い、ちょっとまア藪見たようなものである。殊にユデア辺では、結婚して子を産まなければ人にして人にあらずと軽蔑されていたくらいだから、童貞になろうなんて、一人でも思う者

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はないのであった。それに聖母はこの修め難い。そして人の重んじもしない童貞の徳を立派に守り、聖寵の刺をもって堅固にその身を固めておられたから、悪魔でも世間でも、恐れて聖母にだけは手出しができなかった。そして藪がまったく火になっていながら、ちょっとも焼けなかったのは、まさしく聖母が、愛の焔たるキリストを御胎にやどされても、決してその童貞の徳を焼かれるようなことがなく、かえってキリストの火によって、ますますその徳を輝かし給うのであったと言うのに、シックリ適合していないだろうか。
 イスラエル国民がマヂアン人に征服され、その重い軛の下に泣いている頃、天主はゼデオンに命じて、国民を塗炭の苦しみより救い出さしめ給うた。ゼデオンはその任務の重大なのを見てよほど躊躇した。必ず大勝利を得さしてくださるという証拠に、二個の奇蹟を天主にお願いすると、天主はさっそく願いの趣を聴き届けてくださった。すなわちゼデオンが夕方乾いた羊の毛を外庭に置き、翌朝出て行って見ると、外庭は乾き切っているのに、その羊の毛には、露が絞るほど降りていた。翌晩もまた羊の毛を出して置くと、今度は反対に、他の草木は残らず露の雫を滴らしているのに、その羊の毛だけは、カラカラに乾き切っているのであった。
 これこそ聖母マリアの美しい童貞を象ったものではないだろうか。羊というものはごく正直で、温和しい家畜だから、常にイエズスをこれに譬えて、「神の子羊」と称し奉るの

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である。その「神の子羊」たるイエズスのために毛となって、その天主性を隠して上げた御肉は、聖母マリアからお受けになったのであるから、羊の毛はとりもなおさず聖母マリアである。他の所は乾き切っているのに、羊の毛ばかりが露の雫を滴らしていたとは、他の人は原罪のために聖寵を失ってしまっているのに、聖母マリアだけが、聖寵に充満ちておられたことを意味するのではなくて何であろうか。実に天主の御子が、聖母の御胎にお降りあそばすまでというものは、世界は乾きに乾いて善の芽も徳の花も容易に生じ得ないで、反対に悪草は時を得顔に茫々と生えまくっていたのに独り聖母マリアだけが、すべての聖寵の露を、溢れんばかりに蒙っておられた。しかるに救世主がいったん、御降誕あそばされると、世界の面目はまったく一変した。人々はその常(ただ)ならぬ奇蹟に驚き、その尊い御教えに感じ、打ち連れ立って、悪を去り善に立ち帰った。天主の御恵みは世界中に雨露のごとく豊かに降りそそいだ。そして独り聖母マリアは、その童貞の誉れを失わず、傷なく、汚れなく、ちょうど乾いた新しい羊の毛のごとく、真っ白な、いかにも麗しい光を輝かし給うた。いよいよ悪魔の勢力は打ち砕かれ、人類はその奴隷の苦しみから救出されたという標(しるし)になられたのである。ゆえに聖会は真のゼデオン、悪魔の征服者、人類の救い手にてましますイエズス・キリストに向かい、「主が童貞女より生まれ給うた時、聖書は成就された。主は人類を救わんがために、奇しき羊の毛の上に、露のごとくに降らせ給うた。ああ

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われらの天主よ、われらは主を讃美し奉る」と叫んでいるのである。
 その他、旧約聖書には、「閉ざされたる門」だの、「囲われたる花園」だの、「封印せられし泉」だの、「谷間の白百合」だの、というような形容語がいくつとなく読まれるが、これらも聖母の感ずべき童貞美を譬えたものに外ならぬ。実に聖母は香り床しき「谷間の白百合」のように、清く美しくましました。「封印せられし泉」のように、何人でも勝手に、その愛情の水を汲み取り得ないのであった。目も麗しい花を植え、丈夫に「墻を結い廻らした花園」のように、人が自由に入って、その童貞の花を摘み取ることは思いも寄らぬのであった。天主が一度潜らせ給うてからは、決して何人といえども、潜れないように、その童貞の門は「閉ざされて」あるのであった。
 とにかく、聖母は終生童貞にてましました。他の婦人ならば、子を生めば必ず汚れる。どうしてもその童貞の誇りを保つことはできないのに、聖母だけは御子を生み給うても、いささかも汚れ給うことなく、その童貞には少しの傷すら受け給わぬのであった。ちょうど太陽の光や熱が、ガラス窓を通って室内に入りこんでも、そのガラス窓を傷つけることなく、かえってこれを輝かし、かえってこれを温めるがごとく、生まれ給うた御子は、聖母の童貞美を傷つけ給わぬのみか、いっそうこれに光を添えて、ますますこれを輝かし給うのであった。あるいはまたキリストが御復活の折に、石の蓋も取り除けず、封印も破らずに、そのまま墓の中を

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出まし給うたごとく、弟子たちの集まっている室内へも、戸は締めたままお入りになったごとく、御誕生の際にも、聖母の身は蓋されたまま、その童貞の門は封印されたままお生まれあそばしたのである。
 こういうように、聖母は少しもその感ずべき童貞を傷つけずして、御子をお生み上げになられたから、他の婦人とは違って、産みの苦しみは少しも感じた給わぬ。自ら御子を取り上げて、用意の布片に包み、馬槽の中に寝かし申されたのである。ああその時、聖母の御胸には、いかなる感情が渦巻き立つのであったろうか。御威光限りなき天主が、浅ましき人間と生まれ、創造主が被造物となり、永遠窮まりなき御者が、窮まりある者となり、無量無辺の御方が、小さな嬰児(みどりご)となり果て給うたことを思う一方から、わが身は童貞でありながら母となり、賎しい婢(はしため)の身を持ちながら、天主の御母、天使と人類との元后と仰がれるまでになったよ、とお考えになっては、心は言い知れぬ感に打たれ、恭しく御子の前に平伏して、「ああわが神よ、わが主よ、わが愛子よ」と叫ばれたではあるまいか。
 天主が世界の初めから、機会あるごとに、聖母の終生童貞にてましますべきことを仄めかしいよいよ定まった時が来ると、いささかも母の童貞美を傷つけずして、お生まれあそばしたのは童貞の清さをどんなに重んじ給うかという立派な証拠ではあるまいか。実に童貞の清さは、人間以上の美を添えるもので、この徳に輝いた人は「肉身ある天使か、肉身なき

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人間か」と驚かれる。天主には愛される、人には重んじられる、信仰は強まる、希望は湧き立つ、愛情は燃え上がる、悪魔は逃げ出す、天使は飛び立ってこれを保護し、聖人は喜んでこれが友となり、終に迎えてこれを天国に案内してくださる。童貞の美しさはかくのごとしだ。でわれらも大いにこの徳を重んじよう。なるべくこれをわが身に輝かすべく努めよう。たとえ終生童貞であることはできないでも、せめて結婚するまでは、どんなことがあってもわが身の童貞美を汚してはならぬ、と決心の臍(ほぞ)を固めよう。いよいよ結婚して、父となり母となったら、子どもの教育に十分の力を尽くし、何とかしてこの美しい童貞の花を広く世に匂わすべく努めよう。さすればその床しい香りによって、どんな御恵みを呼び降ろすに至るであろうか。

