ファチマの聖母マリア

新しい教会のための新しいファチマ

The Fatima Crusader, Isuue 75, Winter 2004より

ネオ・カトリック体制側はファチマ・メッセージの改訂において公会議後の革命に加わっている

「シスター・ルチアは今日もはや参照の主眼点ではない。なぜなら、われわれは第二ヴァチカン公会議のうちにそのようによい参照の主眼点を持っているからである。」
--リスボン主座大司教、ホセ・ダ・クルス・ポリカルポ枢機卿

クリストファー・フェララ

編集者注:以下の論考において述べられたように、ポルトガルの新聞においてゲッラ師に帰せられた陳述の正確さについての確証を求めて、2003年11月10日に送られたEメール、そして2003年11月23日に送られたファックスに対するファチマ聖堂主任司祭のモンシニョール・ルチアーノ・ゲッラからの返答をフェララ氏は印刷時に待っている。われわれが2003年12月3日に印刷に付するときに、モンシニョール・ゲッラからは何の言葉もなかった。

1917年にポルトガル、ファチマのコヴァ・ダ・イリアとして知られる質素な野原はそこで永遠のカトリック信仰が、聖ピオ10世がその7年前に「教義も、あるいは位階も、精神に対する規律もあるいは情熱に対する制御ももたないであろう一つの世界教会の設立のためにあらゆる国において組織される背教の大運動」注1)として適切に記述なさったものと闘うであろう一つの霊的戦場となった。

86年後、その戦いは文字通りコヴァの地で遂行されている。ファチマ聖堂の役職者たちに容易に手の届く地方新聞、Noticias de Fatimaによれば、聖堂主任司祭モンシニョール・ルチアーノ・ゲッラの主催の下に2003年10月10日から12日までファチマで開催され、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、ユダヤ人、正教会信徒、仏教徒そしてアフリカ・アニミストの「代表者たち」によって参加される諸宗教間会議が以下のテーマの下に行われた。「ファチマの未来は異なった諸宗教がそこで混じり合うことができる一つの聖堂の創造を経験しなければならない。ポルトガルにおける、そしてカトリック教会における諸宗教間対話は今なお萌芽的な局面にあるが、しかしファチマの聖堂はこの事実に無関心ではない。そしてすでに使命の普遍主義的場所であることに対して開かれている。」The Portugal Newsはこの主題の陳述を、英国におけるカトリック・ジャーナルThe Universeを含む他の諸新聞がそうしたように、モンシニョール・ゲッラからの直接の引用として提示している。

会議に関するNoticias de Fatimaにおける見出しはこう宣言している:

「[ファチマの]聖域は宗教的多元主義に対して開かれる」そして「異なった諸信条の聖域」

そのテキストはイギリス聖公会の代表者たちが「正教会、ヒンドゥー、仏教、およびイスラムの教徒たち」と一緒にファチマに来るように公式に招かれたのはファチマ聖堂の歴史において「初めてのこと」であると述べている。モンシニョール・ゲッラはその集まりは「第一歩」だと宣言した。「われわれは未来においてそれらを信頼できるかどうかを見るために橋の構造を検討することによって始めるポルトガルにおける技術者たちのようなものである」と。注2)

私は、正確な引用であると思われる、地方新聞における彼に帰せられた陳述に関して直接にモンシニョールからの確証あるいは否定を求めた(が無駄であった)。しかし、Catholic Family Newsのジョン・ヴェナリを含む、会議に出席した証人たちは、確かに会議の全体の趣旨が、会議のまさに副題--「聖なるものに関連して諸々の聖域の場所」--が示唆しているように、ファチマはすべての諸宗教が集まることができる一つの場所であるべきである、というものであったということを確証している。