実例

 聖エルゼアルは福者デルフィナと夫婦でありながら、終生、童貞の清さを保った御方である。初めデルフィナの十二歳の時、両親はこれをエルゼアルに嫁がせようとした。デルフィナはもとより結婚などする気ではない。さっそく聖母の下に平伏して、「御子イエズス様を私の天配にお与えくださいまし」、としきりに祈った。すると聖母はその外套を持ち上げていと懇ろに、「いらっしゃい。そなたの望みが適えるように努めましょう」と仰ってくださった。しかし両親に強いられ、エルゼアルと結婚せぬわけには行かなくなった。デルフ

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ィナは最後の手段として、夫婦になっても童貞を守るようにとエルゼアルに勧め、聖母の御助けによって夫の承諾を得た。間もなくエルゼアルは熱心に聖母を敬愛し、毎日「聖母日小課」をとなえるようになり、家人に与えた規則中にも、聖母の御名を?すことを厳しく禁じた。そのために聖母も特にエルゼアルを愛し、いろいろと有難い御恵みを乞い受けてくださったとか。われらはこの感心な夫婦に倣って、深く童貞美を重んじ、その童貞美を保つがために、平生熱心に聖母の御助けを求めよう。聖母は「童貞の勝れたる保護者」である。誠意こめて聖母に縋ったら、どんな誘惑にでも打ち勝って、身も心も清浄に保つことができる。決して疑いないのである。

第二十七日、終生童貞なる御母(その二)

 聖母が「終生童貞」であらせられて、御子をやどし給うにも、生み奉るにも、その童貞の清さを失い給わなかったのは、すでに申し上げた通りで、これは聖母にとって類なき名誉であった。それはさておき、キリストはなぜ童貞女からお生まれになったのであろうか。聖母は童貞の清さこそお持ちあそばしたが、しかし人目には貧しい、名もない一婦人であった。無より造り出された、弱い、憐れな被造物たるに過ぎないのであった。それにもかかわらず、天主がこれを聖母と選び、その御胎に人とならせ給うたのは何のためであ

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ったろうか。理由はいくつもあるが、まず男女両性に均しく光栄を与えて、お互いに妬んだり、羨ましがったりするところがないように、という思し召しからであった。実にキリストは男子であった。男子の身分はキリストによって、非常に高められた。しかしキリストが男子として世にお生まれあそばすには、婦人の助けをお借りになられた。その人の肉はまったく聖母からお受けになった。随ってキリストは天主にてましましたが、しかしマリアはその御母であらせられた。御母として御子の上に大いなる権威を、その天主たる御子に、敬い愛されるだけの権威をお持ちあそばしたのである。
 婦人の身を相当の地位に引き上げたい、という天主の思し召しが、ここに瞭然(はっきり)と見えるではないか。これまで婦人は、まったく男子の奴隷でなければ、玩弄物(おもちゃ)であった。キリスト教時代になってからも、セウェリウスのごとき異端者は婦人を賤しめて、天主から造られたのではない、悪魔の手になったのだ、カルワリオの御血をもって贖われていないのだ、などと妄言したものである。しかし十字架上にお苦しみになったキリストの御体は、婦人からお受けになったものである。そのカルワリオ山頭にお流しになった救いの御血も、やはり婦人からお受けあそばしたのであった。その婦人は、母という点から申せば、天主に命令するほどの権威を有したものであると考えて見よ。婦人の身は悪魔に造られたのだとか、男子の奴隷に安んずべきものだとか、いわれるはずがあろうか。なるほど人類

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は一婦人の過ちによって、原罪の淵へ堕落した。しかしまた一婦人の徳行によって、その堕落の淵から救われたではないか。しかもその婦人の御蔭で、全能の天主から、兄弟とまでなって戴くほどの大きな御恵みを蒙ることができたではない。
 次に、キリストは婦人の胎を借りて人となり給うた。しかし世の常の道によってお生まれあそばしては、その天主の御威厳に不似合いなので、聖母はキリストの御母となられても、少しもその童貞美を傷つけられ給わぬのであった。実に聖母が御子を生み給うに当たって、その童貞の誇りを失い給わなかったのは、御子の天主にてまします立派な証拠ではないか。もしキリストが尋常一様の道によって、お生まれあそばしたとするならば、天主としての名誉は、まったく滅茶滅茶になって、何となく不似合いな、不面目な、物足りないような感じがせられてならぬ。ゆえに聖ベルナルドは言った、「天主が人におなりあそばすと言うならば、童貞ならざる婦人からお生まれになるはずがない。童貞が子を生むことあるとするならば、天主以外の子を生むこともあられるはずがない」と。
 とにかく、キリストは、あらゆる腐敗を清むべくお生まれあそばすのであるのに、どうして劈頭第一、御母の童貞美を汚しになるわけがあるだろうか。かくのごとく聖母は御子を生み給うに際して、少しもその童貞の清さを傷つけられ給うことなく、身も心もいよいよ清浄の光に輝き、雅歌の句を繰り返して「わが愛する者はわれにつき、われは彼につく、彼

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は百合の花にてその群れを牧(か)う」(雅歌 二ノ一六)と、感謝されたに相違ない。実に御父は、清い清い白百合である。天使、聖人たちも雑(まじり)のない白百合である。聖母は純にして一点の汚れもない白百合である。イエズスは御父の中に安んじ給うがごとく、天使聖人たちの間にお止まりあそばすがごとく、喜んで聖母の御胎に篭り、御腕に抱かれ、御膝に御眠りあそばした。もっとも聖母の清い白百合に、御手を触れたり、その花弁(はなびら)を摘んだり、その茎を手折ったりなさったのではない。ただその花の間に遊び、その美しい姿を眺め、その床しい芳香(かおり)を楽しみ給うのみであった。
 聖会は初めから、聖母の終生童貞にてましますことを信じ、すでに使徒信経の中にも、「童貞マリアより生まれ」、という一句を加えた。告白の祈祷や連祷の中には、聖母を呼んで「終生童貞なる聖マリア」ととなえた。終にラテラノ公議会において、これを誤りなき信仰箇条としたくらいである。  童貞にして母、母にして童貞という特典は、聖母の外には、誰一人にでも与えられないところである。われらはこの大きな特典を、聖母にお与えくださったことを厚く天主に感謝し、あわせて終生童貞なる聖母の御栄えをば、力の限り発揚せねばならぬ。そして毎度申し上げる通り、聖母はわれらのまたなき鑑であって、聖母の子どもたるものは、勉めてその美しい御姿を、わが身の上に描き出さねばならぬ。でわれらも肉身上にはとにかく、せめて

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霊魂上になり、この美しい終生童貞の御光を描き添えたいものである。
 まず聖母マリアが、イエズスをおやどしになるにも、お生みあそばすにも、その童貞美を傷つけ給わなかった通りに、われらもイエズスを心のやどし奉るならば、少しも身を汚す憂いはないのである。イエズスが耳からお入りになっても、耳は汚れない。目からお入りになっても、目は汚れない。口からお入りになっても、口は決して汚れるものではない。かえってイエズスをやどし奉っていると、心は愛熱に温まり、その御徳に倣って、ますます謙遜に、柔和に、堪忍に、親切になって行くばかりである。そうなったら、イエズスが言葉となり、行いとなって、われらの心をお出ましになっても、口が汚れたり、目が汚れたり、耳や、鼻や手足やが汚れたりする憂いはまったくない。むしろ反対にいよいよ清く、潔(いさぎよ)く照り輝いて来るのみである。しかし聖母マリアといえども、万一イエズス以外の子どもの母とでもなられたら、これをやどす時でも、生む時でも、とうていその童貞の清さを保つことはおできにならぬのであった。われらもそれと同じで世間の空しい宝だとか、煙のごとき誉れだとか、穢らわしい楽しみだとかを心にやどすようになったら、それが思いとなり、望みとなって、心に入る時も、言葉となり、行いとなって、外へ生まれ出る時も、必ず汚れる。身でも心でも、汚れずにはおれないのである。
 なお聖母がイエズスを生み奉られたのは、己一人のためではなく、実に世界億兆の贖い

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のためであった。われらもイエズスの御教えに従い、徳を修め行いを研いて、人の良い鑑となるやら、人に善を勧め、悪を戒めるやらするならば、それは自分のためばかりではなく、人のためにも、イエズスを生み奉るわけだ。しかしながら心に悪事を企て、罪をやどしてこれを讒言(ざんげん)となし、誹謗(そしり)となし、猥(みだ)らな話、愧(は)ずべき行いとして生みだすならば、つとにわが身を害するのみならず、また人にも迷惑をかけ、躓きとなって、イエズスをその人の心に攻め殺す次第になるのである。そこでわれらは今から聖母マリアを鑑として、平生イエズスを思い、イエズスを愛して、これを心の中にやどし申して置き、一口の物を言うにも、ちょっとのことを為すにも、それが玉のようなイエズスとなって、すなわちイエズスのような美しい言葉となり、感ずべき行いとなって、外に顕れ出るように努めなければならぬ。
 終に聖母はイエズスを生み奉られたばかりではない。これを汚れなき童貞の乳をもって養いなさった。われらもこの御手本に則って、智慧の上にも、心の上にも、イエズスを養って十分に成長させ奉らねばならぬ。智慧の上にイエズスを成長させ奉るというのはイエズスを深く識ることであって、平生熱心に説教を聴くやら、宗教書を読むやら、殊に聖福音書を愛読するやらして、イエズスの御言葉、御行いから、その御精神を善く善く飲み込むべく努めなければならぬ。
 しかし智慧の上の成長だけで、これに心の上の成長が伴わなければ足りない。われらの心

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は、もともと天主の住所(すみか)として造られたものであるのに、ややもすると良からぬ情欲をその中に蔓延(はびこ)らして、イエズスをまったく逐(お)い出してしまうとか、幸いに逐い出すまでには至らないでも片隅に小さくなして、圧しつけておくとかいうような塩梅にしているのである。これはどうもよろしくない。今からは断然そうして情欲を抑えて、その跡にイエズスを成長させ奉る。子に吸わせる乳は、母の身から出るのであるから、いわば母親は、身を削ってわが子を養っているのである。われらもイエズスを心に養い育て奉るには、どうせわがままを削り、わが望みを捨てて、親に従い、長上を尊び、信心篤く、堪忍強く、清浄潔白な人となり、そのわが身に削ったところを御乳として、これをイエズスに献げ奉らなければならぬ。それでこそ始めて、「終生童貞なる聖母の子ども」、と呼ばれることができるわけである。

実例

 昔熱心な修道者がいた。自分の室に篭って何かをしているところに、突然イエズスが可愛らしい幼児の姿をしてお顕れになった。喜んでお眺め申していると、たまたま聖堂で祈りをする合図の鐘が鳴り出した。くだんの修道者は一刻も猶予しない。イエズスをそのままにして置いて、聖堂へ馳せ行った。帰って見ると、さきの小さなイエズスが、いつのまにか十八九の青年になっておられ、さも御満足のていで彼を迎え、「そなたは善く規律を守ってくれたために、私はそのほうの心に、これほど成長することができました」、と仰せられ

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たとか。かくのごとく、己を捨てれば捨てるほど、己を捨てて人に従い、己を捨てて善業に励み、己を捨てて徳行を積むようにすればするほど、イエズスはわれらの心に成長し給うのである。それを天から御覧あそばす聖母マリアは、いかほどお喜びになるであろうか。

第二十八日、きずなき御母(その一)

 イエズスは聖の聖なる天主で、御前に持ち出しては、秋の空の朗らかさでも、天使たちの清さでも、まったく色を失うというほどに、清く明るくましますのである。だからたとえ人にお生まれあそばすに当たって、その人性の弱点をお受けになったとしても、その汚れまで、その恥までもお取りになるはずがない。たとえ飢えを感じ、寒さを覚え給うても、たとえ民衆よりは玩弄物(おもちゃ)にされ、教師らよりは嘲笑(わら)われ、二人の盗賊の中に磔けられ、一兵卒に脇腹を刺し通され給うても、それはイエズスのために、恥でも何でもない。人を救わんがために、全能の天主の貴きをもって、これほどまでえらい目を見てくださったかと思っては、いっそう有難く仰がれ給うのである。しかしわれら同様にして母の胎をお出であそばしたとあっては、何やら天主らしく思われないので、どうしても童貞なる御母から、生まれ給わねばならぬのであった。しかし聖母はイエズスをやどされたその御胎に、後で他の子どもをお

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やどしにならなかったであろうか。言葉を換えて言えば、御子を産み給うた後も、相変わらず童貞であらせられたであろうか。福音書には、イエズスの兄弟が幾人もあったように録してあるが、あれはいったい何であろうか。世には聖母を毛嫌いして、その名誉を墜とそうとかかっている手合いが少なくはない。彼らは「イエズスの兄弟」という文字が、福音書に見えるのを楯に取って、聖母がイエズスを生み給うてからも、なお幾人もの母となられたのだ、と叫んで止まないのである。そのような人に対して、聖母は御子を生み給うた後も相変わらず童貞であらせられた、ということを、いささか論じて見たい。
 御告げの際に大天使ガブリエルと聖母との間に言い交わされた言葉を知らない人はあるまい。「めでたし、聖寵充満ちてる者よ云々」、と大天使の御挨拶を受けて、聖母はなぜすぐに「ハイ、承知いたしました」、と御返答なさらなかったのか、なぜ、たいそう御心配になって、「私は夫を識りませんのに、どうしてそのようなことがあられましょう」(ルカ 一ノ三四)とお尋ねになったのか。他ではない。自分は童貞であって、どこまでも童貞で身を終わりたい決心であるから、人の母となるわけには参らぬ、という意を仄めかしなさったのではあるまいか。その上、もし果たして聖母が終生童貞ではなく、イエズスの御出生後、他の子どもをお生みになったものとすれば、なぜ、イエズスは十字架の上から、御母をその子どもにお托けにならないで、わざわざヨハネにお頼みになったのであろうか。

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 この点について、聖会の教えは、昔から一貫して変わるところがない。すでに使徒信経の中にすら、「童貞マリアより生まれ」、という一句を取り入れてある。第三コンスタンチノブル公議会は、「聖母の童貞は、御子の御出生前後ともに少しも汚されなかった」と議決した。第二ニケア公議会は、「聖母マリアが終生童貞にして、かつ天主の御母にてましますことを信じない人は破門せらるべし」とまで宣言した。それもそのはずで、聖母マリアが天主の御母とならせられたのは、聖霊によるのであって、聖霊は聖母の御胎をもって、御自分の御住所(おんすみか)となし、ここに救世主の御肉体をお造りあそばしたのである。それにもし聖母が、聖霊のお住まいになったその至聖所を、人に触れさせるようなことでもなさったら、それこそ聖霊を辱め奉るわけにはならないだろうか。聖堂を?すのをもって?聖の罪とするならば、聖霊のお住まいになったこの聖堂、御子が九ヶ月間もお宿りになったこの至聖所を?しては、なおさら恐るべき?聖の罪と言うべきではあるまいか。  聖女アネスや、ルチアや、チェチリアらの物語をもって見ても分かるが、聖霊は、常に童貞を保護してくださる。チェチリア童貞が婚姻をしたその晩に、良人ワレリアヌスに向かい、「私には天使が付き添って、保護してくださいますから、私の身にお触れになりますと、ただちに怒ってあなたの生命をお取りになりますぞ」、と言ったのをもっても、聖霊がいかほど童貞の徳を大切にし給うかが伺われる。聖女ルチアも役人に向かって、「私の心に