ヴェナリはネオ近代主義者ジャック・デュピュイ(Jacques Dupuis)神父によってなされた、会議での主要神学講義に参加し、それをテープ録音した。--そのデュピュイ神父はその異端的な無差別主義的著作のためにラッツィンガー枢機卿によって軽くおざなりの罰を受けたその同じデュピュイ神父であるが、彼はそのどれ一つをも撤回することを命じられなかった。(デュピュイは後に信仰教義聖省との彼の小競り合いにおける勝利を宣言した。)デュピュイの演説は、神は御自分の救いのための計画の一部として他の諸宗教の存在を積極的に望まれた、そして他の諸宗教を非キリスト教的な宗教として言及することすらすべきではないと主張した。Noticias de Fatimaはデュピュイを次のように引用している:「未来の宗教はその深さにおいて、誰をも満足させる一人の普遍的キリストの宗教である。」デュピュイの演説は教皇使節、諸宗教間対話教皇立委員会のフィッツジェラルド大司教、そしてレイリア・ファチマの司教、セラフィム・デ・スウサ・フェレイラ・エ・シルヴァ博士によって歓迎された。実際、翌日、ジョン・ヴェナリが報告しているように、フィッツジェラルドは会議に向かってこう述べた:「デュピュイ神父は昨日、他の諸宗教の人々との関係の確立の神学的基礎を説明した。」

しかしながら、憤激の国際的な波に直面して、フィッツジェラルド大司教は後に、公会議後の革命の非常に典型的なあれらの「否定」の一つを発表した:一方で革命の最近の試揚気球の打ち上げのための覆いを準備しながら、過度に軽々しく信じ込む人を静めることを計算したものである。イギリスのカトリック・ジャーナルThe Universeによれば、フィッツジェラルドはこう述べた:「信仰間の巡礼センターとなるファチマ聖域の問題は何もない。...ここは聖母を中心にした祈りの場所である。そして誰もが歓迎される。」注意深く読みなさい:ファチマはマリアを「中心にして」いる、しかし誰でも歓迎される。フィッツジェラルドはこう主張した:会議は「単に教会と世界における聖域の『諸宗教間の次元』に関する『進行中の思案の一部』に過ぎない。」しかし、「実際的な結論は無かった」注3)と。これはむしろ、他の女と浮気をしながら、単に姦通についての「進行中の思案」をしているに過ぎないと抗議している結婚した男のようである。

しかし、フィッツジェラルドは、The Universeが繰り返したように、モンシニョール・ゲッラが次のように言ったということを否定することに明らかに失敗した:「ファチマの未来、あるいはこの聖なる聖堂における神とその御母の礼拝は異なった諸宗教がそこで混じり合うことができる一つの聖堂の創造を経験しなければならない。」2歩前進、1歩後退である。ファチマは今日諸宗教間のメッカではないかもしれない。しかし、聖堂が、フィッツジェラルドに従えば、前例のなかった会議がそれについての「進行中の思案」の一部である「一つの諸宗教間の次元」を持っているということは今や確立されたのである。「実際的な結論」のための準備完了である。彼らはわれわれが実際非常に騙されやすいと考えているに違いない。それはそうと、「聖堂は1921年に建てられた今あるバジリカの直ぐそばに建てられる新しいスタジアムのようなバジリカをもった完全な再構築を経験することになる。」注4)公会議の「刷新」は最終的にファチマを要求する。

会議のびっくり仰天させるほどにずうずうしい表題は「人間の現在--神の未来」であった。公会議の春の季節の教会において、神の被造物たちは彼らの創造主の「未来」を議論する色とりどりの諸宗教間集会を主催する。これはほとんどわれわれを驚かせないであろう。なぜなら、諸々の回勅や謁見での諸々の演説において発表された現在の教皇のより混乱させる主題の一つは、キリストがその受肉によって「人間を彼自身に完全に明らかになさる」注5)ということであるからである。この主題はGaudium et Spesにおける、「人間の神秘が真に明確になるのは、ただ肉となられた御言葉の神秘においてのみ」注6)であるという等しく混乱させる公会議の宣言から出ている。それゆえに、と公会議は言う、キリストは、その受肉によって、「ある仕方で御自身を一人ひとりの人間と結びつけ」られた、と。公会議は受肉の神秘がどのように人間の「神秘」を明らかにすることができるのか、あるいはいかなる意味において人間は「神秘」であるのか、を一度も説明しなかった。人間の本性は知られそして理解されている。そして信仰の神秘の中には数えられていない。また公会議は「ある仕方で」という文言が何を意味するものとして考えられているかを説明しなかった。これらはまさに、ゴミ箱の中に投げ込まれた準備的な案の「厳密な」古典的厳密さからそれがひとたび「解放され」たとき、この「司牧的」公会議が産み出したdoctrinoids(カトリック教義としての仮面をかぶっている悪しく決定された概念)のいくつかである。