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は聖霊がお住まいくださるんです」と言った。役人は、「よししからば、その聖霊を逐い出してやるんだ」と言って、聖女を悪所へ連れ行き、その操を汚させようとした。ところで聖霊の御保護により、ルチアはたちまち大磐石でも据わったかのごとくなり、幾人かかって連れ行こうとしても、一歩も動かし得なかったということである。かくのごとく聖霊は童貞を愛して、奇蹟をもってしてまでもこれを保護し給うというならば、いわんや天主の御母として、いかに徳の高い聖女でも、足下にすら寄りつけぬほどの聖母マリアをば、その童貞美を汚さぬように保護してくださらぬはずがあったであろうか。今もし聖母が御子の御出生後にその童貞を破られたとしたら、さすがに美しい聖母の御姿も、その色は褪め、その沢(つや)は失せて、見る影もなくなってしまったであろう。聖母が大天使の御告げを蒙るや、ひとかたならず驚いて、「どうしてそのようなことがあられましょう」、とお尋ねになったのを思っては、「なるほど童貞たるものは、かくこそあらねばならぬ。天使の姿を見ても、驚くのは当然(あたりまえ)じゃ」と、誰しも感心するのである。それにどうして御子の御出生後、たちまち他の婦人同様になられるはずがあろうか。救世主は決してわれら見たようにしてお生まれあそばしたのではない。聖母もまた普通一般の婦人と比べられるべき御方ではないのである。
 今ここに一人の処女があったと致せ、修道院に入って童貞の誓願を立て、身も心も

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残らず天主に献げていたが、幾年かの後に心変わりがして誓願期の満つるが早いか、たちまちその童貞の制服を脱ぎ棄て、結婚をしたというならばどうであろう。もとより無期誓願を立てていたわけではないから、結婚をしても、それは罪でも何でもないが、しかし人は何と思い、何と言うであろうか。キリストの浄配となっていた者が、人妻となり、天上の婚姻をした者が、地上の婚姻をすることになったのだから、どうしても善く思い、善く言うことはあり得ない。いわんやその身は御父の姫君、御子の御母、聖霊の浄配、とまでして戴いた聖母マリアが、他の婦人同様に、多くの子どもをお挙げになったとあっては、どこに聖母の聖母たる所以があるだろうか。
 終に聖ヨゼフの上から考えても見よ、聖母が聖霊によって、御子をおやどしになったことは、直接に天使の口から承り、御子御降誕の折の驚くべき奇蹟をも親しく目撃し、聖母が尋常の婦人ではない、聖霊の浄配である、天主の御母であるということも、あくまで承知しておられたはずなのに、どうしてその聖母の童貞美を傷つけるような気になる得られたであろうか。
 なるほど聖福音書には、イエズスに兄弟が幾人もあったかのように録してあるが、あれは血を分けた兄弟ではない。聖ヨゼフの兄弟にあたるケレオファスという人と、その妻マリアとの間にできた子で、実はイエズスの従兄弟に当たるのであった。ユデ

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アでは近い親戚を兄弟と呼びなすことが間々あったもので、少し眼を開いて聖福音書を読んだならば、イエズスの実際の兄弟でなかったことが、分からぬはずもないであろう。
 要するに聖母マリアは、御子を生み給う前、生み給う時に、童貞であらせられたのみならず、生み給うた後も身を終わるまで、「きずなき童貞」であらせ給うた。昔天主は幻の中にエゼキエル預言者をエルザレム神殿の東の門へ連れて行かれて、「この門は閉じ置くべし。開くべからず。これより誰も入るべからず。イスラエルの神ヤーウェこれより入りたれば、これは閉じ置くべきなり」(エゼキエル 四四ノ二)と宣うた。この「閉ざされたる門」こそ、聖母マリアの立派な象で、天地万物の御主が、一度お入りになった聖母の御胎の門を、汚れた人間はどうしても通れない、ということを暗示されたものではないだろうか。
 幾度も反覆(くりかえ)すようだけれども、天主が聖母の童貞美を保護して、御子の御降誕の前、御降誕の時、御降誕の後にも、その童貞美に塵ほどの曇りもつかないで、かえってますます清く光り、美しく照り輝くようにとお計らいになったのは、清浄の徳を甚だしく喜ばせ給うからではあるまいか。われらに清浄を重んじさせ、その輝ける光に身を包ませたい思し召しからではあるまいか。結婚をして善く家を治め、熱心に子どもを教育して行くのは、もとより

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善い。しかしながら結婚をした上は、世渡りの苦を見ねばならぬ。夫のため、妻のため、子どものため、うるさい世話を焼かねばならぬ。心が二つにも三つにも分かれるから、信心に身が入らない。十分にイエズスを思い得ない。一身を抛って、天主のため、人のために尽くして行くことができない、これに反して童貞者はイエズスを自分の天配として、始終これを思い、始終これを愛し、始終御意に適いたいと努めるから、イエズスもまたこれを愛し、またこれを保護し、またこれに美しい聖寵の装飾(かざり)を施し、他日これを天国に召し上げて、御自分の御膝下に楽しましてくださるのである。思えば思うほど、童貞者の身は幸福の至りではないか。男子にせよ女子にせよ、容姿(みめすがた)の美しい、地位の高い、財産の豊かな人の夫となり、妻となって見たい、と望まない人はあるまい。しからば「人の子の中に、わけても美しい御方」(詩篇 四四ノ三)と呼ばれ給うイエズス、王の王、天地万物の大君にてましますイエズスを天配と仰ぎ、その浄配の地位に据わる童貞者の身は、万人羨望の目標(まと)ともなるべきはずではあるまいか。

実例

 聖ドミチルラはドミチアヌス皇帝の姪であった。アウレリアヌスという家柄の高い貴族から縁談を持ち込まれて、何と答えたか。「女の身になって御覧なさい、偉大な王様からと、卑しい牧者(ひつじかい)からと均(ひとし)く相談を受けましたら、どちらに身を托せるはずでしょう

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か。私だって天の王様を棄て、たとえアウレリアヌス様であるにせよ、唯の人間に従われますか。私はそんな馬鹿げたことは致しません」と断然言い放ち、とうとうそのために一命までも抛って、あっぱれな殉教を遂げられた。われらもこれくらいの意気込みであったら、いくら童貞の徳が難しくっても、守り通せぬはずがあるまい。いわんや「童貞者の母」たるマリアは、われらを助けて、御自分のごとく清い童貞者になしたいものと、一心に望んでいたまい、「きずなき御母、われらのために祈り給え」と叫んだら、喜んでお聴き容れくださる。いつまでも童貞の清さを失わない聖寵を、潤沢に請い受けてくださるのである。だから祈ろう。いつもいつも祈ろう。聖母の御前に平伏して、熱心こめて祈ろう。さすれば聖母の手篤い御保護を蒙り、その身その身に必要な清さを、どこまでも保って行くことができないはずはあるまい。

第二十九日、きずなき御母(その二)

 聖母は「きずなき御母」、御子の御降誕後にも相変わらず童貞であらせられた。その清い、美しい童貞の誇りは、いつになっても失い給わぬのであった。これは聖書の明らかに教えるところ、公議会の堅く断言せるところ、われら信者の均しく信ずるところで、一点の疑いでも挟む余地はないのである。ところでそのように聖母が「きずなき御母」であらせられたのは、世

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界にいかなる影響をおよぼしたであろうか。キリスト以前にも、童貞がまったくいないわけではなかったが、しかしいるにしてもごくごく僅かであった。ユデア辺りでは、誰しも救世主の祖先になりたい、という望みを抱いていたものだから、結婚して子を産むのを何よりの名誉とし、石婦(うまずめ)は天罰でも受けたもののように、賤しめるのであった。ローマ人は異教者ながらも、処女を大切にし、ウェスタ神に仕えて、その灯明を点すには、ぜひとも処女でなければ済まぬことにしていた。しかしその処女も、身を終わるまでそのままそこに止まるのではない。ただ七ヵ年間、勤めればよかったので、いつ七ヵ年の期限が過ぎて、早く世の中にでられようかと、ただそればかりを待ち焦がれているくらいであったから、真正な童貞者の心を持っていたわけではなかったのである。
 かかる折に、キリストが童貞なる御母から生まれ、御自分も童貞で押し通して、童貞の価値を世の人にお知らせになった。誰しも童貞を守らねばならぬ、とお命じになったのではないが、しかし御自分と御母との美しい御手本をもって、心ある人々に、童貞の冠の得も言われぬ美しい光をお見せくださった。すると使徒聖ヨハネを始め、その御手本に倣って、童貞を守る人が続々と出て来た。彼らはイエズスの清い御体、童貞聖マリアからお受けになったイエズスの清い清い御体を食物として、その肉欲に打ち克つ力を養い、その童貞の清さを保つべく決心し、進んではその童貞美の光を、社会の暗黒

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面に投げて、これを照らし、これを清め、これが面目を一新せしめるに至ったのである。
 実に世界の人々をその腐敗のドン底から救い取って、これを天の高きにまで引き上げてくれたものは、家もなく、妻もなく、子もなき童貞者であった。家があれば、自ずと家を思う。妻子があれば、どうしても妻子に曳かされる。家庭の情味は甘くて強い。一度その強く甘い情味に繋がれたものなら、容易に足を抜くことができるものではない。ただ聖ヨハネのごとく、アシジオの聖フランシスコのごとく、聖女テレジアのごとく、初めから童貞の清さを保って、家庭に何の係累も持たない方々や、あるいは聖ペトロ、およびその他の使徒たちのごとく、聖アウグスチヌスのごとく、シャンタルの聖ヨハンナのごとく、断然その妻子と離れ、その家庭の情味の綱を切断(たちき)った人々やが、奮って社会改善の大事業に当たることができたのである。彼らは一切の係累を絶っているから、どこへ行って何をしようと後ろ髪を引かれるような思いはまったくない。世界の端(はて)から端まで駆け廻って、主の御教えを弘めた。悪魔の国を打ち壊した。明るい、徳の香りの床しい神の御国を建設した。
 その他、病院を開いて憐れな病者を看護し、孤児院を建てて捨て児を救い、養老院を設けて頼(よ)るべなき老人を養いなどして、世に美しい慈善の花を咲かせたのも、イエズス、マリアを御手本として、不犯の願を立てた童貞者ではないか。その中には華族の令嬢も

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あれば、平民の娘もあり、金満家の令息もあれば、水呑み百姓の小倅(こせがれ)もあるけれども、みな互いに「兄弟」「姉妹」と呼んでいる。イエズス・キリストにおける兄弟となり、姉妹となり、聖母マリアの愛児となり、謙遜、柔和、親切をもって、相助け、相励まして、博愛事業に骨を折っているのである。
 かくのごとく童貞者の手をもって、驚くべき大事業が世に行われた。また現に行われつつあるのであって、それによって人々の蒙っている恵みと言ったら、数えるにいとまないほどである。しかしそれよりもなお驚くべきは、童貞者の感ずべき御手本によって、思想界に起こった一大変化である。異教者といえども、貞操の麗しさを知らぬではなかった。あくまで市って大切にしていたのだけれども、情火の熾(さかん)に燃え狂っている人間に、これはとうてい守れるものではない、と断念していたのである。それにもかかわらず、キリストは、「福なるかな、心の潔き人、天主を見奉るべければなり」(マテオ 二二ノ二一)とお諭しになった。お諭しになったばかりではない。御自分も御母も、立派に童貞を守って、童貞者の教導となり給うた。その御手本に則って、司祭だの修道者だのは、やはり情火の熾に燃え狂う身を持ちながら、現世(このよ)ながらに娶らず嫁がず、まったく天使のごとき清浄無垢の生活を立てて行くようにな

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った。世の人々はこぞって驚きの目を瞠(みは)った。今が今までとうてい守り切れぬものと、断念していたその貞操の美徳が、ものの見事に実行されるのを見て、まったく肝を潰した。これまで心の奥底に眠りこんでいた美の理想が自ずと目覚めて来た。肉体美の外に、美なるものはないくらいに考えていた彼らも、始めて迷いの夢を破った。清いもの、貞操なるもの、罪も邪気(わるぎ)もないものでなければ、真実に美と呼ばれるには足りない。これらの道徳美ほど高尚にして典雅、永久不変の美は世界に今一つとないことを悟って、その清い麗しい童貞美の前に、我知らず頭を垂れ、感嘆の声を洩らすようになった。もとより不浄の垢に深く染み込んだ世界であれば、よし頭は垂れても、感嘆はしても、自らその汚らわしい垢を洗い落として、清浄無垢の姿になるまでには、なお少なからぬ年月を要したのは言うまでもないところである。
 その間にも悪魔は手を拱いて、傍観していたわけではない。どうにかして彼の美しい童貞の花を枯らさんものと、迫害の嵐を巻き起こすやら、罪悪の泥を投げかけるやら、百方手を尽くして死物狂いに働いた。しかし童貞者たちは、イエズスの聖寵に強められ、聖母マリアの御鑑に励まされ、絶えず眼を天の頂きに注ぎ、いかなる嵐に吹きつけられても、その志を動かさず、いかなる泥を浴びせられても、その操を汚さず、暗い暗い闇の世界に、美しい明星と輝いた。人々はいよいよ感心した。その清い、優しい、堪らないほど美しい

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香りを一心に恋い慕って来た。
 かくて童貞の芳香は次第に人々の魂に沁み入った。その感情に、その日々の言語、動作にまで盛んに割り込んだ。家庭を浸し、社会を占領するに至った。随って人々の思想は今までとは打って変わって、貞操を破るのを一大罪悪と見倣すようになった。猥りがましい風俗は自ずと跡を収めた。少なくも今までのごとく、大手を振って世の中をのさばり歩かなくなった。清浄は青年処女に欠くべからざる美徳となった。彼らは競って、聖母の御手本に倣い、身も心も汚さずして、白百合の清い操を保ち、もって結婚の期を待つようになった。かくのごとく青年時代から、己に克ち、情欲を抑え、清浄潔白な空気の中に成長した上で、結婚をするから、夫婦の間にも、立派に貞節を守ることができ、離婚の何のと騒ぎ廻る憂いもなく、家庭は円満に治まるに至った。すべて社会の基は家であって、家の土台は夫婦である。夫婦が仲睦ましく、操正しく、おのおのその本分を尽くしさえすれば、一家は円く治まり、ひいては国家社会までが、その余恵を蒙るのは言をまたざるところである。
 童貞の徳は、これほど優れて美しいものであるから、青年処女たるものは、ぜひともこの徳を失わないよう、努めなければならぬ。昔ベッリアの民はユヂトを讃め称えて、「あなたは童貞を守られましたから、代々に祝せられませ」と言った。世の青年処女

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たるものも、聖母マリアに身を献げ、この「きずなき御母」のごとく、清浄潔白であったならば、必ず天主からも人からも、祝せられるに違いあるまい。