ラッツィンガー枢機卿が述べたように、第二ヴァチカン公会議において、「教導職のテキストの中に初めて完全にキリスト中心的な神学の新しい類型--それはキリストに関連して人間学としての神学を冒険的に試みている--が現れている。」ただ第二ヴァチカン公会議以来だけ、教会の中に一つの矛盾語法的(oxymoronic)人間学的神学が突然「現れる」ことができた。それはある実験的な真空の部屋の中に予期せずにまばたきして入ってきたクォークのようなものである。しかしもし神学が人間学になったとするならば、人間の未来が「ある仕方で」神の「未来」であると結論するためにそれほどの飛躍を必要としない。この混乱の広まりはピオ12世(彼はそのときまだモンシニョール・パチェッリであった)の預言を実現している。彼はそれを特にファチマのメッセージに結びつけた:

「私はファチマのルチアに対する祝せられたおとめのメッセージのことを心配している。教会に脅威を与えている諸々の危険についてのマリアのこの固執は教会の典礼、教会の神学、そして教会の魂における、信仰を変えることの自殺に対する神の警告である...文明化された世界がその神を否定する日、教会がペトロが疑ったように疑う日が来るであろう。教会は人間が神になったと信じるよう誘惑されるであろう。。注7)

すべての人がみな「ある仕方で」キリストに結びつけられているということを(説明することなしに)主張する一つの「新しい神学」が与えられるならば、すべての諸宗教がファチマ聖堂を使用するべきであるということはゲッラにとってまったく理に適ったことだと思われるに違いない。実際、Noticias de Fatimaによって報じられたように、ゲッラは来るべき冒涜を、「ファチマは一人のイスラム教徒でモハメッドの娘の名前であるというまさにその事実が、聖堂がさまざまの信仰や信念の共存に対して開かれなければならないということを示すものである」と主張することによって正当化した。しかし、ここでゲッラは彼が真理を隠しているということを確実に知っている。ファチマの村は一人のイスラム教徒の王女にちなんで名前がつけられた。彼女はムーア人によるポルトガル占領の間にキリスト教軍によって捕虜にされた後に、オウレムの伯爵によって心を奪われ、カトリシズムに改宗した。そして1158年に伯爵と結婚する前に洗礼を受けた。彼女の洗礼名はオウレアーナであったが、しかし彼女の誕生名はモハメッドの娘にちなんだファチマであった。ファチマの村の名付けはこのように「諸宗教間の対話」への証言ではなくて、ポルトガルのイスラム占領者たちに対するキリスト教世界の勝利(完成するにはさらに1世紀を必要とした過程)への証言である。注8)

ゲッラの修正主義は私にファチマに忠実な人、ニコラス・グルーナー神父を非難するダリオ・カストゥリヨン・ホヨス(Dario Castrillon Hoyos)枢機卿の手紙を思い起こさせる。(教会の歴史における最悪の聖職者のスキャンダルの真っ最中に、グルーナー神父はカストゥリヨン・ホヨスの聖職者聖省がL'Osservatore Romanoにおいて公的に非難した全カトリック教会におけるたった一人の司祭である。)枢機卿の手紙は、ファチマの聖母が「全教会が...第三千年紀の曙に...自らがそれに従事しているのを見出している新しい福音宣教のための一つのプログラムを選び出された」ということを認めそこなったとして、グルーナー神父を叱っている。注9)

再び来る? これは、ローマカトリック教会のスターリン化と正当にも呼ばれてきたものの一部としてヴァチカン当局がわれわれに採用するように期待している種類のナンセンスである。注10)ファチマが関係しているところでは、ゲッラと枢機卿とは党路線の適切な例を提供している。その党路線に従えば、ファチマ・メッセージの永久のカトリック諸真理は公会議後革命の空虚なスローガンによって取って代わられるのである。注11)そのスローガンを拒否して伝統的なメッセージの理解を擁護する人々はソビエト流の形容語句でもって非難される:「旧式で狭量で狂信的な極端論者および挑発者ども」は同志ゲッラがファチマ聖堂に対する彼の計画に反対した忠実なカトリック教徒をどのように記述したか、それを伝える言葉である。