実例

 ムザという処女(おとめ)がいた。いったん聖母マリアに身を献げたものの、心までも残らず献げ得ないで、いわば片足は聖母の御前に、片足は地獄の玄関とも言うべき世間に踏み入れていた。殊に人中へ出て、遊び戯れたり、おしゃべりをして廻ったりするのを楽しみとしたものである。ところで、ある日聖母は彼女に顕れて、「御前はそんなに軽々しい、年にも似合わぬ、児童らしいことばかりをしてはいけません。世間の遊びごとや、人中へ出廻ることを、スッカリ止めておしまいなさい。そんなものは悪魔の遊びごとですよ」、と仰せられたとか。聖母を愛して、その御徳に倣いたい、その童貞の香りの床しさを慕い、どこまでも御後を追いたいと思う人は、この御言葉を、ちょうど自分にでも言われたかのごとく思って、これを実行せねばならぬ。ムザは聖母の御咎めを蒙ってから、従来(これまで)の行動(おこない)を一変して、身も心も残らず聖母に献げたということである。われらも今から、謙遜にして用心深く、言葉を慎み、行いを慎み、善く働き善く祈りて、悪魔のつけ入る隙がないようにした上で、聖母に向かって、「きずなき御母、われらのために祈り給え」と心から申し上げたら、必ず清浄潔白な人となって、大いに世のため人のためにまで、立ち働くことができる

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であろう。

第三十日、愛すべき御母(その一)

 聖会は聖母の美しき御名を数えて、「キリストの御母」、「天主の聖寵の御母」、「いと潔き御母」、と申してから、しばらくその潔い理由を、各方面から調べて見た上で、終に「愛すべき御母」と叫んでいる。これほど「潔き御母」にてましますから、ぜひとも愛せねばならぬ、と結んでいるのである。しからば聖母は愛すべき御母にてまします。なぜ「愛すべき御母」にてましますかと言えば、汚れなき童貞にてましますからである。身も心も腐れ果てた人ですら、清浄にして汚れない人を見れば、自然とこれを敬い愛するものである。実に童貞者の前額(ひたい)に輝く清浄の光ばかりは、ほとんど人間以上の美しさを添えるものである。セネカは異教者ながらもその辺の道理を悟りて、「徳行がいかほど人の容姿を麗しくするものであるかと、もし婦人たちが知ったならば、美人になろうというところから、先を争って、徳を修めるに至るであろう」と言った。しかも自然に備わった容姿は、年と共に衰えるものであるが、徳行から出て来る美しさは、額に皺が寄ろうと、頭に霜が降りかかろうと、腰が梓の弓に曲がろうと、決して窶れるものではない。いつになっても、美しく、愛らしく輝くものである。すべて美しいものは愛らしい。聖母が、「愛すべき御

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母」と称えられ給うのは、何とも知れぬ美しさに輝いておられるからである。
 もっともここに言う美しさは、容姿の上について申すのではない。聖母は容(かたち)から言っても、人並み勝れておられたに相違ないが、しかし、「王の娘のすべての光栄は、中よりぞ来る」(詩編 四四ノ一四)と聖書にもあるがごとく、その心の美しさと来ては、何とも譬えるに物なしというほどであった。今聖母はどうしてそのように美しくましましたかと言えば、天主に最も善く似よっておられたからである。
 すべて麗しいとか、華やかとかいうものは、天主の限りなき美しさから来るのである。天主の驚くべき美しさが、僅かに朧げな蔭を射しているまでに過ぎない。だから咲き溢れた美しい花を見ては、「天主様がこの世に微笑んでいらっしゃるよ」と言い、輝き渡る美しい星を仰ぎ見ては、「天主様が天ににこにこしていらっしゃるだ」と言うであろう。しかしいくら花が美しいにしても、いくら星が立派に輝いているにしても、これを聖母に比べたら何であろう。花は幾日かを経ると、萎んでしまう。星も幾千万年かの後には、次第にその光を失ってしまうものであるが、独り天主の光栄だけは、いつになってもその光を失うことがない。天主がその聖寵をもって、お装いくださった聖母の美しさも、また幾千万年経ったからとて、萎んだり枯れたりする憂いはないのである。
 天主は愛である。われらをお造りくださったのも、この美しい見事な世界をお与えくださ

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ったのも、われらを愛し給えばこそである。かの大きな天も、この広い地も、高い山にせよ、青い谷にせよ、煌々(きらきら)と輝く太陽、青白く冴え渡る月、幾千万と数え難き星、これらはすべて、天主のわれらに対し給う尽きせぬ愛を物語っているのである。
 しかし天主はこの珍しい、見事な世界を、われらにお与えくださったのみに満足し給わず、全能全智の神の貴きを持ちながら、われらに等しき人間となり、われらのごとく幼児に生まれ、次第に成長して、少年となり、青年となり、もってなるだけ長くわれらの間に住んでわれらを愛し、またわれらにも愛されたいと思し召しくださった。しかし天主は人に生まれて、その感ずべき愛の御業をお果たしになるがためには、聖母の御助けを借られた。聖母の御胎に人とおなりになった。随って聖母は、イエズスと血を分けた母子であるから、最も善くこれに似ておられた。われら人類に、万世の鑑として与えられた御子、「人の子らに優りて美しくましまし給う」、(詩編 四四ノ三)と、預言者に歌われ給えるその御子イエズスそっくりであった。そもそもイエズスは全能全智の天主にてましましながら、貧困に生まれ、世に隠れ、人に知られず、謙遜や、柔和や、忍耐や、親切や、その他あらゆる徳行を身に飾り、もってわれらに範を示された。「われは柔和にして心謙遜なるがゆえに、汝らわれに学べ」(マテオ 二ノ一九)と叫ばれた。その御勧めに従い、柔和、謙遜、堪忍などの諸徳を完全に修め、まったく御子の生き写しともなられたのは、実に聖母マリアであった。「御母を眺め

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なさい。御母に則りなさい。御母に則るのは、私に則るのですよ」、とイエズスもわれらに宣うことができたのである。
 聖母は御子の御精神を、深くわが身に染み込ましたいと思われて、しばらくも御側を離れ給わぬのであった。幼い時にはこれを御膝に抱え、これに御乳を飲ませ、撫でつさすりつ、その愛らしい幼な姿に見入り、牧童(ひつじかい)が拝みに上った時も、博士たちが参拝した時も、いつも御子と共にましました。御子と御一緒にエジプトへも走り、ナザレトにも帰り、三十年の久しい間も、共に明かし共に暮らされた。御子が世の中に出て、公に教えを説かれることになっても、やはり御側を離れ給わず、懇ろに御身の周囲(まわり)を御周旋なさった。謹んでその御話を聴かれた。親しくその奇蹟を御覧になった。終に御子に従ってカルワリオの頂にまで登り、苦しみと悲しみとに胸は破られながらも、十字架の下を立ち去ろうとはなさらなかった。
 こういうように、聖母は始終御子の御側に付き添っておられた。御子を見たい、御子と物語りたい、共に働き、共に泣き、出来得る限り、慰め労りたいというところから、そうなさったのでもあろうが、また一つは御子の御徳を見習わんがためであった。日に増し御教えを承り、その聖寵を忝うし、その美しさを加えて戴かんがためであった。蔭の形を捨てられぬがごとく、光線の太陽を離れられぬがごとく、聖母はしばらくでも御子を離れ給わず、

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終には瓜二つと言われるまでに、そっくり御子に似て来られたのであるから、聖母の御姿を仰ぎ視ると、イエズスの美しさが偲ばれる。その得も言われぬ愛らしさが、自ずから仰ぎ慕われるのである。でも写った影を眺めるよりか、実物を見た方がましではないかと、思われる方があるかも知れぬ。それはなるほどそうだ。しかし悲しいかな、われらは眼が悪くて、かの眩しい御子の御姿を眺め得ないことが多い。太陽の光はいかにも美しい。けれどもまた馬鹿に強い。よほど眼の善い人でなければ、眩しくて眺められるものではない。かえって月の方になると、太陽の光を反射して輝くに過ぎないのだけれども、その青白い光の中には、一種言うべからざる温か味がある、眩しくもない。何人にでも楽しく仰がれる。今イエズスは正義の太陽、罪に汚れたわれらの目には、容易に眺め難い点がある。これに反して、聖母は御子の御光を反射しておられる月で、美しいとも美しく一点の汚れすらましまさぬが、さらばとてその光は眩しいほどに強くもない、善人でも悪人でも、等しく仰ぎ視て楽しまれるのである。
 もっとも聖母はただ今天にましますので、わざわざお現れくださらぬ限りは、その御姿を仰ぎ視ることはできない。でせめては聖母の御絵でも室内に掲げ、たびたびこれを眺めることに致そう。福音史家の聖ルカは、医師であったが、また筆も達者で、画も相応に書けた。ある日丹誠を凝らして、聖母の御肖像を描いた。聖母はそれを御覧になって、厚く御礼を

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述べ、「私の恩寵が、いつもこの絵と共にありましょうぞ」と仰せられたとか。実に聖母の聖絵には、恩寵がついている。御前に跪いて祈れば、自ずと信心が燃える、心も散らない。誘惑に罹った時にでもそれを眺めると、「ああ聖母が見ていらっしゃる。私は聖母の子どもだ。この御母に不似合いな子どもとなってはならぬ。こんな子どもが出来てはどうも恥ずかしい、と聖母から嘆かれるようでは相済まぬ」というような思いが、ふいと浮かんで来て、容易にその誘惑を撃退(うちしりぞ)けることができる。
 しかし毎日毎日宅(うち)にばかり閉じ籠もって、聖母の聖絵を眺めているわけにも行かないから、平生聖母のメダイを首に掛けるように致そう。メダイを首に掛けていると、聖母と御一緒にいるような気持ちがして、いつもこの愛すべき御母のことを忘れない。始終思い出す。自分はこの御母から保護されているのだと思えば、どこへ行っても安心で、少しも恐ろしいところがない。聖母もまたそういうように愛されたり、寄り頼まれたりされては、どうしても保護を加えずにはおられなくなる。その上メダイを首に掛けているのは、聖母を掛けているのであるから、危ない所へなぞは行く気にはなれない。悪い友の中に打ち混じって、怪しげな談話をしたり、罪の機会となる場所へ出入りしたりしては、どうやら聖母を?すような気持ちがして来る。「あんなところへ聖母が行かれたでしょうか」と思うと、その馳りかけた足が自然と止まってしまう。さらばと言って、そのメダイを脱ぎ棄て

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てまで跳り込む気にもなれないので、いつの間にか、そのような所から遠ざかるようになり、それと共にますます聖母に近づいて、聖母のごと身も心も清く美しく、愛らしくなって来るのである。

実例

 東ローマ皇帝レオ三世が、聖画像破壊論を唱えて、容易ならぬ騒ぎを惹き起した時、ダマスコの聖ヨハネは健筆を振るって帝の暴論を反駁し、聖画像を尊敬することの正当なる所以を論証せられた。ために帝の怒りを買い、あられもせぬ罪を塗りつけられ、右の腕をプッつり切り棄てられた。しかし聖人は聖母の聖絵の前に平伏して、「ああ聖母よ、御憐れみを垂れて私の傷を癒し、再び筆を執って、聖教の光を輝かすを得しめ給え」、と一心不乱に祈られた。すると聖母は聖人の願いを聴き容れ、たちまち切られた腕を接合(つぎあわ)して、元々通りにしてくださった。聖画像を尊敬するのが、いかばかり聖意に適うことであるか、という実物教示をしてくださったのである。われらも御座敷には、必ず聖母の御像か御影かを飾りつけて置いて、朝に夕に、その清い、美しい、愛情の溢れた御姿を仰ぎ視、これに則るべく努めたいものである。それを天から御覧になる聖母はどんなにお喜びになり、豊かな祝福を一家の上に雨降らしてくださるであろうか。

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第三十一日、愛すべき御母(その二)

 聖母の美しさと言ったら何とも形容し難いほどで、クレタの聖アンデレアのごときは、「天主様が御自分で、御刻みあそばした聖像だ」、と賞讃(ほめたた)えているくらい。すべて美しいものは自ずと観る人の目を曳き、その愛情を唆って止まないものである。されば天主を始め天使たちでも、人類でも、聖母の美しい御姿を眺めては、どうしても愛さずにはいられぬのである。まず聖母はその驚くべき謙遜によって、天主に愛せられ給うた。聖母は諸々の被造物の上に位するだけの聖寵を戴き、ケルビンにも優った知識を備え、セラヒンも遠く及ばないほどの愛熱に燃え立ちながら、御自分ではごくごく小さなもの、かかる御恵みを戴くに堪えないもの、天主から見れば、いかにも賤しむべきものだ、と深く信じておられた。実際またそうでもあるのである。いくら聖母が徳に秀でてましましたからとて、つまり被造物たる以上は、これを天主に比べると、不足な点があり、欠けたるところがあるのは、怪しむに足りない。それにしても天主は、聖母の深い深い謙遜をお喜びになり、わざわざ天から降って、その御子となられた。すなわち聖母の謙遜は、天主の御子を、この塵の世に呼び降ろすほどに、美しく見えたのである。
 聖アウグスチノは、聖母が大天使ガブリエルの御告げを受けて、ただちに承諾の旨をお答

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えにならなかったことを録して、大天使にこう言わしている。「ああ福なる童貞女よ、私が天主様の方へ復命するのを、なぜそんなに遅らしてくださいますか。天主様は天の玄関に、私の帰るのをお待ちあそばしていらっしゃるじゃございませんか」と。もとよりこれは聖人の想像に過ぎないのだけれども、しかし天主が、いかに聖母の御返答を御待ちかねになっておられたということを、巧みに描いて見せたものではないだろうか。天の宮殿内に安閑としており得給わず、わざわざ玄関先まで御出ましになって談合(はなしあい)の結果をお待ちあそばした。大天使の復命によって、聖母がいよいよ御承諾の旨をお答えになったことがわかるや、ただちに天の賓座(みくら)を降って、聖母の御胎にお宿りになった。清い、美しい、あらゆる善業の光に照り輝きながら、自分では極めて賎しい、拙らぬ婢(はしため)、と謙遜しておられる童貞女の御胎にお宿りになったのである。実に聖ベルナルドも仰ったごとく、聖母はその童貞の清さによって、天主の御心に適い給うたが、しかし天主の御母となられたのは、その謙遜の美しさによってである。
 次に聖母はその童貞の清さによって、天使たちの御目にも非常に美しく輝き給うたのである。清浄の徳は、人を天使に等しからしめる。弱い脆い肉を持った人間が、身を清浄に保たんものと、敵に向かって戦うのは、殉教者が白刃に斬られ、猛火に焼かれるよりもよっぽど激しいので、この点からすれば、天子にも遥かに優ると言わなければな