ファチマのメッセージは、第二ヴァチカン公会議以前の教会の変わらない教えと同じように、スローガンが全然ない。メッセージの鍵になる諸要素を単に読むことが、カトリック宗教がどのように革命のスローガンによってほとんど光を失わせられてきたかを理解することである。

あなたたちは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました。

彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心の信心を確立することを望んでおられます。

私があなたたちに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和がやって来るでしょう。

戦争は終わろうとしています。しかしもし人々が神に背くことを止めないならば、もっと悪い戦争がピオ11世の在位の間に起こるでしょう。

あなたたちが未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが、神が戦争、飢饉そして教会および教皇の迫害によって、世界をその罪のために罰しようとなさっているということを神によってあなたたちに与えられる大きなしるしであると悟りなさい。

このことを妨げるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。

もし私の要求が聞き入れられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。もしそうでないならば、ロシアは、諸々の戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その諸々の誤謬を世界中に広めるでしょう。善人は殉教するでしょう。教皇は多く苦しむでしょう。さまざまの国家が絶滅させられるでしょう。

最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、平和の一時期が世界に与えられるでしょう。

おとめによって説かれる宗教--すなわち、伝統的なローマ・カトリシズム--は地獄の火、哀れな罪人たちの永遠の断罪、人々の罪に対する神の懲罰、霊魂が救われるため、そして神のこの世での罰を避けるための神に対する償いの必要、回心と教会の成員たることを通じての霊魂の救い、女王なる御母の汚れなき御心の勝利を通じての王たるキリストの王としての諸権利の擁護について話す。われわれは公会議後のヴァチカンからはこれらの事柄について何も聴いたことがない。公会議後のヴァチカンは、「ある仕方で」彼らがすでにキリストに結びつけられているがゆえに、彼らの霊魂を救うために七つの秘蹟を何ら必要としない「無名のキリスト教徒たち」で満ちあふれたラーナー的幻視によって催眠術をかけられているように見える。

ヴァチカン当局が第三の秘密に関するその2000年6月のファチマ・メッセージを最終的に提出することを強いられた(グルーナー神父の仕事によって産み出された主として一般の圧力のおかげで)とき、ラッツィンガー枢機卿は、Los Angeles Timesが、彼は「ファチマ信心の仮面を穏やかにはいだ」注12)と述べたほどにあくどいファチマ修正主義に従事する機会をただ用いただけである。その中でファチマ第三の秘密に対してそこにあるすべてであるとわれわれが告げられた(マザー・アンジェリカでさえその主張を信じなかった)「白い衣服を着た司教」に幻視に関する彼の神学的注釈において、ラッツィンガー枢機卿は「『汚れのない心』(ママ)[英語では小文字で、つまり、特殊的なマリアの汚れなき御心ではなく、一般の人の汚れのない心という意味を持たせた]は神の恵みでもって、完全な内的統一に達した心であり、それゆえに『神を見る』心である」と敢えて言った。ラッツィンガーはこのようにして(それについてラッツィンガーが何も言わない)原罪の汚れから自由にされて保たれたマリアの唯一の汚れなき御心と可能態にある誰かある人の心との間のいかなる区別をも消去した。真理のこの曲解からラッツィンガーは「マリアの汚れなき御心に『奉献』されることはそれゆえにこの心の態度を持つことを意味する...」という結論に飛躍した。--このように一つの明白にカトリック的な信心としての「世界の中に私の汚れなき御心への信心を確立しなさい」という神の命令を排除しながら、そしてそれを聖性を求めることの総称と置き換えながら、ラッツィンガーは次に汚れなき御心の勝利を以下のように始末したのである:

最後に私は正当に有名になった「秘密」のもう一つの鍵になる表現に言及したい。すなわち、「私の汚れなき御心は勝利するでしょう」という表現である。これは何を意味するのか? 神の観想によって純化された神に開かれた心はあらゆる種類の銃や武器よりも強い。マリアのfiat(仰せの通り私になりますように)、マリアの心の言葉は世界の歴史を変えた。なぜなら、それは救世主を世界にもたらしたからである。--なぜなら、マリアのはい(Yes)のおかげで、神はわれわれの世界において人間となることができたからであり、そしてそれゆえいつもとどまられるからである。注13)

それゆえ、ラッツィンガーに従えば、1917年に一つの未来の出来事として聖母によって予告された汚れなき御心の勝利は実際には2,000年前に起こったのである。--それは、その預言から最後にという言葉を切り取ることによって彼が達成した一つの聖書注解的トリックであった。ラッツィンガーはマリアの汚れなき御心の勝利が未来のロシアの回心において見られるでしょうというマリアの約束についてのいかなる議論をも便宜的に避けたのである。

神の御母のまさにその言葉をラッツィンガーが改竄したことは、信じているカトリック者の誰からもの彼に対する軽蔑を生むことになる。しかしそれはまたここでなされる論点をも証明する。現在の新奇さの体制の擁護者たちは誠実に自らに問わなければならない:ファチマでおとめによって説かれた宗教はヴァチカン当局のエキュメニカルなそして汎宗教的な計画と共存することができないということは明らかではないのか? 質料と反質料のように、ファチマで説かれた宗教と公会議教会の新しいプログラムは同時に同じ場を占めることはできない。一方は他方を絶滅するであろう。それに依存して現在はより多数派である。それゆえに、現在支配的である新しい計画はファチマ・メッセージの古典的カトリシズムを絶滅させようとしている。(教会は本質的に駄目になることができないというあり方があるために、究極的にはそうすることに失敗するであろうけれども)

ジョン・ヴェナリは、一人のオブザーバーがリスボン主座大司教、ホセ・ダ・クルス・ポリカルポ枢機卿にシスター・ルチアが第一戒の下で神に負っている諸々の義務について書いた一節を引用したとき、枢機卿が「シスター・ルチアは今日もはや参照の重点ではない。なぜなら、われわれは第二ヴァチカン公会議のうちにそのようによい参照の重点を持っているからだ」と答えた、と報告している。注14)高い地位にある聖職者たちでさえ、公会議をファチマの諸真理において表現されたような永遠の信仰から離れる一つの運動の始まりとして見ているのである。これは公会議以来急に増えてきた第二ヴァチカン公会議についての多くの「誤解」の一つであると言いたい人々に対して、私はこう答えるであろう:教会の全歴史の中で、その教えが、カトリック教徒が信じるように期待されていたことを変えた広範囲にわたる誤解を生じさせた別の公会議の名を挙げよ、と。

10月13日の儀式に10万人以上の人が出席したファチマ聖堂の外で様々の言語のファチマ文書とロシア奉献のための請願をグルーナー神父と共に配布したファチマ・センターの巡礼者たち。隠蔽の年代誌はファチマの聖母を沈黙させようとする陰謀についてポルトガルの人々に警告を発するためにこの時期には特に有益であった。この号に載せられた諸論考を読んだ後には、あなたはどのように聖堂の役職者たちが単にファチマの聖域ばかりでなく、カトリック信仰そのものを破壊する悪魔的な計画をもってずうずうしく真意を表明したかを見るであろう。

脚注::

1. Our Apostolic Mandate(1910).

2. Noticias de Fatima, October 24,2003, "Santuario a Varios Credos," pp. 8-9.

3. Catholic Times online, November 18, 2003

4. Ibid.

5. Divini Redemptoris, 8.

6. GS, 22.

7. Msgr. Georges Roche, Pie XII, Devant Histoire(Paris: Editions Robert Laffont, 1972), p.52-53.

8. There are many historical accounts of this event. See, for example, "Our Lady And Islam: Heaven's Peace Plan," by Fr.Ladis J. Cizik.

9. Letter to Fr. Nicholas Gruner, February 16, 2001.

10. Kramer, Fr. Paul, The Devil's Final Battle, Missionary Association(Buffalo, NY: 2002), p. 89.

11. The Devil's Final Battle, Chapter 8.

12. "Catholic Church Unveils Third Secret:The Vatican's Top Theologian Gently Debunks a Nun's Account of Her 1917 Vision That Fueled Decades of Speculation," Los Angeles Times, June 27, 2000.

13. The Messsage of Fatima, p.43.

14. Documentation Information Catholique Internationale(DICI), November 3, 2003.

次号に続く

2004/04/18 三上 茂 試訳

作成日:2004/04/18

最終更新日:2004/04/18

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