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らぬ。天使は肉身を持たないので、頭からそのような戦いを知らない。これに反してわれらのためには、見るもの聞くもの、一つとして悪の種子ならざるなしである。しかもその良からぬ快楽や汚らわしい遊びやが、いかにも美しい、楽しいそうな姿をして唆かす、それに引っ張られないようにと、注意に注意を加え、警戒に警戒を重ねて、幾十年の久しい間、一日も一晩も止みなしに戦って行くのは、いかにも辛い。殉教の苦しみはいくら烈しくても、たかが数日間、あるいは数ヶ月間に過ぎないのに、この清浄を守るための戦いばかりは、一生涯にわたって、片時も休み知らずであるから、なかなかもって容易なものではない。
 いったい徳と名のつくものは、いかなる徳でも、求めるに難く、失うに易いものである。しかしこの清浄の徳ほどに骨の折れて、非常に求め難くて、また非常に失い易いものはない。始終気をつけて戦わねばならぬ。その戦いは十二三歳の頃から、否、もっと前からでも始まって、頭に雪を戴く老体になっても、終わらない。ちょっと息つく暇すらない。少しでも油断をするとただちに倒れる。敵はなかなか多くて強い。毎日毎日勝つ者は稀で、負ける者ばかりである。しからばまったく勝ち得ないのかと言うに、そうでもない。天主は決して人の防ぎも得ない誘いに遭わしめぬ。祈りさえすれば、どんな強敵でも物の見事に打ち破る聖寵を、十分お恵みくださる。随って天主の聖寵に深く頼みをかけて、油断をせずに、ひるまずに、進み戦うならば必ず勝利の冠が戴ける。しかも

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敵が多くて強いだけ、戦いが激しくて、勝つ者の少ないだけ、その功は大きく、その勝利の冠は美しく輝くのである。随って身に童貞を守り、心を清浄に保って行くところの人は、いかにも尊く美しく見受けられるので、天使たちまでが感心して、打ち眺めるというくらいである。
 普通の童貞ですら、それほど天使たちに感心されるというほどならば、まして「童貞の中にていとも聖なる童貞」と仰がれ、いかなる童貞も遠く及ばないほど、清く美しく輝き給う聖母マリアのことであれば、天使たちが驚きの目を瞠って感心されるのも、不思議ではあるまい。しかしながら聖母の美しさに見惚(みと)れて、いつもいつも愛して行かねばならぬのは、われら人類である。聖母は天使たちにも優って、清く美しくましましたとはいえ、またわれら同様に肉と血とを持った人間であられた。われらのごとく泣きもすれば、苦しみもされた。われらの弱さも、困難も、悲しみも、よく分かっておられる。始終肉欲に向かって戦わねばならぬ辛さにせよ、たびたびその肉欲に打ち負かされるわけにせよ、あくまで御存知あそばして、非常に同情深くましますから、この御母ばかりは、どうしても愛せずにはおられぬのである。
 しかしわれらが、聖母を愛し奉らねばならぬ理由は、特別にその清く潔く何とも形容し難いほど美しくまします点にある。天国において、永遠に聖母の美しい御姿を仰ぎ視る幸福は

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われらが喜びの一つではあるまいか。シエナの聖女カタリナは言われた。「もし一つも罪の汚れのない霊魂の美しさを肉眼で見ることができましたならば、いつまでも、その美しく、愛らしい姿を霊魂に保たせるがため、人はそのかけがえのない生命までも、喜んで抛げ棄てるでございましょう」と。罪のない霊魂は、それほど美しいのである。しからば天主を除けば、天国の清さでも、地上の美しさでも、遥かに及ばないほど、清く美しくまします聖母の御姿を仰ぎ視たならば、どんな心持がするであろうか。
 青年時代には、誰しも美にあこがれたがるもので、美しい色、華やかな姿の前に立つとたちまち目も心も奪われてしまう。しかしせっかく美にあこがれるならば、いたずらに世間の衰え易い美を追って廻る代わりに、なぜ聖母の得も言われぬ美を慕わぬのであろうか。なぜ、聖母の清い、聖なる美にあこがれぬのであろうか。聖母の御前に立って、その美しい御姿を眺めると、汚らわしい俗念は自ずと消え失せて、自分までが清く汚れなくなり替わったように覚えるものではないか。われらはぜひとも天国へ登り聖母の御前に立って、その清い聖なる美しさを仰ぎ視て楽しめる身の上とならねばならぬ。そのためにはことさら注意して眼を取り締まろう。いつも眼元には清浄を浮かべ、潔白を湛え、無邪気を溢らせるように努めよう。夢にも汚らわしい物を見たり、良からぬ書を読んだり、怪しげな観物を覗いたり派手にして華美、いたずらに虚栄心を唆るような身装(みなり)などに眺め入ったりしないと決心の臍(ほぞ)を

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固めておこう。

実例

 福者へルマンであったとか言うが、かねてより篤く聖母マリアを尊んでおり、聖母が言うに言われぬほど、美しく愛らしくましますということをある書の中に読み、「ちょっとでもよいから、一度御顔を眺めさしてくださいませ」、としきりに天主に願って止まぬのであった。しかしいっこうお聴き容れがないようであったから、今度は直接に聖母に向かってお願いした。すると聖母は天使を遣わして、「せっかくの願いですから、何日の何時頃、現れて上げましょう。しかし私を眺めた目で、世上の物を観るのはよろしくないから、ただちに目が潰れてしまいますが、それでもよいですか」、と問わしめたまうた。「ハイ、それはちっとも厭いません」と、ヘルマンはただちに承諾した。「美しい御姿を眺めて、それから盲目になる。一生涯盲目になる。ナーニ盲目なんか構わぬよ、コンな幸福が得られるんだもの」とホクホクしていたが、しかし篤と考えて見ると、盲目になってしまえば、何かにつけて不自由勝ちだ。ずいぶん難儀であろう。どうしようかしら。よし片目で眺めよう。潰れても一方の目があるから、どうにかなるさ。こう決心している中に、果たして聖母マリアが、その美しい御光に包まれて、お現れくださった。眺め終わると、片目はたちまち霞んで見えなくなった。しかし聖母の美しい御姿を思うと、残念で堪らない。「私も馬鹿げてい

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たよ。なぜ両眼をクワッと開いて、お眺め申さなかったんだ。そしたらいかに美しく仰がれて、幾倍と楽しかったでしょうに、まるきり盲目になったからって何だ、その楽しみに比べられたものがあるか」としきりに口惜しがり、「今一度お顕れくださいませ」と一心にお願いした。聖母は彼の信仰の篤いのをお喜びになり、再び彼に現れ、今度はかえって両眼とも見えるようにしてくださった、という話である。
 われらも今からこの愛すべき御母を深く愛し、その御顔を仰ぎ視る福をお願い致そう。現世ではできまいけれども、せめて来世でなりと、十分にお眺め申すことができるよう、一心にお願い致そう。ただこの福を忝うするがためには、ずいぶんと手数のかかることだけは覚悟せねばならぬ。聖母はかつてエリザベトという聖女に仰ったことがある。「私はいかなる聖寵でも、いかなる賜物でも、いかなる善徳でも、大いに努めて、絶えず祈って、熱心に望んで、熱い信心と、大いなる苦しみとをもってようやく手に入れました。実に聖寵というものは、祈祷と制欲とによらなければ、得られないのだということを忘れてはなりません」と。われらもこの聖訓(みおしえ)に従い、絶えず祈り、熱心に望み、屈せず撓まず、骨を粉にして、身の清さを求め、心の美しさを保ち、終には天の御国において聖母の美しい御顔を仰ぎ視ることができるよう、努めたいものである。

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聖マリアの連祷(一) 終わり

昭和二十四年四月十五日 印刷
昭和二十四年四月二十日 発行

定価 六十円

著者 浦河和三郎 発行者 東京都新宿区若葉町一丁目五ノ六
   グイド・パガニーニ
印刷者 東京都豊島区高田本町一ノ三二七
佐藤文雄
印刷所 東京都豊島区高田本町一ノ三二七
日本印刷株式会社

発行所 中央出版社
東京都新宿区若葉町一丁目五ノ六
電話淀橋(37)一九○五番
振替(東京)六二二三三番

終わり

2001/05/01 三上 茂

作成日:2001/05/01

最終更新日:2001/05/01


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